,島 越
二所 6 者と 斬 られる者
一 寸 て
つ 護 れ を
し
は な
わる げ奉、
ぎし ) 給 ,え
て 奉 ば
在 れ
ま
こ の 社
せ 0 代 金
七八
所る 弁者 制 的
者 と 約
と し を
し て 受
て 0 げ
の 立 な
立 場 い
場 を 絶
に と 対
立 6 者
の
神 神 も い
々 に い の
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誕 る
珪 聞 み 得 お 人 や
君せ
を三巻、 (
し て
嶽 御
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た 王 t, ま
聞 に )
君 を
が
ま ナ, ヒ
神
ケ ア ヒ
対
る
」
と い 乙ノ
重
の 127
おれ てい のり︑ ょ われば 降臨して 所 りをし 拾 えば
ぎこ ゑ天ぎみ ぎや ︵ 訳 ︶ 聞得 大君が
ぢ 天の ︑せぢ ︑おろ ちへ
天地の神霊を降ろして
お ぎやかも い に ︑み おや せ 荷負 王 に奉れ
︵国王は︶千歳に在ませ とも ムと︑す︑ちよ われ
穣鰐
の 三音 は 御嶽の神を所るもの︑最後のものは 天地の神霊に対して
m. 社会的制約をもた
ることを願って詠んだものである︒
想 が混沌として︑
とを同時にとうている
る ︒ 祈 ると
ないよ その過
のであ ぎこゑ ︑あおりや ゑや
︵ 訳
︶有名な 阿 麻理 星恵︵巫女
名︶ ょ
もりに︑ ちよね ち へ 森 に在まして国 の 末 まで 在 ませ
八 O
この 所る 立場にある者に︑
が 神としての立場に於て 御
国王こそ
天下を治めよ 天 ぎや下︑おそ い ︵大君の対句︶ ス と よか︑せ だかこが 日神に申上げて 国王こそ あぢお そ いす スい し ゑげ り︑ あぢお そい 勝れた兄弟なる国王 ょ あょ が ︑う ちは︑なげ くな 心の申は歎くな 勝れた兄弟なる国王 ょ ス いし ゑげ り︑ たュ みき ょ 肝の中は歎くな お き も ︑ 5 ちは︑なげくな義一の︶
128
のであるが︑第三ケ・ 第
を 守護するとは述べられて
奉仕者としての巫女の神
リ 神の信仰のみは接される
於ては︑巫女は現在神の奉仕者であると共に ︑ 神︐ てのものとしての意識を
も 未だ抱いているのを見ることが出来る︒
歩 進めたことであった︒勿論︑
発したものではなく︑たど
えたいという心理から起つ
人間的な姿に移し︑それに
がために︑巫女によって 神
った ︒併しながら︑そのこ
化は ︑かュる 経路を辿って
発展して行ったのである︒
中で︑初めて名をもった
い う 役割︑即ち政治的実権
るという特殊な職能をもつ
琉球に於ける神々の群生 八一
129
これまでの神歌によって示したが︑こュでは 神の依 料 として神の意思を
ろしている例を示したい︒
︵ 訳 ︶有名な オシヵサ ︵巫女若︶ が ぎこゑ ︑おしかさが
自ら所つて︵降した︶ みて づ から︑いので
の 状態に停 捲 しているのである︒
︑所る 者の立場へと移行
怒 侠者としての立場をとるに
理解し易かつたが︑その 代
見られるよさになると︑神は
姿を人間の目から隠したので
る ︒
国主 球の
度々
しの
曲目
その 八二
詩プ︑シ給 神地 し ︵ 巻 一︶
王 ︵在位﹂五八九 | 一六
神の命による国王の即
の 信仰の対象としての神
されていなかったこれ等
永久に速して消失したの
王の時期を以て神観念の
130
めよ︑ と い う 内容で
琉球 に於 ある︒
ける 神
々 こ
の ュ
挺 で
生 は 神 の
怒 依
す
る
者
と し て の 巫 女
が ,
明 瞭
ケノ "‑
スト
さ れ て
Ⅰ マ
る
八
1 班
日神の託宣を歓んで てだが︑おさし︑ほこ て
国王 よ あん じお そ い し の
国を治め 拾 え かけて︑ふさ ょ われ
む君の按司︵ オ シカ サ の対句︶ ス とよ な きみのあんじ ゃ ・
ス しよりもり ちよ わる 首里王城に在ます
世の主なる国王 ょ 世 のめしのあん じお そい
真玉王城に在ます ス まだまもりちょわる
美しい カナヒヤブ 御嶽に スみ もん︑かなひ やぶ に
刷 って降ろした君の てづて ︑おろす︑ き み や
日神の託宣を歓んで てだが︑おさし︑ほこ て
日神の託宣であれば ス てだが︑おさし︑やれば
恭 くいた ビ いて もちょろ︑かなしけや
日神の託宣を歓んで てだが︑おさし︑ほこ て
国の為に降り拾いて ス しま︑なおし︑おれ ね ち へ
男達を守護して︵降ろされた︶
ころく
ょ︑み まぶ て日神の託宣を歓んで
て︑
そ れ
ヰァ 甲
つ よ て 国
治 を
のが何時頃からであるか
伝語時代に入ったという 事
﹂とさして遠くはないもの
ので︑この 士 示教観念の移行
は ︑前述もした如く尚寧 王
態を現在にまで伝えている は 勿論不明 美 と︑所 る
と見て差支
は徐々に ︑
の時に 於げ
ことである 八四
であるが︑神歌の創作が大体 爾宙
‑ 者としての立場の神歌が数少いこ
えない︒併しこれ等の御代のも
而も混沌としながら行われたもの
る 宗教観念の発達の停止により︑
︵大阪学芸大学助教授︶ 眩 ・王の とな のに ‑ と見 琉球
め ︑近代学者の著作に
仰信すべ き のみである︒
白票 に 駆って義を取る﹂
表して散て後昆の参考に資
子 は﹁般若心経 L を左記五段に分つ
第一段︒実証者を挙げて 深 般若の功徳を示す︒
観自在菩薩より慶一切苦厄まで︒
第二段︒ 深 般若の室 相 を明す︒
舎利子白下 異室 より無所得 故 まで︒
第一節︒諸法と空相との不一下異 な 明す︒
舎利子台下異本より本復如是まで︒
第二節︒ 六 不を以て総じて諸法の空相を明す︒
般若心経の新 鰯釈 八五
Ⅱ 藤 精 力
至るまで真数優指 に追あらず
然し是等の著書は何れも其の
傾ぎありて未だ曾て公正なる
せんとする所以である︒
神
︑就中︑弘法大師の
亡 不義を中心とせる 註
学究的立場 よ り之を
般若心経の新解釈
1 館
放 論般若より 薩婆詞 に至る︒
の 苦厄を度した﹂と表 50
いが︑是の点に関して説明
す 所は︑大蒜般若の奉 鉢品に
0 打 淋 佐古明に
下ヒ 概︑
空相を明し︒次に三乗 所観
の 空相を説 き ︒次に無苦菜
第三段︒行人の得 益 を明す︒菩提 薩睡 より三親 二 垂口 提 まで︒
第四段︒ 深 般若を総じて 神児 に結 帰 す︒
故知般若より真実 不虚 まで︒
第五段︒正しく 深 般若の神児を説く︒ 是政空中より 以 無所得 故 まで︒
舎利子 是 諸法より 不増 不滅まで︒
第二
喬
︒別して 繭処界と縁 調度の空相を明す︒ 入キ ハ1%
﹂と訳すべぎである︒予が
1 箱 般若心経の新解釈 八七
和訳であって ︑ 若し未来の
次に無智 亦無 得︑以無所得故は菩薩乗 所観の 空相を明かしたのであるが︑
ぎ 大来三乗教を以て之に配し
正法五百年を過ぎて次の像
穏鹿 論 L に数十 グ 所に引証せ
過して勃興しだ法相宗の如 き
の 主流は大体上座部系である
ていたのである︒然るに 誼
世界に他払出世せらる上こ
万年の間︑他菩薩の出世 す
者 ﹂とは有部宗の学者であ
共 成仏道と 説 く法華一乗 の
提 心を発した者は普く成仏す
得 中道の理を観じて成仏 す
得 故の句に 蟻 めたのである︒
第三段︒行人の得益を明かす下に
ロ提 ︒
を 以てせば︑
の 私案に依れ
三亜Ⅱ 提づ 巳待命 得当 ︒得︑云云︒
ら てある﹂然るに有人
ているか︑蓋し般若 研
け り﹂と和訳したことは
又 若し未来の諸仏に約
すべぎである︒
には︑次の如く 蔵通別
言︑ニは 縁覚の暮 ョロ︑ ま此 | 究
め
︑且 井れ ‑,
四 の
三ま 般若波羅蜜 長 大明 児 ︒無上明 児 ︑ 無 等等明光︒
今現在十方諸仏︑本田二足 明兜づ得 二河 褥 多 羅一
と譲き ︑ 文 同法施 品に
善男子善女人︑従︐北中 ‑ 学︑己 学 今季哲学︑入
を殿二親三菩提 ゅ 未来世諸仏︑
一 % 三菩提 ‑
ヨ ︒得︑乃至︑阿羅漢 果 ︑求: 梓 と 挽 き ︑丈司 勧持 品に
を 分ちたる典拠は︑大 岳 般若の大明 品に
明兜 + 得 ニ河博多 壁一
一玉 口提 ‑
毅一
三生
八八
136
本邦第一の梵語学者で
してある︒日はく
と表 ぅ ことがある⁝⁝ 近
此の神 睨む︑
菩提 薩婆詞 ︶
る やを知り得ない︒ 故
直訳すればとて︑
へ覚よ ︶ 薩婆詞 ︵我は
依頼し敬礼す︶
と 意義を籠め力を強め 技 着心経の新用 釈 八九
るに先年知友清水谷恭順大
があった︒
指し︒四の波 羅僻掲諦は︑
真
日量
茶 雑
具 足
輪 田
第五段︒正しく 深 般若の神 睨む説 く︒
他 ︒ 波羅借掲諦 ︑自度度 他 ︒と釈し︒
是の申に事 究 克と 理究 克とあり︒ 一 と釈
諦 ︑自度︒
を 明すなり
打栗 を頴
の 真言で露地の大白牛車に 労 るのである︒
呪
化ま
果 を 二 利 目 ノ二 乗 Ⅹ