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『新撰万葉集』注釈稿(上巻・冬部・九五〜九七)

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『新撰万葉集』注釈稿(上巻・冬部・九五〜九七)

著者名(日) 半澤 幹一, 津田 潔

雑誌名 共立女子大学文芸学部紀要

57

ページ 1‑26

発行年 2011‑01

URL http://id.nii.ac.jp/1087/00002387/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

﹃ 新

撰 万

葉 集

注釈稿

(

1

)

9 5  

身投量之淵成砥

身投ぐばかりの

凍不沖者

景裳不宿

淵なれど

1

i

げも宿らず

本文では︑永青文庫本と久曽神本が︑第二句を﹁身緒投置

芝﹂︑結句の﹁景﹂を﹁影﹂とし︑結句末に﹁洲﹂を補う︒

第四句の﹁洋﹂を︑京大本・大阪市大本・林羅山本・無窮会

付訓では︑第二句の﹁なぐ﹂を︑底本の左訓および藤波家

本・和学講談所本・道明寺本・京大本・大阪市大本・林羅山

本・無窮会本は﹁すつ﹂︑天理本は﹁すつる﹂とする︒第四

句の﹁とけねば﹂を︑和学講談所本・道明寺本・京大本・大

﹃新撰万葉集﹄注釈稿(上巻・冬部・九五

1

)

9 5  

7 J' 

E

}

半日

j

5

一一ち

津つ

h

1

t

b

冬 年 怨

を 閣 を 婦 引 両 経 へ 泣 き 袖 月 き 君 空 を 来

を し 亘

E

望 し り り

i

互込てて

こ と ' 臆 自 涙 と 成 煙 淵 幾 る を と 数 。 揚 作

ぐ る

本始め諸本﹁往年﹂に作るも︑類従本・羅山本・無窮会本・

文を注記する諸本あり︒ 永青文庫本・久曽神本に従う︒また︑

﹁空成涯﹂を︑諸本﹁空成涙﹂に作り︑永青文庫

本・久曽神本﹁空成河﹂に作るも︑藤波家本・和学講談所

本・道明寺本・林羅山本に従う︒

(3)

阪市大本・天理本・林羅山本は﹁とけぬは﹂とする︒

同歌は︑寛平御時后宮歌合(十・二十巻本︑冬歌︑

番)にあり(ただし十・二十巻本とも第三句﹁淵はあれ

ど﹂︑二十巻本では第四句﹁氷とけぬは﹂結句﹁影もみえ

ず﹂)︑後撰集(巻八︑冬︑四九四番)に﹁題しらず

人しらず﹂として(ただし第三句﹁ふちはあれど﹂結句﹁ゆ

)

(

)

(

し第三句﹁ふちはあれど﹂第四句﹁こほりとけば﹂)︒

涙の河は身を投げることができるほどの(深さの)淵であ

るけれど︑氷が解けないので︑(相手の)面影さえとどまっ

7

涙を河に見立てた︑この語は万葉集には見られな

︑ . ︒ ︐

‑ z

ν

9 J J J

﹁み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止め

(

l

)

:

l

(万葉集一九

l

四二一四)などのように︑涙を﹁にはたづみ﹂という激しい

流水にたとえる表現は見られる︒﹁涙河﹂は古今集以降︑と

くに恋歌においてさかんに用いられ︑本集の恋歌にも﹁人し

れず下に流るる涙河せきとどめてむかげや見ゆると﹂

夫と離ればなれになった女性が泣き続けて︑その涙が深い

水たまりになった︒何年︑何ヶ月にもわたって︑胸の欝屈し

た思いが畑を上げている︒冬の寝室では︑涙に濡れた両袖が

むなしく凍りついてしまった︒首を長くして夫の帰りを待ち

一体何年になることだろう︒

夫に会えない怨みを抱き続ける女性︒ここでは︑結

句の﹁君﹂を待ち続ける女性︒本集二四番詩︻語釈︼該項参

照︒唐・説蕃﹁諌納李孝本女疏﹂に﹁出後宮之怨婦︑匹在外

之鯨夫﹂とあるなど︑唐代以後の語︒菅原清公﹁奉和春闘

メ』

(

集﹄巻上)︑滋野貞主﹁奉和御製江上落花調﹂に﹁去馬飛禽

緑色備︑怨婦看憐欲寄遠﹂

(

)

その語例を日中共に知らない︒﹁来﹂は︑この場合︑ある

時点から今までの意を表すと考えるべきか︒本集九

O

番詩

涙作淵﹁淵﹂は︑深い水たまりを意

味するから︑涙が大量に流れたこと︒ただし︑その類似表現

を日中で未だ見出し得ない︒ただし︑本集には類句が多く︑

﹁恋慕此山涙此河﹂

(

O

)

(

O

)

(

O

)

(4)

(

)

﹁一保河流れて袖の凍りつつさ夜ふけゆけば身の

(

)

の二例が見られる︒八代集におい

て︑恋歌としてではなく︑当歌のように四季歌として見出せ

るのは︑後撰集における冬歌の同歌と秋歌の﹁きえかへり物

思ふ秋の衣こそ一俣の河の紅葉なりけれ﹂

(後撰集六

l

、、~

身投ぐばかりの

(

)

いう動詞は万葉集では﹁たぶてにも投げ越しつべき天の川隔

てればかもあまたすべなき﹂

(

l

)

の一例

があり︑その対象は﹁たぶて﹂つまり石であるが︑八代集に

一二例すべてが﹁身﹂を対象とした用法になってい

﹁身﹂をどこに﹁投ぐ﹂かというと︑

川にみをなげんこの世ならでもあふせありやと﹂

(

)

﹁としごとに涙の川にうかベどもみはなげら

れぬ物にぞありける﹂

(

l

O

)

当歌と同様の比聡的な﹁涙の川﹂を含め︑

ごとに身をなげばふかき谷こそあさくなりなめ﹂

(

l

O

﹁河ぎしのをどりおるべき所あらばうきに

しにせぬ身はなげてまし﹂

(

l

O

となせのたきに身をなげてはやくと人にいはせてしかな﹂

(

l

)

﹁恋ひわびぬちぬのますらをなら

(千載集一一丁

﹃新撰万葉集﹂注釈稿(上巻・冬部・九五j

)

(

)

年数が経つこ

とで︑歳月の積み重なりを意味するが︑それは時に︑ある時

点からずっと今まで︑何年か前からずっと︑年来︑の意を表

す︒梁・何遜﹁沼広州宅聯句﹂に﹁洛陽城東西︑却作経年

別︒昔去雪如花︑今来花似雪﹂とあるのは︑土日別れたきり

ずっと会っていないのであり︑白居易﹁長恨歌﹂に﹁悠悠生

死別経年︑魂暁不曽来入夢﹂というのも︑楊貴妃と死別した

きり夢に見ることもないのであり︑劉媛﹁長門怨﹂詩に﹁経

年不見君王面︑花落黄昏空掩門﹂とあるのも︑君王とは何年

も会っていないというのである︒嵯峨天皇﹁冷然院各賦一物

得澗底松﹂詩に﹁欝茂青松生幽澗︑経年老大未知霜﹂

(

華秀麗集﹄巻下)とある︒異文﹁往年﹂は︑梁簡文帝・粛綱

﹁臨西行三首其三﹂詩に﹁往年部支服︑今歳単子平﹂とある

ように︑昔︑以前と同様で︑過去のある時点を表す︒白居易

﹁曲江感秋二首其二﹂詩に﹁今日臨望時︑往年感秋処﹂とあ

るが︑その﹁序﹂には︑

感秋詩︑:・今遊曲江︑又債秋日︑風物不改︑人事屡変︒況予

中否後遇︑昔壮今衰︑慨然感懐︑復有此作︒・:時(長慶)

年七月十日云耳﹂とあり︑菅原道真﹁慰少男女﹂詩に﹁往年

見窮子︑京中迷失拠﹂(﹃菅家後集﹄)︑具平親王﹁読諸故

人旧遊詩有感﹂詩に﹁往年歓与当時怨︑世事皆如風裏雲﹂

(5)

七三三)などのように︑谷や川が多く︑﹁おなじくは君とな

らぴの池にこそ身をなげっとも人にきかせめ﹂

(

l

八五五)

﹁身投げ﹂といえば︑普通は水中に

飛び込んで死ぬことを意味するが︑他にも﹁身なぐとも人に

しられじ世中にしられぬ山をしるよしもがな﹂

(

)

﹁世中にしられぬ山に身なぐとも谷の心ゃいは

(

i

)

いく世かはふるからくにのとらふすのべに身をもなげてん﹂

(

1

)

の野辺なども見られる︒

に示したように︑底本の左訓などでは﹁なぐ﹂が﹁すつ﹂に

なっている︒その対象として︑八代集には﹁身をすててゆき

やしにけむ思ふより外なる物は心なりけり﹂

(

l

九七七)﹁身をすてて山に入りにし我なればくまのくらはむ

こともおぼえず﹂

(

1

三八二)﹁みをすてでふかき

ふちにもいりぬベしそこの心のしらまほしさに﹂

(

一 一

l

六四七)などのように︑八代集の﹁すつ﹂の用例の三

分の一に﹁身﹂が見られ﹁投ぐ﹂とほぼ似た用法になって

﹁淵(ふち)﹂は水が澱んで深いところ淵なれど

を表す︒万葉集にはその単純語の例として﹁我が行きは久に

はあらじ夢のわだ瀬にはならずで淵にありこそ﹂

(

1

)

の一例があり︑流れて浅いところを表す﹁瀬

(﹁本朝麗藻﹄巻下)とある︒ここは︑起句の﹁泣来涙作

淵﹂という表現を支える︑歳月の累積表現が是非とも必要な

何ヶ月にもわたっ

て︑の意︒その語例は極めて稀︒梁・沈約﹁機悔文﹂に﹁最

剖暮焔︑百一月随年︑嫌腹填虚︑非斯莫可﹂︑唐・高宗﹁遺

詔﹂に﹁百一月寵以車正朔︑匝日城而混車書﹂と見えるのみ︒

恐らく︑陪・醇道衡﹁予章行﹂に﹁豊城双剣昔曽離︑経年累

﹁経年累月﹂に近い表現で︑歳月の長久

を表現したものであろう︒あるいは︑嵯峨天皇﹁清涼殿画壁

山水歌﹂詩に﹁度歳横琴誰奏曲︑経年垂釣未得魚﹂

(

集﹄巻一四)︑桑原腹赤﹁雑言奉和清涼殿函壁山水歌﹂詩に

﹁秋花荻浦経年白︑春色桃源度歳紅﹂

(

)

﹁経年﹂の対語として用いられる﹁度歳﹂の﹁度﹂

E

﹂は和訓が同じなので︑それを意識したものか︒ち

﹁度歳﹂も和製か(小島憲之﹃国風暗黒時代の文学

E三九四六頁による)︒

﹁臆﹂は︑買誼

﹁鵬烏賦﹂に﹁鵬廼歎息︑挙首奮翼︑

請以臆中之事以対也﹂(﹃文選﹄巻二二)とあるように︑思

の意もあるが︑閤怨詩では沈約﹁昭君辞﹂詩に

(﹃玉蓋新詠﹂巻五)︑梁・何

遜﹁詠照鏡詩﹂に﹁蕩子行未帰︑時粧坐泊臆﹂

(

(6)

(せ)﹂と対で用いられている︒八代集においても︑

ひなきふちゃはさわぐ山河のあさきせにこそあだなみはた

て ﹂

(

i

)

﹁ほかのせはふかくなるらしあ

すかがは昨日のふちぞわが身なりける﹂

(後撰集九

五二五)﹁山河はきのはながれずあさきせをせけばふちとぞ

秋はなるらん﹂(拾遺集七三六八)などのように︑深浅と

いう点で﹁ふち﹂と﹁せ﹂が対比される歌が目に付く︒

異︼に示したとおり︑寛平御時后宮歌合などの他集では︑

﹁なれど﹂という訓が﹁はあれど﹂になっている︒

ど﹂ではその川のどこもが淵となるが︑﹁淵はあれど﹂なら

実際がそうであるように︑淵もあれば瀬もあることを含意す

るからであろう︒もっとも︑当歌においてその対比の合意が

重要性を持つとはとくに考えられない︒第二句の﹁身投ぐば

かりの﹂という修飾句は︑

は涙の量かつ嘆きの程度を表している︒﹁涙河﹂に関して用

いられた﹁ふち﹂は︑八代集では﹁せきもあへず淵にぞ迷ふ

涙河わたるてふせをしるよしもがな﹂

(

九四六)﹁淵ながら人かよはさじ涙河わたらばあさきせをも

(

)

の二例が見られる︒

ほりとけねば動詞﹁とく﹂が氷に関して用いられる例は万

葉集にはなく︑八代集には﹁とく﹂五三例中︑

﹃新撰万葉集﹄注釈稿(上巻・冬部・九五

1

) 詠﹄巻五)とあるように︑かえって胸そのものの意で用いられることが多い︒空海﹁故贈僧正勤操大徳影讃﹂に﹁三論満

(

O)

︑島田忠

臣﹁乞紙贈隣舎﹂詩に﹁満臆秋懐蓄似雲︑唯図鑑⁝紙欝紛紛﹂

(﹃田氏家集﹂巻上)とあり︑後者は胸の意︒

は︑煙が上がること︒孫縛﹁遊天台山賦﹂に﹁法鼓浪以振

響︑衆香謹以揚煙﹂(﹁文選﹄巻一こ︑顧況﹁帰陽粛寺有

丁行者能修無生忍担水施僧況帰命稽首作詩﹂に﹁粛寺百余

僧︑東厨正揚煙﹂とあり︑大江匡衡﹁観右親衛藤亜相述懐詩

不改本韻依次奉和﹂詩に﹁青雲難得路︑白屋不揚煙﹂

(

吏部集﹄巻中)とある︒あるいは︑この比除は仏教に由来す

るか︒本集にも﹁胸中万火例焼身︑寸府心灰不挙畑﹂

(

O

七番)とある︒冬閏冬の閏房︒梁・簡文帝﹁七

励﹂に﹁冬閏温照︑夏室含霜﹂とあり︑本集にも﹁冬閏独臥

(

)

怨婦の両袖︒謝恵連

( 六

O

)

﹁捧衣﹂詩に﹁微芳起両袖︑軽汗染双題﹂(﹁文選﹂巻

=

c

︑宋﹁読曲歌八十九首其一七﹂詩

, '‑

に﹁穀杉両袖裂︑花叙賓辺低﹂とあり︑島田忠臣﹁賦得秋

織﹂詩に﹁香飛両袖随竣乱︑汗湿双題逐棲垂﹂

(

集﹄巻上)とある︒

(7)

﹁とく﹂には下二段の自動詞と四段の他動詞の用法があ

り︑当歌と同じく︑打ち消しを伴う自動調の例としては︑

﹁思ひっつねなくにあくる冬の夜の袖の氷はとけずもあるか

L

(

l

﹁霜のうへにふるはつゆきのあさ

氷とけずも物を思ふころかな﹂

(

l

二二九)

がねどながれもゆかずたかせぶねむすぶこほりのとけぬかぎ

(

l

二九六)などがある︒一仮に関連させた

﹁春かぜのふくにもまさる涙かな

わがみなかみに氷とくらし﹂

(

l

O

O )

由也

a

ql

 

﹁袖﹂を介して間接的に涙を表す︑上記の後撰集の例や

﹁かたしきの袖の氷もむすほほれとけてねぬよの夢ぞみじか

(

l

)かげも宿らず

﹁影だに見えで﹂の項および八九番歌︻語

﹁かげ﹂が﹁宿(やど)﹁影見し水ぞ﹂の項を参照︒

る﹂という動調と結び付く例は万葉集にはなく︑八代集でも

﹁久方のあまっそらなる月なれどいづれの水

(

l

O )

﹁すめばみゆにごれ

ばかくるさだめなきこのみや水にやどる月かげ﹂

(

l

)

﹁くもりなくちとせにすめる水の面にやど

れる月の影ものどけし﹂

(

l

)

‑ ' ‑

ノ、

寒さで水が凍ること︒張衡﹁思玄賦﹂に﹁行積氷之醒置今︑

(﹃文選﹄巻一五)とあり︑旧注は﹁涯︑凍

也﹂という︒潜岳﹁懐旧賦﹂に﹁轍含氷以減軌︑水漸靭以凝

」ー

(﹃文選﹄巻二ハ)とある︒異文﹁涙﹂は︑その草体と

﹁涯﹂や﹁直﹂の俗体﹁冴﹂との類似から生じたもの︒異文

﹁河﹂も︑その草体との混同だろう︒

﹁河﹂の本文を取るが︑ここの主語は﹁両袖﹂で

あることは自明であり︑成立するわけがない(本集にも﹁涙

河流れて袖の凍りつつ﹂(一一五番歌))︒涙を大量に含ん

﹁冬閏﹂の寒さで凍りつくのであり︑それが

﹁氷﹂ではない﹁泣﹂を用いた理由であるように思われる︒

大江匡衡﹁七言初冬於左親衛藤亜将亭同賦媛寒飲酒﹂序に

﹁酔郷氏之園︑四時独誇温和之天︑酒泉群之民︑

(

)

首を長

くして遠くを望み見ること︒

﹁ 領

l

﹁項﹂の意で︑うなじゃくぴのこと︒語は︑

成公十三年に﹁我君景公︑引領西望日︑降誕山我乎﹂とあるに

﹁古詩十九首其二ハ﹂詩に﹁阿陳以適意︑引領遥相

時︒徒傍懐感傷︑垂滋泊双扉﹂

(

詠﹄巻こ︑

﹁古詩十九首其一九﹂詩に﹁引領還入房︑涙下

﹃玉蓋新詠﹄巻一)とあり︑島

(

(8)

れる︒これらからも明らかなように︑そのほとんどは月の影

が水に﹁宿る﹂という表現であり︑﹁なつのよの月はほどな

くいりぬともやどれる水にかげをとめなん﹂

﹁さもこそはかげとどむべき世ならねどあとなき水

(

l

(

l

O

)

る月ぞやどりける春やむかしのそでの涙に﹂

(

ー一一三六)などのような﹁月﹂だけの場合と大差なく︑と

もに月の姿が水に映ることを指している︒当歌においては何

の﹁かげ﹂か特定されていないが︑以上の例に徴する限りで

は︑月とするのが順当かもしれない︒しかし︑上句の﹁涙

河﹂との関係からは︑単に月とするだけでは納得しがたく︑

七九番歌と同じく︑相手の面影とみなすのが妥当と考えられ

巻上口﹄はこの句にたいして﹁相手

が自分のもとへ通ってこない﹂﹁姿も見せない﹂と解する

が︑当歌単独でそこまでの合意を積極的に認めるだけの根拠

当歌は︑上旬と下句の関係をどのようにとらえるかが難し

ぃ︒後撰集所載の同歌の結句が﹁ゆく方もなし﹂となってい

るのは︑淵となっている深い河は身投げするには格好の場所

なのに︑凍っているために︑そうすることも叶わず︑どこに

﹃新撰万葉集﹄注釈稿(上巻・冬部・九五

1

)

田忠臣﹁同菅侍郎酔中脱衣贈装大使﹂詩に﹁此物呈君縁底

事︑他時引領暗愁生﹂(﹃田氏家集﹄巻中)とある︒本集に

﹁寂寂空房孤飲涙︑時時引領望荒庭﹂

(

)

出ていったきり帰らぬ夫を待ち望むこと︒漢楽

府﹁東門行﹂に﹁吾去為遅︒平慎行︒望君帰﹂︑貌・繁欽

﹁定情詩﹂に﹁遭遇遥莫誰親︑望君愁我腸0

:

(﹃玉蓋新詠﹄巻一)︑宋・飽令晦﹁古意贈今

人詩﹂に﹁日月望君帰︑年年不解挺﹂

(

)

などとある通り︑閤怨詩の常套語︒幾数年

いの年数になるのだろう︒謝恵連﹁祭古家文﹂に﹁追惟夫

子︑生自何代︒曜質幾年︒潜霊幾載﹂

(

O )

北周・庚信﹁別周尚書弘正詩﹂に﹁此中一分手︑相逢知幾

﹁幾年﹂はあり︑院璃﹁為曹公作書与孫

権﹂書に﹁抱懐数年︑未得散意﹂

(

)

﹁幾数年﹂の語例は日中とも

に検出し得ない︒知るのは本集に﹁消息絶来幾数年﹂

(

O

八番)とあるのみ︒恐らく︑

{

﹁淵・煙・年﹂で︑下平声一先韻︒平灰にも基本

﹁年﹂字が二度使用されるなど︑初歩的な

(9)

行けばいいのか分からない︑のように一貫性を持たせようと

当歌では﹁かげも宿らず﹂の理由として第四句の﹁こほり

とけねば﹂を挙げるが︑七九番歌の﹁ほりておきし池は鏡と

凍れども影だに見えで年ぞへにける﹂や﹁夜をかさねむすぶ

氷のしたにさへ心ふかくもやどる月かな﹂

(

四三八)などのように︑凍った川にも影が宿るという設定

一方ではありうる︒また︑上旬からの?ながりでいえ

( ; f  

﹁淵﹂︑だからこそ影が宿るはずなのにという前提がある

と読めるが︑川の深浅によってその違いがあることを示す例

そもそも当歌において﹁涙河﹂が生じたのは︑その一般的

な用法から︑恋の思いによるものであろう︒これを下旬と関

連付けるとすれば︑こんなに思っているのに︑

宿

ず﹂ということであり︑助詞﹁も﹂が意味するのは︑相手自

身はもとより︑その面影さえも見えないということである︒

当歌が内容的には明らかに恋歌であるにもかかわらず︑冬

歌に属するのは︑ただ第四句の﹁こほりとけねば﹂による︒

ここに︑相手がうちとけないという意を重ねてとらえる立場※

) ¥ .  

︑スもある︒末字の﹁年﹂には︑本字である﹁季﹂を使用す

る写本版本が数本あるが︑あるいはそれと関係するのかもし

当詩は︑歳月の長さを言︑っ﹁経年亘月﹂と﹁幾数年﹂とが

第二句と第四句に使用され︑内容的な展開も新規性・意外性

﹁望君﹂と意味的に重複する語句が連続

し︑第一句の﹁涙作淵﹂︑第二句の﹁臆揚煙﹂︑第三句の

﹁空成泣﹂の内容が︑それぞればらばらに記述されているだ

けで有機的関連が全くないこと等々︑基本的作品構成の稚拙

そもそも内容的には閏怨詩そのものであって︑当詩が次の

恋の部に収められでも何の問題も無かろう︒当詩が冬の部に

存在する唯一の根拠は︑言︑つまでもなく第三句の﹁冬閏﹂に

※があるが︑この氷は自らの涙河に関するものであって︑相手

には関係しないのみならず︑それではますます四季歌として

の意味合いを希薄化することになると考えられる︒

(10)

図らずも︑歌と詩のそれぞれの︻補注︼が︑当該作品がこの冬の部立の中にあるのは︑﹁こほりとけねば﹂と﹁冬閤﹂とい

う語句にあるだけというように︑両者とも冬という季節とは縁が薄く︑恋愛あるいは片恋的という意味で共通する内容を持

っ︒その意味から言えば︑詩は和歌の内容や背景をよく説明していると考えてよいのかもしれない︒従来あった和歌と漢詩の

関係の中でも︑漢詩は和歌によく寄り添っている︑あるいは注釈しているとさえ言えるだろう︒

歌と詩の対応をおおまかに考えれば︑歌の上の句が詩の第一句に対応し︑歌の下の句が詩の後半二句に対応することになろ

ぅ︒まず︑漢詩は和歌の主体が﹁怨婦﹂であると明言する︒﹁身投ぐばかりの淵﹂は︑その女性が﹁泣き来たりて涙﹂が作つ

たものだという︒なぜそんなに大ごとになったのかという質問には︑何年も何ヶ月にもわたって︑逢えない苦しみが胸を焦が

してきたからだと説明する︒また︑和歌では﹁こほりとけねば﹂と︑上の句の比喰の文脈を引きずるけれども︑漢詩では﹁冬

閏﹂と現実に引き戻して︑一保で濡れた﹁両袖﹂が凍りつくのだと解説する︒更に﹁かげも宿らず﹂というのは︑

ないのではなく︑夫の姿が映らないのであり︑だから首を長くして何年も待ち望んでいるのだと言いたいのではあるまいか︒

さて︑和歌全体の内容を規定することとなっている﹁涙河﹂という強烈な個性を持つ言葉は︑どこから来たのだろうか︒従

来北宋の詩人・蘇戟﹁和玉砕二首其こ詩に﹁白髪故交空掩巻︑一課河東注問蒼畏﹂とあり︑その典拠には︑杜甫﹁得舎弟消

息﹂詩に﹁猶有涙成河︑経天復東注﹂とあるのが指摘されるのみであったが︑後貌・温子升﹁臨准王議謝封開府尚書令表﹂に

﹁空復受文清廟︒推載朱門︒効閥涙河︒功漸汗海︒大宝遂隆︒横草未樹︒(空しく復た支を清廟に受け︑散を朱門に推す︒効

は一課河に閥け︑功は汗海に漸ず︒大宝は遂に隆んに︑横草未だ樹たず︒)﹂

(

)

これと︑恋歌とを結ぶ線は︑未だ検出していない︒あるいは︑六国史等の編纂の過程でヒントを得たかとも思われるが︑ま

だ憶測の域を出ない︒対語﹁汗海﹂でも分かる通り︑色恋とは無縁の表現から転用されたとすれば興味は尽きない︒なお︑渡

辺秀夫﹃平安朝文学と漢文世界﹄(勉誠社︑平成三年刊)五七九頁以下を参照のこと︒

﹁新撰万葉集﹄注釈稿(上巻・冬部・九五

1

)

(11)

9 6  

根刺将求砥別迷飽雪深杵竹之園生緒

君が為根刺し求むと竹のそのふを雪深きわけま

どふかな

本文では︑第二句の﹁将﹂を︑京大本・大阪市大本・天理

本・永青文庫本・久曽神本は欠く︒結句の﹁別﹂を︑林羅山

刀t

付訓では︑第二句の﹁もとむ﹂を︑元禄九年版本・元禄

十二年版本・文化版本は﹁もとめむ﹂とする︒結句の﹁わ

け﹂を︑林羅山本と無窮会本は﹁かけ﹂とする︒

同歌は︑他集には見当たらない︒

あなたのために根(笥)を求めようと(その場をめざすも

のの︑そこがどこなのか)雪の深く積もる竹園をかき分ける

君が為この表現は万葉集から見られ︑

池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも﹂

(

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)

﹁君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の

(

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)

﹁君がため春ののに

9 6  

物 孝 雪 を 子 中 殖 ぅ 天 の え に 竹 た 祈 量 る り に 冬 て た 萌

の 街

2

園 を & 有 に 得 ら 何 る む 事 こ や

に と かね多

苦きし

帰歎の行客突して還た歌ふ︒

﹁有萌芽﹂を︑京大本・大阪市大本・天理本﹁肖萌芽﹂に

作り︑林羅山本・永育文庫本﹁有萌牙﹂に作る︒

を︑藤波家本﹁得簡多﹂に作る︒﹁殖物﹂を︑類従本﹁残

﹁殖﹂の左傍に﹁残﹂を注記する本あり︒

﹁ 糸 ︑

園﹂を︑京大本・大阪市大本・天理本﹁冬閏﹂に作り︑永青

文庫本・久曽神本﹁園﹂を欠く︒﹁何事苦﹂を︑京大本・大

阪市大本・天理本﹁何事芳﹂に作る︒

本・久曽神本﹁婦郷﹂に作り︑﹁央還歌﹂を︑京大本・大阪

市大本・天理本﹁笑還歌﹂に作る︒

雪の(積もる真冬の)竹に︑どうしてその芽であるタケノ

コが出ることがあろうか︑あるわけがない︒

(

)

息子の孟宗は︑天に祈り求めて︑タケノコをたくさん手に入

れることができたということだ︒

(

)

植え殖やすことなどにどうしてあれこれ悩むことがあろう︒

参照

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「に桐壺のみかと御位をさり、 朱雀院受禅 有と見るへし。此うち 、また源氏大将に任し

   ︵大阪讐學會雑誌第十五巻第七號︶

高裁判決評釈として、毛塚勝利「偽装請負 ・ 違法派遣と受け入れ企業の雇用責任」