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『宗教研究』新第11巻第3号(*82号)

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(1)

――目次――

1,

神名の言語学的研究,その困難と通患,松村武雄,Takeo MATSUMURA,pp.1-19.

2,

使徒パウロにおけるストア的思想,佐野勝也,Katsuya SANO,pp.20-36.

3,

法華経における九部法について,石川海浄,Kaizyō ISHIKAWA,pp.37-51.

4,

幼児期の宗教意識について,関寛之,Hiroyuki SEKI,pp.52-66.

5,

順世派研究資料,龍山章真,Shōshin TATSUYAMA,pp.67-86.

6,

新羅の遁倫と「倫記」所引の唐代諸家,江田俊雄,Toshio EDA,pp.87-100.

7,

日本天台における即身成仏思想,藤田海龍,Kairyū FUJITA,pp.101-122.

8,

種姓制度における二源流,諸戸素純,Sozyun MOROTO,pp.123-138.

9,

弁証法神学における宗教哲学の可能と地位,菅円吉,Enkichi KAN,pp.139-150.

10,

『常盤博士還暦記念仏教論叢』を読む,中田源次郎/横超慧日/梶芳光運/藤本智董,Genjirō

NAKATA/Enichi

ŌCHŌ/Kōun KAJIYOSHI/Chitō MOTO,pp.151-174.

11,

新刊紹介,pp.175-187.

(2)

般の研究は、多くの弱鮎・決隋をその基底に潜めてゐた。 抑名の言語塀的防塞

碑名の言語学的研究

− そ の 困難と通患!

村 武 雄

紳々の名を表す語鮮の言語畢的研究が、それ白身に於て大き牢学的興味を持つばかりでなく、祭儀及び神話の

引き歪められた、若くは畷脱化し不明化した意味を開明する上に、往々にして少なからぬ光明を投することは、

人のよく知るところである。

に意識しながらも、畢的執芯そのもののために、

しかし這般の研究には、さまざまの困難と隋罪とが必然的に随伴して居少、而してさうした国難・隋罪を充分

却ってこれに落ち込むといふ通患が存してゐる。自分は今少し

くその鮎を考察して.自戒となしたい。それが同時に他戒の一助ともならば、望外の喜びである。 帥名の言語畢的研究といふと、直ちに吾人の念頭に浮んで来るのは、十九世紀の後年に勃興したマックス.ミ ュラー一派の紳名究明に摘する畢的努力である⋮こ誓紙の畢従たちの言語単的研究は、人難畢波1−殊にアン ドリュー●ラングによつて粉砕せられたことは、人山よく知るところである。蓋しマック:ミ:フ⊥涙の㌶ ニ亨J

(3)

二 碑名の言語撃的研光 祭儀の向けられる封象、裂くは紳詑m主鰹としての粟威の名には、之を帯びる霞威の内性・職能を指表し.若 くはこれと聯踊するものと、然らざるものとがあ少、更に前者のうちに、祭儀若くは帥話が持つ目的・意味に封 する指棟性を永く頗く持緯するものと.然らざるものとがあり、更に自然界の事象を詮表するものと.人文界の 事象を表示するものとがある。マックス・ミニフー一派の畢徒の紳の名に関する言語畢的究明が、太だ屋上正鰯 を失し牽強附禽に堕した主因は、紳名に於ける這般の区別性を無祀し、 日面の名は必然的に且つ全部的に紳の内性・職能を指表する。 聞紳の名は、祭儀若くは神話の時間的・容問的な欒化流動を超越して、いつ、までも、そして何れの方桝にあつ ても、祭儀若くは面詰の意義・職能と有機的な聯閥を持ち拭ける。 拘仰の名は常に自然界の事象の詮表である。 といふ無意識的若くは意識的な後先の下に考察の歩武を進めたところに存する。 その後に於て紳名の言語畢的究明に従うた畢徒たちは、かうした譲定から部分的に若くは全部的に解放せられ た。彼等は多かれ少なかれ、紳名の性質に於ける直別性の多様さを胸奥に放めて、這般の置別性が紳の名に閲し て自ら劃し出してゐる限界組を超えないやうに努めてゐる。トかし紳名の言語畢的研究といふことそれ自身に、 自然の約束上なかなか克服し易からぬ困難が内在してゐる。 〓州名は、固有名詞であり、ヌrSO−邑mヨeであり、従つて普通名詞と購って∴竹聞的・時間的に捷生した同一 名m様々m醇化形を職つことが比較的に稀少であるが故に、川一語離の攣化の折々剃による比較考躯が頗る J(ノ「ノ

(4)

困難であ恵こと。 関所名の多くは、その賛生が頗る古く且つそれが宗教的封象であつたために、名を表す語酎が、その構成に於 て屋上特殊的であるのみならす、這般の構成法が可なり早くから既にょObsO−ete;となつてゐる場合が少く ないが故に、他の語群との比較によつて、その本義を掴むことが頗る困難であること。 拘紳名は、疑もなく一の民間債承である。しかし他の様々の民間債承 − 風俗・慣習・祭儀・神話などと、一の 重要な鮎で異ってゐる。後者に関しては、語系を同じうしない諸民族に亙っての比較が畢的安皆を以て為さ れ得るに反し、前者に関しては、這般の比較が多くの場合単的に安常で無いこと。 ㈱紳名は、それが名であることからの自然の締結として、他の語酎・革旬・文章に関係なく、それ自身に於て意 味︵何等かの意味を持つとすれば︶が完結してゐるが故に、他の多くの品詞と異な少、帥名の現れてゐる文 句のcOnte諷sが、紳名の意味の推断の常否を検許するために用をなさぬ場合が多きこと。 などがこれである。而してこれ等の困難性が、紳名の言語拳的考察を梢jもすれば、賞誇の裏づけを持たぬ、若 くは賞辞の貧弱なる、直観的な若くは弼断的な推断に陥らしめる。また推断の雷香を杵威的に決定する規準が乏 しいために、這般の考察が無意識のうちに、或は飴りに大臆に、或は飴りにイージィゴーイングに堕し、個々の 考察者が猫少よが少の結論を己がじし抽き出して、相互に一が他を撥無する底の考詮が蓮つとなく併存するとい ふ奇観を呈し易い。また紳名は、難儀や神話の中に存接してゐるものが多きが故に、紳名望息鴫付言語学的考察 は、太だ崖i這般の祭儀や和語に胎て知られてゐる紳の内性・職能を規準とするa号Or帖の上に行はれる。粟 紳名の言語礫的折紙 罰紀

(5)

にまたノでの逆的動向として.帥名の意味するところのものが、祭儀や紳話の解樺の上に有し得るところの安富性 ヽヽ の限界を乗り越えて、前者を白慈的に後者の解明に持ち込む傾向が可なり強い。最後により恋い傾向として、或 る祭儀若くは榊話から抽き出したところの紳名の意義を用ひて、さらに革祭儀荒くは該挿話の意味を解かんとす る、殆んど無意味な循環論法が行はれる。これ等はみな、紳名の言語畢的究明に於て往々にして見出される弊息 である。 マックス︰、、ユラー流の翳鮎から解放せられたその後の州名の言語革的研究も、かうした困難と弊患とからは 金的には自由であり得ない。自分は今それを顧みて、他山の石としたいのである。 二 光づ紳の名の意味するところが、究明者のいかんによつて、如何に種々雑多であるかを眺めて見たい。それに は比較的に解樺が容易であるとされる帥名を採り上げるのが、最も効果的である。 希他の紳の名のうちで、語形が願ぶる明噺で、その意味するところが太だ看破し易いと普通に看倣されてゐる Tr官01emOSを探少上げて見る。この館山威は、エレウシスの穀物紳・農耕紳であ少、而してデーメーテール女紳 が、その女ペルセフォネーの行方を探索中、ケレオス王の歓待を受け、その謝雌として王の子トリプトレモスに 豊新の技を教へ、穀物の種を輿へ、有翼龍に牽かせた単に乗せて、希臓の諸地に之を分配させたといふ神話が存 することは.人のよく知るところである。吾人の問題はこの紳の名が何を意味するかの考課の緋多性である。 党づ郡∴に、カー・レールス︵円空⊥叫ヒFs︺は、⋮千八百八十二牢に公刊された邁替日和曾istPMCE S押乱ii帥 紳名の言語撃的研究 凹 ∂侃9

(6)

㌍ごm2ric訂忙於て.Tr.︼PtO訂mOSの名を.他の多くの雅雄名声gぢ邑e−呂SしAヨ富菅乳化mOS﹀欝OptO訂mOS等と

Tこ 結びつけて考へ、かくて之を臼して.革なる希臓の英枇名の一っに過ぎぬと推断してゐる。然るにウィラモウィッ

︵ゴ︶

ツ︵U・ノ10ゴノくi訂mOW許占どe宕已CrコCは、その著Aus Kyd已h2nに於て、それからケルン︵○●Kerエは.

︵‖J︶ ﹃希暇人の戦争及び祭儀﹄︵Fieg2乙芥ult bei deヨ Heごene−こに於て、この名を解して﹃三回戦闘者﹄の読と

なし、リーシュール︵F・deSaussure︶は、望芯−anges NicO︻eに於て、triptO−emOSといふ語離を目して、希隠語 の tri[○訂mOSこriphO−emOS、若くはtrib柑i−1などと血路を有し、従って本来は﹃拍き砕くもの﹄を意味するとな し、かくて弊威としてのトリプトレモスは、穀粒を潰すために遊民階級によつて使用せられた挽絆機から生れた ︵4︶ ものであるといふ詮を立ててゐる。更に他の畢従!たとへば、トーマス・ケートレイ︵ThOmaS胃eight12y︶.の 如きは、この語軒を目して、希隠語のtripO−OS︵=t訂icep−Ou掌ed︶から出たものとなし.この名を持つ吏威に、 ︵■り︶ 三度鋤きの畝時に播かれる穀粒が帥へ昇華したものであると見てゐる。同じくこの﹃三度鋤き﹄詮を唱ふるもの に、オー・グルッペ ︵○●Gr壱pe︶があ少、またハー・ウーゼナー︵声Usener︶がある。就中サーゼナーは、そ

の大著﹃紳名﹄︵G望tqrロamen︸ノ1e琵己︼ei−︼er Pehre言−︼der re−官許en出egri弄bi−d≡毒︶に於て、−﹁リブトレモ

スの名の言語畢的解剖を試みること無しに、直ちにそれが﹃三回の耕作﹄若くは﹃三度目の耕作﹄を意味すると へ7︶ ︵H︶ 述べてゐるっ次にエル・プレラー︵L等e〓er︶は、その昔﹃希臓紳語草﹄︵GriecEscheMyt訂︸Ogie︶に於て、及 ︵S︶ び叫ニアメテル及びペルセフォネ﹄︵De−完ter≡乙Pers竜hOne︶に於て、triこOlユゴOSの語僻むtr首0訂コと閥係づ Tこ けて者へたアガリス・フォン・ケルキラ芯ga宗s苫口汚er首−・P︶の考証に費而して、これを誓三岨耕れする者﹄の 碑名附菅沼甲的研究 五 βげ3

(7)

読となしてゐる。 かくして吾人は.ト∴リブトレモスの名の義に関して、少くとも. 川単なる英姓名とする詮。 拘﹃三回戦闘者﹄の養とする詮。 問﹃抱き砕くもの﹄の義とする誼。 用﹃三回耕作﹄の義とする設。 勒﹃三度日の耕作﹁︰の鶉とする訝。 M﹃三回耕作する者﹄の義とする説。 の存することを知る。而してこれ等の詮に到達する過程は、或は何等の考誇をも痙ざる直観であ少、或は僅少な る類語との比較に過ぎないが故に、いづれも充分に吾人を納得させる力を炊く。従って、その中の一に賛同する ものも、容易に他の反暖を蒙るの窮地に陥らぎるを得ない。たとへば ロarembergetS叢−iO−ロctiOnna訂des Antiquit訝grecquesetrOヨai−誘は、これ等の見解のうちの﹃鴇き砕くもの﹄誼に寂して、かくも魅力ある臓詮 ︵川︶ に而しては、﹃三岡耕作﹄詭の如き、大きな程度にその本営らしさを粟失せざるを得ないと述べてゐるが、Lかし 希臓に古く﹃三回耕作﹄の農耕法が音際に行はれたことは、ヘーシオドスがその詩篇に記すところによつて明か であり.粟に此の農耕洗が榊諸に凍ぇれられてゐろことは、イアシオーン︵訂聾J︶が三度鋤きの川でデーメーテ ール女榊と性交をたしたといふ物語︵こm紳清は、渉くの民放わ問にあつて、作物の盟恍を感鮭呪術的に制御す 碑名の言語畢的研究 J(一−「き

(8)

へ〓こ るため、蛮人たちが田畑で性的丹精をなす農耕儀祀の反映である1︶州布衣によつて明かである以上、その蓋然癖 に於て、強ち﹃鴇き砕くもの﹄誼に劣るとは断じ難いとしなくてはならぬ。 思ふにtriptO−emOSを眺めて、何人も直ちに思ひつくのは、この語酎がtri及びでtC−昌lOSの二仰の成薫から 組み立てられたものであらうといふ推定である。而してptO−emOSは疑もたくpO−e−云S︵﹃戦闘﹄︶の詩的用語で あるのに、トリプトレモスは、穀物紳・農耕紳である。そこに大きた矛府が存するやうに思はれる。かくて、ペ ー・クレッチエマー︵P・胃retscl︼n曇︶は、﹃グロッタ﹄︵G−Ott且に於て、トリブトレモスの名の義の問題の難鮎を 目して、 ﹃この名の第二成業たるptO訂mOSと、この名を負うてゐる者の性質との問の反封矛盾に存する。﹄ ︵lゴ︶ となし、而してこの難鮎を沸拭せんがために、p01emcsの語酎をH︶elemiz2i︸︼の語軒と結びつけた。詩篇﹃イリ アス﹄啓二十﹁第百七十六行の、

ご・is men m訂℃e︼eコ︼iksel︼eruSSeSdai n︼enりai諷n

の句に於けるi︶e−emiksenは、﹃彼は振り動せり﹄を意味し得るが、﹃オデュッセイア﹄巻二十一節百二十五行に現れ た類同した句の中の pりlemiksenは、雪彼は振り動せりL抱を意味しないで、﹃彼は緊張せり﹄、﹃彼は努力せりしを 意味する。それ故pO−emOSは﹃緊張﹄、﹃努力﹄であり得る。貫際希臓の植民地の人々の間では、p01emOSの語 酎が猶ほ此の意味を保存してゐる。だからtl・ipt01emOSは、尊貴するに﹃三岡努力するもの﹄に他ならぬ。とこ ろでこの場合什ri−は.文字通りに、﹃三﹄に関するものと取るべきか、若くは﹃多数﹄を表すも打と謁ふべきかの 紳名の言㍉嘩的研究 七 .了/ノJ

(9)

紳名の言語翠的研究 八 第一の場合ならtr首tO−emOSはtripO︸OS−︼e⋮宏即ち﹃三回耕された田野﹄が考へられるか、荒くはE2rOiarCt。i 即ち﹃紳敦なる耕転﹄の三岡が考へられるし、第二の場合なら、烈しい労作の擦徴としての田畑の摩周となき鋤 き起しが考へられる。かくてこの語酎は﹃戦闘﹄から出たのではなくて、曲正人の労作からHiたものである。 ヽ● クレッチュマーの考詑は、上に奉げた考詮の何れよりも、より周到な注意の下に生れてゐる。かくて、オイゲ ン・フェーレ ︵Euge︼−諾lJre︶は.ロッシャ一郎纂の﹃詳説希隠羅馬油話齢典﹄つく●H,ROS︹訂︼・∵ご1S空已ic訂s

Le已kOn der griechisc訂nl︼nd r平喜isc訂n M︶き○−○惣e︶に於て、クレッチュマーの解梓を目して、従来現れたあ

ヽ’ ︵〓︶ らゆる解樺に比して、より信頼すべきものと嘆賞してゐる。しかし自分の見るところでは、此の優秀な解樺でさ へもが、州名の言語拳的研究の困難性から由来する﹃贋き﹄から充分には解放せられてゐない。たぜなら一己el岩山 とprD訂mi鼓ロとの関係づけ、及びpO訂mOSに雪努力≒﹃緊脹﹄の義を見出した推論を暇りに骨定したとしても、 i︶01eJJOSによつて意味せられる﹃努力﹄、﹃緊張﹄が、何故に特に耕作上のそれであると見なし得るかの説明が甚 だ不充分であゎ∴この肝要な個所で、氏は論謹によらざる防手た推論的飛躍をなしてゐるからである。而Lて氏 をして這般の飛躍を敢てせしめた心理作用に、面名の言語畢的研究わー通患が潜んでゐるのである。蓋し氏は、 tr首tO−e−ゴOS の語酎の究明を試みるに先立って、この名を負うた人物が農耕紳であることを、紳請を通じて熟知 してゐた。而して此の眈知輿件が、若くは霧輿件に基づく帥話塾的なge琶己宣芦川Su−︼gが、意識的若くは無意識 的に氏の心的活動に∵り髭建つた動向を輿へ、﹃努力㌔﹃緊張﹄が起ちに農耕的努力・緊張であるかのやうに思は れたのであるL。この柵給的飛招の結漱は.瀞相成棚に骨⋮つてゐるかも知れぬ拍しかし事の展榊に償ってゐるか督 劫循

(10)

かを問はず、さうした飛躍は、諭狩に於ける大きな紋隅である。しかも州名の.冗語畢的研究忙は、これが鵬つの 甜 っり 通患となつてゐる。その意味に於て、フェーレが、 ︵14︶ ﹃名の解繹詑明は.究極するところ佃々の究明者の神託畢的な概括知念から出て禿る。﹄ と揚言した詞は、たとひ少しく云ひ過ぎの嫌ひがあるにしても、這般の究明に従ふものの.まさに三省すべきと ころでなくてはならぬ。 三 言語草研究が猫立的に到達した結英としての紳の名の意味解鐸を、該紳に関する祭儀若くは神話に適用して見 て、それがうまく首て飲まるとき、その意味解梓はi巨富さ眞賓さの某菩を得たと考へられる傾向が、可なり強い。 紳の名がその内性・職能を直接端的に指表すると否とに拘らす、翻そのものと何等の踊係なしには生れ田づるも のでない以上、這般の傾向が全的に排超せらるべきでないことは勿論である。 しかし言語畢的に解明せられた紳名の意味と祭儀若くは紳話の内容との符合一致は、必ずしも常に這般の言語 畢的解樺の客観的安富性を謹嘉するものではない。祭儀及び榔話は厘∫流動欒化するものであり、而して紳の名 も、その語形若くは意味に絶封的に動きの無いといふことは保許せられ得ないからで挙る。 今二三の紳名につきて考へて見るに、天錮女命の名護に関して.﹃古語拾遺﹄に於て﹃古語天之於須女。其紳張 ︵15︶ 悍猛間以馬レ名。今硲淑女謂こ之於須志一此練也。﹄とする説、﹃う﹄は大であり.﹃すめ﹄は紳柴詣であ少、従って ︵lβ︶ウ メ ヌ ︵17︶ ﹃うすめ﹄は伶人の哉であるとする説、馨滞女か.聖聖器としての臼に因むかとする誇などがあり、仰鮮諾・伊非 碑名の言語嘩的研究 九

(11)

冊二紳の名義に踊しては.更に解樺が直々で、 ︵Ⅲ︶ 川﹃誘ひ合ふ﹄の義とする詮。 ︵19︶

拘﹃いさ﹄を地名とする詮。

イザ イサヲシ

︵加︶ 閏﹃いさ﹄は、勇、功の養で、上古の俗男紳雪なき﹄、女帥宅なみ旨なしたといふ詮。

拘﹃いざ﹄宅神聖㌫意とし、﹃あぎ﹄を男子の、﹃あみ﹄を女子の敬栴と解しー﹃神聖の男君﹄﹃神聖の女整髪息

︵ゴl︶ 昧するとなす詮。 ︵両こ 何﹃いさ﹄を﹃磯㌫意とし、二面の名の義を﹃磯波﹄.﹃磯風﹄とする詮。 ︵小︺︶ 仰﹃いさ﹄の﹃あぎ﹄即ち﹃いさ図の男坤﹄と、﹃いさ﹄の﹃あみ﹄即ちやいさ園の女神﹄とする詮。 等が存し、はた北欧のロキ紳︵LOki︶に関しては、 ︵ブイ︶ 川夏iはアイスランド語のl算a︵﹃終る﹄︶より出た語射で、従って呈紳は帥性の完結を表すとなす詮。 閏要は希隠語のーOCk冒.及び古代諾成語のlCkk又﹃誘惑する﹄︶と密接な開係を有する。ロキ紳が他の者を ︵絹︶ 誘惑する邪紳として神話に現れてゐる革質が、これを裏書するとなす詮。 勒ロキ紳の別名言きLO]2rが、﹃大気﹄を意味

する語新吉から出たらしいことー及びそれが北欧語わ

Iy詩及び猫逸語のlu三何れも﹃大気﹄︶と血縁を有するらしいと主張し、この紳を目して大気に関する紳と ︵雄︶

する鎗。

川寮iといふ浩郎監⋮桃が、概評評緋豊⋮訂e㌢キムりり蕊∵苗告甚既望Ogi撃に兄川されー而

耐名の雪‖諾野脈研究 3瓜9

(12)

してこれ等は轟く﹄、﹃光る﹄−﹃党﹄・忍﹄監超するが故に、訂押⋮患置の義教有すとなす悔 等が存する。而してこれ等の考課に於て、﹃古語拾遺﹄は明かに天岩戸面詰や天孫降臨紳話に表出せられてゐる天 釣女命の性情を以て、この紳の名の解樺の安富性の保琵となして居少、本居宣長も、諾冊二紳の天御柱めぐりの 神話によく首て飲まるといふ一事を.﹃誘ひ合ふ﹄盆の正しさの裏書として屈少、ロキ帥の名の義を﹃誘惑する﹄ であるとする畢従も亦、自己の解樺の結典が、紳話に現れた同紳が他の赫々を誘惑するといふ寄算によく富て飲 まるといふので、安心をしてゐる。 しかし這般の符合だけで、安心してゐられては困る。それだけの理由では、﹃張女﹄詭、﹃誘ひ合ふ≒説、﹃誘惑 する﹄詮などを正しいとし、他の考誰を非なりとするわけにいかぬ。それにも拘らすかうした符合一致が強くも のを言って、それが見出さるれば.紳名の言語畢的解繹は、まさに落ちつくべきところに落ちついたと者へられ 易いところに、這般の解梓の通患の一つがある。 自分たちは、かうした弊患の明白な一貫例として、希臓神話に於けるティークーネス︵Ti︹賀eS︶の名の解樺を 奉げることが出来る。 ti旨es の語義に関してはー従釆種々の解樺がある。党づケートレーは、﹃紳耗記﹄に於けるティークーネスの 記述を誰彼として、titanesを目して、taひ、titさtit旨−ひから出た語鮮で、ティークーネスの生産的努力を表出 ︵普︶ し、﹃努力する者﹄の養であるとなしてゐる。しかし﹃紳統記﹄の、 首aske計註a首呂訂s巴如Sd已i㈹.ヨeg=・訂ks已e︸■g。−−−t︺i。q epeitP許i−二賢哲鼠dcne肌mS計i. 紳名の音譜撃的研究 鋸闇

(13)

紳名望■=語邸的附光 一二 の記述の意味をケートレーの如く解鐸するのは、太だ無理である。また古くオルフィック涜の畢従は、この語鮮 ︵却︶ を﹃復讐する﹄、﹃闘争する﹄の諒となしー近来の畢徒の中にも之に追随する者があるが、這般の解樺は因果関係 の倒錯である。ティークーネスがゼウス帥族に封し闘争をしたといふ押詰から逆に推定した解樺たるに過ぎぬ。

更にまたエム・マイヤー︵M・MPyer︶は、その著﹃宜人とテイクン旗﹄︵Die Giga三e−1und Titaneヱに於て、

︵錮︶ tit呂.の語酎を目して、︼.ぎ︵NetlS︶の一個のredup−icated訂rmに退きぬとなしてゐるが、その論許は頗る不充 分である。かくてこれ等の考訟はいづれも単界の是認するところとなり得なかつたが、更にtぎーーeSの語酎を目 して、﹃白色土﹄、﹃石膏土﹄藍息味するとなす解樺が生れ、而してこれが若干の畢徒によつて定論視せられるに至 ︵叫︶ った。この解樺は、古くハルポクラティオンに暗示せられ、次いでアー・ディーテリッヒ︵A●Oieterich︶によつて ︵凋︶ ︵眉︶ 主張せられ、更に新しくはハリソン女史︵J・E・□arris。n︶の賛同するところとなつた。而してこの解樺が勢を 得たのは、賓にティークーネス及びデーオニュリスに踊する挿話の裏書によつてである。 アレキサンドリアのクレメソト︵C訂莞ntOfAlexa已ri−この言ふところに従へば、ディオニュソス紳がまだ童 子であつた時.クーレテス︵芥Ouretes︶ が彼を縫って武装舞踊︵p卜己OtrOpl計︶ をなしてゐると、ティークーネ ︵調︶ スが窃かに忍び寄り、さまぎまの玩具を以てディオニュソスを誘勾し、その四肢を裂き取ったといふ。更にハル ポクラティオン及びプリユタルコスの言ふところによると、ディオニュソスを盗み去ったティークーネスは、白 色の粘土で身鰹を塗つてゐたといひ、またディオニュソスはその隈をけ々に引き裂かれた後、﹃〓土人﹄︵w旨? 持たが化 c宵・meヱがその心臓むポ蘭土の人形に入れ、霜の言土人﹄とし竿祝酒せしめたと悼へられ毎 ぷ7〟

(14)

この紳請忙封する純水の0ユ訂計H な僻描は、ディオニュソスによつて代衣される登学良.食用植物の精髄磨 くは穀襲であ少、而してそれが鰹を裂かれた後、更に生き返るのは、這般のものが冬親に死し春期に復折するこ とを詮表したのであるといふ見方であつた。しかしかうした粗雑な大掴みな説明は、到底この神話に於ける細部・ 骨子の意味を明かにし得ない。然るに近時に至少、ハリソン女史が一新詭を出し、該挿話五目して、宗教的儀鰻 ︵邪︶ としての成年式の残照となした。これは正しく確認とするに足る卓見である。吾人はさう解するとき、この奇異 なる物語が、忽然としてその細部に亘って一貫した意義を露呈し来るのを覚える。 Ⅲ諸民族の成年式は、その儀雌の必須的一部として、新著意を囲んで呪術宗教的舞踊をなす。呪入園たるクー レテスがディオニュソスを中心にして舞踊したのは、這般の賓修の現れである。 関白然民族の成年式は、新教意から俗的分子を除去して翌的分子を賦興するために、既存の彼を抹殺して更新 の彼を生誕せしめる手段を探る。1二−・サウス・ウェールズのウィラヅワ族の成年式に於て.司祭者が新著意 ひとがた を森の中に連れ去り、その鰐を切り裂き、火を放ってこれを焼き、然る後その次を人形に盛り上げ、而して ︵訂︶ それを新Lい人間として生き返らせる伴備的貫修をなす如きこれであ少、而して這般の貫修は、廉く阿弗利 ︵絹︶ 加、濠太刺利亜、亜米利加、南太平洋諸島などで行はれる。ディオニュソスがティークーネス族のために連れ 去られたこと、その鰹を裂かれたこと、新しく生き返ったことは、這般の儀櫻の説話的復需である。 例日然民族の成年式に於ては、司祭者たちは、或る櫨の士を用ひて、その鰻を白く︵時としては黒く︶塗る。 ティークーネスが白色の粘土で髄を塗つてゐたことは、正しくこれに該借する。 紳名の言語軍的併究 ぶ7J

(15)

紳名の言語邸的研究 一四 かくてtitanesの語軒をt計nOS︵1白色土﹄、﹃石膏土﹄︶から抽き出されたものであるとする言語畢的解樺は、 この神話によつて動かし難い保謬を得たものとして、若干の畢徒の採り上げるところとなつた。 しかしtitanesの語義の問題は、しかく簡単に片づく性質のものではない。ディオニュソス神話に視るるティー クーネスはなる程白色土を鰹に塗って祭儀に閲興する存在鰭であらう。従ってその限りに於ては、tita−JeSの語義 を﹃白色土﹄、﹃石膏土﹄とする解樺は、太だ好都合であるに逮ひない。しかし希臓紳話は、さうした存在態とは 全く性質を異にしたティークーネスを吾人に輿へてゐる。﹃紳統記﹄に碓へば、彼等は一種の狂暴な匡魔であり. ゼウス紳族と決死の闘争を試みて破れた原始的邪嚢であると信ぜられた。かうしたものとしてのティークーネス と﹃白色土﹄、﹃石膏土﹄との問に、一博どんな闘係があり得るだらうか。その上にまた﹃白色土﹄詮に封する致 命的な打撃となるべき一つの事苦が存してゐる。 なる程成年式の司祭着たちは、白色土で鰭を塗つた。しかし此の白く塗る賓修に封して用ひられた表現語は、 ︵馴︶ 常規的にguphOSであつて、tぎ岩Sではなかった。従って古典的畢従は一人としてtitan2Sをtit”昌OSと結びつ ︵勅︶ けてゐない。これを結びつけたのは、十二世紀のテサロニケの大僧正エウスタティオス︵E邑atEOS︶に始まる。 ︵しかもこの畢徒さへ、ティークーネスがその名をtita−岩Sから得たのではなくて、却ってtitanOSといふ語酎 がティークーネスから起った。なぜならこの玉魔族がゼウオ紳の雷火によつて土に踵せしめられたからであると なしてゐる闇︶かくして什許ロeSとtぎnOS との糊には、本舗何等の語原的相隣も拝しなかつた“この革質は、正 しく﹃白魚士﹄眈 − 笹汀n貌の語義をti訂冒S Iこ求むる考給を粉砕するものでな︿てはたらぬ。 ぷ7β

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それならば.tiどごeSといふ語離誓息昧は服し羊邦避に捜し求むぺきであらうか。近時の研究は.太だ蓋然率 に富む二つの考誼を産み出してゐる。 印この語酎が本木一個の敬栴であつたとする詮。 閃この語酎が本木﹃王者﹄を指表するものであつたとする詮。 が.これである。 先づ第一説から始める。或る畢徒たち − たとへば、かのマイヤー︵り冒yer︶の如きは、玉魔族ティークーネス の名を表す語酎が、多くの紳の稀呼となつてゐるといふ寄算に托目した。太陽神へーリオスが、l岩−iOSTit己︼iOS と呼ばれ、月抽・狩猟帥アルテミスが、ArtemisTit呂isと呼ばれ、曙紅の女神エーオースがEl戻.Titひと呼ばれ るが如き、これである。これ等の場合に於けるtitanesの語節に、﹃努力的﹄、﹃動乱的﹄.﹃復讐的﹄などの意味を 読み取ることのいかに愚かなるかは、何人も疑はないところであらう。況んや﹃石膏土﹄の義を認容するが如き は、全く滑稽の沙汰としなくてはならぬ。然らばこれ等の帥に共通する栴呼としてのtit2−eS の本義は何であつ たらうか。これ等の諸形が示唆してゐるところに従へば、どうしてもこの語酎が、tiひ︵﹃尊崇すべき﹄︶から出て ロ温n ゐるといふことを認容せざるを待ない。 もしさうであるとすれば、titanes の語群は、本来さまざまの超自然的畢格に封する尊崇の情念を表示するた めに、民衆がそれ等の聾格にささげた敬稲であり、而して這般の敬栴で呼ばれた存在態の或る者が、神話的人物 主なつたところに、ティークーネス族の蟄生があるとしなくてはならぬ。多くの饉威に北ハ通に典へられてゐた通 紳名の召語群的糾東 βア3

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山大 紳名の吉成⋮撃的研究 稀そのものが、或る特定の存在態の稀呼となる過程は、苗代希臓に於て賓際に屋上生起した尊貴であること、ウ ︵彪︶ ィラモウィッツが、多くの例許を挙げてゐるところによつて明かである。 人或些言はむ、ティークーネスの如き恐るべき匡魔的存在態が、古く﹃尊崇すべき﹄の名を以て呼ばれたと考 ノンセノス ふることは、それ自照に於て一の大きな矛盾ではないかと。しかし這般の抗議は全く無意味であゎ、一の時代錯 誤である。何故ならば、ティークーネスを以て動乱を好む喜魔的存在態とする附念は、後期的な賛生に過ぎない からである。本原的にはティークーネスは、立派な紳性のものであつた。ヘーシオドスの如きも、これを呼んで ︵粛︶ ag呂Oi︵=i旨striOuS、n。ble︶となしてゐる。彼等は古くは﹃尊崇すべきもの﹄の敬柄に債する高貴にして赫々た る婁物であつたのである。これが第一詮である。 更に他に一個の可なり確かな解繹として第二誰がある。エフ・ゾルムセン︵句・S012Seロ︶は、l己Oger2aniscl︼e ﹃OrSChungen︵−空々︶に於て、titぎの語酎を、tit﹁旨sこ宕−−阜titOコ、ゴtak己阜ゴ汀料OS等と関係づけ、ヘシュキ オスがt計訂を詮明して、

entimOS m dul︼aStmn l岩i de basi−eus.

となし、またt⋮蒜−邑[ について、 tit佃コai︰bPSi︼ides へ凋︶ とあることを指斥するなど.周到な増収偶の下に、問題の語酔が﹃王者﹄の濾に他ならぬことを力謝した。ついで エー・ピー・クック ︵A・串COO押︶も.その火箸﹃ゼウス﹄ハN望S︺ 忙於て.ゾルふセリエ〃﹃*者維﹄に賛同し、 β7ヰ

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而して進んで≠ 糾ティークーネスが本原的には、襲威でも軍艦的布衣でもなくて、尋常な人間であること − しかもトラキア ︵射︶ 地方の首長若くは王者であつたこと。 拘トラキア地方の王者たちは、昔時新しく生れる帥としてのヅァグレウス若くはディオニュソスの雲能をわが身 に憺得する宗教的儀絶として、該紳を表示するものとしての一小見の鰹を切り裂き、その一部若くは全部を ︵哺︶ 敬ったらしいこと。 を説いてゐる。 白分の知見では、t許nesの語酎の意味に閲する是等二つの考詭 − ﹃尊崇すべきもの﹄誰と﹃王者L詑との何 れが正しいかを確言することは円木ぬ。しかし輌者がその蓋然率に於て、共に﹃白色土﹄詮に遠かに勝ってゐる ことは、どうして掲拒み難い革質である。さうであるとすれば、titaHleSの意味を﹃白色土nhとなし、而してティ ークーネス及びディオニュソス神話にそれがよく雷て飲まるといふ一事によつて、この解樺がtit呂eSの語酎の 虞義を掴んでゐるとして安心するの早計なことが、ますます明かになるではないか。︵未完︶ 註

︵1︶戸Ⅰ・eh−S−De AristPrCl︼i Studiis IHOmericis︼p.余¢nOte.

︵2︶U・く昌WiFmOWitz・呂Oe亡endO︻ヌAus舞甘athen−S●−記●

︵3︶〇・声erロー芥−ieg und芥u︶t bei de臼IHe−ざ完n−S●P

︵4︶F・de Saussure−M置遥eSヨcO−e、㍗巴㌢

紳名の音譜申的研究

(19)

︵5︶T・芥敦ght訂y︸The Myth。ざgy。︻Ancient Greecea已HtPly−p﹂笥●

︵6︶lI・qS昌er、G芸ernln″en−くmr2Ch eineニLe︺r∃n de︰e−igiαsen官gri訂bi︻dung−サーた一

︵ァ︶Lワe−訂r、nriech訂che己y〓岩−Og訂−S・コ声 ︵8︶l・・Pe−訂r、Demete−und苫−りephOne−S・誓声 ︵9︶Agal︼isくOn汽erkyra︸SchO−・Hl・こ・舎甲 ︵10︶DarembergetS品ぎーロicti。nnヒredesAntiqu烹sgrecquese:。mPineいーTOm・く・p.彗○● ︵11︶ⅠIOmerOS、Odusse㌻−く・︼柏ひいT訂。krぎsこdy〓sこlI・ひr雪いOvidius﹀Aコ︸〇reS−ⅠⅠⅠ.舛∴声 ︵12︶勺・Kret∼C−−mer、G−○︷ta−Ⅰ・警声 ︵ほ︶W・IH・R。S。lle﹁−Ausf旨ユichesT・e話芸dergriechisc訂nundr旨訂hて占y旨○−Og訂−TriptO︸em串 ︵14︶R。SCher、Op.Cit・︼Tript01emOS・ ︵誓冒語拾遺﹄。本望且長は﹃古事記俸﹄に於て、飯川武郷ほ冒本書紀通粋﹄に於て、池速虞藤は冒語拾邁新託﹄に於 て、いづれもこの設を探ってゐる。 ︵16︶松岡静雄氏﹃日本古語大尉典﹄解二五二貫。 ︵け︶上代日本文撃講座、特殊研究篇上、高崎正秀氏﹃上代に於ける文撃人の牝括﹄。 ︵lS︶﹃古事記停﹄、﹃紳代紀口訣﹄。 ︵19︶新井白石句古史通﹄。 ︵餌︶新井白石﹃古史通㌔ ︵n︶松岡静雄氏前掲音節一五五貢。 ︵qq山︶城戸暗太郎氏﹃古代日本人の世界観﹄第九二貫。 ︵㍑︶金棒庄三郎氏﹃日韓同甜論﹄第二〇凹貢。 ︵24︶R・声A已e−SOn−20r∼e M三才U−Ogy︶p・∽冠・ ︵鵠︶諾ters岩山2Dr旨2r3雲当こ邑っgごp・岩戸 ︵部︶An計rsっn︸Op・︹F,P∴鶉声 紳名m一箪認嘩的研概 ∂7ぴ

(20)

︹即︶甲TFOrP♪2つr旨ern富yl訂㌻g彗仙召−欄H−喝・㌫㌣

︵鮎︶Keight訂y、Op・Cチp・缶・

︵鍋︶ヮOk−OS in竺atOロ︼s Ti︼ゴ母uSこ訂syk已OS、S・ヂtita芳S︰tim曾0∵PPO tOu琵a昌.eぎ

︵30︶芦MP嵩r、Die GigPnten undTitaneローS・00一声

︵31︶︸iarpOkratiOn、S・く・aPOn三t昌.・

︵鋸︶Rheinisc訂s Museum f賢︼苫i三晶訂、舛−vロl・S・琵P

︵33︶J・E・コarris〇ロ、T訂已s−P・lひいヮ。訂g。men:。the Study O叫Greek R駐giOn、p・舎∽f︹

︵34︶Abe√Orph訂p一−芸・

︵35︶Ⅰ訂rp。krati。ローS・く・aP。matt9ご︰コu宮村訂s︶ゥe Isiset Oshris−HXXくいDeEi ap・De︼ph・こ声

︵諦︶ⅠIarrisOn−Themis、P∵忘ff・

︵訂︶R・li・MPtlbews︶Theぎrbu〇g。=訂Wiradthuri Tri訂sこ。ur邑○︻Antbrつp。訂gica:邑i≡e︶×X<・pp・ぎジ望00−

∽−−.

︵38︶A・くan Gennep︶Hしes Ritesde Pssage、pp・き¢笥こi・Ⅰ㌻bertetM・Pl呂SS︼M巴a毒eS d已i告ire de∼Relig訂ns−Pp・

−怠r︹等参照。

︵39︶C●ⅠゝObeck、Ag︼a〇p訂mus、Ⅰ・芸∽葺こー・Wenigerこn Arcbiく訂r ReLこ宍・望−r︻等に、この事賀の例詮として多く

の章句が挙げられてゐる。 ︵40︶EustPth訂︸C。mmentary。n H許d−p・∽∽P ︵41︶〇・Gruppe︶Griec己sche呂yth。︻Ogie−言−・︼こ・畠︻Aロ声00参照。 ︵42︶Wi−am。Witz、G芸ing・冒chr・、−S誤s・琵−・ ︵43︶ⅠⅠ2∼iOdOS︶Tbe品昌ia︶望遠・ ︵44︶F・S。lmsenこndOgerman訂cbeF。rSCbu貞en︶×X舛・S−夢 ︵45︶A・渾C00打−N空S︶く○︼・−Y p・㌫P ︵亜︶CO〇k︸〇p・CitJ p・宍戸 紳名の言語撃的研究 即ア

(21)

佐 野 膠 也

使徒行俸の俸へるところに依ると、使徒パウロは、キウキヤのクルソに生れたと云ふ。此の記事は、信頼する に足少ると私は思ってゐる。紀元第一世紀頃に記されたと思はれるストラボの地理書に依れば、クルソの町の人 人は、教育に封して一般に熱心であゎ、特に抑︰畢に封して熱意を有してゐた。その鮎において.彼等は、アテネ 人やアレキサンドサア人、その他哲畢の畢校や講演のある如何なる他の土地の人々よりも卓越して居った。従つ てクルソからは、数名の有名なストア哲単著を出した。かくの如くであるから、パウロが、その少年時代におい て.ストア哲聾者に接爛する横倉を有したであらうと想像することは、決して不都合では無い。プラトーンやア リストテレスの如き曹単著たちは、限られた弟子を集めて哲畢を講じたのであるが、ストア哲単著たちは、書翳 から稗頭へ出でて、所謂﹁哲畢の講違﹂︵di旨ib仰︶を開き、民衆に哲畢を講じた。有名なディオゲネスの如きは、 り その一例である。従って民衆は.容易に哲畢の講違に列席し得た。恰も現代人が、新聞や雑誌で一般的知識を獲 得するように、此の時代の人々は、街頭で哲畢の常識を革んだ。使徒行偉︵一七〇一六以下︶が懐へてゐるアテ ネにおける。ハウロの記事内容の眞資性如何は後に私が論じょうと思ふところであるが、そこに記されてゐる時代 の環境は、史貫に近いもmであらうu即ちパウロは、その構造版行中、ストアやエピクロス振の斬辟潜たちと接 1 「l

使徒パウロに於けるストア的思想

使徒パウロに於けるストア翰思想

ニ○ β7β

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俄する棉櫛を有しねであらう⋮ ストア管掌老中でもセネカは、特にパウロと密接な踊係を有するとは、古来多くの人々に依つて主張されてゐ る。.ハウロが囚人としてロマへ来た時、セネカは、六十歳ばかりの老人だつた。パウロはロマで一軒の家を倍少 て生沸することを許され、二何年の問そこで多くの人々に接して宿昔を宣べ博へた︵使徒二八〇三十三l一︶。セ ネカは、。ハウロに就いて聞く横合を有したであらうと思はれる。特にセネカの兄のガリオがアカヤの組督であつ た頃、ユダヤ人たちがパウロを組督に訴へ出でた時、ガリオが之れを受け附けなかったことがある︵使徒一八〇 一二以下︶。セネカは、兄を通じてパウロに就いて聞く械脅もあつたであらう。それのみで無く、パウロとセネカ の思想には、可なり多くの共通鮎を蔑見することができる。さうした事情から.パウロとセネカとの問には文通 が行はれたとの憶説までも後生し、迭には、その両者聞に取り代はされたと云ふ手紙までも成立するに至つた。 手紙の内容に依れば.セネカは、自憲帝へパウロの書翰の数通を読んで聞かせ、。ハウロの害帝の文章の非文畢的な のに封して極めて同情ある批評を下した。これは、恐らく、セネカの名聾を楷りてパウロの文章を掃護せんとし ヽ■′ たものであらう。何れにせよかくの如き憶説が、すでに第閥世紀頃、空でに成立するほど、両者の関係は早くから り キリスト教思想家に依って注意され、現代に至るもなほこれを問題とする単著が少なく無い。私は今雨着の思想 的関係を諭するに富つて、紳の観念と.帥と人間との紺係の問題に限定して論じて見ようと思ふ。勿論此の外に. 例へばボンヘツフエルが試みたように、肉、自然、理性、零、適正、良心などの言葉を中心として諭することも できようL、バウルやダイスナ一等のように、来世凱、世界観等をも諭することもできようが然し乍ら、これ等 使徒.ハウロに於けるストア的思想 3ア9

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は他の横合に譲ること1しなければならない。 先づセネカ自身の紳の観念中に、キリスト教的なものが存在することは疑ふことができない。セネカは屡々紳 を複数にして語って居るが、それは只俸統的な語法に従ったまでで、彼の紳の観念は、ギリシア神話の神々やその 他の多神教的神々の観念を超越してゐることは明らかである。それのみで無く、彼は傍流的ストア哲畢の唯物論 からも超越してゐる。即ちセネカに伐れば、紳は物質を統御L.その指導者であり案内者である。換言すれば、 紳は物質よりも有力であり高債である。紳と宇宙との関係は、霞魂と人間との関係の如きものである。物質は我々 の内債に相應する。だから、低級なものは.高級なものへ奉仕しなければならない︵ep﹂し掃く・諾r︶。かくの如 くしてセネカの紳は、キリスト教の紳と同じく、人間の上に在って人間を指導L、訓練し、愛するところの父な る紳である。人間法面に支配されることに依って安全であり得、紳の援助に依って初めて善となり得る︵depl・〇く. iく●ごH●ひいHI●P ep・舛LH・柏いl・くHHf・諾︶。かくしてセネカの紳は著しくキリスト教の紳の観念と接近してゐ ると云はなければならない。 然しながら、セネカの紳は、かくの如く一方においてキリスト教的超越紳的色彩を有すると共に、他方におい て、内在的な、汎細論的な色彩をも有してゐる。而して、既にダイスナーも注意したように、此の雨着をして同 時に雀宮性を有せしめることには、セネカは成功Lなかった。即ち、セネカの紳は、それが超越紳として述べら れた場合は、人闇との関係稀沌となり、人間との閥係において述べられた場合、汎細論的色彩が濃厚となつて氷 る。セネカに伐れば.紳は字肯の凍羅耗貌の申に内在する。描胱つで.人閉口身〃中にも存推する。彼は云ふに﹁碑 使徒パウロに於けるストア的思想 β∂β

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は汝の近くに経り.汝と共に在り.放射申に掘るkep・回Tトニ紳は何人にも下り粥る。紳の構やば蒔人に蒔か れてゐる。只良く耕す者のみが、これを塙善し。成長させる。全宇宙は紳であ■り、我々は紳の仲間であり、紳の 四肢である。従って、人間自身は、紳と等しくなり得る︵ep、L舛巴く﹂ご舛C〓−︺ニい舛LノごH.︼刃︶。 然らばパウロの紳の観念中にかくの如き汎神論的なるものが存在するであらうか。。ハウロの紳の観念が、博統 的なユダヤ的一面教であることは、云ふまでも無いことであるが、然も他方において、極めて汎神論的傾向を帯 びた紳の漑念を畿見することができる。例へぼ左の文句の如きそれである。 これ凡てのものは、紳より出で、紳によ少て成少、紳に辟すればなり。

hOti e舛autO亡訂i di︸autOu kai2is a乏On tP p巳旨・

これと︰ハサロ以後に硯はれたストア哲単著マルクス・アウレリウスの﹁冥想録﹂中の次の言葉とは、著しく

類似してゐる。

汝︵自然︶より萬物来り、汝において萬物産少、汝へ萬物鐸す︵浮﹂く●沌∽︶

ek sOu p呂ta︸e︼︼SO−でntヂeis sep呂ta

ノルデルは、この著しい類似に就いて﹁私のように。ハウロにおけるギリシア的なるものに封し懐疑的な着でも. り 此の寄算を囚はれるところ無く瞼討すれば︰ハウロの文句と結合せざるを得ない﹂と云ってゐる。然るに、これ 里 に反しシュワイチエルは、両者の偶には著しい相違鮎があると云ふ。彼は云ふに、パウロにおいては、篤物は紳 から︵eエ出で、洒を通じて︵dia︺な少、紳へ︵2is︶鋸するのであるが、アウレりウスにおいては、その第二句に 使徒パウロに於けるストア的思想 3βJ

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使徒パウロに於けるストア的思想 0 二四 おいて、.ハウロと相違して﹁汝において﹂︵ensOi︶在ると云はれてゐる。シュワイチエルは、こ⊥にパウロにお けるユダヤ的終末凱的思想の反映を見ようとする。即ちパウロにおいては、現貫世界は推移してゐる。停滞して ゐない。ストアにおいては、現貴世界は静止して居る。一はdiaであり、他はenである。パウロにおいては、 現賓世界は途に紳の閲と化する。紳との直接交渉は、その時に至つて初めて可能であつて、現在においては、紳 と人間との直接交渉は絶対に不可能なことである。即ち紳との直接な紳秘的鰹験は、来るべき世界においてのこ とで、規貫世界においてのことでは無い。 然しながら、パウロの言斐とアサレリウスのそれとの聞にかくの如き相違の存することは、すでにノルデンも ︶ 之れを認め、語漁的に探究してゐ毛lノルデンに依れば、パウロのdi︸autOtlは、むしろ昔時一般に行き亘った ストア的言菓から生じたものである。パウロはこれをそのま1の形式で採用したのに封し、アウレリウスは、こ れを自己のストア的教詮の本質的要素たる﹁自然﹂と結合して、di、空きuに代ふるにe−:Oiを以てしたのであ る。但しパウロは.ストアの文献から直接此の句を引川したと云ふよりか、むしろギリシア化されたユダヤ教か ら間接に引用したのであらうとノルデンは云つてゐる。さすれば、シュワイチエルが、恰も元来はe︼−autひとな ってゐたストアの文献を、パウロが自己のユダヤ的紳翫に適合せしめんが馬にdi∵lu冨lに改めたとの見解の上 に立って︰ハウロとアウレリウスとの相違鮎を明らかにせんとするのは、正しく無いと云はなけれぼならない。 即ち就魂は.少くた軋㌫‖漂わ上では、ストアとパ中=とm聞に相追は撫いと云はなければならないいたほ私はそ の外にごハウ闇の若柳申に、先の如き汎榊的紳鵜を敬見するu ββさ

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耽らには異なる嘱∴の潮あ寓ぬみ 萬物これより出で、我らも亦これに蹄す。 また唯一の主イエス・キリストあるのみ 萬物これに由少、我らも亦これに由れり。 ︵コリント前八〇六︶ 萬の物は彼において造らる⋮⋮ 前の物は彼に巾男、彼れへ造られたり 彼は萬の物よ少先に在り 萬の物は彼において保てり ︵コロサイ一〇一六、七︶ eロautひe村tisth仰ta pantP

t↑p呂tpdi︼autOu k已eisautOn ektiきi

kai autOS eStin prO p呂tぎ

kai ta p呂tP▲=−autひsl−n2St賢2n

即ち右に引用した。ハウロの言実のうちには、シェリイチエルが非。ハウロ的であると云ふena三〇.も蔑見するこ

とができる。たとひコロサイ書を惰作であるとしてもコリンエ別事︵一五。二八︶中には

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なる言責が牽見される.

以上引目し.た来ウロの言英が、汎画論的色彩を濃厚に帯びてゐることは、何人も否定することができないであ

らう。更にそれのみで無く、私共は、有名なアテネのアレオパゴスの丘上における詮教中に、次の如きパウロの

言葉を蔑見する。

我らは紳の中に生き、動きまた在るな少。︵使徒行俸一七・二八︶

en autO gar N〇.men kai kinOumetl︼P kai esmen

但しこれが虞にパウロの言葉であるかだうかは、容易に決定し難い問題である。ノルデンは、﹁我らは紳の中に 生き動きまた在るなり﹂において、ストア的概念を認識すべきであると云ふ。只、使徒行倦の作者は、此のスト ア的概念を形式的に荘重に響くような三伯の言葉の組合せに結合したまでであらう。eコaut〇.なる言葉は、ダイ スマンの有名なen Christ01i冴Onの蒐集などから、キリスト教的響きを輿へるであらうが、只使徒行偉に現は れてゐるだけでは、未だ決定的とは云ひ難い。むしろそれと結合してゐる動詞に依って現はれて来る概念が重要 一■▲ ヽノ である。か1る概念に應するところのものは、新約聖書中には全然存在しない。むしろそれはストア的であり恕 アレオ。ハゴスの詑教がストア的であることは、郡二八節の後年﹁汝らの詩人の中の戎者どもも﹃我らは叉その 語なり﹄と.ぷへるが如しLがストアm詩人望百張であることからも主張し柑られよう。即ち此の両は紀元前二七 〇年頃のギリシアの舘人アラツス︵hギ監房射りhaiロ0日印口抑ひ︶の舘、及び紀元前三百年頃のストア軒革新クレアン 使徒パウロに放けるストア的忠弘 これ紳は萬の物において萬の物となり給はん馬なり︵l−iロaニl。t訂。SP呂t−eコP邑n︶ 二六 3朗

(28)

セス︵C訂al−thes︶の﹁ヅ竹スへの諮歌L︵五︺の中に蟄正吉れるものである。 ノルヂンは、単に使徒行倦第一七草第二八節がストア的であるばかりで無く、アレオ。ハゴスの詮敦が、全鰐的 にストア的であることを指摘してゐる。特に有名な﹁知らざる紳に﹂︵agn賢αtheα︶なる碑文を記した祭壇は、 常時の世界に存在せす、複数にて﹁知らざる神々﹂︵品n賢○〓訂Oi︶と記された祭壇は、多く存在した寄算を挙 げて、アレオパゴスの説教が、パウロの詑教そのま1で無いことを指摘してゐる。むLろ本来複数だつたのから、 単数で記すことが頚展して発たものと見てゐる。即ちアレオパゴスの説教の編者が、多神教的碑文を書き改めて、 l神教化したのである。かくの如く俸へられたものに歪曲を輿へるよりか、むしろ虚構の寄算を造りあ一げた方が 弊害は少ないだらう。アレオ。ハゴスの説教は、金牌として見て二佃の要素から成立して居る。即ちそれは背約聖 印 書の思想と.ストアの紳畢思想との二佃である。両者が時として併宜し、時として組み合はされてゐる。かくの 如くであるから、ノルデンに依れば、アレオ。ハゴスの。ハウPの説教に依って、パウロにおけるストア的思想に就 いて語ることは不適菖であると云はなければならない。即ちそれは、純粋なパウロの思想で無くして、編者に依 ってストア化されたものと云はなければならない。 アレオパゴスの説教について、ダイスマンは、ノルデンと異なつて、むしろユダヤ的神秘思想を示してゐると 云ふ。ダイスマンに依れば、ギリシア語澤奮約聖書中には、﹁紳において﹂﹁主において﹂なる形式が、有名な個 所において、屡々神秘的意味に使用されてゐる。パウロも又﹁紳において﹂なる形式を好んで使用し﹁キリスト においてたる形式と結合した。経つて﹁我らは仰の中に生き、割き烹た在るなり﹂は、ギリシア語鐸鴬約数書に 恍祉ハリロに於けるストア的思想 .子ブ,1J

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使徒パウロに於けるストア的思想 .」 IR 二八 依って覧化されたところのキⅤスト教以前のユダヤ的神秘主義を示すものである。パウロは、﹁紳において在る﹂ をアレオ。ハゴス流には理解しなかつた。むしろダマスコ途上に経験したところのキリスト紳秘主義が﹁神々にお ︶ いて﹂の古い形式を一骨成型的にした。即ちダイスマンは、アレオパゴスの語数をパウロの詮教として認めるが. そこに示されたところのギリシア的思想は、ストア的汎紳論的思想では無くして、むしろギリシア語諜奮約聖書 のギリシア思想であると云ふ。 今ダイスマンとノルデンの主張を比較して見るに.前者は、アレオパゴスの語数中に純粋にストア的なものを 認めす、むしろギリシア化されたユダヤ的閏想を認めるところから、これを眞のパウロの説教と解種し、ノルデ ンは、そこに純粋なストア的思想を認めるところから、アレオ。ハゴスの説教聖典のパウロの説教では無いと認め てゐるわけである。両者に共通な前提は、パウロにおいて純粋なるストア思想は存在しないと云ふにある。そこ でアレオパゴスの語数に依って:︵ウロにおけるストア的思想を語ることは、暫らくこれを断念し.すでに引用 したパウ。自身の菩翰中に存するストア的なるものが、果して純粋なるストア思想であるか香か.を考察しなけれ ばならない。而して此の問題を究むる為には、結局e−⋮t鼓なる言葉の意味を考究しなければならない。 パウロにおいて使用されてゐる﹁紳において﹂﹁主において﹂又は﹁キリストにおいて﹂なる形式が、キリスト 教徒とキリストとの神秘的結合閲係を示すと主張したのはダイスマンである。これに封しては、ウィンディッシュ やダイスなどの反封詮も軋るが、。ハウロの菩翰中に頻繁に現はれて堪ろところのこれ等望遠がーすべてキ‖リス トとキリスト教徒と附桝田州縦的交はり卑小すとは云へない悪でも、その戎ものが、紳秘的意味を宥することは、 3、†(ノ

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否定することができないように恩はれる。例へば.次のパウロの諾魂の如きがふれである。 人もしキリストに︵en Christ8在らば一新に迫られたる者なり︵コり∴/ト後五・一七︶ すべての人アダムにおいて死ぬる如く、すべての人キリストにおいて︵en tαCFist芝生くべし︵コリント 前一五・二二︶ 汝らは信仰によりキリスト・イエスに在りて︵eロChristαⅠ佃s01−︶みな紳の子たり︰⋮今はユダヤ人もギリシ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽl ア人もなく奴潜も自主もなく、男も女もなし、汝らは皆キリスト・イエスに在りて一倍なり︵ガラテヤ三・二 六、二八︶ 紳は罪を知り給はぎりし者を我らの代りに罪となし給へり、これ我らが彼に在りて︵enaut引︶紳の我となる を得ん為なり︵コリント後五・ニー︶ 即ちキリストにおいて在ることは、人間をして全然新らしき被造物となし、これに依って養とされ、すべての 人がキリストに在ることに依って紳の子とな少、民族や、祀倉的階級や、性の区別やも超越して、すべてが一恨 となる。ダイスマンは次の如き誓喩を用ひて此のことを云ひ現はした。恰も我々の呼吸する容気のように、我々 瑚 の中にキリストがあり、我々を充たし、叉同時にキリストの中に我々が在少、これを呼吸してゐるわけである。 即ち、パウロにおいてキリストは、単に歴史的に存在したナザレのイエスでは無い。パウロにとつてキリストは 霧である︵コ¶ノント後三・一七︶。 然らば、パウロの室とは何皇息味するであらうか。パウロの峯を人間の心理的要素として理解することは.虞 使徒パウロに於けるストア的思想 ∂βア

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使徒パウロに於けるストア的思想 nU 三〇 ︶ に彼の靂の観念を把捉する途では無いとのブッセットの説はiEしい m 存在しないわけでは無いが、かゝる心理的要素としての電は、彼にとつて重要なものでは無かった。彼にとつて 重要なのは、襲の有する超自然的、超越的性質である。か1る意味での集は、人間とは猫立に存在するところの ものであ少、それ自らの髄︵sαma︶を有するものである︵コリント前一五・四四︶。それは肉鰹とは異なつて光り 輝く天上的鰐である。それは朽ちることの無い党柴の鰹である。 かくの如く、人間の心理的現象とは別個の存在たる霧には、善にして聖なる粟と、惑の婁とがある。パウロに おいて最も重要なのは、云ふまでも無く善の稟.聖嚢である。パウロはこれを﹁潔き稟﹂︵ロマ丁由︶と云ひ、 又は﹁生命の婁﹂︵ロマ八・二︶とも云ふ。か1る露は肉と封立する。即ち﹁肉の望むところは御築にさからひ、御 霧の望むところは肉にさからひて互に相戻る﹂。肉の行為はさまざまなる罪悪をもたらすに封し、粟の行為は﹁愛、 喜悦、平和、寛容.仁慈、善良、忠信、桑和、節制﹂等を蘭らす︵ガラチャ五・叫六以下︶。従って、肉の念は死 であり、蚕の念は生命であり、平安である︵ロマ八・六︶。 以上は靂の有するところの道徳的、賓践的力であるが、霹は更に此の外に、宇宙の奥義に容興し.紳の紳秘を 究むるところの云はゞ認識的、若しくは形而上的力をも有すると考へられてゐる。即ちT粟はすべての事と、紳 の探き桝まで究める﹂︵コリント前二・一〇︶。それは﹁隠れたるもので、画秘の中にある紳の知慧﹂︵コリント前 二・七︺であり、知識であり、信仰であり.柄を博す賜物であり、力ある柴を為し.鱒言し、異冨を語り、叉梓く ゎであるハコリント前一二・八以下.Pヤー−・ニ⋮三︺。 β脚

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以上逓べたように≠療はー∵ガにおいては∴新教的.道徳的原動力であり、他方にぉいては、一個の諷級鹿力 であ力、紳秘的力であも。さすれば、主イエス・キリストは畢であると云ふのは、主キリストが、か1る神秘的 力であるとの意味でなければならない。即ち震が人格的姿において現はれたものがキリストである。すでに述べ たように︰ハウロの秦は有形的であり、鰐を有して居る。地上生活を為してゐた場合のキリストの霧が惟を有し てゐたと同様に、天上に奉げられて後のキリストの霞も叉天上的鯉を有してゐる︵コリント前一五・三五以下︶り 従って、.ハウロにとつては、天上にあげられたところの超越的紳的イエスと、地上に生活した歴史上のイエスと が別個の存在では無い。むしろそれは同一存在の両方面と見らるべきである。天にあげられたキリストは、地上 生新者としてのイエスが有した鮭史性を離耽してはゐない。十字架上の死は、現安生満と超越的生活とを切りは なすものでは無い。それは単に罪ある人問に代ったと云ふだけである。パウロは、イエスの肉の生活を我ら人間 と等しい意味での肉の生活とは思惟してゐなかつた。従って:ハウロにとつてはイエスの人間性は、充分なる意 味での人間性では無かつた。。ハウPは﹁己の子を罪ある肉の形にて︵enhOmO⋮引mati sarkOSh巳ゴarti宗︶罪のた めに遺はし﹂︵ロマ八・三︶とは云つてゐるが﹁罪ある肉において︵eロSPr打〓︼ama︰t叫as︶﹂とは云ってゐない。従つ 8 ヽ■′ て地上生酒を為せるイエスの本性と、天上にあるキリストの本性とには、本質的差異はあり得ない♂即ち歴史的 イエスの有した人格的要素は、天上のキリストも依然保有してゐる。天上のキリストは、歴史上のイエスの有す る特性を保有しながら、然もそれ以上に天上の存在者として有する貴在性を獲得してゐ宅l 堆ってパウロのキジ ス十脱の中心には、なやみ苦しみ十字架につけられ、帥に従順な少し者︵ビワビ二・八︶とか、義しき常︵ロマ五・ 催従パウロに於けるストア的思想 罰拍

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一八︶罪を知らぬ者︵コリント後五・二ことか、自己を喜ぼすことをしなかった者︵ロマ一五・三︶とか、桑和に して寛容なる者︵コリント後叫〇・ことか、自己を放棄し給ひし者︵ガラチャ二・二〇︶とか云ふことが存在して ゐる。而してそれは︰ハウロが、イエスの地上生満に対して充分なる摘心を有し、且つ叉、イエスの地上生前に 就いて熟知して居つた許嫁である。勿論パウロは、ペテロが膝史上のイエスに就いて知って居ったほど良くは知ら 部 ーt■一 なかったであらう。然しながら、それだからとてニハウUにとつて隆史上のイエスが重要で無かったとは云へない。 .ハウロは、キリストにおいて生活した。キリストは生きてなほ現存する婁的なものであり、パウロを取囲み、 彼を充たし、彼と語り、彼において、彼から語る。。ハウロにとつてキリストは、過去の人物では無く、貰在せる 力である。日々パウロに働きかけるところの生命力である。然もそれは非人格的な生命力では無くして、人格的 な稟である。従ってダイスマンが、嚢を賽克として誓喩したことは.人がこれを呼吸し、その中に在ると云ふ限 りの誓喩であつて、茎気と同じく非形鰐的な、流動的な非個性的なものと云ふ意味では触⋮い。 以上述べ来ったところで明らかなように。。ハウロにおいては、如何なる場合と云へども、イエスの人格性は消え 去ってゐない。然もパウロにおいては、紳と人間との直接の交渉では無く、キⅥ′ストとの交はりである。而して、キ リストと人間との交はりにおいてーキリストの人格は、飽くまでも維持されてゐる。かくの如きことは、ストア哲単 において硬見することはできない。ストア哲単著にとつては、榊と自然とは同一であり、紳と人間とは同化し得る。 バ高ソHほ、ストγ開単潜らしい雷澱む倖川したのではあるが.その鴬にユダヤ的超越的伸観軒排楽してはゐな いけパや。におけるストア的影響は香淀することができないが、それは彼の中心に存するふダヤ的思憩を破壊す 使徒パウロに於けるストア的忠恕 剖補

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る程度にょいてでは無かった. コスモポリタニズム 私はパウロにおけるストア哲畢の精紳的影響を、むしろ、その宇宙同胞主義において二骨明らかに看取し得ると 思ふ。何となれば、世界同胞、宇宙図家の思想を、哲畢上において最も強く主張したものは、云ふまでも無くストア 哲単著であ少、キリスト教史上においては、パウロであるからである。セネカの書物の中に次の如き言葉がある。 哲畢は何人も棄てす、撰ます、萬人に輝く︵四国・二︶ 君が君の妖郊と呼ぶ者も同じ本放から出で、同じ峯でほ1笑まれ、同じように呼吸し、同じように生き、同 じょうに死ぬることを記憶せよ︵囚八・一〇︶ 哲挙が輿へんとする第一の物は、全人類との同胞感だ。換言すれば同情と社交性だ︵五・囚︶ それは心だ ー だがそれは眞直な、善良な、偉大な心だ。か1る心を君は人間の身鰐中に客として住んでゐ る紳以外のものと解することができようか。か1る心はロマ武士にも.自由人にも、奴殊にも.等しく降っ て来る。ロマ武士とか、自由人とか.奴隷とかが何だ。それは野心か間違ひから生れた解放に過ぎないのだ。 人間は泥溶から天へ飛躍することができるのだ。只管れよ。而して汝の紳と同族となれ︵三丁一こ これと相似た言某を、パウロにおいて頚見することができる。 我らはユダヤ人・ギリシア人・奴隷・白主の別なく、一腰とならん為に、みな一つ御嚢にてバブテスマを受けた タ。而してみな一つ御襲を飲めり︵コリン上皿一二二三、ガラチャ三・二八参照︶ かく甲射き世界寓昆同胞の思想は、イエスにおいて全然存在しないわけでは触⋮いが、未だ充分明瞭に明はれて 使徒パウいに於けるストア的思想 3クエ

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使徒パウロに於けるストア的思想 一二四 はゐなかつた。それは.ハサロにおいて初めて明瞭なる形をとつて現はれて氷た。これは勿論時代思想の影響に相 違無いが、かくの如き時代思想を造ったものは、ストア哲畢である︵勿論栗に潮れば、その昔時の敢昏状勢であ るが︶。只こ⊥に注意しなければならないのは、かくの如き理想へ到達する方法においては、ストア哲単著とパウ 。との問に著しい相違があることである。パウロに依れぼ.キリストの婁を宿することに依って理想的境地に到 達し得るに封しlセネカにおいては所謂るapatheia即ち、断えざる意志の緊張に依つて、人間の有する自然的・ 情慾的要素を排除することに依って初めて到達し得られる境地である︵ep﹂舛﹂︶。従つてセネカは峻厳なる道 徳的命令を輿へる。 汝は何より先に、依って以て生宿すべき規範を確保Lなけれぼならない。而して此の規範忙依って・汝の仝 生活を規制しなければならない︵ep■珂舛■∽︶ 汝白身を理性の支配下に避け、もし理性が汝の支配者となれば、汝は多くのものに封する支配者となるだら う︵ep●舛河出七−L e 即ちストアの理想的境地は、上から降って来るものでは無くして、各人の努力に依つて.各人自身の中から生 じて来るものである。﹁虞の善を見よ、それは汝白身から出て来るものだ。汝白身からと云ふのは、汝の最善の部 分たる虞の汝自身のことだ﹂︵ep・村雲h︼・eとセ、ネカは云って居る。これとパウロとは著しい封照である。パウ ロに依れば、人間白身は如何に努力しても、自己の力に依つて理想の境地に到達することは不可能であ聖イエ ス・キリストを侶する櫓仰に依つて、換言すれば、キリストにおいて加ゎ、キリストにおいて珪き.キリスト我 βクβ

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ヽ■′ 幻 りの啓示に依って初めて可能なことである。 以上の如く考察すれば︰ハウロにおけるストア的思想は、パウロの根本的宗教思想を動かすほどのものでは無 かったと云はなければならない。只然し乍ら、如何なる場合と錐も.或思想が或一個の人格の中に吸牧された場 合、すでにその人格中に存在したところのものと遊離して存在し得るものでは無い。経って、パウロが直接又は 間接にストアから受けた思想的感化は、パウロの思想に何等の影響なしとは云ひ待ない。パウロ︹紳戯や道徳思 想が、ストアの思想に接解することに依って、或種の欒化を為したであらうことは、これを認めなければならない。 特に、パウロに影響を輿へたものは、単にストア思想のみでは無かった。私の考へでは、ギリシア的神秘思想も 叉少なからぬ影響を輿へた。それ等がパウロの有した俸統的思想と組合された結果生じたものが、パウロの思想で ある。パウロにおけるギリシア的なるものを肯定することは、彼におけるユダヤ思想を否定することでは無い。 パウロの思想は云はゞ一個の交響楽である。そこには種々なる晋調が組合されてゐる。只その基調となるものは 依然ユダヤ思想である。 往 1、StrabO︰Eng・tr・by II・J・JOneS︼−告ヾ芦択一く.㌢−随一. 2、we邑and︰]ロiehe︻lenistiscbよmiscbe舛已turinihren出e訃どngenzuJudentumundChristentum﹂¢−柏●S.諾二戸 3、彼もグルソ出身だとストラボ︵×Ⅰく・P−8は云ふ。

4、D訂Re︼igiOn in Geschich−e u已Gegenwa−t・蛤A已−■

中に盛って生きるととに依って初めて可能なことである。而してそれも我ら自身の努力に依ってでは無く、上よ 朋 3

参照

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