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奉安理想村の研究 [ PDF

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Academic year: 2021

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1.論文構成 序章 第1節 問題の所在 第2節 研究史料と方法 第3節 本論文の構成 第1章 植民地朝鮮における理想村概念 第1節 文化統治期言説空間における理想村の普及 第2節 諸民族運動の農村への傾斜と理想村 第3節 日鮮における丁抹農村モデルの相違と奉安理 想村 第2章 奉安理想村の「改良生活」と「実力養成」 第1節 設立経緯と組織化 第1項 奉安理想村の組織と団体的性格 第2項 奉安理想村の住民と教育 第3項 奉安理想村女子教育の重要性 第2節 改良生活の内容と方法 第1項 迷信と基督教、新旧信仰の入れ替え 第2項 生活改善と旧思想の衝突 第3項 衛生生活 第3節 科学的知識に根拠づいた農事 第3章 奉安理想村の問題対応と積極的抵抗 第1節 奉安理想村を取り巻く関係の複層性 第 1 項 総督府と奉安村の基督教信仰 第 2 項 基督教会指導者と奉安教会の意見衝突 第 3 項 近隣住民とのあつれき 第2節 皇民化政策下におけるキリスト教信仰と日鮮 の融和 第3節 戦時下における抵抗 終章 2.梗概 序章 本論文は、植民地朝鮮に存在した農村、奉安理想村 (1934 年~1950 年)の住民が、植民地化と近代化の二つの 時代変化の下、自らの村を暮らしの中で何と規定し、最 終的に何を目的に奉安理想村をつくり上げたのかを究明 したものである。 並木は、朝鮮近代史における植民地期の位置付け問題 を論じる際、従来の研究では、被支配者側における「植 民地経験」が過小評価される弊害があったと指摘する[並 木真人:2003]。今までの研究は、海外の独立運動に傾斜 し、「植民地」という固有の時空間を十分に考察する事を 避け、朝鮮国内の植民地支配下に暮らす大多数民衆の存 在や経験に焦点を合わせていないという。このような欠 陥を克服する試みとして、植民地期の様相を直視するこ との必要性が近来提唱され、植民地期の構造変化を主軸 に据え、多様で複雑な社会相を動態的に把握することが 重視されるようになってきている。 このような研究の立場に立った、植民地朝鮮農村研究 で著名な松本武祝は、朝鮮農民の植民地経験に着目し、 朝鮮農村研究の重要性を力説する。朝鮮総督府は、農村 社会における伝統的な社会・人間関係として、個別に営 農指導を受けた普通学校の卒業生「中堅青年」を、対朝 鮮農村政策の経済的役割を遂行させるため利用した[松 本:2005]。松本は、1930 年代の「中堅青年」は「農村 エリート」=“すでに啓蒙されたもの”として植民地権 力のいわば代理人に措定され、“いまだ啓蒙されていな い者”に対する権力関係に反転したと指摘する。そして この両者の間に成立していた権力関係に植民地権力が介 入し、村落にまで至る上位下達の行政システムを作り上 げたと主張する。植民地における「近代」の支配ヘゲモ ニーの領域が「民衆の精神世界」に拡散してゆく(しか し、拡散しきることのない)過程を動態的に分析する作 業が重要である[松本:2007]。 以上のような植民地の近代を叙述する歴史に関する 問題意識から、本論文では朝鮮半島の中央部に位置する 京畿道楊洲郡瓦阜面(現在の鳥安面)陵内里に設立され た奉安理想村を研究対象とした。 李明花は理想村の中でも、民族指導者として知られる 新民会メンバー安昌浩が主導した理想村建設運動が、独

奉安理想村の研究

キーワード:理想村,植民地朝鮮,朝鮮農村,丁抹(デンマーク),生活改善 教育システム専攻 黄 慶旭

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立戦争の遂行を目的に、必要な財政・軍事的な基盤構築 のために考案・運営されたものであるとした。李は、植 民地朝鮮における理想村とは、「一定の地域を意図的に開 拓した村落」として、「経済的に貧弱で自立不可能な貧農 たちが共同体を形成し、資本の蓄積と生産増大を成し遂 げ、豊かな暮らしを営むことを目的としたもの」と定義 した[李明花:2000]。張セユンは、満州壊徳県の五家子 村について「外部世界と壁をつくり自分達の世界を具現 しようとした」とし、理想村運動を、一種の農村(信仰) 共同体建設による自治運動の性格を持つ民族解放運動と して評価した[張セユン:2004]。 これら先行研究では指導者の理想のみが浮き彫りに され、住民の生活様子や思考については焦点が当てられ ず、皮相的な理想村の情報紹介にとどまっている。植民 地体制の下で、その政策における制裁を受けて妥協し、 苦しみ、抵抗の姿をみせる理想村住民の具体的な生活様 子を捉え分析する事で、皮相的な理想村ではない具体的 な理想村の様相や住民の思想が見えてくる。そこで、本 研究では、奉安理想村と関連した総督府と知識人、近隣 住民との関係性の中で、住民の姿を動態的に捉え、奉安 理想村の住民が自らの村を何と規定し、何を目的に奉安 理想村を築き上げたのか、その歴史的意義を求めた。 奉安理想村が日本の支配下に存続した時期は、農村振 興や生活改善運動、皇民化政策等の政策が行われた。日 本が 1919 年の 3.1 運動の影響を受け、武断統治を文化統 治に切り替え、民族の指導者や知識人らの言論活動は公 にされた。彼らは、言論媒体で朝鮮人の国産品愛用を奨 励する物産奨励運動やブナロード運動などの啓蒙運動、 基督教農村事業などを繰り広げた。殊に基督教農村事業 では、農村事業部を設置して世界の農業国として知られ る丁抹(当時におけるデンマークの言い方)の協同組合や 農民高等学校を朝鮮に実現しようした。 植民地朝鮮では、殊に基督教界によって丁抹への認識 が広まった。そして、農村振興運動の具体案を考案した 山崎延吉は「日本のデンマーク」と呼ばれた、愛知県碧海 郡の立役者と言われた。奉安理想村は丁抹に見習ってつ くられたとされ、両者の関係やその系譜を明らかにする ことも必要である。また、他の理想村が途絶えていく中、 抗日的性格の奉安理想村が植民地朝鮮内に存続し続けた 理由を明らかにする。 二つの課題を明らかにするために、奉安の住民であり ながら設立者であった金容基の回顧録『カナアンへ行く 道』(1968)とそこで暮らした金容基の次男金釩鎰とのイ ンタビュー記録、外部から当時の奉安理想村を訪問して 書かれた、李一善の『理想村』(1947)を用いた。 また、総督府との関係を分析するために機関紙的性格 をもつ『毎日申報』(1910 年~1945 年)、雑誌『朝鮮』(1920 年~1944 年)、朝鮮農村振興運動の具体案を手がけた山 崎延吉の『最近の半島』(1943 年)を用いた。そして、賀 川豊彦の朝鮮での講演会記録、当時の基督教会の動向に ついては基督申報(1915 年~1937 年)や YMCA の機関誌『青 年』(1921 年~1941 年)、知識人が農民に向けて発信して いた言説や狙いについては天道教刊行雑誌『農民』(1930 年~1933 年)の分析を行った。知識人達の目から見た、 時代的評価や民族的語りや主張などについては『開闢』 (1920 年~1935 年)と『別乾坤』(1926 年~1934 年)、そ して民族紙と言われた『東亜日報』(1920 年~1940 年) を主な史料とした。 その他、奉安理想村の思想的背景となった丁抹に関す る史料には中央基督教青年会の総務洪秉璇の『丁抹と丁 抹農民』、YWCA を組織した金活蘭の論文「韓国再建のた めの農村教育(RURAL EDUCATION FOR THE REGENERATION OF KOREA)」(1931)を用いた。 第 1 章 植民地朝鮮における理想村概念 本章では、文化統治期民族運動や諸政策の文脈に沿っ て、言説空間で語られる理想村の概念が変容を見せたこ とを明らかにした。 その理由は、第一に、日帝の勢力が強まるにつれ、理 想村運動を始めた新民会が解散し、独立運動が息絶えて いったこと。第二に、朝鮮社会に急速に形成された都会 と対比するものとして農村と農民が語られたこと。第三 には、地主―小作人関係の農村階級が問題とされる農村 構造克服の言説で農村が語られたこと。第四には、農村 改良運動における生活改善の文脈で語られたことである。 農村運動、殊に基督教界の農村事業では、理想村を丁 抹イメージとして認識した。農民の文明国として語られ た当時の丁抹は、未来の朝鮮の姿に等置され、70 年前の

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丁抹を 1930 年代の朝鮮に置き換え考えていた。そして、 総督府の農村振興運動は、「日本のデンマーク」と言われ た愛知県壁海郡の立役者として知られる、山崎延吉の嘱 託としての活動によってその具体案が練られた。しかし、 当時の壁海郡の住民は、丁抹についての認識がなく、山 崎本人による言及にも壁海郡を丁抹モデルとしてつくっ たというようなことは見つからない。農村振興運動は丁 抹の人々の大多数が自作農であったことから、そのモデ ルとされていたが、1940 年代には丁抹モデルを廃止した。 奉安理想村が影響を受けたのは、基督教農村事業で行 った丁抹知識の普及によものであり、住民呂運赫は、洪 秉璇の丁抹の協同組合に関する本から丁抹に関する知識 を得たとしている。 第2章 奉安理想村の「改良生活」と「実力養成」 本章では、奉安理想村の組織を通して行った生活改善 と体系的で実用的だった教育活動が、奉安村全体の知識 普及に影響したことを明らかにした。 奉安理想村は、縦長の地形で、上は上奉、下は下奉と いう奉安村の中心部の山間を開墾して建てられた村であ った。奉安理想村は、奉安村全体の住民教育を行い、農 事に関する科学的知識を共有させ、奉安村全体の生活水 準を向上させた。生活改良(迷信打破・衛生・科学的農事・ 栄養生活・都市へ向けた作物の商品化)の近代化によって、 奉安理想村は実力を養った。 奉安村は、基督教信仰を受け入れ、村の共同体信仰で あった洞際など、迷信を早い段階でなくし、生活改良が 受け入れやすい利点を持っていた。教会を中心に活動し た青年会では、体力づくりにも力を入れ、農地を運動場 に改良し、サッカーをしたり、山登りを夜学のプログラ ムに取り入れたりしていた。働き手の一員としての女子 教育も重視され、教育部では男女夜学と講習会以外に婦 人座談会、児童心理学、保育法などを研究することを方 針としていた。 奉安理想村では、朝鮮人の規律化に用いた総督府の生 活改善を自らの実力養成の道具とし、衛生・経済面に日 本からの五右衛門風呂や水洗式トイレ、おきなわ 2 号の さつま芋種などを取り入れていた。それは、朝鮮が植民 地となった理由を振り返り、植民地宗主国であった日本 への遅れを取り戻し、独立に向けての実力を養成するた めでもあった。 食料不足のため苦心していた総督府では、さつま芋の 普及に力を入れていたが、その長期貯蔵法に苦心してい た。そのような時、奉安理想村では、金容基が一年間貯 蔵できる方法に成功し、当時の京畿道農民訓練道場長の 武田竜馬は訓練生らと共に奉安理想村を訪ね、教育を受 けた。このことは、奉安理想村住民を農民としての誇り、 そして、朝鮮人として日本人に勝ったという自負心を抱 かせた。しかし、そのために腐らせたさつま芋を、周辺 住民にも気づかれず、夜こっそり捨てるなどの行為を 3 年間繰り返していたことから、奉安理想村住民の近隣住 民に対する模範としての自尊心や朝鮮人としての意地が そこにかかっていたこともうかがい知れるのである。 第3章 奉安理想村の問題対応と積極的抵抗 本章では、奉安理想村が難関に逢着し士気を落として いた時、日本「内地」から講演に来鮮した賀川豊彦の感 化により、日鮮融和の姿を見せたことを考察した。そし て奉安理想村で築いた近代化を土台に、総督府の政策に おける名分を逆手に取り、抵抗のために使ったことを明 らかにした。そして、そのことによって、奉安理想村が 植民地の最後まで存続できたことを明らかにした。 1940 年代の前後に、日本は戦時体制作りに拍車をかけ 皇民化政策を固めていく過程で、神社参拝を朝鮮人に生 活化させ、基督教界では礼拝前に義務として行わせた。 ブナロード運動を主催する『東亜日報』の当時編集長で、 小説「土」を連載し民族的思想を鼓吹させていた李光秀 など、民族の指導者らが、一人二人と日本側へ偏向して 行く中、奉安理想村の住民は創氏改名や神社参拝など、 総督府の方針に反する行為をし続け、近隣住民らによっ て警察に告発されていた。近隣住民は、取締りの火花を 浴びせられるかもしれないという不安や、皇民化される ことへの朝鮮人としての良心の呵責、告発によって利益 を得ようとする心理が作用していた。 教会の長老任命式では、神社参拝を拒否する奉安住民 と教会指導者である牧師らの口論が飛び交い、総会で決 まったことに従わない奉安の住民は非難を受けた。総督 府の規律に従わないときについてくる権力の懲戒に対す

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る恐怖は、その目が届かないところでもヘゲモニーとし て働いていたことを、この出来事からは見ることが出来 る。これらの事件などにより、楊州警察署の厳重注意を 受けることになった奉安理想村の住民らは、植民地と言 う現状から来る疲れや悲しみが徐々に溜まって行った。 そして、住民達はそのような時代的雰囲気にもまれなが ら、奉安理想村を、植民地という現実のなかで、「寂しさ と孤独を宥めるための共同体」として考えていた。 奉安理想村の勢いが弱まっていたとき、日本「内地」 から来鮮した、賀川豊彦は東洋の聖者と呼ばれ、朝鮮内 で高い支持を得ていた。賀川の講演会で感銘を受けた理 想村の住民は、それまで使っていなかった日本語を使っ て礼拝の賛美を歌うなど、日本と朝鮮間の融和を見せた。 そして、奉安理想村を継続するに足る推進力を得たと言 う。反面、総督府では、講演会の 2 ヵ月後『毎日申報』 の紙面に、「信仰における内鮮融和」と題し、賀川豊彦の 言葉を政治的に利用していた。 総督府では戦時体制の食糧問題対策として、さつま芋 を奨励していた。さつま芋は補助食からお米の代用食と なり、とうもろこしや小麦などによる「栄養」的食生活 が提案された。 奉安理想村では米の供出に反発するための手段とし て、米作りを止め、さつま芋を植えた。そして各家庭の 玄関には、総督府で勧めていたとうもろこし、小麦粉の パン、栄養を補うためのヤギのミルクを書いた献立を張 り出した。抑圧と反発の繰り返す経験やそれまで養った 近代的実践による実力により、政策に触れない巧妙な手 立てを打ち立てられるようになっていたのである。 楊州警察署では、農村経済問題を打開できる案を奉安 理想村が持っているとし、総督府に推薦をした。遠藤柳 作政務総監が訪れ、村のリーダー金容基は戦時生活課の 職に推薦された。朝鮮の若者として朝鮮の仕事をすると して、推薦を断る金に対し、大東亜共栄圏を叫ぶ時代に なぜ、自国のことばかりを思うのかと遠藤は大義名分を 述べた。遠藤は、さつま芋保存の功労を認め、奉安理想 村に干渉しないように楊州警察に念を押して帰った。 終章 総督府は朝鮮を支配するための政策を実行する際、被 支配者の反応を探りながら、支配方法や理屈を変えてい た。奉安理想村の住民は総督府の政策から自らの理想や 利益を守るため、衝突を回避したり、時には交渉を試み たり、総督府の理屈を看破し政策を逆に利用する巧妙な 手立ても考え出していた。そして、総督府と農民の互い が相手の利点を自分の利益のために利用していたことが 本研究から浮き彫りにされた。 本論文は、そのような総督府政策や知識人の農村運動 などを受けた奉安理想村住民の生活の様相を、近隣住民、 基督教を含めた民族の指導者、総督府との関係性の中で 分析した。そして、奉安理想村が丁抹=朝鮮として等値さ れた言説に影響され、朝鮮独立のためには農村を生かす ことを急務とした農村運動の影響を受けたことを明らか にした。奉安理想村は、朝鮮が植民地となった理由を振 り返り、その反省から日本を通して近代化を積極的に工 夫・選択して受け入れ、住民の改良生活を通して実力を 養成した。これによって、植民地下で奉安理想村が生き 残りのための力となり、楊州警察署はその態度を監視か ら推薦へ変えることとなった。その中で奉安理想村は住 民にとって、植民地という現実がもたらす「寂しさと孤 独を宥めるための共同体」として認識された。そこで行 ったすべてのことは、これから解放を向かえ新たに建て るべき国家構想であり、奉安理想村は、その理想的な国 家のモデルとされた。 3.主要参考文献及び史料 並木真人「朝鮮における「植民地近代性」・「植民地公共 性」・対日協力:植民地政治史・社会史研究のための予備 的考察」『国際交流研究:国際交流学部紀要』5、フェリ ス女学院大学、2003 松本武祝『朝鮮農村の〈植民地近代〉経験』社会評論社、 2005年、「植民地朝鮮における衛生・医療制度の改編と朝 鮮人社会の反応」『歴史学研究』(834)、青木書店、2007 李明花「島山安昌浩の理想村運動に関する研究」『韓国史 学報』第8号、2000 金容基『カナアンへ行く道』ギュジャン文化社、1998 改 訂版(1968初版刊行) 金容基『我が一筋の道60年』ギュジャン文化社、1980 李一善『奉安理想村』農村文化社、1947

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