-1-万
葉
集
一首中に表れる同じ漢字の訓みについて (一)
﹃万葉集﹄-一首中に表れる同じ文字の訓みについてーと題し て、かつて「千里山文学論集」に、小考をしたためたことがあるが、 今回は﹃万葉集﹄全般にわたって'音仮名の場合は別にして、訓仮 名の場合のみを取り上げ、同じ漢字に二通りもし-は'それ以上に 異った訓みを当てている場合'一首中でそうした現象がどのように みられるか'そして万葉の記載者は何かそこに神経を配っているか どうか、本稿ではそうしたことを出来るだけ追求してみたい。 ア シ タ 八 隅 知 之 我 大 王 乃 朝 庭 取 撫 賜 夕 庭 伊 緑 立 之 御 執 乃 ア サ 梓 弓 之 奈 加 粥 乃 音 為 奈 利 朝 埼 ホ 今 立 須 良 恩 暮 猿 ホ 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加餌乃 音為奈里 (l・ 3 ) 村 英 子 ア シ タ ア サ 1㌧朝庭 朝猫ホ 「朝」を「アシタ」と訓むのは集中案外例が多い。 アシタ ○暮相而 朝面無美 隠ホ加 気長味之 慮利為里計武 (l・ 6 0 ) ア シ タ ○ 秋 山 -朝 ホ 置 而 夕 者 -朝 露 乃 如 也 夕 霧 乃 如 也 ( 二 ・ 2 1 7 ) ア シ タ 〇日細之・・・-朝霧-・・・・・・朝庭 出立偲 タホ波-朝鳥之 (三・ 4 8 1 ) ア シ タ ○ 世 人 之 -開 朝 者 敷 多 倍 乃 -由 布 幣 ホ 奈 礼 婆 伊 射 祢 余 登 -朝 く伊布許登夜美 (五・904)ア シ タ ○ 朝 波 海 遠 ホ 安 左 里 為 暮 去 者 倭 部 超 嘱 四 乏 母 ( 六 ・ 9 5 4 ) ア シ タ ○ 暮 相 而 朝 面 差 隠 野 乃 芽 子 者 散 去 寸 黄 葉 早 績 也 ( 八 ・ . : ) アシタ ○待レ時而 落鍾礼能 雨零収 開朝香 山之将二黄撃 (八・ 1 5 5 1 ) ア シ タ ○夜干玉乃 今夜之雪ホ 率所レ清名 将レ開朝ホ 消者借家牟 6 ( 八 ・ 6 4 ) l アシタ ○ 朝 開 夕 者 消 流 鴨 頑 草 乃 可 レ 消 燈 毛 吾 者 為 鴨 ( 十 ・ 鰍 ) ○玉響昨夕見物Al靴可レ懸毛 (十1.S) 2 o妹懸不レ乳靴吹風妹経者吾与経 (十二.:) 2 ア シ タ ○ 朝 去 而 暮 者 釆 座 君 故 ホ 忌 く 久 毛 吾 者 歎 鶴 鴨 ( 十 二 ・ N : ) アシタ ○ 冬 木 成 春 去 来 者 朝 ホ 波 白 露 置 タ ホ 波 霞 多 奈 批 久 汗 1 瑞 能 振 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 十 三 ・ g 3 ) 3 o 珪 纏 毛 ・ ・ ・ ・ ・ ・ -各 部 有 刺 楊 ・ ・ ・ ・ ・ ・ -朝 裳 吉 ( 十 三 . a ) 3 ァ シ タ 6 0磯城嶋之-・・・朝者 召而使 夕者 召而使・・・・・・(十三・S) 3 ァ シ タ 9 0白雲之・・・・・・・・・朝庭 出座而嘆 夕庭 入座懸乍-・・・(十三・sS) 3 このように「朝」を「アシタ」と訓むのは基本的に単独的に用い' 「ユフへ」に対して用いられる場合が多い。「朝」を「アシタ」と訓 むのは集中案外例が多いが、こんにちではあまり使用されていない。 どういうところから「アシタ」と訓んだのであろうか。次の「あさ」 が来れば'「あした」になるというところからであろうか。なお、 「旦」と書いて「アシタ」と訓んでいる例もある。 ア シ タ ○ 真 十 鏡 見 不 レ 飽 君 ホ 所 レ 贈 哉 旦 夕 ホ 左 備 乍 将 レ 居 ( 四 ・ 5 7 2 ) ○ 叩 く 物 乎 念 者 将 レ 言 為 便 将 レ 為 く 便 毛 奈 之 妹 与 レ 吾 手 ァ シ タ 9 携而 旦者 庭ホ出立夕者 床打梯 白組乃-・・・・・・(八・SS) 日 日 アシタ ○ 如 比 将 レ 懸 物 等 知 者 夕 置 而 旦 者 消 流 露 有 中 尾 ( 十 二 ・ m : )
-3-ア シ タ ○ 暮 置 而 旦 者 消 流 白 露 之 可 レ 消 燈 毛 吾 者 為 鴨 ( 十 二 ・
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ア サ ○桃花・・・・・・・・・呼等余米 旦飛渡 暮月夜 可蘇気伎野連 造-ホ 2 喧 覆 公 鳥 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 十 九 ・ S ) 4 この四個所にある。また'「明」と書いて「アシタ」 と訓んでいる 例もある。 この三個所にある。また、「明」と書いて「アサ」 と訓んでいる例 もある。 ア シ タ ○ 秋 山 -朝 ホ 置 而 夕 者 消 等 言 霧 己 曽 婆 夕 立 而 明 者 矢等言---(二・2 1 7) ○ 天 地 之 ・ ア サ 明 言 ホ ・ ・ 真 弓 乃 岡 ホ 宮 柱 太 布 座 御 在 香 乎 高 知 座 而 ・ ( 二 ・ 1 6 7 ) この一個所にある。したがって'「アシタ」を「朝」 という文字を 使う外、「旦」や「明」という代るべき文字があるにもかかわらず、 「朝」という集中用例の多い文字を使っている。 さて、もう一方の同じ文字'「朝埼ホ」 の 「朝」を 「アサ」 と訓 ア サ ガ ス -ア サ ケ l むのは'集中「朝霞」(二・88)・「朝明」(十二・g)などのよう 2 に'たびたび複合語を構成し'「ユフ」に対して用いられる場合が 多い。「アサ」はこの 「朝」という文字の外'「旦」と書いて「アサ」 と訓んでいる例がある。 この一個所のみであるが、やはり集中用例の多いl般的な「朝」 の 文字を使い 「アサ」と訓み'「旦」や「明」 の代えられる文字を使 わず'「アシタ」 の 「朝」と同じ漢字を使ってあるのは意識的であ ろうか。 このように検討してきた'(一・3)番歌に表れる 「朝」 という 各々の同じ文字は、両方共外に代るべき文字があるにもかかわらず 同じ文字が用いてある。 ア サ 〇 八 隅 知 之 -春 花 乃 遷 日 易 村 鳥 乃 旦 立 往 者 刺 竹 之 -7 ( 六 ・ 0 4 ) l ア サ ○ 秋 野 乎 旦 往 鹿 乃 跡 毛 奈 久 念 之 君 ホ 相 有 今 夜 香 ( 八 ・ 1 6 1 3 ) 霞 立 長 春 日 乃 晩 家 流 和 豆 肝 之 良 受 奴 要 子 鳥 卜 歎 居 者 珠 手 次 懸 乃 宣 久 幸 能 山 越 風 乃 端 座 吾 衣 手 ホ 朝 夕 ホ 登 念 有 我 母 草 枕 客 ホ 之 有 者 思 遣 村肝乃 心乎痛見 違 神 吾 大 王 乃 行 還比奴礼婆 大夫 鶴 寸 乎 白 土 網 能 浦 ノ ガ 之 海魔女等之 焼塩乃 念曽所レ焼 吾下情 (一・五)ノ ガ 2㌧網能浦之 海虞女等之 「之」を「ノ」・「ガ」と連続句の末尾において二様に訓んでいる0 「之」を「ノ」と訓んでいるのは漢字本来の意味として受け取れる が、「ガ」と訓むのはどうであろうか。「ノ」と「ガ」は共に格助詞 として相似た意味、機能をもっているところから'「之」を「ガ」 と訓んで'以前は「ノ」と「ガ」の意味的な区別をあまりつけてい なく、後世になって分化したのではないだろうか。思うに'「ノ」 と同じような用法の連体修飾の用法をなす'「我が家」などの用法 が拡大していって、次の用言の主語であることを示すようになった のであろう。それで「ノ」・「ガ」共に「之」の文字を当てたものと 思われるが、とにかく集中用例が非常に多い。 「之」を「ノ」と訓むものは'「能」や「乃」などの代るべき文 字がある。また'「之」を「ガ」と訓むものは、「我」や「加」の代 るべき文字があるにもかかわらず'「之」という漢字を上の句の末 尾と同じように使ってある。これは意識的に用いたのであろう。 ヨ シ ロ 君 之 歯 母 吾 代 毛 所 レ 知 哉 磐 代 乃 岡 之 草 根 乎 去 来 結 手 名 ( 一 ・ 1 0 ) ヨ である。集中にこの「代」と同じ意味を有する、「世」という漢字 がある。 ヨ 8 0玉切 及レ世定 侍 公依 事繁(十1・g;) 2 ヨ シ ロ 3㌧吾代毛所レ知哉 磐代乃 ヨ 第二旬日「吾代毛所レ知哉」' シ ロ 第三旬日「磐代乃」と、連続した句 の各々に「代」という同じ漢字を使い、異った訓みを当てている。 「吾代毛所レ知哉」の「代」は「ヨ」と訓み、「寿命」という意味 この「世」も「寿命」という意味を有す。したがって、この「吾代 毛所レ知哉」の「代」は「世」という文字を用いても不都合ではな いが、第三句の「磐代乃」の「代」と同じ漢字を使ってあるのは意 ヨ 識的であろうか.それにしても、初句には、「君之歯母」と、嘉命」 ヨ という意味に'「歯」の漢字を用いているのは、一見統一性を欠い ヨ ているように思われるが'この初句の 「君之歯母」と第二旬日の ヨ 「吾代毛」は並列をなしているところから'変化を考慮しての表記 であろうか。集中「歯」を「ヨ」と訓むのはここ一例のみで珍しい 例である。もっとも、「歯」の漢字には、「よわい」という漢字本来 の意味があるところから、「歯」の漢字を用いたことは不思議では ない気がする。 「代」の漢字を「ヨ」と訓んでいる例は、集中非常に多-の例が あり'いちいち説明するまでもない。 第三旬日の「磐代乃」の「代」を「シロ」と訓むのは、「代」の 漢字に「かわり」という意味があるところから「かわり」の意味の 「シロ」という訓みを当てたのであろう。「磐代」は、 イ ハ シ ロ ○事痛者 左右将レ為乎 石代之 野遠之下草 吾之苅而者
-5-3 ( 七 ・ g ) l このように一首中の第二句と第三句の各々に、「代」という同じ文 字を使ったのは、記載者の意識によるものであろうか。 のように「石代」と書-外、
○獣郎乃溝松之枝乎引結真幸有者亦遠見武 (二・ー)
ア ヒ 高 山 波 雲 根 火 雄 男 志 等 耳 梨 輿 相 評 競 伎 有 良 之 古 昔 母 然 ホ 有 許 曽 虚 蝉 毛 嬬 乎 (一・1 3) 神代従 如此ホ ア ラ ソ フ 相格良思吉 のように「磐自」とも書-例が、集中一例のみ見られるが'「磐白」 と書-のは古いと考えられ、「代」は ○獣椙乃崖之松枝将レ結人者反而復将レ見鴨 (二・1 - 3) ア ヒ ア ラ ソ フ 4、相評競伎 相格良恩吉 「相評競」の「相」を「アヒ」と訓んで' いるが'この用例は集中非常に数多-表れ、 接頭語的機能を有して いちいち示すことが出 ○獣障乃野中ホ立有結松情毛不レ解古所レ念 (二・1 - 4) 来ない。「アヒ」を「相」と書-外、「各」という文字を使っている 例がたった一例のみある。 イ ハ シ ロ ○後将レ見跡 君之結有 磐代乃 子松之宇礼乎 又将レ見香聞 ( 二 ・ 1 4 6 ) ア ヒ ○ 古 之 益 荒 丁 子 各 競 1 妻問為郎牟 葦屋乃--・・・(九・S) 日 日 このように、先の用例を含め全部で五例見当たるので、後の時代に おいては「代」と固定したものであろう。そのことは今日「岩代」 「磐代」と書かれていることにも無関係ではあるまい。 さて'この「代」の二つの同じ文字は'一方の「吾代」の「代」 は「世」など代りの文字がある'もう一方の「代」という文字は' 「自」という代りの文字があるにもかかわらず、「代」という文字を 使い'統一性を量っている。 こ の よ う に 、 「 ア ヒ 」 を 「 各 」 と 書 -珍 し い 例 が あ る が ' こ の ( 一 ・ 1 3)番歌は'やはり「各」ではな-「相」の文字を使い、「相評競」 と書-方が自然である。 次に、「相格良思吉」の「相格」を単に「アラソフ」と訓むのは、 「格」に「辞」と同じ意味のあることからいえば、「相」は余計な文 字と考えられないこともない。これが古訓の「アヒウツ」の訓みを もたらしたものであろうが'その訓みをした理由はわかるようであ る 。勿論、「相格」二字で「アラソフ」と訓むことは、 ア ラ ソ ヒ ○ 春 雨 ホ 相 争 不 勝 而 吾 屋 前 之 楼 花 者 開 始 ホ 家 里 ( 十 ・ ! ) ア ラ ソ ヒ ○ 古 年 -︰ 玉 魁 毒 毛 須 氏 弓 相 争 ホ 嬬 問 為 家 留 -( 十
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このように「相争」二字で「アラソフ」と訓んでいるところから勘 案すれば'誤りとはいい切れないが'「相評競」の「相」を「アヒ」 と訓むのに揃えて、案外「アヒアラソフラシキ」と九音に訓んでい たのかもしれない。末尾を五・三・七音で終る例は'「ココロナク. ク モ ノ ・ カ ク サ フ ベ シ ャ 」 ( 一 ・ 1 7 ) に も あ っ て 、 「 ウ ツ セ 、 、 、 モ . ツ マヲ.アラソフラシキ」の訓みの方が有力であることは認めるが、 一案として記してお-。もっとも'「アラソフ」は仮名書以外は, 9 1 先に示した(十・ss)(十九・cq -)番の「相争」の外' 1 4 ア ラ ソ ヒ ○白露ホ 荒争金手 咲芽子 散惜兼 雨莫零根 (十・116) 2 ア ラ ソ フ ○ 葦 屋 之 菟 名 負 虞 女 之 -購 吾 之 故 大 夫 之 荒 争 見 者 9 離レ生・・・・・・・・・(九・S) l ア ラ ソ フ ○ 此 暮 秋 風 吹 奴 白 露 ホ 荒 争 芽 子 之 明 日 将 レ 咲 見 ( 十 ・ a ) ァ ラ ソ ヒ 4 0 父 母 賀 成 乃 任 年 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 神 之 共 荒 競 不 勝 而 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 九 ・ g ) l ア ラ ソ フ ○ 古 ホ 有 家 流 和 射 乃 -宇 都 勢 美 能 名 乎 競 争 登 玉 魁 -‖ H ( + 九 ・ = ) 4 ア ラ ソ フ ○捷文忌之伎鴨---露霜之消者消倍久去鳥乃相競端ホ---(二・199) こ の よ う に 「 荒 争 」 ・ 「 荒 競 」 ・ 「 競 争 」 ・ 「 相 競 」 の ご と く 二 字 にしているもの八例あるが'一字のものは' ア ラ ソ ヒ 〇 四 具 礼 能 南 無 レ 間 之 零 者 真 木 葉 毛 争 不 勝 而 里 (十・S) 2 色付ホ家 ア ラ ソ ヘ ○ 争 者 神 毛 悪 為 縦 咲 八 師 世 副 流 君 之 悪 有 美 君 ホ ( 二 ・?
この二例しかないのを思えば、「相格」で「アラソフ」と訓ませた と見るべきかもしれない。 こ の ( 一 ・ 3 ) 番 歌 は 同 じ 漢 字 の 一 万 ㌧ 「 相 評 競 」 の 「 相 」 は こ の文字であるべきだと思うが'もう一方の「相格」は'「競争」や-7-「荒争」など代えられる文字があるにもかかわらず、「相辞競」 の 「相」と同じ文字を使った「相格」の文字をわざわざ用いている。 フ リ 三 吉 野 之 耳 我 嶺 ホ 時 無 曽 雪 者 落 家 留 間 無 曽 雨 者 零 計 オチ 頬 其 雪 乃 時 無 如 其 雨 乃 間 無 如 隈 毛 不 レ 落 念 乍 叙 来 其山道乎 (一・2 5) フル 〇 三 芳 野 之 耳 我 山 ホ 時 日 久 曽 雪 者 落 等 言 無 レ 間 曽 雨 者 フ ル ォ チ 落 等 言 其 雪 不 時 如 其 雨 無 レ 聞 知 隈 毛 不 レ 堕 恩 乍 叙 来 其山道乎 (一・2 6) フ リ オ チ 5、雪者落家留 隈毛不レ落 「落」を「オチ」と訓むことは、いうまでもな-正訓であるが、 ここは抽象的に用いられている。また'「フ-」と訓むことは'「落 下」などの熟語から意をもって用いたのであろうか。「フル」 には 「落」 の外、 フル ○ 居 明 而 君 乎 者 将 レ 待 奴 婆 珠 能 吾 黒 髪 ホ 霜 者 零 騰 文 ( 二 ・ 8 9 ) フ ル 6 0甚毛 夜深勿行 道連之 湯小竹之於ホ 霜降夜蔦(十・SE) 2 このように「零」や「降」などが用いられている。 それにしても同じ文字を異って訓むのはまざらわしいのであるが' フ リ 今の場合第六句に「両者零計類」と'「零」字を「フリ」と訓ませ ているのは'わざと異った字を用いたのであろうか。この点'或本 歌 の フル 第四句、第六句共に「落等言」と「落」字を用い'「隈毛不堕」と 「落」を「堕」に代えているのは注意してよい。すなわち、或本歌 (一・2 6)番歌には明らかに簡素化、統一化の傾向が見られるので あって、これを時期の前後と考えることが出来るかどうかは'今少 し全体を見通した上でないといえない。 フ リ さて、この一首中の「落」という漢字は'「雪者落家留」の「落」 は「降」や「零」の代えられる文字があるにもかかわらず'「隈毛 不レ落」の「落」と同じ文字が用いてある。 オチ 「隈毛不レ落」の「落」は'先に示した或本歌(一・2 6) の用例' 「隈毛不レ堕」の「堕」の漢字が考えられるが'集中例の多い漢字本 来の意味をもつ「落」を用いるのが穏当である。したがって'「雪 フ リ オ チ 者落家留」の「落」は、「隈毛不レ落」の「落」を意識して用いたも のか。両方共代えられる文字があるが、後者の 「隈毛不レ落」 の 「落」は当然この「落」の漢字であるべきだと思う。 ヽヽ ヽ 玉手次畝火之山乃橿原乃 日知之御世従服レ乾阿礼座師 一 r ′ ソ ) フ ア メ 神之轟 穆木乃弥継嗣ホ天下 所レ知食之乎細粒
倭乎置而青丹吉平山乎超甜賑甜相場齢相 何方
天ホ満 シ 御念食ア マ ア レ ド
可だ相即天離夷者離レ有石走 淡海園乃 楽浪乃
ア メ ス メ ロ キ ミ 宮 ホ 天 下 所 レ 知 食 兼 天 皇 之 神 之 御 言 能 大 宮 者 キ ケ ド モ イ ヘ ド モ 等難レ聞大殿者 此間等離レ云 春草之 茂生有 霞立 大津 この四例あるだけである。これは「思ふ」に敬語の「す」を添えて, 此 間春日之霧流舶毎宗鮎踊百磯城之大宮虞見者悲毛碧朗鞘
( 一 ・ 2 9 ) 「オモホス」と訓んだものである。尊敬の助動詞「ス」に「御」と いう文字を当てたのであろうと思われる。この「御念食可」の句の オ モ ホ シ 下に「或云所レ念計米可」と加えられているが、この「所レ念」を 「オモホス」と訓む例は、 、 、 ヽ シ , , , 6㌧日知之御世従 御念食可 神之御言能 、 ' 、 ヨ オ モ ホ シ 、 , 、 コ ト 「 御 」 に つ い て 「 御 世 」 ・ ・ 「 御 念 」 ・ 「 御 言 」 と 「 御 」 を 「 ミ 」 と訓んでいるもの二例'「シ」と訓んでいるもの一例である。「御」 を「,,、」と訓むのは尊称として'たびたび見られ珍しい存在ではな いが'「御念」を「オモホシ」と訓んでいるのは外に, オ モ ホ シ ○ 吾 大 王 物 莫 御 念 須 責 神 乃 嗣 而 賜 流 吾 莫 勿 久 ホ ( 一 ・ 7 7 ) 〇 八 隅 知 之 吾 大 王 高 照 日 乃 皇 子 荒 妙 乃 -神 長 柄 オ モ ホ ス 所レ念奈戸二 天地毛・・・・・・・・・(1・EB) ○ 飛 鳥 明 日 香 乃 河 之 -⊥ 二 五 月 之 与時く・・・・・・・・・(二・_ Z) オ モ ホ シ 益 目 頬 染 所 レ 念 之 君 ○ 明 日 香 能 清 御 原 乃 宮 不 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 何 方 ホ ( 二 ・ g ) オ モ ホ シ 所 レ 念 食 可 神 風 乃 -オ モ ホ シ ○ 天 地 之 初 時 -天 水 仰 而 待 ホ 何 方 ホ 御 念 食 可 -( 二 ・ 1 6 7 ) オ モ ホ ス ○世間之 人辞常 所レ念莫 真曽懸之不レ相日乎多美 (十二・ 棚 ) オ モ ホ ス ○藤浪之 花者盛ホ 成釆 平城京平 御念八君 (三・3 - 0) オ モ ホ シ ○ 磯 城 嶋 之 日 本 国 之 何 方 御 念 食 可 津 礼 毛 無 -( 十 三 ・ s w ) などと'「所念」という文字を用いて、「オモホス」と訓んでいる個 所があるが'何れも敬語的に使われているのであるから,日本語と 漢語との相違を巧みに調和させたものと思われる。-9-ア メ ソ ラ ア マ ア メ ス メ ロ キ 7 、 天 下 天 ホ 満 天 離 天 下 天 皇 之 一首の中で「天」という漢字を五文字も用い、それぞれ「アメ」・ 「 ソ ラ 」 ・ 「 ア マ 」 ・ 「 ス メ ロ ギ 」 と 変 化 に 富 ん だ 使 い 方 を し て い るのは面白い。その一面何か統一性を欠いているようであるが'そ の何れもが、固定してまざれないだけの歴史をもった訓みであるだ けに'書いた人も安心して使用しているのであろう。 「天」を「アメ」・「アマ」と訓む場合、外に代るべき漢字はない0 ● ● 「天ホ満」は「ソラニ-ツ」と訓んで大和の枕詞である。集中、同 じ く 枕 詞 で 「 ソ ラ ミ ツ 」 と い う 例 が 一 例 あ る 。 ( 二 ・ 1 6 7 ) ス メ ロ キ ○梓弓 手取持而 大夫之---心曽痛 天皇之---(二・2 3 0) ス メ ロ ギ ○天皇乃 等保伎美与ホ毛 於之弓流 難波乃久ホく-・・・・・・ 0 ( 二 十 ・ g S ) 4 この三例ある、また' ソ ラ ミ ツ 6 0空見津 倭国 青丹吉 常山越而 山代之・・・・・・・・・(十三・S) 3 このように「空見津」と書いて「ソラ-ツ」と訓んでいる。「空」 を「ソラ」と訓むのは、取り立てていうまでもないことであるが、 「天」を「ソラ」と訓むのは、「天」という漢字に「空」という意味 があるところからきたものであろう。万葉の記載者はここにおいて' 「空」の漢字を用いず、わざわざ「ソラ」に「天」 の漢字を当てた のは、何かそこに意識が感じられる。 「天皇」を「スメロキ」と訓むのは、今我々がいう「天皇」のこ とを、「オホキ-」とよぶのに対して、皇祖の天皇を主としていう。 集中においては'「天皇」を「スメロギ」と訓む例はこの外' ス メ ロ キ ○ 天 雲 之 向 伏 固 武 士 登 所 レ 云 人 者 皇 祖 神 之 御 門 ホ -( 三 ・ 4 4 3 ) ス メ ロ キ 〇 八 隅 知 之 吾 大 王 乃 高 敷 為 日 本 国 者 皇 祖 乃 神 之 御 代 目 -7 -( 六 ・ g ) l ス メ ロ キ 8 0皇祖乃 神御門乎 憾兄等 侍従時ホ 相流公鴨 (十l・:) と'漢字本来の意味を持つ 「皇祖」を「スメロキ」と訓んでいるも の三例ある。この外、 ス メ ロ キ ○ 天 地 之 初 時 久 堅 之 -神 随 太 布 座 而 天 皇 之 -ス メ ロ キ ○ 皇 祖 神 之 神 宮 人 冬 薯 頚 葛 弥 常 敷 ホ 吾 反 将 レ 見 ( 七 ・ 1 1 3 3 )
ス メ ロ キ ○ 皇 神 祖 之 遠 御 代 三 世 波 射 布 折 酒 飲 等 伊 布 曽 此 保 賓 我 之 波 ( 十 九 ・ N g ) 4 ス メ ロ キ ○皇神祖之 神乃御言乃 敷座 園之轟 湯者霜---(三・3 2 2) ス メ ロ キ ○ 可 気 麻 久 母 安 夜 ホ 加 之 古 思 皇 神 祖 乃 加 見 能 大 御 世 ホ -1 ( 十 八 ・ 1 1 ) 4 ○ 葦 原 能 美 豆 保 囲 乎 安 麻 久 太 利 -神 安 比 宇 豆 奈 比 ス メ ロ キ 4 皇御祖乃 御霊多須気早---(十八・09) 4 と あ り 、 「 皇 祖 神 」 ・ 「 皇 神 祖 」 ・ 「 皇 御 祖 」 を 「 ス メ ロ キ 」 と 訓 んでいる例がある。 ス メ ロ キ さて、このように検討してみると、この(1・gS)番歌の「天皇」 ア レ ド キ ケ ド モ イ ヘ ド モ 8、夷者離レ有 此間等離レ聞 此間等難レ云 「離」について「ど」・「ども」と両方の訓み方は非常に多いの で、省略することにするが'本来「ど」と「ども」とは大して相違 があるわけではなく多分「ども」にしても「ど」に「も」が添っ た も の で あ ろ う 。 し た が っ て 、 「 ど 」 と 訓 み 「 ど も 」 と 訓 ま せ る も の は 音 の 数 で あ る 。 「 コ コ ト キ ケ ド モ 」 に し て も ' 「 コ コ ト キ ケ 」 と 五音なら'これに続-「難」は「ドモ」と二音に恐らく訓んだので あろう。集中「難」を「ド」と訓む例も「ドモ」と訓む例も非常に 多い。「ド」と訓む方には'「騰」や「跡」など代るべき文字が多数 ある。「ドモ」と訓む場合も、「鞠」や「伴」の代わるべき文字があ るにもかかわらず、同じ「離」という漢字を用いているのは、やは り意識的であろう。 は意味を考えた場合' あるように思えるが' ● であろうか。「天下」 むしろ'「皇祖」の漢字を用いるのが適切で 「天皇」の漢字をわざわざ使ったのは意図的 ● ● ・「天ホ満」・「天離」の「天」を意識して' 八 隅 知 之 吾 大 王 之 所 レ 聞 食 天 下 ホ 園 者 思 毛 洋 二 離 レ 有 卜 山 川 之 清 河 内 跡 御 心 平 吉 野 乃 園 之 花 散 相 秋 津 乃 野 遠 ● 「皇祖」と書-べきところ「天皇」という漢字を使い統一化を量っ たものか。「天下」の「天」・「天離」の「天」は外に代るべき文 字はないが'「天ホ満」-の「天」は「空」に、「天皇」は「皇祖」に それぞれ代るべき文字がある。万葉の記載者の意識が推し量られる。 ホ 宮 柱 太 敷 座 波 百 磯 城 乃 舟 競 夕 河 渡 比 川 乃 絶 事 奈 久 ド 瀧之宮子披 見礼跡不レ飽可聞 大 宮 人 者 般 並 弓 旦 川 渡 此山乃 弥高思良珠 水激 (一・3 6) ト ド 9、清河内跡 見礼跡不レ飽可聞 一首中において「跡」の文字を清音に訓ませたり'淘音に訓ませ たりしている例である。 その前に考えねばならないことは、はたして、上代人に清濁の音
ー11-韻観念がどの程度あったかどうか'ということから掘り下げなけれ ばならないであろうが、清海の研究態度は緩慢であるというか'無 関心であるというか'決定的な法則というものがな-処置に困るの である。文字の位置を考えた時'語頭に位置する文字ないし音は清 音であるが、問題は語中尾に位置するものである。これに関する研 究は本稿においては余裕がないので'この程度に留め本筋にもどす が'特にこの「跡」については問題があるようである。文字的性質 について借訓文字的性質'「﹃アト﹄の﹃ア﹄音節が省略という意識 が早-から消えて、すでに訓仮名としての性質を発揮している」と。 「高菜」(第三十六号'十二貢) において、西宮一民が述べておられ るごとくである。 要するに一首中においても、この清尚の訓みが非常に多-不明な まま問題として残されていることのみ示してお-。例をあげるなら ば次のようなものがある。 などがある。 さて、この「跡」を「ト」と訓む場合には「輿」や「等」の代る べき文字がある。また'「ド」と訓む場合にも「難」や」「等」の代 るべき文字があるにもかかわらず、同じ文字が使ってあるのは意識 的であろうか。 シ 安 見 知 之 吾 大 王 神 長 柄 神 佐 備 世 須 登 芳 野 川 多 重 津 河 シ リ ノ ポ リ 内 ホ 高 殿 乎 高 知 庭 而 上 立 国 見 乎 為 勢 姿 塵 有 青 垣 山 マツル 山 神 乃 奉 御 調 等 春 部 者 花 挿 頭 持 秋 立 者 黄 葉 頑
刺理監預逝副川之神母
マ ツ ル カ -大 御 食 ホ 仕 奉 等 上 瀬 ホ 鵜 ツ カ フ 川 平 立 下 瀬 ホ 小 網 刺 渡 山 川 母 依 弓 奉 流 神 乃 御 代 鴨 (一・3 8) O 「 春 部 者 」 ヾ ノ 「 花 挿 頭 持 秋 立 者 」 ( 一 ・ 3 8 ) シ シ リ 1 0、安見知之 高知座而 「ヤス-シシ」 の用字については'ここの 「安見知之」 ワ ワ の外'集 タ O 「 秋 田 之 」 ダ 「 穂 田 乃 苅 婆 加 」 ( 四 ・ 5 1 2 ) ツ O「見津乃潰連ホ」 ヅ 「 魚 津 左 比 去 者 」 ( 四 ・ 5 0 9 ) ト O「吾妹子跡」 ド 「 物 ホ 波 在 跡 」 ( 四 ・ g ) 中多-「八隅知之」 の用字で表れ'「我が大君」や 「我ご大君」 に かかる枕詞として使われている。﹃時代別国語大辞典﹄によると、 天皇を讃美した枕詞の一つである。「八隅知之」 の用字は万葉に 現われ、釈日本紀(和歌) にも「八隅知也」と注しているように、 八隅を知ろしめすの意で我ガ大君にかけたらしいが'もとの意味 は確かでない。なお'はかに人麻呂・赤人の作歌などに「安見知 之」と書かれているのは、当時'安らかに見そなわすという解釈 も一方で行なわれていたことを示す。とあるが、「八隅知之」も、「安見知之」も'もとの意味については ともかくとして'両方の用字については'どちらも「知」を「シ」 と訓み慣用的に用いられており、語義的に「知」という文字には 「治める」という意味をもっているので、「知」の文字を用いたので あろう。要するに「安見知之」の「知」の文字は'これでなければ、 外に代る文字がない。したがって'記載時に特に神経を配って書く 必要がない文字である。 シ -シ ラ 「高知座而」の「知」を「シル」と訓むのは、集中「高忠良珠」 (一・誠)と一字1音で訓む例が1例のみある以外は'すべて,「高 6 所知」(六・o o)・「高知為」(六・S: n)などとあり「知」以外の文 1 字はない.したがって'この1首中の「知」の両方の文字は外に代 ぇる文字がない。万葉の記載者は「知」については特に神経を配っ て書いたものでなくご-自然に書いたものと思われる。 ノ ポ リ カ ・ , 、 Ht上立 上瀬ホ 「上立」の「上」の文字を「ノポリ」と訓み'「上瀬ホ」の「上」 を「カ,、、」と訓んでいるが、「下瀬ホ」の「下」を「シモ」と訓ん でいるのに対応させているものである。したがって、「上瀬ホ」の カ,,ヽ カ ・ 、 ヽ 「上」は外に代るべき漢字がない。この代るべき漢字がない「上」 という漢字に統一しようと意識的に'「上立」の「ノポリ」を「登」 の漢字を使うのを控え'「上」の漢字を用いたのであろうか。集中 「登」の漢字を用いている例は次のごとくある。 ○衣手常陸図二並-・・・・・・噴鳴郵峯上乎・・・・・・・・・(九.S) l ノ ポ リ ○草枕客之憂乎名草漏事毛有哉跡筑波嶺ホ登而見者---7 ( 九 ・ 7 5 ) 1 ノ ポ リ ○男神ホ 雲立登 斯具礼零 清適友 吾将レ反哉 (九・E) l ○忍照 g = ) ノポル 難 波 乃 埼 ホ 引 登 赤 曽 朋 舟 曽 朋 舟 年 -( 十 三 ・ この他' ノ ポ リ ○ 天 離 夷 等 之 在 者 -叔 羅 河 奈 頑 左 比 拝 平 瀬 ホ 波 -9 ( 十 九 ・ 1 8 ) 4 「締」を「ノボ-」と訓んでおり、また' ノ ポ リ ○山常庭村山有等取輿呂布天乃番兵j騰立国見乎為者・・・・・・ -( 一 ・ 2 ) 「騰」を「ノボ-」と訓んでいる。 さ て ' こ の よ う に 「 ノ ボ -」 に は 「 登 」 や 「 拝 」 ・ 「 騰 」 な ど の ノ ポ リ 漢字が集中にみられ'ここの場合の「上立」の「上」の漢字は外に
-13-カ ⋮ 代るべき漢字があるにもかかわらず'もう一方の「上瀬林」の「上」 の漢字と同じ文字を用いているのは意識的であろうか。 マ ツ ル マ ツ ル ツ カ 7 1 2㌧奉御調等 仕奉等 依弓奉流 「奉」を「マツル」と訓ませて「献上」の意とするのは特に珍し い例ではないが、「奉」を「ツカフ」と訓んでいるのはどうであろ うか。集中におけるこの外の例は、この歌の反歌に' ツ カ フ ○山川毛 困而奉流 神長柄 多重津河内ホ 船出為加母(一・ 3 9 ) とあるのみである。したがって'「依弓奉流」は、﹃万葉集全釈﹄に' 「 ヨ リ テ マ ツ レ ル 」 と 訓 ん で お り 、 ま た ' こ の ( 一 ・ 3 8 ) 番 歌 に 「仕奉等」の「仕」を「ツカエ」と訓み'集中「仕」 の文字を使っ ている場合が多い。これから勘案しても'「依弓奉流」 は 「ヨ-チ マツレル」と﹃万葉集全釈﹄のように訓むのが適切であるかもしれ ない。後考を侯ちた-思う。 なお'「ツカフル」は「仕流」の外、 こ の 歌 に 「 奉 仕 流 」 を 「 ツ カ フ ル 」 と 訓 ん で い る 例 が 一 例 あ る 。 「奉仕」は「ツカへマツル」と訓むのが本来の訓みであろうが、こ -ハ カ ツ カ フ ル ● ● こは、御陵奉仕流の意味'すなわち、「御陵を造るのに奉仕する」 ということであるところから、「ツカフ」に「奉仕」 の意味を持た せた二字漢字を用いたものか。もっとも、位置を考えた場合、「-ハ カ ・ ツ カ へ マ ツ レ ル 」 と 訓 め る 。 「 -ハ カ ツ カ フ ル 」 と 七 音 で 訓 む方が有力であることは認めるが'一案として記してお-。 さて'これから'ここで問題にしている「俵弓奉流」の「奉」は 「奉仕」と書-のは'意味のうえから適当でない。むしろ「仕」を 用いるべきかもしれないところ、「奉」の漢字を使ったのは何か記 載者の意図があったのであろうか。恐ら-文字の統一化を考慮して 書いたのであろう。 さて「マツル」は両方とも「奉」の文字以外は代るべき文字はな いが'「依弓奉流」の「奉」は「仕」という代るべき文字があるに もかかわらず「奉」という文字を使い統一化を量っている。 〇八隅知之 和期大王之 夜 者 毛 夜 之 轟 蓋 者 母 城 乃 大 宮 人 者 去 別 南 フ カ フ ル 恐 也 御 陵 奉 仕 流 山 科 乃 鏡 山 ホ 日 之 毒 突 耳 呼 泣 乍 在 而 哉 百 磯 ( 一 ・ 1 5 5 ) 八 具 知 之 吾 大 王 高 照 日 乃 皇 子 荒 妙 乃 藤 原 我 宇 倍 ホ カム 食囲乎 責之賜牟登 都宮者 高所レ知武等 神長柄 所レ念奈 戸 二 天 地 毛 緑 而 有 許 曽 磐 走 淡 海 乃 園 之 衣 手 能 田 上 山 之 真 木 佐 苦 槍 乃 嬬 手 乎 物 乃 布 能 八 十 氏 河 ホ 玉 藻 成 浮倍流礼 其平取登 散和久御民毛 家忘 見毛多奈不レ知 鴨 白 物 水 ホ 浮 居 而 吾 作 目 之 御 門 ホ 不 レ 知 園 依 巨 勢 道 クスシ上丁 従 我国者 常世ホ成牟 囲負留(弼野毛 新代登 泉乃河ホ
持 越 流 真 木 乃 都 麻 手 乎 百 不 レ 足 五 十 日 太 ホ 作 拝 須 良 牟 カム 伊蘇波久見者 神随ホ有之 (一・5 0) ク ス シ キ カ ム ( ア ヤ シ キ ) カ ム 1 3㌧神長柄 神亀毛 神随ホ有之 「神」を「カ-」と訓んでいるもの カ 、 、 ヽ ヨ カ , ミ ヤ マ 「神代」「神山」 などがある が'「カ-」の交替形「カム」となって'複合語を作る場合も多い。 「神長柄」の「神」を「カム」と訓むのは、 ○ 可 既 麻 久 波 阿 夜 ホ 可 斯 故 斯 多 良 志 比 嘩 可 尾 能 弥 許 等 可 カ ム ナ ガ ラ 良 久 ホ 遠 -意 可 志 多 麻 比 弓 可 武 奈 何 良 可 武 佐 備 伊 零 -( 五 ・ 8 1 3 ) このように「可武奈何良」とあり、また、 ○ 葦 原 能 -左 可 延 牟 物 能 等 4 ( 十 八 ・ 0 9 ) 4 カ ム ナ ガ ラ 可 牟 奈 我 良 於 毛 保 之 真 之 与 -ここに「可牟奈我良」とあり、また' カ ム ナ ガ ラ ○ 天 皇 乃 等 保 伎 美 与 ホ 毛 -安 夜 ホ 可 之 古 志 可 武 奈 我 良 0 和 其 大 王 乃 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 二 十 ・ g s ) 4 こ れ に は 「 可 武 奈 我 良 」 と あ り 、 こ れ ら の 例 に よ っ て 、 「 神 」 を 「カム」と訓むことは'うなずけることが出来る。 次に「神亀毛」の「神」の文字であるが'従来「アヤシキ」と訓 んでいたのを新訓では「クスシキ」と改めている。﹃万葉集注搾﹄ の説明では「アヤシ」の語は、 ア ヤ シ ○足柄の箱根の山に粟蒔きて賓とはなれるを連はなくも安夜思 4 ( 十 四 ・ 2 % ) 3 ア ヤ シ ク ふ l O久かたの雨には著ぬを佑毛吾が衣手は干る時無さか。(七・37) ‖ H の如-、仮名書の外は、「佑」の文字を用いたものばかり七例 あり、「佑」は「怪」の俗字で、その用字でもわかるように、 怪冴とか不思議とかいふ意味に多く用いられている。 「クスシ」 の語は、 ○ -乏 し き 子 ら ' う つ せ み の 世 の 人 わ れ も こ こ を し も ' あ や ク ス シ , , ヽ に久須之弥往きかほる'年のは毎に天の原振り放け見つついひ っぎにすれ.(十八・S n) クスシ句 ○聞きし如まこと貴-奇母神さび居るかこれ水島。(三・2 4 5) ク ス シ ク モ ○---云ひもえず名づけも知らず'雲母座す神かも--- 0 ( 三 ・ 3 1 9 ) 右の「奇」も「塞」も奮訓には「アヤシクモ」とあったのを 「槻乃落葉」に「霊妙のことをいふ言」として「クスシクモ」 と改めてより、諸家多-それに従うに至った。さういふ風に見 る と 、 「 ア ヤ シ 」 と 「 ク ス シ 」 と は 一 鹿 の 区 別 が 立 て ら れ る よ ぅ で ' 今 の 「 神 」 は 「 ア ヤ シ 」 よ り も 「 ク ス シ 」 の 方 が ふ さ わ しいように見える。
ー15-とある。これに従うべきであろう。それにしても'「神」 を 「クス シキ」と訓む例は'集中ここのみで珍しい例である。今少し、「ク スシ」の用例を集中から抽出してみよう。 ク ス シ ク ○如レ聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋 (三・2 4 5) とあり、「奇」 の漢字を「クスシク」と訓んだ例が集中巻三のみ一 例ある。また' ク ス シ ク ○ -火 用 消 通 都 言 不 レ 得 名 不 レ 知 霊 母 座 神 香 聞 -( 三 ・ 3 1 9 ) このように'「霊」の漢字を「クスシク」と訓んだ例が'これも巻 三に一例のみ見当たる。したがって'「神亀毛」の「神」はむしろ、 「奇」や「霊」の漢字を用いる方が適切であるように思えるが、記 載者は' ● ● O「群瑞--- 紳亀。黒紳之精也。」(延書式巻第二一・治部省) 使用せず「神亀」を用いたのは意識的であろうか。要するに代るべ き文字があるにもかかわらず「神」の文字を用いている。 「神随ホ有之」の 「神」 を 「カム」 と訓むことは、「神随」 を 「カムカラ」と訓み、「カムナガラ」と同じ意味、「神であるままに」 のことである。したがって、「カムカラ」 の 「カム」 は当然 「神」 の文字以外は代るべき文字はない。 ノ ガ 藤 原 之 大 宮 都 加 倍 安 礼 衝 哉 虞 女 之 友 者 乏 吉 呂 賀 聞 (一・5 3) ノ ガ 1 4㌧藤原之 魔女之友者 「之」を「ノ」と訓むのは漢字本来の意味として受け取れるが' 「ガ」と句中に訓んでいるのはどうであろうか。前貢の2番で述べ たが'「ノ」と「ガ」は共に格助詞として相似た意味、機能をもっ て い る と こ ろ か ら 、 「 之 」 を 「 ガ 」 と 訓 ん で 、 当 時 は 「 ノ 」 と 「 ガ 」 の意味的な区別をあまりつけておらず'後世になって分化していっ たのではなかろうか。それで「ノ」・「ガ」共に「之」 の文字を当 てたと思われる。しかしこの場合「虞女ノ友者」と訓むことも許さ れるのではないだろうか。 ● ● ● O「---亀千年生レ毛'亀毒五千年、謂二之紳亀一㌧ 高年日二塞 ● 亀 ︼ 」 ( 述 異 記 上 ・ 五 ) これらの文中'「神亀」や「塞亀」の言葉がみられる内、「室亀」を 天 皇 乃 御 命 畏 美 柔 備 ホ 之 家 乎 揮 隠 園 乃 泊 瀬 乃 川 ホ オチ 般 浮 而 吾 行 河 乃 河 隈 之 八 十 阿 不 レ 落 万 段 顧 為 乍 玉 梓 乃 道 行 晩 青 丹 吉 楢 乃 京 師 乃 佐 保 川 ホ 伊 去 至 而 我
ヨ 宿 有 衣 乃 上 従 朝 月 夜 ヨ 床 等 川 之 氷 凝 冷 夜 乎 ホ 座 多 公 与 吾 毛 通 武 ヨ ル フ リ 清 ホ 見 者 拷 乃 穂 ホ 夜 之 霜 落 磐 息 言 無 久 通 乍 作 家 ホ 千 代 二 手 (一・7 9) ○吾背子者 サ ヨ 左夜深跡・ ヨ 待 跡 不 レ 来 腐 音 文 動 而 寒 鳥 玉 乃 宵 文 深 去 来 1 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 十 三 ・ c q c o ) 3 オ チ フ リ 1 5㌧八十阿不レ落 夜之霜落 「落」を「オチ」と訓むことは、いうまでもな-正訓で、「フ-」 と訓むことは、「落下」などの熟語からきたのではないかというこ とは、すでに前頁の5番で述べた通り同じ例である。その5番で検 討したが'「落」を「オチ」と訓む場合には「堕」という文字に代 えられ、「落」を「フリ」と訓む場合には「降」や「零」 の代るべ き文字があるが'両方共「落」の文字を用いたのは意識的であろう ヽ 一 〇 め 「宵」を「ヨ」と訓んでいる例が集中一例ある。この句の下に' サ ヨ 「左夜」と「夜」の文字を使ってあるのは、変化をつけるためであ ろうか。ともか-、「ヨ」は「夜」の漢字を当てるのが自然である。 「夜」を「ヨル」と訓む例も集中例が多い。「夜」 の漢字の外' 次の一例に' ヨ ル 4 0---春鳥能 噂耳鳴乍 味揮相 宵蓋不レ知---(九・8 0) l ヨ ヨ ル ヨ 16㌧朝月夜 夜之霜落 冷夜乎 「夜」を「ヨル」と訓むのは、「ヨ」と訓むより音の上で重い感 じがする。従来「夜」を「ヨ」と訓んでいたが、それに接尾語「ル」 が つ い て 「 ヨ ル 」 に な り ' 「 ヒ 」 に 「 ル 」 が つ い て 「 ヒ ル 」 に な っ たように思える。とにか-集中「夜」を「ヨ」と訓んでいる場合が 非 常 に 多 い 。 ま た 、 「 ヨ 」 は 「 ヒ 」 の 対 、 「 ヨ ル 」 は 「 ヒ ル 」 の 対 と ヨ ヨ ル してあつかう。「夜」は複合語を作る場合が多-'「夜」は独立語と して使う場合が多い。集中「ヨ」を「夜」と書く例は非常に多いが こ の 外 、 「宵」という漢字に「ヨル」と訓みを当てている。思うに当時は、 「夜」も「宵」もあまり区別されず、日没から日の出までの暗い時 の全部を、「夜」とも「宵」とも書いているようだが、「宵」という 漢字は今検討してきたごと-、「ヨ」と訓むもの一例、「ヨル」と訓 むもの一例のみ見当たるのみである。集中「ヨヒ」の文字は「夕」・ ヨ ヒ 「暮」・「初夜」・「三更」が当てられており'「宵」の文字は見当 たらない。 さて、ここの一首中の同じ文字「夜」は三個見当たるが、いずれ もこの文字を書-のが自然で、記載時に神経を配って書く必要がな い文字である。 以上で巻一の検討を終わる。 次は巻二を調べてみる。
-17-ノ ニ 東 人 之 荷 向 箇 之 荷 之 緒 ホ 毛 妹 情 ホ 乗 ホ 家 留 香 問 禅 師 ( 二 ・ 1 0 0 ) ノ ニ 1 7㌧荷向箇乃 荷之緒ホ毛 「荷」を「ノ」と訓むのは我々現代人には異例としかとれない。 しかし'﹃日本書記﹄の「気長足姫尊 神功皇后」の条に' たちこそ違和感を持つが「荷」を仮名で書いたものは見当たらない ので'なおさらそのように考える。 大 船 か ( 二 ・ 1 0 9 ) 津守之占ホ 将レ告登波 益為ホ知而 我二人宿之 ノ 1 8 、 大 船 之 ガ ノ シ 津守之占ホ 我二人宿之 ノ ト リ 〇 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 未 レ 経 二 淡 辰 . 、 而 自 服 蔦 . 旦 荷 持 田 蕊 鞘 附 F I H 二 有二羽白熊鷲者一。 とあり'「荷持」を「ノトリ」と訓ませているのは注目すべきだ。 ま た 、 ﹃ 万 葉 集 ﹄ で も 、 ノ ○ 打 麻 乎 麻 績 王 白 水 郎 有 哉 射 等 龍 荷 四 間 乃 珠 藻 苅 麻 須 (一・2 3) ● ● とあり'「射等寵荷四間乃」を、「イラゴノシマノ」と訓ませている 例 も あ る 。 「 ノ 」 は 「 ニ 」 に 先 立 つ 訓 で も あ っ た の で あ ろ う か 。 し かし、「荷向」を「ノザキ」と訓むことは慣用語として許されよう。 「射等龍荷」 の 「荷」を「ノ」と訓むことはどうであろうか。これ が何の抵抗もな-「ノ」と訓まれたとすれば'むしろ「荷之緒」の 「荷」を私たちは、何の反省もな-「ニ」と訓んでいるが案外「ノ」 で あ っ た か も し れ な い 。 「 荷 之 緒 」 を 「 ノ ノ ヲ 」 と 訓 む こ と は ' 私 「之」 の文字を「ノ」・「シ」と訓むことはさておいて'問題は ● 「津守之占ホ」の 「之」 の文字の訓みであるが、諸本 - ﹃新校万 葉集﹄・﹃万葉集注樺﹄・﹃日本古典文学大系万葉集﹄・﹃日本 古典全書万葉集﹄、その他では「之」 を 「ノ」 と訓んでいるが、 ﹃小島憲之・木下正俊・佐竹昭広共著・塙書房万葉集﹄や﹃鶴 久・ 森山 隆編・桜楓社万葉集﹄などでは'「之」を「ガ」と訓んでい るのは注目すべきだ。「ノ」を「ガ」と改めねばならなかった理由 は ' は っ き り わ か ら な い が 、 ノ 津守之占爾(﹃新校万葉集﹄他) ガ 津守之占ホ(小島・木下・佐竹・共著 ﹃万葉集﹄他) この両方を比べてみると'「ガ」と訓む方が「ノ」 よりも強い感じ ノ を受け、意味的に少し違って-るようだが'「津守之占爾」と「之」 を「ノ」と訓んでも意味的にも普通に通じるし、「之」 を 「ノ」 と 訓むのは漢字本来の訓みで自然だと思うのであるが、どうであろう ノ ガ か。強いて「之」を「之」と改めなければならないのだろうか。こ
の「津守之占ホ」の句からみても「之---ホ」と「ニ」で止まっ て い る と こ ろ か ら み て も 、 「 ノ -ニ 」 の 方 が 「 ガ -ニ 」 よ りもすっきりと受け取れるような気がする。「之」を「ガ」と訓む 場合、「我」や「加」の代るべき文字があるにもかかわらず、「之」 という、第一句末・第五句末と同じ文字を使ってあるのは、意識的 であろうか。 第一句末には「之」を「ノ」と訓んでいるのは漢字本来の意味と して受け取れる。集中とにか-用例が非常に多いが'「能」や「乃」 などの代るべき文字がある。また第五句末には「之」を「シ」と訓 んでいるが、﹃角川新字源﹄によると、「もと止と同じで'---止 が誤って止と混同されたので、一説に、之は止の省略形という」こ のところから、「之」を「シ」と訓むようになったと考えられる。 これもすこぶる集中用例が多-一般に使われている。この文字の<' シ シ 「四」や「思」も集中使われており、代るべき文字があるが、集中 用例のすこぶる多い「之」の文字を用いへ第一句末と同じ文字で揃 えてあるのは意識的か。 ホ 山 毛 超 釆 奴 早 敷 屋 師 吾 嬬 乃 見 我 夏 草 乃 恩 志 萎 而 将レ嘆角里将レ見 廓此山 (二・:) ノ ノ ノ シ ノ ガ 1 9㌧石見之海 荒磯之上布 浪之共 磨吾宿之 敷妙之 妹之手 シ ノ 本乎 置而之来者 此道之 ノ 石見之海 津乃浦乎無美 浦無跡 入社見良米 滴無跡 入 社 見 良 日 吉 咲 八 師 浦 者 難 レ 無 縦 恵 夜 恩 適 者 難 レ 無 勇 魚 ノ 取 海 遠 乎 指 而 柔 田 津 乃 荒 磯 之 上 ホ 蚊 青 生 玉 藻 息 都 藻 明来者 玉藻成 此 道 か ノ 浪 己 曽 釆 依 夕 去 者 風 己 曽 釆 依 浪 之 共 彼 依 此 依 シ ノ ガ シ 磨 我 宿 之 敷 妙 之 妹 之 手 本 乎 露 霜 乃 置 而 之 来 者 八 十 隈 毎 高 段 顧 難 レ 為 弥 遠 ホ 里 放 来 奴 益 高 この長歌に「之」という文字が八個も使われ、それぞれ「ノ」・ 「シ」・「ガ」と三様に訓まれている。「之」の文字を「ノ」・「シ」 ・「ガ」と訓む例は2番・1 4番・1 8番でも書いたが'集中すこぶる 用例が多い。この(二・1 3 8)番歌中'「ノ」に「之」の文字を当て ているもの五個ある外'「ノ」に「乃」の文字を当てているものも 同じ数の五個みられるのは意識的であろうか。今のところ「之」と ノ 「乃」の用法の区別は'はっきりとはわからぬが、「之」と書かれて ノ いる個所は「乃」の文字を用いても差し支えあるまい。 さ て 、 こ こ で 問 題 に し て い る ' 「 ノ 」 ・ 「 シ 」 ・ 「 ガ 」 に 「 之 」 の文字を当てる外'代るべき文字があるにもかかわらず'「之」の 文字を用いていることについては'すでに、2番・1 4番・1 8番で記 したところである。 ・ 1 ヽ ワ ( カ 、 、 、 ) カ ム 三諸之 神之神須疑 巳具耳央自得見監乍共 不レ寝夜叙多 ( 二 ・ 1 5 6 )
-191 ・、ヽワ ( カ 、 , 、 ) カ ム 2 0 、 神 之 神 須 疑 一首中の二旬日に「神」という文字が二個使われていて、一 方 を 「 、 、 、 ワ ( カ ミ ) 」 ' そ し て 一 方 を 「 カ ム 」 と 訓 ん で い る 。 集 中には「神」を「カミ」と訓む例も「カム」と訓む例も非常に 多いが'「ミワ」と訓む例は僅少である。しかし 「カム」 と訓 む場合は熟語になるのであって、しかもやや固定化の傾向が見 受けられないでもない。したがって、「神須疑」 にしても、「カ ムスギ」と訓むことは誤りとはいえないかも知れないが'「カ ム -」 の 仮 名 書 は 、 オ ホ -ワ なりしから、遂に其ノ文字を、やがて大美和と云に用フること にぞなれりけむ﹄とあり。今も三輪神社を大神神社と書かれて い る よ う に 神 山 は -ワ ヤ マ と 訓 む 。 -0 このように説明されている。また'﹃時代別国語大辞典﹄によると、 み わ ノ メ テ 。「美和之大物主神見感而」(記神武)などとある大和の 三輪の地の大物主神の神威が大き-、神といえば三輪の神が思 い起こされたので、-ワに神があてられるようになったのであ ろうか。 と あ る と こ ろ か ら 、 「 神 」 を 「 カ -」 と 訓 ん で い た の を 「 -ワ 」 と 改訓したものか。だがしかし、 ○ 伊 美 都 河 泊 伊 由 伎 米 具 礼 流 -出 立 氏 布 里 佐 気 見 礼 婆 カ ム カ ラ 5 可牟加良夜 曽許婆多敷刀伎 夜麻可良夜・・・--(十七・g) 3 カ ム カ ラ このように'「可牟加良」とあるぐらいで'熟語名詞としてはあま り例をみないので'案外「神須疑」は「カ-スギ」と訓むべきであ るかもしれない。 -ワ ( カ ミ ) ヵ ミ 「神之神須疑」の 「神之」 の 「神」 の訓みは、﹃塙本万葉集﹄や ﹃桜楓社万葉集﹄ では「,、、ワ」と改訓しているのは注目すべきであ ミ ワ ヤ マ る。「神」を「,、、ワ」と訓むことは「神山」(巻二・1 5 7)の条で﹃万 葉集注樺﹄は、 ミ ワ ノ キ ミ ---。しかし崇神記、三輪山伝説の神君の候記樽(廿三) の カ 、 , ヽ 〇三諸乃 神能於婆勢流 泊瀬河 水尾之不レ断者 吾忘礼米也 0 ( 九 ・ 7 7 ) l カ ミ ○ 伊 夜 彦 神 乃 布 本 今 日 良 毛 加 鹿 乃 伏 良 武 皮 服 著 而 角 附 4 奈我良 (十六・3) 3 カ 、 、 ヽ などの例によれば「神」 は、「山」 の意味で用いられている。した ス メ ラ オ ホ -ヤ シ キ マ セ ﹃古へ大倭ノ園に、皇大宮敷坐りし御代には'此ノ美和ノ大神 アガメ 殊に崇奉らして、ただに大神とのみ申せば'即此神の御事 がって、今の場合も「みもろの山の神杉」 の意であるとみれば'む ● ● ● しろ改めない方がよ-、「神之神須疑」は、「カ、、、ノカムスギ」と従 来の訓みを尊重してはどうだろうか。「神之神杉」と一句中に「神」 が重なることを嫌っての改訓であると思うが'再考の余地があるよ うに思う。
結局'「神」を「カミ」・「カム」と訓む場合には外に代るべき 文字がな-、一句中に同じ文字を用いることになるが'「神」を 「-ワ」と訓むとすれば、「三輪」・「三和」などの代るべき文字が ある。 ア メ ア マ 天 地 之 初 時 久 堅 之 天 河 原 ホ 八 百 寓 アマ 集 座 而 神 分 分 之 時 ホ 天 照 日 女 之 命 アメ 所レ知食登 葦原乃 水穂之園乎 天地之 千 寓 神 之 神 集
忙
無
配
邦
乎
婆
依相之極 所レ知行 アマ神之命等天雲之 八重掻別而㌫琵配
日 之 皇 子 波 飛 鳥 之 浄 之 宮 ホ 神 随 クダシ 神 下 座 奉 之 高 照 ス メ ロ ギ 太 布 座 而 天 皇 之 敷 アマ 座 園 等 天 原 ア メ ノ シ タ石門乎開神上 上座奴監諸婆吾王 皇子
之 命 乃 天 下 所 レ 知 食 世 者 春 花 之 貴 在 等 望 月 乃 満 波之計武跡裏配四方之人乃大船之思慮而 天水仰
ア マ ツ 而 待 ホ 何 方 ホ 御 念 食 可 由 縁 母 無 真 弓 乃 岡 ホ 宮 柱 太 布 座 御在香乎 高知座而 明言ホ御言不二御問一日月之 数多成塗 其故皇子之宮人行方不レ知是鮎類川妃槌裾缶(二・g)
ア メ ア マ ア マ ア メ ア メ ア マ ス メ ロ ギ 21、天地之 天河原ホ 天照 天平婆 天地之 天雲之 天皇 ア マ ア メ ア メ ア マ 天 原 天 下 天 下 天 水 「天」という文字を十一個使い、「ア*」と訓むもの五個'「アマ」 と訓むものも五個用い'同数使用しているのは偶然であろうか。そ して'「天皇」という熟語として用いているもの一個見当たり、一 首中に「天」の文字を三様に訓んでいる。 「天」を「アメ」・「アマ」と二様に訓んでいるのは集中例が多 -、 す で に 7 番 に お い て 説 明 し た が 、 「 ﹃ ア メ ノ シ タ ﹄ と い う の は ﹃天下﹄という中国の翻訳語であるのからして、﹃アメツチ﹄も﹃天 地﹄の訳語であるかもしれない」と﹃日本古典文学大系万葉集-﹄ は記している。そうすれば「アマ」というのが日本独特の訓みで' 「 ア メ 」 よ り も 「 ア マ 」 と 訓 む 方 が 古 い の で あ ろ う 。 こ れ か ら し て この一首中にも中国語の翻訳的なもの「アメ」と、日本本来の「ア マ」という訓みと'それぞれ熟語的に固定して使われている興味あ る一首である。 「天皇」を「スメロギ」と訓むのは'すでに7番で記したが'今 我々がいう「天皇」のことを「オホキミ」とよぶのに対して'皇祖 の天皇を主としていう。集中において'「天皇」を「スメロギ」と 訓むのは三例あるが、これらは意味的に「天の上にいらっしゃるよ うな尊い御方」という気持で、「天」という文字を使ったのではあ るまいか。集中「スメロギ」に「天皇」の漢字を当てる外'「皇祖」 ・「皇祖神」など'代るべき文字があるにもかかわらず'「天皇」 という文字を用いたのは'「天」という文字の統一化を意識したも ア メ ア マ のであろうか。なお、「天」・「天」は外に代るべき漢字はない。 タ ダ シ シ タ シ タ 22㌧神下 天下 天下 「下」を「シタ」と訓む例は集中非常に多く'「シタ」 は 「下」 以外に代るべき漢字はない。一方「下」を動詞「クダシ」と訓む例 は'この外'-21-ク ダ リ 8 0不レ答ホ 勿喚動曽 喚子鳥 佐保乃山遠乎 上下二(十・S) l この一例のみ見当たるだけである。もっとも、この長歌にみられる。 カ ム ク ダ シ ヵ ム ア ガ -「神下」の言葉は、この言葉から少し隔たった後のところに「神上」 という言葉がある。この言葉と対応的に用いられているとすれば' 「クダシ」に「下」を当てたのもやむを得ないといえよう。「下」を 「クダシ」と訓む場合も、「下」を「シタ」と訓む場合も、どちらも 「下」の漢字の外代るべき文字がない。
桂文忌之伎鴨監舶讐言久母綾ホ畏伎明日香乃真神之
サダメ 原 ホ 久 堅 能 天 都 御 門 乎 健 母 定 賜 而 神 佐 扶 跡 磐 隠 座 八 隅 知 之 吾 大 王 乃 所 レ 聞 見 為 背 友 乃 固 之 真 木 立 不 破 山 越 而 狛 剣 和 射 見 我 原 乃 行 宮 ホ 安 母 理 座 而 天 下 治 サダメ賜監鳩鮎固平定賜等鶏之鳴吾妻乃園之御軍士乎
喚賜而千磐破人平和為跡不二奉仕.固乎治跡紅等皇子
随 任 賜 者 大 御 身 ホ 大 刀 取 帯 之 大 御 手 ホ 弓 取 持 之 御 軍 士 平 安 騰 毛 比 賜 奔 流 鼓 之 音 者 雷 之 馨 登 聞 麻 但 吹 響流小角乃音母監鯛散見有 虎可叫帆登 諸人之 協流 ツ キ 麻但ホ監鯛指撃有播之廓者冬木成 春去来者 野毎 著而有火之転齢畑欄風之共廓如久取持流弓波受野騨 lll
雪落冬乃林ホ監細腰可毛 伊巻渡等 念麻但 聞之恐久
監鰯臥見引放箭之繁計久大雪乃 乱而釆礼紅塵謂析婆
不二奉仕一立向之毛 露霜之 消者消倍久 去鳥乃 相競端ホ張詰露棉禦柿渡合乃粛宮従神風ホ 伊吹或之 天雲
サダメ 乎 日 之 目 毛 不 レ 令 レ 見 常 闇 ホ 覆 賜 而 定 之 水 穂 之 園 乎 神 髄 太 敷 座 而 八 隅 知 之 吾 大 王 之 天 下 申 賜 者 寓 代 ホ 然之毛将レ有登監触報毛木綿花乃柴時ホ 吾大王 皇子之御門乎巌鞘皇神票装束奉而遣使御門之人毛白妙乃
コ ト ゴ ト 麻 衣 著 埴 安 乃 御 門 之 原 ホ 赤 根 刺 日 之 轟 鹿 白 物 伊 波 比 伏 管 烏 玉 能 暮 ホ 至 者 大 殿 乎 振 放 見 乍 鶴 成 伊 波 比 廻 雄二侍候一佐母良比不レ得者 春鳥之 佐麻欲比奴礼者 ツ キ 嘆 毛 未 レ 過 ホ 憶 毛 未 不 レ 轟 者 言 左 倣 久 百 済 之 原 従 神 葬 葬 伊 座 而 朝 毛 吉 木 上 宮 平 常 宮 等 高 之 奉 而 神 髄 シ ヅ マ リ メ シ 安 定 座 奴 難 レ 然 吾 大 王 之 寓 代 跡 所 レ 念 食 而 作 良 志 之 香 来 山 之 宮 寓 代 ホ 過 牟 登 念 哉 天 之 如 振 放 見 乍 玉 手 次 懸 而 将 レ 偲 恐 有 騰 文 ( 二 ・ 1 9 9 ) サ ダ メ サ ダ メ サ ダ メ シ ヅ マ -2 3㌧定賜而 定賜 定之 安定座奴 「定」を「サダメ」と三個所に訓んでいるが、 集中用例が多-外 に代るべき漢字はない。これは特に説明するまでもないであろう。 しかし「安定」を「シヅマ-」と訓む例は集中ここ一個所しかない 唯一例である。恐ら-「安定」という漢語が日本語の 「シヅマル」 に相当するため'当てたものであろう。したがって、「安定」 は一 字の訓の問題ではないので、最後にはここで取り上げるべきではな ヽ -0 -1 V阿 伎 多 ヲ ス メ シ 2 4 ㌧ 食 園 乎 所 レ 念 食 而 「食」を「ヲス」と訓む例は、この外、 〇 八 隅 知 之 吾 大 王 高 照 日 乃 皇 子 荒 妙 乃 藤 原 我 宇 倍 ホ ヲス 食園乎 真之賜牟登---(一・5 0) がある。なお、﹃滞潟久孝博士の万葉集注秤﹄に「古事記上巻﹃夜 ヲ ス 之食園﹄に注して﹃訓レ食云二義須.﹄」とある。これらにより「食」 を「ヲス」と訓むことが可能なわけである。 次に「食」を「メシ」と訓むのは「見る」に敬語の「ス」がつく 場合「メス」となり'その連用形である。仮名書例をみると' ○ 忍 照 難 波 乃 国 軍 葦 垣 乃 古 郷 跡 人 皆 之 -太 高 敷 而 ヲス 食園乎 治賜者-・・・・・・(六・:) ヲス ○食国 連乃御朝庭ホ 汝等之 如是退去者---(六・・9 7 3) ○ 珪 巻 毛 文 ホ 恐 之 吾 王 皇 子 之 命 物 乃 負 能 -御 心 乎 メ シ ア キ ラ メ シ 見為明米之 活道山---(三・4 7 8) ○須責呂伎能 御代万代ホ 7 葉ホ(十九・S) 4 メ シ ア キ ラ メ メ 如是許曽 見為安伎良日米 立年之 ○ 晴 嶋 山 跡 園 乎 天 雲 ホ 磐 船 浮 等 母 ホ 倍 年 -等 登 能 倍 ヲ ス 4 賜 食 園 毛 四 方 之 人 乎 母 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ( 十 九 ・ c q L L ' ) 4 ヲス そ し て 、 ( 二 ・ 1 6 -〓 玉 食 園 ) が あ る が い ず れ も ' こ ん に ち で い う「食べる」という意味ではな-「治める」という意味なのである。 仮名書例では 〇時花 伊夜米豆良之母 5 都 共 等 ホ ( 二 十 ・ S ) 4 メ シ ア キ ラ メ メ 加久之許曽 責之安伎良米晩 ○ 可 伎 加 蘇 布 数 多 我 美 夜 麻 布 可 牟 佐 備 与 -須 責 呂 伎 能 ヲ ス ク ニ ナ レ パ 6 乎須久ホ奈礼婆 美許登母知---(十七・oo) 4 ○ 安 達 迩 与 之 奈 良 乎 伎 波 奈 礼 阿 麻 射 可 流 -美 許 等 可 之 古 ヲ ス ク ニ ノ 8 美 乎須久ホ能 許等登理毛知与---(十七・oo) 4 などがある。 結局'前者の「クフ」と'後者の「、、、ル」とは共に尊敬語となっ て ' 「 ヲ ス 」 ・ 「 メ ス 」 と な る 。 「 食 」 を 「 ヲ ス 」 と 訓 む 場 合 代 る べ メ ス メ ス き文字がないが'「食」を「メス」と訓む場合は'集中「召」「見」 などの文字がみられ、これらの文字を当てても不都合ではない。 ッ キ キ テ 25、著而有火之 麻衣著 「著」を「ツキ」と訓むのはこれの外'
-23-ツ キ 9 0 左 衣 遺 著 而 梼 尼 杏 人 潰 過 者 懸 布 在 奈 利 ( 九 ・ 聖 こ の 1 例 が あ る の み で あ る . こ の 他 「 ツ キ 」 に は 「 附 」 ・ 「 付 」 が 集中に見当たり'「著」は「附」や「付」の文字に代えることが出 来る。また'著を「キテ」と訓む例は集中非常に多-見当たる。こ キ キ キ の「著」の外'「服」や「衣」を用いている例も多-ある。したがっ て'「著」は「服」・「衣」などの代るべき文字があるにもかかわ らず'「著」を用いているのは意識的であろうか。 に 、 「 悉 」 の 漢 字 を 「 コ ト ゴ ト 」 と 訓 ん で い る 例 が 一 例 あ る . し か し、「コトゴト」は集中用例の多い今の場合の「轟」 の漢字を当て るのが自然である。もう一方の「轟」を「ツキ」と訓む場合も集中 「 轟 」 を 当 て て い る も の ば か り で あ る 。 し た が っ て 、 「 コ ト ゴ ト 」 と 「ツキ」は共に「轟」以外の漢字は考えられない。 コ ト ゴ ト ツ キ 2 6㌧ 日之義 夫不レ轟者 「轟」を「コトゴト」と訓むのは集中この漢字を用いている場合 が一番多い。「轟」 の漢字の外、 コ ト ゴ ト 〇八多龍良我 夜童登不レ云 行路乎 吾老骨悉 宮道叙為 ( 二 ・ : ) 天飛成 軽路者 吾妹見之 里ホ恩有老熟 欲レ見騰 不レ巳行 者 人目乎多見 真根久往者 入鹿レ知見 狭根葛 後毛将レ相 コ モ リ 等 大 船 之 恩 恵 而 玉 晴 磐 垣 淵 之 隠 耳 懸 管 在 ホ 度 目 ガクル 乃 晩 去 之 如 照 月 乃 雲 隠 如 奥 津 藻 乃 名 延 之 妹 者 黄 葉
乃 過伊去等玉梓之 使乃言者梓弓馨ホ聞而軒騒 将レ
言為便 世武為便不レ知ホ 馨耳乎 聞而有不レ得者 吾懸 千 重之一隔毛 遥悶流 情毛有八等 吾妹子之 不レ止出見之 軽 市 布 吾 立 聞 者 玉 手 次 畝 火 乃 山 ホ 喧 鳥 乃 音 母 不 レ 所 レ 聞 玉 梓 道 行 人 毛 猿 谷 似 之 不 レ 去 者 為 便 子 無 兄 妹 之 名喚両袖曽振鶴 (二・E) とあり、「皆悉」と書いて「コトゴト」と訓んでいる例が一例ある。 また' コ モ リ ガ ク ル 2 7 、 隠 耳 雲 隠 如 「隠」を「コモ-」と訓むのは、 「カクル」と意味の上で類似性 コ ト ゴ ト ○ 悪 木 山 木 末 悉 明 日 従 者 磨 有 社 妹 之 嘗 将 レ 見 ( 十 二 ・ a ) を持っているところから「隠」の文字を用いたのであろうか。長歌 中に「隠」を「コモリ」と訓んで'それから五旬日に再び「隠」を 「 カ ク ル 」 と 訓 ん で い る 。 な お 、 「 コ モ -」 は '○ 憶 保 税 美 能 弥 許 等 可 之 古 美 安 之 比 奇 能 -都 可 比 多 要 米 コ モ リ 也 己母理古非伊棋豆伎和多利・ 3 ( 十 七 ・ 9 7 ) 3 ヒ ヒ ル 2 8、人日成 日者 「日」を「ヒ」と訓む例は集中非常に用例が多く強いて説明す るまでもない字であるが'「日」を「ヒル」と訓む例は' に「己母理」とある。また、 ○伊泥多く武 知加良乎奈美等 許 己 呂 度 母 奈 思 ( 十 七 ・ 9 7 2 ) 3 コ モ リ 許母里為弓 伎弥ホ散布流ホ ○ 玉 田 次 不 レ 懸 時 無 吾 念 ホ 烏 玉 之 夜 者 酢 幸 二 7 ( 十 三 ・ g ; ) 3 ヒル 妹西不レ合波 赤根刺 日者之弥良 眠不レ睡ホ 妹懸丹 生流為便無 に「許母里」とあり'集中このような仮名書例がみられるが、訓仮 名 の 場 合 ' 「 コ モ -」 ・ 「 カ ク ル 」 に は 「 隠 」 字 以 外 に は ち ょ っ と 外の文字は考えられない。 こ の 歌 中 に 「 日 」 に 「 ヒ ル 」 と 当 て て い る 外 、 ヒ ル メ ○ 天 地 之 初 時 久 堅 之 天 河 原 ホ 八 百 革 -天 照 日 女 之 命 -( 二 ・ g ) 宇 都 曽 臣 等 念 之 時 携 手 吾 二 見 之 期 知 ホ 枝 刺 有 如 春 葉 茂 知 念 有 之 妹庭離レ有 世中 背不レ得者 香切火之 出 立 百 兄 槻 木 虚 知 妹庭難レ在 特有之 僚 流 荒 野 ホ 白 樺 ヒ 天 領 巾 隠 鳥 白 物 朝 立 伊 行 而 八 日 成 隠 西 加 婆 吾 妹 子 之 形 見 布 置 有 縁 見 之 乞 突 別 取 委 物 之 無 者 男 白 物 版 扶
持吾妹子輿 二吾宿之枕附嬬屋内ホ鋸者浦不怜晩之
夜 者 息 衝 明 之 離 レ 嘆 為 便 不 レ 知 離 レ 脊 相 縁 無 大 鳥 羽 易 山 ホ 汝 懸 妹 座 等 人 云 者 石 根 割 見 而 奈 積 釆 之 好 雲叙無 宇都曽臣 念之妹我 灰而座者 (二・m) 「日女」に「ヒルメ」と訓むのが見当たるのみである。「ヒル」は 一般に「童」が当てられているのが普通であるが、ここに「日」を 「ヒル」と訓ましているのは特異な例である。したがって、前者の 「日」を「ヒ」と訓む場合は代るべき漢字はないが'後者の「日」 を「ヒル」と訓む場合はもっと一般的な「童」という漢字があるに もかかわらず、「日」という文字を用いているのは意識的であろう。 秋 山 下 部 留 妹 奈 用 竹 乃 騰 遠 依 子 等 者 何 方 ホ 念 居 可 タク 拷 継 之 長 命 乎 露 己 曽 婆 朝 布 置 而 夕 者 消 等 言 霧 己 曽 婆 夕 立 而 明 者 矢 等 言 梓 弓 音 聞 吾 母 努 発 見 之 事 悔-25-タヘ 敷 乎 布 拷 乃 手 枕 纏 而 剣 刀 身 二 副 媒 償 牟 若 草 其 嬬 子 者 不 怜 弥 可 念 而 森 良 武 悔 弥 可 去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也 念懸良武 時不レ在 過 ( 二 ・ 2 1 7 ) の 「色妙」 の例や、 シ キ タ ヘ ○余衣 形見ホ奉 布細之 枕不レ離 巻而左宿座 (四・6 3 6) タ ク タ へ 2 9 、 拷 継 之 布 拷 乃 「拷」を「タク」と訓む例は、 タク ○拷縄之 永命乎 欲苦波 不レ絶而人乎 欲レ見社 (四・g) の 「布細」 の例などがあるのに、どうしてまざらわしい 「拷」をわ ざわざ用いたのか'恐ら-意識的に統一性を考えて記したのであろ う0 タ ク ○ 水 沫 奈 須 微 命 母 拷 縄 能 千 尋 ホ 母 何 等 慕 久 良 志 都 ( 五 ・ 9 0 2 ) とあり、「拷」を「夕へ」と訓む例は' 梓 弓 手 取 持 而 大 夫 之 得 物 矢 手 挟 焼 野 火 登 見 左 右 燈 火 乎 何 如 間 者 露 露 ホ 落 者 白 妙 之 衣 塗 潰 而 立 留 ・ ネ 暗 聞 者 泣 耳 師 所 レ 巽 語 者 心 曽 痛 御 駕 之 手 火 之 光 曽 幾 許 照 而 有 立 向 高 園 山 ホ 春 野 ナク 玉梓之 道衆人乃泣涙 吾 ホ 語 久 何 鴨 本 名 天皇之 神之御子之 ( 二 ・ 2 3 0 ) ○ 天 皇 乃 御 命 畏 美 柔 備 ホ 之 家 乎 揮 -朝 月 夜 清 ホ 見 タへ 者 拷之穂ホ 夜之霜落---(一・79) とある。「拷」 の文字はどうやら「タク」とも「夕へ」 とも訓んで いた様子である。一首中に「樗」を「タク」と「夕へ」と二様に訓 んでいるが'「タク」 の場合は外に適当な漢字がないが'少な-と も「シキタへ」 の場合、 ナ ク ネ 30、泣涙 泣耳師所レ突 「 泣 」 を 「 ナ ク 」 ・ 「 ネ 」 と 一 首 中 に 二 様 に 訓 ん で い る 。 「 泣 」 を「ナク」と訓むのは声を出さず涙を流すという漢字本来の意味と ● して受け取れるが'「泣耳師所レ巽」を「ネノ-シナカユ」と'「泣」 を「ネ」と訓んでいるのはどうであろうか。集中「泣」を「ネ」と 訓んでいる例は、 シ キ タ へ 9 0 朱 羅 引 色 妙 子 敷 見 者 人 妻 故 吾 可 二 懸 奴 1 ( 十 ・ g ) 日 日 ○ 牡 牛 乃 三 宅 之 滴 ホ 指 向 鹿 嶋 之 埼 ホ 狭 丹 塗 之 小 船 儲