長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 第22巻 第2号 85‑101 (1982年2月)
チョオサ訳『薔薇物語』断片A
II
比良俊典訳
CHAUCER'S Version of he Roman de la Rose, Fragment A, tr. Toshinori HIRA, II
817‑846: 「歓楽殿」はすらっとして上背があり大変立派だった。だからこれ 以上立派を方にお目に掛かったことなぞ、ついぞないとさえ思える程だった。
お顔は白く一面赤みが差していて、丸いことときたらまるで林檎のよう。釣合 が取れて形がいい口と、墨色を湛えた目が具わっていて眉目好く、まことにい
こノしじき
い風貌をしていた。鼻は真っすぐ、高くも低くもなかった。髪は金色の捲毛。
しかも艶があった。両の肩は幅が広く、腰は幾分細目だった。この方のお姿は 匠が作った人形のよう。どこを取ってみても引き締まり、力強さに溢れた敏捷 そうな手足を具えていた。その姿形は美しく、気品があってまことに見事、見る から愉しそうだった。これ程生き生きして生気に溢れた方はお目に掛かったこ とがないというぐらいのものだった。牽引まあるかないか目に留まらなかった。
それもそのはず初めて生えた程だったのだ。このお方はいと若く、ために様々 射翁しい事共に思いを至すのだった。体は色々な鳥をあしらい、見事な金を織
あて一
りなした絹の衣で、艶やかに包まれていた。この方の衣は大層面白い作りで、
上も下もあちこちくまなく、巧みに数多切口を飾りにして、重着の下が見える
m?.
よう工夫が施してあったのだ。透かし模様とレースが付いた靴を品よく履いて いた。この方の思い人は、愛の慰籍の念から蓄蔵の飾輪を揃え、それをこの方
こう!ヾ
の頭に乗っけていた。
847‑876:この「歓楽殿」の思い人とは、そも誰のこと。御存知か?心愉し く歌う件の「愉悦」がこの場に居合わした、そう言えばこのことからしてお分 かりの通り、この乙女が「歓楽殿」をいとおしく思っていたのだ。十二の時より
vxB^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^mm*男
この方、この殿御を思い人としてきたのだ。この「庭の主」は指でこの乙女の
指を取り、相手も同しように指で主の指を取り踊っていた。いずれも美しくお
顔の色も艶やかだった。この乙女、お顔の色は咲き初めの暮夜のよう。肌は大
変柔らかく、ために強いて申せば、小さな細い棟でもこの肌を二つに裂くこと
ぬか
も出来る程の滑らかさ。全然本当.!この乙女の麟一つ刻まれてはいない額は真たいかたち
っ平ら。両の眉は形よく曲がっていた。目は墨色、悦びの色を湛えていた。こ の目が口と相侯って、紛う方なく初めに笑みを浮かべるのか、それともあべこ
ほおえ
べに口の方が目に合わしてまずは微笑むのか、そのいずれとも知れなかった。
によしょう
鼻は何と言ったらいいのか言葉がない程だった。現身の女性でこん射こ椅麗な お方は外にはいなかったのだ。髪は金髪で見るから艶々していた。こうまで快 いお方を外には知らぬ。この乙女の金の打紐を組み合わした飾輪は瑞々しかっ た。百万遍もこういう事を繰り返し書いてきた私も、これぐらい椅寛な絹で出 来た飾輪はいまだ目にしたことはない。この乙女は思い人が身に纏っている衣 にも引けを取らぬ、金をあしらった絹の衣をさも嬉し気に纏い、内心、思い人 よかずっと浮き浮きしていた。
877‑892:愛の神(7)はこの乙女のすぐそばを歩いていた。 「神」は愛を己が 意のままに分かつことが出来るお方。そうかと思うと荒らぶる者も震え上がら せ、鼻っぱしを折ることも出来る。大名小名と言わず女房方も僧倣が過ぎると、
諸侯なら誰かれの隔てなく従わせ、女房方の位も下げることが出来るのだ。
893‑917: 「愛の神」の面差はと言うと郡びても下卑てもいなかった。この
「神」の美しさは大いに褒められて然るべきものであった。「神」のお召物につ いて書こうとすると、これはもう疲れて仕舞うのではないかと気遣われる程な のです。絹の衣というのではなく、大小様々を花に、大変うまく出来ている小 さな菱形の紋とか、盾の形をした紋地、それに鳥や豹、獅子、その外の色んな
めいろどり
獣で、美しい女の子がくまなく彩を添えた衣を纏っていたからです。色々取り 混ぜた艶やかな色はと言えば、 「神」が羽織っている外套は、どこを見ても様々 を物の形や生き物の相で覆われ、それに花がくまなく飾ってあったのだ。色ん
さま
な様をした花が輪にしてあしらってあった。思うにどんな花も欠けてないとい
えにしだ
うことはなかった。金雀児、童、葺日日草など、およそ人が知る限りの花で、
ここにない花などはなかった。こういう花の中に長い蓄蔵の葉っぱが一杯混じ っていた。髪には赤い暮夜の飾輪が付けてあった。 「愛の神」の頭の上を、夜鳴 鴬が大きな群れを成して飛び廻り木の葉を落とすのだった。 「神」は、夜嶋鴬、
よ
鵬鵡、雲雀、緑色をした啄木鳥、雀、四十雀、こうした小鳥のため道を脇へ避 ける程だったのです。羽がある鳥と言えば、 「愛の神」のお姿(8)は清らかな空 から舞い降りて来た天の使いのようだった。
918‑948: 「愛の神」は一人の若衆を連れていた。 「神」はこの供をいつも侍 らせていた。名前は歓心と言った。この若衆、手にはトルコ風の弓を二張携え、
チョオサ訳『蓄蔵物語』断片A 87
ひとp
踊りを見ながら立っていた。その‑張は酷い臭の実を付ける木で出来ていた。
この木の小枝は曲がりくねっていた上、あっちもこっちも節だらけで醜かった。
すぐり
酸塊か李の類のように色は黒かった。もう‑張の弓は請け合ってもいいが、堰 もなく滑々し形も整っていたし、ほっそりして品があり、見るから相が好い木 で出来ていた。また、この弓には模様が刻まれ、椅麗な色が施してあったし、
華やかで愉し気な顔つきの女や男の姿もくまなく描かれていて、まことに賑や かだった。この二張の弓は「歓心」と言うこの若衆の持つところ。この者は徒 然なるままに出歩く人とは見えなかった。この時、手には十本の長い矢を携え
めてなんどきていた。その裡、五本は右手にあった。その矢はいずれもいつ何時弦を放れて もいいよう、よく削って滑らかにしてあった。矢筈もうまく切り込んであり羽
みんな
根もちゃんと付けてあった。どの矢も皆金で飾りが付けられていて、先は鋭く 尖らせてあったので、深く突き刺さることも出来るのだった。だからと言って
は力.+ね
鉄も鋼も使われてはいなかった。何しろ見れば分かることだが、羽根と矢柄を 別にすれば、どこもかしこも金で出来ていたのだ。
949‑970:この五本の矢の裡、疾く飛ぶよう矢羽根の付け方を一番うまくし て、弓を放れると案の定、目にも留まらぬ速さで飛ぶ矢は、物も相も一番良く、
「美麗」と名付けられていた。次の矢は初めの矢程酷い傷を相手に負わすことは ないものの、思うに「誠実」と言うのがこの矢の名であった。三本目の矢は「聞 達」と呼ばれた。この矢には「勇猛」と「礼節」の羽根が見事に付けられてい た。四本目は「友誼」と言う名であった。この矢は矢尻の掛りが重く放ち難か ったけれど、それだけにこの矢を放てる者は、紛れもなく相手に酷い傷を与え ることが出来るのだ。五本目でいっとう後の矢は、外の四本とすると一番甘く、
皆が「歓心」と呼んでいた。この矢も強さの程は大したことはなかったものの、
しんそこ
それでも深い傷を負わすことは出来るのだった。この矢で傷つく者は心底傷が 直ることを願うのだ。それもそのはず、やがてこれでよかったと思うことから
して、傷はそんなに大層なものではなく、癒せる類のものだからだ。
97ト982:口にするのも惇しいが、外の五本の矢は、前の五本とは酷く様子 が違う物だった。正直言って、矢柄も矢尻も黒くまるで地獄の悪魔の趣。まず 初めの一本は「自負」と言う名の矢。この悪魔のような「自負」のすぐ脇にあ
Iる今一本の矢は、 「極悪」と呼ばれた。この矢は不実とか、随分と意地が憩い中 傷で毒されていたのだ。三本目は「不面目」と言う名。四本目は「自棄」、最後 の矢は「心変り」と呼ばれた。
983‑998:今ここで話した矢は五本とも同し類で、どれを取ってみても大変
よく似ていた。曲がりくねって、節だらけのごつごつした惇しい弓が、こうし た矢にはまことにピッタリだったのだ。この弓は、例の五本とはまったく逆の、
EES
こうした見栄えがしない五本を番えるのに相応しく思えた。この五本が持って いる力の程を、今早速にも語そうという気はないものの、後で本当の処と、矢 が何を意味するのか、それも覚えている事は話す積りだ。この話を終えるに先 立って一部始終を明かそう。請け合って結構です。
999‑1032:さて話を元へ戻すと、まずは踊っている皆の衆の姿形をお話しし ようO愉し気を「愛の神」は、位もあり大変立派、眉目麗しい乙女の手を取り 踊っていた。このお方は、先に私が話した矢の一本と同し美農と言う名前であ った。この乙女は気立てが大層好かった。肌は白く明月のように冴えていて、
浅黒い小秦色なんかではなかった。この方の前では空の星という星が月の光を 受けて相を出したところで、その明るさは、思うに小さな蟻燭程のことしかな
かん
かったのだ。この方の肌は柔らかく花に宿る露のよう。顔ばせは閏房の手弱女 のように慎ましやか。枝の百合か暮夜のように白く気高さがあって、形がまこ とに好かった。この乙女は華馨で見るから小柄、秋波を送るようなことはしな かった。またおめかしをしたりはしていなかった。というのもこの乙女は装っ て婚びることなんかはなかったのだ。編んである金髪は長々と垂れ錘に届く程 だった。鼻と言わず口、日、頬、その外の所も顔の造作は出来が好かったし、
これまた形が好い手足のことを思い出すと、甘い良い旬が、いやはや私の心の 奥までも撲る程なのだ。こんなに美しいお方がこの世にいらっしゃるとは.′何 分この方は若く旺しい程のお顔の艶、まことに心地好く、おまけにこじんまり
ss
していて見るから品よく、腰の辺りは細かった。
め
1033‑1070:どこへ行っても覚え愛でたい音と言うやんごとない上蒲が、この
「美津」のそばで踊っていた。この方は言うに及ばず、この方にお仕えする女房
け
方に、口、挙動を問わず異Lからぬ事を言ったりしたりすると、どういう方で
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も極まって、分別をなくし自棄を起こして仕舞うのが常。この方は人のお手伝 いも出来るが、邪魔も出来るからだ。金がある者は人の役にも立つが、あべこ べに人を傷つける力もある、こういうことは何も昨日今日始まったことではな い。だから豪い人もそうでない人も、この「富」と言う女性には大いに敬意を 表し、せっせとこの方に仕えてきたのだ。それもそのはず、こういう手合でな いと、この方から覚えが愛でたいということにはならなかったのだ。この手の 人は豪くっても豪くなくっても、この上席のことを『お局様』と言って敬って
きました。この広い世間では誰もこの方が怖いので、自分のことをこの方にお
チョオサ訳『蓄蔵物語』断片A 89
任せしている体たらく。我こそ誰より覚え愛でたく、己れの誉れ高さに相応し
ねたみふたごころ
からんとする者を、躍起となって扱き下ろし筈め立てる輩とか、妬が強く二心 を持つ手合が、この方の御殿には数え切れぬ程いたのだ。人に阿る手合という と、人前では世間の人に笑顔を作り、誉めそやして言葉巧みに欺くのだ。こん なことをしているかと思うと、ひとたび相手がその場から退くや、蔭では相手 のいいとこを口汚く罵り、さんざ悪様に言って骨の髄まで傷を負わすのだ。こ の輩はこういう塩梅に、精一杯甘い言葉で数多賢く立派な人の嫌がらせをした
ねたみそねみ
揚句、死に至らしめてきたのだ。願わくは妬嫉が強く甘言を弄して、善からぬ 事共を働くこの輩にしくじりを.!この手合に不仕合わせを.!
107ト1084:この「富」と言うやんごとない上席は紫の衣を身に纏っていた。
私が嘘を言っただの、書いただの、どうか思って頂きませぬよう。どんなに華 やいで椅麗な衣も、細かい所までこれとまったく同し衣は一枚もないからです。
それもそのはず、この衣は隅々に至るまで、金糸で縁取った飾りが付いていて、
その絹の嫁取りには、王やこれと肩を並べることが出来るような諸侯の話が絵 になっていたのだ。おまけに金の紐が飾房にしてあった。それに同し金の美し い釦も飾りに付けてあった。気品に溢れた木彫のようなこの方の頭には艶やか な頚飾りが付いていた。その頚飾りときたら、見るからに美しい沢山の輝く宝 石が鎮めてあったのだ。
1085‑1106 :この上席は帯を締めていたOその帯留は大層強く摩討不思議な力 がある宝石。この、まことに締寮な石を身に帯びる者は、一人として、石が鉢 に付いていると、毒気があって良くないのではあるまいかなどと気を挨みはし なかった。こういう石は大いに珍重されていたのだ。何しろローマやオランダ のフリースラントの金を皆集めた分限者の財程の値打があったのだ。それにま た、これも品よく作られた帯締めも大層椅麗な上に、鉢の痛みも和らげる不思 議な力を持つ宝石で出来ていた。だからこの石は手足が痔れたり歯が痛かった りすると、そういう鉢の不調を直せるということが広く知られていたのだ。朝、
物を食すに先立ってこの石をじっと見詰めると、きっとその日は一日目もよく 見えるし、鉢中調子が好いといった効目をこの石は備えていたのだ。この方が 身に着けている薄手の嬬子の上に付いている飾釦は、大変椅麗な金で出来てい
SS3E&
て、大きく、見るからズッシリして、軽さなどはちっとも感じさせない代物だ った。一つ一つの釦にはビザンチンの金貨程の重さがあると思った。
1107‑1128:この上蔵の髪は編んであって、その上には貴いお方ゆえに、キラ
キラ輝く山吹色の飾輪が乗っかっていた。どんな飾輪もこれぐらい椅麗だった
とは思われぬ。際立って目に付くこの飾輪の宝石を、一つ残らず言い当てるこ とが出来る人は、その道に通じた方だ。そういう話を耳にするのはまことに結 構なことだが、いざ、石の値打とか良さなどということになると、私には思い も寄らぬ、まして値踏みなぞとんでもないこと。紅玉に青玉、柘相石、それか ら十五匁以上もあろうかという翠玉が飾車釦二は付いていた。この飾輪の前には 紅玉とか風信子石といった美しい宝石の類が、見事に鐘めてある様を私は見た。
石は大変美しくキラキラ輝いていたので、日が暮れてすぐの時分だったら、十 五町、いや三十町四方は明るいので、もしも遣ろうと思えば提燈がなくっても 歩くことさえ出来るぐらいだったのです。 「富」と言うこの上蔵は頭と言わず、
顔と言わず鉢中どこもかしこも光り輝いていたのだが、実はこの輝き、こうし た石が光の本だったのだ。
1129‑1148:この上矧ま片方の手に眉目好い若衆の手を取っていた。この若衆 を誰にも増していとおしく思っていた。この若衆、客の持て成しが至ってお気 に召していた。身に着けている物は素晴らしかった。それに良い馬を廟に繋い で置くのが大変好きだった。だから、もしも、厩に年を取った馬でも繋いで置 くぐらいだったら、盗み、人殺しの廉で悪様に言われたって構うものかとさえ 思うぐらいだった。そこでいつもこの「富」と言う上蔵と仲好くしていたかっ
たのだ。というのもこの若衆の望むところは、とやかく言われずに大いに使う ことだったのだ。「富」はこの若衆のこういう思惑の片棒を担いで、出し惜しみ をするでなく、あるいは手許不如意で思うに任せぬなどということもなく、い つだって使って貰おうと金銀を一杯届けて遣るのだった。まるでお宝が倉に雨 露と無闇に仕舞い込まれでもするかのように。
1149‑1210:件の踊りには浪費と言う女性がこの「富」に続いていた。この方 は努めて気前よく立派たらんと願っていた。アレクサンドルの一門の方で、こ の方の一番快とするところは人に物を遣り、 『いざ、御遠慮あるな』と気前がい いとこを示す時だった。あの薄汚い金の亡者、「物慾」でさえ、この「浪費」と 言う女性が物を遣り、使うその半分も、掴もうとガツガツしてはいなかったの
だ。神はこの女性が人に遣れば、その分だけ、いつでも手に入れることが出来 るよう、この方に時を分かたず充分与えて遣るようにしたのだ。だから大いに 世評が好くなるのだ。何分、賢い人もそうでない人も、この方の持てる力に引
ほう
き込まれて仕舞うから、この方の方でも何とかして物を遣ろうとするのだ。も
しも敵がいたって、この方は早速相手とうまく遣るようにして仕舞うこと請合
い。物を、しかもあり余る程遣ることに掛けては、気前がよく出し惜しみなん
チョオサ訳『藩蕨物語』断片A 91
かば決してしなかった。だから、どこへ行ったって、物持からもそうでない老 からも好かれ、良く言われるのだった。ケチで物持なんてまったく馬鹿の骨頂。
領主たる者には、己れに仇なす物慾の罪を措いて、外に悪い罪はないのではある まいか。物惜しみをすると国も力もその手に握らせて貰うことは叶うまい。己 れの意を行うに際し、お味方すべてに働き掛けた処で、物惜しみする領主には 味方はほとんど望めまい。こんな時、盟友でもいたらと思う人は、己れの宝を あまり大事にし過ぎて手許に留め置いてはならぬ。例えばこういう話がある。
磁石はそばに鉄を持っていくと、それを見事に引き寄せることが出来るのだ。
丁度これと同しように、金銀を差し出すとお宝が人の心を引き寄せるのだ。こ の「浪賢」と言う女性は、鮮やかな紫色をした、莫っさらなサラセン製の衣を 纏っていた。この方の顔貌は出来がよく美しかった。襟元は開いていた。とい うのは、大変出来がいい金の襟飾りを、さるお方に贈物として差し上げたばか りだったのだ。襟元を締めていないのも悪くはなかった。絹の肌締杵越しに、
雪のように白い肌が透けて見えていたのだ。人に敬われるこの賢いお方は、イ ギリスのアーサ王と縁続きで誉れ高いさる騎士の手を取っていた。
その騎士(9)は誉れを表わす絢欄たる流旗を携えていた。王を始めとして 大名小名居並ぶ前で、この「騎士」の家来衆が主人の手柄を口にする程、この
「騎士」の誉れは高いのだ。この程、さほど遠からぬ所で催された馬上試合を済 ませ締って来たところだった。試合では勇ましく見事に戦い、騎士に恥じない 立派な振舞をしたのだった。思いを寄せるお方に覚え愛でたいようにと数多の
もさ
猛者を倒したのだった。
121ト1245:この「騎士」に続いて、まことに品よく衣を纏った誠実と言う女 性が踊っていた。お顔の色は今舞い降りたぼかしの雪のように白く、浅黒い小 容色などというのではなかった。鼻の形は物指しで計って作ったのではないか と思えるぐらい見事な出来だった。何しろ形が好く品があったのだ。目は悦び の色を湛え眉毛は程よく曲がっていた。髪は長く錘まで垂れ下がっていた。人
こころね
柄は木に留まっている山鳩のように控え目、心根は優しかった。この「誠実」
と言う女性は自分のことならともかく、人のことは怖がってなかなか手出しも、
口の端に上すこともしないのだ。この方が好きかぎかりに、誰か人が大層困っ
たり可衷相なことにでもなったら、それこそ気の毒とばかり大変気を撲む、そ
のぐらい心が優しく思い遣りがあったのだ。これとはあべこべに、この方のた
めに誰かが役立つ時でも、御自分の方が酷く思い遣りのないことでも仕出かし
はしないかと、これまた大変気を撲む始末だった。それどころか、かえって相
手のお手伝いをし、苦役を少しでも軽くして遣ろうとさえするのだ。さもない と面目ないと思うのだった。この方はどんなアラス織も、こん射こ美しい布は ないというぐらい、肌理が細かい亜麻で出来た補鰭を羽織っていた。わが君.!
この禰槽には品よく壁が取ってあったのです。この襲、あるべき所には極まっ てちゃんと取ってあったのです。この女性はまことにきちんと衣を纏っていた。
やんごとない若い女性には亜麻の禰櫓が一番よく似合うのです。ほんとに外套 なんかより禰槽を羽織っている女性の方が、ずっと見栄えがするものなのです。
椅髭に襲を取ってある白い禰糟という物は、これを羽織る女性を淑やかで、気 品ある人にすること請合い。
1246‑1250:この方のそばで一人の若い騎士が踊っていた。何とおっしゃるお 方か名前の程は存じませんが、立派でかなりの家柄の方でした。たといこの「騎 士」がイギリス王の御曹司だとて、この方のことはこれ以上お話しする積りは ありません。
125ト1266:このお方に続いて件の「雅」と言う女性が踊っていた。この方は
うちそと
宮の内外を問わず、どなたからも誉めそやされていた。というのも、おっに活 ましたところもなく、さればといって間が抜けたようなとこもなかったからだ。
私がここに初めて来た折、外ならぬこのお方が『踊っては』と声を掛けてくれ
ききかた
たのだった。 (神よ.′願わくはこの方に相応しい思召を)。口の利方、受け答え も立派、話し振りは間が抜けていたり不躾だったりすることもなく、控え目な がらそれでいて当を得ていた。だから誰もこの方のことを悪様に言う者はいな かった。この方は人を怨みがましく思ったりしたことはなかったのだ。眩しい ばかりのお顔の色、体つきは程よかった。それに肌は小容色。私はこんなに快 い女性は外に心当りがない。この方はこの国のお后になってもいい程のお方だ った。
1267‑1272:一人の騎士(10)がこの女性のそばを踊りながらやって来た。この
「騎士」、凄々しく、言葉遣いも丁寧で人を敬う道をよく心得ていた。それでい
いくさ
て戦に臨んでは雄々しく、まことに騎士然としたお方だった。その見事な甲宵 に恥ぬ立派なお方。だから思いを寄せる女性にいとおしく思われる方だった。
1273‑1280:それから私はあの美しい「怠惰」と言う女性の姿があるのに気付 いた。この方は私のそばに、実はずっといたのだ。無論、この方の姿形、装い は前にお話をした。これも前に申したことですが、私に優しい心遣いをして、
リesi
この「庭」の戸の門を外し、私が中へ這入れるよう計らってくれたのは、外な
らぬこの方だったのです。
チョオサ訳『蓄蔵物語』断片A 93
1281‑1302:私の見るところでは、この「怠惰」の後ろで、力に満ち溢れた思 春と言う乙女が踊っていた。この方ときたら熟し易く冷め易い心の持主、歳は と言うとまだ十二にもなってはいなかったのだ。あどけなく他意などはなかっ た。含むところあって善からぬ事を企らんだり、手管を弄するようなことはな かったのです。考える事はひたすら面白い事、愉しい事だけ。御承知の通り、
この年頃の殿原、女の子ときたら、愉しい事ならいざ知らず外の事なぞ、およ そ思ってもみようなどとはしないもの。この「思春」と言う乙女が慕う殿御は、
気が向くといつだってこの方と口を重ね、踊りに興じている方々が、その様を 見ることが出来るような様をして、いつもこの方に寄り添っていた。人の気を 兼ねるあまり、人目を盗んでこういうことをこっそり遣るなど、このお二人に は思いも寄らぬこと。御自分達のことを褒めたり、鮭したりする人のことに気 を遣うあまり、極り悪がったりなんか露ぞするものかは、これ見よがしと口を 重ねる姿を人目に晒すのだ。二羽の若い山鳩がそんなことでもしているかのよ
うに。この乙女の相手の殿御は騎士の見習で若く、美しさから言っても、この 騎士の見習の右に出る者がいるなんて私には思えなかった。この見習、己れが いとしく思う相手の「思春」とは年の頃も同じだし、気心の方もピッタリ合っ ていた。
1303‑1318 :こういう具合に、この愉し気なお二人は御一緒していた仲間の外 の方々其々踊っていた。雅やかで賢く、鷹揚を方々、それに起居振舞がまこと に立派な方々という風に、どんなお方も皆、この場に揃っていたのです。先に お話したように、この場で踊りを踊っていた方々がどういう顔つきをしていた か、まずはこのことを見終えたので、私の心を引き付けて止まぬ「庭」に行っ て、あの見事な月桂樹や松、杉、稔などの木にお目に掛からなければと思った のです。折しもこの時踊りが終わった。これまで踊っていた多くの方々は、木 蔭で面白い事をしようと、銘々、心を寄せる人と連れ立って、この場を後にし
たのでした。
1319‑1326:ああ.′この方々はこういう風に愉しい日々を過ごしていたのだ。
こういう毎日を送ることを肯んじない人がいるとしたら、そんな人はまったく もって愚の骨項。愉しく日々を送れる者はもっと愉しい毎日をなどと、そうい
うことに気を撲みはせぬ、こう申して摩るものではありません。心の赴くまま 思い人を作る、これに優る結構な極楽なんかどこにもありはしません。
1327‑1348:この場にいた方すべてが木蔭に引き龍った後、私はここを辞して、
心浮き浮きはしゃぎながら「庭」へと進んだ。この時、「愛の神」は急ぎ、件の
「歓心」をそばへ呼び、キラキラ輝く金の弓をこれ以上供の者に持たして置 くことはせず、すぐにも弓の弦を張るよう命じた。そこで「歓心」は時を移さ ず弓を其っすぐに立てて、あっという間もなく弦を張り、先がよく尖って、い つでもすぐに飛ばせるようになっていた五本の矢を「神」に手渡した。泰然自 若と天界にあわす神よ.! 「愛の神」が私目掛けて矢を放つことがあっても、願 わくは酷い手傷を受けることがか1よう護り給え。もしもこの時この矢にでっ くわしていたら、きっと深手を負っていたこと間違いなし。まさかそういうこ とはと思っていた私は、実の処、随分と「庭」をあちこち歩いたのだった。と ころが「愛の神」はずっと後ろから私を追い掛けて来たのだ。私はどこかで体 を休める気もないまま、歩いて行く裡に、とうとう庭中くまなく見て廻り、行 かない所はないぐらいになった。
かたち
1349‑1386:この「庭」は形が縦横釣り合った真四角な庭だった。周りはどこ
fW/Si
も同じ歩数。不恰好な木ならともかく(本当の処、中にはそういう木も二本や 三本はあったのだ)、木と言う木はいずれも苦心の実を付けていた。ここには 柘相が一杯あった。このことなら私もよく承知していたのだ。この実は病の折、
人が、つまり大変重宝する実なのだ。時がくると、肉豆遠と人が言う実が生る
いりよう
ばかりか、香りの方も結構な木がここには数多あった。もしも誰か入用という
はたんきょういちじくなつめやし
のなら、この庭中あっちにもこっちにもくまなく巴旦杏とか、無花果、蛮郁子 と言った木が山程生えていたのだ。食事が終わり食卓を立った時に、後口を好
かんぞうしょうず、く
くするお美しい香辛料、例えば丁字、甘草、生妻、小豆嘉、肉桂、義蓮、こう
かりん
した薬味が取れる木も一杯この「庭」には生えていた。また桃とか棺梓、それ
かり/しすもも
に林檎、花梨、李、梨、栗、襟桃、それから皆さんが好きな実を結ぶ木で、昔 からイギリスにあったごとき木も色々とあったのだ。色んな木の実に李、様々 な果実などを目にするのは快かった。糸杉とか轍複、それに背が高い月桂樹に 松が沢山、見るから美しい様で幾列にも植えられていた。この「庭」にはこう
とねりこ
いう木が少なからずあったのだ。大きくって頑丈な根に楓、秦皮、樫、西洋箱 柳、背が高い篠懸、椅薦な一位に箱柳、美しい菩提樹の外にも、色んな二つ一 組の木が幾つも並べてあった。
1387‑1390:これだけ言ったらもういいのではあるまいか。この「庭」にはな お数多の木があったので、ありとあらゆる木を一本一本数え上げていては、数
えて仕舞う前にすっかり草臥れて仕舞う程なのです。
139ト1408:これまでに私が並べ立てた木は五間あまりに亙って、次から次へ 所を得た様で植えられていたのです。まったく.′木は背が高く大きい物だった。
チョオサ訳『蓄蔵物語』断片A 95
しl!二//̲さ
それに項は、枝と言う枝が絡んでいて緑の薬も溢れるばかり。枝は哲蒼と拡が り日の光を遮っていた。ために日の光は柔らかい草を傷つけてはならじと、地 面へ降りてくることはなかった。ここでは誰も、色や仲間が違う鹿の一顔や二 頭、目にすることも出来るし、数え切れぬ程、栗鼠が大枝から大枝へと跳んで 渡る様も目にすることが出来るのだ。隠れ家から出て、萌え出たばかりの若草 の上で、敵味方に分かれ幾度となく闘いを挑んでは戯れる、仕種もまちまちな
ら、色も様々な兎もいた。
1409‑1416:あちこちに泉を幾つも見付けた。そこには蛙は一匹もいなかった。
日の光から遮られていた泉は澄み切った水を湛えていた。 「歓楽殿」が仕掛をし て、泉の水が数多の溝を通る細い遣水にしてあった。水は清々とまことに心地 好い音を立てて溝を流れていた。私はその細い流れが幾つあったのか、数の程
は分からない。
1417‑1430:天鴛城と同しぐらい柔らか、分厚く敷き詰められた草が、ここの
ほとり
泉の周りと言わず、川の辺の、ありとあらゆる所に生えていた。その上なら、
羽根入りの敷蒲団の上同様、可愛いお方を寝かし楽しむことも出来る程。何分、
大地はかくまで柔らかく心地好かったのだ。泉の水の湿り気で、柔らかく心地 好い若草が入用なだけ分厚く、しかも一杯生えていた。このお湿りがここの土
を肥やし、ために夏冬を問わず、大地に花を数多咲かす天の恵みがここには備 わっていた。
143ト1438:ここは、この春になって新たに童や、色も鮮やかで瑞々しい蔓日
まきば
日草、それに赤、白、黄、様々な花が咲き、その数の多いことときたら、牧場
ォ3n
にこんなに沢山花が咲いた例はあるまいと思えるぐらいだった。大地は華やぎ、
まるで人の手に依りでもしたかのように、甘い香を放つ様々の瑞々しい花で飾 られ、装いが施されていた。
1439‑1444:この心和む「庭」のことをこれ以上話して、皆さんを永いこと留 め置く気などさらさらないのです。何としても口を慎むことが肝要。それも宜 なるかな。この「庭」の美しさを余すとこなく話すことなぞ、まして「庭」の 楽しさに至っては、その半分も話すことが出来ないのは言うを侯たぬからです。
1445‑1448:この「庭」を私は右へ左へと歩いてみた。ここは決して打ち捨て られた所ではなかった。こうしてとうとう誰の目にも映る所だが、庭中でいっ とう奥まった所へやって来たのだ。
あいだ
1449‑1454:こんな具合に、心浮き浮き愉しく歩いている間も、実はずっと「愛 の神」が後ろから付いて来ていたのだ。丁度狩人が獲物を待ち受け、これ以上
近付くことはないと思えば、潮時を見てそこから鹿に矢を放つごとく。
1455‑1468:そこで、私はさる泉のそばの一本の木の下で、体を休めることに した。フランスではこの木のことを松と呼んでいた。シャレマン王の父上、ペ ピンこの方、こんなに高く、こんなに相渡しく人の目に触れた木もなかったの だ。この松は馨り立っていたから、この「庭」のどこを捜しても、無論こんな に高い木は外にはなかったのだ。ところで自然は正直に言って、湧き水を大理
へり
石に囲ませて、泉をこの木の下に掃えていた。その石の縁の外側には、 「ここに おいて麗しのナルシサス死す」と言う小さな文字が刻まれていた。
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1469‑1480:ナルシサス(ll)は「愛の神」が件の遣り方で民に掛け、捕まえて僕
msas
にし、欺きをみせるよう仕向けたため、生命も捨てかナればならぬ破目になっ
'ZT'A]声l
た若い男。エコーと言う美しい女の子が、誰にも増してこのナルシサスを慕い、
ある時、 『好きになってくれぬなら死んで仕舞いまする。外になす術も見付かり ませぬ』と言われる程の苦しみをこの男は味わったのだ。
1481‑1498:ところがナルシサスときたら己れが美しいあまり、おっに活まし て人を寄せ付けぬところがあったから、エコーが幾ら泣いて頼んでも願いを聞 き届けて遣ろうとはしなかった。この女の子、慕う相手が自分のことを拒んで いる、そういう言葉を聞くや、内心酷く悲しんで、こういう相手の態度を大変 嘆き、ためにすぐさま生命を絶って仕舞ったことだった。だが死ぬに先立ち女 の心を寄せ付けぬ高慢ちきな男が、いつか愛に苦しみ悩んだ揚句、気が変なな り、愛の悦びを手にすることがないよう、エコーは泣き泣き神にお願いをした。
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その結果、自分のように、不条理に捨てて顧みられぬ真の恋する者が、いかば かり悲しい思いをするのか、このことをナルシサスは思い知るべし、こうもお 願いしたのだ。
1499‑1538:エコーのこの願いはいかにも尤もなことだったので、神はこの願 いを確かなものにすることになったのだ。事の次第を手短に話すと、ナルシサ スはある日、狩をしてたまたまこの泉の辺へやって来、木蔭で体を休めること にしたのだ。一日狩をして走り廻り暗いでいた。暑さで疲れ果て難溢していた ので喉を潤したかったのだ。何せ、口が渇いて息も切れんぼかしだった。緑の 枝で日の光から遮られたあの泉の所へ来ると、ナルシサスは椅麗な水を口にし 生き返ろうと思った。そこで一口、水を口に含もうと膝を突き、顕と顔を突き
みit.
出した。すると忽ち己れの鼻.、口、輝く目が水面に見えた。それで、すっかり まごついて仕舞った。己れの姿に唆されたのだ。水に大変椅㌍な男の姿を認め た、そうナルシサスは思った。「愛の神」はこの時、騎って人を見下す所業をあ
チョオサ訳『暮夜物話』断片A 97
の折遣ったナルシサスに、仕返しをする道をよく弁えていたのだ。「神」はこの 場でナルシサスが受くべきお返しをした、つまりこの男が泉を懸命に覗き込ん でいたため、本当の事を手短に言うと、あんまり己れの姿に見惚れてまごつき 死んで仕舞ったのだ。己れの意をどうしても充たすことが叶わぬ、つまりいち 早く「愛の神」の民に捕まえられて、己れを慰めることも出来ぬと知るや、そ の場で心を取り乱し、すぐさま死んで仕舞ったという訳。こういう具合にナル
シサスは、己れが見捨てた女の子のためにお返しをされたのだった。
1539‑1542:一途に慕う殿方に背くも詮ないこととなさる土蔵方が、この話を 戒めと受け止め給えば、これに過ぎる仕合わせは御座いません。もしもお慕い する殿原が、皆さんゆえに身罷ったなどということを知るような破目にでもな
るとしたら、それこそ今度は皆さんに、それ相応の償いをして頂く道を「神」
は御存知ですぞ。
1543‑1566:私が話した件の碑文は、この泉が大層澄んでいて美しいから、紛 れもなく「ナルシサスの泉」だということを教えてくれた。それゆえ、私はあ のような不仕合わせな出来事が、ナルシサスの身に降り懸かったことを思い遣
り、この時慌てて後退りしたのだった。だがその裡、きっと危な気なく泉へ近 付けると、おしまいには思うようになった。どうしてあんなに狼狽したのかと 思い返してみた。それから泉へ近付き、膝を曲げて、石に囲まれた椅麗な水の 底に、銀のように光っている美しい砂を見た。底まで見通せるのは水が澄んで いるせいだ。この世にこんなに澄み切って鮮やかな水を湛える泉は、ここを措 いて外にはあるまい。指二本分の高さ程の水嵩が、キラキラ輝く波共々湧き出 てくるこの泉は、従って水がいつも新しかったのだ。この水の周りには時を分 かたず、青い葉を付けた草があるのだ。何分、ここは水気が引っ切りなしに強 く立ち込めているので、丁度海の水が滴れることがないのと同様、水は冬でも 滴れはしないのだ。
1567‑1600 :澄んで結露を水の底に、二個の水晶が面白い様であるのを私は見 た。ひとつ、本当の事を言うと、それは聞いたら皆さんがきっと『そんな.′と
げ
うてい解せぬ』と思う類の事。相を現した明るいお天道様が、輝く光を泉へ投 げ掛け、暖かさが底へ伝わっていくと、 「水晶」はお天道様へ向かって、育、黄、
赤といった具合に、様々の鮮やかな色を帯びてくるのです。孝柔てて加えて、こ の面白い石はその中に、ここらじゅうどこもかしこも、つまり花も木もそれか
ら緑の葉も庭中くまなく、見えるような摩詞不思議な力を持っているのです。
皆さんに分かって頂くため、ひとつ、誓えを使って話してみよう。鏡と言う物
はそばにある物を一つ残らず、相と言わず色と言わず、そっくりそのまま映し てみせる物。丁度それと同し理窟で、輝く「水晶」も水を見詰めている人に何 一つ覆い隠すことなく、 「庭」の隅々まで明らかにするのです。今、 「庭」を真 ん中から二つに分けるとして、泉を見詰めている人はどっちへ行っても、御自 分がいる側半分は、いつも見ることが出来る。場所を換えると、別のもう半分
も余す所なく、どこもかしこも目にすることが出来る。というのもこの「庭」
には、小さ過ぎて目に留まらぬ物とか、妨げになる物が周りを囲んでいて、そ のために隠れて人目に付かぬ物なんかは全然ない。だから、この「庭」の有様
カ、
は、まるで「水晶」に絵でも描いてあるかのように見ることが出来るのです。
1601‑1634:この「水晶」は人を過たす鏡。この鏡でもって誇り高きナルシサ スは己れの輝くばかりに美しい顔を見、その後、余りの美しさに己れを死へ追 い遣ったのだ。この鏡に己れの顔を映す者は誰かれを問わず、人が好きになれ るような心は持ち合わさぬ。かといってそういう気持を癒すことも叶わぬのだ。
それもそのはず、この鏡がこれまで虜にしてきた豪い人の数は、どのぐらいか 知れぬ程だった。これ以上はないという賢い人も、ここに至ると、忽ち鏡の魔 力の待伏せに遭い、己れをいとおしむ気が増さって仕舞うのだった。ここに至 って恋の焔が改めて人の心に燃え盛り、多くの人は心変りして仕舞う。更には 分別も節度も利かないようになるのだ。それもそのはず「愛の女神の御曹司」
が愛の種を播くと、種が泉をすっかり囲んで、分別も何も働かず、どうしよう もないということになるのだった。おまけにキューピッド殿が員を仕掛け、若 い殿原や女の子を綱で捕まえようとするのだ。この「神」は可愛い小鳥を捕ま える昆以外の民も仕掛けはするものの、人の外は捕まえようとはしないのだ。
ここに播かれた種ゆえ、この泉がまこと、愛の泉と呼ばれるに相応しいのはよ
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く御存知の通り。この泉のことを多くの方々が、色々と御自分の書物の中でお っしゃってきたのですが、私がこの泉に纏わる謎を明かしたからには、皆さん もすぐにそれとお分かりのように、泉について書かれてきた事、更には本当の 処は何かを、これまでの方々はお書きになっていないのではありますまいか。
1635‑1648:すぐ手許で、数多の物の相を鮮やかに映し出してくれる泉の「水
晶」を、私はここにいて、ずっと見ていたい気持もあったことは事実だが、こ
の時私は悲しい気持を覚え、じっと泉を見詰めていたと申し上げよう。という
のも、ここへ来た時からずっと私は心が酷く病んでいたのだ。何しろ、この鏡
が心を捕まえて放さなかったから。だが私は初めてこの鏡の力を自分なりに考
えて、その恐ろしい力の程がよく分かったのだ。早くに分かっていたら、この
チョオサ訳『菩蕨物語』断片A 99
鏡に目なぞ凝らして見詰めるなんてとんでもないことだったのだ。こんな所に いかすれば良かったのに、こう思ったのも宜なるかな。多くの人を蕨めてきた 民に私も忽ち巌まって仕舞ったためだ。
1649‑1705:この時、私はその鏡に数多物がある中で、周りを生垣で囲われ、
花が一杯の菩夜を認めた。たといパリやイタリアのパヴィアが私を唆したとて、
そういう所まで出掛けて行って、蓄蔵の花がこれ以上はないと思える程、数多 群を成している様を見ることはない、そういう気をこの時強く感じた。ここの 茜蕨はそれ程椅寛だったのだ。この暮夜の花を摘もうという切なる願は、これ までも数多の人を捕まえ夢中にさせてきた。この切なる願の虜になって、私は 暮夜がある方へと足を運んだ。暮夜からさして遠からぬ所まで来た時、馨しい 花の香りが私の体を包み、体中どこもかしこもくまなく良い匂になったので、
私は心の奥深くまで馨しくなったように思った。もしも人に疎まれたり、喰っ て掛かられたりするのではあるまいかなど、そういうことを気にしていなかっ たら、私は欣々として群を成している花の中から、蓄積の花を一つ摘み、手に 振り緊して、行く先々で匂を嘆がないなどということはなかったものを。だが 実の処、私はそういうことをしたぽっかりに、この「庭を造った方」を悩ませ、
不興を買ったなどということがないよう、ずっと気を拝んでいたのだ。そこに は菩夜の花が数え切れぬ程ありはしたものの、まだ花は木の上で美しく開いて いる訳ではなかった。膏によっては固く閉じている物もあるのを見た。中には 幾らか増しな物もあった。花の盛りを間近に控え、懸命に花を開こうと焦って いる遅咲きの膏もある。私はこういう咲き初めの赤い菩蕨が好きだ。咲きすさ んだ善徳は、一日か二日で盛りが過ぎて仕舞うのに、膏なら少なくとも二日な いしは三日は瑞々しい。私はこのような菅がいたく気に入ったのだ。それも、
この膏以上に美しい膏は誰も見付けることが出来まいから。誰か、こうした膏 の一つでもうまく手に入れられるならば、その人はきっと欣喜雀躍すること請 合い。こういう菅の花冠を手に入れることが出来るなら、どんな宝が積まれた って、冠は手放すことではありません。私はこの膏の中から一つを択んだ。そ れはまことに美しかったので、これぞと思った時、外の膏なんか、私にはこの 膏の半分程の値打もありはしないのです。この膏の色は赤、まことに美しく輝 き、自然が美しいようにと巧んだ通り、見事に作られていたのだ。また、この 膏には四ヶ所に葉が対を成して付いているのです。自然はその知恵を働かせ、
見事にこの葉を、咲き初めの赤い菩蕨の周りに付けていたのだ。茎は蘭草同様
かし
真っすぐ。おまけに膏も頚は少しも傾げず、真っすぐな様で茎に付いていた。
その旬は遠くまで飛んだから(13)紛う方なく辺りをくまなく馨しくしていた。
注
(7)愛の神は「恋する老」すべてに対し、生殺与奪の権を行使する存在として姿を現す。
この点、 「愛の神」は君主の属性を具えている。
Chaucerの「愛の神」に対する姿勢はLGW F 322行以下参照。 「神」がChaucerに 対し、君主に等しい立場を持っていることを窺わしている。
he Romande laRoseを翻訳していたと考えられている(例えばKuhl)六十年代 前半は、 Edward三世の子息の一人、 Prince Lionel、続いてPhilippa Roetと連れ添う 時期(1366年頃)を契機として、 Lionelの弟、 John ofGauntに仕えるようになったとさ え考えられているJohn ofGauntとの係わりについては、 G. Williams, A newview of Chaucer, North Carolina, 1965, 43‑44頁を見よ。 ChaucerはThe Book of the Duchess, 532‑535行で、 John of Gauntと係わりがあることを灰めかしている。なお、同書1314‑1320 行も参照せよ。後年(1386年頃Chaucerは良き「愛の神」、ひいては良き君主の在り方に
も触れている。 LGW F342行以下参照O
(8) Chaucer描く「愛の神」には羽がない。 LGW F213行以下参照。
(9) ChaucerがRomanの翻訳に従事していた時分、フランスとの「百年戦争」は休戦状 態にあったけれど、これに先立つ四十年代、五十年代には、例えばCrecy (1346年)や Poitier (1356年)で英軍は勝利を収めていた。 Edward三世、およびその長子Black Prince の活躍は騎士道の華と詣われたChaucerはこうした点に関しては、口を喋んで何一つ語 ってはいない。中世の社会の仕組と、これに対応する文学の様式化からして、宮廷詩人Chaucer としては別に不思議はないが、 Edward三世の宮廷で手厚く過されたFroissartは、イギ
<*」・>
リスの宮廷のことを悉に書いた。 Crecyの件はThe Chronicle ofFroissart, tr. Sir John Bourchier, Vol. I, New York, 1967, 297頁以下参照。またPoitierについては同書第‑
巻370貞以下を参照せよ。
(10)騎士は戦う者として武勇を尊び、名誉を重んじることを身上とするのは当然だが、こ れに関連して、意中の人を持ち、この方のために戦うことを善しとしていた。従って、宮廷 は「愛の神」が恋を統べる所として、ここに仕える若い騎士は言うに及ばず、若衆に至るま で、 「神」が奨める「宮廷愛」を培うことが望まれていた。この点について、 Coultonはフ ランス王の宮廷に仕えるJeanと言う十三歳の小姓の例を紹介している。 G. G. Coulton, Chaucer and his England, London, 1952, 223頁以下参照。
Chaucerは1359年、 Prince Lionelに従ってフランスとの戦いに携わったが、後年、
キャン夕べリ巡礼の一人、 「騎士の見習」の姿に自分の姿を重ねて措いたと考えられる(例え ばLegouis)。 I(A) 85‑88行参照。また、自らの「愛の勤め」について語ったThe House ofFame, 614行以下も参照せよ。 「愛」のあるべき相からはおよそ程遠い、現実と覚しき宮 廷の相も、同書672行以下に暗示されている。
チョオサ訳『蓄蕨物語』断片A (ill
(ll)ナルシサスに関するOvidの該当箇所は、例えばThe Metamorphoses ofOγid, tr.
Mary M. Innes, Penguin Books, 1961, 90‑94頁を参照せよ。
(12) The Romauntofthe Rose執筆当時、 ChaucerはJohn of Gauntの奥方、 Blanche of Lancasterを意中の人として、愛の誠を至していたと考えられている。 J. Gardner, The Life and Times of Chaucer, Paladin Books, 1979, 116頁以下GardnerはChaucer
のAn ABCがBlancheの命によって物されたと考えられる(Robinson, 855頁参照)点、
この短い聖母讃美には、 Blancheに対する訳者の愛の姿勢が窺われるとしている。同書116‑
117頁。なおこの点に関してChaucerのED,30行以下も参照せよ。また同書(948行)の中 でChaucerはBlancheのことを̀White'と言っている。 BD執筆はJohnofGauntの 命によった(Robinson, 773頁参照)とも、そうでないとも考えられていて定かではないも のの、宮廷に仕える者として、 John ofGauntとBlancheに深く係わっていた作者の気持 の現われとみていい。なお、 PhilippaはRomaunt執筆前から、 Chaucerが思いを寄せる
「愛の対象」であったとも考えられている。 Gardner,上掲書117‑118頁参照。
(13) 1705行は中途半端で終わっている。 …it dide all the place abouteで終わる文の完 成については、色んな提示(Robinson, 875頁を見よ)がなされている。ここではSkeatの 示唆に従った。すなわち、 Fulfild of baume,withouten douteがそれ。詳細はW.W. Skeat ed., The Complete Works of Geoffrey Chaucer, Vol. I, Oxford, 1952, 430頁を参照せよ。
(昭和56年10月22日受理)