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危 機 と 人 間 主 観

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Academic year: 2022

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(1)‑. 那. 須. ‑n. 彼はサレンダーをいかなるものとして措いているのかを、出来得る. 考え方を今日的状況のなかでより有効なものにするために'まず、. クルト・ヴオルフにおけるサレンダーの世界. 危機と人間主観. 序. 限り彼自身の言葉を用いながら確認し'ついで、そうしたサレン. ダーについての構想を支えている彼の基本的な思想について確認し、. そのうえで、私自身の観点から、サレンダーをめぐる彼の議論に関. 「サレンダー・キャッチ」と共に. あったといってよい。一九五〇年'「ニュースクール」で「ロマ」に. する疑問を提起したうえで'サレンダーという概念に込められた彼. クルト・ヴオルフの学的半生は. ついての講義を行っている時期に、親しい友人の示唆からその語を. の思想をよ‑有効なものにするための方向を示してみたい。. のトピックにサレンダーしながら'そのキャッチを紡ぎ出していっ. ているのかといったトピックについて論じながら、すなわちそれら. の第一の意味から生じて‑る。たとえば全体的な関与、既成観念の. サレンダーはそれ以外の様々なことを意味しているが、それらはこ. 「サレンダーとは、その始源的な形にあっては認識愛を意味する。. [‑] サレンダーとは何か. 思いついて以来 (cf.,Wolff,1995,34[93])'サレンダー・キャッチ という考えがいかにして生まれてきたのか、それはいかなる体験で あり思想であるのか'それは他の社会(料) 学思想といかなる関係. た、その過程が、彼の後半生の著作活動の全体をなしているといっ. 停止、〟あらゆることの適切さ″‑‑の停止'身分証明の停止、そし. にあるのか'それは、今日的状況の中でいかなる射程と意義をもっ. ても言い過ぎではないからである。では、ヴオルフがか‑もこだわ. て傷つ‑ことへの恐れの停止、といった意味がそれである」 (ibid.,. o. 18[67])'. 一〇七. り続けたサレンダーとは'いったい何を意味しているのだろうか。. 以下'ヴォルフのきわめて独創的なサレンダー・キャッチという 危機と人間主観.

(2) ヴオルフはサレンダーに関して様々に語っているが'この定式化. 一〇八. はヴォルフによって、われわれの日常的な体験・理念とは決定的に. ダーに関する十分な理解を得ることは困難である。したがって、ま. したその背景にある議論を踏まえない限り、これだけからサレン. 凝縮された簡潔なものであるだけに、これに到達することを可能に. 組みと認識様式とによって導かれていることを、その特徴としてい. され、 定の範囲の人たちによって受容され共有されている認識枠. 「通常の」日常生活であれ「科学的な」日常生活であれーすでに確立. われわれの日常生活を成り立たせている体験・理念は‑それが. 異なったものとして概念化されているのである。. ずはヴオルフがサレンダーについて何を語っているのか'可能な限. る。現象学的な用語を用いて言えば'それは、いまある在‑方を自. がもっとも簡潔で包括的なものといってよい。ただし、この定式は'. だがあくまで私の観点からみて重要. ーー11. り彼自身の言葉を用いながらt. 明祝し、別の在り方が可能であるかもしれないことをカッコに入れ. それに対してサレンダーは、日常性のそうした特徴を欠いている。. 特徴づけられる体験・理念である。. る「自然的態度のエポケー」 (cf.,Schutz,1945,229[37]) によって. と思える点のみを確認してお‑ことにしよう。 まず、ヴオルフが、「体験であると同時に理念でもあるサレンダー (とキャッチ)」(ibid.一xxii,40[33,104])と述べている点に注目する. ことから始めよう。サレンダーとは、体験のある特有の在り方であ. すなわち確立され受容され共有された認識枠組みと認識様式とをと. ヽヽ. ると同時に'ある特有の理念であ‑、そしてそれ以外の何ものでも. もに欠いている。サレンダーの最も重要な特徴は'まさし‑この点. ヽヽ. ない。ではそれは、いかなる特徴をもった体験であり理念であるの. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヴォルフは'サレンダーとは「高度に緊張し集中した状態」. れているのである。. た認識枠組みと認識様式'ヴオルフ流に言えば、既成観念が停止さ. にある。サレンダーにあっては、社会化の過程を経て身に付けられ. ヽ. (Wolff,1995,97[195])のことであり、また、「そこでは〟何でもが起. こり得る″未分化の状態」 (ibid.) のことであ‑、またそれは 「非. 言語的であったり前言語的であったり'〟前述語的″ 〟前現象的″ で. ヽ. だろうか。 二つの側面から確認してみるのが良いだろう。ひとつは、それは いかなる種類の体験・理念であるとみなされているのかという、い ヽ. わばその静態的・構造的な側面であり、いまひとつは、それはいか なる事情のもとで生じて‑ると考えられているのかという、その発 ヽヽ. まず静態的・構造的な特徴に関して言えば、第一に確認してお‑. あった‑する」(ibid.,xxii[34])といったように'サレンダーを様々. 生的な側面である。. べきは'それが「日常生活の欠如」という事情によって特徴づけら. れているという点であろう(ibid.,xxii[34],andpassim)cサレンダー な仕方で特徴づけようとしているけれども、それらの特徴はすべて.

(3) 点に注意を向けておこう。. 第一に注目しておきたいのは、右で確認した四点はすべて、「サレ. ‑. 「日常性を欠如している」というサレンダーの特徴の系であるとみ. ンダーする人の世界における存在」 の根源性に言及したものである. 彼自身は明示的にはそのように関連づけていないけれども. なすべきであろう。サレンダーにあっては、それまで有効であると. という点である。ヴォルフにとって、サレンダーという体験・理念. ‑. 明示的に、あるいは暗黙のうちにみなされてきた'現実を分節化す. が根源的であるとは'まずもってサレンダーしている人が根源的で. ことであり、可能な限り無媒介的に出会うことであり、可能な限り. ヽ. る認識枠組みと認識様式の多‑が停止されている。そうである以上'. あるということを意味している。実際、彼は、いま確認した、サレ. サレンダーの第二の構造的特徴として'サレンダーは 「根源的な. その独自性のなかで出会い、それ自身であることのなかで出会うこ. ヽ. そこでは、すでに分節化され確定されていることはほとんどな‑. ンダーしている人が根源的であることの具体的な意味内容とほぼ類. 体験・理念」として概念化されている点を確認しておこう。ヴォル. とである」(ibid.,18[67])c あるいはこうも言っている。サレンダー. ヽ. (「非言語的ー前言語的、前現象的」な「未分化の状態」)、したがっ. 似のことを、別の箇所ではこう述べている。「サレンダーするとは'. フは、以下の四つの点でサレンダーは根源的であると述べている。. とは'対象を「可能な限り詳細に」「いまある独白なものとして」み. ヽ. て多‑のことが確定されねばならないがゆえに、精神の「高度の緊. どのような契機であっても、それを可能な限り十全たる形で捉える. (1)サレンダーしている個人は最大限、直接的、無媒介的であり、. ることであり'「全面的に打ち込み、起こっていたことと一体化し、. ヽ. 張」が要請されるというわけである。. 既成観念という支柱から解放されている ‑ 伝統からの独立(これ. あるいはそれと同1化すること」 である (ibid.,21,35[72,95])、と0. 直前で述べたことはすべて、サレンダーしている人の特有の在り. は伝統の無視、受容'拒絶と混同されてはならない)、(2)独自な ものと普遍的なものとがサレンダーしている人間においては同時に. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. 方というよりも、むしろサレンダーという体験の特有の在り方を記. ヽ. 存在している、(3)人はサレンダーのなかで自分の本当の在り様、. ヽ. 述したものといってよい。ヴォルフにとって'サレンダーという体 ヽ. 自分の基盤へと投げ返される、(4)サレンダーとは、人間の存在条. 験の特徴を述べることと、サレンダーする人の特徴的なあり方を述. ヽ. 件に対する最も根源的な反抗である、というのがそれである(ibid.,. べることとは同義である。ヴオルフにあっては、相手・対象を独自. 一〇九. こと、打ち込むこと、7体化・同7化することによって特徴づけら. のものとして可能な限り無媒介的に捉えること、出会うこと'見る. ヽ. 76‑78[160‑164])c. これらの点に関する考察は後に譲って、ここでは取り急ぎ「サレ ンダーは根源的である」というこの特徴づけに関して'い‑つかの 危機と人間主観.

(4) [1391)といったl連の発言に表わされており'いまひとつは「サレ. 一 一 〇. れるサレンダーという根源的な体験は、「最大限、直接的であ‑無媒. ンダーそれ自体は予測できない」 (ibid.、25[78])、「ある契機やある. ヽヽ. 介的であり、そして既成観念という支柱から解放されている」こと. 類型の契機にサレンダーを帰することはできない、サレンダーは. ヽヽ. 確認したように、ヴオルフは'極限状況あるいは危機から'それ. ない」 (ibid.,73[154‑155])tといったl連の発言に表わされている。. (ibid.,80[167])'「サレンダーはそれ自体'・・・‑回避できるわけでも. 〟降りかかって‑る″‑‑何でもがサレンダーの契機になり得る」. によって特徴づけられる'サレンダーしている根源的な個人によっ てのみ可能である、と考えられているのだろう。 第二に、サレンダーが根源的であるとされる諸々の特徴のなかに は、サレンダーの第1の特徴「日常性の欠如」 のひとつの含意'す なわち既成観念の停止が含まれているということを確認したうえで、. ヽ. ゆえにまた既成観念を停止することからサレンダーが生じてくると'. ヽ. 合わせて、サレンダーする人が根源的であるとは'その人が「自分 ヽ. それが生じて‑る契機を具体的にあげる1方、サレンダーがそこか. ヽ. の本当の在り方」に投げ返されていることを意味していると考えら. ら生じて‑る何らかの契機を特定することは不可能であり、むしろ. ヽ. れていることを確認しておこう。ヴォルフにあっては、「日常生活の. 何でもがサレンダーを生じさせる契機にな‑得るとも述べている。. ヽ. 欠如」「根源的な体験・人」「自分の本当のあり方への立ち返り」と. もしそうであるなら、サレンダーの契機をめぐる彼の見解には矛盾. (3). いう三項が密接なつながりをもって語られているのである。. この問いに関する考察は第三章に譲ることにして'ここでは取り. が含まれているのではなかろうか。. ンダーは、果たしていかなる契機によって引き起こされると考えら. 急ぎ、サレンダーの生起に関してヴオルフが語っているもうひとつ. では、そうした特徴をもつ体験・理念であると語られているサレ. れているのだろうか。またサレンダーが生じるためにはいかなる条. と(surrendeエ○)の構成的な前提条件として、「善と悪'真と偽、美. の点を確認してお‑ことにしよう。彼は、何かにサレンダーするこ. まずサレンダーが生じて‑る契機に関して言えば、それに関する. と醜を弁別するt認識的な'また感情的な ‑ 能力'つまり理性」. ヽ. ヽ. ヽ. 件が必要と考えられているのだろうか。. ヴオルフの発言は二つの系列にまとめられる。ひとつは、「サレン. (ibid.,73,75[155,157])をあげている。. ヽ. ヴオルフの追究しているサレンダーは'理性によって裏づけられ. ヽヽ. ダーという理念はわれわれの危機から生まれて‑る。それは危機へ のひとつの応答である」 (ibid.,19[69])、「極限状況のみがサレン. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ていなければならない。サレンダーは、そうである限りで実質的に ヽ. ダーを求める」(ibid.,73[155])、「サレンダー・キャッチという理念. 合理的であり(ibid.,40[104])'また道徳的ですらある (ibid.,104f.. ヽ. は'既成観念を停止するという体験から生じて‑る」 (ibid.,63.

(5) 一方で、「そこでは何かにサレンダIすることが求められないどこ. [155])と付け加えることを忘れない.そうすることによって彼は、. 「最も広い意味で〟正常″なすべての人に賦与されている」(ibid.㌦︺. [2061])とヴオルフは考える.ただし彼は、そうした理性、能力は. れわれ人類のすべてが直面している危機」 (ibid.﹀69[149]) であり、. 人的に直面している危機ではな‑、「直接性の程度に違いはあれ、わ. いる」と繰‑返し述べている。しかもそれは、単に私やあなたが個. の時代診断についてである。彼は'「われわれ人類は危機に直面して. 化しているサレンダーという観念にこだわらざるを得なかった'彼. (4). ろか'非難されるべきであるといった状況」、あるいはそれにサレン. 「われわれ自身とわれわれの惑星を滅ぼす魅惑的な力にまでなって. ヽ. ダーすることが、それへの応答としては適切でないといった問題. きた、前例のない人類の危機」 (ibid.,115[225]) であり、したがっ. ヽ. (ibid.,107[212])について語ることが可能になり、また他方で、サレ. てそれは、「人類の危機と惑星の危機」(ibid.,192[351])であると考. ヽ. ンダーと多‑の点を共有している現象学的エポケーを遂行できるの. えられている。ヴオルフは、自らが生きている時代と歴史に対して. ヽ. は「知識人に限られている」のに対して、「サレンダーにはすべての. 根深い危機意識をもっていたこと'これこそが、彼はなぜその後半. ヽ. ヽ. ヽ. マンハイムからの影響のもとに ‑ 「もっぱら人間だけがもってい. 確認しておかねばならない。彼は人間を ー 彼が師事したカール・. 第二に'サレンダーという構想を支えているヴオルフの人間観を. ヽ. 開し続けてきたのかという問いに対するひとつの回答である。. (6). 人が関わり得る」(Wolff,1977,398)と語‑、「サレンダー・キャッチ. 生をかけてあれほど執掬にサレンダーをめぐって多面的な議論を展. m. と語ることが可能になって‑る.. ヽ. ヽ. をする能力は'人間すべてに普遍的に備わっている」 (Wolff,1995, 64. サレンダー構想を導‑基本的見解. [2] タルト・ヴオルフのまなざし ‑. る特有の特性」と 「他の動物と人間とが共有している特性」 の両方. を合わせもっている、その意味で「複合的な現象」として概念化し. ている (cf.,ibid.,15,851,116,181andpassim[60,175,228,335and. ヴォルフはサレンダーを'まずは危機ないしは極限状況に対する ひとつの応答としての認識愛として特徴づけようとしていた。そう. passim])‑. ヽ. 一. 一. 一. 彼によれば'前者は、「人間は主観であ‑、道徳的'美的、政治的'. 性を他の動物と人間とが共有している特性と考えているのだろうか。. では彼は、いかなる特性を人間に特有のものと考え、いかなる特. した彼の議論にはい‑つかの問題点が指摘できるが'話をそこへと 進めてい‑前に'サレンダーをめぐる彼の議論を支えているい‑つ. ヽ. かの基本的見解について確認してお‑のがよいだろう。 ヽ. 第一に確認しておきたいのは、彼が'危機を契機に生じると概念 危機と人間主観.

(6) ヽ. ヽ. 一二一. 解放するという信念」は停止できないと述べている (ibid.,19[69])‑. た個人とが混ぜ合わさった複合的現象として人間を捉えた上で'サ. ヽ. 宗教的'芸術的感覚をもった存在である」という位相に関わってい. ヴオルフは'主観としての独自な個人と対象としての類型化され. し‑その社会化によって欺かれ、操作される存在である」という位. レンダーによってはじめて'われわれは潜在的にそうである 「主観. ヽ. る。それに対して後者は、「政治'宣伝、流行によって、そしてまさ. 相に関わってお‑、そしてそれは、私たちが対象としてある在り方. としての人間」. ヽヽ. に最高度になることができると明言する。そうであ. のなかに現われている、と考えられている (cf.,ibid.,86[175])‑. すべてに共通した特徴であ‑、その意味でそれは'すべての人間に. ても)余すところな‑定義できるとみなされた‑はない」 (ibid.㌫. 避難者や亡命者や移住者として. る以上、彼のサレンダーへの探究を導いているのは第三に'「私は、. とって「普遍的」な特徴である (ibid.,37[99])tと同時に'あるい. [39])という、自らの体験に根ざした彼自身の根本的な性向である. われわれ人間は誰もが主観である。したがってそれは、われわれ. はそれに加えて、それはまた'「もっぱら人間的な」特徴である。そ. といってよいだろう。この性向は'彼が後に'「アメリカ社会学」の. (あるいは他のどのような役割とし. うである以上、それはまた人間の「本質」でもある (ibid.,71[152])‑. 手法を用いて行った自らのコミュニティ研究を振り返りながらこう. ルフによれば ‑ あ‑までひとつの潜在性としてそうであるに過ぎ. 私は'日常生活世界か科学の世界にとどまり続けている‑‑私は全. る。私は'それらの要素にサレンダーしているわけではない。‑‑. 懐述していることのなかに現われている。「私は対象に焦点をあて. ない。彼は自らの「体験」を踏まえてこう述べている。「私が自分の. 体性をもって関与しているわけではな‑‑‑私が〝一体化″ してい. ふたたびヴオ. ヴオルフはこう主張する。. ただし'私がその意味での「人間」であるのは. もっている既成観念や文化や社会性を最高度に停止することができ、. るのは‑‑人間的なものに対してではな‑、むしろ私の研究主題や. ヽ. 私が潜在的にそうである人間に最高度になることができるのは'サ. 理論に対してなのである。‑‑私は'丸ごと一人の研究する人間で. ヽ. レンダーにおいてである」(ibid.,38[99])'それゆえ「サレンダー・. あるわけではないし'また一人の人間や複数の人間たちを丸ごと研. ヽ. キャッチを通してのみ、人間をその本質において正当に取‑扱うこ. 究しているわけでもない」 (ibid.,71[151‑152])'ヴォルフがサレン ヽヽ. とができる」(ibid.,71[152])。これは、議論を積み上げた上での結論. ダーを探究するなかで目指しているのは'自らが「主観」「独自の個. ヽ. ではな‑、むしろヴオルフの信念といってよい。実際'彼は、既成. 人」という意味での人間として立ち現われることであり、同時に. ヽ. 観念をことごと‑停止しょうとするサレンダーにあっても、「サレ. 「主観」「独自の個人」という意味での人間としての他者に接近する. ヽ. ンダーは可能であるという信念」と「既成観念の停止がわれわれを.

(7) ヽ. ヽ. ことである。 ヽ. 理あるいは知識」と「美的、哲学的'絶対的、実存的真理あるいは. が ‑ ヴオルフは主観としての人間に対して絶対的な信頼を寄せて. いるか、それとも、その時点での科学の成果によって確証されてい. 「吟味することな‑(伝統や権利や便利さによって)受け容れられて. 知識」がそれである。彼によれば'前者は「日常生活世界」に属し、. いるという点を、彼のサレンダー探究を導いている基本的見解のひ. る、またはそれと両立している'あるいはそれと矛盾しないt. 第四に ‑ 直前で確認したことのひとつの系といってよいと思う. とつとしてあげておかねばなるまい。「個人は'私的な個人と公的な. いった理由で受け容れられている」 のであり、そうした真理や知識. ヽヽ. 個人、家族のメンバーと市民‑‑といったように引き裂かれている。. には、「相対的、約定的、常識的、仮説的、事実的、そしてとりわけ. とをはっき‑と理解し確認することによって、伝統的な方向づけと. 泉として残されているのは理論的にも実践的にも自己だけであるこ. 「人間主観」が'そしてまた、「サレンダー・キャッチは、真理の源. ける唯一の希望は人間主観である」 (ibid.,85[174])という場合の. ダーについての議論を展開するヴォルフが、「われわれの危機にお. こうした知識・真理の二分法が'「複合的現象としての人間」のもつ. た属性がひとつまたは複数伴っている (ibid.,113,125[223,241])‑. 独自‑普遍的、それゆえにまたとりわけ重要な相互主観的」といっ. あり、それには、「絶対的、実践的'芸術的'哲学的'宗教的'美的、. 「サレンダーすることのなかではじめて獲得でき検査される」ので. る。それに対して後者の真理・知識は「還元された領域」 に属し、. と. それに対してサレンダーにあっては、個人は全体としてそこに含ま. それに基づ‑諸制度のもつ問題的であるという性格を真剣に取‑あ. 二つの位相に対応していること'そしてヴォルフが自ら明言してい. れている」 (ibid.,40[103],cf.,198[361‑362])と語るなかでサレン 重要な‑‑相互客観的」といった述語がひとつまたは複数伴ってい. げる」(ibid.,63[139])という場合の「自己」が'類型化された個人. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. は、「今日にあってもなお重要性をもっている社会学と社会学の歴. ヽ. 見解として、彼の科学観、と‑わけ社会学観を確認しておこう。彼. 最後に'ヴォルフのサレンダー探究を導いている六番目の基本的. (7). るように (ibid.,113[223])、彼が目指しているのは後者の実存的知. ヽ. ヽ. と対比される「包括的な自己」としての独自な個人、もっぱら人間. ヽ. ヽ. 識・真理であることは言うまでもなかろう。. ヽ. ヽ. 的な特性のみによって特徴づけられる「主観としての人間」(ヴオル フのいう「超越論的主観」)であることは、もはや説明するまでもあ るまい。 ヽヽ. ヽ. 第五に'それと関連して、ヴオルフのサレンダーをめぐる議論を ヽ. 史は、〟良き社会への献身″によって‑‑特徴づけられる」 (ibid., ヽ. 導いている彼の真理観、知識観を確認しておこう。彼は'知識ない. 185[342])と語っている.これは、直接的には社会学の存在理由に. 一二二. し真理を二つに区別している。「科学的'常識的'観察的'理論的真 危機と人間主観.

(8) 学的営為の方向性をも同時に語っていると考えてよいだろう。彼の. ついて述べたものであるが、こう述べることによって彼は、自らの. 既成観念を停止する人のうちのいかなる人がいかなる時にサレン. サレンダーをするわけではないということ'しかも危機にある人や. にある人なら誰もが'あるいは既成観念を停止する人なら誰もが'. 一一四. 学的関心もまたはっきりと'「社会を改善することへの関心」(ibid.,. ダーするかは予測不可能であるということ'すなわち危機も既成観. もとより、サレンダーが生じるための十分条件を特定することそれ. 念の停止も'ともにサレンダーが生じるための十分条件でないのは. ヽヽ. 87[177]) によって支えられているということである.. [3] 若干の批判的考察. 自体がそもそも不可能であるということ、これが、サレンダーとそ. ルフは'サレンダーが生じる契機に関して、具体的に危機(あるい. 因‑結果の関係にないのはもとより、両者の間にパターン化された. ある。ここで言われているサレンダーの諸契機とサレンダーは、原. の契機に関するヴォルフの二系列の言明が意味していることなので. は極限状況) と既成観念の停止という二つの事情を一方で指摘しな. 関係は存在しないということである。. 私は先に、ひとつの問いを提起したままで放置しておいた。ヴオ. がら、他方、「サレンダーは予測できない。ある契機やある類型の契. の間の矛盾はいまだ完全には解消されていない。危機、極限状況'. ただし'話をここでやめれば'上記の第一系列と第二系列の言明. 機になり得る」と述べているが'この二系列の言明は矛盾している. 既成観念の停止が'サレンダーの十分条件ではないにしても、少な. 機にサレンダーを帰することはできない。何でもがサレンダーの契. のではなかろうかt という問いであった。. は、表面上そう見えるだけである。まず'サレンダーそれ自体は予. もしも危機や極限状況を'何か客観的な指標によって同定可能な. り得る」というのは'それと矛盾しているように見えるからである。. ‑ともその必要条件であるなら、「何でもがサレンダーの契機にな. 測不可能であるという言明と'サレンダーの契機として危機と既成. 特定の布置連関から直接引き起こされると考える場合には'たしか. 一見すると、両者の言明は矛盾しているように見える.だがそれ. 観念の停止をあげることとの間に横たわっているかに見える矛盾に. に、この二つの言明は矛盾していると言わざるを得ない。その場合 ヽ. 関して言えば'第一系列の言明において、危機と既成観念の停止は' ヽ. には、何でもがサレンダーの契機にな‑得るとは言えな‑なるから. ヽ. サレンダーが生じるための必要条件としてあげられているに過ぎな. である。そしてヴォルフは実際'彼がこだわる「前例のない危機」. ヽ. いと考えれば、その矛盾は即座に解消するだろう。サレンダーの前. という自らの時代診断について語る際には、そうした文脈で危機に. ヽヽ. 提には危機と既成観念の停止という事情が必ずあるけれども'危機.

(9) 類の存在と人類の住むこの地球という惑星とを瞬間的に消滅させる. ついて語っている。彼が語っている「前例のなさ」は、「われわれ人. れをあらかじめ特定することはできず'またいかなる出来事でもそ. 生じて‑る、ただし、いかなる出来事がそれらを引き起こすか、そ. うことになる。サレンダーは危機'極限状況、既成観念の停止から. I x . /. だけの知識と能力」とを人類が手にしているという客観的事実と直. れらを引き起こし得る、というわけである。. もしそうであるなら'サレンダーそれ自体の予測不可能性と何で. 接'結びついているからである。「前例のない危機」とは、そうした テクノロジーの無制限な発達によって引き起こされた危機を意味し. 論じることはない。危機を、「既成観念によってはもはや対処するこ. 的事実を背景にそこから生じて‑る危機や既成観念の停止について. 関連で危機と既成観念の停止について語る場合には'そうした客観. とはおろか、予想することさえも不可能であるという、そうした意. レンダーが生じて‑るのか'これらのことをあらかじめ確定するこ. を契機に危機が生じて‑るのか、いつ、何を契機にその危機からサ. 伴っている欠陥であるとは必ずしも言えないことになる。いつ、何. もがサレンダーの契機にな‑得るという、サレンダーの成立に関わ. とが出来ない状況」として語‑、「われわれの伝統的、習慣的、慣習. 味での暖昧さは、ヴオルフがサレンダーに関する議論のなかで、人. ているのである (ibid.,68,115,134,192[149,225,259,351])。. 的な方法が役立たな‑なるという事態は、いかなる時にでも生じて. 間の意識は外界の出来事との間で因果律に基づいて変化するわけで. る暖昧さに由来する議論の暖昧さは、サレンダーの構想それ自体に. ‑る」と語るヴオルフにとっては、何でもが危機や既成観念の停止. はないこと、むしろ外界の出来事と意識の変化の間には、その両者. だが、ヴオルフは、サレンダーという体験が生じて‑ることとの. の契機にな‑得るし、また何がそうした契機になるかは ‑ 彼自身、 「個人ごとに様々であ‑得. を関連づける「変換の公式」 (Schutz,1945,232[41]) は存在してい ‑. はっきりとそう述べているように. サレンダーをめぐるヴオルフの議論には、単線的で透明な議論に. ないということ、こうした事情に誠実に眼を向けたことの現われで. ある人にとっては'また別の事情のもとではそうはみなされない。. 慣れ親しんでいる眼からすれば、彼の議論に内在している混乱とも. る」のである (ibid.,73,120[155,234])。同一の客観的布置連関も、. トマスの公理になぞらえて言えば、或る状況は'或る人がそれを危. 映りかねないこの種の暖昧さが付きまとっている。同種の暖昧さが. あると思えるからである。. 機とみなす限りで、それは危機である。もしそうであるなら、危機. 付きまとっているように見える'彼の議論の根幹に関わる論点をも. ある人にとっては'またある事情のもとでは危機とみなされ、別の. と既成観念の停止をサレンダーの必要条件としたうえで、何でもが. うひとつ取‑上げよう。彼がサレンダーを特徴づけようと試みてい. 一一五. サレンダーの契機になり得るということには'何の矛盾もないとい 危機と人間主観.

(10) る議論である。 ヽ. 一二ハ. いる。彼は、先に確認しておいたように、「私が潜在的にそうである. 人間に最高度になることができるのはサレンダーにおいてである」. と述べ、「社会的なものの背後に[真の]人間が存在している」とす. 先に指摘しておいたように'彼は、サレンダーしている人の特徴. を述べながら'サレンダーという体験を特徴づけようとしていた。. ら述べている。自らのもっている既成観念を停止していない人は、. ヽヽ. だが、そのような議論が可能であるためには、あるひとつの想定が. ヽ. ただ潜在的にのみ「人間」であるに過ぎない 「社会的存在」であり. ヽ. 前提されていなければならない。ある体験と'その体験をしている. ヽ. ‑ 彼は実際、「社会的なもの」と「人間的なもの」とをはつき‑区. ヽ. 人とは、1万が他方を丸ごと (fully)反映している、1万の中に他. ヽ. 別している (cf.,Wolff,1995,37f.[98f.]) 、その「人間」として. ヽ. 方が丸ごと映し出されている、一方を離れて他方はあ‑えず、その. ヽ. の 「本質」は社会的なものの背後に隠されている、というわけであ. ヽ. 意味で一方は他方が存在するための構成的条件であり'したがって. ‑、それゆえにまた'両者はそれぞれ他から独立して存在している. り強制のもとにある人は、「単に生を過ごし、単に作用する」だけで. 我なし」 {Noncogito,ergononsum)を導き出す彼は、習慣に従った. 両者は相互反映的な関係(reflexiverelation) にあるという想定であ る.「我思うゆえに我あ‑」{Cogito,ergosum)から「我思わざれば. 別のものとして切り離して考えることは出来ないという想定である。 こ. ヽ. ヽ. あって、語の厳密な意味では 「存在して」 いない、あるいは 「対象 ‑. ヽ. ヴオルフは1彼自身がそれを明言しているわけではないが. ヽ. として存在している」 (ibid.,146‑147[2781])というのである.. ヽ. うした想定にたっていたからこそ'サレンダーという体験を、その. ヽ. 人間を、もっぱら人間的な特性と没人間的特性とからなる複合的. ヽ. サレンダーを成り立たせる既成観念の停止を、認識的ではな‑実存. ヽヽ. 現象と捉え、しかも、前者の特性を人間の本質とみなすと同時に'. ヽ. 体験をしている人の特徴を列挙することによって特徴づけようとし たのだろう。 以上のような複線的な議論が展開されていることに由来する暖昧. ヽ. ヽ. 的である(cf.,ibid.,121[235])と主張することによって'サレンダー. ヽ. さは'単なる見かけ上の暖昧さに過ぎず'それはサレンダーそれ自. ヽ. のうちにある、もっぱら人間的な特性によって特徴づけられる人間 ヽ. 体の生起に関わる議論の暖昧さと同様、彼の議論の欠陥でないどこ. の自己を包括的な自己であると言い切るヴオルフにあっては、まさ. しくそうであるがゆえに'サレンダーしている人の体験に関しての. ヽ. ろか、逆に評価して然るべき点であると私には思える。 だが奇妙なことに、ヴォルフがきわめて正当な ‑ と私には思え. ヽ. み'その体験の特徴を語ることがその自己の特徴を語ることになる. ヽ. るのだが ‑ そうした想定にたって議論を展開しているのは'サレ. と考えたのだろう。その体験は、包括的自己と一体化した「異なる. ヽ. ンダーという体験とその体験をしている人についてだけに限られて.

(11) 意識」(ibid.,35[95])によって導かれたものだからである.それに対. 「思い出させて‑れる」という限りにおいてである。ただし'そこで. ヽ. の既成観念の停止は認識的なものへと変化している。と同時に'「全. ヽ. して、没人間的特性によって特徴づけられる「社会的存在」 (ibid.,. ヽ. 体的自己‑部分的自己」といった区別は消滅し'意識の在り方を. ). 104[206]) としての 「人間」 に関しては、そうはいかない。彼/彼. 9. 「虚偽意識‑真なる意識」といった二分法で語る語‑方もその根拠. (. 女たちの自己は社会化によって欺かれ操作されると同時に、父親'. ヽ. を失い、一人の人間が様々な役割を担っていることが、即座に「分. ヽ. 市民‑‑といったように部分化され客体化され類型化されることに. ヽ. 裂」していることにはならな‑な‑'人間や諸事物の「本質的な在. ヽ. よって「引き裂かれている」。そうである以上、たとえば父親という. ヽ. り方」とか「純粋な人間」(Wolff/Mandel,1985,68)といった想定 ヽ. 類型へと客体化された部分的自己をもってなされる「歪められた」. 理念のなかでなら生き残れるだろうが1体験のなかではそ. ヽ. は. ‑. (cf.,ibid.,38[100])体験の特徴を'そのまま'その当の主観として. の出番を失う。. だがヴオルフは'現象学的エポケーが認識的であることを批判し. この 「実存的」 であるという特徴は'彼が唱導するサレンダーに. ヽ. の人間の特徴であるというわけにはいかない、というのだろう。彼 はこう述べている。「彼ないし彼女自身をある役割と完全に一体化. ヴオルフの立論に導かれながら措いてみた以上のストーリーを、. とってきわめて重要である。しかし奇妙なことに'彼は、この概念. ヽ. 私も、ある限定をつけてなら部分的に受け容れることができる。そ. が何を意味しているかについて主題的には何も語っていない。だが、. ヽ. ながら、自らのサレンダーを成り立たせる「既成観念の停止」は認. れは、たとえば「サレンダー・キャッチは、われわれ自身が余すと. 彼の論述の断片から判断して、そこで言われている実存的とは'サ. ヽ. させる意識‑‑は偽りである。実際、そのように一体化する人など、. 識的である必要はな‑、むしろそれが実存的である点にこそ'その. ころな‑社会的である[既成の類型によってそのすべてが規定され. レンダーが、フッサールの現象学的還元から排除された 「個人の条. ヽ. ほとんどいない」 (ibid.,35[95])。そのような意識のことを、彼は. 優れた特徴があることを強調する。. 尽‑している]わけではな‑'理性と創意を授けられた存在である. 件、様態、気分'つまり個人の情動的な状態」をも視野に入れよう. ヽ. 「誠実な虚偽意識」と呼んでいる。. [既成の類型から自らの理性と創意で脱出することも可能である]. ことを思い出させて‑れる」 (ibid.,104[206])という限‑でのこと と試みること (Wolff,1995,147[ ⁚Wolff/Mandel,1985,67)、そ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. れゆえ認識を感情に結びつけようと試みること (Bakan,1993,343) ヽ. である。より端的に言えば'サレンダーという既成観念の停止を. を意味するに留まっていないことは確かである。サレンダーを生じ. 一一七. 伴った体験が、われわれが伝統のなかに全身浸かっていたことを 危機と人間主観.

(12) ない本当のあなたを知ることができるのか否か」 (Wolff,1995,180. 一一八. させる既成観念の停止とは、単に意味の構成を「先入見なしに、現. [334]強調は筆者)といった問いは'実際の体験のレベルに定位した. ヽ. われるがままに見る」ための方法であるに留まっていない。彼が唱. 場合に'はたして成‑立つのだろうか。そこでは'類型という概念. ヽ. 道する既成観念の停止とは、さらにそれを超えて、「複合的現象」の. があま‑にも狭‑'また固定的に捉えられすぎてはいないだろうか。. ヽ. 二つの位相のうちの'もっぱら人間的な特性によって規定された. むしろ実際の体験にあっては、われわれは対象をいつもすでに「〜. として」、すなわち類型として、捉えているのではなかろうか。ただ. ヽ. ヽ本 ヽ質」に接近するための'そしてそれに成るための手段であ‑、さ 「. し、そこでの 「〜」は、いまここで、私との関係のなかで構成され. ヽ. ヽヽ ら に は 「 新 た な 意 味 の 創 造 」 に 実際に関わるための手段なのである (1 0) (cf.,Backhaus,2003,318‑319)c. 続けるものであ‑'そしてその私はといえば、同じ‑いまここで'. ヽ. ヴオルフのいう実存的とは、彼が「単に作用すること」の対極に. さらに翻って、われわれ人間が「複合的現象」 であることを受け. と思うが。. 位置づけている「存在すること」(ci,Wolff,1995,47[113])そ と結 のび 対象との関係のなかで構成され続けていると考えるべきである ついている。そしてそうであるがゆえに、サレンダーを成し遂げた 人間は'「本質的に人間的なもの」へと投げ返されてお‑、「包括的. 置づけられることになり、しかもそのサレンダー体験はといえば'. が目指される目標、すなわち単なる理念ではな‑、体験の領域に位. ‑主観と一体化することが要求されるサレンダーも、到達すること. によって、後者を科学的手続きによって] 正当に取り扱わねばなら. 象と共有しているコミュニティの特性の両方を [前者をサレンダー. いる、「本質的に人間的であるコミュニティの特性と、没人間的な現. がって、ヴオルフがコミュニティ研究を引き合いに出して主張して. れ象 たとしても ‑ 実際、私は彼のこの見解に同意する ‑ 、した な自己」に成っている(cf.,ibid.,198[362])。したがってまた容 、対. それは'あらゆる既成観念を停止した'その意味で「何の制約もな. ら自由になっている体験なのである。. 的なもの'あるいはこう言ってよければ認識的なものであり、した. 私は彼のこの見解に同意する ‑ 、そうした二分法はあ‑まで分析. ヽ」 ヽ体 ヽ験 ヽ(ibid.,38[100];Wolff,1977,399)であ‑、な い あい ら」 ゆる( 類 i型 bか id.,71[152])という方針を受け容れたとしても ‑ 実際'. だが'あらゆる類型をカッコに括ったうえで対象にアプローチす. がってそれは「知識・真理の二分法」 に対応するだけであって、ど. ヽ. ること、何の制約もない体験をすること'対象‑主観と一体化する. ちらか一方を実際に'すなわち存在として停止した場合には'もは. ヽ. ヽと ヽ、 ヽといったことが実際に可能なのだろうか。「わたしはあなたを こ. やわれわれ自身も当のコミュニティも存在できな‑なるのではなか. ヽ. 類型として知る以外に知ることができるのか否か。私は他の誰でも.

(13) ヽ. ヽ. ヽヽ. ろうか。もしそうであるなら'彼がサレンダーのなかではそうなっ ヽ. ていると語っているように、どちらか一方が消滅して他方が実存的. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. な地位を獲得する、すなわち経験的主観とは区別される (ヴオルフ. ヽ. の意味での)「超越論的主観」になっているといったことは、理念と ヽ. しては想定され得るとしても、実際には、すなわち体験としては考 ( 3 ). えられないのではなかろうか。. [4] 結びにかえて. サレンダー・キャッチをめぐるヴオルフの議論は、多岐にわたる. 戟略拠点をもっている。それは'認識論と方法論への展望が合意さ. れており、さらには実践論への展開も遠望されている。あるいはそ. 類似した問題意識を背景にもった現象学、知識社会学、批判理論'. う読むことが可能である。また視点を変えて言えば'自らの議論と. すなわちわれわれは、日常生活世界においてさえも'ほとんどもっ. 解釈学、理解社会学との切り結びが精力的に試みられている。それ. ヴォルフは'「シエツツは'われわれの気づいていなかったこと、. ぱら類型だけを取り扱っており、社会学者の場合には、それをただ. は、それらとの異同を精確に記述することによって'サレンダー・. そうした多岐にわたる議論を通してヴオルフが目指そうとしてい. より意識的で体系的に取り扱っているだけであるということを、わ. ヽ. キャッチの含意を明らかにしようという試みである。. ヽ. れわれに示して‑れた」(ibid.,180[334])と語っているoそして彼は' ヽ. だから両者は同じ自然的態度のうちにある、そこでサレンダーに. ヽ. Jl 九. ヽ. ヽ. ヽ. る地平とそれを支える問題意識 ‑ すでに確認しているのでここで. ヽ. よって、あらゆる類型から自由な認識に到達しなければならないと. は繰り返さないIは、それゆえ理念としてのサレンダIは、人間. ヽ. いう、シユツツの意図とは違った方向で議論を進める。だが、彼が. の生が軽んじられ、「第三者にはおよそ馬鹿げて見える三昧境」がお. ヽ. 目指す「見つめ続ける個人」としての「超越論的主観」 (cf.Lbid.﹀. よそ流行らな‑なり'「死して成れ」という「無」など一顧だにされ. ヽ. 19」f.,37ff.,67[69ff,98ff,144]) は、フッサールが構想する、あらゆ. なくなっている今日的状況のなかでは、きわめて重要なものである. ヽ. る認識を基づける構成的能作としてのそれとは異なっている。ヴオ. と思う。そして、そうした問題意識をもって展開されている彼の議. ヽ. ルフの超越論的主観は、日常生活世界を離れてそれとは別の世界、. 論は、様々な議論を巻き起こす触媒としても重要な意味をもってい. ヽ. たとえば絵画や小説、愛、記憶の世界へと入ってい‑ことによって、. ると思う。コラーディが自らの論文を締め‑くるに当たってこう述. ヽヽ. すなわち「日常的な超越」 によって実存的な位置を占めるようにな. べていることに、私も完全に同意する。ヴオルフの仕事は、「それが ヽ. る'すなわち「意味の能動的な創造者」(Backhaus,2003,319)にな ヽ. 答えているよりもはるかに多‑の問いを提起している。だが'彼の. ヽ. ヽ. ヽ. るという'正体不明の生きた人格なのである。 危機と人間主観.

(14) なさねばならないのは、まさし‑この意味においてである」(Corra‑. 思想を'果てることのない問いかけを通した知ることへの意欲とみ. と確信し、他方で、人間の本質と一致する「本当の自分」なるもの. な、いかなる制約もない経験、対象との同1化が実際に可能である. レベルに位置づけることによって、一方で'あらゆる類型から自由. 二一〇. di,1987,48)‑. サレンダー体験は実際に可能である'サレンダーする人は実際に存. を想定してしまった結果、自らの議論の限界を踏み越えてしまった。. 対象に向かう際の完全に受動的な態度が、じつは対象を能動的に捉. 在しているt と。. 翻って、サレンダーという構想それ自体に関して言えば'それは、. えることに通じているという'じつに興味深い含意を伴っている。. 断固として拒もうとする試みであると言うこともできる。彼が標梼. ば、それは、対象に向かうまなざしとその当の対象との切り離しを. れるがままに見ようとする方向性のもとにある。別の言い方をすれ. 対象にすべての含意を取‑戻させようとする'すなわち対象が現わ. ねようとする悪しき主観主義とは無縁の、いやむしろそれとは逆の'. らしばしば誤解されるような、認識する主観に認識の最終審級を委. それは'「人間主観の復権」(Wolff,1995,67[144])という彼の戦略か. に踏み込んできたこれまでの議論を踏まえながら'そして理念と体. その可能性を問うことをしなかったヴオルフにとっての禁断の領域. という信念である」 (Wolff,1995,19[69])と明言することによって、. ンダーを支えている停止できない基盤は、サレンダーは可能である. 否か'確信がもてない」(Gordon,1995,xix[30])'だが私は、「サレ. 彼のこの [サレンダー・キャッチに込めた] 企てが可能であるのか. 「序言」 のなかで控えめにこう述べている。「私はヴオルフと違って、. ヴオルフの著作に「序言」を寄せているジョイ・ゴードンはその. ( 2 ). する「人間主観の復権」とは'認識主観の復権であると同時に'主. 験との切り離しを拒否するに違いない 「もっとも深い意味での実存. ( 2 ). 主義者」 (Wagner,1970,ll) であれば異議を唱えるに違いないこと. 観としての対象の復権でもある。 だがヴオルフは'このように意義深い議論を展開しているにもか. を承知の上で'あえてこう言おう。ヴオルフが追究しっづけた「体. ヽ. かわらず、そしてまた「フッサールにとって、事象はそれが現われ. 験としてのサレンダー」はいわば極限概念であり、それは実際には. ヽ. ているように、それが現象として在るように在るのであって'その. 到達できない、と。だからこそ彼は、その後半生を賭けてサレン. ヽ. 背後に本体、すなわち物自体といったものは存在していない」. ダーについて論じ続けねばならなかった。. であるといってよいIヴオルフが'類型に関するシユツツへの言. だが、サレンダーという体験の到達不可能性は'同じ‑極限概念. ヽ. (ibid.,118[231])と正し‑指摘しているにもかかわらず、人間の本 質という事態を想定Ltもっぱら人間的な特性としての理性によっ て特徴づけられる人間を理想とし、既成観念の停止を「実存的」な.

(15) 及と同じ‑誤ってそれに言及している(Wolff,1995,180[334]) シユツツの「真正な他者理解」がそうであるのと同じように'サレ ンダーが無価値であるということを意味してはいない。それどころ か私は、先に引用した文章に続けて、「だが私はヴオルフと同じよう に、そうした試みがそれにもかかわらず必要であると確信してい る」 (Gordon,1995,xix[30])と語るゴードンに完全に同意する。 ヴオルフはキャッチについて、「キャッチは決してサレンダーを汲 み尽‑すことは出来ない。けれどもキャッチは、やり終えてしまっ た'あるいはほぼやり終えることが出来たという誘惑に屈すること. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. なく'絶えずサレンダーをキャッチしようと試みなければならな. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. い」と言っている (Wolff,1995,108[212])。だがこれは、体験・思 想としてのサレンダーにこそ当てはまる。. 註. いて論じている場合が多い。. esp.pp.22‑24.に見出すことができる.. (2) これらの特徴のそれぞれに関する簡潔な説明はt Wolff(1976)chap.4,. 述べており(Wolff,1977,397‑399)'そしてそこでの特徴づけは、本稿で確. (3) ヴオルフはある論稿のなかで'サレンダーは五つの点で根源的であると. 認してきたことと重なっている部分とそうでない部分とがある。ここでは. その異同には立ち入らないが'それらの諸含意すべてを合わせ考えてみて. も'ヴオルフのいうサレンダーの根源性は'ルディスが要求している根源. 性(Ludes,1977)には限定されないことだけは確かである.もちろん'サ. レンダー・キャッチの構想のなかには、可能性としてはルディスの要求す. る根源性への志向性も含まれてはいるが、同時にそこには'それとば逆の. 道を進む可能性も含まれている。もしサレンダーの根源性を'ルディスの. 要求する根源性のみに限定したとすれば、それは'サレンダーに含重れる. 豊かな含意を削ぎ落とすことになりかねない。. 理性の最高度の行使である」(Wolff,1995,82[169],cf.,117‑118[230])とす. (4) ヴォルフは、サレンダーは「本質的に西洋的な観念である。‑‑それは. ら述べている。サレンダーは合理的であり道徳的でもあるというこの側面. も ‑ それが西洋的であるか否かはさてお‑としても ‑、本稿の構造的. な結果であり'報酬、収穫」 (Wolff,1995,18,63[67‑68,139]) であるとい. いるのはサレンダーであり'キャッチは、サレンダーの「認識的、存在的. すればきわめて興味深いけれども'本稿での議論のトピックにはしない。. フがサレンダーをこのように特徴づけているという事実は、別の観点から. というのは'ヴオルフにとっての公準と考えてよい。したがって'ヴオル. 重要な構造的特徴である。だが、サレンダーが合理的であり道徳的である. 特徴をあげた個所では取り扱わなかったけれども'たしかにサレンダーの. う意味で二次的である。もちろん'サレンダーとキャッチとの関係を考え. (1) サレンダー・キャッチというヴオルフの概念を最も根本的に特徴づけて. ることは'社会科学方法論との関係でとりわけ重要になって‑る。しかも'. ムーンが批判の論文を書き(Moon,1993,307f.)、ヴォルフがそれに応答し. ちなみに'サレンダーが「西洋的である」というヴオルフの立論に対して'. 二二. れている」理性にある。ただし'このことに関連してひと言付け加えてお. (5) サレンダーの合理性'道徳性の根拠は、「〟正常″なすべての人に賦与さ. ている (Wolff,1993,354) ことを付け加えておこう.. ヽヽ. ンダーすること(surrender‑to)」(ibid.,37[98])とサレンダーとの関係にも. その点を考察しようとすれば'「意識的に試みることができる'何かにサレ. 踏み込まねばならない。だが'ここではそれらのことすべてを論じる余裕 はないので、まずはヴォルフの思想をもっとも端的に表わしているサレン ダーに限定して論じることにする。実際、ヴォルフもサレンダーのみにつ 危機と人間主観.

(16) 答としては、何かにサレンダーすることは適切ではない。サレンダーは'. 一二二 けば、ヴオルフは、理性はすべての人がもってお‑、したがって誰もがサ. わってい‑人間であるべきだと考えている」(Psathas,2003,287)のであれ. 政治的には利用できないという弱点をもっている (Wolff,1995,107[212])、. ば、そしてサレンダーの意義を、「新たな実存的意味を実際に生み出すこ. レンダーし得ると語っているにもかかわらず、彼のサレンダーをめぐる議. 従させようとする大人の認識的探究を放棄することな‑、学齢期前の子ど. と」に求めようとする (Backhaus,2003,313,318‑319) のであれば、ある. であるべきではな‑'むしろ世界にサレンダーすることによって政治に関. もの自然な自生性を取り戻そうとする ー シュッツの「市井の人」とは対. いはまた'「サレンダー・キャッチは、世界を〟人間のため″のものへと変. と。こうしたサレンダーの限界は'「ヴオルフは'社会学者は冷静な科学者. 照的な ‑ 知識人による試みということになる」(Wagner,1970,ll)‑ワグ. 革してい‑理性の在り方として現れて‑る」(Mackie,1981,394)のであれ. ンダー・キャッチという考えは'世界、人間へ人間の経験を知的解釈に服. ナーのこの指摘は'ヴオルフはもちろんこれに同意しないだろうが'必ず. 論をもとにワグナーが以下のように指摘しているという点である。「サレ. しも的外れとは思わない。. ば、すなわち、ヴオルフの唱道する既成観念の停止が「実存的」なもので. あるべきだとすれば、たとえ社会的関与と政治的関与を区別すべきである. (6) へラーはヴォルフのこうした時代診断に対して、今日'われわれは本当. というワグナーの提言(Wagner,1985,21‑111)を受け容れるとしても、致. ヽ. (1) ヴオルフは、ベイカンの批判(Bakan,1993,343)に答えて、超越論的主. ことになる。. 「批判」もまた、彼の議論のまさし‑「欠陥」を指摘するものであるという. ヴオルフの貢献は世界を解釈することにある」 (Ludes,1977,407)という. 命的な欠陥であるといわねばなるまい。その場合には'「世界変革に対する. に「前例のない危機」に直面しているといえるのだろうかという'考慮し. 探. てみるに値する疑問を提起している (cf.,Heller,1980,92)c. ヽ. 135,Wolff(1983),pp.40‑43,211‑212,249‑251を参照のこと.. (7) 二つの真理・知識に関してのよ‑詳細な説明は、Wolff(1976),pp.128‑. ヽ. ‑. (8) ただし、既成観念によっては対処できないことに気づ‑という過程には 〜ヴオルフはこの過程を自明なことと考えているようだけれども. 究してみるべき重要な問題が含まれている。「適切に対処できている」と思. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. ヽ. (Wolff,1993,356)cだが、彼がその同じ論稿で、「産業社会にあってはこの. ヽ. 観と経験的主観は実際には分離不可能であるという事情を指摘する ヽ. える対処の仕方も'見方によっては「適切に対処できていない」とみなす. れた手稿(Schutz,1936/1937)のなかですでに構想されていたものであっ. (Schutz,1932)のうちのひとつ、「社会的人格」の問題をテーマとして書か. 主観から超越論的主観へと変わる」(Wolff,1995,19,38[69,991)のであって'. しており」(Wolff/Mandell,1985,68)、「サレンダIのなかで個人は経験的. 能性が想定されている。実際、彼は、「経験的主観は他の多‑の動物と類似. に、そこでは、経験的主観が超越論的主観に包摂される限‑での分離不可. シエツツの多元的現実論は、﹃意味構成﹄を引き継ぐ三つの課題. たこと'そしてそれは'人は様々な現実領域を同時に生き、い‑つかの領. 二つの部分は甚だし‑分裂している」と語っていることから明らかなよう. ことが可能だからである。これは、問題状況の構成に関わる問いである。. 域のなかで行為しながら、それでも分裂することはないという事情を、人. 「超越論的主観は、もはや‑‑複合的現象ではない」(ibid.,147[280])と述. (9). 間の本質といった「アルキメデスの点」を導入することな‑説明すること. 彼は自らのある著作に「人間主観の復権」という副題をつけている ( w o l f f , 1 9 9 1 ) ‑. (2). べている。. ヴォルフはサレンダーの限界について自らこう述べている。飢餓、衣服. はいかにして可能かという問いに導かれたものであったことを思い出そう。 (S). や住居や薬の欠如といった没人間的な諸特性から生じて‑る諸問題への応.

(17) る‑主観と作用する‑主観‑‑の区別に気づいている主観である」. (2) ヴオルフは'彼が復権を目指している主観とは「存在と作用の区別、在. ch,vo1.5,pp.533‑576.(引用はCollectedPaper,vo1.2 渡部・那須・西原訳. Schutz,A.(1945)"OnMultipleRealities, "PhilosophyandPhenomenologicalResear‑. ﹃シュッツ著作集﹄第二巻、マルジユ社、一九八五年]による). Wagner,H.R.(1970)"BookReviewstoKurtH.Wolff'sSurrenderandCatch"Phe‑. ヽヽ. (Wolff,1995,146‑147[279])と述べている。この定式が、「作用する主観で. はな‑存在する主観」でない限り'私もこれに同意する。. Wagner,H.R.(1985)unpublishedtypemanuscript,chapter12,pp.96⊥26.. TransactionPublishers.. Wolff,K.H.(1991)SurvivalandSociology:VindicatingtheHumanSubject,London⁚. H.Wolff, "Kairos,vo1.1ふ,pp.62‑71.. W o l f f , K . H . , M a n d e l l , A . ( 1 9 8 5 ) " S u r r e n d e r ‑ a n d ‑ C a t c h : A C o n v e r s a t i o n w i t h K u r t. opment,UniversityPressofAmerica.. W o l f f , K . H . ( 1 9 8 3 ) B e y o n d t h e S o c i o l o g y o f K n o w l e d g e : A n l n t r o d u c t i o n a n d a D e v e 1 ‑. 10gicalAnalysis,vo1.38ふ,pp.397‑401.. W o l f f , K . H . ( 1 9 7 7 ) " T o w a r d U n d e r s t a n d i n g t h e R a d i c a l n e s s o f S u r r e n d e r ," S o c i o ‑. B o s t o n ⁚ D . R e i d e ‑ P u b ‑ i s h i n g C o m p a n Y. Wolff,K.H.(1976)SurrenderandCatch:ExperienceandlnquiryToday,Dortrecht\. nomenohgicalSociologyNewsletter,vo1.6‑2,pp.10‑13.. 引用・指示文献 Backhaus,G.(2003)"VindicationoftheHumanandSocialScienceofKurtH. W o l f f ," H u m a n S t u d i e s , v o 1 . 2 8 , p p . 3 0 9 ‑ 3 3 5 . Bakan,M.(1993)"AboutSurvivalandSociology"HumanStudies,16,pp.341‑︺52. C o r r a d i , C . ( 1 9 8 7 ) " S u r r e n d e r ‑ C a t c h : T h e C o n t r i b u t i o n o f K u r t H . W o l f f t o t h e EpistemologyofQualitativeAnalysis,"PhilosophyandSocialCriticism,vo1.12‑ 1,pp.31‑50.. Gordon,J.(1995)"Introduction,"inKurtH.Wolff,TransformationintheWriting, pp.xm‑xix.. H e l l e r , A . ( 1 9 8 0 ) " T h e E x i s t e n t i a l S o c i o l o g y o f K u r t H . W o l f f : A S t u d y o f t h e C a t e ‑. goriesofSurrenderandCatch,"ThePhilosophicalForum,vo1.12‑1,pp.82‑94.. 川・伊藤・矢部訳﹃危機と人間主観﹄ マルジユ社'二〇〇〇年]. Dordrecht\Boston/London:KluwerAcademicPublishers 那須・薄井こ戸. Wolff,K.H.(1995)TransformationintheWriting:ACaseofSurrender‑and‑Catch,. vo1.16,pp.353‑357.. Ludes,P.(1977)"TheRadicalnessofSurrender!ReflectionsonaSignificantCon W ‑ o l f f , K . H . ( 1 9 9 3 ) " A F i r s t R e s p o n s e t o t h e P r e c e d i n g E s s a y s ," H u m a n S t u d i e s , cept,"SociologicalAnalysis,vo1.38‑4,pp.402ム08. Mackie,F.(1981)''ASociologyofSurvival?"HumanStudies,vo1.4,pp.391‑396. Moon,S.(1993)"EurocentricElementsintheldeaof'Surrender‑and‑Catch'," H u m a n S t u d i e s , v o 1 . 1 6 , p p . 3 0 5 ‑ 3 1 7 . P s a t h a s , G . ( 2 0 0 3 ) " K u r t H . W o l f f : A B r i e f B i o g r a p h y ," H u m a n S t u d i e s , v o 1 . 2 6 , pp.285‑291.. 会的世界の意味構成﹄木鐸社、一九八二年]. Schutz,A.(1932)DersinnhafteAufbaudersozialenWelt,Springer.佐藤嘉l訳﹃社. tinEndress,IliaSrubar(hersg),AlfredSchtitzWerkausgabe,Bd.V‑1,Theorie. Schutz,A.(1936/1937)"DasProblemderPersonlitatinderSozialwelt, "inMar‑. derLebensweltl,UVKVerlagsgesellschaft,SS.35‑73,95‑176.. 危機と人間主観.

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