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『宗教研究』144号

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(1)

――目次――

1,

ラドクリフ・ブラウンの宗教研究:特に宗教現象の解釈法をめぐって, 阿部重夫, On A. R.

Radcliffe-Brown’s Study of Religon: Especially on his way of interpreting religioug phenomena, Shigeo ABE,

pp.1-21.

2,

日本における弥勒下生信仰について, 鶴岡静夫, The faith in “Miroku Bosatsu’s” appearance in this

world, Shizuo TSURUOKA, pp.22-35.

3,

八幡信仰の二元的性格, 仁聞菩薩発生をめぐる史的研究, 中野幡能, Dualistic character in Hachiman

Worship, Historical Study for Origination of Nimmon-bosatsu, Hatayoshi NAKANO, pp.36-57.

4,

九分教のヴェイヤーカラナについて, 前田恵学, On Veryākaraṇa in Nava-aṅga-buddha-sāsana, Egaku

MAEDA, pp.58-80.

(2)

の 多方面に及んでいる。

よ り見得るであろ

アの トーテミズム や

二 二︶は著名である。

俗や神話の解釈を主 ラドクサ ブ ,プラウソの宗教研究 65 る 。それで彼自身は欲しないにもかかわらず、

一方の指導者と見ら ︵ 2 ︶

アフ サカ、アメリカ

伍する﹂と云ったの ︵ ヰ Ⅰ︶

理論的研究者でもあ る O

静一

がフ

そ な ド の か ク 門 ろ サ ラ 第

5 フ ド オ ボ ブ Ⅰ ア - フ ク テ ス ウ ス 逝 ン けノ が ぎ (

「 マ 八 現 ヮ 八

特化

・ に / 一

し キ の

て Ⅰ 約

ン い や 半 る シ 世 学 ュ 紀

窟の

者 ミ に で ク わ ト た

税法

ドつ学

去る

ク た 問

フ 日 閲

全 的 て ラ 類 真 ウ 学 に ン 界 輝 ほ ほ か ど お し

ほ げ ぃ 仕 る も 会 彼 の 人 の で

類存

学 在 る の は こ

発持

と 展 に に に 目 つ

沃土

定 ・っ て 的 て は な い 異

(3)

された跡が

求めれ

︵一九一四︶

れが彼の意

ばならな 、﹁トー ない。し を摘記す は宗教の 。しかし のである からこれ は ブラウ 見に全面 うかがわ ミット ような、 とオース が

三 伺 って 前 践し、他 ㏄

(4)

ラドクリフ・プラウソの宗教研究 一 一 のの オミ ︶ ce, 目ゆ ㏄︶・Ⅰ 口 ・ ト収 ㏄ l ド の 。 。ここで取扱う ㏄ ,メ ・︶。 一 一

プ一ァヴン の宗教研究

所見をうかがうこと

において、殊に重要

ための基礎的部分を

その間に彼の一般 理

を 加えて見た い 。

口ぎづ Ⅱ ロ H ︵ も︵ ロぺ のの Onwm ︵ q. Ho の N. づ口・ お千 お の

ゲ ︶において、

唱道する ラソ

ト のの 1 卜ゆ Ⅱ・︶ 0

㌧ 臣 ︶ 臣幅 が・ 圧オの

シュミットの

キ n, ノミ笘 ︵︶ @ ,メ ﹁ 0 ︶・ HO. せ Ⅰ・一のの 1 一のの,︶。

ロ ︵ ゴの 0 モ、あ巽、 口口・㏄ け田 l ㏄ め N. ︶。

Ⅰ く忙コおヨ のま。用 6 ア

(5)

は 諸制度の史的

原や人類文化史の再構成に多く携わっていた。

民やネ

グサート八一

結論に近づ

き 得るの

にとって、何等真に

文化の性質と機能を

ことは彼が終始

意を

実にそのような見地

からしてであった。

克 ということであ

︵ 2 ︶

(6)

五 ㏄ 一フ ド クリフ・プラウンの宗教研究

。それは ア ンダマ

類似がある。例えば、

喪者 と子供の生れる

があると考えねばな ︵Ⅰ j ︶ うない。 試みたのである。 ところで、ブラウンはなお、 た 。Ⅱ同じいか似た習俗が 違 例えば、個人名の避げられる 違 通 要素を確かめることによって れ等の習俗には共通の要素があ 設 け 、それを参照して研究を遂行し おいて、同じいか似た意味を持っ。 があり、この習俗の意味は、その 共 が 同じ機会に一緒に行われる場合、 そ

あるかを示すことを

島民のある習俗を説

民族の全生活 中 に占 見出されるはずであ

の 関連において見出 化された技術は未だ 科学的手続ぎがある

(7)

親は平常は自由に食

れるのを当てにして

その父母の個人名を

ヰん 。て よ、

8 @

︶ 。

象徴的行為のさま

は、

死という出来事

いる者の名前も用い

期間、新郎新婦は自

、個人が社会構造

いて普通の地位を占

考えられる。

地位をうかがう

9

への共通の関心を表

ることによって

、そ

である。

する関係に関する

事実の認識に基くこ

一般にとって、その

70

(8)

してかかる立場は デ ︵Ⅰ イ ︶

であろう。かくして 七 ラドクリフ・フラフンの宗教研究

観点同様、心理学

と て る る

円オ

の中づ

ロト日

曲コ

は寸乱

q

の・

説明もその一であ

㈲Ⅰ

サロ &

4 曲 ぃ

甲肚

づ汀下

mse

コ ︵おの

0 ダ

・ 毛

・ H 蓮

, H 紹

巨 ︵ 1 ざ ︵

呂の

方す

コロ

のⅡの

,せ

・おの

ョ目

臣 ︵ e a

臣ぎ

島曲。

アせ

・ H ミ

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コ打

田巨串

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づ ・ き

㈲ロヴ

山由

つつ

・ N ぺや

。 づ N.N

の p 、の

uo

印目

c ︵ 口

ほの田ぎ

コ 色白

5

つ口

・︶肚の

, ︶ 収

一 一

以上はブラウンの詳論を約説したのであるが、

問題が含まれて

事情の下にあっ

的でなく、またた

的研究にとって大して有用でないとして、

これを拒否してい

価値を定めるのに 役

(9)

るゑ O

説明を採らないの

。それで上に示した

いたところが一般化 ︵ 4 ︶

- % ウン

が現象の意味

少し立入りて考察して見よう。

が 理解のために、

ミルソン

やグ

レ フナ

味を持っのであるか

り 易いであろう。

係の中に見出そうと

したことも。

われ

明 することの多い申

これを認めねばなら

トムⅩ。 串ん : v

んずく、ブラウンが

2 ア

(10)

である。勿論、これ

が、 果してこれを 凡

味 発見との比論を用

を 分類し、出来る限 ︵ 7 ︶

場合、慣用的意味の

ることを知らねばな

辞典の利用者は自ら

決定に際しても、 こ れに類似のことが当然予想されねばならない。

は速断し得ぬであろ

かじめ心せねばなら ぬ であろう。 それ故、厳密を期するならば、何よりも先ず 、

的 意味を探究する

は 有利な立場にある ︵ 8 ︶

その社会の生活にお

と 共に含まれた他の

者 を避けるタブー の

ところによって 、一

であるが、その際、 九 ラドク リア ・プラウ ソ の宗教研究

(11)

ョぎ 0 ︶ 0

臣ぎ

on 寵 a 笘甲 0 一

d :円の・︶。

︵の 円づ由 0% 岸 ㍉の曲コⅠ Ⅱ 目 ら圧ざコ * :㌧Ⅰ・ レ ゆ 0l 目の︶・︶ 0

伎 構の存在を想

A. づ ・ト ドゆ ・︶。

︶の形成に当

示 すある独特

之 注口 お ・ 之 。

能を持ち、 従

しかかる見地

0 ちす 笹分, せ 0 ナミ ・

悪く、人聞社

ロ 0 臣 Ⅰ つつ ・の 、

う な、確実な

全人類学者に

る 0 ブラウソ

一 O

が アンダマンの儀礼 ︵ 9 ︶

つて、強いて一般化

結果を生ずるに過ぎ 74

(12)

て て つ " 見 と さ 持 た 包 て 殊 い 括 ブ (9 Ⅰ (8)@ (7)@ (6)@ (5)@ (4)

す て と は

のそ

をこ

示れ

で れ す ま あ 全 の で る 体 で 述

。 を な べ 「 支 げ て の

止揚は 今

づ Ⅱ 曲 機 配 れ 来 能 す ば た

Ⅱ) 0 コ 曲 る 充 や 芳 一 分 り

村名。

0

(ガ

法般

で 方 Ⅱの 討 Ⅱ が 的 な に の Ⅰ 依 浅 い よ 独こ 拝 見 吐 。 る で け す む か 外

る 発 く く 可 のぺ 要 見 て な と能 請 し 被 お は 、 は 広 も 、 で あ コ O 、 そ 現 ぃ 被 る 一 九 の

家親

天尊 め と ) p0 習う

一て

の則

法を点

そに

ゆレ 社 は れ 立

会 無 目 っ 信な 念お の あ

凡てに

"

し体て

" て 見 孤 そ 患る 味民 に族 め

文蛤さが

立れ

つ と 化 め せ も いそ

75

(13)

しい比較

はかかる

で、比較法は社会人

似 を も に 遍 登 校 則

作特浅

さ ね 般 が 云 プ 重 な 曲 見 強

科か徴

則れ

ら( 的

説明することを

する方法と限定

ろう

。それ等の

、彼の初期の著、その文化の諸

ラウンの社会人類学そのものが根本において、

一の帰納科学、法

彼の一貫した、

類学は

﹁法則の

社会に属する

の史

誌や民族誌

︵Ⅰ

1

。それではかく

されているであろうか。

ものであること

、しかもその類

。古い比較

一 - 一 76 ︵ ア t ︶

的 方法はこれ等の 一

(14)

は 通時的研究︵ 臼曲 nl

過程を注意深く比較

刑 者の場合においてで って遂行され得るものとしている。

較 のための最初の

究を強調する。そし

通じて恒常的に残る

会からのものは証明

比較によって吟味す

な 材料について遂行 することによって一層一般的な斉一を発見し、

見に導 びぎ 得るもの ︵Ⅱ︶ とする。

ある現象を、それ

点である。従って 比

ば 引用するト一 テ、、ト

れは変種に富んで ぃ 、トーテミズムは 決

の 関連において、 注 一一 - 一 ラドクリフ・フラフプの宗教研究 77

(15)

一回 ︵は︶

﹂ れを メラネシアやア

層 一般的な概括に 達

つて人間存在と動植 ︵ 鳴 ︶

ならない。かくて ブ

の ︶に重要な効果を

と 儀礼的態度の対象

生計活動に従来して

適用し得る事例は牧

棄 民族による野生の ︵ 亜 @ とする。

を 加えている。 デ

誤っている。それと

、 既に儀礼的態度の ︵ 托 ︶

点 に立つ 場 ムロ 、 ト一 する過程について考えている﹂︵ ︶Ⅰ 7

とが出来るとし、 か

円仁Ⅰ e の コ隼 れ目 コ 0 件 ト 0 目 Ⅰ ㌧Ⅰ︶㏄ 申 。︶ oH. w ゆ り ・︶。 78

(16)

79

卑ダ

no ちず

屯さ

二ロゆめの

。﹂と云う︵

ま㌢

ワ襄

. ︶。

ト ・ ト

Ⅰ せ

Op.

の か ・

H の の N.

づ ・

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り臣

せ絃岸

5

曲 ノの

q

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0 あ

・ ロのれ

0.

の さナオ

・ ナ ・目はせ

0

戸 ㏄ い

︶ の の

ゲワ

︶ の

円汀屈

89

︶Ⅰ

臣の ぃ ︵

w05 %

が 分劃されている︵の寄口耳

岸お

ルコ 由

/

コ住

0

廿 ・︶

せ ・ ロ ハトⅡ

り ・︶。

用いた︵

ぴ宙

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鵠の・︶。

ロま

ワ ︶

N

の・

活現

8 目

ヰ遷

まざざ

づ ・し目

一五

ラドクリフ・。ノラウソの宗教研究

(17)

一山Ⅹ

自体、終局目的としてであ

産物への依存

ミズを持た

ぬに

答えるこ

・参照。

来た。それは

ムに

関連して引用し

事実の平凡な概括で

ないから、法則とし

内容であ

ては、

こ、

見方に従っている。

ものとなり、現象か

法則が自明の理と呼

があると思われる

を指摘している。︵

3

確かに問題があろ

に属する普遍的、

(18)

81 例外を許さない必然 すべぎであって 、彼 。それでブラウンの ﹁一部類の現象につ する陳述である﹂と 、その語を無意味に 固執しているわけで う に、それの発見の 手続ぎから見ても仮説的でさえあるとしても、 しと自体は決して無益 場合、問題はそれに ﹂とである。 点を持つていると 云 では最早や多言を要 約的 研究を基礎とし 一類型内の諸変種の る よ う に、悪意に選 れが入念な基礎的研 もつてしては、その ラドクリフ・フラフ ソ の宗教研究 一七

(19)

一八

を 求めるため

ぅ 。従って 実

のものを採る

約 を受げざる 彼の理想通り

れは止むを 得

則を確定され として提示しているわけではない。

また試験的 数多の現象を

已 ま口答、社

は 、デュ ルク

に 負 う ている ア コルク ム を 修 て 選ばれるに

って説明した

得ないからで

等の福祉に重 要 あ の 先 王 ム 全 巻 な な る は 立 し に 以 構 陥 説 関 。 下 っ た も 後 遺 す 明 た な に を と 地 の 貢 理

いは

行な

いの

5 件 比 較 82

(20)

の ら 故 え

直に

に も 基 が 関 を 係

珪房 なぶん

婁 ㌃

弩目雙罫悸票捷就

㈲ ① た の く て 係 て と れ た や 決 し し る も で と を の も は が る 野 し た 以 と 刀 。 下 ず

教の拡

聖を遇なしに

ぅか

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臣の

喜 ば 伸 る ょ 凡 た 。 て 同 そ よ し り る 通 尿 の あ ば を

彩 れ う た ズ わ り

理事

る 、 認 態 の ・な い ム げ 、 を 物 。 人 め

の 精 破 で に で

凡探

が し 問 得

無ぬ

o 用

堀留

綻 、 お も て 先 聖 か と る 家 な が 特 い な の す な る 自 で

一だど

益はブ

う 陣ゴ 0

分土

殊 て い 牧 る る に 然 ・ あ

と漠ヴ O コ

間析

じ の 。 書 意 も ブ の み い し教 生

い ら で に や に が 体 し と し て か あ

一社農家

は て ほ の か の い

性請

そ は 祉 の 礼 し

れ民

社 こ 寄 約 7 プ 質 せ れ い に 間 的 て る 族 曲 れ ㏄

(21)

参照。

は ㍉㍉ ㈲ ほ のり 笘 ︶ 笘コ ︵ ゴ qOB ロ Om ざ 口目・ H の のめ・ ワお

謂いているか

コ Oh の On ロ p[p コ ︵ 印 O 遷 pO 俺 ・ H の の p, つつ ・ N お ・㏄ 呂 ・︶。

吹 enc の・ ン ・ 下 せ 0 ︶・切り丁目めの ダづ ・ののの

窩甲き 。

ことなく、もつ

0 Ⅱ ノ 0% す 0 隼 0 片

か Ⅰ 1 円ム の ・︶。

の 必要を云 うと

胆を得せしめ

ト ・︶ 0

庶 せずに選ばれ

フソ に責任が

牧 生活の ホッテ

ている︵ づオ の せ弓 0 ののコ田ロ の 里曲。 コ ・︶ せ ・いの︶・︶ 0

・㏄㏄・ い ㏄ ウ l ドの 吋 ・ 目レゴ ・︶。 二 O

(22)

テド クリプ・フラフ ソ の宗教研究 ㏄

︵客臣生日 ガ、の ・㌧・ " 暖 まげ チ 8 包 主い臣 きト 0 正 す 鞄 ・ レ ・ レ Ⅰ せ 。㌣ のの・ ぃ 0%H. せ ・卜のの,︶。

るためには、 オ ⑮ 目お官 80% お のま 9 デや︶ mH.

のの・ロ色・ P ︶の HA. づロ ・ oNA. のめ ぺ ・︶。

︶ O ㏄ q. 0 Ⅰ 洋 0 ヰヴせ q. 更 ︶のの・︶の 卜か、せ ・の㏄ A. ︶。 ︵一九五五 る 要はなく、 ま 、 Ⅰ ノ 、 ︶ それは一集団 害するであろ いない︵ ヰヴ w& : 亡臣 わ岳 0 目 Ⅰ

(23)
(24)

れを希望するもので

仰 である。そして 日

ている よう である。

ある経典は禰 勒下

勒仏 について説示さ

し 、 龍華と 名づける

四億の人が、第三会 ている。 一 一

相 年百

くからあ

土 があり、それには この像は和銅 四 ︵ セ

大衆の為に説法して

えた消息の中に﹁ 我

秘 沃には、﹁当来 禰

師輔 勒仏 ﹂の語が見 御堂関白道 長

至り、

に 納め、 禰勒 出世の 一一一 - 一 H 本に於ける 禰勒 下生信仰について 87

(25)

山詞㌔

て道勒と

談 い が の 多 @

(26)

しておいた堂舎 僧

睡 ︶ ぃ だが、扶桑略記

物は 、 堂院 二十 処 、

大規模なことはい う

てしまったであろ 二五 甘 本に於ける 帝勒 下生信仰について

水浜

とある。

勒を期待していたことがわかる。

たのであろう

。信仰展開の事情について考えて見たい。

主教

盛んになっ

れさえ

覚来

ないと

になってぎた。

二案天皇のと

勝範が

次伴

善因成長寿克

欲奉

慈尊

下生。︵

古まきこ

考えたのはこのことを示すものである。

(27)

ヲ 4 、ノ る 記事は少いのであ

て 扶桑略記の著者は

態 に絶望し深い悲哀

のであろう。当時は

絶望の悲哀に沈んだ からであろう。 一 一

は 現在は禰 勒 がこ

らわれているのは 大

の 意味及び前後の文

あるが、現世を禰 勒

である。

には、 仏厳 上人が

、源平の乱で死亡者

に 二、三日たって 夢

の 禍乱は祈 薦め力 で

告げはまことに 尤な

平 め ム口 戦 という大 き ㏄

(28)

莉 のあらわれである

とになった。夢に帝

らである。そこに、

このような風潮がや くるのである。古記元暦二年 セ月 十五日 条に、 称禰勒 使者事

有 請口 乃 地震、

れによって、地震 や

一一年という源平の合

られていたが、世の

のものが現がれると

るということが起つ てくるものと思われる。

話を載せ、

チプ示ぞ給フ也

奉 トナム 語ヴ伝ヘ タルト ヤ 。︵ 巻 第十七︶

勒斉が 痛い

Ⅰ と叫 甘 本に於ける 桶勒 下生信仰について 二七 9 Ⅰ

(29)

から来たのかと尋ねた所が、そうだと答え をしないさちに夢がさめたので残念だった 考えられているのである。 沙石集には 斎 藤に飢 へて首陽山に 死 せしがごとし し 、聖人は国につかへ、塵に交わり、 賢人の如く 抜 土を捨て、 禰 勒は聖人の しの世界に現われるとされているのである れないが、 禰 勒は浄土にいてもやがてこの の 沙石集の文は、 禰勒 がこの世に現われる ぅ という考えのめったことを示すもので は 極めて頼もしい存在となってぎたのである。 行 うて 祈り出し給ひし生身の禰 勒 菩薩を の中に、﹁建武二年の春の比、何とやらん 、 話したいことがあって 来 と 記してある︵ 紋醇し ㌔ここ 。文綿上山に薪にこがれ し 光を縮み迩を隠して浬にく 如く欲界にいます︵ 使亜稜 ︶ 。 禰陀 のいる浄土は清浄の 世に現われて欲界の民衆に ものであるという考えのあ 、そこに民衆にとって 禰勒 智証大師に附属し 給 ﹂ う た 、 事の騒がしぎ様に聞え 侍 んだの 、給フ る 。 こ 古今 で其 声をぎ ざつ 所有ラム ヤ 。 而 こには 禰勒 がこ 著聞集︵ 軸笘耗 " ︶ プ思フ 罪プ が 白衣 ミ 。 斉ハ 血肉 プノ @ 不レみ 。㌔ 犯みァ ⋮思 を着けた白楽天 二八 具 シ 不二 給ごズ 。 壷 二 % ヒ給フ也 。﹂と述べてい が青い着物を着た四人の 92

(30)

﹁されば今に至るま いる︵

琉舖林臥

。︶。

騒がしくなった建武 ぅ 考えのあったことが知られるのである。 御伽草子

、大和国片岡の えて、伏見、木 物し給ふ。 つて、ここで布袋

意識をそこに見ることができるのである。 永享の頃、一条兼良の撰んだ続歌材 集

には、

御 獄の金の事 相 ましものを とり出してし くべき 為 といへり︵瑞セ

冊立

W

がわかる。 二九 日本に於ける 穏勒 下生信仰について S3

(31)

華山人隈乞士薄俸

︵二︶

に詳しく説明され

ている。

此書

では

仏説

禰勒

下生成仏経︵

義浄

仏説

禰勒

菩薩下生

︵竺法護

仏説

禰勒

成仏経︵

跳泰

鳩摩羅什

94

(32)

五十 セ憶 六百 再歳の

華 菩提樹の下で成仏

る 。しかし当時は大

ことと考えており、 た 考えは出ていない。そしてまた、

プ唱フ 。 設ヒ上 生 二障リアサ トモ 。三会 ノ 得脱 何ゾ疑シャ 。

のである。上生は末

ているのであって 、

れよ う とする意識が 見られるのである。

、その背景の下に 、

モの 指摘されたよ う

った ︵ 醍離朋蜘酪 切畑 し 。

半島では﹁お前の

ほ ついて口にするこ

では陸方 作 、海大漁の 時はミロク踊りをするが、これはミノコ踊り、

の 青年十四、五人が 一一一一 日本に於ける 桶勒 下生信仰について 95

(33)

頃に興 っ

︵ 一 0 四

げたが、 れに応じた︵ 珪槻玉醸 ㏄ ト丑弓刊醸 ︶。

おそわ た 正則及び セ ︶年に反 六十余日で れたが、 そ

︶には数十人の匪賊

仏の化身なれば唐墨

﹁月光童子は将来

一 - 一一一 ㏄

ね 民に大きな喜悦を ﹂に 禰勒 下生の時は人

がわかるのである。

(34)

云 う

石工

渡 、切付

由比四人化人にて行方不知

47

み、 禰 勒の下生を信ずる 輩 も 動乱 期 に際して特に 禰勒が るであろうことは極めて容易 でも栄西、道元が入宋したり にあったことは認めてよい。 が 顕揚されたことについて 後 これを顕揚したものと思わ るから、これらの人々の間に カ 鈷ヨ廿 ㎝ 珪放弛 ︶。 が 現われ、それらのものが往々一 % さえ 顕揚され、世の変動、建直しを考える ょ に 想像される所である。鎌倉初期におい 、 俊乗坊 重源が数回入宋したりしたので は 、中国人が日本に来てこれを顕揚した れる。由来日本の社会の一隅には中国系 楠勒 信仰が顕揚されたのではあるまい の中心的勢力となつ 三国時代の新羅に 信仰によって団結し されていると信じ ろ であった︵ 幣姓は弓ユ - ﹁Ⅱ︶。 の 護 れていた︵ 皿睡 幹雄哉 妨氾 楠雄附会︶。

(35)

95

ニ日 姿をして居るのはこ

は 日本より盛で、 い

勒 信仰を輸入し、 そ

Ⅰ Ⅰ 下 カ 。

阿羅漢を拝し、

っ たと思われる。 当

信仰が盛んであったと思われる。所で玉葉に

粗間レ之 、所 レ語之 事 、実希 異 多端者 欺 ︵ 肝品柁酢旺 ︶。

希異 多端な事実を見知していたのであるから、 四明において 禰勒信

に 於ける 禰勒 信仰の

永二年五月 廿 四日に

﹂のとぎ重源から 禰勒

遂に 禰 勒を信仰する

ぽ 興し、毎月五日に これを行って、 穏 勒を信仰していたのである。

(36)

官本に於ける 穏勒 下生信仰について 五

ゑ ﹂上世 腐 、中世 縞 、 近

ふ れられていないり

︶による。 ㏄

(37)

二八幡神発生の社会的背景 一字にかえて 三八幡神と比 洋神

四位

聞 菩薩

五結

一席にかえて は 既に異論はないことであろう。しかしこの が、 未だに定説はないと考えてよかろう。 っ たもののみでも、二十機種の研究をみる。 ができる。 一 、主体的に神格の問題を対象とした研究 生したとする立場からの研究 捕えようとする研究 という宗教現象を対象にした研究 神の正 鉢 ほど 暖 味な神 これ等の研究の申これ

首邑

八幡信仰の二元的

性格

一一一Ⅰ ハ 1 ㏄

(38)

六 、機能的に捕えようとする研究

あっている研究も ある。以下貫 を 追って詳説したいと思 う 。

究明しょうとする 先方向である。

松下見林があり、 ︵ Ⅰ︶ ヰ

った 。

大寺大仏と宇佐 八

幡 神について﹂︵ 4 ︶など ︵ -0 ︶ その氏神﹂などがある。 犬神として捕えている人もある。︵ 6 ︶

研究は辻善之助 博 ︵ イ 1 ︶

小野玄妙 氏は ﹁宇佐 ︵Ⅰ 0 ︶

、 又 原田敏明先生は ︵ 9 ︶ 佐 八幡にふれておられる。

は 前記半田康夫氏 三セ 八幡信仰の ニ ,元内性格 Ⅰ O Ⅰ 研究

(39)

幾多の研究もある事と思 う 。 八幡神の発生益にその信仰に ものである。 珪 ㈲宇佐史談六七号 ㈲ 謂岡 学大租英二号 所収︶

先前 牧 ︶ 一一一︶ ︵日本人の宗教所収︶ ㈲辻善之助 博 仝﹁甘木仏教 史 ﹂ ㈹宗教研究

秤フ六

これ等諸先学の研究を越える見解を発表 ついて私見を述べ 御 示教を仰がんとする る 。 た 分類であるかど

︵ 人り

国男先生の﹁校主催

︵ⅠⅠ︶

5

「 の

債民

仰族あ

獄吏

に又

宗教( )Ⅰ 2 」 そ た の ど 社 が 会 あ と る の

係 か ら み、 の 発 生 を み よ @ と し 泊, Ⅰ 研 究 v ブ ヒ ャま 拙 稿 「 宇 佐 八 幡 一 義 人 現 に関 ・ す る

考 察釜 」) 102

(40)

続紀を初見とする。即ち 、友香椎宮 - 、奉レ幣以 吉二新羅 元 礼文 状 -

に 八幡宮が地方的 信

日の条には大将軍 東

戸叶戸を賜っている し 、 乱 平定の翌十三年三月七四日の条には 10 三九 八幡信仰の二元的世 格 てみたい。

㈹原田敏明先生苦﹁日本宗教史

謡界

五七

ノ六

㈹西日本史学三号

㈹宗教研究一四二号

㈹宇佐史談二九号

㈹同上

旋と

伝説

0

ノ三

㈹宗教研究一玉

セ号

㈹同上

㈱宇佐地方史研究全編﹁宇佐

研究﹂一二五号

先学が指摘しつく

いう点について

ふれ

(41)

とになるが、その場

経典であることは

ない神宮に対して

神の本来の性質に

以前に神宮寺に類

られる。︵

2 ︶さて然ら

あって、弥勒禅院

されたのは神亀二年正月十

日であり、

林巴

、﹁日足

﹂で﹁

仏教がどのよ

孝二八幡神宮 養二宿構 - 也、

十八人、封戸

- 四 O 馬 五匹 - 、 又令レ造き 一重播一区 ハ 104

(42)

問題として新しく起つて来るのである。 佐川の傍である 席

ていることを知るの を 省みる必要がある。 ︵ 4j ︶

﹁ 韓 ﹂の借字で実 後になっているし、

の 地名は多く半島的 色彩をもっている。 居住地と覚しぎ 地 名の多くが残っている。

ほ ついても既に岡為道庚や ︵京都郡︶ ︵ 8 ノ い る所である。 左に ついては、 既 ︵ 騰 ︶ ︵ 9 ︶ ここでは省略する。

︵Ⅱ︶ している。 四一 八幡信仰の二元的性格 工 O5

(43)

任 豊後年 ︵下略︶

サま ︵Ⅱ︶ ぅと 思われる。

の ︵㏄︶

図に

てい

領し

氏も

大 倉 初期の作であろ 主命に出ていて、 る 。 済 的にみれば、 後 て 、所領の切替を 神 よ り宇佐に入ったよ う に口碑には伝えられ、 速見郡大神村には 大神朝臣 良 臣 従 五 位 T 大野 郡 官 名 大 領 職

庶幾・

六位下・

惟基

弘仁二手 卯 年三月五日誕生︵中略 ︵中略︶大神朝臣従四位下︵中略︶ ︶ 承 天安 二神 年セ 被年 神民と豊前大神 氏族ではないか それは大野直 行天皇を祀った これ等の事実 神 雄大野系図に 氏は別個の家系 と思われる。 大 郡の総社であ 神社で奈良時代 は 大神民が既に あらわれる。 であるといわれているが、 る 深山・ 上津 ・浅草八幡︵ に八幡神が相殿に奉 済 され 旧 氏族制時代 よ りの豪族で あり景行天皇九州征服説話

大野︶

城原

八幡︵直入︶の

ている。︵

3

︶Ⅰ

豊後大神氏は大野直入郡 地 ㏄ 四二 @ の 土嚢として、活動していた 何れも縁起に よ ると、もとは景 のあることを物語る 、 従って 大

(44)

これ等は関連する宇佐地方の古 田︵ 町 ︶等に非常に多くの 禰生 式能 糞 垂の征服説話は三世紀から 六 補任は宇佐地方の大和政権の勢力 八幡信仰の二元的性格 代 住居と に古墳時 世紀に 亘 圏 に入 っ

︶・下毛郡池永・日東邦 高 ︵ トれ ︶ 代の遺蹟が存する。 出る宇佐達彦の宇佐国造の 河野省三氏は下毛宇佐郡を 四三 騰 7 光 政 最 力 た

て れ 敗 姻 そ

いては 珍氏

との 婚

︵㎎︶

(45)

っ な な の

@

その

より たとは考えられない。

がで きないが、宇佐系図や詫 宜集 地方寺院の縁 な づける点であるが、宇佐の場合において 神社の所在について書紀一書の記事を除い 建築学者は本殿左の北辰社を以てもとの神 ましの社であるなどと伝えている事など 老 は 、宮司の﹁国造﹂ ては全然現われて来 社であろうという 事 えると、神社がなか 起などによって想像

博士は﹁地方的豪族

ら、

此の制度は畢

祭主に国造の称を

いつている。

五三四年︶仏教が セ 世紀初め︵六四五年︶大化改新が行われる。 この間の事情は不明 史料にもあらわれる。

な ﹂︵ い 2 4 ︶ といつてい 想定しておられ この宇佐 国 の で宇佐の場合も なるのではある まいか。 ︵ 2 ︶ るが、更に 族長は或 蒔 その女 茜が

られる。

(46)

一は

浅薄による 虚 聖威 であり︵ 青 3 2

。、

一は

華厳に

法鏡青 である。 隆 寺の様式が入って 山の山岳仏教を開い 代 ではないかと思われる。 八月朔日 法 蓮は宇佐 公 姓を 賜っている。 現 社地に造営した事になるのである。

交渉史論所収一一三頁 ?

一一四頁︶

三|

六︶

㈲辻善之助博士甘木仏教史の研究六八頁 八幡信仰の二元的 桂糟 政府に認められた 事 による仏教と八幡 信 仰 とが別個の存在であった事を暗示している。 四五 109 堆

孫 石槌 m たと伝え 人物と は発亙 施僧浅薄豊前回 野 四十 町 、褒 聚術也

︵ お ︶ いる。 野の子佐野は った 。 廿 五日の条に

(47)

110 ㈲小野玄妙 氏 前記 窟丈 ㈲石清水丈吉志二八三頁 所牧

の 大分県文化財

と 一致する ょ ぅ である。

ハ 0 頁 ︶

一一一︶

㈲同上

㈹西日本史学三号所収 ㈹大分県史料 セ巻 小山田文 蕃 ﹁解題﹂参照 ㈹神領宇佐大曲

宮 として信仰 さ

ものが奈良 時

生後国司一党 表 ﹂ ︵大分市 史 ︶ ㈹宇佐八幡宮小山田家系図 ㈹別府市原図大野彰一氏 蔵 系図 ⑰ 其 好和利 氏 ﹁謡曲 と秦氏 ﹂ ㈹大治四年三月十六日 御 装束 所 検校 珍 友成解状 大治五年四月十四 且 宇佐官公文所問注 申詞記 保延二年十二月五目 御 装束 所 検校 珍 友成田畠売券

クク

十二月十五日本同素因 門解 ク 三年二刀十八日宇佐官公文所問注中的 記 口 + ハ

(48)

三八幡神と比

洋神

の 政治的制度をみ

任じている。改新の詔勅には郡司に関して、 口七 八幡信仰の二元的性格 % 安二年二万十日行装束 所 検校大神貞女解決

保元元年十月二十七目 ク 大エ奉安利中伏 文治二年九月十八目 ク

﹂︵別府大学紀要四・五集︶

ぬ要 口号︶ ㈱焚刑光夫 氏 前記論文 の 河野有三尺﹁宇佐田﹂︵富山房国史辞典︶ 囲 牟田康夫氏﹁貴行天皇 と免抹 の年華﹂前掲 ㈱津田博士 著 ﹁上代甘木の社会及び思想﹂ 四 0 八 頁 ㈲石清水丈吉 禰 助手 緩 起及び託宣 集 ㈲畑生氏系図及び宇佐郡横山村夫 譚 手紬 起

㈱榎田

克 義兵﹁宇佐郡十二名勝詩巻﹂

色所収︶

、 堀 博士﹁前掲﹂五八頁参照

いる。

⑭託宣

集霊巻 的 大神小山田系図

(49)

技工書算、 為 主政 主帖 あるが、宇佐郡においては宇佐 氏 ではなし たのではないかと想像される。 扱われているが、 続記 天平勝宝元年十二 うない。宇佐 氏 が大化の改新後山地へ入り に 於ける山岳仏教の発生とその事情の一致 目しなければならないことである。 に 平嶋 勝 氏を代表とする帰化人の宗教、 そ ︵ 6 ︶ 土豪であり棄民と婚 籍 関係にある大神民 が 仰 ︵それは秦の神信仰かも分らない︶を 生 して、豊前宇佐小椋山上に宇佐官の造立と し 、輔助手別当に宇佐 氏 の浅薄を、八幡宮 氏を以てしたのである。 神と 此洋 神と二つの性格を持ち、 北 洋 神 として奉祀されたのは正史にはみえないが 心とする宗教であったかも れは豊前田河郡の新羅明神 守る博康にい う ︵源平盛衰 み 出し、この八幡神と宇佐 ︵ 47 ︶ なる。地方史料に よ ると 神 の 主神に大神、禰宜豊干 嶋 は 主体的には 現 わされず、 、託宣 集 によると天平三年 四八 ︵ⅠⅠ︶ に平嶋 氏 であったらしく、 して、政治的に抑圧してい 月甘 七日の条に始めてみら 、山林仏教と結びっいた 事 ︵ 3 ︶ するものがある。しかるに ︵ くリ ︶ の 現世利益を施した事は注 112

(50)

つ わ 族 ぅ 八

ると

( り

来てをにの

た八株

連 祭 の る 旧 日 。 と し 描 く 保 の 事 持 被 き の と

113

と 社会に対する 慰援 に外ならない。

¥佳良との融合から 始 つたとい 新しい宗教としての

る 強圧も加わっていたことが想像される。 ︵ 舟 Ⅰ︶

敬は八幡神そのも

て 競望が行われて ぃ

(51)

口仁曲善硅

新の政策にの つ

何 と八幡信仰の融和

菩薩としてこれ等 二

幡 信仰が独自の立場

つ たのであろうか。

ね 、 翌 二年には 大

置 をもつていたとい

正月 廿セ 目安倍忠広 ながち根拠のない事ではあるまい。 と 五 O 14

斑文化﹂では 飛鳥 期 にとっておられる。 ㈲ 繍 粗大宝三年九万二十五甘の条に よ る。

﹂第二章

中行事注文案し である。

三号︶ ㎝拙稿﹁八幡社の伝播﹂︵宗教研究 一 三七号︶

(52)

愚 重説︶

中 の 端津 姫神

4 玉依姫︵

詫宜集 、申 せ の 社記

115

(53)

に 地 平

弘 と 寺 仁 こ 、 石 そ 十 の こ 漬 れ

化 耳 と 司

緊括

碁器

建 成 が 祀 、 倉 立 は 構

か以

伝 の 中 酌 に ㎡ 中 津 下 な

で尾に

寺入と

る 宇 の り 相

佐担

関 瓦 当

寛連

族す

弘 し

る事

集団

と つ 曲 る し て に 問 て し

宇題

格 。 が ; る を 九 し

か ト | わ

朝他

廷方

と 禰 し 勒 て 寺 の は

千切

よ りなって

、こ

は 何を物語るものであろうか。︵

6

か 。即ち豊前下毛

る 事を考えねばなら

験の更新を企て行幸

をめぐり宇佐戊申

8

魅 事件︵続紀︶の

氏 に対する

反綴

であ

を 建立せしめたもの

であろうと思

ているけれども、

、南北朝時代に宮仕

エ Ⅰ 6

(54)

併祀 されると ぃタ

禰宜の神としての性

ないかと思われる。

経済的中心機関と

が葮属 すると共に比 ぇ られる。

月 十五日の太政官 ぇ 、石清水文書 爾勒寺

菩薩﹂と記している。

づれにしても神名

いう点では、宇佐 仏 ︵Ⅱ︶ いる点を考え合せて興味ある点である。 口薩 については柳田

によると 仁 聞は平安 し とが書き加えられ、

でいる。橿園 氏は実

は神 母 ・太母の義字 で 巫女の 一 類の意味にとっておられる。

,,

︵ 0 2 ︶ 五三 八幡信仰の二元的性格 ユ Ⅰ 7

(55)

られる事も、宇佐御許山の山林仏教

、八幡信仰の母体 菩薩の意味を私は八 の 主動性において 起 は 、この僧侶たちの 家 的にはめまぐる 保 五年から寛弘年間 もめまぐるしいもの 力 が九州特に北方部 だけの活動分野に限定せられた事と待ム ロ する。 ほ ついても北洋 神 されるのは平安時代 ると云われた

力京

。 、せ ︵ 3 ︶ がこの時代にあった ︵ p3 ︶ 五四 ㎎

神の巫女という 事

(56)

れ を の

延長

,柱力

荷仁る 暗示 ㈹㈹㈹ (9) (8)

(7)

㈹ 文元 「 又 (「 宇 乱声 ど

検入 し 佐 口 重 荷 大ノ 放 『 イ呂 ヤァ Ⅰ

よ 省 会

二瓦

生 っ

体 で / は は て 状 ( 息 あ 五 「 「 屋 つ

四神

に 開 い 基

六ヵ

形、 -@

・、、

真清

) 考 な せ い

本尊

択 古 学 め る 史も 血 こ ら 空 の 論 研 れ

梵学課

金 つ 蔵 法 究 た こ て て

寺 金 攻 」 金 事 五 」

の舞い

笏電

与 ) 野 共 寺 の 偏 析

頁 で 新 九

宇 在 し Ⅰ・ か |

位 地 狛 血 ⅠⅡ く と 大 空 独

諾 で = 繭 意 御 目 氷あ 家 あ 見 者 の え 平 丈 % 6 。 法 銭 淀 を 安

所 銃 手 べ お 仏 に西 牧 ) 手 が 於日 獅 参 お ち も 教 で 木皮 てま 廿 手 丸 れ ヰァ ヒ 一 一 し あ 殆学 頭 た な る ん匹 去 「 つ と ど号 々 建 て 帝 ) 」 武 お @ 勒 中 ら 事 ⅠⅠ 9

(57)

寺 検校は石帯大八幡別当検校 と 兼務であるひ

氏の努力も急に活気をおびてくる。

史林

二フ巴

㈹大分県史料三巻 永 弘文音解題参照

日本宗教交渉主辞 一 三四頁︶ ㈹宇佐神宮番上祐︵宇佐神宮所蔵︶

㈹榎田

克謀氏 ﹁七 % 菩睦 ﹂︵宇佐史談二九号︶

ぬ 女物語Ⅰ︵ 振と 伝統一 0 ノ 三︶ ㈹神領宇佐六 %

をみると夫の表ができる 中 左 別宮 名 右

筑前大分富広袖比売神神功皇后

肥前干栗

宮ク

神功皇后 稲門 肥後藤崎

宮ク

住吉 神功皇后 陸睡 新田宮 ク 神功皇后玉依姫 大隅正八幡宮大々 出見尊 で 筑前大分 宮 だけに比売神が祀られている。

糞竺フ 六︶ 赳 京都帝国大学文学部﹁豊後唐 崖 石仏の研究﹂ ㈲神領宇佐大鐘 五六 簗

(58)

八幡信仰の二元的 樫格 五 七 Ⅰ 2 Ⅰ 」 の ( 宇

。 い 伝 神 に な あ く る り

後あ

官 仰 、

国隅荘

で結

(59)

一席

0

分類である。

p.

Ⅰ dw

せ 由井

蒔かガ

の︵Ⅰ

田ぜ|

のことで、この九分

分数全体にわたる

・九分十二分教

論ずべ

ものがある

ばならない。この点

十二分教

b4%

す目

第る

こには、九分数の

。筆者もこの種解

へ ナセ

0

たっけ

五八 I2%

(60)

ハ B ロ 0%

・︵ 説明がな 盾 ・対立 の釈を重 を正当と に 比較的 門婆沙 ﹂

い 0 ㏄仁ヰ 拝

め・

123 一 一 ハ A

し九

ンスクリッ 同語源でせ して、普通 の如 き 訳語 ﹁文法家﹂ り、 後世 ザ ︵ 経 ︶﹂﹁ 受 り 、チベッ

ヴェイヤーカラチの一般的語義と伝統的解釈

教の第三支は

。ハーリではせ

Ⅰ 倒叶曲へい偲

サに

何れも

それから

記説

︶乃至

﹂等があ

訳はこ口中

寸口旧日経のである。

(61)

O

に 理解する必要がある。︵

8 ノ

釈は大別して三種に分れる。

右 ルモノ

ナ Ⅰ

が空虚

等も

脇コ靱れ

・ 酬答卸描ビ,

論 ヒ巻一コ

にも、︵ 3 ︶

釈と

並べて、コ

%

する﹁応分別﹂︵

4

︶体の

﹁諸経㌣

顕孔義

︵Ⅰ 0 ︶

︵ A Ⅰ︶

E ︵︵ 曲

︶の説明解釈とし

づのせ

Ⅱの ガ がⅡ㏄

弔 ひに

124

(62)

フナの原意

意を最もよく 伝へ め や 5 仁 推定することができ やぅ 。 ⅠⅩ 一ノ 九分散 のヴヱイヤ Ⅰカラチについて ︵後述参照︶。 るが、これに対し、

た一変形と見られや

0

間かに対する﹁解答﹂の語義に立脚し

︵Ⅱ

︶は﹁分別﹂﹁

てゐる解釈がある。

せの

リガ

ハ ト申せ忙をも

等にも同様の解釈を併せ提示してゐる。

及び

十二、同大乗

。へ、しかも︵Ⅱ︶

﹁所生

﹂即ち未来

弍醸去

Ⅰ当む

於ゴ

︵ 盤

解釈し、

コ 大智度論

L

三三には、

佛ゅ

125

(63)

生じたものと考へられる。

ゐな

﹂ 体

筈 はない。 と 訳されること いが、少くとも の経典を最初か

まで権威を認める 必

ガい ト 申せ曲に﹁分別﹂ ①

基礎となっ

な位置は占め得

鹿

ヒの説

︶が

処の記別といふ

しぅ

ることは、仮令

での仁丹

、の

0 ドド

ちに﹁問答﹂なり﹁

原始的立場をより

理由は次の諸点であ

126

(64)

見 ぎ 「

12 ア

か は 答 ら 異 で・ の原

独りあ

立、

も 配 と考 従

つで

のし

て ぢ

ても

こ な た ゐ れ れ け か ノの か な れ 々 ら 今 少

「問答」

体 と た の 解 も 解 す の 釈 る で を の も

がない。これは

下に配して

。しかしこれも全く無理な属する必要が生じたためであると見られる。

ゐ和

︵ 5 ︶

、その背後にき

ド一

(65)

問 ひに対して、仏陀

ほ ではなく、問答と 解釈されたものであ もう 。

ち、 ﹁問答﹂体であること、 の型が存すること、 ﹂と、これである。

この経は南方の 0,

である。同論には

を 漠然と仏と仏弟子

を知ればよい。

③円円リガ

曲 ︵の

せ のを

︵ b.

ト駐

︶等々に

のは﹁大乗

浬架経

き磨藏

顕宗論﹂

巻二

︵ ハ U ︶

︵ヤ了︶

︵ⅠⅠ︶

佳品

婆沙論

﹂番一

︵ 鍋 ︶

︵ W ︶

︵㏄︶

︵㏄︶

︵ 9 ︶

︵ ぬ ︶

︵ 月 V ︶

︵ 2 ︶

128

(66)

の 0 月

1%

Ⅰ 隼ゴい せ曲 0% コ曲由ゲ ︵ M ︶ ︵の 田 Ⅱの セド曲ガ笘パ 申せが 宙由せ 0 如 ぎが ヴヴ が 田 ・︶ ぅか

伝統的解釈は

次の二例あるのみである。 く

・︶の

せのせ

Ⅱ リ

pqp

日月

曲サま|

立毛

しの

0 ⅡⅡリガ

忙 Ⅰ

曲め忙

(67)

ら ノつノ 0

以 。 か 」 と の 般 上 の し 体 し 両 に

広原

そ に て

義徒

統煮

接見 は来

的 で ら 近 る 単 の

解あ

は す 時 に 諸 釈 る 侍 る に

辞先

並か

殊 も は

書輩

び 当 た め 、 的 の に

然場

混諸

に見られる。

ち 洋の中、第五品㌧

・Ⅰ円目・さの類

かこれ

に入るとされた。

された︵Ⅳ︶。

4

重されたに対して、 きないとし、独自の Ⅰ / / 、 Ⅰ 、 釦 乞目 曲巨陪 の 汁き

佳 ︵ 繕

(68)

六七 Ⅰ 3 Ⅰ 九分散 のヴヱイヤ ︶カラチについて

。かかる用例ま極めて

。ー

多、

@ 5

ノ し

同様に暴々 せ億ピ Enn ゴ笘円 ︵反問する︶に 幅 の 日サオ宙 曲枕曲日ー ゅ曲 ︵ づせ輯ガ pqp り曲 ︶に 見た い 。 刑 し、その各々に よ う 。

型 的な形は 、軍 7

九︶内申コ田Ⅱの臣が つ偉 0 |

0 話 養 ・用法 よう として来た。 原語義に合せず、 第

尊め ﹁問答﹂釈を以 羅街拳 ﹂ 釈 以外見る の 語義・用法に照 し

進まねばならない。

としてパー y 聖典 記 ﹂の意味を掲げ、 可成りよく示したも

(69)

六八

ひられてゐること

意味する動詞はな

﹂といふ意味また、︵円が的 る

抽す曲

︵ Ⅰ︶ 人

曲目

ノゆ日由ヴオ巾由の

々見られるところ

尽ガ笘

P

の問題に関

6

曲が用ひられ

p の曲

コセ笘臼ガ

由井

曲 九︶

なしとⅡ

せ倒ガ

pqo

ぬを

記別する、

ののそうである。

らである。つまり

元来は

Ⅱ リ

ガが

qo

記別予言するの

132

(70)

せ Ⅱ 倒ガが Ⅱ い ほのの︵Ⅰ 局宙 ︶

パ 一サ律蔵人品の 初

へを 説示してのち、

4m ⅠがⅠ メヲ田曲み 口オ の|

由, ︵ @ せ いコ ・ H. トド

の 法眼生じたり、 六九 九分数 のダヱイヤ Ⅰカラチについて 1% かし、実際上は﹁ 分 て 、 一 経由何処かに すことができる底のものである。 法 にも反映せざる 答、 ︵二︶所証・所生 ダ数の場合に過ぎな ︵㏄︶ い 。それ 故 これは考慮の外に置いて よ から ぅ 。 、必然的に九分数 とし、ここではニラ ︵㏄︶ な 例に注目するだげに止めた い 。

である。右に

力 普通であるが、時として過去にも関係すを。︵七︶

(71)

0 分別に求めること

法 のあとで、

前に﹁所証﹂表白の 我が心解脱は不動 なし︶

0 ︶ほど、 H 日 帯戸 目

直ぐ前にある、

︵の田ガ 曲ぺ 申せ ロせ曲み ・ 目倒づ曲 Ⅱ 曲き 岸田 ゴ笘 神笛Ⅱ 笛 ・ 岳 ・

、内容的にそれと

のせせリガが㍉曲中 P は問答

はその前にある﹁ 所

" の トムイロ HH,H のは い H づ,

指すのであらうか。

者は﹁この ヴヱイヤ

と 解されたのであら

即ち せ のⅡ せ のガ pnp 中の セ O 田

と ﹂︶

(72)

足 することは出来な 結果となった。﹄は 者の長上者︵ 仏 、大 しとは、筆者の既に明 一つの視点を提供す の 二段の発達段階が 的 Ⅰ セ一 九分散 のダ ネイ ヤ Ⅰカラチについて

︵㏄︶

OOU

かべ

wH

一く

ア目

ミダ

Ⅱ メトノ

p 田

︶の

p

・ い

かの等に見出される。

点である。九分数

n

億に

﹁問答﹂の

ロ巨にとって第二次される﹁所証﹂表白の語 ガ曲

︵ ハ

あることは論を侯

ない。

0

間短

、九分

くのせせ

Eq

︵ すの

P ︶ OmE

のの

には問答対話になる

(73)

づ こ が 注目に値する。 、 ① し之 ・㏄ ド臼 % 台 芯ゴオ as. の最後には、 お凄 。 ・ ガ pq 。鼠窃 曲 は 世尊によりて 解 帝釈 所間 L と名づげられたり、と﹂︶

る 。 日田の 劃 Ⅰの山田 ヰのト 一

コ ︵・ m づ p p Ⅰ 牙ぞ pnp ヰいコま ・ , ︵。 り之 ・ 口 HH. ︶︶の 1. ﹁ げ に 是の如く長老舎 % ︵ b. のの・∼・㍉ 11 は 問答体である。 忙ヴ ゴ ︶三日 がコ ︵口目 癬舌 これは 悪 席に対す る 、と﹂︶ のと称してゐる。 セ二 援

さればせ色目 P は せのせ ︶リアド︵ 曲 せがの 一 特殊 彩 乃至発達形であり、

来 される筈である。

を 指示してゐる やぅ な 特殊な用例に当つて見よう。

僅か三例である

(74)

目 ︶

ナン いこ 。

四 0 ヴヱ イヤー カ

る 点が注意される。

︶の 日 偉ガ オ 蝉口 巨弓 曲目 l

ォ pqp

と関係づげら

の 意味はいささか 陵味 になってゐる。 七三 九分 教のダヱイヤ Ⅰカラチについて

13

Ⅰ 乾 ︶

﹁一八 ヴヱ イヤー

ガ曲ぺ 曲む 曲 Ⅱ亜ヒ ド リガが︵のめ 曲 と称されてゐる。

る 奥付

り 成るこ

の 問答が

| カラチ﹂

答 体であり 時、

想起されや ぅ 。

型考

る ら

み る 。尤も、これ

ら 三陸 の 、 相営す

初の形態に近いと

栢営 する漢訳も典 ︵ 竹 Ⅱ︶

れてゐ た 結果であ

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