研究者としてのあり方を考えさせられる本 (特集
アジ研流読書案内 -- 研究者が薦める3冊)
著者
桑森 啓
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
199
ページ
11-12
発行年
2012-04
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003996
ここでは、途上国に直接関係す る本ではないが、私が現在の仕事 をするうえで影響を受けている本 を二冊ほど紹介したい。一冊はテ レビ番組を単行本化したもの、も う一冊はインタビューを﹁聞き書 き﹂ という方法でまとめたもので、 本としては幾分変則的かもしれな いが、その分誰でも容易に読むこ とができる。以下の紹介文は、紙 幅の制約もあり、私が印象に残っ た部分に焦点を当てているため 、 かなり一面的で偏った内容になっ ている。したがって、本の内容や 魅力が伝えられているかどうか甚 だ心許ないが、それはあくまでも 私の力不足であることを予めお断 りしておきたい。
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一〇〇年の難問はなぜ解けた
のか
天才数学者の光と影﹄
本書は、数学上の難問のひとつ とされていたポアンカレ予想が 、 二〇〇二∼〇三年にかけてロシア の数学者グレゴリー・ペレルマン ︵本書では﹁ペレリマン﹂と表記︶ によって解決されるまでの過程を 紹介した本である ⑴ 。ポアンカレ 予想とは、フランスの数学者アン リ・ポアンカレが一九〇四年に提 起した命題であり ⑵ 、宇宙の形状 の解明にも繋がる重要な問題であ るとして、多くの数学者が証明を 試みたが、約一〇〇年間にわたり 解決されてこなかった︵春日[二 〇〇八二︱五] ︶。難問が証明さ れたことと同時に、解決したペレ ルマンによる受賞や賞金の辞退と いった行動が話題となったため 、 知っている人も多いだろう。ポア ンカレ予想について解説した本は 数多く出版されているが︵たとえ ばオシア著 [二〇〇七] 、日本評 論社編 [ 二〇〇七] 、 中村 [二〇 〇四]など︶ 、本書はテレビの特 集番組の単行本化であるため、説 明が平易で視覚や直観に訴える部 分が多く、類書と比べても格段に 読 み や す い も の に な っ て い る 。 もっとも 、私のような門外漢に とっては、本書のような噛み砕い た説明を読んでもなお、ポアンカ レ予想が何を意味するのか、また それがどのような意義を持つのか について、正確なところは到底理 解できない。ただ、本書で描かれ るポアンカレ予想に挑戦してきた 多くの数学者の人生からは 、︵ あ りきたりの表現になるが︶困難な 問題に挑戦して真理を追究するこ との楽しさ、難問の解決にすべて を捧げても、翻弄された挙げ句に 解決することができず失意の人生 を送ることになるかもしれない恐 ろしさ、さらには、難問に取り組 む研究者の、時として命をすり減 らすほどの努力の凄まじさなど 、 研究という仕事の本質を窺い知る ことができる。もちろん、ペレル マンをはじめとする一部の数学者 の生活はあまりに人間離れしてい て、さまざまなしがらみや欲に囚 われて生活している私たち一般人 には到底真似のできるものではな い。しかし、毎年の予算の確保や 執行、成果の提出、その他諸々の 事務手続きといった現実的な問題 への対応に追われる結果、リスク のある野心的な研究テーマを敬遠 し、見通しの立てやすい︵期限内 に成果の見込める︶比較的安全な 研究テーマへと流れてしまいがち になる私のような小心者にとって は、本書は読み返すたびにそのよ うな態度を戒め、研究者として本 来あるべき姿を再認識させてくれ る。●
﹃木のいのち
・木のこころ
︿天・地・人﹀
﹄
本書は、法隆寺大工として法隆 寺の解体修理や薬師寺の伽藍再建 に携わった西岡常一棟梁と、そのアジ研流
読書案内
―研究者が薦める3冊
研究者
と
し
て
の
あり方
を
考え
さ
せ
ら
れ
る本
桑
森
啓
特 集11
アジ研ワールド・トレンド No.199 (2012. 4)弟子の小川三夫棟梁、そして小川 棟梁の弟子達に対して、作家の塩 野米松氏が行ったインタビューを まとめたものである。主として西 岡棟梁と小川棟梁が自らの宮大工 としての人生を振り返ることによ り構成されるその内容は、寺社建 築に際して宮大工の間で伝えられ てきた道具や建築技法に関する知 恵から、文化財の保存に対する考 え、徒弟制度に基づく弟子の育成 を通じた技術の継承まで多岐にわ たっている。経験が淡々と語られ ているだけではあるが、一〇年を 超える丹念な取材を通じてまとめ られた文章からは、時代の波に翻 弄されながらも、自然の木を活か して一〇〇〇年以上建ち続ける建 築物を維持・建立し、技術を伝承 するために職人達が苦悩・格闘す る姿が伝わってくる。また、本書 で語られている宮大工の技術・知 恵やそれらの維持 ・ 継承方法には、 私たちの生き方や仕事を行ううえ での示唆が含まれているものも少 なくない。そのなかで、特に私の 印象に残っているのは、多くの職 人を束ねる棟梁︵匠長︶のあり方 について述べた法隆寺大工に伝え られる一連の口伝である。口伝の 具体的な文言や意味などの詳細に ついては、本書の説明に譲らざる を得ないが︵一三七︱一四三ペー ジほか︶ 、そこでは 、棟梁には人 一倍の謙虚さと、先人や他の職人 達に対する敬意と配慮が必要であ ることが説かれている。寺社建築 においては、完成した建物に建立 に携わった宮大工の名前が残るこ とはまずない。もちろん、寺社の 建築はあくまでも施主が発 願 し、 宮大工は施主に雇われて建立を請 け負う者という立場はあるにせ よ、そもそも寺社の建築には多く の人の力や技術が必要であり、決 して棟梁一人の力で完成させるこ とはできないこと、そして直接に 建築に携わる人々だけでなく、過 去の先達の経験の蓄積の上に、今 日の技術が成り立っており、棟梁 など特定個人の功績に帰すること はできないからである 。もしも 、 棟梁が他の人々への配慮や敬意を 忘れ、自らの功を強調することに なれば、たちまち他の職人は棟梁 の功績作りのための単なる人足に 堕してしまうとともに、建築物に 反映されている先人が積み上げて きた技術や知恵もすべてその棟梁 一人が横取りすることになってし まう。 そのような棟梁のもとでは、 到底一〇〇〇年も建ち続ける堂塔 を完成させることは不可能であろ う。職人たちを束ねることができ なくなることはもとより、功名心 や利益に駆られるようになると 、 必ず﹁やっつけ仕事﹂を行うよう になるからだ。 研究においても、大規模かつ長 期間にわたる研究プロジェクトで は、 寺社の建築と同様、 多くの人々 の協力が必要となる。また、過去 に携わった人々の貢献︵機関同士 の協力関係の構築や試行錯誤の末 に確立してきた方法論︶に依存し ている場合も多く、必ずしも個人 の業績が明確にできるものばかり とは限らない。一方で、研究の世 界では、個人の業績︵責任︶が重 視されるため、研究者は得てして 自らの名前を残すことに躍起にな りがちである。しかし、国内外の 多くの機関や人々の協力なしには 成り立たないプロジェクト︵国際 比較統計の作成︶に、一介のメン バーとしてではあるが携わってい る私にとっては、仕事の成果が多 くの人に支えられて生み出される ものであることを忘れて功名心に 逸 ることを強く戒めている法隆寺 大工の口伝は、決して忘れてはな らない心がけであると思ってい る。 ︵くわもり ひろし/アジア経済研 究所 国際産業連関分析研究グルー プ[産業連関分析] ︶ ︽注︾ ⑴ ペレルマンは、二〇〇二∼〇三 年にかけてポアンカレ予想の証 明に関する三本の論文を発表 し、その後、約三年間かけて検 証作業が行われた︵春日[二〇 〇八一八二︱二〇二]参照︶ 。 ⑵ ポアンカレ予想は、具体的には ﹁単連結な三次元閉多様体は三 次元球面と同相である﹂と表現 される命題である︵春日[二〇 〇七四一] ︶。 ︽参考文献︾ ① 春日真人 [二〇〇八] ﹃ N HK スペシャル 一〇〇年の難問は なぜ解けたのか 天才数学者の 光と影﹄ NHK 出版。 ② ドナル ・ オシア著 [二〇〇七] ︵ 糸 川洋訳︶ ﹃ポアンカレ予想を解 いた数学者﹄日経 BP 社。 ③ 日本評論社編 [二〇〇七] ﹃数 学セミナー増刊 解決! ポア ンカレ予想﹄日本評論社。 ④ 中村享 [二〇〇四] ﹃数学二一 世紀の七大難問﹄講談社。 ⑤ 西岡常一・小川三夫・塩野米松 [二〇〇五] ﹃木のいのち・木の こころ︿天・地・人﹀ ﹄新潮社。