●シンポジウム 教員研修における大学の役割@●
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授業実践力向上の観点か ら
上越教育大学 (名誉) 新井 郁男
教員研修 については, これ まで, さまざまな提言,意見,論 な どが出 され ているが, ここでは,それ をも念頭 にお きなが ら, これ まで行政,民 間団体, 学校 ,大学 な どが主催す る多様 な教員研修 に講師,助言者 な ど多様 な立場 で かかわって きた経験 , また,大学院な どで現職の教員の教育 に携 わって きた 経験 な どに照 らして,教員研修 における大学の役割 についての若干の提言 を 行 うことにす る。
教員研修 といって も,教員の経験年数,担 当教科 な どな どによってその 日 的 ・内容 な どは異 な り, したが って,大学の役割 もそれに応 じて異 なるであ ろうが, ここでは,主 として,教 師の授業実践力 を高める とい う観点か ら考 える。
Ⅰ 優 れた教師の実践 を分析 し,それを伝 えること
教 師の授業実践力 を高める とい う観点か ら,大学では教育方法 に関す る教 育が行 われているが,それは一般 に座学である。 しか し,教育方法 について の学 を座学でいかに学 んで も,それが教 師の実践力 向上 にただちにつ なが る とは限 らない。重要 な こ とは,各 人が優 れた実践‑ いわゆ るプロ教 師の実 践‑ を自ら観察 して体得す ることであろ う。 優 れた実践 は,その実践 を行 う 者 も, どこが どう優 れているか を言葉で説明す ることはで きない。それはマ イケル ・ボ ラ ンニが い う意 味 での暗黙知 (tacitknowing)とい って よいで あろ う。(MichaelPolanyi,TheTacitDimension,1983,高橋 勇 夫訳 『暗黙知 の 次元』筑摩書房,2003)したが って,その実践 を教 師に体得 させ るには,倭 234
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秀 さの内容 を大学では研究 ・分析 し,それを教師に伝 えることが必要 となる。
これはデュルケムが教育科学 と区別 して教育学の課題 として提起 したことで もある。 これはレヴイ‑ス トロースなどの部分 と全体の関係 に関する論など と結びつけて考えてい くこともで きるであろう。
Ⅱ 優 れた教師の実践 を観察す る機会の提供
優 れた実践 は研究によって,いわば自然科学的に分析 しつ くす ことはで き ない。それは教師一人ひとりが観察を通 じてみずか ら体得 してい くしかない 面がある。 ボランこのい うtacitknowingである (邦訳では,これ も暗黙知 と訳 された り暗黙的認識 と訳 された りしている)。tacitknowledgeは優秀教 師のなか にス トックされてい る ものであ るの に対 して,tacitknowingは tacitknowledgeを修得する行為 を意味するもの と解釈することがで きる (ボ ランニ自身はこの ような区別 を明示的にしてはいないが)。ボランニがあげ ている解 りやすい卑近な例 をあげるならば,われわれは知人に出会 うと,た だちに知人であることを認識するが,なぜわかったのか と理由を問われて も 答 えることはで きないであろう。 われわれは鼻の高さ,髪の毛の色 ・分量, 顔色,身長など,身体の部分 を稔合 して知人を認識 しているわけではない。
警察では,そ うした研究を行 ってお り,部分を組み合わせて似顔絵 をつ くっ ているが,われわれが知人を認識する行為はいちいち部分 を総合 しているわ けではないであろう。 それ と同 じように,優れた実践 についても,実践 を構 成する部分 を数え上げ,それを組み合わせてみたところで,優れた実践の全 体がで きあがるわけではない。学校現場においても,授業 を観察 しあった り
して実践的な研究が行われてはいるが,大学 として, Ⅰに述べたような研究 と結び付 けて,観察 をする機会 を計画的に提供することが必要であると思わ れる。
暗黙知については,単純に,経験や勘 による知識のことで,言葉などによ って明示的に表現することが難 しいことであると理解 されている向 きもある ようであるが,ボランこの提起 した暗黙知 という概念は,全体 は全体 を構成 する部分,部分 を見て,それを足 し合わせるだけではその意味 ・意義などを
理解 す る こ とはで きない とい うこ とであ る ボ ラ ンニ は物理学者 か ら哲学者 に転 じた人物 で,何 度す るな らば,原子 とい った ミクロな世界 を研 究 して も, その総合 と しての結果 が爆 弾 になるのか電力 源 になるのか はわか らない とい うこ とに気 がつ いた こ とが専 門 を物理学 か ら哲学 に転 じた大 きな きっか けで あ ったのであ ろ う。 教 育実践 につ いて も同様 で, た とえば,板 書 の仕 方が上 手 であ る とか,説 明の しか たが優 れてい る とい うような部分 を見 てい るだけ で は,その実践 の意 味 ・意義 は理解 で きないであ ろ う。
エ ミー ル ・デ ュ リュケム は,教 育科 学 と教 育学 を区別 し,前者 は教 育 を対 象化 して実証 的 に研 究す る学 問であ り,教 育学 は優 れ た実践 を蓄積 す る こ と
に よって実践 の改善策 を探 る学 問で,科 学 で はない と したが , い ま述べ た暗 黙 知 とい う概 念 に依拠 して行 うよ うな営為 はデ ュルケ ムのい う教 育科学 と教 育学 を総合 す る実践科 学 であ る ととらえる こ ともで きるので はないか と思 っ てい る。
(注)平成20年1月17日に出 された中央教育審議会答 申 「幼稚 園,小学校,中 学校,高等学校及び特別支援学校 の学習指導要領等の改善 について」において は,学習指導要領改訂の基本的な考 え方の一つ として示 された 「基礎 的 ・基本 的な知識 ・技能の習得」の箇所で,「形式知のみでな く,いわゆる暗黙知 も重視 すべ きである」 と指摘 している。 この形式知 ・暗黙知 とい う対概念 は,野中郁 次郎氏が提起 した もので,彼 は暗黙知 を 「経験や勘 に基づ く知識の ことで,言 葉 などで表現が難 しい もの」 としているが,これはボランニが捷起 した暗黙知 概念 とは異 なるものである。 フリー百科事典 『ウイキペデ イア』では,野 中の
この概念規定を 「誤解である」 としている。
Ⅲ 臨床的研究方法 を指導
以上 の ように,教 師 は優 れ た実践 を暗黙 的 に認識 してい くこ とが重要 で あ るが ,それ と同時 に, 自 らの実践 を 日常 的 に評価 ・分析 す る研 究者 (teacher asaresearcher)で なけれ ば な らない。 医者 が患者 につ いてのデー タを分析
し, 自 らの医療 行為 の効 果 を評価 す るの と同 じように,教 師 自身が, 自 らの, あ るい は 自分 た ちの教 育実践行為 につ いてデー タを蓄積 し,それ を分析 す る 方法論 を身 につ け る必要が あ る。 この よ うな実践 レベ ルでの臨床 的研 究 は,
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学校の説明責任 を果たす うえで も重要である。
最近は,臨床 という言葉 を冠 した研究分野,研究組織 などが増 えているが, 管見するところ,臨床研究は大学に籍 を置 く者の課題 として認識 されている
ように思われる。 しか し,実際問題 として,大学の教員が教育実践 を日常的 に観察 ・記録 し分析することは難 しいであろう。実際に,そのような研究は, ごく限 られた期間にわたるものはみ られるが, 日常的とはいえない。大学 と して重要なことは,学校 における実践者である教師 自身が研究する方法を, 学校 と協同で研究 ・開発 し,それを教員研修のなかで身に付 けるようにする
ことであろう。
なお,教師は,臨床的な研究方法 を修得するだけではな く,一般的な意味 での研究方法,た とえば,資料の検索の仕方,その整理の仕方,引用の仕方 などなどについて,論文作成などを通 じて身に付ける必要がある。学校では, 児童 ・生徒 に調べ学習をさせ ることが多いであろうが,これまで大学院にお ける教育指導において痛感 して きたことは,教師 自身が調べる方法 を身に付 けていない場合が多い ということである。 これでは児童 ・生徒 に適切 な調べ 学習 をさせ ることは期待で きない ということを感 じることが多かった。その 意味で,実践力の向上を強調 して,論文は課 さない教職大学院には問題 を感
じざるをえない。
海外 では,ご く一例 をあげれば,ATeacher'sGuidetoClassroomResearch (DavidHopkins)といった文献が出ているが,わが国では,研究者向けの ものが主で,これはと思われるものはない。これは自らの反省で もあるが, 大学教員の評価対象が,研究に重点が置かれていることによるところもある であろう。 以上に述べたような役割を大学が果た してい くためには,大学に おける教員評価の在 り方 もあわせて考えてい く必要がある。
教員 も研究者でなければならない ということに関連 して, というより,敬 員が学校現場 において研究 もあわせて行 うということに関連 して,指摘 して お きたいことは,そのことの重要性 を地方教育行政における指導的立場 にあ る人たちが認識 しな くてはならない ということである。 研究志向の高い教師 を問題視する傾向が学校や地域 によってみ られるが, 自らの教育実践 を対象
化 して研究することがないか ぎり,一人ひとりの児童 ・生徒の学力向上 を図 る手立てを見出す ことはで きないのではないだろうか。
以上に述べたような観点 を実現する方途 として重要 と思われることを一つ 提案 してお きたい。それは大学か ら教育現場 (行政 も含めて)に向けた人事 の促進である。最近は,初等中等学校の教員 を大学に採用することの重要性 が喧伝 され,実際にそ うしたことが多 くなっているが,逆に,大学か ら学校 や地方教育行政に人材 を登用する方向 も重要ではないだろうか。中央教育行 政機関である文部科学省では,調査官などに大学や教育現場の人材 を登用 し ているが,地方 レベルにおいては,教育長に大学人を登用することは散見 さ れるに して も,基本的にはこうしたルー トは制度化 されているとはいえない。
大学の教員は研修会 などに講師 として招蒋 されるだけでな く,現場 に入る.こ とによって指導で きるようなシステムを導入すべ きではないだろうか。かつ てこうした提案 を附属学校の先生方に向かって行 ったことがあるが,拒否反 応が強かった。 これは大学の教員一般 に対する不信感があることによるので はないか と思 う。 それはある程度首肯で きるが,大学か ら学校現場への人事 ルー トを開 くことに よって,大学 にお ける実践志 向の研 究が多 くな り,深 化 ・発展するのではないだろうか。 こうした提案は,これまでの ところ中央 教育審議会などにおいて行われていないが,ぜ ひ検討 して もらいたい もので ある。
また,免許の更新制 にかかわる大学の役割について も論議する必要がある が,基本的には,以上 に指摘 したような観点が大学の役割 として重要である ことには変わ りがないであろう。