芸術療法の考え方に基づいた美術授業の試み -卒業制作プロセスの事例から-
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(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第59巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.59,No.2. 平成21年2月 February,2009. 芸術療法の考え方に基づいた美術授業の試み 一卒業制作プロセスの事例から−. 小 北 麻記子 北海道教育大学岩見沢枚デザイン研究室. AnArt−LearningProgramBasedontheIdeaofArtTherapy. −CaseStudiesfromGraduation Works−. OKITA Makiko. DepartmentofArtEducation,IwamizawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 学校組織における美術教育の意義は,ただ知識・技能の修得にあるわけではない。美術作品に触れ,また 制作活動を体験することで,情操の陶冶や現象の正確な捉まえなどを育みうる。またこれらの活動は個人の 価値観や美意識など内面の繊細な要素にも関わりうるため,指導者には適切な関わり方が求められる。本研 究では,根源的な創造行為のエッセンスについてを絵画療法への観察から捉まえ,その技法を美術教育に反 映させることを目指す。本稿においては,具体的な事例として卒業制作のプロセスを扱うことで検証を試みた。. づく高い評価への期待行為も,評価に依拠してい 1.はじめに. るという点で恐れと同根であると言ってよい)。. 私たちは言葉を覚えるより早く,色を感じ,形. 他者の視線への意識のように,行為の初めには. を識別し,動きを追う。そして,文字よりもはや. 存在しないものであったのが,生育し社会化する. く絵を描きはじめる。つまり幼い頃,描き・つく. にしたがって変容を生じるといった状況は,当然. るといった創造は日常的な行為であった。誰もが. ながら芸術に限定されるものではないし,また,. 自己表現だという意識すらなく無造作に創造行為. 他者の視線への意識は健全な成長であって,安易. を行っていたのである。しかし,成長し,学校教. に否定するべきものではない。ただ,ここでとく. 育の科目として美術に関わったとたんに「才能」. に確認し注目したいことは,制作行為と制作者の. 「センス」と口にし始め,ときには出来不出来を. 内面にはたいへん繊細かつ複雑なインタラクショ. 自己のそれと混同することすらある。また,評価. ンがあるという点である。そのため,創造行為の. されることを恐れ始める(なにがしかの自信に基. 本質と美術教育のプログラムとの間には,定量的. 81.
(3) 小 北 麻記子. あれば保管は比較的容易であるし,制作に立ち. に捉えがたい複雑な様相が厳然と横たわる。. 本稿では,上述のような創造行為の根源的なあ. 会っていない専門家に後日みせることもできる。. り方とひとの社会化との関係に注目し,美術教育. この蓄積しやすさによって,当人へのフィード. を行ううえで重要な観点と技法について検証・考. バックもなされやすいため治療に適するといえ. 察する。まず具体的事例として,美術系短期大学. る。. 生の卒業制作プロセスについて述べ,さらに考察. つまり,誤解されやすい点として挙げた2点の. を加える。事例の紹介においては冒頭の問題意識. ように,ただ絵を描いたり,あるいは,ただ眺め. をもとに,芸術療法の考え方を基にする。. たりすることが治療となり得ないのは,当事者と して作品との関係性が構築されていないからであ る。芸術であるからといって,特権的な魔法のよ. 2.絵画療法. うに治療になるというわけではない。重要なこと. 芸術療法は広義には音楽による治療行為を含む が,ここではとくに絵画に代表されるさまざまな. は,制作の過程および作品への向き合い方である といえる。. 造形活動によってなされる治療方法について,一 般的な呼称である絵画療法と表記する。 絵画療法[1]とは,絵画を媒介にしてこころの. 病を治療する一技法であり,言葉によらないで内. 3.美術教育と絵画療法 作品を制作するためには,道具や素材を使いこ. 面を表すという絵画表現の特殊性を治療に利用す. なすスキルが必要である。しかし,スキルだけで. るものである。主な特徴は以下のとおりである。. 作品が成立するわけではないのは周知の事実であ る。この間題自身はシンプルで認識しやすい事実. (1)ノンバーバルな関わりであること. であるが,その構造や問題解決の方法はシンプル. (2)カタルシス効果があること. ではない。ここに教育特有のジレンマ[2]が生じ. (3)蓄積させやすいこと. ている。なくてはならないにも関わらずそれを習 得しようとしたとたんにその本質がすり抜ける。. これらの特徴の性格から,誤解されやすい点もあ. 美術教育はこのジレンマに向き合わざるを得ない. る。とくに次の2点は顕著である。. わけだが,扱い難いものであるためにその方法論 は,問題の本質を必ずしも理解することなく行動. × ただ絵を描くことによって癒される. に移る技能ベース[3]の教育が中心となりがちで. × 「癒される絵」を鑑賞することで治療になる. ある。しかし,本来美術教育に求められることは,. 自ら問題の本質を探究し,それを具現化してゆく つまり,絵画療法においては,基本的に患者は「制. 作者」である。そうであるからこそ. ,ノンバーバ. 知識ベー. スの能力育成である。. この間題へのアプローチとしては,2章で述べ. ルコミュニケーションの当事者であり,その関係. た絵画療法の関わり方が有効ではないかと考えら. 性から治療たり得る影響を受けることができる。. れる。つまり,成果物に対する評価よりも,その. 制作の当事者として身体性の高い活動を行ってい. プロセスを重視し,制作過程を通して深く関わり. るため,状況によって,あるいは患者によっては,. 続けることが重要であるということである。この. 涙を流すなどの負荷の高い精神活動がなされなく. ことは,以下の関係で表すことができる。. てもカタルシス効果を得ることもできる。さらに, 造形物は実体のあるものであり,言葉のように純 粋に概念的な存在ではない。また,とくに絵画で. 82. 作品への向き合い方への注目・評価(本碇案) > 最終結果への評価(技能ベース教育).
(4) 芸術療法の考え方に基づいた美術授業の試み. また,絵画療法では,制作物に対する客観的視. 的にたいへん強い負荷がかかる。しかしだからと. 点と制作者自身の主観的視点とを行き来しながら. いって,いい加減な作品を作ってしのぐといった. 作業を進めてゆく。美術教育における関わりでも,. 回避行動は容易にできない。なぜならば卒業制作. 次に示すような視点の往還が求められる。. では,作者である学生本人が設定しなくてはなら ない要素が多いため,どうしても作品と作者の関. 主観評価←(往還)→客観評価. 係性が強くなり,作品=私 とみなされがちなも のを放棄することもまた精神的に厳しく,簡単に. さらに,ここでわかるようにこの関係性は作者 と作品のみで閉じるものではない。したがってな. はとれない行動であるからである。. そこでここにあげる卒業制作の指導においては. んらかの形で,当事者以外の立場にたつ他人(教. 3章で述べた考え方をもとに,作品と作者の関係. 員・医師・臨床心理士・絵画療法講師)がいるこ. に注目しながら働きかけた。. とが望ましい。下にその状況を示し,情報の流れ を矢印で示す。また,対応を捉えるために教育と 医療の両方の立場を列記しておく。. 事例1 視覚から触覚への欲求を高めるためのオ ブジェ「組み体操」. 作者(生徒・学生・患者). 他者(指導者・医療スタッフ・仲間). 以上のとおり,絵画療法で用いられている手法 は,生徒や学生と深く関わる美術教育との親和性 がたいへん高い。筆者は演習や制作の指導に,こ. れらの手法を導入してきた。次章ではこれらの取 り組みの一部を紹介したい∩. L_ 4.実践事例. ト. 「■■「■. 画像1:「組み体操」佐藤未歩作(2006). ここに示す実践事例は,筆者のかつての所属先 である美術系短期大学で卒業制作として碇出され. 【作品説明】この作品には定まった形がない。画. た作品の一部である。卒業制作はそれまでの課題. 像1左下のような毛糸玉5つ程度をつないだ輪ゴ. 制作と異なり,自らテーマを定め,必要な準備を. ムが1ピースであり,それらを自由に連結して造. し,スケジュールを立て,最終的に作品として形. 形を行う。鑑賞者は自由に触り,好きな形をつく. にしなくてはならない。短期大学生の場合,それ. ることができる。. までの在学期間が短いため,自主制作をほとんど. 【素 材】毛糸各種,ゴム. しないままに先に述べた卒業制作のプロセスを踏. 【サイ ズ】可変のため不定(写真の例では直径. まなくてはならない。言われたことを言われた手. 約1.5メートル). 順でしか行ったことがない,つまり 技能ベース での学びが主な状態で卒業制作に入ることは精神. この作品の作者は,当初はしっかりと骨組みを. 83.
(5) 小 北 麻記子. 入れた造形物を構想していた。コンセプトとして. ようになった。. 重要な要素としては「触りたいと感じること」で. その後の進行はたいへん順調で,上述の段階を. あったが,アイデアスケッチを始めてもしばらく. 越えてからはコンセプトをもとに造形上の各要素. のあいだは「どんな形にするか」についてのみじっ. を素早く適切に決定できるようになった。表情も. と考えていた。たしかに「形状」というものは触. いきいきとし出し,この作品を構成する膨大な量. りたいという欲求に影響を与えるものの,それの. の毛糸玉を作ることにも飽きることなく楽しみな. みで制作の方針を定めるには無理があるのだが,. がら進めている様子であった。時間に制限がな. 本人の認識に根強い「立体作品を作る=なにかの. かったらいつまでも制作していたのではないかと. ような立体造形(例えば人物の部分であったり,. 思われるほどである。そして卒業作品展の会場で. 植物のようであったりするもの)」といった思い. はたいへんな人気となり,触りたい子供がいつま. 込みが強い状態であった。. でも離れなかったり,知人でなかった人同士がそ. そこで,完成形を描こうとするスケッチをあえ. れぞれの造形物をつないでまた異なる造形物をつ. てストップさせ,その代わりに,触りたいと思う. くり出したりする光景がみられた。また,高齢者. ものについて自由に挙げさせてみることにした。. や高齢者に関わる仕事を持っている方々がこの作. アウトプットは言葉でも絵でもよいのだが,重要. 品に強い興味を持った点も興味深いことであっ. なことは,どのような表し方,内容でも決して否. た。. 定せず,脈絡も気にしないで思いつくまま挙げて いくことである。それでもはじめはモノを挙げる 傾向が強かったが,面談を続けていくうちに,状. 事例2 人のライフサイクルに対応するイラスト レーション「Re:サイクル」. 況や心情,抽象的なイメージが出てくるように. nl,. なった。だんだんとイメージスケッチの量や言葉 が増え,また,出るスピードも早くなっていった。 当初のスケッチでは完成した様子の立体が小さく. 固い線で描かれていたが,しだいにまどろっこし いくらいに弾む軽いなめらかな線で紙面を埋める ようになっていった。. この段階になると自然に,メインのコンセプト である「触りたいと感じること」について,それ を鑑賞者に伝えるということは,鑑賞者の内面に その欲求を引き出すトリガーを示せばよいのだと. 理解するようになった。作者がようやく捉えた感 触のようなものをまた鑑賞者にも想起してもらえ ばよい。. 1■■」■. 画像2:「Re:サイクル」菊地早生作(2006). 表層を通して,表層を形成している内面や構造 を捉えたり捉えさせたりすることは,作者本人の. 【作品説明】この作品には生きもののようなイラ. 作品理解や鑑賞者の作品鑑賞において重要なこと. ストレーションが描かれている。画像2には円が. であるが,容易ではない。この作品の制作者につ. 4つあるが,これらはひとつの画面に配されてい. いては,完成形を早い段階で求めすぎないで最終. るのではなく,円ひとつずつで完結した作品と. 的な停まいのようなものを集中して考えることに. なっている。また,右下は照明を消した場合の例. よって自作の本質を直感的に捉えることができる. であり,作品としては3点である。作品は円形の. 84.
(6) 芸術療法の考え方に基づいた美術授業の試み. 台に止められ,壁にかけることができる。台には. 識としては「どうということもない落書きなので. 厚みがあるため,床においてたてて使用すること. 作品ではない」といった認識であった。しかし,. も容易である。イラストの内容としては,写真で. 自分と生きものとの関わりなどを思い出のように. はわかりにくいが,円のなかの小さな不定形はす. 話しているうちに,やはり自己を投影しているら. べて空想上の生きもののシルエットである。ひと. しく思い入れの強さを自覚し「生きもの(イラス. つの円の中に70∼80種類はいるため,3点すべて. ト)との関係」そのものに注目して可視化するこ. で200種類以上はいることになる。これらの生き. とで作品として成立させられないかと考え始める. ものはすべてそれぞれ異なった擬態語をもとにイ. ようになった。. メージされたものである。右下の電気をつけてい. イラストが人の日常と連動するためにはどうし. ない状態では,夜光塗料によって描かれた生き物. たらいいのか,平面に限定させずさまざまなあり. が浮かび上がっている。明るいときは活発に活動. 方を検討した。ランプシェードにしようとして詳. している様子を見ることができるが,暗くする時. 細段階まで制作していたこともあるし,そもそも. (就寝時)には眠気をイメージした生き物が現れ. 夜光塗料という着想を得るまではさまざまな画材. るといった仕組みになっている。暗いなか床につ. や支持体について検討した。ただのイメージイラ. きながらぼんやり浮かぶ絵を眺めているうちに意. ストとしてAlサイズ程度にレイアウトすること. 識は眠りに向かうわけだが,それに伴って作品の. も考えた。. なかの生き物もしだいに薄らぎ,部屋の住人とと. そうこうするうちに,人の日常,すなわち一日. もに眠りにつくといったストーリーである。住人. の流れのなかで変化するものはなになのか?と考. のライフサイクルに呼応するイラストレーション. えはじめ,光ではないかと仮説をたて,では光に. を目指したものである。. 対応するとはなにか,適合する表現材料とはなに. 【素 材】ケント紙,アクリル絵の具,夜光塗 料(台:発泡スチロール) 【サイ ズ】600×600×40(ミリ). か−といったふうに,手をひたすらに動かしてス. ケッチしながら考えるなかで方向性がみえてき た。夜光塗料を使うことにしてからは,たいへん. 早く特別な障害もなく,さらりと作品になった。 この作品の作者は,もともとこの作品のなかで. この作者の場合,自作のあり方を見直すと同時. も描かれている不思議な生きものをなにげなく描. に幅広い試行錯誤を行ったことによって,アナロ. き続けていた。ノートの隅などにいつも決まって. グの手法ではありながら,自動的に,表層も意味. 描くといった調子の,いわゆる落書きである。資. も時間に絡みあう作品ができた。構造がシンプル. 料画像の解像度の関係上,アップで碇供できない. でありながらコンセプトが明快かつ繊細な作品に. のが残念であるが,一定の線と繊細な曲線をもと. 仕上がったことに加え,もとより有していたキャ. にした可愛らしいが不気味な感じもする不思議な. ラクターの魅力とが相まって,鑑賞者からも高く. キャラクターである。たいへん魅力的なのでぜひ. 評価されていた。また,作者の両親がたいへん感. 深めて欲しいところであったが,なにぶん「なに. 激していたことが印象に残っている。. げなく」「日常的に」「気分に応じて」描いている. ものであるから,大きなキャンバスに厚く描き込 むといった卒業制作らしい作品化は馴染まない。. そこで,この生きものと作者の関わりを掘り下 げてみることにした。聞き取りのなかで,すでに 述べたように「なにげなく」「日常的に」「気分に. 応じて」描いていることが分かったが,本人の認. 85.
(7) 小 北 麻記子. 事例3 錯覚を利用した仕掛けのある作品「ミ ラー∼鏡を使ったトリックアート∼」. この作品の作者は,卒業糾作の案として,とに. かくトリックアートがしたいと強く主張した。理 由は子供のときから好きだからというもので,そ もそも美術系短大に進学したのもトリックアート が好きだからという。カリキュラムにトリック. アートがなかったのでせめて卒業制作では夢を叶 えたいといった様子であった。しかし,出された 案は現実的に困難なものばかりであり,例えば,. 本物と見聞違うくらいのスーパーリアリズムを実 現する必要があったり,極めて高度なテクノロ ジーを導入しないといけないものだったりした。. 錯覚を利用するにしても立体物でトリックを実現 するには完成度の高い仕事が必要だった。いろい ろ考えてはみてもなかなか現実的になりにくい時 期が長く続いた。. そこで,射こが実現を困難にしているか要素を 順番に整理した。そうすることによって自分で出 来ることや作品の方向について当該学生にとって 画像3:「ミラー∼鏡を使ったトリックアート∼」 東野朗子作(2006). も納得いくかたちでシンプルになっていった。. この学生の場合,モチベーション自体はすでに 述べたような背景があるためたいへん高い。卒業. 【作品説明】この作品は,一見シンプルな壁掛け. 制作指導の多くの場合,モチベーションを上げる. 作品に見える。さまざまな解像度,さまざまな色,. ために工夫をしなくてはならないことが多いが,. さまざまな大きさといった程度に要素に幅がある. ここでは逆にモチベーションの高さゆえに非現実. が,基本的にビー玉の写真が月占り付けてあるだけ. 的になりがちなところに留意しなくてはならな. である。しかし,そう感じながら正面に立ったり,. い。しかし,思い入れや愛情が強い状態で,いわ. 横目に通り過ぎたりするときに,変化に気づく。. ゆる現実をみることを促すというのは困難であっ. なにかが動くのである。まず「動き」で驚き,立. たり危険であったりすることも多い。精神的に不. ち止まってみると作品のなかにおぼろげに自分が. 安定になるなど難しい状態に陥る可能性が高いこ. いることに気づく。実は,この作品は支持体に鏡. とを事前に想定した上でフォローを用意しておく. を使っている。鏡の上に,不透明シールに印刷し. ことがのぞましい。また,納得いかない場合,仮. たビー玉の画像を貼っているわけだが,数カ所は. に黙っていたとしてもストライキのように行動を. 透明なシートに印刷したビー玉である。透過・不. 停止する傾向があるため,現状認識を促す際には. 透過が混在していることや,奥にある鏡自体の反. 時間をかけて納得いくプロセスを踏まなくてはな. 射を知覚しにくいように,モチーフを選定する際. らない。いつまでも膠着していると最終的に制作. には,モチーフ自体が透明・不透明両方あるもの,. 時間が不足してしまう可能性が高いため,目立っ. なおかつ光っているものということでビー玉を選. た進捗がなくても定期的に対話しつづけることが. 定している。. 重要である。. 【素 材】額,鏡,シール(透明・不透明) 【サイ ズ】735×520(ミリ). 86. 最終的に当該学生は自分の作品にたいへん高い 評価をして満足していた。また,自分の長年の夢.
(8) 芸術療法の考え方に基づいた美術授業の試み. をひとつ実現したことで自信を得で性格も明るく. うことではなく,相互に対して重要な意義がある. なり堂々と同級生とも関わることが出来るように. ということがわかる。. なった。もともとはたいへんおとなしくほとんど 詰もしない学生であった。卒業作品展会場では同 年代からの反応も多くあり,それのことも本人の 精神的充足に繋がったようであった。. 6.おわりに 「生きる力」という言葉が教育現場に指針とし. て示される現代において,美術教育の果たす役割 5.考 察 3章で述べた考え方,関わり方に留意しながら. は大きく,重い。いまや美術教育に携わる者には, いわゆる上手い生徒・学生の育成のみではなく,. 創造という行為がひとにいかに影響するのかと. 事例についてまとめる。事例1では,ものごとを. いった創造性の根源に触れる観点と技法を有する. 狭く定義してしまいがちな傾向に対して働きかけ. ことが必須であるといっても過言ではないだろ. た。視点の転換・拡張による発想の柔軟化である。. う。本稿で述べたことは,あたりまえのことであ. 事例2は,すでにあるにも関わらず見いだせてい. るとも言えるが,多忙によって学生と向き合う時. ない状況へ働きかけるものであった。価値の再発. 間や体力,気力が奪われてしまうとなかなか実現. 見・再獲得である。事例3はイメージと行動の禿. しにくい関わり方でもある。美術授業ではその科. 離に働きかけるものであった。現状への恐れの媛. 目の性格から,大講義室で一律に教授する方法で. 和,自己肯定感の醸成である。. はなく,全体へのアナウンス,個別のアドバイス. 成長を妨げる精神的ブロックは当然ながら人に. のいずれも必要である。だからこそ,個別のあり. よってさまざまな訳だが,卒業制作という自己を. ようをていねいに観察したうえで,個体の問題解. 投影しがちなプロセスにおいてはその関わり方に. 決を行うことができる。美術の力というものは,. は細心の注意が必要である。かといって,なんで. その完成物や上手い者にのみ特権的に宿るのでは. もいいとばかりに教員の判断や意志を伝えずに,. なく,各人の作品への関わり方に対しても,それ. ゆるく受容するばかりでは作品が好転しないばか. ぞれのあり方で宿るのではないかと考える。. りか,受け入れられているようであるが実は向き. 今後は,事例分析をもとに,制作者と作品,鑑. 合ってもらっていないのだと学生は気づき,不安. 賞者,指導者との関わりについて,その構造的な. や不満を持つことになる。. エッセンスの記述を行いたい。また,事例分析に. 卒業制作に限らず,大きな作品や経験のないプ. ついて,成功したケースのみではなくうまくいか. ロジェクトに臨むことは学生にとっても教員に. なかったケースの分析からも重要な示唆が見いだ. とっても非常に重い負担であることは否めない。. せる可能性が高いと思われるため,うまくいかな. しかし,この機会をうまく捉え,辛抱強く丁寧に,. かった事例についても検証を進めたい。. そして個別に関わり続けることによって,学生は 大きく成長し,ものごとへの向き合い方といった 参考文献. 生き方につながる糧を得ることができる。複数の 学生と深く真剣に向き合うことは安楽ではない が,学生が本質的な自信や克己を獲得することは,. 教員に対しても嬉しくすがすがしい満足と自信を もたらす。つまり,本稿で述べている絵画療法的. [1]徳田良人,村井靖児:アートセラピー,R本文 化科学社(1998). [2]J・ピアジェ,E・H・エリクソン他:遊びと 発達の心理学,黎明書房(2000) [3]海保博之,原田悦子,黒須正明:認知的インタ. 関わりによる美術授業の実践は,教員が学生に一. フェース コンピュータとの知的つきあい方,新. 方的に与え,学生が一方的に利益を享受するとい. 曜社(2003). 87.
(9) 小 北 麻記子. 謝 辞 この研究は,2006年全国の教育系大学,学部(参 加局:北海道教育大学,宮城教育大学,秋田大学,. 筑波大学,東京学芸大学,上越教育大学,富山大 学,信州大学,名古屋大学,三重大学,佐賀大学,. 長崎大学,兵庫教育大学,鳥取大学,鳴門教育大 学,香川大学,お茶の水女子大学,室蘭工業大学). が連携して行われた「SCSを利用した大学間遠 隔共同講義[情報教育・メディア研究]」におい. て筆者が行った講義が基になっている。貴重な機 会を与えてくださった秋田大学教育学部浦野弘先 生,上越教育大学南部昌敏先生に感謝します。. (岩見沢校講師). 88.
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