︿論説﹀
ア メ リ カ イ ン デ ィ ア ン 法 研 究 序 説 ( 二 )
i 公 法 学 の 視 点 か ら
ア メ リ カ イ ンデ ィア ン法研 究 序説 ⇔ 59
藤 田 尚 則
目次
はじめに
第一章インディアン問題の規制に関する連邦の権限の史的展開
第一節前憲法時代(一五三二年〜一七八九年)
一︑国際法と植民地時代ービトリヤの学説
二︑ζoげ①σq導Hロ岳碧ωタΩo<①言霞o隔Oo暮①o二〇三
三︑ジョージ王戦争︑植民地連合及びフレンチーーインディアン戦争
第二節合衆国憲法制定から条約締結の終了(一七八九年〜一八七一年)
一︑連合規約と合衆国憲法
二︑マーシャル・コートにおける二つのチェロキー事件
三︑条約時代の終了へ向けての政策
四︑全権時代(コ①葛蔓℃睾零)時代の起り(以上第一九巻第一・二合併号)
第三節土地割当と同化(一八七一年ー一九二八年)
一︑全権時代の始まり
二︑最高裁判所の対応の変化の過程
三︑全権の行使(以上本号)
第四節インディアン再組織(一九二八年〜一九四二年)
第五節管理終結政策(一九三四年ー一九六一年)
第六節民族自決政策(一九⊥企年〜現在)
第二章インディアン保留地への州権行使
第三章国際法と民族自決権
第四章今日のいくつかのインディアン問題
まとめ
第三節土地割当と同化(一八七一年〜一九二八年)
一︑全権時代の始まり
( 1 )
一八七一年三月三日歳出法より以前は︑﹁全権(コ︒昆麸勺︒蓄胃)﹂という言葉は︑インディアンとの関係に於て州ではなく連邦政府が合衆国憲法の下でインディアン:不ーションとの関係を処理する権限を有すると判示した前記
( 2 )
ぎ︒.︒①︒,け︒目ぐ・ΩΦ︒目αQ冨の最高裁判所判決に関連して用いられていた︒この時代︑既に述べたように︑連邦政府とインディアン・ネ←ヨンとの問の関係は条約により処理され︑琴蚕ご5琶︒︒け藁で最山口同裁判所は・その数は六六
( 4 )
六にのぼるとしている︒そして︑一八七一年以前の合衆国議会におけるインディアン立法は︑通商条項(○︒ヨヨ霞8Ω︒︑︒︒①)又は批准された条約に従って可決され︑インディアン立法の大多数は︑条約上の義務を履行する為の歳出法
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であったのである︒一八七一年三月三日歳出法の成立は︑インディアン問題に関する政策決定に加担できなかった合衆国議会の下院
( 6 )
(け冨=︒島①oh勾Φ育①︒・︒三9け幽く︒ω)の抵抗に帰因している︒約一世紀に亘って行政府は︑上院(誓①Gっ2彗①)の助言と承認に基づきインディアンと条約を締結してきた︒下院は︑条約の規定を履行する為の財源を承認したのではあるが︑
実質的なインディアン政策の展開に発言権を有してはいなかったのである︒この幡りは︑条約締結時代の終了の前兆
( 7 )
となった一八六七年三月二九日連邦法律に結実している︒同法第六節は︑﹁大統領︑内務長官又はインディアン対策局長(Ooヨ琶o自巴8霞o{閉象嘗﹀{{巴閉)にインディアン部族との条約締結を認める全ての法は︑本法により無効とさ
れ︑いかなる歳出も︑以後インディアン部族との条約交渉において︑かかる歳出を認める歳出予算がまず法律により
決定されるまでは引き受けられないものとする﹂と規定していた︒しかしながら︑インディアンとの条約締結を終了
( 8 )
させようとの幾つかの失敗に終った試みの一つである当該規定は︑数ケ月後の同年七月二〇日連邦法律で廃棄された( 9 )
のであるが︑下院は以後もその闘争を継続したのであった︒この時期の闘争事件をシュメックビアー(OQO﹃ヨ①O犀①げ凶①﹃)は︑次のように記述している︒即ち︑﹁インディアン平
和委員会(け70一口山一帥口勺①96①()O円5§一匂Dω一〇コ)は︑インディアンとの戦争終結に成功したが︑同委員会によって交渉され
上院によって批准された諸条約は︑下院の意に叶うものではなかった︒上院が独り諸条約を批准したが為に︑下院は
それら諸条約に関する意見表明の機会を︑条約実行の歳出を決定し︑下院の承認を得る為に第四〇議会第三会期にあ
がって来た一八七〇年会計年度歳出予算案までは持つことができなかった︒諸条約を履行する為の財源を規定する条
項が上院によって追加されたが︑下院はそれらに同意することを拒否し︑会期は六月一日の会計年度開始時にインデ
ィアン局(チ①H昌岳きO窪8)に対してなされる歳出の決定を見ることなく一八六九年三月四日終了した︒第四一議
会第一会期が一八六九年四月に召集された折︑法案は前会期と同様の形式で下院によって可決された︒上院は︑即座
に法案を平和委員会によって交渉された諸条約の実行に必要な財源を算入する為に修正したのであった︒下院は再び
同意することを拒否したが︑最終的には妥協に達し︑それによって通例の歳出予算に加えて︑﹃大統領が種々のイン
ディアンの部族︑バンド(げ9巳)及び団体との平和を維持し︑前述のインディアンの間に文明化を促進し︑実行可
能な処では保留地に彼らを連れて行き︑彼らの貧困を救済し︑そして彼らの自給への努力を促進することができるよ
う﹄(日①ω$けらρ)総額二〇〇万ドルの歳出が議決された︒
下院はまた︑﹃本法又は本法のいかなる規定も一八六七年七月二〇日以降のインディアンの部族︑バンド又は団体
との条約のいずれをも批准し︑或いは承認するものと解釈されてはならない﹄と規定した条項を追補しようと主張し
たのであった︒この条項は︑確かに一つの注目すべき立法であったが︑その中で下院は諸条約を廃棄しなかった一方︑
諸条約が既に正式に公布されていたにも拘らずその承認を差し控えたのである︒当該条項は法的効力を持たず︑単に
下院の感情を法律に書き込んだものであったのである︒合衆国議会の次の会期に同様の条項が︑一八七一年会計年度
インディアン歳出法に追加され︑同法には本法の如何なる規定も一八六七年七月二〇日以降に締結された条約を批准
し︑承認し又は破棄し︑﹃或いは当該問題に関する行政府及び上院の権限を承認し又は破棄する﹄ものではない旨の
追加規定が為されたのであった︒しかしながら完全なる条項は︑偶然にも法案の記載から書き落され︑正式には一八
七二年会計年度歳出法(一①甑切一"堂α刈O●)の可決まで制定されなかった︒
多分︑下院が条約の諸規定に同意しなかった理由の一つは︑インディアン対策局(夢①○察80{ζ島碧>h{mマω)
の行政の基本方針への下院の不信であったと考えられる︒けだし︑ガーフィールド将軍(OO口①円僧一(甲9︑h一〇一窪)が当該
局についての容赦のない攻撃を行ったのが︑この法案をめぐっての論争中のことであったからである⁝⁝︒
一八七一年会計年度歳出予算案が第四一議会第二会期で審議された際︑前年の論争が再び開始され︑上院は新条約
の実行の為の歳出を主張し︑下院はその目的の為の如何なる財源の承認をも拒否したのであった︒会期終了に近づい
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た折︑法案は完全に成立しないと思われたが︑大統領が合衆国議会に対して歳出の必要性を喚起した後に両院は最終
的にその相違を調整したのであった︒
下院によって展開された強力な闘争と数多くの上院議員の表明は︑条約制度が終りに来ていたことを明らかにした︒
そして︑一八七一年三月三日に可決された一八七二年会計年度インディアン歳出法は︑ヤンクトン・インディアン
(菌①網嘗容8=島鋤霧)への歳出を定めた条文に追加された以下の条項を含んでいた︒即ち︑﹃以後︑合衆国の領土内
のいかなるインディアン:不ーション又は部族も︑独立のネーション︑部族又は権力と認められず︑合衆国は彼らと
条約を締結してはならない︒本法に規定されたいかなる規定も︑これまでにインディアンー不ーション又は部族との
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間に締結され且つ批准された条約の義務を無効とし又は減ずるものと解釈されてはならない︒﹄(H①QQけ9け●m甲O①●)﹂︒尚︑( 11 )
かかる下院が展開した強力な闘争には︑辺境出身の上院議員の協力があったことが記されなければならない︒連邦とインディアンとの関係は︑一八七一年以前と同様に継続したが︑部族との交渉及び領土の割譲は条約よりも
協定(餌σq器①ヨΦ9)に帰着したのであり︑協定は合衆国議会の両院によって承認されたのであった︒合衆国議会は︑
引き継ぎ保留地を設立し︑歳出を決定し︑そしてインディアンに影響を及ぼす諸法律を制定した︒条約と同様協定と
法律は︑条約によって設立されるそれと事実上同一の権利及び義務を創設する﹁国の最高法(葺︒ω暮器3①一睾︒{
爵︒一き自)﹂(合衆国憲法第六条第二項)とされた︒
連邦とインディアンの関係は︑立法府の外で︑即ち行政府に於て発展した︒大統領は︑一八五五年五月一四日の行
政命令(①×①O=け一くOO困α①円)によって或いは同年八月九日のそれによってインディアン保留地の為の公有地を取り上げ
たが︑多くの諸目的の為にかかる行政命令が条約︑法律及び協定と同様の法的効果を有したのである︒
一八七一年歳出法による条約締結の禁止は︑連邦政府がインディアン部族の処理について他の手続的手段をとる原
因となったのであって︑合衆国とインディアンとの継続関係に凡んど法的影響を与えない国内の政治的決定であった