「認めるJということ 一 現 代 社 会 に お け る 自 己 変 容 一
学校教育専攻 総合学習慣発コース
安 部 香 織
はじめに
近年、残虐な殺人事件やいじめによる自殺等、
生きていく上で遭遇する苦痛の解決策として死 が容易に選択される風潮がある。価値の多様化 が進む現代において、それらの前提となる「身 体jそのものの存在自体が危機にさらされてい ることに着目する時、改めて見直すべき観点が あるように思える。
生の連続性の上に現在の社会があり、人間の
「身体j 自体の存在は変わらず繰りかえしてき た不易なものと考える時、その不易なものを支 えてきたはたらきもまた、変わらず存在してき たといえる。その「身体Jがどのように社会に 位置づけられ、生かされていくかは、これまで 培われてきた価値観と、時代背景に応じて生み 出されていく新たな価値観によって方向づけら れてし、くo 生きてし、く上での必要な外的要因が 整っていても、それらをどのように受けとめる かで、自らの存在の投じ方も変わってくる。
物事の受容と共に自己変容が促され、生き方 に柔軟性がでてくるとするならば、昨今の事件 からは自己規定に苦しむ側面が見いだされる。
人々の意識の大きな転議期となったと考えら れる近代という時代背景を追いながら、現代社 会において何が自己変容を困難にしているのか、
柔軟な自己変容を可能にしていくものとは何な のか、「認めるということJをキーワードに論考 を進めた。
指 導 教 員 小 西 正 雄
1.現代社会を生きる個人
2004年に佐世保市の小学校で女子児童殺傷 事件が起きた。その加害者の殺意の動機と行動 から、養老孟司は「固定した自分、固定した人 格が『ある』。それがいつから常識になったのかJ
と問いかけている。その養老の指摘を切り口に、
現代社会を生きる個人のJ凶生に着目する。
明治期に始まった近代化の波は合理性の追求 による社会変容だけでなく、個人の自己認識を も変容させてきた。現代社会につながる自己規 定の在り方は、意識的な「西腕庄代自我」の導 入や「個性Jへの価値づけという側面に影響を 受けているといえる。しかし一方で、近代化に ともなう都市化が伝縦句コミュニティから人々 を切り離し、物離句にも精神的にも故郷喪失者 を生み出してきた。どこにもつながることので きない個人の不安定さが、自己への過度なとら われとして自己規定せざるを得なくなった側面 も見えてきた。「個」の存在が高みに置かれてい く中で、キェルケゴールが主張するように、神 とし、う超越的な権威が人々の中から失われてい く。社会において宗教が担っていた意義に触オし ながら、現代社会を象徴するメディアと比較す る中で、現代社会に生きる個人の目的の喪失、
また目的に対する手段の優位という社会現象の 背景を考察した。
2.
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認めるjということ物の豊かさだけでは社会は維持していくこと
‑210‑
ができないという気づきが、近代化を推し進め てきた国々において見直されてきている。人間 の本性と切り離すことのできない宗教心に注目
しながら、社会を維持していくものは、合理性 では図れなし可字在に託されていることを明かに する。科学の発達にともない、あらゆるものに 科学的根拠が求められるようになった風潮の中 で、宗教心や歴史、神話、道徳、といったものが、
人々の意識の下で半ば否定的に判断され、学校 教育においても同様に語られてきた。それらの 否定が、個人にかかわる多くのつながりの感覚 を喪失させることを加速させてきたのではない かということが分かったo
高橋勝は、現在の青年が自己中心的となり、
他者と向き合っていながら、他者として認識で きていないことを指摘している。そうした現状 には、直張的な他者とのコミュニケーションの 場の減少に起因するだけでなく、自己認識のあ り方にこそ改めて聞い直すべき側面があると考 えられる。自己につながる多くのかかわりを、
現在に縛られず、過去から未来へつながる時間 軸の中でとらえなおし、「認めるJことの幅を広 げるとき自己肯定感とともに自己認識の変容が もたらされるということがいえる。
3.受容と自己変容
岡潔が着目する仏教で言うところの r/J我J と「真我J、矢野智司が用いるところの「自己シ ステム」と「エコシステムJを対比させながら、
自己の位置づけの転換による生き方の変容を考 察した。過度に自己にとらわれることを自我と 置く時、自我で生きることを、「寸我」または「自 己システムJと置き換える。それは心を向ける 狭さゆえに生きる世界すら窮屈に見えてしまう 生き方にほカならない。それに対して自我を超 え、慈悲心がはたらくことを「真我jまたは「エ
コシステムjとする。生きていく上でのあらゆ るはたらきを素直に「認めるjことを通して、
物事を慈しむ心情、問のいう「情緒」も引き出 されていくといえる。「エコシステム」という循 環性の中で自己の存在を位置づけ、「真我」の心 で生き抜いたといえる宮津賢治の生き方も照ら し合わせる。アイデンティティの喪失や、自己 肯定感の欠如などが危倶されている現代社会に おいて、認められたいと自己に固執していくこ とは、ますますアイデンティティの喪失や、自 己肯定感の欠如に陥りやすい。自己を支えるあ らゆるはたらきに気づき、その気づきを感謝と 共に認めていくとき、イ我にとらわれない自己 システムの再精築がなされていくので、はないか。
その観点が自己規定に苦しむ現代社会における 自己変容を柔らかなものへと促す一方途になる のではなし、かと考える。
おわりに
様々な問題がとりざたされる中、困難な出会 いに自分ではなく、相手に変容を求める弱さ、
認められたい自我の強さとし、った昨今の風潮は、
ますます生死にかかわる問題を惹き起こし、深 刻性を帯びている。人間が生きていく上では自 己肯定感を必要とし、人から「認められる」こ との重要性は心理学をはじめ多くの研究がなさ れている。しかし、他者を認める誰かがし、て、
自分が認められるという一方向では、あらゆる 人が自己肯定感をもつことは不可能であるとい える。社会が変容しようとも、自然のはたらき ゃいのちのつながり、社会の基盤を支える歴史 もすべて存在し続けている。自己を支える存在 を主体的に「認めるJことを通して、自己肯定 感が引き出されていくという観京を再認識して いくことが、現代社会において新たな視野を広 げる一助となるのではないだろうか。
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