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社会科教育における憲法学習の諸問題(1) : 国民主権と天皇制

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(1)

社会科教育 にお ける憲法学習 の諸 問

一国民主権 と天皇制一

(け 社会科教育教室 一 は じ

bに

1988年 1月19日

,昭

和天皇 の病状悪化以来

,刻

々 と報導 され るテレビを中心 とするマスコミの情 報 は多 くの国民 の注 目を集 め,600万を超 える・国民 の祈願 の記帳 もむな し く,1989年1月 7日 の崩御 に当たっては

,全

国の官公庁 を始 め多 くの会社・ 銀行 。学校等 においては弔旗 を掲揚 して哀悼・ 弔 意 をあ らわ し

,そ

れにつづ く「大喪の礼」 による「葬場殿 の儀」 には

,政

府 は国外か ら元首 を含 む 各国代表

,国

内か らは各界代表約1万名 を参列 させ

,そ

の模様 は終始テレビを通 して全国の各家庭 へ報導 された。一方

,長

崎市長 の「天皇の戦争責任」発言や

,天

皇美化・ 元首化 につなが る過剰 な 報導 に対す る声明や行動が各地 で見 られ るな ど

,天

皇 ない しは天皇制 の問題が今 日あ らためて国民 の前 に提起 され ることになったが

,教

育 の世界 において もこれ は例外で はないようである。 昭和が終 り

,時

代 は平成へ と移 ったが

,こ

れ も昭和天皇 の死去 によるもので

,天

皇 ない し天皇制 が国民生活 。社会生活の秩序 に対 して強い影響力 を有 している

1例

である。正 しい社会認識の育成 を目標 とす る社会科 はこの天皇制問題 を避 けて通 ることは出来 ないであろう。 戦後

,天

皇 は憲法上政治 に関与せず

,そ

の国事行為 は

,内

閣の助言 と承認 により行われ るものに 限定 されているが

,実

際問題 として

,外

国訪間 をはじめ各種儀式・ 集会への出席 。その他折 にぶれ ての天皇 の発言 は

,日

本 のイメージや国民のムー ドに大 きな影響力 をもってい るようである。従 っ て

,本

来 の

,正

しい象徴天皇 としての在 り方 を

,国

民一人一人が常 に意識 しておかねばな らない。 また

,こ

れ は

,教

育 において も一つの大 きな課題である。 日本国憲法前文 は「 そ もそ も国政 は

,国

民の厳粛 な信託 によるものであって

,そ

の権威 は国民 に由来 し

,そ

の権力 は国民の代表者が これ を 行使 し

,そ

の福利 は国民が これ を享受す る。 これ は人類普遍 の原理であ り

,こ

の憲法 は

,か

か る原 理 によるものである」 と述べ る。 この「国政の権威 は国民 に由来 し」 の部分が まさに国民主権 の原 理の表現 にほかな らない。 そして憲法が このような「人類普遍 の原理」 を強調す ることは

,明

治憲 法下 において

,わ

が国にのみ存 し世界 に比類がない もの とされていた ところの原理

,す

なわち「国 体」の原理 を排除 しようとした ところに

,そ

の特別 の意味があるといわなければならない。 そして, 象徴性 の原点 はそ こに見出 されなければならない。 国民 は (我々教員 を含 め

)憲

法第99条によ り憲法尊重擁護 の義務 を持つ。従 って

,憲

法の規定や 精神 に反す る天皇 ない し天皇制 の取扱いは許 されないのであるが

,象

徴天皇制 の憲法の規定 その も のが

,敗

戦 によるアメ リカの占領政策 (対ソ連政策 を含 む)・ 日本政府 の国体護持論 。国民主権論 の 哲

(2)

細川哲 :社会科教育における憲法学習の諸問題(1) 綱引の上 に妥協的産物 として結実 した もの と考 えるだけに

,抽

象性

,不

明確性

,曖

昧性 を内包 し,

1

明確な把握が困難である。 さらに

,天

皇 の問題 について は

,伝

統的歴史意識・ 民族感情 といつた心情 とも結 びつ く面がある が

,こ

の心情 は非合理的な ものであるだけに

,科

学や合理性 だけで は割 り切れない側面 を持 ってい る。 か くして

,天

皇制 の取扱いについて は

,教

育現場 において も

,も

のの見方 。考 え方 により多 くの 困難 な問題 を含 んでいると考 えるので

,そ

れ らの若干の問題 について検討考察 してみたい。 二 日標 と発 問 「国民主権主義 と天皇の地位」 は多 くの中学校社会科において

,主

として

3年

生の

1時

間の授業 の題材 となっているようであるが(もっとも一時間では少なすぎると考えるが

),中

学校社会科公民 的分野の

1教

科書①を例に,この題材について本時の目標 とな り得 るものと,それに関して考えられ る発問ないしは教師 として理解 してお くべき主な事項 。問題点等をまず例挙 してみると

,次

の如 き ものがある。 本時 目標

1.日

本国憲法 の基本原理である国民主権 と天皇 の地位・ 役割 について理解 させ る。

2.憲

法が期待す るところの民主主義的人間像 について理解 させ る。

3.主

権 は国民 自身 にあ り

,天

皇 は象徴であることを理解 させ る。

4.現

在 における天皇 の地位 を明 らかにさせ

,そ

れをふ まえた上で

,日

本国民 としての姿 をそれ ぞれ 自覚 させ る。 5。 国民主権 の思想 を発展 させ

,国

民が政治の主人公であ り

,そ

の責任 は重 い ことを理解 させ る。 6。 国民主権 の根本精神 は民主主義であることを理解 させ る。

7.民

主主義 と国民主権 とは分 けて考 えられない ものであることを理解 させ る。

8.国

民主権 の考 え方 を理解 させ

,国

民の一員 としての主体性 を育てる。

9.民

主主義 と国民主権 の思想 をぶ まえ

, 1人

の国民 としての心が まえをつかむ。 10。 現在 の天皇 の地位 と役割 を

,旧

憲法下でのそれ と比較 しなが ら理解す る。 ■

.憲

法 の期待す る民主主義的人間像 を理解す ることを通 して

,国

政の基礎である民主主義・ 国 民主権 の思想 を把握 させ る。

12.国

民主権 の意味 を具体的 に理解 させ

,そ

れが どのように憲法 に反映 されているかをわか らせ る。

13,天

皇 の地位 は主権 の存す る国民の総意 によることを理解 させ る。

14.国

民が国家 の主人公であ り

,天

皇 は象徴であることを理解 させ る。 発問事項

1.国

民主権 とはどうい うことか。

2.憲

法 の期待す る民主主義的人間像 はどんな ものか。

3.主

権 とい う用語 を最初 に使用 した人 はどこの国の誰か。

4.国

民主権 にお ける主権 とは如何 なる意味か。

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

2号 (1989) 277

5.明

治憲法時代

,主

権 は誰が持 っていたか。

6.国

家 に主権 があるとい う説 を何 というか。

7.憲

法前文 にある「 自国の主権 を維持 し」 とい う場合の主権 は如何 なる意味か。

8.選

挙 は国民 の主権 の行使 であるとはどうい うことか。

9.国

会が国権 の最高機関であることを主権 との関係で説明せ よ。 10。 新・ 旧憲法 における天皇 の地位

,機

能 の相異点 は何か。

11.象

徴 とはどうい うことか。

12.国

1人 1人

が政治の主人公であるとすれば

,ど

のような役割 を果 た し

,

どのような態度で 生活すればよいであろうか。

13.国

の政治の方向を決定す るのは誰か。

14.天

皇 と国民主権 のかかわ りを考 えてみよう。 15。 国民主権 という日本国憲法 の根本原則 は具体的 にどうい う場面であ らわれているか。

16.天

皇 はどういう行為が出来 るか。

17.国

事行為 と国政行為 とどこが違 うか。 18。 「政治の良い も悪い も国民 の責任である」 といえる根拠 は何か。 19。 天皇 の国事行為 にはどの ような ものがあるか。

20,戦

,天

皇主権か ら国民主権 に変わったのは如何なる理 由か らか。

21.明

治憲法 における天皇 の地位 の根拠 は何であったか。

22.新

憲法 における天皇の地位 の根拠 は何であるか。

23.天

皇 は国民か

,君

主か

,元

首か。

24.天

皇が国事行為以外 に象徴 として出来 る行為があるか。

25,天

皇が国政 に関す る権能 を有 しな くなったのは何故か。

26.内

閣の助言 と承認 とはどうい うことか。

27.私

達 の生活 において天皇制 はどのように影響 しているか。

28.民

主主義の理念 と照 らし合 わせて

,天

皇 の存在 をどう思 うか。 29。 現在

,我

々 は本当に政治の主人公 になっているといえるか。

30.民

主主義 をより良い ものにす る上で国民が何 をすべ きと思 うか。

31.民

主主義的行動 とはどうい う行動か。身近 な例で具体的に考 えてみよう。

32.天

皇 に対 して どんなイメー ジを持 っているか。 33。「天皇 は国民 の象徴であ り…

,こ

の地位 は

,主

権 の存す る日本 国民の総意 に基 く」と憲法第1 条 にあるが

,は

た して

,本

当に日本国民の総意か。

34.新

憲法の下 において

,天

皇が絶対化 してい く危険性があるか。 35。 天皇 は必要 と思 うか。

36.何

,天

皇 の地位 は新憲法 において も残 されたのだろう。 37。「国政 は国民 の厳粛 なる信託 による」 とはどうい うことか。 38。「 日本国の象徴 と日本国民統合 の象徴」 とはどう違 うか。

39.天

皇制 と民主主義 は両立す るか。

40.象

徴天皇 と国民主権主義 は両立調和す るか。

41.天

皇制 は日本国憲法の原則か。

42.何

,天

皇 を憲法の第

1章

,天

皇 の地位 を第1条に規定 してあるか。

(4)

細川哲 :社会科教育 における憲法学習の諸問題(1)

43.戦

後天皇制存置 の背景 はどの ような ものであったか。

44.第 2次

世界大戦 と天皇 の戦争責任 をどのように考 えるか。 45。 戦前

,天

皇 は教育上 どのように扱われたか。 46。 国民の総意で天皇制 を廃止出来 るか。

47.憲

法改正 して天皇主権 にす ることがで きるか。 また

,天

皇制 を廃止す ることが出来 るか。 48。 明治憲法で天皇が統治権 の総績者であつた とはどのような ことか。

49.明

治憲法での天皇 の大権事項 として どの ような ものがあったか。

50.戦

前 に云われた「国体護持」 における国体 とは如何なるものか。戦後 国体 は変わつたか。

51.象

徴天皇制 をどのように考 えるか。' 三 発 問 事 項 の 検 討・ 考 察 と問 題 点 以上 の発問事項の うち

,今

回 は天皇 に関す るものを中心 に

,若

干の論説紹介 をす ると共 に

,解

説・ 論評 をし

,合

せて これ らの問題点 の うちい くつかの点 について

,検

討・ 考察す ることにす る。重要 な論点である国民主権主義 と天皇制 の問題 について は

,稿

を改めて論ず ることにしたい。 〔I〕 戦後

,天

皇制存置の背景 発問事項

11,33,35,36,43,44,50は

,戦

後わが国で天皇制が象徴 として存置 され るに至 った ことに関す るものであ り

,戦

後 の天皇制 の理解 の前提 に必要な ことと考 えるので

,こ

の点 について まず解説・ 論評す ることにす る。 戦後

,わ

が国の天皇制 は昭和20年 の秋か ら昭和21年 の春 にかけて非常 な危機 にさらされていた。 極言すれば,「風前の ともしび」の状態であった と云 うことが出来 る。それが

,

どうして象徴天皇制 として存置 され ることになったかの経緯 をまず概観 し

,そ

れをとうして天皇 の象徴性 の理解 の一助 になれば と考 える。 1941年に日本 の真珠湾攻撃で始 まった太平洋戦争 は

,1945年

8月14日

,日

本が ポツダム宣言 を受 諾す ることによって終わつたが

,ア

メ リカを中心 とす る連合国 は日本か ら軍国主義 を追放 し民主化 をお し進 めるため連合国総司令部 (G.H.Q.)を設置 し

,占

領政策 を実施 した。 G.H.Q.の 占領政策 の中で最 も論議 の的 となったのは天皇制 をいかにす るか とい う問題であ り,又, わが国の終戦 に当 り

,最

後 まで固執 したのは「国体護持」の問題であった。 1945年

,広

島 。長崎 に対す る原爆投下

,さ

らにソビエ ト対 日参戦があ り

,日

本 の運命がい よい よ 切迫す るに及 んで

,一

部 の要人 たちのあいだに

,至

急ポツダム宣言 を受話 して戦争 を終結 させ るし かない とい う決意が固められ るに至 った。ただ

,こ

れ らの `終戦派″の人たちの懸念 は

,こ

の受諾 によって国体 の護持が全 うされ うるか どうか とい うことであ り

,従

って

,彼

らのあいだにおいて も, この国体 の護持 とい うことだけは絶対 の条件 として固執 されていた。 こういつた終戦派の動 きに対 して は

,そ

れ まで本土決戦 を主張 して きた統帥部 の強い抵抗があつ た。 8月 9日に開かれた最高指導者会議構成員会議 においても

,国

体護持 の絶対的条件 だけを留保 して受諾すべ きであるとの主張 と

,保

障 占領

,武

装解除及び戦犯処理 について も条件 を付す るべ し とす る軍部 の主張が対立 した。 そして

, 9日

の深夜か ら10日にかけて開かれた最高戦争指導会議 の 御前会議の席上,`聖断″が くだ り

,国

体 問題 に関す る了解付でポツダム宣言 を受諾す ることに決 ま ったのであった。

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

2号

(1989) か くして

,政

府 はポツダム宣言 を「天皇 の国家統治の大権 を変更す るの要求 を包含 し居 らざるこ との了解 の下 に受諸す」,「帝国政府 は右了解 に対 して誤 りな きを信 じ本件 に関す る明確 なる意向が 速やかに表示せ られん ことを切望す」 ることを連合国側 に申し入れた。 連合狽1の回答 は,「降伏 の時 より天皇及び 日本国政府 の国家統治の権 限 は降伏条項 の実施 の為其の 必要 と認 むる措置 を執 る連合最高司令官の制限の下 に置かるるもの とす」ること

,及

び「最終的の 日本国の政府 の形態 は『ポツダム』宣言 に遵 ひ 日本国国民の自由に表明する意思により決定せ らる べ きもの とす る」 というものであった。 この回答文 は

,天

皇 の大権 に関する日本側 の了解事項 に対 し直接 に答 えた もので はなかったため に

,抗

戦派及 び国体擁護 の強化派 を興奮 させた。 また,「日本国民 ノ自由二表明シタル意思二依 り」 「 日本 国ノ最終的ノ政治形態」が決せ られ る とい う点 について も

,こ

れ は

,日

本 の国体 を破壊 す る もので はないか

,

とい うことも問題 とされた。 しか し

,結

局14日の閣議及び最高戦争指導会議構成 員連合 の御前会議での第

2の

`聖断″によってその受話 は決定 し

,そ

の 日に終戦 の詔書が発せ られ, 翌15日の正午天皇 の終戦 の玉音放送が行 なわれたのである。 その終戦の詔書 において は「妓二国体 ヲ護持 シ得テ」 とされている。なお

, 8月

17日に発せ られ た陸海軍人 に対す る勅語 には「光栄アル国体護持 ノ為朕ハ愛二米英蘇並二重慶 卜和 ヲ塔セン トス」 とい うことばがみ られ

,ま

た 9月 5,日第88回帝国議会 における東久透総理大臣の施政方針演説で も 「ポツダム宣言ハ原則 トシテ

,天

皇 ノ国家統治 ノ大権 ヲ変更スルノ要約 ヲ包含 シ居 ラザル コ トノ了 解 ノ下二

,涙

ヲ呑 ンデ之 ヲ受諸スルニ決 シ

,裁

二大東亜戦争 ノ終戦 ヲ見ルニ至 ッタノデアッタ」 と いうことが述べ られている。それ らのことか らいって

,結

局 それ は国体 を護持 しての降伏 とされて いた ことは明 らかである。 その根本の考 え方について は

,当

時 どの程度 までつ きつめ られていたかは必ず しも明 らかでない にして も

,お

そ らくそれ は

,ポ

ツダム宣言 において「 日本 国民 ノ自由二表明セル意志二従 ヒ平和的 傾向 ヲ有 シ且責任 アル政府ガ樹立セラルルニ於 テハ」 といい

, 8月

11日の回答 において「 日本 国の 最終的の政治形態 は『ポツダム』宣言 に遵い 日本 国民 の自由に表明す る意志により決定せ らるべ き もの とす」といっているのは

,連

合国 として

,そ

れ らの変更 を強制す るもので はな く

,同

時 にまた, 現状 を支持す るもので はな く

,日

本側で決せ られ るべ きものであるとい うことを示 しただけの もの であ り

,日

本 の最終的政治形態の決定権を日本国民 に移す というところまでの積極的な意味 は認 め られない とい う見解 に立脚 した もの といって よいであろう。 戦後

,日

本国憲法の天皇制 に関 しては

,種

々の論議がかわ されているが

,そ

れについて考 えるに 当って は

,ま

,当

初 の思想 と国情 。社会的背景 か ら

,そ

の後流動 して きた世界情勢へ と目を転 じ なが ら深 く思考す ることが必要であるが

,敗

戦 とい う国の存在 の瀬戸 ぎわにおいてす ら

,日

本 の指 導者 の間で は,`国体 の護持″が最後 の一線 として死守 され ようとしていたことは興味 を引 く点の一 つである。 当時の日本側 当局者が

,そ

の護持 に執着 した「国体」とは,「万世一系の天皇が統治権 の総績者 と して

,わ

が国を統治 し

,民

族 の宗主 としての天皇 を中心 として

,国

家が成 り立 っている

Jと

い う国 家の本質

,国

格 を示 していた と考 えるが

,こ

の論理 と感情 は

,そ

の後 の憲法改正 における天皇制問 題の進展 において も

,一

つの大 きな底流 を成 していた ようである。 一方

,戦

勝国である連合国 は

,ア

メ リカを除いて全ての国が

,日

本 の天皇制存置 には消極 的であ つた。 アメ リカにおいて も

,政

府首脳 の中に早 くか ら日本 の天皇制 の廃止 を主張す る者 もあった。 例 えば

,ア

メ リカのマ ックリーシュ国務次官補 は

,ポ

ツダムに出発 しようとしていたバー ンズ国務

(6)

細川哲 :社会科教育 における憲法学習の諸問題(1) 長官あてに

,1945年

7月 6日 「 日本の無条件降伏 の解釈 について」 と題す る意見書 を提出 してい る が

,そ

の中で次 のように述べている。 「 日本 をして過去 において危険な存在 た らしめた もの

,そ

してまた我々がそれ を許せば将来 も日 本 をして危院な存在 た らしめるであろうところの ものは

,第

1に日本人 の天皇崇拝であつて これが 日本の支配 グループー軍閥一軍国主義者

,資

本家

,大

土地所有者及び官僚 の連合― に日本国民 に対 する支配 を可能 にしたわ けであ ります。アチソン氏が省議で指摘 した ように

,天

皇制 は

,時

代錯誤 的かつ封建的な制度であ り

,日

本 の時代錯誤的かつ封建 的精神 の持 ち主たちを操縦 し

,利

用す るの に

,こ

の うえな く都合良 く作 られています。 この ような制度 をそのままにしてお くことはこれが過 去 におけると同 じように将来 において も悪用 され る大 きな危険 を率 んでお ります。天皇制 の維持 に 賛成す る者が しばしばあげる理 由は

,日

本 の降伏 は天皇 のみが よ くな しうるところであるとい う理 由ですが

,こ

の理 由はさしあた りは確かに有力な理 由であ ります。 しか し

,天

皇が現在我々 に とっ て便利 な存在だ として も

,長

い将来 にわたつて考 えてみると

,今

か ら一世代先 に天皇が最大の危険 の源泉 になるか も知れないのです。ですか ら

,天

皇制 の利害 を考 える際 はそのような可能性 を も考 え合わせなければな ります まい。 この考 え方 は

,日

本人 に天皇制 を維持す ることを許せば

,今

日多 くの生命 を犠牲 にせずに済む とい う議論 にもあて はまるのであつて

,日

本 の超国家主義者 と産業的 拡張主義者が過去 において天皇制 を利用 した と同 じように

,将

来再び これを利用す るような ことが あれば

,我

々がすでに失 った生命 は無益な犠牲であつた ことにな り

,し

か も将来の新 たな戦争 にお いて再 び生命 の犠牲 を繰 り返す ことにな りましょう。」と云 って

,日

本 の天皇 を危険な存在 として早 くもその廃止 を進言 している。アメ リカ国内において も

,1945年

秋 の有名 なアメ リカのギ ャラ ップ の世論調査で は

,天

皇 の処刑 を含 め天皇制 の廃止 は

70%を

こえ

,天

皇制に対す る否定的な意見が強 かった ことが うかがわれ る。 これ は

,日

本 の天皇制 は日本軍国主義の精神的支柱 であ り

,こ

の精神的な支柱 を取 りのぞいて君 主制か ら共和制 にしなければ

,日

本 は再び軍国主義が復活す るであろうとす る危惧が強かつた為 と 考 えられ る。 しか も

,こ

の考 え方 は

,ひ

とリアメ リカのみな らず

,対

日戦争 に参加 した連合諸国に共通 した支 配的見解であつたようである。特 にソ連 。フィリピンは天皇 を戦犯 として裁判 にかけることを強 く 要請 し

,中

国 。ニ ユージーラン ド等 は戦争犯罪者名簿 の筆頭 に天皇 を掲 げている。 ドイツの憲法学者 レーブェンシュタインは「君主制」 という彼 の著書の中で ヨーロッパ にお ける 君主制 の衰退 について,「敗戦が国民 にとって

,王

朝 の周囲 によ り密接 に結集す る契機 となった以前 とはちがい

,今

日で はもはや王朝 は敗戦 を切 り抜 けることはで きない。た とえ王朝が敗戦 に責任 が ない場合です ら

,君

主制 は贖罪 山羊なのであ り

,荒

野 に追 いや られ るであろう」と論 じているカプめ, 現代 において は

,君

主 と軍事制度が密接 に結びついてい る場合 は

,君

主制 はもはや

,敗

戦 のあ とま で生 きのび得 ない ことを指摘 している。か くして天皇制 の廃止 は連合国側 において真剣 に考 え られ ていたようである。 しか し

,結

果的 に日本 に天皇制が存置 され るに至 ったのは

,い

ろい ろの紆余曲折 はあつたが

,最

終的には

,ア

メ リカの政府首脳部が天皇存置 に傾 いた為であ り

,そ

の中心 となったのは

,ス

テム ソ ン陸軍長官

,グ

ルー国務次官

,ア

チソン政治顧関等であつた と考 える。 グルー は早 くか ら

,大

統領が公式に「 もしも日本国民が欲す るな らば

,無

条件降伏 は現皇統 の廃 棄 を意味す るもので はない」 旨を明 らかにすべ きであ り

,こ

れによって 日本 の早期降伏 をもた らす ことが容易 になるであろうと確信 していた。 さらに

,神

道 における天皇崇拝 とい う面 も平和的統治

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

2号

(1989) 281

者の権威 の下 に置かれるな らば,「国家 の再建 において負債 で はな く資産 とな りうる」という趣 旨を 強調 している。 グルー はかねて「 もし日本降伏 の時が来 るならば

,天

皇 はそれ を持 ち来た らす唯― の人間である ことを深 く信 じていた」のである。その天皇制 に対する見解 は

,1944年

6月

,彼

がハルに送 った手 紙 によ く現われている。 そのなかで彼 は

,日

本 占領軍 に要求 され るのは少な くとも「 日本国民の心 理 と傾向

Jを

察 した「理知的な指導」であるといい

,天

皇制 に関 してアメ リカのいだいている「偏 見」 を警告 し

,天

皇制が将来 の 日本 の「平和的な国際協調 を理 由づ け権威づけるために利用するこ とがで きる」 ものであることを主張 している。 しか し

,彼

の従来 の天皇制支持 の主張が問題 とな り

,上

院外交委員会 の公聴会 において彼 は証言 を求め られた。 その際

,彼

,天

皇が 日本 において「安定的影響 を及 ぼ し得 る唯― の政治的要素」 であることを強調 し

,も

しこの要素 を無視す るな らば

,ア

メ リカは「人 口7000万以上 の崩壊 しかか つた社会 を無期限 に維持 し管理する重荷 を負 うことになろう」 と述べている。 1945年末の「国家神道廃上 に関す る

GHQ覚

書」とこつづ き

, 1月

1日

,天

皇 は詔書の形式 による「ネ申 格否定宣言」を行 なった。同宣言 は国家神道廃止覚書 と一体 のものであ り

,骨

子 は

GHQに

よって作 成 され

,そ

の目的 は天皇が「現人神」であること

,日

本民族が他民族 よ り「優越せ る民族 にして, ひいて世界 を支配すべ き運命 を有す」 ことを否定する点 にあった。 この宣言が出された直後

,ア

チ ソン

GHQ政

治願 間 は

,国

務長官 に書簡 を送 り「私 は天皇 は戦争犯罪人であることを確信 している」

,日

本政府 を使 って占領行政 をすすめるためには「天皇が もっ とも利用価値がある」 との判断を 示 している(0。 スチム ソン陸軍長官の主張 も

,グ

ルー と同 じ方向であ り

,彼

らが天皇制 を存置 しようとした主張 の要点 は, イ

.天

皇 の存在が 日本 の安定 に大変役立つ こと 口。天皇制 は反共の思想的拠点であ り

,社

会改革阻止の安定勢力 とな り得 ること ハ

,天

皇 の存在が治安維持能力 を持つ こと

.天

皇 を中心 とする日本国民 の団結力 は強力 なものがあ り

,こ

れ を反共 に利用す るのが有不 Uで あること ホ。天皇制 を存置す る方が

,日

本 の敗戦 を早 めることが出来 ること へ

,実

質的にはアメ リカの単独 占領 の形 を取 った占領政策 を成功 させ るためには

,天

皇 を含む日 本政府 を通 じて占領政策 を実行 させ る方が有利 であること 等々の判断によるもの と考 えられ る。 最高司令官のマ ッカーサー も

,そ

のままの天皇制の存続 に対 しては批判的ないし否定的であった アメ リカの当時の国民世論 を無視 してまで

,日

本政府の意向を汲み入れての天皇制存続 を認 めるこ とになるのであるが

,マ

ッカーサーが天皇制 の存続 を支持す るに至 った理 由は

,天

皇 の `終戦 の詔 勅″放送 の もた らした 日本 の国民への影響力 を高 く評価 して

,そ

のような日本 の国民への天皇 の精 神的権威 を占領政策 の遂行 の自らの `安全ベ ン″ として保持 しようとしたこと

,及

び国体護持 に執 着す る日本 の支配層が保守的なが らも将来 のアメ リカ と協力 しうる自由主義経済体制 を日本 に維持 する有力者である と見抜 いたか らであろうとされ る律ち か くして,この年 1月 中旬 までに

,GHQ内

部で は天皇 を戦争犯罪人容疑者か ら除外す ることをほ ぼ決定 した と考 えられ る。マ ッカーサー は 1月19日「極東国際軍事裁判所条例」 を布告 した。同条 例 は国際裁判所条例 と異な り「国家元首」 を裁 くことを規定 していない。 さらにマ ッカーサーは1

(8)

細川哲 :社会科教育における憲法学習の諸問題1) 月25日アイゼ ンハ ワー陸軍参謀長 に書簡 を送 り「過去10年間 日本 の政治的決定 に天皇が参加 した と いう特別かつ明 白な証拠 は発見 されなかった」 と述べ る一方「天皇 はすべての 日本人 を統合する象 徴である」 と

,早

くも

,の

ちの憲法第

1条

に酷似す る表現 を用いてい る°ち さらに

,1945年

9月22日「米国の初期 の対 日方針」の第

1節

に,「最高司令官ハ米国ノロ的達成 ヲ 満足二促進スル限 リニ於 テハ天皇 ヲ含ム 日本政府機関及諸機関 ヲ通 ジテ其権カ ヲ行使 スベ シ。 日本 政府ハ最高司令官 ノ指示 ノ下二国内行政事項二関 シ通常 ノ政治機能 ヲ行使 スル コ トヲ許容セラルベ シ」 として日本 の占領 に軍政 を施行せず

,占

領政策 を日本政府 を通 じて実施 させ るとい う間接 占領 方式 を採 る方針 を打 ち出 してい るが

,こ

れについては念入 りに「但書」を付 している。俣口ち,「但 シ 右方針ハ天皇又ハ 日本 ノ機関ガ降伏条項実施上最高司令官ガ政府機構又ハ人事 ノ変更 ヲ要求 シ乃至 ハ直接行動スル権利及義務 ノ下二置カルルモノ トス尚右方針ハ最高司令官 ヲシテ米国ノロ的達成 ヲ 目途 スル前進的改革 ヲ仰ヘテ天皇又ハ他 ノ日本 ノ政府機関 ヲ支持 セシムルモノニアラズ即 チ右方針 ハ現在 ノ日本統治形式 ヲ利用セン トスルモノニシテ之 ヲ支持セン トスルモノエアラズ」 として

,天

皇及ぴ 日本政府機関 を利用 しようとす るものであつて

,決

して これを支持す るもので はない ことを 明 らか にしている。従 つて

,戦

後天皇制が存続 し得たのは

,主

としてアメ リカの日本間接統治 に当 り

,天

皇及び天皇 の地位 を政治的に利用 しなが ら対 日政策 を推進 しようとした ものであると考 えら れるが

,同

時 に昭和天皇が政治的に利用 し得 るだけの充分 な資質 を有 していた ことも関係 していた もの と考 える。 その昭和天皇の非凡 の資質 の一端 をみると

,1926年

大正天皇が亡 くな り

,病

弱で政治能力 も余 り 無かった大正天皇 のあ と

,摂

政であつた皇太子裕仁があ とをつ ぎ

,昭

和 と改元 されたが

,支

配層 は 「昭和中興万機一新」 と新帝・ 昭和天皇 に期待 をよせた。新帝。昭和天皇 は並々な らぬ貴族的政治 能 力 “ )の持ち主であった と考 えられ る。 昭和天皇が善悪 の面 は別 として帝工学 の線 にそった優れて有能 な資質 と能力 を持 ち合わせた帝王 であった ことは

,随

所 に見 られ るところであるが, 2・

3指

摘すれば

,ま

ず1941年 12月 8日

,ア

ジ ア・ 太平洋の全域 を戦火 にまきこみ

,ア

ジア諸国民

2千

数百万人 の生命 を奪い

,わ

が国 も軍人・軍 属 の死者約155万人

,負

傷・ 行方不明約31万人

,一

般国民の死者約30万人

,家

屋 。家財・ 生産財等の 膨大 な被害 を発生 した太平洋戦争 を天皇 の名 において開戦 し

,天

皇 の名 の下 に日本 国の人的 。物的 資源 を総動員 。統一 して戦争 を遂行 した点 に見 ることが出来 る。 また

,1945年

の敗戦近 くには

,陸

軍550万を中心 とす る720万の大軍 を動員 し天皇の軍隊 として統帥権 を行使 し得 た点

,更

に1945年 8 月14日

,政

府 と軍主脳部が対立混迷す る中

,天

皇 の裁断 によ リポツダム宣言の受諾 を決定 し

, 8月

15日

,天

皇 のラジオ放送で戦闘 は停止 され軍隊の完全武装解除が滞 りな く行 なわれた点

,更

,こ

の昭和天皇の資質・ 能力 に着 目した占領軍総司令部が天皇 を占領政策 に利用す るのが有利 との判断 か ら

,ソ

連等の反対 を押 しきって天皇制存置の方向に踏み切 ったのを受 けて

,天

皇 は敗戦 によって 倒れることが通例 である君主制 (天皇制

)を

天皇 自身の戦争責任 の問題 をか ゝえなが ら

,天

皇告1を 存続せ しめ

,さ

らになお今 日象徴天皇制 の基盤 を確立 し得 た点等 に見 られ る能力 は

,良

し悪 しの面 は別 にして も

,並

の天皇 のよ くな し得 るところで はないであろう。 昭和天皇が好む と好 まざる とにかかわ らず

,有

していた と考 えられ るカ リスマ的存在 としての性 格 は

,そ

の政治的能力のみな らず

,そ

の容姿・ 容貌 。風格・ 音声 。更 には崩御 に当って見 られた強 靱な生命力・ あまり物 に動 じない神経 。また側近 な らびに昭和天皇 をよ く知 る者が云 うところの誠 実 さを中心 とす る人格等が相融合 して発現 していた もの と考 えられる。 いずれにして も

,戦

後 の天皇制が存続

,存

置 し得たのは

,或

る種 の好運 にも恵 まれた とは云 え,

(9)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

2号 (1989) 283

政府 の国体護持論

,昭

和天皇 の貴族的政治的資質 と

,天

皇 の地位 を間接 占領統治 に利用 しようとし たアメ リカの占領政策 によるもの と考 え られ る。 〔H〕 天皇の象徴性 発問事項 の

10,■

,12,20,22,33,38に

関 しては 〔I〕 の天皇制存置の背景 と天皇 の地位であ る象徴性 について検討する必要があろう。 上記 〔I〕 のような経緯 によって存置せ られた天皇制 は

,象

徴 としての地位 を有す ることになっ たが

,象

徴 の意味 と性格 は

,そ

の表現が抽象的であるだけに

,極

めて多義的で曖昧な面があること を払拭 し得ない。 それ は

,日

本政府及 び 日本 間接統治 占領 に主導権 を握 ったアメ リカや

,天

皇制 に 反対 のソ連 を中心 とす る勢力等 との交渉 と掛引 きの結果生 まれた妥協 の産物であったが ため と考 え られ る面がある。 その例 を1つ掲 げてみると

,1946年

2月13日

,ホ

イ ッ トニー将軍が

,マ

ッカーサー最高司令官 に 代 り

,外

務大 臣吉田茂氏 に新 しい日本国憲法草案 を手渡 した際の出来事 を記録 した「マ ッカーサー 憲法草案手渡 の際の

GHQ側

会談録」を見 る と

,そ

の中にホイ ッ トニー将軍 は次のように述べている 部分がある。 「あなた方が御存知か どうか分か りませんが

,最

高司令官 は

,天

皇 を戦犯 として取調べ るべ きだ とい う他国か らの圧力

,こ

の圧力 は次第 に強 くな りつつあ りますが

,こ

のような圧力か ら天皇 を守 ろうとい う決意 を固 く保持 しています。 これ まで最高司令官 は

,天

皇 を護 ってまい りました。それ は彼が

,そ

うす ることが正義 に合す ると考 えていたか らであ り

,今

後 も力の及ぶ限 りそ うす るであ りましょう。 しか しみなさん

,最

高司令官 といえ ども

,万

能で はあ りません。 けれ ども最高司令官 は

,こ

の新 しい憲法 の諸規定が受 け容れ られ るな らば

,実

際問題 としては

,天

皇 は安泰 になると考 えてい ます。6ち と云 って

,マ

ッカーサー は憲法草案である松本国務大臣を中心 として作成 した松本 案 に日本政府が固執す るならば

,ソ

連等 の反対 を押 し切 ってまで

,天

皇制 その ものを保 障 し得ない ことを示唆 していた。従 って

,天

皇制 を存続せ しめる為 には「象徴」 と云 う抽象的表現が必要であ つた と考 えられ るが

,そ

れだけにその意味 は曖味な面 を持つ ことにな り,「象徴」についての充分 な 理解 を困難な らしめている。 同 日

GHQ案

(マッカーサー憲法草案)を受 け取 った日本政府 は

,そ

の内容 にショックを受 けるが, 諸般 の事情か ら結局 その案 を原則的に受諸す ることを決定 し

, 2月

下旬 より日本政府案 の作成作業 を始 めることになる。 日本政府が作成 した改憲案の制憲過程で良 く知 られているものは

, 3月

2日 案→憲法改正草案要 綱 (3月 6日発表

)→

憲法改正草案 (4月17日発表

)→

帝国議会提出の帝国憲法改正案 (6月20日 提出

)で

ある。 そして

,そ

の改正案で は天皇 を「 日本国の象徴」,「日本国民統合 の象徴」 として存 置 した。 この象徴天皇制 について

,日

本国憲法 (「帝国憲法改正案」

)を

審議 した憲法会議 (第90回 帝国議会

)で

,

どのような議論がなされたであろうか。 この憲法 によって「国体」が変更 されたか どうかの論議が

,憲

法議会 における最大 の論点であっ た とい うことがで きる。特 に貴族院 には

,こ

の憲法審議のために任命 された多 くの学者議院 (南原 繁

,佐

々木惣一

,宮

沢俊義

,高

柳賢三

,我

妻栄

,高

木八尺

,浅

井清な どの諸教授

)が

議席 を占めて いた。「国体」をめ ぐる論議 は

,特

にこれ ら学者議員 と政府 との間の理論的な論争であった。 そ して この論争 には

,い

うまで もな く

,終

戦当時以来 の「国体護持」問題 の背景があったのである。 この論争 を通 じて

,政

府 は「国体不変」を主張 し

,学

者議員 はほとん ど一致 して これ を攻撃 した。

(10)

細川哲 :社会科教育 における憲法学習の諸問題(1) 政府 の「国体不変論」 とは,「国体」即 ち 日本 の根本特色 は,「われわれ国民 の心の奥深 く根 を張 つ ているところの天皇へのつなが りを以て

,い

わば天皇 をあこがれの中心 として国が成 り立 っている とい うこと」であるとし

,そ

れ はこの憲法 によって も何 ら変わ る ところはない (金森国務大 臣

)と

いうものであった。 この場合「あ こがれの中心」 とい う特異な ことばが用い られたのは

,天

皇 と国 民 との関係 を権力か ら離れた精神的な関係一元且詔書 にい う「相互 の信頼 と敬愛」一 として とらえ るとい う考 え方 を示 そうとした もの といえよう。 この意味で は

,そ

れ は

,天

皇が政治上 の権威 と精 神上 の権威 とを不可分 に併せ持 っていた とい う

,従

来 の「国体」 と同 じものではない ことは認 め ら れるだ ろう。 しか し

,こ

のような政府 の「国体」 の観念 は

,従

来一般 に考 えられていた「国体」 と は別 の観念であ り

,こ

のような発想 をとるな らば

,国

体 の不変更が主張 され るのは当然であつた。 そもそ も「国体」 なる言葉 は多義的で

,そ

の概念が不明確 なのであるが

,帝

国憲法時代 には

,少

な くとも三種 の用法があつた。第1は

,憲

法学者上杉真―

,穂

積八束 らの使用法で

,そ

れ は主権 の所 在 により生 じる国家体制上 の区別 を意味 した。第

2は

,帝

国憲法時代 の判例 における定義で

,そ

れ はさしあた り

,国

体 を変革す る目的の団体結成等 を規制 しようとした治安維持法 について述べ られ た ものであったが,「我帝国ハ万世一系 ノ天皇君臨 シ統治権 ヲ総績 シ給 フコ ト」であつた。第

3は

, 思想的・ 精神的意味での 日本の特色 をさして使用す るものであつた。憲法学的に

,上

記 の うちの ど の使用法 を とるか は別 として

,憲

法議会で は

,日

本政府 といえどもさすがに第2の意味での国体が 変更 した ことはこれ は認 めないわけにはいかなか った。ただ「国体」 とは「国の基本特色」である とす る以上

,従

来 の ような「国体」 は実 は「国体」 とい うべか らざ りしものであ り

,む

しろここで 政府が強調 したの は

,第

3の意味での国体であつた。 しか し

,仮

に政府のい うような「国の根本特 色」が不変であるとして も,「国体」 とい う文字 は従来 の意味 に限定 して用い,「国体」が変更 され た ことを率直 に承認すべ きであつたであろう。 それ にもかかわ らず

,政

府がなお旧い「国体」の語 を用い

,そ

の不変 を主張 したことの背景 には

,や

は り終戦 の際の「国体護持」の最後 の一線が

,こ

の憲法 において も

,な

お維持 されているといわなければな らなかった事情があつた とい うほか はな いだ ろう。 「国体」の問題 は

,同

時 に「象徴」 としての天皇 の地位 の問題であるともいえよう。マ ッカーサ ー草案以前 の段階 まで は

,政

府及びその与党 たる保守的諸政党 の立場 は「天皇制絶対護持」 にあっ た。その立場か らすれば

,政

府 とこれ ら諸政党 は

,

この憲法の定 める天皇制 には反対せ ざるを得 な かったはずである。 しか し

,政

府 とその与党 はこの憲法の成立 に責任 を負わざるを得 なか った。 そ のためには

,こ

の憲法の定 める天皇制 に賛意 を表す る何 らかの理 由づ けが見出されなけれ ばな らな かった。そしてその理 由を

,辛

うじて見出 し得 たのは政府が前 に述べたような国体不変論 で あつた。 その ことは

,ま

,例

えば吉田首相が「 日本主義 のデモクラシー」 を説 き

,そ

のような理解 か ら象 徴天皇制 について

,次

のように答 えることの出来 る余地がなお残 っていたのである。「一言私が申 し 上 げたい ことは

,第

1条

にある象徴 とい う文字 であ ります。 この文字 についていろい ろ御議論 もあ ります ようであ りますが

,天

皇が 日本国の象徴 であ り

,日

本国民統合の象徴 な りとい う観念であ り まして

,こ

れ は事実 と申す よりは

,今

日において は法律的事実である。例 えば君民一如 といい

,一

君万民 といい

,君

民一家 といい

,こ

れ は自然 に発生 した日本 の国家 の形態であ ります…。 日本国民 の観念 において

,日

本 国民の意識 において

,何

ものにも疑 い得 ざる事実であると思い ます。」(1946 年 6月26日 衆議院本会議) ここで は象徴天皇制が

,旧

い伝統的な「君民一如」,「一君万民」,「君民一家」 と完全 に同 じもの として説かれている。 このような「君民一如」,「一君万民」,「君民一家」 という思想 は

,ま

さに従

(11)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

2号 (1989) 285

来の「国体」 の原理 か ら流れ出た もの

,あ

るいはそれ を支 えていた伝統的な思想であった。象徴天 皇制が もしも吉田首相 におけるような理解で とらえられ るな らば

,そ

れ は旧い「国体」の原理 をそ のままに存在せ しめることともな りかねないのである。 そして右のような理解 は

,単

に吉田首相 だ けの独 自の理解であったので はな く

,そ

のような理解が

,当

時なお伝統的な天皇観か ら解放 され得 なかった政府首脳部 の中心的考 え方であった。 しかるに,日本政府 と異な り

GHQ当

局 は

,天

皇 は明治憲法 において も象徴であった とは決 して理 解 してなかった と考 えられ る。R「ち,この憲法 において創立的に天皇が象徴 とされるという

GHQの

態度 は

,第

1条

が `The Emperor shall be the symbol… ″ とされていることか らも分 るが

,こ

部分 を日本側が3月 2日 案で「標章 タル地位 ヲ保有ス」 としたのに対 し,「『保有』はmaintainで あ

,従

来のあ り方 をその まま維持す るという意味 だか ら

,天

皇 の地位 を根本的に変更 しようとす る 今度の改正の趣 旨に合わない」 とした ことや

, 4月

17日発表 の「憲法改正草案」が「・…象徴であ り

…象徴であって…」と規定 したのに対 し,「『天皇ハ 日本国ノ象徴デア リー』卜訳スルコ トハ

Emperor

being the symb01 0f the stateノ 意ニ シテ本憲法実施 卜共 二天皇 ガ国家 ノ象徴 トナル

,即

チ従来 ト

全 ク異ルモノニナル トノ意ガ出テ居 ラズ」と不満 をのべた ことで確証 されるものである171。

GHQ当

局 は

,天

皇が象徴 となったのは日本国憲法 によってであるとの理解 によるものであ り

,象

徴 をめ ぐ る天皇像 に関 して も日本政府 との皿鯖があったようである。 これ は

j象

徴 とい う概念の中味が明確 でない面か らも来 ているもの と思われ るが

,象

徴 の意味 について夏 に検討 を力日えてみたい。 象徴天皇制 は

,ア

メ リカの占領政策 (対ソ連政策 も含 め

)と

天皇制 と国民主権主義 との妥協的産 物 と考 えるが

,そ

れだけにその意味 は明確 に把握 し得 ない面がある。従って

,天

皇制護持の立場か らは象徴 の意味 を無限大 に拡大 しようとする傾向があ り

,国

民主権主義の立場か らは

,極

めて消極 的・形式的 に解釈 しようとす るものである。「象徴」 とい う言葉 は

,具

体的有形的な ものが抽象的無 形的な ものを表現す る場合 に用い られ る。国民が

,あ

る具体的有形的な ものを見て

,そ

れ を抽象的 無形的な ものの象徴 と感ず るか どうか は

,国

民の内心の受 け取 め方であって

,ま

さに社会心理的な 事実 ともいうべ きものであろう。更 に象徴 は

,い

わゆる代表概念 とはその内容 を異 にする。象徴 は, 象徴す るもの と象徴 され るもの とが異質的であって,両者 の関係 を超越的に表現す るものであるが, 代表 は

,代

表す るもの とされ るもの とが同質的であって

,両

者 の関係 を内在的 に表現するものであ る。 それ故

,代

表で は

,代

表者 の行為が被代表者 の行為 と同一視 され るのに対 し

,象

徴ではそうし た関係 は存在せず

,象

徴 たる天皇 の行為が 日本国な らびに日本国民 の行為 と法的に同一視 されるこ とイまなヤ│。 天皇の象徴性 については

,消

極的 にとらえるもの と積極的に とらえるもの とがある力部り

,ま

ず, 天皇 の象徴性 の消極面 を見 ると

, 2つ

の面が考 えられ る。1つは

,憲

法が特 に天皇 に「象徴」 とい う特異な名称 を与 えた とい うことは

,天

皇が象徴以外の もので はない とい うことを示す ものである とする面である。例 えば宮沢教授が,「日本国憲法第

1条

の主眼 は

,天

皇が国の象徴 たる役割 をもつ ことを強調す るにあるよ りは

,む

しろ

,天

皇が国の象徴 たる役割以外 の役割 をもたないことを強調 するにある

,

と考 えな くてはな らない」 と述べ られているのは

,こ

の考 え方の適例である。 この面 は

,天

皇が特 に象徴 た らしめ られた ことの意味の中に

,天

皇 の象徴性 の消極性 を見出そうとするも のである。 しか しなが ら

,い

うまで もな くこのような考 え方 は

,象

徴 その ものの意味 をどのようにとらえる か ということと無関係で はない。つまり

,天

皇が象徴 とされた とい うことは

,天

皇が象徴以外の も のとはされなかった とい うことであって

,そ

こには象徴 その ものの意味がすでに前提 されているか

(12)

細川哲 :社会科教育における憲法学習の諸問題1) らである。従 って

,天

皇が象徴 とされた ことの意味の中に

,天

皇 の象徴性 の消極面 を見出そうとす る考 え方 は

,同

時 に象徴 の観念 その ものの中にも消極性 を指摘す るのが

,天

皇 の象徴性 を消極的な もの として とらえる場合 の第二 の面である。 ところで,「象徴」とは

,機

能的にい うと象徴 され るものの意味内容が始 めにあって

,象

徴す るも のはそれ を具象化す るのに最 も適 当な もの として選 ばれた ものであるとい うところに求 めることが 出来 る。 そして何が故 にある一つの ものが象徴 として選 ばれ るか といえば

,そ

れ は複雑な要因に基 づ くものであ り

,特

に人間社会 の事象 に関す る象徴 の作用 について は

,こ

の背景 にい ろいろの複雑 な社会的 。歴史的 。思想的な事実が存在す るといわなければな らない。 しか しなが ら

,こ

れだけで は象徴 の観念 その ものの消極性 とい うことは出て こない。 そこで象徴 の観念 を夏 に突 きつめてみると

,象

徴 の機能

,即

ち象徴が象徴 たる所以 は

,象

徴が象徴 されるもの に存す る意味内容 を表現 し具体化す るところにあるとい うことにある。つ ま り

,象

徴 は所与 として の象徴 されるものに存す る意味内容 を

,あ

りのままに

,い

わば忠実 に

,何

らそれに影響 を与 えるこ とな く具体化す るものであるとい うことである。つ ま り

,天

皇が 日本国及 び日本国民統合の象徴た り得 るのは

,そ

れが 日本国及 び日本国民 の統合 をそのままに

,何

らこれ らに影響 を及ぼす ことな く して具体化するもの とされ るがためであると考 えられ る°か。 次に

,明

治憲法下 の天皇 の象徴性 と新憲法下の天皇 の象徴性 について考 えてみる と

,両

者の相違 は

,何

が故 に天皇が象徴であるとされていたか という点 にある。明治憲法下 において天皇 は

,神

勅 主義 に基づ く現人神 としての統治権 の総債者 として

,臣

民 に対 して絶対的な権威 をもつ とされてい たが故 に

,天

皇が国及び国民統治 を象徴す るとされていた。即 ちそ こで は

,天

皇が大 日本帝国 を絶 対的権威 を以て統治す るものであ り

,そ

の意味で天皇 を離れて 日本国が考 え得 られない ものであつ たが故 に

,象

徴である とされていたのである。即 ち

,明

治憲法 において天皇が象徴であるとされた のは

,天

皇の このような万能性・ 権力性 あるいは能動性 を伴いなが らであった。 ところが これに対 して

,日

本国憲法 において天皇が象徴であるとされ るのは

,こ

のような万能性 また は権力性 あるい は能動性 を伴いなが らで はな くて

,逆

に天皇 の無能力性・ 非権力性 あるい は受動性 の故 にである。 そこに日本国憲法 にお ける天皇 の象徴性 の所以があると考 えるのであ り

,ま

たそれが「象徴」の一 般観念 に合致す るものであると考 えられるのではないだろうか。 即 ち このように考 えると

,天

皇が

,あ

るい は広 く一般的にいって

,何

ものかが象徴 であるとされ ている場合 には

,そ

れが無能力的・ 非権力的 。受動的であればあるだけ

,よ

りよ く象徴であ り得 る とい うことになる(1分。 この ような考 え方が

,象

徴の観念 その ものの中に消極的な ものを見出 し

,そ

れ と結びつけつつ

,天

皇 の象徴性 を消極的な もの として とらえる考 え方である。 次に象徴性 の積極的 に機能す る面 を見 る と

,ま

ず一つには

,明

治憲法下での天皇 の象徴機能が挙 げられる。明治憲法下 の天皇 は

,そ

の万能性

,権

力性 の故 に

,積

極的 に国民 に働 きか けることがで きた。で は

,日

本国憲法下での天皇 の象徴性 についてはどうであろうか。 そもそ もあるものが象徴 とされ るのは

,そ

れが象徴すべ きものの意味内容 を具象化す るために最 も適当な もの として選 ばれ ることによってである。つ まり

,こ

こで は象徴 は象徴 され るものによっ て拘束 されることになるのである。 しか しなが ら

,以

上 は

,あ

るものが象徴 とされ るまでのことが らである。即 ち

,

このようにして

,あ

るものが一旦象徴 として選 ばれ ると

,今

度 は

,そ

れが逆 に, 象徴 され るものを拘束す る とい うことになる。つ まりそこで は

,象

徴 は象徴 され るものに対 して, 積極的な機能 を営む ことになるのである。 そして

,こ

こにある種 の問題が生 じることになる。 一般 に何 ものかが国家 の象徴 とされ る場合 において は

,そ

れ は国家や国民の一体′性・ 運命共同性

(13)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 31巻 第

2号 (1989) 287

への意識 を強化するという機能が期待 される。 しか し

,こ

の場合 には

,象

徴 され るもの としてのそ の国民の意識がすでに不動の もの として存在 してお り

,そ

れが象徴 を見 ることによって一層明 らか な もの とな り

,強

い もの となるべ きである。しか し

,こ

れに反 して

,何

ものかが国家 の象徴 とされ, それが象徴すべ き国家の理想や方向や在 り方 について

,国

民 の意識が必ず しも不動 で はな く分裂 し ついる時 は

,そ

の「象徴」 を見 る人々 は

,そ

れぞれ

,み

ずか らの欲する理想や方向 をその「象徴」 の中に見 出し

,ま

たそれによってその理想が強め られ ることを期待す るようになる。そこでは「象 徴」 は

,そ

の国における対立す る勢力 の数 だけに分裂 し

,そ

れぞれの勢力が他 の勢力 を排助す るた めにそれぞれ「象徴」の積極的機能 を利用す ることになるのである。そこでは,「象徴」の機能 は, 本来の役割 を逸脱することにな り

,ま

たその ことは「象徴」を「象徴」た らしめない ことともなる(12ち 従 って

,象

徴 の意味内容 の どこに力点 を置 くかによって

,象

徴の機能 もかな り相異 して来 ることに なる。 一般 に象徴

(Symb01)の

概念 は

,前

述 の如 く

,代

表 (Representation)の 概念 と区別 され

,代

表 は主体 自身の内容 を内在的 にあ らわす同質的なもの相互間の関係であるのに対 して

,象

徴 は実在的 他者 との関係 において超越的 にその ものをあ らわす異質的な もの相互間の関係であるといわれる181。 公法政治学会 において も

,象

徴 の概念 は

,同

じように規定 され

,そ

の社会的政治機能 は

,国

家政治 の統合 (Integration),即 ち国家構造 にお ける異質的分子 (die dispdraten Elemente)を 統一 にま で鉢接(Zusammenschweissen)す るところにあると考 えられている。)。 従 って憲法 の趣 旨は天皇 を, そのような意味 において国民 とは異質的な存在 として

,国

家 の民主政治的統治組織 の外 にお き

,そ

れに象徴 としての

,統

合機能 とを賦興 しようとい うのであ り

,更

に天皇が象徴であることは

,わ

が 国の歴史的感情的倫理的要求 としての社会的事実であるが

,憲

法の「天皇 の地位」 は単 にか ような 事実 を表示す るにとどまらず

,社

会的法的観念 として「象徴 とみなされ るべ きである」 との規範的 要求 を含 んでいるもの と解 しなけれ ばその意味 を失 うとの見方 もある。 か くして天皇 の象徴性 について は

,象

徴 の意味 と

,象

徴 の社会的政治的機能 と

,そ

の規範的要求 を理解 しなければ

,正

しい理解 は不可能で はなか ろうか。 しかるに

,こ

のことは中学校段階の生徒 にも極 めて困難 なことである。 まして小学校の児童 には不可能に近い。 このことは「天皇 の地位」 についての取扱 いを困難 にしている原因の一つであるが

,一

般 に「象徴」 という概念 は不明確であ って理解 しがたい言葉 とい うべ きである。その点については

,憲

法調査会報告書 の中に も

,そ

の様 な指摘が見 られ るのであ り

,お

よそ憲法上 の「天皇 の地位」 を表わす言葉 として「象徴」 というの は適切でないとの意見がある(1の。それは

,①

象徴 という言葉 は

,君

主または大統領 を現わす ものと して憲法上に前例のない言葉であること。②象徴 という言葉は,日本的でない外国流の言葉であ り, 日本の特殊な天皇の地位 を表わすに不適当な言葉であること。③「象徴」ということぱは

,心

理的, 精神的

,歴

史的な性格 を表わすことばであって

,天

皇の国法上の地位 を表わすことばとしては科学 的でな く

,ま

た不明確なことばであること。④「象徴」 という観念は象徴されるものと象徴するも のとが別箇の存在であることを意味するが

,日

本の歴史 と伝統においては天皇 と国民 とは一体であ るのであるか ら「象徴」 と定めることは

,こ

の一体感 を害することになること

,等

をその理由 とし て上げ,「象徴」 という言葉の代 りに次の様 に規定すべ きであるとの意見が見 られる。 即ち,「天皇 は外国に対 して日本国を代表する」とすべ きであるとするもの

,天

皇 は「天皇」の文 字のみで表わし

,そ

の地位及び機能 を明 らかにすべきであるとし

,国

家機関 としての天皇の地位 に ついては,「天皇 は日本国の首位 にあって

,日

本国を代表する」と規定すべ きであるとする意見

,こ

れは同時に

,人

としての天皇の地位 については

,日

本国の基本的性格 として,「日本国は

,天

皇を国

(14)

細川哲 :社会科教育 における憲法学習の諸問題(1) 民統合の中心 とす る民主主義 の国家である」と規定すべ きであるとす るもの,「日本国民統合 の象徴」 とあるのを「 日本国民統合の中心」 と改 め

,か

つ「天皇 は外国に対 して

,日

本国を代表す る。」と規 定すべ きである とす るもの,「日本国民統合 の象徴」 は存置す るが,「日本国の象徴」 は削除 し「天 皇 は対外的に日本国 を代表する」 とい う規定 を設 けるべ きであるとす る意見

,こ

の意見 は「象徴」 の文字 をすべて削除するもので はな く,「国民統合 の象徴」たる面 は存置すべ きであ る とす るもので ある。ただ「 日本国の象徴」 については

,こ

の表現 は対外的に元首 たることを意味す る と解するこ とがで きるが

,な

おその ことに疑義 なか らしめ

,か

つ 日本国が君主国であることを明 らかにす るた めに

,そ

れに代 えて

,上

記のような設定 を設 けるべ きであるとす るものである。勿論「天皇 の象徴 性」「象徴天皇制」を最 も妥協 とす る見解 もあるが

,そ

の中で次の意見 は問題 のある ところとして注 目されなければな らない。即 ち「天皇 の存在 は

,憲

法以前 の ことであって

,天

皇の存在 は制度で は ない。『象徴』とい う表現 は

,無

限大 に近い広 さと深 さをもつ表現であって

,あ

えて手 をつ ける必要 はない。西洋流の解釈や法律学的観点か ら『象徴』 の文字 を論議するな らば種々の論議 もあ りえよ うが

,今

日の国民的確信の上 に立 ち

,ま

た東洋流の『無』 にまた『空』 ともい うべ き無限大 に大 き く包括的な日本 の天皇の性格 に思いをいたすな らば,『象徴』の文字 は比較的無難 な文字である。即 ち『象徴』 とい う文字の内容 を日本流 に創造・充実 して行 くべ きである」 としてい るが

,こ

の見解 は「象徴」 とい う概念が必要以上 に拡大解釈 され る危険性 をはらむ ものであ り

,特

に「『象徴』とい う表現が

,無

限大 に近い広 さと深 さをもつ表現であ り,『象徴』という文字の内容 を日本流 に創造・ 充実 して行 くべ きである」 とす る点 は

,天

皇 の象徴機能 を極端 に拡大 させ

,天

皇元首化論

,天

皇権 力強化論 とな り

,明

治憲法時代 の天皇 と変 らない地位 と機能 を賦興す る根拠 ともな るので

,充

分警 戒 しなければな らない ところである。 か くの如 く,「天皇 の象徴性」 について

,各

種 の解釈や見解 のあるのは,「象徴」 とい う概念ない し言葉が不明確である為であ り,「象徴」とい うことを単 に辞書的に「抽象的無形の概念 を具体的有 形の ものでいい表わ した もの」 と説明 し

,そ

れ を天皇 の地位 に適用 して

,そ

の地位 を解説 した とこ ろで,「天皇 の地位」 について は

,児

童生徒 には

,ほ

とん ど理解す ることは困難であ る。 更 に

,児

童生徒 の理解の対象である「 日本国の象徴」 と「 日本国統合 の象徴」 とについて は

,こ

れを同 じ意味 と説明するものがあるが

,前

者 は主 として対外的に存在 を認識せ しめ る機能 をもち, 後者 は対 内的 に国民統合の姿 を各人 に意識せ しめ国家的団結の契機 となる機能 をもつ と解すべ きで ある。か くして「天皇の地位」 について は「 日本国の象徴」 として又「 日本国民統合 の象徴」 とし ての二面 を持 つ ことになるが

,ど

ち らも児童生徒 には

,そ

の理解 は困難であろう。 次に「象徴 としての天皇 の地位」 は「主権 の存す る日本国民 の総意 に基 く」 ことの理解が

,中

学 校段階で は要求せ られているが

,こ

れ も極 めて

,む

つか しい問題である。 この「主権 の存する日本 国民」とは国民主権主義 を宣言 した ものであるが,「日本国民の総意 に基 く」の理解 は極 めてむつか しいので はなか ろうか。総意 に基 くとは

,法

律上 の普通の用語例 として

,法

的根拠 を指示す るもの であ り

,英

訳文中にdёr ingという文字が当ててあるの も

,こ

の ことを意味す る。従 つて「天皇 の地 位」 は主権者 たる国民の意志 による根拠づ けによってはじめて

,象

徴 としての存在 を認容 されてい ることを意味す るものであ り

,そ

のような法的根拠 を失 えば

,天

皇の地位 は変動せ ざるを得 ない こ とになるが,「天皇 の象徴性」の法的根拠である「国民の総意」 とは何であるのか,「総意」 とは文 字通 りには全員 の意志 とい うことになるが

,日

本国民全員が天皇の象徴 としての地位 を認容 してい るとは考 え られない ことである。 これ は議会 に提案 された時の原案で は「天皇 は…象徴 であつて,

(15)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第31巻 第

2号

(1989) 289

position from the sovereign will of the geople)と なっていた。 これ を衆議院で,「・いこの地位 は,

主権 の存する日本国民の総意 に基 く」(・・・,der ing his position from the will of the people with

whom resides sovereign power)と 修正 したのであるが

,至

高の総意 (SOVereign will)力

S,主

(SOverign power)の 意味であるとすれば

,天

皇 の地位 の説明 には無理 はないが,「日本国民の総意」 となると

,極

めて無理 な説明 をしなければな らない ことになるので はなか ろうか。結局 「総意」 と は文字通 りの全員 の意志で はな く

,民

主的多数決 の原理 に従 つて

,反

対者 も一度決定 した ことには 同調 してい くとす る意味 においての「総意」 として理解せ ざるをえない ことになる。ちなみに

,明

治憲法下の天皇 の地位 の根例 は王権神授説 に基 く神勅 と解せ られ る。 以上「天皇 の地位」 については

,文

部省 の「社会科指導書」で は「天皇 は

,日

本国の象徴であ り 日本国民統合 の象徴であって

,こ

の地位 は

,主

権 の存す る日本国民 の総意 に基 くことの趣 旨を正 し く理解 させ ることが必要である。」 としている。 しか し

,象

徴 を理解 させ る為 にシンボル といいかえて も

,そ

の意味 は分 らないのであ り

,教

科書 によって は「 しるし」 として,「天皇 は

,日

本国や国民 のまとまりのしるしときめられています。」 と書かれているが,「天皇が 日本 のしるし」とは如何 なることなのか

,更

に1947年に発行 された文部 省の「新 しい憲法の はな し」 には

,象

徴 を「 きしょうだ」 と説明 されているが

,象

徴天皇が「 日本 のきしょうだ」 とは女日何 なる意味なのか

,確

かに「象徴」 とは「帽子の きしょうのような もの」 と いうのが

,児

童生徒 には理解 しやすいであろうが

,そ

れ を天皇 の「 日本 国の象徴であ り

,日

本国民 統合の象徴」にその ままあて はめて も

,全

体 として

,そ

の意味が明確 にか らないのである。「天皇が 日本国の しるしであ り

,日

本国民統合 のしるし」であ り

,ま

た「 日本国の きしょう」であると説明 して も

,充

分 その意味 を理解す ることは出来 ないであろう。更 にその意味 を「天皇 を見 ることによ って

,日

本国の姿が分 り

,日

本国民統合の姿が見 られ るのである」 と説明 して も

,天

皇 の地位 を, どれだけ理解 した ことになるであろうか。 象徴の正 しい理解 は

,小

。中学校生徒 には困難であろう。無理 に理解 させ ようとしてかえって間 違った指導 におちいっている場合 も少な くないので はないか と憂慮す るものである。従 って憲法第 1条の趣 旨を小・ 中学校 の児童生徒 に正面か ら理解 させ ようとす るよ り

,明

治憲法の天皇が統治権 の総憤者 として

,あ

らゆる国政上 の権能 を保有 し

,そ

の地位 の根拠 も天照大神 の発 した天孫降臨 の 神勅 に由来 し

,現

人神 として

,絶

対神聖不可侵 の存在であつたの と対比 して

,戦

,天

皇 の神格 は 否定 され

,あ

らゆる国政上 の権能 はな くな り

,そ

の地位 も国民の意志 によって認 められているのだ というように

,新

旧両天皇制 の最 も特徴的な相違点 を説明 し

,旧

天皇 と対比 することにより

,現

在 の天皇 の地位 を理解 させ るようにす るのが

,児

童生徒 には理解 しやすいので はなか ろうか。現在 の 「天皇の象徴制」 を如何 に説明 して もその理解 は結局

,不

明確 に終 るもの と考 えるのである。D。 〔Ⅲ〕天皇の地位 とその根拠 発問事項

21,22,23は

,天

皇 の地位の象徴性 に関連 して

,天

皇 は象徴 であると同時に君主である か

,元

首であるか

,国

民であるか ということであ り

,こ

れについて検討 している。 明治憲法 の統治権 の総憤者か ら象徴へ と大 きく地位が変化 した現行憲法下 の天皇 については

,果

して君主 といえるのか

,議

論 の存するところであ ろう。 もちろん

,今

日で は

,総

じて君主の権限が形式化 し

,君

主制 と共和制 の区別 も相対化 して きてお り

,天

皇が君主か否か

,従

って 日本国が君主国か否か を問 うこと自体

,あ

ま り意味がない とす る見 解 もある。 しか しなが ら

,今

日なお君主制 を維持 している国においては

,そ

れな りの理由が存 し, 君主 に一定 の政治的意義 を認 めていることも事実である。 この場合

,君

主制一般 のメ リッ トとして

参照

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