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「経済教育学会」の位置についての方法的一考察 : 「学問の自由」およびWebの自由から見る「学会誌」の「レフリー制度」の矛盾(投稿原稿(査読付))

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Ⅰ.問題の開示と設定

 2009 年 6 月の幹事会で「学会改革」が初めて本格的 に取り上げられた。改革の主目的の 1 つは,会員減少 への「対策」である─2005 年が 457 名,2009• • • •が 366 名と 2005 年よりも 91 名(20• •% ・)減少• •,直近の 2012 年 が 376 名。その改革が進められる中で,2014 年度には 学会創立 30 周年を迎える。両者が重なっているとこ ろに本学会が抱える実情がある。それを現実的問題の 拠り所として,学会の基幹• • である(「全国大会報告」 と)「学会誌」の「レフリー制度」を本稿は研究対象 とした。  2000 年代後半以降にも新しい世界的状況に連動す る日本の危機的形態が累進的に顕在化し,「経済(学) 教育」への関心がむしろ増すなかで,逆に会員数は大 幅に減少ないしは停滞している。この相反する現象に 危機意識をもったことで,2012 年度の大会(第 28 回) 「シンポジウム(「共通テーマ」);経済教育の新しい地 平を求めて」に行きついたのであろう。しかもそれが 30 周年に向けてのスローガンにもなっているようだ。 その興味深い斬新なテーマに誘われ,同時に 5 つの分 科会にも私は参加した。  では,その「シンポジウム」の報告と討論は果たし て「経済教育」的に進められたのであろうか。今日の 構造的危機というステージだからこそより一層,それ は 30 年間弱に蓄積された学会の実体を浮き彫りにし た。「シンポジウム」のあり方への疑問が第 26 回大会 (後出の拙稿[2])同様に再燃した。それが本稿執筆 の直接の動機である。  私が経験的に学習してきた「理念としての学会」か ら本学会を照射し,それを糸口として,「学問の自由」 とそれに照応している Web の自由の視角から,理念 モデルに倣って作られているメジャな学会の実体に 迫ってみた。その中核には「レフリー制度」が据えら れている。  本稿の分析のメイン・テーマに「レフリー制度」を 据えたのもそれを理由とし,構成や論理展開のあり様 も上記に由来する。  本稿のテーマは「学問論」や「経済教育」の本質論 などにも繋がる大きな課題であるが,本稿では経験的 学習に基づき実践的側面に視点• • • • • • • •を据えた。対象が役員 会の「議題」に直結する問題でもあるので,私の力量 不足や誤解によって学会活動でご苦労をされている会 員ならびに役員に不快な思いをおかけすることになら ないかと懸念する。本稿が研究の上で忌憚のない批判 や論争の火種になることを期したい。   *本稿は本誌に掲載済みの拙稿が前提にされている。   [1]「Web に対応した経済(学)・研究と教育(学)の関連 性─『Web・ ポスト冷戦』視角からの『労働経済論(学)』 批判─」(第 28 号,2009 年 9 月,所収)   [2]「日本的原発の歴史的位置と『経済学』の方法─『ポス ト冷戦・Net/Web』に対応した『経済学』と『経済教育』の 方法」(第 30 号,2011 年 10 月,所収)

Ⅱ.全国大会「シンポジウム」と本誌『経

済教育』の性格

1.全国大会「シンポジウム」の運営に当たっ てのジレンマ  本テーマの内容は,会員周知で本誌号にも掲載され, さらに拙稿[2]でも関連して言及済みである。その ためにここでは簡略に記す。  「シンポジウム」は,そのテーマの設定からして難 解な運営を余儀なくされるが,それを承知で,その疑 問点や問題点を以下で率直に指摘したい。  ①コーディネータは「共通テーマ(論題);経済教 育の新しい地平を求めて」を「方法論的」で「哲学的

Specific Study

The Journal of

Economic Education No.32, September, 2013

論考

「経済教育学会」の位置についての

方法的一考察

─「学問の自由」および Web の自由から見る

「学会誌」の「レフリー制度」の矛盾─

A Methodological Study about A Position of ‘Japan Society of Economic Education’ :

A contradiction in ‘Academic Journal’ (‘System of Peer Review’) with ‘Academic freedom’ & Web’s Freedom

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な根本問題」と位置づけ,そのテーマを「議論」する 「必要」性を訴えた(「報告要旨集」所収)。そのテー マが何故設定されたのか,テーマをどのような視点や 切り口からどのように取り組もうとするのか。基調報 告と 3 名のパネラーの主張・コメントのいずれもが, それについて綿密な打ち合わせや準備をされずに本番 に臨まれたと推察される。  ②学会の役員 3 名が,コーディネータやパネラーと して選任された。上記①を意識して少なくとも,テー マに絡めて議論が噛み合うように討論を有効に展開し まとめられたのか。「報告レジュメ」からはその準備 の形跡が伺えない。その「報告」のあり方自体が「経 済教育」の実践に相通じている。  ③「基調報告」の選任には,共通テーマへ結びつく 有効な研究成果,業績や識見が問われる。基調報告者 の人選によって「共通テーマ」の内容が自ずと決まる。 それだけに人選に際しては厳格で慎重な判断が要請さ れる。  基調報告者の報告テーマは「経済学が伝えられるこ と・伝えるべきこと」。報告者の見地や方法が評価さ れて選任されたが,報告には構造的で歴史的な視角へ の意識があるとは伺えなかった(「新古典学派」の方 法への批判について拙稿[2])。(本誌号に掲載されて いる報告者の「論稿」を参照)。  「シンポジウム」に示された上記のような「問題性」 を本学会が孕む構造的問題に絞って,以下で要記する。  問題の所在は,共通テーマに取り組む経緯• •にあり, それを学会の文献(「ニューズレター」[第 17 号, 2012 年 5 月],「報告要旨集」)から読み解いていく。  共通テーマの本格的な準備に入ったのが,大会の半 年前,「春季研究集会」(2012 年 3 月 28 日・京都)で あり,そこでの「共通テーマ;経済教育の使命と課題, 本学会の発展方向を考える」では,同時にいわば秋の 全国大会の「シンポジウム」を意識し,それを議論す るために準備された「研究集会」という意味も兼ねて いたと位置づけられる。報告者は「シンポジウム」の コーディネータとパネラーの 2 人。大会の「シンポジ ウム」その要諦は理事会「総意」のもとで下記のよう に決められた。  テーマ設定と基調報告者の選任を大会実行委員会に• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • 委ねる• • •。言わば,半年後に予定されている「シンポジ ウム」の成否を左右しかねない基本事項が総会で決定• • • • • • • • • • されなかった• • • • • • 訳である。  毎年変わる大会の開催校の学会役員が大会実行委員• • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • • 長を担うことになっている• • • • • • • • • • • • 。また「シンポジウム」の コーディネータ役が実行委員会に新たに加わり,実行 委員会は役員 3 名• • • •で構成されることになったと思われ る。実行委員会は「シンポジウム」に集中するよりも, むしろ大会運営という実務一般(学生の協力含め)に 専念せざるをえないのが実情である。  最大の難題でもあるテーマ設定と基調報告者の選任 は実行委員会に,それにもまして「シンポジウム」の 管理運営(コ─ディネーション)は,コーディネータ 1 人の双肩にかかってきたと推察される。ここに見る のは,大会のメィン・イベントである「シンポジウ ム」を開催するに際して,踏襲しなくてはならない原 則に対応できていない実情である。この厳しい物理的 制約下では,「シンポジウム」が実質的な研究報告や 討論とならずに,むしろ大会が「行事」化へと向かう のも避け難い。会員減少の一要因はここに求められる。 では,その構造的な矛盾の原因はどこに求められるの か。  本学会の性格に由来する。経済(学)教育(学)と いう 2 つの要素が「合成」されたような分野で(本稿 における Web 的な見地では,広くは両者の「統合」 ないしは「融合」と捉える,後述),大方の経済学系 の大学教員は,専門分野に加えて厳しい制約下でその 研究・教育と学会活動に従事し,さらに中学・高校の 教員に至っては,教育や生徒指導に専念するために別 様の過酷な物理的な制約がある。そのために学会の規 模は小規模で,役員の活動も大幅に限られる。この学 会の陣容や力量に依拠して,メジャの学会に倣って大 会の「行事」や課題を実行しようすると,実際上は 「行事工程表」をこなすことに追われることになろう ─むろん,他のメインな学会の大会開催にも「問題 性」を孕む(模範的「共通テーマ」開催の事例につい ては後段のⅤを参照)。  本学会が抱えるこの構造的矛盾が循環していくと, 研究という本来の学会活動が「形骸化」していく。こ こに見る目的を希釈化する「日程消化方式」は,総じ て,日本の学校制度(否,「ズルズルベッタリ」の日 本社会)1)を貫いている。  この構造的な矛盾からの現実的な対応の一つとして, 次のことが考えられる。負担の大きい全国大会の開催 を余裕のある 2 〜 3 年に 1 度に減らし,他の学会同様 に,その準備期間に「地域ブロック」(「地域性」)で の研究会を開催する,もしくはその代替も含め本学会 の Web Site に研究成果の発表,議論や論争,交流が 自由にできる場(「世界性」)を設け,その期間に全国 大会で実際に会って実質的な討論ができるように,会

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員各自が自主的に準備をしておくようにする(具体的 な仕様や運営などは別の問題として)。Web を利用し たそのような合理的なやり方は,先進的な企業では 1990 年代後半から一般的に取り入れられている(ビ ル・ゲイツの言う digital nervous system[1999 年])。 むろん,Web 上での Site の設計や維持管理にはコス トが伴うが,大会開催に係わる様々な労力や諸費用 (旅費など)と比較したらその負担たるや一目瞭然で ある。Real の世界の物理的障壁をやすやすと越える Web の世界(Ⅳ参照)。 2.本誌『経済教育』の「編集問題」─全国大会 報告の「審査」なしの掲載  大会の「分科会報告」は,本誌においては,査読付 きの「投稿原稿」とは別に,「論考」と言うジャンル に掲載され,しかも,数が多いこともあり,本誌の大• • • • 半がこの「論考」で埋められている• • • • • • • • • • • • • • 。本誌の「投稿原 稿」にも「論文」と区別して同じく「論考」のジャン ルがあるが,「投稿要領• • • • 」にはその文言さえ掲載され ておらず,その区別の概念規定や「審査判定」基準も 定かでない。因みに,『広辞苑第 6 版』によれば両者• • は同義• • • である。ここで問題とするのは,「報告」の• • • 「論考」• • である─但し,その掲載根拠は「学会誌編集 規程」にさえ見当たらない。  「論考• • 」を掲載する「権限」は不明瞭のまま,編集• • • • • • • • • • • • • • • • 委員会の「認証」のもとに,「慣例」的に報告者本人• • • • • • • • • • • • • • • • • • • に大方委ねられて来ているらしい• • • • • • • • • • • • • • • 。それには,多分に 「投稿原稿」の不足という要因も考えられ,歴史的経 緯もさることながらそれは今日に至っている。他の 「学会誌」では,本誌の「論考」はすべて査読付きの 「投稿原稿」の扱いである。但し,「編集委員会」担当• • • • • • • が 3 名と言う現実的な陣容や力量• • • • • • • • • • • • • • • は,全国大会の開催 のジレンマと同様に,本学会が抱える物理的で基底的 な制約であり,その点を承知の上で以下考察されてい る。  曖昧模糊としたこの「論考」と「シンポジウム• • • • • • 」の• 報告・「論稿」,• • • • その 2 つの「問題」に限り下記に要記 する。ここでは,確認のために,理念としての「学会• • • • • • • • 誌」に掲載される「論稿」• • • • • • • • • に係わる「体裁」や理念の 視点から取り上げる。  (1)大概の「分科会報告」やその「論考」において, 大まかであっても研究を発表する上で次の条件を意識• • した研究成果が望まれる。  テーマ設定の理由,研究や叙述の方法を選択した理 由,テーマの先行研究のレビュー(とりわけ本誌に掲 載されているそれ),研究発表の意義(位置づけ)な ど。[とりわけ,研究の意義• • が問われる状況は,本学 会に限らず,今日的「業績(形式)主義」にあおられ 頓に一般的にみられる傾向である。]  私が見る限りでは,「学会誌」に掲載される「論稿• •」 からすると本誌の「論考• • 」は均質ではない。「論稿• • 」 としての条件が「論考• • 」に最低限備わっていないと, 学会における業績の蓄積• • • • •にはならない。  (2)「シンポジウム• • • • • • 」の報告「論稿」• • • • • においてさえ, 報告時の「レジュメ文書」もしくはその類いがそのま まに近い「体裁」で本誌に掲載されている。それが上 記(1)の条件を満たした「論稿」であればいいのだ が,文章化もされず• • • • • • • に,レジュメ風の図や Power point の画像を載せているに類するだけで,内容が分 からないレベルの掲載まである。  「シンポジウム」の「報告」が「学会誌」に掲載さ れることは,学会にとっては 1 年間の総括,いわば社 会向けには学会の存在意義としての顔であり,会員へ は研究の指針となる模範的なモデルを意味する。その ために,「シンポジウム」の「報告」であればなおさ ら,主旨が分かるように「論稿」という「体裁」にま で練り上げられて掲載されることが望まれる。  「シンポジウム」の「報告」・「論稿」の掲載がその ような状態であるために,「分科会報告」の「論考」 でも同様な事態となる。「分科会報告」を本誌に掲載 するに当っては , 下記のような提案をしたい。  「大会報告」と本誌は有機的に統合された方がよい という立場であるが,「規程」上に規定もされずに, 現行のような無媒介的な「結合」の仕方は検討される べき課題となる。下記に見る 2 つのやり方のバランス をとった融合もしくは 2 つの内で一方の選択などもあ る。いずれもが他の学会に見られる。現行の編集と同 様に「大会報告」向けのスペースを割くが,掲載に値 するかどうかについては編集委員会の実質的な審査 (力量の制約から独創的な方法が別途問われる)を仰 ぐことにする。  一方は,「報告の要旨• • • • • 」を「投稿• • 」する。他方は, 前者と併置するのか,あるいは前者はやめて,分科会 の司会者が推奨する「報告」があれば,報告者に対し て編集委員会を通して「報告の論稿」を正規に「依 頼」する。  このような掲載の仕様をとると掲載論稿が集まらな くなると言うのであれば,身の丈に合わせて現行のサ イズや紙数を縮小すれば良い。また,非掲載の「報 告」向けには,別途,会員自身が研究成果を自由に掲

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載できる場を学会の Web Site に設置するか(各自の Blog などをそこにリンクさせる),学会が研究成果を CD-ROM 化して配布するなど(いっそのこと本学会 の事情から「雑誌」からデジタル化さらには• • • • • • • • • Web• • • 化• への転換)も考えられる。なおこの点は前項の「大会 報告」でも同様な言及をし,また後段のⅣにかかわる メイン・テーマとなる。  上記のような私の疑問や試案については,とりわけ, 学会に精通している会員にとっては尚更,その憂慮は 深いと思われる(退会の誘因をなす)。それにしても, 本誌の問題を研究の対象(対象の学問化)• • • • • • • • • • • としてこれ まで何故まともに取り組もうとされてこなかったのか, 本学会が抱える問題の深部はそこにある。  無論,他の学会でも別様な問題を抱えていることは 言うまでもなく,各自の専門的研究に加えて学会のあ り様を一つの研究対象• • • •として取り組もうという意識は 希薄である。このような姿勢は研究・教育の世界に蔓 延し,どこでも軌を一にしている(後段のⅤおよび 「Ⅵむすび」参照)。いわば,日本的な構造の核心に通 ずる問題であって,本稿のテーマはそのような問題意 識と視野をもって取り組んだ。  学会の中心に座るのは「学会誌」である。研究発表 も「学会誌」に集約され,「学会誌」は学会の実体 (「学問」への対応)を具体的に反映する。その本誌• • は, 先に考察したように,その編集の「規定」においてさ え「曖昧模糊」としていて,そこから齎される「査読 判定」の「客観性」や「公平性」への懸念も拭えない。 本誌を自省し自覚するためにも,今度は,本学会から 離れて,分析の焦点を学会誌の「編集」のあり方(依 拠すべき「諸規定」)に据えることにしたい。

Ⅲ.「学問の自由」と編集委員会の「レフ

リー制度」の矛盾

1.「学会誌」掲載における「レフリー制度」の 位置づけ  文科省に関係する書類に「研究業績一覧」があるが, そこには「レフリー制度」を通った論文しか「業績」 として記載できなくなっており,また研究職(大学) における採用や昇進に際しても専門分野の「客観」的 な評価として,「レフリー制度」がそれなりの影響を もつ。そのような事情から,大学の「紀要」や大学傘 下の研究所の「機関誌」にも「レフリー制度」を取り 入れる傾向(「業績主義」の今日的 1 指標)にあるも, 一言にして,論文を評価する編集委員会や査読者の識 見や力量が問われるのが一般的である。2)  誰もが研究業績に箔(「認証」)をつけようと形だけ まねたら,「レフリー制度」の役割が薄れ(「フィク ション化」),それ自体をまた再評価• • • するという皮肉な レフリーのランキングができてしまう。「レフリー制 度」にかかわりなく問題は研究成果の内容• • • • • • •にある。  論文内容の「客観性」の担保として働くこの「レフ リー制度」は,研究業績の「制度化• • • 」を指向する文科 省の意向もあって,その社会的な機能の重要性が一層 強まっている。これは「博士」の学位に対する取り扱 いでも同様である。  「レフリー制度」によって自らの威信を保持し,そ の家元と言うべき学会の「レフリー制度」(性格)• • • • • • • • • • • が ここでの課題である。まずは,投稿論文の掲載事情 (「査読制度」)について大まかな位置づけを与える。  「経済理論学会」(「理論学会」と略称)と「社会政 策学会」(「社政学会」と略称)の 2 つの学会をここで は例証として取り上げる。  編集委員会は掲載の可否を決める決定権を掌握し, 学会の最高意志決定機関の理事会(幹事会)からも (相対的に)自律している(権限• •の構図)。  論文の審査権限の運用において,「客観性」や「公 平性」の基準を担保するために「諸規程」が作られて いる。組織のあり様では基本的な差異はないが,諸 「規程」(「規定」)は,学会の事情により多様である。 本稿の視角からその特徴点を摘記する。  「理論学会」と「社政学会」はその点で好対照をな し,本•学会はむしろ「理論学会」に近い。「理論学会」 では,基本的には「投稿規マ定マ」に次の文言だけが書か れている。「レフリー制度」によりその「査読結果を 通知」する。  それに反し,「社政学会」の場合は,次の諸「規程」 に見るように詳細である。「編集委員会規程」「編集規 程」「投稿規程」「査読指針」「編集委員(一覧)」「査 読専門委員(一覧)」。編集委員会の総数は 13 名,査 読専門委員の総数が 30 名,いずれも氏名と所属が学 会サイトに公表されている。「理論学会」では編集委 員会の構成員は公開されず「査読専門委員」なるもの は不在で,大方の学会と同様に適時選任していると思 われる(「政治経済学・経済史学会」[Ⅴにて言及]も 同様)。  「査読指針」には冒頭に「1.査読実施の目的」が以 下のように記されている。査読の目的• • • • • は 2 点,研究水 準の向上と議論の活性化。査読者の心構え• • • • • • •にも言及し, 「誠実かつ教育的な姿勢」が指摘されている。ただし,

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その教育的配慮は研究水準の担保とバランスさせなく てはならず,そこに編集委員会の見識がかかってくる。  「査読指針」には以下の具体的な項目がある。「4. 項目別評価報告書」として「(1)評価項目」では, 「学会誌」の「論稿」としての基本的条件が[内容面] [学術面][形式面]にわたって丁寧に説明されている。  「5.記述報告書(コメント)」では,「評価」の「理 由」や「具体的」な「指摘」を求めている。「6.掲載 評価報告書」では,評価のランクをA,B-1,B-2,C の 4 段階とし,それぞれの項目が規定されている。C 評価が「掲載不可」となるが,それ以上の具体的な説 明はなく,上記の「評価項目」3 点にわたって総合的 に判定されていると推察する。  その上で,査読者の評価が 2 段階以上相違している 場合として,「編集委員会による再査読」の実施・取 り扱いまで及んでいる(他の学会の具体的な事例とし ては後段のⅤ参照)。  [なお,前節(Ⅱの(2))の考察で問題とされた本• 学会誌の「論考」• • • • • • と言うジャンルは,「社政学会」の 諸「規程」には見当たらない]  上記に見るように,投稿者へ教育的に配慮し,「査 読者」の心得や責務事項に及ぶ「査読」の内容と手続 きが具体的で仔細に説明され,しかも公開されている。 「規程」上は,「客観性」・「公平性」において厳密で現 実的な措置となっている。  「理論学会」では「投稿規定」があるのみで,投稿 論文の査読については極めて簡単であることは上記で 見たが,その理由の一つは当•学会の性格に由来するの であろう。  「理論学会」は「マルクス経済学」を「基幹的な部 分として位置づけ」る,と唱っているように,「社政 学会」と比べると,対象領域が狭く研究者も限定され 概念体系も一応共有されている。そのほぼ均質的な体 質と同時に,主体の問題を経済学の「概念装置」に取 り入れる思考が希薄である(「社政学会」とは言わば 裏表)こともあって,「社政学会」にみる詳細な規定 を取り入れてこなかったように推察される。  本• 学会は,創立の由来や「レフリー制度」の「規 程」は「理論学会」に近いが,分野や研究者の幅広さ はむしろ「社政学会」に近い。そうであれば,本学会 の編集のあり方は「社政学会」のそれが相応しく, 「客観性」と「公平性」の観点からその基本的な「諸 規定」をどのように取り入れるのか,それは本学会に とり喫緊で基本的な検討課題となる。  その上で,本学会の編集のあり方を考える場合に, 両学会にない本学会の特殊性• • • • • • •を考慮しなくてはならな い。それをここでは以下の 3 点に求める。  ①方法論の違う「マルクス経済学」と「新古典学 派」が拮抗した比重で併存していて,前者の 2 学会に 見られない性格がある。  ②教育実践などが主要な職務となっている中学・高 校の教員他が本学会に占める比重は,先の 3 つの学会 と比べると 1 桁大きい。その教員の方々は,過酷な条 件(前述)下で研究や学会の活動に従事されている。 そこから生まれる研究成果は本学会の貴重な財産とな る。それを如何に本誌に反映させるのか,メジャの学 会にない独自的で創造的な課題として探求が新たに求 められる。3)  ③会員数が両学会の 3 割強と小さな所帯である。そ の要因が最大であろうが,学会の実情から本誌の発行 が年間に 1 回,先の 3 つのメジャの学会の場合には, 学会費も 2 倍となるが年間 4 回に及んでいる。年 1 度 の投稿機会• • • • という物理的条件は,投稿上の基本的な問 題として他の「学会誌」や「紀要」とは違った配慮が 必要となる。  上記の諸点も含んだ本•学会の特殊性は,「査読判定」 の困難さとなる。そこで本学会が「社政学会」の「査 読指針」から学ぶ点は少なくない(前述)。ただし, 本学会の特殊性に対応するように,「社政学会」より も規定の簡潔性と運用の柔軟性・包容性(いわば形式 主義的な厳密・厳格性や「官僚性」に陥らない編集上 の規定や運用)などが求められる。  では,「社政学会」の論文評価のあり方で十分であ ろうか。1 つだけ不明瞭さが残るところがある。投稿 者による「異議申し立て」の要請への対応がそれだ。 「社政学会」の「編集委員会規程 6. 疑義・不服の手 続き」にはこのように記されている。「可及的速やか に申し立て者に回答しなければならない」,この文言 だけで具体的手続きや措置などについては説明されて いない。そこにこそ,「レフリー制度」の矛盾が収斂 する焦点をなし,本稿で考察する核心ともなる。項を 改めて考察する。 2.判定結果に対する投稿者の「異議申し立て」  前項で考察したメジャな 3 つの学会に準じて,本•学 会でも,査読結果に対して投稿者が「異議申し立て」 をしようとしても,それを保証する規定がない。  「異議申し立て」の規定に立ち入る前に,「査読規 程」の中に「異議申し立て」の具体的な規定を入れて いる機関もあるので,まずそこに立ち入ってみる。

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ネット検索で見る限りでは,社会科学系の機関で,そ の規定を取り入れている機関は寡少で,下記の 2 つの 機関はその一典型例とも言える。  2 つの機関に見られる「異議申し立て」の規定を, 以下で比較検討する。  「明治大学社会科学研究所」(「明大社研」と略称)  「法と経済学会」(「法経学会」と略称)  ①異議申し立てがあった場合に,「明大社研」の規 定では,「再査読」請求がいわば無条件で受け入れら れるように読めるが,「法経学会」では,再審査か異 議申し立てを却下するのか,編集委員会がそのいずれ かの判定を行う,とされている。  ②「明大社研」では「複数の再査読者を選定」(多 分,新しい査読者と理解される)とある。「法経学会」 では,最初の査読は編集委員会外の査読者であるが, 再審査の場合には「担当編集委員 2 名」が「新たに選 任」される。「明大社研」で編集委員会以外の査読者 を選定しているとしたら,その方がより「公平」であ ると思われる。(後段Ⅴの 1 論点)。  上記の「異議申し立て」を許可している例外的• • •な 2 つの事例を見たが,本• 学会も含め不許可の一般的• • • な ケースに話を戻す。  では,「異議申し立て」の規定がない場合にはどう なるのか。編集委員会と査読者が掲載の決定権を掌握 し,編集委員会が一旦「非掲載」と判断すれば,投稿 者はその判定に従うしかないという冷厳な現実である (後段のⅤの事例参照)。その規定を欠いた上での「公• 平性」• • とはその限りである。  真理の探求を目的とする「学問」の場合には,自由 な論争・相互批判を前提とする。とりわけ新たなパラ ダイムをめぐる論争の場合には,対象や方法から表現 様式まで幅広い範囲におよび,論争は必然的に方法・ 原理や体系をめぐり本質的・根源的にならざるをえな い。その場合には「アカデミズム」での多数派が通常, 既存の枠組み• • • • • • に立つために,新たな枠組みが受け入れ られない傾向は,自然科学史においてさえ往々に見ら れた(また,その一典型は絵画史における印象派のそ れ)。自然科学の場合には実験や観察で一気に転換と なるが,社会科学においては思考を基調とし,また既 存の枠組みに利害が絡むために,新たなパラダイムシ フトへの合意形成は難しい。  このような「アカデミズム」の風土では,「異議申 し立て」の規定があっても再査読で同様な結果に帰す ることは容易に想定される。では,「客観性」と「公 平性」を如何に担保するのか。  私は,査読や編集委員会による掲載の判定それ自体 を否定するものでない。むしろ制度としてその審査結 果を冷静に受け止め,自省する心の余裕(「他者感覚」 [丸山眞男])を持つことも一方では必要である。と同 時に,他方,「異議申し立て」の規定は投稿者の「抗 弁権」の見地からも「査読制度」の中に入れられるべ きものと考える。ではそれをどう運用するのか。  「異議申し立て」の規定に則った結果が,同じく 「非掲載」となって,投稿者がその結果に納得しない 場合には,最終的には,次の手立ての方途しか私には 思い当たらない。(これには先例• • があり,それについ ては後段のⅤで考察する)。「投稿論稿」と査読者・編 集委員会の(2 度にわたる)「判定理由」および投稿 者の「異議申し立て」を(できれば記名• •で)公にし, 会員と社会の目にさらし誰もが評価者になる。  査読者および編集委員会の「判定理由」を公開する と,ボランティア的な査読者のなり手がいなくなり, 編集委員会の責務や権限という新たな問題も発生しよ う。そうであっても,「レフリー制度」を採用する上 では,公開が究極的で現実・合理的な解決策と理解す る。  いずれにせよ,投稿者の「抗弁権」を尊重すると同 時に,査読者や編集委員会は自身をも批判の対象に置 かれているという社会的な自覚をもって重責を担う。 それが「査読制度」の精神である。

Ⅳ.Web 上におけるオープンな「コミュニ

ティ」(実践・研究・教育)と「学問の

自由」の性格─本学会の性格と方向性

 本•学会の特性からマイナス面を考察してきたが,そ の特性は,他面ではメジャな学会よりも優位な面をも たらしている。本誌の「電子ジャーナル化」(2010 年 度の第 29 号より)により,掲載されているコンテン ツをバックナンバー含め誰でもが自由に利用できるよ うになった。先の 3 つの学会と違い,本学会が設立当 初から生徒や学生に経済や経済学をいかに教育するか という目標を掲げ,誰でもが参加でき教育実践をも尊 重してきた,そのオープンで自由な性格のためである。  Web に相似した本学会に見る上記の性格に係って, 「Web に対応する学会」の論点に立ち入る前に,「経 済教育」の性格• •を 2 つの経済学の課題に係って考察し ておく。  経済学の成立にあたっては元来,2 つの課題が有機 的に結びついていた。一方で,客観的経済現象を概念 体系として理論的に把握すると同時に,他方,主体が

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その「概念装置」を獲得し,それを用いてコミュニ ケーションを図りながら自らの社会を形成する。  それは経済学の誕生と経済学批判体系として現れた 2 つの経済学においては,主体を対象とする叙述とし て具体化されている。  国民がいかに「国富」を獲得するのかを対象とした 『国富論』(1776 年),「生産力」発展で形成された物 的諸条件とその下で累積される「資本」の「矛盾の総 括」(「危機構造」)から「社会的諸個人」の社会をい かに形成するのか,それを体系化した『資本論』 (1867 年)。その概念体系を如何に共通認識にして社 会変革に結びつけていくのか,著者にとってはそこに 経済学の基本的な課題があった─この点は「経済教 育」の本質論に結びつく。  経済学および社会科学の大方の学会では,上記の客 観的世界と主体が有機的に結びつけられているとは言 い難い。そのような学界の状況下において,皮肉にも, いや幸運にも,本学会はその統合された形態といえる 「経済教育• • • • 」を本学会創立の課題に据えていたので あった。   今 や,Web 対 応 を 求 め ら れ て い る「 知 識 社 会 」 (「工場労働者」でなく基幹としての「高度な専門知識 人」[‘knowledge worker’])のもとで,2 つの課題が• • • • • • 現実としてさらに融合• • • • • • • • • • を進めているために,先の経済 学の偉人が志向したように,研究方法も今一度,本来 の方法を取り入れざるをえなくなっている。  今まで現実の世界の枠組みで現実の学会の実情を分 析してきたが,以下で,簡単に「Web 対応の学会」 の視点から考察しておく。  自然科学系の分野では,在来のアカデミズムの組織 と併存して,Web 上に専門家などの多様な「コミュ ニティ」や「ソサイティ」が多数存在し,その中には, 当該分野を先導しているオープンな「ソサイティ」も ある。そこでは紹介状がなければ会員になれない(そ の 1 典型は,皮肉にも「社政学会」である)という扉 はなく,既存のヒェラルキー的な組織形態は存在しな い。誰でもが繋がり,誰でもが自由に師弟関係になれ, 評価者は全員である。

 その 1 象徴 ‘The Linux Foundation’ [2007 年 1 月] に つ い て 一 言 し て お く。Linux プ ラ ッ ト フ ォ ー ム [1991• • • • 年]の開発,保護,普及促進を支援する非営利 機関である。そこでは,全世界の様々なプログラマー が ‘Open Source’ の趣旨に賛同し,1 つのプロジェク トに 1,000 人レベルで「ボランティア」として共同的 に活動している。Web の未来を切り開くこの実践の 中に Web を基盤とする新しい活動(「労働」)様式が 先見的に示されている。その活動• は研究• •や教育と有機• 的に連携• しており,そのあり様は「経済教育」の性格 と結びつく。  権威や威信を示す閉鎖的な「学会誌」上の論文は, Web 上でオープンな繋がりによって生まれる多量で 多様な見解(テキスト)とオープンな論争を強いられ, 学会の内容・質が容易に浮き彫りにされる。例えば, 個人が Blog に載せた文書や Amazon の「カスタマー レビュー」に掲載された「書評」の方が,「学会誌」 や「紀要」などで発表された論稿より質が高い場合が ある(米国では周知のこと)。Web に対応できない大 学ならびに諸々の教育機関が open education4)によっ て大量に退場させられるのと同様に,Web 対応によ る「学問のパラダイム転換」でも,正にそれと軌を一 にする事態が起る。  Web 対応の視点に立てば,本学会の物理的な限界 ─例えば,前述した本学会の「実務」に携わる会員へ の厳しい制約,「学会誌」が年 1 回しか発行できない 歯痒さや掲載判定の煩わしさ,それらの現実の物理的 条件をやすやすと飛び越え,新たな視野も開け容易に 打開の方策などが見えてくる。そのオープンな世界で は,論文の評価は査読者だけではなく Web Site の閲 覧者でもある。そこでは査読者や編集委員会のオープ ンにされた「査読判定」も自由に評価される。この視 点から学会や研究・教育が考えられ,本誌『経済教 育』の方向性も Web に独自的・創造的に対応させら れることになろう。

Ⅴ.「土地制度史学会」の編集委員会におけ

る「審査判定問題」

 [戦後日本における「変革の歴史的本質を明らかに し,これを科学的に処理してゆく」5)ことを目的に, 同学会は山田盛太郎,大塚久雄らを中心に 1948 年に 創立され,2002 年 10 月に学会名称が「政治経済学・ 経済史学会」に変更された。]  まず,本題に入る前に当時の「土地制度史学会」の 組織について,「理事・委員分担表 1997 〜 99 年」で 一瞥しておく。  機能別のセクターが 3 つ,編集委員会,研究委員会, 事務局(創立時から「東京大学社会科学研究所」に置 かれ,理事 4 名,委員 4 名─本•学会から見れば,何と いう重厚で堅固な布陣),委員会内ではさらに分野別 に 4 区分(日本経済史,西洋経済史,理論・現状,農 業)され,各委員は専門分野別に配属される。編集委• • •

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員会• • について言えば,委員長を入れて総勢 30 人(本• 学会は3名• • • • •,「社政学会」は13名,前出),その内,理 事が 12 名,委員が 18 名(私はこの「理論・現状グ ループ」に所属)。研究委員会は全国大会のテーマ設 定をはじめとして研究の「司令塔」• • • • • • の役割を担い,人 員はもう少し小振りである。なお,役員は通常 2 つの 委員会を数年置きに交互に担当する。  1997 年 11 月以降に編集委員会において「審査判定」 をめぐる「問題」が生起した。まずはその概要を見て おく。  投稿ジャンルは「論点をめぐって」(400 字詰め, 40 枚)。「書評」を除き,原則として 5 ジャンル全てが 「投稿原稿」とされ,編集委員会の審査対象となる。  「審査判定」はこうだ。審査者 2 名のうち 1 名が A 判定(「無修正で掲載可」),もう 1 名(編集委員• • • •)が B 判定(「訂正して掲載可」),編集委員会• • • • • は審査者の 判定に基づいて審議し,C• 判定• • (「再投稿で掲載可」) とした。ここでは,1 名の審査者が編集委員を兼ねて いたことが,委員会の「判定」を複雑で微妙なものに していた。  編集委員会のこの判定が「問題」の実際上の起点と なる。この「判定問題」は「理事会特別委員会報告」 (1998 年 4 月,A4 版で 10 頁)の発表に行き着く。「報 告」は「理事会の不適切な対応」にまで踏み込んで 「判定問題」を一応総括した。約半年を要したこの一 連の「判定問題」で,関係者から個人名ないしは連名 で 10 数通に上る文書が出された。  これまで考察してきた編集委員会および「レフリー 制度」に係わる 1 つの貴重な事例として,上記の体験 から学習した事柄を自省も込めて以下に整理し供した い。  (1)様々な要因を含む経緯を別にすれば,その「判 定問題」の背景には,上記の「報告」でも適切に指摘 されているように,1994 年度大会・「共通テーマ;冷 戦体制の解体と 20 世紀資本主義の世界史的段階」を めぐる「見解の相違」(日本の「変革」を課題とする 当• 学会の設立目的[上記]に繋がる)が伏在していた。  「見解の相違」について一言しておく。  「共通テーマ」が決められた 1 年前から大会までの 期間は,人類史と資本主義の歴史の上で,パラダイム シフトが起る黎明の時期として歴史に記される。  社会主義体制は 1990 年前後に実質的に崩壊し(イ ンド経済の自由・開放化[1991 年 5 月]),他方,「ポ スト冷戦」下のアメリカ(湾岸戦争[1991 年 1 月]) では,同時に,〈パソコン・Net〉への転換を契機と する「Net 新世界」(南克己,2001 年)への対応を余 儀なくされる。  大会の前年の 1993 年,画像をも扱える最初の閲覧 ソフト「NCSA Mozaic」が登場し,引き続く翌年の 10 月に前者のソフトをもとにした商用の「Netscape 0.9」が無料配布される。まさに Net が爆発する発火 点をなした(ネット・株バブル[1995 年 8 月〈ネット スケープの株式公開〉〈Windows 95〉〜 2000 年 4 月 頃])。  一方に,「新世界 Net」とそこに依拠する新しい主 体─「自律した諸個人」による世界的共同・連帯(前

述の ‘The Linux Foundation’ や「地球市民」の活動 や運動[目加田説子,2004 年])。他方,Net に対応せ ざるをえなくなった「ポスト冷戦」(資本主義世界に おける核とドルによる最後の統合体制• • • • • • • • • • • • • • の瓦解)。この 両者の競争という新しいステージへの世界史的転換に 際し「見解の相違」は必至であった。  「見解の相違」の時点から 15 年以上も経過し,その 期間に事態や危機が累進的に深化・拡大した。2001. 9. 13(アフガニスタン侵攻ならびに第 2 次イラク侵攻 から 2011 年の「アラブの春」へ),中国 WTO 加盟 (2001 年 12 月),リーマン・ショック(2008 年 9 月 15 日,リスク債券の証券化[サブプライム住宅ロー ン]・バブルの瓦解から EU ソブリン・ユーロ危機 [2009 年 10 月〜]),2011. 3. 15─Fukushima 原発事故 (原爆への転用問題,放射性廃棄物処理などの問題と 代替エネルギー問題[Web を介した再生エネルギー の最適化,シェールガス]),20 世紀末の Web2.0(日 本の家電産業の解体)からさらには smartphone/cloud computing(Big data)などがそのメルクマールをな す。そのために,今日では,見解の相違は一方では鮮 明に,他方で事態や現象が多様化・遷移し錯綜してい る(拙稿[2]参照)。  今日の視点から「見解の相違」の発火点をなした 1994 年の「共通テーマ」を回顧すれば,学会として の歴史的責務を果たし,その標高のレベルにおいて世 界に誇れる画期的な 1 つの大会モデルを象徴的に示し ていた。  (2)「土地制度史学会」は「複数分野からなる複合 的な学会」(上記「報告」)であることも,上記 1)の 「見解の相違」に輪をかけて「審査判定」の問題を複 雑なものにした。  この点では,本•学会の場合には,方法論を本質的に 異にし,多様なメンバーを要しているので,「査読判 定」にあたっては,編集委員会は深い洞察力や幅広い

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識見と柔軟な運用という高度で困難な課題を背負うこ とになる。多様な知見を受け入れるオープン性と秘匿 性という矛盾をどのように現実的に対処して行くのか。 究極的には,「学問」を審判することになる。  (3)投稿執筆者名の秘匿性と「審査者」による公開• • • • • • • • 説明• •  審査者の 1 人は,「今回,論文執筆者名」が記載さ れた「論稿を受け取った」たことに「驚き」,「経済理 論学会」では「執筆者名」が秘匿されていることに言 及している(「理論学会」の「投稿規定」参照)。  ここで「A 判定」を下した上記の審査者が提出した 文書について触れておきたい。なお,2 名の審査者は いずれも記名• •で文書を提出した。  上記の文書を含めて,全部で 3 通,最初の 2 通は編 集委員会の構成員宛,最後の総括文書(1998年1月18 日付け[A•4 版• • 10• • 頁• ]は特別委員会「報告」と同分 量)は学会の役員宛にそれぞれ郵送された。  それぞれの立場の主張の当否はここでは問題としな い。「査読判定• • • • 」の理由• • • まで立ち入った説明を含め, 審査者による上記の文書の分量• • • • • からしても,「レフ リー制度」に立ち会った際における審査者・研究者と しての厳しい精神と姿勢が,文書から読み取れる。  (4)「異議申し立て」の不許可  特別委員会「報告」には下記のように記載されてい る。  「本『学会誌』の投稿規定」「によれば投稿者は原則 3 ヶ月以内になされる連絡を待つのみであり,結果に 対する異議申し立て,『再審請求』などは許されてい ない」。  この「投稿規定」に「異議申し立て」の規定が入っ ていれば,問題が制度的に展開した可能性もあった訳 だが,それについての言及は「報告」にはないし,今 日の「政治経済学・経済史学会」の[投稿規程]でも, 今もってその規定を欠いている。  (5)学会における「民主主義的精神」による「民主 主義的運営」  特殊日本的な学会の体質,「官僚主義」「権威主義」 「組織防衛」,論争の「対立的」な仕方,規定や手続き への集約(特別委員会「報告」に見られる編集委員の 「守秘義務[の]放棄」などの言及),感情的行き違い など,それらが綯い交ぜとなって「判定問題」へと向 かう傾向がなかったとは言えない。今日の時点から私 はそのように自省する。  「判定問題」は,全学会員周知の上で行われていた とは言い難く,最後は,建設的に問題解決を図る方向 で「妥協」することなく,「判定問題」は自然「解消」 していったように思われる。  この「判定問題」を「学会誌」で「学問(社会科学 の研究対象)」として「論争」するという「自覚」が ないまま,学会はこの「問題」を終結させた。現実的 な「判定問題」の背後には,研究組織における「学問 の自由」や「民主主義的な運営」さらにそれを実践す る「民主主義的精神」などと言う普遍的で本質的な問 題があった訳だが,そのような次元まで昇華させて現 実の「判定問題」を「止揚」させる(そのことによる 共通認識)には至らず,編集委員会における「実際」 「実務」的なレベルに留まって当事者間で「主張」が されたと内省している。

Ⅵ.むすび

 本稿で取り上げたテーマは研究テーマに叶わない。 「レフリー制度」の問題は学会の組織やその運営上の 「実務」的な課題である。このように考えるのは,幅 はあるにしても大方の一般的な思考であろう。それは, 大学の教学に関係する制度や運営の議論にも共通する。  例えば FD 活動,それは今や罰則をもともなう文科 省の推奨事項にもなっていて,大学が「評価」の「点 数稼ぎ」のために課業として遂行しようとする。その FD 活動が教授会などで「学務」上の課題として議題 になった場合に,往々にして,議論は個人的な体験・ 感覚や見識の域を出ないために集約されずに,大学の 「学務」的なプログラムに形の上でも従うのが通例で ある。  それを突破するには,「学務」の用語や課題を研究 者として「学問化」することになる。各人が「教養」 から文科省の大学教育政策なども含む「経済教育」な どを学習し,その実体や本質に連関する諸概念用語を 手繰り寄せ,その用語を用いて教職員間でコミュニ ケーションを図る。そのような道筋を通して,教学の 実際上の諸問題は具体的有機的に合意形成されていく のであろう。  では,本学会の存在意義にかかわるその「学務」上 の課題(「経済教育」の FD 活動)に本学会はどのよ うに応えるのか。それと同様に,文科省の管理強化・ 資本指向(産官学連携),学生獲得のための大学間競 争とオープンな Web への対応などの現実的なジレン マの下で,学会の理念や学会の組織・運営のあり方な どが「学問• • 」のテーマ• • • • として議論にならないのであれ ば,本学会の社会的自覚はどのように形成されるのか。

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 第 28 回大会のテーマの核心とも言える,「経済教育 の本質」については,本稿では視角や方法に係わり断 片的な言及に留まっている。その本格的な展開は今後 に期すとして,最後に「経済教育」の課題や目的につ いて以下で箇条書きに私の考えを留めておく。  ①「経済学」の「概念装置」の研究や学習と「人間 的自覚」の形成を有機的に結びつける。  ②世界的事件を我が身の問題として自分の言葉で表 現する。  ③自分の目や実践を通した感覚や認識を大切にしな がら,自分が獲得した社会科学的「概念装置」で日常 的な事柄を理解し,同時にその「概念装置」をも検証 する。  ④上記の経緯で共有した概念言語でコミュニケー ションを取りながら,社会的問題を解決して行く。  上記の関係を循環させながら社会科学的概念を豊か なものとして体得・感得し,「人間的自覚」を育んで 行く。これは研究と教育に携わるものの精神や姿勢に かかわる課題である。  内田義彦の「日常を学問化する」という見解6)を, 本稿ではそのように理解し,また本稿の 1 つの視点や 論拠としている。   註 1) 藤田省三「転向」(1959 年,『著作集』第 2 巻,第 1 章, みすず書房,1997 年,所収)。 2) 審査能力が問われる事情は,スタッフが少なく,専門分 野が 1 教員の通常の(経済)学部(「数理主義」「実証主 義」へと傾斜した多様化を孕む)における採用人事にも 通底する本質的な問題でもある。その上に,1990 年代前 半からの「カリキュラム改革」の実情により,学会の 「レフリー制度」がより重宝されるようになってきた。 3) 中学・高校の教員が職務・教育上で厳しく突きつけられ ている諸問題も貴重な研究対象となる。「国旗掲揚」「国 歌斉唱」(「学校行事」での「職務命令」)(ならびに「靖 国問題」)は,教員の身分や「思想統制」にまで及びなお かつ生徒にも多いに関心のある事柄ではなかろうか。「日 米安保条約」や「沖縄米軍基地問題」などは日本社会, 経済・国家予算の枠組みにかかわる基本的な課題である。 それらの課題に対する教育とそれに対する職場での管 理・統制の実態など(労働諸条件)がどうなっているの か,それらの実践的な問題への社会科学的な取り組であ る。 会員全員にも係わるが,それらを課題とした論稿がほぼ この 10 年間で本誌に見当たらない─本誌で,高校の「公 民」教科などをテーマにしていても,上記の「思想統制」 などの問題に言及されていない。研究の視角やテーマが 「市場」や文科省の意向に跼蹐していないであろうか。本 学会に「構造論」的視角が希薄であることの 1 証左では なかろうか。 4) 梅田望夫・飯吉透『ウェブで学ぶ─オープンエデュケー ションと知の革命』(筑摩書房,2010 年 9 月)。 5) 高橋幸八郎「序」ⅰ頁(土地制度史学会編『資本と土地 所有』農林統計協会,1979 年 10 月,所収)。 6) 内田の言説も,「ポスト冷戦」と Web の視角から再検討 されなくてはならないが,経済学には本来「人間的自覚」 が組み込まれているという見解,それを力説した内田の 文献として以下をあげておく。「Ⅰ 社会科学の視座」 (1981 年 2 月,『著作集』第 8 巻,岩波書店,1989 年 3 月, 所収)。「経済学の誕生」(1982 年 5 月の講演),「社会科学 の文章」(1983 年執筆)(『著作集』補巻,岩波書店,2002 年 12 月,所収)。「学問する市民社会」(1983 年 8 月),「河 上肇の『モタモタ』に学ぶ」(1982 年 3 月),「大学とは何 かー学問と教育を問い直す」(1977 年 11 月[この対談で, 下記の大塚の著書を「非常に感銘を受け」「教育論の古典 たるべき本」[172 〜 173 頁]と,内田をして言わしめ た])(『形の発見』藤原書店,1992 年,所収)。 また内田の見解に近い見地として内田の師匠でもある大 塚久雄「社会科学における人間」(1977 年,『著作集』岩 波書店,1986 年,所収)。 さらに関連して,丸山眞男の一連の学問,教育に係わる 文献もあげられるが,ここでは,丸山の主著の 1 つである, 次の論文をあげたい。「近代日本の知識人」(1977 年 10 月, 1982 年大幅加筆,『丸山眞男集』第 10 巻,岩波書店, 2003 年 10 月,所収)日本の思想史ならびに社会科学史上 における「日本的マルクス主義」の位置が述べられてい る。それを私の理解で敷衍すれば,「天皇制」と相似した 批判主体における「精神と心理」の無自覚性となる。

参照

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