――目次――
1,
ムハマッドにおける神秘体験の問題:原始イスラームのタッサウッフ萌芽として, 諸井慶徳, On the
Mystical Experience of Muhammed: As the fountainhead of tasawwuf of the primitive Islam, Yoshinori
MOROI,pp.1-31.
2,
宗教的態度の比較調査:日米両国学生を調査対象として, 高木きよ子, A Comparative Study of the
Religious Attitude: A Survey of the religious attitude of the students in Japan and the United States,
Kiyoko TAKAGI, pp.33-61.
3,
琉球における神々の誕生, 鳥越憲三郎, The Birth of Gods in the Loochoo Islands, Kenzaburō
TORIGOE, pp.63-84.
4,
般若心経の新解釈, 加藤精神, A New Interpretation of the Hannya-shin-gyo (Prajna Payamita Hridaya
Sutra), Seishin KAT
Ō, pp.85-93.
鵜 ムハマッドに於ける神秘 体 検の問題 ︵ 7 り
かろうか。 ︵ 3 ノ
ではあっても、 或種 ︵ 4 ︶ 的 変革 期 によっての全 き 転回ならば別として、
た如 ぎものに直ちに
立場にあるものが、
大きな変化が見られる
聞 せられた徐々 とし ︵ 6 ︶
局は審珪批イ ︶Ⅰ ヨ たる ンし の 根本 っ なが その 信 様なこ た 段階 とを 出 超絶的確 ︵ 2 ノ とは極めて 一 神へ 注目す の 信徒 に徹 べ き 現象で せんと ある。 した イスラー これをめぐり 申 ム ︵Ⅰ︶ にあって神秘 家ス ﹂諸学者の見解は 、 一 フィーが現れ、神秘思想タッ サウ 概ね外来諸宗教思想の影笘の然らし ッフ が発生したこ めた所を力説して
として
諸井
慶徳
0
間
題
︵ 桂 ︶
八回出てい
意志に随
せられた
るからで ある。
イスラーム
老屈 叶は明
昔の共通
家 の詰 る
とするも
という 意
宙曲 の 日か
ていたか
は q0 も中の
下 Ⅰき弓ⅠⅡ がガ Ⅰ ぺ 十千 曲 甘井口㏄ 曲 l
くは
又 別に論ず。 母づ ・ H 宇ド 輯 一六八 う 。 精し Ⅰ ,田ゆド の 0 ペガ俺コ片廣 単 一
食年は大き な 変革が見られることはあるであろう。
から、他の
このこと
宗教の問題﹂日本文化、二十三号、参照
捕 四期後に られて ぃ 来してい 東 である き 続けて も珍 らし う 。然し 味 ある 耗 ﹁国家と
によって
約は於け
照 。
い 出口 偉 ﹁我は
斉料 はな
も、 厭く
目やのの 1 ド目 l
秘 主義的
る 0 マシ
訳を試み め
51 ムハマッドに於ける・神秘体験の問題 一 一 " 一
度 とせられている。されば
そしてこの点は原始仏教の
たビ その様なものでは律し 切
はあり得ぬからである。 ︵ 桂 ︶
おを異にし
いる 事は少
に 至った
、キリス
ヤ 教の方
キリスを
に Lt Ⅰ う
なら ぱ、
ものであ
クル
の仮の仮 曲 [0 口
ののが ミ の E Ⅱ
の す珪コら
の ワミ由の俺 ロ ・ づ 生日年年ⅠⅠ 由づ Nwm 卍 ㏄きの・トム l の 下
ルアーン
するものを
を 向けて
すであろ う 0
尊 も五席
ブルに於けるよりも一周 ︵Ⅰ よ ︶
ⅠⅠ
曲名りの | pHp l ︶ ⅠⅠの nw のい のサ ㏄
口口内山 が Ⅰ
何にしてか ュ るものが起り 得 Ⅱ 2 り ︵ Ⅰ︶ l
らの自党に於ても クルア 一
発生した。これは如何にも
とさえ言わねばならぬのでは
$ に ﹁ 絶
﹂として 置きたい。 別補 予定﹁宗教神秘主義の概念﹂参照。
ぃが 、この
にこのこ
るもの﹂
︶等は明
あろう。
して﹁ 従
といつ て
Ⅰ㏄ wo コ 0 片 ︵ ゴ -0 の q-0 の nm コ n ⋮ P の︶の づ ・ めは
ゑ るかも 知
Ⅰの 由抽 po コ
は 正当的
で 言った
勾 ・や・ z ざゴ 0 ︶の 0 コ 二円 す 0 ツミセ笘ざの oh 打す日 : づ ・ N の
0 年内 po 年の
のトコ いの コ
なる語が
ど 枕神秘
臣ガ接 Ⅰ び 日げ ︵ ぃ ca 山色い目口 圧ず 口 ︵ 0 : づ ・ トの ㈲大理大学々 報 第三巻第三 0 与一 0 頁 参照。
的 色彩は 田 ・ 宰
は神秘 家
しも当つ
既に明に
ものを 見
と 共に終
マ マ燵印
しく養成 四 52
ムハマ フド に於ける神秘体験の問題 五 ︵はⅠ︶
正統的 信
ものも 出
。彼等は
人々 なの
︶れに 対
ィ Ⅰは 禁 欲 苦行的篤信家から現れたものである。
トロ 田け 0
ミ ,ロゼ あ
照
に 外ならな
その 意珠 をよ り内面的且つ体感的に味わんとしたのである。
る 展開の道 筒 を 肋 づけてみるつもりである。
の 萌芽たる
は 、十分 して 或 種の内容を見出すこ われる箇所に関聯して、 ム 見出されることが可能であ ていることによって、かく は 今こ ュ に於ては紙面の関 なる点に就てのみ眺めて行きたいと思 う 。 ︵ ア サ︶
るのであろうか。 ︵ 3 ︶
こととして、
所に神と人との
体 、クル ア一 こュ ではクル 隔絶が強く 叫 ン の中には神 印
である。 ︵ じ廿叶 ︶
ほ 必ずし
だ混 推さ
Ⅰ主体の表
客を判読
ッド の 体 容 暗示的な記述を問題にするのである。 てのみ論ぜられ得る課題であるから
れるムハマ 我々として その様なもの
であり、 そ ッド の天啓接受 は今はたどその の他の牛面たる の場ムロの心理 内 ︵ 4 ︶
ある。我々はそれから若干 章一五節 一 承は イスラ 残されている。 伝 ︵ 3 ︶ の 考察に於て根本 54 / Ⅰ
比萌わ形
マ穣穿
れ 成 及 た る さ 肪づ得通
り似れ
た ア ン し け た つ 要 関 に か た 素 し於ど要ど
て 一 て ぅ 素は 神 ・) 確 か で な 秘 め は あ っ 古句 休 られに。
後る て ぃ 験 ね ス 然 な @ ま Ⅰ し く に し な フ 乍 と 似 文 - し特
いの真一
殊 。陳に
応 な 池 そ 関 "", 刀 " 容六れ
が 聯 あ 教 と 丈 る 体 の 宇 も 険全通
の は 祈 り と ク 的 の ,思 ノ ン ア ン ( 副 の 記 る あ ク 所 ん ヤァ し 於て 。 の こ 共 暗
崩れに
芽 : を こ ノ F がな の 向付 止 す 後 ゲ ン し 言 こ 者 Ⅰ @ - Ⅱ 己述
得に間
さ る よ 題 れ で つ と て あ ろ 始 て す 六 る い うぬ論
る Tが て 考 こ 原 も そ
れ始淀
れ は回べ
は別教
ほ ほ べ る 八書於
き き け で
の
記事として次のものから考察してみた
の味ひの曲︶︶コロ
P ゴ仁
︶ い
4 曲甘口
偉
川曲
ゴむ岸ガ
眉目安
ヨビ
コ旬日日・
さ
がす
由笘隼
Ⅱ い
・ W
甘 屈ま円目旦日はヨ口ヴⅡ
コロ
等の伴侶は琶かれたものでは
モ
ムハマットに於ける神秘体験の問題
め0 人を内
、 極めて 暗示的な寂蓮となっている,
字を以て 示
その中の
この算出
っては 異
の 如く 確
を比 校す れば直ちに明かであろう。
ることは 出
題 とし 乍
考察し、
ほ 釈に 於
が 角の試
ルアーソ
しては用
目セの由 0 が︶
い 1 旬 ト ・
れるべきか
よって 、
クルア Ⅰ
ナか な 絶
忙 日日のⅠ・ がコず 。 ゴ 0. の神目口口 0 目 こ Ⅱ q. の・ ト ㏄ @ か つ
㈲の
Eq.W コ ソ の セ ∼ ド lm. のⅩⅩ︵せず 白し の 我
更 高 「 に 低 地 こ 起 円団 れ 代 」
と た と も
」字母
関 ビ 訳由ひゴ
近、
ミ Ⅴと、Ⅴ
がる,
聯 な 田 し ら し と で そ も は の な な 様 る い な べ 、 場 の 吹 も 言己 の 且且 裏 地 瞭 を 帯 にね あ 通 る る せ (2) こ う る
で く
は と 力士 な も
れ坪
れ く い 通 て ほ ほ し 。 常 い れ な て 我 の る 二 3 % 々 地 。 度 な近 と 面 ︵ 4 ︶意味すると思われる所から、 得るであろう。 凡そ如何なる意味であろう ︵ 3 ︶
われていたことを以て主張し ることが述べられているこ エ ル ︵ 2 レ
される。それは﹁傍な ﹂︵Ⅰ 偉 4% 毛穏 由ヰ 珪,ぎ Ⅰ 笘性 Ⅰ り 、その 傍 なる力あるものと 八 お を 見た﹂ それならばこの﹁彼を﹂
は ょり直接的な記録があ
川碕ゴが
安川、毛がヨ別
吋笘コ由
4%
、 毛が
ゴ E 毛が巨
ビざ
ぎ日
よガ
、 寸
、
Ⅱ 笘 ︶ 卸
・ びヰ曲圧
c ヨ斜
Ⅰ寸ロ
リブ偉、が
︶の
2
州
せ曲
Ⅱ 川 ・Ⅲ
っ たし、
又 迷わされなか
ぃ 。強大な力あるものが
彼
カ
ムハマッドに於ける神秘体験の間
頗
。ムイル
鍍が
日ヰ
%
分
タま
ゴ の コ
円ゴ
e
幅曲
∼ こ ︵
e
ら
ヴせゴす
Ⅰ ie ロ ・Ⅰ
ゴの
せ ㍉
0
Ⅰ ゴのダ
ヱヰの︵
or
Ⅱ
づ ・Ⅱ
A.
はガ / サヱ
なるもの
ドに 天啓
た ﹂と 伝
いたこと
此の草付 に 対する註釈︶
いる。此処
意味であ
笘 日 @ Ⅰ リコ の
弓 Ⅰ H. Ⅰ おや 卍毬 年 7
めて 肢昧と 思われるからで かに関し、種々異説が唱 彼は近づいて来た。そして
げられるに過ぎた ︵ 佳 ︶
八一章の事
の 両者は
之むロ隼 e オ e
め Ⅰの日のⅡ づのロロ ・ P お
も亦 、一括
けに 理梓
ぬ 訳の諸
我々 ほ別
消息を伝えたものはない。 ハ 2 ︶ ﹁それ﹂として明記され、 乃 あるかに関しては、必ずしも ︶を見たのか、これも直ち 抹 するものとして、Ⅱアッ 測 的に挙げることが出来よ 一 O 目 た 。そこで彼の下僕に向 つ
ことに残て、彼と争論しよ ぅ とするのか。﹂
qp. 卸すⅠ 弓燵典ロひ曲 コ目 W,@ ゴド
Ⅱ 曲| ︵Ⅰ 土 ︶
を見た。最も遠い シ ドラ樹の傍に於て。それ の 傍には常住の楽園があ
確に彼は彼の主の偉大な表 顧 59 ムハマットに於ける神秘体験の問題 ト Ⅰ 何であるのか。この点に就 て あって 、 彼はムハマッドに 向 ㈲﹁このムハマッドに 近 っ てムハマッドが近づいて来る﹂となすもの、
る ﹂となすもの㈲﹁二 つ ﹁ 二づの 主体 神アヅラ一とムハ ろう。 彼 を 挙げるこ に 六種のも 般 には㈲ 見方を用 き代表 や r. Ⅰ 0 甘ぢ すかふオ ・ Ⅰ , Ⅰの田口口, は 全く 区 バ, 0 仁 Ⅰ : 目 , 弓 ・の㏄。
はその代表的なるものと 一 一 ︵ 硅 Ⅰ︶
コ ︶︶ コ臣 雙の l Ⅰ
の 一節 |一
6 所であ 一一一一 |一
別 回の場合程では
ロ 隼の ガ の 二の e のの ゴ ∼ c ゴ ︵の 由 e の O0 ︵ 川コ のきい㏄の 0. の・田ゆ
、この場合
る べ き ことが求められてい
察せられることは却って 原 文の趣意に忠実なる所以となるであろう。 は 芝本明白ではない。 た
援 味なものでもない。我々︵ 2 ノ いであろう。クルアーンに
個な 内容が語られているこ ︵ ク u ︶
出す限り、この一文は前掲 一二 の ︵ある︶ものを見た。﹂ ㏄
亡ア
ト,
卍も
0 つⅠ e ロ 壌 買 目
ゴ笘
卍ゆ P 日日の
Ⅰ づ ハ出 懸トき
コ ) 見 し目せ・ ばか円
れ ろ
ら寧ぅ 。
分がそと
。
いる
啓て 、 そ 楽 し 彼 示 ノ, 再げ マ の ッ @ 語 ド に 句 が 対 ム と 見 し ハ 間 た て マ じ の ホ ッ 主 は 戸 ド 体 正 ウ に に ァこ イ
る い 吹 な う の 瑳フ こ 女口 ば と く 、 は 遮
ラ
ビの
が , T 、 然 僕 実 し 」 は こ と一 九 の か
三節
一 ら と O 一 節 下 O の 僕 節 語 た と 旬 る め が べ 問 丸 ぎ に 節 ム は 以 ハ 6 Ⅰし
とが出来るであろう。 題 が提起される。それは としては、五三章一 0 節の一四 てかュ ることは篤くに足らぬ ︵ 2 ︶
も 九節以前の主体としての
|ク的 結論は出し得ない。 女に又 ﹁彼が啓示した﹂ 宮臣せ川 ︶なる語句は 、 たという意味を斎らさない。
の 意味に解すべ き ことが ょ
つては、神の全能に対して べるに耐え忍ぶことが出来な
したに体ならない。かくて フ ーではないと結論する。
のロ色 Ⅱ 斗珪樹 の 傍 とは、 或
園を示すものであることに 張 するのは否認し、﹁ 彼 ムハ
の 暗示を何処にも見出すこ
げる天上的使者を見るので ある﹂に過ぎないと言っている。 ︵ 桂叶 ︶ ac ゴ穏 あのの ロ ・
、ぎ ,口曳 の斗 りオⅠの・ ト 0 由 ・Ⅰ ま 串の・ドウの 方寸
巨
,一の 可ヰ ・ H め ト一 Q. の・ d ぬ o. ドの色舐等
を分いて三節の主語はムハマ
れる、彼は明にクルア一 ン ︵ 2 ︶
ッ ラ ー 以外にはない。五節
﹁彼に教えた﹂︵曲目付 ョドゴヒ 。
ガブリ ヱル を指す。然るに
、内面的に機熟し、今将に
くて明にムハマッドであり、
り 、九節の主語も亦 之 と司 ムハマッドに於ける神秘体験の問題 一五 ㏄
しこのことも既に触れた 如 ︵Ⅰ ム ︶
整理してみよう。
、全体としての見方に於て
ク ルアーンの原文を仔細に検
訂 しながら考察を進めて行かねばならない。
見出されるのであろうか。
面 であることが指摘される。天上的 楽
ッ ラーで、 如何に考えるべぎであろうか。 ︵ 在 ︶
を 指す用語 ︵ 2 Ⅱ
らない。これは ともなっている。
0 目 0 目笘 ⅠⅡ ︵Ⅰ テ レ ぎ 解釈をすれば天使 ガ ブ リヱ
に 加えて 文 一八節に﹁彼は れていない。 之 等の分析から 箇所に接すると共に 、又 アッ
如くであるが、﹁力もつも
一頁している。そしてこ
れならば、吹にムハマッ ドは アッラーを見たのであろうか。
に 見る時、 ︵ 硅廿 ︶ 別の論議が起り得るのである。
受 取られる
れた。 ﹁彼が見たもの﹂︵ョ川 s.W ︶ マッドである。 一山Ⅹ ノ ㏄
日ま ︶の﹁ 彼 ・ 一 は神アッラ 1
走塁
蓋毛網苧愛臆苗箆誓
,
マ 見 る 念 と が が て こ 「 且 れ プ も の を は 意 ガ も の 借 っ 然 る あ う な 叙 ッ て ッ Ⅰ か 述 ぅ 語 う こ㏄
き円
㏄ 目 u@a@
由 ・
つ む 一 * 一山一Ⅰ︵・
りむハせ
目の
ジ
・ぎ田山・
の
やという
間
ぃ
6 所か
その委託
ることほ
ぽ
ならな
を見たこ
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と が 、 出 来 ナ - Ⅰ の , @ か ら す る
時、
或 @" フ " ス が , 「 マ が、 ア を 見 ナ, Ⅰ 」 と、 い う と を 「マ ド 千ま ア ば寧 なる天使ではない。
れるべ き 原則的結論を見出
アッラーであることを知らねばならない。
論ずる。
㈲
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口 q.W
コ中の
ゴ ・の
す E 、 pn
川 ⅩⅩ
づ M P
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ト の㏄
宙ゴ 0
ヱ c ︶ セ
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の 如く
二色
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Ⅴ 二
ているこ
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乃至
ることに
ともあろ
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ミダコ トア目も呂 0 くコゆ現れている
て知られ
王明かで
め 易い後
ぬに 認め
て 次の如
㈲ 、奇
乃至実体
円 。トコ 下 qu 年 @? ⑧︵︶性∼ m@* ︶Ⅰ 、 0 ︶一八∼ Ⅰ @ 0 ︵︶⋮ 吋 00 オり田番 臣ゲロ ・六 %
% アソ
神約表題 Ⅰ ヌつ @
現 はが黒黒であるが主体は
| 山川㎏ E 曲がⅠ N 二ロ 、笘 ト川・が ヴ ロ内 す Ⅱ / 穏 ㏄
然し ス、
ちに思ひ 曲 一九 ムハマットに於ける神秘体験の問題 をされものである。 ︵ 桂 ︶
ある。アリ
受の物語として 代ぺ ルジャ的
壬憶 う・ つの ナ
教に 於て
様になっ
るであろ
プ リⅠ 目円 下 Ⅰ 0 色 得 如 る ぎ に 内
過客
ぎが
な 直 ぃ 接 古句 ム に ・) ハ 間 マ か , れ ド たはそ
こ ュ間 我 接 々 的 が 十 @ Ⅰ Ⅰ 一 -
O
告白勧
さ か れ 々 ズこ 類 も 推 の す て ・ る あ こ る と と によつ
幸二口,
え よ て ぅ 壬 一口 い ん 百し 竹ヰ 。 は 景 な で 四ル に 人 さ が
距且
はて )
を
為そうとしている所以も
ては、クルアーン六章一
0
四
ては前文には八一章の事例 が 、これに ヱ : 、縞 なる修飾語が附加されてい る 。至高なる地平とは通常の れならばどの様に高女なのであろうか。 まるとして眺める。勿論我々 通してそれ等には、何れも あることを推測することが出来るであろう。 ︵ 3 ︶ る 。こュに何人も直ちに 高 の 意味で移行に就 て 語られれ 移行﹂ 公 円円︶の記述に接す 四
弓の手を
になると
Ⅰ 曲コの 0 Ⅰ・ n ざ ・ づ ・ め印 Ⅱ 釧
に 描かれて
苦参照。
片で アッラ
四章は中 二 O ㏄
ぬ し何れ もク ルア l ンにはこれを証する拠点は別にな
ると思われ
ていない
示は 一括
ている﹂
って明で
㏄ Ⅱ 一 ・ ト ムハマ フド に於ける神秘 体 検の問題
して、
たビ
﹁彼の下僕﹂乃至﹁我々
の点木ロウィ
ツツ
は次の様に一ヨロ
。︵
う 3
︶
の 下僕﹂ 若しこの なる 表 下僕が 現 が用 ムハマ いられる場合は、それは ムハ ヅド ではないとした 場 ムロ 、そ マッ れは ドを 意味して 如何なる神人 ︵ 2 ︶ いるであろう 00 旺ゴの 留目 ゆ ロ口 就 こ見者である。﹂ Ⅱ 川 日出目角 よ 2 曲名ト口 p,p. 曲出 の 川 ︵Ⅰ ヱレ
巨川 出ココ が ゴ偉ゴ目毛が, 8 曲ヨ m 、 珪 , ロヴ曲紐 Ⅰ 偉、
移り行かしめた者を讃 え よ 。この 極 遠の拝殿なるものは、我々が彼に 、
々がその四囲を祀 禧 した 所
であろうか。
してこの章の最初に来て
指すものではないという論議 ないにしても、少くともその 他の下僕に対しても言われる ては、特別に名前を明記せず
あるもの として言われているのである。
園 にある 宝樹である。 るのである。 ︵ 桂 ︶ ㈲ 巾 ㏄のすⅡ げざ Ob. 缶ダ 叩き ㈲ ナコ OqO ゑ鯨 0 口 ・ 軋 アリ ト 8 ㈲の id ﹁ 曲 ︵ 痒よ 口目 寸缶 の 日屈コ ta す卸 最 遼 意 味 ゴた 境
細かく言えばエルサレムの神 代 はこの場所に目口 のヰ ぎざコロの はこれを眼中に入れていた 前 は 又 ムハマッドにあっても えが彼に生々しく迫り、途に アーン一般に示している如 き 口ぅ 表現は他の場合には 全
れているものはない。されば
ろ
うか
。
Ⅹ
ぎ
・Ⅰ
コ
Ⅰ
︵ 廿廿
︶
Po,
Ⅰ
せ
目の等に於て一応このことは明であろう。
ⅡⅠ
ムり
Ⅰ下の
の的のの
c ゴず
口耳・の
,トの
︶
0 ゴ
︵ m
:
P のトムやの
甲
㌍
ら由来していると見ても、 結 するものはない。というの プラハムがメッカと関聯し
5 表現が用いられ、 巨の︶
田 という如 き 表現はない。
加 Zク
ルアーンに於て
ものではないのか。それは
、 実は当時ウマイヤ朝としては、 ガす 隼也 厨ゴヴ い 仁田 甘が メッカを支配・して 71 4 一 ト一一 ムハマッドに於ける神秘体験の間 頼 ︵Ⅰ ュ ︶
られる。 こュ にあっては
以上は、又、あの ェ
タボルヘ 連れ去られ
巴瓦 住 ・ N 口ゅ川が外 を 提供するものではない。 ︵Ⅱ P ︶
一般にかく 註釈されている。
田
暗示されて いる
目ヲのイ 甲科Ⅰコロコ ら
が ﹁私を﹂
﹁入らし
・ ゴの ・ 曲 Ⅰ 0 Ⅰの
られて ぃ る 。い い ののゴロ mp せ * コの
言われる。
gb かち ﹁ 正
なる 人タ
ヰツ 0 コ占の玉
この様な
よりよく
前 に イヱ
母とを、
るか﹂と
なこの 三
的 キリス
於て述べ
スト教の 他界を示すものであろう。 かれたと ぅ 。然し 不す 根拠
する。天使も礼拝をする
た
様なものではない荘厳
さ
伝承的物語にあるあの所謂
ヱ
ルサレムへの移行ではなく
な所論の総てを直ちに
是
なり
にも見えているからである。
︵ ノ杖 ︶
お目︵の
ゴ
FM
︵の円の等
は,
・や︵︶︵一ド
。この
詩
強力な異論
のの 卑り 内のイツ由の
程
迅速に
らののの
由 ㍉ 川コの
Ⅰ 田
Ⅱの田のⅠ
づ の撰の・
い
㏄
臼
のヱルサ
ッド
を光と
だ
,口早
ゴが
日日
0
色のコロ日日の匹
守オユ,卍い
明山
婁 Ⅰ
のにかけて、
巡
二四 のタいであろう。我々はの山ロ Hp ヰ片
ムハマッドに於ける神秘 体 検の問題 五 芯 る さ 明 い 佗 ) て を な 解 と で
。 で は か 鯉 ク ゆ あ な く
荷
もナ ろ い て ぅ Ⅰ ひ " Ⅰ び 日 ム で の 書
桟巨
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主オ
従え
美原
す本
又樹も
千丈 6 ヲに @ Ⅰ ( ま甲 日がとこの
便を 目 見 語 佳 ) ( ③ る 会 もや場共
て にコ 汗 い っ ら て 目 と ナこ のぴ p-
理 の と の の
事み
は て る め る 相は こ楊時
出 煮 よ 得集 来 味 り ︵ 4 ︶
亦 ムハマッドには知られて 我々の保留したの ぎ Ⅱ由ヰ仁田 日 自由 団ゴ 卸もこの 聯関に於て理解せられるので
ヤの 伝統文学のⅠ 汗ョ巴奉 ︵Ⅰ 0 ︶ れるものであろう。かく天上
p ロ
P
、 面
﹁最高集会﹂という
ト 、アル、アク サ 下したと感じるあの 1 を考え ヘノク書
したというその場所として、
﹂とである。そして
又
後者に
のが既に
シ
サ
ブ語
バルク
絨
の が 目
﹁遠い拝殿﹂に移されたと感じた時、
0
, よって天上の
ことが記されている。
ヱ
ルサレム
か
,口耳らげ。
ゴ 0
口の。
ゴ甘日
0 ロ 0
礎げ,の
・㏄ W0
曲
ひ葵
クは
大使に
天上に昇らしめることもあ
︵ⅠⅠ︶
た
とへ彼等の為に天の門を開
偉の
Ep
︶が日が
コ由,
お目叫ぶ
ヰぎ
と 言い伝えられるこの岩 ︵ 2 ︶ がヨ qN の コ ︶︶に対する証言が それならばエルサレム あるのではなかろうか。 一つはエルサレムは ム レムという観念があり 得 点が つの意義が見出されるであろう。
サ たことに関してである。 Ⅰ一女 一 74
75 付 Ⅶの 由 q,W 口 , い由由 ・ オ ㍉円目Ⅹ づコゅぴ ︵ 硅し ㈹の宝田 戸 トロ・ 出骨 Ⅹせ い Ⅰ
㈲の
口 q,W コ ・ レ甘叫 Ⅰ 甘 Ⅹ せ里 五三章の毎 ㈲のⅠ ユ 別口・ ち甘 中ロ, w 日せ ∼㏄のるもので ㈲ Ocq 田鰻 し p5 ロ・ オ ㌫ まバセ目 Q ㏄
らなかっ ㈲所謂へ︶ ク書 、バルク青苧 二七 ムハマッドに於ける神秘体験の間 彊
言われたり、﹁よしや天上 ︵ ミ リ︶
革コ Ⅱ コ コリ 同 実に我等の眼が 眩
はこの様な天上移行が必ずし
に 十五章十五節等に伺われる
る 魔術的なものとして受取ら ︵ 6 ︶
いるのである。そしてこの
るかも知れない。かくして
と 認め 得 べ き ことになるで あろう。 ハ 4 ︶
ド コ川ガ岸川 ヴ笘 コロの 由 Ⅱ曲名主 甘且 のであったことが伺える。 そ
測 出来る所であろう。 ︵ 3 ︶
の 昇天に対して﹂という如 き
子を求めよ、
って明かであく す る と の る そ の 寧 格 に ら 、 る 。 を 人 。 れ は ろ で 内 我 ば か ム 。 か 退 問 彼 に た 特 あ 面 々 こ く ハ こ く げ に は 止 ビ 妹 ろ 的 は の し マ ュ て た 外 侍 さ イ 体 5 に 既 様 て ッ に ハ ム な 妹 ら ス 験 。 関 に な ム
つ て は は
と し わ れ ん し 文 - Ⅰ
と が , わ か
行 れ ぃ 示 れ 禁 度 の か 独 そ 五 で て の す た じ は 様 っ 特 れ は 展 で る 一 て 更 な た な と な 開 あ こ 伺 い に も 。 性 正 そ れ な 二八
ほ な い ﹂ ぼク ルア 一ソを 持って来ない﹂︵ⅩⅩ ま ・ N 卍 O ︶等
﹁サダン 76
りながらも、然も啓示によ
れて、かくてその異常なる
は パウロの如
き 現実地上的な
出て来ないま
ュ に止め置かれ
蚕か ウで此る 岸信
く
ッあ 広
竹
にはで
綜 Ⅰ 者 よ 「 語 9, Ⅹ とれ名そ
な ル寄付の 特概ア
を ェ時 て
守で
ある
知り ノノ レ Ⅰ ま、
のがロ 護午 ぬ く 3 口 2) 釈ん " 毛の 目の 4
隼由 0 の コ
解等 ・ 日 ,め ・ @
自己昔日の文体乃至様式で ハマッドに於て 或 種の神秘 ︵ 廿油 ︶
返して述べ
上 のこと
於てまで
あろう。
ムの ︶天上
Ⅰにあっ
零 的にか
の N Ⅰ 0 ㏄ 寸
ならば パ
いうこと
出来ぬ 、
でさえあ
糞 であろ ラ 0
。 た Ⅰ 夢
あるっ そ
とすべき
中 最も
に 於ける
クルス︶
ぬるなら ぽ 何等疑 う 余地はな
ぬな 検討を
しでほ 少
種の神秘
れなかっ
でのイス
を跡 づける 圭 O
新哀韻
傍 薬巨︶とを見出すの 萌芽をなしていることを 十 分 指摘することが出来る。
ムハマッドに於ける神秘体験の間 頼 一一一一 る 場合が多い。㈹然しそこ これ等を通してムハマッドの特殊な宗教体験 は ﹁アッラ 一 ﹂乃至﹁アッラ と
。㈹このアッラ
一 的な フ ーと直接面接し、これを 見 れたことが推測せられる。 神秘体験であって、仁田 0 で 箇所では具象的に 、 何れも 。自然し幾多環境的な歴 的姿事としては何等強調され 、力 Ⅰヒン的なものと混同 の 影響は、それは夢幻的な 体験の場には登場せしめら 盤 にあってそれは直ちに新な しの種から井が出る為には掘り出され、追体験 的場面に押し出されて来る様 格 のものとして、欠損一種の 九五二、六、八︶︵天理大学教授︶ 79荻
宗教的低度の此校訂
蚕 一 - 一一一一ぅ というのである。 民族を、調査の対象とし
、言語的制約があることで
る
一国、一民族に限定され
的な短所として考えられてぎた。
四姉 = Ⅰ 概 完調 議誇査査
態 のの男方
甘持株法的
相宗教的態度の比較
調査
高木きよ子
人の
、 特に若
い 知識階級に属する人
か 。それは、米国の青年達
と
も文化的伝承も異なる地域で
行ってみたのである。
国は、キリスト教的伝承の下に、その文化が
形成されている国である。
に
大きな足跡を残して
きた
はない。更に、
七
00
を数え
向は
、国民の日常生活にも
反
ない。寧ろ、宗教には、
概
田
大学生を対象として、宗教
味 深いものがある。これと、
て
行われた。ハワイは、米国
ハワイの宗教は、白人系住民、東洋人系住民、
ハワイ土人系住民によ
つ
ついて。
ぬ容 、年齢及び原因につい サ -
た 事項、 ほ ついて。 第六間。宗教的覚醒に関するもの。
宗教的態度の比較調査
三五関するもの。
するもの。 ある。 にした。 の 如くである。 質問表は長文にわ 程 かの改訂、補充を施し、日本という文化 環 境 に沿 う ・線にととのえた。 即 洋人と関係の深い宗教を加え 道 的なものを加える事が必要
日本 ある。 的 背景 ら な い 語版調査表の作製で ね 、併し、興味深い問題があった。即ち 、被 調査者の宗教的、文化 、幾分、変えねばな る 。併し、日本の学
主調査の方法
及び、朋友との比較。 第十間。宗教的行為について。
観念等に関する見解を求めたもの。 以上の質問を 、 別の角度から整理すると、
九︶
、 五︶ 三 、宗教的行為に関するもの︵十︶
四 、十五、十六、十七、十八、十九、二十︶ の 四つに分類出来る。
通りかの回答を設けてある。その回答申、最 6 滴 当 と思われるものを 選
て 、一間を記してみよう。
持 になったりしたことがあり ますか。 ェ あった 2 なかった 3 分らない
ヰ ヮ Ⅰ ¥¥ Ⅰ " 倍 4
第一図 費 科 数
宗教的態度の比較調査
学 校 東 日 本 女ラ ド ク リ ハワ イ 大 名 人 数 大 3 和人 子 1% 人 ド 414 人 フ 田人
早 れ田人 女 285 人 午 齢 人数総計 20 歳 以下 20 ・ 歳 以上
19.2% 80 ・ 8%
483
人 印田 49.7 46.5 穏よ 500 人 94.0 6.0 35.7 64.3577
人70.2
29.8 拮 婚 1 の 学生である。国立の大学であ 宗一派にかたよらない。学生のゎ一木 学生の属する社会環境も 、 極め る 日本における東京大学の位置 類似して居り、比較上、適切であ、人文科学系統の、旧制及び 新 は 三五 0 名で、配布総数の約六 0 一 セントである。 生 、日本女子大生、及び東京女子 子 大学は、国立であり、男子に 於
に 私立で、多少兵、宗教的色彩 率は、 七 0 パ一セントであった。
と 、隣接するラドクリフ女子大 リ ンィ ション部門︵しので 曲ユヨ の コ田 い た学生であり、四一四名が回
、八六名の回答があっだ。総計
報 古されている。もとより、 こ
国学生全体の傾向であると見る 三七 の 正 答 監 生 さ げ 大 パ 制 る は て 教 り
に 於て 、
、という事である。第一問 根本的な問題がある。 そ
﹂
となる質問である。 | 宗教を必要とするかどうか では、詳細に論述する余裕
く 概括的な観察を行 う ことにする。煩雑を避 げる為に 、 細い数字は、すべ て 、図表に譲った。 三
宗教的態度の様相
かに少ない。 得ている点から考察すると、 支えないであろう。 子 二八五名、計五七七名 0 回答を得ている。 長 であり、既婚者は、 遥 / 化 ㏄第二図宗教を
必要とする気持について え よ こ ぅ 解 釈 学 の ・ こ ぅ と す 生 の 。 に れ ょ 質その
俸
るとい
とい
就いても、同じような結果があらわれている。
よりも
りも、女子の方が十本教的傾向が強いという
は
、男子よりも、宗教を必要とする数が
、
多くねっているのである。
る
宗教によって
、克
されているであろう
生の場合には、﹁宗教的人生観のようなも
、
著しく他を扱いているのは、興味深いこ
の
比較
丸杢
三九
八ワハ 宗教的 志度 間の回答によ りも少ない。 ば 、日本の学 なる。以上の 女子の場合に 焦 回ぬ。
坤受けましたか﹂ とたずねたのは、この問題に関する。
り ﹂というのが
者の数が、相当に
者が比較的多いの 教 には、大して 係わ 、 最も多 多い点が と 、よい りを持た 第三図・欲する 宗教の 2 宗教的環境の影響について
、宗教の影響を受けて き る 上に、見落す事の出来ぬ間 額 である。第二間で、 の 大部分を占めている。 日本では、成立宗教に対する興味が薄いと 共 教 フ 四 臣 O フ " ス タ
ら 新 出 し 数 れ 宗 来 た が が Ⅹ る 教 ぬ 知 。 に 気 識 ョト そ 簗
宗教的態度の比較
議査 四 * ㏄ 解決するため、或は 、直 40 機 があろう。第五間で行 っ、日本の女子は、男子に 鮫 。 へ
いえば、女子の方が、感受性
女児の方が 、 触れる機が多
生活から、かけ離れたもので
第五図宗教心を
抱く動機となったもの みの女
女 男臥識
笘死り
Ⅱ 知 ものしと
為 ス ぢ四二
対し
多いの
に
示した
通
庭の影響に
﹂とと、
伝
緩流に従
う
為にという項目が、日本に於て
、
非常に少
い
㏄
によ
るもの
ぎである。
のみでは
幾
傾向、無批
見逃し難
Ⅹ
とい
るもの
㏄それ以上 " これは、一 に於ては、 ⅡⅡⅠ Ⅰ 乃 種 の 教
図宗
六た
第け
Ⅰ ト ノ を一 ィし
アメリ り 東 つ 抜
ハワイ 群 : 以 ぎ 態 60
宗教的
大 土 ん の の で 度 の比較 苑杢㏄ 却
㏄⑳
栂
示教と、如何な っ の型が 、 考え も 在も持ちっづ けて
宗教の分野 へ走 者に属するもの ︵ 第セ図 ︶仏教 境の宗教から離背 し 四三 間の仏教が、目立っ。 又 、日本に 宗教の影響を受けている場合であ そ いるのは、宗教の影響を否定し た 者の数である。神道は少 く、 る 。ハ一 バ一ド 大学の場合は 、 於けると同様、混合した形が、 たちの環境に於ける宗教の ﹁混合したもの﹂という状態がある。 天牛 が キリスト教であり、ハワイ大学 見受 げられる。これらが、学生の生 い 種類である。 生 が影響を受けた宗教の種類に就い に 於ては、キリスト教と仏教が
、
るそ 出 生 し し 達 て て は 一 行 ス であろうと思われる。 91
第セ図 環境の宗教と 現在求める宗教
男女
キ教リ
52%:
65
。
2
│神
遊芸
影難 なし 婁
:
四四 ト教 以外の宗教は 、生
ぃ 。而して、その人 ようなもの﹂という 分
その背景に持っ者に て ぎた宗教は 、 キサス
ている場合が多い。
千 四五。ハーセント、
もの﹂を中小めてい 二リ 。 来ず 、それ以外の分野 今 にとって不必要であ 千三 0 パーセント︶の
的 影響は 、 全く何も
自分達の人生に 於け
めて関心が薄いとい 3 便同を 、 示しているといえよ う 。
女 の 占 l から心裏書 ぎ された。第三問で、 てきた場合、その 兵え 弦
宗 教 的 態 寅 比 校 調 蚕 四 丘正 第八図 生 いたちの宗教への 反搬 80
60
東大 ---- ィ lt-@ ⅡⅠ ド
ハワイ ( 甘土 )
@ ⅠⅠ l い い
ク O
玉
ト
Ⅹ へ 攻 り 分 臆この場ムロには、学生の宗教心 事は、 左程 困難な事ではない 寂 しつつ、 極く 広い意味で、 水準として、学生の宗教心を 較 させてみたのである。 第セ 対しては、無回答の者及び、 較 的多かったが、それは、 や ぅ 。第九図が、この結果を示 を、 彼らを育てた両親のそれと比較する であろう。本調査では、斯様な困難を考 ﹁宗教的である﹂という常識的な見解を 、彼等の両親、及び、朋友のそれと、 此 問 、第八間が、これに 当る 。この質問に 分らないという回答をした者の数が 、比 はり、先に述べた理由によるものであろ す 図である。 ない。この 度搬に |マカト サックの は、やがて、その 4 宗教心の 日本に於ては、 は 、家族全員が 、 からである。併し
ては、 巨
らの 反授
る 場合も 、 多いであろう。 深さについて
本の家庭で
ムロ が 、 多い
古手 ハがトヵノぃ 0 者は、 二 0 。ハーセントに過ぎ た 時代がありましたかⅠ
セントは、かかる 反接を経 -93
四六 t" 女
心とを比較する事によって示したのは、
の 持主ではないと見受げられ
、不思議な傾向である。この
の 学生よりも、両親及び友人
点では、 牡迂 、米国の学生達
全的な様相を示すものとし
したのは、次の第九間の緒 某 である。 卍
宗教的態度の比較調査
白 6 の方ケ 穏い弱 b
卑皿已
分ら
と り 。 ヒ鍍
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臆中国 日ポ 口四 95 十ま @ 、 査 る る @ て ・
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で の る の も 経 心 の 過 の と つ つ を 興 し の に 重 回
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0
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の く ず 間 キ な 2 と 相 、 し 題 り い つ が 世
な る い 結 さ は る れ い も で 果 れ か の あ と て キ か 、 で ろ 煩 い
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男 で れ 生 る を で し
わらず、教会に就いての
質
い
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態度を示した者は、
僅
げ 見 る 解 第十図 宗教的覚醒の 経験 51%51 も ㏄ 63 男 24 49 49 め も る か
経験しない文仁
7 37 37 つ無 回 答 婁
(1¥
穏を、
二町 は さ かぶ巨的
内神
関 よ の そ 樋 貫 9 手 の め 問 " 埋 経 て の 稚 さ 過 、 結 ヒ を は 穂 果 で し 々 も 第 あ て に の 十 る い 」 で 図 。 る 行 あ に戒 行 る 組 男 。 わ る 示 女 回 れ 。 し 問 心 た 而 た 聖 - 対 の 息 、 の を 。 し 。 差 経 と て か は 験 迎 、 か アァ ヒ 、 し べ 日 る 日 た て 茶 経 本 年 い に 験
で 齢 る 於 を る は は 。 て し " " 突 は た そ そ 発 、 者
れ の 的 こ は そ 想 、 想、 教 っ に
甘露
;
葎寡汚
を 対 教 統 は の 介 し 的 の 、 は 類 て 親 下 人し
宗 て
学等
念にぎ
、
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、そ も、生は
その 教頂 か の 整 お や
、桟
なるにお 宗教 え、
手、
㏄
A 教 第十一図 会についての 見解 み本 so
社会に害悪を与える下も力
る
ⅠⅠ @@
00000
教 的態度の比
接 調査
れた。︵第十一図 B ︶であろう。全面的 四九
グ Ⅰ
実 った見
解
見逃す事は出来な 仏教は、次第に形 て、 軍に、民衆の るよ う に見受げら 状態である。奉謝 ﹁お寺は 、殆んど 事 もしないし、 阜味, Ⅰ
れ
い
ナ, Ⅰ 査 では、
に 、お葬式や法事を営むだけり場所である 0 ﹂ 寺と 、氏神の社を
多くは、キサスト
教
信者で
しれに対して、キリスト教
信
い
。日本の学生達は、客観的
外の者の間では、教会への
立場をとうている。ハワイ
への見解は、結局の処、軍な
的機
照 ,大神︶
キリスト
1 キリスト教を信ずる者にとって 、 にょ れば、キサストは神的な、現在求める宗教が、あま には、何か、漠然とした、 民 る 態度を有している事が 、明 らかとなった。
五
O
98
にお寺を支持している者は、
極く
少数である。
として、崇められて
合の上に、維持され
0
対象は、神社であ
見解
0%
十一図
C
に見るごと
意
的な面が強いといえよ
う
。
生田つ一
-
B
後
にもたっていると
思う
0 ﹂
解
見
神社への
(
東大生
)
C
宗教的 患睡 の 比軽 調査 50 天照大神は、高天 であるという極端な セントに過ぎぬこと に 実在した一人の指 ㏄ 五一ある。斯様な見解が
仏陀の上にもあられざれたのであろうか。
下した解釈も
、
前の
るのであ 仏陀 を体得し れは、 超た
者が仏陀と呼ばれる。偉大なる人物釈迦は
自然的存在ではないし、架空に描き出された
一体、仏教では、神という存在はない。仏教 ろ う 。 査に 於て、大年を占め 以上の・存在とみなし 多数含まれている 人間は、
神と精神りを開いて、この真理
上の人間であった。
こ
解釈が、優勢となって来て ぃ るもの、神が人間的な肉体をと 教 信者ではない。彼らのうち、 い 。︵第十二図︶これに対して、 つてあらわれ 以上のような キサストは 、見解をもったものは、僅か十一
たもの、であるという。併し、
一個の勝れた人物、偉大なる
本調査の対象となった学生は
パーセントに過ぎず、米国
よ
師
導者と見なすべきである、
全部が 、 キサスト りも、海かに少な という見解は 、甘
糾を 、見逃し難いであろう。 吹に 、永遠の生命の問題は、どうであろうか 解 見 の へ 者 さ 槍 U* 図 一 一 十 第
キ リ ス、 ト 仏 陀
ハワイ東大 @ ハワイ東大 東
@
- 大-""""""-"""
@:.
トハ
一 "Ⅰ 7
5@ 1@ '@ 11@ 3
8
三 、神、永遠の生節について
神 観念である。神をど
﹁
死 ﹂であろう。生命の終焉
五二 ㏄ た 結果、出来上りた存在で あろうと、い う 解釈をなしているのである。事への烈しい意欲は、死後の
相 を幾っか提示し、学生の 争
宗教的態度の比較調査
五三 Ⅰ 01ント は、宗教の不必要を表明 る 剋 回 第十四図
永遠の生命
こ o は起にた。
答こ
れ る そ に信じない
一
Ⅴ 吹 8@ 3な ハ ノ 示 し ツ
72ちいして
0
キ.Ⅰ ,
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と 教 す 学 示 は 双 、 " 万 科 こ 全 の 学 れく 安 と は 小 脇 宗 対 忠 ス あ 可 が 教 第 能 心 と 十 歴 朝 槻 。 醜 で て で で 要 は 一
回 る
五
四 ル グ 関 の の
無もも
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主村主にへ
義対の日の
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に 自 る 間 に の す 小 米 大 社 関 撚 Ⅰ プ 心"
散て
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あ " 者 に 反 観 る 満 夫 年 会 す 観 は は 対 合 も の に が に る のにの
つ五者。
雨 る " の に の 一 賛 " 対 見 否 い つ 間 使 て で に ら 槻 あ 相 が ;102
的 意味内容は 、 含ま 行動は、宗教的行為 徴 されるものを取り 種類を、 A.B.C である。 A は、ある特定の 集会への出席の頻度 宗教的 蕪 れていないといって差支えないであ と著 られる場合もある,本調査では あげたが、それは、この ょう な観点 の 三 つに 分けた。何れも、その各々 宗教機関に対して行ったものである を 尋ねたもの。 B は 、所 りをしたり 廣の比較 拘査 ろ う 。併し、神社がその対象に選ば 、学生の小示教的行為の頻度を知る 為 に 立つての事である。第十間 が、こ に 就いての、過去一ク年間の宗教的 。教会への出席、墓参、お寺請り、 、所願を籠めたりした度数である。 神社参拝、及び、その他の宗教 C は、各人の意識過程に関する ㏄ 五五 れているが為に 、屡 そ に、 幾撞 かの、宗教的 れに関する質問である 行為の頻度を求めん と
しが行こ
た、 為の
も そ と 種 の の 見 の ァ 宗教的行為の頻度について ばれている行為に 社 におまいりするとに 敬虔な 所 りを 神 、 含まれ 、毎朝の は 、宗教 した者によって占められる。これに ト教 信者であるという,即ち 、 一つ 日本の場合は、科学の立場にたって るとみる事が出来よう。日本の学生 教を考える場合には、形にとらわれ は 、超自然的、超人間的な成立宗教 対し、米国の回答率は一六 の回答が、相反する二面 ホ め、宗教との相剋であり、 について、 ム ﹁一つ明らかに ね 、成立宗教以外の分野を の 観念をあてはめている 事 パーセントで、日本よりも 梢 " ら 、夫々選ばれているのであ 米国の場合は、宗教絶対支持 なった事がある。それは、 彼 がある、という事である。 求め乍ら、・斯様な思想的な と 多い。然も 、殆 んどがキサス り、 誠に興味ある問題である。 の立場からの科学への 抗戟 であ らの多くが、自分にとっての︵一木 問題としての 小 示教を扱 う場 ムコに
第十五図 宗教的行為の 頻度
(Aj
教 会 お 寺 墓 参 神 社 そ の 他日本米国 本 日 本 日 0 ・ 5% 0 ・ 3% 0 . 8 ㌔ 2%
0 ◆ 5 0 ・ 5
= 週間に一度 0 ・ 8 0 ・ 3 0 . 3 0 ・ 5 0 ・ 5
9
ワイ
2.4 2.00 . 5 2.0
20 45 22
25 48 61 71
46
無
回答男工
女0l
7@
OO
17 17 22 1720
五
Ⅰ ハ
教的
感情を経験した
頻度についての問題である。
駁
すると、日本の学
れである、
とい
え
ょ
ミ ノ。
一回
位
﹂というの
である
"
これに
薄
に
行っている者は、
平均して入って
い
会に
於けるキリスト
なるという事実を
化の型の一
つが、現
出席、という申に
出席、バイブルク
l0 み宗教的態度の比較調査
毎
宗教的行為の 頻度(B)
いての問題であ 何 が、あらわれた。
、全体の工 百に過 ちにも、かかる経験 五七 な い, ︵ B 図 ︶ ほ ついては、判然し 一・一乗一 り 宗教的感, 晴
国
日本米国
12 28
15
2
ⅠⅠ
7 5
2 ⅠⅠ 23 172256 17
一品
t72
学生 が、牛されて
もの
Ⅰ ノ L ﹂
形に の 示した 傾 同 数に達する。 いる よう であ をも行わなか 所 つている 例 とらわれ ぬゎ示
ラス、宗教講話の会合等が / 墓参の場合に就いては、 を占めている。墓参という への愛情に塞く 、 限りない 強いものである。多くの 日 ぅ 状態が最高率を示してい
、あげられている。形は
、 様々であり、
行動に
伴う
感情の中には、先の何れにも
思慕の情が
、 含まれる。一方、日本の
、
本人は、墓参の機会を、機械的に興えら
その度数も 、 極めて少ない。 れる。この項目では、﹁年に数回﹂ 見られぬ要素を見逃し難い。自分達 民族的伝承である春秋の彼岸、玉蘭 れる,墓参の項目が 、他 とは異なり ごめ ,づ,フ 。 という頻度が、最高 の祀 先 、肉親、知己 盆の行事は、相当 根 、﹁年に数度﹂とい 1058 宗教別に塞く宗教的態度の相違
体を通して、 いて、考察して行こ うと 思 う 。 ぞむ者の間の
者は、すべての
そその 度 ムロが薄く、ユダヤ教徒は 、 伸への 信 仰 以外では、先の
な 見解について ど 関心をもつていない。
合せ、それに 宗教別にょ 差異を検討 点で、他の 二つと、殆 は比較的 宗 、人種的 條 を、 極め も、斯様 米国の 定してい し、これ は、宗教 学生は 、 る 。この 五八
約一でなかった。 併 は、 極めて興味あるものである。︵ B 図 ︶
の 何れをも、全く 杏
その頻度に差はあるが、宗教的行為を実践 し ているのである。 併
りではない。彼ら
状態である。日本の
、 極めて冷淡であ
㏄
@ 日 本
的 ・ 弱 態 い 臣 の 比 校 繍 禿 五 九
睡
り 調 一 返 ,釜 本 " つ の 調 日 て 精 査 米 、 果 に 共 そ と よ に れ 比 っ
努
,
鯨豆果
四現に
在紐ど
、
の 学 概 弘 め う 生 要 て い の と み ぅ 宗 す ょ 様 教 ろ う 相 古句者、
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が態
あ 慶 ま 舌 万 祝 ら に が に わ は れ 必 そ て 知 要 の い 何 と 要 る なと 笛 そ 徴
玄鶴 窒貧
者 に 要 ら ょ あ な れ り げ 点 た 参 れ に か い ば つ い 但 し て え J 項 を 、 そ の 女 木 に 国 害 Ⅰ 観 に 合 察 お ま、 や し け 米国 た 同 の が じ 学
質
生 合 間 の 一 表方が
強 振 る の 共 著 れ円 宗 と あ 教 と ' 度 ッ
の 勢 て た サ れ 人 数 り 演 甘 で、 を 、 宗 ス て と 的 ク 郎 テ
合 は 観, 神
て 力 現 む 也
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仰 教 信 信 教 す を 抑 抑 を る 求 を に 必
崇 め も ょ 妻 彫 る を 無 。 寄 関
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とし の こ せ 心 回 合 づ 左 な 育 め て のに げ 若 い 無 様 い も で は る さ 者 あ 、 場 れ の
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