M 罵Mem50F S▲G ▲M 【 INgTITUTE OF TE ¢HNeLOGY Vol
.
23, No.
2,1989(
資 料
)
フ
ラ
ン ス刑 事
司
法
の
歴
史
上野
芳
久
L
’Histoire
de
la
Juridiction
Criminelle
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histoire
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histoire
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,
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,
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diff6rents
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Dans cet article
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.
D’
autre part plus de d6tails sur la p6riodequi
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ont6t66tablis.
1
.
は じ め に 本稿は, 拙稿 「(資料)フ ラソ ス刑 法改正の歴 史 」 (1),
「(資料)フ ラソ ス刑事手続 法の歴史」 (2
)の続 編である。 前 者で, 刑 法 とい う 「実 体 法 」の歴 史 を 検 討し, 後 者では, 刑 事 訴 訟 法 とい う 「手 続 法 」の歴 史を検 討し た。 しか し,
後者につ い て は,
実際に文献を調 査 し て み る と,
フ ラ ン ス の検 察官,
裁判 官,
裁判 組織に 関 する文 献が思い のほ か 多 く, 紙 幅や時 間の 関 係で それらにつ ぎ充 分に 検 討 す るこ とがで き なか っ た。 他方, 裁 判組 織は, 講 学上, 刑事 訴 訟法と は (関 係は深い が ) 別個の分 野に属 する もの と し て 扱わ れ てきたので ある か ら,
それを刑 事 手 続 法の歴 史と し て扱うの も妥 当性 を欠 く よ うに 思わ れ た。 そこ で本稿は, 第一
に , 刑事司法の歴 史を振り返 り, フ ラ ンス刑事 法全 体の歴史をよ り詳細かつ鮮 明に理解で きる よ うに し, 第二 に, 前 稿の欠 落を補 うこ と を 目標とし て い る。し たがり て
,
年表の形 式その他の約束 事は原則とし て前 稿と同じであり, その説明も前 稿に譲る。 た だ, 前稿と異 な り本 稿でVt, フ ラ ン ス 革 命 「以 前 」の歴 史を採 り上 げ, フ ラ ン ス革 命 時 期の歴史を詳細に し た。
い ずれに つ い て も邦 語に よる詳 細 な 研 究があり, またそれ だけに両時 期に は刑 事 司法の歴史に とっ て重 要な 法 令 が多い からであ る 。 前二稿と合 わせ て,
本稿を 利 用 し てい ただ け れ ば 幸い で ある (4
)。 [注 ] (1) (2) (3
) (4) 相 模工業 大 学 紀 要21
巻 1 号55
頁 以 下 (1987
年3
月 )。 相模工業 大 学 紀 要 22 巻 1 号79
頁 以 下 (1988 年 3 月 )。 とくに の革 命 時期は , ア ン シ ャ ン。
レ ジー
ム下の 司法制度を改革 する た めに議会で激 論 が戦わ され, 積 極 的な改 革が行わ れ た時 代で あっ た。 そして, その改 革を理 解 する だめには,
の 歴史の理解が 必勲こな つて くる の である。 た だ,
につい て は , こ との性質上 どうしても正 確 な年号が把握 しにくか っ た。 なお, 刑 事 法の流れ を見 失わ ない ように する た め, あ えて前稿と重複する法令 ・事 件を掲げたこ と,
しか し,
その場 合に は で きるだ け 新し い解 説・
文 献 を 付し たこ と, も前 稿 と 同じで あ る。 * 教 養 課 程 助 教 授 昭 和63
年12
月12
日受 付一
121一
相 摸工 業大学紀 要 第
23
巻 第2
号2
. 本
文
第一
部7
ラン ス革命以 前 〔1 .
初 期 弾 劾 的 (accusatoire )刑事 手 続の時 代〕 (澤登等・ フ刑 訴38
頁 ) ・訴追に始 ま り 原告と被 告 との弁 論に よ っ て進め られ る制 度・
ギリ シ ャ・
ロー
マ 時 代に始ま リ中 世に及ぶ 。5
世 紀, フラ ン ス に導入 さ れ た。・
非 専門 性,
公 開 性,
口頭 性,
対 審 性 が 特 徴 B.
C.
58〜
51 5世 紀 10世 紀 以 降 11 世紀宋 (〜12
世 紀)12
世 紀前半 まで 12 世紀後半 ロー
マ 人 の ガ リ ア侵入→ 弁護士制 度 (ロー
マ の訴 訟 制 度 ) がガ リ ア人に 採用 さ れ た (弁護士の歴史 の開 始 ) (小 山・
弁 護 士 301,303 頁 〉 (→
15〜6
世 紀 ) (ゲル マ ン民 族大移動→ )ガ リア地方に ゲル マ ン の純粋な弾劾手続が入る 〔弾 劾 手続〕(澤登 等・
フ 刑訴 40 頁) 〔1)非 専門的な民衆 裁 判 (2)中世の封 建社会で は, 被告人 と 同身分者によ る裁 判の 規 則が発達 し た。 裁判を 主 宰 する地 方の 首 長 は, 弁 論 を 導 く が 判決に は関 与 し ない 。 教会裁判所の 発展 (→ 14世 紀) (野田 ・ 206 頁,
澤登等 。 フ刑訴 40 頁)・
教 会は, その領民 に 対 し領主 司 法権を行使 す る ほ か, 教会 と聖職 者に 対 す る教会 固有の司法 権 をも っ にい た る。。
世 俗 権 力の 衰退に乗じ て増大し, 絶 対 的 中 央 集 権 的君主 制の発 展 たっ れて や や後退 し た が, 12,
3 世 紀に は次の よ うな 管 轄 権を もっ た。一
人 的管轄…
聖 職 者の 全 犯 罪, 教会の保 護 を う ける者 (mis6rabiles personae ),
十 字 軍 兵士1
一
事 物 管 轄…
秘 跡, 誓 願, 教 会 紀 律, カ ノン法に よ り罰せ ら れ る教 会 犯 罪に排 他 的に及ん だ。 王 権の 確 立→
官 職の増 大 (→14
世 紀 中 頃 ) (鈴 木・
売 官3
頁 以 下 )・
封 建 祉 会 内で生産 力増 大→ 交 易・
経 済の進展→ そ れ を確 保すべ き安 定し た 世 俗 権 力が待 望され る→ 王 権の発 展 ・ 王 権 は,
王 領 地拡大・
集 権化の た め に,
国王官吏 〔16gistes
) を 下 級 貴 族 ・富 裕 市 民か ら積 極 的に登 用 〔王権 と官 僚 制 〕 (1)当初, 王権 とレ ジス トの利害は一
致一
王権側→ 旧封 建 貴 族の 勢力抑制に有 効 (王 権 伸 長の 手段)b
一
官吏 側→ 自己の 能力を発 揮できる名誉あ る 地位を 取 得 可 能(2)そ の 後
,
売官 制 (V6nalit6 des oMces )→ 官 職 世 襲 制へ の展 開
一
王権 側: 官 職 賦 与に対 価が伴えば 良い 収 入 源に→ 売 官 制の素 地し
一
官吏側:購 入 し た官職を確 保 し た い→ 売官制の 官 職 世襲制 へ の 移 行 ゲル マ ン 古 来の法 観念が持続して い る (V ・
アハ ター
説 ) (塙・
権力447
頁 )・
犯行に対 する制裁=
乱さ れ た 呪術 的 秩序の 回復。 故に, 即 自的・
反射 的。
自動 的に招 来され る もの で あり, 倫理的 観 点か ら合理 的・
反省 的。
個別的に衡 量 し て な さ れてu・
る もの で は な い 。→
1150 年 以 前の資 料に は 裁判の具 体 的 側 面にっ き何 ら ふ れる こ と が ない。 刑 罰 ない し刑 法の誕 生 期 (V.
アハ
ター
説 〉 (塙・
権 力 448 頁 ) ・12 世紀ルネ ヅ サ ンス (南フ ランス )→ 個人の覚醒, 合 理 的 精 神 の台頭, 呪術の退 化, 法およ び 倫 理一
122一
フ ラ ンス 刑 事司法の歴 史 (上 野芳 久 ) の 解 放→ 刑 事 事 件と 民事 事 件の区 別
・
裁 判一・
古 き法の 形式性か ら解 放され た裁 判 官が, 良 識と 衡 平 以外に拘束 され ず, 行為 を個別 的。
倫 理 的・
合理 的に審理 し,
制 裁を決定する もの 〔∬.
糺問的 (inquisitoire
) 刑 事 手 続の時 代 〕 (澤 登 等・
フ刑 訴 42 頁, 塙。
権力456
頁 )・
取 調べ (糺問 ) が 手 続の 全 過 程 を支配 する形 式・
帝 政 末 期の ロー・
7法に起 源 を もっ。
13世 紀 以 降,
教会 裁 判 所 (← 10 世 紀以降)が 採 用 し (→ 1215 年 ) , その 後世 俗 裁判所 に浸 透・
裁 判 技 術の専 門 化,
秘 密 性, 書面性, 非 対審性, 裁 判官の 重 要性, が 特徽13
世紀まで 13 世紀 以降 13世 紀か ら1215
年1226
年1260
年 13世紀後半 (1272.
11〜
1273.
6
) 1283 年頃13
世 紀末〜
上級可 法権と下級司法権のみ存 在 (→ 14 世紀) (澤登等 ・ フ 刊 訴 40 頁 )一
上 級 司 法 権:窃盗 と体 刑の 罪とを除き 死刑に当た る全 犯 罪 を裁 くi
一
下級 司 法 権; その 他の犯 罪 を初 審として裁 く 刑 事 事 件の原告を代理する各種の代理機関 (procuratores)の 出現 (澤登等・
フ刑 訴 39 頁,
塙・
権 力 472 頁)・
この頃か ら, 領 主や 王 も自己 の収税利益 を守る た め に 代理 人 を利 用 する よ う に な っ た。 これ らの 代 理 人 が検察官に 発 展 す る。 (→ 1355.
12。
28
) 国王裁 判権の台頭 (→
16 世 紀 以降) (澤 登 等・
フ刑 訴 41 頁 )・
12 世 紀 末 までは, 王領の 裁判権も領主 裁判 権と同一
レ ベ ル に あっ た。・13
世 紀か ら, 王 固 有の裁 判 権が領 主 裁 判 権に優 越し て 台 頭し始め た。・
初め武 人が占め て い た 大 法 官 職→ 職 業 法 律 家に,
民 衆の判 決 人→ 定 職の 専門 家 に替わ り,
裁判 の や り方 も 15 世紀 末 頃には そ れ まで の 弾劾 方式 と 異 なる性 格を顕著に した。
ラ テ ラ ン会議 (塙・
権力 456,
470 頁 )(→ 14 世紀 ) 。糺問 的 手 続は, 12世 紀 末よ りイ ン ノ ケンテ ィウス 3 世の下で 創 始 され,
本会 議で 整理 確立 さ れ た。1
ルイ 9 世 (聖ル イ 王)i
即 位 (一
・27
・) (森下・糠 院37
頁)・
治 世 を通 じ て 司 法の公 正 と権威 を 確保す る た め に 努力→
現代フ ラ ン ス で 公 平 な司 法の シ ンボル に (な おパ リの サン ト・
シ ャ ペ ル は 王 の 礼拝 堂 )。 国 王,
王領内に おいて 共 宣誓者 (cojureurs )Vこ つ い て 訊 問 (enquet ) を行 う制度 を設 置 (鈴木・
陪審 10 頁} (→ 1791.
9,
16)・
これ がイ ギリス に導 入 さ れ, 陪 審 (jury
)の 起 源になっ た といわ れる。 ・ 当 時は , パ リ伯 出の カペー
王朝が 新 興 市 民階級 と結ん で封 建 諸 侯 に戦 い を 挑 み,
聖ル イ 王 に至っ て , 王 国 内の すべ て の 控 訴 を 王の 裁 判 所に おい て受理 する制度を 樹 立し, 王権伸 長 と国家 統一
に飛 躍 的 発 展 を 示し た時代。
「聖王ル イの法令 集」の編 纂 (→1283
年頃) (史 料 選皿193
頁〜
)・
(公 的名前 だ が)私 的 な 慣 習 法の集成。
・ 2っ のオ ル ド ナン ス ( シ ャ トレ にお け る 訴 訟 手 続 令 (1254
年?),
法 廷決 闘禁止令 (1258
年 ?D
が本集 成に の み含ま れ て い るの で,
有名o ボー
マ ノ アー
ル著 「ボー
ヴェ ジ慣 習 法 書 」一
応の完 成 (→ 1454.
4
) (塙・
試 訳, 史 料 選∬ 207 頁, 野田・
調べ 方 125 頁 ) ・ 中 世 後 期に フ ラン ス に現れ る数 多の慣 習 法 書の 中の 白 眉。
。
今ロー
般 に 訴訟上 用い ら れ る 語 (例,
juge
,
avocat )がほ とん ど そのま ま使われて い る 。 パ リ高 等法 院 (Parlement
)の形 成 (→ 1790.
3.
24) (澤登 等・
フ刑 訴 40 頁 , 志垣・
百科565
頁, 山口・
一
123一
相模工 業 大学紀 要 第 23 巻 第 2 号 14 世紀初 概説 33 頁
〜,
石 川・3
頁, 野田・
調べ 方 129 頁, 木 崎 121 頁〉 〔高 等法院の意 義 〕 (志 垣 ・百科565
頁 )・
中 世 よ リフ ランス 革命に至 る間, フ ラ ン ス王国の 司 法体系の 頂点に位 置 し た 国王 裁 判 所。 会 計 法 院, 租税法院, 貨 幣法院, 大法院 と と もに, 王国の最 高 諸 院の一
つ 。・1789
年には , 高 等 法院が 13,
同様の機 能 を もっ 最 高評定 院が 4, 計 17 の管 区に分かれて い た。 〔歴 史 〕 (忠垣・
百 科565
頁,
石 川・
4 頁。18
世 紀の 王権 との関 係にっ き, 石 井。
法院 165 頁)。
こ の 時代に, 国王 の 諮 問機関で あ る王会 (curia regis)の機 能分 化 に伴い, 司法 部門 が独立 し て形 成 さ れ た。
。
パ リ高 等法院は, 高 等法院の 中で最 古 (初め はパ リの み)。 古くか らの王領地 を中心に, その 管 轄 地 城は最 大 (→ 山P ・概 説44
頁 地 図 )。・
これ 以後, 周 辺 地 方の王 権 下へ の統 合に伴い, 以 前の封 建 諸 侯 領の 法 廷 を 引き継 ぐ形で, 各 地に高 等 法 院が設立 され た 〔例.
トゥー
ルー
ズ, ボル ドー
, ディ ジ ョ ン, エ クス, ルー
ア ン, レ ンヌ)。 (デ ィジ ョ ン高等法院に っ い て は志垣・
資料 (1)81
頁 以下)ルイ 14 世 以後の 併 合地 域 (ア ルザス,
ルー
シ ョ ン, ア ル トア, コ ル シ カの4
地方 )に は, 最 高 評 定 院 (Conseil souverain )が 置力・れ た。。15〜6
世 紀 項, 王 は (国 政 上の重 大 問 題は別に し て) 高等 法 院の建 白 に従うこ と が多く, ま た 高等 法 院 が解釈の名の 下に 王 令を 制 限・
修正する こ と も 少 な くなか っ た。
した がっ て, 16
世 紀, 高等 法 院は実 質 上立法に大 きな影 響 を 与えた。 (→ 王令の登録 権 ・建白権)・17〜8
世紀に は, 高等 法 院の 勢ヵ は さら に強 化さ れ 公然と政 治}こ介入 した。 もっ と も,
ル イ14
世 が高 等 法 院を極め て 敵 対 視 し, 種々 の方 策で そ の政治 力を奪っ たため (例.
建 白 権の 大 幅制限),
高等 法院は1715
年同 王の死 まで の 40 年間は 沈 黙 を守っ た。 (野 田・
418 頁 )・
革 命の渦中, 1790.
3
.
24 に廃止決 定。 10 月15
日一
切の 活動 停止。 〔機 能・
地位 〕 (志 垣・
百 科565〜6
頁 )・ 高等 法院は , 司 法機能のほ か に, そ の判 例 を 通 じて 立法 機 能を兼ね, また さ ま ざ ま な 布 告に よ り行 政 機 能も併せ 行っ た。
・
政 治 的に も重 要 な 機能を 果 た し, 宗 教 戦争, フ ロ ン ドの乱 (→ 1648 年), フ ラン ス 大革 命 等で大き な役 割を担っ た (→ 王令の 登 録権・
建 白 権 )。
・
社 会 的に も, 裁 判 官 と し ての 評 定官, 検 察官, さ らに は弁 護士,
書 記な ど多くの ス タ ッ フ を 抱え,
一
大勢力 をな し てい た。 ・ 16 世 紀 以 降,
高 等 法院の 官 職は売 官制の対象と な り, 法服貴 族 (noblessede
robe )の 中核と し て世論へ の影 響 力 も 大 き か っ た。・
元来 高 等 法 院は’
思想 的に は進歩 的で な く, 王 権 と の闘 争 も, む し ろ封 建 的 勢 力の 復 活。
擁護の た め だっ た。 し か し, そ の闘争の際, 高等 法院は 国民の権利 を代表 す る機 関 だ とい う 思 想に立 脚 し, こ れ が期せずして革命思想の普及 に一
役買っ た点は 注 目に値 する (野 田・418
頁 )。〔王 令の登 録 権
・
建 白権 (pr6rogative d’
enregistrement et remontrance )〕(志 垣
・
百科 566 頁, 石川・
4
頁, 野 田・
414「
頁) ・地 方の高 等 法院は, 地 方の利害を代 表する立 場か ら 中 央 政 府 と対 立した事例 も多い が, そ の際 最 強 の武器となっ たの が, 王 令の登 録 権・
権 白権。・
っ ま り, 当時, 国 王の王令 (Ordonnance
)は 当 該 地 方の 高 等 法 院の審 査・
登 録 を経な け れ ば無 効 と され て いた の で, 高 等 法 院は登 録 に先 立 ち 建 白を重ね るこ と に よ り, 国王政 府 の政 策に圧 力 をか ける こ と がで き た。・
もっ とも,
王は建 白 を 不 当 と認め る場合に は勅 令 状に よ り登 録 を 命 じるこ とがで き, そ れで も高 等 法 院 が 拒 絶 する ときに は, 王 は代理 人 を 派遣し て登 録 を強 行 す るこ と も で きた。
し か し, 高 等 法 院一 124 一
フ ラン ス 刑 事 司 法の歴史 (上 野 芳 久 }
13
世紀後 半〜15
世紀 14世 紀 14世紀14
世 紀14
世 紀 中 頃 1329 年 が 世 論 を 背 に 強 力 に反対 する と き は 国 王 とい え ど も従わ ざる を え ず, その意 味で高等 法 院 は 王 権 に とっ て 厄 介な存 在で あ っ た。・
建 白 は 14 世 紀 頃か ら行わ れ た。 (→ 1673 年) 刑 法 思 想 と刑 法 体 系の整 備 (塙・
権 力474
頁 )・
裁 判 権の 力の強 化 と,
ロー
マ・
イ タ リァ法学さら に は教 会法の影 響な ど に よ っ て, 漸 次 整備 ・修正 さ れ て い っ た。
〔特 徴〕 (塙・
同 上 475 頁) 公 益侵 害, 裁 判 権者に よ る公 的復 讐の観念の 存 在。 後 者は, 威 嚇 的 苦 痛と 共に, 刑 法の二 大 支 柱に。 裁 判 官の 衡 量 的 機 能の 確 定・
詳 細 化 刑 罰の峻厳性・
残 虐 性。
重 罪 ・ 軽 罪の概 念が用い ら れ始 め てい る。 上級,
下級司法 権のほ か に,
中級司法 権が 登 場 (←13
世 紀まで) (澤登等・
7 刑 訴 40 頁, 塙・
権力 455 頁)一
中級 司法権…
上級司 法権に属さ ぬ重い 罪 (単 純 窃 盗は た とえ 死刑で もこれ に含む) を裁く。1
一
下 級 司 法 権…
低い 財 産 刑に あ た る罪, 重 大な結果 を伴わ ぬ喧嘩し か裁 けな くなっ た。
・
裁 判は,Cours
d’
assises ま た はCours
de
plaidsで行われ,
領 主の委 任する 人に よっ て主 宰さ れた。 限 定 的な が ら拷問が刑事訴 訟に確定的に採用 された (塙。権 力 473 頁 )
・
13 世 紀 後 半か ら あっ た が, この 頃確定 的制度となっ た。 特 権 事 件 (cas privi16gi6)の理 論の 出 現 (→ 1329) (野 田 ・432 頁)・
聖 職 者の 刑 事 事 件にっ いては, 従 来 は 教 会 裁 判 所 にのみ 管 轄 権 あ り とさ れ て い た が, 重 大な る犯 罪 につ い て は 公の秩 序 を 粢 乱 する お そ れ が ある (特 権 事 件 〉の で 世 俗 裁判 所に も また管 轄 権が ある, と す る 理 論。。
特 権 事 件の 特 権 と は, 被 告入 た る聖 職の それで はな く,
裁 判官の そ れ。。
特 権 事 件 (教会側は d61it commun と称し た) は その 後しだい に増加。・
もっ とも 世 俗 裁 判 所に は体 刑を科す 権 限は な く, 罰 金 を 言 渡 すこ とがで きた だけ。 し た がっ て, 体 刑 を 科 す ため には,
同一
事件に っ い て教 会 裁判 所が 聖職 剥 奪の刑を科す まで待っ ぽ かなか っ た。 (→ 1580 年 ) すで に官職の売買 (秘 密売 買)の動き がみ られた (鈴木・
売 官7
頁) 〔売 官 制の発 展 形 態 〕 (鈴 木・
売 官7
頁 以 下) ・以 後,
官 職の 売 買 世 襲 制は以 下の 4段 階 を 経 る (E .Chenon
の分 類)一
(1)秘 密 売 買 (v6nalit60cculte )の段 階 (→1493.
7.
11)
一
(2)国王 側か らの官 職売却 (v6nalit6 ex parte regis )の段階 (一
→1499
,1522
年 )一
(3)双 方 的売買 (double
v6nalit6 )の段階 (→ 1566.
2)一
(4)世 襲 化 (h6r6dit6)の 段 階 (→ 1604.
12) 〔売官 制か ら生 じ た結 果 〕 (鈴 木・
売 官 14 頁以下)一
(1>官 職の過 剰 と錯 綜 (→1643
年 )一
(2)不 当な職 権 行使 (→ 15 世紀 初頭)一
上層 市民層に よる 高位司法 官 職の 独占 ( 任 命 資 格の 潜 脱, 法曹 名家の 形成 ) (同23
頁 以 下 )一
(4)司 法官の非罷免性 (→1467.
10.
21) ヴ ァ ン セ ヌの名士会 (←14
世 紀 ) (野田・
431 頁)一
125一
相 模工業 大 学 紀 要 第
23
巻 第2
号1355.
12.
28
15世 紀 初 頭 15〜
6世 紀 1422 年 1454.
4月 1461 年 1467.
10.
21
・ 中世に教 会 裁 判 所の 管 轄 事件が非 常に多く な っ た。 と くに フ ィ リッ プ 4世 (1285〜
1314 年)以 来,バ イィ お よ びセネ シ ョ オ (→ 「ア ン シ ャ ン
・
レジー
ム下の裁判所 」)がそ の固 有の 管 轄 事 件 を奪回し よ うと し て,
教会 裁 判 所 と俗 界 裁 判 所との間に闘 争が起 こっ た。。
この 闘争 を 緩和す るた め, フ ィ リッ プ6
世 (1328〜
1350 年 }が招 集したの がこ の会議だっ た。 し か し 何 らの成果 な くし て終っ た 。 検察 官 (minist さre public>の誕生 (オル ド ナン ス )(澤登等 ・ フ刑 訴 39 頁) ・ 本オ ル ドナ ンス に よ り, 「国 王 代 理 官 (procureurd
ロ roi)」 がフ ラン ス の刑 事 手続 制 度に確 定 的に 設 置さ れた。 こ れ は, 客 観 的に社 会の利益 を代 表す る責 務を 負 う専門 的訴追 官 の誕 生で ある。
・
た だ し検 察 官は,
あ く まで も 私人訴 追 が 無い 場 合の 補充役だっ た。 (→1790.
5.
8
) エ ビス (Epices
) が,
不 可 欠の もの と考え ら れ る よ う に なっ た。
し か も金 銭に よる もの と な り, 額 も大 きくな っ た。 (鈴木 ・売官21
頁, 野 田・
概説 上323.410
頁) (→16
世 紀 項 ) 〔意 義〕 も と も とは香辛料 を意 味するエ ビス とは, 古く 当 事者が, 儀 礼上の 手土 産と し て香 辛 料 を裁 判 官に持 参した慣 習に 由来 する もの で, 裁 判の手 数 料 (taxe)を意 味 する。 こ の 頃か ら 上記の よ うに 変わ っ た。 〔発生理 由〕 莫 大な額で購 入 し た官 職 なの に, その 俸 給は 少な くし か も支 払 が不 定 期 だ っ た ため, 裁 判 官は, 民 事 訴 訟におい て 当 事者か らエ ビス を勝手に要求す る よ うになっ た。 (鈴 木・
売 官 18 頁 ) 〔訴 訟 構 造の 進 展との関 係〕 エ ビス の 変 容は, 訴 訟 構 造 が,
巡 回 裁 判に よ る 口頭 弁 論 主 義か ら常置 裁 判 所に よ る審理 主 義へ 移 行 す る こ と と 照 応 す る 。 裁判 官の唯一
の義 務は弁 論立会お よ び判 決 言 渡 とさ れ て いた の で, 調 書の 検査・
報告は職 務外の 活動 と な り, 当事 者は特 別の 報酬を払 う 必 要が生 じ る。
っ ま り口頭 弁 論 だ けな らヱ ピスは 不 要 だ が,
書 面 審 理 主 義に移 行 す る とエ ビス の 比 重 が大き く なる。 (鈴 木。
亮 官21
頁〜
) 弁 護士 と代 訴士 が次 第に分化 し てい っ た (→1620
) (小 山 。弁 護士305
頁 )1
シ ・ル ル7
世1
即位 (一
・461
年) モ ソ テ ィ・
レ・
トゥー
ル (地名〉の オル ドナ ソ ス (→ 1498.
3.
15) (史料選皿3
頁,
野田 。入門3
回47
頁。 なお ブル ゴー
ニュ
慣 習 法につ き志 垣・
資料(1)73
頁)・
フラ ン ス法史上初の “公 式の ” 慣習 法 編纂 (成文 化) ・従 来は私人 の編纂書 (← 13 世紀後 半 ,1283
年頃 )のみ→ 慣 習 法の立 証 の 必 要 に よ る訴訟 の 長 期 化, 慣習法の事 件毎の 矛盾→ 前年 百 年戦 争を終 結させ た王 は, 回復 し た 国 土の 制 度 改 革 を目的 とし て本 法 を 制定。 但 し編纂 実 現は 手続の 複雄 さのた め 遅 れた。 (→1498.
3 .
15
)・
15世 紀 中 葉 か ら 始 まる慣 習 法 公 式 編纂は,
フラ ン ス王 権の 意 図の下 に進め ら れ た。 (志 垣・
同 上) ル イ1
・倒
艮1
位 (一
・483
年) 司法 官の非 罷免を保 障する 王令 (エ ディ ) (鈴 木・
売 官28
頁 )・
ル イ 11 世→
「司法 官 非 罷 免の始 祖 」 と呼ば れ る (但 し, 以 前に も非罷免は事実 上 生 じ て い た)。 〔内 容 〕 「死 亡の揚 合, 辞 職 者の 明示の 同 意 に よ りな さ れ た辞 職の場 合, ま た は管 轄 権 のあ る 裁 判 官 に よ り明 示 的に, 司 法 手 続に し た がい かっ 裁判用 語 によ り あ ら か じ め判示され た漬 職の 場合に空位が 生じ た の で ない か ぎ り」, 今後, 国王官 職の後 任を 任 命 する こ と は しない。 〔制 定理 由〕 ル イ 11 世 が 即位 後 直ち に 父 (前王)に加 担し て い た 多 くの司 法 官を罷 免→ 司 法 官の反乱 (1465 年 )→ 懐 柔 策と し て上 記 王令 を制 定し た。
〔原 則 遵 守 〕 非 罷 免の原 則は比較 的よ く守ら れてい た。 本原則の 強化 に は, 並 行して進 行 する官職 の売 買 世 襲 制の確立 化 が 決定的に作用した。一 126一
フ ラ ンス 刑 事司法の歴史 (上 野 芳 久 )
1483
年1493.
7 .
11
1498.
3 .
15
同年
1499年 16世 紀 〔司 法 官の 独立 性 (magistrature indEpendante )〕罷 免に は騰 貴 した 官 職 価格の償 還が必要な の で , 財 政 危機に さ ら さ れて い た王権は罷 免で きな か っ た。 こ う し て司法官の独立性が形 成さ れて い っ た。
17
〜8
世紀の高 等 法 院の政 治 的 抵 抗 も,
官 職 の 売買 世襲制な し に は 考 えられ ない 。1
シ ・ ・レル 8世〔
眦 (一
・498 年 ) 司法 官職購 入 を禁止 す るオル ドナ ン ス 〔秘 密売買の段 階 〕 (鈴木 ・売 官8
頁) ・ さ らに,
新た に官 職 を 譲 り受け た者が就任す るさい,
当 該 官 職 に 関し て金銭の 授 受が な か っ た 旨の 宣 誓 義 務をも規 定。 し か し, その 効 果 は な かっ た。1494
年イタ リ ア戦 争 (〜
1559 年) (鈴木・
売 官9
頁)・
戦 費調達の た め加速度 的 に売 官 制が促 進 さ れ た。 慣習法 編纂 手続を簡素 化 する 王公 開 状 (史 料 選皿5
頁, 野田・
調べ 方128
頁) (→ 1506.
5.
28
)・
15 末〜
16 世 紀, 王 権 強 化にっ れ , 法統一
の 気 運。 公式編纂は その一
っ の 表 れ。i
ル イ ・2
世i
即位 (〜
・5・5 年) ル イ 12 世, 租 税 院 評 定官の職を売 却 (鈴 木・
売 官 9 頁) (→ 1622 年)・
以 後, 国王 側か らの 官 職売 却が他のあ ら ゆる種 類の 官 職 に拡 大16
世紀以降 16te 紀 以 来, 王権は官 僚 制 を一
段 と強 化・
拡 充 (→ 宮 崎・
法 服 貴 族 123 頁) ま たこの頃か ら, 官 職は委 任の違い に よ り二 種に 分 けられる よ うに なっ た。 (鈴 木・
売 官 5 頁,
野田・
概説上 319 頁)一
職 任 官 (oMciers )→ 売買 世 襲 制 をて こ に法 服 貴 族 と な っ た。。
王 の辞令 (lettre de provision)に よ る委 任・
終 身官で, 重過失な い か ぎり国王 も罷免で き な い= 固 定 的・
独立 性。
税 務, 警 察の ほ か, ほ と ん ど すべ て の司法官職 がこ れ。 た だ し, 高等 法院長の職は売 官の 対 象 外 (→ 鈴 木・
売官 16 頁〜
参 照 )。一
(2)特 任官 (commissaires )→ (1>の 勢力 を 王 権 側か ら 抑制した。・
王 の親任 状 (lettrede
commission )に よ る委任・
職 務は 特定的・
臨時的 で,
国 王 は 任意に罷免可= 流動的。
従属性・
この官職 は, 世 襲 特 許 状 (lettre de survivance )に よ っ て, 個 別 的に相 続が許 さ れ た (野 田 319.
322
頁) (→1604.
12
月 )・国 務 卿 (secr6taire )
,
国 璽 保 管 者 (gardedes
sceaux ),
財 務 長管 (contr61eur 96n6ral desfinances)
,
参 事 会員 (conseiLlersd’
Etats
).
高 等 法 院 長な ど。。
(1)と の 両者は反 王 権 側 対王 権側 として 反 目した。 し か し,
官 職 自 体は排 他 性 を もっ もの で は な く, 同一
人 が 職 任 官かっ 特 任 官で あ り えた。
・(1)職任 官の俸 給は少な く, 冨 裕 市民は官職 に投下 し た資 本を謝 礼, 賄 賂, 地 位 利 用 等に よ っ て回 収 した。 (← 15 世 紀 初 頭: = ビス)・17〜8
世紀に は(1)の方 が(2)よ り は る か に多か っ た。 国王 裁 判 権の拡大・
強 化 (← 13世 紀から , → 1772.
3) (志垣・
制度 (1)44 頁〜
, 塙・
権 力 477, 486 頁。15,6
世 紀 以 降の特に ブル ゴー
ニ ュ に おける両 裁 判権の競 合関係につ ぎ, 志垣・
資料 (2>52
頁 以 下。
ま た 序説, 制 度。
裁 判 権 など一
連の志垣論 文 も参 照)・
領 主裁判 権へ の 王権の干渉と統 制は, 王権の 絶 対化 と と も に国王 の法 曹に よ り確 立された裁 判 権 思 想 (全 て の 裁判権は本源 的に国王 よ り発 する)や 諸 概念装 置 (国王専決 事 件理 論,
国 王 裁 判 先 取 権 制 度, 高 等法院へ
の 上 訴集 中 制 )によっ て,一
般化。
国法 化 さ れてい っ た (な お, よ り早 い一 127一
相 模工業大学 紀 糊 第
.
23
巻 第2
号1506。5 .
28
1515
年 1522 年 1539 年1547
年1552
年 1555年 頃 1559年 1560年 1561年1566.2
月 1567・
1.
22 1574 年 1579年 1580年 1596 年 13 世紀 頃か ら, 大 諸 侯に よっ て領 主 裁 判 権へ の 統制手 段 として と 伺様な諸 概 念 装 置が使われ て い たo 塙・
権 力457
頁 以 下)。・
しか し, 領 主 刑 事 裁 判権は,慣習法の 不+ 分な裁判権 規 定や, 王権の 上 記 の よ うな規 制 政 策に もか か わ らず, アン シ ャ ン
・
レ ジー
ムの 司 法 制 度 機 構の 中で脈 々 と 生 き延び た こ と に注 意。・
(志垣・
制 度 52 頁) 慣習 法編纂手 続 を 簡 素 化 する王 令 (史 料 選皿10
頁 ) (←1498.
3 .
15)・
前王の手続を踏 襲し た もの→ 各 地の慣 習 法の 成分化は多い に進 ん だ。
(→1555
年 頃)1
・ ラ 〃 ワ 1世圓
位 (−
15・7) 官職売 却事 務を 処 理する官 庁の創設 〔官職 売買の確立〕(鈴木・
売官7,
9 頁 )・
国王 が, 臨時 収入 局 (Bureau des parties casuelles )を設置
・
王 権側は, 同局に払い 込ま れ た金 銭は売 却 代金で は な く, い っ かは返 済 さ れ るべ き借入金 (pret) だ と, 理 由 をこ じっ けた (→1648
) ヴィ レエ ル・
コ ヅ トレの王令 (史 料 選皿14
頁 )・
教会 裁判 所の管轄権を制 限。 ア ン リ2世 即 位 (〜
1559) 上 座 裁 判 所である プレジディ アル (pr6sidial)の創 設 (志 垣・
百 科565
頁 ) 成 文化さ れた慣 習 法を改革する第二 次 編纂の波の 開始 (史 料選皿 10 頁)・
こ の 16 世 紀の慣習 法の規定 が, 1804 年民 法典 成立 まで維持さ れた 。 ! ・ ラ ン ・ ・ 2世1
雌 (一
・56・)1
シ ・ル・レ9
世1
即 位 (一
・574) オル レア ン の王令 (史料選皿14
頁 )・
司 法 制 度 の 改 革, 教会 改 革,
都 市 財 政 を 規 律 ムー
ラソの オル ドナ ソス 〔=
双 方 的 売 買の承 認 〕 (鈴 木・
売官10
頁 ) ・官 職 売 買 (転 売)を 承 認 (→1567.
1.
22) 官職 譲 渡 を 認め る 王宣 言お よ び 1L12 のオル ドナ ソ ス (鈴 木・
売 官10
頁)・
譲 渡を認め る か わ りに, その官職価 格の 1/4〜
1/3 とv・
う 法外な 譲渡 税を課 した (;
王 が官職売買 を歳入 源 と し て採込 む) (→ 1579) (→ 1604.
12)1
ア ソ リ3
世[
即 位 (〜1589
) ブ 卩 ア の 地 方三部 会, 司 法 官 職の売 買につ い て抗 議 (鈴 木・
売 官 10 頁)・
これに応じ国王 はすべ て の官 職 売 買を禁じた が , もはや王 権 側で これ を遵守し うる情勢で は な か っ た。 ムー
ラ ン の王令 (Edit
de
Mulun ) (野田 ・432 頁) ・聖 職者の 同一
刑 事 事 件にっ き, 教 会 ・世 俗 両 裁判所が別々 に審理 するの は不 便な の で, 聖俗 両裁 判 官が併 合して審 理 を な す「tきこ と に なっ た。・
尤 も 判 決は別 個→一
方 が有罪, 他 方が 無 罪の 揚合 も 生じ た (→17
世紀 )剣 貴族, 名士会 (Assembl6e des Notables )で, 社会
一
般の貴族 資 格の 横 領を非 難(宮崎
・
法 服貴
族136
頁) (→ 1614 年)・ 剣 貴 族は 16 世紀に は法 服 貴族 (ま だ 少 数 ) と外 見か ら区 別 さ れ た→ 世紀 末
〜
17 世紀にな る と商 人 や平 官僚で さ え 称 号 を使い携 剣 する有 様だっ た。17世 紀 1589 年 1604
.
12月 フ ラ ンス刑 事司法の歴 史 (上野芳 久 }。98
年, 1600 年に は, 王権 を して (勅 令 ), 4万人 以 上を課 税 対 象 身 分 (第三身 分 )に引 き 戻 させ る よ うな 積極的 な 反 発の動 き を 示 し始 め た。1610
年1614
年 1620 年 1643 年 1648.
4。
30 有 罪 な ら当 然 聖 職 剥奪の効 果を伴 う とする 理論の承認 (野田・
432 頁)。
特 権 事 件 (← 14 世 紀 )に お い て 有 罪 判 決 を 受 ける とい うの は 非 常 に重 大な 罪である か ら, こ の 場 合は 当 然 聖 職 剥 脱の効果 を伴う (し た がっ て, 俗 界 裁 判 所も体 刑を科 すこ と が 可 能とな る), との 主 張。・
ま た特 権 事 件 に属 する事件は ほ と ん ど 重大 事 件の すべ て を含む こ と に な っ た か ら, こ こ に 全 く 世 俗 裁 判所の管 轄 が 勝利を 得 た こ とになる。1
ア ソ リ4世1
雌 (一
・61・) 事実上の官職 世 襲 制 をみ と め るデクララ ソ シ ョ ン 〔二 官職 世襲制の確 立 〕 (鈴 木 。売 官7,11
頁, 野田 。概説 上322
頁 ) ・ ア ン リ4 世の側近 ポ レ (Charles Paulet)の発案→ 創 設 され た下 記の年 次 税は , 発 案者の 名を とっ て ポー
レ ヅ ト (Paullette
) と呼 ばれ た。 〔背景〕 売官 制の確 立後も,
(1)その官 吏が 転売 し ない う ち に 死 亡 する と, そ の官 職 は 臨 時 収 入 局 に復 帰 し,
転売権は 国王 に移る こ と に なっ て お b, 他 方,
官 吏が 生 前に転 売し よ うとす れ ば,
莫 大 な 譲 渡 税 (→ 1567.
1.
22) を 支 払 わ ね ば な ら な か っ た。 し た が っ て, 官 吏は官 職の世襲化を望ん だが, 当初は原則 と し て 認 め ら れ ず,
例 外 的 に国王 の 世 襲 特 許状 (← 16 世紀頃)に よ り個別 的に 許 さ れ.
た にすぎなか っ た 。 そこ で こ の利 害 を 調和するた め に 本 制度が案出 さ れ た (野 田・
同上)。 1 〔内 容 〕 官職保有者は, 毎 年そ の官 職 価 格の 1〆60 相 当の 年次 税 (PauUette ) を 支 払 え ば,
世 襲 条 件が 緩 和さ れ, 譲 渡 税も半 分に 減 額さ れ る。 し か し, こ の 制度も ま だ 事 実 上 ない し条 件っ きの 世 襲 制で あ り, 王 権 の側で 世襲の固 定 化 を お そ1
れ てい る様子 が うか がわ れ る。 そ れ は,
法制化 を, 当 初, 高等 法院へ の登 録 手 続 を 必 要 としない 顧 問 会議の 単なる決定に よ りお こ なっ た こ と, 年次 税の受領 を拒 絶す る こ と によっ て 王権 側で任 意に事実上の 世襲権 を 執 行 させ うる建 前 とし て
’
v・
た こ と,
に よ く現れて い る。
(鈴 木・
同 上 ) 〔その 後 〕 全 国三 部 会 等の 反 発が強 く, 1618 年に一
度 廃止 さ れた が, 1620 年 7 月, 翌 年2
月の デク ラ ラ ン シ ョ ン で復 活 (鈴 木・
同 上) (→ 1648 年 )li
[
・レイ ・泄1
耽 (一
・643 年) J 剣 貴 族, 全 国 三 部会の陳 情 書で , 法 服貴族を非 難 (宮崎・
法 服貴 族 136 頁)・
剣 貴 族の た め に,
官 職,
王 家の要 職,
騎士 団の地位, 高 等 法院の 名 誉 職 等及び貴 族 身分の 横領防止 とを要求。 (←
1596 年)・
法 服貴 族も, 剣 貴 族の年 金 廃止提 案を行い 対抗した。・
もっ とも両 貴 族は, 集 団 的には対立 し た が, 個人の 職 業 と 婚 姻の面で は,一
方 的に対 立 関 係 と 断 定 で きない 。 (→ 1790.
12,
15) procureur (代 訴士の前 身といわ れる)を創 設 する王令 (小山 ・弁 護:ヒ305 頁)レ
レイ ・4
世 難 (一
・7・5 年) (鈴木・売 官 ・5 頁) 。 同王 は,
そ の 後1691〜
1709 年の間に 4万以上の 官 職 を創設した といわ れ る。
(→1704,1707
年 ) 官職 を 新 増 設 し, 官 職保有者の給 与を 4 年間支払停止 する 王令 (エ デ ィ) (G .
D.
E .
L.
, p.
4566) 〔背 景・
結果〕 (千 葉 ・ 百 科312
頁 )・
王 政 府は戦 時の 財 政 危 機 打開 策 として 本王 令を 制 定→ 官 職 保 有 者の 反 発〔新税 (借入金 )の付 加 〕 (鈴木
。
売 官 12 頁)一
129一
相 模工 業大 学紀要 第 23 巻 第 2 号 5
.
13 1667.
4月 1670.
8月 ・財 源 枯 渇 し た 王権の 窮余の策と し て 大蔵卿エ ム リが案 出。1620〜21
年の 改正 で 限時 法 化さ れ た ポ レ法を更 新す るこ と と 引 換 え に,
司 法 官 (magistrat ) に 対 してそ の 官 職の俸 給 4年 分に相 当 す る借 入 金 (pr6t) を 要 求 し た (っ まり4年の 俸給 凍 結 )。
・
これ は 「高 等 法 院の フ ロ ン ド」(5月)の 契機とな っ た が, 結 局 維 持さ れた→ そ の後 ア ン シ ャ ン・
レ ジー
ム の 終わ り まで, 官 職世襲の た め に は, ボー
レ ッ ト (← 1604.
12) と 本 借 入金の 二 っ の 税 が 必 要 とされ た。 王 令に反発 したパ リ の最高 諸 院 (高等法 院, 会 計 法 院, 租税法院等)官僚 た ちが, 高 等 法 院の主導で, 結集→ 連 合の ための 決 定 〔7
囗ン ドの乱 (1648〜 53)〕 (千葉 ・百科312
頁)・
三 十年 戦 争が長 期 化する中で, 宰相マ ザ ラン は, 17 世紀 前 半の リシ ュ リー
に よる近 代 的 行 政 国 家 政 策を受け継い だ。 これ に対し, 高等 法 院 を中心 と する 旧 官僚 (官職保有者 ), 旧貴 族 (剣貴 族 ), 地方勢力, 民 衆な どが, 伝 統 的 特 権と償 行 を維 持 するた め に, 起こ した反乱。・
フ ロ ン ドの名は, パ リの子 供の 石 なげ 遊び (パ チ ン コ )に 由来する。 〔経 過 〕 (1
)「高 等 法 院の フ ロ ン ド」 (1648〜49
):5
月13
目 の決 定の後,7
月官 僚た ちが, 政 府に国 政 改 革 案 を 提 示したこ とに始 まる。 → 49 年3
月高 等法院が, コ ン デ親王 と 組ん だ マ ザラ ン との 間に, 和 約を 結び終了。 (2)「貴 族の フ ロ ン ド」 (1649〜53
): パ リ にお けるマ ザラ ンとコ ン デ親王一
門 との 抗 争が 全 国 に 波 及 し たもの。一
時コ ンデ政 権 も樹立 され た が内 部 抗 争 で安定せ ず, 結局少 年王 ルイ14
世 を擁 す王 党 派 がパ リ に戻 っ た。 〔結 果 ・ 影 響〕 (野 田 ・417 頁, 千 葉 ・ 百 科312
頁 ) ・ (1)の段 階で は高 等 法院の 勝 利→ し か し(2)の段 階で は フ ロ ン ド側の惨敗→ 結局事 態は 1648 年前 と同 じ状 態 に返っ た。 本乱鎮静 後, リシュ
リー
以来の想 想で あ っ た集 権 的 行 政 支 配 構 造は着実 に創成 さ れ て い っ た。・
フ ロ ン ドの 乱の後, 司 法は, 裁 判 権の 行 使に還 元され た。 (フ ワィエ・
歴史21
頁) 司 法改正のた めの 民事王令 (= ル イ法典) (→ 1806.
4.
24
) (史 料 選皿 14 頁, 三井1105
頁注(4).
江藤・改 革485
頁 ) ・ コ ル ベー
ル の 叔 父ア ン リ・
ピュ
ソー
ル の 起草 (一
“1670 年 )・
35 章か ら なる体系的民 事 訴 訟法 典。 訴訟手 継に 新 改 革を もた ら した とい うよ り も, 従 前 の多くの 勅 令を綜 合 し て編 纂した もの 。 これは, ラモ ワ ニ ョ ン の 進 歩 的 意 図がコ ル ベー
ル 等の反 対 に あっ た た め とい わ れる。
・
procureur お よ び 弁護士の 存在を 認 め てV・
るが,
両 者の職 務分 担 等にっ い て は 必ず しも 明確に規 定 し てい な v・
G
工藤 ) (←1620
年 , 1791.
1.
29)。刑事王令 (grande ordonnance sur la proc6dure criminelle ) 〔地 位〕
。
最 初の刑事訴訟法典と もい うべ きもの (鈴 木 ・ 検 察 官 23 頁) 。・
そ れ ま で雑 多で断 片 的 な多 くの法令に もと つ い てい た刑 事訴 訟 手続を ま とめ た典型 的 な糺問訴訟法 典 (鈴木・
訴 追29
頁)。・
パ リ高等 法院の 法 慣行 を 主た る規 範とする (志垣 ・ 考 察 75 則 。・
カ ロ リ ナ法典 (1532 年 ),
教 会 法の影 響あ り。 手続 法の他, 実 体 法 も含む (中村・
変 遷619
頁)e・
技 術 的な完 全 性か ら, その 後120
年 間手 をっ け ら れ ない で そ の ま ま放置 さ れた。 (→ 1790.
9 .
16
) {中村。
変遷621
頁 )一
130一
フラ ン ス刑 事司法の歴 史 (上 野芳 久 ) 1673
.
2.
241679.
4月 〔内 容 〕。
訴 追手 継 の 二 分化 (提起者が 訴 訟に参加 し なv・
d6nonciation と, 私 的当事 者と な り私訴を開始 さ せ る plainte ) (塙・
権 ヵ 483 頁 )・
官 憲に よ る犯 罪 訴 追の独 占 (た だ し,
私 訴 提 起 が前提 とされ て い る, 軽罪は親 告罪 的 性 格を も っ て い た, 領主裁 判 権が残っ て い る点で, 完全 独 占と はい えな かっ た) (塙 ・ 同 484 頁 )・
法 定 証 拠 主 義につ き 明 文は ない が,
当時の 学説。
実 務は そ れ を 認め て お リ, や は り糺 問 主 義の 訴 訟 構造を採る とい える (同 620 頁) 。 犯 罪の迅速な処 罰を 目的と し , 秘 密の , 書面に よ る裁 判を維 持 して い る。
ア ン リ・
ピュ ソー
ル の 起 草。 (史料選皿14
頁 ) 。 予審段階で , 被告人は真 実を述べ る旨の宣 誓を強 制され る (反すれ ば偽証罪 )← ラモ ワ ニ ョ ン (cf.
1788.
5.
8) の 批 判 (澤登等・
フ刑 訴 44 頁 )・
死 刑 事 件で は,
罪 体 が 確 実で か なりの 証 拠 が 既 に集め ら れて い る場合に し か拷問 を 用い え ない 。 (澤登 等・
フ刑 訴 45 頁, 中 村 ・変遷 621 頁) ・ (16 世 紀 前 半に国王裁 判 所へ の直接 上 訴体制が確 立→ ) 本 法 で,
procureur に よ る施体 刑 判 決の高 等 法 院へ
の 上 訴が義 務 化 (塙。
権 力 486 頁 ) 建白権の全 面 的禁止 (宮 崎・
法 服貴族138
頁, 木 崎127
頁 ) (→ 1715.
9.
15
)・
フ ロ ン ドの乱 以後,
法服貴 族は, 王 権に よ っ て 最 高 諸 法院の諸権限, 特に建 白 権 を制 限 され た→1661
年,
ル イ14
世の 親 政 が 始 まる と 更に制限 を 強 化 さ れ た→ 本 年で全 面 禁 止。
・法服 貴 族は , 公式の国 政に対す る発 言 権を完 全に失 うに 至 っ た。 大学で 「フ ラ ン ス法一
般の原 理 」 を 講 義せ よとの王の命 令 (野田・
入 門3
回47
頁 ) ・ フ ラ ン ス 固 有 法 がこ の 時 代 には じ めて学問的 対 象 とし て広 く意識せ ら れ た こ と に 基 く。
〔皿.
折 衷 的 刑事 手 続の時 代〕 (澤登等・
フ刑 訴38
頁) (注)本欄をこ こ に 書 くのは便宜上 。 近 代に入 る と 弾劾。
糺問 両 手 継の 弊 害 を避け るべ く 両 者の 折 衷 型 態 が 現 れ た 。。
そ の後, 大 革 命や 治 罪 法典 等 を経て,
折 衷型 態は今 日 で はか な り変 化して い る。 1704 年 1707 年1715
年1715.
9 .
15
1762 年 国 王官職 をつ く りだす王令 (エ ディ) (→
1707 年 ) (鈴 木・
売 官15
頁 )。
こ の 年だ けで 種々 の官 職 をっ く りだ す王令が24
件も成立 して い る。 ル イ14
世, 王 室ぶ ど う酒 運 搬 仲 買 顧 問 官とい う職 を 考 案 (鈴 木・
売 官15
頁 )・
その 他これ に類 する よ うな官職 (実 体は な い) が次々 に 売 られた。 〔官 職を購入 しよ うとする者がな くな らない理 由〕 (鈴 木・
売官15
頁 )1
(1)当時,
平 民に の み 課せ られ た 人頭税 (taille) を 課せ ら れ るこ とは恥 辱 と 思わ れ てい たの で, 官 職 購 入に よ り そ れ を 免 れ たか っ たか ら。
国 王に仕える とい う名 誉に惹か れた か ら (フ ラ ン ス人 の官職崇 拝 熱)}
ル イ ・5 世1
即位 (一
・774 年) 最 高諸法 院, 前王の遺言 書をめ ぐり摂政政府と取引 (宮 崎・
法服貴 族 138 頁, 木崎127
頁 )・
諸 権限, と くに建 白権 を取 り戻 した→ 再 び国政 に 対 する発言権を得て, 以 後 財 務, 行 政, 経 済, 宗 教の諸問題にっ い て,.
自己の 階層だけで な く, 問題に よ っ て は利 害関 係の あ る国 民 各層の世 論 を代 弁した (←1673
年)。
〔カラス事 件 〕 (後 掲の文 献目録参 照) 1764 年7
月 ベ ッカ1丿一
ア 『犯罪と 刑罰』初 版一
131一
相模工 業 大学 紀 要 第
23
巻 第 2 号1765
年 末1766,
7.1
1767 年1771.1
月2
月1772.3
月1774
年1780
年1780.
8 .
24
1788.
5.
8
7.
5 モ ル レに よる 仏 訳 版 『犯 罪 と刑 罰 』 (石 井・
削 象56
頁e なお同 54 頁) ラ ・パー
ル の処 刑 〔ラ・
バー
ル事 件 〕(後 掲の文献目録 参照) 〔シル ヴァ ン事件 〕〔石 井。
諸相=
前 号の文献目録 参 照 ) 大法 官モー
プー パ リ の高 等 法 院 解 体 〔モー
プー
の改革〕 (〜74
年) (木 崎ll 18 頁) 領 主の刑 訴費用を軽減する 王令 (塙・
権 力 488 頁)・
翌年の 王 令 (→1772.
3) と 同 内容。 両 王令 によP
, 領主 裁 判 官は, 自己 の利益 に な ら ない上に面倒 な 刑 事 裁判を事 実 上 放 棄 し て,
単に司 法警察の役割を 果 た すにす ぎない もの と な P, 重罪刑 事 裁 判 権は, つ い に領 主 側の 自発的放棄と 国 王 側 の独 占に 到 達 する。鎮
主の刑 訴 費 用 を 軽 減 する王 令 (エ ディ) (→1788.
5.
8
)(志 垣 ・制度(1)61
頁) ・領主に証 拠調 査 と決 定を認め , 裁 判を国王 裁 判 官に委ね れ ば経 費を免除 さ れ る とい う功 妙な 王令。 し か し究 極の 目的は領主か らの刑 事 裁 判 権 剥 奪。 ル イ 16 世[
即 位 (〜
1792 年) ミュ イ ヤー
ル・
ド・
ヴー
グ ラン著 『自然な秩 序に おけ るフ ラン ス刑 法』 ・著 者 は 専 制 主 義 的 と評 さ れて きた人 物 (→ 1788.
5.
8) (石 井・
肖 像 41 頁 。 なお 53 頁 ) 予 備拷 問 (question
pr6paratoire) を廃止 す る 国 王 宣 言 (dbclaration roya1 ) 〔→ 1788.
5.
8)(澤 登 等
・
フ刑 訴46
頁,
石 井 ・ 肖像46
頁 ) ・予備 拷問= 犯 罪 の 自白 を引き出す た めの拷 問。 cf.
先 決 拷 問 (石 井 )・
し か し空 文に止 まる (→ 1789.
10.
8
実 質 的 廃止 ) (志 垣・
考 察85
頁 ) 刑 事訴訟の全 面改革をつ げる 王令 (エ ディ) (→ 実施さ れず) (江 口・
陳 情 書 77 頁,
中村・
変 遷 624 頁, 志垣・
制 度(1)62
頁, 澤登 等 ・ フ刑訴 46, 47 頁)・
ア ン シ ャ ン・
レ ジー
ム 期 を 通 じ て最 大 規模の司 法 改革。 過度の裁 判 権数 を 減 少 させ る目 的。 領主 裁 判権は あ えて廃 止 しなか っ た (→ 1790.
3.
31
) が, 訴 訟 手続の一
部=
審理権の み に限 定 (志 垣 )。・
世 論を考 慮し 且 っ 高 等 法 院の 抵 抗 を打 破 する ため, ラモ ワ ニ ョ ンが起 草→ 司 法貴族 を中心 とする 上 流貴族,
大ブ ル ジ ョ ワ ジー
の反 抗→ 失 敗 (中村 )・
本 改 革は有益 だっ た が, 政 治 的 反 対 派は その 精 神を曲 解し, 高 等 法 院に 王令の 登録を拒 否させ た 。齟
→ 三部 会の招集 (→7 .
5
)・
内容: 法廷 で の拷問に よる 尋 問の 廃止 。 判決 理 由の 義務 化。 死 刑 判 決の多数 決の 数の増加。 死刑は 判決の1
月後に執 行 (当時は判 決 後すぐ 処刑 さ れ るこ と に な っ てい た。 石 井。
肖 像 41 頁)。 無 罪 者の た めの賠償手 段。 (→1789.
10.
8
) 〔澤 登 等 ) (石 井・
肖像 42 頁)・
ミュ イ ヤー
ル・
ド・
ヴー
グラン の 主張の一
部の法 制化 (上 記 下線 部 )。 三部会を招集する旨の枢密院の決議の発表 (中村・変 遷 625 頁)・
これ 以後, 僧 侶, 貴 族, 第三 身 分ぱ, そ れ ぞれ 司法制 度の改 革に 関して多 くの 陳 情 書を 各身 分の 代 表者に提出し て い る。 〔陳 情 書の内 容〕(中 村 ・ 同 上,
な お , 江口 ・陳 情書 77 頁以下参照 )・
訴 訟 手 続の公 開, 弁 護人制 度の採 用, 被 告人 に課せ られ る宣 誓の 廃止, 第一
回 被 告人尋 問の後 速や かに証 人 尋 問 が行わ れ るぺ きこ と,
予審 判 事の権限 を制限 して 単 独 裁 判 官に よる逮 捕 状 ・召 喚 状の発 行 及び尋 問を禁止 し,
零
調ぺ 及び第一
回被 告人 尋問は3
人の判 事の面前でな さ れ るべ きこ と, 刑 事 事 件の 判 決の ため には裁 判 所の全 判事の出席 を要する こ と等。・ し か し
,
裁 判 所 に 対 する不信は非常に強 く , 自 由 心 証 主義の採 用にっ い て は殆 ど 要 求 が な さ れてい なv、
o (→ 1791.
9.
16
)一
132
一
フ ラ ン ス刑事 司 法の歴 史 (上 野 芳 久 } 第二 部