木本玲一著『拳の近代――明治・大正・昭和のボクシング』
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(2) 第 2 章「ボクシングの流入」は明治から昭和初期までのボクシング史を扱った章 である.開国以降,ボクシング興行や武道との異種格闘技戦,独学の日本人ボクサ ー等も散見されたものの,ボクシングの本格的な流入は大正以降である.たとえば 大正中期から昭和初期にかけて,柔道の創始者・嘉納治五郎の甥である嘉納健治が 日本人柔道家と外国人ボクサーを対戦させる「柔拳興行」を開催したことにより, ボクシングの知名度が高まっていった.さらにアメリカ帰りのボクサー・渡辺勇次 郎が 1921 年に東京で日本拳闘倶楽部(通称「日倶」 )をオープンし,ボクシング興 行を開始すると,徐々にボクシングが人気スポーツとなっていった.さらにこの時 期に,書籍,映画,新聞雑誌,ラジオなど複数のメディアが媒介となり,ボクシン グに関する知識とイメージが日本に根付いていったという. 第 3 章「戦前のボクシング」では,日俱を中心としたジムの乱立や興行の流行, プロとアマの分化など,日本ボクシング確立期の様子が描かれている.さらにこの 章では,ボクシング興行がカフェや映画館といった都市のモダン文化の 1 つとなっ たこと,人々がボクサーに「アイドル的,セックス・シンボル的な魅力」 (144 頁) を見出したこと,そして不良や愚連隊,ヤクザといった人々がジムや興行,ボクサ ーをサポートしていったこと等を例に,ローカル化における多様な文化的・人脈的 背景も描かれている. 第 4 章「戦中のボクシング」では,猛烈なインファイト(接近戦)で快進撃を続 けた「拳聖」ピストン堀口こと堀口恒男の活躍に「欧米列強を凌駕する独自の帝国 …(略)…天皇を中心とした独自の帝国を立ち上げようと」 (173 頁)いう「帝国 の夢」が投影されていった過程を追いつつ,戦時下におけるボクシングと戦争の交 錯が描かれている. 第 5 章「戦後のボクシング」では,日本人初の世界チャンピオンとなった白井義 男とその物語が描かれている.特に当時,ボクシングが復興のシンボルとなったこ とに加えて,GHQ の水産資源調査員として来日したカーン博士の手厚いサポート とトレーニングにより「アメリカで人気のあるスポーツの世界チャンピオンになっ た白井は,GHQ が戦後の日本に望む姿を完全に体現していた」 (289 頁)ことから, ボクシングが戦後日本の未来を暗示しうるものであった点が浮き彫りにされている. 以上,手短に本論の内容を要約したが,興味深くも煩雑なボクシング史を社会学 的な枠組みと問題意識で整理することで,それぞれの時代におけるローカル化され たボクシングを示しつつ,そこから「帝国の夢」といった近代日本の諸側面を浮き 彫りにした点で,本書が歴史社会学の好著であることは間違いない. しかし歴史学的にはいくつかの課題が残る.たとえば「本書は東京を中心に議論 を進めたため」 (300 頁) ,地方や海外でのローカル化について考察できなかった点 が今後の課題として挙げられているように,地方史,特に戦前,渡辺勇次郎の「日 倶」を祖とする関東圏に対して,ボクシング界のイニシアティブを争った嘉納健治 率いる関西圏のボクシング史についての考察は十分とは言い難い.この戦前ボクシ ングの「東西対立」は,日本ボクシングを形成していった重要なダイナミズムであ 70(4). 446.
(3) り. 私見を述べるならば. ,欧米由来のエンターテインメントをベースとした. 近代的スポーツ興行と,江戸から続く演芸を下敷きにした伝統的な舞台興行の対立 と超克にも重なる問題でもある. またボクシングは開国当初から「武道」との比較研究やライバル関係の中で受容 され,現在でもボクシング関係者の中にはそれをある種の武道としてとらえる者は 多い.それゆえボクシングには本書で扱われたような,スポーツとしてのローカル 化と並行して,武道としてのローカル化の歴史が存在しており,これら 2 つのロー カル化・近代化路線の対立と超克への目配せもまた重要であろう.それゆえ今後は 地方史,演芸史,武道史等の視点や一次資料も取り入れることで,より複層的なボ クシング史と日本近代の姿を描くことを期待したい. 唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖. スコット・ラッシュ,ジョン・アーリ著/安達智史 監訳/中西眞知 子・清水一彦・川崎賢一・藤間公太・笹島秀晃・鳥越信吾 訳. 『フローと再帰性の社会学. 記号と空間の経済』. (晃洋書房,2018 年,菊判,368 頁,4,500 円+税). 菱山 宏輔. (専修大学人間科学部教授). 評者は近年,J. アーリらのモビリティ論に関心をもってきた.本書以後,2000 年という節目において出版されたアーリの単著『社会を越える社会学』(Urry 2000 =2006)においては,来たる 21 世紀にふさわしい社会,社会学を構想するという 目的の下で, 「モビリティ」が前面に押し出されている.その前提となる視点が, 本書においてどのように位置付けられているのか.まずは本書のタイトルに含まれ る「再帰性」と「フロー」に焦点をあわせて議論の展開をみていきたい. 「再帰性」については,すでにこれまで,脱構築や構造化を可能とする主体(A. ギデンズ) ,リスク社会における個人化(U. ベック)という文脈のうえでも用いら れてきた概念である.本書第 1 章ではそれらを対比しながら「美的再帰性」につい て論じられ,ラッシュとアーリによって本書以前から共有されてきた視点が確認さ れる. 「フロー」については,まず「再帰的蓄積」として各種生産システムと文化 産業におけるフレキシブル労働・デザイン集約的なサービス産業というように,本 書の前半,ラッシュの議論と見受けられる部分において論じられる.その延長に本 書中盤以降, 「専門職/職業のなかでの『水平的移動』 」(184 頁)やツーリズム産 業についての議論(187 頁)というように,モビリティ論への言及も散見される. 後半では,ツーリズムの広がりを背景として,ポスト・ツーリストの登場(253 頁) ,フローの⚕つの次元(282 頁),コスモポリタニズムにおけるモビリティ (284 頁) ,新種の「消費者市民権」(285 頁)等,アーリによるであろう議論が展開 社会学評論. 70(4) 447.
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