学
位
(
博
士
)
請
求
論
文
天
台
教
学
を
基
礎
と
す
る
親
鸞
浄
土
教
の
研
究
四
夷
法
顕
I
天
台
教
学
を
基
礎
と
す
る
親
鸞
浄
土
教
の
研
究
(
目
次
)
序
論
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 頁第
一
章
叡
山
と
親
鸞
に
関
す
る
先
行
研
究
の
再
検
討
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 五 頁 第 一 節 叡 山 時 代 の 行 実 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 七 頁 第 一 項 叡 山 時 代 に お け る 親 鸞 の 立 場 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 七 頁 第 二 項 不 断 念 仏 の 内 容 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 一 頁 第 二 節 愚 禿 の 内 実 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 三 四 頁 第 一 項 最 澄 の 愚 禿 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 三 四 頁 第 二 項 親 鸞 の 愚 禿 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 三 八 頁 第 三 節 中 古 天 台 本 覚 法 門 と の 関 連 性 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 四 五 頁 第 一 項 自 然 法 爾 思 想 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 四 五 頁 第 二 項 国 宝 本 「 正 像 末 和 讃 」 所 収 「 罪 業 も と よ り 所 有 な し 」 の 和 讃 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 六 七 頁 第 四 節 円 融 の 論 理 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 七 二 頁 第 一 項 源 信 の 円 融 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 七 二 頁 第 二 項 親 鸞 の 円 融 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 七 七 頁 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 八 七 頁II
第
二
章
親
鸞
に
お
け
る
時
機
へ
の
意
識
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 九 三 頁 第 一 節 最 澄 の 時 機 観 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 九 五 頁 第 一 項 時 と 機 へ の 関 心 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 九 五 頁 第 二 項 円 機 已 熟 思 想 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 〇 〇 頁 第 三 項 直 道 判 に よ る 分 釈 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 〇 八 頁 第 二 節 親 鸞 の 時 機 観 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 一 四 頁 第 一 項 「 化 身 土 文 類 」 の 末 法 観 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 一 四 頁 第 二 項 『 末 法 灯 明 記 』 の 引 意 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 二 一 頁 第 三 項 機 と 法 の 相 応 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 三 四 頁 第 三 節 戒 法 観 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 四 一 頁 第 一 項 戒 と は ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 四 一 頁 第 二 項 最 澄 の 大 乗 戒 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 四 四 頁 第 三 項 親 鸞 に お け る 無 戒 の 意 味 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 五 一 頁 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 六 八 頁第
三
章
法
華
一
乗
か
ら
本
願
一
乗
へ
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 七 五 頁 第 一 節 親 鸞 以 前 の 一 乗 の 系 譜 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 七 七 頁 第 一 項 一 乗 と 三 乗 の 語 義 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 七 七 頁III 第 二 項 法 華 一 乗 思 想 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 七 九 頁 第 三 項 最 澄 と 徳 一 の 三 一 権 実 論 争 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 八 四 頁 第 二 節 親 鸞 教 学 と 『 一 乗 要 決 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 九 四 頁 第 一 項 三 一 権 実 論 争 と 『 一 乗 要 決 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 九 四 頁 第 二 項 『 一 乗 要 決 』 か ら の 影 響 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 九 六 頁 第 三 項 『 一 乗 要 決 』 と 「 一 乗 海 釈 」 の 相 違 点 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 〇 八 頁 一 、 「 是 故 三 乗 即 是 一 乗 」 の 省 略 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 〇 八 頁 二 、 「 若 如 来 随 彼 所 欲 而 方 便 説 」 の 省 略 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 一 二 頁 三 、 「 究 竟 一 乗 」 の 異 点 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 一 三 頁 四 、 「 三 乗 」 と 「 誓 願 一 仏 乗 」 の 有 無 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 一 四 頁 第 四 項 『 一 乗 要 決 』 の 書 名 を 明 示 し な い 理 由 ― 『 法 華 経 』 不 引 の 問 題 と 関 連 し て ― ・ ・ ・ ・ 二 一 八 頁 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 二 二 頁
第
四
章
『
法
華
経
』
か
ら
『
大
無
量
寿
経
』
へ
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 二 七 頁 第 一 節 出 世 本 懐 論 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 二 九 頁 第 一 項 『 法 華 経 』 と 『 大 無 量 寿 経 』 の 対 応 関 係 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 二 九 頁 一 、 「 一 大 事 因 縁 」 と 「 出 世 大 事 」 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 二 九 頁 二 、 「 優 曇 華 」 と 「 霊 瑞 華 」 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 三 三 頁IV 三 、 「 此 彼 六 瑞 」 と 「 五 徳 瑞 現 」 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 三 五 頁 第 二 項 坂 東 本 「 正 信 念 仏 偈 」 に お け る 「 釈 迦 」 と 「 如 来 」 の 文 言 に つ い て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 三 八 頁 第 二 節 親 鸞 の 教 判 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 四 〇 頁 第 一 項 二 双 四 重 判 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 四 〇 頁 第 二 項 三 権 一 実 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 五 一 頁 第 三 項 「 絶 対 」 義 考 ― 天 台 所 説 「 絶 待 」 の 語 を め ぐ っ て ― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 五 五 頁 第 三 節 親 鸞 と 天 台 の 教 判 的 関 連 性 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 六 七 頁 第 一 項 二 双 四 重 判 の 依 拠 に 関 す る 再 検 討 ― 天 台 五 時 八 教 判 と の 関 連 性 ― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 六 七 頁 第 二 項 親 鸞 と 天 台 に お け る 真 実 ・ 方 便 の 構 造 的 相 違 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 八 三 頁 小 結 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 八 七 頁
結
論
・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 九 一 頁参
考
文
献
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 九 七 頁 書 籍 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 二 九 九 頁 論 文 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 三 〇 三 頁V
【
凡
例
】
一 、 引 用 文 献 の 略 称 は 以 下 の 通 り 。 『 浄 聖 全 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 『 浄 土 真 宗 聖 典 全 書 』 『 真 聖 全 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 『 真 宗 聖 教 全 書 』 『 大 正 蔵 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 『 大 正 新 脩 大 蔵 経 』 『 日 全 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 『 大 日 本 仏 教 全 書 』 『 伝 全 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 『 伝 教 大 師 全 集 』 『 恵 全 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 『 恵 心 僧 都 全 集 』 『 西 全 』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 『 西 山 全 書 』 二 、 引 用 文 は 漢 文 ( 白 文 ) と 書 き 下 し 文 を 並 記 し た 。 三 、 使 用 漢 字 に つ い て は 通 行 体 に 改 め た 。1
序
論
3
序
論
親 鸞 ( 一 一 七 三 ~ 一 二 六 二 ) は 、 九 歳 よ り 比 叡 山 で 二 十 年 間 修 学 し て い た と さ れ 、 そ の 教 学 形 成 に は 、 や は り 天 台 教 学 か ら の 影 響 が あ る こ と は こ れ ま で に 指 摘 さ れ て い る 。 し か し 、 親 鸞 の 教 学 形 成 に つ い て 、 今 日 ま で 七 祖 教 学 お よ び 中 国 ・ 朝 鮮 浄 土 教 と の 教 理 史 的 研 究 は 活 発 に 行 わ れ て い る も の の 、 天 台 教 学 と の 関 連 性 に つ い て は 十 分 に 議 論 が な さ れ て い る と は 言 い 難 い の が 現 状 で あ る 。 仮 に 教 学 的 関 連 性 に つ い て 言 及 さ れ て い た と し て も 、 そ の 妥 当 性 に つ い て は ほ と ん ど 議 論 が さ れ て い な か っ た り 、 無 批 判 に 論 が 進 め ら れ て い る 点 も 多 く 存 在 す る 。 本 研 究 は 、 そ れ ら の 問 題 を 親 鸞 と 天 台 の 文 義 を 把 握 す る 中 で 、 第 一 章 「 叡 山 と 親 鸞 に 関 す る 先 行 研 究 の 再 検 討 」 、 第 二 章 「 親 鸞 に お け る 時 機 へ の 意 識 」 、 第 三 章 「 法 華 一 乗 か ら 本 願 一 乗 へ 」 、 第 四 章 「 『 法 華 経 』 か ら 『 大 無 量 寿 経 』 へ 」 の 章 立 て に よ っ て 、 天 台 教 学 が 親 鸞 の 教 学 形 成 に お い て ど の よ う な 影 響 を 与 え 、 そ し て 受 容 さ れ た 天 台 教 学 が 親 鸞 教 学 に お い て い か に し て 展 開 さ れ て い る の か 、 天 台 と は 異 な る 親 鸞 浄 土 教 の 独 自 性 を 明 ら か に す る こ と を そ の 目 的 と し て い る 。 ま ず 、 本 研 究 の 題 目 に あ る 「 天 台 教 学 」 の 意 味 す る 範 疇 を 説 明 し た い 。 「 天 台 」 と い う 語 に は 人 ・ 処 ・ 家 の 三 義 が 含 ま れ て お り 、 天 台 大 師 と い う 人 が 、 天 台 山 と い う 処 に お い て 、 天 台 宗 と い う 一 家 を 開 い た と い う 三 義 が 含 ま れ て い る 1 。 本 論 文 で は 一 家 の 面 を 中 心 に 、 す な わ ち 親 鸞 教 学 に お い て 天 台 宗 と い わ れ る 一 宗 派 の 教 学 が ど の よ う な 関 連 性 を 有 す る の か 考 察 し て い く も の で あ る 。 し か し 、 一 言 で 「 天 台 教 学 」 と い っ て も 、 中 国 天 台 、 日 本 天4 台 、 さ ら に そ の い ず れ の 時 代 に お け る 学 僧 た ち の 教 学 全 般 を 指 す 用 語 で あ る と い え る た め 、 考 察 対 象 は 極 め て 多 岐 に わ た る 。 そ の 中 で も 本 研 究 で 取 り 扱 う 材 料 と し て 、 天 台 大 師 智 顗 ( 五 三 八 ~ 五 九 七 ) 、 日 本 天 台 の 祖 で あ る 伝 教 大 師 最 澄 ( 七 六 六 ~ 八 二 二 ) 、 そ し て 叡 山 浄 土 教 の 大 成 者 、 恵 心 僧 都 源 信 ( 九 四 二 ~ 一 〇 一 七 ) の 三 師 の 教 学 を 扱 い 、 こ こ で は そ れ ら を 包 括 し て 「 天 台 教 学 」 と 位 置 付 け た い 。 で は な ぜ 智 顗 、 最 澄 、 源 信 の 三 師 を 取 り 扱 う の か 。 三 師 は そ れ ぞ れ 生 き た 時 代 も 教 学 も 異 っ て い る が 、 三 師 を 抜 い て 天 台 宗 と い う 一 宗 は も は や 存 在 し 得 な い 。 い う ま で も な く 、 智 顗 は 天 台 一 家 の 祖 で あ り 、 最 澄 は 日 本 天 台 の 宗 祖 で あ る 。 ま た 、 源 信 は 比 叡 山 に お け る 浄 土 教 の 大 成 者 と し て 位 置 付 け ら れ て い る 。 そ し て 、 こ れ ま で も こ の 三 師 そ れ ぞ れ の 教 学 と 親 鸞 教 学 と の 関 連 性 は 指 摘 さ れ て き た の も 事 実 で あ る 。 し か し な が ら 、 こ れ ま で 指 摘 さ れ て き た 点 に つ い て 、 そ れ ら が 果 た し て 妥 当 性 を 得 た も の で あ る の か は 十 分 で な い よ う に 感 じ る 。 例 え ば 教 判 論 で い え ば 、 智 顗 に よ っ て 開 顕 さ れ た 天 台 五 時 八 教 判 ( 以 下 、 五 時 八 教 判 ) と 親 鸞 の 二 双 四 重 判 と の 関 連 が 指 摘 さ れ て い る 。 先 行 研 究 で は 、 二 双 四 重 判 は 五 時 八 教 判 の 構 造 か ら 影 響 を 受 け て い る と さ れ る が 、 そ れ ら の 説 に 対 し て は 、 管 見 の 限 り 否 定 的 、 肯 定 的 い ず れ の 見 解 も な い と い う 状 況 で あ る 。 さ ら に 親 鸞 の 一 乗 思 想 は 、 源 信 の 『 一 乗 要 決 』 ( 以 下 、 『 要 決 』 と 略 称 ) か ら 影 響 を 受 け た と い う 指 摘 が あ る 。 も し そ う で あ る な ら ば 、 な ぜ 親 鸞 は 自 身 の 著 作 に お い て 『 要 決 』 の 書 名 を 明 示 し な い の で あ ろ う か 。 本 研 究 は 、 そ れ ら の 問 題 に 対 し て 再 検 討 を 試 み る と い う 性 格 も 有 す る も の で あ り 、 た だ 一 人 の 人 物 の 思 想 に 限 定 す る の で は な く 、 包 括 的 に 「 天 台 教 学 」 と 親 鸞 教 学 の 関 連 性 を 論 じ て い く も の で あ る 。 次 に 、 題 目 に お け る 「 基 礎 」 の 意 味 す る と こ ろ で あ る が 、 『 日 本 国 語 大 辞 典 』 に は 以 下 の よ う に 解 説 さ れ て い る 。
5 き そ 【 基 礎 】 〔 名 〕 ① 物 事 が な り た っ て い る お お も と 。 根 本 。 も と い 。 ( 中 略 ) ② 建 築 物 を 安 定 さ せ る た め に 設 け た 建 物 の 一 番 下 の 部 分 。 地 形 ( じ ぎ ょ う ) 、 礎 石 、 土 台 な ど を 含 む 。 2 本 研 究 の 意 味 す る と こ ろ は ① に あ る 。 す な わ ち 、 二 十 年 間 修 学 し た 天 台 教 学 と い う 「 も と い 」 の 上 に 、 天 台 と は 異 な る 親 鸞 教 学 が い か に し て 構 築 さ れ て い る の か 、 そ の 独 自 性 を 明 ら か に し て い き た い 。 各 章 に お い て 検 討 す る 内 容 は 以 下 の 通 り で あ る 。 第 一 章 「 叡 山 と 親 鸞 に 関 す る 先 行 研 究 の 再 検 討 」 で は 、 こ れ ま で 叡 山 教 学 と 親 鸞 教 学 と の 関 連 に お い て 指 摘 さ れ て き た 先 行 研 究 へ の 再 検 討 を 行 っ て い く 。 第 一 節 で は 、 親 鸞 の 叡 山 時 代 の 修 行 内 容 に つ い て み て い く 。 親 鸞 の 叡 山 時 代 の 史 実 は ほ と ん ど わ か っ て お ら ず 、 わ ず か に 『 恵 信 尼 文 書 』 の「 堂 僧」 と い う 言 葉 を た よ り に 研 究 者 は そ の 解 明 に あ た っ て き た 。 そ の 中 で 佐 藤 哲 英 氏 は 、 堂 僧 と は 常 行 三 昧 堂 の 不 断 念 仏 僧 で あ っ た と 発 表 し て 3 、 そ の 見 解 が 今 日 の 学 界 に お け る 認 識 と な っ て い る 。 ま た 、 佐 藤 氏 は こ の 不 断 念 仏 僧 が 行 っ て い た と さ れ る 円 仁 招 来 の 「 五 台 山 念 仏 」 は 、 『 観 経 』 や 『 阿 弥 陀 経 』 の 読 経 に 加 え 、 法 照 の 『 浄 土 五 会 念 仏 略 法 事 儀 讃 』 に 基 づ く 五 会 念 仏 で あ る と も 指 摘 し て い る 4 。 し か し 、 五 会 念 仏 の 伝 承 に つ い て は 不 明 な 点 が 多 く 、 「 五 台 山 念 仏 」 と は 五 会 念 仏 を 指 す の で は な く 、 引 声 阿 弥 陀 経 で あ る と い う 説 も あ る 5 。 こ の よ う な 先 行 研 究 に 対 し て 、 親 鸞 が 叡 山 時 代 に 修 し て い た「 五 台 山 念 仏」 の 内 容 に つ い て 筆 者 の 見 解 を 示 し た い 。 第 二 節 以 降 の 先 行 研 究 の 検 討 に つ い て は 、 親 鸞 の 用 語 例 に 着 目 し た 。 例 え ば 、 こ れ ま で に 注 目 さ れ て き た も の に 「 愚 禿 」 の 問 題 が あ る 。 親 鸞 の 愚 禿 の 表 明 は 、 最 澄 の 『 願 文 』 に お け る 「 愚 中 極 愚 、 狂 中 極 狂 、 塵 禿 有 情 、 底
6 下 最 澄 」 ( 『 伝 全 』 一 ・ 二 頁 ) と い う 文 に 依 っ た も の と い わ れ て い る 。 確 か に 「 化 身 土 文 類 」 に お け る 『 末 法 灯 明 記 』 の 引 用 6 、 「 七 難 消 滅 の 誦 文 」 の 和 讃 等 、 親 鸞 が 最 澄 か ら 影 響 を 受 け て い る こ と は 他 の 観 点 か ら 論 じ ら れ て お り 、 あ な が ち に 否 定 す る こ と は で き な い 。 し か し 、 こ の 問 題 に つ い て こ れ ま で に 親 鸞 と 最 澄 の 「 愚 禿 」 の 内 実 に つ い て は 十 分 に 比 較 ・ 検 討 さ れ て こ な か っ た 。 両 者 の 文 脈 は 考 慮 さ れ ず 、 愚 禿 の 用 語 だ け を 抽 出 し て 類 似 性 を 論 じ た と し て も 、 機 根 と 教 法 が ど の よ う に 関 わ っ て い る の か は 見 え て こ な い 。 機 と は 法 を 受 け る か ら こ そ 機 と い わ れ 、 法 も ま た 機 を 抜 き に し て は 語 り え な い 。 よ っ て 、 第 二 節 で は 両 者 に お け る 「 愚 禿 」 の 内 実 を 検 討 し 、 そ の 相 違 点 を 明 ら か に す る こ と で 、 親 鸞 が 自 己 を い か な る 存 在 と 捉 え て い た か を 考 察 し て い き た い 。 第 三 節 で は 、 親 鸞 教 学 と 中 古 天 台 本 覚 法 門 と の 関 連 性 を 考 察 す る 。 中 古 天 台 本 覚 法 門 と は 、 い わ ゆ る 「 絶 対 不 二 の 一 元 論 」 7 と 規 定 さ れ る よ う に 、 煩 悩 即 菩 提 ・ 生 死 即 涅 槃 ・ 邪 正 一 如 ・ 我 即 仏 と い っ た 不 二 円 融 論 を 、 現 象 に お け る 煩 悩 ・ 生 死 ・ 凡 夫 ・ 我 の 上 で 語 る こ と で あ る 。 鎌 倉 新 仏 教 が 天 台 本 覚 思 想 の 影 響 下 に 生 ま れ た と 主 張 す る 田 村 芳 朗 氏 は 、 そ の 代 表 者 と し て 、 親 鸞 ・ 道 元 ・ 日 蓮 の 名 前 を 挙 げ て い る 8 。 こ の よ う な 見 解 に 対 し て 、 種 々 の 方 面 よ り 論 考 さ れ て い る の で あ る が 、 親 鸞 に お け る 自 己 の 存 在 性 か ら 考 察 す る に 、 我 即 仏 と い う 不 二 円 融 を 、 生 死 ・ 凡 夫 ・ 我 の 上 で 語 っ て い く 本 覚 法 門 が 親 鸞 思 想 に 入 り 込 む 余 地 は な い 。 本 章 で は 、 ま ず 親 鸞 の 「 信 」 の 構 造 が 我 即 仏 と い っ た 絶 対 的 一 元 論 と 相 容 れ な い 点 を 、 親 鸞 の 自 然 法 爾 思 想 と 「 即 」 の 内 実 よ り 明 ら か に し て い き た い 。 さ ら に 次 項 に お い て は 、 本 覚 法 門 と の 関 連 性 が あ る 国 宝 本 「 正 像 末 和 讃 」 所 収 「 罪 業 も と よ り 所 有 な し 」 の 和 讃 に つ い て も 検 討 を 加 え て い く 。
7 第 四 節 で は 、 親 鸞 に お け る 「 円 融 」 の 内 実 に つ い て 考 察 し て い く 。 親 鸞 は 多 く の 天 台 教 判 用 語 を 依 用 し 、 そ れ ら を 換 骨 奪 胎 す る こ と で 「 誓 願 一 仏 乗 」 と い う 教 判 を 構 築 し て い る 9 。 中 で も 「 円 融 」 は 、 天 台 教 判 で 最 深 の 教 法 と さ れ る 法 華 円 教 の 「 円 」 を 解 釈 す る 際 に 用 い ら れ て い る 重 要 な 用 語 で あ る 。 こ の 語 を 阿 弥 陀 仏 の 仏 身 に 用 い る の は 源 信 で 、 『 往 生 要 集 』 で は 阿 弥 陀 仏 を 「 円 融 万 徳 尊 」 と し 、 親 鸞 は こ の 文 を 「 行 文 類 」 に 引 用 し て い る 。 ま た 、 法 然 の 法 語 と し て 遺 さ れ て い る 『 逆 修 説 法 』 で は 、 源 信 の 『 阿 弥 陀 仏 白 毫 観 』 が 引 用 さ れ て お り 、 阿 弥 陀 仏 の 白 毫 の 体 性 が 、 即 空 即 仮 即 中 の 三 諦 円 融 を 内 容 と し 、 円 融 無 礙 な る こ と が 明 か さ れ て い る 。 こ れ ら の 事 を 鑑 み る 時 、 親 鸞 が 「 円 融 至 徳 嘉 号 」 と 、 名 号 に お い て 「 円 融 」 の 語 を 用 い る 背 景 に は 石 田 充 之 氏 が 指 摘 し て い る よ う に 源 信 教 学 か ら の 影 響 が あ る と み て 大 過 な い と 思 わ れ る 1 0 。 し か し 、 源 信 と 親 鸞 が 「 円 融 」 と い う 同 じ 用 語 を 使 っ て い た と し て も 、 そ の 言 葉 の 内 実 は 同 じ で は な く 、 未 だ 検 討 の 余 地 は あ る 。 本 節 で は 、 親 鸞 が 依 用 す る 「 円 融 」 の 語 義 を 、 源 信 の 用 例 と 比 較 し 、 そ の 内 実 を 明 ら か に す る こ と で 、 親 鸞 教 学 に お い て 如 何 に 天 台 用 語 が 取 り 入 れ ら れ 、 展 開 さ れ て い る の か を 見 て い き た い 。 第 二 章 「 親 鸞 に お け る 時 機 へ の 意 識 」 で は 、 親 鸞 在 世 の 時 代 観 、 お よ び 教 法 を 受 け る 機 根 観 を 最 澄 教 学 と の 関 連 で 論 じ て い く 。 こ こ で 最 澄 と の 関 連 で 論 じ て い く の は 、 親 鸞 が 最 澄 撰 述 と 見 做 し て 引 用 し て い る 『 末 法 灯 明 記 』 を ほ ぼ 全 文 に わ た っ て 「 化 身 土 文 類 」 に 引 用 す る な ど し て 、 両 者 の 時 機 観 に は 関 連 性 が 見 ら れ る か ら で あ る 。 ま た 、 最 澄 は 直 道 ・ 迂 廻 ・ 歴 劫 と い う 、 い わ ゆ る 直 道 判 と い う 三 道 の 分 釈 を 行 い 、 『 法 華 経 』 が 時 機 相 応 の 教 法 で あ る こ と を 対 外 的 に 主 張 し て い る 。 親 鸞 も ま た 南 都 ・ 北 嶺 の 仏 教 に 対 し て こ の 三 道 の 分 釈 を 依 用 し て 本 願 念 仏 が 最
8 勝 の 法 で あ る こ と を 主 張 し て お り 、 両 者 に は 教 学 的 関 連 性 が 看 取 で き る の で あ る 。 1 1 第 一 節 で は 、 最 澄 の 時 機 観 を み て い く 上 で 時 機 へ の 関 心 、 円 機 已 熟 思 想 、 直 道 判 を 先 行 研 究 に よ り な が ら 概 観 し て い く 。 第 二 節 で は 親 鸞 の 時 機 観 を 検 討 し て い く 。 ま ず 「 化 身 土 文 類 」 で 示 さ れ る 時 機 観 を 、 そ こ で 示 さ れ る 文 言 と 『 末 法 灯 明 記 』 の 引 意 を 通 し て 見 て い く 。 さ ら に 親 鸞 の 時 機 観 は 、 「 化 身 土 文 類 」 の み な ら ず 、 「 正 像 末 和 讃 」 に も 提 示 さ れ て い る 。 本 節 で は 第 一 節 で 得 た 最 澄 の 時 機 観 と 比 較 ・ 検 討 す る こ と で 、 親 鸞 の 時 機 観 の 特 徴 を 明 ら か に し て い き た い 。 第 三 節 で は 第 二 節 で の 結 果 を 踏 ま え 、 親 鸞 に お け る 「 無 戒 」 の 論 理 を 考 察 し て い く 。 仏 道 の 基 本 に 戒 ・ 定 ・ 慧 の 三 学 が お か れ て い る こ と は 周 知 の こ と で あ る が 、 中 で も 「 戒 」 は 仏 道 の 初 門 で あ り 、 在 家 出 家 問 わ ず 仏 教 へ の 入 門 は ま ず 受 戒 か ら 始 ま る 。 し か し 、 浄 土 真 宗 の 仏 道 実 践 の 場 に お い て 戒 に つ い て 語 ら れ る こ と は な い 。 そ れ は 親 鸞 の 言 葉 や 生 き 方 に 影 響 さ れ て い る か ら で あ ろ う 。 例 え ば 『 尊 号 真 像 銘 文 』 に は 、 然 則 破 戒 罪 根 之 輩 、 加 肩 入 往 生 之 道 と い ふ は 、 然 則 は し か ら し め て 、 こ の 浄 土 の な ら ひ に て 破 戒 無 戒 の 人 、 罪 業 ふ か き も の み な 往 生 す と し る へ し と 也 。 ( 『 浄 聖 全 』 二 ・ 六 四 七 頁 ) と 、 破 戒 無 戒 の 人 も 阿 弥 陀 仏 の 本 願 力 に よ り 、 浄 土 往 生 せ し め ら れ る と い う の が 第 十 八 願 の 法 義 で あ る と 示 さ れ て い る 。 一 方 で 、 師 法 然 は 生 涯 持 戒 し 、 戒 師 と し て の 一 面 を 持 つ と 共 に 、 「 戒 は 仏 法 の 大 地 な り 」 1 2 と い わ れ 、 戒 法 の 重 要 性 を 強 調 し て い る 。 さ ら に 、 法 然 門 下 で 各 派 祖 と な っ て い る 弁 長 と 証 空 も 戒 法 に は 一 定 の 評 価 を 与 え
9 て お り 、 親 鸞 の 無 戒 の 立 場 は 一 般 仏 教 の み な ら ず 、 法 然 門 下 の 中 に お い て も 異 例 で あ っ た と い え る 。 親 鸞 が 戒 に つ い て 語 ら な か っ た 理 由 と し て 、 『 真 宗 大 辞 典 』 の 「 戒 」 の 項 目 に は 以 下 の よ う に 説 明 さ れ て い る 。 か く の 如 く 戒 は 自 力 成 仏 の 宗 教 に 於 て は 欠 く べ か ら ざ る 法 則 で あ る け れ ど も 、 他 力 往 生 の 真 宗 に 於 て は 全 く 無 用 の 法 則 で あ る 。 故 に 宗 祖 は 戒 法 の こ と に 言 及 せ ら れ て い な い 。 ( 『 真 宗 大 辞 典 』 二 三 一 ~ 二 三 二 頁 ) と 、 阿 弥 陀 仏 の 本 願 力 に よ っ て 浄 土 往 生 せ し め ら れ る と い う 第 十 八 願 の 法 義 に お い て は 「 無 用 の 法 則 」 で あ る か ら だ と 明 確 に 示 さ れ て い る 1 3 。 し か し 、 親 鸞 は 戒 律 が 自 身 の 往 生 に お い て 「 無 用 の 法 則 」 で あ っ た か ら 語 る こ と が な か っ た の だ ろ う か 。 む し ろ 、 浄 土 真 宗 に 帰 す れ ど も 真 実 の 心 は あ り が た し 虚 仮 不 実 の わ が 身 に て 清 浄 の 心 も さ ら に な し ( 『 浄 聖 全 』 二 ・ 五 一 七 頁 ) と い う 和 讃 は 、 戒 を 持 つ こ と す ら で き な い 自 己 に 対 す る 慚 愧 の 言 葉 で は な か っ た だ ろ う か 。 確 か に 親 鸞 は 戒 に 対 し て 直 接 言 及 は し て い な い が 、 そ の 語 ら ざ る 姿 勢 に 見 え て く る も の も あ る だ ろ う 。 本 節 で は こ れ ま で の 先 行 研 究 を 踏 ま え つ つ 、 最 澄 が 顕 揚 し た 大 乗 戒 の 思 想 と 関 連 さ せ な が ら 、 親 鸞 の 「 無 戒 」 に つ い て 考 察 し て い く 。 そ の 為 、 本 論 は 戒 に 関 し て そ の 思 想 の 歴 史 的 展 開 を 見 て い く も の で は な く 、 親 鸞 に お け る 戒 法 観 と い う 観 点 で 論 じ て い く こ と を 予 め 断 っ て お く 。 第 三 章 の 「 法 華 一 乗 か ら 本 願 一 乗 へ 」 で は 、 第 二 章 で 考 察 し た 親 鸞 の 時 代 的 把 握 を 受 け て 、 自 己 が 求 め た 仏 道 を 一 乗 思 想 の 上 か ら 考 察 し て い く 。 親 鸞 が 修 学 し て い た 叡 山 で は 法 華 一 乗 を 掲 げ て い る 。 し か し 、 法 華 一 乗 は 道
10 理 か ら す れ ば 確 か に 一 乗 教 で あ る が 、 実 際 は 凡 夫 の 歩 む こ と が 出 来 る 仏 道 で は な か っ た 。 親 鸞 は 叡 山 を 下 り 、 法 然 の も と で 万 人 が 成 仏 す る こ と の で き る 仏 道 を 阿 弥 陀 仏 の 第 十 八 願 の 上 に み て い っ た の で あ る 。 し か し 、 親 鸞 は 天 台 教 学 ま で 棄 て た の で は な く 、 こ の 本 願 一 乗 の 根 本 に は 、 叡 山 で 修 学 し た 一 乗 思 想 と い う も の が 受 け 継 が れ て い る 。 こ の よ う な 点 か ら 、 親 鸞 の 一 乗 思 想 に 天 台 の 法 華 一 乗 思 想 が ど の よ う な 影 響 を 与 え て い た の か を み て い き た い 。 ま ず 第 一 節 で は 親 鸞 以 前 の 一 乗 の 系 譜 と し て 、 一 乗 と 三 乗 の そ れ ぞ れ の 語 義 、 法 華 一 乗 思 想 、 最 澄 と 徳 一 の 三 一 権 実 論 争 を 概 観 し て い く 。 そ し て 第 二 節 に お い て は 、 親 鸞 と 天 台 の 一 乗 思 想 と の 関 連 に つ い て 、 特 に 源 信 の 『 要 決 』 と の 関 連 性 を 中 心 に 考 察 し て い く 。 日 本 天 台 の 一 乗 思 想 を み て い く 上 で 忘 れ て は な ら な い の が 、 天 台 最 澄 ・ 法 相 徳 一 の 「 三 一 権 実 論 争 」 で あ る 。 こ の 論 争 を 受 け 、 一 乗 真 実 の 道 理 を 開 顕 し た の が 源 信 の 『 要 決 』 で あ り 、 親 鸞 教 学 に お い て も 『 要 決 』 か ら の 影 響 は こ れ ま で に 指 摘 さ れ て い る 。 中 で も 主 著 『 顕 浄 土 真 実 教 行 証 文 類 』 ( 以 下 、 『 教 行 信 証 』 と 略 称 ) 「 行 文 類 」 一 乗 海 釈 に お け る 、 言 一 乗 海 者 。 一 乗 者 大 乗 。 大 乗 者 仏 乗 。 得 一 乗 者 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 。 阿 耨 菩 提 者 即 是 涅 槃 界 。 涅 槃 界 者 即 是 究 竟 法 身 。 得 究 竟 法 身 者 則 究 竟 一 乗 。 無 異 如 来 。 無 異 法 身 。 如 来 即 法 身 。 究 竟 一 乗 者 即 是 無 辺 不 断 。 大 乗 無 有 二 乗 三 乗 。 二 乗 三 乗 者 入 於 一 乗 。 一 乗 者 即 第 一 義 乗 。 唯 是 誓 願 一 仏 乗 也 。 ( 『 浄 聖 全 』 二 ・ 五 四 頁 ) 一 乗 海 と い ふ は 、 一 乗 は 大 乗 な り 。 大 乗 は 仏 乗 な り 。 一 乗 を 得 る は 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 を 得 る な り 。 阿 耨 菩 提 は す な は ち こ れ 涅 槃 界 な り 。 涅 槃 界 は す な は ち こ れ 究 竟 法 身 な り 。 究 竟 法 身 を 得 る は す な は ち 一 乗 を
11 究 竟 す る な り 。 異 の 如 来 ま し ま さ ず 。 異 の 法 身 ま し ま さ ず 。 如 来 は す な は ち 法 身 な り 。 一 乗 を 究 竟 す る は す な は ち こ れ 無 辺 不 断 な り 。 大 乗 は 二 乗 ・ 三 乗 あ る こ と な し 。 二 乗 ・ 三 乗 は 一 乗 に 入 ら し め ん と な り 。 一 乗 は す な は ち 第 一 義 乗 な り 。 た だ こ れ 誓 願 一 仏 乗 な り 。 の 私 釈 に つ い て は 、 諸 師 に よ っ て 『 勝 鬘 経 』 を 典 拠 と す る と さ れ て き た が 1 4 、 開 華 院 法 住 師 が 『 教 行 信 証 金 剛 録 』 の 中 で 、 こ の 私 釈 は 単 に 『 勝 鬘 経 』 そ の も の を 典 拠 と す る と い う よ り も 、 『 要 決 』 中 の 『 勝 鬘 経 』 引 文 を 元 に し た 文 章 で あ る と の 指 摘 を 行 っ て い る 1 5 。 確 か に 乃 至 の 略 抄 形 態 、 末 尾 の 同 一 か ら し て 『 要 決 』 中 の 引 文 を 元 に し た と 思 わ れ 、 爾 来 、 こ の 説 を 支 持 す る も の も 少 な く な い 。 と こ ろ で 、 こ れ ま で 一 乗 海 釈 に お け る 『 要 決 』 の 受 容 は 、 『 勝 鬘 経 』 依 用 が 中 心 に 論 じ ら れ て き た が 、 一 乗 海 釈 の 構 造 に は 『 勝 鬘 経 』 の 依 用 の み な ら ず 、 さ ら な る 『 要 決 』 の 受 容 が 見 受 け ら れ る 。 そ こ で 本 論 で は 、 親 鸞 の 一 乗 思 想 と 『 要 決 』 と の 関 連 性 に つ い て 、 三 つ の 視 点 か ら 考 察 す る 。 一 つ に 、 一 乗 海 釈 に お い て 『 勝 鬘 経 』 依 用 以 外 に 『 要 決 』 か ら 影 響 を 受 け た と 思 わ れ る 箇 所 を 検 証 す る 。 二 つ に 、 親 鸞 は 『 要 決 』 を 無 批 判 に 受 容 す る の で は な く 、 文 脈 を 意 図 的 に 変 更 し て い る の で あ る が 、 そ の 相 違 点 を 検 討 す る こ と で 親 鸞 が 明 示 す る 一 乗 思 想 を 明 ら か に す る 1 6 。 三 つ に は 『 要 決 』 か ら の 影 響 が 認 め ら れ る 場 合 、 親 鸞 は 何 故 、 自 身 の 著 述 に 『 要 決 』 の 書 名 を 明 示 し な か っ た の か 、 そ の 理 由 に つ い て も 検 討 を 加 え て い く 。 第 四 章 の 「 『 法 華 経 』 か ら 『 大 無 量 寿 経 』 へ 」 で は 、 親 鸞 と 天 台 の 教 判 的 関 連 性 と そ の 構 造 に つ い て 検 討 し て い き た い 。 前 章 に お い て 考 察 し た 一 乗 の 問 題 は 、 そ の 原 点 は い わ ば 経 典 観 で あ る 。 天 台 法 華 一 乗 は 『 法 華 経 』 、 本 願
12 一 乗 は 『 大 無 量 寿 経 』 ( 以 下 、 『 大 経 』 ) に 依 拠 し て 一 乗 思 想 が 構 築 さ れ る 。 そ こ で 第 一 節 で は 、 出 世 本 懐 論 に つ い て 智 顗 が 『 法 華 経 』 を 真 実 教 と し た 姿 勢 と 、 親 鸞 が 『 大 経 』 を 真 実 教 と し た 姿 勢 と の 共 通 点 を 先 行 研 究 に よ っ て 概 観 し 、 一 つ の 試 論 を 提 示 し た い 。 そ れ は 坂 東 本 「 正 信 念 仏 偈 」 の 文 言 が 、 「 釈 迦 」 か ら 「 如 来 」 に 訂 正 さ れ て い る 問 題 で あ る 。 こ の 問 題 に つ い て は 親 鸞 の 直 接 的 な 言 及 が な い 以 上 、 そ の 理 由 を 断 定 す る こ と は 困 難 な 状 況 に あ る 。 本 論 で は 、 「 正 信 念 仏 偈 」 の 訂 正 箇 所 が 出 世 本 懐 に つ い て 書 か れ て い る 点 に 注 目 し 、 智 顗 と 親 鸞 が 真 実 教 と す る 証 明 方 法 の 近 似 点 か ら 考 察 し て い く 。 第 二 節 で は 、 『 大 経 』 所 説 の 第 十 八 願 法 の 立 場 か ら 構 築 さ れ る 、 親 鸞 の 二 双 四 重 判 の 構 造 に つ い て 考 察 す る 。 二 双 四 重 判 は 、 龍 樹 ・ 曇 鸞 ・ 道 綽 ・ 善 導 ・ 法 然 と い っ た 七 高 僧 の 教 学 を 総 合 的 に 承 け て 構 築 さ れ て い る 。 二 双 四 重 判 は 竪 超 ・ 横 超 が 聖 道 ・ 浄 土 の 実 教 と し て そ れ ぞ れ に 「 実 」 の 名 が 与 え ら れ て い る た め 、 い わ ば 相 対 判 と 位 置 付 け ら れ る 。 し か し 、 こ の 相 対 判 が 帰 結 す る と こ ろ は 、 「 行 文 類 」 一 乗 海 釈 に お い て 「 唯 是 誓 願 一 仏 乗 」 と 説 示 さ れ る よ う に 、 全 仏 教 を 阿 弥 陀 仏 の 第 十 八 願 に 統 摂 し て い く よ う な 絶 対 判 を 立 て る と こ ろ に あ る 。 故 に 二 教 二 機 対 の 釈 で は 、 念 仏 と 諸 行 を 比 校 相 対 さ せ 、 そ れ ぞ れ の 結 文 で 「 絶 対 不 二 之 教 、 絶 対 不 二 之 機 」 と 示 さ れ る の で あ る 。 さ ら に 、 こ の 「 絶 対 」 に つ い て 、 従 来 よ り 「 本 願 一 乗 法 は 諸 行 と の 相 対 的 対 立 が 泯 亡 し て い る 」 と い う 理 解 が あ る 1 7 。 こ の よ う な 理 解 は 、 「 絶 対 」 を 天 台 で い う 「 絶 待 」 と 同 義 に 捉 え る と こ ろ に あ る 。 親 鸞 の 「 絶 対 」 の 語 義 が 相 対 を 泯 亡 す る と こ ろ に あ る の か 、 そ れ と も 相 対 的 な と こ ろ で い わ れ る の か 、 「 絶 待 」 の 語 義 と 親 鸞 の 諸 行 観 よ り 検 討 を 加 え る 。
13 第 三 節 で は 、 二 双 四 重 判 と 天 台 五 時 八 教 判 と の 関 連 性 に つ い て 論 ず る 。 こ の 点 に つ い て 先 行 研 究 で は 、 二 双 四 重 判 の 四 教 分 別 や 頓 漸 二 教 と い っ た 教 判 的 名 目 は 、 天 台 教 判 を 応 用 し た も の と す る 指 摘 が あ る 。 例 え ば 日 下 大 癡 氏 は 、 二 双 四 重 判 に お い て 一 代 仏 教 を 頓 漸 二 教 に 分 け て 超 と 出 に 配 し 、 そ こ か ら 竪 超 ・ 竪 出 ・ 横 超 ・ 横 出 の 四 教 に 分 別 す る 構 造 は 、 五 時 八 教 判 に お け る 界 外 と 界 内 と に 分 け こ れ ら を 巧 と 拙 と に 分 け 、 そ こ か ら 蔵 教 ・ 通 教 ・ 別 教 ・ 円 教 の 四 教 を 分 別 し た 「 二 双 四 重 」 の 構 造 と の 近 似 性 を 指 摘 し て い る 1 8 。 ま た 、 福 原 蓮 月 氏 は 二 双 四 重 判 の 「 二 双 」 に あ た る 超 と 出 は 、 五 時 八 教 判 で い う 頓 教 と 漸 教 に あ た る と し て お り 、 こ の 区 別 は 天 台 の 教 判 を 応 用 し た も の で あ る と し て い る 1 9 。 し か し 、 そ の よ う な 見 解 は 二 双 四 重 判 の 依 拠 に つ い て 顧 み ら れ る こ と な く 、 結 論 あ り き で 論 が 進 め ら れ 、 そ の 妥 当 性 に つ い て は こ れ ま で 議 論 が さ れ て こ な か っ た 。 そ こ で 、 本 節 で は 二 双 四 重 判 と 五 時 八 教 判 の 教 判 構 造 か ら 、 そ れ ら の 先 行 研 究 の 妥 当 性 を 検 討 す る と 共 に 、 二 双 四 重 判 と 五 時 八 教 判 が 明 示 す る 真 実 と 方 便 の 構 造 的 相 違 点 に つ い て 明 ら か に し て い き た い 。 以 上 の 四 章 に お い て 論 じ て い く 。 尚 、 親 鸞 浄 土 教 と 天 台 教 学 と の 関 連 性 に お い て 仏 身 仏 土 論 も 重 要 な 問 題 で あ る が 、 本 研 究 で 仏 身 仏 土 論 に 関 し て は 敢 え て 章 立 て を 設 け る こ と は 控 え た 。 そ れ は 本 研 究 の 中 心 的 課 題 を 、 親 鸞 と 天 台 が そ れ ぞ れ 位 置 付 け た 真 実 教 と 、 そ れ を 受 け る 機 根 と の 繋 が り に お い て 設 定 し て お り 、 仏 身 仏 土 に つ い て 考 究 し て い く こ と は 論 文 の 構 成 上 、 煩 雑 に な り 論 点 が 薄 れ て し ま う こ と を 危 惧 し た 為 で あ る 。
14 1 勧 学 寮 編 『 釈 尊 の 教 え と そ の 展 開 ー 中 国 ・ 日 本 篇 ー 』 ( 本 願 寺 出 版 社 、 二 〇 〇 八 年 ) 、 一 四 八 頁 2 『 日 本 国 語 大 辞 典 』 第 二 版 、 第 四 巻 ( 小 学 館 、 二 〇 〇 一 年 ) 一 三 八 頁 3 佐 藤 哲 英 「 恵 信 尼 文 書 の 堂 僧 に つ い て 」 ( 『 龍 谷 教 学 』 第 五 号 、 一 九 七 〇 年 ) 4 佐 藤 哲 英 『 叡 山 浄 土 教 の 研 究 』 ( 百 華 苑 、 一 九 七 九 年 ) 二 九 ~ 三 三 頁 5 天 納 傳 中 『 天 台 声 明 』 ( 法 蔵 館 、 二 〇 〇 〇 年 ) 三 二 二 頁 6 『 末 法 灯 明 記 』 は 最 澄 選 述 で あ る こ と が 疑 問 視 さ れ て い る が 、 親 鸞 は 最 澄 が 著 し た 書 と 見 做 し て い る た め 、 本 稿 で は そ の 立 場 で 論 じ て い く 。 7 田 村 芳 朗 『 絶 対 の 真 理 ( 天 台 ) 』 、 ( 角 川 書 店 、 一 九 七 〇 ) 四 九 頁 8 田 村 芳 朗 『 鎌 倉 新 仏 教 思 想 の 研 究 』 ( 平 楽 寺 書 店 、 一 九 六 五 ) 、 三 六 九 頁 9 淺 田 正 博 「 教 行 信 証 に お け る 天 台 教 判 用 語 の 依 用 に つ い て 」 ( 『 宗 学 院 論 集 』 第 五 三 号 、 一 九 八 二 年 ) 1 0 石 田 充 之 「 親 鸞 聖 人 に お け る 円 融 の 理 念 の 救 済 的 意 義 」 ( 『 真 宗 学 』 第 五 三 号 、 一 九 七 五 年 ) 1 1 佐 々 木 憲 徳 『 天 台 教 学 』 ( 百 華 苑 、 一 九 六 三 年 ) 二 九 四 頁 や 、 淺 田 正 博 「 教 行 信 証 に お け る 法 華 経 不 引 の 理 由 」 ( 『 印 度 仏 教 学 研 究 』 三 十 二 巻 、 一 九 八 四 年 ) 等 に よ っ て 指 摘 さ れ て い る 。 1 2 石 井 教 導 編 『 昭 和 新 修 法 然 上 人 全 書 』 ( 平 楽 寺 書 店 、 一 九 七 四 年 ) 七 八 八 頁 1 3 こ の 点 を 森 剛 史 氏 は 「 親 鸞 の 戒 法 観 」 ( 『 大 谷 大 学 大 学 院 研 究 紀 要 』 第 二 二 号 、 二 〇 〇 五 年 ) で 次 の 様 に 指 摘 す る 。 こ れ は 、 「 親 鸞 が 戒 に つ い て 一 言 半 句 も 語 ろ う と し な か っ た 事 実 」 と い う よ う な 、 親 鸞 の 戒 律 に 対 す る 姿 勢 か ら 来 て い る も の で あ ろ う か 。 だ が 、 親 鸞 が 戒 律 に 関 し て ほ と ん ど な に も 語 ら な か っ た 理 由 を 、 戒 律 に 拠 ら な い 他 力 往 生 の 仏 道 に 生 き た か ら で あ る と い う こ と に 求 め る の は 単 純 す ぎ る 嫌 い が あ り 、 こ れ だ け で は 親 鸞 が 戒 律 と い う 仏 教 に お け る 道 徳 の 基 盤 を 無 視 、 あ る い は 軽 視 し た と い う 極 論 に 至 る 恐 れ が あ る こ と を 否 定 で き な い 。 1 4 智 暹 の 『 樹 心 録 』 以 降 、 ほ と ん ど の 講 録 が 『 勝 鬘 経 』 を 引 用 す る も の と 指 摘 し て い る 。 1 5 『 続 真 宗 大 系 』 第 七 巻 『 教 行 信 証 金 剛 録 』( 上) 1 6 近 年 の 注 目 す べ き 論 攷 に 、 藤 丸 智 雄 「 教 行 信 証 と 一 乗 思 想 」 ( 『 顕 浄 土 真 実 経 行 証 文 類 の 背 景 と 展 開 』 所 収 、 二 〇 一 二 年) が あ る 。 藤 丸 氏 は 、 従 来 顧 み ら れ る こ と の な か っ た 経 典 解 釈 の 立 場 よ り 、 「 如 来 蔵 」 を 一 乗 の 根 拠 に す る 『 勝 鬘 経 』 が 『 一 乗 要 決 』 と 親 鸞 に 用 い ら れ た と し て い る が 、 親 鸞 の 一 乗 の 独 自 性 と し て 「 如 来 蔵 」 を 根 拠 に し て い な い こ と を 指 摘 し て い る 。 す な わ ち 、 衆 生 の 中 に 「 如 来 蔵 」 と い う 恒 常 性 を 見 出 し て い く の で は く 、 阿 弥 陀 仏 の 用 き の 包 摂 性 に 一 乗 を 見 出 し 、 仏 辺 に 帰 属 さ せ た と こ ろ に 親 鸞 の 発 揮 が あ る と し て い る 。 本 稿 に お い て も 藤 丸 氏 の 論 攷 か ら 多 く の 示 唆 を い た だ い た 。 1 7 興 隆 『 教 行 信 証 微 決 』 、 日 下 大 癡 『 台 学 指 針 』 等 に お い て 指 摘 さ れ て い る 。 1 8 日 下 大 癡 『 台 学 指 針 』 ( 百 華 苑 、 一 九 三 六 年 ) 三 三 二 頁 1 9 福 原 蓮 月 「 親 鸞 と 天 台 学 」 ( 『 天 台 学 報 』 第 二 十 二 号 、 一 九 七 九 年 )
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第
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章
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親
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研
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立
場
親 鸞 は 、 九 歳 よ り 比 叡 山 に お い て 二 十 年 間 に わ た り 学 問 修 行 し た と さ れ て い る が 、 そ の 行 実 は ほ と ん ど わ か っ て い な い 。 高 田 派 良 空 の 『 親 鸞 聖 人 正 統 伝 』 等 1 に は 伝 記 が 示 さ れ て い る も の の 、 そ れ ら の 史 料 に つ い て も 二 次 的 な も の が 多 い 。 し た が っ て 叡 山 で 修 学 に 励 ん で い た 親 鸞 像 を 把 握 す る に は 、 ご く わ ず か な 史 料 を 手 が か り に 当 時 の 時 代 背 景 と 共 に 考 察 を 加 え て い く 必 要 性 が あ る が 、 本 項 で は 佐 藤 哲 英 氏 の 論 攷 を た よ り に 今 日 ま で の 研 究 成 果 を 概 観 し て い き た い 2 。 親 鸞 の 叡 山 時 代 の 行 実 を 現 在 に 伝 え る 第 一 史 料 は 、 大 正 十 年 に 鷲 尾 教 導 氏 に よ っ て 本 願 寺 の 宝 庫 か ら 発 見 さ れ た 『 恵 信 尼 文 書 』 の 一 文 で あ る 。 す な わ ち 、 こ の も ん ぞ 、 殿 の ひ へ の や ま に だ う そ う つ と め て お は し ま し け る が 、 や ま を い で て 、 六 か く だ う に 百 日 こ も ら せ 給 て 、 ご せ の 事 い の り 申 さ せ 給 け る 九 十 五 日 の あ か 月 の 御 じ げ ん の も ん な り 。 ( 『 浄 聖 全 』 二 ・ 一 〇 三 四 頁 ) こ の 文 は 、 親 鸞 の 葬 送 後 、 末 娘 の 覚 信 尼 が 母 恵 信 尼 に そ の 時 の 様 子 を し た た め た 手 紙 に 対 す る 書 状 の 一 部 で あ18 る 。 こ の 文 に よ っ て 、 親 鸞 が 叡 山 に お い て 「 だ う そ う ( 堂 僧 ) 」 と い う 立 場 に あ っ た こ と が わ か っ た 。 し か し 、 「 堂 僧 」 の み で は 親 鸞 が ど の よ う な 立 場 と 職 務 で あ っ た か 、 具 体 的 な 修 学 内 容 は わ か ら な い 。 そ こ で 、 『 恵 信 尼 文 書 』 の 発 見 者 で あ る 鷲 尾 氏 は 、 『 恵 信 尼 文 書 の 研 究 』 で 、 こ の 「 堂 僧 」 は 「 堂 衆 」 の こ と で あ る と し た 3 。 『 平 家 物 語 』 巻 二 の 「 山 門 滅 亡 」 に お い て 、 山 門 に は 堂 衆 ・ 学 生 不 快 の 事 出 で 来 て 合 戦 度 々 に 及 ぶ 。 ( 中 略 ) 堂 衆 と い ふ は 学 生 の 所 従 な り け る 童 部 の 法 師 に な り た る な り 。 若 く は 中 間 法 師 ば ら に て も や あ り け ん 。 ( 『 日 本 文 学 大 系 』 一 四 ・ 三 四 七 頁 ) と あ り 、 堂 衆 と は 学 生 の 所 従 で あ っ た 童 部 や 中 間 が 法 師 と な っ た 者 と さ れ 、 身 分 が 学 生 と 異 な っ て い た 。 そ し て こ の 堂 衆 が 決 起 し て 学 生 と 争 う よ う に な っ た の で あ る 。 こ の よ う な 事 か ら 、 鷲 尾 氏 の 見 解 に よ る な ら ば 、 皇 太 后 宮 大 進 有 範 の 子 で あ る 親 鸞 は 学 生 に な れ ず 、 そ の 所 従 か 中 間 と し て 比 叡 山 に 入 っ た と い う こ と に な る 。 す な わ ち 、 親 鸞 の 叡 山 時 代 は 、 学 生 よ り も 低 い 身 分 に 位 置 付 け ら れ る こ と に な り 、 『 高 田 正 統 伝 』 で い わ れ る よ う な 比 叡 山 で 少 僧 都 や 聖 光 院 門 跡 と い う 立 場 に あ っ た こ と は 有 り 得 な い と い う こ と に な る 。 鷲 尾 氏 の 後 に 堂 僧 に つ い て 詳 し く 考 察 し 、 堂 衆 と は 異 な っ た 存 在 で あ る こ と を 明 ら か に し た の は 山 田 文 昭 氏 で あ っ た 。 山 田 氏 は 『 真 宗 史 稿 』 に お い て 、 堂 僧 が 堂 衆 で あ っ た な ら ば 「 つ と め て 」 と い う 語 が お ち つ か な い と し 、 堂 僧 と は 何 ら か の 職 名 で あ る と せ ね ば な ら な い と し た 。 ま た 、 幾 多 の 文 献 を 調 べ て も 堂 衆 の こ と を 堂 僧 と 呼 ん だ 用 例 が な い こ と か ら 、 堂 僧 と は 叡 山 常 行 堂 の 不 断 念 仏 衆 で あ る と い う 説 が 立 て ら れ た 4 。 山 田 氏 の 史 料 的 根 拠 は 、 当 時 の 公 卿 日 記 で あ る 『 兵 範 記 』 と 『 中 右 記 』 に 求 め 、 い ず れ も 堂 僧 と は 常 行 堂 の 不 断 念 仏 と 関 係 を 有 す る も の と し て 提 示 さ れ た 。 す な わ ち 、 『 中
19 右 記 』 嘉 承 二 年 十 二 月 十 六 日 絛 に 、 払 暁 、 参 尊 勝 寺 阿 弥 陀 堂 、 依 可 始 御 念 仏 也 ( 中 略 ) 従 去 年 十 二 月 以 山 堂 僧 十 二 人 三 ヶ 日 被 行 不 断 念 仏 也 。 ( 『 史 料 大 成 』 十 ・ 二 九 九 頁 ) 払 暁 、 尊 勝 寺 の 阿 弥 陀 堂 に 参 り 、 御 念 仏 を は じ む べ き に よ る な り 。 ( 中 略 ) 去 年 十 二 月 よ り 、 山 の 堂 僧 十 二 人 を も っ て 、 三 日 不 断 念 仏 を 行 ぜ か ぶ る 也 。 と あ り 、 尊 勝 寺 の 阿 弥 陀 堂 で 不 断 念 仏 を 修 す る た め に 「 山 堂 僧 」 、 す な わ ち 叡 山 か ら 堂 僧 が 招 か れ た と さ れ て い る 。 平 安 中 期 以 後 、 浄 土 教 が 興 り 京 都 の 六 勝 寺 な ど に は 阿 弥 陀 堂 が 建 立 さ れ 、 そ こ で 不 断 念 仏 会 が 修 さ れ る 際 に は 、 し ば し ば 叡 山 か ら 堂 僧 が 招 か れ て い た と い う 。 叡 山 の 不 断 念 仏 に つ い て は 同 じ く 『 中 右 記 』 「 保 延 元 年 七 月 十 九 日 の 条 」 に 、 今 日 堀 川 院 御 忌 日 也 。 仍 末 時 許 参 尊 勝 寺 。 先 参 阿 弥 陀 堂 御 念 仏 。 従 此 暁 。 □ 日 被 行 不 断 念 仏 。 山 堂 僧 十 二 人 召 也 。 ( 『 史 料 大 成 』 一 四 ・ 一 五 七 頁 ) 今 日 は 堀 川 院 御 忌 日 也 。 仍 て 末 の 時 許 り 尊 勝 寺 に 参 り 、 先 づ 阿 弥 陀 堂 の 御 念 仏 に 参 る 。 此 の 暁 よ り □ 日 不 断 念 仏 を 行 ぜ 被 る 。 山 の 堂 僧 十 二 人 召 す 也 。 と あ る こ と か ら 、 親 鸞 の 叡 山 時 代 は ま さ し く 常 行 堂 の 堂 僧 で あ る と し 、 こ の 山 田 氏 の 見 解 が 広 く 認 め ら れ る よ う に な っ た 。 と こ ろ が 、 堂 僧 = 叡 山 常 行 堂 不 断 念 仏 衆 と す る 山 田 説 は 大 過 な い と し な が ら も 、 再 検 討 を 要 す る と 提 言 し た の
20 は 佐 藤 哲 英 氏 で あ っ た 。 佐 藤 氏 は 、 山 田 氏 が 自 説 の 根 拠 と し て い る 『 兵 範 記 』 の 保 元 二 年 五 月 十 三 日 の 条 に 注 目 し 、 そ こ に は 、 今 日 依 仰 書 下 東 北 院 御 懺 法 僧 名 。 権 律 師 覚 智 学 頭 。 法 橋 公 舜 護 摩 師 。 已 講 俊 宗 学 頭 。 同 行 兼 、 明 玄 、 宗 基 、 家 寛 、 朝 覚 。 先 例 学 頭 三 口 、 護 摩 師 、 堂 僧 四 口 定 事 也 。 今 度 南 京 学 頭 教 縁 。 依 不 任 不 召 也 。 ( 『 史 料 大 成 』 一 六 ・ 一 九 四 頁 ) 今 日 仰 せ に 依 て 東 北 院 御 懺 法 僧 の 名 を 書 き 下 す 。 権 律 師 覚 智 学 頭 。 法 橋 公 舜 護 摩 師 。 已 講 俊 宗 学 頭 。 同 行 兼 、 明 玄 、 宗 基 、 家 寛 、 朝 覚 。 先 例 に は 学 頭 三 口 、 護 摩 師 、 堂 僧 四 口 が 定 め 事 也 。 今 度 南 京 学 頭 の 教 縁 は 任 ぜ ざ る に 依 て 召 さ れ ざ る 也 。 と 、 「 北 院 御 懺 法 僧 名 」 に つ い て 堂 僧 と い い 、 不 断 念 仏 衆 以 外 に 懺 法 僧 に も 堂 僧 と よ ぶ 用 例 が あ る こ と を 指 摘 し て い る 。 さ ら に 叡 山 に お け る 用 例 に つ い て も 、 源 為 憲 の 『 三 宝 絵 詞 』 「 比 叡 懺 法 」 の 条 下 に 、 弘 仁 三 年 七 月 ニ 法 花 堂 を 造 天 大 乗 ヲ ヨ マ シ ム ル コ ト ニ ヨ ル ( 中 略 ) 春 夏 秋 冬 ノ ハ シ メ ノ 月 ニ イ タ ル コ ト ニ 十 二 人 ノ 堂 僧 ヲ モ チ テ 三 七 日 ノ 懺 法 ヲ ヲ コ ナ ハ シ ム ( 『 三 宝 絵 集 成 』 二 三 二 頁 ) と あ り 、 こ こ で い わ れ る 堂 僧 と は 明 ら か に 「 法 華 堂 の 堂 僧 」 を 意 味 し て い る 。 『 三 宝 絵 詞 』 は 源 信 が 『 往 生 要 集 』 を 執 筆 し 始 め た 永 観 二 年 ( 九 八 四 ) に 選 述 さ れ て お り 、 同 時 期 の 文 献 で あ る 『 慈 恵 大 僧 正 御 遺 告 』 に も 法 華 堂 と 堂 僧 の 関 連 性 が 裏 付 け ら れ る こ と か ら 、 源 信 の 前 後 に お け る 叡 山 で は 堂 僧 と い え ば 、 む し ろ 法 華 堂 の 懺 法 僧 を 指
21 す と い わ れ て い る の で あ る 。 こ の よ う な こ と か ら 佐 藤 氏 は 、 さ ら に 関 連 史 料 を 整 理 分 析 し 、 叡 山 に お け る 堂 僧 の 変 遷 に つ い て 自 身 の 見 解 を 述 べ て い る 。 す な わ ち 、 当 初 堂 僧 と は 特 定 の 職 務 を 意 味 せ ず 、 諸 堂 に 奉 仕 す る 僧 侶 を 指 す 名 称 で あ っ た が 、 平 安 中 期 の 文 献 に は 法 華 堂 の 懺 法 僧 を 堂 僧 と 呼 ん だ 事 例 が 多 く 、 平 安 末 期 に な る と 常 行 堂 の 念 仏 僧 を 堂 僧 と 呼 ぶ 事 例 が 多 く な っ て い る と し 、 平 安 末 期 以 後 に な る と 、 「 山 の 堂 僧 」 と い え ば 常 行 堂 の 不 断 念 仏 僧 を 指 す も の と 、 そ の 意 味 が 固 定 化 さ れ た と し て い る 。 し た が っ て 、 叡 山 に お け る 堂 僧 の 語 義 の 変 遷 を 念 頭 に 置 け ば 、 平 安 末 期 か ら 鎌 倉 初 期 に か け て 叡 山 で 堂 僧 を つ と め て い た と い う 親 鸞 は 、 常 行 堂 に 奉 仕 す る 念 仏 僧 で あ っ た と 定 め て 史 料 的 に 大 過 な い と 結 論 付 け て い る 5 。 こ の よ う に 、 先 哲 方 に よ っ て 「 堂 僧 」 の 議 論 が 縷 々 さ れ て き た の で あ る が 、 佐 藤 氏 に よ る 緻 密 な 史 料 分 析 に は 堂 僧 = 叡 山 常 行 堂 に お け る 不 断 念 仏 僧 説 を 肯 首 し 得 る 十 分 な 論 拠 が あ る 上 、 現 在 ま で に そ れ を 覆 す よ う な 史 料 は な く 、 親 鸞 の 叡 山 時 代 は 、 常 行 堂 の 不 断 念 仏 僧 で あ っ た と い う 説 が 現 在 の 学 界 に お け る 認 識 と な っ て い る 。
第
二
項
不
断
念
仏
の
内
容
そ れ で は 、 具 体 的 に 親 鸞 が 修 し て い た と さ れ る 不 断 念 仏 と は ど の よ う な 修 行 内 容 だ っ た の だ ろ う か 。 ま ず 、 最 澄 が 叡 山 に お け る 修 学 の 基 本 方 針 を ま と め た 『 山 家 学 生 式 』 に は 、22 一 十 二 年 。 不 出 山 門 。 令 勤 修 学 。 初 六 年 聞 慧 為 正 。 思 修 為 傍 。 一 日 之 中 。 二 分 内 学 。 一 分 外 学 。 長 講 為 行 。 法 施 為 業 。 後 六 年 思 修 為 正 。 聞 慧 為 傍 。 止 観 業 。 具 令 修 習 四 種 三 昧 。 ( 『 大 正 蔵 』 七 四 ・ 六 二 四 頁 ) 一 十 二 年 、 山 門 を 出 で ず し て 勤 め て 修 学 せ し め よ 。 初 の 六 年 は 聞 慧 を 正 と な し 、 思 修 を 傍 を な す 。 一 日 の 中 、 二 分 は 内 学 、 一 分 は 外 学 。 長 講 を 行 と な し 、 法 施 を 業 と な す 。 後 の 六 年 は 思 修 を 正 と 為 し 、 聞 慧 を 傍 と 為 す 。 止 観 業 に は 具 さ に 四 種 三 昧 を 修 習 せ し め よ 。 と い わ れ て お り 、 籠 山 中 は 止 観 業 か 遮 那 業 の 一 つ を 選 択 し 、 十 二 年 間 は 山 を 出 ず 、 前 六 年 は 聞 慧 を 主 と し 、 後 六 年 間 は 思 修 に 重 き を 置 き 、 止 観 業 で は 四 種 三 昧 を 修 す る こ と が 制 定 さ れ て い る 。 四 種 三 昧 と は 、 智 顗 に よ っ て 定 め ら れ た 四 種 の 行 法 で あ る が 、 こ の う ち 不 断 念 仏 と よ ば れ て い る の は 常 行 三 昧 で あ る 。 す な わ ち 『 摩 訶 止 観 』 に 、 如 明 眼 人 清 夜 観 星 。 見 十 方 仏 亦 如 是 多 。 故 名 仏 立 三 昧 。 ( 中 略 ) 九 十 日 身 常 行 無 休 息 。 九 十 日 口 常 唱 阿 弥 陀 仏 名 無 休 息 。 九 十 日 心 常 念 阿 弥 陀 仏 無 休 息 。 ( 『 大 正 蔵 』 四 六 ・ 一 二 頁 ) 明 眼 の 人 の 清 夜 に 星 を 観 る ご と く 、 十 方 仏 を 見 た て ま つ る こ と 、 亦 か く の 如 く に 多 し 。 故 に 名 け て 仏 立 三 昧 と な す 。 ( 中 略 ) 九 十 日 、 身 は 常 に 行 じ て 休 息 な く 、 九 十 日 、 口 は 常 に 阿 弥 陀 仏 名 を 唱 え て 休 息 な く 、 九 十 日 心 は 常 に 阿 弥 陀 仏 を 念 じ て 休 息 な し 。 と あ り 、 『 般 舟 三 昧 経 』 に 基 づ い た 九 十 日 間 の 行 法 で 、 身 に 仏 を 廻 り 、 口 に 称 念 、 意 に 観 仏 す る 。 常 行 三 昧 は 「 如 明 眼 人 清 夜 観 星 。 見 十 方 仏 亦 如 是 多 。 故 名 仏 立 三 昧 」 と あ る よ う に 、 見 仏 を 目 的 と し た 行 法 で あ る こ と が わ か る 。 こ こ に 叡 山 に お け る 常 行 三 昧 の 伝 統 が 始 ま る の で あ る 。 と こ ろ が 、 慈 覚 大 師 円 仁 ( 七 九 四 ~ 八 六 四 ) の 時 代 に な
23 る と 、 『 摩 訶 止 観 』 所 説 の 常 行 三 昧 と は 異 な っ た 不 断 念 仏 が 修 さ れ る よ う に な る 。 『 日 本 高 僧 伝 要 文 抄 』 第 二 に 、 又 云 。 仁 寿 元 年 移 五 台 山 念 仏 三 昧 法 。 伝 授 諸 弟 子 等 。 始 修 常 行 三 昧 。 ( 『 仏 全 』 一 〇 一 ・ 三 八 頁 ) 又 云 く 、 仁 寿 元 年 五 台 山 念 仏 三 昧 の 法 を 移 し て 諸 弟 子 等 に 伝 授 し 、 始 め て 常 行 三 昧 を 修 す 。 と 、 五 台 山 竹 林 寺 か ら 念 仏 を 移 し て 常 行 三 昧 を 修 し た と さ れ て い る 。 『 叡 岳 要 記 』 に は 、 大 師 承 和 五 年 入 唐 同 十 五 年 帰 山 新 建 立 常 行 三 昧 堂 。 仁 寿 元 年 移 五 台 山 念 仏 三 昧 之 法 伝 授 弟 子 等 。 永 期 未 来 際 始 修 弥 陀 念 仏 。 貞 観 六 年 正 月 十 四 日 子 時 。 慈 覚 大 師 遷 化 七 年 八 月 十 一 日 相 応 和 尚 依 遺 言 始 修 本 願 不 断 念 仏 之 軏 。 ( 『 群 書 類 従 巻 』 四 三 九 上 ・ 三 五 丁 左 ~ 三 六 丁 右 ) 大 師 、 承 和 五 年 入 唐 、 同 十 五 年 帰 山 し 新 た に 常 行 三 昧 堂 建 立 す 。 仁 寿 元 年 、 五 台 山 に 念 仏 三 昧 の 法 を 移 し 弟 子 等 に 伝 授 す 。 永 く 未 来 際 を 期 し 弥 陀 念 仏 を 始 修 す 。 貞 観 六 年 正 月 十 四 日 子 時 、 慈 覚 大 師 遷 化 。 七 年 八 月 十 一 日 、 相 応 和 尚 遺 言 に 依 て 本 願 不 断 念 仏 軏 を 始 修 す 。 と あ り 、 円 仁 が 唐 か ら 帰 朝 し 、 間 も な く 比 叡 山 東 塔 に 常 行 三 昧 堂 を 建 立 し 、 五 台 山 を 移 し て 念 仏 三 昧 を 始 め た と さ れ て い る 。 そ し て 円 仁 遷 化 の 翌 年 、 弟 子 の 相 応 和 尚 が 大 師 の 遺 言 で あ っ た 不 断 念 仏 を 始 め た と い う の で あ る 6 。 で は 五 台 山 か ら 円 仁 に よ っ て 伝 え ら れ た 不 断 念 仏 と は 一 体 ど の よ う な 念 仏 で あ っ た の だ ろ う か 。 実 は 五 台 山 念 仏 に 関 す る 資 料 は 伝 承 さ れ て お ら ず 、 佐 藤 哲 英 氏 は 五 大 院 安 然 の 『 金 剛 界 大 法 対 受 記 』 の 説 示 に 注 目 し て い る 。 そ こ に は 、 次 第 五 音 韻 者 。 弥 陀 念 仏 合 殺 五 声 中 第 五 号 之 六 声 也 。 故 阿 弥 陀 相 好 讃 云 急 。 第 一 会 時 平 声 入 弥 陀 仏 。 第 二 極
24 妙 演 清 音 観 世 音 大 勢 至 第 三 槃 旋 如 奏 楽 如 奏 楽 。 第 四 要 其 用 力 吟 。 要 其 用 力 吟 。 第 五 高 声 准 急 念 。 准 急 念 聞 此 五 会 発 人 心 。 聞 此 五 会 発 人 心 。 一 到 西 方 受 快 楽 。 受 快 楽 。 聞 此 五 会 悟 無 生 。 聞 此 五 会 悟 無 生 。 昔 斯 那 国 法 道 和 上 現 身 往 極 楽 国 。 親 聞 水 鳥 樹 林 念 仏 之 声 、 以 伝 斯 那 、 慈 覚 大 師 入 五 台 山 、 学 其 音 曲 以 伝 叡 山 。 此 有 長 短 二 声 合 殺 五 声 。 ( 『 大 正 蔵 』 七 五 ・ 一 七 九 頁 ) 次 に 第 五 音 韻 と は 、 弥 陀 念 仏 の 合 殺 五 声 中 第 五 号 之 六 声 也 。 故 に 阿 弥 陀 相 好 讃 に は 急 と い う 。 第 一 会 の 時 に は 平 声 弥 陀 仏 に 入 る 。 第 二 に は 極 妙 演 清 音 観 世 音 大 勢 至 。 第 三 に は 槃 旋 楽 を 奏 す る ご と し 。 第 四 に は 要 其 力 を 用 い て 吟 。 要 其 力 を 用 い て 吟 。 第 五 に は 高 声 准 急 念 。 准 急 念 こ の 五 会 を 聞 い て 人 心 を 発 す 。 こ の 五 会 を 聞 い て 人 心 を 発 し 、 一 た び 西 方 に 到 れ ば 快 楽 を 受 け る 。 快 楽 を 受 け こ の 五 会 を 聞 け ば 無 生 を 悟 ら ん 。 こ の 五 会 を 聞 き 無 生 を 悟 る 。 昔 斯 那 国 の 法 道 和 上 、 現 身 に 極 楽 国 に 往 き て 親 し く 水 鳥 樹 林 の 念 仏 之 声 を 聞 き 、 以 て 斯 那 に 伝 ふ 、 慈 覚 大 師 は 五 台 山 に 入 り て そ の 音 曲 を 学 び 、 以 て 叡 山 に 伝 ふ 。 こ れ に 長 短 二 声 合 殺 五 声 有 り 。 と あ り 、 中 国 の 五 台 山 竹 林 寺 で 法 道 和 尚 7 が 現 身 で 極 楽 に 往 き 、 水 鳥 樹 林 が か な で る 念 仏 の 声 を 斯 那 に 伝 え 、 そ の 音 曲 を 円 仁 が 叡 山 に 伝 承 し た も の と さ れ る 。 ま た 同 じ 安 然 の 『 即 身 成 仏 義 私 記 』 に も 、 法 順 和 上 自 ら 彼 の 国 に 往 き て 念 仏 の 声 を 聞 き 、 則 ち 漢 土 に 転 ず 。 吾 が 師 往 訪 し て す な わ ち 維 の 山 に 転 ず 。 今 の 常 行 三 昧 所 行 の 声 こ れ な り 。 ( 『 仏 全 』 三 二 ・ 二 〇 九 頁 ) と あ る こ と か ら 、 円 仁 が 五 台 山 か ら 伝 承 し た 不 断 念 仏 と は 、 五 会 念 仏 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 五 会 念 仏 と は 、 法
25 照 の 『 浄 土 五 会 念 仏 略 法 事 儀 讃 』 ( 以 下 、 『 略 讃 』 ) に よ っ て 制 定 さ れ た 勤 行 式 で 、 『 略 讃 』 に は 五 会 念 仏 の 典 拠 に つ い て 次 の よ う に 示 さ れ て い る 。 問 曰 。 五 会 念 仏 出 在 何 文 。 答 曰 。 大 無 量 寿 経 云 。 或 有 宝 樹 。 車 渠 為 本 。 紫 金 為 茎 。 ( 中 略 ) 清 風 時 発 出 五 会 音 声 。 微 妙 宮 商 自 然 相 和 。 皆 悉 念 仏 念 法 念 僧 。 其 聞 音 者 得 深 法 忍 。 住 不 退 転 至 成 仏 道 。 ( 『 大 正 蔵 』 四 七 ・ 四 七 六 頁 ) 問 て 曰 く 。 五 会 念 仏 出 て 何 の 文 に 在 る や 。 答 て 曰 く 。 大 無 量 寿 経 に 云 く 、 或 は 宝 樹 有 り 。 車 渠 を 本 と な す 、 紫 金 を 茎 と な す 。 ( 中 略 ) 清 風 時 に 発 し て 五 会 の 音 声 を 出 だ す 。 微 妙 に し て 宮 商 自 然 に 相 和 す 。 皆 悉 く 仏 を 念 じ 法 を 念 じ 僧 を 念 ず 。 そ の 音 を 聞 く 者 、 深 法 忍 を 得 る 。 不 退 転 に 住 し 仏 道 を 成 ず る に 至 る 。 と 、 『 大 経 』 に お け る 宝 樹 荘 厳 か ら 道 場 荘 厳 の 経 文 を 依 り 所 と し て い る こ と が わ か る 。 そ し て 五 会 念 仏 の 「 五 会 」 と は 、 「 清 風 時 発 出 五 会 音 声 。 微 妙 宮 商 自 然 相 和 」 と あ る よ う に 、 宮 商 角 徴 羽 の 五 音 で 構 成 さ れ る 音 階 を 意 味 し て お り 、 こ の 経 文 に つ い て は 親 鸞 も 、 清 風 宝 樹 を ふ く と き は い つ つ の 音 声 い だ し つ つ 宮 商 和 し て 自 然 な り 清 浄 薫 を 礼 す べ し ( 『 浄 聖 全 』 二 ・ 三 五 五 頁 ) と い い 、 弥 陀 果 徳 の 浄 土 を 讃 じ て い る 。 法 照 は 五 会 念 仏 に つ い て さ ら に 、 第 一 会 平 声 緩 念 南 無 阿 弥 陀 仏 第 二 会 平 上 声 緩 念 南 無 阿 弥 陀 仏
26 第 三 会 非 緩 非 急 念 南 無 阿 弥 陀 仏 第 四 会 漸 急 念 南 無 阿 弥 陀 仏 第 五 会 四 字 転 急 念 阿 弥 陀 仏 ( 『 大 正 蔵 』 四 七 ・ 四 七 六 頁 ) と 規 定 し 、 第 一 会 は 緩 や か に 称 え 、 第 四 会 に 移 る に つ れ て 次 第 に 速 く 称 え 、 第 五 会 で は 阿 弥 陀 仏 の 四 字 の み を 急 速 に 高 く 称 え る と い う リ ズ ミ カ ル な 音 曲 で あ っ た こ と が わ か る 8 。 こ の 五 会 念 仏 の 音 曲 に つ い て は 、 先 に 挙 げ た 『 金 剛 界 大 法 対 受 記 』 の 説 示 と 対 応 す る も の と い え る だ ろ う 。 こ う し て 五 会 念 仏 が 円 仁 に よ っ て 叡 山 に 伝 え ら れ 、 「 山 の 念 仏 」 と し て 称 え ら れ る に 至 っ た の で あ る 。 し か し 、 近 年 で は 声 明 の 研 究 者 を 中 心 に こ の 見 解 に 異 が 唱 え ら れ て い る 。 例 え ば 天 納 傳 中 氏 は 、 叡 山 に は 五 会 念 仏 の 伝 承 が な く 、 天 台 声 明 に お い て は 円 仁 招 来 の 「 五 台 山 念 仏 」 と は 「 引 声 」 の こ と と 理 解 し 、 明 治 二 十 一 年 の 本 願 寺 派 の 声 明 集 に 所 見 す る 五 会 念 仏 は 覚 秀 阿 闍 梨 が 作 曲 な い し 編 曲 し た も の で あ ろ う 。 9 と 指 摘 し て い る 。 こ こ で 天 納 氏 が 天 台 声 明 と 本 願 寺 派 声 明 を 並 べ て 言 及 し て い る こ と に つ い て は 理 由 が あ る 。 そ れ は 、 五 会 念 仏 を 勤 行 式 と し て 現 在 伝 承 し て い る の は 浄 土 真 宗 本 願 寺 派 の み と な っ て い る か ら で あ る 。 武 田 英 昭 氏 に よ れ ば 、 西 本 願 寺 に お い て 五 会 念 仏 作 法 が 用 い ら れ る よ う に な っ た の は 、 第 二 十 一 代 宗 主 明 如 上 人 の 時 で あ る と さ れ 、 上 人 は 本 派 勤 式 練 習 所 を 開 設 す る に あ た り 、 侍 僧 を 魚 山 へ 派 遣 し 、 園 部 覚 秀 阿 闍 梨 に 声 明 を 学 ば せ た と さ れ る 。 そ し て こ れ ま で 依 用 さ れ て い た 安 政 版 の 声 明 本 か ら 明 治 二 十 一 年 に 、 本 願 寺 派 に お け る 近 代 声 明 の 原