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「リーンハルトとゲルトルート」の教育思想(II)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 「リーンハルトとゲルトルート」の教育思想(II). Author(s). 松田, 義哲. Citation. 北海道学芸大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 12(2): 19-37. Issue Date. 1961-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3867. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第1 2巻. 北海道学芸大学紀要 (第÷部C). 第1 号. 6年12月 昭和3. 「リ ー ン ハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 の 教 育 思 想 (=). 松. 田. 義. 哲. 北海道学芸大学岩見沢分校教育学研究室. ,s f pestalozzi ionaI Thoughts o Yoshi )A : Educat aki M[AT8U] “ “Li 1, enhard und Gertrud ---1. m. rリーンハルトとゲルトルー ト〕 の教育思想. 1 社会学的考察 「リ ー ソハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 四 巻 は,. た し か に 小説 で は あ る が, し か し そ れ が も つ 固 有 の. 価値は文学的視点よりもむしろ社会学的視点において評価さるべ きもののように思われる, とい うのはそれは産業革命の前兆があらわれ始めていた当時の社会のあ り方を忠実に描写し, 変化し つ つあ る社 会 の も つ 諸 問 題 を 鋭 く 指 摘 し た 時 代 の ドキ ュ メ ン ト と し て ュ ニ ー ク な 価 値 を も・っ てLい. るからである. その意味で, それは最も価値ある社会学的資料である. ペスタロ ッチ-にあ りて は明らかに文学的関心よりは社会学 的関心の方が強い. 本来現実主義者としての ペスタロ ッチ- はこの著作の叙述において も, できるだけ客観的な立場に立って時代のすがたを如実に描き出そ うとし て い る か の よ う で あ る,. 彼 自 身 第 一 部 の 序 文 で 次の よ う に 述 べ て い る. 「私 は, こ こ に 物. 語ること, すなわち私が実生活の途上で, たいていは, みずから見たり聞いたりしたことを叙述 することにおいて, 私が見たり聞いたりしたことに私自身の意見をつけ加えないよ うに注意す る 1 ) 「もしそれらの経験が真実でなく, 私の空想の産物であったり, 私自身の意見 ことさえした」. のたわ ごとであった りすれば, それらは他の日曜日の説教のように, 月 曜日には消え失せること 2 ) であ ろ う」.. ペスタロッ チ-の現実主義は, この著作において最も徹底ししたかたちをとってあ らわれてい る, 当時の変化しつつあった社会的現実が彼をして, かくも現実主義的たらしめたものと思われ る, 彼はこの著作の第四部において, 牧師のロを通して, 「あなたの現在の時間を どう使うかが あなたの人生の価値を決 定して行くのだ, あなたが現在叡知を求めなかったとしたら, あなたは 人生の夏において, 秋において, それを空しく求めなければな らな い. あなたが現在諸能力を培 っておかなけれ ば, 後に空し くそれを願わなければならない. あなたが現在失ったものを, あな たは一生取り戻すことは できない. あなたが今逸してしまったものを, あなたは死ぬまで逸して ) と語らせているが, これは言うまでもなく彼の現 実主義的立場を表明したもの で しまうのだ」3 あ る,. ペスタロ ッチ-の社会に対する関心は, 青年のこ、ろから, 極めて織烈なものがあった. 教育を 社会改革の手段とする考え方は彼の 全著作を一貫している, 従って彼が社会的現実を不断に注視 したことも彼にとっては極めて自然のことである. ところが事 実, 当時の社会の現実は急速に変 化しかけていた. 機械の発明が産業革命を結果し,その出来事が農村の人々を都市 に集中させて, 一 19 一.

(3) . 松. 田. 義. 哲. 新たにプロ レタリア階級 を発生せしめるに至った. 従って必然的に社 会的構造の上に変化をきた さざるを得なかった. プロ レタリアの 発生は蒸気機関 と木綿紡績機械の発明に始まるとエンゲル i i ス (Fr edr ch Engels1 ) は述 べているが, 事実, 当時の社会的変 化はこのような もの とし 820‐95. て説明されよう. この著作の第一部が出たのが1781年. 第二部が178 3年, 第三部が178 5年, そし て第四部が1787年である. 英国においては主 として177 0年から18 30年にわたる期間に産業革令が 起っていた. そして英国では1811年から1 891年の八十年間に八百万人の都市集中が行われた とい わ れ て い る. ヘ ー ゲ ル (G. W. F. Hege l1770‐1831) が 死 ん だ の が1831年 ,. ゲーテ ( J . W, v .. Goethe 1 9‐1832 ) 74. が死んだのが1 8 31年, そして大体この頃を境目として一応理想主義教 育学が 終島を告げるこ とにな る. このような社会的変動が何らかのかたちで社会的小説ともいわるべき この著作にあらわれて来ないはずはない. 事実, この著作の第二部に次のような注目すべき叙述. が見出される, 「この時代に, 昔からの愛に満ちた, 静かな, 落ちついた, 幸福な 生活を根本的に破壊するよ うな, いろいろの事が一時に起って来たかのようであった. 綿糸紡績は, この時代に, 新しく起 って, 一時に流行したもの であるが, これが, また, それに大いにあずかって力があった. この 地方全体において富裕な生活をしている人 でも, それ以前には金というものは, もっていなかっ た, その富裕というのは, ただ食物とか, 飲料とか, 衣服とか, その他必要とするものが, あ り 余るほ ど, その田地に成長したということであ った, 彼らはそれに満足していて, 金のかかるよ うなもの は, 殆んど使用しなかった, これに反して, 新しい紡績業に従事する人々は, 忽ちにし て, 財布に金が一杯たまった, それが, また, 以前には財産も資力もなく, 従って家政とか家の 秩序とかいうものについては, 何らの知識もない連中であったので, 貯金ということも全然知ら ず, その儲けを衣食の道楽に使い果し, そして, この村で誰一人として知っているものがないよ うな多くの品物を調達して来た. 砂糖とかコーヒーとかが, この村で普通に使われるようになっ た,.一畦の田も持たず, 少しの貯えもな い連 中 で, 恥かしげもなく賛沢の限りをつくして, 深紅 色の ジャ ケッをつけた り, びろうどの帯を結んだりしていた. 田地をもっていた人々は, そんな ことをすることができなかった. また彼らのように紡績業で金を儲ける時間もなかった. だが, つい近 頃 まで, たった一握りのかぶらや芋をくれても, 感謝の百寓 べんも言っていたこの 紡績職 人たちに劣ったことをしようとは思わなかった. こうして昔から伝わって来た善良な農民の家政 は殆んど大部分破壊されてし まった. なぜかというに, 彼らはこの田園の家にあって紡績職人の 成り上りの 軽薄な風に染み込んでし まって, コーヒーや砂糖な どの賛沢品 を用いたり, サヴオイ 人から羅紗のかけ買いをした りして, もはや自分の地所 で成長したもの --それを自分のために も, 子供のためにも, 孫のためにも, もちろん不足がないほ ど充分にもっており, 彼らの 祖先も 何百年もの間, それで何ら不自由なく, 充分幸福に暮して行くことができたのに一一だけ では満 ) 足しな く な っ た」.4 またこの著作の第三部でも, 新しい学校を設立することが必要であることの 理由として, 生活 事情の根本的変化についての叙述が見出される. 作者は新代官マイヤーをして次のように語らせ て い る, 「よ く 考 え て み ま す と 私 に は こ う思 わ れ ま す. た と い あ な た が で き る限 り ど ん な こ と を な さ い ,. ましても, もし学校教師と呼ばれるあの卑劣漢を追放して, 学校を全然無くするか, それともそ の中に全く新し い施設を設けるか, とにかくそういった処置をとらないな ら,あなたの目的を達す ることは とてもできません. 御承知のように,この五十年来われわれの 生活事情は全く一変してき 一 20 一.

(4) . 「リーソハルトとゲルトルート」 の教育思想 (1 1). ていますから, 旧式の学校制度では,もはや民衆並びに民衆が目的とすべ きものに適当しないの で す, 昔は万事がもっともっと単純で,誰も農耕以外の他の手段によって暮し を立てる必要はなかっ たのです, このような生活にあっては,人々はなるほ ど余り教育される必要もありませんでした, 農夫は厩に, 脱穀場に, 森林に, 田畑に, 自己固有の学校をもち, 行くところ, とどまるとこ ろ,. 到 る と こ ろ に, な す べ き 学 ぶ べ き多 く の こ と が あ るの で, いわ ば 学 校 は 全 然 な く て も, 自 分. がなるべ きものに充分なり得るのです. 彼らは, 私の見るところでは, 同様に手仕事によってパ ンを稼がねばな らない一般の都会人と全く同じ事情にあります, そしてもし彼らが, これらの教 養ある都会人と同様に思慮深く慎重に行動するように, そして手に入る金銭はこれを一銭 でも凡 帳面にわけて貯金したり使ったりするように指導されないと, この種の貧乏な糸紡ぎ職人たちは, どんなに儲けても, どんなにそのほかに補助されても, 要するに永久に傷んだ身体と悲惨な老年 5 )(下線筆者) 以外には何も得ることができません」, 上の引用文にお いて, 「この五十年来われわれの 生活事情は全く一変してきていま す」 とあ る のは, さきに引用した第二部の社会学的叙述と願し合わすとき一層意味が明確 になるであろう. つまりこの時代に綿糸紡績が新しく起って来て流行し, それが昔からの愛に満ちた, 静かな, 落 ちついた, 幸福な生活を根低から破壊したという事実である. 言いかえると, 農民たちは紡績職 人の成り上りの軽薄な風に染み込んでしまって, 賛沢な生活を貧るようにな・ り, 村の純風美俗が ペ 破壊されたことである, この生活事情の根本的変化は スタロ ッ チ-の思想の正しい理解のため に極めて重要な意味をもっている. このような ペスタロ ッチ-の把握の仕方は, おのずから私を ) か ら 遠 の か せ る こ と にな る, 周 知 の よ う に, ナ ト ル プ は ペ ス タ ナ ト ル プ (P, Natorp1854‐1924. ロ ッチ-を主として理想主義的に解釈した. 従って彼においては, ペ スタロ ッ チ-の時代の生活 事情の根本的変化という一大出来事も, さほ ど重要な意味をもたなかった, しかしそ のような立 場からは, ペスタロ ッチ←が何故工業労働のための陶冶に重きをおいたかの理由も理解すること ができないであろう. しょせん, ペ スタロ ッ チ-の思想も時代が課した諸問題を解決するために 生み出されたものにほかならないのである. 2. 知. と. 行. 知 行 一 致 の 思 想 は東 洋 に もあ る が, ペ ス タ ロ ッ チ ← が 知 (Wi sen) と 結 合 す べ き もの と し て の s. ) を問題. にするとき, それは単なる道徳的実践のみを意味せず, 同時に生産労働とい う 行 (Tun 意味での実践をも意味している. その点でそれは東洋的概念とは必ずしも一致しない. しかしこ の問題もやはり社会学的見地に立たなく ては, 正しく理解す● ることができないであろう. ペスタ ロ ッチ-が工業労働ののための陶冶に重きをおいたのは, 社会的情勢の変化に伴って生じた生活 上の諸要求に応ずるためのものであったことについては, すでに明らかにした, ソヴィ エトの教 育 学 者 ク ル プ ス カ ヤ (N, K. Krupskaya 1869…1939) が ペ ス タ ロ ッ チ - を 祖 述 す る ゆ え ん も,. ま. た, ペ スタロッチ-において見出される生産労働という意味での行の概念に価値を認めたことに よ る.. ペ ス タ ロ ッ チ - が 「リ ー ソハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 全 四 巻 を 通 じ て 終 始 問 題 に し た もの は. 実に知と行との関係であるといってもよい. しかもその 行の概念には, すでに指摘したように, 生産労働的実践と道徳的実践との二義が同時に含まれていることにわれわれは注目する. 総じて 「リ ー ソハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 の 思 想 は,. ペ ス タ ロ ッ チ - の 全 著 作 の うち 最 も 唯 物 論 的 傾 向の. 強いものであ るが, しかし, それかといって精神的価値が犠牲になっているとは考えられ ない. そ ういう意味で, この著作は, ペスタロッチ←の全著作のうちで, 最も興味あ るもの であり, 最 [ 2を 『.

(5) . 松. 田. 義. 哲. も含蓄あるものであ る. 殊にこの著作を特徴 づける行重視の思想は, 彼の真掌なる社会学的関心 が生み出したものにほかならない. 言いかえれば彼は実にここに社会救済の鍵を見出 したのであ る. 次 の引用はヨーストとエー ビと百姓たちとの間にかわされる対話であるが, そこに行重視の 思想がよくあらわれている, ヨー スト 「兄弟, 知識の実行との間には天地の隔 りがあ ることを, ただ信ずるん だね. 知識だ けで仕事をする者は, その仕事を忘れな いように, ほんとうに充分注意しなけれ ばな らない」. ) 百姓たち 「そうだ, 兄弟! や ら な い こ と は 忘 れ る もの だ」.6 エ ー ビ 「し か し ど う だ ろ う, 兄 弟. 人 間 は 知 る こ と は, い く ら 多 く知 っ て い て も, 重 す ぎ る と い うこ と はな い と よ く 言 わ れ る が, し か し お れ は, 人 間 は 多 く 知 る こ と が 過 重 にな る こ と が あ り. 得ると思う」. ヨ ー ス ト 「人 間 は す べ ての こ とを,. た だな す た め に知 ら な く て は な ら な い. 実 行 す る こ と が,. すべての人間にとって, つねに主要事なんだ, 知り理解することは彼らが主要事をうまくやるた めの手段だ. だから人間のす べての知識も, 各人において, 彼が実行し, なさねばな らぬこと, もしくは彼にとって主要事 であるもの に合っていなければならない」. エー ビ 「人は頭を余りに多くの もの, 関係のな いもの で一杯にしても, それを彼の仕事や, つ ねに最も必要なものには使わないもの だ」. ヨースト 「全くその通りだ. 各人の思想や頭は, その人に最も近い関係にあるものに結びつい て いな く て は な ら な い, … … 各 人 が 自分 の こ と を よ く 頭 に入 れ て お け ば,. ど ん な 所 でも う ま く 行. くだろう. おれたちは正しく知るようになれば, つねに充分早くから多くの事を知 ることができ るようになる, しかしおれたちは身近かな自分の事につき実行から始めなけれ ば, 決して正しく 知るようにはならない, そういう関係で知識は秩序正しく頭の中にはいるの だ. そのよ うに始め ると, 人間は確かに人生に深くむ はいる. しかし怠惰な鏡舌や年代記もしくは雲や月 からの他の夢 7 ) からは, 確かにだらしくなくなるよ り他に何も学ぶものはな いね」. 同じ思想を作者は牧師にも語らせている. 牧師もまた, 「意見と遠く離れた事物とに対する強 い注意と, 義務と実行と近き境遇とに対する弱い注意とは, 人間精神の本質における無秩序にな 8 ) と述べている る」 . 人間が重大な事柄において無知であ ったり, 何の関係もな い知識に対する 愚鈍な偏愛をいだくようにな ったりする原因はここにあ る. ペスタロ ッ チ-は経験の裏 づけのな い言葉というもの を信頼しない. この現地はすでに 「隠者の夕暮」 において強調されているが, それが発展してこの著作では言葉を排して, もっぱら行を重視する思想となっている, この思想 が発展して, やがて直観の原理として確立されることにな る. また牧師は言葉を煙にたとえ, 火が純粋であれ ば, それ だけ煙が少いのと同様に, 人間の教え も言葉数が少 いほ ど効 果があると説いている. 「一般の人に対しては多言は全く無益であ る. 多 くを語れば語るほど, 益々人は心の中で, その人に対して思っていることを, その人に表現でき なくなるもの だ. 多言は全く彼を混乱させてしまい, 彼をして, つねに多くの取るに足らぬ事柄 と, 大切な事柄とを取り違えさせる. それだの に現代の 人々は, 若いころから語らぬ言葉に附さ れて, 人間の外的表徴を神聖なものにする人間の内面的善良 と敬慶さとの無言の純粋な表現に対 ) し て 殆 ん ど感 覚 を も っ て お らな い の で あ る」.9 ゲ ル ト ル ー ト と ル ー デ ィ との 対 話 の う ち に も,. や は り 同 じ 思 想 が あ らわ れ て い る. そ れ は 死 ん. だルーディ の 妻に対する批判のかたちで示されている. 2- -2.

(6) . 「リーソハルトとゲルトルート」 の教育思想 (日). ゲルトルート 「彼女の家政が普通よりも, いや言葉に言いあらわすこともできないほ ど堕落し 腐敗 し て いた こ と を, 私 は シ ョ ー ダ ー 老 人 か ら 聞 い た の で す」.. ルーディ 「彼女は若い時分に牧師館に住み込みすぎたのです」. ゲ ル トル ー ト 「そ れ も そ う で す」,. ルーディ 「彼女が祈祷書や啓示の新しい説明を手にしたときには, 私の眼を疲らしてしま うこ とが, しばしばでした. 彼女は子供たちの顔を洗ったり硫つたりしませんでした, 私は彼女が健 忘症のために火事でも起したら困ると思ったので, かま どの火をかき消すために, 私みずか ら毎 日台所 に行かなくてはなりませんでした」. ゲルトルート 「書物とい うものを正しく考えると, 一人の婦人の書物は日曜日の晴衣のようで あり, 仕事は平常日の衣服でなく てはなりません」. ルーディ 「今では私は私の不幸を醐り笑わないわけにはいきません. 彼女は, まさに, この晴 衣を毎日着, まるで祈祷と読書とが, 人間がこの世に生きる理由のすべて であるかのよ うに, 子 供たちを養育したのです」, ゲ ル トル ー ト 「 ・そ んな に す る か ら 子 供 た ち は, れ てし ま っ て い るの で す」.. ま さ に 必 要 な と き に, 祈 る こ と も 読 む こ と も 忘. ルーディ 「残念ながら私たちの場合がその通りでした! 彼女が病気になって, 何処にもパ ンの 一片もなくなったとき, 彼女は, もはや子供たちと書物なんか には手も触れず, 子供たちの誰か が眼の前にあらわれると, ただ泣く ばかりでした」, ゲルトルート 「ルーディ さん, それは誠にいい戒めです. だからお前さんは, 子供たちに, い l ) o ろ い ろ お喋 り す る よ り も 働 い て 生 計 を 立 て る よ う に 教 え て や り な さ い」.. ゲルトルートの教育は, 以上に述 べた思想の忠実な実践にほかならなかった. 彼女は子供たち が紡いだり縫ったりするときに, 物を数えたり計算したりすることを教えた, 「物を数えたり計 D と彼女は確信していたの であ る. その 算した りす ることは, 頭脳の一切の秩序の基礎である」I 方法は, 子供たちが紡いだり, 縫ったりす るときに, 糸や針孔を小声で自分で数えさせたり, い ろいろと異つた数をはずしたり, 加えたり, 減じたりさせることであった, 子供たちは, こんな ・彼らはまた疲れて 場合に, 誰が一番速くて正確であ るかをためそうと, 互いに熱心 に競争した. 来ると, 歌を歌った. 朝と夕 とには彼らは ゲルトル←トと共に短い祈りをした, ペスタロッ チ-の教育哲学は, 新しい学校の校長 になったグリ ューフィ ーの教育哲学ともなっ てあらわれてい る. 彼は牧師に対して, 「私が学校における馬鹿げた愚事と申しますのは, ほか でもありません, 一般に児童に, 物事に関して途方もなく喋り立てる習慣をつけ, 彼らの頭を妄 想で満たして, 人間 生活における正常健全な知力や理解力の発達を阻害するような一切のことを 2 ) と述べている, これに対して牧師は賛意を表し, 一般の世人は余りに口 意味しているの です」1 先だけで教えようとし, 充分の経験や理解力を自分 のものとすることができないうちに頭に言葉 を一杯詰め込んで, 人間の最善の素質を破壊し, 家庭の幸福の 基礎を台なしにしてしまうという 彼自身の見解を表明している. しかもこの二人は行為こそ人間を教え, 行為こそ人間の魂を慰め る も の であ る こ とが 永 遠 の 真 理 で あ る こ と を 確 認 し て い る.. いか グリ ュ ーフィーの哲学にあっては行は職業教育を意味す る. 当時のペスタロ ッチ-は他の, グリ ーの ーフィ その態度がそのまま したが るよりも職業教育の重要性を強調 なる時期におけ ュ , 主 張 の 中 に あ ら わ れ て い る.. つ次のように述 べている.. グ リ ュ ー フ ィ ー は 日 々 の 労 働 の 汗 と 疲 労 と を こ の 上・も な く 尊 重 し つ. 「人間に教え込まれ るすべてのことは, その知識やその技能が修業時 一 23 -.

(7) . 松. 田. 義. 哲. 代 のこの汗で築かれ るのでなくては, その人間にとって役に立つものとはならな い. いいかえれ ば侍むに足る立派な人物, 立派な技能の持主にはなれな い. だからこれが欠けているところでは , 人間のいかなる技能も知識も, 例えば大海に浮ぶ泡沫のように, しばしば遠方か らは深淵から持 ち上った岩石のように見えるが, 風や波が突き当ると, ひとたまりもなく 消えてしまう. この故 に人間の教育にお いては, 真面目な厳格な職業教育が, すべての言語による教 授に必然的に先行 1 3 } し なく て は な ら な い」.. しかしペ スタロ ッ チ【にあっては職業教育には必ず道徳教育が結びついている. 両者一体とな って彼の行の概念の内容を形 づく っていると解す ることができる. グリューフィーの主張すると ころによれば, 「あらゆる階級や職業や, 更には人間がその中に生活しているいろんな地方 の倫理 道徳は, 人間にとって極めて重要な意味をもっものであ って,彼の生涯の幸福と安寧と平和とは, 1 4 ) 彼がこの倫論道徳を立派に身に つけるか どうかに全くかか っているといっても過言ではない」. だからグリュ←フィ ーの学校においては職業教育に重きがおかれながら, 同時に道徳教育が教育 の一大眼目となっている. ポソナル村の牧師もグリュ ーフィ ←のあげた成果を見て, 次に述べることを確信するようにな った, と作者は述べて いるが, 牧師の確信というのが実 は作者自身の確信にほかならない. それ はあくまでも単なる言葉の教育を斥けて, 「生活技能の確かな練習」 という意味 での行の教育を 強調したものである. 「一切の言語による教授は, いやしく もそれが真の人間的の知恵並びにこ の知恵の最高目的たる真に人間的な宗教を目標とすべきもの である限り, 確かによい家庭的技能 の確実な習練のもとに従属し, その後に来たるべきものであ る. そして一般に彼らがあり, 且つ あらねばならないすべての善事をそれに結びつける傾向のあ るただの口先だけの宗教などは, 忘 れ去られて然るべきだ. 言いかえればそのようなものは, よい生活技能の確かな練習によって彼 らの内面に善良な崇高な傾向, すなわち真の知恵と真の宗 教とへの立派な基礎ができた後に授け 5 ) ここで作者は教師にお ける思想的発展を指摘す ることによって 実は自分自身 t られ るべきだ」. , の教育哲学の発展を明らかにしようとしている. 牧師はむしろ保守主義者で, 古いとはいえ, 多 少よい点もあった従来の教授法を全然子供たちか ら遠 ざけてしまうことも, 真面目な彼にはでき なかった. しかし今やよ りよい真理が, そして実行における修練の方が言葉における修練よりも 優っているという証拠が眼の前に示されたので, 彼はこのよりよい真理に従い, 彼の民衆教育の 方法に一大修正を加えざるを得なかっ たのであ る. 牧師は少尉やマ ←グ レートと協力して, 多弁 を弄することなしに, 子供たちを静かな勤勉な職業生活に導き, 思慮あ る生活の仕方にしっかり 慣れさせることによ つ て, 卑しい恥ず べ き無秩序な風習の根源を予防し, かくして静かな無言の 祈祷と純粋な活動的な, そして同様に無言の人間愛との基礎を形づくろうとした. 彼は, また, 子供が, 何か長い祈りの文句を暗記することも許さなかっ た. これはキリス ト教の精神にもとる ものだと彼は力説した. このような牧師の発展的思想は, . 彼が臨終のキ ーナストの妻に対して述 べ た言葉の中に, 今 や 不動の確信となってあらわれて いる. 「奥さん, あなたの生座のあやまちは, あなたのあやまち と いうよりはむしろ宗教 について教 えるさいに, あ たかも宗教に関する知識が一切であって, こ れを理解しておれば, 人間は,家政のことでも, 手仕事でも,その他人間があらねばならない, す べてのものにな り, できねばならないすべてのことができるようになるかのように人間に思 い 込 1 6 ま せて, それを意に介せ ずにおる人々 のあやまちに帰せられね ばならないのです」. J 牧師のこの 言葉と, キ ーナ ストの妻が死んだ日曜日の説教で牧師が述べたこととは 同じ意味をもって い る. 一 24 -.

(8) . 「リーソハルトとゲルトルート」 の教育思想 (口). 彼の説教の一節を示せ ば次の如くであ る.. 「宗教を頭の中に入れ込むことにのみ不相応の熱意を. 示し, 宗教以外の他の事物にそれ相当 の配慮をしないような人間は, 偏した, そしてうわべばか りの信仰を 装うような者になるでしょう. そして人間は一般に, 弱い, 臆病な, 現に見られるよ めつき うなもの以外のものではないのだから, こうした宗教上の才智 という見かけばかりの鍍金は, 人 間を一方では横着に, 不注意に, 軽卒に, だから盲目にすると共に, 他方では, また, 驚くほ ど 神経質に, 神経過敏 に, 要求がまL く, そして考え込むと, とかくつむじ曲りにふさ ぎ込んで陰 1 7 ) 険になりやすい, それでいて案外暴力をも禅らないよ うな, そんなものにす るものです」. 今や牧師は宗教 の本質は形象や言葉ではなくて行為であると考えるようになった. これは作者 の宗教観でもある. 何故宗教の本質は形象や言葉ではなくて行為であ るのか. 牧師の説くところ によれば, 生活に困窮してい る人に対して, 「神というものが存在する」 とか, 「汝は天に一人 の父をもつ」 とか言い聞かせてみたところ で無意味だからである. 要するに形象や言葉によって 人々に神を理解さ せることはできない。 そこで牧師は次のように力説する. 「もし, あなたが貧 乏人を, 人間らしく生活できるように助けてやるなら, あなたは彼に神を知らせることができま す. また, もしあなたが弧児を, あたかも彼が一人の父をもっているかのように教育してやるな ら, あなたは, そ うせざるを得ないように, あなたの心情を形 づくり給うた, 夫なる父を彼に知 1 8 ) らせ る こ と が で き ま す」.. 宗教と道徳とを同義に解することはペスタロ ッ チ-の一貫した立場であ るが, それ は同時代の カントにおいても同様に発見できる思想であ る. しかし宗教の本質を行為に見出すことは, す ぐ れてペスタロ ッチ ー 的な思惟方式であ る. そのような見地においてのみ, 宗教は生活に結 びつく ことができる. そのような意味でのペスタロ ッチ-的な宗教観が次の牧師の言葉にもあらわれて いる. 「宗教は, われわれ人間の創造者への愛着を通じて, 肉と血とを適度に規制しよ うとする 精神の努力以外の何 ものでもありません. そして人間はただ若い時代から彼の職分と生活様式と の苦労む温慣れ, 彼の義務でもあれ ば利益でもあ ることを, やすやすと, さほ どの努力もなしに遂 行し得るよ うになるその程度に応じてのみ, このような精神による 肉体の克服に到達す ることが 1 9 ) ペ ス タ ロ ッ チ - は 宗 教 を ば 「肉 と 血 と を 適 度 に 規 制 しよ う とす る 精 神 の 努 力 次 で き る の です」.. 外の何ものでもない」 と解するのであるが, それはカント的意味での道徳であ る, ただ, この場 合, ペスタロ ッ チ-的思惟方式として特色があ るのは, 「精神による肉体の克服に到達する」 た めの道行きとして, 「職分と生活様式との苦労」 に慣れることを選んだ点である. ここにわれわ れは生活と融合した, もしくは生活化した宗教の概 念を考えることができる, かくて当時のペス タロッチ-の思惟を支配した宗教が言葉の宗教ではなくて, 生活現実の中に深く根を おろ し, 生 活力を強化するものとしての宗教であったことは明白である 第四部においても同 じ見解が堅持されている, 公爵からつかわされた ポソナル村研究委員会が 宗教に関する疑問を提出した のに対し, 牧師とグリ ュ ーフィ ーとの解答は, 「宗教に関する科学 的教授は人間 の要求にすぎないものであって, 聖書によって幸福の条件として要求されてもいな 2 0 ) こ と を 力 説 した も の で あ る. ければ, そのた めの一手段として奨励されているわけでもない」 一般に民衆はたとえ科学的教授を 理解す ることがあったにしても, それをもっとも欺隔的な迷信 の欠陥だらけの ごまかし仕事を 理解すると同様の仕方で理解す るにすぎないのであ る. 彼らの見 解によれば, 聖書が人間に要求するものは, 宗教的学問ではなくて宗教的行為であ る, 宗教に説 明を与えようとする試みは, すべて徒労であるだけではなくて, 却って有害である. もしわれわれがペスタロ ッチ-自身の直接の見解を知ろうと望むならば, 彼がキーナ ストの妻 一 25 一.

(9) . 松. 田. 義. 哲. の不幸の原因につ いて省察を加えた条りを 読むがいい. 彼はこの女性の悲惨 な生涯と臨終との根 1 ) としている 本原因を 「時代の最大の害悪であるあの憐れむべき書物上の知識に迷 ったため」2 . その責任は彼女の以前の牧師にあ るという. というのはその牧師の心は現実の世界に向けられな いで,もっぱら書物に向けられていたため, 多く の信者を現実の世界から空想の世界へ導き込み, 従って生活能力を与えることができず, また宗教的祝福を得させることもできなかったからであ る. この女性も本来は善良な人間であったのであるが, いつしかその牧師の影響を受けて, 弱々 しい, 耽溺や夢想生活に陥りやすい, しかも宗教上の事柄を多く知っていることを うぬぼれ るよ うな人間になってしまった. しかもその知識たるや, 「極めて不消化な空語にすぎず, そのため に彼女の頭も′b清も感覚も思想も, 彼女がこの世で果さねばならな いす べての務めか ら完全に遊 2 ) と 作 者 は舷 し て い る 離 し て い た」 2 .. ここで作者は彼女を不幸にした前の牧師と, 現在の牧師とを比較し, 後者が社会に真の救済を もたらし得る秘訣が那辺にあ るかを明らかにしている. 「亡く なられた牧師様から二, 三冊本を いた だ き ま し て」 と述べたキーナ ストの妻に対して言った牧師の言葉の中にわれわれはそれを読. み取ることができる. 屠ったしは百姓家にはそんなにたくさんの書物などいらないと思います. 聖書, .それから解らないこ とがあっても, それをとやかく解明しようなどとは思わない単純な心 情, 私が百姓家に求めるものはそれであり, 次にすべての不必要 な説明を頭から追い出してくれ る熊手 と鶴蝿です. またお若い御婦人な ども, 書物を手にす るよりは, 手水鉢や針や櫛を百倍も 3 ) 当時のペスタロ ッチ-がいかに生活のための労働を重ん 多く手にしていただきたいのです」 ,.2 じたかも, われわれはこの牧師の言葉を通して知ることができる. 以 上 の考 察 か ら 知 る こ と が で き る よ う に, 手 段 とす る こ と の で き る 人,. ペ ス タ ロ ッ チ - に と っ て 理 想 的 人 間 と は, 知 を 行 の. inf i つ ま り 「道 理 の 解 か り 経 験 の あ る 人」 (de t r Vem( ge und Eri. f ) であ る. 行を問題にす る限り, それは近さの観念に結びつく. さきに引用した 「各人の ahr ene 思想や頭は, その人に最も近い関係にあ るものに結びついていなくてはならない. ……人は身近 かな自分 の事につき実行から始めなければ, 決して正しく知 るようにはならない. そ ういう関係 において知識は秩序正しく頭の中にはいる」 と い うェ ← ビ の 言 葉 が よ く こ の 関 係 を 言 いあ ら わ し ている, ペスタロ ッ チーにおけ る近さの観念は空間的・時間的・心理的 o 意味的, 或いは一層包 括的な概念として経験的・生活的の諸局面をもっていると考え られ る. それは, もちろん感覚的 近さをも意味す るが, 一層重要な意味をもつのは, 子の母に対す る近さの如き心理学的近さ, ま た一層高次 の意味的な近さである. 次の牧師の言葉があら っす近さは, いわば空間的近さである, 「人間は自然の汚れ ない単純さ の中では, 殆ん ど何も知 らないが, しかし彼の知識は秩序立っており, 彼の注意は彼に理解され 利用さオも得るものに確乎 として強く向けられています. 彼は彼が理解しもしないし利用しもしな い何ものか も知ろうとは少しも自惚れません. しかし迷信の愚鈍さは, その知識に何の秩序も持 っていません. それは知りもしなければ解かりもしないことを知っているように誇示しているだ 4 ) 「秩序 と手近かな事物と人間的衝動の柔軟な成長とは国民教育の基礎 でなくてはなり けです」2 2 5 ) ません. なぜなれ ばそれが疑いもなく真の人間的教育の基礎でありますから」. 近さの概念を時間的に考え ると, 当然来世よりも現世を重んずる思想となる. ペスタロ ッチ- の思惟はここでも時間的に近いもの, す なわち現世から出発す る. 「この世における人間の境遇 と要求とに注意す る者のみが,恐らく彼らに, かの世の教えを感得させることができるであろう」 6 2 ) と い うこ と を 作 者 は 確 信 し て い る, - 26 -.

(10) . 「リーソハルトとゲルトルート」 の教育思想 (1 1). 心理的近さについては, 彼が母について述べた言葉に最も実感的に言いあらわされ ているにす ぎないが, しかし母子の関係が心理的に最も近い関係であ るということはペスタロ ッチ -の全思 ってもさしつかえない. 彼はこの著作の中では母を次のように叙し 想の出発点をなしていると ・い ている. 「神の太陽は, このようにして, 朝から晩まで, その道を進んで行く, 汝の眼はその歩 こ気づかず, また汝の耳はその歩みの音を聞く こともない. しかし太陽が沈むとき, みの一歩だt ●るまで温め続けることを知ってい る. が再び昇 汝はそれ り来て, そして大地を, その果実が熟す 甫むこ 読者よ! 私の言おうとす ることは多い. だが私はそれを言うことを怖れない. この大地をn の偉大な‐ 母の姿こそゲルトルートの姿であり, その居間を神の聖域にまで高め, 夫にも子供たち 2 ) 7 にも天国をかち得るあらゆる女性の姿である」. 心理的近さは, つねに愛・けだかさ・尊敬・信頼などの感情と深く結びついている. そういう も の は意 味 的近 さ と 呼 ぶ の が 一 層 適 切 で あ ろ う. 「ハ ル ト ク ノ ッ プよ ! 自分にとって余り高尚す. ぎることを知ろうとも解かろうともしないこと, これがその人を却って幸福にす るものだ. かく して初めて人間は心静かに信仰の歌を歌い, 快活に墓の中にはいって行くのです. それから最も 多くいろいろの ことを知っている人は, 自分が殆んど何にも知らないということを, つねに知っ 8 ) と牧師が述べるとき, そこに考え られているものは抽象的意味での近さであ る. それ ている」2 はもちろん, さきに述 べたように, 心理的近さの概念にも結びつく. 最後に, 一層包括的に経験的・生活的という意味での近さ というものが考えられよう. それは 極めて包括的概念であって, その中には心理的契機も意味的契機もす べて含まれ ることになる. 「人間は誰でも自分に適当した仕事をしなければならない, そして人間は決して自分の若いとき に学んだ, そしてそれによって一生の暮しを立てねばならないものと余りにも相違した仕事に入 り込んではならない. ねえ, 考えて御覧, もしお前が今でもやっぱり勤勉な正直な靴下製造人を していて, いつも頭をお前の腰掛と糸の方に熱心に向けておったならば, お前は, ありとあらゆ る馬鹿馬鹿しい紙屑の知識を頭の中に詰め込んだ現在よりは, はるかにより高尚で, 裕福で, 楽 9 2 ) 近さの概念を生活的近さ と しく且つ肉体的にも精神的にも, より健全ではなかっただろ うか」. 解すれば, 以上に述べた種々の意味での近さの概念はすべてこの中に含まれ ることになるであろ う, ただわれわれは具体的綜合としての生活の概念に達す る以前に一応分析的考察を加えた にす ぎな い.. さて, そういう意味での近さをもったものは家 庭である. 家庭は知と行との一体観をもってと らえるべき最も根源的な生活の場である. 「隠者の夕暮」 において説かれた家庭的幸福は, 今や, 生 活 の 場 とし て の 家 庭 の 悲 し み や 喜 び と し て と ら え ら れ て い る.. 「リ ー ソハ ル ト と ゲ ル ト ル ←. ト」 には家庭生活の明暗二相が同時にあらわれている. 代官フソメ ルの家庭, ルー ディ の最初の 家庭及びキ←ナストの家庭は暗さにおいて とらえられた家庭であり, アーナーの家庭や ゲル トル ートの家庭は明るさにおいてとらえられた家庭であ る. 経済的現実との対決において家 庭生活を 重要な要因として導入す るペスタロ ッ チ-本来の立場は, この著作でも変化していない. しかし ここでは家庭生活の現実を, そのままのすがたで とらえるこ とに主力が注がれている, しかし同 時に, 作者は, なかんずくゲルトルー トの家庭生活において, 家庭生活の理想像を描き出してい る. 「人間の家庭の喜びは地上で最も美しいものであ る, 子供たちについての両親の喜 びは人類 の最も聖なる喜びであ る. その喜 びが両親の心を敬 度に, また善良にす る. その喜びは人類を天 にいます父にまで高める. だから主はそのような喜びの涙を祝福し, 人々に, 彼らの子供たちに 3 0 ) 対するあらゆる父の誠実と, あらゆる母の配慮との報いをす るのであ る」. 一 27 一.

(11) . 松. 田. 義. 哲. この著作 の第三部に おいて, 作者 が牧師の説教 の仕方について評した言葉の中にあらわれる近 さの概念にも, 以上に述 べた如き意味が含まれ ている. 「この目的に到達す るために, 彼は彼の 短い説教 の一つ一つの言葉を 彼らの行動 や, 彼らの境遇や, 彼らの職業上の義務に結びつけ, 神 や永生について語る場合も, つねに父や母, 家や郷土, 約言すれ ば, この世において彼らに近い 3 1 ) ときに 関係にある事柄 について語ってい るかのような語り方をした」. 神や永生について語 る も, 近い関係におきかえて説明す るところに, ペスタロ ッ チ‐ 主義の本質があ る.. h Ei h j - 940) が 以 上 に 明 ら か に した 諾 々 の 意 味 で の 近 さ の 概 念 は, イ エ ン シ ュ ( rc aensc 1883 1 i ) と呼んでいる意味での近さであ る. それは明らかに行 l ldea smus der Nahe 「近 き 理 想 主 義」 (. ) の概念に結 びついてい る. (Tun 3 頭と心臓と手 ) の関係に移して考えることもで ) 及び手 (Hand f r z ) 心臓 (He 知 と行との関係 は, 頭 (Kop き る. 「リ ー ンハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 に お い て,. こ の 三 分 類 法 が 導 入 さ れ る が, こ れ ら 三 つ の. ま 概念を相互に関連さ せて考え ると, 知 と行とを媒介す るものとして心臓が考えられてい ることも パ 明らかであ る, 「隠者の夕暮」 の一元論的情調 もしくは トスは, 今や合理主義の立場において 分析されるに至った. 彼は 「リーソハ ルト とゲルトルート」 において, 初めて三分類法を導入し t ) の概念を用 いて説明を試みて f t ) 並びに悟性 (Ve r and s た また 彼はこの著作で理性 (Vemun .. 「 もいる. ま ず悟-性につ いて考えるなら ば, 彼はこれを次のような意味で用いている. 彼の悪徳 が彼らからす べて の悟性を奪う. そのため 彼らは最も重大な事 柄において盲目になり, たわいも ない行為を して破滅に 向う. これに反して, 単純な無邪気な心をもった善良な正直な人間は, 不 悟性を保持し, 従って一般に生活上の偶然の出来 幸にあ うと, 信仰のない者よりもは るかによく- 3 2 事において, はるか に容易に援助助言す ることができる」. ) 「彼 (不信者) は敬度な単純な真直 な道において, 安らぎと正義 と平和とを求め るために彼の悟性を使うこ とを しない. 彼はただ悪 3 3 の曲つた道で, 苦悩をひ き起し不安をかもし出す ために彼の悟性を使う」. ) 前の引用女は悟性が 人間を盲目状態か ら解放 し, 生活を可能にす る力であることを述 べたものであり, あとの引用文 ・性そのものは人間の本質 は悟-性が悪 しき目的のために用 いられ る場合を指摘 したものであ る. 悟 に属し, 人間を 人間たらしめ る不可欠 の条件であるが, しかしそれが 「敬衷な単純な真直な道に おいて, 安らぎと正義と平和とを求め るために」 用いられる場合と, 「た だ悪の曲つた道で, 苦 悩をひき起し不安をか もし出すために」 用 いられる場合 との二通りの場合があ るのであ る. しか し本来悟イ性は精神的向上のため の 不可決の条件であ る. 尤も人間は 「安らぎと正義と平和とを求め るためには」 理性を用いなくてはならない. 理性は 人間を究極的に完成する働きをする. しかしこの著作においては理性の概念について, ただ次の ような説明が与えられているにす ぎない. 「す べての理性を超 越した神の平和は生涯 を通して彼 3 4 ) 「人間が知ってい るものが彼を理性的にするのではない. 彼の らの守 護であり導き星であ る」. 頭脳の巌の如き冷静さ と強固さ, 計算すること, 量ること, 測定するこ と, 研究す ることな どに 対する行き届いた訓練, 充分考え, 推し測り, 探究し, 計算しつくすまでは喋ったり, 判断した り, いわんや行動したりすまい とす る彼の精神的態 度, こうした事柄 こそ彼を仲間の間から理性 3 5 ) こ こ で は ペ ス タ ロ ッ チ - は 悟 性 能 力 を も 包 含し 的 な 人 間 とし て ひ と き わ 際 立 た せ る の で あ る」.. たもの としての理性能力を考えている. 理性並びに悟・性は, もちろん動物的衝動から 区別されるが, 他面, 精神と感性との関連もしく 一 28 一.

(12) . 1) 「リーソハルトとゲルトルート」 の教育思想 (1. は統一を考えるところにペスタロ ッ チ -の本来の立場がある. だから彼においては人間存在を支 配するものとしての愛の原理が力説される. 真実の愛は理性的でもあり, また,悟性的でもある. しかし本質的に最も重要な事柄は, それが感性的基礎をもっているということである. だからそ れは頭と心臓 と手との統一として考えることもできる. この著作においても, 彼は愛を一応動物 的同情から区別する. ここにこの時期を特徴 づける二元論が姿をあらわす. 今や愛もまた二元論 的に 解釈される. つまり単なる動物的同情と, それと区別される真実の愛とである. 前者は本能 的のものであり, 後者は 「生活の知恵, 生命の力強さ, 克己の力, 家庭の秩序, 人類の繁栄の基 6 ) を伴った愛である. ペスタロ ッチーは この著作にお 礎を確実にす る慎重で思慮深い魂の状態」3 いて, まず動物的同情について次のように説明する, 「このような種類の単なる動物の愛 情は市 民的生活においては, あたかも無にひ としいのです. いや, 無よりももっと無価値かも知れませ ん. それには どんな有益な力もなければ, どんな働きもありません. それは誰をも助けません. それは誰の気を取り戻させることもありません,. それはよしんば何を願おうとも, それが実 行で きません. よしんばそれが何を約束しようとも, それはこの約束を守りません. よしんばそれが 何を始めよ うと, それが完成す ることはないのです. それは飢える者を満腹させはしませ ん. 渇 した者の喉を うるおすことも知 りません, 凍える者に暖をとらせることもできません. それは沈 み行く人を泥沼 の中にはいり込ませ ておきます. 要 するに, こういう愛は欺くのです. それが与 える希望は空虚な仮象です. それは人間 が所有しているものを奪い取ってしまいま す. それは人 3 7 ) 間に何一つ返しません, そしてそれは誰をも幸福にすることはないのです」. しかし, それにも拘らず, 真実の愛は動物的同情と全く異質的のものではない. 前者は後者の 発展した ものとして解されなくてはならない. それでは何が真実の愛と動物的同情とを区別させ るか. そこに, さきにも指摘 したように, 理性的, ないし悟性的なものの存在を考えざるを得な い, それを頭 と心臓との統一としてとらえてもいいであろう, 「人間が自己の種族に特有な自然 の過ち・軽卒・無思慮・怠惰・無知・浮薄・軽信・強情・蛮勇・自然生活の狂暴さ, こういった ものに打ち克つことを学び知 った とき, 自己の天職と境遇とにふさわしく信頼でき, 勤勉で, 思 慮深く, 慎重で, 器用になったとき, また隣人に対して寛大であると同時に賢明にふるま えるよ うになったとき, こういうときに初めて人間は真の効果的な愛を施すことができるようになる」 3 8 ) と ペ ス タ ロ ッ チ ー は説 明 し て い る.. この辺りにすでに 「探究」 の思想への道が予示されている. 「隠者の夕暮」 から 「探究」 への 直接の道は存在しない. やはり 「隠者の夕暮」 に発した道は 「リーソハルトとゲル トルート」 を 通 っ て, 「探 究」 へ と 通 じ て い る.. 「探 究」 に お け る 人 間 の 現 実 主 義 的 解 釈 は, 「リ ← ソハ ル ト. と ゲル ト ル ー ト」 における人間 並びに社会に対する現実主義的関心を前提してのみ初めて可能 と な る.. 「リ ー ソハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 を 支 配 す る 現 実 主 義 的 傾 向 は, と き に 極 端 に 走 る こ と さ. えあ る, し か し そ の と き でさ え, 本 来 の ペ ス タ ロ ッ チ ‐ は 決 し て 見 失 わ れ て は い な い. ナ ト ル プ は新 カ ン ト学 派 に 属 す る が, し か し 彼 の ペ ス タ ロ ッ チ ト ヘ の ア プロ ー チ の 仕 方 に も, れ て い るよ り は, も っ と 現 実 へ の 指 向 が 強 く 働 い て い る こ と が 指 摘 で き る の は,. 普 通考 え ら. こ うい うペスタ. ロ ッチ- の立場を正しく認識しようと意図した彼の学的立場から説明できよう. さきにも述 べたように, 知 と行とを一体観において捉えることは, 頭と心臓と手とを本質的な 関連において把握することでもある. まず最初に, 作者は手と頭とを関連させて次のよ うに述 べ 朝笑して言う, おれは自分の手 と頭とで自分 る. 「彼 (不信者) は救済者 (彼の父) の救い声を1 3 9 の好きなよ うにやって行く」, ) 「一般的にいって学校教師はこれらの貧乏人の子供たちが, 頭の 一 29 一.

(13) . 松. 田. 義. 哲. 方面でも手の方面でも, 予期したより以上に優秀であ ることを発見した. 実際それは自然のこと 4 0 ) 次の場合は手と心臓とを結 び合せて用いた例であ る 「私は敬度な人の静かな小屋で であ る」. . 千もの幸福と平和とを見た. 彼らはもっているだけで幸福である. 乏しいながら彼らは幸福であ る. ま た多くあ るにも拘らず, 彼らはつつましい. 彼らの手には仕事, 彼らの心には安らぎ, こ 4 1 ) 更に頭と心臓とを一体的に把握した 場合も見出される, 「お れが彼らの生活の分け前であ る」. 4 2 ) 前たちのお化けや幽霊の話は馬鹿げたことで, 頭と心臓とを腐敗させるものだ」. さて, これら三大根本力を単に分離独立せるニ つの過程と見な すのは, ペスタロ ノチーの真意 ではないが, 一応彼はこれら三大根本力 を別箇独立のものと考える. この分類法が初めてあらわ れ る の が 「リ ー ソハ ル ト と ゲ ル トル ← ト」 であ る が,. し か し そ こ で は 未 だ 充 分 な 説 明 は与 え ら れ. ていない. それは特に晩年の ペスタロ ッチ← において,もっぱらメ トーデに対する深い関心から, 重 視 さ れ る こ と にな る。 若 い 時 代 の ペ ス タ ロ ッ チ - を 支 配 し た も の は こ の よ うな 分 類 法 よ り は, ,. むしろ人間の本質層とし て上下に精神と感性との一 つに分ち, しかも人間は全く完結せる全体 と 統 一 と を 形成 し て い る と い う考 え 方 で あ る,. 「リ ー ン ハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 全 四 巻 を 一 貫 し て. 支配する思惟方式も, やはり後者である. しかしこの二つの思惟方式は全く異るものではない. 頭と心臓と手との本質的関連を考えるとき, けつきよく, それは精神と感性との統一を意味して い る こ と が 明 ら か に さ れ る の であ る.. 4 人間学的立場 「リーソハルトとゲルトルート」 が特にわれわれの関心をひくのは, 最初に述 べたように, 主 として社会学 的視点においてであ るが, しかしこの著作においても, 当時の社会的情勢がもたら した社会的害悪に対す る救済を企図す る限りにおいて, ペスタロ ッチ -z ことって本来的な人間学 的立場は決して暖味にされてはいない. また暖味にされてはならない, 作者の教育哲学を代弁す る グ リ ュ ← フィ ー に つ い て も,. 作 者 は, 「人 間 を よ く 知 る と い う こ と を 自 己 の 生 涯 の 仕 事 とし て. 3 ) と記して いる 教育・宗教・法律・政治・経済等す べての社会学的問題を人間学的見地 いた」4 . から考察し, その解決を企図 するところにペ スタロ ッチ- の哲学の特色が存す る. この見地はす でに青年時代に確立 され, 彼の全思想を一貫していると いうことができ ●る. しかし, この時期におけるペスタロ ッチ -の人間に対す る楓方は必ずしも楽天主義 的 で は な い. もちろん人間に 対す る信頼も絶滅しては いないが, この著作に先き立って書かれた 「隠者の 夕暮」 にあらわれた人間観と比べ ると, この時期の作者の人間学的思想には, 人間に対す る懐疑 的態度がはっき りとし たすがたをとってあらわれて来ている. それはこの小説の構想を見れば明 らかである. 作者はこの著作において, 一方の極に, 領主・牧師・グリ ューフィー及びゲルトル ートのよ うな信頼と尊 敬との対象となり得る人物をおき, 他方の極には, 代官フソメ ルとか ジュ 1 ルヴィ アとか, 教者のヘリ ドール のような人間悪を象徴した人物をおいて, 対極的な人間関係にお いて物語の筋を進めて行っている. そのような人間観もペスタロ ッチーにとっては決して偶然的 のものではなく, ノイホーフの事業が信頼して いる人間によって裏切られたために失敗に帰した という近 い生々しい経験などがこの著作の中に織り込まれたものと解する限 りにおいて むしろ , 必然的とさえ考えることができよう. この著 作においても, 「隠者の夕暮」 にあらわれている人間に対する信頼が 全面的に見失われ て い るわ け で は な い こ と は, さ き に 指 摘 し た 通 り であ る . ペ ス タロ ッチ ト の 教育 学 にお いて 最も 根 本 的 な 概 念 は 人 間 ら し さ (Menschl i h k i t と う と であ る, こ の 著 作 に お い て も 人 間 ら し ) こ c e い 一 30 -.

(14) . 「リーソハルトとゲルトルート」 の教育思想 (口). さは教育のテロスを意味す る. 人間らしさに対する讃歌はその著作全体を貫いて響いてはいる. 4 ) とか それは, 「私は再び人間らしさの住んでいる小屋 (筆者注ゲルトルートの家) に近づく」4 4 5 ) 「 「知恵と人間らしさ」 とか, しかし人間らしき の歓喜は地上のすべての美よりも偉大であ り 6 ) とか 或 い は ま た ア ー ナ ー の 言 葉 と し て, 「わ し は ま ち が っ て い た, 人 間 の 美 こそ 地 ます」 4 , , ,. 7 ) とかいう諸々の表現となってあらわれている. 「隠者の夕暮」 上における最大の美だ」4 ,の中で としても だ完全に絶滅して 人間に対する 描いた人間についての美しい夢は破れた はいない. , 未 信頼は, また次のような表現のうちにもあらわれている. 「あれほ ど深く堕落した人間の内部に も, なお, かくも善の感情が秘められていることに感動して, 彼は牧師の手をとって, なお暫し 庭をさまよい歩いた. 彼らは更に人間はお互いに相似たものであ ること, また容易に最善の者が 最悪の者になることがあり, また最悪の者が最善の者 になることがあ ることをお互 いに話し合っ 4 8 ) これは領主と牧師とが庭を週遥しながら人間哲学 について話し合う場面を作者が寂し た部 た」. 分であるが, 作者自身の人間観がよくここにあらわれていると思う. 同じ思想をわれわれは領主 や牧師の次 のような言葉からもうかがい知 ることができる, 牧師 「そのとき私は人間とは何であ 4 9 ) 領 主 「な る ほ ど 親 愛 な る 牧 師 るか, ま た人 間 は 何 に な り 得 る か と い う こ と を 学 ん だ の でし た」,. 殿, われわれは つねにかの生を希求したい, だがわれわれが人間であり, またあくまで人間であ 隣れな人々に対する態度を変え, その救済 ろうと欲するならば, 俗に犯罪者と呼んでいる地上の; 5 の 牧師 「然り!もし私がなしたこ と教化とを 人類の第一関心事と考えなけれ ばな らないのです」, とをす べて総括し, しかも, いかにして彼がそれをなすに立ち到ったか, また, いかにして彼が 現在あ るような状態 になったか, そして最後に, いかにして彼が悪 い性質から立ち直ったかを慎 1 5 ) 重に考えるならば, 私は彼も, また, われわれと同様に人間であるというほかはありません」. ところで作者は, 一方において, 以上に明らかにしたよ うな人間に対する信頼を保ちつつ, 他 方では, 意外 と思われるほどに, 人間に対する不信を表明している. まず作者はグリュ ーフィー を し て そ の 役を 果 さ せ て い る, し か し 彼 が 述 べ る 思 想 は グ リ ュ ー フ ィ ー 自 身 の も の と い うよ り は. 彼が彼の父から譲り受けたものとされてい る, 彼の父も最初は人間の善なることを信じていたの であるが, 後にな って人間の善ならざることを経験し, その悲しみのために生命が奪われたこと になっている. その父が臨終の数日前に, 当時未だ十一才であった息子のグリユーフィ ←を枕頭 に呼んで言った言葉の中に, 当時作者自身がいだいていた人間観がよくあらわれているように思 わ れ る. 「お 前, どんな 人 間 で も,. そ の 人 を よ く知 るま で は, 決 し て 信用 し て は い け な い よ !,. 人間 というものは嚇すもの, また鰍され るものです. しかし人間を知 るということは非常に大切 なことです. 人間には気をつけなさい. そして人間を信用してはいけません. それから自分に関 係のあ る一人一人の人間について, その人が心の中で何を考えているかが解かるような ことを見 たり開いたりした場合には, それを毎晩書きつけておくようにしなさい, そ うすればお前はわた しのよ うな羽目に陥らなくてもすみ, かわいい息子を無力な助けのない状態のままこの世に残さ 5 2 ) なくてはならないこの私のような不幸を忍ばなくてもすむだろう」. この頃の作者の心の うちにあった人間に対する失望は, 牧師の仕事に対する同情ともなってあ らわれ ている. 病気のキーナストの妻を存命中いたわり元気づけた牧師に対して, 人々は涙を流 して感謝した. しかしそこで作者は言葉をつけ足して, 「牧師がこのような喜びをもったのは ご く稀であって, どんな努力をしても, けつきよく何の役にも立たず, 長い無駄な希望ののちに, 3 ) と述べて けつきよく人間は殆ん どどうにもならないことを見せつけられて, ひどく失望した」5 い る, 同 じ こ と が リ ー ソ ハ ル ト に つ い て は 言わ れ る. 彼 は 日 傭 た ち が 自 分 と い っ し ょ に 仕 事 を す 一 31 -.

(15) . 松. 田. 義. 哲. るようになってか ら というもの, できるだけ彼らを寛大にやさしく取 り扱ったので, たとし・彼ら が野獣であったにしても, 彼になつくはずだった. ところが彼 らは恩に報いるに仇を も っ て し た, その事実が作者の人間観を準備す る役割を果した. 彼は, 次のような言葉を この箇所にはさ んでいる. 「余 りに親切で必要以上に親切な人間は, いわ ば悪漢に武器を提供するようなもので, 意地悪い者は忽ち増長して彼を乗り越え, 彼が少しでも何か断ったり拒絶したりすると, それに 対してひ どく厚顔無恥な悪口雑言を敢てし, 更には実に止むを得ない処置に対してさえ, 仇をも 5 4 ) っ て 報 い るよ う に な る」.. このような人間観を作者は, 折角更生したポソナル村が堅固な地盤をもち得ないことの理由と している. 物語の筋としては, ボンナル村は永遠に繁栄す ることにな るのであ るが, もしかりに 崩壊することがあ るとするならば, それは人間の本性が次のように解せられるからであ ると作者 はいう. 当時の彼は事実 「人間は, しょせん, どうにもしようのないもので, 人間を幸 福にする とか, 改良するとか, 秩序 づけるとかいうことは, この世の存続する限り, 今までも夢であ った 5 ) と い う よ うな 考 え に よ っ て 支 配 さ れ て い た の で あ る し, こ れ か ら 先 き も 永 久 に夢 だ ろ う」 5 .. このような人間に対する失望を一方に感じつつ, それでもなお絶望せず, 懐悩と煩悶とを通り 越して, 漸くにして人間に対する信頼を回復したところに 「探究」 の誕生が考えられる. しかし そ れ へ の前 奏 は,. す で に 「リ ー ソ ハ ル ト と ゲ ル ト ル ー ト」 第 四 部 に お け る グリ ュ ← フ ィ ー の 哲 学. のうちに感得できる. ところがそのグリ ューフィー の哲学が以上に述 べ来つたような人間の現実 主義的解釈の上に基礎をおいていることは, 彼の次のような言葉からも知ることができる.・「人 間をそのままに放ったらかしにしておいたら, 粗暴に, 怠惰に, 無知に, 軽卒に, 無思慮に, 浮 薄に, 軽信に, 臆病に, 無制限に食欲に成長します. 次いで彼は危害によって, 弱点によって, 費欲がつき当る妨害によって, ひねくれ者に, 絞滑に, 腹黒く, 疑い深く, 横暴に, 無鉄砲に, 5 6 ) 執念深く, 残忍にな ります. これが人間のもっている天性です」・ 人間は本性的にこのような存在であるから, 人間が社会にとって何らかの意味で価値あるもの にな る た め に は,. ま ず も っ て 自 然 の ま ま の 自 己 か ら 脱 皮 し て, 全 く 別 の も の に な ら な け れ ば な ら. ない. そこに社会的状態並びに道徳的状態が問題とされる理由が存す る. これ, すなわち次にあ ら わ れ る 「探 究」 の 中 心 テ ← マ に ほ か な ら な い が,. そ れ へ の 道 は, 「リ ← ソハ ル ト と ゲ ル トル ー. ト」 の第四部に, 驚くほ ど整ったかたちで準備されていることは充分知 っておく必要があ る. 以上の考察において, ペスタロッチ←の思惟の中心には, つねに人間が立っていることが明ら かとなっ た. このことは彼が宗教の問題について考察する場合にも同様に真実であ る. 彼による と, 神を知 るとは, 人間が自分自身も知ることである. 彼は牧師をして語らせている. 「小さい 軽い義務のために, よ り重大な義務を忘れてはな りま せ ん. 自分自身に注意し, 自分自身の心に 5 7 ) 「お前が真剣に自分自身 目を見張っていることが, つねに人間の第一の最も重要な義務です」. に注意するならば, お前の徴悔が正しくて全く心から出ているか どうかを, 自然自身で確かによ く知 ることができるだろう. そしてそれが正しくあ るならば, それは神様に嘉納され るだろう. 5 8 ) ま たル ー ディの母 の口を 通しても そ れ が 私 の 言 い 得 る 唯 一 の こ と であ る」. , 「代 官 を 許 し て あ. げなさい. ……神様が私の願いをお聴き入れくださるなら, 彼は幸福に生きられるでしょう. そ し て 彼 は, こ の 世 を 去 る 前 に, 自 分 自 身 を 知 る よ う に な る で し ょ う」 もの と 述 べ さ せ て い る の で あ. るが, ペスタロ ッチ‐においては人間が神を知 るとは, つねに人間が自分自身を知 ることを いう のであ る. ル←ディ が母の遺言として代官 に伝えた, 「彼女はこう申しました. 私が死んで埋葬 がす んだら, 代官のところに行って, 私は代官に対して何の怨恨も懐かずに死んだ, そして彼が - 32 -.

(16) . 「リーソハルトとゲルトルート」 の教育思想 (口). 幸福に暮し, 死ぬ前に自分自身を知 るようになることを神様に祈っているということを代官に伝 0 ) とい う言葉の中にも, 自分自身の認識が, すなわち神の認識であるという宗教 えておくれと」6 的自覚がはっきりとあらわれている, 作 者 の 宗 教 的ヒ ュ ー マ ニ ズ ム の立 場 を 最 も 端 的 に 表 明 し た も の は,. 「リ ー ソハ ル ト と ゲル トル. ー ト」 第三部の終りの牧師の説教である. この場合, 牧師がペスタロ ッチ-を代弁しいる. 「神 は人間にとって, ただただ人間を通じてのみ人間の神とな る. 人間は人間を知る限 りにおいての み, いいかえれば自己自身を知 る限りにおいてのみ, 神を知 るのです. 人間はただ自己自 身を尊 敬する限りにお いてのみ, いいかえれ ば自己自身とその隣人とに対して, 自己のうちに存する最 6 1 ) ペスタ も純粋な, 最も善良な性向に従って行動する限 りにおいてのみ, 神を尊敬するのです」. ロ ッチ-の立場は徹底した人間中心主義である, 人間を抜きにして神は存在しな い. このような 見地は, もちろん, 神中心主義に解釈されたキリスト教とは相容れな い. 従ってペ スタロ ッチ- 自身ときに自分の思想が非キリスト教的であることを認めないわけにはいかなった. しかしあく まで人間中心主義に徹するところに彼の思惟の特色が存する. ペスタロ ッチ-の人間学的立場は, あらゆる社会学的問題の考察を一貫している 法律や政治 , の問題もやは り彼においては人間学的問題として取り扱われている. ペスタロ ッチーによれば, 人間をして市民生活において果すべき職務において, また地位上の, 官職上の, 更には職業上 の 責務を全とうする上で, 満足な人生行路を見出させるためには, 「人間の天性を深く認識してい ) を用 いなくてはならない また国家政治において公正や安全を実現するため 2 る法律家の知恵」6 . には, 「国家の中で生活す る人間たちが, 自然生活の重要な欠陥から, すなわち迷信・軽卒・無 [れもの. 思慮・放時・臆病・無秩序・奇型・痴者のような生活態度や, このような根本的な過ちの結果か うよ りはむしろわれわれの天性の弱点・愚かさから来る盲目性・不当な要求から来る横 ら, とい・ 暴・復讐欲から来る残忍さから救われて,. 却って思慮深く, 慎重で, 活動的で, ゆるがぬ, また . 決して疑われず信用される人間に, 自分の基本的な必要を満足させる手段を自分のうちに感じ, 市民的教養によって得られた技能及び力 を, いつまでも使用 できると感じている人間になる場合 3 ) の であ る ペ ス タ ロ ッ チ - にあ っ て は 政 治 の 哲 学 も 教 育 の 哲 学 と 同 様 に に 限 ら れ て い る」 6 . , , ,. 人間の探究のうちにその根源をもっている. 彼自身自分の立場を明らかにして, 「私が多年研究 す る唯一の本は人間である. 私は人間の上に, また人間についての経験の上に私の全哲学 を基礎 4 ) と述べている づ け る」 6 .. 経済の問題もやはり同じ視点から取り扱われている. 公爵に信任の厚いネルクロ ンの言葉に, 「人間を産業にまでよく陶 冶すること, いいかえれば生産と生産物の保存との精神, 収入と収入 への配慮との精神を立派に育むこと, これのみがこの目標を達成し, かくて国家の法の高い目的 5 ) とあるように, 経済の問題も人間から離れて を最終的に達成し得んがための唯一の手段です」6 考えることはできない, つまり人間を産業にまで陶冶することによって初めて国家の法の高い目 的を最終的に達成す ることができるのであって, 人間を抜きにした経済問題の解決は考えること ができな い. 5 勤. 労. 「リ ー ンハ ル ト と ゲル トル ー ト」 全 四 巻 の 思 想 を 以 上 の よ う に ま と め て も,. 未 だ この著 作 にお. いて作者が主張しようとし ているものを完全に把握できたとは思われない. そこで本節において は, 多少概念の重複はあっても, 作者がこの著作 において真に意図したものを明らかにしたい. 一 33 一.

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