15
微視 の権 力 としての学校
19
世紀 イギ リス教育史研究 そ の 2 の 2 ( 1 )
上 野 耕三郎
「この権力形式 は, 個人 を類別す る日常生活 に直接関わ り,個人 の類別性 を刻印 し,アイ デンティティを与 え, 自分 にもまた他人 か ら もそれ と認 められなければならない真理の法 を強いる。 それは個人 を主体 に変ず る権力形 式である
。(2)」Ⅰ‑ 1 伝染言説 と隔離政策
1830
年代 以 降次第 に勢 い を増 して きた民衆 教育 推 進論 は,市民社 会 をその 土 台 か ら揺 るが して い る (と当時 の人 々が捉 えた)社 会 問題 た る犯 罪 ,貧 困, 病 気 な どと対 で語 られ るのが常 で あ った。 いわ ゆ る <道徳 環境 論 >で あ る
。この枠組 み の な か で,<道 徳 >教 育 は あた か もあ りとあ らゆ る問題 を解 消 し て くれ る万 能薬 か の よ うに喧伝 され ていた( 3 ) 。 この時期 その著 作 が教 育界 の バ イ ブル的存 在 にな った ス トウが言 うよ うに, 「 道徳 教 育
(moraltraining)は‑‑‑社 会 の道徳 的改善 の た めの最 も高価 で もあ り, 最 も効 率 的 で もあ るエ 0 0 00 0 00 00 0 ( )00 0 000 00 00 0 0 0 ンジ ンで あ る。一一 ‑犯罪 と貧窮 の最 も強力 な防止 策 ,徳 と幸 せ の最 も強力 な
000 00 0 00 0 0 00 0 00 000 0 0 00 0 00 0
0促進 者, そ して国家 の統 治 のた め の最 も経 済 的 な促進 者 で あ る
。(4)」それ ゆ え
(1 )本論文 は拙稿 「 「 道徳」学校 の誕生‑ ヴィク トリア朝英国の民衆学校 の構造」,
『 近代教育 の史的展開』所収,紫峰図書 を大幅 に加筆修正 した ものである。
(2)M.
フー コー,渥海和久訳 「 主体 と権力
」『 思想
』1984年
4月号,2
38頁。
(3
)この点 については拙稿 「イデオ ロギー としての, あ るいは言説 としての<教 育 >をめ ぐって‑
19世紀 イギ リス教育史研究‑ 」小樽商科大学 『 人文研究』
第
83,84韓,1
992を参照 されたい。
(4)DavidStow,SupplementtoMoralTym'm .
n
gandtheTrainingSystem・・・‑,ス トウは自 らのシステム を「 道徳 マ シン
(MoralMachine)(5)」と名づ けている。
<道徳環境論 > とい う言説がかたちづ くられ,人々 を惹 きつ け, ある方向
‑ と収赦 させ てい く過程 で祝 えて きたの は,労働者貧民 の子 どもたちはすで にある環境 の もとで育 って きて しまってい る とい う事実であった。 その よう な教育環境 の存在 を人々 の眼 に晒すのに資 した ものは, この時代 に華々 し く 展開 された統治 のメカニズムの一翼 を担 った各種 の調査報告書 であった。
この過程 の詳細 な検討 は後 に譲 るに して も,次 の ような ものの言 い方が支配的 であった。
「 学校 へ通 って くる子 どもた ちの精神 と習慣 に対 す る週 日制学校教師 の 0000000000000000 000000000000 影響 は,親や近隣の人々の悪 い実例 によって, そ して子 どもたちが住 んで
000000000000000000000000000000000 い る街路 や路地 で彼 らがつ きあってい る仲間の好 まし くない影響 によって
00000
0挫 かれてい る
。(6)」「 幸 いな ことに,ほ とん どの子 どもは施設 に収容 された ときには幼 い年齢
●● ●●●●●●●●●●●●●
で あった。彼 らは放縦 の光景, 自堕落 な男女 の習慣 や ことばに慣 れ親 しん
●● ●●● ●● ●●●■●●
でお り,不潔,無秩序 そ して暴力 に慣 れて しまってい るし,宗教 的戒律 を
●●● ●●
無視 してお り, そ して彼 らは積極的 な悪徳 をお こな う環境 で育 って きてい る。幼 い年齢 で収容 されないか ぎ り,不純 な ものを洗 い清 め,彼 らに幸せ をもた らす原則や習慣 を身 につ けさせ,子 どもたち を この世界 に もどそう とす るすべての試 みは妨 げ られ, その窮境 をほ とん ど乗 りこえることがで きな くさせ るで あろう
。(7)」だか ら<道徳環境論 > とい う枠組 みの もとで は,問題 を 「白紙」で 「 無垢」
1839(rep.1971),p.12.
(5)DavidStow,TheT71ainingSystem
‑‑ ,p . i v.
(6)MCCE,1839‑40,p.75.
(7)MCCE,1842‑43,p.612.
微視の権力としての学校
17な状 態 の子 どもたち を, どの よ うに教育 す るか とい う方向で は もはや考 える ことはで きなか った。 「 世俗 的教授 そ して遺徳 的お よび実業
(industrial )教育
●● ●
の 目標 は, ‑‑子 どもた ちの気質
(dis
positions)にすで に与 えられてい る悪
●●●
い傾 向 を挫 くこ と( 8 ) 」にあった。子 どもたちの今 あるような <育 ち >の態様 を いか に して中産 階級 の線 に沿 って変換 してい くか,労働者 階級 の時間 ・空 間 的 な網状 の <育 ち >形態 をいか に変換 してい くか とい うかた ちで, それ は捷 起 され る ことになった( 9 ) 。もう少 し正確 に言 うな らば,中産 階級 の戦 略 は二 つ の方 向性 を もっていた。一方で は,労働者 階級 の <育 ち>形態 を生 み出す <生 活圏 >その もの を解体 させ てい くような試 みであ る。もうひ とつの方向性 は, 労働者貧民 の子 どもた ち をその <生活 圏 >か ら引 き離 し,大人 へ と育 ってい
く世代 的再生産過程 か ら隔離 し, きわ めて入念 に練 りあげ られた人工 的空間 で育 て る教育 的試 みで あ る。
「 幼児学校 で は,子 どもはその親 が住 んでい る街路 の汚染 された影響 か ら 引 き離 され る。子 どもは町 を うろついて不浄や悪 と結 びつ くことは もはや ない。とい うの も,子 どもの激情 は抑 え られず にほった らか しにされ る と,
日々力 を増 し,ね じ曲げ られ るか らであ る
。(10)」「 子 どもた ち を家庭 の影響 か らあ ま りに遠 ざけ,子 どもとその親 との 自然 な関係 を遮 断 して しまうとい うのが,貧民階層 のた めの初等教育, とくに 幼児学校 で与 えられ る教育 に反対 す る一般 的理 由であ ります。 たいへ ん蹟 槽 してで はあ りますが, 閣下 に対 して次 の ような私 の意見 を述 べ させ てい ただ きます。現行 の状況 の も とで は,現在 の ところ,子 どもと親 との間の この隔離 は絶対 に必 要 とまで はいか ない まで も,大多数 の家族 で は子 ども
(8))bid.,p.612.
(9
)あえて「 教育」ということばを避 けたのは,この期の労働者階級の教育 は依然 と して生活総体‑一 丁家庭,仕事場など‑ に拠っていたからである。この張 りめぐら された網状の<育ち>形態を根 っこにして, 労働者階級文化は形成 されていた。
(10)JamesPhillipsKay,TheTrainingofPauper‑Children,1839(rep.1970),p.26.
た ちに とって利 益が多 い ものです。子 どもた ちは親 をその模範 とすべ きで はあ りませ ん。 たいへ ん重要 な ことは,家庭 で父親 と母親 の両者 の無知 や 悪徳が子 どもた ち に絶 え間 な くそ して具体 的 に もた らす以外 の,他 の観 点 や動機 を持 つべ き ことです
。(ll)」Ⅰ‑ 2
知 的教 授
この人工 的隔離教育 空 間 としての民衆 学校 は時代 の救世 主 的存 在 で あっ た。 いったい民衆学校 は どの ような特徴 を もち, どの ように構造化 され る こ とが めざされたのだ ろうか。 この こ とを明 らか にす るた めには,少 し時代 を 遡 らなけれ ばな らない。
<理解 >の強調
19世紀初 頭 に はベ ル ‑ラ ンカス ター方式 ともよばれ る モニ トリアル ・システムが登場 して きた ことは,教育史上 の常識 となってい る。それ は 3R' Sの教授 を媒介 として行動原則 ,有用 な習慣 を子 どもた ちに内 面化 す る こ とを企 図 した もので\ ある
。だがモニ トリアル ・システム に対 す る 熱狂 とは裏腹 に, それがマニ ュアル通 りの成果 を上 げたか どうか は きわ めて 疑 問で あ る。実際 その システム は
1830年代 にな る と,一方で はケイ をはじめ とす るイデオ ロー グ によって斥 け られてい く
(12)。 モニ トリアル ・システムが 破綻 してい くその過程 で噴 き出 した批判 は, それが あ ま りに 「 機械 的」 であ る とい うことで あ ろ う。モニ ター は道徳教育 をす る資格 が ない し,「 教育 は単 に機械 的
(mechanical )な ものか らなってい るようにみ える
。‑‑子 どもの
(ll)MCCE,1846,Vol
. i
,pA43.(12)
「 一方では」 とあえて ことわったのは,モニ トリアル ・システムを葬 り去った のはペスタロツチ主義 を掲げたイデオロ十グだけではな く,モニ トリアル・シス テムの受け手たる労働者貧民で もあったか らである。モニ トリアル・システムを その受 け手がそのまま受容 していたのではな く,そのシステム と受け手 との間に は絶 え間ない衝突があった。た とえば,小規模 な労働者階級私営学校ではことご とくそのシステムは斥 けられていた。あるいは,それを採用 していた学校では, それをめ ぐって争いがなされていたの もまた事実である
。(See,̀Schoolsforthe IndustrialClasses',inCentyd SocietyofEducation,secondseries,1838(rep.1968).)
微視 の権 力 としての学校
19理解力へ と到達 す るために, なん らかの説 明 をす る とい うような教 師 の時間 が まった くな い。 ( 1 3 ) 」 だ か らそれ は 「た た き こみ
(knock‑in)」「 詰 め込 み
(cramming)」「暗記 システム
(rotesystem)( 1 4 ) 」 と酷評 され る ことにな る
。その システム は有用 な習慣 を内面化 した <従順 な る肉体 > (フー コー) を生 み出す ことに し くじ り,統治の術 として失格 の格 印 を押 された。 こうして, この時期 の教育政策 を担 った枢 密院教育委員会 の覚書 あ るい は勅任祝学官報 告書 のなかで も, モニ トリアル ・システム は職烈 な批判 に晒 され,次第 にそ の退路 を断たれてい く
。子 どもた ちの頭 を聖書 の切れ切 れの こ とばで満 たす ことに堕 して しまった モニ トリアル ・システム に対 す る批半掴ま,大 き く分 ける と二 つの側面 に向 け られてい る
。ひ とつ は子 どもの <理解力 >へ の考慮 が な されていない こ と。
もうひ とつ 埠学校 の <規律 >あ るいは子 どもの <道徳 >形成 に関す る ことに 収赦 す る。 この陸路 を切 り拓 くべ く,「 教授 で はな く教育 を . ′」 との叫 びが
1830
年代以 降 あふれで,時代 を圧倒 す る支配的潮流 とな ってい く
。子 どもた ちの心の奥底 に錘鉛 をたれ,子 どもた ち を衝 き動 かす <気質や性格 >へ と, 教育 エネル ギーのベ ク トル を向 ける新 た な方法 の案 出で ある
。まず は<理解力 >に関連 す る ことか らみてい くことにす る
。ス トウは次 の ように表現 してい る。
00
「キ リス トの救済,福音 のすべ ての恩寵 と徳 についての知識 は理解 を通過 しな けれ ばな らない。 す なわ ち, い ままで子 どもたちが そ うい うこ とを う
●●●●●●●●
けた経験 もない,親 あ るい は教 師 による説 明 あ るい は描写 (
picturingout)を通 じてで あ る。彼 らが知 りもしない し,理解 で きもしない真理 に よって, その情 と動機 が いか に影響 を受 けようか
。(15)」( 13)R
Qort1835,#%,
Q1324.(14)DavidStow,TheTym'ningSystem‑‑,p.10.
(15)Zbid.,p.26
1
.「ことばによる描写
(picturingoutinwords)」については後 に
●● ●
「 本 は子 どもの心 に惨 み込 ませ るべ き内容 を伝 えてい るが,その内容 を伝
●●●●
える様 式 は教育者 の主要 な留意点で あ る。す なわち, もの を伝 える力 な く して はベ ー コンの知識 も子 どもの役 には立 た ないか らであ る
。(16)」モニ トリアル ・システムの破綻 , その過程 で噴 きだ した批判, そ して その 克服 の道 は,「 理解」 とい うキー ・ワー ドへ と収赦 す る。 だが それだ けで は不 充分 であった。理解 が他力 的 あ るい は表層的 な もので あって はい けない。子
どもはその内部 の よ り深 い ところか ら知識 を求 めな けれ ばな らない。
「 子 どもの教育 は強制 や抑圧 に よるので はな く,勤勉 そ して知識 へ の愛 で もって子 どもを鼓舞 すべ きで あ る
。(17)」000
「 知識 の上部構造 のた めの唯一確 か な基礎 は知識愛 で ある。あなたが これ を子 どもの心 に植 えるつ けるまで は,子 どもの気質 とあいいれ ない教育過 程 で効 果 をあげ ようとす る試 み は,失敗 に終 わ るで あ ろ う
。(18)」「 子 どもにわか らない よ うな こ と, あ るい は矛 盾 す るよ うな こと, した が って彼 らの理解力 に逆 らうような ことを,子 どもた ちに暗記 させ る こと か ら子 どもの教育 を始 め る ことは,道徳感覚
(themoralsense)に有害 で●●
■あ る
。道徳感覚 は,教育 の あ らゆ る過程 において,子 どもに真理愛
(alove oftruth)を感 じさせ る ことによって,成功裡 に陶冶す るこ とがで きる
。(19)」「 真理愛
」「 知識愛」 な どと呼 ばれ る ものが強調 され る所以 で ある
。そ もそ も知識 それ 自体 は望 ましい行 動 を即 座 に生 みだす とい う保 証 は ど こに もな い。 だか ら「い まや人 々 の心 は次 の ような真理 を悟 り始 めてい る
。す なわち,
説明する。
(16)DavidStow,Supplementto
‑・ ・
・,p.13. See,Zbid.,p.23.(17)JamesPhillipsKay,TheTym'ning・・・・・・,p.14.
(18)Jelinger
C
.Symons,TacticsfortheTimes・・ ・ ・ ・
・,pp.195‑196.( 1 9)MCCE
,1840141,p.37.微 視 の権 力 としての学校
21知識 は徳 で はない。子 どもが義務 の要蹄 を記憶 す るようにさせ られ るだ けで は充分 で はない。彼 は心情 を通 して教育
(train)され な けれ ばな らない, そ して彼 の良心が それ を遵守 す るように命 じな けれ ばな らない
。(20)」とすれ ば, 知識 の教育 は常 に<道徳 > と対 の関係 にあ り,そ こに収赦 す る ものであ った。
新 しい方法 は子 どもたちの心 の襲 にまで分 け入 って,教 師の眼や手 を ( そ れ を教師 の心 と言 い換 えた として もあなが ち まちが いで はない)子 どもの心 の隅々 にまで届 くようにす る もので ある
。モニ トリアル ・システムか らの こ の ような転換 が,新 た な子 ども観 による ものか, あ るい は新 た な統治 の技術
こそが新 た な子 ども観 を生 みだ した のか は,ここで は論 じる ことはで きない。
しか し,モニ トリアル ・システムが現実 に もそ して理論 的 に も破綻 す るなか で,子 どもへ の まな ざ しが子 どもの内部 に まで入 り込 んで きたの は確 かであ
る
。「その よ うな方法 は,子 どもた ちのなか に推理力
(reasoningpower)が まだ成熟 していない ことを認 めてい るが,推理能力
(reasoningfaculty)000( ) に従属 して用 い られ る とき, その記憶 が最 も成功裡 に陶冶 され る理性 的存
(
)
荏
(arationalcreature)を認 めてい る
。(21)」「国民協会系 の教師 は,たいへ ん うま く運 営 されてい る幼児学校 でのギ ャ レ リー ・レ ッス ンの実際 を観 察 す る ことで, か な りな利益 を得 るで あ ろ う。
彼 らは ここで次 の ことを学ぶで あ ろう
。子 どもたち は不完全 に組 み立 て ら 000
0OO00O00OO0OO
れた機械 とい うので はな く,知 的 なそ して理非 の分別 が あ る主体 として取 り扱われ, こ とばを繰 り返 す よ りも説 明 に もっ と関心 を払 うようにさせ ら れ てい る
。(22)」(20)JacobAbbott(revisedbyCharlesMayo),TheTeacher:orMwalInjluence employedintheinstructionoftheyoung,1834,p.vi.
この序文 はメ‑ヨーの手に よる。
(21)MCCE,1840‑41,p.37.
(22)MCCE,1846,Vol
. i
,p:271 .
「内外学校協会 の学校 がその 目的 を遂 げるのは, 権威への尊敬 による もの で もない し,服従 の習慣 によるので もない。単 な る権威 が強制 す る多 くの 訓練 が あるが, その ような規律 の もとでは,知的改善 は遅々 とした もので
0く )000
あろうし,気質や性格への影響 ははっき りしない とい うよ りはいっそ うひ どい ものであろう
。健康 的な子 どもに とっては, 精神 の活動 は肉体 の活動 よ りも自然で ある
。自由な 自発的な動 きによって手足 と筋 肉は,痛 みを伴わ ないばか りか,莱 し く強化 され る。精神 について も同様 である。
(23)」「 第一 の原則 は,教授 は多量 の事実や概念 を子 どもたちの記憶 に詰 め込 む ことと同 じで はない, とい うことであ る
。それ はそのほかの精神 的力 をめ ざすべ きである
。その ことによってそれ は鼓舞 され,発達 させ られ,行使 されそ して培 われ る
。それ は激情 を洗練 し,和 らげ,宗教 的,道徳 的感情 を育 て,精神 的活動 を良 き目的 に向かわせ る
。この 目的 は教授 の一般的 プ 000( )00000000( ) ランに従 うことでは到達で きない し,各々の子 どもの個性 を見失 うべ きで
000
はない ことは明 らかである
。教授 は したが って手仕事で あることをやめる し,画一的な方法で少数の単純 なルール に したが って, なされ ることをや 0000OO00000 め る
。それ は芸術 とな り,拡大す る知識 と良識 と人間性 についての深 い洞
⊂ )
察 とが むすびついた ものが,教育 を成功裡 になすためには必要であ り,た いへんむずか しい芸術 と呼 んで も差 し支 えない
。(24)」実物教授 こうして登場 したのが, しばしばペ スタロッテの名 を冠 して語
●●●●●●●●●●●●●●●●
られ る方法 であった。1
830年代 には「 理解 の訓練が言葉 の記憶 に先行 す る( 2 5 ) 」 を合 い ことばに して,感覚 を重視 した実物教授
(objectlesson)が もてはや(23)MCCE,1846,V
o
l.
2,p.52.(24)̀On theFormerand PresentCondition oftheElementary Schoolsin Prussia',inCentylalSocietyofEducation,firstseries,1837(rep.1968),p150.
(25)DavidStow,TheTym'ningSystem
・ ・ ・ ・ ・
・,pp.174,254.微視の権力としての学校 23
され る ことにな る。 この受容 がペ スタロ ッテの思想 その ものなのか, あ るい はその変容 した ものなのか は ここで は問 題 にしない。 ここでの私 の関心 は, 都市 の労働者貧民 の隔離矯正戦略 とで もい うもの と,ペ スタロ ッテ流 の教育 方法 とが出会 った ことのほ うにあ る
。この教才 受法 の主張 をい くつか拾 ってみ
る。
●
●● ●●● ●●
「 主題 は一般 的 な観点 でで はな く,詳細 に提示 すべ きで ある。これ こそ幼 い子 どもたちに関心 を引 き起 こす偉大 な秘 密 であ る。 それ は詳細 にそ して 実際の例 示化 に よって提示せ よ, どの ような主題 で あ ろう と, こうすれ ば 子 どもた ちは関心 をいだ くで あ ろう
。(26)」「 子 どもたちに読 み方 を教 える ことは,事物 の性質 と特徴 を吟味 し発見 す
●●●
る ことを教 える ことよ りも下位 の 目的で あ る
。ことばはそのサイ ンに しか
●●●
す ぎない。す なわち子 どもた ち に身 につ けさせたいの はこ とばで はな く,
●●
事物 で あ る。子 どもた ちが事物 の性質 や特徴 をまず最初 に学 ぶな らば,後
●●
にその名前 を探求す る ことに まった (怖 れ はない. しか ししばしば名前 を 学 んで も, それが示す事物 に まった く興 味 を示 さない し, それ を忘 れてい
る こ ともある
。(27)」「 数 ( 概 念)は抽 象的で あ り,生徒が この ような ( 旧式 な)方法 で それ に 関 して明確 な概念 を獲得す るには時間がかか る。 しか しそれが実物‑ た くさんの林檎, た くさんの小石 とい うように‑ と関連 づ け られれ ば,数 量 の明確 な概念 を獲得 し表現 す るの に,敬 ( 概念) は絶対必要で あ るこ と がす ぐに明 らか とな る。 ( 2 8 ) 」
「 幼 い子 どもたちの クラスで採用 されてい る教授 メ ソッ ドの主要 目的 は,
(26)JacobAbbo
t t
,TheTeacher・・・・・・,p.181.
(27)SamuelWilderspin,TheInfantSystem‑‑,p.78.
ウイルダースピンの幼児教 育 システムにおける,ことばの教育方法の実際については,同上書
p.166,算数 での数概念の獲得のために実物教授同上書
pp.19ト192参照。
(28)̀ObjectsoftheSociety'in CentralSocie
t
yofEducation,firstseries,p.5.●●● ●
観 察能 力 を育 て る こ とで あ る。 それ は幼児 の心 に最初 に発達 す る能力 で あ る
。子 どもた ちは彼 らの前 に持 ち出 され た物 はなんで も詳細 に観 察 し, ど の よ うな部 分 か らな って い るか,形 ,色 を識別 す る‑‑。 この原則 は まず 第 ‑ に,子 どもが明瞭 な観念 を形成 す るよ うに訓練 され るべ きで,次 にそ
れ をいか に表現 す るか を習 うべ きで あ る
。(29)」ス トウ もまた実物 教授 を推 進 した ひ と りで あ る。 そ して こう言 う
。自分 の 考案 した システムの主要原理 のひ とつ は 「こ とばで の描 写
(picturingoutin words)」であ り, それ は実物 教授 よ りも優 れた知 的 コ ミュニ ケー シ ョン様 式 で あ る と
。「出発点 として,眼 を惹 きつ けるた め にあ るい は分析 され るべ き問題 の ひ とつ の条件 を提 示 す るた め に,手 にはい るか ぎ りは実物 が用 い られ るべ き で あ る。 ・ ・ ・ ‑ しか しふ さわ しい実物 は常 に手 にはい るわ けで はない し,人 間 の声 は教 師 も生徒 も使 うこ とが で きるので, そ して また生徒 が理解 で き
るよ うな こ とばのみが用 い られ るので, ‑‑教 師が描写 で きない そ して子 どもの心 にだ んだ ん と見 え るようにす る こ とので きない, どの よ うな実物 あ るい は実物 の複 合体 もない。 ( 言葉 に よる描写 は)あたか も実物 ばか りで
( 29)MCCE
,1846,Vol.
2,p.546.実物教授 は新 しい教授法の入 り口にすぎない。ヨーロッパの優秀 な初等教育で の
2つの主要原則 として,実物 ・感覚教育 を重視する統合的方法
(Method of syntheticorconstructivecharacter)と分析的
(Analyticmethods)というよ
うな分類 もされ るようになる。 ( MCCE
,1840‑41,p.37.)同様なことはつぎのように表現 される。
「 すべての学校での実物 についてのギャレリー ・レッスンは,子 どもたちの廻 りの自然や人工物 についての知的能力 を行使することをめざした ものである。実 際にはどういうものか とい うと,理性 を行使するレッスン,それぞれの理性行使 の過程の結果 を与をばで記録す るレッスン
。分析 そして実験で補助 される観察。
帰納 に導かれた比較。類比 と演得 による理性の行使 そして仮説。それ らは適切 に 用い られれば,既知の ことか ら導かれた光 として,未知の ことを発見す ることへ
と, そのほかの能力 を導 くものである
。」 ( MCCE,1
848150,γol.
2,p.270.)微視 の権力 としての学校
25な く, これ らの実物 の さまざ まな変化 や複合体 が実際眼 の前 にあ るかの よ うにす る
。したが って,実物 は役 に立 つ
。しか し, ことばで描 くことはよ
●●●●●●●
●●●●●●●●● ●●●●●●
りい っそ う役 に立 つ。実物 を用 い る こ とには限界 が あるが, ことばで描 く
●●●●●●●●●
ことには限界 が ない
。(30)」ス トウに よれ ば,盲人 は色 を識別 す る ことがで きないが,各種 の色 をこ と ばで描写 し,比較 す る こ とに よって,心 に色 を思 い描 き,識別す る こ とがで きる
。それ と同様 に,子 どもが理解 で きる類比や イ ラス トを周 いて, あるい は教師 と生徒 との一斉 の質疑応答 のなかで,聖書 の教育 か ら自然誌 の教育 に いた るまで, この 「こ とばに よる描写」 は浸透 させ るべ き もので あった。具 体 的 には教師 と生徒 との質疑応答 は「 省略
」(el
lipses)を用 いてお こなわれ る
。た とえば教師が天候 の具合 を話 す。
̀Theskythreatens‑‑∫,そ うす る と生 徒 たちが
̀rain'とその省 略部分 を埋 める。そ うして今度 は教 師が その文章 を こう変 える。
̀itthreatens rain today,
from‑‑' , この省略部分 を
̀the appearanceofthesky'と埋 め るこ とか ら,子 どもた ちはなぜ雨 が降 りそ う なのか とい う理 由を学 ぶ。 この ような過程 を高度化 してい くことに よって, 知 的能力 の育成 が めざされた
(31 ) 0「 生徒 たち は当然 の ご とく観察 し,認識 し, 反省 しそ して判 断す る
。か くして 自分 自身 で レ ッス ンを引 き出 し, それ を彼
らが充分理解 で きた こ とばで教師 に表現す る‑ 肉体 的眼で もって本 当の実 物 を認識 す るよ うに,精神 的 な眼 で もって生 き生 き と認識 させ るようにさせ
られ る
。(32)」( 30)
DavidStow,TheT71ainingSystem・・・ ・ ・・,p.212. (31)Zbid.,ch.XVII.( 32)
Ibid"p Al .
実物教授 に対する熱狂 は,どの程度の広 まりを見せていたのであろうか。中産
階級の子弟 を対象 とした学校では,実物教授 は受容 されていたのであろうか。残
念なが ら筆者 はこのことに関 して判断する資料 を持ち合わせていないが,中産階
一 斉 教 授 とギ ャ レ リー と ころで, この よ うな実物 教 授 は実 際 に は どの よ うにお こなわ れ た の だ ろ うか。 こ こに登場 して くるのが 「 一斉 教 授 メ ソ ッ ド
(simultaneousmethodorcollectivemethod)」で あ る
(33)。繰 り返 しにな る が, この期 に構 想 され た民 衆 教育 のベ ク トル は子 ど もの <気 質 と性格 >の陶 冶 に向 け られ てお り, その駆 力 は全人 的教 師 の人 格 的影 響 で あ った
(34)。 もう
級 の教育 と労働者階級 の教育 との差異‑ したが って それ は階級 の再生産 へ と ゆきつ く‑ に関わ って興味 ある指摘が なされてい る。中上流階級 の教育伝統 は 感覚的 ・具体 的 ・特殊的 な ものか ら,知識 を抽象す る過程 に重 きを置 き,抽象的 概念 を取 り扱 う精神的能力が重視 された。他方,
「 有用知識普及協会 内部 のペ スタロ ッテ・ サー クル によって
1830年代 に刊行 さ れた 『 季刊教育誌
(TheQuaderlyJournalofEducation)』 は,チームにあっ たメ‑ ヨー兄妹 によって運営 された学校 を高 く評価 した。 編集者 はその評価 に同 意 し,次の ように述べていた。
『 子 どもの心 は感覚器官の影響 の もとにあ り,つぎつ ぎにそれ を示せ ば一 つの 実物 か らもう一 つの実物へ と絶 え間な く移 って行 く。』
実物 を統制 して提示す る ことがか くして教育実験 の核 として登場 した。‑‑・ 実 物教授 は教育学 の中央装飾部 であった。 ・ ‑‑
実物 は ことば, シンボルそ して抽象的概念 に とって代 わ る教育基礎 であった。
『 ‑‑偉大 な発見や高度 な科学の神秘への長期 にわた るそ して細 かい調査 は必 要で はない。・ ‑‑・ とい うよ りも子 どもの感覚 と理解 の届 く範囲で実物 を叙述 した
り検討す ること・ ‑‑。 』 ‑‑
これ は感覚的小道 の刺激 を とお してな し とげ られ る。す なわ ち教 師 の 冒
『 子 どもが観察 で き,考 えることがで きるようにす ること,子 どもを彼 ら
にある実物につ 0000000 い 0 て考え 1 〉00 るよ 00 うにさせ 0000
る。00 』 したが って
0 00⊂ ユ
O O,実物は下層階級 OOO000O
思考 の発展が成立す る基礎 を提供 す るには適 してい るが,言葉や抽象 はそ f 「ト 1んY の 。 の 。 れ は り O で o は 的 周 。 中 。 に
000000く I
適 してはいない
。」 (Steven Shapin and Barry Barnes,
̀Head and Hand:Rhetorical Resourcesin BritishPedagogiCal Writings',0dordReuieu)of Education,Vol
.
2,No.3,1976,pp.241‑242.)oO【 〉0
(33)
ここで留意 すべ きは,モニ トリアル ・ スクールの個人主義 か ら教師 によるクラ ス全員 の一斉教授 への転換である
。「1830年代 の末 には,一斉
(simu'ltaneous)の第三 の意味が現れた。それ は教師がそのすべての生徒 の同時の注意 を指揮す る とい う教育学的メ ソッ ドである。‑‑・ ス トウの主要 な関心 は教師がすべての学習 者 の注意 を同時 に,一斉 に意の ままにす ることであった。そ して学習者 自身が相 互 の共感 を一斉 に同時 に感 じることを経験 すべ きであった
。」(DavidHamilton,
Tou)ardsaTheo
叩
OfSchooling,1989,pp.104‑105.)(34)
教師 については稿 を改 めて論 じるつ もりである。モニター は知的 そ して道徳的 の両面 にわた って,「 教師」 の役割 を果 たす にはほ ど遠 い存在 であった。 モニ ト
リアル ・システム内での教師の役割 は「 規律励行者 そして秩序 と権威 の人である。
だか ら子 どもたちの心 と教師の心 を接触 させ ることをまった くめざしていない。
微視の権力としての学校
27ひ とつの駆力 は子 どもの知性 そ して理解力 を媒介 として教授 内容 を徹底 的 に 理解 させ る ことで あった。 この 「 教 師の人格 的影響力」 と 「 理解」 とい う二 本 の柱 を統一 す る ものが一斉教授 メ ソッ ドであった。
一斉教授 方法 はモニ トリアル ・システム とは内容 も形式 もまった く異 に し た もので あ る。モニ トリアル ・システムの特徴 はあ くまで も個別分 団教授 に あ り,通例考 え られてい るような一斉教授 で はなか った。 この点 に関 して枢 密院教育委員会 もその覚書 のなかで,一斉教授 の長所 をモニ トリアル ・シス テム との対比 で指摘 し, その採用 を強 く促 してい る。
「モニ トリアル ・メ ソッ ドを用 いてい る学校 で は,子 どもた ち は個別 に
(individually)
連続 して
(insuccession)教 え られてい る
。大規模 な学校 で は教 師の時間 は主 として全体 の監督 に割 かれてお り, そ して教 師が一 つ の クラス を教 える ときには,個人 的連続 的教授 を採 用す る。他 方
40人か ら 50 人以 下の子 どもた ちは,一 つの クラスで一斉教授 方法 で教 えることがで
きる‑‑。 か くしてい っそ う多数 の子 どもた ちが優 れた教 師 の人格 的配慮
(thepersonalcare)
の もとにあ り,彼 に よって知的 にそ して道徳 的 に訓練 され る・ ‑‑。個 々 の子 どもの心 は常 に教師 の影響下 にあ る。( 3 5 ) 」
そのシステムは個々の生徒の性格 を研究す る機会 をまった く与 えない‑・ ・ ・ 。」
( MCCE
,1845,Vol.
1,p.245.)いわんやモニターは子 どもたちを道徳的に教育することはできない。「 彼 ら ( モニター)は必要 とされる権威 を持 っていないし, 道徳的感情や習慣のさまざまな, 絶 えず変わ りゆ く形態 をデ リケー トに取 り扱 う のに必要 とされる経験 ももってはいない
」(DavidStow,TheTraining
System‑‑・
,p.314.)か らである。それだけではな くモニターはシステムの中で生徒の範 型 になるどころか,それ とは異質な資質 を身につけてしまう。「 謙遜が知的,追 ●●●●●●●
徳的あるいは肉体的のすべての進歩のの基礎である。したがってプライ ドと自惚 れはその障害 となるはずである。‑‑モニターの仕事 は彼 らを最終的には優秀な 教師にするためにあるのだが,謙遜 に相反する原則が習慣的に訓練 され,将来の 彼 らの進歩 にたいへんな障害 となるにちがいないことは,心ある人 にはわかる。」
( Z b i d.
,p‑316.)( 35)MCCE
,1839,p.51
.一斉 教 授 方 法 で は,生 徒 全 員 が教 師 の方 に顔 を向 け る よ うに して ギ ャ レ リー
(gallery, 階段座 席 )にす わ り
(36),教 師 は生 徒 た ちの反対側 の壁 に吊 さ れ た黒 板 あ るい は実物 な どを使 い授 業 をお こな う
。そ して教 師 はひ と りひ と りの生 徒 , あ るい は全 員 との問答 を通 して授 業 を進 め る。 なぜ一斉 教授 が優 れ た方法 か とい う と, それ は子 ど もどう しの共感 力 そ して教 師 と生 徒 との共 感 力 が強 力 に作 用 す るか らで あ る。 それ をス トウは 「多人 数 の共感
(thesym‑pathyofnumbers)」
あ るい は 「 仲 間 の共感
(thesympathyofcompanion‑ship)」
と名 づ けて い る。
「同年齢 の子 ど もと一緒 にい る際 に感 じる知 的 ・ 道徳 的共感 が あ る。 それ は一 つ の家族 の メ ンバ ー に よって は感 じられ ない もので あ る
。どん な学校 も授 け る こ とので きない共感 を家 族 の なか で感 じる こ ともあ る。 しか し, 知 的 に,そ して道徳 的 に さ え学校 は必 要 で,強力 な補助 とな る もので あ る
。家 族 の なか で は
,12歳 の少 年 は
9歳 の弟 とは共感 は感 じない し, ま してや
7,
8歳 の妹 とはさ らに感 じない。 無害 な もので あれ有 害 な もので あれ,
(36)
ス トウの システムで は,ギ ャレ リーの収容人数 は最大
180人か ら
200人 で あ り
,150人が望 ましい とされている
(DavidStow,S昭妙Iement,p.23.)。ギャレ リーはス トウの独創か どうかはわか らない。ちなみにウイルダースピンもその よ うな階段座席 を採用 していた。
「27
3‑‑子 どもがお互 いに教 えることので きる文字 を知 ってい る場合 は,私 たちはモニ トリアル・システム を用いている
。しか し ( 子 どもどうLで教 えあえ る) 事物の名前や文字,綴 りと読 み までである。人間や物事 についての知識 は教 師 自身 によって与 えられる。
274 教師 によって教 えられ る学習 の新 しい部 門 に生徒が入 った ときにはいつ で もそ うす るのですか ?‑ く 〉○⊂ 10( )000 前 に述べた場合以外 はそ うです. 生徒たちは部屋の 一方の隅の階段状 になった席
(raisedseats)に集 ま り,教師の顔が見 えるよう に,また教師 は生徒 の顔が見 えるようにす る。そのように座れば,教師 は生徒 に その場所で新 しい ことが らを教 えることがで きる。
275 ‑・ ‑自然史や地理 を教 えるので も,階段席で子 どもの表情 を見 えるように
して,年長の子 どもは一番上 に,小 さな子 どもは一番下 に座 り,教師がその前 に
椅子 を持 ってきて,例 えば馬の絵 を示 しなが ら問答する。‑‑‑究極的には創造主
の万能 を証明す ることをめざしている
。」 ( R
eport1835)
微視 の権 力 としての学校
29どんなゲームで も, あ るい は どんな仕事 で も,子 どもは当然 の ことなが ら 同い年 の子 どもを仲 間 として選 び,共感 す るが ゆえにその選択 をす る
。(37)」だか ら家族 の よ うな異年齢層 のクラス を対 象 に授業 をお こなえば,問答 は 当然 の こ となが ら個 々 の子 ど もた ち にバ ラバ ラ に向 け られ な けれ ばな らな い。他 方同い年 の子 ども集 団 を対 象 にすれ ば, その間答 も一斉 にな され る
。教 師 によってひ とりの生徒 か ら引 きだ された答 え も, すべ ての生徒 に よって 共有 され る ことになる
。したが って 「だれかひ とりが知 ってい る ことは誰 で もが学 ぶ ことがで きる
。か くして知識 をよ り広範 囲 に広 め, さまざ まな生来 の能力や気質 をみんなのために活 かせ る ことにな る
。(38)」ところでス トウは この共感 の力 を どこか ら導 きだ したのだ ろうか。 それ は 親 の眼 の行 き届 か ない都市 に住 む子 どもた ちがつ くりだ してい る集 団, そ し てそれが持 ってい る教育力へ の注 目か らで あった。 ス トウに よれ ば,父親 は 工場 に働 きに出,母親 は家事 に忙殺 され,子 どもた ちの面倒 をみ る者が いな い。 その結果, 同輩集 団のなかでおのず と子 どもた ちは教育 され る
。その力 はおそ ろ し く強力 で,学校 も 「 大 きな町の若者 の道徳 的習慣 を培 うの に こと ご と く失敗 してい る。彼 らは学校 で教 え
(teach)られ てはい るが,街頭 で教育
(train)されてい る( 3 9 ) 」ほ どであ る
。「 害悪 とな る同輩 の共感
(thesympathy ofcompanionship)に対抗 す るには,唯一 の矯正手段,す なわち良 い もの とな る同輩 の共感 に よって対抗 す る
(40)」しか なか った。 とすれ ば,「 多人数 の共
● 感」 を活 用 しない手 はない。 こうして 「 教育学校 で は, ‑‑‑子 どもたち は街
●●●●●●●●●●●●● ●●●●●
頭 の悪 い仲間か ら切 り離 され,教 え られ るだ けで な く,道徳 的環境 のなかで 訓練 され る
。(41)」ギ ャレ リーで は この共感 を通 して 「 教師 あ るい は出席 してい
(37)DavidStow,TheTym'ningSystem
‑‑
,pp.150‑151,See,Ib2'd..p.340, (38)Zbid.,p.151.
(39)DavidStow,S
u p
dementto・‑・
・,p.12.(40)DavidStow,TheTym'm'gSystem・
‑・
・,pp.80181 .
(41)Ibid.,p.150.る どの子 どもかが知 ってい るすべ ての ことを伝 え, それ をあ らゆ る生徒 の精 神 に惨 み込 ませ る」 こ とが可能 とな る
。その結果,子 どもた ちは 「自然 の対 象 そ して 自然現象 の よ り系統 的で広 い知識 を身 につ け,道徳 的義務 の真 の基 礎 についての明確 な知覚,そ して宗教 に よ り生 き生 き とした関心 を持 つ( 4 2 ) 」 ことにな る。対 照的 に,子 どもたちは従来 の教授 方法 で は 「 規則 の理 由 を教 え られ る ことはけっ してない。彼 らは 『 いか に して』 とい うこ とは知 ってい るが, 『なぜ』とい うことは与 え られていない. これ は しば しば一斉教授が無 視 されてい る ことか ら生 じる
(43)」との指摘 は, この教授 システムが子 どもた
ちの理解力 の育成 をめざ していた こ とを示 してい る。
さ らに,一斉教授方法 はよ り重要 な教育 的意義 を有 していた。 この教授 方 法 は,すべ ての子 どもた ちが教 師 の肉声 を明瞭 に聞 き取 れ るように, そ して 教 師がすべ ての子 どもの表情 を一 目で把握 で きるように,子 どもた ちはギ ャ レ リー に座 らせ られた。 それ は教授 内容 を理解 させ る ことの重要 さを具体化 す る教授 方法 として主張 され る一 方,知識が教科書 で はな く,道徳 の人格化 された存在 た る教 師の肉声 を媒介 として伝達 され るが ゆえに
(orallesson), 子 どもの精神 や心 に対 す る教 師の直接 のそ して人格 的 な働 きか けを可能 にす
る とされた。 い うな らば 「 人格 的影響 」 ( 道徳 ) と 「 理解」 ( 知) の統一 を も た らす ものであ った。
「 子 どもた ちが一 団 となってギ ャレ リー に座 って,すべての まなざ しが教 師 に集 中 してい る とき,教育
(training)はな され る。 ‑ とい うの は, この 位置 でのみ相互 の成長 と途切 れ ることのない関心が保 て るか らで ある0‑‑
すべての精神 的教育 で教 師が留意 すべ き重要 な点 は,子 どもた ちの まな ざ しを彼 に くぎづ けに し,充分 に関心 を喚起 す る ことで あ る‑‑・ 。( 4 4 ) 」
(42)JamesPhillipsKay,TheTraining
・ ・ ・ ・ ・
・,p.28.(43)
MCCE
,1844,Vo
l.
2,p.258.(44)DavidStow,MwalTraining
・ ・ ・ ・ ・
・,p.208.微視の権力 としての学校
31「 教 師 は 自分 自身 の心 と最 大 多 数 の 生 徒 とを触 れ 合 わ す こ とが 可 能 で あ 00( )00
り
(45)」 , そ して 「 子 どもた ち の理解 力 と同様 に,気 質 や情 愛 に もよ り容 易 に到 達 す る機会 を与 え られ る( 4 6 ) 」手段 , それ が一斉 教授 方法 で あ った. い いか え れ ば, この教 授 方法 の有効 性 は 「 一 団 の子 ど もた ち を教 師 の まな ざ しの も と にお いてお き,子 ど もた ちの関心 を掻 き立 て,個 人 に対 す る集 団 の共 感 を働
00 0 00 0 00 0 0 0 00
かせ る こ とに よって, よ り容 易 に子 どもた ち を監視 し,統制 す る こ とを教 師 に可能 に させ
(47)」た こ とで あ った。
Ⅰ‑ 3
道 徳 教 授
体 罰 か ら心理 罰 へ と モニ トリアル ・システム に対 す る批判 は,知 的教授 方法 と して そ の シス テム が それ ほ ど評 価 で きな い とい う こ とに と ど ま らな か っ‑ た。批判 の もうひ とつ の刃 は, 「 規 律 」 「 道徳 」 に向 け られ て いた。 す な わ ち, その システムが道徳 形 成 方 法 として きわ めてず さんで あ り, め ざすべ き社 会 的価値 体 系 を内面 化 す る こ とに失敗 、 した こ とで あ る。 さ らに言 うな ら ば, その め ざ され た価値体 系 とは異 質 の もの を,子 どもた ち に植 えつ けて し
(45)MCCE,1846,Vol
.
2,p.471.
(46)MCCE,1842‑43,p.492.
(47)JamesPhillipsKay,TheT71aining‑