博 士 ( 水 産 科 学 ) 星 野 広 志
学位論文題名
北太平洋西部海域に生息するトドEz.t7ne 比めあjubatus の 有機塩素系化合物の体内蓄積に関する研究
学 位論文内容の要旨
[目的]
農薬などの人工化学物質は、我々の生活に欠かせないものである―方、環境中に 放出されて生態系全体に様々な影響を及ぼしてきた。このような人工化学物質の一 種としてDDT類(以下DDTsと略す)、ヘキサク口口シクロヘキサン類(以下HCHsと略 す)、やポリ塩化ビフウニル類(以下PCBsと略す)などの有機塩素系化合物類(以下 OCsと略す)が知られている。これらOCsは、陸域環境中に放出されると、河川水なi どを通じて海洋に流れ込み、海洋中の食物連鎖を通した生物濃縮の過程を経て、鯨 類や鰭脚類などの高次栄養階層動物の生体内に高濃度蓄積する。 このため、―部 の海棲哺乳類ではOCs汚染が原因と推定される大量死が報告され.てぃる。これに加 え、私達が食べている魚介類もOCsに汚染されている可能性があり、OCsによる海洋 汚染は人類にとっても重要な問題と言える。そして、重要な食料資源であるスケト ウダラthe′.a.〆ヨ出/ロ瑠協儲囎では、日本近海の0Cs濃度が、ベーリング海やアラ スカ湾 よりも高 いこと、ま たスルメ イカカヵ朋ぬsp即/〃粥のPCBs濃度は、ペル ーやニュージ―ランド近海で漁獲されるイカ類よりも高いことなどが報告されてい る。こ れらのこ とから、海洋生態系における高次捕食者の0Csの体内蓄積状況を調 べるこ とは、海 洋における0cs汚染の現状、および人類に与える影響の有無とその 程度を把握するために不可欠な研究課題である。
本研究 では、ア シカ科のト ド丘騰f叩 /as丿めa加 を北太平 洋海洋生 態系の0Cs 汚染の 高次指標 生物として位置づけ、その0Csの体内蓄積状況を明らかにすること
を目的とした。指標生物としたトドは、北海道からカリフオルニアまでの北太平洋 縁辺海域に、いくっかの小規模集団に分かれて分布し、摂取する海洋生物が私達と 重複する高次捕食者であり、北太平洋のOCs汚染状況をメソスケールで調べるのに 適した海産哺乳類といえる。本研究では、最初にトドの年齢と性別ごとのOCs蓄積 様式の違いを調べ、加齢・成長と成熟・繁殖(出産を含む)がOCsの体内濃度に与え る影響を解析した。次に、トドのOCs蓄積状況を海域問で比較し、北太平洋西部海 域のOcSによる海洋汚染状況を判定した。最後に、トドのOCs濃度を生息海域のOCs 汚染により大量死などの知見がある鰭脚類や、鰭脚類の個体の生理状態に影響を与 えることが報告されたOCs蓄積濃度と比較して、北太平洋西部海域に生息するトド のOCs体 内 蓄 積 が 個 体 群 の増 減 と 個体 の 生理 状 態 に与 え る影 響 を 考察 し た 。
[材料と方法]
本研究では、1997年から2002年の間に、北海道沿岸、千島列島、メドニ一島、カ ムチヤッカ半島およびべ―リング海アリュートルスキ一湾で収集したトド81個体か ら採取された皮下脂肪および胎仔の肝臓を用いた。北海道沿岸の試料は、1997年か ら2002年の問に 北海道日本 海沿岸および根室海峡沿岸において死亡漂着した個体 と、漁業法に基づき捕殺された個体から収集した。千島列島、メドニ―島およびカ ムチヤッカ半島の試料は、2000年と2001年6−7月の繁殖場での自然死亡個体、アリ ユ ートルスキ―湾の試料は、2001年9月にトロール漁に混獲された個体から収集し た。標本個体は性別、外部形態、推定年齢および妊娠と乳汁分泌の有無を記録した 後、胸部または背部の脂肪組織と妊娠雌については胎仔を採取した。さらに、北海 道沿岸の個体からは、頭部も収集して犬歯の薄片染色標本から年齢を判定した。以 上の北太平洋西部海域で集められた標本は、分析時まで冷凍保存された。組織中の OCsは、溶媒抽出して各種クロマトグラフイーおよび硫酸処理により分析を妨害する 成分を除去した後、イオントラップ式質量分析計を用いたMSMS(マスマス)法により 測定した。
[結果および考察]
千 島 列 島 と 北 海 道 沿 岸 で 収 集 し た 個 体 を 用 い て 、 性 別と 年 齢ご とのOCs蓄積 を調 ぺ た 。 そ の 結 果 、 胎 仔 期 の 肝臓 に はDDTsとPCBsが高 濃度 で蓄 積し てい た。 これ は、
母 体 中 の こ れ らOCs濃 度 が 高 い た め と 推 察 さ れ た 。 新 生 仔期 以降 では 、雄 では 脂肪 中OCs蓄積 濃度 が1−4歳 と5−15歳 の個 体で 同程 度で あっ たこ と から 、雄 の脂 肪中OCs 濃 度 は 性 成 熟 前 後 で 変 わ ら ない と 推察 され た。 これ は、 成熟 後に 体重 あた りの 摂餌 量 が 成 熟 前 よ り 減 少 し てOCs摂 取 量 が 減 る た め と 考 え ら れた 。ー 方、 雌で は脂 肪中 OCs濃 度 がO歳 よ り1一5歳 の 個 体 で1.5か ら3倍 ほ ど 高 濃 度 に な り 、6一16歳 の 個 体 は1―5歳 の 個 体 よ り6分 の1〜9分 の1ほ ど 低 濃 度 で あ っ た 。 こ の こ と か ら 、 雌 で は 性 成 熟 す る5歳 ま で は 脂 肪 中OCs濃 度 が 成 長 に 伴 い 増 加 し 、 性 成 熟 後 は 急 に 低 下 す る と 判 断 さ れ た 。 こ れ は 、 成 熟 前 は 体 重 あ た り の 摂 餌 量の 増 加に 伴っ てOCs摂 取量 も 増 加 し 、5歳 ま で に 性 成 熟 した 後は 、妊 娠時 にはOCsが 母体 から 胎仔 に移 行し 、育 仔 期 に はOCsが 母 乳 を 介 し て 体 外 に 排 出 さ れ る た め と 考 えら れた 。ま た、 雄の1一4 歳 群 は5ー15歳 よ り もPCBs中 に お い て 生 体 内 で 代 謝 さ れ や す い3塩 素 化PCBsの 割 合 が高 か った こと から 、成 長に 伴っ て異 物代 謝酵 素の 活性 が増 加 する こと によ ってOCs の 組 成 も 変 わ る と 推 察 さ れ た。 さ らに 、雌 のHCHs組 成は 、6ー7歳 の雌 では1−5歳の 雌 よ り もHCHs中 のa−HCHの 割 合 が 高 く 、HCHs中 の ロ ―HCHの 割合 が低 かっ た。 この こ と か ら 、 出 産 と 育 仔 に よ りHCHsの 組 成 が 変 化 す る と 考 え ら れ た 。 こ れ は 、HCHs が母 乳 から 排出 され 易く 、ト ドの 主要 餌生 物で ある スケ トウ ダ ラで はゼ ―HCHの 割合 が ト ド よ り 高 い こ と か ら 、 育仔 期 に脂 肪に 蓄積 して いたHCHsが母 乳を 介し て体 外に 排 出 さ れ 、 新 た に 餌 生 物 か ら 摂 取 さ れ たHCHsと 置 き 換 わ っ た た め と 推 定 さ れ た 。 次 に 、 北 太 平 洋 西 部 海 域 の ト ド のOCs蓄 積 濃 度 を 既 に 報告 され てい る東 部海 域に 生 息 す る ト ド と 比 較 し た 。 その 結 果、PCBs蓄積 状況 は同 程度 であ った が、DDTsは西 部海域(1.1ー3.3ぷg/g)が東部 海域(1.亅3〃g/g)よりも高濃度であった。トドのDDTsと PCBS蓄 積 状 況 は 、 東 西 海 域 の表 層 海水 中お よび 主要 餌生 物で ある スケ トウ ダラ の蓄 積 濃 度 に 関 す る 既 往 の 報 告 と 概 ね 一 致 し た こ と か ら 、 トド の0Cs蓄積 畳の 海域 差は 東 西 北 太 平 洋 海 域 の 環 境 と 餌生 物 の汚 染状 況を 反映 する と考 えら れた 。さ らに 、北 ―63ー
海 道 沿 岸の 卜ドで は、アリ ュ―ト ルスキ一 湾よりもDDTs(北海 道:4.1ロg/g lipid, アリュ―トルスキ一:1. 3u g/g lipid)およびPCBs(北海道:2.1皿g/g lipid,アリュ ー 卜ルス キ一:1.2〃 g/g lipid)の蓄積 濃度が高 く、DDTs中 のDDTs代謝産物の割合は 低 く 、PCBs濃度 に 対 す るDDTsの 相 対 濃度 が 高 かっ た 。 これ ら のこ とから 、とりわ け DDTsに よ る 汚染 が 北 海 道沿 岸 で は進 ん で いる こ と が示 唆 さ れ、 北太 平洋西部 海域、
特 に オ ホ― ツ ク 海生 態 系 はDDTsによ る 海 洋汚 染 の 程度 が 高 いと 推察 された。 このオ ホ ー ツ ク海 に お けるDDTs汚 染 は 、オ ホ ー ツク 海 周 辺地 域 か らの 河川 などを経 由した 流 入 と 近接 地 域 であ る 北 太 平洋 西 部 の中 一 低 緯度 地 域 で使 用 され たもの が黒潮や 対 馬 暖 流 に 運 ば れ て オ ホ ― ツ ク 海 に 流 入 す る こ と が 原 因 と 推 定 さ れ た 。 本 研 究 で 明ら か に なっ た 北 太平 洋 西 部 海域 に お ける ト ド のOCs蓄積 濃 度 は、 大 量 死 が 報 告さ れ た 汚染 水 域 に 生息 す る 鰭脚 類 ほ どは 高 濃 度で は ない ことか ら、汚染 が 個 体 群 に急 激 な 変化 を も た らす 水 準 に至 っ て いな い と 判断 さ れた 。しか し、北太 平 洋 西 部 海域 の ト ドは 、 東 部 海域 よ り もDDTsの 蓄 積 濃度 が 高 く、 特に オホーツ ク海は 特 異 的 に高 か っ た。 ま た 、PCBsの蓄 積 濃 度も オ ホ ーツ ク 海 は西 部べ ーリング 海より も 高 か っ た 。 そ し て 、 オ ホ ー ツ ク 海 に 生 息す る 卜 ドのDDTsお よ びPCBsの 蓄 積 濃度 は 、 ア ザ ラ シ 類でOCsが 免 疫 系や ホ ル モ ン分 泌 に 影響 す る と報 告 さ れて い る 濃度 と 同 程 度 であ った。 これらの ことか ら、オホ ーツク海 のトド 個体の生 理状態 に対して 、 OCs蓄 積 が なん ら か の影 響 を 与え る 水 準 に達 し て いる 可 能 性が 高 い と推 察 さ れた 。