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ポス ト ・ヒューマ ン時代の政治的想像力, あるいはアイロニカルな神話
‑ ダ ナ ・ハ ラ ウ ェイ の 「サ イ ボー グ宣 言 」 を読 む そ の ( 2) ‑
副 島 美 由紀
1 .は じめに
ダナ ・ハ ラウェイの命名 による くサイボーグ ・ポ リテ ィクス〉が どの よう な政治的意識 の提唱 なのか を理解 す るため,本誌前号では,現代,特 に 80年 代以降 に対す るハ ラウェイの認識 を紹介す ることか ら始 めた。 端 的 に言 って, 彼女 の見 る現代 の位相 は,「ポス ト ヒューマ ン時代」 とい う概念で捉 えるこ
とがで きるだ ろう。 ひ とつ には科学 とテクノロジーが もた らした,人間/動 物,物質/非物質,機械/人間な どの境界融合 によって, またひ とつにはポ ス トモダンのパ ラダイムによって,西欧的な男性原理 を核 とした主体神話 が
マ ン
崩壊 を始 め,二重の意味 において 「 人間 ‑男性」中心主義が終鳶 を迎 えつつ ある。この境界融合 の時代 にこそ,従来 の社会関係 に根 を持 つ「 人種 」 「 階級」
「 性差」 といった対立 を溶解 に向かわ しめるような契機が含 まれていないか, それ らの対立 の解消 に向けての意識改革が可能 にな らない ものか, それが社 会学者ハ ラウェイの問いか けであった。
科学 とテクノロジーが もた らした,マ ン‑マ シー ン共生系 とも呼 び得 る境 界融合 の領域 は,多 くのサイバ ネテ ィック ・デイヴ ァイス を可能 にす る一方 で,当然新たな危険性 を も学 んでいる。 テクノ‑バ イオポ リテ ィクスが作 り あげる新 たな枠組 みは,スター ・ウォーズ級 のアクシ ョン計画か ら生体 の部 品化 にいた るまで,マイクロ ・チ ップ上 の可視 的な らざる力 によって現実組 織 を統御 しかねない 。C 3 ‑ Ⅰの戦略 に代表 され るような この力学 を,ハ ラウェ
イは 「 支酉己の情報工学」 と名 づ け,新 たな統合 ・抑圧 ・境界 画定 を生 み出す
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人 文 研 究 第8 9
輯もの として大 いに警戒 を促 してい る。
そ こで彼女 は 〈サイボーグ主体〉お よび 〈サイボーグ ・ジェンダー〉 とい う概 念 を持 ち出す。 それ は,女性 の非在性 を逆手 に取 った アイ ロニーか ら生
アイヂンテイテ イ
まれ,無垢 な る原初 といった概念 やひ とつの統一 した同
一性 に拠 らない,ポ ス トモダ ン的 な主体意識 ・ジェンダー意識 で ある。 サイボーグ ・ポ リテ ィク スは,支配 の情報工学 の裏 をか き,西 欧的人 間 ‑男性原理 による神話 を解体 す るモザイ ク状 のネ ッ トワー クを作 るための,意識 改革 の戦略 なので ある 。
本号 で は,特 に「サ イボー グ宣言」( 1 )の フェ ミニズム理論 としての側面 に焦 点 をあて,〈サイボーグ・フェ ミニズム〉 とは何 か, そ して それ は どの ような 指針 をわれわれ に示 して くれ るのか を考察 してみた い。
2. 「 集 積 回 路 内 部 の 女性 」 と, モ デル と しての 有 色 人 女 性
「 支配 の情報工学」にお ける女性特有 の布置 を捉 えるため,ハ ラウェイ はレ イチ ェ) I ,・グロスマ ン
(皇)が提供 した 「 集積 回路 内部 の女性」 とい うイメー ジ を使 い,現在 の女性 がいか に科学 とテ クノロジーの社会関係 に よ り構築 され た世界 に置 かれてい るか, その状況 を名 づ けよう としてい る
。ところが,前 号 で も指摘 した とお り, 「 女性」 とい うの は歴史 的 に構築 された複合 カテ ゴ
リー にす ぎない。ひ とたびそれ を認識 す る と,「 女性」の杵裂 したアイデ ンテ ィ テ ィを どうして も意識せ ざるを得 な くなる 。 「わた した ち」とい う主語 はいっ たい誰 をさすのか。女性 間, フェ ミニ ス ト間 にお ける激越 な核分裂 を経 たあ と,女性概念 はい まや流動化 してい る 。 ハ ラウェイ 自身 を例 に とるな ら,彼
(1)Ha r away,Donna." A Mani f e s tf o rCybor gs : Sc i e nc e , Te c hnol ogy,and Soci al i s tFe mi ni s m i nt he1 9 8 0 S "i nEl i s a be t hWe e d,e d ,c o mi n g t oTe r ms : Fe mi ni s m,Th e o w ,Po l i t i c s ( Ne wYor k : Ro ut l e d ge , 1 9 8 9 ) ダナ ・ハラウェイ 「 サ イボーグ・ 宣言」小谷真理訳,巽孝之編,『 サイボーグ・フェミニズム』 トレヴイ ル ,1 9 9 2 ,以下,ハラウェイ論文 ( 日本語訳)か らの引用は, ( )内の貢数で,
また原著か らの引用は [ ]内の貢数で本文中に記す。
(2)Rac he l ,Gr os s man , " Woman' sPl ac ei nt heI nt e gr at e dCi r c ui t " ,Ra di c al
Ame r i c a ,Vol . 1 4 ,No. 1 .( 1 9 8 0 )pp. 2 9 ‑ 5 0 .
ポス ト・ヒューマン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話 109
女 は, 白人 女性 の中産 階級職 業婦人 で,政 治 的過 激派 で,北米 に住 む中年 と い う条件 を他 と共有 で きるにす ぎない。女性 た ちの相互 支配 とい う事 態 を避 け るた め には,分裂 を繰 り返 しなが ら新 た な本質 的理念 を探究 す る よ り別 の
アイデ ンテ イテイ
対 応 が あ る の で は な い か とハ ラ ウェイ は問 い か け る
。同
一性 で は な く
アフイニテ イ
親和力 を重視 す る連体 の方法 で あ る 。
例 えば シー ラ・ サ ン ド‑ ヴル は, ひ とつのモ デル を設定 す るた め, 「闘争意 識 」 とい う名 の政治的主体 を想定 しよう とす る( 3 ) 。人種 ・ 性差 ・階級 とい った 社会 的 カテゴ リー にお いて確 固た る一員 の資格 を与 え られ なか った者 た ち は みな,権 力網 を読 み とるた めの技術 を培 った はず で あ り, 「闘争意識 」を共有 していた はずで あ る
。その よ うな意識 の もとに彼 らが どの よ うな歴史 的事件 を くぐ りぬ け,政治的発言力 を得 てい くのか,特 にサ ン ド‑ ヴル は 「 有色人 女性 」 とい うモ デル を設定 してその点 を考察 しよ う とした。 その際サ ン ド‑
ヴルが強調 す るの は, い った い誰 を 「 有色人 女性 」として同定 すべ きなのか, そのた めのいか な る本質 的尺度 も存在 して いない とい う事 実 で あ る。彼女 に よれ ば, この よ うな集 団 を設 定 した の は, まさに否定 の理論 を意識 的 に乱用 した結果 で あ る ( 47) [ 1 80 ]。
ジ ョンズ ・ホブキ ンズ大学 のア フロ ・ア メ リカ ン文学講座 を担 当す るバ ー バ ラ ・ジ ョンソン も, か の有名 な 「 女性 と黒人」 とい う一大被抑圧者 カテ ゴ リーの中 に実 は黒人女性 が含 まれ ない とい う事 実 を指摘 してい る( 4 ) 0「 女性 」 とい うの は白人 女性 を, 「 黒人」は黒人男性 を主体 として想定 させ るた め,黒 人 女性 は, 白人 原理 か らも男性原理 か ら も不 可視 の存在 なので あ る
。この よ
うに考 えてい くと,例 えばア メ リカの メキ シコ系黒人 の場合 , 「 女性 」とい う カテ ゴ リー, 「 黒人 」 な るカテ ゴ リー, 「メキ シコ人 」 な るカテ ゴ リーのすべ
(3) Che l a Sando val , " Di s ‑ i l l us i onme ntand t he Po e t r y oft he Fut ur :The Maki ngo fOppos i t i onalCons c i ous ne s s . "1 9 8 4 年,カ リフォルニア大学サンタ
クルス校 における博士号 ( Ph.
D)取得資格審査論文 として提出された。
(4 )バーバ ラ・ジョンソン 『 差異の世界』大橋洋一他訳,紀伊国屋書店 ,1 9 9 0 ,2 9 3
貢。
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人 文 研 究 第 8 9
輯てか ら不可視 で あ り,か くして有色人女性 としての彼女 は否定 的 アイデ ン テ ィテ ィの多重構造 の中で も最下位 に位置す ることになる。 この ような女性 には,特権 的な個別的主体が与 えられていないばか りか, カテゴ リー として の単一性 も持 ち合 わせない。 その歴史的主体 の背景 には大 きな差異が広が っ てい る。 よってそ こにはなん らかの自然化 された母型 を想定す る必要が ない のである。
この 「 有色人女性」 とい う概念 は,考察 され るやいなや この名称 で示 され る女性 たちの猛反発 を食 らった ものの,同時 にそれ は名称 な らぬひ とつの歴
マ ン
史的意識 として,西欧的伝統 にお ける男性 ‑人間の痕跡 を葬 り去 る可能性 を 持 っている。彼女たちは, 白人男性 のモデルか ら最 も遠 く, その主体神話か らは最 も自由な身である。つ ま り,ハ ラウェイの言 うサイボーグに最 も近似 した存在 なのである。「 有色人女性 こそ,他者性 と差異性 をふ まえてポス トモ ダンの人間主体 を構築す る。 そ して この ような主体 のあ りかた こそは, その 政治性 にお けるか ぎ り,他 のあ りうべ きポス トモダニズム様式の追随 を許 さ ない ( 4 7 )[ 1 8 0 ] 。 」
アイデンテイティ アフイニテイ
有色人女性 たちが同
一性 で はな く親和力 に よって共通 の理念 を樹立 で き る とした ら, それ はフェ ミニス トたちに とってひ とつの有力 な言説 を与 える だ ろう 。 それ は,「「 西欧」 とその最高の産物 を‑ 動物で もなけれ ば野蛮人 で もな く,女性 で もない存在で あ り,歴史 と呼 ばれ る宇宙 を構築 す る者,す
マ ン
なわち男性 ‑人間 を ‑ 溶解せ しめるような言説 ( 4 8 )[ 1 8 0 ] 」となるだ ろう 。
それ こそ闘争意識 の力が独 自に もた らす力 と言って もか まうまい。 その よう な親和力 は どの ようにして模索すべ きなのだ ろうか。サイボーグ ・モデル と しての有色人女性 が集積 回路 内部 に占め る位置 につ いて考察 す る ことによ り,われわれが どの ように闘争意識 を共有 しているのか, 確認で きる筈である。
3 .集積 回路 内 の七 つ の 空 間 と ≪労働 力 の女性 化 ≫
支配 の情報工学 にお ける集積 回路 とい うヴ ィジ ョン獲得 のため,ハ ラウェ
イは 〈 家族)( 市場〉( 有給職場〉く国家〉く 学校)く医院 ・病院)( 教会〉 とい
ポス ト・ヒューマ ン時代 の政治的想像力, あるいはアイロニカルな神話
1 11 う七つの空間 に焦点 を絞 り,女性 の 「 場所」のあ り様 を探 ろうとしている 。
その際彼女 はそれぞれの空間 に起 こってい ると見 られ る変化 を指摘 してい る が,これ らの空間の うち,ハ ラウェイが最大 の関心 を寄せ ているのが,〈 有給 職場)で ある 。 科学 とテクノロジーが どの ように現実構造 を変革 しているの か は,特 に経済的現実 の変化 をふ まえて語 られね ばな らないが, とりわ け有 色人女性 をモデル とした女性 の布 置 をみ る と,いわ ゆ る労働 市場 で近年起 こってい るのは,最大級 の変化 だか らである
。この変化が その他 の空間 に及 ぼす波及効果 は大 きい。そ してその特徴 は,≪労働力 の女性化 ( f e mi s i s a t i o n) ≫
と呼 ばれ る現象だ と言 えるだ ろう。 この現象 はい まや世界的規模 で進行 して お り,特 に 8 0 年代後半 になって,現状 の包括的な把握 の必要性が指摘 され始 め,様々 な視点 による問題提起 がな され るようになった。ハ ラウェイ も, こ の問題把捉 のために多 くのエネルギー を費 や し,集積 回路 内の女性 の布置 を 捉 える分析 の中心 に据 えてい る 。 特 に彼女 は,後 に詳述 す るように 「ホーム ワーク ・エ コノ ミー」 とい うキー ワー ドを使 い,独 自の視点か ら家族構造 の 変化 をももた らしかねない この現象全体 を概観 しようとしてい る 。 が, まず
≪労働力 の女性化≫ とい う現象 とその問題点 を確認 してみたい。
≪労働力 の女性化≫ とは,厳密 に言 えば,≪労働力 の女性化≫ それ 自体 ( 労 働力人 口に占める女性労働者 の増加 と労働形態の多様化)と, ≪雇用 の女性化≫
( 女性雇用者 の増加)とい う二 つの局面 を名付 けて言 う概念である。が,いず れ にせ よ,経済 のグローバル化 と経済 のサー ビス化 とい う,経済 の再構築 の 二つの側面 を背景 にして ,6 0 年代 よ り徐々 に進行 して きた ものである 。 徐々 に とは言 って も, それ は確実 に世界 の労働市場 にお ける画期的な変化 をもた らしてい る 。 二 つの背景 の うち,経済 のグローバル化だ けに目を向 けてみて も,資本 の国際化,新 しい国際分業 の展開,世界労働市場 の形成 な どの諸側 面 は,「 現代 を世界経済 の新 たな段 階 と規定す るのに十分 な要因である
(5)」と
(5 )森田桐郎 ・木前利秋 「 資本の国際化 ・新国際分業 ・世界労働市場 ( 1 ) 」 東京大学
経済学会 『 経済学論集』56 巻 2 号 ( 1 990 年 7 月号) 2 頁。
11 2
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輯まで言われてい る。ハ ラウェイ もこの段階 を,新 しいテクノロジーに由来す る 「 新 たなる産業革命」 と呼 び,資本主義 の三大主要段 階の最後 に位置づ け ている。ハ ラウェイの図式 によれば,世界経済 の発展史 とイデオロギーや家 族形態の変遷 との関連 は,以下の とお りである 。
資本主義 の発展段階 初期産業資本主義 独 占資本主義 多国籍資本主義 支配的イデオロギー 民族主義 帝国主義 多国籍主義
支配的美学 リア リズム モダニズム ポス トモダニズム
家族形態 家父長制核家族 近代家族 ホーム ワー ク .エ コ ノミーの家族
「ホームワーク ・エ コノ ミーの家族」 とハ ラウェイが名づ ける家族形態 は, やや不明確 で はあるが,その極端 な例 は,「 女性 を首長 とし一夫一婦制 を継続 す るも,やがて男性が逃走 して老女 ばか りにな りかねない空間 ( 82) [ 1 9 4 ]」
で ある。 ではなぜ その ような事態の生来が予想 され るのか,順 を追 って考 え てみたい。
経済のグローバル化 とい う側面か ら見た場合,≪ 労働力 の女性化≫とい う現 象 はまず資本 の多国籍化 による新 しい国際分業 の展開か ら起 こっている。特 に 7 0 年代初頭 の中心部資本主義 の貯蓄 の危機以来,大企業が複数国へ プラン トを設置す ることによ り,従来中心部 に集 中 していた製造工業が,周辺部へ 移転 され るようになった。 この状況 は, NI DL( t heNe wl n t e r na t i o na l Di vi ‑ s i o no fLa bo u r ) とい う概念 で定式化 されているが, この生産過程 の再配置
によ り,移転先での安価 な労働力市場が開拓 され ることにな り,熟練度 を要 しない理想 的な現業労働力 として, 「 有色人女性」,つ ま り第三世界 の女性が
≪ 再発見≫され ることになったのである 。 特 に,若年女性労働力 に対 す る選別
的 な需要が見 られ る。 この ような世界経済への第三世界 の女性労働力 の統合
は, フォーマル ・セクター, インフォーマル ・セクターそれぞれの局面で起
きているが,いずれ にせ よその背後 には,文化的 な背景や性差別,人種間題
等,様々 な問題が錯綜 して存在 していることは明 らかで ある。
ポスト・ヒューマン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話
113その種 々の問題点 は,最近様々 に指摘 されてい るが,概 ね次の ようにま と めることがで きるだ ろう
。① 周辺部,いわゆるオ フ ・シ ョアにお ける女性 の労働力 は,労働集約的生 産過程 における ≪半熟練 ・未熟練≫現業労働力 として集 中的 に充 当されてい るため,女性が技術的熟練度 の ヒエ ラルキー に参入す ることを困難 にす る 。
また,経営 ・管理 といった事務 の諸部門へのセクター移動 もない。つ ま り, 本来多様 な労働 力が世界 的企業組織 へ統合 され る ことに よ り,性別 セグ リ ゲー シ ョンや職業 セグ リゲー シ ョンが生 まれ, それ らが重層的 ヒエラルキー の内に固定化 されて しまうことになる。 また, この国際的 ヒエ ラルキーの末 端 には,国際的下請性 による家族労働 や,家 内作業場 における賃作業がある
ことも忘れてはな らない。
② これ らの女性労働力 は, その他 の労働力 と較 べ,景気変動 のバ ッファー ( 緩衝装置)として扱われ る割合 が高 い。最近 の女性労働者 は,景気後退期 な どに失業 して も非労働力化せず,労働予備軍化, あるいはセ ミ ・プロレタ リ アー ト化 して市場 の他地域へ拡散 ・移転 してい く動向を示 している O 要す る に女性労働力 は重層的 ヒエラル キーの末端 に固定化 され るだ けで はな く, そ の外部 に押 しや られ る危険性 を季 んでいるのだ。
③ 第三 の問題 は,労働力の空間移動 に関わっている。オ フ ・シ ョアにおけ る安価 な労働市場 の確立 は,たいてい農村 か ら都市部への膨大 な労働力移動 を伴 ってい る。 これ らの労働力が,農村 ・生活維持経済か ら都市 ・貨 幣経済 へ と吸引 され ことによ り,生活維持経済の困難化が引 き起 こされ る。 また, 労働力 の側 か ら見れば,いったん賃金 に依存す る生活 に引 き入れ られたのち, 仮 に突如現金収入 の手段 を失 って も生存経済への帰還が困難 になるわ けで, 女性 の産業予備軍化 ・セ ミ ・プ ロ レタ リアー ト化 は,都市部 にお け るイ ン
フォーマル ・セ クターでの様 々 な就労 の肥大化, あるいは労働力 の国際的移 動 とい うかたちで現れている。
④ 女性労働力が限 り無 くセ ミ・ プロレタ リアー トに近 い とい う問題点 には,
家父長制 とい う,資本制 とは別 の制度が絡 んでいる。ヴェロニカ・ヴィ‑テ ィ
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人 文 研 究 第8 9
輯の主張 による と,高度資本主義社会 にあって も,農村周辺部や低開発国 にお けるの と同様 に,女性 に対 しては資本が労働力 の価値以下の賃金 しか支払 っ ていない。とい うのは,社会が結婚 している男女 を連結所得基準 の単位 とし, その うち男性 ひ とりのみを生計維持者 とみな しているため,資本が労働力 の 再生産費用 の一部 を女性 たちに対 して払わず に済 ましているか らで ある
(6)0 つ ま り,周辺部 の労働力が都市部 に移動 して きて も,解体下 の生存維持経済 が内部化 していた労働力再生産維持機能 は,都市部 において代替 ・再生 させ られ るに過 ぎない。 ヴ ィ‑チ イは女性労働力のセ ミ ・プロレタ リアー ト化 と い う現象 に資本制生産 ( 資本一賃労働 関係) と家父長制 の結節点 を見 ている が, その分析 の射程 には,女性 とともに「 経済学批判 の盲点 をなす
(7)」と言わ れ る第三世界 ・外 国人労働者 の問題 も含 まれてい る。 ここで も有色人女性 は 複数 の問題 の結節点 に立 っているのである。
この ように見 て くる と,≪労働力 の女性化≫とい う現象 は, NI DL によって 注 目を浴 びてい る有色人女性 に とってです ら,社会参加 と就業機会 の増大 な どとい う喜 ば しい事態で は決 してない ことがわか る 。 問題 は家父長制 に代表 され る文化や社会制度,人種 的問題 な どが絡 み合 った,外 見以上 に複雑で組 織 だ った もので ある。 いずれ にせ よ女性 は,新たな労働市場で再統合 されて もなお,特殊 な規定性 を帯 びた労働力 として位置づ けられてい るので ある。
しか も,く 有給職場〉にお ける女性 の立場 をさらに考察 してい くと,労働市場 の再統合 と 〈女性化〉のターゲ ッ トはなに も女性 とは限 らず, その影響 はさ
らに大 きい ことがわか って くる 。
4 .ホ ーム ワー ク ・エ コ ノ ミー
ヴ イーテ ィは,女性労働力 のセ ミ ・プロレタ リアー ト化が,オ フ ・シ ョア
(6 )同上 ,1 4 貢。
(7)C. Ⅴ. ヴェールホ‑フ 『 家事労働 と資本主義』丸山真人編訳,岩波書店 ,1 98 6 ,
1 4 5 頁。
ポス ト・ヒューマン時代の政治的想像力,あるいはアイロニカルな神話
115にお け る現業労働 の現場 のみな らず,資本制 の中心部 にあた る高度 資本 主義 社 会 にお いて も起 きてい る と主張 した。例 えば シ リコ ン ・バ レーの よ うな全 米 エ レク トロニ クス産 業 の中心地 に関 して も,性 別 お よび人種 別 にひかれた 線 によって労働者 の職種 な い しラ ンクが裁 然 と区別 され てい る とい う事 実 が 指摘 され てい る( 8 ) 。が,経 済 のサ ー ビス化 に よる≪労働 力 の女性 化≫によって,
これ らのセグ リゲー シ ョン も流動化 してい く傾 向 にあ るので はないか,「ホー ム ワー ク ・エ コノ ミー」が問題 にす るの は主 に この点 で あ る 。
「ホーム ワー ク ・エ コノ ミー」 とい う用語 は, シ リコン ・ヴ ァレ一 ・ワー ク シ ョップ ・グルー プの 1 9 83 年度大会発表 にお ける リチ ャー ド・ゴー ドンの定 義 に拠 ってい る 。 ゴー ドンは,労働 市場 の世界 的規模 の流動化 と変質 の状 況 を 「ホーム ワー ク ・エ コノ ミー」 と呼 んだ。 もち ろんそ こにはエ レク トロ二
ホ ‑ ム ワ ‑ ク
ク
ス産業 との関連 で浮 かび上 が る文字 どお りの家庭 内職 ‑家庭 内仕事 現象 の 意味 が含 まれてい るが,実際 にに彼 が この造語 に到達 したの は,以 前 な ら女 性 に しかで きない とされた仕事 が あ るけれ ども, それ と同 じ特徴 を広義 に含 む仕事 を再解釈 した ら, まさに この名 で呼 べ ないか と発想 したた めで あ る 。
ハ ラウ ェイ はゴー ドンの用語 にさ らに ≪労働 力 の女性化 ≫ とい う文脈 を付与 し, 「ホーム ワー ク ・エ コノ ミー」 の も とで は労働 は,‑ 主体 が男性 だ ろ う が女性 だ ろ うが おか まいな しに ‑ 文字 どお り女性 的 な もので あ る と同時 に 女性化 された もの として再定義 されつつ あ る, と指摘 す る。
テ クノ ロジー の発展 ‑ 複雑 な生産過程 の比較 的単純 な単位行程 へ の分割 や,生産 の立地 と管理 の地理 的距離 の制約 か らの解放 な ど‑ に よって,労 働 形態 はず っ と多様化 す る ようになった。単純作 業がか つて特別免 除 を受 け た労働 者 に対 して も新 た に適 応 され るよ うにな った り, 高度 な技術 を要 す る 新 た な分野 が現 れた り,男女 を問わず, かつて技術職 を免 除 されていた者全 員 に対 して, その技術 が求 め られ始 めてい る ( 7 2) [ 1 9 0 ]。 この [ 労働 形態 の
(8 )森 田桐郎 ・木前利秋 「同上 」8 頁。
116
人 文 研 究 第 8 9
輯多様化] は,新 しいテクノロジーが可能 にす る内職的家庭 内工場 や,家庭 内
テレコミュ‑テイング
事業,在 宅 勤 務 やエ レク トロニ クス・コテー ジの出現 といった面 に も現れて いる
。つ ま り,労働 や通勤 の形態が ある種 の フレキシビリテ ィを帯 びるよう になったのである。 それが フル タイム塑労働 か らパ ー トタイム型労働 の転換 を容易 にし, いわ ゆる主婦労働力 の自発 的 フレキシビリテ ィの活用 と,企業 の利害 による 「 雇用 のフレキシビリテ ィ戦略」 とが相 まって,多大 な労働力 リザー ブを可能 とす る [ 労働市場 の流動化] を招 くようになった と言われて いる 。
また,経済 のサー ビス化 による労働市場 の変化 も見逃せない。従来 の主力 ・ 伝統的製造業が衰退 し, 脱工業化 の過程が進行 す るにつれ,高度 な生産者 サー
ビスが拡大 され ることにな る 。 そ して人 的サー ビスの重要性 が増 し,営利活 動 として社会 的 に組織 され るようにな る。ところが これ らの人的サー ビスは, 往々 に して多様 な形態の人 間の再生産労働 に係わ っているため, それ らが営 利活動化 され る過程 で,「 主婦 の仕事 の焼 き直 し」ともい うべ き多様 な低賃金 職種が うまれ, ジェンダー ・バ イアスによる新 たなセグメ ンテー シ ョンが形 成 され る
(9)。この ような状況 を,アメ リカの フェ ミニス トたちは,私的な家父 長制か ら公的な家父長制への変遷 で もある と見 てい る 。 特 にサー ビス ・セク ターや労働力 の再生産労働 に係わ るか ぎ り,女性 は労働者 とい うよ り奉仕者 として見 なされ, その労働価値以下 の賃金 しか支払われない可能性 が高 い。
そ して, これ ら 〔 労働形態の変化〕や 〔 労働市場 の流動化〕の荒波 を被 る のは,前述 の とお り女性 ばか りで はない。 新国際分業や資本 の リス トラクチ ャ リングによって職 を失 うの は,有色人女性 の ライバルである男性 プロレタ リ アー トや, もし くは旧世代 の男性 たちか もしれないのだ。ハ ラウェイに言わ せれ ば,女性化 された労働 とは, 「 構造的不完全就業状況」とほぼ同義である ( 75) [ 1 91 ]。つ ま り,広義 の意味での ≪労働力 の女性化≫ は,女性 が 《 賃労
(9 )竹 中恵美子 ・久場子編 『 労働力の女性化』有斐閣 ,1 994 ,2 9 8 貢。
ポス ト・ヒューマン時代 の政治的想像力,あるいはアイロニカル な神話 117
働本隊化 ≫す る一 方でお こる賃労働 の風化 あるい は ≪ 疑似 一主婦化≫, また高 給雇用 の集 中 と大量 の労働者 階級 の低賃金職種 への転化 お よび失業 の可能性 等々の広範 な現象 を名 づ けて言 う概念 なのであ る。彼女 は言 う。「 女性化 され る とい うことは, はなはだ虐待 されやす くなる とい うことだ。 それ は予備労 働 力 として解 体 され再 構 築 され, ひ い て は搾 取 され る可 能 性 を孝 む ( 7 2 )
[ 1 9 0 ] 。」
この ような状況下での再生産労働 は,公 的 な家父長制 に組 み込 まれ る一方 で,女性 の M 型 労働 に見 られ るように再私化 された りもす る。 もとよ り家父 長制 には,資本制生産様式 の次元 には とどまらない契機 が あ るが, さ らに男 女関係 は とい えば,家父長制 の次元 で も捉 え られない局面 を持 ってい る 。 ハ ラウェイ は, アメ リカの黒人女性 は 「 黒人男性が構造的不完全就業状況 に突 き落 とされれ ば どうい う事態 にな るか とい うこ とを,ず いぶ ん前か ら知悉 し ていた ( 7 2 )[ 1 9 1 ]」 とい うが, はた して 「ホーム ワー ク ・エ コノ ミー」 にお ける家族 お よび男女関係 は, どの ように形態 を変 えてい くのだ ろうか。 い ま や 自分た ち こそが家族 のための現金 を運ぶ最大 の資源 となった有色人女性 た ちは,土地 の所有が次第 に困難 になってい くにつれ, どの ような 「 家庭」 を 持 つのだ ろうか。 「ホーム ワー ク・ エ コノ ミーの家族」 において,われわれ は 新 たな家族 のかたち を意志的 に創造 してい くことがで きるだ ろうか。 あるい はハ ラウェイが多少悲観 的 に想像 す るように,男女が新 しい家族 関係 のヴ ィ ジ ョンを形成 で きぬ まま, 「 家族 」あるい は 「 家庭」とい う形態 か らやがて男 女 の どち らかが逃走 す るような事態 を,果 た して本 当 に招 くことにな るのだ
ろうか。
「ホーム ワー ク・ エ コノ ミー」 とい う用語 を使 ってハ ラウェイが指摘 しよ う
としてい るのは,工場 ・家庭 ・市場 が そ ろって新 しい規模 の労働 システムの
中 に統合 され,女性 の立場 が重要 になって きた とい う事実以上 に, そ こに生
起 す る新 たな男女関係 の意味 を探 りつつ, この状況 を分析 す る ことの重要性
なのであ る 。 この ≪ 労働 力 の女性化≫ とい う問題 は, フェ ミニ ス ト ・サイエ
ンスの可能性 をめ ぐる探究 の一側面 に しかす ぎないが,資本制 と家父長制 の
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輯結節点 をなすだ けに,重大 な意義 を持 ってい る。特 に家父長制 の再編成 には, よ り多 くの問題提起 が な されな けれ ばな らない。いずれ にせ よ,「これか らは い ままで以上 に多 くの女性 や男性 が同種 の状 況 を聞 うだ ろう
。( 7 6 )[ 1 91 ]」
とハ ラウェイ は言 う。人種 ・性差 ・階級 にわた って,新 た な統一体 をめ ぐる 基盤 が生 まれた こ とには,期待 を寄せ て よいか も知 れない。が,多 くの差異 の境界線 を縦横 に横 断 して起 こる この状況変化が, それ らの境界 を一見溶解 せ しめるように見 えて実 は再 固定化 す るにす ぎないので あれ ば,ハ ラウェイ の言 うように,「 性差横 断 し,人種 同盟 してい くことこそ,た とえ愉快 で な く
とも必要 な条件 となる ( 7 6 )[ 1 91 ]」 こ とは確 かだ ろ う。
5 .分 裂 ・融合 す るサ イ ボ ー グ主体
ハ ラウェイが,集積 回路上 の七 つの空間 を挙 げてい るの は,新 た なるテク ノロジー によって媒 介 され促進 され る社会 関係 が, それぞれたが いに包含 し あってい る これ らの空間 にいか な るイ ンパ ク トを もた らすか を示 し,サバ イ バル のための分析 と実践 の方法 を模索す るた めであ る 。 彼女 の指摘 す る代表 的 な変化 の状況 をい くつか挙 げてみ よう 。
( 家庭〉:家庭 内事業,在宅勤務 等 の出現
: 「ホーム ワー ク ・エ コノ ミーの家族」 の出現
( 市場〉:既成 のマスマーケ ッ トに依存 しない非公式 な市場 が増大 し, 購買力が多層化 す る。
:国家 間の競争 レースのた めの消費活動 が高 まる :人 間経験 の経済 的抽象 ( 商 品化)が強化 され る く 有給職場〉:労働 者階級 の国際的再編成
:大半 の労働 が 「 周縁的」 とな り 「 女性化」 され る
:定職 の経験 も見込 み もな く貯蓄 もない人々が世界 的 に増加
〈国家〉:社会保障制度 の崩壊が続行 す る
:監視 と管理 の増長 に伴 う脱 中心化が起 こる
( 学校〉:科学 を母胎 にす る多国籍企業 が教育 ( 特 に高等教育) の経営
ポス ト ・ヒューマ ン時代 の政治的想像力, あ るいはアイロニカルな神話
119 管理 に赴 く
:反科学的 ・神秘主義 的カル トへの関心が高 まる く医院 ・病院):健康 を国家 の責任 にす る闘争が激化す る
:個人的な肉体経験 を伝 える様々な一般的メタフ ァーが再検討 され る
:女性 自身 による生殖 ‑再生産関係 のコン トロール,未 だ実現 な らず
く 教会〉:政治闘争 にお ける精神性 は,性 と健康 の問題 とにか らんで, なお も妥当性 を失わず にい る
ところが彼女 は, これ らの変化 の特徴 を列挙 した後で, その相関 を探 る分 析 の困難 さをあっさ りと認 めて しまう 。 まるで,われわれが経験 している変 化 のダイナ ミズムを理論 によって構築す ることを, ほ とん ど放棄 して しまっ
ているかの ようである 。 彼女 は言 う。
科学 とテクノロジーの社会 関係 にか らんで世界 中で経験 されている圧制 は 苛烈 をきわめている。 けれ ども人々が何 を経験 してい るのか は,い まひ と つ判然 とない。わた したちにして も,経験 に関す る有力 な理論 を集合的 に 構築 しなけれ ばな らない とい うのに, そのために役立 つ手がか りが,い ま ひ とつ欠落 しているのだ。マル クス主義,精神分析, フェ ミニズム,人類 学 ・ ‑・ ・ あ らゆる方面 か らわた したちの経験 を明確化 しようとす る努力が重 ね られ て きた ものの, その結果 は, どうも伸 び悩 んで い るので あ る ( 9 0)
[ 1 9 6 ] 。 」
実 はこの焦燥感 の背後 には,経験 を語 るための方法論 に対す る彼女 の深 い
懐疑 が横 たわっている。マル クス主義や精神分析や フェ ミニズム といった理
論が, これ まで集合的 に補完 しあって理論 を構築 して きた とい うよ り,理論
の統一性 を追求 す るあ ま り互 い を排 除 して きた とい う認識 が あ るか らで あ
る。理論構築 の必要性 を認識 しつつ も, その統一性への志向 は拒否 したい と
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輯い うハ ラウェイの ジレンマが ここに現 れてい る とも言 えよう。 しか し, と彼 女 は問 う。経験 を集合的 に語 るのに,全体性 や統一性 を前提 とす る必要が あ
るだ ろうか。
われわれ は,確 か に科学 とテ クノロジー を対象 とした社会主義 フェ ミニズ ムの政治学 を切望 してはい るが, その際 「 単一 の主体 が 自己確認 で きる もの と考 えるような立脚点 は捨 てな けれ ばな らない ( 82)[ 1 94 ]。 」あ るの は自己確
デ ィ ア ス ボ ラ
認 な らぬ主体分散 , そ して言わ ば国外離散 の状態で ある。 その ような状況で いか に生 き抜 くか, それがわれわれの勤 めで ある, と彼女 は言 う 。 サイボー グ ・ポ リテ ィクス にお けるあ りうべ き主体 を,ハ ラウェイ は くサイボーグ主 体〉 と呼ぶ。 自然化 された母系や源始 の全体性神話 とは無縁 の この主体意識 は,単一 の立脚点 を必要 としない。 それ に対 して 「フェ ミニズム諸派 とマル クス主義諸派 は,革命的主体 を構築 しな くて はな らない とい う西欧的な認識 論 的要請 に こだわ るあ ま り, その上 に座礁 して しまった。 その所以 は,彼 ら の支点 とい うのが, あ くまで も抑圧 の階層秩 序 を中心 とす るか, そ して/ も し くは倫理 的優越 ・無垢 ・自然への接近 とい う潜在 的立場 を中心 とす るか, その一 方/双 方で あったせ いだ。 ( 9 9) [ 200 ]」
統一性 の分裂 に, 当惑 を覚 える向 きが多 い ことは,ハ ラウェイ も認 めてい る。 しか し, サイボーグ ・ポ リテ ィクス とは, む しろ分散 と融合 の美学 であ
アイデンティテイ アフイニティ
る。サイボー グ主体 は同
一性 よ り類縁性,統一性 よ り多様性 を志向す る 。関 係性 は熱望 す るが,全体論 には警戒す る 。 統一戦線 は受 け入れ るが,主導的 党派 を必要 とは しない。「 融合 によって,男性 や ら女性 や らとい うカテゴ リー は疑 わ しい もの とな り,欲望 の構造, すなわ ち言語 と性差 を発生 させ るよう 仕組 まれた効果 は粉砕 され ( 98) [ 1 99 ]」 る 。 また,分裂 のなかか らいか に多
くの快楽 や経験,そ して権力が生 まれ て きたのか,しか もそれ らが いか にゲー ムのルール変更 さえ実現 しかね ない可能性 を秘 めてい るか ‑ その点 を精 密 に理解 す る ことこそ真 に求 め られ てい る, とい うのがサイボーグ ・ポ リテ ィ クスの主張 なので ある。
そ もそ も,ハ ラウェイの考 える支配 の情報工学 とは,「 弱者 のた めのサバ イ
ポス ト・ヒューマ ン時代 の政治的想像力, あるいはアイロニカルな神話
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パル・ネ ッ トワー クをどれひ とつ完成 させ ない ものである ( 8 8 )[ 1 9 6
]。」 テ ク ノロジー によって媒介 され る社会関係 のネ ッ トワーク内部 には,「い ささか も 女性 のための 「 場所」 は確保 されていない,単 に,女性 のサイボーグ主体 に は不可欠 な差異 と矛盾 の幾何学が み られ るばか りである ( 8 2 )[ 1 9 4 ]。」この差 異 と矛盾 の幾何学 を学 び,権力網や社会生活網の読 み方 を知 ることが, きた
るべ き連帯や組合せ について学ぶ道 なので ある。
6 .′ サ イボ ー グ ・ジ ェ ンダ ー
統一的理論 に対す るハ ラウェイの懐疑 の根 は深 い。 フェ ミニズム理論 とし て見た 「サイボーグ宣言」 も,従来 のフェ ミニズムに対 す る批判 か ら始 まっ ている と言 って も過言ではない。 フェ ミニズムの歴史 は, あたか もイデオ ロ ギー をめ ぐる各派の長期闘争 の ご とき様相 を呈 してい る 。 とりわ け,女性 の 一般経験 か らの逸脱が起 こった場合 にそれ を監視 す るようなフェ ミニズム分 類学 を,ハ ラウェイは否定す る。 いかに して分類学的同定 に頼 らず に,詩的 で政治的 な理念 を構築 す るか, それがサイボーグ ・ポ リテ ィクスの課題で あ る とハ ラウェイは考 えている。
そ もそ もフェ ミニズム は, 「 西欧的人間像」をひ とつの 「 物語」にして しま う点 において,ポス トモダ ン と深 く通底 した精神 である。それ は,家父長制 ・ 植民地主義 ・ヒューマニズム ・実証主義 ・本質主義 その他 な くもがなの大義 名分 を破壊 しなが ら, それ と同時 に,代替案 としての有機的立脚点 に対 して さえ疑問符 をつ きつ けるような,アイロニカルな闘争である 。 従 って フェ ミ ニズム諸派 も,結局 自 らの認識論的戦略 を抜本的 に見直 してはじめて, あ り
うべ き理念構想へ向か う必要条件 を満たす ことになる
。肉体が いか に歴史的 に構成 された もので あるか, フェ ミニス トたち は痛感
してはいるが, なによ りも 「 女性」 とい うカテゴ リー 自体が無垢 な らざる も
のである ことを認識せねばな らない。 その点 において, ガイノク リテ ィクス
やガイネー シス といった従来 のフェ ミニズム は批判 され るべ きだ, とい うの
がハ ラウェイの考 えである 。
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輯例 えばガイノク リテ ィクス は, 「 女性理念」といった一般化 に頼 らず に,女 性 の経験 を歴史的 ・個別 的 に記述す る ことを目指 して はい るが, サ ブ ・カル チ ャー としての枠組 みを与 え られた 「 女性 の文化」 は,実 は親和力 を誘 導す る言説機構 によって人工 的 に産 出 され てい る, とハ ラウェイ は言 う 。 しか も ガイ ノク リテ イクス派が その課題 とす る女性 による文学史 の分析 や修正 は, 分析者 の性差 に関わ る問題 を残 した ままで ある
。一 方 ラデ ィカル ・フェ ミニズムが前提 とす る女性 の非在性 の主張 も, 「 西欧 的 な書 き手 であ るか ぎ り,彼/彼女が他者 を取 り込 もう とした ら,他 には有 り得 なか った ( 5 7) [ 1 8 4 ]」 手段 で はあ るか も知れ ないが,や は りそ こにはあ らか じめ全体化志 向が組 み込 まれてい るが ゆえに, まさにそれが「 女性理念」
とい う目的 を成就 しようとす る。 その ような批評 は,性 の一方 を指示対 象 に す る構 図か ら逃 れ ることはで きない。
ハ ラウェイが最 も手厳 し く批判 す るの は, ク リステヴ ァに代表 され る精神 分析 の応用や普遍化 の傾 向であ る。彼女 の考 えで は, それ らは社会 関係 にお ける女性像 を分析 困難 にす るばか りか,性差形成や性差社会 の諸側面 を説明 した り認識 した りす る ことさえひ ど く困難 に して しまう。系譜学確立 を目論 む これ らの政 治的分類 のなかで は,歴史 と多様性 は結局消滅せ ざるを得 な く なって しまう 。
それ に対 し,サイボーグ ・フェ ミニズムが主張す るの は, もはや統一 的な 母型 が あったな どとは前提 に して はい けない こと, そ していかな る構築 も完 全 で はあ りえない とい うことで ある
。そ こで登場 す るのが(サイボー グ・ジェ
ンダー) とい う概念 だ。 これ は,後 のサイバ ーパ ンクに影響 を与 えた と言わ
れ る 70 年代 の フェ ミニ ス ト SF か ら発想 を得 て お り,機械 と人 間 のハ イ ブ
リッ ドや キ メラた ちが多 く活 躍 す るのが それち の作 品 の特 徴 で あ る 。 ハ ラ
ウェイが着 目した のは, そ こに登場 す るサイボーグたちが,サイボーグであ
るに も係 わ らず,香 , まさにサ イボー グであ るが故 にジェンダー を持 つ とい
うアイロニー と, それが ジェンダー を決定 す るポ リテ ィクス を逆照射 す る と
い う事 実で ある
。彼 らの ジェンダー は,性差 を発生 させ る もの とその効果,
ポス ト ・ヒューマ ン時代 の政治的想像力, あるいはアイロニカルな神話
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言 わ ば性 差 のサ イバ ネテ ィクス を判 じ絵 の よ うに象 り出 して ゆ く。 ジェン ダー を持 ったサイボーグは,否定 の論理 か ら抽 出 された有色人女性 の姉妹 た ちだ。女性 はみんなサ イボー グ ・ジェンダー を持 つ, とハ ラウェイ は言 う
。セックス
その意味 す る ところは,
「性 とい う自然 」 を 「ジェンダー とい う文化」 で再
セ ックス