ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題
〔一〕
一一六五年 秋 く が つ 月 の第三日、方伯ルートヴィヒ四世──この名の方伯としては二世──は父君ルートヴィヒ三 世 (( ( に造 営 さ れ た ヴ ァ ル ト ブ ル ク 城 (( ( の 穹 き ゅ う り ゅ う 窿 高 き 騎 士 の 広 間 に 立 っ て い た。 御 ご 前 ぜん な る 天 ビ ロ ー ド 鵞 絨 の 褥 しとね に 跪 ひざまず く は ハ ラ ル ト・ フ ォ ン・アイヒェ ン (( ( 。方伯の廻りにはルートヴィヒの友人や家臣である数多くの伯爵、貴族、騎士 輩 ばら が 佇 ちょ 立 りつ している。方 伯は剣を高く掲げ、跪いている男の肩を三度軽く打って、こう言った。 「余、テューリンゲン方伯にしてヘッセンの支配者、ルートヴィヒ二 世 (( ( は、 汝 なんじ 、ハラルト・フォン・アイヒェンを 打 ち、 父 と 子 と 聖 霊 の 御 み な 名 に よ り 騎 士 に 叙 任 い た す も の な り。 こ の 三 み 度 たび を 除 き 向 きょう 後 こう い か な る 打 ち ょ う ち ゃ く 擲 を も 許 す べ か ら ず。汝の生命同様騎士の栄誉を重んず べし。虐げられたる無実の者、寡婦、 孤 みなしご 児 を神の栄光に懸けて護るべし。聖処 女マリアの栄光に掛けて 女 にょにん 人 を庇い、敬すべし。皇帝に忠誠なるべし。同じく汝の国君および領主に忠実たるべし。ハラルト・フォン・アイヒェン
──十二世紀後半の一
齣
こまルートヴィヒ・ベヒシュタイン
著
鈴木滿
訳・注・解題
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 騎士の言葉に掛け、手打ち[確約]して、これに 遵 したが う、と余に誓うべし」 。 ハラルトは誓い、身を起こした。ルートヴィヒはその額に 接 くちづけ 吻 する。多くの騎士たちが近づき、誠心誠意彼の手を 握った。 上の 張 バ ル コ ン り出し桟敷 には方伯妃ユッ タ (( ( の女官アーデルグンディス・フォン・エシル バ ハ (( ( が夫人の腰元たちとともにい て、この儀式を見守っていた。アーデルグンディスの眼差しは殊更の好意を籠めて成り立ての騎士の若やかな容姿に たゆたった。ハラルトも目を上げてそちらを見遣る。薔薇が自余の花花に、月が星星に、 金 ダイアモンド 剛石 がその他の宝石に輝 き 優 る よ う に、 そ の 美 し さ の 前 に は い ず れ の 上 臈 方 も 顔 が ん し ょ く 色 無 し の ア ー デ ル グ ン デ ィ ス の 容 姿 に、 彼 の 心 は 言 い よ う のない ほ ど突き動かされ、胸裡に、あちらも自分を愛しているのかも、という一抹の希望が 萌 も え 初 そ めた。しかし今は うっとり痴夢に耽っている時ではない。騎士輩が動き出し、そしてハラルトが今一度 己 おの が太陽が現れていた天を見上 げると、太陽は消え失せていた。さ ほ ど離れぬところで二人の騎士がひそひそ話をしながら、嘲るように彼をじろじ ろ眺めている。すぐさま怒りが込み上げ、すんでのこと騎士たちに、それがしのことを話題としておられるのか、と 詰問しようとした時、方伯が彼の片腕を摑み、広間から連れ出した。 集 つど っていた騎士輩は二人づつ並んでそのあとに 続 き、 広 広 と し た 饗 宴 の 間 に 入 っ た。 ハ ラ ル ト を 小 声 で 皮 肉 っ て い た 騎 士 は エ ッ ポ・ フ ォ ン・ ハ イ ネ ッ ク と フ ー ゴ ー・フォン・ブランデンフェルスで、行列の 殿 しんがり に加わると、もっと声高に二人だけの内緒話を続けたもの。 「できたての騎士君がふっくら焼きあがったわけだが」とフー ゴ ー・フォン・ブランデンフェルス。 「騎士になるの に 相 ふ さ わ 応 しいどんな 勲 いさおし を挙げたのかというとな、なんだか知らんが、我が畏敬すべき、雄雄しき方伯様を鞍から落と した 牡 エーバー 猪 を 斃 たお したのだそうな。方伯様はなんとも 手 て だ 練 れの 猟 りょう 人 じん であらせられるのう」 。 「我らが方伯は」とエッポ・フォン・ハイネックが言葉を差し挟む。 「いつまで経っても変わりゃせん。おぬし、こ
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 れまでかようなことで騎士に叙任されたのを見たことがあるか。まっこと、殿があのお気に入りのために今日設けた 饗宴は飛び切り上等でなければならぬぞ。ヴァルトブルクまで我らがえっちらおっちらやって参った骨折り相当なら ばなあ」 。 「 忘 る な よ。 舞 踏 が あ る の を。 し て、 エ シ ル バ ハ の 姫 御 ご ぜ 前 も 踊 り 手 と し て 加 わ ろ う が な 」 と フ ー ゴ ー が に っ た り 応 じて、ぶつくさ言う相手に 止 とど めを刺す。 「 ま あ さ、 ま あ さ 」 と こ ち ら は 慌 て ふ た め き、 そ れ を 思 っ て 歓 び に ぞ く ぞ く し た の を 押 し 隠 し て「 そ り ゃ た だ 飲 む ためだったら、こんなところへ来やせんさ」 。「おぬし、あれを見なんだのかな」とフー ゴ ーはかなり 揶 や ゆ 揄 した口調で 言う。 「え、何を」とエッポはぎくりと問い返し、饗宴の間の戸口で立ち止まる。 「 ハ ラ ル ト・ フ ォ ン・ ア イ ヒ ェ ン 騎 士 殿 が、 お ぬ し の 讃 美 渇 仰 な さ る る か の 君 が 綺 羅 を 尽 く し て 立 っ て お ら れ た 張 バ ル コ ン り出し桟敷 に、いやもう尋常ならざる視線を向けとったことをよ。して、あちらもじっくり 奴 やつ をご覧あそばしてお ったが」 。 「ええくそ、 忌 いまいま 忌 しい」とエッポが罵る。 「あの餓鬼めの頸根っこをへし折ってくれよう。令嬢が奴をじっくり見て いた、と言ったな」 。 「その通り」というのが返答。 「それにな、なにより良くないのは、そうしちゃいかん、とおぬしが奴にも彼女にも 文句が付けられぬことだ。なにせ、おぬしはあの姫君に優先権があるわけではないからな」 。 「おぬし、代訴人にでもなったのかよ、フォン・ブランデンフェルス騎士」とこちらは嫉妬に駆られて激昂。 「権利 だ な ん だ と 何 を べ ち ゃ く ち ゃ。 わ し の 権 利 は こ の 鞘 の 中 に あ る わ 」 と 騎 士 の 大 た い け ん 剣 を 叩 い て ど な り、 「 し て こ の 権 利 を 用いて、 何 なんぴと 人 にも権利の有る無しを簡単明瞭に教えて遣わそうぞ」 。
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 「さようむきになられな」とフー ゴ ーは水を 注 さ す。 「おぬし同様わしもあの新米騎士を好いておる。また、これもお ぬし同様方伯様を好いておる。それになあ、考えてもご 覧 ろう じろ、我ら互いによう気心が分っておって、かように 些 さ 細 さい なことで仲 違 たが いなどできまいが。さて、さしあたっては口をつぐまねば。食卓へ参ろう。このことについてはまた話 を 続 け る こ と に し て 」。 室 内 で は 喇 ら っ ぱ 叭 の 響 き、 釜 パ ウ ケ 型 太 鼓 の 連 打。 嚠 り ゅ う り ょ う 喨 た る 喇 叭 の 吹 鳴 が 長 長 と 続 き、 葡 萄 酒 を 満 た し た 酒 盃 が 打 ち 合 わ さ れ て 澄 ん だ 音 色 を 立 て て い る。 両 人 が 入 っ て 行 っ た 時、 「 優 ゆう 渥 あく 極 ま り な き 我 ら が 方 伯 様、 万 歳 」 と 騎 士 輩 が 叫 ん だ。 に こ や か な 温 情 を 眼 差 し に 湛 え て ル ー ト ヴ ィ ヒ は 席 か ら 立 ち 上 が り、 「 我 が 友 垣 よ、 我 が 忠 良 な る 臣 下 よ、 全 テ ュ ー リ ン ゲ ン の 騎 士 一 統 よ、 万 歳 」 と 返 し、 高 ポ カ ー レ 脚 杯 を 一 滴 も 余 さ ず 飲 み 乾 し、 そ の 証 あかし に 左 親 指 の爪の上に酒盃を逆さまに載せてみせると、 釜 パ ウ ケ 型太鼓 が再びどろどろと轟いて、騎士たちの陽気な歓呼と交錯した。 顔には喜びの笑みを浮かべ、心中には怨恨と 忿 ふんまん 懣 を抱きながら、エッポとフー ゴ ーは空けてあった席に着く。 食 事 が 終 わ り、 提 ヴ ァ イ オ リ ン 琴 と 横 フ レ ー テ 笛 の 清 ら か な 白 し ろ が ね 銀 の 音 色 が 舞 踏 へ と 誘 いざな う と、 饗 宴 の 際 騎 士 た ち の 世 話 を し て い た フ ォ ン・エシル バ ハ姫に、ハラルトがおずおずと近づき、腕を差し出した。令嬢はぽっと頬を染めて会釈し、彼に従った。 な に し ろ、 こ の 端 麗 な 青 年 が 申 し 込 む の で は な い か、 と 漠 然 と 予 感 し て い た の で ね。 騎 士 た ち は 柏 アイヒェ の 葉 と 樅 タンネ の 若 枝で美しく飾られた大広間に移った。そこには、方伯の招きに応じて、たくさんの市民の妻女らが娘とともにアイゼ ナ ハ (( ( から来ていた。方伯の先導で軽快な輪舞が始まり、だれの顔にも嬉しさが、和やかに微笑む天界の子どもが、薔 薇の花壇を 設 しつら えたもの。 「 合 が 点 てん が 入 い ったか」とフー ゴ ーが、茫然として声もない友に向かって得得と告げた。 「あれが、これまであえて近づ こうとする騎士を 悉 ことごと く大体のところ鼻持ちならぬ高慢さであしらった跳ねっ返りの娘かよ。先日もわしに肘鉄を 喰 くら わせおった。あの女、わしと踊るつもりはない、とぬかしてな。こちらは一晩中でも相手したかったに。最近おぬし
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 の強情っぱりの 牝 ひん 馬 ば がおぬしを鞍から落とした時、 野 の 放 ほう 図 ず におぬしを笑い飛ばしたんじゃなかったか。それから、あ の向こう見ずにおぬしが騎馬での競争を申し入れた時、走路の半ばでおぬしを追い越し、まるまる一分も早く決勝点 に 着 い た の で は。 そ れ が 今 は ど う だ。 い か に も 生 き 娘 むすめ ら し く は に か ん で、 お 淑 しと や か に 顔 を 赤 ら め た で は な い か。 あ の 青二才の騎士が舞踏に誘うとな。どういうことか分かるか。──あれの心に根付いたのは恋なのさ。この恋にはおぬ しの求愛のごとき小枝なんぞは金輪際 接 つ ぎ木できまいて」 。 フ ー ゴ ー は 口 を 閉 じ た が、 エ ッ ポ は 相 変 わ ら ず 鈍 重 に 考 え 込 ん で 佇 たたず ん だ ま ま。 仲 間 の 言 っ た こ と な ど 右 か ら 左、 ろくすっぽ、あるいは何にも聞いていなかった。返辞もせずにフー ゴ ーの腕を荒荒しく摑むと、一緒に舞踏の大広間 へ赴く。二人が足を踏み入れた時はもう相手になってくれる女性は一人も残っていなかった。彼らの前を通り掛かっ たルートヴィヒがからかい口調で「どうやら貴公ら、今日はどこでも少しばかり 後 おく れを取るようだな、騎士輩」と声 を掛ける。 何度も甲斐ない試みをした挙句、それでもやっとアーデルグンディス姫を踊りの相手に譲り受けることのできたエ ッ ポ は、 ほ ん の 数 回 彼 女 と ぐ る ぐ る 廻 り を し た だ け で、 む し ゃ く し ゃ を 抑 え き れ な く な り、 こ う 訊 ね た も の。 「 あ の ひよっこ騎士はいったいどんな甘い 科 せ り ふ 白 を囁きました、麗しの姫君」 。 「ずっと 雅 みやび なお言葉をね」が答。 「あなたのご質問などよりも。フォン・ハイネック騎士様」 。 「あんな猪殺しでもお 転 てん 婆 ば な鳩ちゃんを捕まえて馴らせるのですかな」と無作法者が更に訊く。 「ならば、あれに叶 わぬことは何もない」 。 「エッポ殿はいったいいつから 女 にょしょう 性 を 辱 はずかし めるのがご趣味になりましたの。私、少なくともこれまではあなた様を 悪く思ってはおりませんでしたが、失礼なお言葉で考えがはっきりいたしました」とアーデルグンディスは手厳しく
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 や り 返 し、 「 こ ん な こ と を ご 質 問 な さ ら ず に 済 む よ う な 別 の 上 臈 を お 探 し あ そ ば せ 」。 そ う 言 っ て 身 を 振 り 放 す。 「 エ シ ル バ ッ ハ 姫 」。 び っ く り 仰 天 し た 騎 士 は 引 き 留 め た が、 こ ち ら は 聴 く 耳 持 た ば こ そ、 恥 ず か し さ と 怒 り に 頬 を 火 ほ て 照 らせて広間から飛び出した。窓のある 壁 へきがん 龕 に 倚 よ ってなにするともなく舞踏を眺めていたハラルトは、こよなく美しい アーデルグンディスから片時も目を離さなかったが、この時、エッポがしつこく何か訊ねるのを、彼女が目を伏せる のを、騎士の顔に嘲笑が浮ぶのを、そして彼女が体を 捥 も ぎ離して広間を出るのを目撃。彼は踊り手たちの陽気なさん ざ め き を 抜 け て こ っ そ り そ の 後 を 追 い、 彼 女 が と あ る 拱 ア ー ケ ー ド 廊 で 泣 き な が ら 佇 ん で い る の を 見 つ け た。 心 を 痛 め て 近 づ き、優しく配慮しながら、何がお辛いのか、と問い質し、だれにてあれ、かような侮辱を加えた者に報復をいたしま しょう、と誓ったが、アーデルグンディスは何を訊かれても強情に口をつぐんだままで、それをいなそうとした。そ してハラルトに、また広間で舞踏のお相手を、と懇願されると、あのぶしつけな騎士の慢心を挫けるかな、と思いつ き、涙を乾かし、頬に強いて楽しそうな微笑を浮かべ、何事も無かったかのように、ハラルトの腕に 縋 すが って毅然とし た足取りで広間に入ったもの。そしてエッポを冷ややかな眼差しでさっと見やる。こちらは 歯 は 軋 ぎし りしながら、歳を喰 ったさる令嬢を踊り手の列の中で大骨折って引き回し、狂ったように乱暴にぐるぐる旋舞したので、息を切らせたご 婦人は立っているのがやっとこさ、後生ですから休ませて、と頼まざるを得ぬ。そしてひどい咳に襲われ、これは舞 踏が終わるまでいっかな止まらなかった。 「これからどちらへいらっしゃいますの、フォン・アイヒェン様」とアーデルグンディスは相手に訊ねた。 「もう方 伯様のお供はなさらなくてもよろしいのでしょう」 。 「我らが優しいご主君は」とハラルトが応じて、 「城を一つ建てて 遣 つか わす、とおっしゃいました。けれど、お傍に置 いてくださるよう切にお願いいたしましたら、従者筆頭に登用いたそう、と仰せになり、ご 優 ゆう 渥 あく にもわたしの願いを
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 お認めくださったのです。されば、我が敬慕の君よ、日毎そなたにヴァルトブルクの城でお目に掛かり、そなたと語 ることが叶えられましょうや、また、騎士の礼節に 則 のっと ってそなたに求愛いたすことを、この 信 ま こ と 実 ある 僕 しもべ にお許しく だ さ い ま し ょ う や 」。 ア ー デ ル グ ン デ ィ ス は、 な ん と も 快 こころよ か っ た に も 関 わ ら ず、 後 の 質 問 は 黙 殺 し、 先 の に は 答 え た。 「 騎 士 様、 そ う し た 歓 び を 長 く は あ な た と 分 か て ま せ ん の。 何 日 か 経 ち ま し た ら、 私、 方 伯 妃 の お い で あ そ ば す ノイエンブルクのお 城 (( ( へ参りますので」 。 「して、わたしの問の残りにはご返辞戴けませんので」とハラルトはそっと手を握って 低 こ ご え 声 で囁いた。 「 も う す ぐ 方 伯 様 の ご 一 行 と し て い ら っ し ゃ る あ な た に、 ノ イ エ ン ブ ル ク の お 城 で 歓 迎 の 杯 (( ( を 差 し 上 げ る の が 待 ち 遠しゅうございますわ」と彼女は答を 逸 そ らしたが、はにかんで目を伏せたまま。ハラルトは、妬み深い知りたがり屋 の耳に聞かれないよう、壁龕の一つにアーデルグンディスを誘い入れていたのだが、この時彼女の手を熱烈に自分の 唇 に 押 し 当 て、 忙 せわ し な く こ う 言 っ た。 「 姫、 わ た し は そ な た を こ の 身 の 生 命 同 様 愛 し て お り ま す。 そ な た が 上 の 張 バ ル コ ン り 出 し 桟 敷 に 限 り 無 く 美 し い 栄 光 に 包 ま れ て 立 っ て お ら れ た 時、 不 ぶ 躾 しつけ な が ら わ た し は そ な た を 見 上 げ ず に は い ら れ ま せ な ん だ。 そ し て 内 心 こ う 叫 ん だ の で す。 た だ こ の お 方 の み、 と。 そ な た は わ た し が 初 め て 恋 に 落 ち た 女 にょ 性 しょう で す。わたしはこの気持ちをこれ以上胸の 裡 うち に潜めていることはできませぬ。どうかお答を。そなたをお慕いしてよろ しいでしょうか。そなたのお心とお手とを待ち望んでよろしいでしょうか」 。 「騎士様、随分と性急な」と身を震わせながら彼女。そして頬の濃い 臙 えん 脂 じ は西空の真紅の夕焼け雲と色を競う。 「今 すぐに私の行く末を決めよとおっしゃられても。正直申しまして、私、あなたを 厭 いと うてはおりませぬ。でも、いずれ、 もっとしかるべき場所でいろいろお話できるまで、さしあたってはまずこれにて」 。「いつ、どこでです」とこちらは 有頂天で叫び、歓喜のあまり彼女の前に崩折れんばかり。
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 「 ほ んの数日後、方伯様は狩を催されます。それまでは私もまだ滞在いたします。その折お話いたしましょうね」 。 そう言うと窓を開き、爽やかな夕風に頬の火照りを冷まし、ハラルトと手を携えて再び舞踏に戻った。 舞踏会は真夜中まで続いたが、これがお開きとなると、方伯は居合わせた全ての騎士をインゼルベル ク ((( ( の森林で行 う一大狩猟に招待、親しみを籠めた握手を交わして一同に別れを告げた。ハラルトは 臥 ふ し ど 所 で 輾 てんてんはんそく 転反側 、前日の歓びの 数数がきらびやかに輪舞しながら心の中をふわふわ 過 よ ぎって行く。そして夜のしじまを貫いて舞踏曲の陽気な調べが 今なお鳴り響いているような気がした。 翌朝早くエッポとフー ゴ ーは馬にまたがり、己が在所目指して速歩で進んで行った。エッポは不機嫌に押し黙り、 フ ー ゴ ー は 仲 間 よ り は の ん び り 構 え て い た が、 心 中 は 方 伯 に 対 す る 恨 み つ ら み で 一 杯 だ っ た。 「 あ あ し た 主 君 に は も う こ れ 以 上 仕 え た く な い 」 と 遂 に エ ッ ポ が 爆 発、 「 あ の 殿 の こ と、 じ き に 厩 の 下 働 き の 小 僧 風 ふ 情 ぜい を 騎 士 に 叙 任 す る だ ろうて。おべっか使いの洒落者にどうして我らが尻目に掛けられなきゃならんのだ。全体あのアイヒェンてのは何者 だ。奴の両親はどこに住んでおる。奴の系図はどんなものなのだ。それからあのエシル バ ハだが、方伯妃に、──そ うさな、方伯妃といやあ、あれに合うなんてのはそうおらんのだろうな、でなけりゃあんな女女しい亭主と結婚する わけはない て ((( ( ──、いや、わしの言いたいのはだな、方伯妃に、あの女、お情けで養われているではないか。あの女 の 先 祖 と か そ の 連 中 の 武 功 に つ い て 何 か 聞 い た こ と が あ る か。 わ し は あ れ の 素 す 姓 じょう な ぞ 知 ら ぬ。 だ が、 牛 は 牛 連 れ 馬 は馬連 れ ((( ( 、と申すわ。あの両人にそいつは認めてやれよう」 。 「 お ぬ し が 考 え る よ う な こ と は、 わ し も、 ロ ー ベ ル ト・ フ ォ ン・ ブ ラ ン デ ン ブ ル ク も、 ハ ン ス・ フ ォ ン・ キ ュ ー ブ ル ク も 考 え て お る さ。 他 に も 何 人 か な。 皆 方 伯 に は 腹 を 据 え か ね て お る の だ 」 と い う の が フ ー ゴ ー の 返 答。 「 方 伯 に は 雄 雄 し い と こ ろ が 全 く 無 い し、 豪 胆 な 伯 爵 や 騎 士 輩 を 統 御 す る 術 すべ を 心 得 て お ら ず、 ま た、 そ の 器 うつわ で も な い。 し た
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 が、 お ぬ し、 か よ う な こ と も 慮 おもんぱか ら ね ば な あ。 断 固 た る 主 君 だ と も っ と ず っ と 我 ら が 私 わたくし 事 ごと に 嘴 くちばし を 突 っ 込 ん で、 認可を伺わずにやっておるさまざまなことを容赦せんだろうて」 。 「おぬし、大狩猟に加わるか、フォン・ブランデンフェルス騎士」と片方。 「あの生意気な令嬢など屁でもない。あ れはおのれのご愛顧はいつだって引っ張りだこだ、と思っておる。わしが出掛けて行って、その邪魔をしてやれば、 恋 し い お 方 と 二 人 っ き り に は な れ ん わ さ 」。 そ う 言 っ て エ ッ ポ は 袂 を 分 か ち、 疾 走 し て 立 ち 去 っ た。 フ ー ゴ ー は と い えば、悠悠閑閑駒を進め、 今 いまよう 様 の 流 は や り 行 唄の最初の一節を口ずさんだ。 山を越えたりゃのう、泉も越えて、 墓の下でものう、 水 みなそこ 底 にても、 谷の下でものう、 湖 うな 底 そこ にても、 奈落の 径 みち なれ、岩山越えも、 恋はどこでもよう、 案 あ な い じ ゃ 内者 よう。 狩 の 角 笛 が 何 本 も 鳴 り 渡 る。 城 の 中 庭 で は 馬 た ち が 嘶 いなな い て 戛 か つ か つ 戛 と 蹄 を 鳴 ら し、 猟 人 た ち の 傍 ら で 犬 ど も が 嬉 し さ に鼻を鳴らして躍り上がる。アーデルグンディスは早くも雪白の 側 ツ ェ ル タ ー 対歩馬 に ((( ( ひらりとまたがっていた。右手には 猟 しし 槍 やり を握り、左手で軽く駒の手綱を握り、気高いディアー ナ ((( ( が被るような輝く冑の青 鷺 ((( ( の羽飾りを靡かせ、まこと 女 ヴィラーゴー 戦士 さ ((( ( ながら。この 白 しろがね 銀 の冑は豊かな髪の毛を包むことができなかったので、長い巻き毛が胸と両の肩に垂れて波打って いた。ハラルトの眼差しは陶然とその姿に釘付け。彼女の黒い目が稲妻のように彼の目に閃けば、彼の頬に真紅の灼
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 熱の火が燃え上がる。二人はお互い以心伝心。 この時、緑の猟服を纏い、簡素な羽飾り付き縁無し帽を被った方伯が愛想良い表情で姿を現した。エッポは顔にせ せ ら 嗤 わら い を 浮 か べ 、 乗 馬 の 頸 越 し に フ ー ゴ ー の 方 に 身 を 乗 り 出 し、 に や に や し な が ら こ う 囁 い た。 「 あ の ご 大 層 な 御 仁 を 見 ろ よ。 知 ら ん 者 だ と、 我 ら が 猟 犬 係 の 使 い っ ぱ し り ど も と 区 別 が つ き か ね よ う ぞ 」。 こ の 陰 険 な 言 葉 に こ っ く り し て 賛 意 を 表 し た こ ち ら は こ う 応 じ る。 「 あ の 方 は 今 日 の 狩 で も 大 層 お 目 立 ち あ そ ば す だ ろ う て。 牡 ヒ ル シ ュ 角 鹿 や ((( ( ら 牝 ザ ウ 猪 や ら が 出 て 来 て も、 殪 たお せ な い の が 今 か ら 目 に 見 え る よ う だ。 ま た し て も 牡 エ ー バ ー 猪 に 突 っ 掛 か け ら れ る か も 知 れ ん が 」。 嚠 喨たる角笛の響きと猟人たちの陽気な叫び声がこの会話を中断する。狩の一行が動き出した。先頭を切るのはアーデ ル グ ン デ ィ ス を 従 え た 方 伯、 そ の 後 に す ぐ ハ ラ ル ト・ フ ォ ン・ ア イ ヒ ェ ン が 新 し い 友 人 二 人、 オ ッ ト カ ー ル・ フ ォ ン・ミュンヒとアルベルト・フォン・ヘルゼルガウとともに進み、これに続くのはフォン・ブランデンフェルス、フ ォン・ブランデンブルク、フォン・ハイネック、フォン・キューブルク騎士その他の面面。それから猟師、盾持ち、 勢 せ こ 子 たちが引きも切らず。 向かうは、インゼルベルクがテューリンゲン国の山山を圧して 突 とっこつ 兀 と聳え立っているかしこ。数時間後、八方から 山を取り巻いている森へ到着すると、狩が始まった。 アーデルグンディスはハラルトになにやら二言三言囁き掛けるなり、勇ましく疾駆し去った。こちらは嬉しそうに 笑って頷き、目には歓喜の薔薇色の反映が輝く。 高らかなハロ ー ((( ( の掛け声とともに猟人たちはここかしこへと散った。方伯はヴァルタースハウゼ ン ((( ( 近郊のテンネベ ルク城で夜を過ごすと決められていたので、やがて、狩猟よりも飲むのが楽しみな騎士輩はここへ引き揚げた。方伯 は従士一人を従えてまだ 唐 フィヒテ 檜 の森で狩をしていた。すると堂堂たる角を生やしたよく肥えた 牡 ヒ ル シ ュ 角鹿 が目の前に姿を現
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 したので、一際強く乗馬に拍車を掛けると、駒は喘ぎながら逃げる 牡 ヒ ル シ ュ 角鹿 の後を追う。従士は狩猟に夢中の主君に 随 つ い て 行 こ う と 務 め た が、 む な し く 姿 を 見 失 っ て し ま っ た。 十 五 分 後 方 伯 の 馬 が 死 ん で い る の が 見 つ か っ た が、 主 あるじ の 行方は 杳 よう として不明。 角笛が帰還の譜を吹き、ハラリ ー ((( ( が次第に消え、猟人たちが集まって来、三三五五連れ立って、ルートヴィヒが先 着している、と思いつつ、テンネベルク城での歓待を受けようと、そちらへ急いだ。ところが一団また一団と到着し たのに、方伯はいずれにも同行していない。秋の宵のこと、霧が森や牧に拡がり、最後に供をしていた従士が、お行 方 を 見 失 い ま し た、 と の 報 ら せ を 齎 もたら す と、 方 伯 に 忠 義 な 僅 か な 者 た ち の 間 に 憂 色 が 漂 っ た。 ハ ラ ル ト と ア ー デ ル グ ンディスもまだ居合わせなかったが、方伯の身を気遣ったため、二人のことは忘れられた。一方フー ゴ ーとエッポお よびその一味徒党は失踪した方伯のことなどろくすっぽ構わず、把手付きの大杯をなみなみと満たして悦に入り、仲 間内で気の置けぬおしゃべり。互いに酌を取り交わし、かなり声高に方伯の誹謗に興じていた。片や猟人たちは再び 四方に散って、霧の夜の中主君を探し廻った。森中で犬どもが吠え、角笛の響きが長長と尾を引いて消え、霧の中を 夥 し い 炬 た い ま つ 火 の 明 か り が 輝 く。 猟 人 た ち は 集 ま っ て は ま た 別 れ た が、 方 伯 は 発 見 さ れ ず じ ま い。 忠 臣 た ち の 心 は 危 惧・ 憂慮とともに不吉な予感で満たされた。
〔二〕
もう夜も更けていたがルーラ 村 ((( ( の鍛冶屋ネーベリング親方はまだせっせと働いていた。村外れの近隣の家家は闇に 包まれており、深い眠りがその住民の上に翼を拡げていたが、火花の飛び散る彼の炉は夜闇の中で明るく輝き、 鎚 つち の 響は夜のしじまを貫いてはっきりと聞こえた。武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 と、扉が開いて入って来たのは、緑の猟服を纏い、簡素な羽飾り付き縁無し帽を被った男。愛想の良い眼差しを向 けて、今晩は、と挨拶。 「ところで」と彼は自分をじろじろ眺めている働き者に向かって口を切る。 「お宅で一夜の宿 を 頼 め ま い か、 ご 主 人。 し て、 そ の 前 に 夕 食 を な 」。 到 来 の 客 人 を 頭 か ら 足 の 先 ま で 陰 鬱 な 目 付 き で 吟 味 し て い た こ ちらは、 「もとよりだで」と応じる。 「うちに有り合わせの品で良ければ、また、 下 しもじも 下 の食い物をばかにする口の肥え た 御 仁 で な け り ゃ の 」。 返 辞 も 待 た ず に 戸 棚 に 近 づ き、 賄 え る だ け の 黒 くろ パ ン、 牛 バ タ ー 酪 、 乾 チ ー ズ 酪 、 そ れ か ら 一 塊 の 燻 ベ ー コ ン 製塩豚肋肉 を取り出した。 「 こ ち ら の 長 腰 掛 に 座 っ て 食 い な さ れ 」。 炭 が か っ か と 灼 熱 す る よ う に、 鞴 ふいご の 柄 に ま た 手 を 伸 ば し な が ら 言 う。 猟 人 は 指 図 さ れ た 通 り に し て、 質 素 な 食 事 を 賞 味 し た。 し ば ら く す る と 鍛 冶 屋 が 訊 い た。 「 あ ん た の 素 性 は。 し て ま た どこから来なさった」 。 答えて「わたしは方伯ルートヴィヒの 狩 かりうど 人 。獣を一匹追い掛けていて迷い、仲間たちにもはぐれた。そなたの火の 明るい輝きがこのもてなしの好い家に案内してくれたのだ」 。 「あのお情け深い方伯の狩人とな」と鍛冶屋はせせら笑う。 「この名を言うたびに口を拭かにゃならん。実はの」と びっくりしている猟師に向かい、もっと烈しい口調で「あんたのお情け深い殿様のためだったら、わしゃあんたを泊 めてなどやりはせん。したが、厩には藁も干し草もどっさりあるで、眠るがええだ。あんたは好い人間らしいだで。 あんたの殿様のためだったらうちの敷居はまたがせないところだがの」 。 こ う 聞 か さ れ て 猟 師 の 驚 き は い や 増 さ り、 目 は 伏 せ ら れ て、 頬 は か っ か と 火 照 っ た。 「 方 伯 は そ な た に 何 を し た の だ」と彼はやっと聞き取れるような声で囁いた。 しかし鍛冶屋はこれに返辞もせず、一片の鉄を炭に突っ込んだ。これがすっかり灼熱すると、 火 やっとこ 鋏 で引っ張り出し、
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 重 い 鎚 を 手 に 取 り、 鉄 を 鉄 か な し き 敷 の 上 に 置 き、 力 強 い 手 で 続 け ざ ま に こ れ を 打 ち な が ら、 声 高 に こ う 唱 え た も の。 「 堅 く なれ、鉄のように、お情け深い方伯様よ。あんたが生きておってもあんたの哀れな臣民に何の助けになろうぞい。あ ん た の 相 談 役 た ち は あ ん た の 目 に 砂 を 投 げ 込 み[ 眠 ら せ ]、 可 哀 そ う な 連 中 が 苦 し む の を 見 な い よ う に し と る。 奴 ら はあんたの耳を 提 ヴァイオリン 琴 と 横 フレーテ 笛 の音と狩の騒ぎで一杯にし、可哀そうな連中の訴えが聞こえないようにしとる。奴らは 国中を勝手気儘に 牛 ぎゅう 耳 じ って、民草なんぞは踏み付けじゃ」 。 それからこの鉄をまた炭火に突っ込み、鞴で風を送った。青い焔が炎炎と燃え上がると、鉄を引っ張り出して、鎚 で打っては唱え始めた。 「 堅 く な れ、 鉄 の よ う に、 お 情 け 深 い 方 伯 様 よ。 こ の 鎚 が こ の 鉄 に 落 ち る よ う に、 あ ん た の ご 家 来 衆 の 非 道 な 行 い は続けざまにあんたの臣民の上に落ちる。ブランデンブルクに仕えるしもべ、可哀そうなイェルゲは、いぶせき住ま いに賦課された税を調達できなんだ。夜昼通して働いたが、挙句の果ては病気になった。どうもできずに藁の上でご ろ り。 四 よ っ た り 人 の ち び も 父 親 同 様 青 っ ち ょ び れ て、 病 やまい に 罹 かか り、 そ の 廻 り に 裸 で 転 が る。 女 房 は 目 を 泣 き 腫 ら し て う ろ つ くばかり。そこへ 下 したやく 役 がやって来て、見つかったものは 一 いっさい 切 合 がっ 財 さい お取り上げ。ちっぽけな家もやっぱりな。哀れな一 家 は 立 ち 退 か さ れ た。 そ れ か ら 二 日 で イ ェ ル ゲ は 気 の 毒 な が ら く た ば っ た 」。 抑 揚 の 無 い、 う つ ろ な 声 で 鍛 冶 屋 は こ う言ったもの。猟師は相変わらずひっそりと長腰掛に座っていた。惨めな暮らしを思い遣って涙がその碧い大きな目 に溢れたが、口はつぐんだままだった。鍛冶屋は新しい炭をついで、改めて鞴を動かし、別の鉄を取り、それが真っ 赤に灼けると鉄敷に載せ、鎚を拍子に唱えごとを続けた。 「 堅 く な れ、 鉄 の よ う に、 お 情 け 深 い 方 伯 様 よ。 わ し の 名 付 け 親 の レ ス ナ ー は ま っ こ と 真 っ 当 な 男 で な。 我 が 手 で せっせと働いて地道に 生 く ら し 計 を立てとった。ある時荷車で石を運んだ。どこへかはわしは知らぬがの。狭い谷道で貴族
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 の家来が乗った軽い馬車に行き逢うた。こやつ、居丈高にレスナーに要求した。重い荷車を戻して、道を明けろ、と な。レスナーはそうはせなんだ。口喧嘩から拳骨沙汰よ。家来は逃げた。したたかにぶん殴られてな。三日後レスナ ーが 余 よ そ 所 へ行った、と噂が立った。したが ほ んとはブランデンフェルスの城の一番下の地下牢に閉じ込められて体を 丸めて座っとる。二度と再びわしにゃ会えまい」 。 「 酷 むご い[ = 堅 い ] こ と よ な 」。 休 息 し て い た 長 腰 掛 か ら さ っ と 飛 び 起 き て 猟 師 が 言 っ た。 「 あ い、 い か に も 酷 い[ = 堅い] 」と鍛冶屋。 「したが、あんたの殿様があれ ほ ど 軟 やわ くなければ、この国に酷い[=堅い]ことはそれ ほ ど起きる まいに」 。そうしてまた仕事に戻り、炭火が白熱するまで風を送ると、鎚を振るって鍛え始めた。こう唱えながら。 「 堅 く な れ、 鉄 の よ う に、 お 情 け 深 い 方 伯 様 よ。 わ し が イ ン ゼ ル ベ ル ク の 麓 の 森 に 薪 集 め に 行 っ た 時 の こ と だ。 今 日方伯が狩をしたあそこへな。そうやって手押し車に積んでいると、遠くからひいひいわめき叫ぶ声が聞こえた。そ のつんざくような調子にわしは胸が張り裂けそうだった。その悲鳴が風のような速さで近づいて、藪の中でざざっと 音がしたかと思うと、物凄い勢いで堂堂とした 牡 ヒ ル シ ュ 角鹿 が飛び出して来た。体中白い泡にまみれてな。その枝角に両手 を縛られ、鎖で 牡 ヒ ル シ ュ 角鹿 に繫がれた男がそれに乗っておった。大声で悲鳴をわめき散らしておったのはこの男よ。着て いるものはずたずたで、 襤 ぼ ろ 褸 になって体に垂れ下がっとった。何百とも知れぬ傷から止まらずに流れ出している血で、 顔はだれだか分からんかった。片目は樹の枝に突かれてとっくに 抉 えぐ り出されちまってな、髪の毛は血 塗 まみ れの頭の廻り にざんばらで、皮膚は無残に剥がれており、鮮血が幾筋も流れ落ちていた。わしは仰天して立ちすくんでおったが、 持っていた鋭い手斧を摑んで、十六本の枝角を生やしたその 牡 ヒ ル シ ュ 角鹿 目掛けて投げた。外した。獣は不幸な人間もろと も 橅 ぶな の茂みへ荒荒しく飛び込んで走り去った。それからまだ長いこと奴の悲鳴が遥か彼方から聴こえていたわい」 。 「 止 め て く れ い、 後 生 だ 」 と 猟 師 が 叫 ん だ。 「 わ た し の 胸 は そ な た の 恐 ろ し い 物 語 に 血 を 流 し て い る 」。 け れ ど も 鍛
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 冶屋は聴こえなかったかのように、先を続けた。 「 近 く の 村 に 哀 れ な 農 夫 が お っ て な、 自 分 の ち っ ぽ け な 穀 物 畑 を 荒 ら し た 牡 ヒ ル シ ュ 角 鹿 を 一 頭、 貴 族 フ ォ ン・ ハ イ ネ ッ ク の猟獣なのに、殺したのよ。そこでそうしてその償いをさせられたっちゅうわけ」 。 「わたしはこんなことを何も耳にしたことはない」 。立腹して地団駄を踏みながら、猟師はつい口走った。両眼は消 えて行く炭のように黒黒と燃えている。 「あんたが耳にしたところで」と鍛冶屋は笑った。 「それが何の足しになったろう。可哀そうなイェルゲの命を奴の 子どものために救うてやれたか。レスナーを助け出せたか。鹿を射た不幸せな男を自由の身にできたか。耳にしたと ころで、あんたは方伯に口をつぐんでおったろうよ。お傍にいる他のだれもが黙っておるように。それにのう、方伯 の従者の一人が騎士輩にその君侯にして殿様たるお方からの命令を持って行っても、あれらは要請をせせら笑い、方 伯を 女 じょろう 郎 呼ばわりし、自分たちに都合の良いことをするだけさな」 。しゃべるのを中断して突然鍛冶屋はこう言った。 「休みたくはないかの。一緒に来なされ。うまい寝場所を教えて進ぜる」 。 「忝い」と物思いに沈んで佇んでいた猟師が応える。 「もう夜が白み始めている。きっと道が分ろう。神がそなたの 手厚いもてなしにお報いくださるように。息災でな」 。 猟師が別れを告げると、鍛冶屋は 晩 ばんとう 禱 を 誦 とな えて、床に入った。 ハラルトとアーデルグンディスが日の出を待ち受けているインゼルベルクの最高峰はどんどん明るくなって来た。 二 人 の 下 方 に い く ら か 離 れ て 騎 士 の 盾 持 ち が 馬 た ち に 草 を 食 は ま せ て い る。 「 か よ う な 高 たか 処 み 、 か よ う な 刻 限 で の 逢 引 の 例 ためし などまずこれまでにありますまいね」 。令嬢が戯れる。軽装の彼女は冷涼な朝風に全身を震わせた。 「 そ れ な ら わ た し は な ん と も 幸 せ 」 と ハ ラ ル ト は 言 っ て、 戦 おのの く 乙 女 を 自 分 の 天 ビ ロ ー ド 鵞 絨 の 外 套 に 包 み 入 れ た。 「 恋 の 歓
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 びと好運に酔ってこの高処から朝日に向かい、 勝 かちどき 鬨 を挙げる者はわたしを 嚆 こう 矢 し といたすなら。しからば、眼下の谷谷 にいまだ暗闇が我が物顔でいるように、わたしの敵どもの妬みと報復欲がこの身を包むかも知れませぬが、わたしは そ な た の 寛 容 の 輝 き に 向 か っ て 昂 然 と こ の 頭 こうべ を 上 げ ま す。 し て ま た そ な た の 頬 も 東 の あ の 雲 の よ う に 赤 く 染 ま っ て おりますね。この 紅 くれない の色こそわたしにとってそなたの愛の証。そなたは最後にはそなたのご愛顧という陽光をわた しに投げてくださるのでしょう。太陽がまず山のこの峰を照らすように」 。 「あなたはお熱に浮かされていらっしゃるのですわ」と赤くなった乙女。 「そして甘い 口 く 説 ぜつ をお止めにならなければ、 面 ヴェール 紗 を下ろしてしまいましてよ。朝の牧が霧の流れの 面 ヴェール 紗 に隠れるように」 。 「 や あ、 そ の 面 ヴ ェ ー ル 紗 が 谷 間 に 沈 ん で 行 く さ ま を ご 覧 な さ い 」 と 青 年 が 叫 ん だ。 清 清 し い 微 そ よ か ぜ 風 が 東 か ら 吹 い て 来 て、 平 地の霧を追い払い、山が一つまた一つと彼らの足許に頂を現し、周囲はますます明るくなった。 「ハラルト」とアーデルグンディス。 「私があなたを好いていることはお分かりですわね。あなたをご信頼して夜中 この山頂まで連れて来て戴いたことがもうその証拠。また、私が一存では身の振り方を決められず、私の第二のお母 様とも言うべき方伯妃様が、数限り無いご親切を施してくださった結果、私に対してある種の権利をお持ちになった こともご存じね。このことについては私、どんなことがあってもあの方と争う気にはなれません。どうか方伯様に、 私と結婚したい、とお頼みになって。方伯様はあなたのことを奥方様に執り成してくださいましょう」 。 若やかな一日が明け初めた。澄み切った淡青のそここに薔薇色の雲の筋がふわふわと浮び、見 霽 は るかす限り天の穹 窿が微笑んでいる。昇る旭日の最初の閃光が遥かな地平線を区切っている遠い山並の背後からさっと上がった。ハラ ルトとアーデルグンディスは黙って立ち尽くし、壮大な光景に見入っていた。 「わたしのものになってください、素晴らしいひと」 。ハラルトは突然こう叫んで、美しい女狩人の足許に跪いた。
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 「 わ た し の も の に。 切 に お 願 い つ か ま つ る、 こ の 清 ら な る 空 の 光 明 に 掛 け て。 我 が 胸 の 裡 で そ な た の た め に 燃 え る 焔 もあれと同様 清 しょうじょう 浄 です。切にお願いつかまつる、この清らなる空の青に掛けて。 信 ま こ と 実 を尽くしてそなたを愛しまし ょうぞ。 渝 かわ ることなく」 。 昼 の 女 王 が 更 に 高 く 昇 り、 黄 金 の 球 が 大 地 か ら 華 麗 に 身 を 脱 し て 青 サ フ ァ イ ア 玉 の 宮 居 に 入 ろ う と し た 時、 ア ー デ ル グ ン デ ィスの冑の青鷺の羽がぐらりと下に揺れ、 羞 は じらいの笑みを浮かべながら、跪いている騎士に身を屈め、波打つ胸に 引き寄せて、 「 永 と わ 久 にあなたのものに」と囁いた。 「 永 久 に そ な た の も の に 」 と 幸 運 児 は 歓 呼 し、 相 手 を ひ し と 抱 き 締 め た。 壮 麗 な 太 陽 も 紺 碧 の 天 空 も も は や 眼 中 に 無し。ハラルトの青空はアーデルグンディスの目にこそあれ。ハラルトの曙色はアーデルグンディスの頬にこそあれ。 相愛の二人は黙ったまま立ち尽くし、爽やかな朝風を吸い、それに何千もの接吻で風味を添えた。令嬢はもう寒く はなかった。 今や彼らの足許も夜が明けていた。見霽るかす限りの彼方まで目を 彷 さ ま よ 徨 わせれば、 白 しろがね 銀 の糸のように幾筋もの川が 野 を く ね り、 多 彩 な 秋 の 衣 装 を 纏 っ た 濶 葉 樹 林 が 黒 黒 と し た 樅 タンネ や 唐 フ ィ ヒ テ 檜 の 森 と 見 事 な 対 照 ぶ り。 か し こ に は ヴ ァ ル ト ブルクが近隣の諸城から一際高く聳え、窓窓が朝日にきらめいている。そのすぐ下方には堂堂たるマーティルシュタ イ ン ((( ( 。かしこにはブランデンブルク、キューブルク、ハイネックの城郭。また北西に目を転ずれば、かしこにはグラ イヒェン城、ミュールベルク城、ヴァクセンブルク 城 ((( ( 。遥かなる地平線には碧空にハル ツ ((( ( 山地が潜み、反対側には遠 いレー ン ((( ( の山並。そしてそれらの下と近くにはテューリンゲン 森 ヴァルト の ((( ( 丘の連なりが広がって、シュネーコプフの真っ 白な頂が 嶷 ぎ 立 りつ している。 「すっかり明るくなりましたわ、ハラルト」とアーデルグンディスはやっとのことで甘美な沈黙を破り、 「私たち、
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 お別れをいたさねば。ではくれぐれもお気を付けてね、私の 信 ま こ と 実 ある騎士様。そして今日のこの 一 ひととき 刻 をお忘れあそば しますな」 。 「 こ の 世 で の 至 福 の 一 刻 を ど う し て 早 く も 忘 れ ま し ょ う ぞ 」 と こ ち ら は 恋 に 酔 い 痴 し れ て 返 し、 紅 の 頬 に 接 吻、 彼 女 の 天 ビ ロ ー ド 鵞絨 のような両手を堅く握った。けれど、アーデルグンディスはそそくさと恋人の唇に接吻すると、身を振り ほ どき、下に待つ駒に優雅に騎乗、猟槍を握り、ハラルトが追いつかぬうちに鐙をしっかと踏み締め、今一度、お気を 付けて、と呼び掛け、騎士のように猟槍を下げて告別の挨拶とし、見事な馬格の雪白の駒を疾走させて立ち去った。 ハラルトもひらりと馬上の人となり、忠実な盾持ちを従えて目の前の道を取って進んだ。 ものの五分と騎行せぬうち、彼の猟犬どもが吠え始め、間近で角笛が一度鳴り、犬の吠え声、馬蹄の響きがずんず ん近づく。間もなく静かに馬を寄せて来たのは友なるオットカール・フォン・ミュンヒとアルベルト・フォン・ヘル ゼルガウ。 「や、これはこれは」と両人は叫ぶ。 「我ら、方伯様と貴殿を探していたのだ。殿がいずれにおらるるか、貴殿がご 存じだとよいのだが。我ら、昨夜は遅くまで森中隈なく殿のお行方を求めたのだ」 。 「方伯様が見つからぬとな」 。ハラルトは驚愕して 遮 さえぎ った。 「おお、なんとしたこと、しからばわたしも捜索いたそ うぞ」 。そう言い放つなり、乗馬の両腹に拍車を入れると、どっと駆け去る。 「 待 た れ よ、 我 ら も と も に 参 ろ う 」 と 友 人 た ち は 叫 ん だ が、 ハ ラ ル ト に は そ の 声 も 耳 に 入 ら ず、 姿 は 早 く も 木 木 の 彼方に見えなくなった。 「方伯様が」とオットカールがアルベルトに言った。 「テューリンゲンの騎士一統の中に我らがハラルトと我らのご とき友垣ばかりお持ちなら、まっこと具合がよろしいのだが」 。
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 「そして」とオットカールが付け加える。 「国父の温容に裁判官の厳正を結び付けることがおできなら、ハイネック やブランデンフェルスのごとき 奴 やつ 輩 ばら がか ほ ど 傲 ごう 岸 がん 不 ふ 遜 そん に国土を 蹂 じゅう 躙 りん しはすまいに」 。 「 あ の 威 張 り 屋 の 石 頭 ど も は い ず れ よ か ら ぬ 最 期 を 迎 え よ う。 思 い も 掛 け ず 早 く に 蒔 い た 種 を 刈 り 取 る 羽 目 に な ろ う」 。アルベルト・フォン・ヘルゼルガウは予言した。 「柔和な方伯様がご自身の善意と奴らの陰険さの犠牲になりさ え せ ね ば な。 だ れ で も 信 用 な さ る ご 気 性 ゆ え、 誠 実 な 友 と 取 り 入 ろ う と す る 猫 被 かぶ り ど も の 区 別 が お つ き に な ら ぬ の だ」とオットカールが慎重な口ぶりで言った時、谷間から朗らかな狩の調べが清爽な山の大気に響き、たくさんの男 声 か ら 成 る 楽 し げ な 歌 声 が 猟 ヴ ァ ル ト ホ ル ン 笛 の ((( ( 音 色 に 和 し て、 遠 く ま で 反 響 し、 山 山 の 谺 が こ の 歓 呼 を 何 回 も 何 回 も 返 し て よ こした。 「 方 伯 様 が 見 つ か っ た の だ 」 と 二 人 の 騎 士 は 異 口 同 音 に 叫 ん だ。 「 あ の 楽 し げ な 朝 の 歌 声 が そ う 告 げ て い る 」。 そ し て歌の調べを頼りに森の中へ急ぎ、こちらも角笛を吹いて応答した。間もなく彼らは陽気な猟人の一行が移動してい るのを望見した。方伯の右には背の高いアーデルグンディスが、左にはハラルトが馬を進め、自余の狩人と勢子たち が後に続いている。かなり離れてエッポとフー ゴ ーもなにやら熱心にしゃべりながら扈従していたが、オットカール とアルベルトが愛想よく、お早う、と呼び掛けながら傍らを駆け過ぎると、この騎士たちは陰鬱な目付きとくぐもっ た挨拶で応えたので、両人の話題が喜ばしいことでなかったことが分かった。
〔三〕
光る 鋼 は が ね 鉄 の鎧を着け、白銀の冑の上に伯爵位を示す黄金の冠を載せ、ヴァルトブルク城なる騎士の間の 御 ご 座 ざ に厳然 たる面持ちで腰掛けているのは方伯ルートヴィヒである。周りにはテューリンゲン国の騎士一統と方伯の全ての封臣武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 たち。騎士たちは興味津津で佇立し、自分たちを招集した方伯を見守っていた。目的は何なのか知らされてはいない のである。彼らはこれまで一度もこんな峻厳な主君を見たことがなかった。方伯はいつもは愛想の良い温良柔和な表 情をあからさまに顔に湛えているのだが。 最後の騎士が参着すると、君侯は手真似で侍臣たちに扉をことごとく閉めるよう命じた。それから一段高い御座か ら立ち上がり、合図した。すると、どうしたことか、との囁きや、騎士輩の声高になっていた 揣 し ま 摩 憶測がぴたりと止 み、さしも広大な騎士の間がしんと静まりかえった。 「 高 貴 な る 騎 士 輩 並 び に 友 人 方、 信 ま こ と 実 あ る 被 官 並 び に 家 臣 た ち、 我 が 忠 良 な る 臣 民 よ 」 と 彼 は 高 く 力 強 い 声 で 語 り 始 め た。 「 余 は 余 の 栄 光 あ る 父 君 が 築 城 さ れ た こ の 館 に そ な た ら を 集 め た。 余 は い と も 聖 な る 神 の 御 み な 名 に お い て 裁 き を 下 す こ の 広 間 に そ な た ら を 召 し ょ う か ん 喚 し た。 余 の 臣 民 は、 余 の 騎 士 輩 と 被 官 ら が あ え て 彼 ら に 働 い て い る 暴 虐 を 処 罰 す るよう、 囂 かまびす しく余に訴えている。余は 主 しゅ キリストの十字架に懸け神聖かつ誠実な誓約をいたした。すなわち、余は、 不正なる家臣の罪過により 無 む こ 辜 に流されたのであれば、臣民のうち最も卑賎なる者の血をも 贖 あがな わしめる覚悟である。 永遠なる神の裁きの座で彼らが余を告訴せぬように」 。 騎士たちは驚愕した。方伯がこんな口調で話すのをこれまで耳にしたことが無かったのである。これは我が身を指 している、と思った何人かは蒼褪めた。方伯の目は爛爛と輝き、怒りの眼差しは 抉 えぐ るように広間中を滑って行った。 下を向いた者も少なくない。方伯は言葉を継いだ。 「下役が病気の男を妻子もろとも身一つで路頭に迷わせ、僅かな 身 しんしょう 上 をさもしく奪い取るのを認めた騎士がいる。 どんな罰が相応か。──そなたらは 黙 もく しておるな。答えぬのか。余は宣告する。かかる者は破廉恥であり、余の臣下 たるに価しない、と。さて、至高の神の御名に懸けてそなたらに問う。余のこの判決は公正か」 。
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 「公正でござる」 。不意を撃たれた騎士たちの列に低い呟きが走った。内かなりの者は震える声で自分自身への宣告 を口にしたわけ。 方 伯 が 合 図 す る と、 ロ ー ベ ル ト・ フ ォ ン・ ブ ラ ン デ ン ブ ル ク 騎 士 が 一 人 の 逞 たくま し い 衛 兵 に 広 間 に 連 行 さ れ た。 並 み 居る騎士たちは恐慌に襲われ、目を 瞠 みは って、あるいは方伯、あるいは参集した貴族らを見遣る。 「ここに立つ騎士こそ、そなたたちが、余の判決は公正なり、とせし者なるぞ」と方伯は再び口を開いた。 「ローベ ルト・フォン・ブランデンブルク、貴公は貴公の手にその安寧が委ねられたる哀れな民草の災厄である。貴公の下役 どもは余の臣民が病に伏し、せんかたなく賦役金を払えぬのに、最後の身上を奪い、身一つで路頭に迷わせたのだ」 。 し か し、 憤 怒 の 暗 い 焔 が ロ ー ベ ル ト の 顔 に 燃 え 上 が り、 彼 は 男 ら し く、 決 然 と こ う 言 っ た。 「 方 伯 様、 そ れ が し の 家臣がさようなふるまいに及びましたのなら、奴を 懲 こ らしめることをそれがしにお許しくだされい。それがしは騎士 の名誉に懸けて奴の所業に責めはござらぬ」 。 方伯は立ちすくんで空しく言葉を探し、話を急ぎ過ぎた、と悔やんだ。が、即座に気を鎮め、厳然たる面持ちで言 い渡す。 「貴公、下役を 縛 いまし めてヴァルトブルクの城へ差し 上 のぼ せよ。ここで余がその者の罪を決定いたす。して今一度 同様の訴えが余の耳に達すれば、貴公は封土を失うことになり、伝令官が余の領国中に貴公の名を公に布告、死刑執 行人が貴公の紋章付き盾を 国 くに 境 ざかい において打ち壊すであろう。下がるがよい」 。──騎士は退いた。方伯が再び合図す ると、入って来たのは、小さな目を怒りに燃やし、恨みをこらえているフー ゴ ー・フォン・ブランデンフェルス 騎士 で、落ち着かなげにきょろきょろと夥しい人人を見廻した。 「 フ ー ゴ ー・ フ ォ ン・ ブ ラ ン デ ン フ ェ ル ス 殿 」。 方 伯 が 改 め て 言 葉 を 掛 け る。 「 そ ち の 城 の 牢 ひ と や 獄 に 哀 れ な 農 夫 が 鎖 に 繫がれておりはせぬか。そちの家来を 打 ちょうちゃく 擲 した、との 咎 とが でな」 。
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 フー ゴ ーは 鄭 ていちょう 重 な微笑を顔に浮かべ、ルートヴィヒの前に片膝を突いていわく。 「 神 の 恩 寵 に よ り テ ュ ー リ ン ゲ ン 方 伯 に し て ヘ ッ セ ン の 支 配 者 た る 優 渥 極 ま り な き ご 主 君 様、 さ よ う な 者 が 拙 者 の 許に囚われておりますことなど存じませぬ」 。 「ただちにこの騎士の城に配下を差し向けよ」と方伯は震怒して城代に命じた。 「して、隠された地下室を悉く捜索 させい。レスナーという名の男を見つけ出したら、フォン・ブランデンフェルス騎士はその者にグルデン金 貨 ((( ( 十二枚 を 支 払 い、 即 刻 余 の 面 前、 余 の 城、 余 の 領 国 か ら 退 去 い た す の だ 」。 そ う 脅 さ れ て 騎 士 は 仰 天 ぶ り を 隠 す に 隠 せ ぬ。 「あの、もしやしましたら」と切り出す。 「拙者の城代がこの身に知らせず、また許しもなくさよういたしたやも知れ ませぬ──」 。 「 ほ ほ う 」 と 方 伯 が 遮 さえぎ る。 「 も う 嘆 願 か。 そ ち の 意 向 無 し に は 何 も で き ぬ そ ち の 城 代 の 罪 は そ ち が 負 う も の。 前 も って 主 あるじ の認可を得ておらなかったとしてもな。余はそちを知っておる。余は不穏な、 騒 そう 擾 じょう を企む手合いを悉く知っ て お る。 い ず れ そ や つ ら を 見 つ け 出 し、 牢 格 子 の 内 に 閉 じ 込 め る 手 立 て を も 心 得 て お る 」。 そ し て 侍 臣 へ の 合 図 で エ ッ ポ 騎 士 が 広 間 へ 呼 ば れ る と、 声 を 高 め て こ う 続 け た。 「 不 ふ 逞 てい な 猟 獣 盗 ぬ す び と 人 へ の 恐 ろ し く も ま た お ぞ ま し き 見 せ し め と して、我らが父祖は、生きている 牡 ヒ ル シ ュ 角鹿 と一体にするという残酷この上ない刑罰を考案した。これは 無 む こ 辜 の獣には恐 ろ し い 苦 悩 で あ り、 不 幸 な 罪 人 に と っ て は お ぞ ま し き こ と 極 ま り な き 死 の 責 め 苦 で あ る。 獣 は 罪 人 と と も に 森 中 を 驀 ばくしん 進 して留まることなく、遂には力尽きて両者ながら大地に崩折れるのだ。そこがどこであれ、惨めな男は鉄の 枷 かせ か ら身を捥ぎ離すことが叶わず、血を流しながら倒れたままでいなければならぬ。それ以前に息を引き取っていなけれ ばだが」 。 この前置きを聴かされたエッポの顔は水 漆 しっくい 喰 を塗った壁のように白く血の気が引いた。心臓はどきどきと鼓動、勇
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 気を奮い起こそうとしたが無駄で、四肢が震えるのを止めることができない。方伯は言葉を継ぐ。 「 こ れ が 騎 士 の ふ る ま い で あ ろ う か。 キ リ ス ト 教 徒 に 相 応 し い か。 人 間 と 申 せ よ う か。 畑 を 守 ろ う と し た 哀 れ な 農 夫を、一頭の死んだ 牡 ヒ ル シ ュ 角鹿 のために、かくも残酷この上ない刑罰に処するのが。余の話が分かったか、フォン・ハイ ネ ッ ク 騎 士 」。 詰 問 さ れ た 方 は だ ん ま り を 決 め 込 む。 怒 り の 呟 き が 参 集 し た 騎 士 た ち の 列 に 流 れ た。 エ ッ ポ の 残 忍 さ と過酷さが際限も無いことは大抵の者が知っていた。 「その 方 ほう が余の封臣なのは」 と方伯は改めて怒りを向けた。 「その方の権勢をかくもあさましく濫用するためなのか」 。 「 吾 輩 を 告 訴 い た し た の は 何 者 で ご ざ る 」 と エ ッ ポ は 漸 く ど も り ど も り 言 っ た。 立 腹 し た 表 情 を 取 り 繕 い、 傲 然 と 構えてみせたが、うまく行かなかった。 「 こ の 貴 族 た ち の 集 ま り を 法 廷 と し て、 そ の 方 を 告 訴 し て い る の は 余 だ。 そ の 方 は 余 の 家 臣 た る 名 誉 に 相 応 し か ら ず、と宣言する」 。 「青二才殿の家臣というご大層な名誉かよ」と騎士はぶつぶつと呟き、険悪な顔に嘲りの微笑がさっと浮んだ。 「何と申した」 。これに気付いた方伯は激して叫んだ。 「 吾 輩 の 告 訴 人 が 吾 輩 の 審 判 者 で、 方 伯 と し て 判 決 を ほ し い ま ま に 執 行 で き る 身 で あ れ ば、 吾 輩 に 下 さ れ る 判 決 が あらかじめ察しが付く、かように申したのでござる、我が君様。ご随意に吾輩を裁かれるがよかろう」とエッポは傲 慢 さ を 取 り 戻 し て 返 答 し た。 「 ご 家 臣 で あ る と い う 途 と 轍 てつ も な い 名 誉 を 吾 輩 か ら 取 り 上 げ、 所 領 を 没 収 な さ れ い。 い つ の日にかこの報いを受けられる時が参ろうて」と脅しを付け加える。 「 こ こ な 謀 反 人 め を 地 下 牢 へ 」 と 方 伯 が ど な っ た。 兵 士 た ち が 集 ま り、 エ ッ ポ を 捕 ら え、 縛 り 上 げ る と、 こ ち ら は ぞっとするような脅迫と呪詛を吐き散らしながら連行されて行った。
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 「 余 と 余 の 統 治 権 に あ え て 背 き た る 余 の 臣 民 の 蹂 躙 者 ど も を か く 処 罰 せ し も の な り 」 と 方 伯 は 告 げ、 こ の 日 の と こ ろは集会を閉じた。
〔四〕
フー ゴ ーの城の土牢に入れられていた農夫は発見され、この騎士に予告されていた刑は執行され、エッポ騎士は、 暴れてどうしようもないので掛けられた鉄の枷に癇癪をぶちまけ、方伯はナウムブルク近郊のノイエンブルク城に 渡 と 御 ぎょ していた。この城へ来たのは極めて甘美な父性愛のため。というのも、貞節で聡明な奥方ユッタ──皇帝コンラー ト三 世 ((( ( の姪──が子息を生んでくれていたからである。友人たちは全てこの地で子どもの洗礼に続く祝宴に参加しな け れ ば な ら な か っ た。 一 週 間 の 間 絶 え 間 な い 歓 呼 が ノ イ エ ン ブ ル ク に 響 き 渡 っ た。 馬 ト ゥ ル ニ ー ア 上 槍 試 合 、 ((( ( 馬 リ ン ゲ ル レ ン ネ ン 上 槍 輪 突 き 、 ((( ( 華麗な狩猟、舞踏、そして愉快な酒宴が代わる代わるひっきりなし。 「 そ な た の 父 君 の よ う に お な り な さ れ 」 と ル ー ト ヴ ィ ヒ の 城 付 き 礼 拝 堂 司 祭 ヴ ィ ル ヘ ル ム 神 父 が、 父 親 の 生 き 写 し で あ る ち い ち ゃ な ル ー ト ヴ ィ ヒ ((( ( を 腕 に 抱 い て 揺 す ぶ り な が ら い わ く。 「 柔 和 に し て 温 良、 公 正 に し て 峻 厳 に な。 哀 れ な人たちの訴えに決して耳を閉ざしてはなりませぬ。困窮者の涙を乾かしてやれば、感謝と随喜の涙がそなたの君侯 の冠の見事な真珠となりましょうぞ」 。 祝祭が終わりを告げ、ノイエンブルク城内がまた静かになったある日のこと、ルートヴィヒは、すやすや眠ってい る乳呑み児を胸に抱いている方伯妃の傍に座り、気が置けないおしゃべりに耽って、別れていた間の出来事やその身 に起こったことを懇ろに物語っていた。一方奥方も、旦那様の留守中ノイエンブルクで発生したこまごました事件を 話して打ち興じる。ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 「我がいとしの妻に」と方伯は美しい奥方を抱き締め、思い遣りを籠めて接吻しながら言った。 「是非心に掛けて欲 しい頼みがあるのだ。なんとしてでも叶えてやりたかったことでのう」 。 「 わ ら わ に で き ま す こ と で し た ら、 我 が 殿 に し て 背 の 君 様、 喜 ん で お 引 き 受 け い た し ま す る 」 と 相 手 は 優 し い 微 ほ ほ え み 笑 を浮かべて応じる。 「それではまずかような話から始めねばなるまい」と方伯は口を切った。 「丁度 収 は ち が つ 穫月 の末つ方だったが、法外な大 きさの 牡 エーバー 猪 が我がヴァルトブルク城界隈に姿を現した、との報告があった。そこで狩に行きたい気持ちがむらむらと 起こってな、猟師、盾持ち、農夫らを急遽招集、その日の午後にはもう彼らの先頭に立ち、そやつが潜んでいるとい う森に進んだ。その森を取り巻き、犬どもを放って臭跡を追わせたが、何も見つからなんだ。突然極めて離れた場所 で角笛が幾つも鳴り響き、鞭がぱしりと唸り、犬どもが吠え、その直後絶叫が聞こえたかと思うと、また前より静ま り返った。わたしは急いでそっちの方へ使いを走らせたが、この者はすぐあちらから来た男と行き逢った。その男が 蒼白な顔にまだまざまざと恐怖の色を浮かべ、息せき切って報告するには、よく肥えた牡牛 ほ どに巨大な 牡 エーバー 猪 が飛び 出して、六頭の猟犬を引き裂き、二人の男に致命傷を負わせ、長弓の矢、 弩 いしゆみ の 箭 や 、槍の歓迎を受けると、向きを変 えて再び藪に駆け込んだ、とのこと。我らはいくらか開けた場所におったのだが、使者がまだ最後まで語り終えぬう ちに、繁みの中がざわめき、鼻息が聞こえたかと思うと、不意にその怪物が狂ったように走り出て、我ら目掛けて突 進して来た。 こ や つ に 飛 び つ い た 犬 ど も は 右 に 左 に 投 げ 飛 ば さ れ、 牡 エ ー バ ー 猪 が 更 に 近 寄 る と、 農 夫 ら も 盾 持 ち た ち も 雲 を 霞 かすみ と 逐 電 いたした。わたしの馬は震え上がり、後ずさりした。わたしは拍車を当て、荒れ狂う獣に 猟 しし 槍 やり を構え、奴の汗の滴る 口中に突き入れようとした。その時馬が棹立ちになったので、わたしの槍は逸れてしまい、鋭い牙が馬の下腹を切り
武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 4 号 裂いたため、馬はわたしもろともどっと倒れ、わたしの槍は木っ端微塵。そして目を爛爛と輝かせて 牡 エーバー 猪 が向き直り ──」 。 「 あ あ、 あ あ、 お 止 め に な っ て 」 と 恐 怖 を 募 ら せ な が ら 夫 の 言 葉 に 耳 を 傾 け て い た 方 伯 妃 は 叫 ん で 押 し 留 め た。 そ して席からさっと立ち上がると、野獣の必殺の牙から守ろうとするかのように、両手で旦那様をひしとかき抱いた。 こうした紛れもない 信 ま こ と 実 の愛の吐露にルートヴィヒは穏やかに微笑み、妃の花も盛りの頬を撫でて宥めると、物語 を続けた。 「 牡 エーバー 猪 が向き直り、今度はわたしを突こうとした。落馬してちょっと離れたところに投げ出されていたわたしをな。 その時救いの天使が 馳 は せつけてくれたのだ。逃げ去っていなかったたった一人の盾持ち、ハラルト・フォン・アイヒ ェンが。 牡 エーバー 猪 の咽喉元深く勢い籠めて槍を突っ込み、猟刀で 臓 はらわた 腑 を抉り、落馬したせいでどうやら捻挫したらしく、 やっとのことでわたしが立ち上がった時、彼はもう 止 とど めを刺していた。その折には逃げた従者たちの悲鳴に促されて、 他の騎士輩、猟師たち、盾持ちらも駆けつけて来たが、彼らは間に合わなかったわけだ。 牡 エーバー 猪 は咽喉をごろごろ鳴ら し、断末魔の 痙 けいれん 攣 をしながらなお喘ぎ、巨大な四肢をぐんなりと拡げたりぴくりと縮めたりを繰り返し、再び拡げる と、死んでしまった」 。 方伯妃は深い溜め息をつき、歓びの目を天に向け、 「神は 頌 ほ むべきかな[ありがたいこと] 」と 低 こ 声 ごえ で呟いた。ルー トヴィヒは語り継いだ。 「さて、救い主を仔細に眺めると、わたしの前にいたのは青年の美しさの典型でな、 樅 タンネ のよ うにすらりとし、 柏 アイヒェ のようにがっしりとしており、居合わせた者たち全員がこの偉業に対ししきりに歓呼を浴びせ ると、顔赤らめてその黒い目を伏せたものよ。わたしはかような若者がいたのにこれまで気づかなんでいたのを不思 議に思い、命を助けてくれた礼を大声で心から告げ、帰途わたしと駒を並べるよう申し付けた。この折わたしの質問
ハラルト・フォン・アイヒェン──十二世紀後半の一齣 ルートヴィヒ・ベヒシュタイン 著 鈴木滿訳・注・解題 に彼はこう答えた。てまえは天涯孤独の身、両親は零落いたしまして、非の打ち所の無い名乗り以外は何も残しませ んでした。そこで殿にお仕えいたしました。ご城代が殿の御名でてまえを採用、その前で誓ったのでございます。殿 に忠実にお仕え申し上げ、憂きにつけ楽しきにつけ辛抱し、殿のおんためとあらば身命を賭する所存と。その代わり に日日の食事、お仕着せが支給され、年末に、落ち度が指摘されなければ、グルデン金貨三枚を頂戴できることにな っております。ささやかなご奉公──わたしの命を救ったことをあの男はこう申したものだ──が叶いましてありが たき幸せに存じます、とまあ、かような話をな。感謝の気持ちばかりではない、これはわたしにとって掛け替えのな い人物と思え、突然好きになりもしたので、力の及ぶ限り報いてやらねばならぬ、という気になった。 わたしはヴァルトブルク城で彼を騎士に叙任し、緑地に 牡 エーバー 猪 の黒い頭をその紋章に加えさせ、我が許に留まる所存 であれば、はらからのように処遇しよう、と約束した。事実わたしはあの青年に兄弟愛を感じているのでなあ」 。 「 な に ゆ え そ の 方 を お 連 れ あ そ ば し ま せ ん で し た の。 さ す れ ば わ ら わ も 大 切 な 背 の 君 様 の お 命 を 救 う て く だ さ っ た お礼を申せましたのに」と奥方ユッタは興味津津で訊ねた。 「 ヴ ァ ル ト ブ ル ク の 城 代 は そ ろ そ ろ 歳 な の だ。 わ た し は ハ ラ ル ト を か し こ の 守 備 隊 長 と し て 置 い て 来 た の だ よ。 な に せ い、 わ た し は 幾 人 か の 貴 族 に 多 少 厳 し い 裁 き を 下 し た。 こ れ を 根 に 持 つ 輩 やから は 少 な く あ る ま い。 さ れ ば、 万 一 の 謀反に備えておかねばならぬ。さ、わたしの話はこれまで」とルートヴィヒが締め括る。 「 し て、 わ ら わ に 頼 む こ と が あ る、 と お っ し ゃ い ま す の は。 大 切 な 旦 那 様 」 と 方 伯 妃 は 再 度 問 い 掛 け、 探 る よ う な 目でひたと相手を見つめた。 「 そ れ を 申 す と な れ ば、 新 た な 話 を い た さ ね ば。 前 の が 長 か っ た ゆ え、 そ な た は 定 め て ほ と ほ と 退 屈 し た こ と で あ ろう」と方伯は 焦 じ らす。