• 検索結果がありません。

ヘルムホルツの視知覚論をめぐって : 知覚の機能と機構についての覚書

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ヘルムホルツの視知覚論をめぐって : 知覚の機能と機構についての覚書"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)29. ヘ ル ム ホ ル ツの視 知覚 論 を め ぐ って ― ― 知覚 の 機 能 と機構 に つ い て の覚書 ―一. 柿 は じめに. 崎. 祐. :. ヘル ム ホル ツ (Herman Ludwig Ferdinand vOn Helmh01tz,1821-1894) の経歴 や業績 につ いて は既 に BOring(1950)な どに詳 しく述 べ られ て お り. ,. 本稿 の趣 旨と も直接 の 関係 はないので省 略す る。 また ,特 に視知覚 につ いて の ヘル ム ホル ツの膨大 な研 究 を一般 的 に紹介 した り論評 した りす る こと も, 許 された紙面 の範 囲 では到底不可能 で あ りその必要 もな い 。従 って ,こ の時 期 に今更 のよ うに ヘル ム ホル ツを取 り上 げ る ことには ,歴 史 的な興 味を満 た す以上 の特 に建設 的な意義 は乏 しい と思 われ るか もしれな い 。 しか し,ヘ ル ム ホル ツの視知覚論 を試 み に現代 の 問題文脈 の 中 に位置 づ け てみ る ことによ って ,わ れわれ のい わゆ る知 覚心 理 学 の諸問題 を整序 す るた めの一 つ の手掛 か りとす る こ とは ,そ れな りの意義を持 つ はず で ある。 ここ で は特 に,ヘ ル ム ホル ツの理 論 とゲ シ タル ト理 論 との関係 に着 目 したい。 し ば しば この両者 は互 いに対立 的な学説 と して話題 にされ る こ とがあるが ,果 た して全 く対立 的な関係 にある ものなのか ,必 ず しもそ うではなか ろ う,と い うのが この小論 の骨子 で ある。 ここで われわれが 手 引き とす るのは , 有名 な “生 理 光学 ハ ン ドブ ック". (HelmhOltZ,I,1856;Ⅱ ,1860;Ⅲ ,1866,第 3版 1911,以 下 Optikと 略 記 ),特 にその第 HI部 の 26章 (知 覚 一 般 につ いて ),及 び ベル リン大学 の記 念 日での彼 の講演 を もとに した といわれ る “知覚 の事実 "(Helmh01tz,1879,.

(2) 30. ヘルムホルツの視知覚論をめぐって. 以下 Tatと 略記 )で ある。周知 の よ うに,こ れ らは知覚 につ いての現代 の心 理 学 の 論文 で Helmholtzの 理 論 が言及 され る際 に必ず 引用 され る 文献 で あ る。 しか し多 くの場合 ,引 用 され言及 され るのは知覚 の諸 問題 の経験説 的説 明 の典型 ない し原型 と してで ある。 しか し,か れ の所論 には単 に知 覚 の経験 説 とい うよ り以上 にい くつ かの重要 な意味 も含 まれ てい るよ うに思 われ る。 本稿 ではそのよ うな点 に も併 せて考察 を加 えたい。. 知覚 の基本原理. ここで まず 理 解 して お くべ き ことは ,ヘ ル ムホル ツは心理 学 的な知覚 理論 を どの よ うに位置 づ けていたのか とい う こ とで ある。 知覚は心的能力の働きによってのみ成立 しうるものであ り,知 覚 に関係す る精神 作用を明らかに しようとす る限 りにおいて,知 覚の理論は心理学 の領域 に属するも のとなる。もっとも,物 理的刺激手段 と生理的興奮 のいかなる特性が知覚の原因 と なるのかとい うことは 自然科学的方法 によって確かめうるはずであ り,そ こに物理 的・ 生理的研究 の領域 が残 される。 ところで,わ れわれにとっての心理学的な問題 は,心 の働きの法則 と性質 とをできる限 り追求 しようとする純粋 な心理学 からは切 り放 しておかねばな らないのである。それにして も,も しわれわれが現象 の相互連 関を全体的に把握 しようとするな らば,知 覚 の中に働いている精神作用について語 ることを避 けるわけにはいかない。ここでは,わ れわれは精神作用 についての抽象 的な議論 には関わ らず,知 覚に働 いている精神作用 のある種 の一般的な特性を読者 に示 そうと思 う。それはわれわれが これから種 々の問題を扱 ってゆ く中で しば しば 出会 うものであ り,一 般なな意義と広 い効用を もつ ものである (Optik.p.1∼ 4)1。 これ は つ ま り,知 覚 に働 いて い る「 精 神 作 用 」 を ,物 理 的刺 激 や生 理 的興 奮 の 特 性 との 関係 に おい て ,「 自然 科学 的」 に捉 え よ うとす る こ とで あ ろ う。 (注. 1)以 下,小 字 の部分は原著の記述 の筆者な りの要約であって,必 ず しも原文 その. ままの引用ではない。また,下 線 や 《》印は筆者 による。.

(3) 柿 崎 祐 一 しか し,続 いて 明 らか にな る よ う に ,そ れ は必 ず しも精 神 作用 を物 理 的 0生 理 的過 程 と して 記 述 す る こ と で は な く,知 覚 す る有 機 体 と して の人 の 機能 の 問題 と して そ の 科 学 的法則 を述 べ る こ とを意 味 して いた と思 わ れ る。 そ の 限 りに お いて ,知 覚 の心 理 学 が そ の地 位 を保 つ の で あ る。 で は ,こ の「 知 覚 に働 いて い る精 神 作 用 の あ る種 の一 般 的特 性 」 とは どの よ うな もの か 。 そ れ が 有名 な「 無 意 識 的推 論 」 と して述 べ られ て い る こ とは 周 知 の こ とで あ ろ う。 随所 に 引用 され て い るが ,こ こで も そ の くだ りを割 愛 す るわ け に は ゆ くま い 。. ある条件の下 で,あ るいは光学的な装置によって,眼 に一 つの印象が作 られると きに,わ れわれが形成する視覚表象 は次のような一般法則に規定 される。 《われわれは一つの対象を視野の中のどこかにあるものとして表象するが,そ の 「 どこか」とい うのは,眼 が 日常的な正常な条件 で用 い られているときに,今 と同 じ印象 が与えられるためにはその対象があらねばならないところである。 》 ここで眼の正常な使用とは,視 覚器官が外界か らの光 (そ れは多 くの場合不透明 な物体 から反射 して空気中を直進 して眼に入 って くる)に よって刺激 されていると い うことであり,そ れが「 正 常」だというのは,反 射や屈折によって曲げられた光 で刺激 されていた り,光 以外 の作用によって刺激 されていた りする場合に比べて. ,. 上のような場合 がはるかに多 いとい う意味においてである。 このよ うな一般法則は視覚以外にもあてはまる。例えば,い わゆる幻影肢 のよ う な場合 には,感 覚器官へ の非 日常的な刺激 が対象 についての誤 った表象を成立 させ ているのであり,そ れは昔 から錯覚 とよばれてきた事実 である。 しか しこのよ うな 場合 で も,錯 覚を生 じさせた感覚器官 の働きやそれ に関連する神経機構 の働き方に は誤 りはないのである。どちらも絶えずその作用を支配 して いる法則 に従 って働 い ているのである。錯覚 というな らば,そ れは感覚に提示 された材料について誤 った 表象を ひきお こ した判 断 においての ことで あ る。. 一定の性質を もった一つの対象がわれわれの前 に存在す るという判断にわれわ 《 れを導 く心理的作用は, 一般に意識的ではな く無意識的なものである。 それは. ,. 少な くとも結果的には,わ れわれが感覚に与え られた作用を観察 して,そ こか らそ のよ うな作用の原因についての表象に到達するとい う限 りにおいて,一 つの推論 と 同等である。 》.

(4) 32. ヘルムホルツの視知覚論をめぐって われわれが直接に感知できるのは外界の対象ではな く,神 経興奮つまり作用だけ. である。ところで,ふ つ ういわれる推論は意識的な思考の働きである。例えば,天 文学者の推論は光学についての知識によつている。ところが,視 覚のふつ うの働き においては,こ のような知識は欠如 している。両者の類似性については疑問もある であろうが,両 者の結果が似ているということは疑いないことである (Optik.pp. 4∼ 6)。. 例 えば網 膜 の耳側 に機械 的な刺 激 を与 え る(指 で押 す )と 鼻側前方 になにか が見 え る。 これ は ヘ ル ムホル ツが あち こちで再三 あげてい る例 で あるが ,な ぜ その よ うに見 え るのか。上記 の原 理 によれば ,そ の説 明は簡単 にいえば次 の よ うにな るで あろ う。 過去 において ,眼 の正 常 な使用条件 の下 で ,そ の方 向 に光 る (あ るいは光 を反射 す る)対 象 が実 在 していた ときに網 膜 のその部位 が刺激 され て特定 の 感覚 印象 が与 え られ ,そ して ,そ の ときその対象 を つ かんだ り隠 した りす る た めには手 を左 (鼻 側 )前 方 に伸 ばせ ば よか った (こ れが推論 の大前提 で ある), そ して ,い ま網膜 のその部位 が刺激 されて それ に対応 して 前 と同等 の感覚 印 象 が与 え られ て い る(小 前提 ),故 に,左 前方 になにかがある,と い うよ うに 無意識 的 に結論 され るか らで ある。 ここか ら直 ちに次 の よ うな こ とが読 み と られ るで あろ う。 まず ,こ れ は前 記 の意 味 では錯覚 で あ り,結 論 ない し判 断 の誤 りで ある。 そ して この場合 に も感覚器官 や神経機構 は正常 に働 いて い るので ある。 この こ とは ,一 方 では ゲ シ タル ト心理学者 た ちが批判 した いわゆ る恒常仮定 (一 定 の刺激 は常 に一 定 の感覚 を生 じるとい う仮定 )に つ なが るので あるが ,他 方 では ,刺 激 ない しそれ に基づ く過程 をそ の際 の対 象 の知覚 へ の手掛 か りとみなす とい う意味 で ,一 般 的な手掛 か り理 論 (Cue thOry)に つ なが る もので ある。 ヘル ム ホル ツ 自身 の言葉 でいえば ,“ 感覚 の質 は外物 の 特性 につ いての 情報 をわれわれ に与 え るとい う意味 で外物 につ いての記 号 (Zeichen)で ある。 それはあ くま で記 号 で あ って外物 の像 (Abbild)で はない。 像 につ いて はなん らか の 同一 性 が要求 され るが ,記 号 はそれが表示す る もの との類似性 を必要 と しな い 。.

(5) 柿. 崎. 祐. 一. 記 号 とそ の 表 示 対 象 と の 関係 はた だ ,同 一 の 対 象 が 同 一 の 状 況 で 作用 す る と きに は 同一 の 記 号 を生 じる こ と ,そ して ,異 な る記 号 は 常 に異 な る作用 (対 象 )に 対 応 す る こ と ,そ れ だ け で あ る (Tato p。 222)"。. この 点 に つ いて は後. に別 な 問題 文 脈 の 中 で 再 び 触 れ る こ とにす る。 上 記 の 錯 覚 の 例 に 関 して次 に 注 目す べ き こ とは ,対 象 に 触 れ よ うとす るな どの運 動 と の 関 わ りで あ る。 これ は特 にい わ ゆ る空 間知 覚 の 成 立 過 程 に 関 し て 重 要 な点 で あ り,こ れ に つ いて も後 に 再 び 触 れ よ う。 そ して ここに は ,こ の よ うな有 意運 動 (詳 し くい え ば運 動 へ の 意 志 の 感覚 )と の 結 合 の 経 験 の反 復 が「 無 意 識 的推 論 」 の 過 程 を 強化 す る と い う原 理 が 含 まれ て い る。 さ らに , この よ うに 経 験 に よ って 強化 され る こ とに よ って われ わ れ は ,感 覚 的所 与 を そ れ 自身 と して で は な く,「 自己 に対 す る も の 」 と して 対 象 化 せ ざ るを え な くな るの だ と い う主 張 も こ こに 含 まれ て い るはず で あ る。. このよ うに経験によって強化された無意識的推論は,自 由な意識的推論でないが 故 に反抗 し難 い必然性をもっていて,た とえ本当の関係を知 っていて も止 めること ができないものである。指で眼球を押 さえると,視 野 の中に定位 された光覚表象が 生 じる。そのときわれわれは,そ れがどうしてなのかを知 っていて も,そ の光覚が 視野 の一定 のところにあるとい う確信を捨てて,そ の光覚を網膜上 の刺激 された位 置にもたらす ことはできない (Optik.p.6)。. な お ,ヘ ル ム ホ ル ツに よれ ば ,こ の 無 意 識 的推 論 とは反 復 に よ って 強化 さ れ た表 象 の 結 合 (連 合 )の 過 程 に他 な らず ,し か も個 々の 表 象 が必 ず しも意 識 され言語 化 され る こ とな く(い わ ば 自動 化 され て )成 立 す る過 程 を意 味 す るの で あ り,そ れ は本 質 的 に思 考 な い し課 題 解 決 の 過 程 と変 わ りな い もの で あ る とい う。 か れ 自身 , 後 に は無 意識 的推 論 の 概 念 を用 い る こ とは 止 めて い る (Tato p.233)2。 ぃ ず れ にせ よ ,ヘ ル ム ホ ル ツの理 論 が基 本 的 に イギ リス 経 験 (注. 2)シ. ョー ベ ンハ ウ エ ル らが この 語 を全 く別 の (時 間 。空 間 の ア プ リオ リな形 式 に. 従 って半J断 す る悟性 の 無意 識 的 な働 き とい うよ うな)ヘ ル ム ホル ツに とって は受 け入 れ難 い意 味 で 用 いて い るので ,そ れ と混 同 され た くな い とい うのが そ の理 由で あ った。.

(6) 34. ヘルムホルツの視知覚論をめぐって. 論 に根 ざす連合 の原 理 に基 づ いてい る こ とは しば しば言 われ ると ころで あ り. ,. ここで改 めて詳説す る必 要 はあるまい 。 ヘル ム ホル ツの知覚論 が典型的な経験説 で あるとされ るのは ,以 上 の よ う な記述 だ けか ら して も当然 で あろ う。 ヘル ム ホル ツはさ らに これ に続 けて. ,. 生得説 の難点 をい くつ か あげなが ら自己の経験説 の正 当性 を強調 してい るが 詳細 は ここでは省略す る (Optike pp.16∼ 17,Tate pp.224f.,特 に. pp。. ,. 236∼. 237)。. Ⅱ。「 み る」機能 と しての知覚 Ⅱ。1 機能 の記述 ヘル ム ホル ツに とって 連合 の過程 は ,は じめに引用 した「 知覚 に関す る精 神作用」 の機制 ない し機構 を意味す る もので あろ う。 しか も,そ れ以上 に例 えばそ の生 理的な メカニ ズムの よ うな ことに立 ち入 って はいない こ とか らす れば ,そ れは ,こ れ もは じめに要約 引用 した と ころで語 られ てい るよ うな. ,. 「 心理学 の領域 内」 での原 理 に他 な らなか ったのではあるまいか。 そ うだ と すれば ,ヘ ル ムホル ツに とっての第 一 の 問題 は「 み る」働 きと しての知覚機 能 を心理学 的 に記述す る こ とにあ った と考 え られ る。 ここでわ れわれ は ,さ きに下 線 を付 けて 引用 した短 い句 に注 目 しなければ な らな い 。 すなわ ち, 知覚 の心 的機能 は “少 な くとも結 果的 には",あ るい は結果 か らみれば ,推 論 の過程 と同等 で あ り,精 神作用 の達成 と しては経験 を前提 と した判 断 と同等 で あるとい う ことで ある。知覚 の機能 が結 果的 にそ うで ある点 にはおそ ら く何人 も異存 はあるまい と彼 は繰 り返 し述 べ てい る。 「 み る」 とい う働 きを正 しく記述 しよ うとす る限 り,そ のよ うに記述 す る他 はなか った ので あろ う。 Ⅱ.2 知覚 の真実性 と ころ で ,こ のよ うな推論 な い し判 断 と しての知覚 は ,前 述 の よ うに記号.

(7) 柿 崎 祐 一 と して の 感 覚 印象 を手 掛 か りと して 成 立 す るの で あ った 。 そ こで 問題 にな る の は ,知 覚 の 真 実性 す な わ ち知 覚 が対 象 の 事 実 に対 して VeridiCalで ぁ り適 合 的 で あ り うる の は ど う して か と い う こ と で あ る。. われわれの知覚は,知 覚 されている対象がわれわれ の神経系 と意識に及ぼす作用 である。その作用の性質は,作 用す るものの性質 と作用され るものの性質 とに依存 するのであるか ら,知 覚 されるものの性質を そのまま再現す るような知覚を期待す ることは,つ まり絶対的な意味で真実 であるような知覚を期待することはできない。 従 って,知 覚 の真実性 についてはいわば実用的な真実性 しか考え られない。物 につ いてのわれわれの知覚 ないし表象は,物 に対 して自然的に与え られる象徴 (Symb01) で しかない。それをわれわれはわれわれの行動を規制す るために学習するのである。 このよ うな象徴を正 しく読み取 ることを学 んだな らば,わ れわれはその助けによっ て重動を調整 し希望す る結果を得 ることができ,期 待 される新 しい感覚経験を もた らす ことができるよ うになる (Optiko p.18)。. つ ま り,こ こで 知 覚 の 真 実性 と い うの は ,わ れ われ が い ろ い ろな感覚 情報 を手 掛 か りに して ,例 え ば大 き い もの は大:き い よ うに ,円 い もの は 円 い よ う に ,右 に あ る もの は右 に あ るよ うに知覚 し,そ れ に基 づ いて そ の 対 象 に対 し て適 合 的 な反 応 をす る こ とがで き る と い う こ とで あ る。 そ もそ も対 象 の 属性 とはな にか 。 “す べ て の 物 の 属性 は ,他 の 自然物 あ るい は われ われ の 感覚 器 官 と の 相互 作 用 に お いて 示 され る もので あ る。 この よ うな属 性 をわれ われ は い つ で も望 む と きに 引 き出す (相 互 作用 を生 じさせ る)こ とが で き る ので ,わ れ わ れ は そ の 物 が い つ も そ の よ うな属性 を も って い るの だ とす る。 そ して それノ を そ の 物 の 属性 だ とす る (Optik.p.20)"。. ,. ぃ い か えれ ば ,知 覚 の 真 実性. とは ,対 象 が人 に対 して もつ 機 能 的 な い し生 態 的 な妥 当性 (BrunSWik,1949) を正 し く認 知 で き る こ とを意 味 す るで あ ろ う。 この よ うな 関係 の 中 で ,前 に述 べ た「 記 号 」 と して の 感 覚 的所 与 は どの よ うな役 割 りを もつ ので あ ろ うか 。 そ れ は い か に して ,あ るい は どの よ うな意 味 で ,対 象 (実 在 )の 記 号 で あ りうる のだ ろ うか 。.

(8) 36. ヘルムホルツの視知覚論をめ ぐって 感覚 の質が単 に記号 に過ぎず,そ の特性はわれわれ 自身の体制 に依存す るものだ. としても,だ か らといってそれを単 なる仮象 として無視することはできない。それ どころか,感 覚 はいつ も何物か何事 かの記号であ り,そ のよ うな事物・ 事象を支配 する法則を表示 しているのであり,こ のことが最 も重要な点 である (Tate p.223)。 感覚 と実在 との間に真 の一致 がある唯一の関係は,種 々の特性を もつ事象の時間 的経過である。同時,継 起 ,あ るいは同時 と継起 との規則的な繰 り返 しは,事 象 に おけると同様 にわれわれの感覚 の中で も起 こる。外的事象 はその感覚 と同様 に時間 の中で進行する。それ故 ,後 者 の時間的関係 は前者 の [忠 実な模写 ではないが一一 筆者注 ]信 頼すべ き写像 であ りうるのである (Optiko p.21)。. この よ う に ,感 覚 的所 与 が 事 象 の 時 間 的順 序 な い し秩 序 の 写像 で あ る こ と が知 覚 的達 成 の 真 実性 を保証 す るので あ るが ,も ち ろん この 写像 は一 対 一 的 ・ 直 線 的 な それ で は な い 。重 要 な こ とは時 間 的秩 序 に よ って世 界 の 事 象 の も つ 規 則 性 が感覚 的所 与 に 保 存 され 写 し出 され る と い う こ とで あ る。 と こ ろで. ,. 知 覚 の 真 実性 を もた らす の は 時 間 関 係 その もの で は な い 。 も っ と重要 な こ と は ,そ の 背 後 に あ る因果 の 法 則 で あ る。. あらゆる自然法則は,な んらかの点で同等な前行条件は他のなん らかの点 で同等 な結果を生 じるということを述べ るものである。われわれの感覚的世界においては. ,. 同等 ということは記号が同等であることによって示 されるのであるから,同 じ原因 は同 じ結果を生 じるという自然法則に対応 して,わ れわれの知覚において も同様に 規則的な法則が成 り立 っているはずである (Tat.p.222)。. この よ うに , わ れ わ れ が 感 覚 的記 号 を 介 して 外 界 の 事 物・ 事 象 に つ い て 「 推 論 」 す る こ とを可能 にす るの は 因果律 で あ る。 “わ れ わ れ が結 果 か ら原 因 を推 論 す るた め の 因果 律 と い う もの は ,す べ て の 経験 に 先 行 す る思 考 の 法 則 で あ る。 因果 律 が われ われ の 中 で 前 もって 働 くので な けれ ば 自然 の 対 象 に つ いて の 経 験 を もつ こ と もで きな い の で あ る (Opto p0 30)''。 冒頭 に 引用 した “精 神 作用 を … … 自然 科学 的 に 明 らか にす る … … "と い う こ とは ,こ の よ う に 自然界 と同様 に因 果 の 法 則 に よ って働 くもの と して精 神.

(9) 37. 柿 崎 祐 一. を提 え る こ とで あ った。 この こ とは ,一 方 では生 命 や精神 を 自然法則 とは異 な る)生 気論 的な原理 で説 明 しよ うとす る こ とを否定す るとと もに,他 方 では カ ン ト的な先験論 を拒否す ることで もあ った。 この後 の点 は特 に空間知覚 に つ いての議論 の 中 に 明示 され る。. Ⅲ 。運 動 (動 作 )的 要 因 ―一 「 実験 」 と して の 知 覚 一一. す で に述 べ た と こ ろ に も再 三 み られ た よ うに ,ヘ ル ム ホ ル ツ に と って は身 体 の 運 動 な い し動 作 は知 覚 的経 験 の 成 立 の た め に欠 かせ な い 要 件 で あ った 。 そ の こ とは特 に空 間 あ るい は空 間 的 関係 の知 覚 0認 知 に つ いて の議 論 の 中 で 強 くうち出 され る。 こ こで は 前 節 に 引用 した よ うな基 本 的原 理 が 具 体 的 な 問 題 に どの よ う に適 用 され た か を示 す簡単 な例 を一 ,二 あ げ て お こ う。 そ れ は 今 日い わ ゆ る「 方 向 の 恒 常性 」 や「 変 換 視 」 の 問題 に つ い て で あ る。. 一般にわれわれは,身 体 の部分 の位置の変化を筋肉感覚 を通 して知覚するのであ るが,そ こにはさらに,1.筋 肉を動かそうとす る意志的努力 の強度 ,2.筋 肉が動 く ときの緊張,そ して,3.意 志的努力の結果 とい う 3種 の感覚が含まれる。 このこと を特に1。 について吟味 しよう。例えば,わ れわれが眼を指で強制的に動かすときに は,対 象が動 いてみえるが,注 視線 の方向が変わ るとは知覚 されない。しかるに. ,. 自発的な筋 肉運動によって眼を動かす ときには,対 象は静止 してみえ,注 視線の移 動が知覚される (Optik.pp.203-206)。. これ は つ ま り,上 記 1.の “意 志 的 努 力 の 感 覚 あ るい は神 経支 配 の 感 覚 "一 一 それ は筋 肉感 覚 で も運 動結 果 の フ ィー ドバ ック で もな く例 え ば V.ホ ル ス ト の い う「 遠 心 性 神 経 興 奮 の コ ピー 」 に 相 当す る一一 の 有 無 に よ って対 象 と 自 己 の ど ち らが動 くと知 覚 され るか が決 ま る と い う こ とで あ る。 さ ら に一 般 化 して い えば ,対 象 世 界 の 恒 常性 は知覚 す る人 の 自発 的 な運 動 と の 関連 に お い.

(10) ヘルムホルツの視知覚論をめ ぐって て の み成 立 す るので あ る。 この よ うな視 覚 系 ・ 運 動 系 の 統 合 機能 は また次 の よ うな例 に も示 され る。. 例えば16° ∼18° のプ リズムを底面を左に して両眼 に装用すると,対 象 は左方 にず れて見える。しば らくそれを見た後に眼を閉 じて,手 で対象 に触れようとしてみる と,手 は対象 の左 にそれる。次に,手 も見えるよ うに して対象に触れることを学習 した後に,も う一度試 してみると,こ んどは対象 に触れ損 な うことはない。さらに その後,プ リズムをはず して,手 を視野から隠 し,対 象を凝視 してか ら閉目して手 で触れ よ うとしてみると,手 は対象 の右方 にずれる。……子供はもちろん成人 で も. ,. このよ うな視覚 と触覚 (運 動感覚)と の協応が経験的な検証に よってのみ確立 され るとい うことから,い わゆる正立視 についての答えも出て くる……それ も結局は. ,. 視覚 と触覚との調和が経験的に統制 されることから成立するのである (Optik.pp. 206∼ 211)。. Optikの §27以 下 の 大部 分 は ,こ の よ うな視 点 か ら空 間性 の 知 覚 に 関す る 諸 問題 が詳細 に扱 われ る ので あ るが ,そ れ らに つ いて は こ こで は割 愛 す る ほ か な い。 そ もそ も,前 述 の よ うに先験 的 な カテ ゴ リー と して の 空 間概 念 を拒 否 し. ,. また ロ ッツ ェや ヘ リン グ的 な空 間 感 覚 の よ うな もの も否定 す る とす れ ば ,空 間 性 の 知 覚 な い し認 知 の 成 立 は ど の よ うに 説 明 され るの で あ ろ うか 。 ヘ ル ム ホ ル ツは い ろ い ろな所 で さま ざまな述 べ か た を して い るが ,次 の よ うに要 約 す る こ とが で きよ う。少 し長 くな るが記 して お く。 いま,空 間とい う観念 も経験 もない一人の人 間がいたとする。ただ,そ の人はあ る運動の神経支配を無 くすれば,あ るいはそれと反対 の神経支配をすれば,も との 状態 に戻 りうることだけを知 っている。外界 について何 も知ることな しに,そ のよ うな神経支配 の相反的な関係だけを知 ってい る。このような人 間が静止 した対象 に 相対 しているとする。対象が静止 していることは 自分が動かない限 り知覚が変わ ら ないことか ら知 られる。自分が運動への衝動を出 して,眼 を動か したり手を動 か し たり前へ踏み出 したりしようとすれば,知 覚が変化する。そのよ うな衝動をやめた り反対 の衝動を出せばもとの状態に戻 る,と い うことをその人は知る。.

(11) 柿 崎 祐 一 いま,あ る時間内に運動への意志衝動の特定 の グループによって もたらされた感 覚 の集まりを Prasentabilia 3と ょぶことに しょう。 われわれがいま例にあげた観 察者は,常 に一定 の範囲の Prasentabiliaに 結 びつ けられており,そ の中から望む ものを適 当な運動によって prasentに な しうる。その結果,Prasentabiliaの 中の 個 々の ものは彼 にとってはその時間内の各瞬間 にいつ も存在す るもののよ うにみえ る。それはあたかも,い つ も望むときに見 ることができるとい うことか らの帰納的 推論のよ うなもので ある。 このよ うに して,種 々の対象が持続的に相並 んで存在す るとい う表象がえ られる。 この相並 んでということは一つの空間的表示 であるといえる。しか し,そ のことが 空間的"と 定義す るからである。 正当化されるのは意志衝 動によって生 じる変化を “ ここで,相 並ぶ対象 とい うのは必ず しも実体的なものでな くて もよい。例えば “右 の方は明 るく左 の方は暗い"と か,“ 前方 には障害 があるが後方 にはない"な ど。 こ の場合 ,右 とか左 とかは眼の運動 に,前 とか後とかは手 の運動についての名前 に過 ぎない (Tat..pp.225∼ 227)。. い わ ゆ る空 間知 覚 の 最 も重 要 な 性 質 は ,こ の よ うな意 味 で の 空 間 的 関係 と して 成 立 す る の で あ る。筆 者 の 思 うと こ ろで は ,前 章 の 終 わ りに も記 した よ う に ,ヘ ル ム ホ ル ツの い うと こ ろ を別 の 方 向 か ら述 べ れ ば ,知 覚 の 空 間 的体 制 は本質 的 に. ``自. 己一 対 象 ''体 制 で あ る と い う こ とにな るの で はな い か 。世. 界 を 自己 に 対 す る もの と して 対 象 化 す る こ と こそ ,知 覚 機能 の 発達 が志 向す る と こ ろで は あ るま いか 。「 もの はなぜ 眼 の 内 で はな く外 に見 え る の か 」 と い う よ うな素 朴 な疑 間 に答 え るた め に も,こ の 点 を な お詳 し く考 察 す る必 要 が あ ろ う。 しか し,そ れ は こ こで は他 の 機 会 に ゆず る。 と こ ろで ,以 上 の よ うな ヘ ル ム ホ ル ツの 観 点 か ら して 直 ち に 出 て くる の は. ,. わ れ われ の 知 覚 の 働 きは本 質 的 に「 実験 」 で あ る とい う こ とで あ る。 この こ とは Optikで も述 べ られ て い るが ,知 覚 の 真 実 性 に つ い て の 前 述 の 議 論 (実 (注. 3)こ. の Prasentabiliaは 英 訳. (Warrren&warren,1968)で. も presentabiliaと. その ま ま に な って お り,適 当 な語訳 を見 出 だ し難 い 。現前 可 能 性 とで もい うべ きか 。 速 断 はで きな いが , これ は ギ ブ ソ ンの い うア フ ォー ダ ンス (a■ Ordance)の 概 念 に通 じ る のか も しれ な い 。.

(12) 40. ヘルムホルツの視知覚論をめ ぐって. 用 的 な真 実性 と い われ た こ と)か ら して も明 らか で あ ろ う。 Tatの 終 わ り近 くに述 べ られ て い る と こ ろを要 約 して お こ う。. われわれは,わ れわれ 自身の行為な しに変化する感覚印象を もつだけでな く,わ れわれ 自身の不断の行為 0活 動 に即 して変化する印象を ももってい る。そ して,そ れ によってわれわれの運動の神経支配 とその際の Prasentabiliaの 範囲の中からの 種 々の印象の現れかたとの間に規則的な関係があることを知る。そのよ うに,運 動 によって対象の現れかたを 変化させ る 意志的運動 は 一つの「 実験」と みな しうる。 [知 覚する人 にとって ]こ. のよ うな実験は行動と 無関係 な 観察 よ りはず っと強い説. 得力を もっている。なぜな ら,こ の実験 の中ではその人の 自己意識の中で因果 の連 鎖が進行するからである(Tato p.237)。. この よ うにみ て くれ ば ,当 然 わ れ わ れ は ,知 覚 に 関す る近 代 な い し現 代 の 諸 理 論 の 中 に ,ヘ ル ム ホ ル ツの 知 覚 論 を原 型 とす る とい って よい もの を い く つ も見 出 だ す はず で あ る。 それ ら に つ いて は ,こ こで 一 々 あ げ る紙 面 もな い し,い ま さ らそ の 必 要 もあ るまい。 われ われ の 思 考 も,そ して 科 学 もい わ ば 螺 旋 的 に 発 展 す る もの で あ る とす れ ば ,新 し く提 出 され た理 論 に対 して “そ ん な こ とは ヘル ム ホ ル ツ が と っ くに 言 って い る こ とだ "と 非 難 す る こ とは 当 た らな い 。 それ は む しろ ヘル ム ホ ル ツの理 論 が原 型 と して優 れ た もので あ っ た こ と の 証 拠 で もあ ろ う。. Ⅳ .ゲ シタル ト理論 との関係 について 一一 機能論 と機構論一―. は じめに述 べ た よ うに ,本 稿 の趣 旨は ヘル ム ホル ツの理 論 を紹介 0祖 述 す る こ とで はな く,そ れを特 にゲ シ タル ト理 論 との 関係 に着 目 しなが ら現 代 の 問題文脈 の 中 に位置 づ けてみ る こ とで あ った 。 そ して ,筆 者 が理 解 し得 た 限 りでの ヘル ムホル ツ理 論 の重要 なポイ ン トを これ まで要約 して きた。.

(13) 柿 崎 祐 一. 「 ものはなぜ それがみえてい るよ うにみえ るのか Jと い う知覚 心理学 の基 本 問題 ,い いか えれば知覚 的世界 の体制化 の過程 あるいは機構 に 関す る諸 問 題 につ いて ,知 覚 を生得 的な い し自発 的体制化過程 と して 捉 えよ うとす る方 向 (そ の典型 がゲ シ タル ト理 論 で あるとされ る)と 対照的な もの と して ヘル ム ホル ツ理 論 (あ るいはそ の発展 ともいえ る近 0現 代 の諸説 )が 位置 づ け ら れ る ことが多 いよ うである。 そのよ うな論議 の一 例 と して ,ホ クバ ーグ(HOChberg,1974)の 所説 を と り あげてみ よ う。そ こで は ,知 覚体制 の諸 問題 につ いて ,ま ずゲ シ タル ト心理 学 は体制化 の諸事実 を問題 と して提起 した点 で歴史 的 に重 要 な貢献 を したが. ,. その理 論特 にケー ラー流 の「 脳 の場」 の モ デ ル は結局 そ れ らについて 何 の説 明を もな しえない と した上 で ,そ れ と対比 させ る形 で ヘル ムホル ツを ,そ し てその流れ の方 向 で最近 の諸家 の説 を と りあげてい る。特 にそ こでは前述 の 運 動的要 因 さ らに視 0運 動的な構 えない しデ ィネ スが知覚体制 の成 立 に果 た す重要 な役割 が指 摘 されて い る。そ して ,知 覚 の体制化 (例 えば形 の知覚 ) を近刺激 のパ ター ンその ものや遠刺激 の特性 その もので はな く,生 態的 に確 率 の高 い対象 に対 して妥 当す べ き祝 0運 動的行動 のパ ター ン と同型 的 に対応 づ け るよ うな理 論 を さらに具体 化す る こ とが望 ま しい とす る。 ここに も,ヘ ル ムホル ツの「 運 動 へ の衝 動」 あるいは「 神経支配 の感覚」 の構想 が息 づ い てい るといえよ う。 この よ うな ヘル ムホル ツヘ の傾斜 はその他 に もい くつ も 見 出 だ され るで あろ う(例 えば ,Gogel,1970.ゃ Rock,1983な ど)。 他人 ご とで はな く筆者 自身 もか つて「 非 0ゲ シ タル ト的」 理 論 の一 典型 と して ヘル ム ホル ツ理 論 を と りあげ (柿 崎,1971),ま た知 覚 は即 ち判 断 で あ り. ,. 本質 的 に思 考 ない し課題解 決過程 で あるとい う形 で ,間 接的 で はあるが ヘル ム ホル ツの流れ に従 った こ とが ある (柿 崎,1974)。 その点 は現 在 で も基本的 には変 わ って はいない。 しか し,ヘ ル ムホル ツ理 論 とゲ シ タル ト理 論 との 関 係 は,こ の よ うに対立的 に捉 え るほかはな いので あろ うか。 かねがね筆者 は ,心 理 学 にお け る知覚論 は知覚的 0現 象的世界 (み え る世 界 )を 記述 す る現象論 ,「 み る」 とい う働 きを記述す る機能 論 ,そ して ,こ.

(14) 42. ヘルムホルツの視知覚論をめぐって. の「 み る」機能 を支 え る「 しくみ」を明 らか に しよ うとす る機構論 とい う三 つ の記述体系か ら構成 され ると考 えて きた (柿 崎 ,1981,1983,,1985)。. 若干 の. 批判 は受 け たが ,基 本的 には現在 も この考 えは変 わ らな い 。 ここで も この よ うな見地 か ら,上 記 の 関係 につ いてい ささかの考察 を加 えてお きた い。 上記 の よ うな枠組 み の 中で考 え られ る こ とを一 口に言 って しまえば ,ヘ ル ム ホル ツの理 論構成 は 《現象論一 機能論― ( 覚論 のそれ は 《現象論― (. )》. で あ り,ゲ シ タル ト知. )一 機構論 》 で あるとい うことになろ う。た. だ し,も ちろん単 純 に両者 を重ねれば 《現象論一 機能 論― 機構論 》 と して一 つ にな るとい うわけではない 。 まず両者 の現象論 の性 格が異 な る こ とが 当然なが ら問題 にな る。 しか し. ,. 両者 が どの よ うに異 な るのか について は,な お詳細 な吟味 が必要で あ り,こ こで は速 断 は差 し控 えて おきたい。ただ ,ひ とまず常識 的 に考 えれば ,ヘ ル ム ホル ツの場合 は どち らか といえば内省的 0分 析的 であ るのに対 し,ゲ シ タ ル ト心理学 の場 合 は ,よ くい われ るよ うに,実 験現 象学的 で あ った とだけは いえ よ う。 ヘル ム ホル ツの現象論 な どといえば ,あ るいは奇異 に感 じられ るか も しれ ない。 しか し Optikそ の他 にみ られ るよ うに , 物 理的な事実 にせ よ心理 的 な事実 にせ よ,ま ず それ らを 自らの眼で 徹底 して観察 し記述す る こ とが実験 科学者 と しての ヘル ムホル ツ の基本的姿勢 で あ った と 考 え られ る。 例 えば. Optikの 第 I部 (pp.175∼ 183)で の い わ ゆ る 眼 内視現象. (entOptiSChe. Erscheinungen)に つ いての観察記述 な ど,微 に入 り細 を穿 ってわれわれを 感嘆 させ る ものが あ る。そ うい う意味 で ヘル ムホル ツの理 論 は現象論 に裏付 け られ ていた といわねばな らな い 。 しか しヘル ムホル ツに とって ,眼 内視や残像 や盲点 の存在 な どのよ うな 日 常 は気 づ か れな い感覚的現象 はむ しろ特殊 な科学的興味 の対象 にす ぎない の で あ って ,心 理 学的 に重要 なのは感覚的印象 を記号 と して成立す る対象 の知 覚 で あ ったはず で あ る。“われわれ はわれわれの 感覚 をそれが外物 の 認知 に 役立 つ 限 りにお いてたやす く正確 に意識す る。 また ,こ れ に反 して ,感 覚 の.

(15) 市 1,. 1奇. 祐 一. 中 の外物 に対 してなんら の意味を もたな い部分 は度 外視す る (Optik.p。. 43 7)"。. ヘル ムホル ツに とって現象論 があ った とすれば ,そ れ は前記 の筆者 の言葉 で いえば ,「 自己― 対象」体制 と しての知覚的世界 を記述す る こ とで あ った と 考 え られ る。 そ こか ら必 然的 に,前 述 のよ うに ヘル ム ホル ツの理 論 には主 と して 機能論 の性格 が濃 くな って くる。 つ ま り,自 己― 対象体制 と して 世界 を「 見 る」 と は どの よ うな精神作用な い し機能 なのかが主題 とされ て くる。 そ こか らまた. ,. 人 の 内部 の過程 よ りは ,む しろ人一 環境 の生態的関係 の分析 の方 が よ り重要 な課題 にな って くる。Optikの 全巻 を通 じてみ られ る眼 と外界 との光学的 関 係 の 詳細 な記述 (そ れが まさ に「 生 理 光学」 の主題 )は ,後 の ブ ラ ンス イ ク. (BrunSWik,前 出)や ,理 論 と して の性格 は異 な るがギ ブソ ン(Gibson,1979) に もつ なが る重要 な意義を も ってい る。 と ころで ,ヘ ル ム ホル ツで は機構論 がなか った と果 た していえ るのだ ろ う か。 この点 につ いて遺憾 なが ら筆者 は今 の と ころ明確 な考察 はで きな い 。た だ ,少 な くと も次 の こ とは いえ るのではないか。 い わゆ る「 無意識 的推論」 を上記 のよ うな意味 で機能 的な原理 とみな して よい とすれば ,前 述 の よ うに 「 連合」が それを支 え る機構 と して延 べ られた もの と理解 され る。 しか し. ,. そねノ 以上 の詳細 (例 えば ,推 論 の過程 では過 去 の記憶表象 は連 合 はされ るが 必ず しも意識 されは しな い とい うとき,そ の よ うな過程 の さ らに詳細 な分 析 ) は殆 どな されて いない 。 そ うい う ことよ りして ,ヘ ル ムホル ツで は機構論 は 問題 と して残 された ままで あると言 え るので はなか ろ うか。 で はゲ シ タル ト理 論 につ いて は どうか。ゲ シ タル ト理 論 には機能論 が欠如 してい るとい う筆者 の 見解 に つ いては , す で に 他 の と ころ (柿 崎,1983,p. 175∼ 176)で 述 べ たので ,こ こでは繰 り返 さない。現 象論 と してのゲ シ タル ト理 論 の積極的 な意義 につ いては ,い うまで もな く誰 も否定 しな いで あろ う。 ゲ シ タル トとは単 に狭義 の「 かた ち」をい うだけではない。「 意味」 も一 つ の ゲ シ タル トで ある。そ こに は,前 に筆者 が ヘル ム ホル ツにつ いて言及 した 自己一対象 関係 とい う こ と も内包 されて い る。問題 はホ クバ ー グ (前 出)も.

(16) 44. ヘルムホルツの視知覚論をめぐって. 論 じてい る「 脳 の場」 との 同形論 を どのよ うに意義 づ け るかにあ る。 ホ クバ ー グは この種 の 同型論 で は知覚体制 の諸事実 につ いて何 ごとを も説 明 で きな い と してい るが ,果 た して そ うで あろ うか。必ず しもそ うではない と筆者 は考 える。 それ は ともか くと して も,彼 は同形論 と生理学 的 モデ ル と を同一視 して い るのではな いか 。た しかに ,例 えば 図形残効 につ いてのケー ラーの説 明 はあや しげな生理 モ デ ル で あるといえよ う。 しか し,ケ ー ラーの 真意 は ,あ るいは少 な くとも彼 の理 論 の あ るべ き姿 は ,「 脳 の場」 や「 図形 電流」 の分布 のパ ター ンによ って問題 の現象を「 説 明」 しよ うとす る こ とで はな く (そ れでは還元主義 にな って しま う), 現 象 の体制 と 生理的過程 の体 制 との 同型性 を主張す る こ とで あ ったはずで ある。そ して ,こ の両者 に通 じ る基本原理 がいわゆ るプ レグナ ンツ あ るいは「 最小作用」 とい う力学的原理 で あ ったはずで ある。 このよ うな力学的的原 理 こそ ,ゲ ル タル ト理 論 の機構論 の基本原 理で あ り, それ に基づ いて現 象的体制 のゲ シ タル トの特性 が「 説 明」 され る こ とにな る ので ある。 それ は ,一 方 では現 象的体制 の原 理で あ ると共 に ,他 方 では生理 的過程 の機構 の原 理で もある。 も しわれわれが ,心 理 学的 あるいは現象的事 実 を生理的過程 に還 元 して説 明す る こ とを良 と しな いのな らば (筆 者 も然 り ― 柿崎,1985参 照 ),同 じ原理 を心理学的な意味 での機構論 に導入す る こ とが で きるはず であ る。そ の よ うに考 えて よい とすれば ,も しここに ヘル ム ホ ル ツが論 じた よ うな機能論 を導入 して ,「 み る」 とい う働 きの仕組 み の記述 と しての心理 学的機構論 を構築す る こ とがで きたな らば ,そ れ は ヘル ム ホル ツ 理 論 とゲ シ タル ト理 論 とを統合 しうる ものにな るで あろ う。 この よ うな機構 論 の原 理 ない しモ デ ル と して は ,ゲ シ タル ト的な原理 だ けが唯一 ではないで あろ う。 しか し,そ れは極 めて有効 な モデ ル ではないか と考 え られ る。 ヘル ム ホル ツが経験論者 で あ った こ とは否 めないが ,ゲ シ タル テ ィス トは 決 して 生得論者 ではなか った こ とは い うまで もな い 。 その意 味 では両者 は必 ず しも対立的な関係 にあ るのではない。 この大 きな二つの流れを どのよ うに 合流 せ じめ るか ,そ れ は知覚論 に とっての重要 な課題 ではなか ろ うか。.

(17) 柿. 祐. 崎. sι. (プ. `″. 45. 献≫. ≪文. 19504ん グ οη. Boring,E.G。. -. πι ιrグ πι αJ′ ッ あθJqgフ 。 Appleton‐ Century‐. CrOfts.. Brunswik,E.1949&π ψ ″. liaπ. わι ル sな η げ 夕瑕 湯οJagグ んι πψ πsθ π ′ αη″ ι. 1979動 θ ιθθι9gグ. Gibson,J.J。. J. ttα. ιrグ πθ ηι ι s.Un市 .Galif.Pr. イ》 Mimin。. “. あπO ο υグ J′ ιrθ ψ ι sπ α ′斃 2ク旬α励 彦. “. HOughton. (古 崎敬 0古 崎愛子・ 辻敬一郎 。村瀬長訳『 生態学 的視覚論』 1985,サ イエ ンス社 ). Gogel,RoL.1970. η′り ιo Weidenfeld&Nicolson。 η′ ηLι グ ι ″なι. (金 子隆芳訳 イ ンテ リジェン ト 0ア イー見 ることの科学 一 。1972,み すず書房 ). 1879 E)ie Tatsachen in der Wahrnehmung.. Hellnholtz, H。. (irl VOrtrage und Reden,1884,217-271, August Hirschward.英 訳 :War,マ η &Ittzrπ η) 1910 1ttι ηグb歓 力. Helmholtz, H。 VOSS。. α. `r′. んαJZ) (英 訳 :Sο π彦. .3.Au■ .Leopold. た グ /2ysグ ο Jο gグ saι π (Qρ ″. &. οπ.(Carterette,Eo C。 篤 んιgι sttα ル ′ αグルグ θη αηグ ι 1974 0rgα ηグ グ χα″. H[Ochberg,J。. Friedman,MoP.eds.Handbook of perceptione Vol.1,Academic Pr。 ) 柿崎祐 -. 1971. 史 と動 向 柿崎祐 柿崎祐 -. ゲ シタル ト心理学 (八木. 見監修/末永俊郎編集. 講座 心理 学. I歴. Ⅳ章 .東 大 出版会 ). 1974 知覚判 断 .培 風館 1981a 視覚 の生態 ―心理学 的知覚論 へ の一 試考 ― .哲 学研究 , .. 46, No。. 546, 1--28. 柿崎祐-. 1981b 心理学的知覚論 の構 図 .甲 南女子大学研究紀要 ,No.17. 柿崎祐 - 1983 知覚 にお け る消化 の法則 について .甲 南女子大学研究紀要 ,No。 19。 柿崎祐 - 1984 なぜ “注意 "な のか ?.心 理 学評論 ,26,167-179. 柿崎祐 - 1985 知覚 の機構 について .甲 南女子大学研究紀要 ,創 刊 20周 年記念号 Rock.I.1983動 ιJο gJθ げ pι πψ ιあπ・ MIT Pr. .. Southan,J.Po c.(ed。 )19621ル. Warren,R.M。 &5 Warren,R.P.1968 and developmento Wiley.. η′んysグ θJοgグ θ αJ 9′ ガ ・ Dovere Tπ α″ グ sι θ “ θη:ItS physiology HcJπ んθルχ οπ′ιrθ θ Pι グ. θルχ's Jπ λ.

(18)

参照

関連したドキュメント

電子式の検知機を用い て、配管等から漏れるフ ロンを検知する方法。検 知機の精度によるが、他

優越的地位の濫用は︑契約の不完備性に関する問題であり︑契約の不完備性が情報の不完全性によると考えれば︑

第三に﹁文学的ファシズム﹂についてである︒これはディー

第一五条 か︑と思われる︒ もとづいて適用される場合と異なり︑

・私は小さい頃は人見知りの激しい子どもでした。しかし、当時の担任の先生が遊びを

 分析実施の際にバックグラウンド( BG )として既知の Al 板を用 いている。 Al 板には微量の Fe と Cu が含まれている。.  測定で得られる

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな