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こぺる No.079(1999)

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乙べる刊行会

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部落のいまを考える⑩ アイデンティティの相対化と実体化の狭間で 原田琢也 ひろば⑪ 奈良・東之阪を訪ねて 住田一郎

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部落のいまを考え る ⑩ ー は じ め に

アイデンティティの相対化と実体化の狭間で

原田琢也︵中学校教員︶ 本誌においてはここ数年、﹁部落民﹂のアイデンティ ティをめぐる議論が活発に行われている。本誌における 議論は大きく分けて二つの系に分かれる。一つの系は、 ﹁部落︵民このとらえ方をめぐる議論である。原口孝博 氏はそれを︿共同幻想﹀だと言い、住田一郎氏は︿実 体 ﹀ だ と 一 言 、 っ 。 も う 一 つ の 系 は 、 ﹁ 部 落 史 ﹂ の 存 在 を め ぐる議論である。畑中敏之氏は﹁部落史﹂というものが あってはおかしいと言い、師岡佑行氏はそれがなくては お か し い と 一 言 う 。 私 に は 、 一 つ 自 の 系 の 議 論 で ど の よ う な立場をとるかによって、二つ目の系の議論でとるべき 立場が、自ずと決まってくるのではないかと思われる。 ヂ イ ベ 1 ト 私は、これらの議論は、人々が考えを深め、 核心に迫ろうとする際には、とても重要な意味を持って いると考えている。だが、一方で、社会的現実はこのよ うに二律背反ではないのではないか、という疑問も抱い ている。つまり、一見相いれない︿共同幻想﹀論と︿実 体﹀論というこつの捉え方も、主観と客観というこつの 軌道を用意して考えれば、理論的に相互乗り入れが可能 と な る の で あ る 。 私が、なぜそのような複雑な論理構成をとろうとする のかについても、最初に少しだけ触れておく必要がある ように思う。私はつい最近まで、ある同和校に務め、微 力ではあるが同和教育に携わってきた。﹁立場の自覚﹂ は、解放運動や同和教育の大前提である。私は﹁部落﹂ の子どもが少しでも確かな同和問題認識を持てるように、 こ と の

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学校や学習センターでの様々な取組の企画や実践に関わ ってきた。そして同和教育の見直しが進んでいる今日に おいでさえ、もちろんそのアプローチは変えられるべき だとは思うが、﹁立場の自覚﹂を前提にした同和教育は 必要であると感じている。しかし、他方において、ある 地域に住む子どもたちだけを、その地域に住んでいると いう理由だけから、﹁地区生徒﹂というように一括りに してしまう運動や同和教育の理論には、幾ばくかのわだ かまりや違和感を感じていたことも確かである。また、 ﹁差別する側/される側﹂という立場の絶対化が、コミ ュニケーションの不通をつくりだし、かえって問題解決 を遅らせているのではないかと感じることも、何度か経 験してきた。私は、そのようなジレンマを抱えながら実 践を続けていく中で、いつ頃からか次のように考えるよ う に な っ て い た 。 確 か に 、 ﹁ 部 落 ︵ 民 ︶ ﹂ は ︿ 実 体 ﹀ で は な い 。 だ が 、 ︿ 実 体 ﹀ で は な い も の が 、 あ た か も ︿ 実 体 ﹀ であるかのように立ち現れざるを得ない現実がある限り、 ﹁ 部 落 民 ﹂ ︵ あ る い は ﹁ 地 区 生 徒 ﹂ ︶ と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ は 、 戦 略 的 に 必 要 な の で は な い か 。 私 見 は 、 ﹁ 部 落 民 ﹂ と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 、 ︿ 実 体﹀ではなく︿共同幻想﹀であると位置づけながら、そ れでも、それを持つことに積極的な意味を見いだそうと する点で、原口氏の見解とも、住田氏の見解とも、被を 分かつことになるのである。そこで、教育現場に身を置 く者として、何かを言わねばならないとの思いから筆を 執ったのが、本誌六五号︵九八年八月︶掲載の﹁部落問 題と︿共同幻想論﹀をめぐって﹂というタイトルの小論 である。だがその後、本誌七二号︵九九年三月︶に、 ﹁ ﹃ 現 実 ﹄ を つ く る ︿ 実 体 化 ﹀ と ︿ 実 体 化 ﹀ を う む ︿ 共 同 え き ぐ ち 幻想﹀﹂というタイトルの浴口勝也氏の論考が掲載され た。その大半が拙論に対する批判にあてられており、光 栄に思う反面、誤解されているところが多いので驚かさ れもした。そこでもう一度、私見について述べさせても ら う こ と に し た の で あ る 。 2 ︿共同幻想論﹀とカムアウト 私 が あ る 同 和 校 に 務 め て い た と き に 、 A 子らのカムア ウトによって、教室の中にある﹁地区生徒/地区外生 徒﹂を分かつ︿自に見えない壁﹀がうち破られたことに ついては、本誌五三号︵九七年占月︶にすでに書かせて

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もらったことがある。私は、自分のクラスの生徒に、カ ムアウトを勧めたこともなければ、もちろん強制したこ ともない。だが、学校や学習センターで同和問題を学習 していく中で、地区生徒自らが、クラスのみんなの前で カムアウトしたいと言ってきた時には、精一杯それをサ ポ ー ト し よ う と 努 力 し て き た つ も り だ 。 私には、﹁部落民﹂とは、はじめから﹁ある﹂もので はなく、﹁なる﹂ものであるように思える。もちろん、 社会的な圧力によって、﹁なる﹂ことを余儀なくされる のだが、それでもぎりぎりのところでは、自分で﹁な る﹂ものだと思うのである。だから生まれながらにして 自らのアイデシティテイが、﹁部落民﹂だということは あ り 得 な い 。 A 子 ら の 場 合 も 、 そ う だ つ た 。 住 田 氏 は 、 本誌六二号︵九八年五月︶において、このことを﹁部落 民をいったん引き受ける﹂という言葉で表現されている。 そうであるならば、住田氏のアイデンティティが、生ま れながらにして﹁部落民﹂であったはずはないし、また それが客観的に︿実体﹀としてあるはずもないのである。 ところが、住田氏は、原口氏の︿共同幻想﹀論に対し て、そんなことを言われたらカムアウトすることの意味 がなくなってしまう、と反論する。その論旨は次のよう で あ っ た 。 ﹁ ﹃ 部 落 民 は 存 在 し な い ﹄ と い う 考 え 方 を 徹 底 的 に 突 き詰めるならば、名乗るか名乗らないかということ は問題になりょうがない。なぜなら、﹃部落民﹄は 現実の人間として存在しないのだから。﹃私は﹁部 落民﹂だ﹄と告げることは、それが存在するという 考え方をぎりぎりのところで認めてしまう、つまり、 ﹁ 部 落 民 ﹂ の 存 在 を 実 体 化 し て し ま う こ と に な ﹂ り 、 私が提起する﹁カムアウト﹂は自家撞着に陥ってし ま う ︵ 本 誌 六 五 号 ︶ 。 だが、カムアウトをめぐるこの解釈は、私の考えとは少 し違う。この社会には、実在するはずのない﹁部落民﹂ を、ある一部の者に引き受けさせ、あたかも実在してい るかのように立ち現れさせようとする権力関係が実在す る。私が、生徒のカムアウトを支援してきたのは、実在 する権力関係の存在に気づき、それに対して勇気を持っ て真っ向から立ち向かっていこうとする生徒の姿に、私 自身が共感を覚えたからに他ならない。カムアウトを行 うのは、あくまでも﹁部落民をいったん引き受け﹂た ﹁ 私 ﹂ な の で あ り 、 ﹁ 実 体 化 ﹂ さ れ た ﹁ 部 落 民 ﹂ と し て の ﹁ 私 ﹂ で は な い は ず で あ る 。

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とはいえ、住田氏には、あくまでも﹁部落民﹂は︿実 体﹀であると思われて止まないのである。私はそれを否 定しているわけではない。いやそれどころか、生徒のア イデンティティ形成を支援する立場からは、住田氏ほど の確かな﹁部落民﹂像が生徒の心の内に形成されれば、 どれほど心強いことかとも思うのである。しかし、それ はあくまでも住田氏の主観の中でのことであり、客観的 には、﹁部落民﹂は︿実体﹀であるはずがない。原口氏 が、︿共同幻想﹀論で問題にするのは、まさにこの主客 のギャップである。思考の矛先を、︿実体﹀としての ﹁ 部 落 民 ﹂ か ら 、 ﹁ 部 落 民 ﹂ が 主 観 の 中 で ︿ 実 体 化 ﹀ さ れ る 過 程 へ ・ と 移 し か え て や る こ と に よ っ て 、 今 ま で 運 動 や 同和教育の理論がうまく問題対象化できなかった﹁部落 民/非部落民﹂を分かつ原理を、前面に浮かび上がらせ る こ と が で き る よ う に な る の で あ る 。 ところで浴口氏は、次のように私見を批判されている。 原 田 氏 は 、 ﹁ ﹃ 部 落 ︵ 民 ︶ ﹄ が ︿ 幻 想 ﹀ で あ る か ら こ そなされるカムアウト﹂の重要性を唱えられていま すが、っきつめて︿幻想﹀であることに自覚的にな った者にカムアウドは可能なのでしょうか︵本誌七 一 一 口 す ︶ 。 まずこの点は大きな誤解であるが、私はカムアウトの重 要性を唱えた覚えは一度もない。私が唱えているのは、 ︿共同幻想﹀論とカムアウト論は、必ずしも対立しない と い う こ と で あ る 。 ﹁ ︿ 幻 想 ﹀ で あ る こ と に 自 覚 的 に な っ た者にカムアウトは可能なのでしょうか﹂という聞いで あるが、私は可能だと思っている。なぜなら、浴口氏や 原口氏は本誌において﹁部落民﹂を相対化することの重 要性を主張されているのだが、私にはそれらの発言その ものが、両氏のカムアウトであるように思えるからであ る。もちろん両氏のカムアウトと住田氏のカムアウトと は、内容が大きく違うのだが、﹁部落民をいったん引き 受け﹂た﹁私﹂としての立場から、部落問題の解決を目 指して発言されていることには違いないのである。 また、浴口氏は、次のようにも述べられている。 今の私の歩みは、人々の生きである姿に目を向け、 解き放たれていないと感じる人に︿共同幻想﹀を対 象化する働きかけをしていくところにあります。 : ・ そ れ は 、 私 に と っ て 、 解 放 へ の 道 の り と な る も の で す ︵ 本 誌 七 二 号 ︶ 。 確かに、そうなのかもしれない。だが、﹁部落民﹂とい う︿共同幻想﹀を抱くことすらできていない人々の解放

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はどうなるのだろうか。教育に携わる私にとってみれば、 この点こそが重要な問題なのである。私は、少なぐとも アイデンティティには、次のような機能があるのではな いかと考えている。一つ目は、社会空間における自己の 位置を知るための、地図や座標のような機能である。二 つ目は、自己を外界に対して積極的に働きかけるように 仕 向 け る 主 体 性 の 源 泉 と し て の 機 能 で あ る 。 一 二 つ 目 は 、 集団を集団としてつなぎとめる紐帯としての機能である。 たとえアイデンティティが︿共同幻想﹀にすぎないとし、 それを相対化し脱構築することに意義を見いだせたとし ても、アイデンティティの存在そのものを根底から否定 し、それを不要なものとしてしまうことはできまい。そ もそも浴口氏が︿共同幻想﹀の相対化の過程に﹁解放へ の道のり﹂を見いだすことができるのも、浴口氏自身の 内に相対化されるべき﹁部落民﹂としてのアイデンティ ティが形成されていたからに他ならないのである。︿共 同幻想﹀が形成されていなければ、︿共同幻想﹀から解 き放たれる喜びを感じることすらできないのである。誤 解を恐れずに言えば、地区生徒に限ったことではなく、 今の子どもたちにとって不足しているのは、まさにアイ デンティティ︵ H 共同幻想︶なのではないだろうか。 このように考えてみれば、アイデンティティを実体化 して考えようとする立場も、相対化して考えようとする 立場も、どちらかが絶対的・普遍的に正しいというわけ ではなく、またその逆でもないということがわかる。浴 口氏のおっしゃる通り、﹁その違いは、両者の体験や周 囲の状況を反映している﹂のである。少なくとも、今現 在﹁部落﹂に住んでいる人と、そうでない人が直面して いる状況は、明らかに違うはずである。﹁部落﹂の外に 住みながら自己を﹁部落民﹂と規定する人の存在を切り 捨てるわけではないが、部落問題を議論するとき、﹁部 落﹂という地域性を無視して議論することはできまい。 私の主張は、明らかに地域を前提にしている。 3 ﹁差別の構造﹂とは何か ﹁部落民﹂が客観的には︿実体﹀でないことは、もは や疑うべくもない事実である。そのような状況のものを 何と呼べばよいのかわからないので、とりあえず原口氏 の︿共同幻想﹀という言葉を私も使わせてもらうことに する。︿共同幻想﹀をめぐる原口氏の説明はこうであっ

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た 。 いうならば私達日本人の遠い先祖が何らかの共同体 や国家を形成した時から形を変えながらも連綿と維 持され、今なお私達の意識・無意識の中で身につけ てしまっている共同幻想︵共同体意識・共同的差別 観 念 ︶ と し て の 連 続 性 で あ る ︵ 本 誌 一 一 一 八 号 、 九 六 年 五 月 ︶ 。 ︿共同幻想﹀は、単なる個人的な思いこみゃ妄想ではな く、社会・歴史的に構成された︿観念﹀である。ここま で は 、 私 見 と 一 致 す る 。 しかし、この先が違う。原口氏は、︿共同幻想﹀を ﹁ 関 係 の 中 の 幻 像 ﹂ で あ る と し 、 ﹁ ︿ 観 念 ﹀ の 問 題 ︵ 頭 の 書き換え︶として撃てばよい﹂と言われる︵本誌五回号、 九七年九月︶。だが、私は、その観念が作り出される背 景には、周囲からのカテゴリー化︵ H 他者規定︶の圧力 があるのであり、さらにその背景には、客観的な権力関 係があると考えている。拙稿では、それらを総称して ﹁差別の構造﹂という言葉で表した。たとえ︿観念﹀の 問題であっても、︿観念﹀を︿観念﹀として生み出す客 観的な﹁差別の構造︺がある限り、﹁頭の書き換え﹂だ けではそれを乗り越えることはできないというのが私見 で あ る 。 通 常 、 ﹁ 部 落 ︵ 民 ︶ ﹂ を カ テ ゴ ラ イ ズ す る 観 念 の こ と を 差別意識と呼ぴ、特に部落問題については、仏教や神道 思想に由来する︿穣れ﹀の観念がその中核に位置すると 考えられてきた。しかし、私たち現代人は、それほど強 く 司 ︿ 糠 れ ﹀ の 観 念 に つ き ま と わ れ て い る の で あ ろ う か 。 あるいは、たとえそうだとして、その様態は旧態依然た る様式のままなのだろうか。たとえば次のような事例を 考 え て い た だ き た い 。 これは、私が勤めていた同和校である市立第二中学校 ︵仮名︶の校区の隣町にある写真屋に入ったときの会話 で あ る 。 実 は 、 二

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年ほど前まで、第二中学校は創立さ れておらず、第二中学校校区の生徒は、この写真屋があ る 隣 町 の 市 立 第 一 中 学 校 ︵ 仮 名 ︶ へ 通 っ て い た の で あ る 。 店主お客さんは、何をされてるんですか。 筆者中学校の教師です。 店主どこの中学校にお勤めなんですか。 筆者第二中学校です。 店主それはたいへんですね。いや、私らが中学生 だ っ た と き も 第 一 中 学 校 は 随 分 荒 れ て ま し て ね 。 今の第二中校区の子らがやんちゃで、たいへん

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ゃったんですわ。今は学校も分かれて、よくな り ま し た が 。 この主人が、第二中学校の地域に対してマイナス・イ メージを持っていることは確かなことである。そしてこ のような語り口をされることにより、第三中学校の地域 に対するマイナス・イメージが不特定多数の者に伝播し ていくことが予想される。私には、その時、この店主の 言葉の背後に、何らかの差別意識が潜んでいるように感 じられたが、ここで語られている内容を、偏見やでっち 上げだと決めつけるわけにはいかない。この店主の言葉 に潜む差別性を具体的に抽出することは、そう簡単なこ と で は な い 。 私は、第二中学校の周辺地域で、何度このような体験 をしたことかわからない。かくして﹁部落﹂の子どもた ちの学校での振る舞い、とりわけ﹁問題行動﹂は、﹁低 い ﹂ ﹁ こ わ い ﹂ ﹁ 遅 れ た ﹂ と い っ た ﹁ 部 落 ﹂ の マ イ ナ ス ・ イメージと容易に結びつき、差別意識を再生産していく ことにつながっていくのである。たしかにこれらの﹁部 落﹂のマイナス・イメージの根底には、︿織れ﹀の観念 が横たわっているのであろうが、この現象を、︿撮れ﹀ の一言で簡単に片づけてしまうことはできない。現代社 会には現代社会特有の、差別意識を生成するメカニズム が あ る の で あ る 。 劣 悪 な 生 活 環 境 ゃ あ か ら さ ま な 被 差 別 体 験 、 一 北 旦 則 の ﹁部落﹂の子どもたちが学校で﹁荒れ﹂るのは、比較的 理解しやすい現象であった。でも今はどうだろう。同和 対策事業が続けられた結果、生活環境は随分改善され、 多くの﹁部落﹂出身の生徒が日常生活では差別を感じた ことがないと言うようになってきた。だがしかし、私の 目の前では、﹁部落﹂の子どもたちが﹁荒れ﹂やすいと いう状況は、今なお続いているのである。ニの点に関す る実証的研究がないため、﹁私の目の前では﹂と断った が、この現象は﹁私の目の前﹂だけではなく、多くの ﹁部落﹂に共通して存在していると考えるのが妥当であ る。なぜなら、学力や高校中途退学に関する多くの実態 調査の結果が、﹁部落﹂の子どもたちが学校という場に おいて何らかの障壁に直面していることを、如実に示し て い る か ら で あ る 。 通常、学力や高校退学における格差の問題は、教育機 会の不平等、すなわち﹁部落﹂の子どもたちの自己実現 の機会を狭めるものとして問題視されることが多い。だ 白が、私は、それらの現象を生み出す要因が、低学力や高

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校退学などのアウトプットを作り出すだけではなく、学 校の教育過程において、様々な﹁荒れ﹂や﹁問題行動﹂ を生み出す要因と

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ても機能しており、それらの現象が ひいては人々の差別意識を強化し、差別意識の再生産に 力を貸してしまうことになっている現実を直視すべきだ と思うのである。差別意識は、必ずしも環境や経済的な 領域を介することなく、文化的領域において自律的に再 生産を繰り返しているのである。この構造を解かねばな ら な い 。 多くの学力実態調査が一示すところによると、一九八五 年以降、﹁部落﹂の生徒と﹁部落﹂外の生徒との聞の格 差は、ほとんど縮まっていないという状況があやこれ はなぜなのか。様々な仮説が立てられ、研究が進められ て い る 。 たとえば私が大きな示唆を受けた研究の一つに、西国 芳正氏の高知県のある漁村を対象としたエスノグラフ ② ィ l ︵民族誌的方法︶による研究がある。彼は、ある漁 村の﹁部落﹂に住み込み、その地域の子どもたちに勉強 を教えながら、その地域の子どもたちに共有されている 文化的特性を記述した。氏は、その地域の子どもたちに 次のような特徴を見いだしている。①はっきりとした方 言が残っていること。②速い口調で会話がなされること。 ③その地域では﹁テガウ﹂と言うらしいが、仲間同士で 嘘や作り話などを巧みに織りまぜ、互いにからかい合い ながら陽気に笑ったりすることが多いこと。④﹁腕力﹂ ﹁男らしき﹂が強調されること、などである。そして、 これら子ども集団に見られる文化的特徴は、﹁男らしさ﹂ ﹁荒っぽき﹂﹁笑い﹂を強調する、南町の男性の中に見ら れる漁師気質に由来しているのだと説明される。氏は、 教育達成を回む要因として、以下の三点を指摘している。 一つ目は、職業モデルが限定されていること。二つ目は、 学歴の取得が有利であることを示すモデルが少ないこと。 そして三つ目は、学校側の教育的働きかけが、結果的に、 異文化としての地域文化を矯正しようとすることとなり、 地域文化側の強固さを前にして、空回りを起こすだけで はなく、かえって生徒や親の反発を食らうことになって いるという点である。私には、この三つ目の点がとりわ け重要であると思われる。たとえば南町の荒い言葉は、 海の上でたえず危険と隣り合わせの漁師という仕事につ きまとう特性なのであるが、漁師以外の生業を中心とす る周辺地域からは、やはりマイナスのイメージでとらえ られることとなってしまうのである。そこで、教師は、

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その言葉づかいを直させることが大切である主考え、指 導に精を出すのだが、それがかえって地域文化を否定す るニととなってしまい、生徒の反抗を導く結果となって し ま う の で あ る 。 この研究では主にコミュニケーションに見られる諸特 徴に焦点があてられているが、私はかつて学校で行われ る服装指導に着目し、この問題を考えてみようとしたこ ③ とがある。中学校では、どこの中学校でも多かれ少なか れ、服装指導に多大なエネルギーが注がれているもので ある。最近はあまり聞かれなくなったが、﹁服装の乱れ は 、 心 の 乱 れ ﹂ 、 ﹁ 早 期 発 見 、 早 期 指 導 ﹂ と い う 決 ま り 文 句によって、結構細かいところまで指導がなされている ものである。中学校の﹁制服﹂は、ブレザー・タイプの ものが多く、どちらかといえば、﹁ホワイト・カラ l ﹂ と呼ばれる職種の人々が着用する服装のスタイルに近い ものであるといえる。一方、﹁部落﹂の大人が従事する 仕 事 の 内 訳 は 、 ﹁ ブ ル l ・ カ ラ l ﹂と呼ばれる職種が多 く、子どもたちが常日頃ス l ツやブレザーといった﹁フ ォーマル﹂な装いで過ごす大人に接することは、まれで あると思われるのである。教師は、やはり善意で、同和 問題解決の一助になればと思い、﹁部落﹂の子どもたち の﹁服装の乱れ﹂を指導するのだが、これもまた下手を すれば、子どもたちの自尊感情を傷つけるだけの結果に 終わってしまいかねない背景を持っているのである。 ま た 、 言 語 コ 1 ドに着目した研究も見られる。たとえ ば井上新二氏は、﹁部落﹂内では﹁話しことば﹂が言語 生活の中心になっているが、学校では﹁書きことば﹂が 中心になっており、その違いが学力差として現れるのだ ④ と 説 明 す る 。 確 か に 、 私 も 英 語 教 師 と し て 、 ﹁ 聞 く ﹂ ﹁ 話 す﹂の二領域では、むしろ秀でているぐらいの地区生徒 が 、 ﹁ 読 む ﹂ ・ ﹁ 書 く ﹂ と な っ た と た ん に 、 学 習 に 対 し て 拒 否 反 応 を 一 不 す と い っ た こ と を 、 何 度 と な く 経 験 し た こ と が あ る 。 いずれの研究でも、キーワードは︿文化﹀である。た だ こ こ で は 、 ︿ 文 化 ﹀ と い う 言 葉 が 、 ﹁ 部 落 の 文 化 ﹂ と し て一括りにできるほどの固定的で実体的な文化の存在を 意味しているわけではなく、あくまでも︿学校文化﹀と の差違に着目して使われている点に注意されたい。﹁問 題行動﹂や﹁問題生徒﹂は、はじめから﹁問題﹂として あるわけではない。そしてもちろん、地域の文化そのも のが問題であったり、劣っていたりしているわけでもな い。丈化は生活に根づいたものであり、文化そのものに

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は、優劣もなければ、貴賎もない。だが確実に、ある文 化は遅れていたり、劣っていたりしているように人々の 心には映り、そしてそのことが差別を正当化する装置に なっているという現実があるのである。それはどのよう な仕組を介して生み出されるのだろうか。 文化は人の外部にあるようで、内部にある。すなわち 人の心の深層︵ H 無意識︶を構成する。つまり、﹁身体 化﹂あるいは﹁血肉化﹂するのである。その結果、文化 的な特性は、周囲からは、その人に付随する生来的な特 徴であるかのように、受け止められてじまうことになる のである。いま仮に、文化 A と文化 B というこつの文化 があったとしよう。そして文化 A を身につけている人々 の集団をグループ

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、文化 B を身につけている人々の集 団をグループ b と呼ぶことにする。文化 A と文化 B の 聞 には、優劣もなければ貴賎もない。だが、グループ

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と グループ b の聞には権力関係があり、いま仮に、グルー プ

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の方がグループ b より強い立場にあることにする。 すると文化 A は 権 力 を ・ 有 す る 人 々 と 一 体 化 し て い る 特 性 となるので、﹁優れている﹂という印象を人々に与え、 ﹁正しい文化﹂であるとみなされていき、逆に文化 B は 、 ﹁劣った文化﹂であるとみなされていくことになるので j ある。さらに、グループ

a

は﹁正しい文化﹂を身につけ た人々の集団であるということで、権力をさらに維持・ 再生産させることができ、逆にグループ b は、権力を持 つことを抑えられることになるのである。学校文化は、 支配的文化︵ H マジヨリテイの文化︶を反映していると 言われる。上の説明では、文化 A に該当する。よって学 校文化は﹁正しい文化﹂だと見なされ、対抗的な文化が 生み出す実践を、﹁問題行動﹂として位置づけることが で き る よ う に な る の で あ る 。 z h 司 ︸ 学校文化と地域の生活文化の醐闘が学校の中に持ち込 まれ、﹁部落﹂の子どもたちを学校文化に対抗的な実践 へと誘うことになる。そして文化の背後にある集団聞の 権力の不均衡が、その実践に対して﹁問題行動﹂という レッテルを差し向けることになるのである。﹁部落﹂の 子どもたちの﹁問題行動﹂は、周辺地域の人々が持つ ︿織れ﹀の観念とむすびつき、﹁低い﹂﹁こわい﹂﹁遅れ た﹂といったマイナス・イメージを強化し、差別意識を 再生産していくことになるのである。これらのことは、 学校という場の地盤に埋め込まれた︿構造﹀のなせるわ ざ で あ る 。

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結 び さて、このような﹁差別の構造﹂を両側から越えるた めに、私たちにはどのように戦略を立てることができる のであろうか。大きく分けて二つの方向性が考えられる。 一つは、私たち教師が、このような構造を意識し、学 校文化を相対化じ、自らの教育実践をつくりかえていく 努力を続けることである。たとえば、新学習指導要領に は﹁総合学習﹂が盛り込まれている。地域の生活文化と 学校文化の闇酷という問題が課題の根底にあるのだとす れば、地域の大人たちから体験を通じて学び、地域の実 情を起点として学習を組み立てていこうとする総合学習 の発想は、課題解決のために大いに期待できるものであ る と い え よ 、 っ 。 もう一つは、﹁部落﹂の子どもたちにこの構造につい て自覚させ、自ら主体的にこの構造を乗り越えていこう とする﹁構え﹂を形成することである。そのためには、 この構造における自分の位置を知る之と、すなわちアイ デンーテイテイを持つことが、やはり必要になってくるの で あ る 。 私は、﹁部落民﹂を相対化しながら実体化し、実体化 しながら相対化していこうと思う。人はこれを﹁矛盾﹂ と呼ぶかも知れない。だが、私は矛盾だとは思わない。 これが教育的営為の本質なのではないかと思うのである。 、 店 ①外川正明﹁同和教育におけるこれからの学力保障の諸問 題 ー ー 一 九 八 O 年 以 降 の 学 力 状 況 の 考 察 を 通 し て ﹂ 京 都 市 永 松 教 育 セ ン タ ー 平 成 九 年 度 研 究 紀 要 。 ②西田芳正﹁地域文化と学校||ある漁村部落のフィl ル ド ノ l ト か ら ﹂ 長 尾 彰 夫 ・ 池 田 寛 編 ﹃ 学 校 文 化 ﹄ 有 信 堂 、 一 九 九 O 年 。 ③原因琢也﹁学校文化その差別の構造||服装・頭髪指 ア リ ー ナ 導 と い う ︿ 葛 藤 の 場 ﹀ よ り ﹂ ﹃ 解 放 社 会 学 研 究 ﹄ 九 号 、 日 本 解 放 社 会 学 会 、 一 九 九 五 年 。 ④井上新二﹁思考の発達における言語の果たす役割||部 落 差 別 に よ る ﹃ 同 和 ﹄ 地 区 児 童 生 徒 の 言 語 発 達 の か た よ り が 知 的 発 達 に 及 ぼ す 影 響 ﹂ 。

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ひろば⑪

奈良・東之阪を訪ねて

住田一郎︵西成労働福祉センター︶ 私の文章﹁全同教奈良大会に参加して﹂が本誌︵七一 号、九九年二月︶に掲載されてすぐに、松田好則さんか ら回答文﹁住田一郎氏の疑問に応えて﹂︵七六号、七月 に掲載︶がファックスで送られてきた。数回のファック スでのやりとりのあと、私はすぐに松田さんの誘いにし たがい地元東之阪地区を訪ねることにした。特に、全同 教大会当日私の質問と意見に答えてくれた発表者や中学 生が私に会って話したいとの要望に応じるためでもあっ た。どこかで大きな誤解があるのなら正しておきたいし、 同時に、私が歌調﹁ここに生まれでよかった﹂に、なぜ いまもこだわっているのかの真意についても再度じっく り話しあえると思ったからである。 歴史的に著名な奈良の坂の者︵東之阪地区の前身︶に ついて私は知らなかったわけではない。戦後初期の実態 調査から地区の中学生が通う若草中学校の長欠・不就学 生徒数の異常な多さも知っていたが、訪ねるのは初めて で あ っ た 。 松田さんの案内で地区内を歩きながら、目と鼻の先に 見える巨大な大仏殿のシルエット、古く千数百年以前か ら春日大社との関係を維持し、社領の裏山管理と倒木の 処理権を一手に引き継いできたという歴史の重みに圧倒 された。毎年、秋に開催される鹿の角きり行事もかつて は東之阪地区の仕事であったらしい。その名残は地区の 目抜き通り両側に建つ旦那衆の立派な家並みによっても 知ることができる。何気なく、松田さんはそのうちの一 軒の門構えを一不しながら、﹁住田さん、あの門構えいく らぐらいだと思いますか﹂と聞く。門外漢の私にはとっ さに金額を言うこともできなかった。﹁一億円ですよ﹂ との彼の答えにただただ驚くばかりであった。これらの 旦那衆は春日大社の山林管理を独占的に任され、それに よって富を築いてきたそうだ。それ故、地区内の仕事は いまも土建業が多い。千数百年も歴史をたどることので きる︿由緒正しき﹀東之阪地区の存在を前に、大都市部 落出身の私はあらためて被差別地区の多様なあり方に目 を 聞 か さ れ た 。

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ところがそのような歴史︵相対的に地区内で仕事に就 く可能性があった︶。を持つ地区であっても、四七年生ま れの私より数年も若い松田さんの同級生のうち長欠・不 就学とならなかったのは旦那衆を除けばお寺の息子と彼 ぐらいだったという話に、思わず、﹁なぜ!﹂と聞き返 したほどであった。地区内に存在したあまりに大きな貧 富の格差も原因であったに違いないのだろうが、私には 釈然としなかった。大きな邸宅に住む旦那衆の仕事に多 くの地区住民も就いていたに違いないのだから、︿奴隷 的な低賃金﹀ならいざ知らず、それなりに生活は維持で きたはずであろう。にもかかわらず、高度経済成長期の 六

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年代後半に中学生であった松田さんの同級生の多く がなぜ長欠生徒であったのか、との疑問が生まれるのも 当然であった。多分、地区内だけで完結する閉鎖的な職 業・生活スタイルがながく維持されてきた中で、外の世 界と交わることで膨らむ学校教育への期待すら生まれず、 その必要性すら感じなかったのだろうか。 さらに、旦那衆の行政への発言権の大ききゃ全国水平 社と国粋会闘争時に水平社の闘争本部が地区内に設けら れていたことにもよったのか、東之阪地区の環境改善 ︹住宅建設︶事業は戦前の融和事業期にすでに大がかり に導入されていた。一九三三年に開始された住環境整備 は約五年間でほぼ完了したそうだ。 ところが、逆に戦後の部落解放運動の出発は、戦前の 融和事業の実施と旦那衆の融和的な考え方に主導される ことによって大幅におくれ、松田さんら若い世代が立ち 上がる七

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年代まで待たねばならなかった。 隣保館での話し合いは数時間におよび、双方の疑問や 誤解の多くは理解し合えたように思う。一番大きな私の 疑問は、この歌詞で強調されている差別事象をどのよう にとらえるのか、現在進行形の実態として声を大に地区 外の人々に啓発されるべき内容なのかどうかにあった。 歌詞の一つ一つは決してフィクションではない。確かに、 子どもや住民たちの体験に基づいており、五年前に学校 で起こった差別事件にもよっているとの回答も間違いな かろう。私はそれらの事実を否定しようとするものでは ない。しかし問題は、これらの事実を今日までの部落解 放運動・同和行政の到達点の中にどのように位置づける のかというところにある。更にいうならこれらの事象を 今日の部落差別としてクローズアップすることで、これ まで部落解放運動と同和行政の進展によって解決しつつ

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ある他の事象︵到達点や地区住民の課題等︶を隠してし まうのではという危倶なのである。松田さんたちの意図 もこの歌で今日の部落差別を代表させるつもりはなく、 この歌を聴くことで部落差別問題を考えるきっかけにな ればというところにあったと書かれている。だが、私自 身も全同教大会以後何名かの友人知人に﹁ことに生まれ でよかった﹂の歌詞を示し意見を求めてきた。松田さん には申し訳ないが、彼の意図に反し、この歌をきっかけ に、部落差別問題を考えるといった者は少なく、﹁今頃 なぜこの歌詞なのか﹂との反論が出され、それ以降思考 の進展がみられないとの反応も多かった。彼らとて、今 日完全に歌調に現れた部落差別事象がなくなったとは考 えていない。ただ、この事象が今日の主要な部落差別現 象のように捉える見方には臨時を覚えざるを得ないとい う こ と で あ っ た 。 松田さんは私の被差別実態に対する質問に答えて、長 欠児童二

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の存在、高校進学率における一

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数ポイン トの格差、および三人に一人の割合での中途退学者数を あげている。また、﹁親の多くは、自分の殻にとじこも り現実からの逃避にあけくれるものも少なくありませ ん﹂、さらに生活保護率三

O%

、不況をもろにうけた中 , , 高年齢層の就労日の激減についても述べられている。長 欠・中途退学者数の特出をのぞけば、私の地区の実態と もあまり変わるものではない。それ故、私の問題意識は これらの実態を今日の︿部落差別の結果﹀と捉え、﹁こ こに生まれでよかった﹂で強調される部落外の人々によ る差別的まなざし︵差別意識︶の根拠として安易に直結 させていいのだろうかというところにあった。確かに実 態の厳しさはあるだろう。しかしこの厳しさの内容は、 部落解放運動・ー同和対策事業の開始時のそれとは明らか に質的な相違があるに違いない。そうでないなら、松田 さんや私たちが取り組んできた部落解放運動はいったい この間何をしてきたのか、と問われることになるのでは な い だ ろ う か 。 松田さんが勤める隣保館での地域社会に聞かれた諸行 事も、彼が支部長である部落解放運動における﹁両側か ら越える﹂を合い言葉にした取り組みも、決して一方通 行で終わるのではなく、双方によるコミュニケーション の深まりを求めるものとして各地で実践されている。こ の時期に﹁ここに生まれでよかった﹂の歌調を生み出し た部落問題認識は、これらの実践を推し進めることにな

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るのだろうか、との疑問は拭えないでいる。しかし同時 に、この歌調を﹁差別されてきた私たちの気持ちをよく 代弁してくれた﹂と賞賛する部落の人々が今日もなお少 なくない事実を私は認めざるを得ない。この意識を過剰 反応だ、部落差別による呪縛だ、この克服は部落住民の 責任だと切り捨てるわけにはいかない。私はこの意識の 在り様との格闘こそ部落解放運動における今日的な重要 課題の一つと考えているのである。最近の意識調査にも、 部落・非部落住民の回答にこの種のずれの大きさが指摘 されている。﹁両側から越える﹂営みも具体的にはこの ずれの事実を双方が認めあい、その解消についてじっく り話し合う場の設定として進められるべきなのである。 松田さんがこの歌詞に込めた﹁この歌を聞いて感じて頂 く、気付いて頂くことが大切であり、私達の心意気を知 ってもらい、うわべだけの付き合いはもうよそうという 呼び掛け﹂との指摘もきっかけという位置づけなら私も 大筋で認めたい。が、このずれの存在に気付いているか どうかは大きな違いのように私には感じられる。 また、松田さんが指摘する前述の︿親たちの意識に象 徴される否定的側面﹀も同和対策事業のみでの克服は不 可 能 な 課 題 で あ る 。 こ の 課 題 は 二 一

0

年間の同和対策事業 による改善・成果の上に、部落解放運動の主体としての 私たち一人一人が新たに見据えるべき緊急な課題でもあ ヲQ

話し合いの内容はおおむね以上のようであった。少し は緊張して臨んだ私も、集まってくれた人々との自由な 話し合いで、心もいつしか和んでいた。この雰囲気は参 加者の共有するところでもあったのか、七月に隣保館主 催の同和問題啓発講演会で話してほしいとの要請を松田 さんから受けた。もちろん、私の話は松田さんたちとの 話し合いの内容を下敷きにした自論の展開であった。詳 しくはまたの機会にして、この講演会で特に印象に残っ ているのは、地区で解放運動に唯一好意的な旦那衆の一 人である地区会長さんの次のような語気を強めた発言で あ っ た 。 村の連中は昔から一人では外でなんにもできない、 いつも集団でしか動けない。この悪習︵弱さ︶を克 服しなければ決して解放されるはずはない。 この指摘に私は今日の部落解放運動の課題を引き写して い た 。

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ヒ口の楽書き帳 私が差別のことを考えるようになったのは、家が肉屋 だということからくる偏見や思い込みへの疑問でした。 そんなとき、私の囚われの因子を発見させてくれたの が寺山修司の﹃書を捨てよ、町へ出ょう﹂にあった数行 ︿だが私の場合、私は父の顔もよく覚えていない。名門 でも士族でもなかったので、祖父から先の血統について は真暗である。そして、母は小さいときに親に認知して 貰えずに他所に貰われて行き、生みの母の名もついに知 ることができなかったという﹀ で す 。 私も祖父から先は真暗で、とても暖味だということに たまたま人が教えてくれたおかげでやりだしたのが始ま 家の仕事は祖母が離婚し、子どもたちを育てねばならず、気づかされました。私自身のかたくなな態度も、私だけ 特別という思い込みもとけていきました。そして、ごの りで、私はずっと、部落民であるとかないとか、何か証 拠がいるの?その証拠は誰が認知するの?と、疑問 に 思 っ て い ま し た 。 以前は、家の仕事について私自身なんとなく不利なこ とのように考えて、﹁家は自営、だトことしか言わずにい たり、差別的な発言に対

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て怒って絶交してしまったり して、そうした窮屈さや人との交流がおかしくなるのは 全部、家のせいだと決めつけて思い悩んだ時期もありま す 。 数行の言葉は、人に対して思いをはせることへの手がか りにもなったようです。それからは、 みずからの窮屈な 気持を、相手に押しつけるみたいなことがいやになり、 いまでは、まず私自身の方から心をオープンにして接す る こ と が 大 切 で 、 できるかぎりそうしたいなと考えるよ う に な り ま し た 。 ︵ 多 田 ヒ ロ ミ ︶

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自 民

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コ u 悶 唱 4 4 一 言 同 マ 倣 慢 と は 、 ﹁極端に思い上がった実に倣慢なものだ﹂と書いている。 題意識に立った傍観者的立場であり、 けではありますまい。川元さんの文 章を読んで、その感をより強くしま 子﹂と辞書にある ︵ ﹃ 新 明 解 国 語 辞 気持になり、むやみに人を見下す様畑中さんのアイデンティティ理解にした。もっと聞かれた、しなやかな ︵ 藤 田 敬 一 ︶ 血 ハ ﹄ 第 五 版 ︶ 。 こ の 言 葉 に は 、 思 い つ い て 、 ﹁ 部 落 史 に 前 近 代 あるいは 上がりと見下しという、人と人との見があるのなら意を尽くして批判す はない﹂との主張について異論、異 関係における上位、優位の者の下位、ればよいのであって、﹁実に倣慢だ﹂ 徳的批判が含まれているようです。 劣位の者に対する気分、態度への道などと非難する必要はありません。 もうひとつ川元さんの言葉で気に そんな言葉が理論上の問題を議論しなるのが﹁傍観者的立場﹂です。傍 見て、ちょっと驚きました。 ているはずの場に使われているのを観者とは、第三者、 はないということでしょう。運動家 つまり当事者で フじ 祥 ﹁ 関 係 性 の 論 理 九月六日付﹁解放新聞﹄掲載の川はよく傍観者的立場、評論家的立場 五部落民などと評して組織外の人の意見を無 のアイデンティティー部落の存在意 義﹂がそれです。川元さんは 落 民 ﹂ と は 何 か ﹄ ︵ 阿 昨 社 、 九 八 年 ︶ のなかの畑中敏之さんの発言を取り 上げ、﹁彼の考えは、あいまいな問 視したり切り捨てたりするけれど、 ﹃﹁部それが部落問題をめぐる議論をどれ ほど狭いものにしてきたか。あれか ﹂れか、敵か味方か、といったもの いいにうんざりしているのは、私だ 議 論 を し ま せ ん か 。 ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 日月初日︵土︶午後 2 時より 山 田 安 弘 さ ん 、 4 ・ 5 月号 テ l マ﹁部落解放運動が見落として き た も の ﹂ ・京都府部落解放センター り 、 方第二会議室 EO 七 五 四 一 五 一 O 三 O

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− 目 次 内 容 I 民衆と町 自治|| 町 組 と 小 学 校 序章 町 組と町 代 について 第 一 章 京都町組の回生 1 町組 と町代の確執 2 町 代改義 一 件 3 町 組連合の成立 4 町組寄 合 の セ レ モ ニ ー 第 二章 ﹁ 御 一 新﹂と町組 1 町組連 合 の 歩 み 2 江戸時代の終鴬 3 町組の改 正 4 地 方 都 市 ﹁ 京 都 ﹂ 第 三 章 小 学 校 の 建 営 1 町組会所兼小学校 2 ﹁ 政 教 不 岐 ﹂ の 小 学校 3 小学校の進展 終 章 ﹁ お 区 内 ﹂ の 町 [ 付 1 ] ﹁ 町 組 寄 合 ﹂ 一 三 題 噺 その一町組の分雛 ・ 古町と枝 町 ・ 寄合順番歌 そ の 二 大 剣寄合 、 大 割 勘 定 、 四観客 合 ・ 六 組 寄 合 [ 付 2 ] 天 明 の ρ 米 祈 願 一 件 e 始 末 [ 付 3 ] ﹁ 町 周 人 ﹂ 覚 書

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民衆の社会と生活

辻ミチ

子著

[ 付 4 ] 京 都 に お け る 幕 末 維 新 の 心 学講舎 1 心 学識舎と教諭所 2 小学校と 心 学 講 舎 3 明治初年 の 心 学 E 都市の再編 | | 町 共同 体 ・ 民 衆 ・ 被 差 別部 落 第 一 章 明治十年代 京都に おけ る﹁町﹂と民衆 1 町自治の機能 2 民 串 無 意 識 の 様相 第 二 章都市の再編成と被差別 部 落 | 京 都 宮 と そ の 周 辺 を 舞 台 に し て 1 地方制度と地域 共 同 体 の 自 治 2 被 差 別 部落と地域共同体 [ 付 1 ] 明 治 十 | 二 十年代京都に お け る 町 組 の 自 治 を め ぐ っ て 皿 被 差 別社 会 の 展開 第 一 章 近 世社会の 身分制 1 四座雑色と下村 家 2 役目 地支配と 年寄 3 下村家の断絶と役人村

阿件

七 九 号 一 九九九年十月 二 十 五日発 行︵毎月 一 回 二 十 五 日 発 行 ︶ 一 九 九 三年五月 二 十七日第 三 種郵便物 認 可 定価 三 百 円 ︵ 本 体 二 八 六 円 ︶ ー かわた村支配の再編 4かわた村内部の身分と公役 5 百 姓役と本村支配 6 青 屋 と 青 屋 大 工 第 二 章 近世社会の芸能 ー 賎 民 社 会 の 芸 能 2 非 人 と 芸 能 第 三 章 一 九世 紀 京都におけ る ﹁ 非 人小屋﹂とその周 縁 1 非 入 社 会 と 町 ・ 村の交 わ り 2 雑 芸 能と非人 3 角 力 奥 行 の 周 辺 4 御 一 新による新展開 ︷ 付 I ] な ぞ の 下 村 氏 再 考 | | ﹃ 京 匝 文 宣言五条坂古証 Z 研 究 ノ ー ト [ 付 2 ] ﹃ 諸 式 留 帳 ﹄ に み る | | 1 千 本 野 口 と 蓮 台 野 村 2 一 八世紀初頭の京都におけ る え た 村 再 統 制 に つ い て か せ 染 青屋 と青屋大 工 青 屋 大 工 頭と組下大 工 4 3

A 5 判 上 製 四 一 O 頁 定価 ︵ 本体 七 九 OO 阿+税 ︶ 京 都 市 上 京 区 衣 棚 通 上 御 霊 前 下 ル 土 木 ノ 下 町 七 三 | 丸 宮 ︵O 七 五 ︶ 四 一 回 | 八 九 五 一 剛 ︵ O 七 五 ︶ 四 一 回 | 八 九 五 ニ

参照

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