の﹁あきらかに知んぬ︑これ凡聖自力の行にあらず︒ゆゑに不回向の行と名づくるなり︒﹂︵原漢文
二︑
三三
︶の
文や
︑
﹁信文類﹂の﹁まことにこれ大小・凡聖︑定散自力の回向にあらず︒ゆゑに不回向と名づくるなり︒﹂︵原漢文
一
、六五︶の文によって︑衆生の回向ではないことを示される︒このような親驚聖人の姿勢からして︑往生という語に関
しで
も︑
一般的な概念規定を全く否定するような意味で用いられたと考えることは困難である︒もし一般的な概念規
定を全く否定するような意味で往生という語を用いられるならば︑正しい情報を伝達するために︑言い換えれば誤解
を避けるために︑聖人は明確な説示をなさったはずであったと論じることは強弁であろうか︒また︑現実的に︑﹃教
行信証﹄に用いられている全ての語に関して︑一般に共有されているその語の理解に依らないという姿勢を取れば︑
その内容を理解することは全く不可能となる︒換言すれば︑親鷲聖人自身による明確な概念規定の無い限り︑それぞ
れの語は一般に共有されているその語の理解に従って理解してゆくことこそが正しい方法論であって︑それは先入
観・無反省な固執という言葉でおとしめられるような姿勢ではない︒そして︑往生という語について一般に共有され
ている理解は︑﹁この世の命が終わって︑他の世界に生まれることをいうが︑浄土思想の発展によって︑この穣土を
離れ
てか
の浄
土に
往き
生ま
れる
こと
をい
うよ
うに
なっ
た︒
﹂︵
﹃岩
波仏
教辞
典﹄
︶︑
﹁命
終わ
って
他の
世界
にゆ
き生
まれ
る
こと︒﹂︵法蔵館刊﹃仏教学辞典﹄︶というものであり︑法然上人が﹃往生要集大綱﹄に︑﹁往生と言ふは︑草庵に目を旗
ぐの問︑便ちこれ蓮台に扶を結ぶの程︑即ち弥陀仏の後に従ひ︑書薩衆の中に在り︑一念の頃に西方極楽世界に生ず
るこ
とを
得︒
﹂︵
四︑
二一
九二
一︶
と示
され
︑親
鷲聖
人が
﹃尊
号真
像銘
文﹄
に﹁
往生
とい
ふは
浄土
に生
ると
いふ
なり
︒﹂
︵二
︑
五八八︶と説示されるものも︑その枠外に出るものではないと考えるべきであろう︒寺川博士の所論に於いては︑難
思議往生・双樹林下往生・難思往生︑それぞれの事態の相違は明確であるが︑なぜこの三の事態が︑往生という同じ
語で統べてあるのかが分明でない︒親鷲聖人が︑明確な説明なしに︑往生という基本用語を︑一般的な概念規定を否
定するような意味で用いられるであろうか︒寺川博士の所論に対する第三の疑問である︒
結
以上︑寺川博士の所論に対して︑三つの疑問点を表明させていただいたが︑枚数制限の関係から触れなかった疑問
点︑また意をつくせなかった箇所もないではない︒しかし︑親鷲聖人の教えそのものを明らかにするために︑聖人の
お聖教を厳密に解釈してゆくという立場からの疑問を概ね明らかにすることができたと思えるので︑
一応
稿を
閉じ
て
おき
たい
︒
なお︑寺川博士の所論を誤読し︑見当違いの疑問を表明していることもあるやも知れず︑その点ご指摘を賜れば幸
甚で
ある
︒
最後に︑同じ土俵を設定して︑対話の可能性を与えて頂いた寺川博士の所論に感謝の意を表明して本論文を締めく
− −
3 0
くり
えし
親鷺
聖人
にお
ける
往生
五
親鴛聖人における往生
一
.ノ...、1....註 ︵
1︶
﹁宗
祖教
義に
おけ
る往
生と
成仏
﹂︵
﹃中
央仏
教学
院紀
要﹄
第七
号所
収︶
﹁宗
祖の
往生
観﹂
︵﹁
真宗
研究
﹂第
一一
一八
輯所
収︶
﹁親
鷺聖
人に
おけ
る往
生と
成仏
﹂︵
中西
智海
先生
還暦
記念
論文
集﹃
親鴛
の仏
教﹂
所収
︶
﹁親
鷺の
和語
聖教
に於
ける
本願
成就
文釈
﹂︵
﹃真
宗学
﹂第
九七
・九
八合
併号
所収
︶
︵2︶講演記録を検討の対象とすることの可否には異論もあろうが︑既発表論文との関係ゃ︑講演者自身の校正を経た後の活字化が普通であるという現況に鑑み︑講演記録も検討の対象とさせていただく︒︵3︶﹃真宗聖教全書﹂の巻数と頁数︒但し︑どの箇所かを示すのみであり︑仮名・漢字の使用法や仮名遣いは﹃真宗聖教全
書﹄
その
まま
では
ない
︒
︵4︶訓読は筆者︑以下原漢文と表示するものの処置は向︒