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近代都市空間に関する地理学的研究

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

近代都市空間に関する地理学的研究

遠城, 明雄

九州大学文学研究科史学専攻

https://doi.org/10.11501/3106913

出版情報:Kyushu University, 1995, 博士(文学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

(2)

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(3)

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f さらに店員教育は函ーな店員づくりとともに、

「店員」の意識の ぷかで労働者としての自分の位置付げを殴昧なものにしていく側面

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(4)

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別な催し物の案出が検討された 。 こうした商店街組合

同 長

結成や街路装飾への関心の高まりは福岡市のみならずいくつ

市でみられ る 。 久留米市の場合110 )に 、 映函館を中心として 、 l洋風」 に改良した表通りに化症品や呉服店を配置 し 、 日用品など を扱う商店は裏透りに配置し魚屋などは入居させないという形式忠 とっ た 新しい 歓楽街が

新天地 」 に 形たのに対c t、

通町など既存

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商 店街でも 「繁栄期成同盟会」が結成され 、 道路の

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±イノレミ不 一シ ヨ ンの建設などをおこなってい る 。 若松市の場

マ ソ

ゐJに 、 中川{透組合が結成され 、 街灯設置や道幅拡張によって H

「統 的 」 に顧 客を吸 収 する方法が模 索 さ れているn

1

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パートと公 ・ 私設の廉売市場の双方に代表され

『廉売所持代』

' に 対して、 「平面のデパートJ ll:� )形式としての商 店街という 組織/空間に新たな意味が付与されるのである 1 1 4 )白

他方で商取引や同 業組合へのこうした介入 と平行

行商人

露店商に対す 取り絡

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ば 、 門 司 市では 桜 井 門 司 喜 長によ り交 通の障 害や風 致

筈 す

う理由から 、 電車返りの街路でのバナナなどで有名な果物露店商の 立ち退きが求められる1 1 5 )。 ま た若松市中川通の露店 商 に関して も、 区民からの反対および交通問題から撤廃の動きが起こ っており1 1 6)

f

では小果物行 取り締ま 1 1 7 )などが挙げられる;

l 衛生」をめぐる

説で禿動された取締がさらに展開され 、 街 路が。 ますます単なる移動手段

位置 るよ -:J ìと ー

食料 品や

用 品につい

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はないが、 行商に依存する場合が多かったと考えられる 。 行 商は花 接 的 人 間関 係に依 拠してお り 、 こには売買 以上の関 係が生ま

る 可 能 性も あ た 。 公 私設市 場はこ のよう な社 会 的 結合に 基 い た 慣 習を変える ことで 、 人 の日常 生 活 を よ り直 接 的に管 る こ とをに可 能にし た と

以上のように小売段階におげる諸変化は 、 生活難問題の解消とい

?要求に応える形で巧みにそれを利用しつつ 、 同業組合など存中 山 とした従来の構造を改変することに部分的に成功したといi

i-;

れに対してこの時期の遊興税や営業税の反対運 動はこ弓い 二

二 三 二

自体の改変に対するひとつの伝抗でもあっ た と 考えら九る J

三 ぷ Z

加えて大型店舗の出現や出張販売の増加t 1 8 )は 、 不 況下で,.1,存去λ の経営を一層圧迫す る ことになる一 方で 、 消費 者に対しては

山 会 以 T E 子

り高め

「廻覧」するという体訟を日常化することで、三々

ω 感覚をそうした事態へと慣していぐことになるが、 商品の程

しだに増加した公設市場におい て も 、 じつはそうした体駁・ の下治が

(5)

形成されていたのである 。

なお市街地での 「鶏員組合」 の結成も商人には大きな湾威とな っ た。 例えば1 908 (明治41)年に結成された福博購買組合(福岡市紺屋 町に営業所を設置) 1 1 9 )は 、 結成時の組合員総数4J 0名で 、 県庁38名、

郵便局37名、 医科大学32名 、 たばこ製造所31名、 鉱山監督署30名の ほか教員や生命会社在員、 銀行員など 「新中間層」 の人々によって 運営されており 、 白米、 薪炭、 醤油、 牛乳などの品目を市価より2

"'3割安価でとりあつかった。 1 9 18 (大正7 )年 10月には会員513人で、

その売上高は1 9 1 6 (大正5)年に50788円に達している120 )。

その後、 市街地購買組合は県当局からも奨励され、 福岡県下に拡 散 し 1 924 (大正13 )年には31 3の組合が結成されている。 同連合会で の賂買高は1:年間に590万円余りに透してい るが 、 こうした組合に対

し ては当然、 商人の滋 し い反対運動が生じたことはいうまでもない

1 :2 1 )。 俸給者層を中心とした市街地購買組合は、 「生活水準」 の佐

立を目指すことがひとつの「階層」 の動きと し て生じたものであり、

またこうした活動を辺して階庖意識が明確な形で活われることにな ったといえる 。

( 3 ) 企業内購買組合をめぐって

最後に公/私企業によって設立された「購買組合」 と商業活動の 関連についてー営しておきたい。 対象は八幡市の八幡製鉄購買会と 大牟田市の三井購買組合であるが 、 八幡市に公設市場が訟置されて いないこと、 また大 半 田 市の市 場 規 模 が 狭 小 で あ ることは 、 こう し

た 購 買 組合の影 響の大 き さを 示 し ている と 考 え ら れる l2 2 \

新開地であった入荷町の場合1;; :1 )に物価が高〈 、 19 0 5 (明治38)年 で家賃が6畳1間で4 '"" 5円で、 労働者はそこに7'"" 8名で住む状態1 ;; '1) であり 、 熟練ft&工がすぐに移動 し て し まう原因のひとつと し て認諾 されていた 。 また商慣習は 「 ・・・誠実ヲ欠キ 、 干しヲ失シ 、 甚シキハ主 客ノ位置ヲ転倒セルノ鋭アリ ・・・」 とされ 、 正ネしをつげる店もほとん どなかった125\ そこで級員と械工保護を目的と し て官営製鉄所に 物品購実組合が設立される 1た伝}が 、 当然、 この動きは入稲田Tや黒崎 町などの商人にと って死活問題であり激しい反対運動が繰り返され

ことになる 。 例えば 、 問員組合の計画が明らかにな った同年1月に は八時商業組合が購買組合設置の延期哀願書を提出しており 、 その なかで物品の取引を現金制度に改めること 、 商人に対して八幡尚業 組合への加入を強制すること 、 品質の改良や価絡の一定を笑現する

99

(6)

空応

の陳 情をおこなっ てい る128 )。 製鉄 所の状 態が町の経 済 状 態に 直結するという状況もなかで、 1908 (明治 41)年には製鉄 所の緊縮や 官 舎 建 設に よっ て町に下 宿していた職工が 町 ら出ることなどから 町が表微し多ぐの空家が生じている 129 )が、購買会もこうした衰退

?原因のひとつと考えられており 、 製 鉄所の中村長官に対して勝五 会の廃止陳情13 0 )も行なわれた。 こ後も両者の対立は続 き 、 l

:

:

(明治43)年2月に購買会事務所が焼失したが、購買会を憎む去の放 火 と う噂 ま でたってい る 1 3 1 )。 しかしながら購買会はその規模を 拡張し続げ 、 1920 (不正9)年6月から組合理事長森谷秀三郎の提案に より白米の直

?

l32 \ さら に1921 (大正10)年頃には取り扱 い品目が白木日どの食料品から石鹸、 文房具 、 鍋にまで及んだ 。 白 米について市価と比較すると(第2-12,13表)、 かなりの値段の差が あり 、 職 員と職工の生活安 定に

寄 与をしていたこ と がわかる。

また19 2 0 (大正9)年7月には段工の保護を 名目として地位の高い臨呂 の居住する槻田官舎や前田宮合に野菜なとの日用品の分配場を

4 2

している133)o購買会の待遇においても上級職員および役付税工と

下級職工の間には出差があったが" - 1 9 2 2 (大 正11)年には商工会 川賂

員 会 拡 妓の対を訴えたのに対して、 製鉄 同志 会が商工会長に

示 五

同盟を決行する134 )と までしてお り 職工労働者も附会を積極

2

に支持している

しかしながら同時に「・・・品種の彩多なるため、その欲望を刺激せ られて必要品以外の矯買を敢てし易く(殊に証明制度の庭に於て)為

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受取の場合に引 去金のみ 嵩 んで現金が 予 想外に少ない にの、私栓徐に大恐慌を釆し J 135 )と指摘されるよ う に生

必笠 品以外の物品へのお張が場合によつては労働者の生活不安を招く

険ゃあり 、 同志会も購買会の改革の必要性を認めていた136 ) ー

ー なお股工と購買会を利用できない職夫の問に生活や組織の

で大

き な差異があったことは周知のとおりであ る 。 例えば 、 職 工の信�A,

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T 票によ 貿から 日 用 品 を購 の に して、

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場合に五日ごとに専属下宿屋の主人から支払われ 、 手 持ちの現金と いう面では職夫のほうが便利であったが、 こ れが「・・・・・・この おïjj文な

現金支拐の結果、 戦夫の金造 ひが極めて荒く 、 且 つ購買会の

�::: も

する事が出来ない」という生活の不安定さにつながった

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疋下級級工のなかには現金の散通がつきやすい臓夫を希望する

も いたという1 :J 7 )。

購買さの

張はさらに進み、19 2 6 ( 8B f口元)年には中央区の本部ほ か、大l底、月リ回、戸畑の各支部、四条、前回の分配所 病院地区に 広がり 、 取り扱い商品270種余り 、 1ヶ月J 5、 6万円から、4 0万円の売 上

に透しているL38 }oこれに 対して商工会と商業組合は、 脳会 の 云員以外にも販売していること に関して改善を申し入れたり二

(7)

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;奇異会と一定ミ市価との比較〈白米1升) 第2 - 1 2表

1921年2月 1921年i月

1920年12月 1920年11月

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38.0 37.0 37.0 33.5

34.0 35.0 35.0 ム十一市川十巾・古川実認司念品一再Xn-J1-EF--

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(8)

第2 - 1

3表 議員会の物価

八幡市の白米相場

I

6 1 銭

矯頁会(甲)家庭3人以上

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(乙〉註身又は夫焔者

I

4 7銭

(丙)労i訪者の収入が

多数の家肢をささえない者I

3 8銭

外 米

I

3 0 �長

資料: r門司新報.n 1 9 20年2月12日

(9)

か 、 大蔵、 前田 、 戸畑の各支部、 四条、 前回の分配所 、 病院地区に 広がり、 取 り扱い商品270種余り、 1ヶ月J5... 6万円から4 0万円の売

上高に達している 1 3 8 ) 。れ に 対して商工会と商業組合は、 購買会

の会員以外にも 販売してい る こ と に関して改善を申し入れたり 1 39)、

購買部へ販売品目の減少を申し入れている1'1 0 )ほか 、 製鉄購買会の .

拡張によって 、 八幡市内にある6つの市場の売上げが1日400円程度 で打撃を受げているこ と1 4 1 )から市当局が商人の救済策に頭手悩 ま しているが、 製鉄所から財政援助を受げてい る行政当局はこうじた

購買会と商人の対立を仲介するための策を施すことができなかった。

大卒田市の場合にも三井競買組合をめぐって長期にわたり三井と 市内商人 また労 働 者が対 立 を繰り返してい る

1 9 2 J (大正12 )年5月、共愛会内部に設立された三井静買組合は労 句者も経営参加して運営され1 4 2 ) 、 次 第に 規模を拡張し19 2 7 (昭和2) 年には!グ月取抜高 30万円に遣し白米から反物、 売薬までを販売し

ている14 3 )。 配給はi屋根で記給を受げて 、 月2回の給料日に天引き

さ れる 方式を 取っている

購買組 合 に 対して商工業者 による撤廃運 動が繰 り 返される が、

1 9 24 (大正13 )年の運動は労飴争議と重なって興味ある展開をみせる

1 9 24 (大正13 )年2月に活実認合が大牟田市の産業発達を疎外して いる原因であるとして 県 会議員や税務署長、 警 察署長 、 各銀 行 、 会

主関係者など吉良双方が参加して、 購 買組合撤廃運動が開始された

L q D J

o ま た同 時期に問題 と なっていた 市 公 設市場の新しい敷地

増設に対して反対運動を起こした米穀同業組合は 、 市 税の負担宇野 滅すること( r三井脂質組合に課税せよJ )、 三井勝買組合の取よ

い物品にある程度まで制限そ加えること 、 市場敷地の買収を延期す

そことの要求を行なっておりl 4 8\ 商業全体の 構 造変化に対する抵

で あ ったと え る

また大牟田商工会による市民大会が頻繁に開催されているが 、 そ のなかでは問買組合の撤廃のほか 、 煤煙や悪水 、 陥没地問題など三 弁- と市民が関連する問題が広く取り上げられており 、 三井全!不に対 する不信感が表われていたt-\ 7 )。

ここで同 年5月から賃金値下げに対して労働 争議に入った争諮問 の 一 部が商人とともに問宍定合の廃止を訴える事態にな って

いる二

その際に総同盟九州 連合会が配付したピラには 「購買組合の徹底

改 善 を徹す 。 ・・・ ・・・我々労働者は便利を知って不経済を知らなかった3 それは共愛組合と 言う恐ろしい弾阪策に依って姉員組合 の懐柔的搾ー 取 がなされて居る事 を 知 らなかった為に益々生活苦に泣いていたの だ 。 我々は日用紋くべからざる物品を求めむる丈の制度にすれば結

103

(10)

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(11)

ことへの欲望を吸収すると同時に生活の改善によって自分で自分を 救済することを自明化させていくための観念を作り上げようとした のである 。 流透携帯の簡素化と透明化は 、 都市の同業者集団の力を 奪い 、 国家による商業統制を可能にすることで労働力再生産過程を 安定化させることを自的としていた 。

こうした変容のなかで行商人や露店商などによって営まれていた 路上での多様な関係が次第に都市生活のなかからその姿を消してい く 。 すでにみたようにそれが公的介入によるものであったことは確 かであるが、 「衛生」 観念を備え 「消費者」 として流行にに敏感に

反応する人々の存在がその背後にあったこともまた否定できない 。

1.05

(12)

マヨ三

1 )原回数ー 「都市支配の構造j ,歴史評論,393,1983,64-86頁、 同

「近代都市の消費構造一市場と地域社会一 J ,市場史研究6 ,1989,

56-73頁。

2 )宮地正人『日露戦後政治史の研究� ,東京大学出版会 1 973 , 379頁。

3 )布川 弘「日露戦後の都市下層社会の結合関係J ,ヒストリア113,

1986,81-99頁。

4 )藤田貞一郎「日本資本主義発達史におげる国内商業の変革過程J , ヒストリア97,1982,150-164、 同 「日本の公設市場J ,市場史研究 3,1986,1-16頁、 同 「産業革命と市場問題-問題提起一 J ,社会経

済史学54,1988,1-17頁。

5)持田信m r緊結期の都市財設膨張につい て(上)(下)J ,証券経済 137,1981,156-174頁、 138,1981,107-125頁。

6 )藤田貞一郎「大正期公設市場の特質J ,同志社商学24,1972,1-20 頁。 また1 9 1 3 (大正2)年に 『福日』に東京帝国大学教授河津 這 による 「都市と公開市場」 という談話が掲載されており 、 授売制

度など従来の商慣習が批判され 、 公開市場の設置が説かれてい る。

『福日� 1 9 1 3年11月8日 。 なおこの議論に関しては 、 原田政美『近 代日本市場史の研究.Jl ,そしえて ,1991,28-34頁を参照 。

7 )原回数ー 「米騒動研究の一夜角一 「生活難」をめぐって - J ,部 落問題研究99,1989 ,81-94頁、 IJ\路田泰直「大正 ・ 昭和期の生活 難と女性問題J ,橘女子大学研究紀要15,1988,117-138頁、 同「帝・

国主義的都市の成立と生活建問題J ,部落問題研究98, 1 989 , Ô 1 -92 頁などを参照。

8 )第4章第3節(2 )を参照 。

。) r福日.:1 1 9 1 2年7月2日など 。

1 0 )久留米市述町十丁目でも積立金により台泌米を賂入し町民のみ 廉売が行なわれた 。 �福日J 1 9 1 2年7月4日。

1 1 )各市の救済対策に関しては弁上清 ・ 渡部徹編『米駁勃の研究』

第四巻,有斐閣,1961,134- �10頁 、 『北九州市史近代一現代 行 政社会編� ,1987,498- 514支、 『久留米市史』第三巻, 1 985 7 5 J

- 759頁、 『門司新報� 1 9 1 8年10月 .:J 0日 、 1 9 1 9年8月3日などを参

'"、日召

1 2 �九州日報j 1 9 1 8年12月2,8,9,10日 。

1 J) r福日� 1 9 1 9年6月28日、 7月25日 。

14) r福日� 1 9 18年10月6,10,20日 、 『九州、!日報.!l 1 G 1 8年10月日日 。 1 5) r福日� 1 9 18年9月8目 。

1 6) �門司新報j 1 9 1 8年3月8目 。

(13)

1 7) r九州日報J 1 9 1 8年8月i S目 。 1 8) r公開市場急務(一) '"'-' (四) J 1 9) r福日 .R 1 9 1 9年6月27, 28日 。 20) r門司新報J 1 9 1 8年6月28日 。 2 1 ) r

1 9 1 2年7月6日 。

22) r九州日報J 1 9 1 2年3月30日。 23) r福日.JJ 1 9 1 8年4月27日 。 24) w門司新報J 1 9 1 7年5月 1 Ô日 。 25) r福日.JJ 1 9 1 9年 1 2月25日 。 26) r福日.JJ 1 9 1 9年7月22日 。 27) r福日 .JJ 1 9 1 9年

28) r福日.JJ 1 9 1 8年9月26日 ロ

『九州日報j 1 9 1 8年1 1 月27 30日。

29)1926年に門司市方面委員は自らの体験を次のように語ってい る。

「・・・・・・鈴分の収入があった時生鯛や一等白米等上等な食物を摂 取して居るから将来の為倹約して貯蓄してはドウかと忠告すれば 威

高になって 『労働者は授が資本だから美 味しいものを喰べに ゃならぬ』 とケンもホロロのあいさつ・・・・・・J rr福日.JJ 1 9 26年2月 1 4日 。

30) r門司新報J 1 9 1 9年7月1 4日 。 3 1) r門司新報J 1 9 1 7年8月 1 0目 。 32) r門司新報j 1 9 2 1 年i月29日 。

33)大門正克「農村から都市へJ ,(成田龍一編『近代日本の軌跡9 都市と民衆.ß ,吉川弘文館,1 9 9 J ) 1 74 - 1 95頁。

34) r九州日報J 1 9 1 2年7月2日 。 35) r九州日報J 1 9 1 8年2月12日 。 3G)前掲7)の原田( 1 98 9 )を参照 。

37) r福日.JJ 1 9 1 8年9月2目 。

.1 8ペ斤 若しも子女の教育をf也から強制する者があれば彼等は必 す生活の苦痛を説くが芝れは月給三十図以下の小吏が生活発にis はれつつも尚子女の教育を怠らないのに比して其生活の苦痛が

漫に あるやを知るに苦 しむのであるが ・・・ ・・・ J Ií門司新報.JJ 1 9 1 9年 7月27日 。

J 9) r門司新報j 191947月28,29,31日 。

4 0 )

お公設市場以外に 1 920年11月には九州各県の民会の後訟によ

ブ市岡会活品奴売所が福岡県下各市と戸�m 、 直方 、 飯塚の 三 町に 設戸空れ 、 日用品の販売がなされた。福岡市では25ケ所の奴売部

が設置され、 八幡市では裂鉄妨民組合がこの販売部に供給を頼

てい る 。

4 1 ) Y九州

報.1 1 920年1 0月20日 。 4 2) r九州、!日報J 1 9 2 2年L 1月J0目 。

107

(14)

43) r福日j 1 926年5月23目 。

44) r九州日報.B 1 9 1 8年12月23目 。 45) W福日� 1 9 1 9年2月11目 。

46) r福日� 1 9 1 S年12月20日 。

47) u'九州、!日報.ß 1 9 2 0年6月29日。 なお1924 (大正13 ) 年10月に公設市 場に併設された筒易食堂の利用者の場合に 、 車夫や伝使夫などが 最も多く 、 次に官吏や会社員、 そして法被姿の労働者のj慌であっ たという。 �門司新報J 1 92 4年11月2目 。

48) r九州、!日報� 1920年6月29日。

49) �九州、!日報J 1 9 20年11月22日 。 50) íi'門司新報� 1 9 1 9年10月 4日。

5 1) r門司新報� 1 9 1 9年9月26日。

52) r八幡市公報Jl 139,1937年。

53) r九州日報J 1 920年7月22日 、 『沼日� 1 920年7月22,23日。

5 4) r門司新報� 1 9 2 1年1 0月23日。

55) r門司新報J 1 922年9月24日 。

56) W九州日報� 1 9 2 1年9月1 1日。 また県社会諒-に対して公設市場の 小売値と卸値の差額を掲示せよという投書がなされている 。 rr福 日j 1 9 2 1年8月29日。

57) �九州、!日報� 1 9 2 1年i月初日。

58) r福日.D 1 922年4月18日。

59) �九州日報Jl 1920年9月8日。

(0) �福日� 1 9 2 2年8月2 4,25,27,29,31日 。 6 1) �福日� 1 9 2 1年12月2目 。

62) �福日� 1 922年9月1 J日 。

63) 小倉市の場合に市会で住野 ・ 中島議員(非政友〉が市場無用論を 展開したのに対して 、 末永助役が「公設市場は祉会政策のーとし て必要政ぐべからざるものなる事は天下の公論なり」と反論して いる 。 �福日j 1 9 22年2月19目 。

64) �福日� 1 9 18年9月28日。

65) 例えば 、 小倉公設市場では今まで免除されていた指定商人への 課税が行なわれているが 、 それに対して商人は白分たちは救済の ために販売しており市の態度変更は不当であると主張する 。 w九 州、[日報� 1 9 2 1年4月8日 。

6 G) �福日J 1 922年3月9日 。 67) �門司新報� 1 922年3月6目 。 68) �門司新報� 1 9 22年8月5日 。 69) �門司新報� 1 92 4年9Ä 1 Û日。

70) f九州日報� 1 9 25年4月8目 、 7月16日 。

7 1 ) 例えば若松市には2ケ所( �九州日報JJ 192 1年8月12白人 門司市

(15)

には5ケ所( r門司新報.J 1 925年i月!日〉が開場されている 。 また 小倉市では市会議員提田増一氏らが1921 (大正10)年9月に釘設し

た旦過の日用食料品市場は公設市場以上の活況を呈しているが 市営移管が問題になっている 。 r福日J 1 923年2月23日。

72) W福日� 1 922年8月18日 。 73) w九州日報j 1 920年12月7日。

74) r福日.;1 1 9 2 1年11月12日。

75) r福日� 1 9 3 1年3月29日。

76) å福日.11 1 921年9月22日 。 また昭和初期の不況では私設市場が独 自に連合会組織を結成し 、 共同購入や情報交換を行なおうとする 動きもでている 。 r福日.!l 1 93 1年2月2 1日 。

77)石原武政「戦前期小売市場の機能理念J ,市場史研究3 , 1 936 , 3 5- 48頁を参照。

78) r九州日報J 1 9 2 1年8月10日 。

79)門司市公設市場委員は大阪市の公設市場との比較で門司商人の 商売に対する消極的態度( r寅ひたげれば寅ヘJ )を問題にしてい

る 。 r門司新報J 1924年5月10日。

80) r福日.!l 1 9 1 2年6月29 , 3 0日 、 7月1 , 2 , J , 4目 。 81) w福日j 1 9 0 8年12月27日 。

82) r門司新報J 1 9 18年8月30日。

83) r門司新報j 1 9 1 8年9月3日。

84) r門司新報J 1 9 1 9年9月27日 。

85)米騒動の時期に福岡県には福岡(1 9 0 6 )、 若松戸畑(1 9 05)、 久留 米(1 9 0 ô )、

があった(括弧内は設立年次)0 r福日� 1 9 1 8年6月28日。 - 86) W九州日報J 1 9 20年7月1 1日 。

87) f九州日報j 1 920年8月4日。

88) rr福日J 1 9 2 0年7月22, 23日 。 89) W門司新報J 1 9 2 0年9月21日 。 90) f九州日報J 1 9 2 0年5月22日。

9 1) W門司新報j 1 9 20年10月10日 。 9 2) u'福日.!l 1 9 3 2年5月1 J日 、 10月5日。

93) W九州日報J 1 9 23月7月30日。

9 4 )門司市の調査によると小倉と門 司の公設市場を比較すると小倉 の方が一 、 二割高価であり 、 その原因は仕入れ方法などにある

ー と される 。 r門司新報.!l 1 9 1 9年10月18目 。

9 5) rr九州日報j 1 920年8月24日。

9 6) W福日.!l 1 9 24年7月22日 。 9 7) W福日J 1 9 2 9年2月19日 。 9 3) W九州日報j 1 9 2 9年2月24日。

109

(16)

99) r福日� 1929年3月11日 。

1 00) r福日J 1 929年3月17日 。

1 0 1) r福日J 1929年9月8日 、 『九州日報.1l 1 9 3 0年i月10日 。 1 0 2) r福日J 1 9 2 9年12月11日 。

1 03 )市会議員のうち反対運動者の多くは民政派であったが、 この問 題をめぐって民政派内部に対立が生じている。 r福日J 193 0年1 月1 7日 。

104) r福日J 193 0年3月26日 。 なお因幡町公設市場では白米だげが 市 直営となっ ている 。

105) W九州日報J 1 9 1 9年11月23目 。 1 06) r九州日報J 190 9年10月3日 。 1 07) r福日J 1 9 0 9年10月3目 。 1 08) r九州日報J 1918年i月30日 。 1 09) r福日j 1928年8月25臼 。

11 0) r福日』 、 『九州日報JJ 1928年3月8日。 また細工町はその名称 を「細工町ユニオン ・ オブ ・ シ ョ ップス」 とし 、 ÐIJの入口にア ー チを建設する計画をたて ている。 �九州日報JJ 193 0年7月30日 。 11 1) w九州日報 j 1 9 28年1月19日。

「文化商店街出現」 ここでも鮮魚穀物などの売買は除外されてい る 。 『福日J 1 928年8月13日 。

11 2) r九州日報j 1 9 2 9年2月21日

11 3) r九州日報J 193 0年5月8日 、 1931年7月6日。

1 1 4 )吉田俗之「同業組合の形骸化と商店街組織の確立一昭和初期に おげる中小小売商問題と内国商業政策J ,社会科学〈同志社大学人 文科学研究所)35,1985,205-235頁を参照。 また商品の系認を分析 することで都市空間に迫る試みとして 、 友杉孝「商品の系譜ー イ ンド 、 スリランカそして日本の事例からの試み一 J ,(青木保 ・ 黒 田悦子編『儀礼 文化と形式的行動.1l t東京大学出版会,1 9 88) , 148-192頁が参考になる。

11 5) r福日j 1 9 23年3月6日 。

1 16) W九州日報JJ 1 9 24年9月13日。

1 1 7) W九州日報j 1 9 25年12月28日。

1 1 8 )東京市政調査研究会「各市に於げる百貨店と大百貨店の出張版 震J ,都市問題l'i, 1 932. 723-ït10頁。

1 1 g) w九州日報JJ 1 908年6月20日 、 7月9目 。

1 20) �福日.a 1 9 1 8年11月11日。

1 2 1) Ir福日J 1 924年6月20日 。 なお19 1 2 (明治45)年 、 県下各都市の 白米組合が 、 西部産業会議所に対して 、 路員組合の設置を防ぐた め現行法の改正を建議してい る 。 Ir九州日報JJ 1 9 1 2年4月15日。

1 22)このほか若松市の貝島商事が賂買組合を設置することへの反対

(17)

手動や久留米市のアサヒ足袋会社と鍾紡 、 ツチヤの三つの購買組 合に対して、京町廉売会から組 合員以外には販売しないように 民情がなされたり、市価と同じ値段で売買するように小売商人が 市勧業課や商工会議所に訴えていることが挙げられる 。 r福日J 1 924年6月18日、1930年9月3, 4日、 『九州、!日報JJ 1 93 1年i月15日。

1 23 )当時の入幡町の状況と購買会に関しては 、 山村良一 「明治後期

げる八幡町諸相 ウ ンしての変繁 l

福岡県地域史研究2,1983,31-63頁でも論じられている:] J , 124) r福日J 1905年7月1 6目。

125) r八幡商工会議所全史j ,1965,336頁。

126) r福日J 190 6年i月26目。

1 27) r福日J 190 6年i月30,31日、2月2日。

128) r福日J 190 7年12月14日。

129) r福日j 1 9 08年1月28日。ただし購買会の毎月取り扱い物資は 米 ?円。円、麦2000円など合計で25,6000円であり、記事では町へ の 影 訟 は少ないと指摘されている。

1 .3 0) r福日J 190 9年10月10目。

1 .3 1) r八幡高工会議所全史.H ,1965,351頁。

1.3 2) r門司新報J 1 922年8月5日。

1 3 .3) r門司新報j 1 920年7月18日。

1 3 4) r東洋タイムス.B 1 922年12月5目。

1 .3 5 )橋本保能利「本邦513失業労働事情概説〈七)J 社会政 策 時 報79

1927,101頁。この調査に関しては、加政祐治「製鉄大工場労働土 一橋本能保利の業績とその人を追ってーJ ,(江口英一編『日本長 会調査の水脈 J ,法律文化社,1990),240-260頁を参照。

1 .3 Û )例えば、1 9 25 (大正14 )年!月の同志会大会では 、 粗

品の取締

と も に購買会の売上が年間 1.3万円に上っていることが問題とさ れている。 �福日� 1 925年1月20日。

1 .3 7 )なお lPt&夫は製鉄所 が直接募集せず、 供給ZE負者 などが製鉄内?と ギ働者の問に介在していた。大正から昭和にかげでの人夫供給業 者は、波多 野組 、 Jfi原 組 、 岡田 沼 、 酒井組 、 久野組 、 門司組

上野組 があり、それぞれ 木 工専門、土工専門、金工専門などにみ 化していた。また市内には下訪労働者向げの「労働下宿」が多数

あり、阪夫を固い込みその組織化を妨げていた。橋本能保利「本 fr�裂銭業努働事情ねi説(三) J ,社会政策時報66,1926,142-152員・0

『八幡商工会議所会史.;J ,1965,289-290頁。

138) r福日j 1 926年6月9日。

1 .3 g) �福日j 1 925年5月28日。

14 0) r九州日報J 1 926年6月29目。

1 4 1) r福日J 1 927年3月25日。

111

(18)

1 4 2) r九州日報j 1 923年5月9目 。 また橋本哲哉「三池炭坑におげる

,三井金属修史論議3,1969, 4 9- 共愛組合ーその成立を中心に 一 」

87頁を参照。

143) r福日J 1 9 2 7年12月19日。

1 4 4 )この争議の詳細に関しては 、 新政東洋男『米騒動と大正13年の 三泡争議.lI ,福岡県歴史教育者協議会,1970,33-89頁。

1 4 5) r九州日報.lI 1 92 4 年2月17 , 1 9日 。 146) W九州日報� 1 92 4 年3月18日。

147) r九州日報.iJ 192 4 年6月8,10,14日。

1 4 8)村山霊忠「反産運動と三池共愛購買会」

1936, 4 18- 4 31頁。

1 4 9) rr九州日報J 1 924年6月20日 。 1 5 0) w福日j 1 92 4 年6月16日 。 1 5 1) r福日j 1 92 9年1 2月3日 。

,社会政策時報1 93

1 5 2) W福日.lI 1 93 0年3月2 1目 。 なお7500名に達する請負人夫が鱗富 組合を利用できない点について 、 誇負業者が採主格になり白

一三

働者家族を組合員として購買組合の組織する動きもある。

『千百日j 1 9 2 9年10月26日。

153 )前掲げの、 『福日J 1 933年5月30日 23日。

6月3, 4 , 6 , 7 , 9 , 11, 13, 1 4 , 15 4 )布Jf r弘 『神戸におげる都市 「下層紅会」 の形成と構造』 ,兵庫

部落問題研究所,1993,25 4 頁。

(19)

多再 3 主主主 蓄広 T行

はじめに

キ土 _,.D...

二Zコ'" 疋文 多夜 σ〉 居室Z 再訂

「防貧」と「戸公芭忍J

前章まで衛生問題と消費問題というこ点から、 都市空間が構造化 /再構造化される過程 、 また社会話階層がそれぞれの関係性におい て新たな規範のなかに「規律化」される過程を検討してきた 。

本章ではこうした検討を受げつつ 、 米騒動以後に本裕的に開始さ れた都市祉会政策の展開過程とそれが都市空間へ与えたインパクト を明らかにすることを課題とする 。

ところでアルチユセ ールが「国家のイデオロギー装置」 に関する 議論のなかで指摘しているように 、 社会事業をそれが果たす機能の 側面から考えるならば公一私の区別をすることは無意味である 。 例

えば 、 寺院や個人による慈善事業など私的な社会事業や企業内共済 組合が自治体や国家による社会事業に先んじ、 それを補完する役

を担っていたことは第2章でもみた通りである 。 しかしながら1 9 1 9 (大正8)年以後の都市祉会政策の本格化、 都市計画法 ・ 市街地建築 物法の制定という一連の事態は 、 都市空間を対象とした新しい「管 理型権力モデルJ 1)の出現として泡握される必要がある 。 この権力 モデルは公一夜、の区別を再編成し、 両者の間に新しい「雑極的なか たち」引を導入する点で、 国家と民衆の関係を規定しなおし、 諮階

層の関係づげが交錯する新たなI努を紋どることになる 。 さr�市空間全 体の管理を指向すると同時に「個別化」 を指向するという相反する 知/実践から構成されるこの力は、 すでに軍隊 、 学校や寄宿舎コ}、

工場といった限定された空間内では作用していたが、 それが都市空 間全体に拡散することになったのである 。

都市社会政策の主要な対象は 「都市下庖」 であったが 、 その理由 は「都市下層」 に対してシビルミニマムを保障することで社会不安 を緩和するとともにその「欲望」 を抑制することにあ ったと考えら れる 。 よって行政は人々の生活過程一再生産過程へその関心を集中 させることになった -1 )。 またそれが専ら都市行政によ って担われた ことは、 民衆生活への介入と国家負担の軽減が同時に達成されるこ とを意味しており 、 国家にとって二重に利益であった 。

113

(20)

第l節 初期段階の都市社会事業

福岡県が県下七市に対して社会事業調査委員の設置を求めた1920 (大正9)年中頃の時期から 、 各市は独自に社会事業のための調査を 開始している5V

しかし九州地方の各都市の社会事業は 「経費も僅少 、 内容も貧弱」

6 )といわれ 、 予算外の寄付金や皇室からの下賜金7 )にその資金を依 拠している場合が多く 、 その必要f生にもかかわらず六大都市から比 較して大きく遅れていたのが実状であった 。 例えば 、 1927 (昭和2) 年に視察をおこなった内務省社会局保護課課長富田愛次郎は 「北九 州の工業地帯は阪神方面とともに日本でも有数の工業地帯であるが 阪神方面に比して社会事業関係の施設が不十分であるのは遺憾であ る 。 … ・・・ 今後は政府は云ふに及ばず地方公共団体が積極的に社会事 業の施設を完備しなげればならない 。 J 8)と語っている 。 その結果、

市や県の事業よりも 「名望家」 や諸団体の寄付に依存する事業が依 然として目立っている 。

次に各都市ごとに個別の事業の展開についてみておきたい 9 ) 。 福岡市の場合に 、 本格的な社会事業は貴族院議員であった太田清 蔵〈四代)による太田家報徳会(寄付金50万円の活動が始まる1 92 0 (大 正9)年7月が端緒である 。 太田は安川敬一郎による明治専門学校(現 九州工業大学〉の設立に触発されて当初は徒弟学校の設立を計画し たが、 安川の助言により社会事業に転換した 。 この事業は県内でも

最初の本格的なもので 、 その内容は貧困者への食料給与、 学費補助、

医療などが中心であったが、 のちに貸家紹介、 中小企業への貸付事 業、 さらに193 0 (昭和5)年には福岡隣保館が博多の築港地区に建設 され 、 隣保事業などを含めたより総合的な事業へと発展した 。 なお

戦後太田清蔵の死によりこの事業は市ヘ無償で移管されている 10)。

市には1923 (大正1 2 )年になって社会課が創設され 、 厳谷社会諜主 任は大阪の公設市場や労働紹介所の視察をおこなっている11 )が 市の社会事業は予算不足のため皆無に近い状態であり 「開店休業」

と榔捻されているは〉。

若松市の場合に 、 1924 (大正13 )年に若松を代表する石炭業者であ った佐藤慶一郎13 )による財団法人若松救療会(寄付金1 0万円)が始 まったほか 、 市でも950 0円8 1銭(決算額〉の社会事業費が使用されて

(21)

いる。その内訳は救済費[貧困家族救済費と葬儀費]と社会改善事 業費〔社会改良費(勤倹奨励宣伝、衛生展覧会開催〉、地方改良費、

保育園費、1送業紹介所費]の二本立てになっている14)。また1 920 (大正9 )年には石炭商で議員であった吉田総吉が労働者住宅( ô畳i間

便所付〉を小石に建設したが、市街地からはずれていたため石炭仲 仕を集めることができず次第に空家が増えることになった。

心がらの合校与日乏が引合川る組学給付と→

1 hJ」I司 :百7れの位一寸を41

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伺われる15 )。

また同年には門司荒仲仕共済組合(のちに門司労働者共済会と改 名(堀川町木村清会長) )が仲仕雇用者の拠出金により組織された。

1 2月には門司港内の第一鉛溜に繋包した船上に綿貫組合、簡易食堂、

職業紹介所、荒仲仕喜子場の設備が作られており、日用品がi副5分か ら2割の安価で提供されている16 )。但しこの設置場所をめぐっては 門司市会が海岸の目貫通りに仲仕の集会所が出来ることに紫色を示 し二転三転した17 )。なおこれに続いて翌年2月には無料宿泊所が東

湊町に建設されている1 8 )。この共済会は桜井門司水上署長の箆喝 をうげたもので、統一位の低い「屋外労働者」を監視し、取締まる ことを目的としていた18 )。すでに1 9 2 0 (大正9 )年に橋本門司署長が 石炭仲仕及び労働者の組合を組織して労働者の救済と生沼改善をお こなう計画を述べており20)、組合及び共済会を設筒することによ

って労働者の笠祝・取締をおこなうことが以前から2525にとってひ とつの巴襟であったといえる。

それでは市当局による社会卒業はどうであったろうかコ労働者対 策として1造業紹介所、労働者の寄宿舎、簡易食堂の設置が急務であ るとされていたが、紙野庶務課長は、 「・・・門司市には従ヌ各種私営 の斡旋業者入口業者の存するあり。Jtの他税分子分関係の因祭的関 係の存するありて労f{lI者の峨業紹介寄宿制度等に至るi�元づf:民訴iに 運びつつあるを以て、今伎かに市の直営事業として該施訟を企画す るの要もなかる可く。又民間より右の事業を奪取し去るが如さは市 としては更にj茶店を妥す可き問題たる・・・J

2 1 )と語り、不介入の立

場を取っている。社会政策がこうした「因銭的関係」に介入し、労

115

(22)

働者の生活過程の保障を承認し同時により効率的な労務管理を目指 すべきものである点が理解されておらず、こうした諸施設の設置は 専門的知識を もっ 官 僚による調査を待 た ねばならなか っ た g

ところで19 2 1 (大正10 )年1 月 から門 司水上署が人事相談部そ新設 している。半年で14 1名の相談に応 じているが、 その内容は因窮者

救済(3 5件〉、 職業紹介(1 5 f牛)、 病 人の保護 (3件)などであり22) 人 事相談部という名称ではあるが 、 その内容から芙質的には数済事

であったといえる。

同 年4 月に同志社大学出身で元後浜市社会謀主任であった緒方健 年が社会事

設調査の専門 家として招持され、 仲仕の生活状態 や 分布 などの社会調査が開始されることで門司市でも本俗的な44令事 業の端緒が切られた23)。 緒方は第一に託児所と公設職業紹介

F苛ム

設置を取り上げたが、 職業紹介所の設置は口入屋の口銭がI人につ き1 ----3円という高い料金であった 2 4 )ことをそ の理由としてい る凸 この他の祉会調査としては、1 9 2 1 (大正10)年の舵船頭を対象;ごした 調査(社会諜の依頼により水上署が実施) 2 5)や1926 (大正15 )年の門

戸畑の水上生活者調査(県 が 祉会謀に依 該 ) .2 6 )など 、 従来まで

手が回 らなかっ た 水上生活者 に対して集中的にお こ なわれて る点が 自 につ く。 前者では世帯数(5 0 1戸)、 人口(144 2名/男92 2・

女510)と収入など生活状態、 労働運動に対する関心 、 出身地 、 就き三 状況が、 後者では世帯数(708戸 ) 、 人口(183 7名/男11 4 2 女595〉

就学

況(とくに5歳以上14歳以下の子供448名で就学中の者が63名 に過 ぎ なかっ た 点 )が、 れぞれ 報告されている 。

祉会謀の正式な設置時期は不明であるが、のちに勧業が物価調節 に 密接に関係 す こ と か ら勧業係 社会訴に編入されこと::! 7 )や 1 9 24 (大正13 )年 1 0月に 『門司社会事業概要Jが出版されてい ること

など、 次第にそのお充がみられる 。 また1� 2 2 (大正11)年に市長 、

会議長、港務部長、税関長らによって「門司陸上設備調査会jが設 立 され 、 現在の問題点や公問 、 公 会堂 、 図書館などの設備が校討

ことになってお り :; 8 )、 都市空間の再構造化へ向げて調査と実

践の両方で様 な毅j き があら われて いる 。

1 9 25 (大正14 )年の公私の施設として教化胞設(民力滋養 、 内鮮融

和、 勤倹奨励)、 保育胞設(託児所、 産院)、 日常生活路�(公 ・ 右往 市場、簡易食堂、版業紹介所、人事相談所)、 救 護 施設(公設会怒ら 支児救助)などが挙げられ 、 臼作社会諒長は今後の紅会事業施設

して住宅の供給 、 版業紹介所の拡張、 中央卸売市場の設置なとを字 げてい る:;8 )。 さらに紅会認や25察 、 労働共済会などによ って 「紅 会事業連合会」が結成され 、 さらに昭如初期にはこの辺合会が先

団体となって 「門司市社会事業協会」 の設立が計画されてい るコ(l )。

そこにおいては貧困者や病人の救淡と社会問題の研究 ・ 調査 、 祉会

(23)

事業諮演会などの啓蒙活動の両方を含んだより包括的な社会事業の 推進が目指された 。

ー また労働力再生産装置として重要な役割を果たす教育に関して 、 す通教育を受げられない「貧困」家庭の児童を対象とした「特別会 育」 が他 市に先んじて開始されている。19 1 1 (明治44)年度から門司 と小森江の尋常小学校、 1 9 1 3 (大正2)年度から錦町尋常小学校で「特

別教育」がおこなわれており、小森江校の場合(1 9 1 5年)に生徒の親 の臓業をみると、総員58名でそのうち石炭仲仕42名、戦工8名、日

産稼2名などであった 。 教育内容で注目されることは普通学校の生 徒 が 学 科目に加えて、 「作業」という科目が訟げられている点で ある ?

体的には人形の裂作や紙袋貼りであるが、 その白的は学校 という空間のなかに固い込み、 「働く」ことの意味と勤倹貯蓄の意

識を自然のうちに身につげさせることにあったという:< 1 ) 。 なお特 ー 別教育の対象となった児童の家庭の基準は明確ではなく、 戸籍のな

い者も多かったため教師が各地区をまわって勧 誘 している口\

戸畑町の場合に、 1 9 2 0 (大正9)年に臨時部で社会事業調査費が計 上されている33 )0 1921(大正10 )年には町会で社会事業施設問題に rk� "9る調査のため7名の委員が選出されれ) , 1922(大正1 1 )年には米 店主邸時に集った資金をもとにして託児所(明治町3丁目)が設置され

た 。 このほか市制施行に備えて社会事業調査委員が各地の視察をお こない、職業紹介所や無料宿泊所、簡易食堂などの設置が検討され

ており35 ), 1 9 2 6 (大正15)年に浅生町3丁目の市役所裏に職業紹介所

が開設されている 。

八崎市の場合に 、 1920 (大正9)年に庶務部主任が神戸 、 大阪 、 京 都の社会施設の調査をおこない 、 特に公 設食堂に関心を寄せた36)n

また同年1 1月に東京社会局社会事業委員会に 出席した八幡市役所

皮 務

課謀長渋川主事は 、 「当市の如ぐ労働者を以て成る郎会に於ては 労働者に生活の安定を与ゆ可き社 会施設をなす手段大主!?5にして第 一住宅の安全 、 共同浴場 、 版業紹介所の設置 、 市上お増設等にありて

況時の如く失業富市内に設溢せる今日版業紹介所訟笛のタ[fきは最大

急務なるを信ずJ 3 7 )と禿言しており 、 特に労働者対策を念頭にお いた社会政策が意識されている。しかしながら19 2 0 (大正9 )年に紅

会訴が新設され、翌年には各区衛生組長(約 J

5 0名)が祉会事業調査

委 員

の実行委員として任命 れてい る:1 Ð ) が 、 市による笑質的な

会事業 は 、 19 Z 5 (大正) 1 4年に皇太子成婚記念事業による託児所が労 働者の笑住地区であった前田治区に問所された:)8 ) 以外はほとんと 進展しなかった-40)。 ある新開記者は市営公園や公会堂がない入

市の状況を 、 歴代市長の部市経営の失敗としてとらえ都市行政の政

117

(24)

策立案/遂行穏力のなさを厳しく批判しているい)。

こうした実情を背景として社会事業をめぐる 「 言 説」が無産政管

動のひとつの焦点になる。 例えば、 1925 (大正1 4 )年に尾倉の入

忘 却

?

おこなわれた八幡無産政党組織準備会主催の市政問題市民士 会において次のような内容の演説がされている。 r 現在の

議 会

は只一部有

者の代表であって決して無産者の代表ではなく詣って 無産者の昧刀ではない。 今や八幡市はグレ ート八幡実現の過渡期ピ 当り各方面に亘りて社会施設の急務あるに拘らず此笠に喜も議

長 二

頭を用いないのは結局真に八崎市の禿展向上と市民

幸福と子高ー

とを忍はす只自己の利

の みに汲々たる からであって 全市民

ゐ 点 三

休戚を思ひ市の発展を計るは全市民の八割以上を占 めて居る裂低毘

?

級工人夫及び一般自由労働者等の所謂無産者の責任であり旦 J

税である ・・・ ・・・ J 4 2 )。

に市会議員選挙の際に九州民窓党が配付した推薦文には か 会施設の不 備がより具体的に指摘されている。 r

水は浴

J

L

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うだいだo �:f支は飛びほうだいではないか、 三喜瓦斯のタンサンガヲ

百分の二十五も含んでゐる程、 空気の濁った八幡市には、 一 本ぷ 信f路樹もなげれば、 樹木の茂た公園一つないではないか 我々 市停 にとって一番大切な浄水道の設備さへまだしていないとは

親切な ことだ。 労働者街であり乍ら公営の宿泊所も簡易食堂も

お ヲ

も康売市場もない。 労働者が暮しにくいのも当前だ。 完備した公

託児所

無料の幼稚園も児童健康相談所もない。 吾 々の子供手

:

てくれるのだ。

なる職業紹介所がない為に求服者はと

1三

百万してゐるか、 公設の炉、楽場も公会堂も、 簡易有力 な図書付手) ;:.::.

ぃ。 我々はどうして待伸を休め、 智識をみがげばい いんた

? ; し ん 三

ての大人口を有する八幡市の近代的都市としての値打ちはまるで

『セロJだ。 社会的施設に全然なってゐない日本一の労働

土 占

州ーの大人口を有する都市が、 今日の授な 『ミジメ』 な有

時 二 ム 二

? ?

旧市会議員の中に労働者の代表者がなか ったからだ。

市 ぷ 五

手 右に労働都市の経営者としての誠意がないからだ円

;日) ‘ 」

長い引用になったが、 様々な都市問題への認識が危方自

件:にu u

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一定以上の生活水準の保障要求として掲げられており、 その

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ある社 会事業が 支持獲得のた め に 積径的に利用 されてい るC

℃ ある。 そこでは生活のあらゆる 「空間」が悶争の契機を倍氏 し て いるといえる。

その後、 者手、産政党の市会進出によ って、 託児所。) ft{ ��や険業七日 (....

置 な

曲がりなりにも進展した。 州民慾

問であ

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彦はこの進展を 「市政の社会化J '\ .1) として評 価 して い

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-

この後、 八幡市の社会事業は1 9 J J (昭和8)年度予釘では祉会事

J

賓 が25 9180円で、 六 大都市に次ぐ規模に迭するまでに成長し

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