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我が著作の思い出

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Academic year: 2021

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研究雑話

9年間の産学協同の歩み

法学部教授 宮 谷 俊 胤

前任校の学園紛争が終息に向かっていた頃、本学 経営法学科増設による法学部教員増の一人として赴 任した。大阪万国博覧会の開催前日の来福である。

間もなくよど号ハイジャック事件、テレビ画面が福 岡空港の映像をほぼ終日独占していた39年前がつい 最近のような思いである。

私の専門分野は、法学部に新設すべき旨のシャウ プ勧告により、各大学の法学部で開講され始めた税 金に関する法、税法である。赴任した当時の税法の 専任者は九州地域で本学先任者であった中川一郎博 士のみであり、本学が九州における税法開講のパイ オニアである。税法の専門家である税理士等の一部 から、商学部又は経済学部に所属しているのですか、

と再三尋ねられる当時であった。そのことは、実務 家の税法に対する認識、思考と基本的に背離のある ことを私に再考させ、また、具体的事案を介した実 務家との共同研究の必要性を私に痛感させ、まさに 私にとっての僥倖であった。本学法学研究科出身者 の2名(九州大学大学院法学府教授、熊本学園大学 会計専門職大学院教授)を含め、現在の九州地域の 各大学の税法専任者をみると隔世の感がする。

研究分野は、恩師山本正太郎博士がイギリス土地 収用の権威者としてイギリス法に造詣深く、その感 化を受け、イギリスの税務行政手続とわが国のそれ との比較研究を始めたが、今日までの主たる業績一 覧表を顧みれば、とりわけ、税務調査である。論文 の中でも税務調査に関する件数が多いためか、実務 家から「税務調査において苦い経験があったのです か?」と尋ねられたことすらあった。この研究の動 機はいたって単純かつ不純である。本学の長期在外 研究期間(当時の長期在外期間は6ヶ月であったが、

教授会等のご好意により半年間の延長を認めていた だいていた。)の終了数ヶ月前に、日本税法学会本 部より、帰国後の全国大会で帰朝報告をせよとの書

簡をいただいた。急遽、遊学気分を払拭し、図書館 に没頭。書籍の上で、出国前からイギリスの税務調 査に関する諸規定が改正される旨の情報を得ていた こともあり、取り敢えず調べ始めた研究分野にすぎ ない。日本税法学会第52回大会(京都会館会議場)

で報告し、その詳細な内容は、当時、研究所委員(現 在の研究推進部委員)であったため、法学部の機関 紙である「法学論叢」の投稿件数の少ない時を見計 らい、法学論叢22巻3・4号33頁〜33頁(昭53・

3)、同23巻3・4号35頁〜42頁(昭54・3)、同 4巻2・3号17頁〜11頁(昭54・11)、同30巻1 号1頁〜30頁(昭60・6)において不連続の連続と して掲載させていただいた。在外研究期間の与えら れたことに感謝の意を表するささやかな研究内容で ある。

在外研究先は、当時イギリス税法のボス的存在で あり、座右の書British tax encyclopedia vol.5の筆 者でもあったProf. G. S. A. Wheatcroftおよび公私に わたりご指導賜ったProf. A. R. Prestの在籍するロ ンドン大学LSEであった。後に知ることになるが

Wheatcroft教授の受講者のほとんどは弁護士、会計

士、招請研究者であるため、受講者の勤務終了後の 夜間に開講されており、その講義内容の意義・教育 方法などにおいて実務家を介した具体的問題に対応 する総括的および広域的な知識・問題を体得してお く必要性が認識させられた場でもあった。また、Prest 教授が当時イギリスで採用していた賦課課税制度の 改革を意図していたためであろう、わが国の申告納 税制度について醍醐味のある質問を受け、わが国制 度の基本的な諸問題を再考させられたこと、その後、

私の入院中に、Prest教授ご夫婦が本学に来校され、

奥様から主人が病を患っての来日であることを知ら され、教授に再会できなかった悔いを千載に残すこ とになった(教授は翌年逝去された)

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わが国の税務行政手続に関する諸法律および諸規 定が不備・不明確であるゆえに、とりわけ、実務上 における予測可能性および司法救済の困難さを常に 認識させられていた。その後、長年の願望であった 行政事件訴訟法および行政手続法が改正され、また 行政不服審査法の改正動向が法案化されているとは いえ、いずれの改正内容および改正動向も税務争 訟・訴訟には原則的に適用除外になっている。税務 争訟・訴訟の分野では旧態依然とした現状下にある。

先進諸国と比較するならば、わが国の税務調査に関 する法制は発展途上国の域を出ていないとすら感じ る。行政手続法の発展は民主主義国家のバロメータ であることを確信している。渡英のたびに質問され た税務調査に関する諸問題が先進諸国並みに立法上 解決され、渡英の際に堂々と開陳できる日が実現す ることを切望している昨今である。

赴任後、前任者の中川一郎博士が創設されていた 九州地域の大学人、税理士、弁護士、公認会計士で 構成する九州地区研究会を受け継ぎ、現場の生々し い諸問題を介した修己治人の場として活用させてい ただいている。立法論はさておき、単なる観念的解 釈論の虚無さを体得させられた場でもある。現在、

第35回研究会を迎えている。10年頃であろう大 学における産学協同の必要性が叫ばれ始めたが、今 更の感であった。全国的に注目された、九州におけ る税務勝訴判決も少なくはないが、納税者等が税務 訴訟において勝訴判決を得ることは、立法上の不 備・不明確さ、調査権のない民間人の証拠収集能力 の限界、立証責任などからして、司法判断に改変の 兆しがあるとはいえ、困難な現状下にある。現状下 においては、税務争訟・訴訟を提起するか否かにか かわらず、法的視点に立脚した予防法学的思考を日 常業務における基本的姿勢にすべきことを再認識さ せられたことも当該研究会である。後述する税理士 補佐人特別講義の開講はその躬行による返報である。

二つの新企画が、関係者のご好意により、本学で 実施できたことについても感謝の意を表しておきた い。

一つは、日本税理士会連合会(以下、「日税連」

という。)による第一回寄附講座指定校に本学と早 稲田大学が選ばれ、平成7年度から2年間、法学部 で「特別講義・日税連寄附講座」を開講したことで

ある。初年度は「税法制と私」を、次年度は「現代 税法制の課題と展望」をそれぞれの統一テーマとし て、関係者に生の意見・問題点を指摘していただき、

学生が身近な問題として税法制を捉えることを目標 に、当時の日税連会長・平田公敏氏、全国婦人税理 士連盟会長・遠藤みち女史、東京大学教授・金子宏 氏、日弁連弁護士税制委員長・山本洋一郎氏、福岡 国税局長・中川雅治氏、朝日新聞西部本社経済部長 兼論説委員・尾身一郎氏による各界の第一線で活躍 されている著名な方々に学外講師をお願いした。肩 書き、講義内容に圧倒されたのか最初は質問が全く なかったが、慣れるに従って的確なあるいは熟考す べき質問が涌泉のごとく湧き出し、安堵した記憶が 蘇る。寄附講座を切っ掛けに、受講生が税理士、国 税専門官に興味をもち、各1名のOBが私の知る限 り現在活躍中であることも思い出す。

二つは、平成14年4月1日より現行税理士法が施 行され、税理士は、租税に関する事項について、裁 判所において、補佐人として弁護士である訴訟代理 人とともに出頭し、陳述することができるように なったことに合わせ、同月より、全国に先駆け、九 州北部税理士会とのタイアップにより、税理士を対 象とした税務訴訟における補佐人のあり方、役割、

訴訟上の諸問題等について理論と実務を加味したカ リキュラム、教材を作成し、法学研究科の特設講義 を開講したことである。30名定員のところ10名近 くが応募中であることを知らされ、急遽、35名で締 め切り、来年度に再応募していただくことで決着し た苦い思い出があり、また、開講時には、税理士が 裁判所の許可なく、裁判所に出頭し、陳述できる新 たな制度に係る講義であるためか、テレビ取材陣が 講義室の前で数社待機しており、講義終了後、間髪 を容れずの取材に応じた思い出がある。それら思い 出の主たる理由は、講師陣として、最高裁で税務訴 訟に係る2件の逆転勝訴判決を得た丸山隆寛弁護士、

日弁連弁護士税制委員長として税務訴訟に卓越した 山本洋一郎弁護士および訟務検事であった黒澤基弘 弁護士に賛画していただき、ご尽力いただいたから である。

最後になりましたが、39年間、自由な研究の場と 貴重な人的交流の機会を与えていただいた本学なら びに関係者の方々に再度深謝の意を表し、擱筆する。

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研究雑話

我が著作の思い出

工学部教授 築 地 武 彦

私は本学4号館の教室で学生として学び、昭和4 年(16年)に卒業した後、同43年4月には、その 北側に増設された研究室に講師として入室した。そ の後、南側に移ったものの29年まで43年間もの長 きにわたり4号館で研究、教育に携わってきた。そ の間、ゼミの学生およそ50人を卒業させ、著書4 冊、論文や学会発表を含め32編を表わしたが、我々 の実験室では機械器具費、実験実習費合わせて約2 億4千万円を使わせていただいた。

紙面には限りがあるのでこれら全てについて総括 することはできないが、著書にまつわる話を披露し たい。

昭和50年の真夏ごろ、突然、大阪大学の先生と名 乗る人から電話がかかってきて、電気計測関係の本 を出版するので共著者になってほしていとの依頼が あった。私はその先生には全然面識がなかったので 驚いたが、本の執筆には興味があったのであまり深 く考えずに引き受けることにした。後日、参考図書 から複写した図面や回路図が送られて来て、それら の図面に文章を貼り付けるようにと指示された。

私は、残念ながらこのとき始めて教科書作りの舞 台裏を知るこことなったが、図面等は新たに書き直 し、出来るだけ独自性を盛り込んだ内容の原稿を 送った。昭和51年に学芸出版社から「電子機器計測 工学」が出版され、その中の第1章を飾ることとなっ た。

5年の春ごろ、リアライズ社の編集者からの電 話で、東京でアンテナ関係の講習会を開いてほしい と連絡があった。東京を始め中央には多くの研究者 が居られるのになぜに九州の私に依頼するのか疑問 であった。しかし、その編集者は我々の分野の学会 にも時々出席して世の中の情勢をリサーチしている が、私が学会の会場で質疑応答にも活発に参加して いるのを見ているからだと言う。この時もまた、リ

アライズ社がどんな組織かは知らないまま、この企 画を引き受けたが、講習会には一流の電子機器メー カを始め20数社からの参加者があった。

その後、リアライズ社から、講習会で使った資料 集を本にしたいとの要請があり、平成9年(17年)

に同リアライズ社から「入門モーメント法による移 動通信用アンテナ技術」が出版された。

私は、本学に就任すると早速、電気磁気を講義し ていただきたいと相談された。電気磁気学は電気系 の学問としては基礎となる重要な学科であるがやや 難解な点が問題であり、教えるにはそれなりの経験 が求められる。しかし、当時は、電子工学科が発足 したばかりで、教員の陣容では誰かがやるとすれば、

私が引き受けざるを得ない状況ではあった。振り返 ると、当時の学生諸氏には申し訳ないが、私自身で 十分には理解しないままに教壇に立っていたことも 多かった。

9年から1年間、アメリカのオハイオ州立大学 に留学を許されたが、その時、そこの先生から、英 文はコンピュータを使って文章を編集をするワード プロセサ(現在のワープロ)を作ることができる。

しかし、日本文字の場合、漢字が多いので和文のワー プロは出来ないのではないかと言われ、議論したこ とがある。当時、日本では和文タイプライターを使っ て文章を活字化していたが、これを電子化するのは 大変であると思われた。

しかし、帰国後、ヒューレット・パッカード社製 のグラフィック・タブレット(HPA)を使って !×2!の板上に20の平仮名、英数字、ギリシャ 文字、そして漢字を印刷した紙を張り付け文字盤を 作り、文字を選べば、パソコン(HPS)の画面 に文字が表示される装置を開発した。当時、日本語 のワープロの専用機が発売されたばかりでかなり高 価であった。私の開発したワープロは、20個の文

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字の中から漢字を探して入力しなければならないの で操作が困難と予想されたが、専門分野の文章の作 成では使われる文字は限られており、慣れるとワー プロの漢字変換より楽であった。

私のゼミの学生が、私の黒板の文字が判りづらく、

後で講義ノートを作るのが大変であったと卒業を前 にして正直に語ってくれたことがある。そこで、電 気磁気学の講義をまとめたテキストを作る決心をし、

自作のワープロを使って30ページからなる電気磁 気学のテキストを完成させた。技手、助手にお願い して、毎年、10冊ほどのテキストを印刷、製本し ていただき、講義に使うこととなったが、大変あり がたかった。

あるとき、理工図書という出版社の営業担当者が 来室して、工学部の他の学科のテキストを出版して いるが、電子科ではそのような要求はないかと話さ れた。早速、電気磁気学のプリントを見せたが、す ぐにも出版することになった。

しかし、ページ数が40ページ以上になるため、

業界では、上下2部に分冊するのが常識であると言 われた。分冊は不便であり、学習上も問題があると 思うし、アメリカのテキストは分厚いのが常識であ るので、分冊には同意しなかった。そして、平成6 年に「電気磁気学」の第1版が印刷されたが、価格 が60円と高価になり後で学生の不評を買うことに はなった。

3年末に、ある出版社から講義のテキスト用に、

電気磁気学の新刊が送られてきた。私は自前の教科 書を使っているので不必要ではあったが、何の気な しにパラパラとページをめくった。その本の中には どこかで見たことがある図面があり、気になったの で、自分の教科書と対比させてみた。驚いたことに、

私のテキストとそっくりの図面があちこちに掲載さ れているではないか。さらに、文章にも、1ページ 以上に亘ってそっくりのページが本全体に見つかっ た。

早速、理工図書にその出版物を送り、検討してい ただいたが、所謂、盗作に間違いないと判断し、そ の本の出版社と交渉された。すぐに、出版社から謝 罪の文章が届き、残っている本すべてを償却処分す ること、絶版の処置をする旨の連絡を受けた。

この間題の本の著者は、東京の超一流の私立大学

の先生たちで、すぐに、所属の学部長から謝罪の手 紙を頂いた。さらに、後日、二人の著者による謝罪 のための訪問を受け、出版までの経緯を知ることと なった。二人の恩師が出版の前年に亡くなられ、出 版準備中の遺稿を見つけたので、亡き恩師の意思を 受け継いで二人の名前で出版したとの事。そのため、

どういう経緯で私の教科書から内容がコピーされた かは知る由もないと説明された。

幸いにも、盗作の本は出版されたばかりで、あま り流通していないこともあり、理工図書が受けた損 害は少なく、理工図書は穏便な解決を望まれ、この 事件は解決を見た。また、冒頭にも書いたように、

この分野の出版物は盗作とまではいかなくとも軽度 の転載は無視されているようで、両出版社の対応は やや冷ややかではあった。

私はこの電気磁気学を執筆するに当たり、多くの 教科書を参考にしたが、出来るだけ自分の考えを入 れて、どちらかというと自己流の教科書になったと 思っている。そのため、私の教科書が参照され、そ の内容が使われていることに秘かな誇りを覚えてお り、公にはしなかった。

その後、パソコンによるワープロが普及して、複 雑な図面を含んだ文章も比較的簡単に作れるように なり、講義科目の「電波工学」の資料はワープロで 作成して学生に配布していた。総合電子出版社から のEメールで、本にするような原稿がないかと問い あわせがあった。当時すでにかなりの量の原稿が あったので早速、CDに焼いて出版社に送った。早 速出版されることになったが、まず、第1章のゲラ Eメールに添付された電子ファイルで送られ、

それをワープロで校正してEメールで出版社に送り 返した。このようにしてIT時代を象徴するように、

すべての章がペーパーレスで校正され22年3月に

「電波・アンテナ工学入門」が出版された。出版社 の社長は、この本は実用書としても売れ行きがよく 期待していると言っていたが、残念ながら出版社は 倒産した。

お陰さまで、無事、40数年の教師としての役目を 全うできました。これも、多くの皆様の温かいご支 援によるものと深く感謝しています。

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参照

関連したドキュメント

同志社商学 第6 0巻 第5・6号(2 0 0 9年3月). 9

同志社商学 第6 0巻 第3・4号(2 0 0 8年1 2月). 6

同志社商学 第5 8巻 第6号(2 0 0 7年3月). 1 6

同志社商学 第5 8巻 第1・2・3号(2 0 0 6年1 1月)..

同志社商学 第5 6巻 第5・6号(2 0 0 5年3月). 3

4 4 Gelpi and Julien−Labruyère, Histoire du Credit à La Consommation(邦訳 72−73 ページ) 。 同志社商学 第5 6巻 第2・3・4号(2 0 0 4年1

同志社商学 第5 6巻 第2・3・4号(2 0 0 4年1 2月). 2 4

(3 0) 新井隆一,前掲書(注1 4) ,1 2 7頁。. (3 1) 新井隆一,前掲書(注1 4) ,1