古
訳
『薬 師経
』に
見
られ
る ヤ
マ ・ラ
ージ
ャ の記
述
サ
ン スク リ
ット
テ キス ト を視 野
に入
れ
た研
究
一長
尾
佳代 子
1
.は じめ に
ギル ギッ トの ス トゥ ーパ
跡
か ら発見
された現存
の 『薬
師 経』 サ ン ス ク リッ ト本の成立 は5
〜6
世 紀 頃ω ,一番古
い漢
訳で あ る 『拔
除 遏 罪 生 死 得 度 經 』 の 成立 は4
〜5
世 紀 頃 と推 測 さ れて い る(2) 。 ヤマ ・ラー ジ ャ(
閻羅)
は そ れ に先行
す る漢訳 阿含
などの初 期
仏 教 経 典に既に登場 して い る(3)。仏教徒
は衆
生 が善悪
の業
に従
っ て輪
廻 す る と考 え るの で , ヤマ の 審 判 の 結 果が 転 生 先の 決 定 や 治病 ・延 命の 可否
に影響
を与
え るこ とを期待
し ない はずで あ る。 しか し, ヒン ドゥ ーにおい て は サ ーヴィ トリー の物語
,中
国に お い て は 『太
4
廣
記』等
の伝 奇物語
に頻 出
する よ うに, ヤマ との 交 渉 に よっ て寿 命 を延 長 す る とい うモ テ ィ ー フ は民衆 信仰
の レ ペ ル で は普及
した 。『拔 除 過 罪 生 死 得 度 經 』 に お ける閻 羅王 に
関
する記述 部 分 (
本稿 資 料
の16
>
17
>)
は現行
サ ン ス ク リッ ト本
と大 変 異なっ て い る。 一 方, 達 摩笈 多
訳 で は ほ ぼ一致 してい る。 達摩 笈 多
訳 序文
に よ れ ば (4) , 当 時, 沙 門慧 簡 訳 『薬師経
』 が 世に広まっ て い た が, これ とサ ン ス ク リッ ト原本
を併
読す る人々 は そ の内容が一致 しない こ とに疑惑
を抱
い て い た。 こ の よ うな特徴
か らこ の沙
門慧簡
訳 『薬 師経
』 が 『拔 除 過 罪 生 死 得 度 經』 と同一 視され る。 し か し,従来
研究者
が たびたび指摘
して い る よ うに , 『灌頂 経
』 の第
12
巻 と し て編纂
さ れて い るこの経
典 は僣祐
を は じめ正統 派
を自認
す る仏 教徒
か ら は 「疑 経
」 と 位 置 づ け ら れて い た。 『拔 除 過 罪生死 得 度 經 』 に お け る閻 羅王 に関す る記述
が非仏教
の習俗
と紛
ら わ しい た めで あ る。 一方 , 達 摩笈
多 以 降の 『薬
師 経 』38 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
翻訳者
はい ずれ もイ ン ドの僧
団で の出
家生活
の経
験が あ り(5) , その翻
訳は部
派
の 教義
を意識
して行
わ れて い る。筆者
は, 「重 病 人の 治癒
あ るい は生 天 を 目指
す在 家者
の行
事で あ っ た 『7
日問 連 続の 斎 戒』 の 礼 拝 対 象 を薬 師 如 来 と定め, そ こ に教 学 的 な裏づ け を 行 っ た こ とで 現 行 の 『薬 師 経 』 が成立 した 」 と推 定 して い る。 本 稿 で は, 『拔
除過 罪 生 死得
度經
』 に お け る ヤマ ・ラ ー ジャ の記 述 に焦 点 を あてて , こ れが中
国語経
典の切 り貼 りで あ る こ と を示 す。 同時
に, 『薬 師経
』 の成
立 に つ い て の上 記の 仮 説を裏 付 け る資 料を示した い 。2
.本 論
(
1
)
用 語の定義 と作 業 用 資 料の説 明本稿
にお ける 「続 命
法 」 の定義
『
薬 師経
』 に は,俗に 「続 命法 」 と呼
ばれ る部分
が あ り, ヤマ ・ラ ー ジ ャ の 記 述 はその 中にある。 『出三藏
記 集』 で は, 『拔 除過 罪生 死 得度 經
』 の割
注 と して, 「此 經後 有 續 命 法 。 所以遍 行 於 世」(
『大 正 新 脩 大 藏 經 』(
= 『大正 』)
55
,39a21 )
と あ る。 こ の記 述
か ら は, 「續命
法 」 が テ キス トの ある部
分を指
すの か あるい は具体
的な修
法を指
すの かが分
か ら な い 。 望 月信 亨
は, 『拔
除 過 罪 生死 得 度 經』 の 中の 「五 色 神 幡」 「續 命 幡」 「續
命 神 旛」 な どの 記 述 を,幡
を飾
っ て延命
を祈 願
す る行事
と して解釈
し, こ れ が 『出
三藏記 集
』 で 「績
命 法」 と書か れ た もの だ と考え た 。 望 月が 想 定 したの は本
稿で資
料と して あげ
た対 照表
の始
ま り部 分
か ら薬 師
の 名号
を音
写す る呪を述 べ 終わ る部
分 まで の テ キス ト(
『大
正 』22
,535b4
−536a27
)
で ある。本稿
で もこ の望 月説
を とっ て, 『拔
除 過 罪生死
得度 經
』 の こ の部分
お よびこ の箇
所 に該 当す る サ ン ス ク リッ ト本 や他 の 漢 訳 の 部 分 を 「続 命 法」 部 分 と呼
ぶ。対 照 表につ い て
続命
法部
分の 『拔
除 過 罪生死得 度經
』 とサ ン ス ク リッ ト本
の対 応部
分 との関
係 につ い て は資 料 の 対 照表
を見て ほ しい 。 対 照表
の そ れ ぞ れの数字
は, そ れぞれの テ キス トの中
で 登場
する順番
にっ けて い る。表
は 『拔 除 過 罪 生 死 得古訳 『薬師経 』 に見ら れ る ヤマ ・ラージャ の記述
39
度經
』 の順序
を基準
に して,漢訳
テ キス ト とサン ス ク リッ トテ キス トの訳
を あげ
, 対応
する部
分 の 記述
を参
照で き る よ うに し た。途 中
, 国王 の病 苦
や九 横 死 につ い て述べ る部 分が ある が , 今 回の 話題
とは直 接の 関 係が ない の で表
か ら は省
略 した。構 造の比 較
続命 法部分
につ い て , サ ン ス ク リッ ト テ キス ト と 『拔 除
過罪
生死得 度經
』 の 間で 記 述が一致 し ない部
分は ,薬
師 如来
や神幡
に言 及す る箇
所で あ る(
番 号に網 掛 け し てい る部 分鑼覊 )
。 しか し, これ らの 部 分 を除 外 して テ キ ス ト の記述
を見直
すと,実
は プロ ッ トの構
造は ほぼ 一致 す る 。 サ ン ス ク リッ トテ キス トの10)
か ら19)
の部
分が3 )
か ら9
)
よ り も前
に あ るこ との み が順 序の 違い で ある。 し た が っ て 仮に サ ン ス ク リッ トテ キ ス トの10
)
か ら19
)
の部 分, あ るい は 『拔 除 過 罪 生 死 得 度 經』 の14
>
か ら20
>
の 部 分が後か ら挿
入 さ れ た と考
え る と,順
序は基本
的に 一致 して い る と言
え る 。(
3
)
内 容の検 討1
(サン ス ク リッ トテ キス ト10
)か ら19
)の 部 分 )「
神 幡
」 と 「薬 師如 来
の供養
」 の代 置
そ こ で , ま
ず
, サ ン ス ク リ ッ トテ キス トの10
)
か ら19
)
の部 分の内
容を検 討
する。 こ れ は, 『拔
除過罪
生死 得度經
』 に お ける4
>
か ら13
>
の部 分
に該 当
す る。両 者
を比較
する と,実
は内容 的に も とて もよ く 一 致 してい るこ と が わ か る。 一 致し ない箇
所 は少
な い が その一致 し ない箇
所の内容
に は特
徴が ある。 つ ま り, 『拔 除 過 罪 生 死得 度經
』 に は 「続 命神 幡
を造
れ 」 とい うこ と が書
か れて い る(
9
>
10
>
13
>)
。 一 方 , サ ン ス ク リッ ト本の ほ うに は 「薬
師 琉璃
光 如来
を まつ れ 」 「像 をつ くれ」 とい うこ と が書 か れ て い る(
10
)
13
)
16
))
。 『拔除過
罪 生死 得度 經
』 に は薬 師如来
が登場
し な い し, サ ン ス ク リッ トテ キス トに は幡
が登 場 し ない の で ある。在
家者
トラーナムク タによっ て教 示 さ れる7
日間の斎 戒筆者
は, こ の箇
所 につ い て 『拔 除
過罪
生 死得度 經
』 の記 述
, つ ま り 「神
40
パ ーリ学仏 教文 化 学幡
」 を造
る よ うに勧
め て い る文 章
は,在家
の, そ れ も恐 ら くは非仏
教の習俗
を反 映 して い るの で はない か と考えて い る。 とい うの は, 『拔 除 過 罪生 死 得度經
』 の 方で は 「族 姓 男 女」 が病 気 に なっ て救護
す る者が い な け れ ば7
日間 の斎
戒を行 うの だ , とい うこ と を在
家 者で あ る トラーナム ク タの 方か ら言 っ て い る(4 >)
。 そ れ に対して ア ー ナン ダか ら トラー ナ ム ク タに 「続命幡 燈
の 法 則」 を尋ね る(
10>)
。 サ ン ス ク リッ ト本
で は ア ー ナンダ
が トラー ナム ク タ に 「良 家の 息 子 よ 」(
1a
−putra)
と呼 びか けて 薬 師如 来の 礼 拝 方 法 を尋 ねて い る(
10
))
。 『拔除
過罪
生 死得 度經
』 で も サ ン ス ク リッ トテ キス トの 方で も,在 家者
トラー ナ ム ク タ が礼 拝 儀 式
の や り方
を説
明 して い る とこ ろ が一致
し て い る。 また, 「8
つ の 禁止 事 項 を守っ た7
日間の斎 戒(
八 支 関 斎)
を病 気 か らの解放
の た めに行 う」 とい うこ とに関
して も記 述が一 致 して い る(5 >
12))
。阿含やニ カ ーヤ で言 及 さ れ る在 家の 八
支 関
斎は半
月ご との8
,14
,15
日, つ ま り月の 六 斎 日に行わ れた。 しか し, 続 命 法で 教 示 され るの は 「7
日間 連 続で 行 う八支関
斎」 であ る。 一方 , 『薬 師 経 』 に は 「如 来 形 像」(
tathagatasya
pratima
)
を作
っ て7
日間
の 八支 関 斎
を行
うよ うに指
示 す る箇 所 (
Schopen
p54
,Dutt
p
.17
, 『大 正 』21
.533c29
−534al
,14
,403a20
−21
,406c912
,415a9
−11
)
が あ る。続命 法
にお け る主要
な条 件
は 「7
日間連続
で 」 ウポ ーサ タ を行
うこ とで あ り, そ こ で まつ ら れ る神 格
も,読 誦
さ れ る経典
も,交 替 可 能
で あっ た の で は ない だ ろ うか 。 そ の た め, そ こ で 「神幡
」 を まつ る よ うに指 示 する場合
も あれ ば, 「薬
師如来像
」 を礼 拝 す る ように勧 め る場
合 も あっ た の で あろ う。「神 」 か ら 「如 来」 へ の置 き換 え
「神
幡
」 を説 く形 を古
形 だ と考 え る単 純 な 理 由が も う1
つ ある。 そ れ は 『拔 除
過 罪 生 死得 度經
』 に おい て続
命 法部
分 に は薬 師が登場
し ない が, そ れ 以外
の部分
で は登 場 する とい うこ とで ある。 もし何
か 理由
が あっ て薬 師如 来
の 礼 拝 につ い て 書い て い た テ キス トを神の 礼 拝につ い て 書 くよ うに改 変 し た の だ っ た と した ら, 『拔 除過 罪
生死得 度經
』 の全 て の部分
に お い て薬 師
で は古 訳 『薬 師 経 』 に見ら れる ヤマ ・ラージャ の記 述 な く
神 幡
の作 成
が勧
め ら れて い る はず
で あ る。 とこ ろ が , 度 經』 で は, 単に薬 師 如 来が登 場 す るだ けで な く, その うちの3 箇
所 は, 応す るサ ン ス ク リッ ト本の箇
所で 「薬師
如 来の 名 前」 を聞
くこ とに な っ て い る部 分
が 『藥 師瑠 璃
光 如來 本 願
功徳
』 とい う経典
を聞
くこ とに置
き換
わ っ て い る(7>。続 命
法を行
う必 要条
件が7
日間連続
で 斎戒
を行 うこ と で あ り, そ こ で 読 誦さ れ る経 典, 称 名の 対 象 と な る神 格が交 替 可 能だ っ た と考
え れ ば, 『拔 除過 罪
生死 得度經
』 の編纂 者
が こ れ らの統
一 に こ だ わ らな か っ た事 情
が 理 解 で きる。41
『拔
除 過 罪生 死得
対(
4
) 内容
の検 討
2
(
『拔 除過
罪生
死得度 經
』 の14
>
か ら20
>
)
『拔 除 過 罪 生 死 得 度 經』 に付 加 されたヤマ ・ラー ジャにつ い て の 注 釈
さて , こ の よ うな こ と を前
提
に , こ こ で , ヤ マ ・ラ ー ジ ャ の記
述 に つ い て改 めて考
え たい 。 『拔 除
過罪生死得 度經
』 で16
>
17
>
18
>
の部
分, サ ン ス ク リッ ト本
で は4
)
と5
)
に あた る。 『薬 師経
』 テ キス ト諸 本の 中で ヤ マ ・ ラ ージ ャ の記 述は唐 突に登 場す る。 そ して , こ こに し か 現 れ ない 。サ ン ス ク リ ッ ト
本
に4 )
に は 「目 の 前 は真
っ暗
に な リ ヤ マ の使
人(
yamapurusa )
に よっ て 引っ張
られて い きつ つ ある衆
生 が い る こ とで しょ う。 こ こに横
た わ っ て い る彼の 身 体か ら ヴ ィ ジ ュ ニ ャ ー ナ が ヤマ 法王 の も とに 引 か れて行
くの で す」 と あ る。 そ れ に対応
する 『拔 除過 罪
生死得 度經
』 の15>
に は 「この病
人 とは, あるい は, その前 世
に お い て悪 行
を造作
し た の で あ る。 罪 過 の 招 くと ころ, 殃 咎の 引 くと こ ろ とな っ て その よ うに さ れ るの で あ る」 と ある。 「ヤマ の使
人 」 は登場
しない 。 「ヴィ ジ ュ ニ ャ ー ナ」 も な い 。単
に 「重
い病気
にか かっ て苦
し む の は前
世の悪業
の報
い で あ る」 と述
べ て い る だ けで ある。っ つ い て , 『拔 除 過 罪 生 死 得 度 經 』 の
16
>
で は ヤ マ に つ い て の 説 明が あ る。 説明 は在 家 菩 薩で あ る トラ ーナ ムク タ か ら出 家者で あ るアー ナ ン ダに向 か っ て な さ れ る。 「ヤ マ ・ラ ージ ャ とい う者
は ,世 間
の名籍
の記録
を主領
す る もの で ある。 云々 」 と言い , サ ン ス ク リ ッ ト本に は これ に該 当す る記 述が42 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 資 料 続命法対 照表 『拔 除過 罪生死 得 度 經 』 Bhaisal ’ yaguru−s痺tra 1> 爾時衆 中 有一菩 薩 名日救脱。 1) また,その 時,そ の集 団に,トラーナム ク タ とい う名の ボーディ サ ッ トヴァ ・マ ハ ー サ ッ ト ヴァがお り ま し た。 > 2 薩 從座而起 整 衣服 叉 手 合 掌 而 白佛 言。 2 ) 彼は立 ち 上 が り,片 方の方に 衣 を か け,右 膝 を 地につ けて,世 尊に合掌 し,礼 して 次 の よ うに 申し上げま し た。 我 等 今日聞 佛 世 尊 演 読 過 東方十 恆 河 沙 世 界 有 佛 號 瑠 璃 光。 一切衆 會 不 歡 喜 。 [該当 す る 記 述 な しコ 匚該 当す る 記述な し] そこ で 長老アーナン ダ は トラーナム ク タ ・ ボーディサ ッ ト ヴァ に次の よ うに言い ま し た。 「良 家の息 子よ , その世 尊 薬 師 琉 璃 光 如 来の礼 拝はい か よ うに行われるべ きで す か 」 4 > 救 睨菩薩又 白佛 言。 若 族 姓男 女 其 有 瓱羸著 床 痛 惱 無 救 護 者 11) ト ラーナ ム ク タ ・ボーデ ィサ ッ トヴァ は言 い ま し た。「大 徳アーナ ン ダよ,大病か ら の解 放を 望 む人々 は, 5 > 我 今 當 勸 請 衆 僭 七日七夜 齋戒 一心 受 持 八 禁 12) その 病 人の ため に 7 日7夜, 8支を受持し た最 勝の ウ ポーサ タ を行うべ きです。 そ し て,僧団 に飲 食物や あ ら ゆ る資具 を 与 えて 礼 拝 儀式 を行うべ きです 。 6 > 六 時行 道 夜に 3回,昼に 3回,かの世尊薬師琉 璃 光 如来の供養を行うべ きです。 7 > 四十九遍 讀 是 經 典 14) 49回こ の経を 唱 え さ せ るべ きです 。 勸 然七層 之 燈。 15) 49の燈 明を灯すべ きです 。 亦 應 造立 五色 神 幡 然四十 九 燈。 應 放 雜 類 衆生至四十 九。 可 得 過 度 危 厄 之難。 不 爲諸 横 悪 鬼 所 持。 16) 7つ の像が造ら れるべ きです 。 〉 > 8 ・ 11 ぼ ト 耐 阿 難 問 救 脱 菩 薩
i
言。 續 命 幡 燈 法 則 云何。救 脱 菩 薩 語 阿 難 言。神幡五 色 四十 九 尺。 [該当 す る記述 な し] 燈 亦 復 爾。七 層 之 燈 一層七燈。 17) 1つ 1つ の像に 7つ ずつ の燈明 が 設 置 さ れ るべ きです。 12> 燈如車 輪。 18) 1つ 1つ の燈明 は 馬車の車 輪 状に造ら れ る べ きです。 若 遭 厄 難 閉 在 牢 獄 枷 鎖 著 身。 亦 應 造 立 五 色神 幡 然 四十九燈。 應 放雜 類 衆生 至 四十九。 可得過度 危厄 之 難。 不 爲 諸 横 惡鬼所持。 19) もし49日 目に灯が消え な け れ ぼ,(……) 5色に染め た幡が 49造 られ る (?)べ き で す。 一一一冒匿一一.一一一一一一山Pτ匿−π一一一「 尸 一一一 .圏 ...幽鹽 膠古 訳 『薬 師 経 』 に見ら れ る ヤマ ・ラージ ャ の記 述
43
国 王等の病 苦 ・九横 死な どにつ い て述べ る 胃一一一一■一一冒冒冒7一一一一一 一岫一 救 脱 菩 薩 語阿難 言。其 世 間人 痿 黄 14> 之病 困 篤 著 床。求生不 得 求 死 不 得 考 楚 萬端。 15> 此 病人者 或 其 前 世 造作 惡 行。罪過 所 招 殃 咎 所 引 故使然 也。讃
. 救 月兌菩 薩 語 阿難 言。閻 羅王者 主領 世 間 名 籍 之 記。若 人 爲 惡 作 諸 非 法 無孝 順心 造 作五 逆 破滅 三寶無君 臣購
緲 曝 菷 法。 又有 衆生 不 持五戒 不 信正 法 設 有 受 者 多所 毀 犯。 於 是地下 鬼 神 及 伺候者 奏 上 五官。 五官 料簡 除死定 二 生。揖
噐i
引i・ 或 注 録 精 禪 未 判 是 非. 若已定 者 奏 鸞蠖
上閻 羅。 閻 羅監察 隨 罪 輕重 考而 治 之。 世 間 痿 黄 之 病 困篤 不 死 一絶一 蒙囁 こ こ生 由 其 罪幅 未 得 料 簡。 欝 籥 [該当する記 述な し] 影i
鑾
録 其 精 紳 在 彼王所。 或 七日二 三七 題 卜 靉 灘 欝 欝 織 日 乃至 七七 日。 名 籍 定 者 放 其 精 神 還 其 身 中 如 從 夢 中 見 其 善悪。 19> 其人 若明 了 者 信 験罪幅。 蔭 是 故 我 今 勸諸四輩造續命坤 幡然四 十 九 燈 放 諸生命。 以 此幡 燈 放生功 P 徳 拔 彼 精祚 令 得 度 苦 今 世 後世 不 e 譱 遘 厄 難。 3 ) 蕪 蕪・虜難
耄
7) 8) 「大 徳 世 尊 よ,未来 世 には,様々 な病に苦 し め ら れ,長 患い で痩せ細 り,食べ ら れず 飲めずに喉が か ら か らにな り,死に面 し, 涙に くれ る知 人や親 族に取 り巻か れ, 目の前は真っ 暗に な り ヤマ の使人 に よっ て 引っ 張ら れ て い きっ っ あ る衆生がい るこ と で しょ う。こ こ に横た わっ てい る彼の身 体 か ら ヴィ ジュ ニ ャ ーナ がヤマ法 王の も とに 引か れて行 くの です。 匚該 当す る記述 な し] そ して その 人の生ま れつ き付 き従っ て い る デーヴァ ターで ある者に よっ て ,良い こ と であ れ 悪い こ とであ れ 行わ れ たこ とは全て 書 き取っ て ヤマ法王 に渡さ れ ます。 ヤマ法 王は彼に尋 問し,どの程 度 良い ことや 悪 い こ とが な さ れ た か を計 算 して、そ れに し た が っ て 指 示 を 与 え ま す。 かの世尊薬 師如来に 帰 依する人は,その病 人のた めにその よ う な方 法で礼 拝を行うべ きで す。 再 び還 っ て き た その ヴィ ジュ ニ ャ ーナが, 夢の 中にい るよ うに 自身の こ と を悔い を抱 い て 思い 出 し ま す。 7 日目,21日目, 35 日 目,ある い は49日 目に還 っ て き た そ の ヴィ ジュ ニ ャ ーナ は記 憶を持っ てい ます。 そ う して,良い こ と であ れ悪い こ とで あれ 行 為の 結 果が自ずか ら目の 当た りに な り, 例え命のた めであっ ても悪い 行い は し ませ ん。 です か ら,信心 深い 良家の 男 女によっ てそ の如 来の 礼 拝が行わ れ るべ きです。 な い 。 こ の部分
の記 述 は吉藏
の 『無 量 壽經
義疏
』 の解 説 に よ く 一 致 する(8)。 こ の よ う な説
明は阿含
や ニ カ ー ヤ に は見
ら れ な い。 「 此病
人者
」 「閻羅
王者
」 つ ま り 「[
名 詞]
+者」 とい う書
き出 しで 始ま る こ れ らの部分
は語句
の解説
44
パ ーリ学仏 教文化学 を行 う際の定
型を踏んで お り, 中 国で 付加 された と推 測 される。次 に 『
拔
除 過 罪生 死 得 度 經 』 の17
>
と サ ン ス ク リッ ト本の5 )
, お よび 『拔 除 過 罪 生 死 得 度 經 』 の18>
とサ ン ス ク リッ ト本の7 )
を見
て み る。 注目
さ れ る の は漢訳
の17
>
に 「あ る い は注
に録
す る に」18
>
に 「録
す る に 」 と あ る こ とで あ る。 両 者 は それ ぞ れヤ マ の 行 為 につ い て 説 明 す る もの で あ る。 周 知の よ うに, 無 我 説 を標 榜
す る仏 教
に お い て は,輪 廻
の 主体
を仮
に プ ドガ ラ(
pudgala
)
と名
づ けて各
部 派 が その 実在
の是 非 を論
じ た。 さ ら に、中
国に お け る 『薬
師経
』解
釈で は, その プ ドガ ラ の善 悪の業 を同生神が 記 録 して ヤ マ に渡
す とし, その 同 生 神 が実
は ア ー ラ ヤ ・ヴ ィ ジ ュ ニ ャ ーナ(
阿 頼 耶識
alaya
−v櫛
互na)
で あ る と説 明 した(9)。5 ) 7 )
で は そ れ ぞ れ にpr
§thahubaddh
互devat
盃お よび vijfiana の語
を あて て お り, ま た達摩笈 多
以 降の漢
訳 も それぞ れ 「同生神
」 「倶生神
」 お よび
厂神識
」 「識」 の 訳 語 を あて て 区 別 して い る点で, この よ うな解 釈 と呼応 す る記 述に なっ て い る。 一 方 , 『拔
除過 罪 生 死 得度經
』17> 18>
で は こ れ らは区
別 さ れず
に 「精 祚
」 と呼
ばれて い る。 ま た, 『拔
除 過罪
生 死得度
經 』 に は,16
>
に 「地 下 鬼 神 及 伺 侯 者 奏 上 五官
」 とある よ うに, サ ン ス クリッ ト本 に登 場 しな い 独 特の 地 獄観
も現 れて い る。 『拔 除 過 罪生 死 得 度經
』 に お け る こ の よ う な特徴
は, こ れ を ,中
国語
で記 述 され た解説
を参
考に しつ つ ,原
テ キス トを参
照 せ ずに付し た注 釈 だ と考
え れ ば, 理解
しやすい 。(
5
) 内容
の検 討
3
転生
,蘇 生
そ して治癒
サ ン ス ク リ ッ ト テ キ ス トの
7
)
の 箇 所 の 意 味す る とこ ろにっ い て は, 議 論 が ある。 蘇 生 説 と転 生説
で あ る。 「病
人 はい っ た ん ヤ マ ・ラー ジャ の所 へ行
き そ して生 き返る」 とい う蘇
生説を採
る の は,例 え ば岩
本 裕やBimbaum
で あ る(10)。 一 方 ,Schopen
や小 林 信 彦 は転生説 を取 る (H ) 。病
人は 生 き返 る の で はな く, 転 生 する。 転 生 した後
は通常
は前 世の 記憶
を持
た ない が, こ の 場合
は宿命 智
を得
る(12)。 その た め, 次の生で は た と え悪事
を行
わ な け れ ば古訳 『薬師経 』 に見ら れ る ヤマ ・ラージャ の記 述
45
命 を 失 うよ うな 時に も悪い 行 い は し ない 。サ ン ス ク リッ ト
本
の解
釈は転
生 を取るべ きで ある 。 その 理 由につ い て 小 林信彦
は次の よ うに説 明 する。 こ こ に登 場 する7
の 倍 数で あ る 日数は次の 転 生 まで の 中 有の 持 続 時 間 を示す。 ま た,7 )
の とこ ろの svapndntaraivatrnanarp
samj5nati
とい う文
は 「寝
て い る人
が昔
の こ と を夢
に見 る よ うに,新
しい身
体を得て生 ま れ変わ っ た人が前世で や らか した愚か なこ と を思い 出して 後 悔 す る」 と解釈
す るの が正 し い 。 そ して ,4
つ の漢 訳
の う ち玄奘訳
だ けが こ の箇
所 を 正 し く訳せ て い る, と小 林 は指 摘す る(13)。 もっ と も小 林に よ る と, こ の部
分を読んで 中国 人の 思い が蘇生 に向か うの を阻止 する に は, そ れ相
応 の 工夫 を する こ とが必 要で ある が, 玄奘
の訳 文
に は そ うい う試
み が な さ れて い ない 。 サ ン ス ク リッ ト文
の主旨
を 正確
に中
国人 に伝
え る こ とに成 功 して い ない とい う点
で は,玄 奘の翻
訳も不 十 分で ある とい うの で ある (14)。敦
煌本
の 『藥 師 經 疏』 で は, 痩せ 衰え た病 人に は死 相が現れ て い る こ と, こ の よ うな 状 態の 時に は ヴィ ジ ュ ニ ャ ーナ が閻魔
の使
い に引
か れて行
っ て い るけ れ ど も同時
に も との身体
は病
人 と して横
た わ っ て もい る こ と, こ の 場 合 の閻魔
と閻魔の 使い と病 人 とは第六 識に よ っ て現れ て い る こ と, 同生 神は ア ー ラ ヤ識
で あ るこ とな どを述
べ る(15) 。 こ の解釈
だ と, ヴ ィ ジ ュ ニ ャ ー ナ が閻魔
の も とに行
っ て い るよ うに見える の は こ の病
人の第六識 に よっ て現 れ て い るヴ ィ ジ ョ ン なの で , 実は病
人 は ま だ死んで い ない 。中
国撰述
の経疏
で は, 玄 奘 訳の 記 述 を, 「死 者 が蘇 生 す る 」 と解 釈
したの で はな く, 「ま だ死
な ずに ヤ マ ・ラ ー ジ ャ の ヴ ィ ジ ョ ン を見て い る重病
人 が 治癒す る」 と解
釈 し た。 っ ま り,7 )
の前 半
「再
び還
っ て き た その ヴィ ジ ュ ニ ャ ー ナ が, 夢の 中 に い るよ うに自身
につ い て悔
い を抱
い て 思い 出 しま す」 とい う記 述は病 気が 治 癒 し て 意 識 を取 り戻 し た とい う意 味に理 解 して い るの で あ る。『瑜 伽
師
地論
』 の記
述に呼 応 する サ ン ス クリッ トテ キス ト玄
奘訳
『瑜伽 師
地論
』 に は 「も し衆
生 が ナ ラカ に生 じて宿
命を記憶 す るな らば, ヤ マ 法王 は こ と さ らに教 誨す る こ とはない 。 も し生 じ た後に宿
命を記 憶 しない ならぼ, 王は そ こ で 教 誨す る」 と あ る 。 さて, 『拔
除過 罪 生 死得
46 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 度 經 』 で は
宿
命 智の獲 得 に さ ほ どの 関 心 を寄せ て い な い が, サ ン ス ク リ ッ ト本で は これ を 重視
して い る 。 『薬 師 経 』 サ ン ス ク リッ ト本
の別 の箇 所で は 「例
え ヤマ の世
に い て も畜
生の状態
で も そ こ で如来
の名 前
が 目の当
た り に な る だ ろ う。名 前
を念 じ る やい なやそ こ を抜 け 出 して再
び人 間の 世に 生 まれる だ ろ う。 そ して宿
命 智を持つ 者た ちGEtismaras
)
となるだ ろ う」 と明 記 し て い る が, 対応 す る 『拔 除 過 罪 生 死 得 度 經 』 の 箇 所 で は宿 命 智に 言 及 し な い (17)。 ま た, 『瑜 伽 師
地論
』 で は 「ヤ マ は衆
生 に利
益 を与
え る こ とが出来
る ゆえ に 『法王』 と呼ば れ るの で ある」(18)と述べ て い る が , そ れに呼 応す る か の よ うに17
>
で単
に 「閻 羅 」(
yama
一画
a)
と呼 ぼ れて い る者
を5
)
で は 「ヤ マ 法王」(
yama
−dharma
−raja)
と呼
んで い る(19)。で は, ヤマ を法王 と して
位置
づ け ない 『拔
除過 罪生 死得度 經
』 で は宿
命智
の獲 得 に つ い て ど う記述
して い るの か。 例 え ば19
>
で は 「そ の 人が も し明 了 な らぼ罪
福を信 験す る」 と あ る。 一般に転
生後
は前 世の記憶
を持た ない の が普
通 で あ り,宿 命 智
を得
るこ と がで き る の は禅 定
の達
人 な どの特別
な場合
で ある。先
ほ ど, 「録 する に 」 と して姶 まっ て い る18
>
が注釈 部分
の 混 入 で ある と述べ たが , そ こ に続 く19
>
は注 釈の続
きで あるか もしれ ない 。15
>
か ら通 して読
んで い けば, 「病
気 になる の は前
世の 悪行
の報
い であ る 。 ヤマ ・ ラー ジャ は罪の軽
重に従 っ て 肉刑を加 え させ る(
考 而
治 之)
。 こ の人が真 理 に 目覚め た人で あるな らば(
明 了者 )
善 悪の 行為
の報
い をっ くつ くと自覚 す るの だ」 と解釈
さ れ る。 「名籍
が定 ま れ ばそ の身 中
に 還る」 と あ る こ とか ら蘇
生 と解
釈 さ れ そ うだ が,蘇
生で あ るな らぼヤ マ ・ラー ジャ の拷
問は単
な る 記憶
で あ りわ ざ わ ざ 「明 了者 」 に限定
す る必 要 が ない 。 また, 「夢か ら覚 め た よ うに(
如從
夢中)
」 と う殊 更
な説
明 もい ら ない 。 しか し, こ の 箇所 が宿
命智
を強調
す る教 義
を踏
ま え た注
釈の 混 入だ と考
えれ ぼ事情
は分
か りや す い。 サ ン ス ク リ ッ ト本 の記述
と精 密
に は 一 致 しない 一 方, 「在彼
王所」 とい うよ うな サ ン ス ク リッ ト本にな い説 明 的な記 述が あ る 理 由も分か る。古 訳 『薬師 経 』 に見 ら れるヤマ ・ラージャ の記 述
47
3
.お わ りに
い っ たい ど うして 『薬 師 経』 に ヤ マ ・ ラー ジ ャ の 記 述が あるの だろ うか。
ヤマ ・ラ ージ ャ は人々 に正 しい
行
い を勧奨
す る こ とに関
わ っ てい る。上 述 した よ うに, ヤマ 法王 が
宿
命智
を獲 得
さ せ る た め転
生後
も人々 が悪
事 を避け る とい うア イ デア が大乗
の 論 書 に登 場 する。 ま た, 阿含や ニ カ ーヤ に お い て も ヤ マ は死 者 に因 果を含めて教 誨 して い る。 さ らに, こ の よ う な初 期経 典
で は, 生前
の衆
生 の も とに ヤ マ の派遣
し た天使
が訪
れ る こ とにっ い て も 言 及す る。 人は天 使の 教えに気 付か ず, ヤ マ ・ラ ー ジャ の 前に立 っ て は じ め て恐怖
に震
え るので は あ るが。『薬 師 経 』 諸 本 で は, サ ン ス ク リッ ト
本
で も漢 訳 で も,ヤ マ ・ラー ジ ャ の 記 述 は死に瀕 した重 病 人に 関 す る描 写の 中で登 場す る。 「神幡
」 も 「薬
師 如来
」 も重病
人 をめ ぐる儀 礼
の構 成 要 素
で ある。 し か し, サ ン ス ク リッ ト本
『薬
師 経 』 で薬
師 如来
の礼拝
が強 調さ れ る一 方, 『拔 除
過 罪生死得 度經
』 の 該 当 箇 所で は薬
師の 名前
す ら登 場せず
「神 幡
」 の造
立 が勧
め られる。 その 『拔
除 過 罪 生 死 得 度 經』 で は, 数 種の 漢 訳 経 典 や 注 釈 を無
作 為 に切 り貼 りして 作成
さ れて い た状
況が推
測さ れ る。 サ ン ス ク リッ ト本
と共 通す る教 義を踏
ま え た記 述 も含 まれてい る もの の ,特定
の教学
に基
づ い て漢
訳の ヴ ァ リ ア ン トを 取 捨 選 択 して い る形 跡が ない 。 一方 ,7
日間 連 続 の 斎 戒に よっ て 生天 するに せ よ治癒
す るに せ よ, 二度
と悪 趣 に堕 ち ない た め に は ヤ マ の 教誨
を忘れない よ うに す る必 要が ある。宿
命智
の獲得
こ そ が薬 師如来
介入 の条
件だっ た とす れ ば, 人の臨
死に関わ る儀 礼に仏 教が参
加 す るよ うに なっ た ことがヤ マ と薬
師
が 同居 す る ようになっ た理 由 だろ う。 つ ま り, ヤ マ の 管轄
する とこ ろに倫 理 的 な指導者
と して 薬師
が立ち 入 る よ うに なっ た とい う状 況 を踏ま えて 旧本
漢 訳 『薬 師経
』 に新
た な編集作業
を加
えた結果
が 『拔 除過
罪生死得度經
』 な の で ある。48 パ ーリ学 仏 教 文化学 注 (
1
) 『薬 師経 』 の サン ス ク リッ ト写本は1931
年に発 見 さ れ た。 同時に発 見さ れ た他の 写本と同様にパ ワー 写本やヤ シ ョ ーダル マ ン の碑文 と共 通 する能書グプタ体の字 体か ら5
〜6
世 紀の 成立 だ と推 定さ れて い る 。 写 本 発 見の 経 緯 につ い て は, 最 初の校訂者で あ るNalinaksha・Duttの解説を参照 (The lndian Historicai
euarterly
, vo1.8
,Calcutta,1932, pp .
93
− 100)。 漢訳 『薬 師 経 』 に は次 の4
本が あ る。『佛説 灌 頂 拔 除 過 罪 生 死 得 度 經』 (『大 正』 21,532b − 536b, 失訳。 『大正 』 に は訳者を帛尸梨蜜多 羅 (?307〜 342?)とす るが , これ は イ曾祐の 『出三藏記集』 の記述に合致せず, 誤 り と み な さ れて い る。 一方 , こ れ と同一視さ れてい る慧 簡 訳 『薬 師経 』 の 訳 出が 5 世 紀なの で 少な くとも4
〜 5 世 紀 頃の 成立 だ と推 測 され る),『佛 説 藥 師 如來 本 願 經 』 (『大正』14
,401b
−404c
、615
年, 逹 摩 笈 多 訳 ), 『藥 師琉璃 光 如 來 本 願 功 徳 經 』 (『大正』14
,404c
−408b
,650
年,玄奘 訳), 『藥 師 琉璃 光 如 來七佛 本 願 功 徳經 』 (『大正』 14,409a −
418a
,707
年 , 義 淨 訳 )。 (3
) 吻 伽〃襯 ∫ α130
で は,地獄の獄 卒が捕 縛 して き た者 につ い て 「この者に王は罰を 与 え るべ きで す (
da
ロ4a
甲pa
ロetUti)」 と述べ ,ヤ マ 王 が5
天使 (生 ・老 ・病 ・死 ・王罰 )を例示 して 教誠 し た後, 獄卒た ち が 拷 問を加 え る。
Anguttaranikdya
,L138ff
に は 3 天使を挙 げる。 (4
)「 昔, 宋孝 武 之 世, 鹿野寺沙 門 慧簡, 已曾譯出, 在世流行. 但 以梵宋不融文辭雜 糅 ,致 令 轉 讀 之輩 , 多生 疑 惑 . 矩早學 梵書 ,恆 披葉典, 思遇此經 ,驗 其 紕謬 開皇 十七年, 初 獲 一本 , 獪 恐 脱 誤, 未敢皀卩飜 . 至大 業十 一年 , 復 得二本 . 更 相 比 方爲楷 定. 遽與三 藏法師逹摩 笈多 井 大隋飜經沙門法行 ・明則 ・長 順 ・海馭等, 於東都洛 水 南上林 園飜 譯館, 重譯 此 本」 (慧 矩 『藥師 如來本願功 徳經 序 』, 『大正 』 14,401a9 −17
)。 (5
) 達 摩 笈 多は 南イ ン ド出 身。25
歳で 具 足 戒 を受 けた ( 『繽 高 {曾傳 』2
巻, 『大 正 』50
,435
)。望月信亨 『佛教 經 典成立史論』 , 東 京,
1946
,pp .414
−416
, 長尾 佳代子 「ギル ギッ ト本 『薬師 経』 の成立 仏教大衆化の 一齣一 」 (『パ ーリ学仏 教文化 学』 vol.
7
, pp .101
−110
,1996
)参 照。 (8
)い わゆ る 「五悪段」 の解説 中に 「四 天善 神は1
月に6
日, 名籍を記 録して 大王に 奏上 す るが,地 獄 も ま た 同様 で ある」 と説明 す る。 吉藏 『無量壽經義疏 』 (『大 正』 37, 124a29 −b6)。 長 尾佳代子 「漢 訳 仏典に お ける 『倶 生神』 の解釈」 (『パ ー リ学仏教文化 学』vQ1.
13
,1999
,pp
、55
−66
)参 照 。 (9
) 『藥 師經疏』 (『大 正』 85,324a14 −26)。古訳 『薬 師経 』 に 見 ら れ る ヤマ ・ラージャ の記述 49 「一旦死ん だ者が 再 び蘇生 して くる とい う冥 界 遍 歴 譚は , 中 国お よびわが国で は 相 当に多い が,イ ン ドで は めず らしい 」 (岩 本 裕 『佛 教 聖 典 選 , 第
6
巻 大 乗 経 典(
4
)』 東京,1974
,p .363
), “then
the
spirit consciousness of that sick person will regainits
original vitality as if waking 丘om a dream , havingpassed
through seven, fburteen, or evenforty
−ninedays
ofunconsciousness ”(Raoul
Bimba
,The
Healing
Buddha
,Boston
,
1989
,P
. 204 >, (11
) 小林信 彦 「中 国人 が イン ド文 献の 中に読み取 る蘇生 自分の都 合に合わ せて理解し た異文化
」 (『桃山学 院大学国際文化論集』 vol .
32
,2005 ,pp
.41 −65
)。 (12
) 中 期 大 乗 経 典で は、 経 の書写, 読 経 , 礼 拝や タ タ ーガ タ を称 え る こ と な どに よっ て,高度に修 行し た禅定者で な くて も,転生後に宿命 智を得る とい う記述が定 型化す る。 その 用例につ い て は
Gregory
Schopen , TheGeneralization
of anOld
YbgicAttainment
in
Medieval Mah 五y
亘naSitra
Literature:Some Notes on J互tismara, The Journalofthe lnternational Association ofBuddhist Studies,6− 1, 1983,
pp
,109 − 147を参照。小林信彦 「日本 で 開発さ れ た ヤ クシ ーケ ク ワ (藥 師悔過)」 , 『桃山学 院大学人 間科 学』
33
,2007
,pp .6
−13
. (14
)Ibid
.,p
,33
,注92
. 『藥 師 經 疏 』 (『大 正』 85,323c21 −324al3)。 「若 諸 衆生 生那落 迦憶 宿 命者 焔魔 法王 更不教 誨 若有 生已 不憶 宿命王便 數誨 」 (玄奘 『瑜伽 師 地論 』 『大 正』30
,621a13
−15
) 。 (IZ
長 尾佳 代 子 「ギル ギ ッ ト本 『薬 師経』 の成立 仏教 大 衆 化の一齣 」 (『パ ーリ学 仏 教 文化 学』 vol .・
7
,1994
)pp .104
−107
を参 照 。「爲 能饒盆 諸衆生故」 (玄 奘 『瑜伽 師地論』 『大正』
30
,620c18
−19
) 。(
19
)サ ン ス ク リッ ト文5
)に お けるyamasya
dha
副 asya に対応する部分は達 摩笈多訳で は 「閻魔法王」 (『大正』
14
,403c20
), 玄 奘 訳 (『大正』14
,407b16
)と義淨 訳 (『 大正』 415c3 )で は 「瑛魔法王」, と ある。 『拔除過 罪生死 得度經 』 で こ の箇所 に対 応す る部 分 に は 「閻羅三E
」 (『大 正』 21 ,535c22
)と あるが,登場する位置の 前 後 関係が サン ス ク リッ ト本とは 異なっ て お り,『拔除過罪生死得度經』 の 「閻羅王」 が 登 場 す る箇所 で は 玄 奘 訳 (408al9) と義淨 訳 (416b5 )に の み 「珱魔王」 の記 述 が あ る。 サン ス ク リッ ト本で は こち らに はヤマ ・ラージ ャ の記述は な く,サ ン ス ク リッ ト本 と ほ と ん ど記 述が一致す る達 摩笈 多訳で も該 当箇 所の 記述を欠 く。玄奘訳 と義 淨訳に登場 する 「名籍 」 を管理 する者 とし て の ヤ マ の描 写は 『拔 除過 罪生死得 度 經』 か あるい は そ れ と共 通の 源を持つ 旧 『薬師経』 の記 述を継 承 するもの で ある と考え ら れ る。 長 尾佳 代 子 「漢訳仏典に おける 『倶生神』 の解釈」 (『パ ーリ学 仏教文 化 学』 vol ,
13
,1999
, pp .55
−66
)を参 照 。50
パーリ学 仏 教文化 学使用 テキス ト
漢 訳テ キス ト と して は 『大 正
』 を用い た。 サン ス ク リッ トテ キス トの 校 訂 本 と
して は, 以下の Gregory Schopen , The Bhais. ajyaguru −sfitTa.and the
Buddhism
of (lilgit
,1978
, PhD thesis,pp
.61
−
64
(=Schopen
)を用い た。 これは注
1
に あ げたDutt
の校訂本の
pp
.23
,7− 26 .11
,写本の写真版で ある ed.Raghu
Vila
andLokesh
Chan
(ireq
Gilgit
t
Berddhist
Manuscripts
, Facsimile Edition, Sata−P吻1
勧 Series, voLl
O
(8
), no .34
,Delhi
,1974
の 写本 番 号1925
.2
−1933
.3
,1408
,1
− 1410 .3,1858.6− 1862 .1に あ た る。Schop
。n の原 著に は3
本の 写本を校合 し た注が つ い て い る が こ こ で は省 略した。 片カ ッ コ で示 し た番 号は筆者が付 した もの で あ る。Schopen
博士の こ の 論 文は未校 刊で あ る。 筆 者は1997 年に 当時執 筆 して い た論 文 へ の 引用の可 否 を問い 合わ せ, そ の許 可 と以後の 自由な引用を認 め る手 紙 を受 け 取っ た。 こ の 際の便宜 に関 し,Schopen
博士 に は深 く謝 意を示 した い 。1)tena ca
punah
samayena tasminn evapar
寧adi tr鋤amukto ndmnabodhisatvo
mahEsatvah ;2 )sa utthEy5san 互
d
ek百lpsa甲 civara 卑pr
巨vrtyadakSinatp
j
巨numarpdala 卑 prthivy知prati
爭th
互pya
yena
bhagav
五珥s ten且rpjalim prapamyabhagavantam
etad avocat :3
)bhavi
$yanti
bhadanta
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paScime
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paScime samaye satv百ndriavy 互dhiparipidit5
,dirghag1
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五, maranEbhimukhfi , rodam 盃naimitrajfi 巨tisElohitai
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7
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9
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14)
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pradipitavyah,16)
saptapratim5
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pratimayah
sapta sapta dipal;sthfipayitavy5b, 18)ekameko dipabkartavyah.
19)
yadinavacatvdn'rpSatimedivase
51oko
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parpcararpgikaS
navacatvErimSad
dl:$.tika(?)
kartavyEh.