平成元年8月 図書館報附録
∃套 日
第83号
奈良教育大学附属図書館
ソ ビエト紀行(承前)
藤 永 太一郎
既に三年まえに私はソビエト連邦に対する讃嘆と 愛着の情を述べておいた。かの国では前代未聞の実 験が試みられている。それはわれわれの心を希望で ふくらませ、またそれに対してわれわれは無限の進 歩と人類をひきずってゆ ̄くだけの飛躍を期待してき
た。 アンドレ・ジイド(1938年)
ソ連を初め、多くの社会主義国に最近自由化の動 きが表面化している。昨秋の訪ソにおけるその印象 を、それ迄の何度かの訪ソ印象と対比させて本学学 生部広報第107号に書いたのであったが、その紀行 文はペレストロイカのもつ意義の重要性を指摘し、
その自由化の広範かつ急速な拡がりをいち早く報告 し得たと思っている。事実、その後になって多くの 新聞にも同様の見解、特にそのもっている国際影響 力とソ連知識人の寄せる期待と、それにも拘らず直 面している旧秩序との対決の厳しさなどについて数 多くの報道が見られるようになったからである。
さて筆者が再び本文を寄稿した理由の一つは前の 紀行が忽々の問の短文で意を尽していなかったから であるが、もう一つは先ずは常識的というか、いわ
ぼ西欧的自由主義者の目で書こうと思ったからであ る。ジイドの言葉をかりるまでもなく、この国は次 の世代を意識して試行錯誤中の国であるから常に相 反した二つの評価が可能なのである。例えばペレス トロイカもその後の中国学生らによる民主化運動も 西欧側からみれば都合のよい、当然の正義の方向で ある。しかしマルキシストの信じるように、社会主 義国がやがて一層理想的な共産主義社会への移行実 現を指向するものとすれば、その実現が何十年か或 いは恐らく取返しの難しい位大きな後退をしてしまっ た事は確かだからである。筆者はいづれの主義でも なくただひたすらに自然科学者の目で東欧諸国のあ りようを眺めてみたいと考える。その前に指摘して おかねばならない事だが西欧諸国も既に以前から資 本の不自由化、いわば社会主義化を止むなくされて 東欧側をよろこぼせている。それらは多種類の保障 制度、労働組合の公認、ストライキ権の確立から最 近の非戦非差別環境保全の法制化などと経過してい るのだが、西欧に居ればそうは思わせないように巧 みにマスコミなどによって教育されている事を忘れ てはならないだろう。
昭和63年9月17日 われわれはモスクワでのセッ ションを終えてVernadsky研究所差廻しのマイ クロバスでモスクワ国内便空港に向った。モスクワ には空港が5つあると聞いたが、国際便専用のシェ レメチェポ空港が驚く程閑散としているのと異なり 四六時中段帳を極めている。われわれの乗るSU 667便は東京便より立派な機で午前1時にモスクワ を発ち、3000粁を4時間で飛んで午前7時(現地時 間)にウズベクスタンの首都タシケントに着く。ど
こかの国のように午後9時以降は発着禁止などとい う事は考えも及ばない。外国より先ず自国の国益優 先、さらには連邦優先だからである。空港ではわれ われはフリーパスだが共和国人は通関検査がある。
連邦内の外国だからであろう。宿舎のホテル・タシ
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ケントは堂々たる建物で、最近ホテル・ウズベクス タンができるまでは最高級であったのだが、ここで もスタンドの電球は切れ、テレビの映りは悪く、間 仕切りのドアはロックが壊れて内側から椅子で押え ておかねばならない。風呂と洗面所の栓はなくなっ ているが、お湯はまあまあ時間をかければ潜るし、
われわれからみれば粗悪だが石鹸と洗いざらしのタ オルと手拭と飲用鉱水は毎日揃えてある。水がひど い硬水である点はモスクワと違う。ところで栓がな ければ手拭をっめて湯をとればよいので馴れれば苦 にはならない。このホテルは築後30年はど経ってい ると聞いたが、どこでも国は新築に忙しくて補修に は手がまわらない。宿泊者も人種身分とも多様であ るから壊れるのも早いのであろうが、計画経済とい うものの表情が色々なところで窺えるのである。す べてのこのような欠陥にも拘らず、建物自体の壮大 さ、その何世紀に亘ってもうけ継がれるであろう堅 固さには圧倒されるのである。時空間を圧するこの ような計画事業をもう一つ挙げてみよう。ウズベク 共和国は天山山脈の西側にあり、その峻厳な山並み からシルダリアとアムダリアという2大河が氷河の 水を集めて西の方アラル海に注いでいるのであるが、
かつては大部分がキジル砂漠で代表される不毛の地 であった。今は何百粁という地下水道を掘って蒸発 を防ぎっっこの水を砂漠に導き、地上に取出した後 はコンクリートで固めた溝樋によって土中への浸透 を防ぎ一滴も無駄なく農場に送るという大工事をは ぼ完成させている。これによって砂漠は沃野と化し、
例えばタシケントからサマルカンドへの旅300粁の 間見渡す限り桑、野菜、果物、落花生など絶える事 のない一大農園であった。然し米国の人工衛星の観 測によると、アラル海は三分の一に干上り魚鳥が激 減するという環境破壊が一方で生じているとも言わ れ、このような大土木事業の評価は体制の如何を問 わず難しい時代となっている。
われわれのシンポジウムの会場となったウズベク・
アカデミーの原子核物理学研究所であるが、西欧で この名称から考えられるようなアカデミスムはあま り感じられない。という訳は此処で最も力を入れて いるのは原子炉中性子を用いる活性化分析であって 特に金鉱石の品位決定が最重要業務であるよう思わ れた。円筒形のラビット(試料容器)が次々と気送 管で自動的に炉に送られ、定時問の照射後定時間の 冷却を行ない、γスペクトル線強度の計数が梗準試 料のそれと比較されて電算自動記録される。この分 析は四六時中休みなく行われ月間2万試料を分析し ていると聞いた。ウズベク国は金の産出量が高く、
その事が中央にこの大研究所設立を援助させた大き
な理由のように思われる。ソ連は金が格別必要なの
である。ルーブルでは西欧側との貿易決裁ができな
いからである。先述したように食糧増産には格別の
努力をしているが、全国民に基本食糧供給の保証を
しているので他方で慢性的不足に悩んでおり、アメ
リカなどから大量に輸入してまかなっているがその
支払いは金で行われているからである。西欧人から
みればこのような話は一見哀れに聞こえ、すぐ農業
政策の誤りと勤労意欲の不足に結びつけたがるが科
学者からみれば単に気候風土が農業に不適当という
だけの事で、自由な帝政ロシア時代は一層深刻であっ
た。確かにソ連人はアメリカや日本の豊かさをうら
やましがっており、巧みな日常笑話などで不満を述
べてはいるが、革命以来一世紀近くを経て社会主義
社会の各種実験に成功し、特にその間大戦争を勝利
して、今はわれわれの想像を絶する愛国心と自信に
溢れている。ナポレオンとヒトラーを含み近代だけ
で五回も外国軍の侵攻をうけているのだが、その都
度死闘の末撃退している。彼等は「結局は、ロシア
は正しく強く最後には勝っのだ」と信じている。そ
れは信仰に近いものである。ゴルバチョフが懸念を
述べつつも自由化を推進し、郵小平が非道とも言え
る是正をせざるを得なかった対応の差は、この歴史 的背景の差にもとづいていると筆者は分析している。
さてグラスノチスのお陰で原子炉から分析室の隅々 まで、本当に大丈夫なのかなと尻込みする程詳細に 案内してくれたのだが、この無休にして単調な仕事 に同情して訊ねた筆者に現場の研究員の答えは「少 しも退屈などしません。いっ高品位を示す分析値が 出るかと胸をわくわくさせながら勤めています」と 言う。かつてのスタハノフ運動の精神は今や自発的
かっ定着したものになっている。
この中央アジアへの旅はモスクワの研究所のお嬢 さん達はもとより教授連も大変な気に入りようであ る。南の国の強い日差し、エキゾチックな文化、新 鮮な野菜と果物、モスクワでは手に人らぬ自然の恵 みが自由市場にあふれている。彼等は持ちあぐむ程 の大きな木梶につめたメロンやプドーや西瓜を木枯 の吹き始めたモスクワの家族へのお土産として持ち 帰るのだが、そのキャラバンの斑体移動協力の見事 さは、独ソ戦の時もかくやと思わせるものがあった。
先述したように乾いた土地である。タシケントの街 は美しい森に寓まれているが街中はりめぐらされた 濯水管から毎日定時問道路に溢れ出る程流される水 によって保たれている。アメリカのようにスプリン クラーは余り使われていない。空中の水滴が蒸発す る無駄を防ぐのと葉の気候馴応性を悪くするからで あると聞いた。街中緑化されている位だから研究所 は一層美しく、所長のKist教授の好みで大花園が 作られ、特にバラは5万本植えられて娼を競ってお
り、余裕の程が感じられる。
タシケントの街もモスクワと同様豪華な地下鉄が 走っている。どこの街でも地下鉄とバスは5コペイ
カ(約10円)、公衆電話は市内2コペイカ、ホテル やオフィスからの市内電話は無料という価格体系は 社会主義的恩恵のシンボルとして何十年来変った事 がない。食事も家賃も安くて円に換算しても意味が
ない。パン、バター、ヨーグルト、チーズ、ハム、
ソーセージといった基本食品はすべて美味で、特に ウズベク固有の斑くて丸く板状に焼いた遊牧人的な パン、これを手でちぎって食べるのだが、その味は パリで食べるバゲットにも劣らないうまいものであ る。野菜はトマト、キュウリ、ピーマン、キャベツ と番菜類だが、自然農法である事は味と形ですぐ判 る。モスクワでもタシケントでも毎日毎日同じメニュ ー、同じ味で選択の余地が少ないから初めはよいの だがいづれ多くの日本人には不評ということになる。
しかし老齢無胃の私には日本の外食より遥かに有難 い。ワインやウォッカさえもう少し潤沢であれば更 に申分ないのだが。最もインツーリストの経営する 外国人向けのレストランに行けばすべてお望みの値 で、年と共に贅沢な店が増えてきたが、ソ連人と度々
→緒に行くところではない気がする。
何度かの訪ソを通じて感じることは科学の進歩に よって世界が狭くなり東西何れの側も孤高を保つこ とが難しくなったという事である。ソ連の理想とす る所が仮りに正しくとも当座その理念を国持するこ とはできなくなった。逆も亦真である。社会主義国 の自由化も、自由主義国の社会主義化も夫々理屈で はなくて融合を余儀なくされたということであるが、
米ソは長年の実験の成果をふまえて一応目方理念に ついて確信を述べあっている。何れの側にあっても 科学と経済の独立と自己の体制への歴史的信頼が欠 けている国では融合に失敗ということになっている。
何れにしても、人類(ホモサピェンス)にとって
は同性化して活力を失い、世代交番なしに終焉を迎
えるような事にならぬよう、知性の働らきが望まれ
るところであろう。今回の訪ソを省みて考えた事で
ある。
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旅 その断想
佐 藤 七 郎
第6話 湖畔の宿
スエーデンはフィンランドと並んで美しい森と湖 のくに。とくに南部のスモーランド地方では、深い 針葉樹林に囲まれて至るところに大小の湖が、ひっ そりと神秘な無限の静けさを湛えている。その静寂 の美しさが私を北欧狂にさせた紛れもない原因のひ とっであった。
晩秋、といっても八月のある週末に、私は独りで そういう湖のひとつを、日帰りの予定で訪れたこと があった。鉄道の駅からバスで1時間はど入った森 の中だった。
波ひとつない湖面は、その日も、北欧特有の淡い 水色の空を映して、無愛想なまでも無表情に静まり 返っていた。
湖の辺に人影はまったく見当たらなかったが、白 樺の木立のあいだに見え隠れしている建物の庭先に 止めてある車に、週末をここで過ごすためにきてい る人の気配が感じられた。岸辺に1軒のレストラン とこじんまりとした教会が建っていた。
こうした静寂を半日ゆっくりと楽しんだあと、そ ろそろ帰る時刻が近いことを知ってバス停にもどっ た。そして時刻表を見て私は驚いた。終バスがとっ くに発車してしまっていた。土曜日が日曜日と同じ 休日で、バスの便数が大巾に減らされているのを忘
れていたのだった。
北欧の、ゆっくりと時間をかけて沈んでゆく夕日 の暮れ足が俄かに早まったかのように思われた。
このままでは帰れない。スエーデンに住んでもう 半年経って、いろいろのことに慣れてきたとはいっ
ても、こうなると心細い。レストランに行ってどこ か泊まれるところはないか尋ねてみたが、レジの婦 人は「さァー ここは観光地ではないから……」と 首を振るばかりで、とりつくしまもない。・
ハイヤーを呼ぶはかないと考えて、バス停の側の キオスクでタバコを買って、その旨を告げて救けを 求めると、今日は休日だから予約なしで来てくれる かどうか……と一向に気乗りしない風情。そうでな
くてもこの国のハイヤーがたいへん高くつくことは かねて知っていた。果たして今のふところ具合で足 りるかどうか、心もとない思いもあってためらわれ てキオスクを離れる。が、思案に暮れて足取りは重 い。もしかしたら今日はあの教会のチャペルに潜り こんで一夜を明かすことになるか、などと思いっめ て当所もなく歩いていると……
突然背後から声がかかって、ボンと肩をたたかれ た。
振り返ると中年の紳士が立っていて、ていねいな 言葉で話しかけてきた。
「日本人ですか?」
「ええ、そうです。」
するといきなり
「どうですか、私のサマーハウスに泊まっていき ませんか。」
という。
見知らぬ人からの突然の救いの言葉に、信じられ ないままつい彼の顔をみつめてしまうと、彼は笑顔 を見せて言糞をつないだ。
「私のところにジャパニーズボーイが一人泊まっ ているのですよ。」
私はびっくりしたが、大学生を預かっているのだ なと気づいてホッとした。
「それは願ってもないことです。」
と言って「実は」といきさつを説明しようとすると、
彼は耳をかさずに卓に歩み寄って後部のドアを開け
た。奥に品のよい白髪の老婦人が座っていてニコニ コと迎えてくれた。挨拶して、また事情を説明しか ける私の言糞はドドドドドッというSAABの力強 いエンジンの響にかき消されてしまった。
車はしばらく湖畔沿いに走っているようだったが、
やがてスピードを落として運転席の紳士は言った。
「私は要件があるので今から母と一緒に町に帰ら なければならないので、今日はこれで失礼します。」
間もなく白樺の木立をくぐって、湖畔に建っ質素 なサマーハウスの前に車は泊まった。玄関に現れた 奥さんに、私を紹介し、何やら簡単に説明して、彼 はそのまま運転シートに戻った。そして「では」と 片手をあげて車を走らせた。
あっという間だった。奥さんは美しい笑顔で初対 面の私を室内に案内してくれた。ドアが開いて若い お嬢さんが入ってきた。男の子を連れていた。見る とまざれもないジャパニーズボーイだが、聞くとこ ろによると小学校2年生とのこと。この子のお父さ んとこの家のご主人は、お知り合いの歯医者さんど うLで、彼は毎年夏休みに一人でここに預けられる のだと言っていた。お嬢さんはジュネーヴの大学の 学生さんとかで、金髪碧眼の典型的な北欧美人だっ
た。
夕食後の団らんのひととき。ぜひ日本の歌をと求 められて、坊やと 海は広いな 大きいな を歌っ た。歌詞を翻訳してあげた。お嬢さんはギターを奏 でてくれた。私も頼りない手つきで さくら さく
ら 弥生の空は を奏でて喜んでもらった。その夜 は坊やと二段ベットに眠った。
夜半、窓の下で人声が聞こえたと思った瞬間、波 の音とともにパパバパパッというモーターボートら
しい爆音が響いて、たちまち遠ざかって行った。
明くる朝。お嬢さんは私と坊やとお母さんをポー トに乗せて自ら舵をとって、湖を一回りしてくれた。
「昨夜、エンジンの音が聞こえたようでしたが」
と言うと、
「ええ、私のボーイフレンドが来たもので一緒に」
と言った。
ゆっくりと昇る朝日に映えてクリーム色に輝く東 の空の美しさが、彼女の心の優しさを映していた。
その日の光が輝ききらないうちに、この思い出深い 湖畔の宿に私は別れを告げなければならなかった。
その日も、日曜日でバスの便が少いことがわかっ ていたから。
スポーツ科学の 効用について
岡 沢 祥 訓 スポーツの試合で勝つためには、試合の時に実力 を十分に発揮する必要がある。試合で実力が発揮で
あきら