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乙べる刊行会N
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部落のいまを考える⑩ アイデンティティの相対化と実体化の狭間で 原田琢也 ひろば⑪ 奈良・東之阪を訪ねて 住田一郎部落のいまを考え る ⑩ ー は じ め に
アイデンティティの相対化と実体化の狭間で
原田琢也︵中学校教員︶ 本誌においてはここ数年、﹁部落民﹂のアイデンティ ティをめぐる議論が活発に行われている。本誌における 議論は大きく分けて二つの系に分かれる。一つの系は、 ﹁部落︵民このとらえ方をめぐる議論である。原口孝博 氏はそれを︿共同幻想﹀だと言い、住田一郎氏は︿実 体 ﹀ だ と 一 言 、 っ 。 も う 一 つ の 系 は 、 ﹁ 部 落 史 ﹂ の 存 在 を め ぐる議論である。畑中敏之氏は﹁部落史﹂というものが あってはおかしいと言い、師岡佑行氏はそれがなくては お か し い と 一 言 う 。 私 に は 、 一 つ 自 の 系 の 議 論 で ど の よ う な立場をとるかによって、二つ目の系の議論でとるべき 立場が、自ずと決まってくるのではないかと思われる。 ヂ イ ベ 1 ト 私は、これらの議論は、人々が考えを深め、 核心に迫ろうとする際には、とても重要な意味を持って いると考えている。だが、一方で、社会的現実はこのよ うに二律背反ではないのではないか、という疑問も抱い ている。つまり、一見相いれない︿共同幻想﹀論と︿実 体﹀論というこつの捉え方も、主観と客観というこつの 軌道を用意して考えれば、理論的に相互乗り入れが可能 と な る の で あ る 。 私が、なぜそのような複雑な論理構成をとろうとする のかについても、最初に少しだけ触れておく必要がある ように思う。私はつい最近まで、ある同和校に務め、微 力ではあるが同和教育に携わってきた。﹁立場の自覚﹂ は、解放運動や同和教育の大前提である。私は﹁部落﹂ の子どもが少しでも確かな同和問題認識を持てるように、 こ と の学校や学習センターでの様々な取組の企画や実践に関わ ってきた。そして同和教育の見直しが進んでいる今日に おいでさえ、もちろんそのアプローチは変えられるべき だとは思うが、﹁立場の自覚﹂を前提にした同和教育は 必要であると感じている。しかし、他方において、ある 地域に住む子どもたちだけを、その地域に住んでいると いう理由だけから、﹁地区生徒﹂というように一括りに してしまう運動や同和教育の理論には、幾ばくかのわだ かまりや違和感を感じていたことも確かである。また、 ﹁差別する側/される側﹂という立場の絶対化が、コミ ュニケーションの不通をつくりだし、かえって問題解決 を遅らせているのではないかと感じることも、何度か経 験してきた。私は、そのようなジレンマを抱えながら実 践を続けていく中で、いつ頃からか次のように考えるよ う に な っ て い た 。 確 か に 、 ﹁ 部 落 ︵ 民 ︶ ﹂ は ︿ 実 体 ﹀ で は な い 。 だ が 、 ︿ 実 体 ﹀ で は な い も の が 、 あ た か も ︿ 実 体 ﹀ であるかのように立ち現れざるを得ない現実がある限り、 ﹁ 部 落 民 ﹂ ︵ あ る い は ﹁ 地 区 生 徒 ﹂ ︶ と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ は 、 戦 略 的 に 必 要 な の で は な い か 。 私 見 は 、 ﹁ 部 落 民 ﹂ と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 、 ︿ 実 体﹀ではなく︿共同幻想﹀であると位置づけながら、そ れでも、それを持つことに積極的な意味を見いだそうと する点で、原口氏の見解とも、住田氏の見解とも、被を 分かつことになるのである。そこで、教育現場に身を置 く者として、何かを言わねばならないとの思いから筆を 執ったのが、本誌六五号︵九八年八月︶掲載の﹁部落問 題と︿共同幻想論﹀をめぐって﹂というタイトルの小論 である。だがその後、本誌七二号︵九九年三月︶に、 ﹁ ﹃ 現 実 ﹄ を つ く る ︿ 実 体 化 ﹀ と ︿ 実 体 化 ﹀ を う む ︿ 共 同 え き ぐ ち 幻想﹀﹂というタイトルの浴口勝也氏の論考が掲載され た。その大半が拙論に対する批判にあてられており、光 栄に思う反面、誤解されているところが多いので驚かさ れもした。そこでもう一度、私見について述べさせても ら う こ と に し た の で あ る 。 2 ︿共同幻想論﹀とカムアウト 私 が あ る 同 和 校 に 務 め て い た と き に 、 A 子らのカムア ウトによって、教室の中にある﹁地区生徒/地区外生 徒﹂を分かつ︿自に見えない壁﹀がうち破られたことに ついては、本誌五三号︵九七年占月︶にすでに書かせて
もらったことがある。私は、自分のクラスの生徒に、カ ムアウトを勧めたこともなければ、もちろん強制したこ ともない。だが、学校や学習センターで同和問題を学習 していく中で、地区生徒自らが、クラスのみんなの前で カムアウトしたいと言ってきた時には、精一杯それをサ ポ ー ト し よ う と 努 力 し て き た つ も り だ 。 私には、﹁部落民﹂とは、はじめから﹁ある﹂もので はなく、﹁なる﹂ものであるように思える。もちろん、 社会的な圧力によって、﹁なる﹂ことを余儀なくされる のだが、それでもぎりぎりのところでは、自分で﹁な る﹂ものだと思うのである。だから生まれながらにして 自らのアイデシティテイが、﹁部落民﹂だということは あ り 得 な い 。 A 子 ら の 場 合 も 、 そ う だ つ た 。 住 田 氏 は 、 本誌六二号︵九八年五月︶において、このことを﹁部落 民をいったん引き受ける﹂という言葉で表現されている。 そうであるならば、住田氏のアイデンティティが、生ま れながらにして﹁部落民﹂であったはずはないし、また それが客観的に︿実体﹀としてあるはずもないのである。 ところが、住田氏は、原口氏の︿共同幻想﹀論に対し て、そんなことを言われたらカムアウトすることの意味 がなくなってしまう、と反論する。その論旨は次のよう で あ っ た 。 ﹁ ﹃ 部 落 民 は 存 在 し な い ﹄ と い う 考 え 方 を 徹 底 的 に 突 き詰めるならば、名乗るか名乗らないかということ は問題になりょうがない。なぜなら、﹃部落民﹄は 現実の人間として存在しないのだから。﹃私は﹁部 落民﹂だ﹄と告げることは、それが存在するという 考え方をぎりぎりのところで認めてしまう、つまり、 ﹁ 部 落 民 ﹂ の 存 在 を 実 体 化 し て し ま う こ と に な ﹂ り 、 私が提起する﹁カムアウト﹂は自家撞着に陥ってし ま う ︵ 本 誌 六 五 号 ︶ 。 だが、カムアウトをめぐるこの解釈は、私の考えとは少 し違う。この社会には、実在するはずのない﹁部落民﹂ を、ある一部の者に引き受けさせ、あたかも実在してい るかのように立ち現れさせようとする権力関係が実在す る。私が、生徒のカムアウトを支援してきたのは、実在 する権力関係の存在に気づき、それに対して勇気を持っ て真っ向から立ち向かっていこうとする生徒の姿に、私 自身が共感を覚えたからに他ならない。カムアウトを行 うのは、あくまでも﹁部落民をいったん引き受け﹂た ﹁ 私 ﹂ な の で あ り 、 ﹁ 実 体 化 ﹂ さ れ た ﹁ 部 落 民 ﹂ と し て の ﹁ 私 ﹂ で は な い は ず で あ る 。
とはいえ、住田氏には、あくまでも﹁部落民﹂は︿実 体﹀であると思われて止まないのである。私はそれを否 定しているわけではない。いやそれどころか、生徒のア イデンティティ形成を支援する立場からは、住田氏ほど の確かな﹁部落民﹂像が生徒の心の内に形成されれば、 どれほど心強いことかとも思うのである。しかし、それ はあくまでも住田氏の主観の中でのことであり、客観的 には、﹁部落民﹂は︿実体﹀であるはずがない。原口氏 が、︿共同幻想﹀論で問題にするのは、まさにこの主客 のギャップである。思考の矛先を、︿実体﹀としての ﹁ 部 落 民 ﹂ か ら 、 ﹁ 部 落 民 ﹂ が 主 観 の 中 で ︿ 実 体 化 ﹀ さ れ る 過 程 へ ・ と 移 し か え て や る こ と に よ っ て 、 今 ま で 運 動 や 同和教育の理論がうまく問題対象化できなかった﹁部落 民/非部落民﹂を分かつ原理を、前面に浮かび上がらせ る こ と が で き る よ う に な る の で あ る 。 ところで浴口氏は、次のように私見を批判されている。 原 田 氏 は 、 ﹁ ﹃ 部 落 ︵ 民 ︶ ﹄ が ︿ 幻 想 ﹀ で あ る か ら こ そなされるカムアウト﹂の重要性を唱えられていま すが、っきつめて︿幻想﹀であることに自覚的にな った者にカムアウドは可能なのでしょうか︵本誌七 一 一 口 す ︶ 。 まずこの点は大きな誤解であるが、私はカムアウトの重 要性を唱えた覚えは一度もない。私が唱えているのは、 ︿共同幻想﹀論とカムアウト論は、必ずしも対立しない と い う こ と で あ る 。 ﹁ ︿ 幻 想 ﹀ で あ る こ と に 自 覚 的 に な っ た者にカムアウトは可能なのでしょうか﹂という聞いで あるが、私は可能だと思っている。なぜなら、浴口氏や 原口氏は本誌において﹁部落民﹂を相対化することの重 要性を主張されているのだが、私にはそれらの発言その ものが、両氏のカムアウトであるように思えるからであ る。もちろん両氏のカムアウトと住田氏のカムアウトと は、内容が大きく違うのだが、﹁部落民をいったん引き 受け﹂た﹁私﹂としての立場から、部落問題の解決を目 指して発言されていることには違いないのである。 また、浴口氏は、次のようにも述べられている。 今の私の歩みは、人々の生きである姿に目を向け、 解き放たれていないと感じる人に︿共同幻想﹀を対 象化する働きかけをしていくところにあります。 : ・ そ れ は 、 私 に と っ て 、 解 放 へ の 道 の り と な る も の で す ︵ 本 誌 七 二 号 ︶ 。 確かに、そうなのかもしれない。だが、﹁部落民﹂とい う︿共同幻想﹀を抱くことすらできていない人々の解放
はどうなるのだろうか。教育に携わる私にとってみれば、 この点こそが重要な問題なのである。私は、少なぐとも アイデンティティには、次のような機能があるのではな いかと考えている。一つ目は、社会空間における自己の 位置を知るための、地図や座標のような機能である。二 つ目は、自己を外界に対して積極的に働きかけるように 仕 向 け る 主 体 性 の 源 泉 と し て の 機 能 で あ る 。 一 二 つ 目 は 、 集団を集団としてつなぎとめる紐帯としての機能である。 たとえアイデンティティが︿共同幻想﹀にすぎないとし、 それを相対化し脱構築することに意義を見いだせたとし ても、アイデンティティの存在そのものを根底から否定 し、それを不要なものとしてしまうことはできまい。そ もそも浴口氏が︿共同幻想﹀の相対化の過程に﹁解放へ の道のり﹂を見いだすことができるのも、浴口氏自身の 内に相対化されるべき﹁部落民﹂としてのアイデンティ ティが形成されていたからに他ならないのである。︿共 同幻想﹀が形成されていなければ、︿共同幻想﹀から解 き放たれる喜びを感じることすらできないのである。誤 解を恐れずに言えば、地区生徒に限ったことではなく、 今の子どもたちにとって不足しているのは、まさにアイ デンティティ︵ H 共同幻想︶なのではないだろうか。 このように考えてみれば、アイデンティティを実体化 して考えようとする立場も、相対化して考えようとする 立場も、どちらかが絶対的・普遍的に正しいというわけ ではなく、またその逆でもないということがわかる。浴 口氏のおっしゃる通り、﹁その違いは、両者の体験や周 囲の状況を反映している﹂のである。少なくとも、今現 在﹁部落﹂に住んでいる人と、そうでない人が直面して いる状況は、明らかに違うはずである。﹁部落﹂の外に 住みながら自己を﹁部落民﹂と規定する人の存在を切り 捨てるわけではないが、部落問題を議論するとき、﹁部 落﹂という地域性を無視して議論することはできまい。 私の主張は、明らかに地域を前提にしている。 3 ﹁差別の構造﹂とは何か ﹁部落民﹂が客観的には︿実体﹀でないことは、もは や疑うべくもない事実である。そのような状況のものを 何と呼べばよいのかわからないので、とりあえず原口氏 の︿共同幻想﹀という言葉を私も使わせてもらうことに する。︿共同幻想﹀をめぐる原口氏の説明はこうであっ
た 。 いうならば私達日本人の遠い先祖が何らかの共同体 や国家を形成した時から形を変えながらも連綿と維 持され、今なお私達の意識・無意識の中で身につけ てしまっている共同幻想︵共同体意識・共同的差別 観 念 ︶ と し て の 連 続 性 で あ る ︵ 本 誌 一 一 一 八 号 、 九 六 年 五 月 ︶ 。 ︿共同幻想﹀は、単なる個人的な思いこみゃ妄想ではな く、社会・歴史的に構成された︿観念﹀である。ここま で は 、 私 見 と 一 致 す る 。 しかし、この先が違う。原口氏は、︿共同幻想﹀を ﹁ 関 係 の 中 の 幻 像 ﹂ で あ る と し 、 ﹁ ︿ 観 念 ﹀ の 問 題 ︵ 頭 の 書き換え︶として撃てばよい﹂と言われる︵本誌五回号、 九七年九月︶。だが、私は、その観念が作り出される背 景には、周囲からのカテゴリー化︵ H 他者規定︶の圧力 があるのであり、さらにその背景には、客観的な権力関 係があると考えている。拙稿では、それらを総称して ﹁差別の構造﹂という言葉で表した。たとえ︿観念﹀の 問題であっても、︿観念﹀を︿観念﹀として生み出す客 観的な﹁差別の構造︺がある限り、﹁頭の書き換え﹂だ けではそれを乗り越えることはできないというのが私見 で あ る 。 通 常 、 ﹁ 部 落 ︵ 民 ︶ ﹂ を カ テ ゴ ラ イ ズ す る 観 念 の こ と を 差別意識と呼ぴ、特に部落問題については、仏教や神道 思想に由来する︿穣れ﹀の観念がその中核に位置すると 考えられてきた。しかし、私たち現代人は、それほど強 く 司 ︿ 糠 れ ﹀ の 観 念 に つ き ま と わ れ て い る の で あ ろ う か 。 あるいは、たとえそうだとして、その様態は旧態依然た る様式のままなのだろうか。たとえば次のような事例を 考 え て い た だ き た い 。 これは、私が勤めていた同和校である市立第二中学校 ︵仮名︶の校区の隣町にある写真屋に入ったときの会話 で あ る 。 実 は 、 二
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年ほど前まで、第二中学校は創立さ れておらず、第二中学校校区の生徒は、この写真屋があ る 隣 町 の 市 立 第 一 中 学 校 ︵ 仮 名 ︶ へ 通 っ て い た の で あ る 。 店主お客さんは、何をされてるんですか。 筆者中学校の教師です。 店主どこの中学校にお勤めなんですか。 筆者第二中学校です。 店主それはたいへんですね。いや、私らが中学生 だ っ た と き も 第 一 中 学 校 は 随 分 荒 れ て ま し て ね 。 今の第二中校区の子らがやんちゃで、たいへんゃったんですわ。今は学校も分かれて、よくな り ま し た が 。 この主人が、第二中学校の地域に対してマイナス・イ メージを持っていることは確かなことである。そしてこ のような語り口をされることにより、第三中学校の地域 に対するマイナス・イメージが不特定多数の者に伝播し ていくことが予想される。私には、その時、この店主の 言葉の背後に、何らかの差別意識が潜んでいるように感 じられたが、ここで語られている内容を、偏見やでっち 上げだと決めつけるわけにはいかない。この店主の言葉 に潜む差別性を具体的に抽出することは、そう簡単なこ と で は な い 。 私は、第二中学校の周辺地域で、何度このような体験 をしたことかわからない。かくして﹁部落﹂の子どもた ちの学校での振る舞い、とりわけ﹁問題行動﹂は、﹁低 い ﹂ ﹁ こ わ い ﹂ ﹁ 遅 れ た ﹂ と い っ た ﹁ 部 落 ﹂ の マ イ ナ ス ・ イメージと容易に結びつき、差別意識を再生産していく ことにつながっていくのである。たしかにこれらの﹁部 落﹂のマイナス・イメージの根底には、︿織れ﹀の観念 が横たわっているのであろうが、この現象を、︿撮れ﹀ の一言で簡単に片づけてしまうことはできない。現代社 会には現代社会特有の、差別意識を生成するメカニズム が あ る の で あ る 。 劣 悪 な 生 活 環 境 ゃ あ か ら さ ま な 被 差 別 体 験 、 一 北 旦 則 の ﹁部落﹂の子どもたちが学校で﹁荒れ﹂るのは、比較的 理解しやすい現象であった。でも今はどうだろう。同和 対策事業が続けられた結果、生活環境は随分改善され、 多くの﹁部落﹂出身の生徒が日常生活では差別を感じた ことがないと言うようになってきた。だがしかし、私の 目の前では、﹁部落﹂の子どもたちが﹁荒れ﹂やすいと いう状況は、今なお続いているのである。ニの点に関す る実証的研究がないため、﹁私の目の前では﹂と断った が、この現象は﹁私の目の前﹂だけではなく、多くの ﹁部落﹂に共通して存在していると考えるのが妥当であ る。なぜなら、学力や高校中途退学に関する多くの実態 調査の結果が、﹁部落﹂の子どもたちが学校という場に おいて何らかの障壁に直面していることを、如実に示し て い る か ら で あ る 。 通常、学力や高校退学における格差の問題は、教育機 会の不平等、すなわち﹁部落﹂の子どもたちの自己実現 の機会を狭めるものとして問題視されることが多い。だ 白が、私は、それらの現象を生み出す要因が、低学力や高
校退学などのアウトプットを作り出すだけではなく、学 校の教育過程において、様々な﹁荒れ﹂や﹁問題行動﹂ を生み出す要因と
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ても機能しており、それらの現象が ひいては人々の差別意識を強化し、差別意識の再生産に 力を貸してしまうことになっている現実を直視すべきだ と思うのである。差別意識は、必ずしも環境や経済的な 領域を介することなく、文化的領域において自律的に再 生産を繰り返しているのである。この構造を解かねばな ら な い 。 多くの学力実態調査が一示すところによると、一九八五 年以降、﹁部落﹂の生徒と﹁部落﹂外の生徒との聞の格 差は、ほとんど縮まっていないという状況があやこれ はなぜなのか。様々な仮説が立てられ、研究が進められ て い る 。 たとえば私が大きな示唆を受けた研究の一つに、西国 芳正氏の高知県のある漁村を対象としたエスノグラフ ② ィ l ︵民族誌的方法︶による研究がある。彼は、ある漁 村の﹁部落﹂に住み込み、その地域の子どもたちに勉強 を教えながら、その地域の子どもたちに共有されている 文化的特性を記述した。氏は、その地域の子どもたちに 次のような特徴を見いだしている。①はっきりとした方 言が残っていること。②速い口調で会話がなされること。 ③その地域では﹁テガウ﹂と言うらしいが、仲間同士で 嘘や作り話などを巧みに織りまぜ、互いにからかい合い ながら陽気に笑ったりすることが多いこと。④﹁腕力﹂ ﹁男らしき﹂が強調されること、などである。そして、 これら子ども集団に見られる文化的特徴は、﹁男らしさ﹂ ﹁荒っぽき﹂﹁笑い﹂を強調する、南町の男性の中に見ら れる漁師気質に由来しているのだと説明される。氏は、 教育達成を回む要因として、以下の三点を指摘している。 一つ目は、職業モデルが限定されていること。二つ目は、 学歴の取得が有利であることを示すモデルが少ないこと。 そして三つ目は、学校側の教育的働きかけが、結果的に、 異文化としての地域文化を矯正しようとすることとなり、 地域文化側の強固さを前にして、空回りを起こすだけで はなく、かえって生徒や親の反発を食らうことになって いるという点である。私には、この三つ目の点がとりわ け重要であると思われる。たとえば南町の荒い言葉は、 海の上でたえず危険と隣り合わせの漁師という仕事につ きまとう特性なのであるが、漁師以外の生業を中心とす る周辺地域からは、やはりマイナスのイメージでとらえ られることとなってしまうのである。そこで、教師は、その言葉づかいを直させることが大切である主考え、指 導に精を出すのだが、それがかえって地域文化を否定す るニととなってしまい、生徒の反抗を導く結果となって し ま う の で あ る 。 この研究では主にコミュニケーションに見られる諸特 徴に焦点があてられているが、私はかつて学校で行われ る服装指導に着目し、この問題を考えてみようとしたこ ③ とがある。中学校では、どこの中学校でも多かれ少なか れ、服装指導に多大なエネルギーが注がれているもので ある。最近はあまり聞かれなくなったが、﹁服装の乱れ は 、 心 の 乱 れ ﹂ 、 ﹁ 早 期 発 見 、 早 期 指 導 ﹂ と い う 決 ま り 文 句によって、結構細かいところまで指導がなされている ものである。中学校の﹁制服﹂は、ブレザー・タイプの ものが多く、どちらかといえば、﹁ホワイト・カラ l ﹂ と呼ばれる職種の人々が着用する服装のスタイルに近い ものであるといえる。一方、﹁部落﹂の大人が従事する 仕 事 の 内 訳 は 、 ﹁ ブ ル l ・ カ ラ l ﹂と呼ばれる職種が多 く、子どもたちが常日頃ス l ツやブレザーといった﹁フ ォーマル﹂な装いで過ごす大人に接することは、まれで あると思われるのである。教師は、やはり善意で、同和 問題解決の一助になればと思い、﹁部落﹂の子どもたち の﹁服装の乱れ﹂を指導するのだが、これもまた下手を すれば、子どもたちの自尊感情を傷つけるだけの結果に 終わってしまいかねない背景を持っているのである。 ま た 、 言 語 コ 1 ドに着目した研究も見られる。たとえ ば井上新二氏は、﹁部落﹂内では﹁話しことば﹂が言語 生活の中心になっているが、学校では﹁書きことば﹂が 中心になっており、その違いが学力差として現れるのだ ④ と 説 明 す る 。 確 か に 、 私 も 英 語 教 師 と し て 、 ﹁ 聞 く ﹂ ﹁ 話 す﹂の二領域では、むしろ秀でているぐらいの地区生徒 が 、 ﹁ 読 む ﹂ ・ ﹁ 書 く ﹂ と な っ た と た ん に 、 学 習 に 対 し て 拒 否 反 応 を 一 不 す と い っ た こ と を 、 何 度 と な く 経 験 し た こ と が あ る 。 いずれの研究でも、キーワードは︿文化﹀である。た だ こ こ で は 、 ︿ 文 化 ﹀ と い う 言 葉 が 、 ﹁ 部 落 の 文 化 ﹂ と し て一括りにできるほどの固定的で実体的な文化の存在を 意味しているわけではなく、あくまでも︿学校文化﹀と の差違に着目して使われている点に注意されたい。﹁問 題行動﹂や﹁問題生徒﹂は、はじめから﹁問題﹂として あるわけではない。そしてもちろん、地域の文化そのも のが問題であったり、劣っていたりしているわけでもな い。丈化は生活に根づいたものであり、文化そのものに
は、優劣もなければ、貴賎もない。だが確実に、ある文 化は遅れていたり、劣っていたりしているように人々の 心には映り、そしてそのことが差別を正当化する装置に なっているという現実があるのである。それはどのよう な仕組を介して生み出されるのだろうか。 文化は人の外部にあるようで、内部にある。すなわち 人の心の深層︵ H 無意識︶を構成する。つまり、﹁身体 化﹂あるいは﹁血肉化﹂するのである。その結果、文化 的な特性は、周囲からは、その人に付随する生来的な特 徴であるかのように、受け止められてじまうことになる のである。いま仮に、文化 A と文化 B というこつの文化 があったとしよう。そして文化 A を身につけている人々 の集団をグループ
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、文化 B を身につけている人々の集 団をグループ b と呼ぶことにする。文化 A と文化 B の 聞 には、優劣もなければ貴賎もない。だが、グループa
と グループ b の聞には権力関係があり、いま仮に、グルー プa
の方がグループ b より強い立場にあることにする。 すると文化 A は 権 力 を ・ 有 す る 人 々 と 一 体 化 し て い る 特 性 となるので、﹁優れている﹂という印象を人々に与え、 ﹁正しい文化﹂であるとみなされていき、逆に文化 B は 、 ﹁劣った文化﹂であるとみなされていくことになるので j ある。さらに、グループa
は﹁正しい文化﹂を身につけ た人々の集団であるということで、権力をさらに維持・ 再生産させることができ、逆にグループ b は、権力を持 つことを抑えられることになるのである。学校文化は、 支配的文化︵ H マジヨリテイの文化︶を反映していると 言われる。上の説明では、文化 A に該当する。よって学 校文化は﹁正しい文化﹂だと見なされ、対抗的な文化が 生み出す実践を、﹁問題行動﹂として位置づけることが で き る よ う に な る の で あ る 。 z h 司 ︸ 学校文化と地域の生活文化の醐闘が学校の中に持ち込 まれ、﹁部落﹂の子どもたちを学校文化に対抗的な実践 へと誘うことになる。そして文化の背後にある集団聞の 権力の不均衡が、その実践に対して﹁問題行動﹂という レッテルを差し向けることになるのである。﹁部落﹂の 子どもたちの﹁問題行動﹂は、周辺地域の人々が持つ ︿織れ﹀の観念とむすびつき、﹁低い﹂﹁こわい﹂﹁遅れ た﹂といったマイナス・イメージを強化し、差別意識を 再生産していくことになるのである。これらのことは、 学校という場の地盤に埋め込まれた︿構造﹀のなせるわ ざ で あ る 。4
結 び さて、このような﹁差別の構造﹂を両側から越えるた めに、私たちにはどのように戦略を立てることができる のであろうか。大きく分けて二つの方向性が考えられる。 一つは、私たち教師が、このような構造を意識し、学 校文化を相対化じ、自らの教育実践をつくりかえていく 努力を続けることである。たとえば、新学習指導要領に は﹁総合学習﹂が盛り込まれている。地域の生活文化と 学校文化の闇酷という問題が課題の根底にあるのだとす れば、地域の大人たちから体験を通じて学び、地域の実 情を起点として学習を組み立てていこうとする総合学習 の発想は、課題解決のために大いに期待できるものであ る と い え よ 、 っ 。 もう一つは、﹁部落﹂の子どもたちにこの構造につい て自覚させ、自ら主体的にこの構造を乗り越えていこう とする﹁構え﹂を形成することである。そのためには、 この構造における自分の位置を知る之と、すなわちアイ デンーテイテイを持つことが、やはり必要になってくるの で あ る 。 私は、﹁部落民﹂を相対化しながら実体化し、実体化 しながら相対化していこうと思う。人はこれを﹁矛盾﹂ と呼ぶかも知れない。だが、私は矛盾だとは思わない。 これが教育的営為の本質なのではないかと思うのである。 、 店 ①外川正明﹁同和教育におけるこれからの学力保障の諸問 題 ー ー 一 九 八 O 年 以 降 の 学 力 状 況 の 考 察 を 通 し て ﹂ 京 都 市 永 松 教 育 セ ン タ ー 平 成 九 年 度 研 究 紀 要 。 ②西田芳正﹁地域文化と学校||ある漁村部落のフィl ル ド ノ l ト か ら ﹂ 長 尾 彰 夫 ・ 池 田 寛 編 ﹃ 学 校 文 化 ﹄ 有 信 堂 、 一 九 九 O 年 。 ③原因琢也﹁学校文化その差別の構造||服装・頭髪指 ア リ ー ナ 導 と い う ︿ 葛 藤 の 場 ﹀ よ り ﹂ ﹃ 解 放 社 会 学 研 究 ﹄ 九 号 、 日 本 解 放 社 会 学 会 、 一 九 九 五 年 。 ④井上新二﹁思考の発達における言語の果たす役割||部 落 差 別 に よ る ﹃ 同 和 ﹄ 地 区 児 童 生 徒 の 言 語 発 達 の か た よ り が 知 的 発 達 に 及 ぼ す 影 響 ﹂ 。ひろば⑪
奈良・東之阪を訪ねて
住田一郎︵西成労働福祉センター︶ 私の文章﹁全同教奈良大会に参加して﹂が本誌︵七一 号、九九年二月︶に掲載されてすぐに、松田好則さんか ら回答文﹁住田一郎氏の疑問に応えて﹂︵七六号、七月 に掲載︶がファックスで送られてきた。数回のファック スでのやりとりのあと、私はすぐに松田さんの誘いにし たがい地元東之阪地区を訪ねることにした。特に、全同 教大会当日私の質問と意見に答えてくれた発表者や中学 生が私に会って話したいとの要望に応じるためでもあっ た。どこかで大きな誤解があるのなら正しておきたいし、 同時に、私が歌調﹁ここに生まれでよかった﹂に、なぜ いまもこだわっているのかの真意についても再度じっく り話しあえると思ったからである。 歴史的に著名な奈良の坂の者︵東之阪地区の前身︶に ついて私は知らなかったわけではない。戦後初期の実態 調査から地区の中学生が通う若草中学校の長欠・不就学 生徒数の異常な多さも知っていたが、訪ねるのは初めて で あ っ た 。 松田さんの案内で地区内を歩きながら、目と鼻の先に 見える巨大な大仏殿のシルエット、古く千数百年以前か ら春日大社との関係を維持し、社領の裏山管理と倒木の 処理権を一手に引き継いできたという歴史の重みに圧倒 された。毎年、秋に開催される鹿の角きり行事もかつて は東之阪地区の仕事であったらしい。その名残は地区の 目抜き通り両側に建つ旦那衆の立派な家並みによっても 知ることができる。何気なく、松田さんはそのうちの一 軒の門構えを一不しながら、﹁住田さん、あの門構えいく らぐらいだと思いますか﹂と聞く。門外漢の私にはとっ さに金額を言うこともできなかった。﹁一億円ですよ﹂ との彼の答えにただただ驚くばかりであった。これらの 旦那衆は春日大社の山林管理を独占的に任され、それに よって富を築いてきたそうだ。それ故、地区内の仕事は いまも土建業が多い。千数百年も歴史をたどることので きる︿由緒正しき﹀東之阪地区の存在を前に、大都市部 落出身の私はあらためて被差別地区の多様なあり方に目 を 聞 か さ れ た 。ところがそのような歴史︵相対的に地区内で仕事に就 く可能性があった︶。を持つ地区であっても、四七年生ま れの私より数年も若い松田さんの同級生のうち長欠・不 就学とならなかったのは旦那衆を除けばお寺の息子と彼 ぐらいだったという話に、思わず、﹁なぜ!﹂と聞き返 したほどであった。地区内に存在したあまりに大きな貧 富の格差も原因であったに違いないのだろうが、私には 釈然としなかった。大きな邸宅に住む旦那衆の仕事に多 くの地区住民も就いていたに違いないのだから、︿奴隷 的な低賃金﹀ならいざ知らず、それなりに生活は維持で きたはずであろう。にもかかわらず、高度経済成長期の 六
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年代後半に中学生であった松田さんの同級生の多く がなぜ長欠生徒であったのか、との疑問が生まれるのも 当然であった。多分、地区内だけで完結する閉鎖的な職 業・生活スタイルがながく維持されてきた中で、外の世 界と交わることで膨らむ学校教育への期待すら生まれず、 その必要性すら感じなかったのだろうか。 さらに、旦那衆の行政への発言権の大ききゃ全国水平 社と国粋会闘争時に水平社の闘争本部が地区内に設けら れていたことにもよったのか、東之阪地区の環境改善 ︹住宅建設︶事業は戦前の融和事業期にすでに大がかり に導入されていた。一九三三年に開始された住環境整備 は約五年間でほぼ完了したそうだ。 ところが、逆に戦後の部落解放運動の出発は、戦前の 融和事業の実施と旦那衆の融和的な考え方に主導される ことによって大幅におくれ、松田さんら若い世代が立ち 上がる七0
年代まで待たねばならなかった。 隣保館での話し合いは数時間におよび、双方の疑問や 誤解の多くは理解し合えたように思う。一番大きな私の 疑問は、この歌詞で強調されている差別事象をどのよう にとらえるのか、現在進行形の実態として声を大に地区 外の人々に啓発されるべき内容なのかどうかにあった。 歌詞の一つ一つは決してフィクションではない。確かに、 子どもや住民たちの体験に基づいており、五年前に学校 で起こった差別事件にもよっているとの回答も間違いな かろう。私はそれらの事実を否定しようとするものでは ない。しかし問題は、これらの事実を今日までの部落解 放運動・同和行政の到達点の中にどのように位置づける のかというところにある。更にいうならこれらの事象を 今日の部落差別としてクローズアップすることで、これ まで部落解放運動と同和行政の進展によって解決しつつある他の事象︵到達点や地区住民の課題等︶を隠してし まうのではという危倶なのである。松田さんたちの意図 もこの歌で今日の部落差別を代表させるつもりはなく、 この歌を聴くことで部落差別問題を考えるきっかけにな ればというところにあったと書かれている。だが、私自 身も全同教大会以後何名かの友人知人に﹁ことに生まれ でよかった﹂の歌詞を示し意見を求めてきた。松田さん には申し訳ないが、彼の意図に反し、この歌をきっかけ に、部落差別問題を考えるといった者は少なく、﹁今頃 なぜこの歌詞なのか﹂との反論が出され、それ以降思考 の進展がみられないとの反応も多かった。彼らとて、今 日完全に歌調に現れた部落差別事象がなくなったとは考 えていない。ただ、この事象が今日の主要な部落差別現 象のように捉える見方には臨時を覚えざるを得ないとい う こ と で あ っ た 。 松田さんは私の被差別実態に対する質問に答えて、長 欠児童二
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の存在、高校進学率における一O
数ポイン トの格差、および三人に一人の割合での中途退学者数を あげている。また、﹁親の多くは、自分の殻にとじこも り現実からの逃避にあけくれるものも少なくありませ ん﹂、さらに生活保護率三O%
、不況をもろにうけた中 , , 高年齢層の就労日の激減についても述べられている。長 欠・中途退学者数の特出をのぞけば、私の地区の実態と もあまり変わるものではない。それ故、私の問題意識は これらの実態を今日の︿部落差別の結果﹀と捉え、﹁こ こに生まれでよかった﹂で強調される部落外の人々によ る差別的まなざし︵差別意識︶の根拠として安易に直結 させていいのだろうかというところにあった。確かに実 態の厳しさはあるだろう。しかしこの厳しさの内容は、 部落解放運動・ー同和対策事業の開始時のそれとは明らか に質的な相違があるに違いない。そうでないなら、松田 さんや私たちが取り組んできた部落解放運動はいったい この間何をしてきたのか、と問われることになるのでは な い だ ろ う か 。 松田さんが勤める隣保館での地域社会に聞かれた諸行 事も、彼が支部長である部落解放運動における﹁両側か ら越える﹂を合い言葉にした取り組みも、決して一方通 行で終わるのではなく、双方によるコミュニケーション の深まりを求めるものとして各地で実践されている。こ の時期に﹁ここに生まれでよかった﹂の歌調を生み出し た部落問題認識は、これらの実践を推し進めることになるのだろうか、との疑問は拭えないでいる。しかし同時 に、この歌調を﹁差別されてきた私たちの気持ちをよく 代弁してくれた﹂と賞賛する部落の人々が今日もなお少 なくない事実を私は認めざるを得ない。この意識を過剰 反応だ、部落差別による呪縛だ、この克服は部落住民の 責任だと切り捨てるわけにはいかない。私はこの意識の 在り様との格闘こそ部落解放運動における今日的な重要 課題の一つと考えているのである。最近の意識調査にも、 部落・非部落住民の回答にこの種のずれの大きさが指摘 されている。﹁両側から越える﹂営みも具体的にはこの ずれの事実を双方が認めあい、その解消についてじっく り話し合う場の設定として進められるべきなのである。 松田さんがこの歌詞に込めた﹁この歌を聞いて感じて頂 く、気付いて頂くことが大切であり、私達の心意気を知 ってもらい、うわべだけの付き合いはもうよそうという 呼び掛け﹂との指摘もきっかけという位置づけなら私も 大筋で認めたい。が、このずれの存在に気付いているか どうかは大きな違いのように私には感じられる。 また、松田さんが指摘する前述の︿親たちの意識に象 徴される否定的側面﹀も同和対策事業のみでの克服は不 可 能 な 課 題 で あ る 。 こ の 課 題 は 二 一
0
年間の同和対策事業 による改善・成果の上に、部落解放運動の主体としての 私たち一人一人が新たに見据えるべき緊急な課題でもあ ヲQ。
話し合いの内容はおおむね以上のようであった。少し は緊張して臨んだ私も、集まってくれた人々との自由な 話し合いで、心もいつしか和んでいた。この雰囲気は参 加者の共有するところでもあったのか、七月に隣保館主 催の同和問題啓発講演会で話してほしいとの要請を松田 さんから受けた。もちろん、私の話は松田さんたちとの 話し合いの内容を下敷きにした自論の展開であった。詳 しくはまたの機会にして、この講演会で特に印象に残っ ているのは、地区で解放運動に唯一好意的な旦那衆の一 人である地区会長さんの次のような語気を強めた発言で あ っ た 。 村の連中は昔から一人では外でなんにもできない、 いつも集団でしか動けない。この悪習︵弱さ︶を克 服しなければ決して解放されるはずはない。 この指摘に私は今日の部落解放運動の課題を引き写して い た 。ヒ口の楽書き帳 私が差別のことを考えるようになったのは、家が肉屋 だということからくる偏見や思い込みへの疑問でした。 そんなとき、私の囚われの因子を発見させてくれたの が寺山修司の﹃書を捨てよ、町へ出ょう﹂にあった数行 ︿だが私の場合、私は父の顔もよく覚えていない。名門 でも士族でもなかったので、祖父から先の血統について は真暗である。そして、母は小さいときに親に認知して 貰えずに他所に貰われて行き、生みの母の名もついに知 ることができなかったという﹀ で す 。 私も祖父から先は真暗で、とても暖味だということに たまたま人が教えてくれたおかげでやりだしたのが始ま 家の仕事は祖母が離婚し、子どもたちを育てねばならず、気づかされました。私自身のかたくなな態度も、私だけ 特別という思い込みもとけていきました。そして、ごの りで、私はずっと、部落民であるとかないとか、何か証 拠がいるの?その証拠は誰が認知するの?と、疑問 に 思 っ て い ま し た 。 以前は、家の仕事について私自身なんとなく不利なこ とのように考えて、﹁家は自営、だトことしか言わずにい たり、差別的な発言に対
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て怒って絶交してしまったり して、そうした窮屈さや人との交流がおかしくなるのは 全部、家のせいだと決めつけて思い悩んだ時期もありま す 。 数行の言葉は、人に対して思いをはせることへの手がか りにもなったようです。それからは、 みずからの窮屈な 気持を、相手に押しつけるみたいなことがいやになり、 いまでは、まず私自身の方から心をオープンにして接す る こ と が 大 切 で 、 できるかぎりそうしたいなと考えるよ う に な り ま し た 。 ︵ 多 田 ヒ ロ ミ ︶自 民