• 検索結果がありません。

『宗教研究』臨時特輯号(*58号)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『宗教研究』臨時特輯号(*58号)"

Copied!
300
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

――目次―― 1,現代的と宗教的,姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.1-15. 2,仏教の発達と「新鎌倉」の創唱,宮本正尊,Shōson MIYAMOTO,pp.16-58. 3,神概念の変遷と社会意識との関連について,増谷文雄,Humio MASUTANI,pp.59-82. 4,宗教と階級闘争,丸川仁夫,Hitoo MARUKAWA,pp.83-103. 5,宗教批判の標準と社会的宗教哲学の任務,中島重,Shigeru NAKAJIMA,pp.104-115. 6,宗教経験の二形態,主として宗教心の発達について,上野隆誠,Ryūzyō UENO,pp.116-133. 7,宗教現象と経済現象との関係,Néo-sociologisme 宗教学説における一課題,古野清人,Kiyoto FURUNO,pp.134-150. 8,宗教意識における「錯誤」と寺院階級の成立,長谷川如是閑,Nyozekan HASEGAWA,pp.151-168. 9,宗教形態の決定原因について,宇野円空,Enkū UNO,pp.169-180. 10,ヘーゲル右党の神学,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.181-189. 11,日本古代宗教の研究について,原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.190-211. 12,弁証論的神学におけるイエス,三枝義夫,Yoshio SAEGUSA,pp.212-227. 13,神社問題解決の精算期,加藤玄智,Genchi KATŌ,pp.228-232. 14,日本宗教史における基督教の地位,比屋根安定,Antei HIYANE,pp.233-250. 15,ソヴィエト・ロシヤにおける反宗教運動の進展,茂木威一,Iichi MOGI,pp.251-267. 16,現代回教の危機,赤松智城,Chizyō AKAMATSU,pp.268-280. 17,転形期における宗教概念の変革,石津照璽,Teruji ISHIDSU,pp.281-298. Posted in 1930(昭和5)年

(2)

所謂る現代人には、﹁進歩﹂といふ観念が一種の病みつきになり、何事でも進歩する又すべきだ

といふ事は自明の理の如く思はれてゐる。而して今日出たものは昨日のよ♭、明日出るものは今

日のよ・り進歩してゐる様に考へるのも、亦一種迷信的観念になつてゐる。勿論、新奇を好むは、

何れの代にも人情の常であ∵り、且つ質感内容の如何に国せす、有形尭形を問はす、薪に興った勢

力や薪に出た事物には、多くは新鮮の活気がふ∵り、その先に於て常務の事物に対して一種の優勢

を具へる。されば現代人が進歩を信じ、薪なものに足るのは、必しも薬理突飛とのみ退けるべき

ではなからう。

然し、現代文化は新螢見新開拓に源を馨し、樽兢を破るといふ鮎に特色を費揮したもので、1遊

歩﹂といふ観念の如きも、貰はこの文化の進運から生まれ出た産物で、齢はまだ三宮年に浦佗な

い。其に加へて、近代文化の所謂る芙端は、こ∼七人十年茶、アメⅥノカといふ新興国が之を代表

する事になゎ、

アメリカ人が所謂名西部地方その他新開拓の逸境生活に澄接して凍た気風が何で

現代的寸J宗教的

現 代 恥 と 宗 教 貯

妨 崎 正 治

(3)

現代的ミ宗叡由

もかでも新宝尊ぶといふ熱情を以て進み、その刺激が寛拝までも及むで凍た。其上、日本にはヌ

特別に此の新奇の共鳴を歓迎する囚由が存してゐた。それは約して云はゞ二面除年の傲図に対す

る反動であつた。徳川幕府が外東恐怖の謂に囲を鎖して、初宙年ばかりは殆ど完全に交通遮断を

遊行したもの1、それに対する不備は、既に軍保頃に現はれ、極めて微少ながら外観禁書の一部

分を麒禁するに至った。つゞいて草木数十年に於ける蘭畢蘭方の流行ドな♭、終に開園の時代に

及むだ。その間に於ける所謂る﹁舶来品﹂に対する好奇と歓迎とは、現代の新奇歓迎と似通ったも

のがあ㌔且つそれは極空し少数の物品に集中したから極めて強烈なもの一でぁつた。今日の所謂

る﹁国産奨励﹂も、一部分は百年以上に亙る﹁舶L管㌣歓迎の邁侍と哉ひつゝめる謬である。

即ち、近代文化が新開拓を基調としてゐるに加へて、日本では二重の恵晩での新奇歓迎が強い

敢曾気風となつて今日に及むでゐる。その焉に所謂る﹁現代的﹂といふ事は、何でも彼でも新奇な

ものにあるといふ感じが常に勢力室学フする。明治初年のコントやミル、十年代のキリスト教、

それから一時の反動時代を経て彼の日本の思想界ほ、所謂る新思想の交番歓迎で、今日は何でも

彼でも﹁浣攣でなくてはならす、﹁尖端﹂が即ち進歩だと考へて動いてゐる。功利孟義、自然主義

それから軍国重義、†ルクス重義の今日まで、その間に於ける畢認、傾向、人名で新奇を以て迎

へられ花泉だけで㌻、可妾㊥垂心為のに篭らう。それが又薪事物、薪蓉明の灘迎で㍉イ﹂げ牒華をを㌻短針

(4)

を現臥し、之に加へて経済上の急激へ与韓隊によつでト人心船山隆興奮し幅廃艦しご折義嘩に1麗確実三凋議ヨ ごつく着もあれば、感激する者もあら、所謂る新思想に酔ふ者と、之を呪唄する者とが互に頼政 螢する。その方向の如何に開せす、渦動状態、旋風状態が、現代人心の藤色にへ与つて務た。その 調は短気性急、そのしるしほ琴晋と閃光とスピード、見入間が夜る眠ることを忘れないだけが不 思議な位である。︵但し眠り得ない人間も大分あつて、その極は自ら永久の眠に入る工夫をカル 童チソや猫いらずに求める︶。 此の如き所謂る﹁現代﹂に、萎縮も頻化し、侍兢は衰へ行き、而して宗教もその存在を疑問とせ られるのは、自然の勢で、﹁票数研究﹂の編者が、此特輯戟の題目を撰むだのも、その動揺獲遷の 一面を表してゐる。然らば、その超目について考を螢表する者も、此の動揺に直面して、その上 に言論を進めるべきは勿論であるが、又同時に教務渦中を放して高塵からの達観を必要とする。 而して此が質に宗教観念の職務である。 人心は境遇に動かされる、思想は生串と経れ得す、理想は現賓と全然経線し得ぬ。此は今更云 ふ主じもハ与い程明瞭の率でぁるが、比率貰を看取すろだけでは問題の全部を重さない。境遇に縫 って動くにしても、心は境遇から出五必然又自然の産物で、その外に生命はないか。生活事賓は 現代的ヾJ宗教的

(5)

四 現代的ミ宗教的 重要であるが、思想理想は、生活から割出したゞけの産物であつて、それに対して生活そのもの を勒かすカはどこにも存在しないか。此が我々の第一問題であつて、此に封する解滞如何が目前 に生活膿度の差違ぉ嬢してゐるのみならす、舌秀人類の動きほ、此の解滞の左と右とに従妹する 波動であつた。語をかへて云へば、人間の文化といふのは、結局、人間が思想理想に依て自己の 生活を、個人的にも鹿骨的にも、形作らうと努力し奮闘した跡に外ならぬ。勿論、思想理想のみ が原動力であるのでなく、事情境遇との交渉が、その間に有力に働くが、両方面の閥係交渉が文 化として現れるのである。而してその何れが重要動力となつて人生を勒かすかといふ事は、全般 に一括決定せらるべき命題でなく、時代と敢骨と、階級と個人と、種々の配合によつて欒化し、 その欒化や鼻遷が、その時々に應じた文化の特色として現れるのでぁる。現代に於ては、開拓、 費見、費明が嬉々新事情新事物を産み出して、人心は殆ど應接に退なく、生活は此等の境遇尊物 に麿倒せられる。特に機械座業の螢達は、機械利用と産業組織と二重に人間一里脛倒して、之を好 むと好まざるとを悶はす、如何なる人も其の支配を脱し得へ仏い状感となつて凍た。即ち元は人間 自らが自らの利用厚生の焉に件り出した機械が人間の生活、心情、思想一切を支配する様になり、 人間は機械を利用しっゝ而かもその奴隷と打7り、叉産業組織に封しては個人は殆ど無力と打アり、 その摩迫を訴へつゝ、而かもどうする事も出家一、甘い有様になつて茶た。キリストホロの話しの如

(6)

く、姶は該軋と思って常に荷なつた小鬼が互人に軋つて∴品据阻を安けるに空つ隼∨軍牡卜ダ

ストイが幻に見た如く、艶妖の美人に引きつけられた幾多の遊治郎が、段々亘大になつて行くそ

のベイルに引きすられて、如何ともし得や瞼地ド隋るとでもいふべき有様でゃつ。

文化は元来人間自らの作り出した勢力叉産物であるが、その文化の性質によつては一人間がそ

の主人にもなれば叉奴隷にもなる。ギリシャ文化の如きは、その華の時代には、人間自らが主人

公たる白魔を以て又その質を奉げた一例でぁるが、ロマの帝政や印度の稀姓制度などは、人間が

その奴隷になつた賓例であり、濁り現代だけの現象ではない。然し現代の機械文明は、今までの

何れの文化にも越えて人間を奴隷とする文化である。其上、近代の生物畢に於ける進化観は、そ

の創始悪たるダーヰソの考がどうであ・つたといふ問題如何に開せす、生物の生活を境遇の産物と

してのみ見る傾向が強く、此の生物観と産業組織とが相合して、人間を埼遇や組織の奴隷として

見る外なきが如き威を樹長して今日に至った。されば、現代産業組織の軍ぞ見、その資本重義を

呪曝する軋曾革命論者で、その理想赴曾を現出するに非常手段を必要とする著すら、自分の思想

を整へ、又ま張を明にするに雷っては、﹁過程﹂といふ観念を中心とし、殆ど機械的必至の一﹁過程﹂

が人間を支配するかの如く考へてゐる。﹁過程﹂は彼等の敢倉敷に於て一つのヒe宏e≡J乙︼⋮︼−Pで

ぁって、普の宿命覿を別種に言ひ表したに外ならぬ。彼等自らの熱情如何に拘はらす、彼等自ら

司代的ヾJ宗教的 五

(7)

も亦﹁過程﹂の手足であり奴隷でぁつて、やはり現代機械文明の一産物に外ならぬ革を澄明してゐ る。資本家がその組織の奴隷である如く、革命論者もやはーり現代文化の奴隷であつて、前者は現 組織に満足してゐる代りに、後者は憤渡して呪敬するだけの達ひがある。﹁過程Lや組織を過信し てゐる翫は墜方同じで、ロハ後者は自らが奴隷となつてゐるに憤慨して、他をも奴隷にせんとする 着である。 ● 此に於て現代文化の他の一特色が著しく現れる。それは本能性の爆螢といふ事で、つ上ユLリ人間自 重の感情をも理想をら放棄せざる哲得ず、組織や過程の奴隷とへ仏つた人間が、他に活路を見つけ 得へ仏い虜に、最も腹鰭的へ号本能性で動くといふ現象に外ならぬ。スピード、騒音、閃光、濃彩の みへ仏らす、ダーム、 ● スポート、享欒、牲慾、何事でも人間の本館性が粗野に動く方面がガソリン と共に爆賛する。それが所謂る自然であり、大衆的であ∵り、叉現代的だと見られて、その勢力は 不可抗胡だと思はれる。此の如き印象、威想、又感激に蔽はれて、現代人は人間の他の方面を忘 れたもの∼如く、一面奴隷たる憤らと不浦とを心の底には貯へつ∼、各値としては現代謳歌を本 餞性の爆螢によつて費表しっ1ある。経済組織の瓢に放ては、現在Jで不満とし、別篠の政令組織 を夢みつ∼ある左端着でも、此態に於ては右端者と異へ与る事はない。彼等の陶寄主義、策戦方法、 乃至は彼等の所謂るブロレクリヤ薮術、貸本髄健保慶の螢表たらざるものはない。p†の奴隷ス ▼ ■〓 ■≡ ■■ニi ■■ 現代的ざ宗教的

(8)

バルクJの証邁健吾、それを現隠は女役弥に恕臥しこ壷牢㌣㌻しで繁㌫を準慧 此の如くにして﹁現代的﹂の誇りたる機械、組織、活勒、スピード、何れも人間の自主性を骨格 して、本餞牲の陶酔に宿れつ∼ある。その文化の行末はどこへ行き着くであらう。このまゝで ﹁進歩﹂して、何を成し遂げんとするのか。マルキシストの希望する敢骨革命が出家たとしても、 此の文化の特色に対しては何等の舜畢をも施し得ない、否、本能性の爆螢は一層激しくなるに蓮 ひない。すれば此文化の行末といふ問題は依然として残るのみならす、恐らく終に全人類生活の 燥螢破壊、動物性への還元が茶ないとは限らない。然し、此く云ふのも、只前途を悲観しての専 でない、何れの時代にも、新興の勢力、新奇の傾向は、成る程度まで偏した方に敬いて、どれだ けかほ極端に走る。薪境遇に虞する人間ほ、必やその新境地に対して、蕃につけ悪につけ誇大の 観念を抱いて、その勢に桑り出す。﹁現代﹂は、三宮年凍の近代文化が、此の百年以衆急故に新境 地を開いわル結果であるから、極端の誇張が現れるのは自然の勢であるが、今はその文化の煩悶が 既に現れ始め、十人世紀の奨天的進歩観に対して、此皇∼ではいけないのじやないかといム疑問 も出始め、而してそれが﹁現代Lの其端たろアメリカにも現れてゐるといふ事は最も注目すべき鮎 である。而してそれが単に保守的反動でなく、購凍の切開きといふ方に向ひ、且っ建設的の希望 を伴ってゐるのである。勿論、此の疑問はまだ解決の途に上ったのでなく、希望展望はまだ漠 現代的ミ宗教的 七

(9)

文化の未来といふ事は暫く別問題として、右の如き﹁現代的L特色に封して、﹁宗数的Lの主張払 はどこにあるか。多くの人は云ふ、現代文化の中で宗教の影は段々薄く打でりつ1あると、而して

現賓の世相は、如何にもその意見を確める様に見える。寺の建つ代りに近代的ビルデソ〆が都合

の中心に打アり、敦骨はシネマに侵略される等、一々数へるまでもない位で・曾ら。琴Qに他方には

叉十九世紀以凍、東西共に新京致の起ったものも少くなく、何れも相應の薪勢力を呈するのみな

らす、叉時々のタメイパルを別としても、カトリック数骨の進運は、こゝ三四有年前、近代文化

の始の頃には漁想し得なかったものがある。而してそれが畢に信仰の問題でなく、労働運動や敢

食事菜の賓際の上に侮るべからざる勢力と打了りつ∼ある。現代文化、機械文明の前には霧散する

かと思はれた﹁奮敦﹂は中々霧散しない。此が畢に時代錯誤として一蹴し得る現象であらうか。

それにしても、﹁現代的﹂と﹁宗教的﹂との衝突は除らに明白の革質である。但し、﹁鎗♭に明白﹂

だとして捨て、考へないで済よせ畠べき事でなく、その衝突の内容意義を粗審して見なければ、

事感の異相をつき留めることは出水まい。

現代的ミ宗疲由 八 然でぁるにしても、単に﹁進歩﹂に陶酔しない要素の存在が重要事であつて、西洋と東洋との融合 といふ宿題もその中に食まれてゐると考へられる。

(10)

先づ量−に、打と云ってむ、像経空前故にた証跡加でみ聖鹿琴薇佗蝕﹂と衝突ず㌫髄璽還

は兼務に対する理想希望︵それは必しも死後渡世といふ事に限らす︶が、宗教信念の要素である、

此が﹁現代的﹂に容れられない。撃一には、紳意、改定日的、つヰでり何等かの意匠又は意義を信す

るのが宗教である、此が現代の機械的世界観と相容れない。第四には、人間の理性だけでなく、

理性以外又は以上の信念智宗教は要求する、此が現代の理性、即ち合理ま義と相背く。第五に、

票数信念では、人間は何等かの一救又は解脱を要する、此が現代の架天的現賓観と衝突する。

右五っに分けて見るが、何れも互に聯絡した事で、従って、﹁現代的﹂と﹁宗数的﹂との衝突にも

色々の方面はあ′つても、何れも相互開聯し、つま之姦の超越観と現代の現質観との衝突であ

る。而して此背反は現代に限らす、何れの時代にも多少はあつた事で、又人間天性の中に含まれ

る現賓と超越と二面の対立から起る事象であるが、現代文化の中では此背反が特に蔽著に又鋸烈

に現れてゐる。

倍統とは過去の遺情勢カであるから、侍兢精細はどうしても保守であよ1現代の﹁進歩﹂精細と

相容れないのは自然の勢である。然し、現代には如何に進歩が盛であらうとも、人間が全く薪な

もののみで生活し得ない事は徐に関白であるのみぢらす、現代の新機運といへども、或る程度・まで

は薪を求め薪ふ作り出して進ひには連ないが、その波動がいつ皇でも同じ調子で進む事は担水な

現代的ミ宗教的 九

(11)

一〇 現代的ミ宗叡由 い。必ややどこかで多少とも安定又ほ静止の既饅に達する。否、現代の進歩々々、常に尖端を追 ふ中にも、人間は他面新都を求めてゐる。それは同府保守といふだけでなく、所謂る勒中静を求 める心であつて、此は如何にしても人間の脱し難い性向として、人生の字面をなしてゐる。人間 が眠一ざ忘れないと共に、動中静を求める。且つや如何に薪機運で動く時代にでも、人生の連繚と して生命の滑源に透る思ひ、生の囚七生する源流を汲む心は、どうしても抹殺し得ない。見所謂 る﹁進歩﹂の中に、一時その思が蔽はれることはめつても、滅亡はしない。例へば現代文化の壁に 伴って家族生活が稀薄にな、り、文子供が両親を罷れて育てられる共産的融合になつて、子が親を 思ふ心が昔の如くでない時代が凍る事があるとしても、その時には直接肉身の或の代りに何か親 の如く慕ふものが出挙0に達ひない。ソビエトの政令でレーニンの屍健をイコンの如くに成って ゐろのは何の焉めか。日本でいふ様な威光祭詳は衰へるとしても、科挙の世界には又科挙の風発 追敬が行はれてゐるでないか。細道家が報本反始を以て醐道の本鰹としてゐるのは、侍統回顧に 偏した片面の宗故に外ならぬが、然しそれは、形は如何に欒るとも、人間天性の消し得ない一面 である。ロハ問題は、侍統だけでは人間の進歩は得られないから、倍統を如何に活かして行くかと いふ勤にあるので、現代文化が目下の勢で一時侍統哲軽んじても、それは最終の断塞ではない。 ヌ宗教にほ停統のカが強くとも、それだけが票数ではなく、つまり永魔の生命を求める心が、岡

(12)

簡約には隠鎗椅称主ろて現れるので、宗教心の生計は鞍本庄準肝涯に濫左脳と先に・二悪憲

生命の聯絡を求める理想信念を要素とし、その聯絡の中に人間生命の意義を求める展望希求はど

うしても滅しない。

常に時間として見ても、現在は永遠な過去と悠久の未凍との間の一連盛で、いくら貴重な現在

でも、刻々過去に入り、而して未来は清々現在と.なつて凍る。現在の中に退去の追憶なき者はわ仏

く、文末凍の預想の全く快けた人もない。それを打消して只現在だけに活きやうとすれば、刺邦

主義といふ様な心細い事になる。過去との聯絡、未殊に対する展望、それ等の内容がどうトム意

味を持ち、如何なるカになるかといふ事は、勿論千差萬別であるが、如何に現在に甚するにして

も、此等の聯絡なしには生命の意義はなくなる。歴史の回顧とか、来世の希撃とかいふ如き事を

ぬきにしても、幼時の思出が何かのカにへ与らぬ人はなく、只現在の剃郵満足と威じてゐると見え

る性慾作用にも、既に未来の合書がある。人間は如何に現前の境遇に倒せられるにしても、それ

以上に三世に連なつた生命で活きてゐる。此根本事寒々認めす、刹那のみで満足すると主張して

それが現代的だなどうぬぼれるのは、つ、まり現代陶酔の一軍饅に外ならぬ。その陶酔の醒める時

即ち何かの個統にすがるか、又は何かの理想希望を求める時で、その希求ほ、重箱か宗教か、又

若くは赴管理想の展望となつて凍る。それ等は一題の夢だといつても、人間の生活には夢も亦有

現代的吏宗教的

(13)

カな要素である。アロイド心理畢の云ふだけにしても、其だけのカである。

意匠軌と機械覿との衝突も亦近代に限らない、人間の宿題であるが、キリスト教の藤意詭明が

殆ど法締約に明確にはつたのと、近代科畢の国展覿が欺畢的に定款なるかの覿を呈したのと、二

つが特に激しく衝突した。加之、現代の政曾生活に組織が螢達して、個人は殆どその域餞にしば

られた如き生活を造り、所謂る意志の自由も頗る稀漕になつて禿た食、人生登髄に亙る意匠とか

目的とかいふ観念は、必至必然の束縛に厘倒せられるに至った。先に述べた本能性の爆螢、奴隷

の荻逆といふ現象は、賓に此の如き赴骨組戚の摩迫の中に起る自然の反抗であり、荘に人間は本

務の自由を童態的にま改しっ∼、而かも生活の目的なるもののありやなしやに迷ふてゐる。何等 かの形に於て紳意、天輿の目的を信じ、又本務の自由争同腹せんしJする宗教的世界観の使命は、

此に於て一段の重きを加へて寮た。現代の観念と相容れないからとて、一も二もなく宗教を排斥

する如きは、﹁現代﹂に対する迷信の結果に外ならす、此の如き﹁現代﹂に対してこそ宗教は更に重

要を加へる。今後、何れの宗教が如何に融意又は人生の目的を解滞するにしても、現遇や組織の

歴カに封抗Lて、醐意天命に信を措くのは、即ちその天命を塘任して立つ人間自らの宮殿を白魔

し壬萌する所以である。

理性と超理性との問題も、弥富衆の右畠であるが、乳化文化が科挙と産業組挽を重力とする焉

現代的ヾJ宗敦的 ユ

(14)

にぶ学者籠の生活とな㌔哩阻の曙琴曾過重するに至った。蔽かむ僚りに塔性と鮭駄と慧脛静 が重くなつて水たので、却て粗野な本懐の爆澄を蒸し、現代文化自らの中に破裂を起しっつあ る。但L、近代科畢のカで令室での一非合理を打破し、叉安値な超理性哲排斥した効能ほ、勿論大 切の拳でぁつて、合理主義が迷信を排除して今日の文化を産み出したのでぁるから、今後如何様 の舜蓬があらうとも、昔の非理性に締るべきではない。只現代文化の弊は、科挙にしても、産業 組織にしても、合理的でめれば、それで硯事終れりとして、終に人生全般に亙って具々倉知的組 には理性以外又 織を整へようとしたに存する。此の名に本能の故逆を喚起したのは、つまりÅ間 は以上の性能あるを無税したに因る。理性園外又は以上といふについては、解辞の詳細に入h待 へ与いが、本髄は明に理性以外であら、而して理想信仰に理性以上のカセ螢揮す一ヱ別に宗教がある。 理性に背くのでなくて理性を乗り越え、理性を無視すろのでへ.7÷虚位をも指導する、此に理想 信念のカがぁる。此鮎の解説はキッド︵主としてその哲ci已苧C㌻テロ︶に譲るが、浬優遇重と本 髄の1夜道とは、現代文化の難闇として自前の事賓である。此の難関を突破して、理性と木簡と各 各その位置を得されるのほ、過程性の信念にめり一、宗敦の重要使命は、賓に現代文化に封する盲 尺竿頭更に一歩空進める指導にある。それを如何なる崇敬が成遂げるか、今は問題として保留し ておく。 現代的ミ宗政由

(15)

最後に救ひ又解脱といふ問題については、在家の罪業観念は措いて問ほすとしても、現代文化 の難関に彪Lて現代人は現に敦の出路を求めつつあるではないか。此の問題は、現代謳歌、現代 享楽の人、多数の人々には明に意識に上らないにしても、組織境遇の厘カに押されつゝ、而かも 噴火孔上に舞踏して居る如き所謂る現代人が、その境遇を意識し、其に封して人間としての自分 を馨見せんとする時、救ひ又は解放の要求が痛切になる時である。今はまだ多くの人には、問題 の靂在がはつき′りしてゐないだけの事で、現代の覿骨組織に不満な濱が、他の組織を企て、而し てやは・りその新組織のカで人間の畢攣曾潜らさうとする如、きは、結着古濱の手引をする旨着であ 一Q。此も病あ二Q事をすら意識しゎ甘いに放しては一歩を進めたものーと云ひ得るにしても、見常道の 療治に外ならぬ。物質量義、組織偏重、理性過信から出た現代文化の病に対して、又々唯物史観 組織萬能の治療法を施すのは、毒に毒を加へるもの、病を加へて病苦の白魔を促寸用をなさう が、病を治するカはない。﹁宗教的﹂の救は、つまゎ人間なしてその生命の本源に丑ナり緬らしめ、 根本からの救法を施さうとするもの、濁り現代の病だけでなく、人間金懸り病をっきとめるを要 する。此の治療がどこに現れるか、如何なる宗教が如何なる救を斎らすか、それは勿論問題でぁ る。然し、それが何かの形で現れなければ、現代の破綻は終に人間の破滅に走らう。之を防ぐも のが只理性や組織だけでない事は明で、今後の人類史も、その鮎に於ては過去の歴史と全然異な 現代的ミ宗教的

(16)

るものでは甘からうO

﹁現代的﹂と﹁宗数的﹂と、此の如く相背反する。それだから宗教はなくてよろしい、宗教は城亡

すると考へなのは軽薄な現代謳歌に過ぎない。現代も病に躍ってゐる、而して侍統宗教も亦別種

の病に悩むでゐる。然し﹁現代的﹂の病を除いて、而かも近代文化が築き上げた理性をも組攣ども、

即ち科学でも産業をも、機械をも敢曾をも、琴り越えつ∼引上け、絶てを自家喪中の物として之 を指導するに足る﹁宗教的L理想、信念の威勒が一世を動かすや否や。人類の荘命は、此の一問に

係かつてゐるではないか。

現代的空茶歌曲

(17)

宮 本 正 尊

軍に日本儒教研究者の群れのみとは云は這い、少くとも日本の宗教思想問題に関心するもの∴h ﹁藤倉期﹂がエ雲ク蜜豆して居ノりノ、こ、れを中軸と学レて、前後約七百年つ∼合せて千数百年の日

本文化が同樽して居ると見るに、異議を挟むものは少ないであらう。

日本宗教的目醒めは何と云ふても推古朝の塑徳太子の尋問・信念・政治轟菜にその黎明を見る

べきであるが、これは丁度西竿球の島唄幽なる大英奇観のそれに精々先立って居るが、殆んど時

期を同じくするものと云ふてよいのである。オーガスチソが侍造の足跡を英国に印したのは西紀

五九八年でぁつて、日本ではその数年前に四天王寺の建立があり、また数年後には有名なる太子

の十七條憲法が制定せられてをる。しかし日本がその国土民族に嘱目なる宗数的思索髄壌を産み

出すためには、爾後七百年を要して鎌倉に至らねばならなかつた。翰入・戚苧模倣轟習赤軍

調整の長き文化教養の訓練を要したのである。=れは文化の一般普及の歴史であるが、民族とし

例数の瑳謹言﹁新鎌倉﹂の朗唱

儒教の螢達と﹁新鎌倉﹂の創唱

一大

(18)

ては粗方遽墳の閑静であつた。随ってこれは同語同文同民族の意識の許藩でもぁつた。堅巌豪 意識が蒙古塾殊の外冠によらて表面意識に明瞭に上って雅たのもこの鎌倉期ではめるが、それ迄 に内面的に熟しっ∼あつた国民一般の精銅的覚醒が、全日本的とまでは云へなくとも少くも普遍 的になり、またそれを要求してきてをつたと云ふことは云へるでぁらう。貴族より平民と云ふこ とも出水、京阪よら国東へと云ふことにもならう。換言すれば、文化浸潤が東方へ及んで乗たの でぁる。 日本民族は明渾晴朗にして素朴的自然的な純情を有してをつたことは、萬乗集などに見らる∼ 所であるが、思索理論方面に於ては、別に組織憶系を有してをらなかったからして、この方面の 致養は多く大搾文化に負ふ所のものである。 彿致にせよ、輸入常初よりして主として鎮護国家・現世利益曽旨とし、また幽明鬼紳冥福の食 めであつたことは、その現質主義功利賓際ま義なることを諾して除りある。随って済世利民の昔 産道を椅紳とせる大乗数が常初よ♭受け入れられ、所謂純一大乗粕應の地となつたのであるが、 それも哲畢的思索の封象としてそれを受け濃いで費展せしめたと云ふのではなくして、印度・支 部の大陸に於て窮理非記せられたる大乗倍数背挙が、その賓際的通用地を日本の賓際主義の国土 に見出したと云ふペきものである。尤も諸大乗敦の箆棒諭に見らる∼かの無限に高揚する大乗苛 儒教の費連ミ﹁新鎌倉﹂の創嶋

(19)

一八 沸教の費蓮ミ﹁新鎌倉﹂の創嶋 薩精細の純粋性悠久性やロマンチックな面影は禰々見失はれてきた。菩薩が一般妥昏性を要求せ ねば止まなかったその理想精神の滞積費展一ぞ、文畢駒に表現して行ったかのオⅥノジナリティーが 殺がれてきた。その代らに現質的な賓際施設となつて現はれてきたのである。勿論そ弟も阿育王 の事業などに封すれば、その気晩に於てまたその規模に於て殆んど托すべくもないのであるが、 道路・橋梁・津舟・土木・開墾・放合・施薬院等の済世利民の賓際敢曾事業が、係数倍侶と云ふ普時の 一種の官公吏によつて遂行せられた。係数は皇室貴族を中心とする政治階級と結合して、所謂政 教一致の政策を賓現し、紳彿融合の習俗を馴馳した。事の暫畢・出々世間の数理は大乗傭敦の到 達茹であるが、日本係数は自らその思索の過程を辿るよりも、寧ろその到達鮎より出費した。そ こに日本沸教の特徴が存在するのである。理論思索の方面に於ては畢習整理にカを盈しっゝも、 何ほ覇創的な粘を欠くに係らす、宗教的髄協と云ふ鮎に至っては益々深められてきて、鎌倉朝に 来ってその結賓を見たのである。また致化の一般普及と云ふこともそれに随伴して賓現されて泰 た。東方幕府の新勢力の接頭はこれ空不して居る。勿論それ迄には奈良舌京より京都への移行期 倍数・弘法雨大師の新宗教開立の一時期を考へに入れねばなら萬が、全日本約数化と云ふ鮎より しては、鎌倉期の如くしかく大なるエポックを虜すものではなく、寧ろそれへの序曲と見るペき である。

(20)

鎌倉の宗教はこの恕、大地よ♭生へ出して居る。日本の土地及び歴史に臥して生れてきて居

る。かくてその螢生の原因過程に、巳に大陸文化に射して覇自の面目を保っペき健件を具備しで

居るのであるが、果して法然・双璧・琴平日蓮の諮塑に於てその両目が躍如としてをる。これ等

の講翌によらてこそ日本彿数ほ、翰人橋放撃習折衷の域を造かに超出し得たのでぁる。その生活

にその数理にその著作の言語に、特に日本倍数の濁自性を費渾して凍た。日本係数と云ふ名は単

に日本の国土に移植された異観の聾と云ふ意味でもなく、その聾がそのま∼今日迄樽へられたと

云ふのではないのでぁる。係数がその票数的面目を費揮し得たのは、日本の現賓重義に絶えられ

たからであ丁り、そこに日本係数が産み出されたのである。弘法の密教や個数以下の台冠の組織に

も巳に大陸偽故には求められぬものが閃めいてはをるが、その精華の結賓は鎌倉に求めねばなら

ないのである。予が特に鎌倉期をエポックと名くるのは、か∼る思想的根接に基くのであつて、

この根抜こそ偶数を今日迄生かしめた原動力なのである。この事は鎌倉期とそれ以前との比較掬

係を論じても明かにされるが、それ以後今日に至る七百年の倍数敬遠と比較しても坂結されるの

でぁる。日本係数は鎌倉以後如何なる螢達をなしたか、鎌倉期の諸空ほ夫々元轡宗励丁親師・開

成・開山・大師・躍師上人と崇められてをるが、果してそれ以後その昔甲気宇・信念・賓既に於てそ

れに托すペき何人があるか。親師の精細一ピ自己に吸収し遷して自ら租師となつた人は果してない

俳致の敦重言﹁新鎌倉﹂の朗唱

(21)

二〇 彿飲の密造ミ新鎌倉﹂の朗唱 のである。日本偶数は弦に分宗分流分流せる故国の道を辿って数骨史とも云ふべき宗派史を構成 して凍たのである。そこに彿敦の費達史上前にをの比を見ぬ燭特生貝献をなしてをるのである。 まセ各宗の宗畢がしかく微細の鮎に亘りて研究されて夫々憶系を有するに至った。これは主とし て徳川期の隔檻せられたる太平の御代に於てのみその成熟を見たのであ∵り、荘に大燈その有終の 美をなしたのであるが、それがまた同時に行く所まで巳に行き着いたものと見徹される。鎌倉期 の意義はかくして係数を今日まで樽へた大法侍拝の偉動、及び散骨史・宗畢の螢達によりて、日 本係数をして濁自なる文化憶系を帝ばしむる素地を作った功蹟とによりて、その任務を完ふし化 ものと云ひ得るのである。よ︿七百年に亘り枝葉繁茂し開花結賓の歴史を有した事蹟を以って、 そこにその一段落を告げたものと見てよいのである。この一段落の内的健件と欧米の異質的文化 橡入の外的横線とが合して、抜に明治維新の時代に於ける傭数の受難と更生が起るのである。﹁新 鎌倉﹂と予が名くるもの∼黎明に接府するのである。 〓 翌徳太子が儒教をその人生貌の基となし、これを賓践生活の原理とせられた先例には、已に孔 雀王朝の阿育王や染の武帝等が奉げられるであらうが、よく﹁四壁之終坂、萬固之極宗﹂と謳歌せ られ佗所には、常時の世界文化の潮流に綽すと云ふ気強さが手樽ふてをると思ふ。自らは名もよ

(22)

き愚禿と科し、北越騙東の野に深く偶の膏畢に沈潜し、簡易直裁な云倍の宗致を暁諭せられ陀と 見らるゝ親鸞上人すら﹁慶しき哉、西春月氏の蟄典・克夏日域の師滞に遇ひ難くして今週ふことを 待たト。開き難くして已に聞くことを得た♭﹂と述懐し、七剋生二団に撰び、そのー立教開宗のま 著に﹁文類﹂の名を破らしめて、その故に私なき空不してをる。親寧日ら別に珍らしき法門を弘む るに非す、師法然の敦の外憂に別に仔細なしと囁懐してをられる。そこには法の徹底普遍と文化 融通と人馬相績の交渉が見出されるのである。また日本傍数が燭自性を有してをると云ひつゝも それには皆時の世界文化の系列に加ほりつ∼あると云ふ気持ちが要求せらる∼のセある。固く一 筒竿箇の接待に身を持し北陸永年の幽谷に樺降せられたる道元繹師には、親想のそれに似通ふた る偶の暁丁が存し、また大陸の膵に通するものがめるが、日蓮上人の本門果上・専行妙法の故に は等しく端的なる貰既約立場が存しっ∼も、より濃厚にかの蒙古嬰永なる外的事情に汲脅された る観家の観念や、時流に抗等せんとする意気が表面意識に躍動してをる。随ってそれ吐け先人や 外国の影響よら免れたる猫自性一ぞ情意的にも強化せしめんとする傾きがある。それ女けまたより 日本的であると名付け得られぬことはない。日本係数は皆初から同家沸教と云はる∼位であるか ら勿論のことではあるが、常時は日本民族の国家的意識が全憶的に浮び上って家たのであつて、 親鷲の和讃などには塑徳太子を﹁和国の教室﹂−と呼んであり、外的なる新藤主義を排斥して無新藤 沸教の螢蓮ミ﹁新鎌倉Lの朗唱

(23)

儒教の設蓮ミ新鎌倉L¢朗唱

二二

にして卒成業成の倍の宗致を断然として吐露した親鸞にも﹁朝家の御題め国民の御ためL念傭申す

べしなど云ふ消息がある位である。尤も圃恐が和国の教主と呼んだ空徳太子の精細に、已に日本

観家の意識が強くあらはれてをることは、その隋との外交の態度にも現はれてをり、皇室中心の

制度を確立せられた一′信内政方針にも示されてをる。かの隋書に云ふ﹁日出虔天子致書日没庭天子L や、日本紀にあ去﹁寛天皇敬白西皇帝﹂などに看取さる∼その気漑を由らねばならない。一面自ら

統率政教による逆化折伏の法戦に徒ひ、また心中本魔法門の憶現・法華色讃を叫んだ日蓮も、そ

の晩年は身延山奥の隙学曾以って終って居る夙に、親想がその晩年身は京洛に坂りつ∼も扶凰猫

瑚巷随に樽居せるに見れば、その封比が著しい。親鸞には、一度比叡の山を下ってからは、北越

関東の中野の生活と、京洛内外の塵環に於ける障栖とを以って、その九〇年の長き生涯を終って

居る。その一向に卒凡なる鮎は、かの摩討不可思講の新藤をも要とせなかったその自然法爾の致

と和衷嘉して居ると思はれる。

平安朝の偽敦が山の傍放であら、出家の係数であるべきに、却って名利開巻の巷でぁつた併に

日本係数の特色が躍如としてをる。その琴人骨初よらして現世新鹿、鎮護国家のための官吏の任

務を有して居ったので争わから、必ずしもそれを怪しむ必要はないのである。それでめるから純

粋なる宗教的生活を欲するものは、山に於ても別任際栖するか、山を下るーふLリ外に道はないので

(24)

あつた。事々無碍の膏畢を唱へた華厳の法蔵の如きは、田世間に対して﹁出々世間﹂の意義を詭い た。出々世間とは出世間の再認識である。出世問を以って宗教的更生或はゴングァージョンとす るならば、出々世間とは宗教の再評慣と云ふことである。この傾向は已に倍数や弘法の事績にも 看守され、また横川の源信などにも伺はれるが、それが法然・親鸞・日蓮に至りてそれが全く如賓 相應な寒行に移されたのである。法然こそその先頭を切った﹁元祖﹂でぁる。智慧第一の法然房が 巳に知者達の沙汰を饉れ、別に奥深きことを存知するを要せぬ易行の事についたのである。そこ に南都北嶺の畢坐沙汰の絶換算が示されてあるのでぁつて、ま化それ故にこそ法然の念偽運動が 自信に満ちて居り、随って政令を引きつけ得化のでぁる。新しき鎌倉期への煙火である。 大乗敦の諸鐙典が作られた動機は、矢張りこの出家や出世問の悌教をして﹁出々家﹂﹁出々出間﹂ たらしむる還源運動であつたのである。法華・推摩・勝窒の如き大乗経典より出費せる日本偶数は この鮎よりしても、已に賓践賓行を以ってその時微とするものでめト、在俗人生そのまゝの宗教 を旨とするものであることは、更に意味深きことである。大乗数は日本に於て賓蹟化し、日本生 活はこれによりて宗教的生活革命を超し遂げたと云ふてよい。それが﹁鎌倉期Lであつた。両て法 然の易行念彿はその第一線に立ったものである。念彿の一行一で専修する所に簡素があら力強さが ある。親鷺はその一行をも止揚して信の一念に極らしめた。一行はこれを報恩の後念相頴に移し 悌教の普遍言﹁新鎌倉﹂の朗唱

(25)

儒教の菅蓮ミ﹁新鎌倉しの創嶋 二日 た。梱待の制約を顛倒した所に本願力回向の無極の信を把握した。そこに益々出々世間の意義が 深められ、障ってその生活が却って肉食妻帯と云ふ在俗の生活に徹底するに至った。法の絶特有 カは人の絶待無力と封蹟的に深められた。もと﹁機法二種深信﹂と云ふて、暦の善導がその憶瞼を 表現したものであるが、更に賓際的に日常生活化されたかの威じがある。善導とは﹁偏依善導﹂と 云ふて、法然がその立教開宗するに雷りて唯事ら戯られたのでぁる。我々はそこに敦の漸次的開 展を見るであらう。親鸞の生活の如きは、人間の宗放としては本務自然の粕に還すてのものであ り、かの時頗の師明恵上人が﹁めるべきやう﹂の質践に過ぎないのであるが、他面これは破戒の生 活と見られぬことほなく、、また燕戒の生活とも名けらる。しかし無知の智・無行の行を説く大喪 彿致の精神から見れば、或はこれを無偶数の沸教と云ふてもよい。繹宗の如きは加須正法輝と辞 しっゝ、而も敦外別個・不立文字と云ふことはどう云ふことであるか。そこに相通やるものがあ ちはせぬか。本葦妙修の正博の偽法一望況き、傍観畢樽の法門を侍ふ早道元締師の坐頑なるものも 大魔辞令に現成せる衆生本凍成偽の憤達信念に示さるゝものであ丁り、智愚を撰ばざるものである ことに於て、等しく他の鎌倉の講師と相通するのである。普紛坐鰐儀や併進話等の目的はそこに ある。道元は入来し、他は外観へ行って居らぬ訪、その相異が著しいが、これ等の四翌が皆和語 を以つで直裁にその憶療を啓き下して居る如きは、全く時代のカである。聴に親鸞や日蓮の如き

(26)

は、その弟子達に造った消息文がそのま∼その法門を敵いてをるなどは、大勢が已に自ら一膝舟

衆の宗教たらしむべく迫って居ったことを示してをる。日蓮の滑息の如きは力強き昔時の散文の

模範的のものとすべく、親想聖二帖和讃、帖外和讃の如きは詩の形をとつ托ものであるからして、

何れも文嘩的にも注意すべきものでめらう。しかし英文畢が丑書の英謬の影響を受けてをる巷、

日本文畢にほ注意されて居らない。

四師を通じて坂する所は皆な機敏の宗教でふT,、事行の敦である。簡易直裁なる無極の信念で

ある。本腰法門の現成である。法然は平安末期に属するが、その思想及び生活は鎌倉期の方向を

指示するものである。個の徹底は普遍妥雷への道である。そこに彿致が人生中心の宗教であ丁り、

世界宗致であり得る契機も存する。更にまた﹁新鎌倉﹂へ達府夏生し行く契機も合れてをる。鎌倉

期の傍致はかくの如く道俗・貴腐・上下・脅愚・男女・老幼の外的なる種姓差別を葦ばす、また平常

心造であり、中生業成の日常生活化がそのま旨となつてをるのであるからして、これこそ全く一

般大衆の宗教とも民衆の数とも云ひ得るであらう。予が特に鎌倉期の宗教は日本の大地から生ひ

立ったものであると前に述べた所以も技にある。随ってこれを以ってエポック・メィキングでろる

と名けたのである。而てこの鎌倉のエポックを成熟せしめたる底流には、即察而奥の哲畢を健臆

せんと力めて凍た密致の影響、随ってその功蹟は見逃しては写らぬものである。念彿・題目に眞

悌敷の常連ミ.新鎌倉﹂の朗唱

(27)

言の影響がある。 これ等の事情を要約すれば、偽致はその成立の督初よb已に大衆・大桑・凡愚・在俗への韓向を はらんで居るのであるっ而てその輯向は常に前者の到達怨が後意の出費缶となつで居ることで ある。そこに進展があり超越があ㌻ヮ、同韓がめり新時代が生れるのである。﹁新鎌倉﹂の特何もこ の常道を外れるものではない。 三 日本観家が遣隋使・遣唐使として留畢生を大陸に透ったことは、明治政府が欧米に留畢生を渡 遺したものと同じく、世界文化の吸収に力めねば自らを養ひ待なかつたのである。 日本は由来礪別の文化を有してをらぬと云ふて、一頃ほ軟水人から甚だしく授戒せられたもめ であ′る。支那文化の一部分とさへ考へてをるものすらある。日清日露の戟寄に膠ったから武力に 濯いと注意したけれども、文化的にはこれを認めやうとする畢者は少なかった。尤も日本は彼等 の馨展慾の対象となるには国土が貧窮である事は事賓である。そこに日本文化の位置及び性質が ある。また日本人は模倣の同氏でぁると云はれる。これは主として明治以後、鱒本が彼等欧米の 科畢文明を輸入模倣するに汲々としてその金力を姦した黎賓を彼等は限のあたり知ってをるから である。何れにしても日本は古今を通じて世界文化の輸入にその時問と勢力の大部分を費Lたの 冊数の安達も新政倉﹂の創嶋

(28)

は畢茸で風了ろ。前に三撃隋・唐高域・天竿南海があ∵り\後に欧米がぁる。隠者の結賓は洗倉の

時期であつた。後者に何が凍るべきか。

これは予に課せられたる専門畢よ♭しての特殊問題であると同時に、一人の日本人として日々

の人生観よりして考へさせられてをる問題で今Q。而て予のこれに対しての答寛は﹁新鎌倉﹂の意 哉を考察し提唱すること∼なつたのである。そこには専門撃としては過去の畢の清算が考へられ

また一撃徒の理想念蔚がその底意に潜められて居るのである。現代は過去の清算と渚凍の展望に

板挟みになつて亨。時禦しはないかと思ふ。スピードを以って東西が接近し合流してをる今日は

世界人類が最後的一画に向ひつゝも、人種と教養との疎隔に妨げられて障撃ぞ打破し兼ねてをる

のである。人濡としては大きくは白色有色の対立であり、教養としては東洋と西洋との封立でぁ

る。しかし問題は何れかして進みつゝある。

人種の問題は細くは種準部準家琴個性の自然的対立まで深めて考へられ、これに国家や園

億の組織的人膚的の対立が蔀豊Jられて問題を複放にしてをる。教養としては歴史及び地理の距

離が原因して分流分癒してをるが、常にまた交淀融通の原理が同時に賓現されつゝあるのであ

る。これ等が経緯となり世界及び世界文化が動きつ∼あるが、その交流の原動力は人頑としては 植民移民問題として現はれ、教養としては博学宣侍壷説馨真の形式をとつて示されて官0。 沸教の費遺言﹁新鎌倉Lり創嶋

(29)

僕救り費蓮ミ新鎌倉﹂の朗唱 二八 世界我等以後は特に世界は大西洋中心時代よ♭、太卒洋中心時代に移行しっゝあγりと、階数の 問に濠威せられまた貫首せられてをる。このことは已に速くは西欧の列強が東方改発にスタート せる時に始ってをるのでふ∵り、最近に於ては米観の日本開国政囁に刺戟せられたる明治維新の大 栗によつて幕を切っておとされ、日精日露の戦等に深められて行ったと見てよい。世界大戦は米 国の接頭と印度及び支那の覇立的白魔を促進せしめた鮎に於て、益々太申洋中心の意義を鮮明な らしめ、今や思想問題としてよらも革質具鰭的問題として、更に一歩を進め我等の嬰別に迫って 凍たのである。 たゞこの間題に就いては日本は支部印度に対して先頭を切す、また東洋に於ける濁立闊家とし て、先つ第一に弔賓上の成液を示した。この日本の立場は束函融合に先立って先つ東西の封艦強 化に役立つものでぁつて、そのユニイクな立場は全く世界歴史のエポックを作るものと認めてよ いであらう。これによつて少くとも日本は過去に於ける支那印度及び明治以後に於ける欧米の先 進諸国に、その蒙れる恩義山一分を酬ひ得たと云ふてよい。日本は重く膨群として押し寄せて水 北西力東漸の波涛を全身に浴びつ1も、その氾濫の鍋を防止したアジアの防波堤の如きものであ る○ 防波建と云ふことは潤わアンダーサクツソを童沫とせる欧米に対するのみでなく、大戦以煎は

(30)

スラブ軍国の奇観主義がふγり、大戦後は尊慮各国の瓢化運動の放馳に腺さ㌫ゝに賢;蓼怒喜 ある。先きには篤固の太申洋への東方侵絡を目的とした帝国主義のそれであつたが、今度ほ政憧 革命連動政令階級闘等運動として、外魔によると云ふよぅも内部浸透崩壊カとして迫って㌢てお るのである。労農高閲としては、欧米の侵略に対して善彪してその生存を全うせる日本を巻込む ことを得るか否かは、その世界革命へのよき門出でありまた試金石でもめらう。乍然ら二分三分 されても、何れかの部分に血が通ふてをつて、遂には生きながらへ果すことの出家得る如き宏漠 たる露囲と、頸勒艦の切断によりて瞬時にして地方末梢肢簡の血智も枯潟せしめて死に至らしめ 得るかの如き日本と牽、全く同一範時におくごときことは、寧ろ無暴の拳と云ほねばならない。 尤もこの鮎アメリカナイズと云ふこと∼、労農化と云ふことは、南極に立っものであらう。無産 革命の主旨の如き、大鰻に於て所謂富者の数少く、同氏の大多故が貧しき階級に属する日本に於 ては、相雷の思想的共鳴はあり得ることであらう。乍然らその鍾存の蕾めには常に賓際的功利的 である日本が、時に思ひ切った過去の清算はするであらうが、たゞ思想的共鳴からして観を奉げ てその政策に委ねるなど云ふことは到底めら番這ことである。それは日本の観情であγり、古家よ ♭の歴史の示す所でもめる。 この鮎よりして口承島喚は文字迫¢歴虹的にも地理的にも東西南洋の波の接合する特異の位澄 儒教り敬遠ミ﹁知謀禽﹂り別喝

(31)

傍軟の費蓮ミ﹁新鎌倉﹂り朗唱 三〇 を占めで一どるのである。南アメリカナイズと弊履無産蓮勒との挟打ちによつでをる形である。欧 米の人はよく日本の武士道を云々するが、この訪日本は世界近世史上東西交流の問題に於ては、 全く悲壮なる義戦を膚けてをる武士の如きものである。その何れとも国情を異にする日本が、何 れによら多く近付くか、或は何れにも傾かすして中温を歩み得るか、これも﹁新鎌倉Lに課せられ たる課題である。 植民政策としてはアングロサクツンによりて世界はリードされておるものであγり、この瓢その 強腰を戚じてをるものは有色人種であり、立ち後れの日本の如きも随虞に苦酸一ピ嘗めてをるので ある。印度に於てその昔この問題が起ったのも、白色有色対抗に基因してをるのでふ∵り、辞令の 偽致がその昔初よ♭して嘩羅門のカスト重義に封しては、これを人道主義人名修養主義により止 揚し、人濯階政の差別に煩はされぬ一桑の造を説き、撰民の考など密生して見ることも出凍ぬ程 に、人本年等の地ならしをしてしまつた。そこには宗数的非澄として二同生d&糾の資格を先天 的に奪はれた第四階級m已rデぞも矛盾なく包容し得た。而て異種異族に普き萬観民の法として馨 達した。このことは西域月氏の教化運動に、また支那南北朝に於ける五胡十六固の輿替に著しく 日本に於てはその繚入の雷初よト√して、氏族級屈の弊一ざだめ和に導くために脅せられた如きはそ の一例である。永年洋中心の﹁新鎌倉Lに於ては、人種中等の問題は横合均等に先立って解決せら

(32)

るべき問題であらう。

また労農無産蓬勒について思ひ合はされるのは、渾含やクリストの如き宗教的偉人は多く無産

であつたことである。唯クリストには三十幾歳の若さで殺したのでぁるから、人生の種々相を経

敬して守らないが、繹食は八十の高年迄生きたのでふ∵り、縫ってより廃位的である。その無我軌

や客観に見ゆる無所有の思想の如きは、自らを質蹟しその致囲にも賓行せられたものであり、そ

の出家比丘の乞食生活そのものからして徹底的無産ま童であつたと云ひ得る。これが一切皆垂の

界雷法に費達してをるが、それには常に思想の無窮過昌雲虚声掛を現賓に止息せしむる賓践舶行

が表裏してをることを見逃しては互らない。帯食の数囲はたゞ出家のみのそれではなく、在家も

包容せられたのであアり、二重の故国をなしてをるから、その中温室議の立場からは、これを近代

無塵連動と比較し得ぬことはない。たゞ係数の客観はこれを中観とも云はるゝもので、その本旨

が中道舛忍法であることはよく記憶しておかねばならぬ。賓戌修養の個人道徳の如きは、今日の

近代経済的社曾運動として埜膏せる薬産室鶉の閑心でない。召それの無成であると云ふことにな

れば、雨着の間にほ非常なる距りがあ去ことになる。尤もこれに就いても係数に於てすら個人完

成の小乗の修養と利他生成に出ずる大衆菩薩の修養の相異すら生じてをるのでぁるが、究真の問

題は両者を止揚して行く巾・造将帥にあるのである。それ故無産重義にせよ、その道徳教養の問題

悌秋の普選ミ﹁新鎌倉﹂の朗唱

(33)

三二 沸教の硬蓮寸J﹁新鎌宮﹂ゆ朗嶋 は曹面の関心でないと云ふのは、それを必要とせぬと云ふのでなく、唯瞥面の焦慮は一般に衣 食住を足らしむる溜めであり、或は衣食住の年産問題と云ふよトも寧ろその分配問題にありと云 ふのであるならば、両者の硯鮎に交錯こそあれ骨て矛盾背馳するわけではない。問題は手段にあ る。 彿致がその雷初よりして人本虔世を本とし、それに即せる如質軌の蓉達である、その根底にほ 感心と容想とが相互に畢健全放しっ∼相模相成の非詑法を螢適せしめてをるのである。色心不二 と云ひ、境脅互放とも云ひ、奪境不審人・奪人不奪境・人境倶奪・倶不審とも云ひ現はされてをる。 根本中の堺語法には立場の無限がある。たゞ特に客観弊語法ほ唯物史観の葬譜法と交渉すべき立 場にあるっこれまた﹁新鎌倉﹂賓現途上の重要なる一課題である。 四 日本は島唄観であつて由雄原産物に富まぬ国土である。今日多くこれを海外に仰ぎ、自らはこ れに加工する夙にまカを漱がねばならぬ国柄である。これは恰も文化に於てもその原質原型を他 に仰いできたことヽ粕應する。その加工と云ふ第二義的生産に就いては、賓に勤勉なる積極ま義 を取るものであるが、根本的には他にこれを仰いで生きると云ふ制約の下には、どうしても滑極 的受動性が基調をなしてをる。本質的にして根底的な生活方針の梓埼性が中々確立し発い原因が

(34)

潜んでおる。日本の思想に狗創的健系がないと云はる1けれども、事賓生活が他に依存して行か ねばならぬやうに逼迫してをるのでぁる。 更に日本は由建言奉げせぬ国柄と云はれてをる。これには一両言奉げなどしてをれぬと云ふ質 際的理由があるのでほないか。抽象的な思索に遊離してをられぬのでぁる。それよトソlb功利的賓 際生活を外れぬ寄算的直観が最も必要とせらる∼のである。そして場合々々に喜藤して邁化して 行かねばへ仏らぬのである。この臨機應舜の要術は、日本人の最も優れて一ざる鮎であらう。たゞそ れも上述の理由にて自主的なものでへ甘く受動的なものに堕する時は、表面シャーブであアり敏戚で ほぁるが底力がないと見えて凍る。これが過去に侮数倍数を中心として支部印度の文化に封した 時は今はさしおき、明治になつて欧米文化の採用に際してはどうでぁつたか。何れの固の文畢で も風習でも夫々粕應に観賞し味読してをることは驚嘆に催する。軍略戦闘衝撃理工畢にせよ、日 常生活の凰にせよ、スポーツにせよ、何れも相雷に成績を奉げてをる。たゞ要するにその程度が 前述の第二次的第二義的範囲を臆してをるか否かである。何れに本質的な自己創造的な底力が閃 めいて居るのであらうか。手際よくこなしてをるが何虞となく味が出てをらない。一時の攻勢と 手際は鮮かに見えるが長繚きはせぬ。整ってをるやう・に見えるが蒸拙の異質味がにじんで一ぎらぬ 勤勉であるがねばhノがないと云はれ、のろいやうだが決して怠けてをるのではないと云ふ執賓性 儒教の費蓮ミ﹁新鎌倉﹂の創嶋

(35)

尖端的と云ふことも、日本人には充分その傾向が侍ってをる。日本民族は大燈南洋方面より進

出北移し来ったもの、日本海を横断して大陸より東進し凍ったものが根幹をなして、原住民と混

合して馨達したものであらう。衣食住の日常生活様式に、思想情意の椅静坐活の表現に、それら

の面目を跡付け得るであらう。何れにしてもアジア民族のうち最も尖端を切って凍たものであゎ

そこに活動性移動性に富んだ国民性をあらはしてをる。研がその尖端生活が島唄生活の播披安住

に終って、アメリカ尊兄に至らす、シベリヤ経略に出です、南海攻略や大陸征服七成功しなかっ

たのは過去の革質である。巳にそこに行き詰りの生活を起画せしめてをる。かくしてその移住活

動性と島唄的狭塩生活につき拝格矛盾を嘗めつ∼適化順應の訓練を蓬げて凍たものと考へてよ

い。進取保守の南面に亘りて幾多の国民的悲劇を経験して凍てをる。その地理的狭塩原産物故乏

の量的質的制約は、各自をして不自由に馴れしめ、少欲知足の簡素生活を道徳化せしめてをる。

因縁と諦らめしむる。この鮎衣食住に亘♭て生活の簡易化を質行した傭数の最もよき移植賓行地

であつたと云ふてよい。もとよら物欲を少なからしむるは精神的生活を淀︵且つ贋からしむる一 面を有するが、同時に思索の1持緯性を減退せしめ回顧展望の把捉創造力を鈍らしはしなかったか。

物質の映乏は密着せる生活の具牌性を訓練ト、功利賓際主義を生活化して凍た。武士道の如きは

沸教の費蓮ヾ1﹁新鎌倉Lの朗唱 が欠けてをる。

(36)

そこに彿数的精細訓練が武士の生活を通して具憶化されたるもの∼一例である。

島唄の安住生活は戚情の尖鏡繊細の美を養ひ、陶土自然美のデリカシイは之を助長したが、鹿

の太さ弾力性流動性を失ふて、低御詠囁感傷に傾いた。末梢的尖端に走るのである。その持績は

畢調と汀アり、複雄を綜合し断席して伸び行くリズムになり難い鈷があ畠。長く外冠を知らずして

孤立隔経せる生活は、外囲との按鯛が畢賓に迫る具慣性を放くために、封内的には分裂対立抗零

するが、他に対しては萎縮し硬化する傾きがある。その道徳訓凍の単位が個人的で集図公共的鹿

雇に敏くる併あるは否めない。衣服が非活動的である主嵩ふこと、住居が小規模で夏向きである

とも云はれてをる。これ等には一面その原始の風習を保ってをる薦めもあb、他面には封建中世

的生産消費の経済状態より近代機械工菜生産をまとする経済状態への移行の震幅が除ら大きく且

っ激甚である食め、種々の不調和が各方面に現出しておるのである。しかし大憶の傾向は美的垂

縮約戚受性の馨蓮に向つてをると認めらる∼。

更に日本は有名なる地震国火山国である。地震とは明瞭に大地基礎の不安定であるから、この

事は国民性に特薦性観賞性を稀薄ならしむることは多大である。大正の大地震は国民の生活に薗

は生々しき苦悩の経験である。しかしか∼る大地震は過去の歴史の知識が常識化してをるなら

ば、日本に住む限上二四十年毎に何虔にか必す反覆して蟄ふものであると、鎮活知識に髄現され

沸教の費蓮ミ﹁新鎌倉﹂り創唱

(37)

てをる笠なのであるが、あの常時それ丈けの心掛けが惰ってをつた人は少なかったのであると思 ふ。徳川時代の惨害は古老は話して聞かしたであらうが、それは普噺であつて生活知識の圏内に 牧らへ甘かったのであらう。明治維新の理想的新居地震はそれを普噺の偉力位にしたのであらう。 凡てが御維新と云ふわけであつたと思ふ。地震の少ハ甘い英兼濁偶の文明輸入に専注はしたが、地 震観の日本に多くはそのま∼移植したと云ふ不用意も伴ふて居ったらうと思ふ。彼等に不必要な 非常装置のぅら、日本では肝要∵ものほ何かと工夫を売らす迄の鎗裕は生じてをらなかったらう と思ふ。 震災普時ある外観新聞がその社説に、日本はその近海に世界最深の深海を経へてをるのでふ∵り、 何時その全部がその奈落s底に瀬没L去らぬとも限らぬのである。随ってそれが大陸に安国なる 生活の足場を有せねばならねと云ふ意識を、如何に強く観民の賊真に潜在的に育んでをるかは分 らぬ、と云ふやうなことを論じてをつたのを魔えてをる。噺に日本一の富士山もー日一夜に出家 たと侍へるのであるから、それに匹敵する奈落の深澤が近海にめるのも客質である。日本がその 国土自然の無常観を常に味讃してをることは事賓でぁる。春夏秋冬の物の遮り浸りの日立ってを ることも戚傷的に訴ふる茹が多い。 ﹁ひ㍍ぷるに直く﹂と云ふのが日本の1国民性であると云はれてをる。その純情直情的な鮎を云ふ 悌秋¢螢蓬ヾJ﹁新鎌倉﹂り創鳴

(38)

のである。理智のさかしらに対立せられ、時に儒偽の致を排する意味に用ゐらる。このことは日 本民族が思索を得意とする観民でないことを如管玉語ってをるものであるが、大乗係数が日本に 移植せられて鎌倉期の偶数を生み出したその直接原田もそのことに外ならぬことを見逃してはな らない。理智の分別を嫌ふのは、猫トノ躍宗のみでほなく、傭数の根本的立場であつたのである。 たゞ沸教は中道主義であるから、理智の分別を排除する必要はなく、たゞそれに捉はれなかった のである。高次な立場にあ♭登髄的立場にぁつたから、それを樽じ得る鎗地を有して居ったので 一のる。鎌倉期の諸師が期せずして分別簡繹を嫌ひ、自性唯心に陥り定散の息に迷ふ小智小分別を 排し、専行に着いたのは、一は大乗沸教の指針によつたものではあるが、その横根その時磯その 国土即ち日本の観民性にも基くのである。理智のさかしらは或は覚書精進の相ともな♭、奥淀き ことを沙汰し存知する畢生沙汰ともなるのである。これは自力の計ひとして、本威力廻向に随順 する信心報恩の生活を殺ふとせられ、修澄隔歴せる待悟作偶の修はこれ簡葦分別打7りとして嫌は れ、本澄妙修の現成が勧められるのである。また始発の理脅分別に封して、本門無作の覿心が絶 叫されたのである。﹁大かたなりぬべき尊はさてあるこそよけれ﹂と云ふ宣長の心地の如きは、寧 ろ﹁自然法爾﹂の風光そのものであらう。また﹁少さき智もて嘗の書き窓きは知難きわぎLへ与ど云ふ 現地は、かの款異妙などに盗ふれて字Q信仰に相通ふものである。倍数は寛洗二千五首年の歴史 席数の費蓬ミ新鎌倉﹂の創唱

(39)

儒教の普蓮ミ癖鎌倉﹂の朗唱 三八 を有するのであるから、各時代と環境によ♭て随分と爽珪物を添加して茶てをるが、その爽誰は また夫々の国土及び時代によトて、漸次隆替し淘汰され清算されて行くのである。しかしその純 粋なる杢憶的立場は、人本臼塵重義として、常に夫々の国民性を養育して泰花の■であ∵り、まヤル滞 黍も養育し行くことでめらう。 五 明治維新の大断屠地震は全く過去の清算であつて、新しき日本が生れたのである。日本人の質 際功利ま我がこれを断行せしめたの・である。酉力外冠の魔迫もあつたのであるが、自ら生きるた めその過去の喩入文化を放棄して、新しい文化を以って代らしめたものでぁる。温故知新とか新 嘗折衷など云ふことの除裕などなかったのである。尤もそれにほ新膏文化はたゞ薪奮の相異と云 ふのみでなく、特に自然科畢の如き異質文化が中心をなしてをるためである。この異質的文化の 対立は東洋画洋・精紳物質・手工機械・宗敦暫畢科畢等種々に考察せられるのでぁる。 徳川封建生活よらの放出がそのま潮であつたであらうが、排彿毀粋の如きもその清算のうちの 大なるものでぁつた。これは係数が常時の鹿骨生活のうち最も限につくほどその外形が大物であ った焉めもあつた。別に深く彿致と科畢との関係よら、近代生活に封する適否を考察して超され 佗程、思想的根凌があるのではなかつた。その維新の意味にほ、王政復古が目的でふγり、民凍固

参照

関連したドキュメント

児童について一緒に考えることが解決への糸口 になるのではないか。④保護者への対応も難し

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

信号を時々無視するとしている。宗教別では,仏教徒がたいてい信号を守 ると答える傾向にあった

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので