奈良教育大学学術リポジトリNEAR
日本人英語学習者のための文法指導を考える(1)
−教育英文法に求められる三つの条件−
著者 伊東 治己
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 41
号 1
ページ 1‑22
発行年 1992‑11‑25
その他のタイトル On Grammar Teaching for Japanese Learners of English as a Foreign Language (1) : Three Requirements of Pedagogical Grammar
URL http://hdl.handle.net/10105/1745
日本人英語学習者のための文法指導を考える( 1 )
‑教育英文法に求められる三つの条件‑
伊 東 治 己 (奈良教育大学英語教室) (平成4年4月30日受理)
本稿の目的は、日本人英語学習者のための英文法指導の理想像を、今後継続的に研究して行く 上での基本的な枠組みを提示することにある。具体的には、日本の学校における日々の教育実践
の中で学習者に提示される英文法、つまり、教育英文法に求められる条件について、具体例を交 えながら考察していく。教育英文法が、理論英文法と異なるところは、言語学習に関わる要因、
言語使用(コミュニケーション)に関わる要因、ならびに言語接触(っまり学習者が既に日本語 を習得しているという事実)に関わる要因が考慮されなければならないという点である。本稿で 提示されている教育英文法の三つの条件は、それぞれの要因との絡みで設定されている。
教育英文法は、外国語あるいは第2言語としての英語教育の分野において重要な研究課題の一 つであり、これまでにも数多くの著作や論考が国内・国外において発表されてきている。ただ、
それらの多くは、どちらかと言えば、英語教育に関心のある言語学や英語学の研究者が、教育現 場の英語教師や学習者の啓蒙を目的に、英文法の中で特に学習者にとって有益と思われる文法事 項について解説を施すといった性格が強かったと患われる。言語学や英語学という純粋学問が背 景にあるためか、文法記述の学習効果よりも、理論文法との整合性や文法体系としてのまとまり の方が強調されがちであった。本稿を手始めに我々がここで目指している教育英文法は、あくま で教科教育学の立場から迫ろうとするものである。教授者、学習者、学習環境などの教育条件を 強く意識した上で、理論文法との整合性もさることながら、その学習効果や学習促進力を最大限 に引き出すことがその中心的課題である。教育的見地からの英文法の解説に留まらず、教室での 異体的な提示法や説明法、さらにはその練習法なども視野に入れて論ずることになる。
1.学習者にやさしい文法(LearnerJriendly Grammar)であること 現在ワープロやコンピュータを利用している人々の大半が、使い始めの頃、一度ならず、ワー プロやコンピュータ・ソフトに付随するマニュアル(使用説明書)の難解さに戸惑いを感じたに ちがいない。さらに、おそらくそれ以上に多くの人々が、分厚くていかにも難解そうなマニュア ルを見て、未だワープロやコンビュ‑夕の世界に入って行けないでいるにちがいない。一体全体、
その種のマニュアルはどうしてかくも難しく書かれているのだろうか。それには、 4つの理由が 考えられる。
第1の理由は、ワープロやコンピュータ・ソフトのマニュアルが、それらを開発した技術者の 立場から書かれており、それらを初めて使うユーザーの立場に立って書かれていないという点で ある。その結果として、新米のユーザーには全く無縁と恩われる専門用語が何の断りもなく多用
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伊 東 治 己
され、かつ、ワープロやコンピュータに関することで基本的なことの多くが、当然理解されてい るものとして、まともに説明されないままになっている。
第2の理由は、マニュアルが、ワープロやコンピュータ・ソフトの機能を100%使い切るユー ザーを想定して書かれている点である。しかし、新米のユーザーに必要なのは、最初から備わっ ている機能の1割から2割で十分かも知れない。結果的に、その種のマニュアルには、極めて基 本的な使い方しかしないユ‑ザ‑が1度も目を通すことのない部分が多く含まれることになる。
要するに、ユーザーのレベルやニ‑ズが考慮されていないのである。
第3の理由は、第2の理由の当然の帰結として、ワープロやコンビュ‑夕を初めて使う人に対 しても、既に日常的に利用している人々に対しても、全く同じ説明がなされている点である。同 一のワープロなりコンピュータ・ソフトに初級者用、中級者用、上級者用とレベルに応じて別々
のマニュアルが用意されているのは極めてまれであるし、読んでいるうちにより高度な使い方を したくなるように思わせるマニュアルなど、ほとんど見かけられない。
第4の理由は、ワープロやコンピュータ・ソフトの機能をすべてもれなく説明することに意が 用いられている関係で、それぞれの機能について実に詳しい説明が、ただ、漫然と並んでいるだ
けになっている場合が多い点である。その結果として、新米のユーザーが機械の電源を入れ、所 定の作業を完了し、電源を切るまでの一連の操作を実行するのに、それこそマニュアルのあちら こちらを引きまくるはめになってしまう場合が多々ある。要するに、各機能の説明の間の有機的 な関連が考慮されていないのである。
以上、長々とワープロやコンピュータ・ソフトに付随するマニュアルの難解さの原因を説明し てきたが、それには当然理由がある。それは、ここで指摘した4つの問題点がそっくりそのまま 教育英文法を標検する文法書の多くに当てはまるからである。最近になって、やっと日本の通産 省も各メーカーに対してなるべくユ‑ザ‑にとってわかりやすいマニュアル、つまり、 user‑
friendlyなマニュアルを準備するよう働きかけるようになってきたが、学校英語教育において も、なるべく学習者にやさしい文法、つまり、 learner‑friendlyな文法を真剣に考える時が来た ようである。以下、教育英文法が学習者にやさしい文法であるための必要条件について教科教育 学的見地から説明していく。
(1)学習者本位であること
理論英文法と教育英文法の根本的相違は、前者が基本的には研究者を対象とし、後者が学習者
を対象にしているという事実である。当然のことながら、前者においては文法記述の正確さや整
合性を確保することに力点が置かれるが、後者においては、英語の学習をいかに促進するかとい
う点に力点が置かれる。つまり、教育英文法は、それ自体がひとつの目的として追及されるので
はなく、あくまで̀a useful aid in helping students to achieve the practical mastery of a
language'(Allen & Widdowson 1975:47)として機能するべきであり、 「英語学習が、より多
くの生徒によって、より速く、より愉快に、よりたやすく行われるようにするための、 「縁の下
の力もち」的文法」 (小山内1985:213)という性格を持つことになる。ところが、従来の教育
英文法においては、この点の認識が必ずしも十分ではなく、記述の学習効果よりは、その理論的
背景になっている英語学や言語学との学問的整合性の方に記述の力点が置かれていたように思え
てならない。その結果として、これまでに提案されてきた教育英文法の中には、その内容の程度
がかなり高度になっているものが多く、必ずしも学習者、特に、学習を開始したばかりの中学生
のニーズに十分答えているとは言い難い面がある。
本稿で教科教育学的見地から提案しようとしている教育英文法においては、主体はあくまで学 習者であり、英語学習の促進がその主目的である。それ故、教育英文法の具体的中身を決定する 際には、教育文法一般を̀an interpretation and selection for language teaching purposes of
the description of a language, based not only on linguistic, but also on psychological and
educational criteria'と定義したStern (1983: 186)の指摘をまっまでもなく、単に言語学的な 基準のみならず、心理学的基準や教育学的基準をも考慮に入れることが必要になってくる。当然、
日本人学習者を対象にした教育英文法もこのような学際的な努力の結果として生まれて来るべき ものであろう。しかも、現場の英語教師が指導する生徒は、最近の第2言語習得研究によって明
らかにされているように、決して単なる知識の受け皿として存在しているのではなく、自分の内 部で自分なりの仮説の構築・検証を繰り返している極めて能動的な存在なのである。その仮説の 構築・検証のプロセスを側面から援助するのが教育英文法の使命である。
文法指導の主体はあくまで学習者である。決して、英語教師が自分の文法知識の豊富さを見せ びらかす場になってはいけないし、ましてや、 ̀the resort of the teacher who does not really know the language he is teaching'(West 1952 : 26)になってはいけない。教育英文法を論ず る場合、まずこの点を確認しておくことが必要である。
(2)学習レベルに対応していること
ワープロやコンピュータ・ソフトに備わっている機能をすべてもれなく説明しようとすると、
新米のユーザーにとって不要な情報を多く含み、とてつもなく分厚いマニュアルが出来上がるよ うに、英語母国語話者に備わっている文法をもれなく正確に記述しようとすると、英語をあくま で外国語として学習している日本の中学生や高校生にとって当面必要とは思われないものまで含 まれて来ることになる。教えなくてもよいことまで、丁寧に教えてしまう結果になるのである。
一方、記述の学問的正確さもさることながら、それに加えて学習効果を重視する教科教育学の観 点に立てば、教育英文法も量的にも質的にも学習者のレベルに即応したものでなくてはならない ことになる。その意味で、外国語学習者が必要とする文法は、あくまで彼ら自身が現に習得して いる外国語の語量の大きさに比例するというWest (1952:29)の指摘は、今なお傾聴に値する。
ここで、簡単な計算をしてみよう。英語母国語話者が18歳の時点で所有している語嚢はおよ そ216,000語にのぼると言われている(Diller 1978: 130)。一方、現行の学習指導要領で日本の 学習者が高校卒業(18歳)までに学習するように規定されている語嚢は、最高で2,950語である。
今ここで、仮に18歳の英語母国話者が習得している文法を100%とすると、日本人学習者が高 校卒業までに習得することを期待されている文法は、 Westの提案に従って単純比例計算すると、
わずかその1.4%でよいことになってしまう。ここまで厳密に考えないとしても、日本人学習者 が身に付ける英語の語嚢の大きさを考慮すると、日本人学習者用の教育英文法はもっと軽量化さ れてしかるべきだと思われる。アメリカの大学への留学希望者を対象に実施されるTOEFLテ ストにおいても、日本人受験者の文法部門の成績が、語嚢部門の成績と比べて、不釣り合いに高 くなっていることがしばしば報告されている。学校英語教育における必要以上に行き届いた文法 指導の賜であろう。
教育英文法を軽量化すると言っても、これまで過去数回の学習指導要領の改訂の中で実施され
てきたように、中学校で扱うべき文法事項を単に高校に回すだけという安易な軽量化では、問題
ifimi^msmm
の本当の解決には繋がらない。英語の文法の中で本当に基礎・基本と言えるものは一体何かとい う根本的な問いかけに基づく質的変革が強く求められていると言ってよいであろう。ワープロや コンビ3.‑夕を、極めて基本的ではあるが十分に実用的な用途にしか使用しないユーザー用のマ ニュアルが存在してよいのと同じように、外国語である英語に対して基本的ではあるがそれなり に十分実用に耐え得るような使い方しか当面考えていない学習者にふさわしい教育英文法が存在
してよい。例えば、中学校段階で指導すべき重要な文法事項に関係代名詞がある。とかく我々は、
細かい用法の違い(例えば、 whoとthatの使い分け、 whichとthatの使い分け、目的格の関係 代名詞が省略される場合と省略されない場合の違い等)に目を奪われがちであるが、当の中学生 にとってこの種の情報がどのような意味を持っているのかを真剣に考えていく必要がある。
(3)完成品としての大人の文法ではなく成長し変化していく文法であること
従来の教育英文法において記述されている文法は、どちらかと言えば、母国語としての英語の 習得を終えている成人の英語話者が従っていると思われる文法、いわば完成品としての大人の文 法という性格が強い。例えば、荒木(1974: 9)は、英語学の立場から、外国語教育における
「文法指導の具体的内容」を、 「ある特定言語の規則の体系、より厳密には、その体系についての 言語学者の仮説を支えている言語事実を教えると同時に、生徒に規則の運用練習をさせる」こと と規定しているが、 「言語学者」が分析の対象にするのは大人の発話であることを考えれば、そ こには明らかに完成品としての大人の文法が想定されていると言える。この種の既に完成された 大人の文法を念頭に置いた従来の文法指導においては、授業計画に合わせて、それを細かく分割 して学習者に提示するという方法が取られる。学習者にしてみれば、 1回1回の授業で示される 文法事項をひとつずつ確実にマスターしていけば、最終的に、平均的な英語話者が所有している と思われている文法とほぼ同じ物が獲得できることになっている。そこに想定されている文法学 習のプロセスは、基本的に、積み重ね(accumulation)のプロセスである。図1は、それを図 式化したものである。
図1 文法学習のAccumulationモデル
ここで問題なのは、このように細切れにされた大人の文法に、教育英文法に求められる英語の 学習を促進する力があるかどうかである。例えば、乳離れしつつある人間の赤ちゃんは、どんな に栄養があっても大人の食べ物は受け付けない。そのために離乳食というものが存在している。
それと丁度同じように、大人の文法も、たとえそれがどんなに理論的に正しいものであっても、
英語学習を開始したばかりの学習者に受け付けてもらえないかも知れない。それを無理に詰め込
もうとすると、赤ちゃん同様、学習者も消化不良を引き起こしてしまい、健全な成長が望めなく
なる危険性がある。赤ちゃんの健全な成長を促進する離乳食のような教育英文法が学習者には必
要なのである。そのためには、文法の見方を根本から変革する必要がある。
本稿で教科教育学的見地から志向している教育英文法は、決して、完成品としての大人の文法
ではない。 "The proper object of language teaching should be ̀living'grammar, for learning is basically a process of growth, a construction or reconstruction process."とい
うTitone (1969:45)の指摘に見られるような、生きて成長し変化する文法である。文法指導 のプロセスも、図1のような細かく分割された文法知識の積み重ね(accumulation)ではなく、
図2のように学習者の内部での文法知識の洗練化(elaboration)として把握される。
図2 文法学習のElaborationモデル
文法知識の積み重ねモデルにしても洗練化モデルにしても、最終目標は同じである。ただし、
その最終目標に至るまでの道程にはかなりの相違がある。積み重ねモデルの場合、学習者は文法 学習の最終到達点において初めて英語の文法体系の全体像を掴むことが出来るが、洗練化モデル の場合は文法学習の初期の段階から、洗練の度合にはかなりの違いはあるが、英語の文法体系の 大枠を把握することが出来るのである。さらに、積み重ねモデルにおいては、途中で英語の学習 を放棄した場合、それまでに獲得した文法知識は不完全なままで、ひとつのまとまり感に欠ける が、洗練化モデルにおいては、仮に途中で学習を放棄しても、学習者には英語についてのある程 度まとまりのある文法知識が残ることになる West (1960:37)の言葉を借りるならば、後者 の方が前者よりも̀surrender value'が大きいのである。
Noblitt (1972:317)は、教育文法一般を̀a series of synchronic statements of the student's successive approximation of the target language'として捉えているが、後者の洗 練化モデルにおいて必要とされている教育英文法はまさにこのような中間言語的発想(Nemser 1971; Selinker 1972)に立脚する文法である。ただ、中間言語的発想に立っ文法と言っても、
子供の母国語習得や第2言語習得の過程において一時的に見られるような準英語表現(誤答分析 でいうところのdevelopmental error)の学習を提案しているわけではない。学習者用にいくら 細かく切り刻んであるとしても、完成品としての大人の文法を学習者に提示することの非効率性 を指摘しているのである。学習の促進という観点からの教育英文法の質的変革を提案しているの である。例えば、中学生が学習する重要な英文法事項の一つに不定詞がある。従来の教育英文法 によく見られるようにこ名詞的用法、形容詞的用法および副詞的用法に分けて指導することが学 習者にとってどういう意味を持っかを真剣に考えることが今求められているのである。
(4)学習のつながりが考慮されていること
日本の中学校用英語教科書のような、いわゆる構造シラバスに基づく初級者用英語テキストの
執筆者が最も苦心する所は、指導の対象となっている個々の文法項目を易から難へと順序よく配
伊 東 治 己
列する点にあると言われている。この点においては、従来の文法指導においても学習のつながり は十分考慮されてきたと言えるかも知れない。問題は、従来行われてきた文法項目の配列は、ど ちらかと言えば、上で触れた完成品としての大人の文法を細かく輪切りにした形の文法項目の間 の易から難への順序付けで、しかも、その易から難への配列も基本的には言語学的基準に基づい ての順序付けという性格が強かったように思われる。文法学習のプロセスを文法知識の単純な積 み重ねと考える立場においては、このような順序付けでもよいかも知れないが、文法学習のプロ セスを学習者内部の文法知識が徐々に洗練されていくプロセスと考える我々の立場においては、
まったく新しい視点からの順序付けなり、学習内容の関連付けが必要とされている。具体的な方 略としては、まず、学習の対象となる文法項目を設定する場合に、従来の大人の文法の枠組みに 必ずしも固執しないことが挙げられる。さらに、文法項目の配列においては、単に言語学的基準 に照らし合わせて易から難へと順序付けるだけでなく、心理的および教育的基準も加味しながら、
学習の促進という観点から学習内容そのものの有機的関連性を追及することが必要になってくる であろう。具体的には、ある文法項目の指導に際して、その学習に必要な文法事項の学習が既に 行われているかどうか、またここで学習される内容がどのような形で将来の学習につながり得る のか、という点を慎重に吟味すること、つまり、当該文法項目の「過去・現在・未来」をしっか
りと考えることが必要になってくる。
具体的な提案としては、まず、英語学習初期 段階における文型学習の重要性を指摘したい。
従来の文法指導においては、学習指導要領の中 に典型的に示されているように、文型と文法事 項が相互に関連付けられることなく、それぞれ 独自に並行的に指導される傾向にあったと言え
る。一方、新しい教育英文法においては、英語 の文法の基本は語順を中心とした文型にあり、
数や時制といった細かい文法事項がそれをサ ポートするという構図の下、特に入門期におい ては文型の指導に力点が置かれることになる。
この文型優先の原則は、最近の第2言語習得の 研究成果によっても支持される。例えば、
Ellis (1985:63)は第2言語習得のプロセスを
Rev
U ‑unanalysed units
1 ‑basic syntax (i. e. invariant word order) 2 ‑variant word order
3 ‑morphological development 4 ‑complex sentence structure
図3 第2言語習得プロセス 図3のような同心円の形で示している。これは、
第2言語としての英語の文法が、語順を中心と
した基本文型、疑問文や否定文にするための基本操作、人称や数や時制による語形変化、複文や 重文といった順に段階的に習得されていくことを示している。つまり、文型が文法事項に先駆け て習得されるのである。入門期における教育英文法においては、特に、この順序に注目し、その 学習内容のつながりを考慮することが求められる。
文型指導の中身についても、学習のつながりという観点からの変革が必要であろう。従来の文 法指導における文型の扱いは、どちらかと言えば、その英語学的な分類に力点が置かれ、学習者 が個々の文型をどのように把握するのか、さらに、学習者の文型理解が学習の進展に伴ってどの
ように深化していくのか、といった心理言語学的な側面への配慮が欠落していたように思われる。
例えば、英語学の分野においては、従来から英語の文型としては基本5文型(細江1971)や7 文型(Quirk etal. 1985),さらには25の動詞型(Hornby 1954)等の存在が認められているが、
これらはあくまで完成品としての大人の文法においてのことである。入門期の英語学習者がこれ ら5文型なり7文型なりを同時に学習していくことは到底不可能である。また、それらをそのま まの形でひとっずつ順番に習得していくとも考えられない。入門期の学習者に対しては、文型そ のものをもっとゆるやかな形で提示していくことが必要であろう。例えば、 Quirketal. (1985:
730‑731)の分類に従えば、 John is my best friend.とJohn is in his room.は、それぞれSVC とSVAの文型として位置付けられているが、入門期の学習者にとっては、この相違はあまり意 味をなさない。むしろミ 囲is国のような単純化された文型の方が学習者にとってはより生産的で あると考えられる。我々にとってより重要なのは、学習者の文型理解が園is画からSVCやSVA へと深化していくプロセスであり、そのプロセスを助長するための学習のつながりを考えること である。
これに関連して、英語の学習を一般動詞で始めるか、それともBe動詞で始めるかという問題 は、これまでにも多くの研究者や現場教師の関心を集めてきたが、未だ学問的に解決されていな いo 現行の中学校用英語教科書6種のうち、 Total English (秀文出版)だけが‑般動詞で始め ており、大勢はBe動詞で始める方向にあると言える。ただ、学習のつながりを保証するという 教育英文法の立場からすると、 Be動詞で始めるか一般動詞で始めるかという出発点での問題よ
りも、 Be動詞から一般動詞への移行あるいは一般動詞からBe動詞への移行をいかにスムーズ に行うかという問題の方が重要である。従来の文法指導においては、とかく、両者の相違のみが 必要以上に強調される傾向にあったが、学習のつながりを保証するという立場からすると、むし
ろ、 Be動詞文に関して学習した内容を一般動詞文の学習に生かす(あるいは、その逆の)方向 での指導が強く求められている。なぜなら、今まさに多くの中学生がこの点につまずき、結果的
に英語学習への興味を失っているという現実があるからである。
以上、学習のつながりを考慮した文法指導の内容として3点はど紹介してきたが、これ以外に も考慮すべき問題は多く残されている。いずれ稿を改めて、具体的に論じることにする。
2.コミュニケーションを意識した文法(Communication‑oriented Grammar)であること
社会の国際化に伴って異文化間コミュニケ‑ションが極めて現実的な問題となってきた今日、
学校における英語教育においても、実質的に世界共通語となりつつある英語で自由に意思の疎通 ができる能力、いわゆるcommunicative competenceを育成することが重要な課題になってき た。この社会的要請を受けて、コミュニケーションを志向した動きが研究者や現場教師の間に着 実に広がっている。一方、この動きに呼応して、文法指導の影が次第に薄くなってきたのも事実 である.さらに、文法指導とコミュニケーション能力の育成を対立的に捉える傾向も教育現場で は強まりつある。しかしながら、ことばをrule‑governed behaviorと捉える以上、文法なくし てコミュニケーションは成立し得ない。なるほど、 "There are rules of use without which the rules of grammar would be useless." (Hymes 1972:278)も真実であるが、おそらくそれ 以上に、 "There are rules of grammar without which the rules of use would be inoperable."
(Carroll 1980: 8)も真実なのである。 Canale& Swain (1980)やCanale (1983)の分析にお
伊 東 治 己
いても、 grammatical competenceがcommunicative competenceの最も基本的な要素となっ ている(伊東1987)。当然、コミュニケーション能力の育成を目指した英語教育においても、文 法の指導は重要な位置を占めることになる。その意味で、次のWilkins (1976:66)の指摘は傾 聴に値する。
It is taken here to be almost axiomatic that the acquisition of the grammatical system of a language remains a most important element in language learning. The grammar is the means through which linguistic creativity is ultimately achieved and an inadequate knowledge of the grammar would lead to a serious limitation on the capacity for communication.
Wilkins自身が、いわゆるCommunicative Language Teachingの中心的人物であることを考 えれば、ここに示されている見解は一層重みを増してくる。ただ、いくら文法なくしてコミュニ ケーションは成立し得ないと言っても、従来からとかく批判の対象となってきた文法のための文 法指導への回帰を意味するものではない。コミュニケーション能力の育成に寄与できるような文 法指導が強く望まれている。我々が志向している教育英文法が、それ自体目的としての文法では なく、あくまで実際の使用につながる文法、コミュニケーションを意識した文法であることの必 要性がそこにある。以下、コミュニケーションを意識することの具体的中身を示していく。
(1)言語運用の実態が反映されていること
教育英文法が、単に英語に見られる規則性を記述するだけでなく、実際のコミュニケーション につながるものになるためには、まず第一に、コミュニケーションの手段としての英語使用の実 態が正しく反映されていることが必要である。以下、その具体的方略を二つ取り上げる。
英語使用の実態を反映させるための第一の方略は、理論文法のように個々の文法項目を同じ比 重で扱うのではなく、コミュニケーションにおける有用度(communicative value)の違いを 考慮することである。例えば、英語においては語順が主語、目的語といった基本的文法関係を示 す上で重要な役割を演じている。この点を考慮に入れれば、学習者にやさしい文法の所で示した、
骨格としての文型を文法事項がサポートするという構図はここでも尊重されなければならない。
この構図に加えて、コミュニケーションにおける有用度の観点からの文型内部および文法事項内 部でのランク付けも考慮に入れる必要がある。この作業においては、個々の文型なり文法事項な
りの使用頻度が貴重な情報源となる。例えば、文型については、いわゆる第5文型(SVOC)は 日本人学習者が特に苦手とする文型で、実際の指導においても比較的大きく取り扱われる文型で ある。しかし、実際のコミュニケーションにおけるその使用頻度は、教育現場での特別な扱いを 正当化するはど高くはない。文法事項についても、現在の中学や高校での扱いは、実際の使用頻 度の違いよりも、理論文法や伝統文法での取り上げ方の違いを反映している傾向が強い。例えば、
関係代名詞は中学校で教えられる文法事項の中でも特に重要視されている文法事項であるが、実 際のコミュニケーション(特に話し言葉)での使用頻度はさほど高くない(小山内1985:191)。
さらに、個々の文法事項内部においても、その細かい用法ごとの使用頻度も参考資料として貴重
である。同じ関係代名詞を例に取るならば、その細かい用法の間には次のような使用頻度の相違
が見られる(Celce‑Murcia & Larsen‑Freeman 1983 : 366)。
1) SS型 ThegirlwhospeaksBasqueismycousin. (12%) 2) OS型: IknowthegirlwhospeaksBasque. (55%) 3) SO型 Themanwho (m) youmetismyteacher. ( 7%) 4) 00型: Iknowtheplaceyoumentioned. (25%)
当然、関係代名詞の指導においても、どの構文に指導の力点を置くべきかは明白である。しかし、
中学生や高校生を対象にした問題集や入試問題の中には、学習者の関係代名詞についての理解度 を最も使用頻度の低い構文を使って調べようとする傾向が強く見られる。とてもコミュニケ‑
ションの実態を反映しているとは言い難い。文型や文法事項のランク付けのための情報源として は、この使用頻度以外に、第1言語習得や第2言語習得における習得順序についての研究成果 (Dulay & Burt 1974; Hatch 1978; Burt & Dulay 1980; Makino 1980)も参考になる。取り上 げられている文法事項の数が限定されているという問題はあるが、一般に自分にとって大切なも のほど早く習得されるという学習の基本原則に照らし合わせて考えれば、自ずとその利用価値が 見えてくる。加えて、英語学習者が実際のコミュニケーションの中で犯す誤りとそのメッセージ の理解度との関連を調べる研究、いわゆるerror gravityの研究の成果(Burt & Kiparsky 1974; Hughes & Lascaratou 1982; Davies 1983 & 1985)も貴重な情報源になりうる。例えば、
いわゆる「三単現のS」は、特に学習が困難な文法事項として中学校での文法指導の中で特別な 強調が置かれる項目であるが、 error gravityの観点からすると、生徒の誤りに対してそれほど 神経質になる必要はなさそうである。第2言語習得における習得順序も比較的遅く(Dulay, Burt&Krashen 1982:208)、コミュニケーションにおける有用性は決して高いとは言えない。
英語使用の実態を反映させるための第二の方略は、リスニングやスピーキングなどの言語技能 (スキル)との関連性を追及することである。言うまでもなく、実際のコミュニケーションはリ スニングやスピーキングなどの言語技能の形で遂行される。言語技能と文法の関係については、
主に学力論の観点から、個々の言語技能に特有の文法の存在を認める立場(The Divisibility Hypothesis)と、各言語技能に対して共通の文法の存在を認める立場(The Indivisibility Hypothesis)の論争が今も続いている(大友1981; Oiler 1979)c どちらの立場をとるにせよ、
指導という観点からすれば、語嚢の分野においても理解はできる語嚢(receptive vocabulary) と運用までできる語嚢(productive vocabulary)の存在があるように、文法においても理解ま でに留めておいてよい文法項目と運用まで高めておきたい文法項目の存在を認めても差し支えな いであろう。もちろん、具体的にどの項目を理解までとするか、あるいは運用まで高めるかは、
個々の学習者のレベルに応じて決定されるものであるが、コミュニケーションの観点から理解に 留めておくべき英語表現と運用の段階まで習熟すべき項目を明記しているvan Ek (1975)の資 料は、ヨーロッパの英語学習者をターゲットにしているという点を差し引いても、ひとつの方向 性を示すものとして貴重な情報源となりうる。折しも、平成元年度に改訂された中学校学習指導 要領においては、関係代名詞が理解の段階までに留めておくべきものとして明記されている。そ れは、単に中学生の学習の負担を軽減するための教育的配慮かも知れないが、我々としてはもっ と積極的に、学習レベルに応じて教育英文法にコミュニケーションの実態を反映させるためのひ
とつのきっかけとして捉えたい。
(2)意味と形式との関連性が意識されていること
コミュニケーション能力の養成という観点からとかく批判の対象にされているAudio‑
10 伊 東 治 己
Lingual Approachの問題点は、機械的な文型練習の中に象徴されているように、発話の意味よ りも形式を優先したところにあった。本来、コミュニケ‑ションというものは、発信者の頑の中 で形成される意味から出発し、最終的に受信者の頑の中にそれに相当する意味が形成されるとい う極めて意味を中心に展開されるプロセスである。それ故、コミュニケーションにつながる教育 英文法を志向する立場としては、当然、学習当初から形式と意味との問の関連性に留意する必要 がある。ここでは、そのための二つの方略を示すことにする。
第一の方略は、発話の文法形式を発話が伝えようとしている概念や機能と関連付けることであ るO この点に関しては、構造シラバスの弱点を補填するものとして登場してきたノーショナル・
ファンクショナル・シラバスの考え方(Wilkins 1976; Munby 1978;Johnson 1982)が参考に なる。例えば、従来の文法の体系性を重視する教育英文法では、次に示す三つの用例は相互に関 連付けられることなく、個々の文法構造に応じて個別に扱われてきた0
1 ) I advise you to go tosee a doctor.
2) Whydon'tyougotoseeadoctor?
3) If I were you, I would go to see a doctor.
なるほど形式的には三者の間に何の関連性も兄い出せないが、発話の機能に注目するならば、い ずれも「相手に対する助言・忠告」という類似性を持っている。ある程度学習が進んだ段階で、
これらをまとめて指導することは、単に発話の機能に生徒の関心を向けるという点だけでなく、
表現の幅を広げるという観点からも、効果的な指導法となる。特に、仮定法については、従来の
「現実の反対を仮定した時の表現」という説明よりも、 「相手に助言や忠告を与える時の表現」と いう説明の方が、コミュニケーションにつながる可能性は高いであろう。上の三つの例の場合と は逆に、次に示されている用例(Quirk etal. 1985:831‑832)の場合のように、同一の文法形 式が様々な機能を持つ場合もある。
1) Fire! (ORDER)
2 ) Don't touch. (PROHIBITION) 3) Shut the door, please. (REQUEST) 4) Help! (PLEA)
5) Take an aspirin for your headache. (ADVICE) 6) Lookout! (WARNING)
7 ) Make yourself at home. (INVITATION) 8) Havea cigarette. (OFFER)
形式的にはいずれも「命令文」である。しかし、機能的にはすべて「命令」とは言えない。こう なると、従来の教育英文法で使われている「命令文」という文法用語の妥当性も問題になってく る。また、使用されている内容語との関連性もさることながら、発話する時の声の調子やイント ネーションなどによっても、 「命令文」の機能は変化し得ることに鑑み、音声と文法との関連性 にも留意することが必要になってくる(多田1977)。
形式と意味を関連付ける第二の方略は、形式そのものの中に本来備わっている文法的意味に注
目することである。ここでは、例として不定詞と過去時制を取り上げる。まず、不定詞の指導に
ついて考えてみよう。従来の教育英文法においては、とかくその基本三用法(名詞的・形容詞
的・副詞的)の相違が強調されがちで、 「前置詞to+動詞の原形」という形式自体に備わってい
る意味が考慮されることはまれであった。形式そのものの中に本来備わっている文法的意味を尊
垂する立場としては、前置詞わに本来備わっている「方向性」に注目し、それが動詞と結び付 くと、次の用例に見られるように、 「願望」や「目的」に衣更えする点を特に強調したい。
1) I walkわschool every morning.
2) I wantわplay tennis this afternoon.
3) I want to go to England this summer to study English.
不定詞を前置詞わが有する「方向性」との関連で理解すれば、次に示されているような動名詞 との違いも理解しやすくなる。
1 ) I likeplaying tennis better than any other sport.
2) I would like toplay tennis this afternoon.
3 )事I would likeplaying tennis this afternoon.
次に、過去時制について考えてみよう。英語の過去時制に関することで、多くの学習者が理解 に苦しむ点は、次の用例に見られるように、時間的には現在や未来に属する内容を表現する場合 にどうして動詞や助動詞の「いわゆる過去形」が使われるのかという点である。
1 ) I went to England eight years ago.
2) Would you please speak more slowly?
3) Didyouwanttoseemenow?
4) I was just wondering if you could give me a lift.
5) I would accept his offer, if I were you.
過去時制を単に「過去の出来事を伝えるときに使われる形」としてだけ理解している学習者には、
第2例以降に「過去形」が使われていることが理解できない。ましてや、第1例も含めた用例相 互の関連性など思いもつかないであろう。しかし、常識的に考えて、同じ「過去形」が使用され ている以上、そこには何らかの関連性が存在するはずである。本来、過去時制にはremoteness つまり「疎遠性」という文法的意味が備わっていると考えられる。その「疎遠性」が「時間」に 適用されれば、第1例のように「過去の出来事についての報告」となる。もし、 「人間関係」に 適用されれば、第2例から第4例のように疎遠な関係にある人々に対する「丁寧な表現」となる。
さらに、 「疎遠性」が「現実性」に適用されれば、第5例のように現実から遠ざかっている事柄、
つまり、現実の反対を仮定する仮定法となる。いずれの場合においても、過去時制の「疎遠性」
が基礎となっているのである。
(3)発話のまわりが考慮されていること
従来の文法書の中で使われている用例を調べてみると、文としての簡潔さを追及するあまり、
その発話者や発話の状況などが不明確なものが多くある。一方、コミュニケ‑ションというもの は、本来、特定の状況の中で、特定の時間に、特定の場所で、特定の意図の下、特定の話し手と 聞き手によってなされる極めて個別的な発話行為である。教育英文法が実際のコミュニケーショ ンにつながるものになるためには、この種の発話の「まわり」を考慮することが絶対条件となら ざるを得ない。
発話の「まわり」としてまず考慮しなければならないのは、発話が行われる異体的状況である。
例えば、次の二つの未来表現(Wekker 1976: 128)を比較してみよう。
1 ) Don't sit on that rock. It'JJ fall.
2) Don't sit on that rock. It'sgoing to fall.
rj