引 意
「 元 仁 元 年
」 と い う 年 が 末 法 で あ る 事 を 年 次 計 算 か ら 明 か し た 後
、『 末 法 灯 明 記
』 が ほ ぼ 全 文 引 用 さ れ る
。 今 日 で は
『 末 法 灯 明 記
』 の 著 者 は 最 澄 偽 撰 説 が 有 力 と な っ て い る が
、 親 鸞 は 最 澄 真 撰 の 書 物 と し て 引 用 し て い る
。 本 書 の 主 要 な 論 点 に つ い て 普 賢 晃 壽 氏 の 分 類 に 依 る と
、( 一
) 王 法 仏 法 に 対 す る 基 本 的 立 場
、( 二
) 末 法 の 年 次 算 定
、
( 三
) 末 法 無 戒 論
、( 四
) 随 時 制 許
、( 五
) 教 界 に 対 す る 批 判 と い う 五 つ に 分 類 さ れ
、 こ の う ち 主 張 の 論 点 は
( 一
)
~
( 四
) に 要 約 さ れ る と し て い る
2 0
。( 五
) の 部 分 に つ い て は
、 仏 の 言 教 に よ っ て 末 法 の 現 実 を 明 ら か に し て 批 判 す る と い う 挙 教 比 例 の 一 段 に あ た る が
、 親 鸞 は
『 像 法 決 疑 経
』、
『 遺 教 経
』、
『 法 行 経
』、
『 鹿 子 母 経
』、
『 仁 王 経
』 の 経 名 の み あ げ
、 あ と は 略 抄 し て い る
。 こ の よ う な 引 用 態 度 よ り
、 親 鸞 に お い て
『 末 法 灯 明 記
』 を 依 用 す る 意 図 も ま た
( 一
)
~
( 四
) に そ の 論 点 が 存 す る と い わ ね ば な ら な い
。 こ れ ら の 四 点 が 主 張 さ れ る 所 以 は
、 や は り
『 延 暦 寺 奏 状
』 ま た は
『 興 福 寺 奏 状
』 に 対 す る も の で あ ろ う
。 ま ず
( 一
) 王 法 仏 法 に 対 す る 基 本 的 立 場 で あ る が
、『 末 法 灯 明 記
』 は 以 下 の 文 よ り 引 用 さ れ る
。 夫 範 衞 一 如 以 流 化 者 法 王
。 光 宅 四 海 以 乗 風 者 仁 王
。 然 則 仁 王・ 法 王 互 顕 而 開 物
。 真 諦・ 俗 諦 遞 因 而 弘 教
。 所 以 玄 籍 盈 宇 内
。 嘉 猶 溢 天 下
。 爰 愚 僧 等 率 容 天 網
。 俯 仰 嚴 科
。 未 遑 寧 処
。 然 法 有 三 時
。 人 亦 三 品
。 化 制 之 旨 依 時 興 讃
。 毀 讃 之 文 遂 人 取 捨
。 夫 三 石 之 運 減 衰 不 同
。 後 五 之 機 慧 悟 又 異
。 豈 據 一 途 済
。 就 一 理 整 乎
。
(『 浄 聖 全
』 二
・ 二 一 三 頁
)
122
そ れ 一 如 に 範 衛 し て も つ て 化 を 流 す も の は 法 王
、 四 海 に 光 宅 し て も つ て 風 を 垂 る る も の は 仁 王 な り
。 し か れ ば す な は ち 仁 王
・ 法 王
、 た が ひ に 顕 れ て 物 を 開 し
、 真 諦
・ 俗 諦 た が ひ に よ り て 教 を 弘 む
。 こ の ゆ ゑ に 玄 籍 宇 内 に 盈 ち
、 嘉 猷 天 下 に 溢 て り
。 こ こ に 愚 僧 等 率 し て 天 網 に 容 り
、 俯 し て 厳 科 を 仰 ぐ
。 い ま だ 寧 処 に 遑 あ ら ず
。 し か る に 法 に 三 時 あ り
、 人 ま た 三 品 な り
。 化 制 の 旨
、 時 に よ り て 興 替 す
。 毀 讃 の 文
、 人 に 逐 つ て 取 捨 す
。 そ れ 三 古 の 運
、 減 衰 同 じ か ら ず
。 後 五 の 機
、 慧 悟 ま た 異 な り
。 あ に 一 途 に よ つ て 済 は ん や
、 一 理 に つ い て 整 さ ん や
。 一 如 の 真 理 に 随 っ て 教 化 す る の は 法 王
、 釈 尊 で あ る
。 四 海 に 光 宅 し て 風 を 垂 れ る の は 仁 王
、 す な わ ち 天 皇 で あ る
。 従 っ て
、 真 諦
( 仏 法
) と 俗 諦
( 王 法
) は 互 い が 不 可 分 の 関 係 で あ り
、 互 い に 依 る こ と で 教 え は 弘 ま っ て い く
。 ま た
、 正 像 末 の 三 時 が あ り
、 人 に も 上 中 下 の 三 品 あ る
。 化 制 の 旨 と は
、 化 教 と 制 教 の こ と で 教 え と 戒 律 を 意 味 す る
。 こ れ ら は 時 代 に よ っ て そ の 価 値 が 変 わ る も の で あ り
、 破 戒 の 者 を 毀 っ た り 讃 嘆 し た り す る の は 人 に よ っ て 取 捨 さ れ る べ き で あ る
。 後 五 の 機 と は
、『 安 楽 集
』 で い わ れ る 五 箇 の 五 百 年 説 の こ と で
、 こ れ も ま た 各 々 あ り
、 仏 法 を 聞 い た と し て も そ の 機 は 慧 悟 そ れ ぞ れ 異 な る
。 故 に
、 一 理 に つ い て 整 理 し よ う と す る の は 誤 り で あ る と い わ れ る
。 す な わ ち
、 こ の
『 末 法 灯 明 記
』 冒 頭 に お い て
、 王 法 と 仏 法 の 相 資 相 依 の 関 係
、 時 機 相 応 の 教 法 と の 関 連
、 時 機 不 相 応 の 仏 法 を 強 制 す る こ と の 不 合 理 性 が 主 張 さ れ る の で あ る
。『 末 法 灯 明 記
』 で は 末 法 史 観 に 立 脚 し た 王 法
・ 仏 法 観 が 具 体 的 に 示 さ れ て い る の で あ る が
、 親 鸞 が 本 書 に 注 目 し た 理 由 に つ い て 普 賢 氏 は 次 の よ う に 指 摘 し て い る
。
123
鎌 倉 旧 仏 教 は 律 令 体 制 に お い て 勅 許 さ れ た 国 家 仏 教 で あ り
、 国 家 権 力 と 密 着 す る こ と に よ り
、 念 仏 教 団 を 非 難 し て い る の で あ る
。上 述 の 如 く 古 代 国 家 に お い て は
、仏 法 は 王 法 に 従 属 し
、王 法 主 導 の 社 会 体 制 で あ っ た
。 か か る 間 に あ っ て
、 延 暦 年 間 の き び し い 僧 尼 統 制 の 圧 力 の 中 で
、 最 澄 は 正 し い 王 法 と 仏 法 の 関 係 の 樹 立
、 反 律 令 の 主 張 を
『 顕 戒 論
』 の 中 で 主 張 し て い た
。 こ の こ と は 上 に 一 言 し た と こ ろ で あ る
。 か か る 最 澄 の 立 場 と 親 鷲 は 自 分 の 立 場 を 重 ね る こ と に よ り
、 最 澄 の 反 律 令 の 立 場 に 注 目 し
、 最 澄 撰
『 末 法 灯 明 記
』 を 引 用 し
、 末 法 に お け る 王 法 仏 法 の 関 係 を あ き ら か に し て
、 南 都 北 嶺 が 国 家 に 強 訴 し て
、 念 仏 教 団 を 弾 圧 し た の に 対 し て い る も の と い え る で あ ろ う
。
2 1
確 か に
、『 末 法 灯 明 記
』 を 最 澄 撰 の も の と し て 依 用 し て い る の で あ る な ら ば
、 最 澄 が 何 故
「 然 則 仁 王・ 法 王 互 顕 而 開 物
。 真 諦・ 俗 諦 遞 因 而 弘 教
」 と い わ ね ば な ら な か っ た の か
、 そ の 根 拠 が 必 要 と な る
。 親 鸞 が 王 法 と 仏 法 と の 関 係 に つ い て 自 己 の 立 場 を
『 末 法 灯 明 記
』 に 託 し た と す る な ら ば
、 仏 法 が 護 国 の た め に 奉 仕 し
、 王 法 に 従 属 す る 様 な 王 仏 相 資 の あ り 方 で は な く
、 王 法 と 仏 法 の 関 係 の 樹 立 を 主 張 す る
『 顕 戒 論
』 を 踏 襲 し た と い う 普 賢 氏 の 指 摘 は 注 目 す べ き で あ ろ う
。 で は
、 親 鸞 の 主 張 は 具 体 的 に ど の よ う な 論 難 に 対 応 す る も の な の で あ ろ う か
。 王 法 仏 法 観 に つ い て
『 興 福 寺 奏 状
』 に は
、 第 九 乱 国 土 失
。 仏 法 王 法 猶 如 心 身
。 互 見 其 安 否
、 宜 知 彼 盛 衰
。 当 時 浄 土 法 門 始 興
、 専 修 要 行 尤 盛
、 可 謂 王 化 中 興 之 時 謂 歟
。 但 三 学 已 廃
、 八 宗 将 滅
。 天 下 理 乱
、 亦 復 如 何
。( 中 略
) 若 及 後 代 専 修 得 隙 時
、 君 臣 之 心 視 余 如 芥 者
、 縦 雖 不 及 停 廃
、 八 宗 誠 有 若 亡 歟
。
(『 鎌 倉 舊 仏 教
』・ 三 一 五 頁
)
124
第 九 に 国 土 を 乱 る 失
。 仏 法
・ 王 法 猶 し 心 身 の ご と し
、 互 に そ の 安 否 を 見
、 宜 し く か の 盛 衰 を 知 る べ し
。 当 時 浄 土 の 法 門 始 め て 興 り
、 専 修 の 要 行 尤 も 盛 ん な り
。 王 化 中 興 の 時 と 謂 ふ べ き か
。 た だ し 三 学 已 に 廃 し
、 八 宗 ま さ に 滅 せ ん と す
。 天 下 の 理 乱
、 亦 復 如 何
。( 中 略
) も し 後 代 に 及 び て 専 修 隙 を 得 る の 時
、 君 臣 の 心
、 余 を 視 る こ と 芥 の ご と く は
、 た と ひ 停 廃 に 及 ば ず と 雖 も
、 八 宗 ま こ と に 有 若 亡 な ら ん か
。 と あ る
。 ま ず
、 こ こ で 八 宗 と い わ れ て い る の は
、 い わ ゆ る 律 令 体 制 の 中 で 公 認 さ れ て き た 三 論
・ 成 実
・ 法 相
・ 倶 舎
・ 華 厳
・ 律
・ 天 台
・ 真 言 の こ と を 指 す
。 日 本 の 律 令 体 制 の 基 盤 が 確 立 さ れ た の は 天 武 朝 の 時 で あ っ た と さ れ て お り
、 仏 教 は 鎮 護 国 家 な ど 呪 術 的 要 請 を 請 け る こ と に よ っ て そ の 体 制 の 中 に 組 み 込 ま れ て き た
。 し か し 平 安 末
、 鎌 倉 初 に お い て は 古 代 国 家 に お け る 律 令 体 制 は 崩 れ て お り
、 仏 法 と 王 法 は 対 等 な 立 場 に よ り 相 互 依 存 関 係 に あ っ た と さ れ る
。 各 社 寺 は 荘 園 制 度 の 確 立 を 背 景 に
、 顕 密 仏 教 は 護 国 仏 教 と し て 国 家 へ 貢 献 す る と 同 時 に
、 自 ら が 有 す る 権 益 に 保 持 と 保 有 を 国 家 に 求 め て い く と い う 中 で
、 王 仏 二 法 が 相 依 相 即 し て い く
2 2
。 先 の
『 興 福 寺 奏 状
』 は こ の よ う な 観 点 よ り 法 然 教 団 へ 批 判 を 加 え る の で あ っ た
。 す な わ ち
、 王 法 と 仏 法 は お 互 い に そ の 安 否 を 見 て そ れ ぞ れ の 盛 衰 を 知 る 不 可 分 の も の で あ る
。 し か し
、 専 修 念 仏 教 団 が 興 り
、 戒 定 慧 の 三 学 は 廃 せ ら れ
、 八 宗 は 滅 し よ う と し て い る
。 専 修 念 仏 の 教 え は 諸 行 を 廃 捨 す る と い う こ と は
、 仏 法 と 王 法 は 不 可 分 で あ る 故 に 鎮 護 国 家 と し て の 仏 事 も 廃 捨 し よ う と す る も の で あ る
。 鎮 護 国 家 の 仏 法 を 損 う と い う こ と は
、 つ ま り は 国 土 を 乱 す こ と に な る と い う 趣 旨 で あ る
。 こ れ と 同 様 の 事 が
『 延 暦 寺 奏 状
』 第 六 条 に も 説 か れ る
。 一
、 可 被 停 止 一 向 専 修 濫 悪
、 興 隆 護 国 諸 宗 事
、
125
右
、 仏 法 王 法 互 守 互 助
、 喩 如 二 鳥 二 翅
、 猶 同 車 両 輸
、 案 大 集 経 説
、 以 仏 法 之 精 気
、 益 鬼 神 之 精 気
、 鬼 神 有 精 気
、 則 五 穀 多 精 気
、 五 穀 有 精 気
、 則 人 倫 豊 楽
、 是 以 深 敬 仏 法
、 不 背 王 法
、 此 四 輪 転
、 互 保 国 土
。
(『 鎌 倉 遺 文
』 五
・ 二 七 五 頁
) 一
、 一 向 専 修 の 濫 悪 を 停 止 し て 護 国 の 諸 宗 を 興 隆 せ ら る べ き 事 右
、 仏 法 と 王 法 は 互 に 守 り 互 に 助 く
、 喩 へ ば 二 鳥 の 二 翅 の 如 し
、 猶 お 車 の 両 輸 に 同 じ
。『 大 集 経
』 の 説 を 案 ず る に
、 仏 法 の 精 気 を 以 つ て 鬼 神 の 精 気 を 益 す
、 鬼 神 に 精 気 有 ら ば 則 ち 五 穀 の 精 気 多 し
、 五 穀 に 精 気 有 れ ば 則 ち 人 倫 豊 楽 な り
。 是 を 以 つ て 深 く 仏 法 を 敬 し
、 王 法 に 背 か ず 此 の 四 輪 転 互 し て 国 土 を 保 た ん
。 と
、 仏 法 と 王 法 は 鳥 の 双 翅
、 車 の 両 輪 の 如 く 互 守 互 助 す る も の で あ り
、 専 修 念 仏 の 教 え は 国 土 に 危 害 を も た ら す 邪 宗 で あ る と 非 難 す る の で あ る
。 こ の よ う に
、『 興 福 寺 奏 状
』、
『 延 暦 寺 奏 状
』 と も に 仏 法 と 王 法 は 互 守 互 助 の 関 係 に あ り
、 ど こ ま で も 両 者 は 不 可 分 で あ る と い う 立 場 よ り 専 修 念 仏 を 非 難 す る の で あ る
。 親 鸞 は こ の よ う な 論 難 に 対 し
、『 末 法 灯 明 記
』 を 通 し て 仏 法 と 王 法 の 関 係 を 正 し て い く
。 親 鸞 が 仏 法 と 王 法 を 対 句 と し て 用 い た 例 は ほ と ん ど な い が
、 梯 實 圓 氏 は
、 親 鸞 が 晩 年 に 作 っ た
「 皇 太 子 聖 徳 奉 讃
」 の 説 示 よ り
、 親 鸞 に お い て 王 法 と は 十 七 条 憲 法
、 仏 法 と は 浄 土 の 法 門 を 指 し て い た の で は な い か と 指 摘 し て い る
。 十 七 の 憲 章 つ く り て は
皇 法 の 槻 模 と し た ま へ り 朝 家 安 穏 の 御 の り な り
国 土 豊 繞 の た か ら な り
。
(『 浄 聖 全
』 二
・ 五 四 六 頁
)