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苗代の民俗 ―基層伝承と予祝芸能の相渉―

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(1)3. 民俗. ー 基層伝承と予 祝芸能 の相 渉|ー. 野 本. 寛. にかかわる民俗の多面について記録した事例と、技術 ・. は、一定 の基準によ って統一さ れたものではない。苗代. 稲作作業のドラマの中心舞台は苗代だと言 っても過言. はじめに で は な い 。 苗 代 は 、 稲 の イ ノ チ の 継 承 の 場 で あ るだ け. 在は若干気になるところであり、かつ、新資 料、 自己調. 査資 料を重視する立場 から、 四十八例 中、 四十七例 を筆. 儀 礼等の一面 のみについて記した事例とがある。その混. 者の調査資 料によ ったため 、地 域的均衡を欠く部 分が生. に、稲作農民はここに心と力を注 ぎ続けてきた。その、 姿を消してしまったのである。そのよ うな転機なればこ. じた。そうした難点を補 う意味からも、第 二章 において. 伝統的な苗代が、田植機の普及によって日 本のムラから. そ、苗 代にかかわる多様な民俗資 料を聴 取し、分析して. に写 真を多用した。. 意味と、記録報告としての側面を確かなものにするため. びあがらせてみようと試 みた。その際、実感を深かめる. よって、わが国の 「稲作民俗文 化」の特徴の一端 を浮か. る苗 代関 係 の演 目•詞 章 と を照応 •交 錯さ せ るこ と に. 民俗と、田遊び·御 田祭という、予 祝芸能 ・神事におけ. 料を補 足した。第二章 の考察に際し、苗代に関 する基層. は主題 ・要素ごとに整理 して分析を試み、 必要な文献資. ④種籾蒔き. 苗 代田及びその水口や畦において実に様々な股作業が. おかなければならないのである。 くり広げられ、信仰儀 礼が展 開されてきたのだった。 m. ②種籾漬 け ③苗 代づ くり. ⑤苗代の諸 害とその防除I といっ た具 体的な作業と技. 種籾の保管. 術、それにまつわる儀 礼や伝 承がある。 小論では、まず第一章 において 、苗代にかかわる民俗. の 多様 な口 頭 伝 承資 料‘ ① \⑱ を示 した が、 そ の内 容. - 41 -. の 3巻3号. 1992. 文学・芸術・文化.

(2) 野本 苗代の民俗. も の だ。」と 言 い 伝 え た。 風 が吹 く と 苗 代 に 波 が 立. に一 二回かけて精選した。 種籾は、 伊平さんの父の時代. なっても、実を痛めないために千歯扱きで扱き 、唐箕. ① 種籾 は、中 で き の 部 分の 稲 を刈 り、 脱穀 機 の 時代 に. 強くするために「苗 代 千し」と称して― 一日問ほど苗代. のハガキを何 枚も吊った。籾蒔き後――十日 ごろ、根を. 除けには、苗 代の上に糸を張り、その糸には使 用済み. すると籾が固定 し、根の張りがよ くなるのである。 鳥. ち、その波で籾が動いて転ぶことがあった。芽干 しを. には品種ごとに家で作った渋紙の袋に人れ、伊平さん. 籾 蒔きの日、籾 蒔きに先立って水口祭りをした。こ. の水をぬいた。 水位は、苗の根が隠れる程度 がよ い。. 苗 代関係口頭伝承資料 ・. 三 升蒔きだったので、一町 歩で三斗の籾を用意した。. の時代には石 油の一斗 罐に入れて保管した。籾 は一反 籾蒔きは、 「イリマキ」と称して、春の上用の入りの日. ッジ ・椿の花枝を立て、その前にイリゴメを供えて苗. し、そのミズカケコ グチの脇の畦に牛 玉札と、ヤマツ. の 地 で は 水 の 入口 の こ と を. 「ミ ズ カ ケコ グチ 」 と 称. と椿の花が咲いていた。籾 蒔きに先立って、種籾を流. に行うのがならわしだった。イリの頃にはヤマ ッッジ. どのシマ を作り、イガミスキと呼ばれる、 柄に湾曲の. を後ろ向きになって手で土中に埋めこんだ。 幅三 尺ほ. 合、一度 水を替 えた。苗 代田はまず稲株 ・雑草・堆 肥. した。観音堂は今はなくなったが、観音様は公民館の. 御 田様)とも称 ナイを実施し、これを「オンダさん」(. が、これとは別に、 二 月十八日、 中ノ川観音堂のオコ. が氏 神 の 三 社神 社に 集 ま り、 御 田 祭 を 行 うの で あ る. 作った。 中ノ川では、 二月 十一日、 座の五人衆と神職. の生長と稲の豊作を祈った。牛 玉札は次のよ うにして. ある鋤 をコ テ の よ うに 使 って 苗 床 の上部 を平 ら に し. 中に祭っている。座の五人衆はこの日、牛玉札を作っ. れ川 か桶 の 水 に 十日ほ ど 漬 けた。桶 の 水 に 潰 ける場. た。この作業を、木の棒や竹 で行う家もあった。種籾. た。 伊平さ んの若いころには中ノ川は一 二十戸だったの. で、牛 玉札は三 十本作った。牛 玉杖の素材は枝のつい. 週間で、芽が五ミリほどになったところで芽千 しをし た。芽干しを昼行うと雀の害がひどいので、「 夜干 し」. たままの川柳の木で、長さは二 尺\ 一 云一尺、 径は、 五、. 蒔き は 必ず夫 婦で行うものとされていた。籾 蒔き後一. 一夜ほど行った。「籾が転ばないよ うに芽干しをする ― を一. ―- 42 -.

(3) 3. 六 分ほ ど だ っ た。 柳の 根 元 方 約 五寸ほ ど の 皮 を むい. の読 経が始まる。 五人衆の前には幅一尺、長さ一間、. をむいた棒が一 本ずつある。 十五人衆の中 からは太鼓. 厚さ 五分の杉板が置かれ、 五人衆の手もとには、おの. 役、法螺貝吹きが選ばれ、堂の外には子供達が、五人. おの長さ 尺二寸、 径八分の川柳で、根方五寸ほどの皮. る。 牛玉 札 は、こ の割 り口 に、 T 字型 に折 って挟 ん. 衆と同 じ柳の棒を一本ずつ持って待ちかまえている。. り口をつけた。この割 り口に牛玉 札ををはさ むのであ だ。 半紙を横にして― ―つ折りにし、その両端 がともに. た 。 そ し て 、 根 方 の 木 口 に 、 ⑦ の よ うな T 字 型 の 割. 中央の折 り目に合うよ うに畳んで断面を見るとT 字に. る。僧が立ちあがると同 時に五人衆は一斉に柳の棒で. 読 経の中 に、 僧 が 立 ちあ が っ て 読 む箇 所が 三箇 所 あ. 板を叩き、太鼓打ちは激しく太鼓を打ち鳴ら す。法螺. な っ て い る。 こ うし て 畳 ま れ た 半 紙 の 面は表 裏 六 面 捺し、さらには朱の宝珠印を捺す。できあがった牛玉. 供達もそれに合わせて― 一本の柳の棒で観音堂の 外縁の. 貝吹きも、 負けじと法螺を吹く。外にひかえていた子. で、表 の三 面に牛・梵字・観の三 文字を一字ずつ黒で. 前に供えられる。 一方、座衆一人につきモチゴメ三合. 紙を柳の枝に挟 む。 ― 二十本の牛玉 札は横にして本尊の. 板を叩くのである。 これは、僧が立っている間中続け. れていた牛玉札と菫ね餅が各 戸に配 られる。牛玉札は. られる。 こうしてオコ ナイが終ると、 本尊前に供えら. ずつを集めて当屋で餅を掲く。 揚いた餅は、径― 一寸 五 角モチをのせる。このようなセットをムラの戸数 分だ. 分ほどの丸平 餅にし、これを六 枚重ねて、 頂に小さな. 余 りのモチゴメや餅は当屋がいただく。 準備終了後、. け用意して本尊の前に供える。 いわゆる壇供である。. なる(奈良市中ノ川・池ノ畑 伊平 •明治三十七年 生ま. どの長さに切 り、枝をはらって水口 畦に立てることに. 床 の間に飾っておき、苗代の籾蒔きの日に、約 一尺ほ. だん ぐ. 伊平 さんの若い頃には興福寺 の僧がやってきてオコ ナ. れ)。. 二升蒔き」 ルチ七反二畝を作っていた。種籾は 「一反一. ②昭和初年、穴田家では、八反歩の水田にモチ八畝、 ウ. イの 経をあげたが、 現在は鳴川町の徳 融寺 の僧がやっ てくる。 伊平 さ んの若い頃に、オコ ナイは次のよ うに. と言われ たが、合計 三斗ほど 用意した。できの良い場. 実行された。 五人衆と呼ばれる座の重役や、十五人衆 と呼ばれる座の若手 およ び座衆全員が正座する中で僧. - 43 -. 1992. 3巻3号 文学・芸術・文化.

(4) 野本 苗代の民俗. 所の籾を取り、品 種ごとに木綿の袋に入れて、玄関 を. くので、苗 代に紅 白の紙をたらした。 芽が青くなると. 皇祭を過ぎたら種籾を種池に漬 けた。種池 は郷 倉の脇. に分かれ、一方は 、白紙に牛玉法印• 四社明神の文字. 日、宮 本達は、 四社神社の牛玉法印の札を作る。 二手. 計六 人の宮 本が 神 社関 連 行 事の 中 心 と な る。一月 七. 当地の氏神は四社神社であり、一郎 をはじめとして. 鳥は啄まなくなる。. に あ り 、 十屈 、 六 計の楕 円 形の 池 で 深 さ は一認 ほ ど. を書いたり宝珠の印をベニガラで捺したりする。 もう. さ げた。 鼠除けのためである。 毎 年四月 三日の神武天. 入ったところの土 間の 上の ツシ(天 井裏 )に紐で吊り. 二回池の掃除をした。 上仁製は十三 戸で 、十. 月と 、年. だった。 防火用水をも兼 ねていたので一月 •四月 ・九. て整える、 径― 一センチ 、長さ― ― +― ニセンチほどの ウル. 一 方の者達は、牛玉札をはさ む ウルシの木 を取ってき. シの木 の上 半 分の皮 をむき 、 末口 の木 口 に⑦ の よ う. 三 戸のものすべてがこの池に種を漬 けた。 池畔に杭を. き、杭の 特徴で自他を見分けるようにした。池潰 けは. に、T字型 に刃物を入れ、割 り口をつける。 牛玉札が. 打 ち、縄 を延 べてそ の縄 に品 種 別 の 袋 を つ な い で お 十日から 十五日で、水からあげて半乾きにしてから苗. はずれないように挟 むための割り口である。 こうして. う古文書が伝 えられており、それによると、この日の. には、正徳 三 年(一七一三)の『座配 当屋式録』とい. 「 ゴオ ウズイ」と呼ばれる牛 玉札が完成する。 飯番が. られたのである。まず苗床 に籾を蒔き、次に、 秋作っ. 行事のこと を 「七日堂」と記し、「修正会 」とも記 して. た。 そ れ は、「 温床 紙」の 幅が 決 まっ て い た か ら で あ. 代に蒔いた。 苗代の畝 島の幅は三尺.一寸と決まってい. ておいたモミガラの燻炭 を籾が隠れる程に撒き 、水は. 小豆 飯・プリの切 り身・オヒラを用意し、十三 戸の会. 籾より五分\七、 八分 低めにして十日ほどそのままに. いる。 なお、この日、 下仁興との境 に勧請縄 を張る。. 食がある。 各 戸一 本ずつ牛玉札を持ち帰る。 このムラ. しておいた。 十日ほどたつと、芽が一分 \ 五分ほど出. であ り、 祈願対 象 仏 はかつ て存 在した釈 尊寺 堂 の、. この日の 行事の中 心は「牛玉の祈願」「勧請縄 の祈願」. 紙を使うことによって発芽促進と鳥害防除の効果が得. る。 温床紙を除いた後は籾上一寸 ほど水をためた。 こ. る。 温床 紙とは、苗 代を覆う油紙のことである。 温床. れがまた鳥 除けになったのであるが、それでも雀 がつ. - 44 -.

(5) 文学・芸術・文化. 3巻3号. 1992. 3. 水口祭り ④ 奈良巾鹿野園町. ① 長野県下仙Jilli恨南i.i楼村. ⑤ 奈良臥夭理,(i上に典. ② 長野県下/JIJJII郡南位沿村. ⑥ 余良県天理r行1-.r典. ③ 奈良叶i白硲寺. - 45 -.

(6) 苗代の民俗 野本. 阿弥陀如来 •釈 迦如来 ・弘法大師 像で、 現在は公民館. このよ うにして作られた― 一本の札は、家々の籾蒔き. きの日に、一月七日の牛 玉法印を入りの水口に、 二月. の日まで神棚などの清 浄な所に保管され、苗代の籾蒔. 一月十一日 は結鎮 (ケイチン)と称し、一三 戸で会. 一日 の 札 を出 の水 口 の畦 に 立 て るの が 本来 の 形で あ. に移されている。. 食し、「的座 」を行う。的射を行うのである。 この日も. る。ところが、 現在は略式になり、いずれかの水口の. 五ペ ージ写 真⑤ ⑥)。お のお のの札の脇 にはツッジ ・. 両脇の畦に、 門状 に 二本立てる形が多くなった (四十. 山吹など季 節花も立てる。さらに、人水Dの牛 玉札の. げ、橙の枝を添えて 縛った「花カヅラ」と呼ばれる呪 物を作り、 併せて、洗米 と、五ミリ平 方ほどの白紙の. もとに 「ヤッコメ」(焼米 )を供える。ヤッコ メは、モ. 六 人の 宮 本が 中 心 とな り、 五、 六 本の新 邸を折 り曲. を各 戸に分ける。. 切 り紙をまぜて白紙に包んだものを用意し、この両方. チ種の玄米 を焼米 にしたもので、 一 升枡に一合ほど入. 一月 十一日、ケイチンに作られた花カズラは、田植. 二月 一日にも六 人衆が集まり、もう一種類の仏札を. の植 そそめの日、植 そそめの田に挿した。一月十一日. れて供える。この日、子供 達は田をまわって焼米 をも. の場 合 と同 様 に ウ ルシの 木 に 挟 んで 各戸 に配 る。 但. にいただいた洗米 と切 り紙は、蕗の葉に盛って畦に供. らって歩いた。. し、両者 の ウルシの木には― つ のちがいがある。 一月. 作る。 それは、半紙に、一切 文字を書かずにベニガラ. 七日に作る棒は、一切 枝の出張を残してお いてはいけ. え る。切 り 紙 は稲 の花 だ と伝 え て いる。 なお 、 こ の. で五個の宝珠印を捺したもので、これを先の牛 玉法印. な いし、できることなら枝のないものを選ぶ。これは. 作って畦に立てる。その御 幣の白紙は必ず栗の枝には. 日 、洗米 と切 り紙を包んであった白紙を使 って御 幣を. さむことになっていた。 この御 幣の根もとに洗米 を供. 大根・牛 努などを象徴するので、 直なるを好むと伝 え るべくたくさんの枝が出ているのを良しとした。 それ. 。 四 十五年 生まれ). えたのである ( 奈良県天理市上仁興・穴田繁光 •明治. ている。一方、 二月一日に作る棒は、その根方に、な. して予 祝するのだという。. は、稲 ·麦 などの穂がたくさん出ることを象徴的に示. - 46 -.

(7) 3. 「タ ナドリイバチ」と称して仏壇に供える。他に、シ. る。この日 から、ソージ (物忌み)のため家では一切. ③種 取り 、 即ち苗代へ の籾蒔きは次のよ うにして始めら. の物 音 をたて な い。 三味 線 はもとよ り 、 薪割 り も謹. 味 噌 あ え を供え 、 線 香 をあげて 自 分の祝 詞 をとな え. いう、 径二 尺、高さ二 尺ほどの、 梨で編んだ容器の底. む。 音を立てるよ うなことは事前にすませ ておくので. オ・干ダコ ・ツノマタ(海 藻)とパンスー(野 菜)の. にクワズ芋の業 を敷き、その上に籾を入れ、上にもク. れる。 まず、籾を三 晩四日水にひたし、その間水を換. ワズイモの葉 をかける。こうして、蔵の片 隅の暖 いと. ある。. える。 四日目の朝 、ミザ ル(タラグとも呼ばれる)と. ころにコモを敷き、その上にミザ ルを置き、さらにコ. 二 日目は、午前中苗代を見、 午後三時ごろから、 一同. 代田に苗を育てる). シルネ ウリ. ケラママイ. ウイ カイ ヤ ワカハムイ. ヽーヨー(車 / +↑. ヽ/ー ヨ(苗. ケラママイ(囃. ハーヨー(稲 の種を. が各 戸をまわりながら 「イ ニガタニ」を歌う。. モで蔽 う。こうしておいて、砂 浜に、二財 四方 、深さ. イニガタニ(稲が種). 一認ほどの穴 を掘り、穴 の中で邸を焼く。このよ うに. して、 穴を暖ためておいて、穴の底 にコモを敷く。こ. イドバホベ. 蒔きつけますよ). ヘイ ニガタニ イキディソーヨ. ケラママイ. ルに移してコモの上 に置き、ザ ルの上にもコ モをかぶ. せ て、そ の上に砂 をかぶせ る。これ を 「タ ネピカ ス」. し詞). ハーヨ. のよ うな準備ができたところで、 種籾を四\ 五個 のザ. (種を発 芽させ る) と呼ぶ。 「ドーワレ」 と称 して タ ネ. ケラママイ. アモサバ. ハー ヨ タニョーリダネ. か)と 種 に 向 かって挨 拶 し て から 籾の状 態 を た し か. イドバホベ. ヌシヌミヂ. ヘナシロダネ. め、籾が割 れて五ミリから 一セン チ 白い根が出たころ. ヘカンヌミヂ. が割 れ るこ ろ あ い に 、 「タネ ビ キ ン ナー」(芽 を出 し た. 掘り出して苗 代に蒔く。そして、水の加減を見てから. イドバホベ. 水引きしてゆあみさせ れば). ヘシタカイヤ. の水. 家に帰ると、 膳の上 にスグリワラを扇状に敷き、真. 家に怖る。 中に高い盛り飯、 四隅 に小さな盛り飯を置き、これを. - 47 -. 1992. 3巻3号 文学・芸術・文化.

(8) 野本 苗代の民俗. ナリオラバ(丈が適. 下からは白根が生え上からは若 葉が生え) ( ナリフドゥヌ. イドバホベ ケラママイ へタキフドゥヌ ケラママイ. 当になり 成長の程がよく 成長したならば) イドバホベ. 種田から持ってゆき). ヘナシロダカラ ト リナシ タニョリダカラムチャ. ユキ(苗代田からとって. イドバホベ ケラママイ. ケラママイ. の一切 の願い こ の果報を願っている). ヘウノネガイ コノカーフドゥ ネ ガイヨル(苗代で イドバホベ. ④ 「タネ オトシ」は旧 暦十月のミズノ エイヌ・ミズノ ト. 日目に行 った。タネ オトシの 四日前の日に籾入りの袋. イヌまたはウマの日に行 った。田植はそれから六十一. を水につけ、 二晩つ けておき、一 ―一日目に出して土に埋. めた。穴を掘り、カヤを敷いて籾を置き、カヤをかぶ. せ、水をかけてから土 をかけた。こ うしておい て 四日. 目の朝 ひき出して苗代に蒔いた。種の準備は男がこれ. に当った。籾蒔きをしてから田の畦に神酒をあげ、次. ナイハ ウロヒマキ. ナースターヌカンハ マム. ウートウト キューヌユカルヒ ナンザピガ タ ナン ド. のような願い口 を唱 えた。. ルデ. リタボッタリ ニカカラ スーニンハシタン ゲ ウロ シ. ミ. アラシメタボッタレ マヤノ ケ インノケ. ウー オマス. ナーマス ムツ ナーハ ト ゥ. ナーバハムッ アッシミタボーリ イ. 午前中苗代に、ネ ズミ•鳥などの害があるか否かを見. ルンディ. ビ ウレヤ. ウインゲヤ. にゆき、「マイミキの アユー」を歌いな がらまわる。一. =― 日目には 「マイミキのアユー」 -. 二日 方、隣組全 Pの種おろしが終って、種おろしから一. ニ. 下に 生やさせて下さい。上の方は長い葉を出させて下. タネ ドリで、苗を. 四日目には苗代を見てまわりながら 「ユングト」( ヨゴ. くさ んとらせて下さ い。猫の毛. さい。植 える時は大きい田、長い田 に……取る時はた. 今日のよき日銀の日. ウート ゥ ト. 目に 四辻にあるヒジ リ(地蔵)に酒とイバチ一箸 を供. おろす苗代の田の神はお守り下さい。今晩から白根を. (尊い神様. ニン ガ イ ユ ー. え、 アダンバのゴザを敷いて座り、 祝詞をあげる。こ. アラ シメ タ ボー リ. れを 「三日ヤマチ」と呼ぶ。 ト)を歌 っ(沖縄 県八重山郡 西表 島祖納 •松 山忠夫 ・. 犬の毛のようにでか 大正 五年生まれ) 。. - 48 -.

(9) 3. 浜島 ・大嵩秀雄• 明治三十 八年 生まれ) 。. して下さい。願います。尊い神様 )( 沖縄 県八重山郡 小. れを、「種籾 囲い」の 四本柱の上の板にゴザ を敷いての. おのおのの俵に入れ て 二箇 所をしっかりと縛った。そ. いは高さ一 ・三認 の高床 で、 四本の柱は高さ約 八 0セ. せ 、それを投うように屋根を作った。青谷家の種籾囲. ンチの 杭で 、平面の 一辺は 四0センチほどである。さ. 中に袋 に入れた種籾を入れ 、五日ほどつ けておく。そ. れをあげて 、穴を掘り 、穴の中に二i三日埋めて熱を. ようにして杉の葉をくくりつ けてあることである。こ. らに注 目すべきは、 四本の柱の上部 に薬先が下を向く. バキ ナカワ ー 」(湧き水 )の ⑤冬至の前後のミズの日に 「. 「ヒ ーガン」(火の神 )のもとで種おろしの願い口 を 唱. れは鼠除けである。種モミを鼠害から守るには様々な. 持 た す。 種 お ろ し の 日 、鴨 追い な ど を す る田 小屋 の 二つ 石である。願い える。 火の神は、鍋などをかける一. る。こうしておくと、籾が湿らないので芽生えがよく. 性 の あ る 杉 の 葉 に よ っ て 鼠 を 除 ける こ と に な っ て い. く ふうがなさ れてきたのだが 、ここでは、高床と突刺. なるという。当地には士 Pに― つの割 で種池が あり 、. ウートート ゥ キ ュ ーヌキツニ ツ ナ タニ マカバ. 口は次の通りである。. アラ. た。籾つ けに際しては、種池仲間全員そろって池に神. マ ヤガキ ーニ. ウイカイヤ バカ バウ. 「寒水 酒を 入れ、それから籾袋 を池につけた。 以前は 、. 籾つ け が 近づ くと 種 池 仲 間 全員 が出 て 池 の 掃 除 を し. ウート ート ゥ(尊い神様 今日の吉日に種を蒔いた. インヌキ. シチ ャカイヤ シ ルニ バウイ イダシタボーリ. な ら ば、下には白い根が 生え 、上には若芽が生えるよ. シタボーリ. イ. 猫の毛のようにビッシリと. うになった(滋賀県高島郡今津町 伊井•青谷善一 •明. 「寒づ けがよい」と伝 え 、十五 につけると一代 腐ら ぬ 」 日 間つ けたが、後に、新 暦の三月十二日から つ けるよ. うにして下さい。犬の毛. ( 沖縄 県八重 山郡 西表 島古見・仲間セツ・昭和三年生. 出 させて下さい。尊い神様 ). 治 三 十八 年生まれ) 。. て杉の青葉を挿し、高 いところに吊 っておいた。 杉葉. ⑦種籾は、五 、六 升入りの邸製の ビクに入れて固 く縛っ. 。 まれ) り 、二反歩 六升人り 、他に五 升入りなどを品種ごとに. ⑥種籾 保 存 用 の 俵を 「福 俵」と 称 し た。 一 反 歩三 升入. - 49 -. 1992. 3巻3 号 文 学 · 芸術・ 文化.

(10) た種籾は、昔は川 に、後 に桶 に十日間ほ どつ けた。水. ⑨種籾を俵 に保存 し、ネ ズミ除け に杉の葉を添えておい. につ けた後 に風呂のしまい 湯 に二日間ほ どつ けた。籾. は 鼠 除 けで あ る。 籾 蒔き に先立 って 、籾 を 布 袋 に入. り出 し、邸を敷き、そこ にのせ てさら に邸をかけた。. ヨゴ )を立て、その 前 に、蕗の葉 に、老荷•黒大豆 ・. 蒔きの日、 苗代の水口 にシデをつ けたカザリ シバ ( ソ. れ、水 を張 った桶 に一 週間つ けた。 一週た ってからと. 苗代 に蒔いたのであ るが、苗代は雀 と 競 がひ どく荒ら. 、め で た や 蕗 冥加 ) 苓荷 ( 炒 り 米 を 盛 って 供 え た。「. これを 「籾を寝か す」という。 二日ほ ど寝かしてから ホ ー ホ ー」と叫びながら手 した。 苗代の鳥追いは、「. 。 野増男 •明治三 十九年生まれ ). ( 富貴 )繁 昌という ( 岡山県真庭 郡八束村下長 田・岸. 大 正二年生ま れ ) 。. をたたいた ( 福井県今 立郡池 田町水海 • 田中うめの・. た。 種池のことは 「野井戸」とも呼び、芽 が出 るまで. り、 苗 代 前 にカマ ス や 俵 に人れ た 籾 を そ の 池 につ け. 「種池 」を 持 って お. 整えた。種籾の保存 には、第 1図のよう に、一 升徳 利. ⑩ 二、 三 軒 単位 で 二訳 四方ほ どの. の底 に穴をあけたもの に綱を通して止め、さら に徳 利. 夜の アサッテ 蒔き」とい って、明後 日が八十八 夜に当. つ るした。 籾は、蒔 く前 に二日間水 につ けた。 「八 十八. にひろ げてから 「タ ナガクシ」( 八 苗代 に蒔く )した。「. 一週間つ ける。 最後の日 には 風 呂 につ け、 翌日ムシ ロ. ラ シ袋 に入れた種籾を潰 ける。 二日に一度水をかえて. ⑪卵が浮 くほ どの塩水を作り、ツノ桶 に人れ、そ こ にサ. 岩宮 ・岩 谷 武• 昭和六年 生まれ ) 。. 。 •森 田周次郎・明治 四十三年生ま れ ). ⑫苗代は 四 尺幅のタンザク にした。 当地 には 「 八十八 夜. 。 生ま れ ). た ( 京都府船井郡日吉町 田原 •竹 林八重野・大正六 年. 十八夜の アサッテ マキ」と称して八十八夜を基準とし. るという日 に苗代 に蒔いた ( 京 都府船井郡園部 町竹 井. 第1図 徳利 に よ る 鼠除け. - 50 -. ⑧種籾は、稔りのよいところの、穂の先だけをしごいて. の俵を吊る形をと った。この種籾俵は土間の天上から. 漬 けた。種池という屋号の家もあ った ( 兵庫県三木市. 野本. の口 が下 になるよう にしてその下 に種籾を入れた小型. 苗代の民俗.

(11) 干しをすると、スズメ・カラスなどの害鳥がつきやす. を引いて芽干しをしないと酸素 不足になり、実が上に. ある。 ― ―一日 干しとは 「 芽干し」のことで、播種後、水. 目 に八十八 夜になる日を籾 蒔きの日にせよというので. で三日 干し Lという口承がある。 籾を蒔いてから一 _一日. 代田の水口 に立てた。さらに、その側に楢か茶の木の. にオニノメカズラ ( ヒカゲノカズラ)を巻きつけて苗. ( 石 社)と称して、拳 一―つ縦に董ねたくら いの河原石. ⑭苗代の籾蒔きの日、オサバイ様を祭る 「イ シヤシ ロ」. とに洗米 を供えた ( 山崎清 •明治 四十 四年 生まれ) 。. 籾蒔きの日に水口の畦に老荷の茎と 榊を立て 、そのも. 枝を立てた (高知県幡多郡 大正町 下津井• 森壽臣・大. 出 て 根がタコ アシになって苗 が弱くなるのである。 芽 いので、鳥害を恐れて 夜干しをしたことがある。 八十. ⑮籾蒔きの日 、苗代の水口の畦に、ヒカゲノカズラを径. 正 三年 生まれ)。. 三日おいてまた干すという方法をとった。 種 モミおろ. ― ― 1 0セン チ 程 の 円形に して 置き 、 そ の 真中 に 桐を 立. 八 夜に干し、 二、 三日おいてまた干し、さらに、 二、 しの日、正月 に配られた、氏神である蟹井神社の札を. 和村戸川中・芝りえ• 明治四十年 生まれ) 。. て、さらに、榊の 周囲に籾を撒いた (高知県幡多郡十. (大 阪 府 河内 長 野市 天 見 ・ 甲 田一 郎 ・ 大正 五 年 生ま. 樫の 木 に は さ み、 霧 島 ツッ ジ と と も に 水 口 に 立て る. 盛ってのせた。さらに、その前に神酒を供え、「五穀 豊. に 開い て 立 て、上 部の交 点に、 小豆 飯を ツ ヤ の葉 に. ほどの木の枝三 本の上部 をくくり、その根 元を 三脚状. の日に、水口の畦で次のようにしていた。長さ 尺五寸. ⑬昭和初年田 原の 井本吉太郎という人は、苗代の籾蒔き. 枝にはさんだものをいただく。苗 代の籾蒔きの時、こ. ⑰ 四月 一_ +―日に高鉾神社で御 田祭りを行い、御札を杉. ( 奈良市秋篠•大川喜久治 •明治 三十九年 生まれ)。. ラ ド な ど の 色花 を 苗 代 の 水 口 に 立て 、 洗 米を 供 え た. 日 、一月十一日に行った御 田祭の松苗と、ツッジ ・ヒ. おいたモミガラの中に入れた。 苗 代に籾おろしをする. ⑯種籾は木綿の袋 に入れて風呂水に入れ、後に、土間に. 穣、馬の 尾ほどしげれしげれ」と唱えてから小豆飯を. る ( 奈良県吉野郡吉 野町山 口• 森 口たま ゑ •明治 四十. の杉枝と、 霧島ツッジ ・山吹の花を苗代の水口に立て. れ) 。. 原・ 尾鷲俊 二 •明治 四十 年 生まれ ) 。 同 町上 田原で は. 食べ、神洒をいただいた ( 和歌山県東牟婁郡 古座町 田. - 51 -. 3. 3 巻 3 号 1992. 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(12) 苗代の民俗 野本. 年 生まれ)。 ⑱杉の枝に角餅をしばり、 菜の花 ・椿 を立て 、さら に大. にこれを立てるのである。この他 、水 口に椿•笹• 梅. などを立てる家もある(奈良県の天理 市中畑 • 巽金次. 。 郎• 明治 四 十四年 生まれ). ⑲十一月 稲刈りをしてから一 週間干して モミス リをし 、. (奈良 県吉野郡大淀町 陽原出 身•上 坂美代子 ・昭和 四. 代田に立て、こんな大きな穂ができるよ うにと祈った. 豆粥を食べ、家族全員の薄箸を束ねてとっておき、苗. ⑪一月十五日、穂 つきの 、大きい薄(萱)を箸にして小. モミガラをとる。種籾と、モミガラをまぜて 一斗入り. 。 住• 今 西鹿蔵·大正十一年 生まれ ). 神神社の札を立てハ ゼゴメを供えた(奈良 県天 理市福. の俵に入れて網の中に入れて保存 した。 五月 十日の種. 。 年 生まれ). あげておき、苗代の籾蒔きの日に苗 代に立て、痺の穂. ⑫一月十五日に小豆 粥を食べた薄の箸を家族全員神棚に. おろしの前に一 云一日 問水桶 に つけた。苗 代の籾蒔きの日 には、苗 代田の畦に当麻山口 神社御 田祭のお札を立て. のよ うに大きな穂が稔るよ うにと祈った(奈 良県吉彫. た。ま た 、御田の際に 分与される杉の菓も立てた(奈 良県北葛城郡当麻町 当麻)。. 神たる春日神社・八坂神社に供えておく。水口 札は、. 苗」と呼ばれる作りものを作って 大晦日の 夕刻から氏. 水口に椿• ウツ ゲの花と、正月 配られた氏 神様の印札. に 二日埋めてから籾蒔きをした。籾蒔きの日 、苗代の. ⑳種籾を木綿袋に人れて一晩 風呂水に潰けた後 、穴 の中. 郡 吉野町 山口•鶴井ま つゑ• 明治 四 十一年 生まれ)。. 径一 、五セン チ 、長 さ二 0センチ 程の漆の木の先に牛. を竹 に は さん で 立 て た ( 奈 良 県 宇 陀 郡 大 宇 陀町 野. ⑳八人 衆と呼ばれる 神役が 、十 二月 下旬に水口 札と 「松. 玉宝印札をはさんだものである。 牛玉札は、中央に 、. ⑳苗代の整備には ナラシ棒を使 った。 ナラシ棒は長 さ 四. 依) 。. 印」を 配している。松苗は 、長 さ―1 0センチほどの松. 尺の檜で八 尺の柄が ついていた。芽干しは 計五 日ほど. 宝 春 日 神 社 ・八 坂神 社 を 並べ 、右 に 「牛 玉」 左 に 「 の枝に稲穂をそえ、松 カサを二個枝の根もとに固定 さ. 畦に 、三月卜六 日の 御 田祭の時に作った松 苗 (男松 と. した。籾 蒔きの Hに は、苗代の水 の出 口の 「みと」の. せ たもの で あ る(写貞⑰)。 各 家庭ではそ の牛 工札 と 松 苗とを受けて帰って神棚へ 祭っておき 、苗代の 水 n. - 52 -.

(13) 3. を 二本立て、 山吹の花も立てる。 カ ユカキ 棒の前には. ⑮ 苗代 の こ と を 「ナ エマ」 と い う。 ナ エマ を 作 った 日. 嚇きの ある 「牛 玉宝印」の 版木も伝えられている。. 大正 十四年 生ま れ ) 。 なお 、 当地に は、天 保 一 ―一年 の裏. 米」( ハザ シゴメ )を供え た(奈良市北村 町・中井幣・. 併せて椿·サッキも 挿し た。さらにその根もとに 「花. 梱に、 和紙に包 んだ籾を添えて縛 ったもの)を立て、. 中巨靡郡 昭和町では、かゆかき棒を田の神と呼び、田. で、 早稲がよ いとか晩稲がよいとかいう ふうに占う。. とが広く行われた。かゆかき棒に善い た米粒の数 など. き、かゆかき棒でかきまわして農作物の占いをするこ. を 禁 じ た。 甲府 市 周 辺で は、 十 一 日 各 家 で か ゆ を 炊. ツノキの箸を用い、かゆが熱くても吹いて食べるこ と. ( 焼米 )を 供え た。十 五日のかゆを食べるときには カ. おき、本i m代を作り終え たときに水 口に 立て、ヤコ メ. の水口に突き差しておく(土橋里木 ・大森義憲 『 日本. に、水口に、正月 十五日に作 ったカツノキの粥かき棒 ヤコ メ ( 焼米 )を 供 え る。 こ の 日 、 ム ラ の 子 供 達 が. 。 の民俗 19 山梨』第一法規). ⑱籾蒔きの 日、苗 代田の真中に、苗がよ く芽ぶき、根づ. 家々をまわ ってヤコ メをもら った。大豆を炒 ったもの をモチゴメにまぜて ふかし、握り飯にしたものも子供 ⑳一月 十四日 、 カツノキ(ヌルデ)で粥かき棒を作り、. をこ う呼ぶ )を立て た。粥かき棒はマ ユ玉の柳の根の. 作 った小豆 粥の粥かき棒と、 田の神の札(西宮戎の札. さらに、苗代田の水口に、一月 十五日、鳥追いの時に. くように長さ一 尺はどの柳の枝を一 ――本並べて挿し た。. 籾 蒔きの 日にそれを 二本並べて苗代の水 nに 立て、 ア. 太いところを使 ったもので、 径― 一、五セ ンチ 、長さ 三. 達に与えた( 山梨県北巨摩郡敷島町上福 沢) 。. 八代 郡六郷町岩間 ・有野幸七•大正 十― 一年 生まれ) 。. 0セ ンチ程 で、半分の皮をむいてある。皮を むい た方. ヤメ などを飾 ってヤコ メ(焼米)を供 え た(山梨県西 ⑰ 甲府市 上阿原町では、一月十 五日にかゆを炊いて、そ. かき棒は、 小 正月に粥をかきまわした後神棚に供えて. に割りを人れてあり、そこに餅をはさ んで 立て る。粥. お い たものである。苗 代田の 真中に挿し た柳は、苗 取. ルくらいの カツ ノキの棒でかきまわす。後でこの棒に 籾 殻を つ けて 、そ の 付 着 具合に よ って 当 年の 豊 凶 を. りのころには芽も根も出 ている( 長野県北安曇郡池田. の 中にだ んごや鏡餅の一部を入れ、三 0セ ンチ メー ト. 占 った。こ の 二本の棒は大黒柱にくくりつけて飾 って. - 53 -. 1 992. 3巻3 号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(14) 苗代の民俗 野本. た。なお、こ の 日、女衆は髪を洗ってはいけないと伝. 挿 し、 洗 米を 供え、 こ れ を 「鳥 の 口 を 祭 る」 と 称 し. えた。この日髪を洗うと籾が流れると伝 えた ( 静 岡県. 町中島•平林芳男 ·昭和三年 生まれ)。. した。種籾をカマスか俵に入れて川か池につけた。こ l. ⑳白馬岳の残雪が 「種ま き爺さ」になると苗 代の準備を つ か. 引 佐 郡 引 佐 町 伊平 • 野 末 要 七 • 明 治 四 十 二年 生 ま. いけ は. の地には 「池 二十 日 という言葉があり、かつては 二. れ)。. ⑳籾を水 にひやかして、芽が出始めると苗 代に蒔いた。. 与 えた。籾蒔きした 日は風 呂 へ入っても洗濯をしても. まわると家々では、「鳥の口 」と称 して子供達に焼米 を. て焼米 を 供えた。子 供達が袋を持って焼米をもらいに. ⑭苗代に籾蒔きをした 日、水 口の畦にツッジ の枝を挿し. 十日間漬 けたが後に七日に減った ( 長野県南安 最郡穂. その時点で残りの籾を炒り、 臼で揺いて焼米 とし、苗. 高町柏原食平•中島 正美・大正元年生まれ)。. 静 岡県藤 代の水口 に供え、農 業 以外 の親戚に配 った ( 枝市中藪旧• 福井辰蔵•明治三 十 四年 生まれ)。 ⑪籾蒔きを終えると、苗代 田の水 口畦にイボタの木の枝. りの時、タンザクの途中を切 断する形に取るのはよく. と、籾が苗代から 唸って飛び出ると言い、籾が唸って. いけない。 この日、洗 濯をしたり風 呂 へ入ったりする. 一本立て、残った籾を炒って臼ではたき、イボタの を― ― 一•明治 三十 根に撒いた (静岡県藤枝 市高柳•佐貫種―. な いとした。また、「 三 日苗 はよ くな い。」と した。三. の根もとに焼米 を供えた。 焼米 には種籾の残りを使 っ. ⑫籾蒔きの 日、苗代田の水 口にカマッカの枝を立て、そ. ⑮苗代の籾蒔きの日、水口 の畦に榊の枝 二本を立て、そ. も伝えた (同寺 野•伊藤信次 ·大正八年 生まれ)。. る。 ナ エデワラの輪の中に苗を植えると不幸があると. 日苗 とは、苗 取りをしてから三日目 に植 をることであ. 飛び出たらタライを伏せるとよ いと言い伝 えた。苗取. 二年生 まれ)。. ければ 出代 用をこ ね る ぞ。」と 叫 んで 焼米 を もら って. の間に稲籾を供えた。これを 「鳥の口 」と称し、「鳥の. た。 釜で炒って 臼でついた。子供達は、「焼米 をくれな 歩いた ( 静 岡県藤枝市忠兵衛•仲田要作・明治三 十三. ロを祭ら に ゃ雀が喰う」などと話した ( 同 富幕•奥村. 米 子・大正 十三年生まれ)。. 年 生まれ)。 ⑬苗代に籾蒔きをした日、水口 の畦に樫または椎の枝を. - 54 -.

(15) 3. ⑯苗代に 籾蒔きをした日、水口の畦にツッジ の枝を挿し. 足を田に入れて片足を畦において田を植えるな。 ナ エ. は次の禁忌がある。水口 をまたいで田を植えるな。片. る薬師宝印札)を立て、その脇に米を供える。 当地に. ジワラの中に苗を植えると死人が出る。妊婦の夫が水. た。この日は洗 濯をしても風呂へ 入ってもいけないと ⑰苗代籾蒔きの日に水口の畦に楠の枝とツッジ の枝を挿. 工• 明治三十 八年 生まれ) 。. ロを切ると三ッ ロの子が生まれる( 同川名・山下サダ. 伝 えた(同 大城•鈴木敏治・大正十年 生まれ) 。. てはいけないと伝 えた( 同渋 川・小出 けさ の•明治三. ⑫苗代の籾蒔きの 日に水口にツッジ を立て 、 アセボ( ア. 場・鈴木朝次郎・大正 五年 生まれ) 。. ⑪苗代の籾蒔きの時テ アゼにツッジ の花を挿した(同的. 二年 生まれ) 。. そのもとに焼米 を供えた(同 古東土•鈴木 善市・大正. ⑩苗代の籾蒔きのとき 、水口の畦に楢の枝を 二本立て、. し、白米 を紙に盛って供えた。この日、 風呂をわかし. 十七年 生ま れ ) 。 チ 前後の榊の枝の鍬型と、種籾と社前の砂 を紙に包ん. ⑱ 元旦に行われる六所神社の新年祭の折 、長さ 十五セン. おの 田を三 鍬起こし、その真中 に姻の穂を立てる。そ. だものをいただいてくる。 各家庭では一月 二日 、おの の 根方右に榊の鍬型を置き、薄の前に砂 を撒き、その. •明治 二十七年 生まれ) 。. シビ)の芽を煎じて苗 代に撒いた(同的場 ・太田清 一. ⑬―一月十三日に氏 神六 所神社にて、 榊の枝を使 って長さ. が、こ れは、明らかに、実際の苗 代田籾蒔きの予 祝儀 礼で あ る。 な お、 当 地に は、 籾 蒔 き の 前 夜髪 を 結 う. ( 山桔 )の皮でしばり、 戸数 分だけ作る。 小字の総代. 十 五センチ程 の鍬型 を作る。 ― 一本一 組にしてヤマカズ. 上に種籾を 蒔く。これを 「 鳥の口 」と称するのである. あげの日 に 風呂へ 入ると大水が出 るとしてこの 日風 呂. が戸数 分だ け受け取って各戸に 分ける。これを 「実入. な、 翌日髪の油がついて籾が浮くと伝 え、また、植え へ 入ることを避けた( 同谷沢• 野沢忠良・大正五年 生. 実入れの模造鍬• 一 月三日の、おくないの 牛 玉宝印札. れ」と称する。苗代の籾蒔きの 日、 苗代 田の 水 IJ に、. ⑳苗代の籾蒔きの日、苗 代田の水口の畦に福満寺 薬師堂. を柳の枝にはさ んだもの•さらに、 椎または樫の枝を. 。 まれ) の仏 札( オコ ナイ 芸能の田遊びに使われた鍬を構成す. - 55 -. 1 992. 3巻3号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(16) 野本 苗代の民俗. 静岡県天 竜市懐 蒔くとトボライの飯になるといっ た (. 剃っても、髪をといても、洗濯を してもいけないと伝. 立て 、 焼米 を 供 え て 祭 っ た。 籾 を 蒔い た H には 髭を. 尺ほ ど の 板 に 約 一 二間 ほ ど の 竹 の 柄 を つ け た 「 ナラ シ. 苗床 をならさなけれ はならない。 幅 三寸 五分、長さ 一 ― ­. の耕起 は一 二回しな ければならなか っ た。 耕起が終ると. いので足に小便をかけて暖 め たこ ともあっ た。 苗 代田. 板」で 、畦 に立 っ た状態 で 田の 中 をな ら し たの で あ. え た。 ま た、籾蒔きは卯の日、仏 滅を嫌い、こ の 日に 山・大石太 一•明治 四 十三年生まれ)。. 方法だった。 こう した作業 方法で あるため 、 苗代田は. 二間 に八間といっ た細長いもので あっ た。 短冊型の 苗. る。籾蒔きは、畦から、 少しずつ 、何 回も蒔くという. ることが大切 だ。苗 代 田の 水 温を あげるため に、カマ. 代ならば、 遊水部 分があるのだが、バラ蒔き式の苗 代. た。 昼は浅水、 夜は深 水にして苗 をコ ワく ( 強く)す. ミズ タ チの半分、例え ば一反なら 五畝分を 「 ヌルミ」「. の― つ に蛙の害が あっ た。 蛙が苗代田に入ると、籾 ・. ⑭苗代は毎年 四 月十七、八日 から 二 十日までの間に作っ. ミズダマシ」と称 して遊水田にし、水に、 直接太 メ」「 陽光線 を当て、その水を苗代にまわすように し た。そ. 幼苗をかきまわ して しまうこと になる。 蛙が入れば安. れを獲りに入ると、 水温を乱すとして 叱ら れた。霜•. は、 蛙は 稲 作 の 敵 と な っ た。 蛙捕 り は、 夜、 灯 を つ. 定 し た芽 生え、 根 生え は と う て い 望め な い。 こ こ で. には遊水部 分がないのでいくつかの支障が 生じた。 そ. の ヌルミ にドジョ ーや タニシがいるので、子供達がそ 雪など に対 しては深 水にして防衛した( 静岡県御 殿場. ャ ッメ ウ ナギ 漁の カ ギを使 う 方 法と で 行 っ た。 そ の. け、棒の先 に縫い針をつ けたもので蛙を刺す方法と、. ⑮当地の苗代 は昭 和 二十六年まで、 七、八坪のカマ チ全. 他、ザ 田代には鴨がつい た。 鴨もま た、苗 代を甚だしく. 市萩原 .勝又富 江 •明治 四十 年生まれ)。 体 に籾をばら蒔きにするという方法だった。 籾は、田. 荒ら した。 鴨除けには、 綱 に、二 尺間隔ほどに 「カモ. 張り渡 した。カラスよ けには、カラスを吊っ た竹を 立. ワン 」と呼ばれる木製の 碗を吊る したものを苗代田に. て た。 五 月五日、設の先にヨモ ギモ チをつ けたもの を. 専用の田 を用い、苗代田には田植をせず、堆 肥を入れ. て 休め て お い た。 畦 畔に 雪が ある う ちに 素 足で 田 に. の中 に入って蒔かず、畦 畔に立って 蒔いた。苗 代には. 耕起するこ と)なければならず 、冷 た 入ってケマさ (. - 56 -.

(17) 3. を良くするためだと伝えた。また、 苗代の水 口には杉. 苗代の水口に立てた。ヨモギモチを使うのは、 稲の色. 内し、御 馳走をさ しあげる。この 地では、田の神様は. 菓で説明する。まず風 呂 へ御 案内し、続いて座敷に案. るのだが、 田の神様は目が 見えないので、いちいち言. の 上が肩衣をつけて 田から田の神様を迎えて案内をす. ( 1). ある( 秋田県由利郡鳥海町 牛 越•佐藤隆男 •昭和一 _一年. の葉を置いた。ゴミが苗代に入らぬよ うにするためで. 籾俵によって象 徴され、こうして種籾は、 翌年の 二月. 一人だと伝え、 御膳も一人前用意した。田の神様は種. 九日まで慎しみ深く守ら れる。 二月九日は田の神様が. 生まれ ) 。 に、 ス ズ 竹 に 十 五 セン チ 四方の 紙 を つ けた 小 旗 を 立. ⑯ 苗 代 田に 籾 蒔き をし て、 身が 出 ると 、 苗 代 133 の水 口. 田に降りなさる日なので、鍬で田を一 二鍬ほど耕す。. ②惣右衛門組. ③孫 兵衛組. ④孫四郎組.の 四組に. た 。白米町は、戦前は 二十 四戸で、それが、 山六軒町. 種 籾 潰 けは 四月 の十日で、 俵 の ま ま 約 二 週間漬 け. て、 桃の枝を挿した 。さらに、そ の近くに 焼き 米を供 えた(福島県磐城市前野土橋•宇 佐見光規•昭和元年. 。 生まれ ). 組. 池から上げると、「 芽出 し」と称して、籾 俵のまま 陽当. 分かれており、一組ごとに共同 の種池を持っていた。. 邸をかけ、そ こに湯をかけてから重石をのせた 。籾の. 俵をまわして位置の調整をし、 上にム シロをかけてお. りのよいとこ ろ へ出し、日照 を均等にするために毎 口. 水に漬 けた稲籾を袋に入れ、 敷繋の上にのせてさらに. ⑰苗代 づくりは雪をかき分け、 雪を消してから行った。. 西村 山郡西川町大井沢出 身 •富樫音弥•明治三十六 年. 「カタを割 るまで」といって、 芽が籾ガラを破る い た。. 芽が一センチほどになってから苗代に蒔いた( 山形県. 。 生まれ ). に入れて品種名の札をつけた。十 二月五日、まず床ノ. す べてに籾を蒔く形で、畝島は作らなかった。苗代づ. 田の中で 広い田を 選んで使ったが、 一カマチ( 一枚 ). 昭和 二十年 代までは水苗代だった。苗代田は、 千枚. ければならないと伝 えた。期間は約一 週間だった。. までこうしておいた 。しかも、籾が乾かぬ程度 にしな. 間にカラの一俵ダワラを敷き、その上に、籾入りの俵. 例 えば、 愛国・十和田・万倍などは品種 ごと に一斗俵. ⑱ 秋、収穫後、精種の種籾は五 升俵に、その他の 品種、. を積み、田の神様を祭る ア エノコ トの準備をした。家. ― · 57. 1 992. 3巻3号 文学 · 芸術 ・ 文化.

(18) 苗代の民俗 野本. 播りおろしたものを流しこんでガット除けにした。土. しておくのであるが、そのソヨの中に、ト コロの根を. しよ うとする時、ソヨにト コロを入れておくと苗 代に. 「手 板 」と 呼 ば れ る板 を 使 っ. 近づかないというのである。また、ト コロを入れてお. く り ・苗 代 ナ ラ シに は. あ った。 こ の 板 を 持 って 苗 代 の 中 を 後 ず さ り し な が. くと卵もかえらないという。その他、苗 代田には烏が. 手 に ひそ んでいたガットがソヨか ら苗代に入り、産卵. ら、 泥中に向か って真直に突き刺したり、 泥の表 面を. 五 ミリ程 の 杉 の 板 で 、上 部 二箇 所 に 握 り 穴 が あ けて. 撫でたりした。こうして苗 代を整えても、す ぐに籾蒔. 「タンボダメ」( タニ シ)をとりに来た。烏除けには黒. た。手 板は、縦 二十センチ、横一 訳五十センチ、 厚さ. きをすることなく、苗代を 「一 晩寝かす」と称して次. 時には、 年寄りが苗代の番をし、畦で縄 ないな どをし. なが ら雀追い をした。また、鳥類のオド シに 「 アプラ. い糸を張り、雀除けには苗 代に水を張 った。芽干しの. バン コ」( 石油 罐)の鳴子をつるしたりもした (石川県. の日まで放置しておいて か ら籾 蒔きをした。代づくり ない苗代の場 合、籾蒔きにく ふうが必要である。蒔き. 輪島市白米 町・ 旦 暴幸作・大正 十 四年 生まれ)。. 直後に蒔くと籾がも ぐ ってしまうのだという。畝島の. ど って歩きながら籾 を蒔く、 足場 は 二十センチ\ 二十. ニ・ 苗 代をめぐ る民俗 の諸相. 幅 は 四尺だ か ら、 四 尺間隔に 縄 を 張り、そ の 縄 を た 五センチ幅とり、ここだけは籾を蒔かない。発芽後、 稗な どをぬく時にもここを 足場 にする。 早い人 は、「土. 用の入り蒔き 」と言 って土用入りに蒔いたが、 四月 末. だ った 。夜、松 明をつけて竹 串を持 って苗 代にゆき、. 産 卵の ため に 苗 代 田 を 荒 らし た。 ガッ ト は 苗 代 の 敵. ガット」と言う。 ガットが この 地では蛙のことを 「. て整えた種籾は、小型の俵に入れて保管さ れることが多. んで、痛まないよ うに処 理してきたのであ った。こうし. 穀機が普及した後も コバ シで扱いたりして、良い種を選. まず、稔りのよい穂 を選び、穂先だけをしごいたり、 脱. 農民は種籾の確保に心を砕いた。事例②や ⑧のように. 1・種籾の選定 と保管. 蛙を手つかみにして串にイ モザ シにした。また、苗代. か ら五 月 初めに蒔く家が多か った。. 田の上手 寄りの土手 下に 「ソヨ」と呼ばれる小溝を 通. - 58 -.

(19) さ れ る こ と も あ っ た。 種 籾 囲 い の 形 状 は、 ま さ し く. かっ たのであるが、事例 ⑥のような 「種籾 囲い」に保管. と穂 倉の 聖性を強めることにも なっ たはずである。 八重. なら ないとい う共同体の不文律があり、そのことが一 段. て、い かなることがあっても種おろしの日まで 開いては. 種 籾 倉」 と し 同 管理 で あ り、そ の 中 の 一 っは 「穂 倉」「. 穂 倉や種籾囲いの他に、種籾俵を屋内の正座に据えた. 「穂 倉」と共通するものである。. 「祠」の 祖型 であり、「ほこら」の語源が「穂 倉」であっ. のである。「稲. たことを実感 させてくれる。 古くは、 翌年の種籾にすべ. の 座」 「種 の. 山地方に見ら れた「種ジラ」も、 本土の「種籾 囲い」や. .... き稲を、穂の まま 保 管する倉が あり 、それが穂 倉だ っ た. ”. 座」はそのま. 後者 は長崎県対馬、豆 骰の赤米神事である。豆 酸では、. 型 は奥能 登地方で広く行われてい た アエノ コトであり、. り、天 井から 吊って祭ったりする事例 もある。 前者の典. 関 しては、床 ノ間に祭られた種籾俵がそのまま種池に漬. 稲霊の ま、「. けら れ、苗 になってゆ く様を、事例⑱ に示し た通りで あ. 座」として聖. 神の座へ と転. る。これらの事例 を見ると、種籾が、冬の期間、 俵の中. 四斗俵に入れら れ た赤米 の俵が頭屋に受け継がれて、頭. 用さ れてきた. 屋の天井に吊るさ れ慎重に守り祭られる。 アエノ コトに. のである。 登. に籠っていて、その間に稲霊の充実が図ら れるといった. 視さ れ、それ. 呂遺跡の住居. 信仰的理 解も首肯できる。 俵も 本質的には穂倉 II 祠と 同. m収穫↓②種籾の 籠り ↓③種籾の楔ぎ(種潰 け) ↓ ④種. じ機能 を持つと見てよかろう。奥能 登の アエノ コトは、 い ない。この. 長) といった、稲種 II 稲 霊の厳粛なドラマが農家におい. 籾再度 の籠り(腿や コモかけ) ↓⑤稲霊の再生(苗の生. の数 と穀 倉の. く、穀 倉が 共. 数 は一致して. がやがて、諸. \忍六ふ · 、 ⑦ ア エ ノ コ ト の種籾俵 ー 石川 県鳳至郡柳田村小間生 • 田 中登家 ―. こ と は、 古. - 59 -. 3. 3 巻 3 号 1992 文学・芸術 · 文化.

(20) て展 開さ れ、継 承てきた事例として、苗 代とのかかわり. 仰論理 以前 に、 母屋の中で、人のいるところで鼠から種. 合の、種籾へ の類感、暗い納 戸への種籾の籠りという信. られよう。納 戸 に種籾を保管するという例 も、夫婦の交. 籾 を 守 ると い う 側 面 が あ っ た こ と も 考 え ら れ る。 同 様. は別 に論じる。. に、 ア エノコトの種籾俵も母屋の正座で鼠害から守られ. でも極めて重要な事例なのであるが、その詳細 について. 石塚尊俊氏 によ れば、種籾が農家の納 戸 に保管されて. たこと にな る。人の生命保持 にかかわる種籾は何よりも. まず、鼠害から守られなければならなかったのである。. ( 2). も、 種 籾は 慎重 に保管さ れ、 時 に祭ら な け れ ばな ら な. いた事例 もあるという。右 に見たいずれの場 合 において. かったと考 えられる。このよう に貴重な種籾の最大の敵. 鼠除け にムロの木や杉葉が多用さ れること につ いては. 事例 ⑥の種籾囲いの高床 も、杉の菓も鼠除けのためのも. 既 に述べたことがあるし、ここでも事例 ⑥⑦⑨など に示. のであった。. 対応 を象 徴している。事例②や 事例⑦⑧は種籾を、鼠害. した通りである。その他、御田•田遊び等 において杉の. は鼠の害であ った。高床 式穀 倉の高床 自体が鼠除けなの. 至郡 柳田村では、 ア エノコ ト に、種籾の一斗俵を二\ 三. から守るため に天 井から 吊るしたものである。石川県鳳. 種の種籾俵を、 囲炉裏のある部 屋の天井から吊って鼠害. 、そ れ 以外の 品 写 真⑦ ) 箇 祭る場 合 が多いのであるが (. 水海 鵜甘神社の 田遊び でも杉の葉を苗 として使うのであ. いては早苗 として杉の薬を用いる。福 井県今立郡池田 町. 葉を使 う事例 がある。愛知県豊JI 市財賀寺 の田遊び にお. るが、米 に並べて供えられる杉の葉はいか にも鼠除けの. を避ける場 合があったという。この例も、事例⑧の場合 と同 様 天 井か ら 種 籾 俵 を 吊 る す と い う 点 で 一 致 し て い. 社の御 田では、 早苗としては松葉を使 うのであるが、そ. れ と は 別 に、 当日 杉 の 葉 枝 が 三方 に盛 ら れて 供え ら れ. 印象 が強い。また、奈良 県北葛城郡 当麻町 、当 麻山口神. る。氏 子達はその杉の葉をいただいて帰り、苗代の籾 蒔. る。してみると、対 馬豆 酸の天井から吊り下げられた赤. て、 信仰的 に天 井か ら 吊ら れ た と 考 え ら れ るの で あ る. きの日 に杉の葉を苗代 に立てる。これは、 明らか に鳥 ·. 米 の 俵 は 、 確 か に、 不浄を 避 け、 脆 拝 を 受 け る 座と し. に天井から 吊るという 習俗の影密を受けているとも考え. が、その基 層 にある、重要な種籾俵を鼠害から守るため. - 60 -. である か、その鼠返しの板が弥生時代 にお ける鼠害への. 野本. ( 3). 苗代の民俗.

(21) 強い。 田の神の依り代としては別に松苗が存在するから. 鼠など、 苗代に害を与えるものを防除する呪物 の印象 が. ら によ っても、 積籾を 「 寝か す」、「床に 入れる」と い っ. ら等 敷積立、 上へ 筵俵等か け 置候を 床と い ふ〉 」 Iこ れ. ヨリ種子を出し、ぬ るみ湯をか け、 元 ノ如く俵へ 入、わ. た意識が強かったことがわかる。. である。. り、穴に埋めたりする方法がかなり広く行われていたと. こ うした事例 から察すると、かつては、種籾を寝かした. 事例 ⑳では、 八重山同 様 穴を掘って土に埋めている。. 種籾の発芽を促進さ せるために籾を水に潰 けるのは一. 2•稲種の楔ぎと籠り 般的な方法であった。このことについて注 目すべき習俗. 寝かし、 籠らせることによ って内在する力を発現・増大. こ うし た発芽促進技術 には、まず、種籾を水に潰 け、. 考える ことができる。. ③では砂浜の砂に、④と⑤ は土に埋めている。さらに、. や本土の一部で行われた種籾を埋める習俗がある。事例. さ せ る と い っ た 、 信 仰 心 意 を 醸 成 す る 要素 が あ り 、 ま. がいくつかあるのだが、その ―つに、 沖縄 県八重 山地方. ③では、 砂浜の穴に埋める前に籾 を認の容 器に入れ、ク. 「水 潰 け」 ↓ ると い っ た 事 実 の 投 影 も 窺 え る。 種 籾の、. た、 逆に、 ち ょうど人が睡眠をとるこ とによ って再生す. とられている。本土においても、⑦⑰などは邸の中に寝. 籠 籠り」 ↓ 「再生 」と い う循環が、人の 「楔ぎ」 ↓ 「 「. ワズイ モの葉やコ モを使 って 倉の隅に置くとい う方法 が かしており、⑦では 「籾を寝かす」と い う言菓を使って. れ」といった 信仰 原理 に 影響を与え 、また、人の 営みが. 晴 「涙 ぎ 」↓ 「籠 り」 ↓ 「 り」 ↓ 「再 生」、 な い し は、. 耕作噺』の中 津軽の農業技術 を記録した中村喜時の 『. 籠 種籾の扱いに逆照 射さ れてきた ことは否定 できまい。「. いる。. 方を 囲ひ種を寝せ、上を邸 や筵にて風の通さ ぬ様に掛置. に、種籾を水漬けした後の処置として、「丸き 肥面にて 四. り 」による 「 再生」 増殖 」は、わが 国における重 要な 信 「 仰原理であ る。この骨太い信仰原理 は、 単一の要 因によ. 候得者、 自然と 萌 立つ。」とある。 また、『北越新 発 田領. 合し、長 い時間をかけ て熟成されて き たものであっ た。. り、 短期 間に生成されたものではない。様々な要因が複. (4). 農 業 年中行事』には、水潰け後の処置として次の 記述が (5). ある。「 俵共干候 ハ日数三日、夫 ヨリ 床 二入 卜申 〈俵之内. - 61 -. 3 3 巻 3 号 1 992. 文学・芸術・文化.

(22) 苗代の民俗 野本. ―つは、 熊の冬ごもりとその期間中の子産みであり、そ. その ―つは、稲 作以前の匂いをまとう、 里芋 の、種芋の. が注目さ れる。. 関 連 して、事例⑬で、稲穂 を 「馬の 尾」に 喩えているの. で喩える常套表 現があ ったことがわかる。なお、これに. 唱して 巡 回↓⑥苗代 諸害の 点 見 ・「 マ イ ミキの ア ユー」. ナドリ イバチ ↓④ソ ー ジ↓ 固苗 見 ・「 イニ ガタ ニ 」を歌. ③の場 合は、 m種籾に対する挨 拶↓②蒔きつけ ↓③夕. 穴ごめ と 翌年の増殖再生及び、その観察であ った。いま. の他、蛇の穴ごもりと脱皮、蚕の蚕眠と成長、繭ごもり 再生 」の前に、 籠り」と 一 「 日本人のもつ信仰 原理は 、. 歌 唱 •三 日ヤマ チ ↓⑦苗 見·「ユン グト」 歌 唱、と 苗代. と再生などを挙げる ことができる。 「骰 ぎ」を 条 件 と す る。そ の 点 で、 稲 作 に お い. (a). の ぬ るま 湯に 漬 け ると い う方 法 が 流 行 した の だ が、「 種. 籾の水潰 けは広く行われた習俗で 、後にはしまい風 呂. さらに. l. 再生 」という時 ↓ 「籠り」 ↓ 「. に関 する儀 礼が実に 丁寧でゆきとどいている。. ある。そこには、「朕 ぎ. て、種籾を水に漬けるという扱いは特に注目さ れるので 間的展 開と 骨格の 一貫性があるからだ。. が村落共同 体の単位として有効に機能し ていた様 子がよ. 池」 が伝統的な方法の ―つだと言える。事例②⑥) ⑱ は種. くわかり、 「寒潰け」も注目される。本来 は、若水なども. 池にかかわる民俗をよく 示している。 ⑥では「池 仲間」. 豊穣を予祝 するのであるが、このことについては既に述. 種漬けとかかわりを持 っていたはずである。事例⑩にも. 八璽山では、柾籾蒔 きのことを「タネドリ」と 称し、. べたことがある。 八里 山地方ではその他、「種おろしの願. タネ ドリイ バチ」という裔盛飯を作 って稲の この 日に 「. い D」を 唱 える 習慣があ ったことは事例 ④⑤で 述べた 通. 池仲間が見え、種池の重要性を語 っている。静岡県の大. ( 6). 「種とりの神願. ( b). りである。この他、例 えば石 垣鳥平得の. 敷」または 「三角屋敷」と 呼ばれる、 洪水対 策を目的と. 「舟型 屋. 井 川下 流 域 は 散 居村で 、 そ の中に 、 か つ て は. とのように栄えさせてください. イヌの毛のようであら. い」の中には、「根下りがよく 盛 りか美しく ススキも. 分かれ 川」と呼ばれる側湖がめ ぐらさ 屋敷の外周には 「. し て紬先を川の上流に向けた屋敷が見られた。その舟型 ( 7). せてください ネ コの毛のようであらせてください 」と 「 「 猫の毛」 犬の毛 」 には苗の芽と根の 族生状態の 願望を 、. れており、 舟屋の裏側に、 分かれ川から 水を引いた小型. い った表現がある。これら を並べてみると、 八軍 1地方. - 62 -.

(23) 3. 「タ ナイ ド 」と呼んだのであるが、これは、種籾を漬 け. の 池 が 作ら れ るの が 一般的 であ っ た。 その 池 の こ と を. は、「種ノ紛レヌ ヤウニ、籾の 名 卜我名 ト ヲ札 二書キ テ中. たし、 それに種袋 を吊るというのである。また、同書に. けるのではなく、効率的な水深を保 っために池に棒を渡. ル 位ニ シ テ木. ヘ水 二寸許ノ. 渡シ テ種ノ上. 郎 ・作 次 郎 と 呼 ばれ る 二人の 役が演 技 を す る の で あ る. した種籾漬 けの習俗がみごとに芸能 化さ れている。作 太. え」 「種漬 け 」「種あげ」というものがあり、 「種池」を核と. 京 都府船井郡 日吉町 田原、多治 神社で毎年五月 一 一 ―日に 「種 改 め」 御 田」 が 行 わ れ る。 その演 目 の 中 に、 「 「池 浚. 通性が見ら れる。. へ一 枚外ニ― 枚サス ベシ」とあり、小論の事例②との共. る 「種井戸」だったのである。 8) (. 現石 川県加 賀市の農事を記録した 鹿野小 四郎の 『 農事. 二釣下 テ ヲク. か、 その概略を『京都の 田遊び 調査報告書』では次のよ. 二漬ル ハ木 ヲ. 也。埋ムモ釣. うに記している。. 七、八 日、歳. ドモ、或 ハ十. 池廿 日トイ ヘ. ル心得 ナリ。. りして種がなかったりしたらい けん、念のため見とこ. @ 毎年 大事に して ま と め てい る けど 、 ねずみが い ら た. ® そんなら御 苦労さんになりまひ ょか。. して中を改める。これを池浚えの後にや る場合もあ る。. ^種改め >籾種揃えとも称し、 小さな種俵を 二つ 持ち出. ^池浚え >両人鍬を取って中央に出て池の中をすっかり. 二依 テ十 四五 ケ …· :」||. きれいにする態にて、. うかな。 池潰 けにおい. ®なんとよ う埋まってまっせ 。. 日ニ モ 是 ヲ掲. ( 9). モトカク温ム. 遺書』には、池潰 けについて次のよ うな記述がある。「池. ⑧. 種籾潰 け ー 京都府船井郡 日 吉町田原 ・ 多 治神社御田 一. て も、単に潰. - 63 -. 1 992. 3巻3 号 文学 ・ 芸術・文化.

(24) 苗代の民俗 野本. ^種あ げ >一度元の 座に 戻り、再び俵をあげに 行き元 の. 以下略. @すっかり埋りました。. 座に 戻る。. ® ょう埋りました。 ®すっかりよう埋っとります。. ®十日ほどになります。. も は や つ けて か ら 、七. @池 づけ七日やら 十日やら言 いますさかいな。. 日か十日ほ ど になりますな。. ). @ ま あ 、は やい も ん で (ハ イ. ®そうですなあ。. ® ぽち ぼちまた、苗代の準備をさしてもらわんと、. 種ぐらいつかりまっし ゃろ。. @ こ れ だ けさ ら っ と い た ら 、こ れだ けさ ら っ と い たら. ^種漬け >籾俵を池の中に入れる態(写 真⑧ )にて中央. 以下略. @いつ か、深うなったさ かい、これでつかりますわい。 に 二つ並べておく。 で け. い。そ れは、その演 技が現実の農作業に根 ざし 、体験を. 種 籾 俵 と い う 小 道具 を 使 っ た演 技 も 科 白 も お も し ろ. 重とうおすな。. ®去 年 は 良 い 穂が出 来 て 、そ うと う実 が 良 か っ たで 、. @ 種もたっ ぷりとってありますなあ。. うおすわ。. ® な か な か 沢山と っ と い た んで は あ り ま す けど 、重 と. の 「種潰 け 」に用 い ら れ る 種 籾 俵は 、事 例 ⑥に 見 え る. に根ざしたものであったかを物語っている。 田原の 御 田. ており、同時に、 田遊び や御 田の演 技演 目がいかに 現実. は、種 池の習俗がごく一般的なものであったことを語っ. 驚くほ ど 先に 示 し た 事 例 ⑥ と 一 致 して い る 。こ の 一 致. ふま えたものだからである 。田原の御 田の演 技展 開は 、. @ほんなら 、ま 、このままでつけといたら 。. @よう実が入っとるさ かい。. ®そうしますか。 @重とうおすわい。. 旧 志太郡下一 円では 、家 屋新築の建前の日 、種籾 用の 福. いるのもかなり一般的な傾向であり、例え ば、静岡県の. 「福俵」である。種籾の保存にこのような小型 の 俵を用. ®こり ゃせ 、もう年寄は …. 俵に餅を入れて棟に上 り 、その餅を撒いた。また、その. @重 たい。. @ ざぶざぶざぶざぶ ざぶ …. - 64 -.

(25) 3. 紹介した多治神社のある田原地区では同様の籾の状態 を. ここにも、種池の習俗が詳細に折 り込まれて いる。右. 「ハトムネ」と称している。ハトムネとは芽が一ミ リほ. ような福俵を玄関 に吊って招福の呪物とした。秋 田県北. 田原の 御田の会 話の中に 「池漬け十日」「池漬け七日 」. ど出た状 態 で、ここでは、水潰 けの籾がハトムネになる. の 詞章 の中の 「燕口」は、籾が割 れて芽生えが始まった. といった言 葉が見えるが、こ れは、 田原地区 に伝 承さ れ. ころ水から出し、ムシ ロの上に広げて籾が手に付着しな. 秋田郡 阿仁町打当では一斗 入りの俵に種籾を 保管し、鼠. る池漬けのD誦である。先 に引いた 『 農 事遺書』と、小. 状態の 比喩表 現なのだが、こ れが な んとも美しい。先に. 論 資 料⑳ は と もに 「 池 二十 日」 と い う口 誦を 伝 え て い. くなるまでそっと蔭干しにする。そうして籾 蒔きに移る. 除けとしてそれに杉の葉をか ぶせ た。. る。 地方により、時代により池潰 けの技術 に若 干の 差異. 「水口申」の詞章 の中にも 「種池」が登場する。. 静 岡県 志 太 郡大井川町藤守 、 大 井 八幡神 社田遊び の 、. ものだという。. 福 井 県 福井 市 国 山、 八 王子 神 社 の ナリハイ に も 「種. が見ら れる。 潰」がある。 新井恒 易氏 の整理 した詞章 の「種を漬るう. に 光り を や わ ら けま し ま す 大井 八幡、 御 てて んわ う. 「日 本東遠江の 国、 榛原郡 初倉の庄、藤守がう (郷). いぬやらをもしろや れ いぬやら をもしろや れ いぬ. ( 牛 頭 天 王) 、 二所 権 現の、御 みとをそ ろ へ、き りき. た 之事」 におよそ次 のように記さ れている。. やら をもしろや れ なるわいの男の子が よよひ ひ. ね ( 黄 金) の 御 ま す (御 枡) を 申 お ろし、 か い はか. りきっと押ひらき、御内なる御 た ねを申おろし 、小か. ひら い. 稲を千束. 万束斗 だき出し. ぞ んろり. 蔵の戸を披て ここでらできの. ( 計)ってハつい ( つゆ)ゆ す ふり 、ついはかってハ. ぞとこいて. ばかり. の よい 時 斗 取り出 し. には 女俵ゑも 打入 男 俵 へも打人 三 所ち ゃうど. ひやさ だめ、いぬいのすみ (戌亥の隅)成ほうそうか. ぞんぶりそうと打いれ. 池 をハ、種 池と な す け (名づけ)、 取ひて 申。 つばめ. かひゆす ふり、千 石万石はかりあて申、一 二所ゆひにゆ. 種池をさわて ( さら ゑて ). 取上て 見たれは 燕口 にも. 口 なり候 ヘバ . . . 」 . . .. 戌の亥の元 成. 廿日斗 ひさかし (浸し). 福の種をまこよう. 祝て (結 って) 立なわをかいかけ. 成たりや まこよまこよ. - 65 -. 1992. 3巻3号 文学・芸術 ・文化.

(26) 野本 苗代の民俗. 国山 ・八王子神社の. 先に引いた福 井市. 青い も の の 浸し物 を添へ ると い ふ(『郷 土』一ノ三 、九. 上げたり、家内中で食 べたりする。その時のお菜は何か. 右の事例の中で注目す べきは、二 例とも、種籾漬 け、. 0頁) 。 越後 魚 沼郡中深 見村では、 種籾 をおろすのは四. または種おろしの日に粥を煮て祝うという点である。こ. 事例 と類似している. 頭 天皇・ ニ 所権現の. れは、粥によって、種籾の潤 化に類感 を与え、苗 代 田の. 月 二十七 八日頃で、その日には『す ぢ洗ひの粥』といっ. 御 戸を押開き、御内. 湿潤を象 徴させてそれを祝うという呪術 になっていると. て、白粥を煮て 祝 ふ。 」. なる御 種を申しおろ. 考 えてよ かろう。なお、「青いもの」は、苗 の青を促進さ. ことがわか る。詞章. :」という箇 所 · し :·. せる 予祝呪術 である。. - 66 -. 中の、大 井八幡 ·牛. は、 美 化表 現ともと 「宮 種」を後 戸的な. 苗代には、短 冊型 の畝島を作ってそこに籾を蒔く形式. 本殿の背後から 取り. 出す様 を叙したものとも解釈 できて注 目される。その籾. と 畝島 を 作ら ず に カ マ チ 全 体に 籾 を 蒔く形式 と が あ っ. 平均に発芽させ、揃った苗を育てるには苗代の苗床 づく. 種を 種池 に 漬 けるに 際 して は、 小型 の 俵に 入 れ、 固く. りが基本であり、苗 床を平らに整えなければならなかっ. た。事例 ①や ⑫に見ら れる 「芽干し 」という技術 を生か. なお、武 田久吉氏は 「種潰け」について次の事例を示. た。苗床 を平らにするためには「 ナラシ棒」と呼ばれる. すには言うまでもなく前者の方が合理 的である。 種籾を. している。「長 野県南安 公郡では 諏訪明神は田の神様だか. 縛っていたこともわかる。福 井の 「つばくろ口 」が ここ. らとて、その社の祭日の 四月十五日に行う。そしてその. 竹 が使われた。写 真⑨は、奈 良市古市町 の苗 代で実際に. ) (12. 日には 「たな ふたげえ 」といって 、お粥を炊いて神様に. では 「 つ ばめ 口」となっている。. 3•苗代なら しと芽千し. れるが、出 挙米的な. ⑨苗代で使われ る な ら し 棒 ー 奈良市古市 町 一.

(27) 使われている ナラシ棒である。また、事例① にも ナラシ. ち、 エブリかきとは異る苗代、苗床の ナラシであるこ と. 真⑩)。これらの田な らしが、植 田 一般の代ならし、 即. チ、長 さ 二財余の棒を持って田をならす所作を行う(写. は、 先 に引いた、奈良 市古市町のような現実の事例と照. 」 棒の使 用が語られている。こうした ナラシ棒が 「御 133. エブリならし」 という 「代ならし」あるい は 「 の御田 に、. 考察 によっても傍証さ れる。. 応 していること によって明確であるのだが、 次の事例と. の中 に登場する例 がある。奈良県桜井市三輪、大神神社. チ、長さ 二財余の真竹 を持って 田所をならす所作をする. 演 目があ り 、 烏帽子、白 衣• 白 袴 の 役男 が、 径 八セン. 奈良 県北葛城郡河合町 、 広瀬大社の御 田は、毎年 二月. - 67 -. ( 写真⑫)。 大 阪市 平 野区杭全神社 の 御 田植 祭 にも同 様. ⑫. 奈良県桜井市三輪 ・ 大神神社御 田祭. 3. ⑪. 奈良県北葛城郡河合町 ・ 広瀬大社 御田祭. 日の午前と午後 に行われる。午後は神庭で、いわゆ + ―-. ⑩. 大阪市平野区平野宮町 ・ 杭全神社 御 田 植祭. の演 目が あ る。 尉 面 を つ けた 「穂 長 の 尉 」が 径 八セン. 苗代な ら し. 1 992. 3巻3号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

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基準の電力は,原則として次のいずれかを基準として決定するも

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

⑥同じように︑私的契約の権利は︑市民の自由の少なざる ⑤ 

夫婦間のこれらの関係の破綻状態とに比例したかたちで分担額

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場