一 はじめに 問 題 の 所 在 ニ ア メ リ カ 法
: 一 ド イ ツ 法 四 日 本 法 へ の 示 唆
おわりに
9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 , 9 9 9 9 9 9 9 9 9 , 1 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9
︑
〗論説{-
9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 ,
' ,
9 9 9 9 9 , ' 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 , '
公益的規制と私的紛争処理の衝突ー—|
土
独 占 禁 止 法 に 係 る 紛 争 の 仲 裁 適 格 に つ い て
佐
1 0
三
和
生
1 3
ー 10:~( 香法 '93)近時︑民事紛争処理システムの多様化のなかで仲裁制度に対する評価にも変化が認められ︑
を︱つの柱として︑
あり得よう︒
とりわけ商事仲裁など
より一屑その役割に期待するという方向が鮮明になってきているように思われる︒仲裁制度の積 極的活用の背景には︑一般的には国家裁判所による訴訟制度の時間的︑費用的効率性の間題や︑社会的法意識や制度 上の監路を含めて背該制度へのアクセスのしにくさの間題などが指摘され得るが︑ことを商事仲裁に限定して考える と︑仲裁の方が国家裁判所による訴訟に比し概して簡易迅速であり︑専門的仲裁人により対審的でなく対話的構造の なかで紛争の弾力的解決が期持され︑場所的にも裁判管轄上の制約がなく︑かつ紛争に関連する事項の秘密性の維持
が図られやすいなどという利点があろう︒
もとよりこのような氏市紛争処理システムの多様化という現象をどう評価し対応するかの点に関して立場は様々で
やや極端には︑離脱して行く部分的な紛争処理需要を再度取り込むため国家裁判制度へのその回帰を日 指して現行の訴訟制度を改善︑改革するという反応もあり得るだろうし︑あるいはかかる現象のベクトルを基本的に 是認し︑現行の同家裁判制度はひとまず骰いてそれ以外の私的紛争処理制度の充実︑発展を目指すという反応もあり 得よう︒またより現実的には︑両者の中間的︑複合的な現状改善メニューを各々色合いを変えながら構想することも
できよう︒しかしいずれにせよ︑
白で
ある
︒
いったん紛争判事者に知就された前記利点を看過しては改善があり得ないことは明 本稿では︑このような国家裁判制度と私的紛争処理の割り振り︑役割分担問題を考える際の︱つの素材として︑独
は じ め に
1 0
四
n ‑
1 1.. 04 (香法'93)独占禁止法に係る紛争の仲裁適格について(+佐)
の比較法的検討を前提としながら︑日本法に対して︑
1 0
五 この論点に関する一定の示唆を引きだすことを目指したい︒
この点でのアメリカ法およびドイツ法の状況を概観
占禁止法︵以
F
︑独禁法とする︒︶に係る紛争がはたして仲裁できるのか︑仮にできるとしてもその場合に一定の限定はないのかという論点を検討したい︒
というのは︑商事仲裁の役割ないし守備範囲の拡大が一般論としては肯定でき 得るとしても︑独禁法に体現されるような国家の公益的秩序に関わる紛争までもが仲裁
能かどうかの点には慎屯な
n J
これをも仲裁できるとすれば︑本来国家裁判所という国家の手によって行 為の違法︑合法の判断がなされるべきところが仲哉人という私人の
F
によって代位され︑仲裁の判断規準が必ずしも 法律に限られないこととも相まって渭該法律の趣旨が歪められることにならないかという憂いがあり︑ひいては公益 的規制からの潜脱として利用されることにもつながりかねないという︑あり得べき疑念がつきまとうのである︒もっ
とも
︑
この論点につきたとえ消極の結論に令るとしても︑
活用を一般的に否定する立場であるとは見なせない︒当然のことながら︑
しても︑独禁法に係る紛争のように部分的に仲裁不可能の領域はあくまで残るのだという立場はなお成り立ち得るか
らで
ある
︒
以
L
のことから︑本稿は︑することを通じて︑
国との比較対象に選ぶ理由は︑
寸し
︑
文 一般に仲裁制度の一層の活用があるべきと 吟味が必要となるからである︒すなわち︑
それは直ちに仲裁システムなど私的紛争処理制度の一層の
まず独禁法に係る紛争と仲裁適格の間題が何故に︑
に関して︑全体を通じての議論の枠組みを設定したい︒その後︑
アメリカ法は独禁法の母法として︑
またいかなる局面で間題となるのか これらの国における問題処理のあり方を明らかにするよう努める︒なお︑本稿がこの二国をわが
またドイツ法は民訴法の母法として各々日本法に なにがしか参照すべき制度的視点や論点を含んでいるであろうと推察されるからである︒そして最後に︑以上
1 3 1 0 5
(香法' 9 3 )
裁判断という拘束的判断を下す︑当事者により選任された中立的第三者を用いることによってなされる私的な紛争解
決手段であるとすることができる︒
仲裁
とは
︑
( 3
( 2
(l
)
一般的に定義すれば︑
問題の所在
その手続には原則として当事者自治が働き︑
非公開で必ずしも対審構造を必要と
門事者の契約
t
の合意にもとづき︑現在および将来の紛争を解決するために︑1 0
六
仲
このような評価を︑わが日の学会レベルで表すものとして︑平成.
J C 年五月の民市訴訟法学会シンポジウムがあげられよう︒その
内容は民巾訴訟法雑誌:・ぃハ号(‑九九
0 )
八.頁以ドに収録されているが︑特に﹁仲裁研究の深化を要求する気運﹂として︑国際
取引の急激な進展と国際・間市件の増加︑紛争の増大と多様化ならびに裁判外紛争処岬手段に対する再評価︑仲裁に関する条約の
発達
︑
UNCITRAL
仲故規則と模範法の制定︑川界各川における仲裁法の改正︑束東仲裁への期待がぷされている︵詞シンポー序論﹂松油馨発は︵前褐民占雑誌八
. .
ぃL I
︵以
ド'
︶を
参照
︒︶
︒
I n J
じことの
9 : r
い換えに過ぎないが︑例えば前注シンポでの飯塚屯男報告ー仲裁の現状と機能'︵前注民高法雑誌九じ頁以ド︶は︑
専門的・技術的紛争処即機能︑囚際的紛千処坪機能︑迅速的紛侑処即機能︑秘密保持的紛泊処罪機能︑弾力的紛乍処理機能をあげ
る︒またそこでいわれる秘密保持的紛
f I t
処理機能に関わるか︑特に知的財附に係る紛争と仲裁の親しみやすさについては︑尾騎英
男 応 叶 裁 知 的 所 有 権 紛
→ 解
L 決段として
f
発明.九八八什
1・1号お上び四号︑松本侑敏﹁知的財坪権と仲裁︐ジュリスト九
:四号五六頁以ドなどを参照︒
仲裁を明ぷ的に検叶課題に加えてはいないが︑法務省民巾り参れ官空が平成:︱什
. .
1月
4 q
一日付けで公表した﹁民れ占訟
f
続に 関する検討巾珀ご︵ジュリスト九九パ号︵/几几1.年
︶五
0
頁以ドに掲載︒︶はそのような改善構想の一つの姿であり︑わが国の民巾裁判制度の改吊倫議の出発点と評価できよう︒仲裁法自休をどの様に今後扱うかについて︑惰者は伯報センシィティブな立場に
ないので分からない︒しかし︑注ーであげた民高学会シンポでの:ゲヶ月発q一 :
1 (詞注廿用の民晶雑晶:・]八号ーし四頁以ドを参照︒︶
から推惜するに︑具体的検詞のあるなしは別としても︑仲裁活竹化に向けて一定の気運があるようには感じられる︒
13 106 (香法 '93)
独占禁止法に係る紛争の仲裁適格について(+佐)
せず︑弁論主義の適用もなく︑また証拠調べも自由に決定できる︒さらに紛争解決の規準は必ずしも法律に限定され ず︑柔軟な解決策が期待できる︒ただし仲裁判断の取消等が必要となる場合︑その段階での国家裁判所による事後的
検証可能性を十分に確保すべく︑
日本法およびドイツ法では︑原則として︵つまり背事者の
別段の合意がない限り︶刈該仲裁判断に理由を付すことを求めている︒
仲裁を以じのようなものと理解するとして︑しかし全ての民巾紛争が仲裁り対依となり得るかというとそうではな い︒仲裁に付託することのできる民巾紛争は︑それを仲裁に関わる法律自体が規定するか︑または各々個別の法律が
規定するか︑あるいは判例法によるかといった形式の間題は別として︑
ば︑日本の民訴法七八六条は︑仲裁適格を﹁当事者が係争物に付き和解を為す権利ある場合に限﹂
は︑この仲裁付託の対象となり得る資格のことを︵客観的︶仲裁適格と呼ぶことにする︒なお︑誰が仲裁をなし得る
かの問題である主観的仲裁適格︵育格︶の点については︑本稿は触れない︒
さて本稿の間題関心事は︑独禁法に係る紛争がこの︑いわゆる仲裁適格を有するか否かである︒例えば︑家庭裁判
所の後見的関仔を当然のこととする家事審判事件や、山~事者に係争利益を任意に処分する権限がないと考えられる会
社の各種決議に関わる事件など︑明らかに仲裁できないと推断できる紛争事例は別として︑独禁法に係る紛争の場合︑
この点につき消極に傾くだろうが︑他方で︑紛争そのものは損害賠慣の請求であったり︑契約無効の主張であっ
たりするわけで︑紛争全体の評価としては私的自治の範間になおとどまっており︑
むと
はい
え︑
もっ
とも
︑
ギ ︑
,1 この点をいかに考えるべきであろうか︒ アメリカ法とは反対に︑
1 0
七
ベ
)レ
一方で︑競争秩序という国家の基本的経済秩序を維持する必要性を重視すれ
その紛争中に独禁法卜の争点を含 それだけの理由で直ちに仲裁不
能と断ずるには無理があると考えれば︑積極に傾きがちである︒
n J
アメリカにおけるこ菱自動車連邦最悩裁判決がドされるまでは︑中‑のアメリカを含めてフランス︑ っている︒本稿で 一般的には種々の限定があるといえる︒例え
1 3
1 ‑107 (香法'93)いのだともいうことができよう︒ れにいかに関与すべきかを論じることになければならない︒
私見
では
︑
いまだ具体的事件もなく︑
したがって判例・学説じ
政策的立場が明白であり︑ ︵裁判例がないので憶測以外のものでないが︶おそらくは日本でも︑
この点を泊極に解するのが一般的であったといえよう︒要するに独禁法のような公益的観点からする国家規制につい
ては国家裁判所による公権的判断が唯一絶対的であって︑
かつ共通していたと思われる︒
なくとも既にアメリカでは実務じこれは崩れ︑
確たる議論の収敏は認められず︑
の点に帰着するであろうと思われる︒
これが私人によって任意に歪められてはならないという法
しかしながら︑
範囲につき批判的論議が見受けられる︒翻って日本を眺めると︑
もはや現在︑
またドイツでも少なくとも学説においては法律上許容される仲裁適格 それどころか経済法研究の観点からする日本法解釈の間題に限っていえば︑
ど手付かずといっても過言ではないのが実状ではなかろうか︒
ま と ん
,1
この間題は︑最終的には国家裁判所と私的紛争処理システムとの役割分担を制度じいかに定めるべきか
そうだとすれば︑間題解決の方向性は︑独禁法執行の実効性確保を念頭に府き つつ︑仲裁判断の過程や国内仲裁判断の取泊ないし外国仲裁判断の承認・執行の拒絶の過程など仲裁制度全体へと連 なる一連のプロセスを見通した
t
で︑公益的要請と私的紛争処理システムの利点を両方にらみながら国家裁判所がこ 適格を有するか否かという︑間題の入り口におけるある意味で単純な是か否かの議論だけにとどまらず︑
の争点を含む紛争の仲裁適格の間題は︑
つまり︑結論をやや先取りしていえば︑当該紛争が仲裁
より一歩踏
み込んで制度全体の一連的把握のなかに間題解決の追筋を辿りたいのである︒このことは︑あるいは逆に︑独禁法上
そのような一連的につながる法システムの制度的理解を抜きには論じられな
この立場は不動ではない︒少
‑8
ギーおよびラテン・アメリカ諸国などでも︑
また
1 0
八
1:l
1 0 8
(香法' 9 ] )
独占禁止法に係る紛争の仲裁適格について U・. 佐)
( 3
)
( 2
)
( l
)
フランス法では︑
1 0
九 仲裁の一般的定義は必ずしも;様ではなく、その国の中口かれた歴史的、社会的条件によって(小山昇•新版仲裁法(昭五八年、有斐閣︶こ貝以ドを参照︒︶︑また論者によっても︵小島・高桑編・注解仲裁法︵昭六ーニ年︑青林書院︶一合貝以
F
︵小
島武
司執
筆部
分︶
を参照︒︶杓
r
の違いがある︒ただし︑中ー市者が現在および将来の紛争の解決を自己の選任した第.こ者︑すなわち仲裁人により自︑E
的に行わせることの点︵仲裁付託および仲裁人に関する合息︶に.致はある︒だとすれば︑定義に明ポがあるかどうかは別として︑論理的にいって︑仲裁は←ー事者の合立を前提とするものだから︑その紛争は中ー巾者の任意の処分に委ねられ得るものでなければなら
ない︒わが国民森法じ八六条の趣旨もそうである︒そして本稿の間題関心もこの点に関わる︒ところで︑この定義からも分かるよう
に︑仲裁は当事者の合息の講達を前提とし︑この困難性が仲裁制度活用の.つの隣路となっている︒その解泊のため︑標準約款化︵仲
裁条項の契約挿人の標準化︶︑片面的仲裁︵特に泊費者閃連の紛争で問題となり︑企業側にだけ仲裁判断の拘束力を認めようとする
もの︒︶︑強制仲裁︵中ー巾者の認思に関わらず仲裁を高訟に前附するもの︒︶などが提案されている︒なお︑この事情につき︑小島武司・仲裁苫情処理の比較法的研究(附六0年、中央大学出版部)•
; o
九頁以ド︑小島・裔桑編・前掲内一八頁以ド︵小島武可執惰部 分︶︑提龍弥7いわゆる仲裁適格について﹂神戸学院法学︱‑ 0
巻一号一八︳︳頁注
8
前段および一八七貞以ドを参照︒渭
e j i
者にとってのこのf
続的メリットが︑同時に仲裁の普及にとっての
1つのネックでもある︒これは仲裁プロセスとその判断内
容をブラックボックス化しているからである︒このことが︑仲裁人の伯頼性に対する一定の疑念や紛争解決をそのような私人に白紙 で任ねることへの危惧︵この点につき︑例えば︑前記民訴学会シンポ︵はじめに注
1 )
での石川質問および飯塚発ば︵同注引用の民
訴雑誌こハ六貞以ド)、堤•前注論文:八二貞注8後段などを参照。)とも相まって、仲裁の普及(とりわけ国内仲裁のそれ)にある
種のネックとなっている︒このような状況を転換するとすれば︑郎由付記︑判断規準の明確化が要晶されるか︑それに渭巾者の詞慈 が必要かの論点が生じる(これら諸点につき、座談会「紛争処理機関の実状と間題点」自由と正義一_1•1巻九号二臼頁以ド(大野lE男発言)、堤•前注論文一八六頁注2を参照。)
ちなみに︑イギリスでは︑.九じ几年改
仲裁法︵これにつき︑翡桑昭﹁英国における/几じ九年仲裁法について﹂ジュリスト七l E
1・一九号じ四頁以ド等を参照︒︶以前は仲裁判断に罪由を付することが要件ではなかったが︑その後は坪由付叫が推褪されている︵谷
l安中ーイギリスにおける仲裁
L
法律
時報
五四
脊八
号:
:.
^貞
︑小
島・
iぃ
阿桑
糾.
"間
掲内
︵注
l )
五
0
^
.貞
︵谷
l安
中執
下部
分︶
を参
照︒
︶︒
なお︑アメリカ法が理由付出を嬰しないとすることと︑仲裁につきイギリス法を継受したことに何らかの沿吊的関連があるかどう か
︑ 今 の と こ ろ 惰 者 は 知 ら な い
︒ 罪 由 の 記 載 が 要 件 で あ り
︑ そ の 欠 如 は 仲 裁 判 断 の 無 効 加 因 と も な る
︵ 民 訴 法 二 四
13
— 109 (香法'9:i)( 9
)
( 8
)
( 7
)
( 6
)
( 5
)
( 4
)
八0
条︶
︵小
島.
rn J
桑編・前掲内五一
. .
一.貞︵多喜窪執喰部分︶を参照︒︶︒スイス法︑イタリア法も理由付叫を要件とする
島・高桑編・前掲桂口五七五頁︵柏木邦艮執筆部分︶および同五八七貞︵飯塚弔男執惰部分︶を参照︒︶︒この用語法のみが通川しているのではなく、仲裁付北適格、仲裁適格性、仲裁適合性、仲裁rlJ能性などの用泊もある(堤•前杞論
文︵
注
l)
一九
0
貞を参照︒︶︒いずれにしても︑ここにいう仲裁適格とは︑ドイツ語にいう( o b j
e c t i
v ) S
c h
i e
d e
s f
a h
i g
k e
i t
︑英語にい
う
( o b j
e c t i
v e )
A r
b i
t r
a b
i l
i t
y に対応する日本語範圃であると理解されたい︒
仲裁は甘事者が係争物につき和解をなす権利ある場合に限ってできるのであるから︑当事者は実体法
t
の行為能力を有する者で
なければならず︑それを欠く場合は法定の代刑人によらなければならない︒これが︑いわゆる︑じ権的仲裁適格の間題である︒この点
の詳細につき︑さしあたり小山・前掲耗口︵注
l)
四五頁以ドを参照︒
要するに︑争いが身分関係にもとづき︑また﹁家族の平和と健全な親族共同生活﹂︵家事審判法/条︶という公益的秩序に閃わる
だけに︑法が家庭裁判所を後見的に関りせしめ︑かつ家事調倅という特別の制度を
f
定していることからして︑紛争の仲裁適格に否定的なのであろう(この点につき、堤•前掲論文(注l)一九七頁以下を参照。)。ただし、いわゆる貞lE争訟巾件については仲裁適 格を認める見解として︑小島・iぃ回桑編・前掲内︵注l )
四五頁︵小島武司
1 1血立川博餡執惰部分︶がある︒
例えば︑会社の株︑
E
総会決議の取消請求を号えよう︵商法.一四七条︶︒会社の株L
︑取締役または監在役が
i r
いを起こすとして︑これらの者と会社とがその争いを仲裁できるか︒会社法は会社の客観的内部秩序の紺持を日的として私的目治の範阿を限定してい
ることからして︑また一︳四七条二項で
1 0
九条︵判決の対世効︶が準用されていることからしても︑これは否定的に解せざるを得ない。これにつき、堤•前掲論文(注l)一九八貞を参照。
この評価は︑澤井啓ぶ皿行法規と仲裁
I l I
能性
1特にアメリカの反トラスト法をめぐってー︵一︶︵二︶︵一.ー︶﹂民商法雑誌一0
四巻四号四四頁以ド︑同巻五号一.︱‑玉貝以卜および同巻六号四六頁以ドの︵ー︶五
0
貞︑およびそこでも引用されている
Re
ne
D a
v i
d .
A r
b i
t r
a t
i o
n i
n I
n t
e r
n a
t i
o n
a l
T
ra
de
,
187
De
ve
nt
er
e N
th
er
la
nd
s:
K
lu
we
r L
aw
an
d T
ax
at
io
n.
1985
を参
照︒
試みにわが国独禁法の教科内の類を見ても︑仲裁に関して記述するものは皆無である︒論文として︑澤井・前注論文︑森脇純夫ー仲
裁と独占禁止法
1
米 国 の 判 例 を 中 心 と し て
﹂
JCA
ジャーナル一九九
0
年五月号二頁以ド︑六月号二頁以ド︑七月号二頁以ド などがアメリカ法の現段階をぷすが︑この点でのドイツ法の到達点をホす経済法の論文は寡間にして見ない︒民訴法ないし国際取引法研究者の側からの論究はある小島・前掲害(注l)八七貞、堤•前掲論文(注1)―10一貞など。)ものの、かといっ
︵例
えば
︑
1 0
︵各
々︑
小
I:{ 1-110( 香法 '9:~)
独占禁止法に係る紛争の仲裁適格について (土佐)
権利であるだけでなく公共の利益に関わるものであること︑第二に︑ ては妥当していた︒仲裁適格を認めない理由は︑この理論によれば︑
反トラスト法上の請求を含む仲裁哭約は独占企
13
第一
に︑
反トラスト法にもとづく権利は私人の うに文言上は仲裁適格につき何等の限定もないかのように制定法は定めているが︑する国家規制に係る法律︑
知的財産法などの分野では仲裁適格が認められていな
かった︒反トラスト法に限っていえば︑この判例理論は
A m
e r
i c
a n
S a
f e
t y
理論と呼ばれ︑少なくとも国内仲裁におい 例えば反トラスト法︑
証券
取引
法︑
判例
法じ
︑
特別に公益的観点から 仲裁適格につき連邦仲裁法二条は︑海事取引または州際取引の契約から生じる︑争を仲裁に付するという害面による喫約は︑有効
( v a l
i d )
かつ強制腹行が叶能
( e n f
o r c e
a b l e
) であると規定する︒このよ 以前の法状況
アメリカ法
あるいはそれに関連して生じる紛
てこれらが独禁法の十分な理解を踏まえて正面から日本法の解釈問題に切り込んでいるというにはもの足りない︒これに対し︑アメ
リカ
では
︑
I n
t e
r n
a t
i o
n a
l
B u
s i
n e
s s
T r
a n
s a
c t
i o
n s
という観点から研究されているのはもちろん︑反トラスト法研究者もこの点を深
く掘りドげて検討している︵例えば︑
P i
t o
f s
k y
,
A r
b i
t r
a t
i o
n a
nd
An
t i
t r
u s
t
E ミ
ミ (
︑ ミ
葵 ミ
,
44
N .
Y .
U .
L .
R e
v .
1072 (
19 69 ),
L
oe
vi
n ,
g e r ,
Aミ
i m
s
I s [
s {
e s A
s
S ‑
b ] ・
( C I S
ミ
A r b i
t r i
き . ミ
n ,
‑1 4
N•Y•
U .
L .
R e
v .
1085
(1 96 9) )︒ドイツの場合︑標準的教科内の
1つとされる
V o
l k
e r
E
m m
ミr i
c h の
K a
r t
e l
l r
e c
h t
6. A u
f . .
C .
H .
B
e c
k .
M
ti
nc
he
n
19 91 . でも仲裁問題が触れられている
(S . 50 4)︒もちろん法制度の 建て方の違いや現実的嬰請の洛位︵後述︶といえばそれまでだが︑課穎への配慮の差をいささか感じる︒本稿の目的は︑このような
差をわずかでも縮めんとして︑日本法解釈の間題として︑あり得べき幾つかの道筋を探求しようというものである︒
1 ‑111 (香法'93)
^ 卜
本件の事実概要は以ドの通りである︒原告三菱は自動車製追業を営み︑本店を本に置く日本法人であり︑
1 1
CISA
とする︒︶と日本法人三菱重工業との合弁企業である︒被告ソーラー︵以s
社とする︒︶はプエルトリコに本店を置く自動車販売業者である︒の間
に︑
s
社がプエルトリコの一定地域で︑三菱の製造に係る自動車を販売する販売店契約を締結した︒また
S
社 ︑
CISA
および三菱の二者の間で締結された︑三菱製造の自動車を
S
社へ直接販売する旨の販売斐約には仲裁条項が含まれていた︒これによると︑三菱と
S
社の間で︑当該販売哭約の違反から生じる全ての紛争または解釈の相違は日一九
七九
年一
0
月三
一日
︑
s
社はCISA と
C r
y s
l e
r I
n t
e r
n a
t i
o n
a l
.
S A
(
以 下
︑
2 一菱自動車事件連邦最高裁判決の概要と評価 よって劇的に変化せしめられたのである︒ 争
は︑
業とその顧客との間の附合契約となりがちであること︑第三に︑反トラスト法事件は経済的︑法律的に複雑であり仲 裁より訴訟に適すること︑第四に︑仲裁人はビジネス社会から選任されることが多く︑公益的観点からいって反トラ スト法卜の判断をこれらに委ねることは適切でないということにあった︒要するに︑反トラスト法上の争点を含む紛
ことがアメリカの経済連常の雄本思想である競争政策に関わるものだけに︑仲裁によって解決することは決し て許容し得ないという法的思考がはっきりしていたのである
︵もっとも前記判例理論の生み出された
A m
e r
i c
a n
S a
f e
t y
事件そのものは控訴審段階で終結しており︑この論点に直接に関わる連邦最裔裁判決はなかったのであって︑
厳密にいって仲裁適格がないという法律判断がアメリカ判例法卜﹁確立して
( e s t a b l i
s h )
いた﹂とは断言し得ないとい
うのが︑灯時の法状況の妥粁な描
T ; J
あろう︶︒しかしこの法状態は︑一九八五年の三菱自動車事件連邦最高裁判決に
T h e
u
112 (香法'93)独占禁止法に係る紛争の仲裁適格について U・.佐)
仕様であってアメリカ本
t
向けに必要なヒーター等を装備していない︑.—‘
J r1J.1ア
笞ォ ニ︱
V
中南米諸国での使用は無鉛ハイオク
本の国際商事仲裁協会の規則にしたがい日本での仲裁によって解決するとされていた︒
とこ
ろで
︑
八一年の新車市場
の不況のため
s
社は最低販売数情を達成できなくなり︑三菱に対し一定台数の注文延期ないし取消を要請し︑
菱の自動車をアメリカ本上および中南米諸国で販売すべく一定数駄の自動車の積み替えを試みた︒これに対し三菱と
CISA
は︑
第一
に︑
これは日本の対米自動巾輸出自じ規制と相反する︑第二に︑
タンガソリンが人
F
できず適切な保証サービスが確保できない︑第四に︑義務違反であると主張して
S
社の要請などを認めず︑市場分割とこれによる競争制限を共謀し︑
格を厳しく限定しない体裁をとり︑ かつ三
s
社発注の自動車はプエルトリコアメリカ本土への積み替えは:一者間の契約
また三菱は三ヶ月分の九六六台の船積みを取り止めた︒八一年
‑ 0
月︑三菱は︑連邦仲裁法およびニューヨーク条約︵外国仲裁判断の承認および執行に関する条約︶にもとづきプ ェルトリコ連邦地裁に判時者間の紛争を仲裁に付託するよう求めて出訴した︒これに対し
S
社は︑三菱とCISA
がそのため
s
社の要請を拒絶すると共に三菱の全額出資による販売店を
S
社の代替として設立したなどとし︑三菱の契約違反およびシャーマン法一条違反などを理由に反訴を提起した︒地裁は︑
反トラスト法上の争点を含む反訴についても他の請求と共に仲裁によって解決すべきであるとして原告三菱を勝たし めた︒これに対し
S
社が控訴したところ︑連邦第一巡回区控訴裁判所は︑たとえ国際仲裁であっても前記
A m
e r
i c
a n
S a
f e
t y
理論が適用されるとして一転控訴人
s
社を勝たしめた︒これに対し三菱が上告した︒連邦最高裁は四対三の僅差で︑上告人三菱勝訴の判決を下した︒本件争点は︑大きく分けて二つあった︒第一は︑
当事者間で反トラスト法など制定法ヒの争点を含む紛争をも仲裁に付すという合意が明ポ的になされていない場合︑
当該仲裁条項を制定法上の争点をも仲裁に含めるものと解釈すべきか否かである︒前述の通り︑連邦仲裁法は仲裁適
かつ仲裁斐約の無効事由を詐欺・強追のような普通法︑衡平法上の無効原因に限
~
13‑1‑113
(香法' 9 ' . i )
条約への加盟に伴う国内措樅であり︑ っている︒したがって連邦議会の明ぷ的な意思が判明しないドにおいて︑前記論点の解釈間題が残るわけである︒結論的に︑連邦最贔裁は︑反トラスト法のような制定法上の争点を含む紛争を仲裁に付すことを禁じていると解釈できる規定は連邦仲裁法の中にないとして︑裁判所のこの間の親仲裁的態度を確認した︒
さて︑本件仲裁条項が制定法卜の争点を含む紛争をも仲裁に付すという合意であると喫約解釈できるか否かという 人口間題をクリアするとして︑次に︑反トラスト法卜の争点を含む紛争が仲裁適格を打するか否かという核心的間題
て耐えがたいものとなる場合には、↓~該仲裁判断の承認・執行の段階でアメリカ裁判所が、前記ニューヨーク条約五
条二項
b
にもとづきその執行を拒絶することができると認めている点には注怠を払っておきたい︒この点で︑本判決
が︑仲裁兜約中の管轄および準拠法に係る条項が一体となって反トラスト法上の救済を求める山且串者の権利︵具体的
の市前の放棄として機能するような闊面では︑
判所がこれを公庁に反すると認定するのにためらわないとしているのは重要な示唆に富む︒
さて本判決を評価するに︑
まずその判例法
L
の意義に触れる必要がある︒のアメリカ法は仲裁敵対的であり︑仲裁付託契約は︑
されてきたところ︑一九一.五年の連邦仲裁法の制定からこの態度が変化してゆく︒ むしろ国際アメリカ裁
そもそもイギリス法を引き継いだ時点で コモン・ローによれば裁判所によっても強制股行され得ないと
(2
‑
一九
七
0
年の改正はニューヨーク このような流れに沿うものであった︒本判決はそれまでの判例法上の仲裁適格
に念頭にあるのは三倍額担害賠附請求権のことであろう︶ 礼譲への配附や仲裁法廷の能力の西J
巾 ︑
(K
‑
の強制力を行定すべきであるとした︒もっとも連邦最裔裁は︑
ドされた仲裁判断がアメリカ法卜の公庁の観点からみ
さらには国際通商体制における予測可能性の必要性などから︑
本件仲裁兜約 かったものの︑
本件取引は国際的な性格をもつものであるからこの判例理論は再検討されるべきであり︑
が論点となる︒連邦最低裁は︑国内取引紛争に対する前記
A m
e r
i c
a n
S a
f e
t y
理論の適用可能性を明不的に否定はしな
."
T
‑ V
B 1 1 4
(香法' 9 : i )
独 占 梵
I L
仏に係る紛争の仲裁適格について(+佐)関わるような純粋の水平的カルテル事件にまで仲裁適格が認められるかどうかについていえば
一 五
︵連邦最高裁判例はな 慮する必要がないことが︑ ために必要とされる証拠の類も韮本的に仲裁中ー事者の
f
中にあって︑
その理由ないし実際的根拠であろう︒
逆に言えば︑
私的独占事件や価格ないし市場分割に
n 1
第三者に及ぼす証拠手続卜の負担等もさほど若契約上幅広く規定されていることが必要であり︑ は︑現在のところ反トラスト法卜の争点を含む紛争は︑国内・国際の別なく仲裁に付託することができるといって差し支えなかろう︒ただし︑当事者間の合意の間題として
︵反トラスト法
t
の争点をも含むように︶仲裁条項の範囲が かつ特に国内仲裁の場合には間題となる争点が反トラスト法執行の 見地からして屯要性の低いもの︑具体的にはフランチャイズ契約や販売代哩店招約のような畢直的契約関係から生じ る紛争に︑少なくとも判例卜は一応限定されている点を見落としてはならない︒かかる場合には︑反トラスト法事件
の関係人がそのまま仲裁閃約中ー巾者であり︑また争点が巾実卜も法律じも限定される場合が多く︑さらに紛争解決の ここでの結論として︑
てこの説み方がアメリカ判例法の展開の中で︑E流となったというには︑Shearson/
A m
e r
i c
a n
E x p r e s s ,
I n c .
v .
Mc
Ma
, h o n i t r
! r , 件連邦最邸裁判決を待たねばならなかったのである
c
アメリカ法卜︑現在︑本稿の問題関心がいかに処理されているかを略述しておこう︒
一般
に
3
ま と め
論を否定したものではないので︑ しかし国内取引については︑本判決の射程をどう見るかに関わるが︑連邦最高裁として明ぷ的にAmerican
S a
f e
t y
理
この論点に関する解釈の立場が判例上確立したと読むには無即が残っていた︒
そし
に関する制約を国際商取引紛争については取り払い︑前述の流れを一屑加速させたものと位附づけることができよう︒
1 1 5
(香法' 9 3 )
ろう
︒
いが︑裁判所のこれまでの説明や四囲の事情を総合考慮すれば︶︑国内仲裁に関わる限り︑この点はおそらく消極では
ないか︒このような事案にあって︑例えばカルテル破りに係る紛争問題を仲裁で解決するとか︑あるいは私的独占に あたる行為から牛じる市場排除ないし新規参人阻止などの紛争間題を仲裁で解決するとかの私的紛争処理方法までも が法政策
t
認められているわけではないと思われる︒次に︑国際商取引に関わる諸側面についても触れておこう︒この点︑
具体的には仲裁諸条項の起案の仕方の問題で もあるわけだが︑第一に︑各種仲裁機関により作成された標準的仲裁条項を用いるか個別的交渉の結果としての条項
を用いるかの点がある︵なお︑これは全般に関わる包括間題でもある︶︒
少しでも多く残したいとすれば︑個別的交渉をもって臨むべきである︒
第二に︑仲裁の一般条項に反トラスト法上の争点まで含めたいとすれば︑
とする場合も︑
その旨を契約
L
の合息として明示すべきである︒そして︑この際には︑反トラスト法卜の争点を含む
紛争を仲裁によって解決することが本胄に当事者の利益となるのかどうかを︑事前に十分吟味しておくべきであろう︒
すなわち、↓~該の契約本体が垂直的関係なのか、水平的関係なのかといった問題に関わって、仲裁という紛争解決手
段を選ぶかどうかなどの間題をである︒もっとも現在のところ︑国際仲裁の場合は︑水平的契約関係から生じる紛争
その予測可能性は低く︑推奨されるべきではなか
にも︑仲裁適格が認められる余地が全くないとも断言できないが︑
また逆にこの点を明らかに含めたくない
第三に︑仲裁機関および仲裁地の指定は︑機関の設定で当事者の関係がこじれて時間を空費する可能性があるので︑
事前の指定が望ましいだろう︒
第四に︑仲裁人には反トラスト法ないし同政策に造詣の深い者を選定するかどうか︑審訊前に合理的に関連する証
一般論として︑当事者が自己に自由な領域を
︱︱
六
n 1 1 6
(香法' 9 3 )
独占禁止法に係る紛争の仲裁適格について(+.佐)
第六に︑契約を規律する実体法に関する準拠法指定の問題がある︒
権を明不的に確保しておきたいと考えるならば︑アメリカ連邦法の指定が必須である︒もちろん逆のことも汀える︒
ただし︑最近の国際的傾向は︑仲裁人を特定国の法の適用義務から解放すべく︑仲裁人は善と衡平にしたがって紛争 を解決すべしという︑いわゆる友誼仲裁を採用することも少なくないようである︒もっとも︑一方でこのように仲裁
人の判断上の裁量の幅を広げることが好ましくないとしつつ︑しかし他方で特定国の法を実体法として指定すること い
える
︒
︱ ︱ 七
拠資料を相互に交換するかどうか︑紛争解決に必要な知識を有する中立的な証人を利用するかどうか︑仲裁判断に理 由の付記を求めるかどうか︑弁護士費用を仲裁判断にもとづき回収できるかどうか︑仲裁費用を当事者間でいかに配
分するかなどの諸点を︑あらかじめ判断したじで仲裁契約上合意しておくことが望ましい︒
第五に︑仲裁手続に関する準拠法指定の間題がある︒仲裁機関を指定した段階で別段の合意をしない限り︑当該仲 裁機関の制定している規則が
f
続を規律するだろう︒手続規則として別のものを選釈したい場合︵例えば仲裁機関はAAA
であるが仲裁規則は
ICC
にしたい場合など︶︑他の仲裁機関の規則もしくは
UNCITRAL
仲裁規則またはいずれかの国の手続法を準拠法として選択することになる︒
した
のか
︑
ただし準拠法の指定といっても︑その国の実体法を指定 それを抵触法として指定したのか自体が定かでない場合があり︑不測の事態を回避するため指定された国
におけるその点での法状況をあらかじめ見極めておくのが賢明である︒
そこの法律によるなどということが生じ得る︒ さもないとまた事件が別の国に振り戻され︑
ともあれ手続の問題は︑仲裁地の間題や仲裁条項の分離可能性の問題
︵たとえ契約本体が無効とされても︑当該仲裁条項自体は機能し続けるという理論︶︑さらには証拠手続の問題︵とり
わけアメリカ法上のディスカバリーに関する諸問題などを想起されたい︒︶などに関わるだけに︑慎重な検討が必要と
アメリカ反トラスト法上の三倍額損害賠償請求
1 3 ‑1 117
(香法 '9:~)判所がその法を解釈するであろうように仲裁人も解釈すべしと起案する方法もある︒
三菱事件における連邦最高裁の懸念と関わるものだけに︑仲裁地の選択とも併せてアメリカにおける仲裁契約の強制 ところで実体法の準拠法をアメリカ法としなかった場合︑直ちに公序原罪が働いて当該紛争が仲裁できないかとい
ヽA
つ と
そうはいえない︒準拠法をドイツ法︵つまり競争制限禁止法︶とし仲裁地をミュンヘンとする仲裁哭約が認め られた事例もある︒結局︑この点の解釈は︑準拠法と仲裁地選択条項が二体となって反トラスト法じの救済を求め る当事者の権利の事前の放棄として機能する場合﹂を︑今後判例が具体的巾件の解決を通じてどの様に類型化してゆ
また
さら
に︑
れば︑少なくとも仲裁判断を下す段階の間題としては︑
仲裁判断の執行の段陪で︑執行国がアメリカ以外の場合︵例えば
1
本やドイツの場合︶︑
などとして実捐額以上の部分についてその執行を認めないとの処理の仕方はあり得るだろう︒
第七に︑仲裁判断の執行に関わる準拠法の指定間題もあるが︑指定された国が前記ニューヨーク条約に加盟してい る限り︑間題はさほどないといえる︒特にアメリカを執行同とする場合には︑近年の親仲裁的態度からしても外国仲
裁判断の承認・執行につきトラブルはないであろう︒ くかによるものと思われる︒ 問題にとって非常に屯要なポイントである︒ から生じる不確実性をも日避したいと考えれば︑
これを当該国の公序に反する かかる懲罰的損害賠伯が認容される可能性は残る︒ただ当該 いずれにせよこの点は︑前述の
特定国の実体法を準拠法として指定するのではなく︑特定の国の裁 アメリカ法を準拠法とする場合︑仲裁人が三倍額損
t
口賠伯を命じる仲裁判断をドすことができるか否かの点も付随的に重要である︒例外もあるが︑アメリカ各州の裁判所はこの点を積極に解する傾向にあるようである︒
反トラスト法執行上のこの私訴制度の屯要性︵違反行為探知・防止の重要な一要素︶や前記連邦最高裁の懸念からす
J ¥
1 3
118 (香法'9])独 占 繁
I L
法に係る紛争の仲裁適格について (‑J‑. 佐)( 4
)
さしあたり︑ または本体招約の更新時に新しい仲裁条項の検討をすべきであろう︒
9
U. S.
C .
§2.
なおアメリカの法制について;パしておく必要があろう︒連邦制度をとっていることから︑連邦仲裁法と各州の仲 裁法が並存している︒そして多くの州が連邦仲裁法利の統.仲裁法に倣っている︵この点につき︑さしあたり小島武司﹁アメリカに
おける仲裁﹂法律時報五四巻八号一..四頁以ド︑小島・裔桑編・前掲内︵.の注
l )
五
0
七貞︵小島武可執筆部分︶︑W
・グ
レイ
著︑
岩崎一生訳﹁最近の米国における商
L i l
仲裁をめぐる法的諸間題﹂国際商
C j i
法務八咎五号一九七貞以下などを参照︒︶︒したがって︑原
則として国際取引および州際取引には連邦法が適用されるが︑州内取引には各州の法が適川される︒同条の日本語訳については︑森 脇•前掲論文(一の注9)五月号て.貞に部分訳がある。
( 2
)
この理論は︑Am er ic an Sa fe ty Eq ui pm en t C or p ;
v .
J . P . M
ag ui re
&
Co:•
I n c . ( 3 9 1
F
2n d 8 21 (2 nd Ci r . 1 9 6 8 ) ) において論じ られたので、この名がある。本件り概要は、澤井•前褐綸文({の注9)(→)のIi八頁以ド、森脇•前掲論文(→の注9)五月号
八頁以下を参照︒
(3)もっとも、この判決が他の控高裁判所レベルにおける類似巾件でいリーfアィング・ケースであったことは確か(澤井•前注論文(^) の五九貞注4、森脇•前注論文丘月号:·頁注44を参照。)である。本文にいわんとすることは、連邦最翡裁の判例として確立して いたとはいえないということにすぎない︒したがって︑判例法卜の位洲づけの間組として︑連邦最裔裁が︑:応菱自動巾巾件︵本文後 述︶において︑この判例理向に拘束される理由は即論卜もなかったことが屯要である︒
: V l i t s u b i s h i :
¥ I o t o r s C or p.
v .
So le r C hr ys le r
ーP
ly mo ut h. I n c . 4, 73 U. S. 61 4 (1 9 8 5 )
‑ 4 : : i i
げい収百回紐5
判口
山い
に由
内ナ
フる
判口
伽り
出叫
韮い
は粕
奴タ
タい
︒
例えば︑いり回桑昭ロシャーマン法による私人の担屯ぃ賠侑に叩求を外国における仲裁によって解決することは芹し支えない﹂
( 1
)
当該仲裁条項の修正力を巾し人れ︑
第九
に︑
アメリカ法の急速な展開からして︑ 律するための詳細な条項を作成するのである︒
現在の仲裁条項に前述の観点から見て不卜分なところがあるならば︑ ラスト紛争を含まない旨の一般的仲裁条項を作成し︑
いま
~こよ、マ
lt
九
以上のことを踏まえた
t
で反トラスト紛争を規
第八
に︑
無用の紛糾を避けるためには︑二つの別々の仲裁条項を作成するのが望ましい︒
すな
わち
︑
︱つには反ト
1 : 1
119 (香法'93)( 1 0 )
( 9
)
( 8
)
( 7
)
( 6
( 5
)
を参
照︒
アメリカ法一九八六年.一号五二臼貞、A・ポ—ル・ビクターおよびジェフリー•P・ビアロス行、小原正敏訳 1国際反トラスト仏巾 件の仲裁│ーもう
1つの紛争解決に関する米川最翡裁判所の大胆な試み││̲︵
L )
︵ド︶﹂国際商事法務一四巻一号一貞以下および詞
巻二号一/在貝以ド︑A
ぷ 言 翌
8
ミ 〜 d A
ミさ
芝.
. M i . [ s u b i s l z i l 1 f ミ ミ ︑ sCミ p ' . So le r
Cき
夏ミ
︑ー
Rl ym
0ミ
h ̀ 23
C
︒ こ
・T ra ns
.Law
66 5 (1 9 8 4 ) .
S .
L
Cl ou d. M it su bi sl zz ・
ミ id [l lC Ar bi [r zb i[ i. [y Qf .A
ミ
r i [ us t Cl ai ms , 18 L av ,
&
Po li cy i n I n t '
! B us in es s 3 41 ( 1 9 8 6 ) ' Ar bi t,
︑ ミ さ
n, .A rb ih︑ zb i. [i [y Qf Aミ i . h
ヽ 〜
〜 s[ C[
ミimsmI
ミミ
︑ミ
[ [ i
・ ミ ミ
[T ri bu
ミd
〜 ク 27 Ha rv . I n t '
! L .
Jo ur na l 2 27 (1986)
などを参照︒
この条約の沿吊および各条項の内容につき︑小島・翡桑編・前褐租
r ( ]
の注
l )
‑
. . 五九貞以ド︵高桑昭1 1
岩崎一生執筆部分︶を参照︒なお極めて簡潔な円容紹介として︑森井消・貿易と国際法︵平成:伍年︑同文舘︶一八七頁以ドも参若にはなる︒
72 3
F .
2n d
l l S .
( 1 s t C ir . 1 9 8 3 ) .
‑ 1 4
判口山いには^つ注視しておくべき点がある︒それは︑
Am er ic an Sa fe ty 罪向による仲裁適格の 否定と前記二J
ーヨーク条約との関係に関わる︒本判決は︑この判例理誨が
M
条約に違反するものではないとしたが︑その理由は同 条約二条一項にいう仲裁合息とは各締約国の法律の許す枠囚でのものであるからだという
( a t 16 4‑ 68 .)
︒ドイツ法でも︑競争制限禁 止法九一条一項.文と同条約との両立性が間題になり︑それをクリアする解釈
r
法は本件判決と全く同様の坪由付けである︒叶しく は︑ドイツ法の所で再述するが︑少なくとも現在のアメリカ連邦最翡裁の判断はこの様な若え力ではない︵贔臼際礼汲への配慮︑外 国および国際的な紛争解決機関の能力の尊屯ならびに国際通商体制における紛争解決に関してf
測可能性が必要であることへの敏
感さ
﹂ (M it su bi sh i Ca se , su pr a n ot e 4 , a t 6 1 8 . ) からして︑本件仲裁斐約を強制囮行させる必要がある︒︶点だけ︑ここで確詔して
おきたい︵もっとも︑連邦最砂裁が本件控占裁判所の伯出陪釈は採用できないと断定したわけではないことは付げすべきである︒︶︒
なお︑この点に閃するアメリカでの議論の詳細については︑
Ar
さb
ミ ミ 苓 ミ i d Aミ i [ r u s [ , su pr a n ot e 4 , a t 6 68
ー7 5
. Mi ts ub is hi Ca se , su pr a n ot e 4 . a t 6 16
‑1 7. I b i d .
︐
at 1 6 8. 詞項は以ドのように定める︒圧げ裁判断の承認および執行は︑承認および執行が求められた国の権限ある機関が次のことを誌める
場合においても︑担否することができる︒
( a
は省
略︶
b
︑判断の承認および執行がその国の公の秩庁に反すること︒﹂なお︑この条 項の解釈については︑小島・翡桑編・前掲れ
1
︵一
の注
l)
三七じ頁以卜︵
m右崎一生
1 1 ]
砂桑昭執筆部分︶を参照︒
本文にいう
l i
要なぷ唆﹂には一︳つの紅味がある︒第^に︑これを額面通りに受けとめて︑連邦最高裁として︑国際仲裁法廷によ るアメリカ反トラスト法の無視ないし軽視に対する︑いわゆる公益防御の可能性をも排除し︑手放しで仲裁適格の拡大を認めたわけ