DOI: http://dx.doi.org/10.14947/psychono.33.24
日本基礎心理学会創設時を振り返る
大 山 正・鳥 居 修 晃・佐 藤 隆 夫
高 砂 美 樹(編集責任)
The foundation of the Japanese Psychonomic Society in retrospect
Tadasu Oyama, Shuko Torii, and Takao Sato
Miki Takasuna (Editor)
日本基礎心理学会は 1981年5月2日に開催された第 1回運営委員会ならびに第 1回総会をもって,正式に学 会創設の運びとなった。初年度に会費を納入したのは 182名であったが,ここ数年は700名超の会員数で推移 している。このように学会としては拡大しているが,創 設から30余年が過ぎた現在では,なぜこの学会が創られ たのかについて知っている者も少なくなってしまった。 学会創設30年を祝うにあたって,創設時の経緯を確認 するために座談会を行った。本稿は2014年3月29日に行 われた座談会をもとに,再構成したものである。参加者 は学会創設時に中心的な世代であった鳥居修晃(東京大 学名誉教授),大山正(元東京大学教授),佐藤隆夫(東 京大学教授)各氏であり(Figure 1参照),記録係として 高砂美樹(東京国際大学教授)が加わった。当初,鹿取 廣人(東京大学名誉教授)氏が正式メンバーであったが 当日は体調不良のため,鳥居氏が代わりをつとめた。後 日,高砂がインタビュー(鳥居氏同席)を行って,この 座談会の内容を補足した。談話の録音は2時間以上に及 んだが,適宜,不要な箇所を省略するなど,編集を行っ ている。会話の質疑を明確にするため,「?」や「(笑)」 などの記号も用いている。小見出しやカッコ書き・注記 も含めて,再構成の編集の責任は高砂にある。敬称など は原則として,参加者の発言通りにしてある。 『基礎心理学研究』創刊号をめぐって 高砂: 本日は基礎心理学会の創設時の話を中心にお聞き したいと思います。そのために,まず『基礎心理 学研究』の情報が必要だと思い,借りてきまし た。これが創刊号です。 佐藤: 創刊号ですか,それ? すごいですね。 高砂: これはたぶん金子(隆芳)先生が残されたものを 筑波で保管していて,いま綾部さんがいるのです が,彼女に最初の15巻くらい送ってもらいました。 鳥居: 私にも送ってもらいたいくらいですね。創刊号が すぐには見つからなかったので,私は現事務局に 依頼して送ってもらいました。 佐藤:(創刊号掲載の委員一覧[Table 1]を見ながら)
Copyright 2015. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Table 1.
The list of the committee members at the inaugural issue (alphabetical order). 運営委員(**運営委員長,*常任運営委員) 浅見千鶴子 藤 田 統 船 津 孝 行 原 一 雄 春 木 豊 平 井 久* 平 野 俊 二 生 澤 雅 夫 今 田 寛 石 井 巌 糸魚川直祐 金 子 隆 芳* 鹿 取 廣 人* 古 崎 敬* 前 田 恒 牧 野 達 郎 丸 山 欣 哉 松 山 義 則 水 野 欽 司 森 孝 行 本 吉 良 治 室 伏 靖 子 中 島 誠 二 木 宏 明 野 沢 晨 小 川 ** 小 野 茂 苧 阪 良 二 大 山 正 佐久間 章 佐 藤 方 哉* 関 口 茂 久 杉 本 助 男 祐 宗 省 三 高田洋一郎* 寺 岡 隆 戸 田 正 直 鳥 居 修 晃* 内 山 道 明 八 木 冕* 吉 田 俊 郎 能 見 義 博 吉 岡 一 郎 編集委員(*編集委員長) 鹿 取 廣 人 水 野 欽 司 二 木 宏 明 野 沢 晨 佐 藤 方 哉 高田洋一郎 鳥 居 修 晃 八 木 冕* 監査委員 増山英太郎 水 原 泰 介 幹 事 坂 上 貴 之 事務嘱託 久 東 光 代 松 尾 郁 子
最初は会長と書いていなくて,運営委員と書いて あるけれど…。 鳥居: 会長という名称にはしなかったのです。 佐藤: 運営委員長と言っていましたよね? 運営委員長 は誰ですか,最初は。小川先生? 鳥居: 小川さんです。 佐藤: 常任が平井さん,鹿取さん,古崎さん,金子さ ん…小川 さん二つ星,佐藤方哉さん一つ星,鳥 居修晃さん(常任運営委員の)星がついています。 八木冕さんも星だ。この頃おいくつですか,鳥居 先生? 鳥居: 私は52歳のときですかね。 大山:(佐藤氏に向かって)アメリカへ行ったのでは? 佐藤: アメリカ行って帰ってきたときです。帰ってきて ね,僕はあそこのいわゆる心理学研究室って言わ れている事務室に行ったら,あそこにテーブルが 置いてあったでしょう? そこにこう鹿取先生と 大山先生が並んで座っていて,「おお佐藤,いい ところに来た,いいところに来た,これから ちょっと慶応で運営委員会があるから,持ってい くからこれに名前をかけ」と言われて,もう無理 やり入れられたので…。 大山: だけどね,僕は1980年に東大に来たけれど,79 年くらいからこの話があった。 鳥居: ああ,そうですかね。 高砂: それが発起人ですね。 佐藤: 僕は入っていないでしょう,発起人には。 高砂: 発起人に? 佐藤: もちろん,まだ若すぎるし。 高砂: そうですか? ああ,入っていませんね。 佐藤: 創立時は会員じゃないです,アメリカにいたか ら。それで,1年後,できた直後くらいに帰って きて,無理やり入れられた(笑)。 大山: この最初の話し合いが行われる頃に僕は千葉大に いました。で,東大に来る直前だったのですが, 梅岡(義貴)さんはあまり乗り気がなかったので ね。 鳥居: 乗り気がないどころか,反対されていましたよ。 佐藤: そうですか? 大山: 梅岡さんに反対なんかできる立場じゃないし。東 大から来いと,話が始まっているときに1。 佐藤: なんで反対だったのですか? 大山: 日心に非常に執着があったのですね。 佐藤: 日心を弱める? 鳥居: ということでしょうか? むしろ,分裂するような ことはやってはいけないということでしょうかね。 佐藤: あれは誰が言い出したことなのですか? 鳥居: 誰が,というよりも,3本の旗を立てて出航しよ うとしていたのです2。 大山: そのへんは鳥居さんがよくご存じかと。 鳥居: 最初に八木先生から計画について私どもは相談を 受けました。鹿取さんと私とが呼ばれて,学会を 作りたいのですがどうですかというお話を新宿あ たりの喫茶店で承りました。それがいつだったか 私は覚えていないですね…。 佐藤: それは貴重な。 高砂: そうですね。これによると,一番最初の呼びかけ の会は1979年の9月の学士会館…。 佐藤: それはオフィシャルですね。 高砂: これはたぶん何か別の会合と一緒だったのです か? 例えば日心の折とか…。 鳥居: そんなことはないと思います。 佐藤: 学士会館の本館か分館か,わからない? 高砂: 学士会館の神田一橋のほうです。 鳥居: では本館ですね。 佐藤: 八木先生がこういうのを作ろうと,鳥居さんと鹿 取さんに言ってですか? 鳥居: いや,小川先生・苧阪先生・八木先生が発足前に どのような話し合いをしておられたか,具体的に はまったくわかりませんね3。 佐藤: あのとき,でもまだ八木さん現役ですか? 大山: 青山に移って…。 佐藤: 青山に移ったあと? 鳥居: もう東大定年後でした。 日本心理学会をめぐる不満と基礎心理学 佐藤: それで,学会を作るモチベーションは? 1 鹿取廣人氏によると,発足が決まってからは,梅岡 義貴氏は積極的に推進しようとして,シンポジウム 「基礎とは何か」を企画し実施している。 2 鹿取氏によると,八木氏が言い出したのではなく, 小川 (慶應義塾大学)・苧阪良二(京都大学・名古 屋大学)両氏とよく相談したうえでのことであろう という話である。 3 鹿取氏によると,学会の発足にあたって,苧阪良二 氏から激励のお葉書を3通いただいたという。これ は新学会を,関西地区をもう一つの拠点とした全国 規模のものにしようとする設立代表者(八木・小川・ 苧阪)の意図を端的に示すものであろう。
鳥居: それはね,ここ(創刊号)4にはオフィシャルな書 き方しかしていないけれど,心理学会が大きくな りすぎたことと関連すると思いますね。 高砂: 日心ですか? 鳥居: 日心がいろんな分科会を作り出したでしょう? ところが,いわゆる基礎分野にあたるものがな い。そこで,そういうのを作って,会員資格のレ ベルをなるべく高くしてはどうか,それには会員 資格を修士在学中か卒業以上にしてはどうか,と いうことになったと思います。 大山: うん,ここに書いてあるね。 鳥居: ええ,ここに書いてありますね。そういうハード ルを設けると,会員が減るのではないかという話 もたぶんあったと思いますけどね。しかし,とり あえずそれで発足しようとそういう話になったと 記憶しています。それで,もう1つの問題は,名 称をどうするか,です。基礎という名称5に対し ては反対がありましてね。なんで,例えば感覚と か,知覚とか,認知といった名でなくて基礎なの か,たとえば社会心理学ではどうなのかとか6。 どの分野にだって基礎があって,それから応用と いうか,それを発展させるような研究があるのだ から,今度のこの分野だけ基礎というのはおかし い,というわけです。あの件に対してはずいぶん 反対がありましたね,確か。 高砂: どのあたりからその反対は出てくるのですか? 鳥居: さあ,今すぐには思い出せません。 高砂: この設立準備会に,例えば社会心理の方とか入っ ていましたか? 大山: 末永(俊郎)先生なんか入っていたのではないで すか? 鳥居: そうですね。だから末永先生などがおられるのだ から,社会心理学はどうなのかと。 大山: もう少し古いところから言うと,行動研究会とい うのがあって,それから知覚談話会だったかな, 懇親会? 高砂: 知覚懇話会ですね。 佐藤: 知覚懇話会っていうのは関東だけですよね。 大山: 知覚コロキウムというのも年に一遍行っていたか ら。それで,僕らはそちらに熱心だった。それか ら,行動研究会っていうのはどこかに消えてし まったけれど,それは八木さんが,八木・小川両 先生が熱心だったような気がしますね。行動研究 会にどっちかが懇話会と一緒にしないかって話を されたことがありますね。 佐藤: 行動研究会? なんか異常行動研究会というのが ありましたね。 大山: それはまた関西の? 佐藤: 今田(寛)先生がやっていらした。あれもけっこ う長続きして。今は行動科学学会だったかな。 大山: 続いているのですか。それからもう1つはPsycho-nomic Societyというものがアメリカでできて…7。 鳥居: 確か,名称を基礎とするか,実験とするか,基礎 心理学会か,実験心理学会かという2つの案が結 局残ったのですね。そこで日本語の名称は,みん なが賛成してくれた方にしようとして,どちらが いいですかというアンケートを確か出したと記憶 しています。それも,多少書いてありますけど ね。 佐藤: 鳥居先生が出したのですか? 鳥居: いや,それを誰が出したかは覚えていないです ね。むろん,何人かで…。その結果,実験ではな 4 小川 「日本基礎心理学会の発会にあたって」には 「戦後,日本心理学会の規模は急速に拡大し,現在で は,会員数も百単位から千単位に膨張しました。最 早や,そこでは心理学の各領域についての学会活動 を充分に,効果的に行うことが難しくなっていると 思われます。日本の心理学界には,多くの専門の学 会がそれぞれの領域,それぞれの目的に従って誕生 しましたが,基礎領域に関する学会は今日まで組織 化されない儘でした。数年来,学会の設立を希望す る話し合いがなされていましたが,なかなか具体化 するには至りませんでした」(『基礎心理学研究』1 巻,63ページ)とある。 5 鹿取氏によると,この「基礎」という名称や概念を めぐる動きは基礎心理学会の設立前夜にあたる1980 年8月の日本心理学会にも認められたという。この ことは8 月 29 日に開催された 3 つのパネルディス カッションのうち1 つが「心理学における“基礎” とはなにか」というタイトルであることからも理解 できるだろう。パネルメンバーは梅本堯夫・鹿取廣 人・詫摩武俊,司会は梅岡義貴。 6 鹿取氏によると,社会行動の基礎研究も充分ありう るという議論をしたという記憶があり,それで末永 先生にも入会してもらったという。 7 Psychonomic Society の年会に鹿取氏は 1963 年に参加 しており,大きな情報源であったことは間違いない。 同学会は1959年に設立され,1960年から年次大会が 開催されるようになった。鹿取氏は1963年の国際心 理学会議(ワシントン DCで開催)の際に,日本で 最初のヤングサイコロジストとして参加し,約半年 の在米期間中に Psychonomic Societyの大会にも参加 している。
くて基礎のほうが多かった。そこで,基礎心理学 会にしようと。それでは英語の名称はどうしよう かということになり,いろいろ英語が並べられ たけれども,basicにするかfundamentalにするか elementalにするかなどの議論があったわけです。 佐藤: Psychonomic Societyはそのころできたわけですかね。 高砂: もう少し早いです。59年です。 大山: それでね,原一雄さんなんかが入っているでしょ う? あの人は完全にアメリカ大学育ちですか ら。 高砂: そ れ で, 誰 か 会 員 と か い ら っ し ゃ っ た か ら, Psychonomicにしたのではないかと思ったのです。 Psychonomicが最初できたときに,すでに基準が 高いですよね。PhDじゃないとだめだとか。 大山: それからね(資料を調べながら)あと割にね,意 外っていったら失礼だけど,意外な人が熱心です よ。(資料を調べる)高田(洋一郎)さんもそう。 それに牧野(達郎)さんも熱心だったね。…私は あんまり熱心じゃなかった(笑)。いまも熱心 じゃない…。 佐藤: Psychonomic Society って,何というのか,アメリ カでよく言われるのは,tenureとるのとPsycho-nomic入るのとどっちが大変か,というくらいの 言い方をされますよね。 大山: そのくらい会員になるのが大変? 佐藤: ちゃんとした論文が少なくとも5, 6本ないと正会 員にはなれないっていうようなことが言われてい ましたけどね。今はどうか知りませんけれど。ま あ,今もそれは高いわけですよね。少なくとも大 学院生以上。大学院生でも準会員で。正会員にな るのは…。 鳥居: ああ,準会員ね。基礎心もそうでしたね。 佐藤: だから大学院生が準会員ですよね。それを何とか したほうがいいかなと僕も思ったのですけれど, 結局やらなかったのですが。
大山: 日心(Japanese Psychological Association)がassociation でしょう? だから基礎心はassociationという言 葉を使わないで societyという言葉を使っている わけですよね。Psychonomic Society。で,society がいくつかあって,その上にこうassociationがあ るというような風になるといいなっていう期待が あったのですね。 鳥居: 多分,そうだと思います。 大山: 諸学会連合みたいなことになっているけれど,そ れを日心にして,そういう風にならないかと。 鳥居: そうですね,そのころからずっとそういう話が… この創刊号にも書いてありますね,小川先生のお 話として。 高砂:「学会か協会か問題」8ということですね。それが association なのか society なのか,ということで。 ところで,基礎心理学会の英語の名称も psycho-nomic という語を使うにあたって,psychology で はまずいという何かがあったのですか? 鳥居: いや,それはないですね。 佐藤: なんとなく新しい感じがして良かったのではない ですか? 鳥居: どうでしょうかね。たぶん誰かがそれを言いだし て,それにしましょうっていうことになったのだ と思います。本来は何かいろいろと頭にくっつけ て,Journal of Psychologyにしようとしたので しょうけれども,それへの異論もあって。 大山: やっぱりJapanese Psychological Associationがある
から,それの下でも上でもない形にしておきた かったのでしょうね。 鳥居: それはわかりませんね。 佐藤: 要はAPAに対するPsychonomic Societyみたいな感 じで…。 鳥居: そうなのでしょう。だからさっきも話に出ました けど,将来は,協会みたいなのがあってそれがい くつかの分科会を包括するというような…。 大山: Society っていう名前をつけたのも,そうだと。 鳥居: そういう意図だったのかと思いますよ,それで psychologyということばは使わないようにしたの ではないかと思いますけれどね。Experimental っ ていう名称にしようという主張も,ずいぶん異論 が強かったのですが,これも基礎の場合と同じで すけれどね,experimentalといっても知覚や認知 だけではないではない,どこだって experimental な研究をやっているのだから,それもおかしいと いう話になりましたね…だからこれも難航しまし たね,名称をどうするかで。 大山: ああ,そう…“基礎か,実験か”とね。 佐藤: Psychonomicを支持したのは誰だったのですか。 鳥居: さあ,誰でしたかね。覚えていないですね。 高砂: 学会そのものの設立に時代精神のようなものは働 いていなかったのでしょうか? 8 「学会か協会か問題」とは,学会の設立準備委員会に おいて議論された,「直ちに学会として発足するか, それともまず協会として発足してから機を見て学会 に移行するか」という問題のことである。
大山: だから,1つはね,やっぱり日心の……昔,戦前 の日心,基礎中心だった日心に対するノスタル ジーみたいなものがあって,それに戻したいとい うのがあるのと,日心がこういろんな領域ができ てきて,臨床とかが強くなりすぎて,強くなりす ぎたっていうのは言い方が悪いけれど,それに対 してどう対応するかと。だからね,考え方はそう 違わないのだけど,小川さんや八木さんはもう日 心はだめだと,別に作ってしまおうと。梅岡さん はなんとか日心のなかに入って戻そうというよう な考えがあったように僕は理解しましたね。で, 僕らはもっと下で,知覚懇話会や知覚コロキウム があれば,雑誌は日心,『心理学研究』でいいの ではないかって。あるいは外国の雑誌に出せばい いのではないかって。 鳥居: なるほど。 高砂: これによると,1979年に最初に設立やっています よね。ということは,つまりあの頃は国際心理学 会議9もそうですけれど,Wundtの例の1879年か ら100年たって,わりと自分たちのことを振り返 るというか,ああ,あれから100年たっているの だというので,いろんなことが起こるきっかけに なる年だったと思いましてね,個人的には。ただ まあ認知とかいろんなものも出てきて,基礎心を 作る母体になった直接のきっかけというのは何 だったのだろうかと思うと,多少,時代的なもの もあったかなと思うのです。 大山: なんだかね,日心が大きくなりすぎて,領域が増え すぎたというのが僕は一つの理由だと思うけれど, それに対する対応が人によって違って。日心を中 で改革しようという人と,もうあきらめてしまって 別に作ってしまおうという人と。ところが,国際的 な窓口ではないですよね,基礎心はがんばってみ ても。国際Psychonomic Society ってものはないか ら。どうしても国際的な活動は日心なのですね。 佐藤: 高砂さんはWundt 100年と高尚なことおっしゃる けれど,私が思うに,これがどのくらいあたって いるかは定かではありませんが,日心の執行部が 理事長はあまり表に出てこないけれど,それにコ ントロールされているような形でずっと動いてい るのに対して,八木先生が非常に不満をもってい て,理事にもなれないというようなことではない かと。それまでは割と大きな大学の偉い先生方が 理事になって,その時点の話し合いなんかで理事 長が決まってという構造があったのが変わってし まったと。というあたりで,日心は捨てて自分た ちで学会を作ったほうが早いのではないかという そういう話だということを聞いているのですが…。 大山: 領域だけでなく,大学もまあ確かに関係していた かもしれませんね。 心理学系雑誌の細分化の時代 大山: 八木さんはね,本を出すのが大好きでしたね,雑 誌を出すのがね。で,雑誌を出すということにか なり固執されていたような気がします。それで, あの(創刊号の)表紙の色も。表紙の色を赤にし たのは八木さん? 鳥居: たしか八木先生のご提案だったと思います,この 色にしようと言われたのは10。 大山: それで,動物心理学会で(表紙の色が)黒だ,赤 だという時代がありまして,動物心理学雑誌の。 八木先生が編集委員長だったころで,僕は下働き やっていた。 高砂: 動心の色は少しずつ変わっていますからね。 大山: それがね,意外なことに,固執するのですよ,あ の先生。 佐藤: 雑誌といえば,よくいまでも時々アメリカの心理 学会に行っていますけれど,何々 Journal of Psy-chologyというのが落ち始めるのが1960年からで すね。Vision Researchの創刊が1960年…11。 鳥居: そうでしたかね。 佐藤: それからたとえば僕らの世代で言うと,Perception & Psychophysics というのも,あれも Psychonomic Societyが出しているわけですけど,あれも62∼63 年12でVision Researchよりちょっと遅いくらいで すね。で Perceptionが出たのが 70 年ぐらい13で, 60年から70年ぐらいまでの間に,分野ごとの雑 誌というのがものすごく出始めたわけですね。 9 ここでいう国際心理学会議とは1980年に旧東ドイツ のライプツィヒで開催された第22回国際心理学会議 のこと。1879年から100年という意味合いの強い学 会であった。 10 鳥居修晃氏によると,この色は他の学会誌の色に比 べてよく目立つから,と八木氏が言っていたことを あとで思い出したそうである。 11 Vision Researchの創刊は正確には1961年。
12 Perception & Psychophysics の 創 刊 は 1966 年。2008 年
からはAttention, Perception & Psychophysics に誌名を 変更。
大山: うん,うん。
佐藤: それで,僕などが大学院生のころは,かろうじて American Journal of Psychologyはまだ一流雑誌だっ たですね。あれはけっこうよかったですね,昔は。 でも,今は誰も見もしない雑誌になっているわけ ですよ。逆に(Japanese) Psychological Researchも ね,雑誌名変えようと言っているのは,一つには 「なんとか of Psychology」というのがだめだから です,もう。 鳥居: 確かに,そういう流れはあるのかもしれないが…。 佐藤: それにプラス国名がついているのはもっとだめな わ け で す。Canadian と か Scandinavian と い う の は,僕などが大学院生くらいのころはまだ 1.5流 くらいでしたね。いまやもうそんなのあるのとい う雑誌になってしまっているので。だから,そう いう細分化の時代だったと思うわけです,60年 代から70年代にかけては。で,少しそれに10年 くらい遅れているわけですけれども,やっぱり日 本でも学会自体がそうなってきているわけで,国 ごとのpsychologyの演題をカバーする学会よりは 分野ごとのほうが伸びてくるという時代があった と思うわけです。 大山: なんかね,遠い親戚よりも近くの他人というのか, 心理学者同士というのは遠い親戚で,領域が近け れば心理学出身だろうと工学出身であろうと知覚 のことをやっていればいいだろうと,そういうふ うにね,動物やっていれば動物という流れがあり ますよね。でもAmerican Journal of Psychology って いうのは,そんなに下がってしまったのですかね。 佐藤: 今ダメですよ。さっきの話の続きをすると,また 今変わっているところです。だから,60年代か ら70年代ぐらいまでに,いろんな専門分野の雑 誌というのが一斉に出てきて,主流がそちらに 行ってしまったわけです。だから僕らでもVision Research と か Perception & Psychophysics と か Per-ception とか,そういうところに出すように,ま たそれの間で微妙な棲み分けができているみたい な,そういう感じになりましたけれど,最近の流 れはまたそれがもっととんでもない広い雑誌が主 流になっていて,それもインターネットオンライ ン雑誌,大山先生なんかご覧になったことあると 思いますが,いま割と人気のある雑誌といえば, たとえばPLOS ONE14とか,それからCurrent Biology
とか,結構はやっていて,psychologyではないわ けです。それはどうしてかというと,いまアメリ カでインパクトファクターというのをすごく気に するようになって,インパクトファクターの高い 雑誌に出ているほうが偉いというか,たとえば grant application 出すときに自分の書いた論文が 載っている雑誌のインパクトファクターのリスト もつけろとか,そういうことも言うようになっ て,インパクトファクターの高い雑誌に出さない といけない。そうすると,インパクトファクター というのはだいたい領域に固有の値なわけです。 だからpsychology とか psychophysics などは絶対 2 ポイントいくつぐらいより高くはなりませんよ, 本来。で,もちろん同じ状況のなかでは上下があ りますけど,結局は遺伝子とか molecular biology とかそういうのがあればインパクトファクターが 20とかいくのですけれど。結局,そういう雑誌 の人気がでるわけです。 高砂: はは…本末転倒ですね。 佐藤: だから全領域をカバーするような雑誌だと,遺伝 子から分子生物学からpsychophysicsまでみたいな 雑誌があると,そこに出せば,分野ごとのインパ クトファクターが重みづけ平均みたいになります から…。 高砂: でもScienceとかNatureというのはもともとそう いう感じですよね。 佐藤: だ か ら Science と か Nature で も, ま だ せ い ぜ い いっても20 弱ぐらいでしょう。それが例えば molecular biologyなどの雑誌に出せばもう30くら いまでいってしまいますよ。だから,そういう雑 誌が人気になっていて…だから,心理学の危機で すよ,今。 鳥居&大山: へえ,そうですかね。 佐藤: だから心理学者が心理学の雑誌に投稿したくない という状況が…。 大山: だいたい Department of Psychology というものが 減ってしまったわけですね。別の名前になってし まったでしょう?
佐藤: Cognitive & Brain Science とかね。で,psychology というと,もうやっぱりその臨床とか…。 大山: やっぱり,アメリカだとね。 鳥居: アメリカではそうなのでしょうかね。 教育心理学会との比較 佐藤: 発達とか教育とかというのは,いつぐらいから大 14 旧称PLoS ONEといい,2006年から公刊されている。
きくなってきたわけですかね? 大山: 教育はね,あの先生ですよ。特殊教育のことやっ ていらした…。 鳥居: 三木(安正)先生ですか? 大山: 三木先生。それで教育心理学会というのができ て,教育心理学研究ができたときも,ちょうど僕 が大学院にいたころかな,三木先生が来て,なん かね各大学の教育心理学的な卒業論文リストを作 りたいから,文学部にもないかと言うから,動物 の学習がいくつかあるからあげたら,そんなのダ メだと…。 佐藤: ふむ(笑)。 大山: それで,教育心理学会に関しては依田(新)先生 が非常にバランス感覚というか協調感覚が良く て,あの先生,もういたるところで,東大の教育 学部と,文理大と,あと名古屋と,3つも経験し ていて,あの先生はわりに基礎を大事にしながら 教育心理学をやるというそんな感じでしたね。 やっぱり教育もそうだし,臨床もそうだし,安全 もそうだし,産業もそうだけれど,独立するとき に本家と何かこう協調してやるか,喧嘩別れか, いろいろあるわけでしょう? 高砂: 教育心理学会はですね,52年にいちおう創立さ れていますが,最初は協会として創立されて,そ れが59年に学会になるのです。 大山: やっぱり,そういう道をたどりますね。 高砂: はい。それで,60年に役員選挙で最初の理事長 が岡部弥太郎ですね,まだ。 鳥居: ああ,そうかもしれないですね。 高砂: で,2代目が城戸幡太郎と。 大山: ああ,あの2人は象徴的な方ですよね。 佐藤: 59年ですか? 高砂: 59年に会則が承認されて,学会と改称されてい ますね。1959年を学会設立の年と考えるようで す。それに関していえば,Psychonomic Societyが アメリカでできたのが59年です。 佐藤: 東(洋)さんあたりは関係ありますかね,59年 のときは。まだ若すぎるかな? そうでもないで すか? 大山: 東さんはね,やっぱり象徴的な人ですよね。文学 部の助手をして,僕らと一緒でしたね。僕は特別 研究生と言って,東さんは助手。教育学部の助手 もしたかな? 講師にすぐなったのかな? その 間,ちょっと外国行っていましたよ。 佐藤: アメリカに行っていました。 鳥居: 長くおられたはずですよ,5 年以上? いや, はっきりとは知りませんが。 大山: で,ちょうど教育学部がスタートする,教育心理 学がスタートするときの若手として入っていたわ けですね。 鳥居: 東先生が確か運営委員会のときに反対されたの は,要するに基礎という言葉に対してこういう使 い方をするのはおかしいということですね。知 覚,認知みたいなことだけが基礎ではない,どこ にだって基礎はあるのだから,基礎心理学という 名前はおかしいと強く主張しておられたことをお ぼろげながら覚えていますね。 佐藤: 東先生が? 鳥居: 東先生だったと記憶していますが。 佐藤: 東先生は入っていたのですか,基礎心理学会に? 大山: メンバーのなかに,発起人のなかに入っている ね。 鳥居: そうです。 佐藤: 八木さんが声かけたのでしょうかね。 鳥居: それはわかりませんね。ただ,かなり広く声をか けられましたからね,あんまり偏りのないように おかけになったと思います。 佐藤: いや,何か慶応東大学会という風に…。 鳥居: 最初はね。 佐藤: 今でも少し言われていますよ。 鳥居: だいぶ変わってきたと思っていますが,その後の 状況を含めても,打破の努力がまだ足りないので しょう。 佐藤: 八木・小川,それで鹿取・佐藤。八木・小川の時 代はその先生とか,鹿取さんとか,佐藤(方哉) さんがやっていた。今度は佐藤・鹿取時代みたい なのがあって,佐藤・鹿取・鳥居時代かな,佐藤 さんは会長やっていないから,鹿取・鳥居時代っ ていったほうがいいのかもしれないけれど。あの 時代は裏で活動していたのは佐藤・坂上で…。 鳥居: 坂上さんはいわば…下支え役としてずいぶん貢献 しているわけですよ。 佐藤: それはそうでしょう。だって,ずっと監事やって いて…あの時代,先生が正式にいたころ,僕とか Table 2.
The members of the working group (9 persons). 原 一 雄,平 井 久,金 子 隆 芳,鹿 取 廣 人, 牧 野 達 郎,佐 藤 方 哉,高田洋一郎,鳥 居 修 晃, 吉 田 俊 郎
坂上が若手の研究会などをやっていたわけですけ れど,あれは何だったのだろうと思って。幹事 だったのかな,それとも理事か何かになっていた のかなって。よくわかりませんけれど。で,だか ら僕が会長やって,坂上がいま会長やっていて15, ここからあとはどうなるのかなと思うのですが。 大山:(創刊号から目をあげて)平井さんがね,ワーキ ング・グループ[Table 2]入っているのね,早稲 田系統としては。 鳥居: ワーキング・グループとして最初に呼びかけたメ ンバーについては相当広く呼びかけているはずで すよ。 大山: いやあ,設立準備委員[Table 3]というのは広い けれどね。ワーキング・グループはね…。 鳥居: まあ,ワーキング・グループとなると,いわば実 行班で,小回りがきかなければならないですから。 大山: 絞られていますよ。私なんか入れてもらえなかっ た(笑)。 佐藤:(創設時の委員名を見ながら)原先生もいますね。 大山: 原さんの場合は,グループの代表ではないわけで す。個人ですよ。一人でやっているし,アメリカ の大学出身だし,(国際)基督教大学だったから。 当時としてはアメリカのことをよく知っている人 ということですね…。 鳥居: それから前田(恒)さんがおられます,設立準備 会メンバー,準備委員メンバーとして。前田さん は九州におられたと思いますが。 大山: そうですけど,船津さんもこれに載っていますね。 鳥居: そうです,船津さんはむろん入っていますよね。 大山: だけどね,準備委員とかなんとかというのは,か なりバランスでこう,各大学,各地方から入れて いるので16,ワーキング・グループがなんといっ ても…。 鳥居: それは,実際の仕事,いわば下働きはワーキン グ・グループがやることになるからです。 大山: で,私はそれに入れてもらえなかった(笑)。う るさいから(笑)。 佐藤: その頃って,もちろん東先生なんかは基礎心理学 というのはおかしいとおっしゃったということも ありますけれども…。 鳥居: おかしいというのは名称がおかしいということで しょうか。 佐藤: そのほかに何か問題があったのですか? その ワーキング・グループとかで。 鳥居: ほかに,ですか? いま出ている範囲ですね。結 局,日本心理学会との関係をどうするかとかですね。 大山: そう,動機はみんな日本心理学会が大きくなりす ぎたのと,その領域がいわゆる昔よりも臨床だと か教育とかそういうのが盛んになって,なんとか しなくてはいけないというのを日本心理学会の中 でそうしようという考えと,もうあきらめてしま おうと,別に作ってしまおうという…。 佐藤: そうしようというのは? そうしようというの は,日本心理学会の中に,分科会のようなものを 作ろうということですか? 大山: 日本心理学会にもっと積極的に関わって,理事な んかも,非常にそういう基礎系の人が少なくなっ てしまったから,それをなんとか選挙で挽回しよ うと,ね。それまで選挙で計画しようなんて考え は誰もなかったのを少しやろうではないかと。梅 岡さんは何かそういうほうに力を入れていた…。 佐藤: だけど,日本心理学会のなかで大きくなりすぎた というならば,分科会みたいな形で基礎の分野を 作っていくという考え方になるけれど,選挙対策 というのだと自分たちの…。 大山: それがね,分科会という考え方があまりなかった ですね。選挙に,選挙区みたいのを作ったでしょ う,あれが一つの表れかもしれないですね。 Table 3.
The members of the preparatory committee for establishment (40 persons). 藤 田 統 船 津 孝 行 原 一 雄 平 井 久 平 野 俊 二 今 田 寛 今 井 省 吾 糸魚川直祐 金 子 隆 芳 鹿 取 廣 人 古 崎 敬 前 田 恒 牧 野 達 郎 丸 山 欣 哉 松 山 義 則 宮 本 健 作 森 孝 行 本 吉 良 治 中 島 誠 二 木 宏 明 野 口 薫 野 沢 晨 小 川 小 野 茂 苧 阪 良 二 大 山 正 佐久間 章 佐 藤 方 哉 関 口 茂 久 高田洋一郎 寺 岡 隆 戸 田 正 直 鳥 居 修 晃 内 山 道 明 梅 本 堯 夫 梅 岡 義 貴 八 木 冕 吉 田 俊 郎 能 見 義 博 吉 岡 一 郎 15 基礎心理学会の歴代の理事長(代表者)は,小川 (1981∼1990), 鹿 取 廣 人(1990∼1996), 鳥 居 修 晃 (1996∼1999), 辻 敬 一 郎(1999∼2005), 佐 藤 隆 夫 (2006∼2011),坂上貴之(2012∼現在)の6名である。 16 設立当初の編集委員はTable 1の運営委員と同じメン バーであり,全部で43名が各大学関係者から広く選 出されていた(現在の編集委員は20名)。
佐藤: 東さんなどは,結局,教育心理学会を作ったの は,日本心理学会のなかで活動しようとしたら認 められなかったから,教育心理学会を作ったのだ ということをおっしゃるわけです。基礎系の人は 別にあの中でなんらかの活動をしようとしたとい うことではないのですか? 鳥居: いや,無理だと思われたのではないですか? し ようと思っても。 大山: ともかく,大きくなりすぎて,動きが取れない。 佐藤: だったら,ディヴィジョンみたいなものを作って… というそこに一人も理事にすらなっていないとい う状況があって。だけど結局やらなかったわけで すよね,選挙対策みたいなことは。 大山: そういう大きくなりすぎて,どうにもならないと いうのと,何とかしようという2つの考えがあっ たのではないかな。 基礎心理学会と動物心理学 佐藤: そういう(分科会がないという)構造があったから, 基礎心を作って,もういいあれはあれで,基礎心 は基礎心,みたいな気持ちに八木さんがなったのか なと思うのですが。でも動心(動物心理学会)が あったのに,動心ではだめだったのですかね。 高砂: そうですよね,これ動物心理の茗溪の人たちが 入っているわけですよ。だから慶応はわかるとし て,早稲田は入っていない。これやっぱりどこか から声かけられたのでしょうか。というのも一昨 日,藤田(統)先生にお会いしてきて,藤田先生 は運営委員に入っているのですが,自分が基礎心 に関わったという自我関与がまったくないので す。それで,先生これはどうして名前が入ってい るのかとお尋ねしたら,「いや,ごめん僕は基礎 心のことはまったく覚えていない」と言うので, 誰かが声をかけられたか,名前だけなのか…。 大山: いやバランス上ではないですかね。 高砂: で,金子先生が入ってらっしゃいますよね。当時 一緒にいましたし。 大山: だから実質的に基礎心に関心を持たれたのは,筑 波・教育大関係では金子先生だけだと思います。 高砂: そうですね。ところがけっこうみんな院生ぐらい の人たちは書いています。創刊号とか,私の先輩 とか書いていますし。新しい雑誌に関する情報の 根回しはあったのでしょうね。 大山: 浅見さんや岡野さんの影響はまだあったかもしれ ませんね,動物関係では。 佐藤: この頃は年2回ですか? 高砂: 年2回です。 佐藤: で,僕は2号に書いていると? 高砂: 1巻2号に。いまさっきお見せしましたように。 佐藤: 出始めたのは1年後ですよね。 高砂: そうです。82年の12月に出ています。 鳥居: ああ,そうでしたね。 佐藤: 僕はたぶんアメリカから帰ってきて,すぐくらい に「一本書いておけ」とか言われて書いたと思い ます。 高砂: もっともこの(佐藤氏の)論文は83年2月が受稿 になっているから…。 佐藤: 83年? だから僕は帰ってきたのが82年の秋く らいだから,帰ってきてすぐ,半年後くらいに投 稿しているわけだ。 大山: 雑誌が出たのがいつですか,最初? 高砂: これは最初がいちおう82年10月31日。 大山: 学会ができたのが…。 高砂: 1年前の81年ですね。 大山: 何か領域問題と学閥とかがからみあっていること は確かですね。だけどそれはね,教育心理学会が 独立するときとか,臨床心理学会が独立すると か,発達心理学会とか,みんなそれはあるわけで す。で,動物心理学会だけはね,戦前からありま すね。実際,動物学の,東大の動物学の研究室の ほうに事務局があったわけで,丘(直通)先生が 熱心で…。 佐藤: そうですね,僕が大学院生だから,アメリカに行 く前ですから,70年代の半ば,75年前後だと思 うのですけれども,その頃に動心の大会を東大で やって,お手伝いして,懇親会にも出ましたけれ ど,ずいぶん心理学ではない人が多いのでびっく りして,当時,上野動物園の園長の古賀先生とか もいらっしゃっていて。 高砂: いろいろと話も尽きませんが,そろそろお時間と なりました。本日はありがとうございました。 あとがきにかえて 1972年に第20回国際心理学会議が東京で開催された とき,それまでに国内で設立していた8つの単科学会17 17 1970 年までに設立されていた 8 学会とは設立順に, 日本心理学会,日本応用心理学会,日本動物心理学 会,日本グループ・ダイナミックス学会,日本教育 心理学会,日本社会心理学会,日本犯罪心理学会, 日本臨床心理学会の8つである。
がこの会議に協力・共催する形をとった。国際心理学会 議の開催には国内の心理学会の連合を進める意図もあっ た18という。しかしながら,結局,1970年代には連合構 想は進まず,その一方で,心理系の単科学会が設立され ることもなかった。 1980年代になると心理系単科学会が相次いで設立さ れたが,その先陣を切ったのが1981年創設の日本基礎 心理学会であった。70年代の閉塞感とそれを打破しよ うとした当時の意気込みが,今回の話を聞いていても伝 わってきた。学会設立から30年以上たった現在,この 点については記録に留めておかねばならないと感じた次 第である。
Figure 1. The members of the round-table discussion: Tadasu Oyama, Shuko Torii and Takao Sato (from left to right).
18 長島貞夫(1982)「第 20 回国際心理学会議と日本の 心理学」(『日本の心理学』刊行委員会編 日本の心 理学 日本文化科学社 pp. 257–277)には以下のよ うな文章がある。 日本心理学会のほかに日本教育心理学会など七単 科学会が設立されて独自の活動を展開しており,こ れら諸学会間の協力と情報の交換のために「心理学 諸学会連絡会」が昭和 42年に設立されていた。「諸 学会」では昭和46年から日本の心理学界を合理的に 再編成するために「日本心理学連合」の構想を持っ ており,この連合設立の記念事業として国際心理学 会議を開催すべきであるという考えを持っていたの であった(p. 275)。