村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
太田鈴子
一 正しい仲間の結束 『色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年』 は、 二〇一三年四月一 五日に出版された。 扉には、 英語で ・C olo rle ssT su ku ruT az ak ia ndH is Ye ar so fP ilg rima ge ・ と表記され、 英 語圏での読者が想定されている。 海外での本書の翻訳出版は、二〇一三年、七月韓国、一〇月中国、二〇一 四年に入ると、アメリカ、ドイツ、イタリア、スペイン等での出版が続き、 多くの期待を集めた作品であったことがわかる。それは、二〇一一年六月 九日に、村上春樹がスペイン、バルセロナにおけるカタルーニャ国際賞授 賞の際に行なったスピーチの影響があったと思われる。そのスピーチは、 二〇一一年三月一一日の東日本大震災の原子力発電所崩壊と放射能被害に 言及している。原子力発電が経済効率を理由に進められ、広島や長崎での 原爆の犠牲者に対する責任が忘れられて、倫理や規範が損なわれた。今か ら力を合わせてその再生をはからなければならない。その大がかりな集合 作業には、言葉を専門とする我々、職業的作家たちが進んで関われる部分 があるはずで、生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上 げていかなくてはならない。それは、私たち全員が共有できる物語になる はずだと述べた。その後の新作が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡 礼の年』であり、 「新しい物語」の芽生えが期待されたのである。 その新作が問題にしたのは、共同体からの排除の問題であった。名古屋 を舞台とし、高校の同級生五人グループの一人、多崎つくるが、仲間から 排除される。仲間は、赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵理で、それぞ れアカ、アオ、シロ、クロと呼ばれていた。つくるは、一人だけ東京の大 学へ進学した。それは、鉄道の駅をつくりたいという夢の実現からであっ た。しかし他の四人は、自分のやりたいことより、名古屋に残り、仲間と いることを選んだのである。それを理由に排除されたのではなかった。つ くるは他の四人との違いを、名 前 に色が入っていないこと、自分には人間 として 特 色がないことに 見 て、この仲間に本 当 の 意味 で 必要 とされている のか ど うかを自問する。大学二年の 夏 、仲間から排除されたつくるは、三 年になって二年 下 の 灰 田 文昭 と 親 しく 交 流 した 以 外、 友 人を持たなかった。 三六 歳 でその仲間を思い出したのは、 初 めて 心 を ひ かれた二 歳 年上の 沙羅 が、つくるの高校 時代 のことを 聞 きたがったからだった。つくるには人と 親 密 にできない 何 かがあると 気づ いた 沙羅 が、その原 因 を高校の仲間にあ ると 考 え、その 解決 を、つくるとつきあう 条件 としたからである。 沙羅 は 学 苑第 八 九三 号 一 八~ 二七 ( 二〇一五 三 )心
から
誰
かを
求
められる
素
晴
しさ
四人の現在を調べてくれた。つくるは、沙羅を失いたくないために、かつ ての仲間に会い、排除された原因を知る。それは、つくるが、シロによっ てレイプ犯の汚名を着せられたからだった。仲間に再会してみれば、つく るは尊重され、女性たちはつくるに関心を持ち、クロは、つくるに恋をし ていた。 つくるは仲間から排除されてからの遍歴は「巡礼」と呼ばれて語られる。 内省的なつくるが、沙羅やクロによって救済されていくという方向へとす すんでいく。 この作品における排除は、一人の女性の が原因であった。排除は、集 団の中の異質な存在、あるいはよそ者に対して行なわれるが、つくるは、 えん罪によって異質な存在となった。仲間は、身近にいるシロに真偽をた ださず、遠方に去ったつくるに罪を着せることでバランスを保ち、共同体 を守った。つくる以外の四人にとって、真実はどうあれ、共同体の一員で あることが重要なのであった。村上春樹のバルセロナのスピーチに照らせ ば、原発論議においても、体制への思惑がひそんでいて、原発の真の是非 を問う姿勢は、ゆらぐ可能性がある。体制と争うより、大勢の一人である ことを望む方が、気分的には楽だといえるだろう。 この作品では、共同体を維持する暗黙のルールを問題にしていく。それ も、高校生五人が正しい仲間であるための暗黙のルールは、二人きりでつ きあうことの禁止。恋愛のタブーであった。つくるは、排除されて後も、 そのルールに縛られていた。 そしてそのタブーからの解放が、 「巡礼」 と して語られる。つくるの意識下には、そのタブーと関わる欲動が抑圧され て仕舞いこまれていたと語られるのである。つくるの日々の現実と共に、 このつくるの意識下の欲動を平行して語ろうとする、多層な語り手が存在 する。人間は、意識し選択決断しないで、意識下の欲動すなわち自我によ って行動することがある。シロが、つくるを排除させたのは、嫉妬であっ た。人間は意識下の自我にうながされて選択しているのだと語っているの ではないか。つくるの行動を左右している自我を語る語り手の存在が、透 けて見えるのである。 二 多層な語り手 「色彩を持たない」という表現は、 「わたしは色彩を持っていない」とい う自分の資質の表象である。 しかしまた、 「あの人には色彩がないのだ」 と、 第三者が、 「多崎」 という名字に色が入っていないことを指摘し、 な おかつ内面に持っているものをも暗示しようとしている、と解釈すること ができる。 「色彩を持たない多崎つくる」 という表現は、 多崎つくる自身 の認識、第三者の認識、いずれをも感じさせるのである。 題名が複数の認識を表現しているように、その後の語りもまた、語り手 が混在している。主人公の呼称は、固有名詞で「多崎つくる」 「つくる」 、 三人称で「彼」で、つくる自身が、過去の自分を客観的に語る時の呼称と なっており、高校時代から三十六歳の現在までのつくるの体験とつくるの 意識そして意識下から湧き上がる自我が語られている。すなわち、後年つ くる自身が客観的に記憶から自分を語ろうとする語り手と、つくるに 密 着 取材 する第三者の 眼 の語り手、そして、さらに内面の感 覚 、湧き上がる自 我をありのまま語る語り手である。たとえば 次 のような時、多層な語り手 の存在を感じる。 普段 意識することはないのだが、 つくるの身体にはひどく 繊細 な感 覚 を持
つ箇所がひとつある。 それは背中のどこかに存在している。 自 分では手の届 かない柔らかく微妙な部分で、 普段は何かに覆われ、 外からは見えないよう になっている。 しかしまったく予期していないときに、 ふ とした加減でその 箇所が露出し、 誰かの指先で押さえられる。 すると彼の内部で何かが作動を 始め、 特別な物質が体内に分泌される。 その物質は血液に混じり、 身体の隅々 にまで送り届けられる。 そこで生み出される刺激の感覚は、 肉 体的なもので あると同時に心象的なものでもある。 (p 18) つくる自身が意識していないところで起こる身体の感覚を語っている。 つくるは、意識することと、意識下に存在するものを感じ取っている。そ して、意識下から吹き出してきたような夢の体験を語る中で、十代のつく るが現れる。それは、記憶の底から蘇る情景を語るところから始まる。 その夜つくるは不思議な夢を見た。 激しい嫉妬に苛まれる夢だった。 そ れ ほど真に迫った夢を見たのは久しぶりのことだ。 (中略) しかしその夢の中で、 彼は一人の女性を何より強く求めていた。 そ れが誰 なのかは明らかにされていない。 彼女は存 、 在 、 でしかない。 そして彼女は肉体 と心を分離することができる。 (p 45 46) その夢は、すべてを求めるつくるに対して、どちらか半分を誰か別の男に 渡さなければならない、選択してほしいと彼女に言われ、怒りで身体を震 わせ、ぐっしょり汗をかいて目を覚ます。これが嫉妬だと直観した。その 痛みの感覚は、体験したものにしか描写できない、想像を超えたものであ る。 身体全体を誰かの大きな両手できりきりと絞り上げられるような激烈な痛み だった。 筋肉が裂け、 骨が悲鳴を上げた。 そこにはまた、 すべての細胞が干 上がってしまいそうな激しい乾きがあった。 怒 りが身体を震わせた。 (略) そ の怒りは濃密な液となって、 身 体の髄からどろりと搾り出された。 肺が一対 の狂ったふいごとなり、 心 臓はアクセルを床まで踏み込まれたエンジンのよ うに回転速度を上げた。 そ して昂ぶった暗い液体を身体の末端にまで送り届 けた。 (p 47) 多崎つくるという固有名詞で自らを語ることで、客観的な視点が加わり、 学生の時の感覚を整理した語り口になる。 「きりきりと絞り上げられるよ うな」 という比喩、 「骨が悲鳴を上げた」 といった擬人法などは、 説明の レトリック使用である。 「怒り」で心臓や肺が昂ぶり息苦しくなる、 「身体 の髄からどろりと搾り出され」る「濃密な液」と体にまとわりつく感覚を 表現する。そして目が覚めて後、タオルで体をどれだけ強くこすっても、 「そのぬめぬめとした感触はあとに残った」 (p 47) と語る。 臨場感があり、 怒りを爆発させた時の、自我を格 納 している肉体を 破壊 するかのようなエ ネ ル ギー を表現している。そこには、 経 験した時のつくるがいる。それを 冷静 に 他者 に 向 けて語ることも 忘 れた、ありのままの 状態 を語るのである。 一 方 で、 次 の表現は、つくる 以 外の 第三者 の語りだと思われる。 つくるはほどなく 深 い 眠 りに 落 ちていった。 その夜、いくつかの 奇 妙なことが起こった。 (p 96) 彼は心を 静 め、 目を 閉 じて 眠 りについた。 意識の 最 後 尾 の明かりが、 遠ざ かっていく 最終 の特 急列車 のように、 徐 々に スピ ー ド を 増 しながら 小 さくな り、 夜の 奥 に 吸 い込まれて 消 えた。 あ とには 白樺 の 木立 を 抜 ける 風 の 音 だけ が残った。 (p 370)
つくるが眠りにつくこの二つの場面は、しだいに意識がなくなり睡眠状態 に入っていく様子が語られ、 では、眠りが深まっていくつくるを、 で は、眠ってしまったつくるには聞くことのできない白樺の木立を抜ける風 の音を語っている。自由が丘のマンションで白樺の木立を抜ける風の音が 聞こえることは、現実的ではないと思われるのだが、つくるを観察する第 三者が、 眠りにつき意識のないつくるを見守っているときに、 「白樺の木 立を抜ける風の音だけが残った」と語る。第三者の耳に聞こえた風の音の 意味は何なのか。 さらに語りには、つくると、第三者と、両方の語りの可能性を見ること もできる。 夏のキャンプが終わったとき、 五人はそれぞれに 「自分は今、 正しい場所に いて、正しい仲間と結びついている」と感じた。自分は他の四人を必要とし、 同時に他の四人に必要とされている そういう調和の感覚があった。 (p 7 ) 「五人はそれぞれに」 という箇所は、 つくるを含め、 他の四人すべてが同 じことを感じていたと語っている。つくるには想像できても、確信は持て ないことで、 第三者の語り口である。 しかし 「自分は他の四人を必要とし、 」 必要とされているという「調和の感覚」は、五人それぞれが抱いていたと も読めるし、つくるがそう感じていたとも読める。つくるの内面を知りう ると同時に、つくるの周囲の人物の内面をのぞくことができる第三者の眼 を含んでいる語りである。 そして、 最後に沙羅の返事を待つ不安を 「おれ」 と言ってあらわにする。 明日、沙羅はおれではなく、あのもう一人の男を選ぶかもしれない。 (p 367) 自分を客観的に表現する余裕を失っている語りである。 第三者の眼による語り、過去を記憶によって語る客観的なつくるの語り、 そしてまさに、ありのままのつくるが叫び声をあげる語り、こうした多層 の語りは、直面する現実世界を生きるつくるを語るリアリズムの語りと、 その現実に向き合いながら意識下に存在してつくるの生を動かす自我を語 る語りを実現している。いまだ自我は、存在するともいえるし、幻想だと もいえる存在であるが、多層な語りによって、単に幻想的な妄想として非 現実的な物語だと言い得ないものを語り出すことが可能となっている。現 実にそのようなことは起こりうるという実感を、語りを聞く他者に与える ことを可能としている。 題名には、 「色彩を持たない多崎つくる」に続けて「と、彼の巡礼の年」 とある。 「彼の巡礼の年」とは、 「多崎つくるの巡礼の年」と考える。多崎 つくるが、 自身に色彩 (特色) がないことを自覚し、 巡礼をした年という 意味と考えるのである。なぜ「色彩を持たない多崎つくるの巡礼の年」と いわず、 「と、彼の巡礼の年」と改めていわなければならないのだろうか。 「と、 」はなぜ置かれているのであろうか。それは、 「巡礼の年」は、 「多崎 つくる」の行動を表現しているだけではなく、別の事象をも表現しようと しているからではある。本文中、最初に「巡礼の年」が出てくるのは次の 場面である。 「フランツ リス ト (注1) の『 ル マル デュ ペイ』 で す。 『巡礼の年』 という 曲集の第一年、スイスの巻に入っています」 「『ル マル デュ……』?」 「 L em ald up ay s フランス語です。 一 般的にはホームシックとかメラン
コリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、 『田園風景が人の 心に呼び起こす、理由のない哀しみ』 。正確に翻訳するのはむずかしい言葉で す」 (p 62) つくるは大学三年になって、早朝の大学のプールで知り合いになった二学 年下の灰田文昭が持って来たレコードから流れる曲が、高校時代の五人グ ループの一人、シロがよく弾いていた曲であることを思い出し、灰田に曲 名を聞いたのだ。灰田は、さらにリストのピアノ曲について「装飾の奥に 巧妙に隠されている」 「内側には独特の深みがこめられている」 「とくにこ の『巡礼の年』という曲集はそうです」という。つくるは、シロが、彼女 の家の居間に置かれたヤマハのグランドピアノでこの曲を演奏する姿を思 い出した。 「ル マル デュ ペイ」 の「冒頭に単音で弾かれるゆっくりとした印 象的なテーマ」がつくるの記憶にあった。午後の光が窓から差し込み、庭 の糸杉が影を落とす、カーテンが風に揺れる部屋。鍵盤の上に置かれた十 本の長く美しい指、ペダルを踏む二本の足の力強さ、黒い髪、釉薬が塗ら れた陶器のように白くつるりとしたふくらはぎのシロ。 「胸の奥にやるせ ない息苦しさを覚えた」つくるはピアノの音によって、意識の底に眠って いた状景がよみがえり、シロの美しさに魅了されている。糸杉は、ゴッホ 「糸杉と星の見える道」 でよく知られているが、 花言葉は死 哀悼 絶望 と、喪のイメージがある。シロの末期を知る第三者の眼がそれを暗示して いるようである。 第三者の眼は、シロの演奏とその姿態を思い出して息苦しさを覚えてい るつくると、その顔にときどき目をやる灰田を観察しつつ語る。灰田が、 つくるの「ル マル デュ ペイ」の曲に喚起されるシロの記憶をたどっ ていることを見抜いているかのような視線を、まるで通俗的な恋愛小説の 一場面の言葉のように、意識的に語る。 軽く目を閉じて音楽に耳を澄ましているうちに、 胸の奥にやるせない息苦 しさを覚えた。 小さな堅い 雲 の 塊 を知らないうちに 吸 い込 ん でしまったよう だった。 レコードのその曲が 終 わり、 次 の曲が 始 まっても、 つ くるはそのま ま 口 を閉 ざ し、 浮 かび上がる風景にただ心を 浸 していた。 灰田はそ ん なつく るの顔にときどき目をやった。 (p 65) す べ ての 末を知る第三者の眼の語り 手 は、やがてつくるが灰田との 夢 を 見ることの 布石 のように、 灰田の視線をあえて語っている。 「と、 彼の巡 礼の年」には、リストの曲が意識されている。リストの『巡礼の年』に 導 かれて、かつて 抑圧 していた 自我 を 解放 し、シロ へ の 欲動 に 酔 うつくるを 語っている。第三者の眼の語りには、意識下に 存在 するもの、 自我 に 導 か れるつくるを語りたい 欲 望がの ぞ いているのである。 三 つくるの「巡礼の年」とリストの『巡礼の年』と 『巡礼の年 』 ( 注2 ) は、 三 巻 と 補遺 、 全 二 六 曲からなり、 リストが年 月 をか け て 完成 させた 重要 な曲集である。 「第一年 スイス 」は、 『 巡礼の年 第 一年 スイス 』という タ イトルで一 八 五五年にシ ョ ット 社 ( 注3 ) から出 版 され た。またばらばらに出 版 されていた曲が一 八 五 八 年『第二年 イタ リア 』 として、やはりシ ョ ット 社 から出 版 された。 リストは曲の タ イトル 以外 に、 標題 として 詩 や文 章 を 載 せている。 野 本由 紀夫 (注4 ) の 解 説によると、リストが 考 えていた 標題 音楽 とは、 描写
音楽でも物語音楽でもなく 序文 であり、 標題 を直接音楽で表現し ようとしたのではなく、 音楽 の内容は 詩的観念 である。 『巡礼の年』 は 標題音学 である。 『第一年 スイス 』「 6 オーバーマンの谷」 と 「 8 ノスタルジア( 「ル マル デュ ペイ」 )」の 標題 には、セナンク ールの書簡体小説『オーバーマン』 (注5) が引用されている。 『色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年』 で は 「 ル マル デュ ベイ」に触れた箇所は、四カ所ある。 第一は、先にあげた灰田がつくるの部屋に持って来たレコードの一枚。 久しぶりにシロの演奏を思い出す。第二は、アオに再会した時である。プ レスリーではあったが、音楽を幸運の守りとしていることから、つくるは、 シロの弾く曲について聞いた。アオは覚えていなかった。第三は、アカに、 シロがよく弾いていた「ル マル デュ ペイ」を覚えているか聞く。ア カに問いかけたのは、アカが、シロの亡くなる一週間前にシロと食事をし、 シロはしこりとしてつくるのことを心に残していたようだったと話したか らだが、アカは、その特別な曲を覚えていなかった。その上、アカも生き てきた歳月の中で、真の自分を発見し、発見すればするほど自分を喪失し ていくことを告白した。つくるは「自分に正直になるしかない」と助言す るが、それは沙羅から「自分が見たいものを見るのではなく、見なくては ならないものを見る」のだと言われたことを、そのままアカに言ったにす ぎない。アカは、シロの弾くピアノを聞いていなかったし、つくるのこと も、シロのことも、まして自分自身をもよく見ていなかった。結局、アオ もアカも、シロに関心がなかったのである。 第四は、クロ、現在はエドヴァルトと結婚して、フィンランドに住むエ リ クロノ ハアタイネンと、ハメーンリンナのサマーハウスでこの曲を 聞いている。クロはシロを深く愛していたのであった。シロを深く理解し、 それでも支えきれなかったことを悔やみ、シロの名、柚木を娘の名前とし た。クロは、シロばかりではなく、つくるのことも理解し、若者を利用す るような仕事で成功し、友人を失っているアカのやさしさを理解していた。 クロと「ル マル デュ ペイ」から『第二年 イタリア』のペトラルカ のソネットまで聴いた時、 「自分がこれまでどれほど深くその音楽に耳と 心を傾けてきたか、初めてそれに思い至った。 」(p 309) リストが 「ル マル デュ ペイ」 の 標題 に掲げたセナンクール 『オーバーマン』の断章は大変長いものであるが、 標題 は、冒頭よりロ マン的なるものについて述べている。 小説的なもの(ロマネスク)は、生き生きと花咲き誇る想像力を魅惑する。 それに対し、 ロマン的なものは、 より深い魂と、 真の感受性しか満足さ せない (注6) 。 標題 の中では、 自然はロマン的なものに満ち、 人間が 作 り出す文 化 は ロマン的な 印 象 をだいなしにする。ロマン的な 調 べは、われわれの心の中 で、若さの色と 命 の 新鮮 さを 保 つ 唯 一のものである。また、自然がロマン 的な性 格 をもっとも 強 く表現できるのは音の中、 非日 常 的な 場 所やでき ご とを 敏 感に表現できたのは、まさにこの音の中である。 非日 常 的な 場 所や でき ご とを 敏 感に表現できるのはとりわけ聴覚に お いてなのであると言っ ている。 『色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年』 ではこの 標題 の 存 在には 微塵 も触れてはいない。しかし、 次 の二カ所は、セナンクールの持 論 「自然はロマン的な 印 象 に満ちている」を 反映 させていると思われる。
まず、灰田が持って来た「ル マル デュ ペイ」を聞きながら、つくる がシロを思い出している語り。 ⅰ 窓 から差し込む午後の光。 庭の糸杉が落とす影。 風に揺れるレースのカー テン。 テ ーブルの上のティーカップ。 後ろに端正に束ねられた彼女の黒い 髪と、 譜 面を見つめる真剣な眼差し。 鍵盤の上に置かれた十本の長く美し い指、 ペダルを踏む二本の足は、 普段のシロからは想像もできないような 力強さを秘め、 的確だった。 そしてふくらはぎは釉薬が塗られた陶器のよ うに白くつるりとしていた。 (p 64) すべての語りの末尾は次のように閉じられる。 ⅱ 彼 は心を静め、 目を閉じて眠りについた。 意識の最後尾の明かりが、 遠ざ かっていく最終の特急列車のように、 徐々にスピードを増しながら小さく なり、 夜 の奥に吸い込まれて消えた。 あとには白樺の木立を抜ける風の音 だけが残った。 (p 370) シロが「ル マル デュ ペイ」を弾くⅰの語りは、午後の光が差し込み、 庭にある糸杉が影を落としている様とシロの妖艶な姿とを描写している。 セナンクールは、人間が作り出す文化がロマン的な印象をだいなしにする と言っているが、ⅰの描写は、素朴さより優雅さが感じられる。しかし、 庭の糸杉が影を落としている様が見えるところで、広い庭をイメージさせ、 街の喧騒から離れた静寂さの中で、自然こそが深い魂と真の感受性だけを 満足させるという思想に共鳴する音が流れている。その中で、つくるは現 実から離れ遥かなものに憧憬し、情緒に浸っている。この、つくるのその 時のありのままの声を自然の風景と共に切り取ったのは、第三者の眼では ないだろうか。そして、末尾ⅱは、沙羅の選択に不安を感じつつ、心を静 めて眠りにつく、 そのつくるの意識が遠のいた後に、 「白樺の木立を抜け る風の音」を聞いたのは、第三者の眼である。東京の目黒区自由が丘につ くるのマンションはある。そこに「白樺の木立」の存在をイメージするこ とは難しく、セナンクールを知っている第三者の眼が、つくるにフィンラ ンドで感じた清浄な緑をまとわせたと思われる。几帳面で清浄なものを愛 するつくるを、リストが 同 じ様な 局 面で作 曲 した 『巡礼 の 年』 で 表 現しよ うとしている。しかし、リストには、田 園 での 哀 しみを共にする女性がい たが、つくるには女性が自 分 を選 ん でくれるか ど うか確 信 の持てない 孤独 感がある。 「彼の 巡礼 の 年 」は、リストの 『巡礼 の 年』 に 導 かれながらも、 「彼」 独 自の 巡礼 の 年 月 、すなわ ち 自 我 との 対話 があった。 四 意識 下 に存在する本 当 の自 分 つくるが、意識 下 の存在、自 我 に 気づ いたのは、 嫉妬 の感情が 起 こった 時であった。女性を 奪 われる 夢 で「 身体全体 を 誰 かの 大 きな 両手 できりき りと 絞 り上 げ られるような 激烈 な 痛 み」を感じた。それが 嫉妬 の感情であ った。しかしその感情は、 生 きていくために 必要 な感情で、 死 によって現 実 逃避 の 望 みを消してしまう ほ ど の エネ ル ギ ーを 有 していた。 嫉妬 は、フ ィンランドにクロを 訪 ね、シロについて 話 している中でもう 一度 語られる。 『 色彩 を持たない 多崎 つくると、 彼の 巡礼 の 年』 は、 共 同 体 と 排除 の 問 題 が 前 面に語られる。この作 品 に お けるリ ア リティのある現実の 問題 は、 排除 である。しかも 名古屋 という 地域 性の強い 都市 を 舞台 とし、 名古屋 だ からつくるが 排除 されたと 読 めるようにも語られている。しかしいじめが さまざまな 集団 で 日常 化している現 代社会 に お いては、この 設定 は、 名古
屋に限らない。共同体でなくとも、どの集団でも起こりうるリアリティの あるもので、排除されないためには、自分の意志や好みを抑制することだ といった教訓を読み取らせることもできる写実的な語りでもある。 排除の根拠を正すべきだという沙羅の積極的な行動により、つくるは、 かつての仲間から話しを聞く。人との関係に長いこと自信を喪失していた つくるは、好意的なことば、励ましのことばを聞く。アカはホモセクシャ ルであることを告白し、つくるへの信頼を表す。クロは、つくるに恋愛感 情を抱いていたことを告白し、つくるが仲間五人の中心にいたこともわか る。そのように仲間から頼りにされていたつくるに、シロがレイプの罪を 着せたのは、クロのつくるへの思いに対する嫉妬だったとクロは自分の想 像を語る。シロの精神を安定させるためにクロが、つくるを排除するとい う決断をアカとアオにさせたのである。クロは、容赦なくつくるをカット できたのは、つくるに対する気持ちを断ち切るためでもあったと告白する。 意識下にある自分、自我から人は自由になることはできない。五人は、 「乱れなく調和する親密な場所」 という 「正しい場所にいて、 正しい仲間 と結びついている」と感じ、その共同体を乱れることなく存続させるため に、男女の関係を持ち込まないように注意し、努めていたと、つくるは思 っていた。しかしエリはつくるへの恋心を心の中に深く隠していた。クロ はつくるがシロに心を惹かれていたと言い当てる。男女の仲に潔癖なシロ は、クロが恋しているつくるへの嫉妬を潜在的に抱えこみ、つくるをおと しめ排除した。この現実は、意識下に存在する自己、自我のエネルギーを 語ることにもなっている。 灰田が持って来た、 『巡礼の年』 を聞いて記憶から浮かび出たシロの演 奏姿に、つくるは、抑圧していたシロ、シロとクロ、クロに対する性の欲 求を夢で発散させた。さらに、仲間を失い長いこと一人だったつくるの元 に足しげく訪ねてくれ、時のたつのを忘れて語り合った灰田も交えての性 夢を経験した。つくるを生へと向かわせるエネルギーを蓄えているものに ついて、つくるは語っているのである。 つくるの死への願望は、自我のエネルギーに叶わなかった。死は、灰田 の父親が出会ったという緑川のこと、殺されたシロ、亡くなったつくるの 父、そして沙羅に振られたら本当に死んでしまうとのつくるの思いの中で も語られている。緑川の話は、現実的でもあり、作り話的でもある。緑川 は自ら命を絶たず、何者かの手によって下される死を待っている。緑川に は、人生に対する絶望と、誰かを待つという希望が混在している。殺され たシロは、何もとられず争った跡もなく倒れていた。シロも、殺されるの を待っていたのではないか。自殺の決断はできなくても、生きていくこと の苦しさが死を望んでいたと考えられる。自殺は、自分の意識においての 決断が必要である。死を願望しているかだが、つくるは、死の淵に立って いながら、決断をしなかった。死にたいとは、意識が願うもので、嫉妬の ように知らないうちに意識の下から湧き上がってくるものではないと、語 られている。 クロと聞く 『巡礼の年』 は、 「第一年 ス イ ス 」か ら「 第 二 年 イ タ リ ア」へと 移 る。つくるは、 真 の調和の根 底 にあるものに気 づ く。 痛 み、 脆 さ、 痛 切な喪失。人の心と人の心は「 む し ろ傷 と 傷 によって深く結びつい ている」 (p 307) ということである。 エリも同じ思いであり、 ここ ろゆ く まで抱き合う。 二 人は 肌 を 寄 せ合い 悪霊 の長い 影 を振り 払 うために抱き合 う。 「第 二 年 イ タ リ ア 』は『 ペ ト ラ ルカの ソ ネット第 四七番 』そ し て 『 ペ ト ラ ルカの ソ ネット第一 〇 四番 』 ( 注 7 ) へと演奏を続 け る。 つくるは 口 ずさ
むことのできるまで深くその音楽に耳と心を傾けてきたことに気づく。ソ ネットの 標題 は、ペトラルカのソネットで、第四七番は恋の熱望と苦 痛を祝福した内容、第一〇四番は愛の二面性が表現されている。言葉はそ こでは力を持たなかった。動くことをやめてしまった踊り手たちのように、 彼らはただひっそりと抱き合い、時間の流れに身を委ねた。それは過去と 現在と、そしておそらくは未来がいくらか混じり合った時間だった。 自然に包まれ、湖に浮かぶボートが突堤にぶつかるかたかたという音を 聞きながら、エリの真実のことばを聞き、身体の中心近くに冷たく硬いも のがあることに気づく。 「正 、 し 、 い 、 胸の痛みであり、 正 、 し 、 い 、 息苦しさ」 (p 329) それを少しずつ溶かしていかなくてはならない。それは、おそらく沙羅が 感じた 「頭の中には何か別のものが入り込んでいた」 (p 105) といった 「もの」 である。 心を全開にせず、 相手とのあいだに適当な距離を置く生 き方をさせている「もの」である。 つくるは、規則正しい生活を求め、プールでの泳ぎも規則的でまるで禅 の修行をしているようであった。つくるの居場所は、父親が与えてくれた 自由が丘のマンションの部屋と、電車の駅、新宿駅であった。つくるは、 これまでの憎しみ、哀しみから解き放たれ、父親の残してくれたものにも 思いいたることができるようになった。 つくるは、排除の根拠を知り、仲間からの信頼を再確認し、心のしこり を溶くために沙羅の温かい愛情が必要だという認識を得たが、沙羅がつく るとの結婚を決心するというところまで、話しはすすまない。つくるが三 人のかつての仲間に会いに行ったのは、沙羅のすすめを断ることができな かったからだ。沙羅に自分を受け入れてもらうために、沙羅に逆らうこと はできなかった。それが、リアルな現実としてつくるの前に立ちはだかる。 第三者の眼の語りは、話しの根元を自我に求めようとしているように思 われる。排除される根元には、つくるの気づかなかった、つくるが抑圧し ていたシロへの欲望があり、つくるを愛した沙羅は、それを見抜いていた のである。つくるは、クロと共にシロに対して後悔の念を持ったが、それ は意識の上である。クロがつくるを切り離そうと思ったほど心から必要と していたことを、つくるはどう受けとめたのか。沙羅の表情、洋服のセン スなどに魅力を感じ、また、沙羅を必要とするのは、自身の心の中にある 冷たく硬いものを溶かしたいからであった。 高校 時 代 同級 生の 母 親たちに 人気のあったつくるは、エリや沙羅、 周囲 の 女 性に、結 局救 われる。では、 つくるは、彼 女 たちを、 大 切に思っているのか。 「 色彩 」 を 持つということは、 共 同 体で生きるための身の 処 し方をわき まえることに 等 しい。つくるは、その 色彩 の意 味 に気づかなかったことか ら、自我のエネル ギ ーを認識することになった。 日常 は、修行 僧 のように 欲望を見せない生活をしているが、 夢 の中で、自我が 顔 をもた げ 、欲望を 発散 する。つくるは、 選択 をすることに 疑 念を持っている。思 考 し 判 断し 自分の意 志 でどのように 選択 しても、結 果 は 同 じだという 考 え方である。 自我を動かしがたいものと 考 えるのに対し、現実と 向 き合い、対 他関係 、 社 会 問 題などを 考 えるつくるは語られていない。内 省 的であるが、 他 者か らの 影響 は語られない。 死 を 凌駕 した自我を体 験 したことから、ますます、 意識によって 周囲 を 観察 し、 選択 し、 判 断することの 無 意 味 さを感じたと いうのであろうか。 つくるは、 沙羅からの 答 えを 待 つ間、 「沙羅がおれを 選 ばなかったら、 おれは 本 当に 死 んでしまうだろう」 (p 368) と思い、 また 「心から 誰 かを 求められるというのは、 なんて 素 晴 らしいことだろう」 (p 369) と実感し
ている。求めているのは意識ではなく、これまでの語りの流れから言えば 意識下にある自我、言いかえれば本当の自分が求めているのである。本当 の自分の声こそが、自分を納得させ、満足させ、正直にさせると語ってい るのである。たとえ沙羅がつくるを選ばなくとも、また、自我のエネルギ ーが湧き出てくるのだろう。それは、第三者の眼は、つくるの語りを補完 し、自我の存在を現実のもののように語ってきたからである。沙羅の選択 は、つくるの人生を、つくるが考えているのとは、別の新たな道を指し示 す可能性を秘めている。 (注 1 )フ ラ ン ツ リスト ( F ra nzL isz t1 81 1 18 86 ) は 、 一 八三五年五月二四 歳の時、パリ社交界の花形の一人だった六歳年上のマリー ダグー伯爵 夫人 ( Ma rieC .S .d ・Ag ou lt1 80 5 18 76 ) と スイスのジュネーブへ逃れ る。 この地で、 一八三五年から一八三六年にかけて作曲された作品が 『 巡礼の年 第一年 スイス ( an ned ep eler in ag e Pre mi ea nn ee Su iss e 』の母体となっている。 (注 2 )後 、『巡礼の年』 となる 『旅人のアルバム』 の序文でリストは、 旅をす る中で「自然の変化にとんだようすや、その光景」が心の中で深い感動 を呼び起こしたと感じられ、 「自分の非常に強い感情や生き生きとした 印象のいくつかを、音楽のなかで再現しようと試みた」と述べている。 (「解説」野本由紀夫『新編世界大音楽全集 器楽編 17 リスト ピアノ 曲集Ⅰ』一九九〇年一月 音楽之友社 参照) (注 3 ) ショット( Sc ho tt・ sS o hn e,B .)はドイツにある世界最大の出版社。 (注 4 )野 本は 、「セナンクールとリストの両作品は、 同 ・ 素材から出発した別 ・ の ・ 局面の表現なのである。リストの 標題音楽 は、詩の筋書を追って構 成された音楽ではありえないわけである」と述べる。 (注 2 )に同じ。 (注 5 ) セ ナンクール ( E tie nn eP iv er td eS en an co ur1 77 0 1846 )の『 オ ー バ ーマン ( Ob er ma nn )』 は 、 ゲ ーテの 『若きウェルテルの悩み ( Di e L eid end esj un ge nW er th er s) 』 と 並んで、 一九世紀前半に自殺熱を もたらした。リストは「オーバーマンの谷」と「ノスタルジア」の標題 に、 『オーバーマン』を引用しており、 「ノスタルジア」には第 3 断章が 長大な標題として載せられている。 「唯一の死に場所はアルプスだ」 と 信じていたセナンクールがパリで半年暮したさいの、 郷愁 の 痛 みを 綴 っ たものだが、 リストの音楽 観 と 共通 する 思想 も 含 まれている。 (出 典 (注 2 )に同じ。 p 197「 6 オーバーマンの谷」 、 p 198「 8 ノスタルジア」 ) (注 6 )(注 2 )に同じ。 p 84 (注 7 ) ペ トラル カ ( F ra nc es coP etr ar ca1 30 4 74) ダンテと並 ぶ イタリア文 学史 上に 不朽 の 名 を 残 した大詩人である。 ペ トラル カ の 代 表作『 叙 情詩 集』 ( C an zo nie re ,1 35 0 ころ) から三つの ソ ネットをリストは 3 曲テノ ールの 歌 曲として作曲し、同時にピアノ版も成 立 した。一八五〇年 ご ろ 成 立 した第二 稿 が『 巡 礼 の 年 』に 収 められた。 (出 典 (注 2 )に 同 じ 。 p 200) * テクスト 村 上 春樹 『 色彩 を 持 たない 多崎 つくると 、 彼 の巡 礼の年 』(二〇一三 年四月 文 藝春秋 ) (おおた れいこ 日 本語 日 本文 学 科 )