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2013 年 6 月号 NOTICIAS 国際協力機構アルゼンチン事務所 NOTICIAS 01 ボランティア便り 障がい者発達支援 en Fundación IPNA 藤沼久夫シニア海外ボランティア 02 日系社会便り ラプラタ ウルキーサ移住地に生きる日系の子供たち 鳥塚朋子日系社会青年ボランテ

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2013 年 6 月号

■NOTICIAS■ 国際協力機構アルゼンチン事務所 ■NOTICIAS■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 01 ボランティア便り 「障がい者発達支援 en Fundación IPNA」 藤沼久夫 シニア海外ボランティア 02日系社会便り 「ラプラタ・ウルキーサ移住地に生きる日系の子供たち 」 鳥塚朋子 日系社会青年ボランティア 03 文化コーナー 「アルゼンチンの自動車産業」 山本ファン・カルロス 次長 04 JICA 事務所の動き 藤沼久夫 シニア海外ボランティア 指導科目:障がい児指導(養護) 配属先:IPNA 財団 シニア海外ボランティアの活動は、自分に「より深く考える」ことが求められます。 私は、日本で障がい者と関わる仕事をしてきました。そして、その集大成をして「障がい者通所授産施 設」を設立しました。そんな経験が、現在の自分の活動を支えている訳ですが、前回のエクアドル、そし て特に今回のアルゼンチンでの障がい者の生活を見ていると「『障がい者が、障がい者らしく生きる』と は」ということを深く考えさせられます。 私の現在の活動場所は、IPNA 財団という障が い者支援を行っている NGO が経営する 2 つの施 設で、制度上は「重度の障がい者のデイケア施 設」です。この国の障がい者福祉制度では、軽 度者向けには、日本で言う所謂「作業所」や、 また「障がい者雇用促進法」もあり、制度上は 細 か く 整っ て い る よ うに 思 え ます 。 職 場は CABALLITO と CAÑUELAS の 2 か所にあり、どちら

障がい者発達支援 en Fundación IPNA

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も制度上は、デイケア、リハビリの活動を主体としていますが、これらの施設の利用者は、日本で言えば、 充分「作業所」で働け、僅かですが、給料をもらえる発達的力量をもっている方々です。 彼らの1日の活動は、実に「のんびり、ゆったり、楽しく」行われています。作業内容は、2 施設とも ほぼ同様で、「簡単な手作業」、「美術」、「調理」、「園芸」等の労働的活動であり、制度上、販売はできま せん。また、「音楽」、「体育」、「演劇」等の日々を楽しむ活動や「機能訓練」等、個々の障がい度に対応 した療育的活動で構成され、個々の能力に応じたグループが編成され、そのグループ毎に日替わりの活動 が行われています。 こうした中、自分の仕事は、見学期間を終え、今は「重度障がい者の発達支援」、「機能訓練」、「活動改 善報告」を主な職務としています。問題は活動の改善です。日本の障がい者福祉制度、実際の作業所での 活動の話をするものの、先方は、なかなか「ピンとこない」のです。 日本では、障がい者の親は、「親亡き後の我が子の生活」を一番心配しています。そのため、親が元気 な内に、我が子のために「働く場として作業所」、「生活の場としてグループホーム」の整備を行ってきた 歴史があります。 前任地のエクアドルやここアルゼンチンでもそうですが、この話を保護者にすると「そのとおりです。」 と答えるものの、実感が尐ないように思われます。「お国柄の違い」と言ってしまえばそれまでですが、 彼らに「なんとかなるだろう」との思いがあるのは事実です。 自分は日本で設立した施設の理念として「今 を楽しく 60%、将来に向けて 40%」と考えて いました。これが、南米の現実を前にして大き く揺らいできています。本来的に知的障がいが あれば、「自分の将来」をリアルに考えること に制限があります。子供は、自分の将来のため にその日を生きていない、その日その日を楽し んで生きている。これは、事実であり、真実で す。 今日における日本の障がい児・者の教育・福 祉では「将来に向けて」を強いる傾向があります。「働いて、給料を稼いで、納税する。」多分に「その日 を充分楽しむ」ことは、補足的な目標になりつつあります。「自分の将来に向けて」、これは大切な命題で す。 しかし、「障がい者が障がい者らしく生きる。」とは? 明日も配属先であるIPNA財団の施設に行き、施設の楽しい仲間たちとマテ茶を飲みながら、この問題を 考えたいと思います。 「彼らが彼ららしく生きる。」とは、を。 鳥塚朋子 日系社会青年ボランティア(短期) 指導科目:日本語学校教師 配属先:ラプラタ日本人会 今年の 3 月に日系社会の日本語学校教師としてラプラタ日本人会に配属され、ラプラタ日本語学校で日 系人の児童に日本語を教えています。

ラプラタ・ウルキーサ移住地に生きる日系の子供たち

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ラプラタ市には 5 つの日本人会があります。配属先のラプラタ日本人会は、ラプラタ市の中心からバス で約 1 時間のウルキーサ移住地にあります。そこに日本語学校と大きな運動場があります。学校の周りは 野菜畑や花畑が広がっており、自然豊かな所です。ウルキーサ移住地に住む多くの日系人は花卉栽培を営 まれています。 私が活動しているラプラタ日本語学校は、1992 年に 5 つ の日本語学校が統合されてできた学校です。生徒は小学 1 年 生から大学生までの 88 名で、クラスは 12 クラスあります。 ほとんどが日系の子供たちですが、日本語が好きな非日系の 子供たちも尐人数ですが、勉強に来ています。授業は火・木・ 土曜日の週 3 回。平日は小学生だけですが、スペイン語学校 (※ラプラタ日本語学校では日本語学校に対して普段通って いる学校をこう呼んでいます。)の授業に合わせて、午前に 来る子と午後に来る子がいるので、午前と午後の 2 回授業を します。土曜日は、平日に来る子と土曜日だけに来る子が一 緒になって同じ教室で勉強するので、人数も多く、一番にぎ やかな 1 日になります。ラプラタの日系人の家庭内では日本 語の使用率が高いため、ある程度子供たちも日本語が話せま す。しかし、中にはアルゼンチン生まれでも母語が日本語に なったために、スペイン語学校に入学してスペイン語に苦労 している子もいるようです。 私がこの学校に初めて訪れた日に子供たちが歓迎会を開 いてくれました。全員が恥ずかしがりながらも日本語で自己 紹介をしてくれました。その時に「わたしの好きな食べ物は ごはんとふりかけです。」「ぼくの好きな食べ物は納豆です。」 という子がいて、「日系の子供だなぁ。」となんだか微笑ま しくなりました。普段からも小さな子がふと「ありゃま」と 言ったり、日記に「○○が好かんです。」のように方言が出 てきたりと、とても面白いです。これは普段からおじいちゃ んやおばあちゃんと話しているからだそうです。因みにアル ゼンチンは沖縄の出身の日系人が多いですが、ラプラタは高 知出身の方が多いです。 ラプラタ校は、日本語を教えるだけではなく、日本文化の勉強や日本の学校の習慣を取り入れています。 学校は 8 時半からで、まず集会から始まります。この時にラジオ体操もします。私は以前、日本の日本語 学校で教えていた時に、外国人の生徒とラジオ体操をしましたが、このラジオ体操というのは外国人にと ってはとても不思議なもののようで、みんな大笑いでした。しかし、ラプラタ校の子供たちにとっては、 学校に来たらいつもすることなので、日本の子供と同じように普通にやっています。集会は午後の部でも 行われるので、1 日 2 回のラジオ体操は、運動不足で体がカチカチになっている私にはいいストレッチに なっています。

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授業は 3 時間目まであり、日本の国語の教科書を使った日 本語の勉強のほかに、図画工作や音楽の時間もあります。さ らに、土曜日には、「自分たちの使った教室は、自分たちで きれいにする。」ということで掃除の時間も設けられていま す。好きな所から好きなようにほうきで掃いて、雑巾で床を びしょびしょにしてしまう子供たちに、効率よく、きれいに 掃除ができるよう、「ほうきは隅から!後ろから前に掃く!」 「雑巾はしっかり絞る!」などと私は、毎週、叫んでいます。 ラプラタ市は、4 月の初めに集中豪雤で死者が出るほどの大洪水になり、ラプラタ校の 2 名の児童の家 や父兄の職場も浸水の被害に遭われました。それを知った他の子供たちも心を痛め、6 年生がその子たち のためにできることはないかと自ら進んで衣類などを集め、寄付していました。いつもはにぎやか過ぎて 子供たちをまとめるのに苦労している現地の教師たちも、この時ばかりは、子供たちの優しさに涙なくし て見られませんでした。 ラプラタ日本人会は、今年ちょうど創立 50 周年を迎えました。ラプラタの日系社会は、今まで困難が あっても、代々この子供たちのように互いに助け合って結束力の強い日系社会を築いてこられたのだろう と思います。私は今回短期派遣なので、任期はあと 6 ヶ月しかありません。6 ヶ月でできることは尐ない でしょうが、子供たちの日本語力が尐しでも上がるよう、明るく元気に授業を進めたいと思います。私は 12 月で任期が終わりますが、毎年 1 月にはラプラタ校の運動場で盛大な盆踊り大会が開かれます。日本 食の屋台もたくさん出ますので、皆さんも是非一度ウルキーサ移住地、ラプラタ日本語学校に遊びに来て 下さい。 山本ファン・カルロス 次長 【歴史】 アルゼンチンにおける自動車産業は、60 年以上の歴史を誇り、当国の政治・経済事情の変動による影 響を受けながらも、当国の製造業分野をけん引する基幹産業の一つとして発展してきた産業です。因みに 2012 年においては、アルゼンチンは、自動車生産台数ベースで世界第 20 位、中南米地域第 3 位でした。 自動車の国産は、1950 年代初頭、国営自動車工場の設置や外資系企業の進出により、第一次ペロン政 権時代に始まりました。その後、自動車生産が本格化したのは、1959 年、フロンディシ政権下での輸入 代替工業化政策の一環として、「保護貿易」をベースに投資促進法や工業振興法が整備され、一連の施策 が講じられてからです。この輸入代替工業化は、1976 年に軍事政権下で新自由主義改革が推進されるま で続きました。 1982-90 年、民主政権の復帰とともに「保護貿易」が復活し、90 年代には、徹底した経済の自由化を軸 とした第二次新自由式改革が推進されましたが、この際、自動車産業は、除外されていました。 1995 年に「関税同盟」としてメルコスール(南米南部共同市場)が発足して以降は、ア国の自動車産 業を保護する「自動車協定」が定められたこともあり、ア国の自動車産業は、90 年代後半に亘って大き く成長しました。しかし、2001/2 年の経済危機の影響を受け、一旦大きく落ち込み、その後、再度著し

アルゼンチンにおける自動車産業

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い回復傾向を示しています。 自動車の生産台数の推移は、以下のとおりで 53 年間に亘る当国社会の変動を物語っています。 1959 年:32,952 台、1965 年:194,539 台、1975 年:249,036 台 1985 年:137,675 台、1990 年:99,639 台、1995 年:262,401 台 1998 年:457,956 台、2000 年:339,246 台、2003 年:169,621 台 2006 年:432,191 台、2011 年:828,711 台、2012 年:764,495 台 2003 年(169、621 台)から 2012 年(764,495 台)までの 10 年間で生産台数は、388%の伸びを示して おり、2012 年末現在、自動車産業は約 16 万人の雇用を創出しており、その内訳は、自動車メーカー約 3.4 万人、自動車部品メーカー約 6.6 万人、販売代理店 6 万人となっています。 【今日の自動車産業】

アルゼンチンにおいて自動車を生産しているメーカーは、Fiat、 Ford、General Motors、Honda、Iveco、 Mercedes Benz、PSA Peugeot Citroën、Renault、Scania、Toyota と Volkswagen の外資系 11 社の現地法 人であり、2012 年における生産台数では、PSA Peugeot Citroën(17.5%)、General Motors(16.8%)が 高いシェアを示しています。

2012 年における国産車 76.4 万台のうち、54%が輸出されており(うち 80%以上がブラジル向け)、また、 国内での販売台数 約 83 万台のうち 57.7%が輸入車、42.3%が国産車です。また、国内の販売台数では、 Volkswagen(19.8%)と General Motors(16.1%)が最も高いシェアを占めています。

また、メルコスールの枠組みでブラジルとの間で企業内の分業体制を敷いているケースが多く、コンパ クト・カー等、価格が低く、大量生産されている車種はブラジルで生産され、高付加価値、尐量生産、輸 出指向車種(中型車、ピックアップ、商業車の専用車種等)をアルゼンチンで生産するというのが通常の パターンのようです。 2012 年の自動車・自動車部品分野における貿易収支は、6,876 百万ドルの赤字(輸入総額:17,362 百 万ドル、輸出総額:10,485 百万ドル)を計上しました。自動車部門では 1,500 百万ドルの黒字を示して いますが、部品部門では、8,315 百万ドルの赤字となっています。 これに象徴されるように当国の自動車産業が抱えている最大の課題は、輸入部品への高い依存度であ り、部品の約 70%が輸入部品であることから、政府は、これらの国産化率の拡大に向けた一連の優遇措置 を講じています。 政府は、自動車産業の製造業部門に占める比重、貿易収支における影響、潜在力のある国内市場の存在、 他部門への技術革新等の伝達能力等を踏まえ、当国製造業における優先部門として位置付け、「工業戦略 計画 2020 年」において、2020 年までに、生産台数 190 万台(部品の国産化率 60%)、雇用創出 23 万人、 貿易黒字 8,240 百万ドル(部品 640 百万ドル、完成車 7,600 百万ドル)を主要数値目標として掲げていま す。 アルゼンチンにおける自動車部品部門は、約400社のメーカー(雇用創出:約6万人以上、工業分野の雇 用人口の5.5%、工業GDPの8.4%(GDPの1.4%)に相当)によって構成されていますが、このうち、約150 社のみが品質認証を得ており、自動車メーカーのダイレクト・サプライヤーの資格を持つ企業であると言 われています。他の企業は、それらダイレクト・サプライヤーの下請け、或いは、補充部品市場(アフタ ー・マーケット)に供給している小規模企業(従業員数:50人以下)です。また、殆どが外資系であるア ッシー部品製造企業を除き、部品産業の企業の大半が国内資本系の中小企業です。

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【我が国の自動車メーカーの進出】 アルゼンチンに進出している日本の自動車メーカーは、1997 年に生産を開始したトヨタ自動車と 2011 年に生産を開始した本田技研工業です。アルゼンチンの自動車産業は、2011 年に史上最大の生産台数(約 83 万台)を記録した後、2012 年には、世界金融危機等の影響を受け、生産台数(約 76 万台)が 7.8%程 度減尐しましたが、トヨタ(+36%:約 6.9 万台→約 9.4 万台)と生産を開始して間もない本田(+820%: 約 900 台→約 8.1 千台)は、前年に比べて生産台数を伸ばした唯一のメーカーでした。 トヨタが生産しているピックアップ・トラックのハイラックスは、7 年間連続、国内のピックアップ・ トラックの市場を支配しており、2012 年におけるマーケット・シェアは 36.4%でした。トヨタの国内販売 台数は、2012 年、36%伸び、約 4.9 万台(ブラジルから輸入しているカローラを含む)に達しており、ま た、輸出台数も 35%伸び、約 6.3 万台以上に達しています。

また、JICA の帰国研修員でもある Maria PASCUAL カトリック大学教授は、同人の著書の中でトヨタの 進出は、製品の品質や生産効率の向上に結び付く部品メーカーとのより長期的な関係構築など、アルゼン チンの自動車業界ではこれまで見られなかった多くの現象をもたらしたとする見解を述べています。 6 月 3~28 日: 第三国研修「南米地域人獣共通感染症の予防と制圧対策コース」実施 6 月 24 日: 平成 24 年度第 4 回短期シニア海外ボランティア 1 名着任 シニア海外ボランティア 1 名離任 平成 25 年 6 月-125 号 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 過去のメールマガジンは下記のサイトをご覧下さい。 http://www.jica.go.jp/argentine/office/others/magazine/index.html 西語版のメールマガジンは下記のサイトをご覧下さい。 http://www.jica.org.ar/sitio-nuevo-syswarp/index.php?option=com_content&view=section&lay out=blog&id=15&Itemid=64 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ JICA アルゼンチン事務所では、皆様のご意見、ご要望、記事の投稿をお待ちしております。以下のア ドレスにお送りください。 ag_oso_rep@jica.go.jp 登録内容の変更、配信停止についても、同アドレスにお願いいたします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 国際協力機構(JICA) アルゼンチン事務所

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Tel 54-11-4313-8901 Fax 54-11-4313-5778

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