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ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務

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Academic year: 2021

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(1)ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務 平 田 真 太 郎. Ⅰ.はじめに━━本稿の課題とその背景. 阻害要因であるといえよう.そして,武力を伴 う紛争はその典型である3).なぜなら,武力紛争. 本稿は,民族紛争への法的対応として,ケニ. は,人の心身や財産をはじめとする既存の資源. ア の 裁判所 が 定立 し た「政府 の 財産権保護義. に回復不能ないしは回復困難な損害を与えると. 務」という判例法理を紹介したうえで,これが. ともに,長年に渡り蓄積されてきた開発の努力. 民族紛争の抑止という目標に対していかなる意. を無に帰せしめるからである. 「壊すのは築くよ. 義を有するか,という点について検討すること. りも易しい」との原則は,自然資源だけでなく,. を課題とする.まずは,本稿がかかる課題を設. 人に係わる資源(生命,身体,精神,所有財産. 定した背景には, 《ケニアの発展に対して法制. など)や社会に係わる資源(安全,信頼,安定. 度はいかなる役割を果たしうるか》という問い. した組織や制度など)にもあてはまる.したがっ. に対する,以下の相互に関連するが独立した 3. て,武力紛争の抑止は,これによって資源の減. つの関心があることを明示しておきたい1).. 失が食い止められるという意味で,それ自体が. 第一に,開発に対する法制度の貢献に係わる. 開発であるとさえいえよう.武力紛争に起因す. 関心がある.開発は資源(金銭・物,人的能力. る損害という開発の「ダウンサイド側面4)」に対. やサービス,情報,技術,時間等)の配分に係. して,法制度はいかなるかたちで関わりうるか,. わるが,資源の配分は経済や政治だけでなく法. という点が本稿の二つ目の関心である5).. 制度によっても規定されえ,しかも,その配分. 第三に,かかる武力紛争を抑止すべき政府の. の仕方や対象範囲の画定では法独自の観点(規. 行動に係わる関心がある.国内で発生する武力. 範的観点)が用いられる.それゆえ,法制度に. 紛争の抑止は,第一に(排他的に,ではないに. よる資源配分が社会全体の資源布置を決定する. せよ),主権国家たる当事国政府の責任に属す. にあたって有する独自の意義は,開発論におい. る事項である.しかし,現在のアフリカ諸国に. 2). ・ ・. ても注目されてよいと思われる .. おける政府にとって根本的な問題は,無政府状. 第二に,このような資源配分の問題として捉. 態と政府の確立された状態との境界が流動的で. えられた開発と紛争(抑止)との関係に係わる. ある点に存すると解される6).すなわち,実効. 関心がある.地球社会の現状は,資源の有限性. 的な統治機構の未確立あるいは脆弱性に加え7),. ないし希少性という制約のなかで,諸利益の均. 政府が社会アクターによる権力闘争あるいは資. 衡を図りつつ望ましい社会を築くという困難な. 源争奪戦に巻き込まれることで公的機関として. 課題に自覚的に取り組むべきことを要請してい. の体裁を維持することさえ覚束なくなる場合も. るといえるが,この観点からすれば,既存資源. 見受けられるが8),ここでは近代国家が前提と. を無駄に減少させるような活動は開発の最大の. する公的/私的の区別があいまいになっている.

(2) 14. 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月). (14). とともに,国家が提供すべき安全という公共財. 対応策についてさまざまに考えることができ. が実際にはさまざまな私的団体によって提供さ. る.そこで,まずは,ケニアの事案を中心にし. れているとの実態がある.民族を基準にして構. て,民族紛争の全体像を整理することから始め. 成される武力紛争も,政府の社会からの未分化. たい10).. ないし非自立性を背景にしており,またその帰 結でもある9).しかも,今のところ紛争が発生. 1.民族紛争の性質. していない国であっても,資源枯渇に由来する. 民族紛争とは,「①民族を基準とした集団間. 生存の危機やグローバル化した経済のなかでの. の差異が存在するなかで,②対立軸を形成する. 富の偏在に由来する不満などを原因として,今. なんらかの原因(例えば,利益/不利益の不平. 後民族紛争の発生する可能性が高まることも危. 等な配分や,それに由来する敵対的感情)がこ. 惧されるが,紛争解決や利益調整を行うべき機. の集団間の差異に帰属されることで構成され. 構・制度が未成熟なままでは,その危険に対応. た,③武力紛争である」と要約することができ. できない.民族紛争の問題は,かかる機構・制. よう.. 度としての政府の能力や責任といった問題も提. アフリカ諸国で民族性が人びとのまとまりを. 起しているが,この点で法制度はいかに貢献し. 区別する際の一つの基準として用いられるの. うるか, というのが本稿の三つ目の関心である.. は,民族共同体が日常生活の多方面に渡るニー. 以上をもとにすれば,いかにして民族紛争の. ズ(経済的必要,精神的一体感,政治的統合な. 発生を抑止し,人の心身や財産が暴力から安全. ど)を充足する基盤であり続けているからであ. である社会を構築できるかは,ケニアの発展に. ると思われる11).しかし,かかる民族を中心と. とって優先度の高い問題であるといえ,かかる. した思考方法ないし行動様式それ自体が紛争を. 問題への法的な対応として政府の財産権保護義. 生じさせているわけではない.問題となるのは,. 務を定立したケニアの経験を検証することは,. なんらかの利益/不利益の配分が民族の差異に. 問題を共有する他の諸国への示唆を得るという. 帰属させられることで,集団間での対立が生じ. 点からも,意義のある課題だと思われる.ただ. る場合である12).その場合,利益を得られず,. し,本稿が検討する政府の財産権保護義務とい. あるいは不利益を負わされて犠牲者となる恐れ. う法理は,複雑な諸側面を有する民族紛争を抜. が当該社会を支配することになれば,相手が攻. 本的に解決しうるような「万能薬」ではない.. 撃的に行為する少しばかりの見込みであって. そこで,以下では,民族紛争の性質およびその. も,大きな紛争を引き起こしてしまう13).さら. 展開過程を整理するとともに(Ⅱ) ,民族紛争. に,経済格差,その他さまざまな差別や不平等. に対応すべき政府の問題点を検討し(Ⅲ) ,本. などを原因として蓄積された不満や怒りといっ. 稿の取り上げる判例法理の射程となる民族紛争. た感情もまた,その原因が特定民族に帰責され. の側面を特定することから始めたい.そのうえ. ることで,紛争を生じさせる.この意味では,. で,判例法理を検討して(Ⅳ) ,その意義を分. 民族紛争とは人為的に構成された紛争であり,. 析する(Ⅴ) .. 民族性は大衆を動員する政治的な道具として利. ・. ・. ・. ・. ・. ・. Ⅱ.民族紛争の性質および展開過程. 用されているとの側面が強調され,民族の差異 そのものよりも,利益配分を規定する政治や経. 民族紛争への対応策を考えるにあたり,民族. 済のあり方,およびそれらが生み出す敵対的感. 紛争の有するどの性質ないし側面に注目するか. 情に問題の原因が求められることになる14).. とともに,民族紛争の展開過程におけるどの段. 他方 で,民族紛争 は 民族間 の 排他的関係 に. 階に注目するかによっても,問題の性質やその. よって構成された紛争でもある.民族紛争は,.

(3) ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務(平田) ・. ・. ・. (15) ・. ・. 15. ・. 多くの場合, 《他民族に損害を与えることで,. る紛争が相手に現実的な損害を与えるまでに至. 自民族が利益を得る》という性質を有する.そ. れば,この損害発生という事実をめぐって新た. の利益は,目前の財産(土地,家畜等)である. な問題が発生する15).そして,その損害は,金. ことも,他民族を排斥して政治権力を獲得する. 銭などにより回復可能な損害にとどまらず,生. ことにより得られる利益(公的資源等)である. 命や身体および精神に係わる回復不能な損害ま. こともあるが,この場合,ある希少な利益をい. で含むがゆえに,《武力紛争としての民族紛争. かに分配するかの決定にあたって,複数の民族. はそもそも発生しないほうがよい》と評価され. が互いに利益の完全な享受を求め,民族の差異. るという側面は強調して余りある.実際にケニ. ゆえに妥協を許さない排他的関係が形成される. アで発生した民族紛争の損害については,「こ. のだとすれば,この面では,自民族中心主義的. れらの紛争は,高度な武器も原始的な武器も用. な行動自体が紛争の要因となる点にも注意を要. いられた部族間の戦争類似の行動という形態を. する.民族の差異そのものが強調され,民族間. とった.これは,男性,女性,および子どもの. でのなんらかの共通性──これには,お互いが. 殺害および残虐な傷害,数千人もの人間の土地. 互いにその帰属意識や文化を尊重されるべき民. と住居からの追放,夥しい数の高価で貴重な家. 族であるとの共通性もあれば,どの民族に属し. 畜の窃盗・殺傷,数千の住居の放火,数百万シ. ていようとみな同じ人間であるとの共通性もあ. リングもの価値がある財産の盗取および破壊を. る──への志向が失われることになれば,相互. 引き起こした」と指摘されている16).. 尊重に基づく民族間の共存は困難になってしま うとともに,かかる民族性が容易に政治利用さ. 2.民族紛争の展開過程. れるものになってしまうという側面を見落とし. 次に,民族紛争の展開過程のどの段階に注目. てはならないであろう.. するかによっても,採るべき対応策は異なって. いずれにせよ,民族が政治的な道具として利. くる.民族紛争の展開過程と各段階で採りうる. 用されているという側面と,民族の差異が強調. 対応策は,以下のように分類することができる. されることで生み出される排他的関係とは,切. (図 1 参照).経済格差や政治的差別などは民族. り離すことができるものではなく,またどちら. 紛争の遠因となる「構造的要因」であるが,そ. かがより根源的であるということもできないよ. れが直ちに民族紛争を発生させるわけではな. うに思われ,むしろ両者が複雑に絡みあって形. い.多くの場合,民族紛争の発生には,対立関. 成された, 《他民族を排斥することが,自民族. 係を悪化させる出来事の発生,政治的な扇動や. の利益になる》と解釈される民族間の特殊な関. 挑発といった「引き金要因」が伴っている17).. 係と,それをもたらす政治的・経済的状況の改. ケニアの民族紛争の構造的要因としては,複数. 善が必要であるという点を,大局から見た民族. 政党制導入にともなう政治的対立の激化ととも. 紛争の性質として捉えておきたい.. に,土地をはじめとする資源や経済的機会への. これに対して,本稿の課題との関係では,民. アクセスの不平等などにより長年に渡って形成. 族紛争が武力紛争であるという側面もまた重要. されてきた共同体間の対立が指摘されている.. である.紛争自体は,多かれ少なかれ,どの社. また,引き金要因としては,選挙キャンペーン. 会にも存在するものであり,また紛争が民族を. や選挙手続における不正行為,政治集会での扇. 基準にして構成されることもある.さらに,た. 動的な発言,暴力的事件の発生などがある.. とえ対立的な紛争であっても,お互いが言葉を. 構造的要因への対応策としては,①民族間の. 交わして争っている限りは,そこから新たな関. 差異に向けられた対応策と18),②民族間の差異. 係が形成される場合もありうる.しかし,かか. を対立関係へと転化させる利益/不利益関係等. ・. ・. ・. ・.

(4) 16. (16). 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月).  ᤨ㑆       ੐೨⊛ኻᔕ㧔੍㒐㧕 ⚗੎⊒↢     ⚳⚿    ੐ᓟ⊛ኻᔕ ᭴ㅧ⊛ⷐ࿃. ᒁ߈㊄ⷐ࿃. ⚗੎ኻᔕ. ೙ⵙߣ࿁ᓳ. ዁᧪߳ߩ஻߃. Ꮕ⇣ߩ▤ℂ. ᣧᦼ⼊ᚓ. ⚗੎ߩ㎾㕒ൻ. ೃ੐⊛೙ⵙ. ᖱႎߩಽᨆ. ೑⋉ߩ⺞ᢛ. ᛥᱛᵴേ. ✕ᕆੱ㆏ᡰេ. ᢇᷣ࡮⵬ఘ. ⚗੎▤ℂ೙ᐲ. 出典:筆者作成. 図1 民族紛争の展開過程と対応課題. ⴫㧞㧚᳃ᣖ⚗੎ߩ᭴ㅧ へ向けられた対応策(利益調整)がありえ,ま 規範的判断が伏在していると考えられる点に注       ੑᭂ᭴ㅧ                     ਃᭂ᭴ㅧ た引き金要因への対応策としては早期警戒や抑 目したい.すなわち,《紛争の原因となった利. 止活動がある.いったん紛争が発生すると,治 ᡽ᐭ 安機関による紛争の鎮静化や犯人逮捕,停戦へ. 益の不平等な配分や差別が不正であるとして ᡽ᐭ も,これを当事者が暴力的手段によって解決す. 向けた交渉等が必要になる.それとともに,被 ৻૕ൻ 害者の救助や住民の避難と生活保障といった緊. ることもまた不正である》という判断である. ੺౉ 勿論,暴力的手段によって解決することが不正. 急的な人道支援も必要である.紛争が沈静化し ᳃ᣖ㨄 ኻ┙ た後には,犯罪行為に着手した者の処罰(刑事 ᳃ᣖ㨅 的制裁) ,損害の回復(民事的救済) ,避難民の. であるとしても,他の解決手段がなければ不利 ᳃ᣖ㨄 ᳃ᣖ㨅 益に屈し続けることになるから,紛争の構造的 ኻ┙ 要因への対応として,継続的に利益調整を行う. 帰還と生活の回復(公的補償)などの事後的対. 政治過程のあり方が問題となることはいうまで. 応が必要である.さらに,紛争の再発を予防す ಴ౖ㧦╩⠪૞ᚑ るために,情報の収集・分析,当事者間の関係. もない19).その一方で,この規範的判断は,引. 修復,紛争管理制度の構築など,将来への備え. 体が独立した課題となることも示している.こ. を行うことも事後的対応に含まれる.. こには,《武力紛争としての民族紛争はそもそ. か か る 展開過程からすれば,民族紛争への. も発生しないほうがよい》との評価があるが,. 法的対応という場合には,①公共の秩序維持を. その正当化根拠としては,当事者の暴力による. 目的とする刑事法による対応だけではなく,②. 問題解決は暴力の連鎖を生み,損害を拡大させ. 加害者の得た利益や発生した損害の回復を命じ. るから,その抑制が必要であるという点(紛争. る民事法(不法行為法)や,③利益調整を行う. 悪化ないし損害拡大の抑制)とともに,暴力と. 政治過程を規律する公法に加え,④回復不能な. いう行為が引き起こす恐怖そのものが否定的に. 損害が発生すると予見される場合は政府に事前. 評価され,これを最大限抑制することは正当な. 的に措置を講じるよう義務づける法(行政法). ことであるとの共有しうる価値判断(恐怖から. までも視野におさめることが必要になる.本稿. の自由20))が考えられる.前述した本稿の課題. が検討する判例法理は, ④に該当するとともに,. との係わりから,以下では,民族紛争への対応. ②とも関連する.. としては武力紛争の抑止に限定して考え,引き. ここでは,構造的要因とは別に引き金要因を. 金要因の段階から制裁と回復の段階までの現象. 独立の要因として立てる背景には,次のような. に注目する.本稿の取り上げる政府の財産権保. ・. ・. き金要因に対応して武力紛争を抑止すること自.

(5) ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務(平田). (17). 17. 護義務は,その対象範囲から見れば,かかる問. 的を実現する対応策を検討するにあたって,当. 題への対応として位置づけることができるもの. 事者が非合理的な行為を採る可能性を排除すべ. である.. きではない.したがって,武力紛争を抑止する ために,なんらかの第三者による強制的な介入. Ⅲ.政府による紛争対応の問題点. や仲裁が不可欠であることは否定し難いと思わ. で は,民族紛争 は,誰 が,い か に し て 抑止. れる 23).. することができるのであろうか.ここでは,. しかし,ケニアを含むアフリカ諸国における. 具体的にいかなる抑止手段が有効かを考える. 問題は,この第三者としての役割を第一に果た. 前提 と し て,実効的な紛争対応能力を有して. すべき政府をいかにして作り上げていくかとい. おり,かつ当事者から独立した中立的な第三. う点にある.民族紛争の発生が予見される場合. 者が必要になる点,そしてかかる第三者をい. に国内の平和と秩序を維持すべき政府は,紛争. かにして作り上げていくかが課題となる点を. を抑止し,鎮圧する権限と責務を有し,またそ. 確認 し た い.と いうのも,政府の財産権保護. のために合法的に強制力を行使する権限を有す. 義務は,その主体から見れば,あくまで政府. る.ケニアでの権限または責務については,第. による民族紛争への対応を問題とするにすぎ. 一に,政府に公共の安全を維持するために措置. ・. ・. 21). ないものだからである .. を講じる権限を付与する法制度(治安維持法,. 紛争から秩序へ移行する過程を考察する合. 警察法など),第二に,武力紛争の準備および. 理的選択理論では,自己の利得を高めるため. 実行において着手された犯罪行為に刑罰を科す. に合理的に行為する当事者間に信頼しうるコ. 法制度(刑事法,公共秩序法24)など),第三に,. ミットメントを確立することが課題であると. 紛争により被害を受けるおそれのある一般人の. 22). されるが ,そこでは二者間関係が前提とされ,. 権利を保護するために必要な措置を講じると. しかも両当事者が合理的に行為する事態が想定. いった政治的責任がある.. されている.しかし,当事者間の合意や信頼関. では,かかる権限と責務を与えられた政府,. 係の構築が民族紛争を生み出す構造的要因への. とりわけ治安機関は25),実際にはどのように行. 対応として意義を有するとしても,いったん武. 動しているのであろうか.これについて,警. 力紛争が発生すれば,放置しておいて自然に終. 察 や 州行政26)(Provincial Administration)は,. 息するまでには多大な犠牲を生じさせることか. 紛争対応能力を欠いた場合はともかく,紛争の. ら,紛争発生の危険性が高まるにつれ,当事者. 危険性について事前に察知できていた場合で. に問題解決を委ねておく余地は狭くなり,迅速. も,紛争を管理する意思を欠いたため,紛争を. な警戒や抑止活動あるいは調停や仲裁によって. 抑止できなかったことが指摘されている27).民. 紛争に介入する第三者が必要になる.さらに,. 族紛争について調査した委員会は,「警察がそ. 紛争に訴えることが自らの利得を改善すると合. の業務を行ったやり方からすると,紛争発生の. 理的に期待されなくても,怒りや不満を原因と. 事前警告を得ていたが,それを予防する,また. して突発的に紛争が発生することもある(象徴. は抑止する積極的な行動をとろうと欲しなかっ. 的な出来事によって誘発される場合など) ゆえ,. た.警察と同じく州行政も治安状況に対して極. 当事者の行為に合理性を想定することができな. めて感受性を欠いており(quite insensitive),. い場合には,二者間でのコミットメントを当事. 多くの場合まったく配慮をしなかった」と報告. 者だけで維持し続けることにはおのずと限界が. している28).具体的には,紛争の発生中である. 現れてくる.民族紛争へ対応する第一の目的は. にもかかわらず現場に向かわなかったり,現場. 回復不能な損害発生の回避であるから,この目. にいても紛争に介入せず傍観するといった行動.

(6) ಴ౖ㧦╩⠪૞ᚑ. 18. 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月). (18).       ੑᭂ᭴ㅧ                     ਃᭂ᭴ㅧ ᡽ᐭ ᡽ᐭ ੺౉. ৻૕ൻ ᳃ᣖ㨄 ኻ┙. ᳃ᣖ㨅. ᳃ᣖ㨄. ᳃ᣖ㨅. ኻ┙. 出典:筆者作成. 図 2 民族紛争の構造. や,紛争後の事件調査が不十分であり,証拠不. は民族紛争自体について,自分と同じ民族の仲. 十分で不起訴あるいは無罪となったケースが多. 間を逮捕したり,あるいは密告したりすれば,. く,真犯人が明らかにされないまま,紛争の責. 裏切り者とみなされるであろう.それは,彼ら. 任の所在はあいまいにされてきたと指摘されて. にその危険をおかす用意はいまだないようなス. いる.. ティグマである」と指摘している30).. 次の事例は,その原因の一端を明らかにして. 民族紛争は,私人たる 2 つの民族間での紛争. く れ る29).1997 年 5 月,コース ト 州 Kwale 県. という形態と,一方民族と政府とが一体として. Nogobeni 郡 の 農地所有者 は,自分 の 所有地近. 当事者を形成し,他方当事者と対峙する形態と. くで武装した一団が襲撃の準備に着手している. に区別されうるが,上の指摘は,民族の差異. との情報を入手し,それを警察に通報して保護. に基づく対立関係が行政官の行為決定におけ. を求めた.農地所有者は,チーフ補佐や地元警. る考慮要素にまで浸透しており,また当事者に. 察のほか,州の警察本部や州行政の各事務所に. よっても行政行為が当事者との民族的関係の観. も書状を送って保護を求めたが,警察や州行政. 点から把握され,その結果,政府=民族Yとな. からはなんらの返答もなかった.調査委員会の. る構図が生まれていた事実を示している(図 2. 聴取 に 対 し て,同郡内 の チーフ 補佐 は 武装集. 参照).制度上は第三者的な立場にある政府で. 団の存在と襲撃の準備について実際に認識を有. あっても,一方当事者Yと一体のものとして理. していたが,この事態を黙認したことを告白し. 解され,また実際にそのように行為するならば,. ている.結果として,同年 8 月,所有者の農場. 他方当事者にとってみれば,かかる政府の紛争. は二度にわたって襲撃を受け,使用人一人が殺. 鎮圧行動はYの加害行為と同一視され,紛争の. 害され,家畜が奪われ,家屋が放火される被害. 抑止のための行動としてではなく,紛争の拡大. を受けた.このように,紛争の準備と着手の事. として把握されるであろう.この場合,当該社. 実を行政官らが認識していたにもかかわらず,. 会には第三者的立場から中立的に武力紛争に介. 黙認したとされている事件について,ある上. 入する機関が存在しないことになる.かかる構. 級チーフ(Senior Chief)は, 「もし,チーフや. 図を考慮すれば,アフリカ諸国における政府に. チーフ補佐が,民族紛争に関連する問題,また. ついて,強すぎる政府と弱すぎる政府という対.

(7) ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務(平田). (19). 19. 極的な評価が同時に存在することは矛盾ではな. 責務を履行しないで私人に損害を与えた場合. いことがわかる.すなわち,政府の実力行使が. (不作為不法行為)も 賠償責任 を 負 う35).こ れ. 強権体制の証しとして理解され,政府権力の統. とは別に,損害発生の有無にかかわらず,違法. 制が求められる(その限りで,強すぎる政府が. に行為がなされた,またはなされなかった場合. 懸念されている)一方で,政府が民族紛争の発. は,司法審査によって,当該行為の取消し,禁. 生を実際に抑止できていない(その意味では,. 止,義務づけ,差止め,違法等の宣言が命じら. 弱すぎる政府である)という事態は決して矛盾. れる.. ではないのである. そうすると,問題は,政府の強制力行使の必. 2.判例の検討. 要性を肯定したうえで,いかにしてその適正化. ⑴ Pradhan 判決36). 31). を図るかにあるということになる .そして,. 本判決は,先に事例として取り上げたコース. ここでいう適正化は,その前提たるべき政府の. ト州の事件において,所有財産(家屋と動産). 第三者性・中立性の確立まで含めて考えるべき. を侵害された被害者が,その損害が政府の制定. である.. 法上の義務違反および過失不法行為に起因する. Ⅳ.政府の財産権保護義務――判例法理の検討. として,損害賠償を求めて提訴した事件に対す る高等法院判決である.. 近年のケニア法の展開において注目されるの. 高等法院 は,原告 が,そ の 所有農場 を 15 ~. は,民族紛争の事案において,政府の財産権保. 70 名の武装した一団に襲撃されるとの危険を. 護義務を認定して,行政行為の適正化を図ろう. 認知し,その情報を州行政および警察に書面で. とされている点である32).まず,行政法の一般. 通報して保護を求めた事実,および警察自身. 原則を確認したうえで, 判例法理を検討したい.. も武装集団の存在を認識していたにもかかわら ず,なんらの行動も起こさなかった事実を認定. 1.コモンローおよびケニア制定法の原則. したうえで,政府は制定法上の義務および不法. 行政法 の 第一次的関心 は,行政 の 活動 を 法. 行為法上の義務に違反したと判断し,原告の請. の枠内にとどめること,つまり法の支配の維. 求を認容した.. 持 に あ る33).法 は,行政 に 対 し て,行政 の 裁. 制定法上の義務に関して,まず判決は,政府. 量で行使することができる権限(power)と,. が制定法上の義務に違反した場合,それが違反. いかなる場合でも行政が遵守しなければなら. 者自身が刑事罰の対象となる公的責務(public. ない責務(duty)ないし義務(obligation)を. duty)にとどまるか,さらに違反行為による. 与えている.イングランド法を継受したケニ. 被害者に損害賠償請求権を生じさせるかにつ. ア 法 で は,行政行為 が,制定法 の 範囲内 で 与. いて検討している.これについて,私人の損害. えられる法的権限を逸脱または濫用して,あ. 賠償請求権が発生するかどうかは制定法の意図. るいは法的責務に違反して,法的に保護され. するところによるとしたイングランドの先例37). る利益を侵害した場合には,原則として通常. を引用したうえで,本件の場合,原告の損害賠. 法(コモンロー)が適用され,かかる侵害に. 償請求権は個人の権利を保護するために憲法が. 起因する損害については,政府および公務員. 課した政府の責務および義務の違反に基づいて. 個人 に 賠償責任 が 課 せ ら れ る34).ま た,行政. 生じるとした.すなわち,「個人の基本的諸権. が制定法上の権限を行使する場合でも,過失に. 利および諸自由の保護」と題するケニア憲法第. よって私人に損害を与えた場合は賠償責任を負. 5 章 の 総則的位置 に あ る38),憲法 70 条中 の (a). うとともに,権限を過失で行使しない,または. の 規定39)を 根拠 に,「[同条 の]保証 を 確実 に.

(8) 20. (20). 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月). するためには,政府は,国内の治安を維持し,. ている点に特徴を有する.. 法と秩序が維持された状態を確保することに. 高等法院 の 認定事実 に よ る と,牧畜 を 生業. よって,個人の生命の安全を保護するために積. と す る 原告 は,2002 年 5 月 4 日 の 早朝 に,所. 極的に措置を講じる責務と義務(the duty and. 有する家畜を強盗に盗取された.原告は,こ. obligation of actively taking measures)を負っ. の事件をイシオロ県警察署に通報し,奪われ. ている」と判断したうえで, 「議会は,憲法に. た家畜が隠されている場所を発見したとして. よって課されたこれらの目的を政府が達成する. 警察の捜査と家畜取戻しへの助力を求めた.当. ことを可能ならしめるために治安維持法といっ. 初,警察は当該事件の事件簿への記載を渋って. た法律を制定した」とともに, 「法務総裁や警. いたため,最終的に原告は 1 千ケニアシリング. 察といった機関を設置した」のだとする.そし. を 支払って 事件登録 を し て も らった.と こ ろ. て,民族紛争が発生し,治安状況が悪化しつつ. が,警察は人員の不足を理由に必要な捜査や介. あった「にもかかわらず,ケニア政府はこの状. 入をまったく行わず,事件を放置した.そこで. 況が 1 年以上継続する事態を放置した」という. 原告は,イシオロ県令の事務所を訪れ,事態を. 政府の不作為は,議会が憲法によって課された. 説明し助力を求めたが,県令もこれを拒絶し. 目的を達成するという意図に基づいて設置した. た.次に,原告は,州の警察本部を訪れ事態へ. 行政機関の負う義務に違反するものであるとと. の介入を要請したところ,州警察は原告の要請. もに,これによって損害を被った原告との関係. を受け入れ,イシオロ県警察署に対して必要な. でも損害賠償責任を生じさせると判断した.. 行動を採るよう命じる文書を原告に持たせた.. ま た,政府 の 不作為 が 過失不法行為(negli-. 原告は,この文書を持ってイシオロ県警察署を. gence)に該当するかどうかに関しては, 「公務員. 訪れたが,またもや警察は人員の不足を理由に. は,書面によって情報を与えられていたにもか. 必要な行動を採ることを拒絶した.そこで原告. かわらず,法を執行する行為を採らなかった40)」. は,今度は州令を訪れ事態への介入を求めたと. とともに, 「本件では,重大な犯罪に着手する. ころ,州令はイシオロ県令に対して原告に助力. ことに宣誓し,また銃の使用について訓練を受. するよう電話で直接に指示し,さらにその指示. け,弓矢で武装した若者の武装集団が,原告の. を記した文書を原告に持たせた.しかし,原告. 農場を容易なターゲットとして発見したであろ. が文書を持って県令に会いにいったにもかかわ. うとみることは合理的である」との理由から,. らず,県令は原告が自分の上司に直接苦情を申. 「被告とその機関が,原告によってなされた報. し立てたことを非難し,助力も拒絶した.最終. 告を調査しないこと,および原告財産の近隣で. 的に,原告はナイロビの警察本部に申立てを行. 活動していた犯罪被疑者を逮捕しないことは,. い,イシオロ県警察への介入を要請した.結果. 原告に直接的かつ密接な影響を与えるであろう. として,本部の指示に従いイシオロ県警察が行. ことを認識すべきであった」とする.そして,. 動を起こしたが手遅れとなってしまったため. かかる予見義務を負っていたにもかかわらず,. に,原告が,イシオロ県警察を含む国に対し. なんらの措置も講じなかった政府の不作為は,. て,警察が迅速に行動していれば回復できたで. 過失不法行為に該当するとして,損害賠償請求. あろう家畜の損害賠償を請求したという事案で. を認容したのである.. ある.. ⑵ Abadi 判決41). 裁判所は,「警察および/または州行政は,本. 家畜窃盗事件に関する本判決は,Pradhan 判. 件原告が家畜を奪われたように,財産が盗取さ. 決を先例として引用したうえで,そこで展開さ. れた状況において,すべての市民の個人財産を. れた政府の制定法上の保護義務を詳細に検討し. 保護する義務または責務を負っているか」とい.

(9) ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務(平田). (21). 21. う争点について,次のように判断している.ま. 個別市民の行為の性質と警察の応答とである」.. ず,財産権保障条項の適用可能性に関して,一. このように述べたうえで,政府の保護義務に. 般的には,財産の盗取そのものを予防すること. ついて,次のような一般的命題を立てている.. は困難であり,政府がすべての私人の居宅で発. まず,「憲法 70 条,より特別には警察法 14 条. 生する違法な窃盗を予防できるとは合理的に. 1 項に基づいて,国は,市民および市民の財産. 期待できないから,財産権の保障を規定した. を保護し,安全を提供し,平和を維持しなけれ. 憲法 75 条は政府が私人に対してなした侵害に. ばならない.かかる義務は絶対的かつ条件づけ. ついて規定したものと限定して読むべきである. られないものとして現れるが,実際において. とする.その一方で,警察法 14 条 1 項は, 「ケ. は,多様な複数の要因に依拠して基礎づけられ. ニアにおける警察力(the Force)は,法と秩. る」.そして,これが具体的に基礎づけられた. 序の維持,平和の確保,生命と財産の保護,犯. ならば,その義務は民事訴訟によって執行でき. 罪の予防と捜査,犯人の逮捕,および警察の業. る.さらに,この義務は,政府が市民個人に対. 務とされている法と規制の執行のために用いら. して負う義務であると同時に,公衆に対して負. れなければならない」という警察の義務を規定. う義務でもあるから,「確証できるクラス,ま. している.この義務は,窃盗の発生という事実. たは公衆の一員によってさえも,民事訴訟で執. によって直ちに損害賠償請求が可能な不法行為. 行可能である」とも述べている43).かかる保護. を導くものではなく,ケニアに合法的に居住. 義務の根拠については,コモンロー上,安全を. する者に対して 14 条 1 項所定の目的に沿った. 提供し,平和と秩序を維持する義務は国王に課. 行為をなす一般的な注意義務(general duty of. せられているが,「この義務は,臣民からの忠. care)を警察に課しているにすぎない42). 「け. 誠および忠節との交換において,国家が負うべ. れども,この一般的で受動的な義務が,その違. きものである.同様の原理は,それが上述し. 反によって損害賠償といった法的帰結を招来し. た警察法 14 条 1 項によって成文化されている. うるような法律関係を構成すると考えることが. との事実を別にしても,一般適用条項を介し. できる際には,その一般的で受動的な義務は,. て,ケニアに適用されるということはありうる. 特定個人との関係において,能動的で特殊な義. (probable)ことである」としている.. 務へと転換されていなければならない.換言す. 本件については,①原告の家畜を盗取した者. れば,前記 14 条 1 項に基づいて設定される広. を逮捕すること,および原告の主張した家畜の. い注意義務の範囲内においてであるが,お互い. 隠し場所を捜査して奪われた家畜を追跡するこ. に対する国の行為と個別市民の行為によって,. とは警察の義務である,②原告が警察に事件を. 請求 を 基礎 づ け る に 足 る 関係(an actionable. 報告し助力を求めた時点で,原告は警察法 14. relationship)を 産出 す る と い う や り 方 で 活. 条 1 項に基づき警察が原告に対して負っている. 性化 さ れ て い な け れ ば な ら な い(must be. 注意義務の射程範囲(scope)に自らの身をお. activated) .別様に言えば,その違反が請求を. き,したがって当該行為は原告の権利を活性化. 基礎づけるに足るものでありうるような国が個. させたから,原告の要請を拒絶した警察の行為. 別市民に対して負っている注意義務は,警察法. は義務違反に該当する,③原告の要請を拒絶し. が広範に規定しているところだけに依存するの. たことによる被告の過失(negligence)および. ではない.思うに,前記条項が市民への助力に. /ま た は 未必 の 故意(recklessness)に よ り 原. まで及ぶかどうかを決定するのは,前記条項の. 告はその家畜のすべてを喪失したのだから,被. もとで自身の権利を訴えようと欲する(wishes. 告は家畜相当額を賠償しなければならないと判. to invoke his right under the said provision). 示した..

(10) 22. (22). 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月). ⑶ 判決の提示する法理. 次に,私人に損害賠償請求権が発生するには. 以上を要するに,裁判所は,憲法 70 条およ. 私人による保護要請が必要であると判断されて. び警察法 14 条 1 項の規定によって,政府と市. いる.事案からは,私人の保護要請は政府に対. 民との間に,政府が市民の財産権(広く,基本. して具体的危険の予見可能性を抱かせるための. 権)を保護すべき一般的な注意義務を負うとい. 手段的な位置づけにあると解することができな. う法律関係が構成されるとしたうえで,その一. くもないが,Abadi 判決は,私人は保護を要請. 般的な注意義務は,具体的危険または損害回復. することで自らを警察の注意義務の射程範囲に. の予見可能性および私人の保護要請により,政. 置くことになり,にもかかわらず警察がなんら. 府が能動的に行動すべき特殊な義務へと転換さ. かの措置を採ることを怠ったならば,当該私人. れ──私人の側から見れば,政府に保護される. との関係において訴求可能な義務違反が構成さ. 権利が活性化される──, この転換を経た後に,. れると判断している.したがって,私人の損害. なおも政府が必要な措置を講じず,それを原因. 賠償請求権を生じさせるための要件として位置. として損害が発生した場合は,訴求可能な義務. づけられている.. 違反が構成されるとの法理を提示しているので. また,予見義務の対象については,Pradhan. ある.ここでは,Abadi 判決が,私人の権利が. 判決は,政府は私人の行為(書状の送付)を介. 活性化される要件とした, 「前記条項のもとで. して損害発生の原因となるであろう加害行為の. 自身の権利を訴えようと欲する個別市民の行為. 着手 について予見できた事案であるのに対し. の性質」と「警察の応答」とについて検討して. て,Abadi 判決は,政府は損害発生の原因とな. おきたい.. る加害行為そのものについては予見できなかっ. 「前記条項のもとで自身の権利を訴えようと. たが,迅速に行為していれば損害の確定的な発. 欲する個別市民の行為の性質」については,ま. 生を予防することができ,かつそのことについ. ず,そ こ で 言 わ れ る「自身 の 権利」と は,憲. ての予見可能性を私人の行為(直接の会話)を. 法 70 条の規定する個人の基本権を直接に意味. 介して有していた事案(換言すれば,損害発生. するのか( 「前記条項のもとで,自身の権利を」. はいまだ確定しておらず,迅速な対応により,. と読むか) ,それとも憲法の規定を受けた警察. 損害発生そのものを回避できたであろう事案). 法のもとで政府が負う安全提供義務ないし平和. である.これら 2 つの事案からの判断にすぎな. 維持義務の反射として認められる権利を意味す. いのではあるが,判例は,損害発生の危険性が. るのか( 「前記条項のもとでの自身の権利を」. 具体的に予見できるようになった時点から,損. と読むか) ,が問題となる.これは,政府が保. 害が確定的に発生したといえるまでの間につい. 護すべき対象は,個人の基本権か,それとも安. て,私人の保護要請があれば,当該私人との関. 全という客観的な公益か44),という一般的な問. 係において,政府が能動的になんらかの措置を. 題に関連する.判決は両者を明確に区別してい. 講じるべき義務を負っていると判断したものと. ない,というよりも,両者を一体のものと理解. 解される.なぜなら,損害発生の危険性が具体. していると解されるが,これは安全を保障する. 的に予見可能になるまでは,特定個人との関係. ことが基本権を保護することと対立しない(安. において政府がいかなる行為をすべきかについ. 全保障と基本権保護とが調和する)関係に立つ. て特定できず,また損害が確定的に発生した後. という事案の性質によるものであり,安全の公. は,もはや政府が事前的に保護すべき対象を喪. 益のもとに基本権が制限される場合など,安全. 失したというべきだからである.. 保障と基本権保護とが対立的に現れる場合もあ. 以上から,「自身の権利を訴えようと欲する. ることは指摘しておきたい.. 個別市民の行為の性質」とは,法的に保護され. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・ ・. ・. ・. ・. ・.

(11) ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務(平田). (23). 23. る自身の利益が,いまだ確定的に侵害されたと. れる.たとえ損害発生あるいは損害回復の予見. まではいえないが,なんらかの事情で危殆化さ. 可能性がある場合でも,実際に損害が確定的に. れている場合に,かかる侵害を抑止すべき義務. 発生することを完全に抑止するよう政府に要求. を負う主体に対して,保護を要請したといえる. することは,およそ不可能を要求するに等しい. ような行為である,と考えられる.. と言わざるをえず,さらに厳格なリスク対応を. では, 「警察の応答」として要求されている. 要求することは政府の過剰な介入ないし規制行. ことは,どのような行為であろうか.換言すれ. 為を正当化してしまう危険性があることに配慮. ば,財産権が危殆化され始めた時点から損害の. が必要であることもあわせて考えると,政府が. 確定的発生までの間において,政府は何をなす. 最善の措置を尽くしたと言える限りは,その行. 法的義務を負っているか.. 為に違法性はなく,責任は発生しないというべ. この点について,判決が具体的に述べている. きであり,後は「最善の措置」がなされたと言. ところは,Pradhan 判決では, 「原告の報告を. えるかどうかを具体的状況に照らして判断して. 調査すること」と「犯罪被疑者を逮捕すること」. いくべきと思われる.損害が確定的に発生した. であり,Abadi 判決では, 「家畜窃盗犯を逮捕. 後は,加害者の違法行為への刑事的制裁ととも. すること」と「家畜の隠し場所を捜査して家畜. に,加害者と被害者間での不法行為の問題にな. を追跡すること」である.問題は,財産権が危. ると解すべきであろう.. 殆化され始めた時点から損害の確定的発生まで の間において,政府がいかなる最善の措置を尽. Ⅴ.考察:民族紛争に対する判例法理の意義. くしても,現実に損害が発生した以上は政府が. では,かかる判例法理は,民族紛争を抑止す. 保護義務に違反したと言うべきか(結果不法) ,. るとともに,そのための政府の強制力行使の適. それとも政府が最善の措置を尽くしたと言える. 正化を図るという課題に対して,いかなる意義. 限りは,たとえ損害が発生しても,それは政府. を有するであろうか.. が保護義務に違反したことにはならないと言う. 判決の提示した法理は,政府の従うべき義務. べきか(行為不法) ,である.まず確認してお. を設定し,その義務違反によって発生した損害. くべきは,両判決で問題となったのは,私人の. を政府に賠償するよう命じることで,政府が適. 保護要請がありながら,それを拒絶したという. 法に行為するよう規律するという国家責任法の. 政府の不作為の違法性であり,保護要請に基づ. 領域に含まれる.そして,国家責任法の機能に. いて実際になんらかの行為が採られた場合にお. は,被害者救済・損害分散機能と,制裁・違法. いてその行為に違法性が認められるかどうかと. 行為抑止・違法状態排除機能があるとされてい. いう点が問題になっていたわけではないという. る46).前者は,違法な国家活動により被害者に. 点である45).そして,不法行為の判断において. 生じた損害を塡補するとともに,その賠償費用. 過失を要求している点からして,裁判所は,不. は国庫から賄われるゆえに,国民全体に損害を. 作為の時点で,判決の指摘する行為を採ってい. 分散することになるという機能である.後者は,. れば損害発生を防ぐことができたであろうと判. 「行政作用が違法であることを宣言し,行政主. 断し,そのような行為を採るべきであったと判. 体に違法行為に起因する損害の賠償を義務づけ. 断したものと思われる.すなわち,両判決で政. ることにより,間接的にではあるが,違法状態. 府がなすべきであったと指摘されたのは,損害. を排除し,将来の違法行為を抑止する機能」で. 発生の抑止に向けた行為をなすべきということ. ある47).ただし,判例法理の意義を検討するに. であって,実際に発生した損害から遡及的に不. は,政府と私人という二極構造ではなく,加害. 作為の違法性を判断しているのではないと解さ. 者,被害者,政府の三極構造を念頭におき,そ. ・ ・. ・ ・.

(12) 24. (24). 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月). れぞれの関係においていかなる意義が認められ. は返還されることが確実に予期されることで,. るか,という観点からアプローチするのがよい. 当該違法行為に着手することから得られる利益. と思われる.. の見込みを無にし,当該行為に着手する誘因. 被害者救済・損害分散機能からみれば,上記. (incentive)を縮減するという不法行為法の抑. 法理は次のような意義を有する.国民の財産権. 止機能を発揮させるべきである.それゆえ,政. を保護するために必要な措置を講じるべき義務. 府の保護義務が有する被害者救済・損害分散機. を負う政府がその義務を履行しなかった場合. 能と,当事者間での回復的正義の実現が違法な. に,これにより生じた損害を政府に帰責する上. 加害行為を抑止するという機能とのバランスを. 記の法理は,被害者にしてみれば,財産権の侵. 図ることが必要となる49).. 害が発生する危険性があるならば,政府に救済. それに対して,制裁・違法行為抑止・違法状. を求めて首尾よく財産権を保護できるか,ある. 態排除機能の側面では,次のような意義がある. いは政府がその義務を適法に履行しなかった場. と考えられる.ここで制裁が課され,違法行為. 合に政府から損害の回復を図ることができるの. が抑止されるのは,私人に制裁を課し,その違. であるから,政府が適法に措置を講じても損害. 法行為を抑止すべき政府に対してである.行政. を免れなかった場合を除いて,確実に財産権を. 官が,自らと異なる民族には制裁を課し,自ら. 保護することができる.政府とは,かかる保護. と同じ民族の加害者の違法行為は黙認するとい. を提供するために,国民の税金等の資源を振り. う の で は,そ の 行政行為 は 差別的 で あ り,政. 分けて組織された機関としての性質を有する.. 府の第三者性・中立性は損なわれることにな. この意味では,上記法理は社会保障的な救済な. る.かかる差別的な行政行為を違法であると宣. いし公的保険制度と連続的に位置づけられ,本. 言して,作為の場合であればその取消しまたは. 来ならば加害者が賠償すべき被害者の損害を,. 禁止,不作為の場合であれば義務づけ,そして. 一定の条件のもとで国に負担させることで,民. 損害が発生した場合は損害の賠償を命じること. 族紛争のコストを国民全体に分散させる機能を. は,将来における政府の違法行為を抑止して,. 果たすことになる48).. 行政行為の改善をもたらすものと期待される.. ただし,この機能だけを強調することには慎. それとともに,政府が措置を講じるべきとは. 重であるべきだろう.なぜなら,民族紛争のコ. いっても,紛争の抑止・鎮圧のために合理的に. ストとはいっても,本来は加害者の違法かつ故. 必要な程度を超えた措置を加害者に課すことも. 意の行為により発生した損害であり,自動車事. また違法であるから,措置の適法性や合理性等. 故損害のような自動車の運転という社会的に有. の審査によって,加害者との関係でも中立性を. 用な活動に伴う不可避的リスクとは異なって,. 維持するよう規律されなければならない.. 加害行為自体を抑止することは可能であり,ま. さらに,ケニア社会における意義という点で. た望ましいことでもある.加害行為を抑止でき. は,かかる国家責任法の一般的機能とともに,. なかった政府の責任を問うことで損害が回復さ. 政府が保護すべき対象とされた財産権(広く,. れることが,実際の加害者自身の損害賠償責任. 基本権)の持つ特質に注目すべきである.上記. を追及しないことにつながる事態は避けなけれ. 法理は,財産権の侵害(およびその恐れ)に対. ばならない.したがって,原則としては被害. しては,財産権侵害という出来事が発生すると. 者の損害は加害者が賠償すべきであり,これに. 予見可能な事実と保護要請だけをもって,必要. よって,たとえ対立する民族の一員に危害を加. な措置を講ずるよう行政をプログラムするもの. え,その財産を盗取したとしても,その損害に. であり,その効果は,特定出来事の発生に基づ. は賠償金を支払わなければならず,奪った財産. いて行政行為がいわば自動的に発動されるもの.

(13) ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務(平田) ・. ・ ・. (25). 25. とすることにある.ところで,財産権は個人に. とか,差別的な行為を意思するという場合には,. 帰属する権利であって,どの民族に属するかに. どれほど能力があっても問題の解決にはつなが. よって,権利の内容や保護の必要性に違いが生. らないし,場合によっては状況の悪化を招く危. じるわけではない.したがって,行政権限発動. 険がある.その意味で,意思があるところには,. の基準を財産権侵害(およびその恐れ)と保護. つねに存在すべき責任を確保する法システムの. 要請という事実に基づかせることは,財産権を. 機能は,政府の能力構築と同時並行的に確立さ. 侵害されうる人がどの民族に属するかとは無関. れねばならないと言えよう.. ・. 係に,ケニア国内のすべての個人に共通して妥. ・. 当する要件に基づかせることを意味する.つま. Ⅵ.おわりに. り,行政権限発動の基準が民族の差異を超えて. 最後に,本稿の問題提起の背景にある 3 つの. 普遍化されるのである.. 関心との関連から,政府の財産権保護義務を定. しかも,その権限発動は政府自身の判断とし. 立した判例法理の意義を整理するとともに,そ. て行われるのではなく,法によって命じられた. の限界にも注目し,他の取り組みとのつながり. ものとして,したがって政府にとっては必然的. について一定の見通しを与えておきたい.. なものとして行われる.これにより,政府とし. まず,資源配分に係わるものとして捉えられ. ては,自身と同じ民族に有利に行為するよう求. た開発に対する法制度の貢献という点に関し. める社会の圧力から解放されて,行為の決定を. て は,本稿 で 検討 し た 判例法理 は,裁判所 に. なしうるようになる(前記上級チーフの言葉で. よる新たな資源配分メカニズムの構築として理. 言えば,裏切り者とのスティグマを負わされる. 解できると思われる.民族紛争に起因して生じ. 危険は政府から取り去られる) .その結果とし. た損害は,必ず誰かが負担しなければならない. て,政府に第三者性・中立性という性格が与え. ものであるが,不正な加害行為に起因する損害. られるのである.. を被害者自身が負担すべきことは正義にかなわ. かかる権限発動基準の普遍性と必然性がなけ. ない.かかる損害は第一に加害者が負担すべき. れば,政府にとっては,自身と同じ民族や自身. であり,そのための法制度としての不法行為法. を支持する集団のために行為することが合理的. はケニア社会にすでに存在した.本稿で検討し. となろう.しかし,それは,社会全体から見れ. た判例法理の付け加えた新たな意義は,不正な. ば,第三者・中立者の欠如を招き,民族紛争を. 加害行為を抑止するため国民の税金という資源. 抑止できない状態をもたらす決定であり,その. を振り分けて組織された政府がそれに見合った. 意味で非合理的である.政府にとっては所与で. 行動をしなかった場合に,その責任の不履行に. あり,自らでは制御できない法システムが政府. 起因する損害を政府に賠償させるという,国内. に義務を課すことは,政府がその行為を決定す. 全体での適正な資源配分を決定する新たな法的. るにあたり他の原因を捨象することを可能にす. ルールを構築した点にある.これは,国民の税. る(あるいは,強制する) .換言すれば,社会. 金により組織された政府に積極的な紛争抑止行. からの過剰で,時に矛盾する圧力のなかで政. 動を義務づけることによって民族紛争の損害発. 府が中立的に行為するためには,法システムに. 生を予防する,あるいは政府の行動が義務に違. ・. ・ ・. ・. ・ ・. 50). ・. ・. よって条件づけられることが必要なのである .. 反したと評価される場合にはその損害を賠償さ. 勿論,政府が実効的に民族紛争を抑止する能. せることで,民族紛争の損害発生リスクとその. 力 を有するかどうかは別問題である.しかし,. 抑止コストをケニア国内に分散するとの意義が. 能力が問題となるのは意思を用いようとすると. あるとともに,かかる政府を組織するために予. きであるから,そもそもある行為を意思しない. め振り分けられた資源の利用を適正化するとの. ・. ・. ・. ・.

(14) 26. 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月). (26). ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. ・. 意義がある.ただし,民族紛争の損害発生リス. は,誰であっても必ずその加害行為を抑止する. クや抑止コストをケニア国内だけに分散させる. ような行動が採られるとの予期を確かなものと. ことには限界があることも確かである.この点. する点に,その意義を認めることができよう.. で,国際的な人道支援や復興支援,あるいは公. しかし,当事者が武力紛争に訴える誘因は,. 共部門改革への支援とのつながりを考えなけれ. かかる予期だけによって規定されるものではな. ばならないが,その場合でも,国際的な支援. い.歴史的に形成されてきた利益配分の不平等. が,ケニア社会全体の正義と責任のバランスを. や差別が改善される見込みがないと予期されれ. 維持するなかで,どのように位置づけられるか. ば,当事者が現状変更を求めて暴力に訴えるこ. には注意を要する.. とも生じうる.本稿の検討した判例法理は,民. 第二に,武力紛争という開発のダウンサイ. 族紛争の引き金要因段階においては意義がある. ド側面に対する法制度の貢献に関しては,裁. としても,構造的要因への対応にまでは及ばな. 判所が政府に対して武力紛争の抑止へ向けた. いものであり,構造的要因へ継続的に対応して. 能動的 な 対応 を す る よ う 義務 づ け た こ と に. いく利益調整の方法や手続は別途検討すべき課. よって,武力紛争 に着手しようとする当事者. 題である.ただ,その場合でも,構造的要因へ. の誘因を縮減することに寄与しうるという点. の対応過程のなかで自分の意見が通らなかった. 51). が重要である .武力紛争はそもそも発生しな. 当事者が最終的には暴力に訴えて現状を変更で. いほうがよいと評価されるものであるが,武力. きるという見込みが失われていない社会では,. 紛争が発生するかどうかは最終的に当事者の意. 構造的要因へ対応するための利益調整過程はい. 思に依存する.武力紛争に着手する当事者の意. わば底が抜けたものになってしまいかねないか. 思を断念させるためには,その誘因を断つほ. ら,引き金要因への対応と構造的要因への対応. かないが,その誘因は予期によって規定され. とは車の両輪として捉えるべきである.かかる. る.この点で,加害行為に対しては政府が迅速. 理解からすれば,政府の紛争抑止行動により暴. かつ実効的に,その抑止に向けた行動を採るで. 力による現状変更を断念させることと,当事者. あろうと合理的に予期できるのであれば,加害. の要求を政治的交渉の回路に乗せるよう方向づ. 者が武力紛争に着手しようとする誘因を縮減す. けることとは,武力紛争を対立的ではあるが言. ることになる.これは,前述した不法行為法の. 葉を交わした紛争へ転換するという意義がある. 抑止機能とあわさって,武力紛争に着手した場. と言えよう.. 合に発生すると当事者が合理的に予期できる事. 最後に,民族紛争を抑止すべき政府の行動に. 態(政府の抑止活動,損害賠償責任の発生,刑. 関しては,その行動に第三者性ないし中立性. 罰の賦課など)を確かなものとすることによっ. を付与するという点に法制度の意義が認めら. て,武力紛争へ着手する誘因を縮減するように. れる.政府は,政治的事実としては,一定の領. 作用するとの意義がある.しかし,その場合,. 域における実力の独占体,少なくとも優越的な. 行政官と当事者との民族的関係から政府の不作. 実力行使主体である.アフリカ諸国の民族紛争. 為が予期され,あるいは政府とつながりの深い. の背景には,かかる実力の独占体としての政府. 当事者は事実上免責されるなどと予期しうるな. が確立されていない,あるいは脆弱であるとい. らば,かかる有利な立場にある当事者が暴力に. う実態があるゆえに,実効的な紛争対応能力の. よって他民族を排斥しようとする誘因を断つこ. 構築は急迫な課題とされ,国際的な支援も拡大. とはできない.ゆえに,紛争抑止行動の発動基. している.確かに,かかる能力を構築すること. 準を個人の財産権(広く,基本権)によって普. なしに政府に義務だけ課しても現状の改善には. 遍化および必然化しようとする上記判例法理. つながらないという事実に法的対応の限界があ.

(15) ケニアにおける民族紛争と政府の財産権保護義務(平田). る.しかし他方で,紛争対応能力だけ高めても, その能力が不正に用いられる場合には政府の正 当性が毀損され,それだけ政府への反発も強ま るという事態への対応も必要になる.そして, 紛争の対立軸が民族を基準にして構成されるケ ニア社会では,自民族の利益のために行為しな い政府は不正であるというように,何が不正か は民族の差異をもとにして判断されかねない. かかる状況で,政府はケニア国民の誰の財産権 であっても,それが危殆化されているならば保 護を与えると予期できるようになることは,政 府は特定民族の所有物ではなく,ケニア国民で ある諸個人の公共物であるという性質をケニア 政府に与えることになる.この点に判例法理の 意義を認めることができよう. では,かかる判決を与える裁判所自身の第三 者性ないし中立性は維持されているのか.中立 性を維持するために裁判所自身を改革する必要 があることはケニアでも指摘されているが52), 少なくとも,本稿の紹介した判決が実際に出さ れたとの事実は否定されえない.ケニアの司法 制度改革については別稿で検討することにし, 本稿では,実際に定立されたこの判例法理をさ らに運用し,ケニア社会のなかに根付かせて いくことで,政府の責任と能力の向上を図り, もって被害者の保護を実効的なものにするとと もに,民族紛争の発生する可能性が無くなるよ うな社会を構築していくことが,今後のケニア の発展にとって優先的な課題であることを指摘 しておきたい.. 付 記. 本稿 は,第 19 回国際開発学会(2008 年 11 月 22─23 日,広島修道大学)において行った報 告に修正を加えたものである.報告の場を準備 してくださった皆様,報告や草稿にコメントを 与えてくださった皆様に,記して感謝申し上げ ます.. (27). 27. 注 1)なお,開発の諸問題については,ある国が発 展するためにはいかなる方策が必要かを論じる 発展論と,それに対して他国等がいかなる貢献 をなしうるかを論じる援助論とを区別すべきで あり,ある国の発展のために必要であること と,それを他国等が被援助国と協力して実現し ていくこととを区別したうえで,本稿は発展論 の一環として位置づけている. 2)筆者自身は,資源の配分に加えて,固有の特 性を有する人格が資源を用いた場合に可能とな る行為および状態を判断基準とするケイパビリ ティにまで視野を広げて,法制度の役割を検討 すべきと考えているが,この点については別の 機会に検討することにしたい. 3)開発と紛争との関係については, 『国際協力研 究』第 24 巻第 1 号,2008 年 に お け る「特集: アフリカにおける紛争予防と開発協力」掲載の 諸論文を参照. 4) 「ダウンサイド・リスク」については,峯陽一 「人間の安全保障とダウンサイド・リスク」西 川潤,高橋基樹,山下彰一編『国際開発とグロー バ リ ゼーション』 (日本評論社,2006 年) ,217 ─238 頁参照. 5)かかる観点からする法制度研究の必要性につ い て は,佐藤安信「人間 の 安全保障 の た め の 「法と開発」研究」 『アジ研ワールド・トレンド』 第 143 号,2007 年,26─29 頁が指摘している. 6)アフリカの紛争と国家の関係については,武 内進一編『現代アフリカの紛争』 (日本貿易振 興会,2000 年) ;川端正久,落合雄彦編『ア フ リカ国家を再考する』 (晃洋書房,2006 年) ; 『ア フリカ研究』第 71 号,2007 年における「特集: アフリカにおける人間の安全保障と国家」掲載 の諸論文を参照. 7)Jeffrey Herbst, States and Power in Africa: Comparative Lessons in Authority and Control, Princeton University Press (2000). 8)Patrick Chabal and Jean-Pascal Daloz, Africa Works: Disorder as Political Instrument, The International African Institute (1999). 9)Bruce Berman ed., Ethnicity and Democracy in Africa, Oxford University Press (2004) 参照. 10)ケニアにおける民族紛争の事実関係について は,以下のものによった. 1991 年から 1998 年にかけての紛争について は; ① Republic of Kenya, Report of the Judicial Commission appointed to inquire into tribal clashes in Kenya, Government Printer (1999) (以下,“Akiwumi Report”と し て 引用 す.

(16) 28. (28). 横浜国際社会科学研究 第 14 巻第 1・2 号(2009 年 8 月). る), ② 本レポートに対する政府の反論(Republic of Kenya, Comments by the Government on the Report of the Judicial Commission Appointed to Inquire into Tribal Clashes in Kenya, Government Printer(発 行 年 記 載 なし)), ③ 国 家 選 挙 監 視 団 ( N a t i o n a l E l e c t i o n Monitoring Unit)の 報告書(K. Kibwana, Readings in Constitutional Law and Politics in Africa: A Case Study of Kenya, University of Nairobi(1997),Ch. 24 所収), ④ A frica Watch, Divide and Rule: State Sponsored Ethnic Violence in Kenya, Human Rights Watch,(1993). 2007 年選挙に伴う紛争については; ① K e n y a H u m a n R i g h t s C o m m i s s i o n , Violating the Vote: A Report of the 2007 General Elections,(2008)(http://www. khrc.or.ke/documents/violating_the_vote. pdf, last accessed on 2008/03/02), ② Report of the Commission of Inquiry into Post Election Violence in Kenya(2008) (http://www.kenyalaw.org/Downloads/ Reports/Commission_of_Inquiry_into_Po st_Election_Violence.pdf, last accessed on 2009/01/10) (以下,“ Waki Report ” と し て引用する). そ の 他, 学術文献 と し て,Jacqueline M. Klopp, “Can Moral Ethnicity Trump Political Tribalism? The Struggle for Land and Nation in Kenya”, African Studies, Vol. 61, No. 2(2002) ,pp. 269─294;津田みわ「複数政党制移行後のケニア における住民襲撃事件─ 92 年選挙を画期とする 変化」武内進一編著『現代アフリカの紛争─歴 史 と 主体』 (ア ジ ア 経済研究所,2000 年) ,101 頁以下;川端正久「泥沼化 す る 民族対立 ケ ニ ア 暴動 の 深層」 『エ コ ノ ミ ス ト』2008 年 3 月 4 日号,70─71 頁も参照した. 11)「民族」を定義することは困難である.重要 なのは,紛争をはじめとする集団行動がなされ る際に,ある人を自集団/他集団に振り分ける 基準が,出自,起源,血縁や,それらをもとに した同族性の感覚に基づいているという実態で あり,(他の基準ではなく)この基準を用いる ことが社会的にいかなる意義,機能を有するか について分析することである. 12)P. H. Okondo, A Commentary on the Constitution ,pp. 125─ of Kenya, Phoenix Publishers(1995) 126 は, 「単に部族(tribes)に所属していると いう事実が,私たちを部族主義者にするので はない」としたうえで, 「部族主義(tribalism) とは,例えば,任用,雇用またはなんらかの恩. 恵の授与,富やそれを取得する手段の配分,あ るいは社会的取り扱いにおける選好において, 異なる部族に属する人びとを悪意をもって差別 するためにエスニシティを用いることである」 と定義している. 13)Barry R. Weingast, “Constructing Trust: The Political and Economic Roots of Ethnic and Regional Conflict”, in Karol Sołtan et al. eds., Institutions and Social Order, The University of Michigan Press(1998) ,pp. 163─200, 165,「コ ミットメントが欠如している場合に,潜在的な 犠牲者にとって意味のある選択肢は,協調か攻 撃かではなく,攻撃か犠牲者となるかである」 . 14)2007 年選挙に伴う紛争の要因として,①権 力闘争の道具として暴力が用いられる暴力の政 治化,および暴力の日常化,②大統領の職務を めぐる権力の肥大化と個人化,③特定エスニッ ク集団の周縁化と資源配分の不平等に基づく感 情(的対立) ,④貧困等の拡大による犯罪集団 加入者の増加が指摘されている(Waki Report, pp. 22─36) .さらに,暴力的手段による襲撃を 一種のサービスとして請け負う集団の存在も指 摘されている(Ibid., p. 27) . 15)発生 し た 損害 を 回復 す る と と も に,加害者 の 罪 を 問 う こ と が 必要 に な る が,こ れ ら が な さ れ な い た め に「免罪 の 文化(culture of impunity) 」が生まれていることは,ケニアの 場合でも指摘されている(Waki Report, p. 22) . 16)Akiwumi Report, p. 20. Waki Report, pp. 309, 334, 272 は,2007 年選挙に伴う紛争について, 死者数 1,133 人(女性 74 人,子 ど も 11 人 を 含 む) ,行方不明者 119 人,負傷者 3,561 人(医療 機関が認知した者に限る) ,国内避難民 35 万人 (政府発表による)と報告している. 17)構造的要因,引き金要因を中心とする紛争の 分析枠組みついては,笹岡雄一「 「紛争予防と 開発協力」研究における認識枠組みとガバナン ス の 重要性」 『国際協力研究』第 24 巻第 1 号, 2008 年,31 頁以下参照. 18)歴史的に行われた対応には,①差異を消去す る方法として,虐殺,民衆の強制移動,分離ま たは離脱(自治) ,統合または同化や,②差異 を管理する方法として,強権的支配,仲裁(第 三者の介入) ,州制または連邦制, コンソーシャ リズムまたは権力分有があるとされる(John McGarry and Brendan OʼLeary, The Politics of Ethnic Conflict Regulation, Routledge,(1993), pp. 4ff) . 19)例えば,ケニアの土地所有秩序には植民地時 代の不正義が刻印されており,それへの取り組 みなしに既存の所有秩序を保護せよと言い切る ことはできない点が問題となる(拙稿「ケニア における土地制度改革の法社会学的分析(三・.

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