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国際政治学と音楽(2) ――イギリス非公式帝国と「伝統の創造」――

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【研究ノート】

国際政治学と音楽(2) 

――イギリス非公式帝国と「伝統の創造」――

半 澤 朝 彦

1)はじめに

「国際政治学と音楽(1)」では,リアリズムの 国際関係観を軸に,国際政治学と音楽との関係を 考えた

(1)

。本稿では,帝国論との関連で音楽を論 じてみたい。音楽には集団のアイデンティティを 鼓舞し強化する働きがあり,ナショナリズムとの 関連は比較的イメージしやすいだろう。ただ,非 物質である音には越境性・拡散性も顕著で,情報 や人の移動に伴って国境をやすやすと越える。ま た,どのような音や音楽が求められ,より消費さ れるかによって,広域的な価値のヒエラルヒーが 現出する。ここでは,中心=周辺関係を伴ってグ ローバル化する音(楽)の権力性を考察する。

ジョセフ・ナイが人口に膾炙させたソフト・パ ワーの概念は,帝国論においても有効である

(2)

。 ソフト・パワーは,ヘゲモニー国家のハード・パ ワーを補完するものであり,そのまま非公式帝国 論における中心国の文化的ヘゲモニーに読み替え られる。非公式帝国論は,国際法上の公式植民地 にとらわれず,より広い範囲の経済的支配関係に 着目したロビンソンとギャラハーの初期の議論か ら,ケインとホプキンスによる,エリートの文化 的紐帯を軸としたジェントルマン資本主義論へ発 展した。しかし,音楽を視野に入れた議論はごく わずかである

(3)

エドワード・サイードのオリエンタリズム概念 も深めるべきだろう。音楽のオリエンタリズムは,

モーツァルトの「トルコ行進曲」やプッチーニの

「蝶々夫人」から,アメリカの保守系メディア

FOX テレビの報道番組でアルカイダの話題になる とバックに流れる半音階的な「アラブ音楽もどき」

まで枚挙にいとまがないが,システマティックな 研究は少ない

(4)

。音楽にも精通していたサイード だが,『文化と帝国主義』『オリエンタリズム』で 扱われるのは主に文学や演劇である

(5)

グローバルな帝国システムにおいて,音楽のソ フト・パワーは「クラシック(古典)音楽」と「大 衆音楽」の二層から成る

(6)

。前者は,イタリア・

バロックを起源とするが, 19 世紀半ばにベートー ヴェンに代表されるドイツ音楽を頂点とした「高 級音楽」として,グローバルな文化的権威となっ た。その背景には,ドイツ国家の形成だけではな く,イギリス非公式帝国の発展が大いに関係して いる。 「クラシックの成立」は,非公式帝国におけ る「伝統の創造」だったのである。

一方「大衆音楽」は, 「クラシック音楽」と相互 に影響し合いながらも, 「普遍性」を標榜する「ク ラシック音楽」のアンチテーゼとして,ケルトや アフリカなどの音楽的要素とより明示的に結合し,

民主化や脱植民地化の響きをまとって展開するこ とになる

(7)

。 「民衆の音楽」はいつの時代にもあっ たが, 「大衆音楽」は産業社会,情報化社会が到来 し「大衆」が出現して初めて誕生した

(8)

。つまり,

「大衆音楽」もまた,グローバルな中心=周辺関 係を伴う資本主義システムの申し子である。

「クラシック」と「大衆音楽」は,同じコイン

の表と裏として, 19 世紀の資本主義体制の中で同

時に出現した。その経緯を理解するには,資本主

義のグローバル化と音楽との関連を考察する必要

がある。その際,音楽を欲するマーケットの側の,

(2)

欲望や消費,大衆化といった概念がカギとなる。

また,作曲家や演奏者の国境を超える移動,楽譜 や録音などの技術革新も見逃せない。なお,本稿 では「伝統の創造」までを扱い, 「大衆音楽」や賛 美歌,ブラス音楽,ミュージカルなどについては 別稿に譲る。

2)欲望と資本主義

近代資本主義の成立と拡大については,マルク ス,ウォーラスタイン,ブローデルらのさまざま な歴史観を検討すべきだが,音楽との関連では,

ウェーバーと並び称された経済史家ゾンバルトの 議論が手掛かりとなる。ゾンバルトは,16 世紀に 始まる資本主義の爆発的発展の原因を,この時期 の西洋における個人の「欲望」の肥大化,具体的 には,宮廷と都市の虚栄に牽引された「奢侈」の 爆発的増大に求めた

(9)

伝統的な歴史観では,中世後期から農業生産力 が向上し,過剰生産物の蓄積が産業革命と通商拡 大を生んで近代的な資本主義が形成されたと捉え る。マルクス主義では,農業から工業へというヨー ロッパ内の生産関係の変化を軸に説明する。また,

植民地を視野に入れたウォーラスタインの世界シ ステム論では,「中心」による「周辺」「半周辺」

の一次産品の構造的搾取に注目する。しかし,石 炭や石油,鉱物など工業生産の原料確保が問題と なるのは,産業革命が本格化した 19 世紀以降であ る。資本主義の勃興期にアジア,アフリカや新大 陸などから運ばれた主要な品目は,貴金属,ガラ ス,コーヒー,茶,砂糖,陶磁器,象牙,香辛料 など,ほとんどが第二次産業はおろか,人間の基 本的な生存に不要な奢侈品ばかりなのである

(10)

。 なぜ,資本主義の初期に奢侈がそれほど流行し たのだろうか。それに答えるには,生産面ではな く,消費する側の事情,つまり欲求・欲望に着目 しなくてはならない。ゾンバルトは,中世末期の 戦乱を経て「成金的」な新興階級がフランスやイ ギリスなどで絶対王政を支えたこと,そして,ル ネッサンス期に個人の享楽や自己実現を求める欲 望が解き放たれたことが奢侈拡大の原因と論じる。

とりわけ,男女関係を宗教的な束縛から自由にし た「愛の世俗化」は重要で,貴族や裕福な商人な ど支配階級を先頭に,女性をキーワードとする奢 侈が発展した。その中で,女性がより主体的とな る屋内的奢侈の割合が増え,さまざまな分野で「感 性化・繊細化」の傾向が生じた

(11)

こうしたことが,近代的な「芸術」の揺りかご となった。宮廷や豪商の居館を核として,欧州に は巨大な消費都市がいくつも誕生する。音楽は絵 画や建築のような物質ではないため,その重要性 を認識するには想像力が必要だが,サロン・愛妾 文化が栄え,手の込んだ儀礼・行事が日常化した 宮廷,都市の劇場やダンスホールなどにおいて,

音楽は中心的で不可欠の役割を担った。すでにル ネッサンス期には,権力者が催す様々な種類の宴 会の規模と洗練度は中世より格段に高まり,プロ フェッショナルな楽師や役者の演奏・舞踏が一般 化していた

(12)

。のちに「クラシック音楽」と呼ば れる洗練された芸術音楽や,バレエ・歌劇など音 楽と一体の大掛かりな芸術・芸能の最初の消費者 は,貴族や豪商,聖職者といったエリート階級で あった。

この時期には,民衆の欲望は資本主義の発達と ほぼ無関係であった。社会勢力としての「大衆」

の出現は,イギリス・アメリカが主導する 19 世紀 以降の産業資本主義・情報化社会の成立を待たね ばならない。資本主義の初期に重要だったのは,

エリートの欲望なのである。

3)イタリア音楽のヘゲモニー

近代の政治経済=音楽史を,欲望と消費を軸と した資本主義史として捉えると,地中海世界と北 方ヨーロッパのゲルマン世界から説き起こすこと になる。イギリス・アメリカの非公式帝国の時代 になってから,西洋音楽のソフト・パワーの頂点 をなしたのは主にイタリアとドイツで生まれた音 楽だからである。イタリアとドイツの音楽こそが,

最初に資本主義的に流通したのであり,それらに

「クラシック(古典)」の地位を与えたのは,アン

グロサクソンの非公式帝国の論理である。

(3)

しばしば,近代史の叙述は「地理上の発見」つ まりポルトガルとスペインの帝国による非ヨー ロッパ世界への進出から始まるが,これは,伝統 的な資本主義の理解に基づくアングロサクソンの 旧弊な「進歩史観」的バイアスに見える。つまり,

ポルトガル,スペイン,オランダ,イギリスの順 でグローバルな海洋帝国が興亡し,国内産業の育 成に成功した最後のイギリス帝国が最も「進化」

した形である,ヴェネチア帝国やオランダは,生 産しない「商業資本主義」に過ぎず,イギリスの ように資本を蓄積して産業革命や金融支配につな げられなかった,というわけである。

これに対して,資本主義の発達との関連で 16 世紀の地中海世界に着目したのが,アナール学派 のブローデルである。マルクスが生産,ゾンバル トが消費なら,ブローデルは,生産と消費をつな ぐ「流通」に焦点を当てた。大著『地中海』など において,彼は,地中海こそが資本主義の発祥地 と主張する。プロテスタンティズム,ピューリタ ニズムの精神こそが資本主義を飛躍させたとする 有名なウェーバーのテーゼに対して,ブローデル は, 「北ヨーロッパ諸国はただ,それ以前に,長き にわたって繁栄し続けてきた地中海沿岸の資本主 義の古い中心が占めていた地位を引き継いだだ け」と反論し, 「アムステルダムはヴェネチアを模 倣し,ロンドンはアムステルダムを模倣し,そし てニューヨークがロンドンを模倣する。そこで起 こった変化とは,いつでも,資本主義固有の,あ るいは,その秘められた本質に何ら関わらない,

単なる経済的な理由による世界経済の重心の移動 というだけ」と指摘した

(13)

現在のイタリア国家に相当する地域は,ローマ,

ナポリ,ジェノヴァ,フィレンツェ,ミラノ,ヴェ ローナ,マントーヴァ,ヴェネチアなど,ルネッ サンス期にはヨーロッパ中で最も奢侈が盛んであ り,音楽や音楽家が最も生産され,流通する場で あった。もちろん,ルネッサンスまでは,宗教音 楽や芸術的な世俗音楽ではフランスやフランドル なども重要であり,欧州各地に点在する宮廷や修 道院がネットワークを形成して音楽や音楽家が相 互往来していた。ただ,ミンネザンク(中世の恋

歌)を歌う抒情詩人を最も輩出したのはイタリア,

五線記譜法を中世後期に考案したのもイタリア人 修道士である。そして,16 世紀にはイタリアでい ち早く楽譜出版が始まった。

1537 年にはナポリに最初の音楽学校が設立さ れ, 16 世紀末までに同市に四つの音楽学校ができ た。ヴィヴァルディが勤めていたことで有名な ヴェネチアのオスペダーレ(養育院)では,豪商 や身分の高い人々が妾に産ませた多くの落とし胤 を含む女児の孤児を選抜して音楽教育を施し,

ヨーロッパ最高の演奏水準を誇った。 17 世紀に入 るとモンテヴェルディらによって開花したオペラ は,都市における享楽と消費の中心に位置し,た とえば面積的には現在の東京都中央区の半分ほど のヴェネチアに, 17 の歌劇場があった

(14)

。今日な お,オペラの本質が「けた外れの浪費,華美」で あるように見えるのは,その強い消費的性格を示 している

(15)

17 世紀と 18 世紀の間,ヴェネチアやジェノヴァ に留まらず,リスボン,アントワープ,ハンブル ク,ロンドン,パリ,そして,ペテルブルクに至 る貿易と政治のハブとなるヨーロッパの国際都市 でもっとも求められたのは,イタリアの音楽であ り,イタリアの音楽家であった。繁栄するロンド ンには,イタリアの弦楽器音楽の大家であるコ レッリの弟子のジェミニアーニやヴェラチーニと いった音楽家が招かれ,ジェミニアーニは後半生 を,クレメンティは生涯のほとんどをイギリスで 過ごした。イギリスで活躍したドイツ人のヘンデ ルやヨハン・クリスチャン・バッハも,イタリア で教育を受け,認められたからこそ王室に気に入 られ人気を博したのである

(16)

。当時盛んであった

「グランドツアー」でイタリアを訪れたイギリス 人貴族は,イタリアの音楽レベルの高さに驚嘆し た

(17)

。また,イタリア・オペラの大家であるパイ ジェルロは,ロシアのエカリーナ女帝に高額の報 酬で招かれ, 「お雇い外国人」としてペテルブルク に 6 年以上滞在した。

ドイツでも,王侯の庇護を受ける著名な音楽家

の大多数はイタリア人であった。19 世紀以降に

なってから「音楽の父」としての地位を不動のも

(4)

のとするヨハン・セバスチャン・バッハ(いわゆ る「大バッハ」)も,彼が生存していた 18 世紀前 半には,基本的にオルガン演奏家としてローカル な知名度を有していたに過ぎない。バッハの作品 は彼が雇用されていた特定の教会や宮廷のための ものに過ぎず,死後は忘れられた。むしろ,国際 的なネットワークがあり,市民の消費欲求に敏感 であったハンブルクのテレマンや,イタリア音楽 を身に付けロンドンで活躍した息子のヨハン・ク リスチャン・バッハの方が,市場における知名度 と需要ははるかに高かった。

イタリアの全般的な音楽的ヘゲモニーは, 18 世 紀末までは圧倒的であった。モーツァルトも,幼 少時からイタリアの音楽様式を習得して売り出し,

ベートーヴェンでさえイタリア語で署名した

(18)

。 19 世紀以降も,イタリア・オペラはますます興隆 し,ロッシーニ,ドニゼッティ,ヴェルディらが 出現, 20 世紀初頭にかけてプッチーニが活躍する まで,オペラではイタリア優位は揺るがない。と はいえ,「国家」が未成立であったイタリアでは,

音楽は国家のソフト・パワーに変換されなかった。

イタリア人は,個人として資本主義の中心に移民 し,以下に述べる「クラシック音楽」の成立のみ ならず,アメリカにおける「大衆音楽」の発展に も寄与することになる。

4)「クラシック音楽」の成立とイギリス資本 主義

「クラシック音楽」の代名詞が「3 大 B」つま り,バッハ,ベートーヴェン,ブラームスに代表さ れるドイツ音楽となった背景には,もちろん 19 世 紀前半のドイツ・ナショナリズムの勃興がある。

ただ,そのような「ナショナルな音楽」が「普遍 的」な「高級音楽」と認知され,ジェントルマン の素養として重要なアイテムとなった経緯には,

イギリス非公式帝国の発展が大いに関わっている。

16 世紀の宗教改革をきっかけに,ドイツでは

「プロテスタント音楽」と呼べるものが育ってい た。フランドルやイングランドでも,次第に勃興 するブルジョワは,派手で貴族的,エンターテイ

メント的なイタリア音楽だけでなく,より市民的,

内省的で地味な音楽も好んだ。チューダー朝のロ ンドンでは,ダウランドなどリュートやヴァージ ナルのための曲が多く演奏されたし, 17 世紀のオ ランダの画家フェルメールの作品には,市民生活 のアイテムとしてヴァージナル,リュート,クラ ヴサンなどが描かれている。とはいえ,イギリス は 17 世紀の内乱で音楽文化も中断し,消費生活が 再開されるとイタリア音楽が支配的となった。ド イツでも,17 世紀のシュッツやシャイト,その後 のヨハン・セバスチャン・バッハにもイタリア音 楽の影響は強く,また,彼らの音楽は国際的なマー ケットにはあまり流通しなかった

(19)

この状況が変化したのは, 18 世紀後半にハプス ブルグ帝国内の職人的な宮廷音楽家であったヨー ゼフ・ハイドンの室内楽を中心とする楽譜が国際 市場で人気を博すようになった頃である。 18 世紀 末,ハイドンは興行主ザロモンの企画でロンドン を訪れ,音楽的のみならず経済的に大成功を収め た。モーツァルトも,早世しなければ,ロンドン で一山当てることを望んでいた。また,ベートー ヴェンの第九交響曲は,ロンドンのフィルハーモ ニー協会の委嘱作品である。

19 世紀に入ってもイタリア・オペラは圧倒的な 人気で,ドイツ音楽の国際的な評価はそれほどで はなかった。パリやロンドン,そしてやや時代が 下るとニューヨークといった国際都市で盛んに消 費されたのは,ドイツ語圏出身の場合でも,オッ フェンバックやマイアーベーア,ヨハン・シュト ラウスなどの,より娯楽的なオペラやオペレッタ,

ワルツであった。まじめな「高級音楽」としての

「クラシック音楽」の概念が出現した大きなきっ かけは,ヨーロッパ有数の銀行業の家系に生まれ た,ドイツへの同化主義的なユダヤ人フェリック ス・メンデルスゾーンの行動である。彼による,

バッハの「マタイ受難曲」の歴史的再演(1829 年),

その後のバッハやベートーヴェンの作品の継続的 な紹介により,19 世紀半ばまでに,「過去の名作 を繰り返し演奏する」という, 「クラシック(古典)」

音楽の基本姿勢が出現した。

メンデルスゾーンとイギリスとの関係は重要で

(5)

ある。彼はわずか 38 年の生涯に 10 回もイギリス を訪れ,ヴィクトリア女王とも懇意であった。イ ギリス王室のために書かれた有名な『結婚行進曲』

はもちろん,ロンドンのフィルハーモニー協会の 委嘱で作曲された交響曲第 4 番『イタリア』など,

彼自身の作品は, 「ドイツ色」より,古典的で汎ヨー ロッパ的な志向性が強い。シューマンやブルック ナーのようなドイツ語圏の土着的な文化を色濃く 反映した「重い」音楽ではなく,より「無国籍」

で「軽い」音楽である。にもかかわらず,メンデ ルスゾーンは,バッハとベートーヴェンに代表さ れる過去のドイツの音楽を「古典」として繰り返 し演奏する多くの演奏家,とりわけユダヤ人演奏 家の先駆けとなった。ディアスポラのユダヤ人で あるにも関わらず,ドイツに帰化し,ドイツに安 住の地を求めたメンデルスゾーンが,ドイツ人以 上にドイツ音楽の地位向上を図ったことは,考え てみればそれほど不思議ではない。

メンデルスゾーン以降,多くのユダヤ人音楽家 が, 「ドイツ音楽を頂点とするクラシック」という イメージの確立に寄与した。マーラーもシェーン ベルクもユダヤ人である。また,ヴィヴァルディ などの 18 世紀のイタリア音楽はほぼ完全に無視,

オペラやオペレッタは娯楽的,商業的なものとし て格下に,器楽を中心とするドイツ音楽を最上の ものと位置づける音楽史観を強く打ち出したのは,

日本人の西洋音楽観にも多大な影響を与えたユダ ヤ人音楽学者パウル・ベッカーであった

(20)

19 世紀前半までは,作曲家は常に新作を書き続 けるのが当たり前で,過去の音楽を演奏する習慣 はほとんどなかった。しかし, 「クラシック」が成 立し,過去の「名曲」 「傑作」を繰り返し演奏する ことが常態化すると,それをより良く再現する演 奏家の役割が増大し,「演奏家の時代」が到来し た

(21)

。20 世紀にかけて,ヴァイオリンやピアノ など器楽の名演奏家の大多数は,東欧やロシア出 身のユダヤ人である

(22)

。それは,ハイフェッツや オイストラフ,ホロヴィッツなどの高名な演奏家 に限らない。彼らが繰り返し,バッハ,モーツァ ルト,ベートーヴェン,シューマン,ブラームス を演奏することによって,ドイツ中心のイメージ

が定着し,ショパンやチャイコフスキーといった 大作曲家でさえ,ドイツ人でなければ「国民楽派」

と分類された

(23)

5)ジェントルマンと音楽

19 世紀のドイツの音楽生活には,ウェーバー的 な意味での「プロテスタント的」な,内省的で教 養主義的な姿勢が見られた。ブルジョワ市民のア イデンティティの重要な部分には音楽があり,教 会における音楽生活に加え,彼らは合唱や室内楽 を自ら実践し,演奏会に足を運んでは真面目な「集 中的聴取」を行う

(24)

。ベートーヴェンやブラーム スの作品のように,複雑な構造を持ち,重厚で精 神的な雰囲気を醸し出すドイツ音楽,とりわけ交 響曲を頂点とする器楽は, 「言語を超越した純粋芸 術」であり,他の全ての文化ジャンルに優越する とさえ主張された。ドイツ音楽の至高性の主張は,

ワーグナーで頂点に達する

(25)

。ドイツの固有性に こだわるこうした純粋主義的な姿勢は,メンデル スゾーンやマーラーといったユダヤ系作曲家を排 し,ドイツでも実際には多数を占めるユダヤ系演 奏家を弾圧したナチスの失敗に至って深刻な結果 を招いた。

これに対してイギリスのジェントルマンは,

バッハやベートーヴェンを「古典」として受け入 れ,その系譜に連なる多くの周辺民族の作曲家,

ドヴォルザークやグリーグといったイギリスの潜 在的同盟国(友好国)の作曲家のパトロンとなっ た

(26)

。ロンドンなどイギリスの都市は, 「クラシッ ク」の演奏を巧みに行うユダヤ人やイタリア人演 奏家の,ヨーロッパでは最も差別の少ない,稼ぐ ことができて居心地のよい移民先である。イギリ スは,文化的には主張すべき自己が乏しく雑食性 であり,比較的「無国籍」な,すなわちより「普 遍的」でグローバル化しやすいソフト・パワーを 得ることになる。 「古典」が外来のものであること は,むしろ権威づけに有利に働いたのである。

16 世紀に新興支配層となったジェントルマン

は,自らの家系の古さ,由緒正しさを演出するた

め,骨董品など「古光沢」をもつ文化アイテムを

(6)

重んじた

(27)

。ドイツ音楽を中心とする「クラシッ ク」は, 「古典」として提示されたがゆえに,彼ら にとって格好の「古光沢」を放つステータス・シ ンボルとなった。王立音楽協会を初めとして,ロ ンドン,リヴァプール,マンチェスターなど,ほ とんどすべての都市にフィルハーモニー協会が設 立され,アマチュア合唱団の活動も盛んになった。

クラシック音楽をステータス・シンボルとして消 費する姿勢は,ジェントルマン階級が没落し,20 世紀中葉にビートルズが登場するまで続く

(28)

。 「アマチュアリズム」を旨としたジェントルマ ンにとって,イギリス自体がプロフェッショナル な作曲家や演奏家を輩出する必要はそれほどな かった。イギリスの国民的作曲家となったエルガー に関しても,ドイツ音楽の手法を身につけ,ドイ ツで認められたことでイギリスでも受け入れられ た部分がある。イギリスが狭い意味でのローカル でナショナルな音楽をそれほど明確に持たなかっ たことは,世界帝国としてのアイデンティティに むしろ適合的であったのだろう

(29)

支配階級たるジェントルマンは, 「ディレッタン ト」として他の文化アイテム同様,クラシック音 楽についてもそれなりに「観賞」でき「語れる」

ことを重視した。彼らにとって,ドイツ古典音楽 は,古代ギリシャ・ローマの文物,ペルシャ古典 文学,あるいはチベット仏教のように,ジェント ルマンとしての教養の一部であった。彼らの「ク ラシック音楽」に対する姿勢はあくまで「軽く」

「趣味的」であり,ドイツ人からすると,おそら く技術的にも音楽的にも浅薄で不真面目なもので あるかも知れない。

なお,フランス(パリ)の位置付けは次のよう になる。フランスでは,革命によって貴族が打倒 され, 19 世紀中葉のナポレオン三世の時代までに は,都市的・市民的で消費資本主義的な音楽活動 が育っていた

(30)

。ただ,国家形成の途上であった ドイツに比べると,フランスでは音楽のナショナ リズムは弱かった。その点でフランスは,ドイツ と,ほとんど完全な音楽消費国となったイギリス との中間的な存在である

(31)

。たしかに 19 世紀後 半,普仏戦争敗北後は「フランス国民音楽」が叫

ばれるが,ドイツに比較するとエキゾチズムやオ リエンタリズムが濃厚で,音楽におけるフランス の独自性をあくまで追求しようとはしていない

(32)

6)おわりに:「大衆音楽」の誕生

以上概観したように, 「クラシック音楽」という

「伝統の創造」と,イギリス非公式帝国の発展に は密接な関係があった。興味深いことに,「クラ シック音楽」の成立とほぼ同時期に,イギリスか ら「大衆音楽」が出現した。 「クラシック音楽」と

「大衆音楽」は,同じコインの表と裏としてしば しば互いを意識し合い,讃美歌やブラス音楽と いった宗教的・軍事的な「実用音楽」を間に挟ん で発展する。このプロセスについては,英米非公 式帝国の観点からアメリカ,帝国各地など広い世 界を視野に入れ,稿を改めて考察したい

(33)

。その プロセスがどのように開始されたかについて,最 後に簡単に記しておこう。

イギリス帝国史研究では,イギリスにおける大 衆音楽文化の進展は,主にジンゴイズムや帝国意 識との関連で考察される。19 世紀後半,クリミア 戦争,露土戦争からボーア戦争に至る,イギリス が非公式帝国を維持・発展させるために直接・間 接に関与した 19 世紀後半の戦争が,「大衆音楽」

の発展を促した

(34)

ただ,イギリスにおける民衆レベルの音楽生活 はそれ以前からかなり豊かであり,大西洋や帝国 各地のさまざまな種類の人の移動により,広く越 境的な影響を与えていた

(35)

。イギリスには,民謡 から出発し, 19 世紀半ば以降に新聞が一般化する まで民衆的なニュースメディアとしての役割も果 たした「バラード」という音楽形式があり,新大 陸にも伝播した

(36)

。また,芝居や音楽,見世物な ど,さまざまな芸能が行われていた居酒屋(パブ)

が成長していた

(37)

。もっとも,チャーチスト運動

に身を投じるような労働者たちがパブに集い,労

働歌をがなって連帯を深めることは,支配層は歓

迎できなかった。政府によるさまざまな規制でパ

ブから分離したミュージックホールは,世紀転換

期に最盛期を迎えたが,これは,民衆文化から「音

(7)

楽」だけを取り出し健全化・無害化しようとする,

ヴィクトリア時代の啓蒙主義的な流れに沿ったも のである

(38)

ミュージックホールでは,まさに大衆的,消費 資本主義的な音楽文化が出現した。シャンペン会 社と契約して「シャンペン・チャーリー」の歌で 大儲けした歌手ジョージ・レイボーンのようなス ターが登場したし,アメリカで成功した映画王 チャップリンはミュージックホール出身である

(39)

。 工場労働者が大多数を占める製造業の周囲には,

エリートであるジェントルマン中心の金融資本主 義のシティとは異なるタイプの消費資本主義,す なわちサービス業中心の消費社会が進展した

(40)

。 この新しい状況に対応するため,政府はベルヌ条 約(1886 年)を通じた著作権法の整備など国際規 範をリードし,作曲家を保護していく。録音や放 送技術の登場によって,著作権保護,また学校そ の他の教育システムの整備・拡充はますます重要 となる

(41)

。20 世紀にかけてのこうした新展開は,

ジェントルマンによる非公式帝国の秩序再編の試 みといえるだろう。

(1) 半澤朝彦「国際政治学と音楽(1)―ウェストファ リア体制とナショナリズム」明治学院大学国際学部付 属研究所『国際学研究』第39号2011.

(2) ジョセフ・S・ナイ(山岡洋一訳)『ソフト・パワー

―21世紀国際政治を制する見えざる力』日本経済新

聞社 2004.

(3) 半澤朝彦「液状化する帝国史研究」木畑洋一・後藤 春美編『帝国の長い影』ミネルヴァ書房2011所収。

木畑洋一らによって研究が進んだイギリスの「帝国意 識」の中で,音楽がどのように位置づけられるかは今 後の課題である。木畑洋一『支配の代償―英帝国の崩 壊と帝国意識』東京大学出版会 1987; 木畑洋一編著

『大英帝国と帝国意識―支配の深層を探る』ミネル

ヴァ書房1998; 現在入手可能な文献で,イギリス帝国

と音楽については,Richards, Jeffrey, Imperialism and Music: Britain 1876-1953 (Manchester UP, 2001); Clayton, Martin and Zon, Bennett (eds.), Music and Orientalism in the British Empire, 1780s-1940s: Portrayal of the East (Ashgate, 2007).

(4) 参照できる研究として,Born, Georgina and Hesmondhalgh, David (eds.), Western Music and Its Others: Difference,

Representation, and Appropriation in Music, Berkley, University of California Press, 2000, Clayton, Martin and Zon, Bennett (eds.), Music and Orientalism in the British Empire, Aldershot, Ashgate, 2007.

(5) エドワード・サイード(大橋洋一訳)『文化と帝国 主義』(1)(2)みすず書房1998,2001;エドワード・

サイード『オリエンタリズム』サイードは,『音楽の エラボレーション』『音楽と社会』などで音楽につい て考察しているが,音楽をオリエンタリズムの議論と あまり結びつけていない。

(6) この二層の中間に,讃美歌,ブラス音楽,ミュージ カルなどがある。帝国システムの中でのこうしたジャ ンルの位置づけと相互関係,影響関係は今後の課題で ある。

(7) 20世紀になると,「大衆音楽」も「クラシック音楽」

とは別の形で「普遍性」を主張するが,後者の権威主 義的アプローチとは異なり,消費資本主義の論理に依 拠する。森正人『大衆音楽史―ジャズ,ロックからヒッ プホップまで』中公新書2008.

(8) 「民衆」という語は単なる非エリート層を意味する が,「大衆」はそれ自体が巨大な社会勢力となり,政 治的経済的文化的に大きな影響力をもつ非エリート 層を意味する。なお,後段で使用する「市民」とは,

都市的な大衆ということになろう。

(9) W. ゾンバルト(金森誠也訳)『恋愛と贅沢と資本主 義』講談社学術文庫 2000.

(10) これらの奢侈品を入手するために海賊行為や奴隷 取引が行われた部分が大きい。なお,羊毛,生糸,綿 花などは,工業生産物の原料であるが,製品である毛 織物と絹織物は基本的に奢侈品でもあり,綿織物も完 全な「必需品」ではない。

(11) ゾンバルト前掲書 pp.196-202.

(12) 上尾信也『歴史としての音―ヨーロッパ中近世の音 のコスモロジー』(柏書房1993)pp.120-128.

(13) フェルナン・ブローデル(金塚貞文訳)『歴史入門』

中公文庫2009, p.88.

(14) 石井宏『反音楽史―さらばベートーヴェン』新潮文 庫2004, pp.86-88.

(15) 岡田暁生『オペラの運命』中公新書2001, pp.21-39.

(16) ヘンデルの『メサイア』と初期資本主義の関係につ いての興味深い研究として,山田由美子『原初バブル と<メサイヤ>伝説―ヘンデルと幻の黄金時代』世界 思想社2009.

(17) 岡田温司『グランドツアー ―18世紀イタリアへの 旅』岩波新書2010.

(18) 石井宏前掲書

(19) 大バッハのすべての出版された作品の中で,国際 マーケットで一番売れたものが,チェンバロ独奏のた めの『イタリア様式の協奏曲(イタリア協奏曲)』な のは,象徴的である。

(20) ヴィヴァルディは彼の死後約200年間,ほぼ完全に 忘れ去られ,消費市場で再び知られるようになったの

(8)

は,第二次世界大戦後のイ・ムジチ合奏団による『四 季』の録音以降である。

(21) 「演奏家の時代」の初期には,「ヴィルチュオーゾ」

のリストやパガニーニなどが自作自演を行っていた が,次第に作曲家と演奏専門家は分化していく。

(22) たとえば,以下のような本に登場する名演奏家の民 族出自を見れば,ユダヤ系が圧倒的であることは一目 瞭然である。渡辺和彦『ヴァイオリニスト33―名演奏 家を聴く』河出書房新社2002.

(23) 「国民楽派」に相当するタームは,たとえば美術史 にはない。「民族音楽」という呼称の問題については,

拙論「国際政治学と音楽(2)」で言及したが,「国民 音楽」という分類も,ドイツ中心の西洋音楽の階層的 イメージを明瞭にしている。ドイツ音楽とフランス音 楽の一部のみが「国民音楽」ではない,普遍的な音楽 というわけである。

(24) 松本彰「ドイツ市民音楽の成立とクラヴィコード」

『歴史評論』第 577 号(1998); 渡辺裕『聴衆の誕生

―ポスト・モダン時代の音楽文化』春秋社1989; 岡田 暁生『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉』中公 新書2009.

(25) ワーグナーの場合は器楽だけではなく,声,ストー リーや舞台装置を動員した総合芸術を目指した。ワー グナーとナショナリズムに関する最近の刺激的な研 究として,吉田寛『ヴァーグナーの「ドイツ」―超政 治とナショナル・アイデンティティのゆくえ』青弓社 2009.また,ナチス期については,ヨアヒム・ケラー

(橘正樹訳)『ワーグナーのヒトラー ―「ユダヤ」に とり憑かれた預言者と執行者』三交社1999.

(26) チェコやノルウェー,ポーランドといったドイツの 周辺国・民族の文化は,イギリスにおいては政治的に も基本的にシンパシーをもって受け入れられた(たと えば,1968年のプラハの春の最中に,ロシア人のチェ ロの巨匠ロストロポーヴィッチが,チェコ人であるド ヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲をロンドンで演奏 した際の熱狂的な支持など)。ただし,ドイツ文化を 正統的で上位のものとし,「周辺国」の文化をより通 俗的で下位のものとみなす価値の枠組みは厳然とし て存在する。

(27) G. マクラッケン(小池和子訳)『文化と消費とシン ボルと』勁草書房1990.pp.62-83.

(28) アメリカの東部エリートには,時にはイギリス以上 にこうしたジェントルマン的な姿勢がみられる。日本 については,クラシック音楽とエリート層の関係は明 らかであろう。岡田暁生「教養主義・根性主義・技術 主義―近代日本の西洋音楽理解をめぐって」青木保ほ か編『ハイ・カルチャー<近代日本文化論3>』岩波

書店 2000.また,文豪を扱った以下はサイードの議

論との関連でも興味深い。瀧井敬子『漱石が聴いた ベートーヴェン:音楽に魅せられた文豪たち』中公新 書2004.

(29) 国際政治史家の等松春夫は,イギリスにおけるエル

ガーの社会的位置づけが,帝国が急速に縮小する1950 年代を境にして「帝国の作曲家」から「イギリス(ブ リテン島)の作曲家」に転じたことを説得的に論じた。

等松春夫「エルガーの戦争と帝国」日本国際政治学会 2011年度研究大会,トランスナショナル分科会報告。

(2011年11月11日,つくば国際会議場。パネル:

司会=平野健一郎,報告=等松春夫,細田晴子,半澤 朝彦,討論者=平野健一郎,片山杜秀。)

(30) 浅井香織『音楽の現代が始まった時―第二帝政期の 音楽家たち』中公新書1989.

(31) 半澤前掲論文(2011)参照。

(32) 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』中

公新書2005, pp.185-188.明確に「フランス的」な音

楽は世紀転換期以降のドビュッシー,ラヴェルや「6 人組」まで待たねばならない。

(33) なお,拙稿「国際政治学と音楽(1)」で予告した,

国際規範,標準化,音楽の混淆など20世紀の諸問題 について本稿ではまだ扱えていない。アメリカについ ては,とりあえず以下を参照。奥田恵二『「アメリカ 音楽」の誕生―社会・文化の変容の中で』河出書房新

社 2005; 大和田俊之『アメリカ音楽史:ミンストレ

ル・ショウ,ブルースからヒップホップまで』講談社 選書メチエ2011.

(34) 井野瀬久美恵『大英帝国はミュージックホールか ら』朝日選書 1990.なお,フランス革命以来のシャ ンソンの発展はこの動きと類似している。

(35) イギリスが音楽的に不毛な国であるという観念は,

イタリアやドイツ中心のクラシック音楽のレパート リーに直接つながるようなタイプの「傑作」がイギリ スからは比較的生みだされなかった事実によってい る。しかし,イギリスでは民衆レベルの音楽実践は決 して低調ではなかった。Van der Merwe, The Origins of the Popular Style: The Antecedents of Twentieth-Century Music, Oxford UP, 1989.

(36) 川北稔『民衆の大英帝国―近世イギリス社会とアメ リカ移民』岩波現代文庫2008.

(37) 海野弘『酒場の文化史』講談社学術文庫2009; 下田 淳『居酒屋の世界史』講談社現代新書2011.

(38) Merwe, Peter van der, Origins of the Popular Style:

The Antecedents of Twentieth-Century Popular Music (Oxford UP, 1989).

(39) 茂木健『バラッドの世界―ブリティッシュ・トラッ ドの世界』春秋社1996.

(40) ジェントルマン資本主義論ではシティと製造業の 関係が議論されるが,このような音楽文化の面からも 両者の性格の違いについて示唆が得られるかもしれ ない。

(41) クラシック(古典)の概念と,著作権概念の基本を なす「オリジナリティ」の概念は不可分である。つま り,「伝統の創造」は,大衆消費社会を管理する上で も重要であった。

参照

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