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英 国 自閉症 協会 の設 立 と発展
久 保 紘 章
は じめ に
1962年5月 に世 界 に さ きが けて英 国 の全 国 自閉症 協 会(NationalAutistic Society.以 下 、英 国 自閉症協会 と称 す る)が 設立 されて か ら、30余 年 にな る。1993 年現 在 、世 界 で44か 国 に協 会 が あ る ことが確 認 され て い る。 この うちAutisme Europeの 加 盟 の協 会 は34で あ る(1)。ち な み に米 国 は1965年(全 米 自閉症 児 協 会 、現在 は米 国 自閉症 協会ASAに 変更)、 日本 は1968年(自 閉症 児 親 の 会全
国協 議 会 、1989年 か ら日本 自閉 症 協 会 に名 称 が変 更)に 設 立 され た。
個人 的 な ことだが、筆者 が英 国 自閉症協 会 の資料 を は じめ て手 に したの は1970 年 で あ り、協 会 を最初 に訪 ね たの は1975年 で あ る。 以来 、7‑8回 訪 問 す る機
会が あ った。 この間 に、 自閉症 を め ぐる状 況 は大 き く変 化 し、 協 会 も発 展 を と げ て きた。 た だ 、英 国 自閉症 協 会 に関 して 、 わが 国 で の紹 介 は少 な い。 筆 者 と して は 、協 会 か ら貴 重 な資料 を 入手 して お きなが ら、 い まだ に整 理 して いな い 負 い 目を感 じて い る(2>。
筆 者 の主 要 な 関心 は、(1)セ ル フ ・ヘ ル プ ・グル ー プ と して 協会 が どの よ う に形 成 され発 展 して きた かを 見 る こ と と(2)こ の協 会 が英 国 お よび世 界 の 自閉 症 の研 究 と実践 に与 え た影 響 と意 味 を探 るこ とで あ る。 しか し本 稿 は それ らの 研究 の予 備 的 な段 階 と位 置づ けて、次 の2っ の 点 を、資料 に即 して述 べ る こ とに した い。 第1は 、協 会 に深 く関 わ った人 た ち 自身 の記 録 に基 づ いて 、と くに初 期 の状 況 を 再現 す る こと、第2は 、現 在 に いた る までの 協会 の発 展 を概 観 す る こ と で あ る。
1.協 会設 立前後 の 自閉症 をめ ぐる状 況
これ らを述 べ る前 に、 協 会 設 立 前 後 の 自閉 症 を め ぐる状 況 を 、精 神 医 学 、教
育 、 ソー シ ャル ・サ ー ビス等 の面 か らか ん たん に述 べ て お きた い。
カ ナ ー(Kanner,L.)が1943年 に 早 期 幼 児 自閉 症 の11症 例 を 報 告 して 以 後 、 自閉 症 の 本 質 を め ぐ って 長 い模 索 が あ っ た 。 と りわ け1960年 代 後 半 か ら70年 代 前 半 の 自 閉 症 研 究 は 激 動 期 で あ っ た 。 こ の 時 期 は 、 北 米 よ り も英 国 の 研 究 に 世 界 が 注 目 した 。 研 究 者 と して は ロ ン ドン大 学 精 神 医 学 研 究 所 を 中 心 と した ジ
ョ ン ・ウ ィ ン グ(Wing.J.K.)、 ロ ー ナ ・ウ ィ ング(Wing.L.)、 ラ タ ー(Rutter, M.)、 ハ ー ム リ ン(Hermelin,B.)、 オ コナ ー(0℃onneor,N.)、 バ ー タ ク(Bartak, L.)、 リ ッ ク ス(Ricks,D.M.)、 ブ リス(Frith,U.)、 ホ ー リ ン(Howlin,P.)ら
の 児 童 精 神 科 医 や サ イ コ ロ ジ ス トた ち が よ く知 られ て い る(3)。こ の 立 場 は 、 わ が 国 で は 当 時 、 イ ギ リス 学 派 、 な い し言 語 一認 知 障 害 説 と して 知 られ た 。 近 い 立 場 を と っ た 米 国 の 研 究 者 に は シ ョプ ラ ー(Schopler,E.)や デ ィ マ イ ヤ ー (DeMyer,M.K.)ら が い るが 、彼 ら は早 くか ら英 国 の 研 究 者 と交 流 が 深 か った 。
こ の 立 場 は 、 自閉 症 がillnessで は な くhandicapだ とす る見 解 を と った の で 、 薬 物 に よ る治 療 や 心 理 療 法 よ り も教 育 へ の 移 行 に 道 を 開 い た 。
次 に 、 教 育 に お け る状 況 を 見 て お こ う。 イ ギ リス に お け る 自閉 症 児 を 含 む 障 害 児 教 育 は 、 教 育(障 害 児)法(1970年7月 制 定)に よ っ て 大 き な転 換 期 を む か え た 。 これ に よ り、 い わ ゆ る 障 害 児 全 員 就 学 が 実 施 さ れ た か らで あ る。 そ れ 以 前 、 障 害 児 は 「 学 校 教 育 の 対 象educable」 と 「学 校 教 育 の 対 象 外uneducable
」(知 能 指 数 が ほ ぼ50以 下)に 分 類 さ れ た 。 行 政 的 に は 、 前 者 は 教 育 科 学 省 (地 方 レベ ル で は 地 方 教 育 当 局)、 後 者 は 保 健 社 会 保 障 省(地 方 レベ ル で は 地 方 保 健 当 局)が 責 任 を 負 っ た 。 しか し こ の 法 律 に よ つて1971年4月1日 か ら、 す べ て の 児 童 が 、 教 育 科 学 省 の 責 任 の も と に お か れ た 。 自閉 症 児 の 多 くは 「教 育 の 対 象 外 」 に 分 類 さ れ て い た よ うだ が 正 確 な 資 料 は 残 って い な い 。 た だ 「教 育 の 対 象 外 」 の 児 童 の 一 部 は 保 健 社 会 保 障 省 管 轄 の ジ ュニ ア ・ ト レー ニ ング ・セ ンタ ー(児 童 の 通 所 訓 練 施 設 。 成 人 は トレー ニ ング ・セ ン タ ー)へ の 通 所 や サ ブ ノ ー マ ル ・ホ ス ピ タ ル に 入 所 し て い た の で 必 ず し も 放 置 さ れ て い た わ け で は な い 。
協 会 設 立 当 時 の 教 育 法 の 障 害 児 の 分 類 は 、1959年 の10の 分 類(盲 児 ・虚 弱 児 ・ろ う児 ・難 聴 児 ・精 神 発 達 遅 滞 児(educationallysub‑normalpupiles)・
て ん か ん 児 ・不 適 応 児 ・肢 体 不 自 由 児 ・言 語 障 害 児 ・虚 弱 児)が 用 い られ て お
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り、 自閉 症 はそ の 中 に は含 まれて いな い。 ソー シ ャル ・サ ー ビス の面 で いえ ば、
自閉 症 に 固有 の サ ー ビス は な く、知 的障 害 の 中 で 辛 う じて対 応 され て き た。
自閉 症 研 究 と 自閉 症 へ の教 育 等 の背 景 を一 瞥 したが 、英 国 にお け る 自閉 症 研 究 と実 践 に と って 、英 国 自閉症 協 会 の影 響 を 見 逃 す こ とは で きな い。 少 な くと も協 会 は、 これ らの優 れ た研 究 の土 壌 を 耕 した と い う意 味 で貢 献 した 。 と りわ け 自閉 症 学 校 の 実 践 、 自閉症 成 人 施 設 を 中心 と した年 長 自閉 症 児 問 題 へ の 実 践 は、様 々 な影響 を英 国 の み な らず 、 世 界 に与 え たが 、 これ らの考 察 は 別 の機 会 にゆ ず りた い。
2.協 会 の歴史 の概 略
英 国 自閉症 協 会 の 歴 史 は、 今年(1995年)で33年 目 をむ か え る。 重 要 な 出 来 事 を辿 る と、 次 の4つ の時 期 に区分 す る こ とが 可 能 だ ろ う。
① 協 会 設 立(1962年)前 後 設 立 前 後 と初 期 の活 動 の 中心 的 な役 割 を果 た し た ヘ レ ン ・ア リソ ン らの模 索 と設 立 お よ び協 会 の基 礎 の 確 立 の時 期 。
② 協 会 立 自閉 症 学 校 設 立 とそ の後 の10年(1965‑1974年)英 国 最 初 の 自閉症 学 校 イ ー リ ング ・ス クール の設 立(1965年)と 各 地 で の 自閉症 学 校 の 設 立 、 さ らに年 長 自閉 症 児 の 問題 の 出 現 まで 。
③協 会 立 自閉 症 成 人 施 設 の設 立 とその 後 の10年 余(1975‑1986年)英
国 最 初 の 自閉 症 成 人 施 設 サ マ セ ッ ト ・コー トの設 立(1974年)と 自閉 症 成 人 施 設 の各 地 で の設 立 。1983年 の 自閉症 児協 会(NSAC)か ら 自閉 症 協 会
(NSA)へ の 名称 の変 更 も この時 期 に含 まれ る。
④ 新 しい波:(1987年 以降)協 会 の機 構 の合理 化 と専門 分化 。協 会 設 立25 周 年 を機 に組 織 は再 編 成 され 、新 しい方 向 の 模索 が な さ れ た。
1.自 閉 症 児 協 会 の 設 立 と ヘ レ ン ・ア リ ソ ン
本 稿 の前 半部 分 で は、協 会設 立(1962年)前 後 と初 期 の活動 を 中心 に取 り上
げ る。 公 式 の英 国 自閉 症協 会 の 発足 は、1962年5月 で あ る。 しか しそ こ に到 る
まで に は種 々の 動 きが あ ったの で 、 そ の経 過 を辿 って お きた い。初 期 の協 会 の
歴 史 を た ど るに は 、 い くっ か の 資料 が 手 が か りに な る。 と くに協 会 の 責 任 を負 って き た人 た ち 自身 の記 録 は、 外側 か らで は把 握 で きな い状 況 を よ く伝 え て い る。 こ こで は そ れ らの 資 料 を用 いな が ら、 当 時 の状 況 を再現 した い と思 う。
カオ スの状 態 か ら一 っ の グル ープ が形 を整 え て い くプ ロセ ス は、 そ れ 自体 興 味深 い とこ ろで あ る6協 会 が 公 的 な性 格 を帯 び る前 の胎 生期 に どの よ うな経 過 が あ ったか は、 その 後 の 協 会 の 性格 を規 定 す る。 どの セ ル フ ・ヘ ル プ ・グ ル ー プ も、 ご くわ ず か な 人(時 には一 人)の 努 力 が き っか け とな って い る ことが 多 い。英 国 自閉 症協 会 で は ど うだ ったか。 また協 会 の設立 にあ た って どの組織(グ ル ー プ)の 影響 を 受 け た だ ろ うか 。
当初 か ら今 日に い た るまで 、 英 国 自閉 症 協 会 が重 点 を お い て きた の は、 協 会 立 の 自閉 症 学校 と成 人 施 設 の設 立 と運営 で あ る。 さ らに協 会 方 式 とで も呼 べ る 教 育 的 ア プ ロー チが あ った。 なぜ 協 会 は 、学 校 の設 立 を最 優 先 さ せ た の か 、 ま
た独 自の ア プ ロー チを 採 用 した のか 。 これ らを記録 か ら読 み 取 って み た い。
1.設 立 の動機
他 の協 会 と同 様 に英 国 自閉 症 協 会 の場 合 も、 初期 の 人 た ち の 「色合 い」 が出 て い る。 自閉症 を もっ 親 た ち のニ ーズ を 協 会 設 立 に まで いた らせ た の は、 ヘ レ
ン ・ア リソ ン(Allison,G.H.)ら の貢 献 であ る。 ア リソ ンを語 る こ とな しに協 会 を語 れ な い ほ ど、 彼 女 の 占 め る位 置 は大 き い。
さ いわ い ア リソ ンは協 会20周 年 の際 に協 会 の機 関誌 『コ ミュニ ケ ー シ ョ ン』
に、当 時 を振 り返 ってか な り くわ しい 「個人 的 な事 情 」を回 想 的 に書 いて い る(4)。
他 で も彼 女 は い くっ か の協 会 の記 録 を書 き残 して い るが(5)、と くに1982年 の文 章 は詳 細 で あ る。 当 時 の 状 況 を 再現 す るた め に、 で き るだ け この 文 章 に そ って 書 きと どめ て お く。
自閉症 児協 会 の ア イデ アが 彼 女 の心 に 閃 いた の は、 「 息 子 の ジ ョセ ブが 自閉症
と診 断 され た ことを聞 いた ア メ リカの友 人が送 って くれ た雑 誌(『 サ タデ イ ・イー
ブニ ング ・ポ ス ト』)の 記 事 」 か らで あ った。 そ の記 事 には 、 自閉症 児(当 時
は 「精 神病 児 」 と呼 ば れ て いた)の 学校 が親 た ち に よ って オ ー プ ン した と い う
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内容 で あ った。 その見 出 しは 「AtticChildren学 校 に行 く」(atticに は屋根 裏 の意 味が あ る)と い う もの で 、 この子 の親 た ち によ るニ ュー ヨー ク の ロ ング ア イ ラ ン ドで の 家屋 の購 入 、建 物 の外 装 と部 屋 の 内装 、 中古 家 具 の 購 入 、 教 師 探 しな どが書 か れて いた 。 彼女 は 、「ア メ リカ の親 た ち にで きた の だ か ら、イ ギ リスで もき っ とで き る と い う確 信 」 を もっ。 しか しそ の気 持 ちを 伝 え る人 た ち に出 会 うま で に は しば ら くの 時 間 を必 要 と した 。
ア リソ ンに と って協 会 設 立 の 動 機 は、 この子 ど もた ちの た めの特 別 な学 校 の 設 立 と い う教 育 の 「入 れ物 」作 りで あ った。 この 彼女 の動 機 が 、 その 後 の 協会 の 方 向 を か な り決 定 づ け た と いえ る。
1961年 の始 め に、当 時4歳 だ った息子 の ジ ョセ フは、毎 日一 時 間 、精 神 分析 家 の 「治療 」 を受 け て い た 。 しか しな お 「息 子 の た め の特 別 な教育 形 態 が 必 要 で あ る」 と母 親 の 直観 で感 じて いた 。米 国 の友 人 の手 紙 は それ を刺 激 した 。
当時 の状 況 を理 解 す る こ とな しに は、 エ リソ ンの 「はげ しい気 持 ち」 は 分 か りに くい。 彼女 は 、「特 殊 教育 が 、障害 を克 服 す る上 で かれ らを援 助 す る もっ と も効 果 的 な方 法 で あ る と い う こ とは 、 今 で は 自閉 症 児 を持 っ親 や 自閉 症 児 に関 わ る大 抵 の 人 た ちが 合意 して い る こ とで あ る。 しか しジ ョセ ブが 診 断 され た こ ろに は、 そ うい う こ とは ま だ言 われ て い なか った。 依 然 と して 自閉症 の 原 因 は
『 冷 淡 な知 的 に高 い親 た ち』(6)によ る と考 え られ て いた」 と当時 を回想 して い る。
ジ ョセ ブは4歳 まで は っ き りと自閉症 で あ るとの診 断 は され なか った。 彼 は言 葉 を話 せ ず多 動 な ので 、予 後 は きわ め て悲観 的、 したが って 「教育 の対 象 外 」の カ テ ゴ リー に含 まれ る と医 師 か ら伝 え られ て いた 。 しか し地 元 の サ イ コ ロ ジス トは 自閉 症 につ いて知 って お り、彼 女 の訪 問 の結 果 、 ジ ョセ ブ は 「教 育 の対 象 」 と見 な され 、 ノ ース ・ロ ン ドンの 精 神 病 児 と情 緒 障 害 児 の ク ラス に通 うよ うに 勧 め られ る。 ただ クラス の教 師 は、当 時 の多 くの教 師が そ うで あ った よ うに、 自 閉 症 は基 本 的 に は 「情緒 」 の問 題 だ と考 えて い た。 ア リソ ンは 「私 は ど う して
もそ の考 え を受 け入 れ る こ とが で きな か った。 む しろ特 別 な障害 の た め に工 夫
され た技 術 に基 づ い た教 育 が必 要 で あ る」 と感 じて いた。 これ は毎 日接 して い
た親 の 直観 で あ った。 彼 女 の 直観 は 、 そ の後 の協 会 の 活動 内 容 や 教 育 方 法 と も
関連 す る。 彼女 や仲 間 の親 たち が 別 の立 場 を と って いれ ば、 協 会 の性 格 も現 在
の もの とは か な り異 な って いた か も しれ な い。
2.行 動 開 始
ア リ ソ ンは 、 最 初 か ら 自 閉 症 児 協 会 の 設 立 を 目 指 した わ け で は な か っ た 。 ア メ リカ の 友 人 か ら送 られ た記 事 に 触 発 さ れ て 、 彼 女 は 「息 子 の よ うな 子 ど もの 親 た ち と接 触 す べ き だ と心 に 決 め 」 る。 最 初 の 行 動 は 、NSMHC(全 国 精 神 発 達 遅 滞 児 協 会 ・現 在 はRoyalSocietyforMentallyHandicappedChildren
andAdults(MENCAP)に 名 称 が 変 更)の 支 部 の 人 に 会 った り、 「1961年 の 2月 か3月 に 」BBC放 送 の 「 女 性 ア ワ ー 」 の 番 組 宛 に 、 自 閉 症 児 の 問 題 に 関 心 を も っ て 欲 しい 旨 の 手 紙 を 書 い た こ とで あ る。 しか し返 事 は こ な か っ た 。
す ぐ後 の5月 にNSMHCに よ る 「精 神 病 児 に 関 す る カ ン フ ア レ ンス 」 の 開 催 を 知 る。 こ の 一 日 カ ン フ ァ レ ンス は 、NSMHCの 機 関 誌 『ピア レ ンツ ・ボ イ ス 』 の 編 集 者 ブ リ ッ ド(Mrs.JudyFryd)の 企 画 に よ る も の で 、 ス ピー カ ー は 、 オ
コ ナ ー 医 師(O℃onner,N.当 時 はMRCの 社 会 精 神 医 学 部 門 所 属)、 グ レー ト ・ オ ー モ ン ド ・ス ト リー ト小 児 病 院 の 医 師 ク リー ク(Creak,M.)、 ユ ニ バ ー シ
ィ テ ィ ・カ レ ッ ジ病 院 の 医 師 ソデ ィ(Soddy)、 ス ミス 病 院 の 医 師 オ ゴ ー マ ン(
0'Gorman,G.)(7)、 ハ イ ・ウ ィ ク病 院 の 医 師 チ ョイ コ(Choiko)だ った 。 彼 ら は 、 当 時 の こ の 領 域 の 研 究 と実 践 を 代 表 す る 人 た ち で あ る 。 と く にオ コ ナ ー と
ク リー ク は 、 わ が 国 で も早 くか ら紹 介 さ れ た 研 究 者 で あ る(8)。
この カ ン フ ァ レ ンス で ア リ ソ ンが も っ と も関 心 を 抱 い た の は 、 精 神 病 児 の 教 育 に つ い て 話 を した チ ョイ コ 医 師 だ っ た 。 こ の 話 か ら ア リソ ンは 「専 門 的 な 教 育 の 提 供 こ そ 、 こ の 子 た ち に と って 大 い に 希 望 が あ る こ と と確 信 」 す る に い た った 。 彼 女 は プ リ ッ ドに 会 い 、 カ ン フ ア レ ンス を 深 め る た め に 親 の 委 員 会 を っ く る こ と を 提 案 す るが 受 け入 れ られ ず 、 失 望 す る。
NSMHCの 中 で も少 し動 き が 出 て い た 。 ア リソ ンは 、 プ リ ッ ドと接 触 を と り、
1961年9月30日 に 、 ア ンバ セ ダ ー ・ホ テ ル で 自 閉 症 児 の 親 た ち の 会 を 持 っ こ とを 決 め た 。 そ の 会 で 、 ア リ ソ ン は 子 ど もの た め に 建 設 的 な 行 動 を 継 続 す る親 の 委 員 会 を つ く るべ き こ とを 提 案 す る。 最 初 の 委 員 会 の メ ンバ ー は 、 委 員 長 が
プ リ ッ ド、 委 員 に は 、 バ ー ジ ェ ス(Mrs.Buegess,J.)、 ク リス トフ ァー(Mrs.
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Christopher)、 エ ヴ ァ ラ ー ド(Mrs.Evrerard,P.)、 ロ ー ダ ー(Mrs.Lauder)、
ア ン ・モ ー トン(MrsMorton,A.)と ヘ レ ン ・ア リ ソ ンが 選 ば れ た 。 そ の 後 、拡 大 して バ ロ ン夫 妻(Baron)と そ の 後 大 き な影 響 力 を 持 っ こ と に な る ロ ー ナ ・ウ
ィ ング 医 師 が 加 わ る。 こ の 委 員 会 で は 、 研 究 基 金 の 問 題 と地 方 当 局 が 何 を して くれ る か 、 に議 論 が 集 中 した 。 この 内 容 は ア リソ ンは じめ 、 小 さ な子 ど もを も っ 親 た ち に は 満 足 で き る も の で は な か っ た 。
前 述 の カ ンフ ァ レ ンス の す ぐ後 に 、BBC放 送 に よ る分 裂 病 児(精 神 病 児)に つ い て の 「ラ イ フ ラ イ ン」 シ リー ズ の 番 組 が あ っ た 。 番 組 で は この 子 ど も た ち
は 「自然 に よ くな る 」 と の 言 及 が あ っ た 。 彼 女 は 、 そ の 表 現 は 「誤 解 を 招 くの で 、私 はBBCに も う一 度 手 紙 を 書 き、再 び 自閉 症 児 に っ い て 番 組 を 作 る よ う」主 張 す る 。 プ ロ ジ ュ ー サ ー は 、 ア リソ ン個 人 に 関 心 を 示 し、 結 局 、 ア リ ソ ン に よ
る 「応 答 な しNoResponse」 と い う タ イ トル の 放 送 が 、1961年 の10月18日 に な さ れ た 。 反 響 は 大 き く、 全 国 か らた く さ ん の 手 紙 が 彼 女 の も と に 届 き 、 こ の 時 点 か ら ア リ ソ ンの 多 忙 な 日 々 が 始 ま る。
2.設 立 前 後 の 動 き
1.組 織化 へ:と くに1962年1月23日 の会合 について
ア リソ ンは 、 協 会 の25周 年 を振 り返 る文 章 で 、 「1962年1月23日 、絶 望 し た親 た ちが トリ ン トン ・パ ー クの 家 の 居 間 に集 ま った 。 この集 ま りか ら英 国 自 閉症 協 会 が 生 ま れ た。 これ は 自閉 症 児 を もつ 親 が 、 子 ど もの ニ ーズ を 代 弁 す る ため に協 会 を設 立 しよ う とい うは っ き りと した 目的 を もって 集 ま った最 初 の集 ま りだ った 」 と し、 この 日を、 実 質 的 な設 立 の 日 と位 置 づ け て い る。
と ころで設立20年 の 『コ ミュニ ケ ー シ ョン』誌 に は 、古 い会 議 記 録 が再 録 さ れて い る。 「 実質 的 な設立 の 日」に何 が話 され たか、その状 況が よ くわ か る(1962 年1月23日 、 トリング トンで の会議 の記録 で 「過去 を振 り返 って 」1983)⑨ 。 そ
こで この 記録 の主 要 な部分 を と りあ げ る。 な お 「J内 は原 文 の まま、他 は筆者
の要 約 で あ る。
先 ず 、ア リソ ンが挨 拶。 「ア リソ ン夫 人 は 、会 の 冒頭 で 、参 加 した母 親 た ちに歓 迎 の 言 葉 を述 べ た。彼 女 は 、 この グル ー プ は全 国精 神 発達 遅 滞 児 協会 の下 に あ る 『精 神 病 児 親 の 会 』 で 、 ブ リ ッ ド夫 人 に よ って は じめ られ た もの だ、 と親 た ち に伝 えた 」
次 に ブ リ ッ ド夫人 が 、最初 の会 で 配 られ た 「ニ ュース レター 」を配付 。 この グル ープ の 目的 は、調 査 研 究 ・保健 と教 育 当局 へ の働 きか け ・診 断 ク リニ ック と特 別教育 クラス の 設 置 の促進 な どで あ る と説 明 した。 「これ は精 神 病 児 は、教 育 の 対 象educableで あ る とい う原 則 を確 立 しよ うとす る試 み で あ る 」 と。 ア リソ ン夫 人 は、参 加者 に全 国精 神 発達 遅 滞 児 協 会 の 支 部 グル ー プ ま た は個 人 会 員 と して 全 国 協会 へ の加 入 を 勧 め る。
オ ドリス コール 夫 人(Mrs.O'Driscoll)は 「もっ と も重 要 な 目的 は、母 親 が病 気 や 休 暇の と きに子 ど もの ため の短期 の入 居 型施 設 を付 設 したデ イ セ ンタ ーを作 る こ とで は な いか と発 言 した。」
次 に、 この 会 の組 織 を決 め る話 し合 いが な され た。 ミー テ ィ ン グの回数 、ブ リッ ド夫 人 の グル ー プ、全 国 精 神発 達遅 滞 児 協会 、地 方 支 部 との今 後 の関 係 の持 ち方 、ま た資金 集 め の グル ー プ と して の 位 置づ け とチ ャ リテ ィへ の登 録 の 問題 な どが 話 し合 わ れ る。
ア リソ ン夫 人 は、「この グル ー プの 当面 の 目標 と して デイ セ ンター を優 先 したい と思 うが 同意 して くれ るか ど うか を尋 ね た。(病 院 の)特 別 治療 病 棟 は この子 ど もたち に相 応 しい と ころで は ない」な どの発 言 をす る。 「出席 者 は、一時 的 な ケア用 のデ イセ ンタ ー
の設 立 が 、 当面 もっ と も重 要 な 目標 で あ る、 と い うこ とに同 意 した」。
この会 には 、スパ ス テ ィ ック協 会(1。)の 親 で あ るホ ー ラ ンズ夫人(Mrs.Hollands)が 招 かれ て い た。彼 女 は 自分 の経 験 を話 す。 資金集 め、プ ロジ ェ ク トな どすべ て 自分 た ち の手 で 決 定 し行動 した。 その結 果 、協 会立 の デ イ と寄 宿 制 の学 校 、スパ ス テイ ックの老 人 ホ ーム 、青 年 た ちの セ ンター 、地 方 の ワー ク シ ョップ な ど、を作 った。 また協 会 の地 方 支 部 も多 くの施 設 を 開設 した。 さ らに 資金 集 め につ いて もア ドバ イスす る。 例 え ば、
一 般 の人 は概 して子 ど もの た め な らお金 を出 す
。 「ア ッピー ルで きる よ うに精 神病 児 と
は ど う い う子 ど もか の イ メ ー ジづ く りが 重 要 で あ る 。 か わ い い 子 ど もの 写 真 を パ ン フ レ
ッ トの表 紙 に用 い る」 な ど具 体 的 な提案 をす る。 ま た 「は っ き り した 目的、計画 を示 す
こ とが 必 要 で 、ア ッ ピー ル は短 く、簡潔 で 、 は っ き り と、 ドラ マ ッテ ィ クに、特 定 の も
の に限 定す る こと」、 「自分 た ち の判 断 で 、 必 要 な スタ ッフを採 用 す る こと、地方 当局
や専 門 職 団 体 に渡 して しま うの は よ くな い こ と」 な どの発 言 をす る。
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ま た 他 の メ ン バ ー か ら 〔精 神 発 達 遅 滞 児 協 会 と は 別 の 〕 独 立 し た チ ャ リ テ ィ 団 体 と し て 組 織 化 し、 登 録 す べ き だ 。 と も か く デ イ セ ン タ ー を 作 る べ き だ 、 そ の 後 セ ン タ ー は 入 所 型 の 施 設 に 発 展 さ せ て ゆ く 、 な ど の 意 見 な ど が 出 る 。
こ の 会 で は 、 結 局 次 の4点 が 決 め ら れ た 。 「1.弁 護 士 の バ ウ ワ ー 氏 の 協 力 を 得 て 、 チ ャ リ テ ィ 団 体 と して 登 録 を す る 。2.「 ノ ー ス ・ロ ン ド ン 自 閉 症 児 援 助 協 会 」 の 名 称 で 、 グ ル ー プ を 登 録 す る 。3.ア リ ソ ン 夫 人 、 モ ー ト ン 夫 人 、 サ イ ナ ー 夫 人 が 、 今 後 の は っ き り と した 行 動 計 画 を 話 し あ う た め に 集 ま る 。4.次 の グ ル ー プ の 集 ま り は 、 〔1962年 〕 3月6日 火 曜 日 、 午 後8時30分 、 ト リ ン ト ン ・パ ー ク で 行 う)」 。
この会 合 は文 中 に もあ る よ うに、 全 国 精 神 発 達 遅滞 児 協 会 内 の 「精 神 病 児 親 の会 」 で あ った。 ア リソ ン らは、 この親 の 会 が 同協 会 傘 下 の 地方 支 部 の 一 っ と して位 置 づ け る こ とを願 って い た。一 方 、 自閉 症 固有 の ニ ー ドを 十 分 生 か す に は単 独 の協 会 を 設 立 す る しか な い との判 断 もあ った。 結 果 的 に は 、 同 協 会 とは 独 立 した別 の会 を作 る方 向 に向 か うこ とにな る。彼 女 は 自閉 症児 の親 たち と、こ の会 合 の前 後 にNSMHCの 本 部 事務 局 に行 き、何度 もNSMHCと の関 係 を話 し 合 って い る。 しか し、NSMHCの 会 則 で は、 都 市 部 会 〔 地方 ベ イ ス〕 へ の加入 は可 能 だ が 、全 国 の他 の 地 域 の親 た ちを 含 む 会 と して は認 め て お らず.結 局 、独
自に協 会 を 設 立 す る こ とに な る。
この会 合 に集 ま った人 た ち の強 いニ ー ドは、 自閉症 児 の た め の デ イ セ ンタ ー (実 質 は 自閉症 学校)の 設 立 で あ った。 スパ ステ ィ ック協会 の ホ ーラ ンズの発 言 が 、 この グ ル ー プ の と るべ き方 向 の モ デ ル と して 影響 を もっ た こ と も注 目す べ
き点 で あ ろ う。
2.設 立 当時の状況
ペ ギ ー ・エバ ラー ドは 、協 会設 立 前 後 の こ とを適 切 に次 の よ う に要 約 して い
る。 上記 と重 複 す る部 分 が あ るが 記 して お く。 「協 会 は1962年5月 に、 チ ャ リ
テ ィ団 体 と して 登録 され た。 しか し本 当 の は じま りは 、 さ らに先 に跡 づ け る こ
とが で きる。 きわ あ て まれ な精 神病 だ と言 わ れ た了 ど もた ち を持 っ 親 が 、 全 国
精 神 発達 遅 滞 児 協 会 の機 関誌 『チル ドレンズ ・ボ イ ス』 〔 の編 集 者 〕 とコ ンタ ク
トを と った 。 一 方 、 ロ ン ドンの 北 部 の ス イ ス ・コ ッテ ッ ジ に あ る情 緒 障 害 児 の 小 さ な ス ペ シ ャ ル ・ス ク ー ル に通 っ て い た 子 ど もの 親 た ち も会 を 持 っ て い た 。
1961年9月 に 、 こ の2つ の グ ル ー プ が 、 ロ ン ドンの ア ンバ セ ダ ー ・ホ テ ル に 集 い 、 問 題 点 を 話 し合 い 、 委 員 会 を ど うす る か な ど が 話 さ れ た 」ω 。
ア リソ ンの 記 述 で は 、 「実 質 的 な 活 動 は 、 ノ ー ス ・ロ ン ドンの 親 の グ ル ー プ に よ って 始 め られ た 。 情 緒 障 害 児 の ク ラ ス に 通 って い る子 ど もの 親 の オ ド リス ー コ ル の 発 案 で 、彼 女 の 家 に5人 〔 オ ドリス コ ー ル 、 ブ ー ス ビ ィ(Mrs.Boothby)、
マ ク イ ブデ ィ(Mrs.McEvedy・ 現 在 はMrs.Greenwell)、 モ ー トン(Mrs.Morton) と ア リ ソ ン〕 が 集 ま り、 ど の よ うに して 学 校 を 設 立 す るか を 話 し合 っ た 」 とあ る の は 、 上 記 と の 関 連 で い え ば 、 「ス ペ シ ャ ル ・ス クー ル に 通 って い た子 ど もの 親 た ち 」 の 会 合 の よ うだ が 、 正 確 な 時 期 は 確 認 で き な い 。
ア ンバ セ ダ ー ・ホ テ ル の 会 は1962年9月 、 そ の 後 、1962年1月23日 の 会 合 に続 く。 こ の 日の こ と を ア リソ ン 自身 は 、 「オ ド リス コ ー ル 宅 に約20人 が 集 ま り、 自 閉 症 児 の た め の 協 会 を ス タ ー トさ せ る こ と と 自分 た ち の 子 ど もの た め の 学 校 を設 立 す る こ との 、2つ が 話 され た。 そ して 委 員 会 が 作 られ ア リソ ンが 委 員 長 と な り、組 織 、NSMHCと の 関 係 な ど に っ い て 話 し合 っ た 」 と要 約 して お り、
人 数 と場 所(約20人 、 自 閉 症 児 の 親 の 自宅)を 知 る こ とが で き る。
この 委 員 会 は 拡 大 され 、バ ロ ー ン氏 が 委 員 長 に 、 ダ ル トン医 師 が 副 委 員 長 、サ イ ナ ー(Mr.Sainer)が 経 理 担 当 に 選 ば れ た 。 会 則 が 起 草 さ れ 、委 員 が 選 ば れ 、 ア リソ ン はsecretaryと な っ た 。 名 称 は 「精 神 病 児 協 会 」 と決 ま り、1962年5 月17日 に 正 式 に設 立 さ れ た(1962年 に 、 レデ ィ ・エ リオ ッ トが 副 会 長 、1967 年 に は 会 長 とな っ た)。
最 初 の 「ニ ュ ー ス レ タ ー 」 は 、1962年11月 に 発 行 さ れ た 。 印 刷 直 前 に 「自 閉 症 児 協 会 」 と名 称 が 変 更 さ れ た 。 最 初 の 会 員 の 数 は 、 自 閉 症 児 を もっ 約100 家 族 。 「9歳 の 子 ど も も い た が 子 ど も の 平 均 年 令 は5歳 ほ ど だ っ た 」(Allison,
1973)。 彼 女 は 「 地 方 当 局 の 一一部 に は 、 わ ず か な 親 た ち が 不 相 応 な雑 音 を 出 して い る 、 と考 え る者 も い た 。 イ ンパ ク トを 与 え る た め に は 数 が 必 要 だ っ た 」 と述 懐 して い る 。
設 立 当 時 の 熱 心 な 親 た ち は 精 力 的 に 初 期 の 協 会 を 支 え た 。 そ こで 決 ま っ た こ
英国自閉症協会の設立と発展 363
とは、① 協 会事 務 局 の組 織 化 、② ナ ー ス リー クラ スの設 立(自 閉症 学 校 に 向 け て の準 備)、 ③情 報(自 閉症 に関 す る研 究 論 文 や一 般 向 けの文 書 の入 手 と関 係 機 関 の把 握)と ア ドバ イ ス ・サ ー ビス、④ 最 初 の 「ニ ュー ス レター」(1962年11 月)の 発行 、 ⑤ 議 会 へ の要 請 、⑥ 自閉症 児 の治 療 と教育 の プ ラ ンを盛 り込 ん だ プ ロ ジェ ク トと方 針 の作 成 、⑦ マ ス コ ミへ の働 きか け、⑧ サ ブ ・コ ミテ ィを作 る、⑨ 地方 協 会 の オ ー ガ ナ イ ザ ーの指 名 、⑩ 親 の デザ イ ン した ク リス マ ス カー ド6,500枚 の 販売 、⑪ 名 称 を 自閉 症 児 協 会 に変 更 、⑫ あ らゆ る こと に選挙 制 を 導入(4分 の3)す る、 な どで あ った。
最初 の マ ス コ ミの報道 は1962年 秋 で あ る。 モ ー トン夫 人 の個 人 的 な友 人 の 「イ ブ ニ ング ・ニ ュー ス」 編 集 者 との イ ンター ビュー の機 会 が 与 え られ る。 そ の結 果 、11月9日 に3段 抜 きの記 事 と2枚 の子 ど もの写 真が 載 った。 この 記事 は 多 くの反 響 が あ り、急 速 に忙 しさが増 した。 協 会 は 非常 に注 目 され る と ころ とな り、 ア リソ ンの 自宅 の 一 室 が 事 務 所 と な り、 そ の 時 点 で ア リ ソ ンは事 務 局 長 generalsecretaryと な った。
協 会 事 務 局 を組 織 し、 自閉症 に関 す る研 究 論 文 や一 般 向 け の文 書 を 入手 して 印刷 物 をっ くる、 きちん と した会 員 入会 の用紙 を つ くるな どの仕事 が あ った。 手 紙 や電 話 も殺 到 し、 「この と きか ら、私 が協 会 を離 れ る とき まで 、4年 半 、 週 末 も、休 日 も含 めて 、毎 日8時 間 か ら15時 間働 き続 けた 」。 ダイ ア ナ ・セ リグマ ン (Mrs.Seligmann)は 、パ ー トタ イム で援 助 し、彼 女 た ち は真 夜 中 まで働 いた。
以 上 が 、 ア リソ ンの 文 章 お よ び協 会 の 資 料 を も とに再 現 した設 立 前 後 の状 況 で あ る。 同 じニ ー ドを持 っ 親 た ち の壮 絶 なエ ネ ル ギ ー に よ って 、 そ の後 の 協会
の確 実 な基 礎 が 固 め られ て い く。
3.協 会 立 自 閉 症 学 校 と シ ビル ・エ ル ガ0
1.自 閉症 学校設 立 まで
協 会 の 活動 と して最 優 先 したの は、協 会立 の 自閉 症 学 校 を設 立 す る こ とで あ
った。 これ は初 期 の親 たち の 強 いニ ー ドで あ った。 しか しこ こに い た るま で に
は 、 多 くの 困 難 が あ っ た よ うで あ る。 そ の事 情 を ロ ー ナ ・ウ ィ ン グ は 、 日本 で の 講 演(1980年)の 中 で 「分 離 教 育 を しよ う と い う こ の 決 定 は 、 あ る人 た ちか ら は 支 持 さ れ た も の の 、 何 人 か の 専 門 家 た ち か ら厳 し い批 判 を 浴 び た 」 と 述 べ て い る 。 ウ ィ ング に よ る と、 親 た ち は 次 の3っ の 理 由 か ら分 離 した 教 育 を 望 ん だ 。 第1の 理 由 は 、 あ ま りに も多 くの 自閉 症 児 が 学 校 か ら排 除 さ れ て い た こ と、
第2は 、集 団 の 中 で 学 ん だ り、遊 ん だ りで き ず 、 個 別 的 指 導 と特 別 な 教 育 法 を 必 要 と す る こ と、第3は 、 自分 た ち で 行 った募 金 を 拡 散 さ せ ず に 自閉 症 児 の た め に 用 い る こ と を 望 ん だ こ とで あ っ た(12)。
協 会 の 努 力 で 、1965年9月 に協 会 立 第1号 の イ ー リ ン グ ・ス ク ー ル が 開 設 さ れ 、 シ ビル ・エ ル ガ ー(Mrs.SibilElgar)が 初 代 の 校 長 と して 迎 え られ る。 そ
の 数 年 前 の1962年 の 春 に 、 エ ル ガ ー は協 会 の 歴 史 に 登 場 す る 。
ア リ ソ ン と ロ ー ナ ・ウ ィ ン グ と エ ヴ ァ ラ ー ドが 彼 女 に 会 い に 行 き 、 自閉 症 児 の 教 育 を して ほ しい と依 頼 す る 。 以 後 、 エ ル ガ ー は 、 協 会 に と って 重 要 な 役 割 を 果 た す こ と に な る。 ど の よ う に して エ ル ガ ー が 、 協 会 と 関 わ る よ う に な った か 。 そ こ に 到 る ま で の 背 景 を 、 再 び ア リ ソ ンの 回 想 文 な ど か ら述 べ よ う。
エ ル ガ ー に 自閉 症 児 へ 目 を 向 け さ せ た の は 、 チ ョイ コ医 師 で あ る。 エ ル ガ ー は モ ンテ ソ リー 法 の トレ ー ニ ング を 受 け て お り、St.John'sWoodの 自宅 で 不 適 応 児 と 知 的 な 遅 れ を もっ 子 ど もの た め の 小 さ な 幼 稚 園 を 開 い て い た 。
ア リソ ンは 、 当 時 の息 子 ジ ョセ フの様 子 を 次 の よ うに書 いて い る。 事務 局 長 と して の活 動 と ジ ョセ フの 「治 療 と教 育 の状 況 」 を垣 間 見 る こ とが で き る。 ジ ョセ ブ(当 時4歳)は1961年 初 め ごろか ら精 神 分 析 を受 けて いた。 そ の後、情 緒 障 害 児 の クラ ス 、 さ らに チ ョイ コか らエ ル ガ ー の存 在 を知 りそ の幼 稚 園 に も 通 って い る。
「この ころの ジ ョセ ブ と私 の状 況 は絶 望 的 だ った。 家 の中 は、 ひ どい ものだ っ
た。 私 た ち は 、 ロ ック した ドア 、汚 れ た壁 と天 井 、壊 れ た窓 と家 具 の 中で生 活
して い た。 昼 夜 たが わず 、 か き乱 され て いた 。息 子 は、 午 前 中 は、 小 さ い クラ
ス に行 って いた。 午 後 は毎 週 、 一 時 間 、精 神 分 析 医 の と ころ に通 って いた。 そ
こで 私 は午 後 の精 神 分 析 の前 にエ ル ガ ー先 生 の と こ ろ に連 れ て い った 。午 前 中
英国自閉症協会の設立と発展 365
に ジ ョーが 学 校 に行 って い る間 に、 協 会 の手 紙 を 整理 す るた め に働 い た。 昼 食 後 に は、2つ の カ ー ド ・ボ ックス と、文 房 具 とタ イ プ ラ イ タ ー を子 ど もと一 緒 に車 に投 げ込 ん で、 了 ど もを エ ルガ ー先 生 の とこ ろ に連 れ て 行 き、 ハ ム ス テ ッ
ドのセ リグマ ンさんの家 まで 車 で走 り、2っ のカ ー ド・ボ ックス と、文 房具 とタ イ プ ラ イ タ ー を車 か ら下 ろ し、 一 時 間 半 そ こで事 務 的 な仕 事 を して 、 ま た それ を車 に積 み 込 み 、 ジ ョー を大 急 ぎで 迎 え に行 き、 精神 分 析 医 の と ころ に連 れ て い き、 そ こで 荷 物 一 式 を下 ろ して 、待 合室 で45分 仕事 を し、 ま た荷 物 と息 子 を 車 に入 れ て 、帰 りには健常 な もう一 人 の息 子 を連 れ に行 き、家 に帰 る。 夕食 後 、
また タ イ プ ライ ター な どを車 か ら出 して 、 深 夜 まで 仕 事 をす る。 ま あ こ うい っ た こ とが 、 当 時 の私 の 日常 だ った」。
そ して ア リソ ンは 、 エ ルガ ーが 自閉 症 児 に関心 を 向 け る転 換点 とな った貴 重 なエ ピソー ドを 記 して い る。
「彼女 〔シ ビル ・エ ル ガ ー夫 人 〕 は 自閉症 児 に関 して受 容 的 な考 え方 に(当 時 み ん な そ うだ ったが)洗 脳 され て いた。 彼女 は息 子 を説 得 して モ ンテ ソ リー の 用 具 を使 わ せ よ う と した が 、み ん な床 に投 げて しま って 、 手 に した ものを み な 壊 しは じめ た 」。2週 間 後 に、 エ ル ガ ー は、 レポ ー トに 「この 子 に私 が で き る こ とは何 もな い」 と書 い た。 しか しエ ル ガ ーは諦 め る前 に、 自分 の や り方 を 変 え る決 心 をす る。 ジ ョーが 理 解 で き る よ うに、彼 に実 際 に示 しなが ら 「その 紙 を と って 、 くず か ごに入 れ な さ い」 と き っぱ りとい った。 「その ときか らジ ョー に 対 して彼 女 は ひ るま な くな った。 ・・彼 は 少 しづ っ で は あ るが 、 行 動 で も、理 解 力 で も次第 に改善 が 見 られ るよ うに な った。 そ して 嬉 しい こ とに 、話 す こ とが 出来 は じめ た」。 こ こには その 後 の エ ル ガ ー の 自閉 症 教 育 の原 型 が み られ る。
1963年1月 か らジ ョセ フは エ ルガ ーの と ころ に フル タイ ムで 依 頼 し、 その 時 点 で精 神 分析 を 中止す る。 エル ガ ーの2人 の 自閉症 児 の成功 が 知 られ るよ うに な
り、他 の 自閉症 児 を もつ 親 たち も子 ど もの教 育 を 依頼 す る よ うに な る。
協 会 立 の 自閉 症 学 校 の設 立 以 前 に、 自閉 症 児 を 受 け入 れ て きた い くつ か の小
さ な ク ラス が ロ ン ドンに は あ った。 ロ ン ドン ・カ ウ ンテ ィ ・カ ウ ンシル は 、 ギ
ル フオ ー ド ・ス トリー トのネ ー タル ・セ ンタ ーの プ ロ ビ ンスで 、8才 まで の 自閉
症 児 ・精 神 病児 の 小 さな クラ ス をっ くって いた。 しか しほ とん どの 自閉症 児 は
プ ライ マ リー ・ス ク ール の年 令 に な るまで に は、普 通 の教 育 が 受 けれ るま で に 十 分 に改 善 され るとの仮 説 に基 づ いて い た。 自閉症 は基 本 的 に はハ ンデ ィキ ャ ップ と い うよ り も情 緒 の障 害 だ とい う、 当時 広 くゆ きわ た って いた信 念 か ら生 まれ た もの だ ろ う。 しか し、 ア リソ ンはハ ンデ ィキ ャ ップ と して 自閉 症 を理 解 して いた の で、 「学齢 期 が終 わ るま で子 ど もは そ の学校 に留 ま り続 け るだ ろ う と い う考 え が 、 協 会 立 学校 を設 立 す る の際 の考 え方 で あ った 。 ほ とん どの 自閉症 児 は、 特 別 に計 画 され た長 期 の教 育 プ ロ グラ ムが 必要 で あ る こ とが我 々 に はわ
か って いた」 と述 べ て い る。
2.シ ビル ・エ ル ガ ー と イ ー リ ング ・ス ク ー ル
「自 閉 症 児 の 学 校 を ス タ ー トさ せ る に は 、 大 物 の 第1級 の 教 師 と第1級 の 親 を つ れ て く る こ とで あ る 」 と ア リ ソ ンは 確 信 に 満 ち て 述 べ て い る 。 最 初 の 学 校 で あ る イ ー リ ン グ ・ス ク ー ル の 場 合 は 、 エ ル ガ ー 夫 人 とバ ロ ン氏 で あ った 。 バ ロ ンは 、10周 年 記 念 誌 に エ ル ガ ー と ラ ン ドマ ン(Mrs.Landman,W.後 の ヘ レ
ン ・ア リ ソ ン ・ス ク ー ル の 校 長)をGod‑mothersと 呼 ん で い る(13)。
と もか く 自 閉 症 児 の 協 会 立 の 最 初 の 学 校 、 イ ー リ ング ・ス ク ー ル は 、1965年 に 開 設 さ れ た 。 場 所 は ロ ン ド ン の 西 部 の 住 宅 街 の イ ー リ ン グ に あ る 。10 FlorenceRoadの この 建 物 は 、 も と鉄 道 警 察 の 宿 泊 所 で あ っ た 。 購 入 の き っか
け は 、 当 時 国 鉄 に 勤 め て い た エ ル ガ ー氏 の 情 報 に よ る。 ま た こ の 時 期 にSembal Trustか らか な りの 援 助 を受 け て 隣 接 の建 物 も入 手 す る。 通 りに 面 した 普 通 の 住 宅 で 、 学 校 を イ メ ー ジす る建 物 で は な い。
4歳 か ら19歳 ま で の生 徒 、40人 定 員 で 、 月 曜 日か ら金 曜 日 ま で の 寄 宿 制 の 自 閉 症 児 学 校 と して 開 設 さ れ た(14)。
や が て 、 イ ー リ ン グ ・ス ク ー ル は 、 自 閉 症 児 の 教 育 の モ デ ル と して 英 国 内 だ け で な く 、 国 際 的 に 注 目 さ れ た ㈹(エ ル ガ ー が イ ー リ ン グ ・ス ク ー ル を 辞 し た と き 〔1974年 〕 校 名 は 「シ ビル ・エ ル ガ ー ・ス ク ー ル 」 に な っ た)。
第2の 協 会 立 の 自閉 症 学 校 の 設 立 の 事 情 を 、 ア リソ ンの 言 葉 か ら、短 く紹 介 し
て お く。 イ ー リ ング ・ス ク ー ル に 多 くの 申 し込 み が あ り、 エ ル ガ ー夫 人 は 、 も
う一 っ 学 校 を っ く る こ と を 提 案 す る 。 「や は り第1級 の 教 師 と第1級 の 親 を 見 つ
英国自閉症協会の設立と発展 367
け る こ とが必 要 だ とい う仮 説 に基づ いて 、私 は グ レバ セ ン ドの ことを考 え た。 そ こに は ウエ ンデ ィ ・ラ ン ドマ ン夫 人(現 在 、 ブ ラ ウ ン夫 人)が 個 人 ベ ー ス で多 くの 自閉 症 児 を教 育 して いた。 そ この地 域 の オ ー ガ ナ イ ザ ー は マ ー ク ・ス ケ ヒ ング トンだ った。 ラ ン ドマ ン夫 人 は、 重 い障害 の あ る女 児 を教 え て い る家 庭 に 案 内 して くれ た。 彼 女 は笑 いなが ら ドア が壊 され て い る裂 け 目を 示 した。 一 人 の女 の子 が 手 を離 れ た と き、 自分 の頭 の衝 撃 で で きた もの だ と言 う。 私 は即 座 に、 自閉症 児 には彼 女 が最 適 な人 だ と確 信 した。・・私 は、 この二 人 のパ ー トナ ー シ ップを確 信 した。 そ こで私 は二 人 を招 いて今 後 の ことにっ いて 話 し合 った。 あ る夏 の 日、 わが 家 の庭 に座 って話 し合 った 。私 の もっ と も嬉 しい思 い 出の 一 っ で あ る。話 し合 いの結 果 、一 年 後 の1968年 に学 校 は オ ー プ ン した。 私 は、 そ の ケ ア と教 育 の素 晴 ら しい伝 統 を共 有 で き るよ うに私 の名 前 をつ け て も ら って幸 せ だ った」(第2の 学 校 名 は 「ヘ レ ン ・ア リソ ン ・ス クール 」)。
自閉 症 児 学 校 の設 立 は この よ うな事 情 によ る。 なお ウエ ンデ ィ ・ブ ラ ウ ンは その 後 ゴス ポ ー トで、重度 の 自閉 症青 年 の入 所 施 設 ア ング レ シー ・ロ ッジ ・リー プ ・ユ尋 ツ トを設 立 し、 施 設長 とな る。 この経 過 はエ ル ガ ー に似 て い る。
4.英 国 自 閉 症 協 会 の 組 織 と活 動
協 会 の設 立 前 後 の状 況 を見 て きたが,こ こで は協会 の組 織 と活 動 を概 観 して お く。協 会 の 歴 史 や現 状 を0冊 に ま とめ た出版 物 は な いの で 、以下 は 資料 か ら再 構 成 した もので 、不 明 確 な部 分 もあ る。 そ れ ぞれ の項 目につ いて 深 め るべ き課 題 は 多 いが 、今 回 は 、事 が らの呈 示 に と どめ て お き た い。
1.会 の組織 につ いて (1)名 称 の 変更
協 会 の30余 年 の 歴 史 の 中で 、名 称 は6回 変 更 して い る。4回 は最 初 の半 年 の 間 に な され て い る。 年 代 順 に追 って み る と次 の よ うに な る。
① 最初 の名 称 は、全 国 精神 発 達遅 滞 児 協 会 内 の グル ー プ と して 、1961年9月
に 「 精 神 病 児 親 の 会 」(GroupofParentsofPsychoticChildren)
と称 さ れ た 。 当 時 、 自閉 症 は 精 神 病 児 、 分 裂 病 児 な ど と 表 現 さ れ る こ とが 多 か った の で 、 名 称 も そ れ を 反 映 して い る。
② 実 質 的 に 英 国 自閉 症 協 会 に 発 展 す る き っ か け と な っ た1962年1月23日 の 会 合 で は 、 「ノ ー ス ・ロ ン ドン 自 閉 症 児 援 助 協 会 」(AutisticChildren's
AidSocietyofNorthLondon)と 決 め られ る。
③1962年5月 の 正 式 の 設 立 時 の 名 称 は 、 「 精 神 病 児 協 会 」(TheSocietyfor
PsychoticChildren)だ っ た 。 再 び 精 神 病 児 の 用 語 が 採 用 さ れ て い る。
④ しか し1962年11月 の 最 初 の ニ ュ ー ス ・レ タ ー 発 行 の 直 前 に 、 「自閉 症 児 協 会 」(TheSocietyforAutisticChildren)と 改 め ら れ た 。
⑤ さ らに1966年 に は 「全 国 自閉 症 児 協 会 」(NSAC,TheNationalSociety
forAutisticChildren)と な る。 この 名 称 は そ の 後20年 近 く続 い た。
⑥1983年 に は 「全 国 自 閉 症 協 会 」(NAS,TheNationalAutisticSociety)
とな っ た 。 自 閉 症 児 の 問 題 が 成 人 に ま で 引 き継 が れ る こ とを 踏 ま え て の ネ ー ミ ング で あ る 。 こ の 名 称 は 今 日 に い た って い る。
初 期 の 名 称 の 変 更 は 、 自閉 症 の 理 解 の 混 迷 が 背 後 に あ り、 ⑥ は 、 自 閉 症 が 児 童 期 の 問 題 に と ど ま らず 生 涯 に わ た る もの で あ る こ と を 反 映 して い る。
(2)目 的
協 会 の 目的 は 、 設 立 当 時 か ら現 在 も同 じで あ る。 『コ ミュ ニ ケ ー シ ョ ン』 誌 の 表 紙 裏(1987年 か らは 裏 表 紙)に は 毎 回 、次 の4っ の 目的(themainaims)
が 掲 げ られ て い る 。 た だ し、1976年(vol.10(3)Sep.)か ら はchildrenに 加 え てyoungpeopleお よ び 「地 方 当 局 に対 して も同 様 の 働 き か け を す る こ と」
が 付 け加 え られ た 。 ま た1987年(vo1.21(1)March)か ら は 、youngPeople がadultsに 変 更 さ れ て い る(下 線 は 加 え られ た 部 分)。
以 下 は 、1987年 以 来 、 機 関 誌 に掲 げ られ て い る 「目 的 」 で あ る。
① 自 閉 症 の 子 ど も.と威 △ の ケ ア と教 育 の た め の 通 所 ・入 所 セ ン タ ー を 設 立 し 促 進 す る こ と。 ま た 地'。 に 文 してpの か 。 る こ と。
② 親 た ち を援 助 す る こ と。 と くに情 報 交 換 が で きる よ うに 、親 た ち 同士 の 会 合 を 用意 す る こ と。
③ 自閉 症 の子 ど もと 威 △ の問 題 の研 究 を奨 励 す る こ と。
英国自閉症協会の設立 と発展 369
④ これ らの 問 題 に っ い て 市 民 や 医 療 関 係 者 が さ ら に理 解 を 深 め る よ う に 刺 激 す る。 そ して 彼 らに 、 自閉 症 の 子 ど もと 威 ム が 可 能 な 限 り普 通 の 生 活 が で き る た め に は 何 が で き るか 、 何 を す べ き か を 、 伝 え る こ と 。
設 立 前 後 の 動 機 か ら も伺 え るが 、目 的 に は 、サ ー ビス の 「入 れ 物 」 作 り、同 じ当 事 者 同 志 の 支 え あ い 、専 門 家 の 研 究 の 促 進 、社 会 一・ 般 の 理 解 が 含 ま れ て い る 。 こ
の4っ の 目的 は 、30年 に わ た って 一 貫 し、維 持 さ れ て い る 。 (3)協 会 の 運 営
① 事 務 所
協 会 の 事 務 所 は3回 移 転 して い る。 開 設 時 の1962年 に は ヘ レ ン ・ア リソ ンの 自宅 で あ った が 、1967年 に は ロ ン ドン北 部 に事 務 所(GoldersGreen,筆 者 の 記 憶 で は4階 の 建 物 の4階 部 分 で3部 屋)を 持 つ こ と に な った 。 こ れ は1967年
に 英 国 カ ー ネ ギ ー ・トラ ス トか らの 基 金 が 得 られ た た め で あ る 。 この 交 渉 は 、 レ デ ィ ・エ リオ ッ トに よ る も の で 、 彼 女 は 同 年 に協 会 の 会 長 と な っ た 。 ア リ ソ ン は 事 務 局 長 に 、 エ ヴ ァ ラ ー ドは 事 務 局 長 補 佐 と な っ た 。82年 に は 現 在 の 場 所 (Willesden)に 移 転 した 。 独 立 した3階 建 て の 建 物 で あ る。
② 事 務 局 長
協 会 の 運 営 の か な め で あ る事 務 局 長(generalsecretary)は 、 初 代 が ア リ ソ ン(1962‑1966)、 事 務 局 長 補 佐 は エ ヴ ァ ラ ー ドだ っ た。 二 代 め は エ ヴ ァラ ー
ド(1966‑1974)が 受 け 継 い だ 。 三 代 め が モ ニ カ ・ホ ワ イ ト(1975‑1989) で あ る。 彼 女 は 、亡 くな る ま で の14年 間 、 も っ と も長 く この ポ ス トに い た(1989 年9月11日 、 が ん の た め 死 去)。 ホ ワ イ トの 療 養 中 の 空 席(1988.4‑1989.3)
の 一 年 後 の1989年5月 か ら 、 ジ ェ ラ ル デ ン ・ピ ー コ ッ ク(Peacock,G.)が
常 任 理 事(executivedirector)と して こ の ポ ス トを 継 い た 。 歴 代 の 協 会 の 責 任 を に な って き た の は 、 全 員 が 女 性 で あ る。 ま た ホ ワ イ ト以 外 は 、 自 閉 症 児 を
も っ 母 親 で あ る 。
ア リソ ン の 初 期 の 仕 事 ぶ りに っ い て は 先 に 述 べ た 。 そ れ 以 後 の 人 た ち の 働 き の0端 は こ れ ま で 何 度 か 垣 間 見 る機 会 が あ っ た が 、 仕 事 に 忙 殺 さ れ な が ら も生 き 生 き と情 熱 を も っ て 働 い て い た 。
③ ス タ ッフ
ア リソ ンの 自宅 に事 務 局 が 置 か れ て い た と きに は、 ア リソ ンは じあ 母 親 た ち が協 会 の運 営 を支 えて きた。 いっ か ら有 給 のス タ ッフにな ったか は不 明 だが、 こ れ まで 訪 問の折 りに確 か めた人 数 は、1973年 に は協 会事 務局 のス タ ッフは フル タイ ム3人 、パ ー トタイ ム5人 、1982年 は12人(フ ル タ イム とパ ー ト)だ った。
協 会 の25周 年(1987年)以 後 ス タ ッフ も大 幅 に増 え た よ うで あ る。
ス タ ッ フ の 数(1993.3)‑1989年 と の 比 較 一
1993年1989年
フ ル タ イ ム パ ー トタ イ ム フ ル タ イ ム パ ー トタ イ ム 学校 ・成 人施設 ・セ ンター
財政担 当
協会事務 局(本 部)
355 4 30
141 1 2
246 3 10
60 } 6 1
十
コ旨口389 144 259 166(人)
1993年 の 総 会 の 記 録(16)を見 る と、現 在 ス タ ッ フ は 、 協 会 本 部 に は32人(フ ル タ イ ム30人 、 パ ー トタ イ ム2人)、 さ ら に 協 会 立 の 学 校 ・成 人 施 設 な ど の ス タ ッ フ は496人(フ ル タ イ ム355人 、パ ー トタ イ ム141人)、 財 政 担 当 が5人 い る 。 これ を1989年 と比 較 して も、 大 幅 な 増 員 で あ る。
④ 会 員
正 確 な 会 員 の 数 に つ い て は 、 ほ と ん どふ れ られ て い な い。 協 会 に 行 くた び に 尋 ね た が 、約1,500人 、約2,000人 な どの 約 と い う表 現 が さ れ た 。1987年 の 訪
問 時 も、 「会 員 数 は 約2,000人 」 と い う こ と だ っ た 。
手 元 に あ る 資 料 で 数 字 が 確 認 で き る の は 、 一 っ は エ バ ラ ー ドに ょ る1973年 の 報 告 で あ る(注11.を 参 照)。 これ に よ る と、1962年75人 、63年250人 、64 年600人 、67年1,059人 、68年1,164人 、70年1,612人 、73年1,750人 と
な っ て い る 。 も う一 っ の 詳 細 な 報 告 は 、1972年 の 「覚 書 」(17)に あ る が 、 こ れ に よ る と親703人 、 医 療 関 係 者54人 、 教 師239人 、 他 の 専 門 職199人 で 、 合 計 1,195人 と な り、親 は70%弱 で あ る。 しか し上 記 の エ バ ラ ー ドに よ る報 告 と は、
一 年 の 差 は あ る もの の 数 字 が 異 な って い る
。
た だ この 内 容 か ら も読 み 取 れ る よ う に 、親 の 会 と して 出 発 した 協 会 は 、親 を 中
英国自閉症協会の設立 と発展 371
心 と しっ っ も関 係者 が 含 まれ て い る。 英 国 で 見 聞 き した多 くの 障害 ・疾 病 の協 会 も、 セル フ ・ヘ ル プ ・グル ー プ とは いえ 、 その 構 成 員 は、 当事 者 の み に 占め られ て い るの で な く、 当 事者 が 中 心 で は あ るが専 門 家 や市 民 が含 まれ て い る場 合 が ほ とん どで あ る。 ち な み にわ が 国 の場 合 も、 自閉 症 児 者親 の会 全 国協 議 会 か ら日本 自閉症 協 会(1989年)に 移行 後 は、会 員 は親 に限定 せ ず 、親 を 主 とす
る もの の 関係 者 の入 会 も可 能 と な って い る。
⑤ 財 政
参 考 まで に1993年3月 現 在 の全 国協 会 の財 政 をみ て み よ う(18)。 収 入 は総 額 で 1,117万 ポ ン ド。主 な もの は 、学 校 ・セ ンタ ーの 負 担 金 が1,018万 ポ ン ドと募 金 ・寄 付46万 ポ ン ド。 支 出 は総 額 で1,084万 ポ ン ドで あ る。
協会 会計(1993.3)‑1989年 度 との比 較一 収入の部
1993年1989年 (単 位 £1000) 負 担 金 一学 校 と セ ン タ ー
募 金 ・寄 付 そ の 他
バ ザ ー ・ ク リス マ ス カ ー ド
10,184 463
..
131
・・
519
253(ク リス マ ス カ ー ド等 を 含 む)
計 ii,1s7s,si2
支出の部
1993年1989年 (単 位 £1000) 学 校 ・セ ン タ ー 運 営 費
寄 付 集 め
PRと イ ン フ ォ メ ー シ ョ ン 自 閉 症 ・啓 蒙 キ ャ ンペ ー ン 福 祉 ・家 族 サ ー ビ ス
管 理 費 グ タ ン ト
ク リス マ ス カ ー ド費 用
8,942 547 149 93 142 .. ..1 21 66
4,438 57 14
39 227 122
十
⁝爵10,8404,897
*繰 越 し 327
学 校 ・セ ンタ ー運営 費 の内 、人件 費 に 限 ってみ る と次 の通 りで あ る。
人件費 1993年1989年(単 位 £1000)
給与 社会保障 住宅関連
6,8843,138 522243 388131
十
ユゴロ