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3. 毎日のように使う電車やバスの LED 照明によって そのせいとは分からないところで 体 ( 身体細胞 ) は弱っていく 柔らかな感性を持つ通勤客の精神は そのバランスが崩れやすくなり 純粋さを普通とする通学客は 気力 体力を消耗しやすくなる 時に その途中経過も分からず 大変な状態に陥ることも

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HP「無有日記」

http://www1.odn.ne.jp/mu-mew/

LED感 染(5)

Ⅰ. <電車、バス> 1.電車やバスで移動中、意識は向かう場所にありがちな ので、車内の LED 照明の影響は分かりにくい。しかし、 それが続くと、電車(バス)に乗っていない時に、思いが けずその影響が心身に現れる。のどの痛み、皮膚の荒れ、 髪の毛の質の低下、風邪のような症状、目のかすみ、イラ イラ、気力の無さ、その他いろいろ。それらは、普通感覚 の人が経験する、身体細胞の自然な反応である。 心の働きを支える細胞(の意思)が健全である人ほど、 その対極の性質である LED に、心身が様々に反応する。 電車(バス)に乗る前から、その原因のところで違和感を 覚えたり、妙な動きにくさを経験したりすることもある。 2.LED 照明の電車の中に居ると、自然で健康的な人は、 頭の働きが微妙に鈍くなる。それは、体内の細胞活動や 水分・微生物等の異常事態に対しての、脳の予想外の仕 事(苦労)が生じたため。電車内の LED 照明は、疲れや ストレスが抜けにくくなる原因にもなり、人を不健康な 世界へと招き入れる。実に恐ろしいことである。

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3.毎日のように使う電車やバスの LED 照明によって、 そのせいとは分からないところで、体(身体細胞)は弱 っていく。柔らかな感性を持つ通勤客の精神は、そのバ ランスが崩れやすくなり、純粋さを普通とする通学客は、 気力・体力を消耗しやすくなる。時に、その途中経過も 分からず、大変な状態に陥ることもある。たくさんの人 たちが毎日利用する電車(バス)で、その自覚もなく人 が病まされていく姿は、誰も見たくない。 4.虫が食べない果物や野菜は、成分が同じでも、その性 質は、細胞が辛くなるものになる。虫が近づかない光は、 見た目は光でも、中身は生命の営みを壊す性質のものであ り、虫のように敏感ではなくても、その影響力の蓄積を身 体細胞は嫌う。LED 照明の電車(バス)の中に虫を入れ たらどうなるか? そこに毎日入ったら、人はどうなる か? 5.乗客の安心(安全)と健康(健全)を基本とするので あれば、LED 照明という、温もりも優しさも無い嘘(不 安)の光を使用することはあり得ず、ある枠内の利益と都 合のために、それらが犠牲になることも考えられない。 たくさんの人たちに負の原因を及ぼすことを考えれば、 が公に(一般に)流されないままなのは、なぜなのだろ う? LED 化の背景が、無責任の原因そのものであること を、そのことが照明(証明)する。(by 無有 3/28 2016)

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6.LED に囲まれた生活を強いられてもどうにか守り続 けてきた本来の姿勢(子供らしさ)も、街灯が LED にな ったことで、大きくそれは力を失くし、その理由も分から ず、純粋な子の精神は、短絡的で直情型の感情に支配され てしまう。 子供たちによる普通ではない行動も、若者たちの悲しい 出来事も、LED 照明がその原因に関わっていると思って 良い。未来が安心する原因の世界では、そうではない原因 でい続ける(結果に留まる)存在に容易に反応する。街灯 の LED 化自体、人としてあり得ないことである。 7.収穫された農作物を選別する機械が LED であると、 すでにそこから、それらは本来の姿(性質)ではなくなっ ていく。お米も果物も、食べた分、不健康の下地が作られ るようでは悲しい。普通の店で、普通に売られているもの が、腐りやすかったり、味がへんだったりすれば、それは、 出荷前の LED 絡みと考えてよい。 8. LED 照明が、街や家庭に急速に広がり出したのも、 「蛍光管(白熱球)の製造が終わる」というフレーズに、 消費者が反応させられたため。それが明らかに間違いで あるという事実を前にしても、その訂正とお詫びの情報 どんな状況でも避けるべきである、電車やバスの LED 化。 「人体への影響は従来の照明と同等、もしくはそれ以下」 と、数値化された個の名目(思惑)の外側で、数値化でき ない多大な影響力が日々活動する。 6.電車やバスの LED 照明に馴れる人が増えれば、それ は、廻り回って人を巻き込むトラブルへと発展する。LED 照明によりその自覚もなく精神の不安定を慢性化させる人 が増えれば、車内やホーム、踏み切りなどで、不慮の出来 事が生じる。常にトラブルと隣り合わせの原因でい続ける、 電車(バス)の LED 照明。それは、有ってはならない由 々しい現実である。 7.LED を使用した公共の交通車両で働く人の疲労度は 想像以上である。脳に無くてもいい負担をかけられ、集 中力を削られながら一層の集中力を働かせるわけだから、 安心・安全からも遠のき、問題事(事故、故障)にも接 近しやすくなる。LED 照明の車両は、乗客にとってはも ちろんのこと、健全な運転手にとっても、避けたい空間 である。

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Ⅱ.<街路灯> 1.街路灯が LED 照明になると、その自然界とは融合で きない異質の光により、辺りは、薄気味悪く不健康になる。 最初は、敏感な植物の疲労と健康な虫たちの退散。そして、 腐敗型の生き物の出現。徐々に人の心は元気を失くし、不 健全さのよく似合う街になる。 住民の健全な感性を応援し、彼らみんなの健康的な暮ら しを支えるはずの自治体。そこから発信される LED 化の 理由に、‘住民’の文字が後付けされる。最初に‘住民’ が在れば、街灯の LED 化は存在しなかった。 2.LED は、光本来の要素を持たない不自然さそのもの であるため、それが街路灯に使用されると、街全体が不気 味な空気感を帯びる。それまでの優しい光を知る人は、自 らの優しさを抑えられ、温もりのある光に癒されていた人 は、心の余裕を失くす。家庭では避けられても、街の中で その嘘の光に付き合わされてしまうと、人としての責任感 覚も力を失くしてしまう。 街灯は、そのスタイルが固定されてしまうため、LED 照明が連なると、その場所は、そのまま病みのスポットと なる。界隈の住人は、心柔らかな人ほど、理由も分からず 不安を覚えるようになり、老けやすく、疲れやすくなる。 毎夜のようにその場所を通る人は、知らずうちに不調の原 4.無くてもいい LED 化を推進するためには、LED 化せ ざるを得ない状況に人を陥らせる上質の嘘と欺き(罠)が 必要なため、それを担う存在たちは、躍起になって人を不 安にさせ、それへの安心を作り出す。蛍光灯の製造中止も、 税金を使った資金援助(補助制度)も、その世界発の、分 かり過ぎるぐらい分かる非人間的な思惑による言動と手段 である。伝えられるものではなく、伝わるものの中に秘め られたその本性の性質は、「生命の歴史」にも、「復活へ の道」にも登場する。 5.LED 照明に困っている人と、そうではない人とを安 易に比較することは出来ないが、ただその様子を観察する と、LED 照明に困っている人への配慮が全く無い人ほど、 LED に平気でいられるという事実がある。つまり、LED 照明の空間に普通に居られるというのは、人としての本来 からかけ離れてしまっていることを意味し、それをそのま まに生きようとすれば、彼らは、その気もなく人を困らせ、 未来への負の原因を固めてしまうということになる。常に 物事をキレイ事で済ませ、他人事に出来るその本心は、心 の無さの典型でもある。(そのことを自覚し、その原因を 自ら浄化し、さりげなく真剣に、人として本来を生きる)

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Ⅸ.<その他> 1.有機化合物が発酵する際に活躍する微生物(細菌、酵 母、乳酸菌)は、LED により、その力を失くす。生命が 生命でいられなくなる原因を作り出す LED 照明は、自然 界の生態系まで崩す意思(影響力)を持つ、危険極まりな い存在である。 2.品質や鮮度にこだわる店が従来の照明であることは当 然だけど、だからといって、それで充分というわけではな い。作物が育てられる場所(近く)、集積所、市場などで LED が使われていれば、それだけで、品質も鮮度も保証できる ものではなくなってしまう。 3.LED の空間から離れていることで徐々に心身が楽に なれるのは、その光を浴びてないだけではなく、LED を 生み出し、それを広めて不穏な世を作り出そうとするその 重たい原因からも離れているから。生命は、変化・成長し 続ける原因であるから、結果に居続けようとする、そうで はない動きの無い原因が支える LED は、どこまでも生命 世界の異物である。LED 照明に、心身の健康の原因は全 く無い。 因を溜め、問題事に接近する。 3.街灯は、夜間の照明として、人々の安心・安全のため には欠かせないものなのだが、それが不安と不健全の代名 詞のような LED に換えられてしまうという現象は、この 世の珍事級の情けない話である。もしそれが、電力消費削 減という省エネを目的とするものであるとすれば、それこ そ信じ難い愚挙である。街全体を運営する側が、人々の安 心と安全の道具で、街を不安にさせてはならない。 LED 化(プロセス)の最も危ういところは、記録とし て触れられないエリアで、安心と健康の原因を抑え込んで しまい、それを然るべき原因を持たない存在が、感じない (分からない)ことを理由に悪用してしまうというもの。 LED の街灯で毎晩照らし続けられるということ。健全な 感性を普通とする感じる人にとってのそれは、悲劇でしか ない。 4.街灯の明かりにホッとし、安らいだ気持ちになる人は 多い。夜、人通りが少なくなっても、街灯のおかげで不安 を抱かずに済むこともある。それは、伝わる光の優しさに 包まれ、温もりを感じるから。その存在に守られ、癒され る気持ちになれるから。どこを探しても、街灯が LED に

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なる理由は見つからない。 照射する場所(空間)のあらゆるものから本来の動きを 削いでしまう性質を考えれば、LED 照明は、その存在自 体が、環境負荷の原因ということになる。街灯の本質を忘 れてはならない。街灯に、不安発の不気味な光(LED)を 使ってはならない。 5.本音と建て前を使い分け、本心を隠して、見た目重視 の キレ イ 事 で済 ませ る 人 ほど抵抗の 無い LED。街灯が LED になるというのは、そんな性質の地区役員によって、 その地域が治められているということ。街灯の明かりは、 その街(市、町)の質を顕にする。 街灯の LED 化を進める人は、誰よりも強い不安と怖れ を内に秘めているのだろう。それをごまかすために、自分 よりもっと大きな不安を内に固める有力者の言うままに従 い、LED 街灯で人々を不安にさせて、嘘を通りやすくす る。LED の本心(原因)とムリなく融合する並外れた不 安の持ち主によって、恐ろしく強力な病みづくりの街づく りが展開されようとする。 という店があり、その自覚もなく心ある人は病んでいく。 食事を提供する側が、不健康そのものの(病気の原因づく りをする)LED 照明との接点を持つことは考えられない。 LED を使用しないという姿勢は、訪れる人の健康のため に、第一に守られるべきである。 店を選ぶ時、食事の内容や店の雰囲気などが大切な判断 材料となっていたこれまで。照明は、従来のものか?まず はそこから。 6.目がちかちかし、鼻がむずむず(皮膚がひりひり)し 出したら、免疫系のシステム異常が生じているためと思っ てよい。そして、早くにそこから離れる。どんなに自然な 装いを講じても、LED は LED である。普通自然体でいる 人ほど、その不自然さに細胞が反応し、それまでとは違っ た感覚を経験する。 病気の原因となるその下地に染み込んだら大変なことに なる、どこまでもその影響が分かりにくい LED 照明。そ れへの敏感な反応は、たくさんの人たちの生きる基本形を、 その細胞レベルから支えるものである。

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って、体の中で栄養にならないものへの要らない経験は避 けたいものである。LED 照明は、その中でも分かりにく く破壊の意思を具体化させる、恐ろしい存在である。 4.敏感で、普通の感性を持つ人が LED 照明のレストラ ン(カフェ)に入ると、注文した食事が運ばれてくるころ には、気持ちが落ち着かず不安定になり、皮膚がひりひり したり、目に不調を覚えたりと、いつもと違った感じにな る。頭がぼ~っとして意識が散漫になったり、前向きな姿 勢が削がれたりすることもある。LED 照明によって本来 の動きを止められた細胞たちは、思考世界の次元を超えて、 これから始まる異様な経験の原因に反応し始める。 何となく体の調子が落ちたままの時、何気に入った店で の飲食の風景を振り返り、確認する。LED 照明から離れ ているだけで、細胞たちは安心し、元気の原因を高めてく れる。さりげなく健康の原因でいる人の胃腸や肝臓は、皆 自分らしく活動しているので、LED の負の原因とは一切 融合できない。 5.LED 漬けという料理があるとすれば、それを食べた 感性の柔らかい人は、一気に生命力(生きる力)を奪われ る。チェーン展開しているレストランには、それそのもの Ⅲ. <スーパー、ストア> 1.スーパーやストアに LED 照明が使われているという のは、考えてみると実に恐ろしく、苦しいことである。毎 日たくさんの人たちが何も分からずそこで買ったものを食 べ、大切なことは何も気づけずに心身を病ませていくその 姿は、自らの体験(感覚的理解)を通して LED の危うさ を知り得た人にとっては、とても辛く、耐え難いことであ る。 心ある思考と人間らしい感性が、動きの無い歪な常識と 重く流れない期間限定の価値観によって抑え込まれてしま った中で、突如更なる重量級の重しの役として誕生した LED 照明。食物や飲料水を販売する店の LED 化は、人に、 人間らしく生きることを難しくさせ、心ある温かな食環境 を、その根底から損なう大きな原因となる。 2.細胞が健全さを無くしてしまう(動きが阻害される) ことを恐れ、生き物は、LED 照明との接点を避けようと する。それとは別の、鮮度を徐々に失くしていくだけの、 畑や果樹から収穫されたものは、LED の影響によりその 自然な動きを止められ、不自然に長持ちするように仕掛け られる(偽装される)。見た目や味は変わらないようでも (厳密には変わっているが…)、体の中では本来の仕事を することはない。

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旬の作物は、育つ過程がとても自然なので、収穫後も、 そのままで鮮度を維持し、元気でいられる。ところが LED 照明を浴びると、その特性が削がれて、自由な意思活動も 抑えられてしまうため、作物は、それまでにはない反応を 見せる。水分を多く含む作物であっても、皮や殻に守られ 元気でいられるはずなのだが、芽が出なかったり、腐りや すかったりと、LED によって、その本来の姿を壊される。 3.LED 照明のスーパーは、基本的にそこで買うものは 何も無いので、行くことはない。やむ無く利用せざるを得 ない場合、スポット照明が当てられる場所のものは、決し て手にしない。小さな LED ランプが連続してセットされ た照明近くのものも、一切無視する。そして、照明が当た っていないところに在るものを選び(とは言ってもかなり 難しいが…)、必要最小限にする。店外で販売が行われて いれば、そこで購入する。 消費者の健康と安心を大切にする商店は、LED を使用 していないので、みんなでその店を応援する。省エネが理 由となって LED 照明が使われているとすれば、それは、 地域の人たちのためのスーパーではない。 2.小動物が近寄れないのは、命の危険を覚えるから。そ んな LED の負の力を受けながらそこで作られたものを食 べるというのは、細胞たちに、通常枠を大きく超えた厳し い仕事をさせるということ。健全・健康を維持しようと する彼らにとって、それは余りに悲しい経験の連続。酵 素も、治癒力もどんどん無くなり、命は削られていく。 食事を提供する係の人が全く何の違和感も覚えずにそう であるとすれば、かなりの割合で、厨房も、食材を保管す る場所も LED 照明と思われる。彼らが平気な分、食事を した人は、大変な負荷を体内に抱え込まされる。健康的な 人が、LED 空間での食事を通して不健康になるという経 験は、この社会の病みの象徴のひとつである。 3.IH や電子レンジをあたり前に使う調理姿勢がそこに あるとすれば、食べる側は、何を注文しようかと構えてし まう。店内が LED の不健康な光に照らされていると、注 文する前に、身を守る手段を講じることになる。食べたい ものを食べたいだけなのに、それが出来なくなってしまう LED のカフェやレストラン。それは実に奇妙で、哀しい 風景である。 心身があり得ない程の辛さを覚えさせられるのは、LED と IH と電子レンジのセットで人間らしい感覚全てを壊さ れてしまうこと。自然な空気感を何より望む身体細胞にと

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実が固まらずに済むのであるが、その嘘が余りに周到で、 巧みなのだろうか…。LED 化という不穏そのものの原因 は居場所を確保し、世を病ませる下地(土台)を固めつつ、 心ある人々から真の普通を奪う。LED 化された街や地域 は、温かな心が住めなくなり(育まれなくなり)、その未 来は、生命本来のそれではなくなる。 Ⅷ.<カフェ、レストラン> 1.LED 照明を浴びながら、LED の影響を受けた食事を 食べると、普通一般の人は、それだけで意味不明なオカシ な状態になる。しかも、その空間にずっと居られる人が給 仕するわけだから、時間の経過とともに、心の主導権は全 く無くなってしまう。健全な人は、その影響にしつこく悩 まされ続ける。 単に空間の問題であれば、そこから離れることで持ち直 すことも出来るが、体の中に LED 食が入ってしまうと、 それへの対応は難しい。細胞の声(意思)を大切にしてい る柔らかな感性でいる人は、その前と後とでの大きな違い を経験し、恐さを覚える。LED 照明のカフェやレストラ ンは、二重三重と健康の原因を奪っていく。 4.普通の人が居続けられない場所に長く居て、普通の人 が摂りたくない(摂ってはならない)物を日々扱い続ける LED 照明のスーパーの人たちは、その多くが、自分たち のその異常さに全く気づけないくらい脳を不健全にさせて いる。それでも心身の不調を覚える人がいると思うのだ が、安心と余裕を馴染ませない彼らの思考は、それが LED のせいだとは考えない。 彼らの感性の鈍さにはとても驚かされるが、それ以上に、 あたり前に LED から離れて健康的な食物を作り続けてい る人の、その想いが潰されてしまっていることは哀しい。 オーガニックの作物も、天然の魚も、LED という光の農 薬(毒物)によって、細胞が辛くなる粗悪品となる。 5.従来の照明では困る理由を作り出し、LED 照明でな いと上手く行かない方向性を生み出した、利益(権益、役 得)優先の存在たち。そこから、何より離れているはずの 食品を扱うスーパーが、同じ路線に乗ったとすれば、食べ 物がそのまま体となる人間にとって、それほど悲しい出来 事は無い。 LED 照明のスーパーは、今直ぐにでも照明を従来のも のに換え、人々の健康と安心を守る。それは責任という次 元ではない、そのはるか以前の、幼児級の正しさである。

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6.LED による悪影響の事例は、庶民レベルでいくらで もあるのだが、それをなぜか歓迎しないスーパー(ストア) 側は、専門機関発の、LED による好影響の説を取り入れ、 LED 化を正当化する。 その専門家という人たちは、地に足を付け、等身大の食 生活を普通感覚で送っているのだろうか? 彼らの説を後 ろ盾とするスーパーの経営者は、庶民感覚を大切に、誰よ りも健康の原因を生きているのだろうか? 嘘から始まれば、正しいと思いたいことが正しさとなり、 その嘘を人に押し付け、苦しみを作り出すことになる。食 は、誰にとっても生きる基本であるから、何があっても、 そこに嘘があってはならない。食品スーパーの LED 照明 は、不健康と停滞を作り出す嘘の小道具である。 Ⅳ.<家庭> 1.家の照明を全面的に LED に換えても、何の問題もな く平気でいられる時、それは感覚がマヒしてしまっている ためなのではと、自らのその平気さ(鈍さ)の原因を見つ めてみる。健全さをどこかに持ち合わせていれば、それ以 前には無かった不自然なことが生じていたことを知り得る と思う。自分は平気でも、他者を観る目を持てば、新たな 気づきもあると思う。全く何も無いとすれば、その人は、 力によって、健全な感覚的理解を普通としている人ほど、 その普通を壊され、動きにくく、先へとは進みにくくなる 経験をする。人が頼りにする情報の掲示板や案内灯など、 LED であってはならない。 6.自然界と融合できない(自然界が違和感とする)LED の光は、それだけに自己主張も強く、冷たくて、攻撃的で ある。それと同じような性質を持つ人間が LED を使いた がる理由も、そこにある。街を歩くと、こんなところにも なぜ?というぐらいしつこく LED が使われている様は、 素朴な人たちの何気ない温もりと優しさが、彼らの冷酷で 非情な、その重たい感情の力によって汚染されてしまって いることを意味する。LED 照明の広がりは、心の無さの 蔓延である。 7.街並み、道路(歩道)、公園など、人が常に行き来し、 思い思いに時を過ごす場所が LED 化されるというのは、 どう考えても何かがオカシク、嘘のように信じ難い、情け ない光景である。人には、思考を働かせるまでもなく大切 な何かを感得し、すでにその結果(という名の次なる原因) を知っていたかのように、望ましい原因を選択・実践する 力がある。だからこそ後手にならずに事は流れ、不穏な事

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3.空間にも動植物にも害を及ぼす LED をイルミネーシ ョンに使用するという神経を、人は理解できない。それを 人集めの(人を楽しませる)催しとして企画する側の姿勢 も、人は理解できない。 何も分からない心柔らかな人は、楽しんだはずなのに、 妙な疲れを覚え、満足したのに、心は不安定になる。提供 する側も、受け取る側も、そこでは、最も質の悪い病的な 喜びを経験する。 4.看板やポスターに使われる LED 電飾以上に危ういの が、人が注意して見ざるを得ない、未熟な精神性からなる、 各種表示板の LED である。駅の案内表示板や道路の信号 などは、その極みと言える。何が面白くて、人の感性を潰 し、健全さを普通とする人の心身を病ませようとするのだ ろう?ここでも、そこでも、人としての本来の感性を持た ない、思考の強い(心無い)専門家の見解が力を持つ。 5.見させられているものは、そこから離れることも出来 るが、見なければならないものが LED 仕様だと、それに 触れざるを得ない状況の中で、人の健全さも、さりげない 思いやりも、力を無くしてしまう。光本来の姿から大きく かけ離れた LED のその分かりにくい(隠れた)負の影響 虫も好かない(怖れる)性質の存在ということになる。 2.従来の照明(白熱灯、蛍光灯)の場所が残されていれ ば、そこで、食前・食後の体の動きや気持ちなどを観察し ながら、電子レンジや IH とは無縁の普通の食事を食べて みる。数日後、それを LED 照明の場所へと移動させ、同 じように行う。よほど感覚が鈍ってない限り、人はその違 いに愕然とする。食感、時間の流れ、胃腸の具合に身のこ なし…。LED 照明は、人の暮らしの普通を壊す。 3.LED 照明は、安心感とは縁遠いものなので、心ある 生き方を普通とする人ほど、本来の気力を抑えられ、疲れ やすくなる(疲れが取れなくなる)。リラックスできるは ずの自宅が緊張の場となり、心身は不調を慢性化させてい く。唯一従来の照明に換えることが、その修正・修復の機 会となる。 家庭では、その意識もなく普通であるべきものが普通で あるから、みんなで安心してくつろぎ、健康的な時を共に 重ね合う。LED 照明のある空間では、それとは全く違っ た原因が生まれ、不安の裏返しの安心で繋がる不健康な意 識が普通となるため、心は居場所を無くす。本来、家庭で は、わざわざ省エネに向かうのではなく、さりげなくいろ

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いろなことが省エネとなる。 4.分からないことでも、他に流されなければ、自然と分 かる時(どこかで分かっていたとしか思えない望ましい時) を引き寄せ、不穏な原因とも無縁でいられる。負の連鎖の 圧縮版のような LED 化。それによって、家庭環境が害を 被る経験は要らない。家庭の健康に、照明が担う役割は大 きい。 考えるまでもなく分かることだと思うのだが、ずっと長 いこと普通に使い続けてきた照明を、その光の性質から全 て換えてしまうという試みは、普通に人間としての感覚が 大事にされていれば、余程のことが無い限り経験したくな いことである。それを、何の躊躇もなく、そういうものだ からと行えてしまう、信じ難い光景。家庭の照明の LED 化は、そこにみんなを想う心があれば、縁しなくてもいい 世界である。 5.蛍光灯(白熱灯)の部屋と LED ライトの部屋の2つ があれば、人は誰も、心と体が馴染む蛍光灯の部屋で過ご したいと思う。人は、異質なものに心が感じ、体が反応す るから、どんな人も、LED ライトは選ばない。もし、何 らかの理由で、LED ライトの光を選ばざるを(浴びざる 6.LED ライトを外して、従来のものに戻した自転車に 乗ってみると、普通の人は、それまでとは全く違う優しい 感覚を覚える。心は軽く、気持ちにも余裕を感じ、自転車 が楽しくなる。そして、気づく。LED ライトの自転車に 乗るって、とても恐いことなのだと…。 Ⅶ.<電飾、案内灯> 1.悪趣味の自己満足の類である LED の電飾(イルミネ ーション、装飾)は、空間を汚し、植物を傷つけ、その異 様な光の公害によって、人は、夜道の歩きにくさを経験さ せられる。電源をオンにし、後はその影響に無頓着でいら れるその姿は、人間のそれではない。その LED 頭に見合 うよう、自分の部屋で行って欲しい。 2.その思考の満足を刺激するキレイさに、人は不思議と 快感を覚え、思わず見入ってしまう。そして、LED の害 毒により、脳は負荷を強いられ、心は思考に占領される。 感度が落ち、感性が鈍っても何も気づけないまま、病みの 土台の燃料として染み込む、LED のイルミネーション。 夢中になった分、自分らしい人生を放棄せざるを得なくな る。

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ライトは、安全を心がける運転手のその意識をも低下さ せ、心身に不調を抱える人や、予期せぬ事故に見舞われ る人を作り出す。 4.LED への動植物たちの驚きと苦痛は、人間のそれを はるかに超える。山や川、田畑や森林などの近くを LED ライト(ランプ)の車が通る度に、そこに居る動物たちは 気力を奪われ、植物たちは、自分たちの役割を忘れる。そ の負の影響が積み重ねられる中、自然は、次第に不自然に なり、不健全な人間主体の、生命本来が外された異様な風 景へと向かって行く。微細な生命たちまでがその活力を無 くす時、自然界は、取り返しのつかない状況へと接近する。 5.不自然なものに自然に反応する人にとって(特に脳疾 患とまではいかないにしても、頭痛を慢性化させていたり、 神経系の処方箋を服用していたりする人にとって)、車内 の各種ライト(ランプ)が LED 仕様となっている車を運 転するというのは、とても危険である。大変な状況が生じ ても、それが LED のせいだとは誰も考えないため、災い の原因をそのままに、どうにもならない悲しみだけが残る。 注意しても、注意力を削がれる LED の車は、事が生じて もその理由にはならないまま、トラブルの原因となる。 を)得ないとしたら、その原因もプロセスも結果も皆、大 きな間違いと言える。その重く、動きの無い(動きを止め る)異質な光に、身体細胞を付き合わせてはならない。 6.収穫された果物や野菜が LED 照明を浴びると、その 本来の働きが阻止されるので、持ちの良いもの(その後も 活発に仕事をし続けるもの)は腐りやすく、持ちのわるい もの(細胞が早くに仕事を終えるもの)は腐りにくくなる。 見た目は何も変わらないようなものでも、LED によっ て生命力を奪われてしまっているので、中身は完全に作物 本来の性質(食べられることで他を生かす生命の意思)で はなくなっている。家庭では、従来の明かりに戻すまで、 LED 照明の近くに食べ物は置かない。 7.蛍光灯や白熱球の明かりは、その照明器具のデザイン やスタイルなど、好みのものを自由に選び、思い思いに楽 しめるものだが、それが LED だと、使い手の空間の主導 権は一気に姿を消す。明かりの本当の仕事は、省エネよ り、安心と健康であり、機能性より、優しさと温もりで ある。家族の健康のために、みんなが安心してくつろげ る、温かみのある空間を支えてもらう。照明は、電化製 品の中でも、最も大切なものである。

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Ⅴ.<建物> 1.検査の基準が数値化可能な次元に留められるために、 胸を張って無視される、数値化できない次元の、微妙で確 かな影響力。LED の負の影響は、そこに事実として有っ ても、そんなはずはないという異常な力(思考)によって 無いものとされるため、その原因不明な確かな負の原因に より、取り返しのつかない状況が人知れず積み重ねられて いく。 分かる人には分かる危険な LED 照明を、何が何でも使 わなければならない状況があるとすれば、その理由の背景 には、恐ろしい程の嘘とからくりがある。言い訳は通用し ない。市役所や公共の施設、学校に LED 照明が使われれ ば、みんなの未来は完全に壊れる。 2.LED の危うい性質を体験的に知る中で、人は、改築 や新築の際に照明を LED にすることが、どれほど危険で お金のムダづかいであるかを理解する。そのままでは先へ とは行けず、従来のものに換えなければならないわけだか ら、省エネがどうのとかの次元ではない。 そこに、規則・規制が存在するからと、LED に執着す る姿があるとすれば、それは、その気もなく人を病ませる (人が病ませられる)理由を支え、人が苦しんでも責任を 取ることもないから、平気でいるということ。情けなさそ じたり、そむけたりして、歩行のリズム(バランス)を崩 されてしまい、思いがけない問題事(けが、精神的圧迫感 etc.)へと引き込まれそうになる。健全な人は、夜間の外 出にストレスを感じるようになり、その自覚もなく不調感 を慢性化させることになる。それに馴れさせられることで、 精神は、いつしか争いや衝突を生み出す性質のものになる。 2.車の運転手は、夜間、安全のために、対向車のヘッド ライト(ランプ)や前方の後部ライト(ランプ)に注意を 向ける。ところが、敏感で普通自然体の人の脳は、その LED の光によって知らずうちに負担を溜め込まされ、運転の スタイルや気持ちまでがいつもと違ってしまう。いつの まにか注意力(集中力)も低下し、いつもの安全な運転 が難しくなる。 3.街中で、何台も連なる車の、その直線的で冷たく、攻 撃的(暴力的)な LED ライトを浴びさせられると、健康 的な人は、要らぬ負担を心に強いられ、それへの調整機能 の一環として、気持ちの収縮(諦め)や拡張(怒り)を経 験する。それは、余裕の無さと高ぶる感情の原因にもな り、その意識もなく、無くてもいい経験をする燃料とな る。心ある人の精神を不安定にさせる車や自転車の LED

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どんな人も、経験や知識(情報)から自由になって観察 すれば、あの人やこの人のそれまでとは違う姿や、自分の 何気ない感情の性質や心身の状態の変化が、照明が LED 化されたあたりから始まり出したことを知る。どれだけそ うではない理由が並べられても、そうである事実は、その ままこれからへの大切な理由である。形ある結果に引っ張 られなければ、形を創る原因は、力強く健全に本来へと動 き出す。 7.LED の光で照らされたスポーツや音楽関連の施設に 足を運ぶことは、感性の柔らかい人にとっては、それだけ で、後に大変な状態を経験する原因を溜め込むことになる。 そこでは、観続け、感情移入をして意識が高まる分、何の 自覚も持てずに多大な負の影響を脳は被り、LED の否定 的な原因も、密度濃く深くに染み込む。心身の健康のため にも、スポーツ施設やコンサート(ライブ)会場などは、LED 照明の無い場所の選択を基本とする。 Ⅵ.<車、自転車> 1.車も自転車も、ライト(ランプ)が LED だと、ごく 普通の感覚を持つ歩行者は、その異常な性質の光に目を閉 のものである。 食品を扱う店が改築(新築)の際に LED 化するという ことのその異常さは、心ある誰もが寒気を覚えるものであ る。大勢の人たちが集まるショッピングモールやデパート が LED 照明であるということも、どう考えても尋常では ない。生命力を奪い、生きる基本形を抑え込んでしまう原 因を備えた LED 照明を使用することは、どんな理由があ っても、あってはならない。 3.省エネを進めているわりに、どう見ても省エネとは思 えない電気の使い方をしているケースがある。電気の消費 量が少なくて済むという理由に惹かれ、やたらと電気を使 おうとする姿勢の中にいる存在もいる。点けっ放しに、流 しっ放しにと、電気を大切に使おうとする空気感が全く見 えなくなっているところもある。 得する部分に熱くなれば、そうではない部分の性質を知 る機会は訪れにくくなる。LED は、最新の技術によって 省エネが為された新時代の光…という文句の背後を覗け ば、LED は、悪質な算段によって省エネ化を利用する、 時代が悲しむ嘘の光…という本当の姿(文句)が見えてく る。 建物内に設置した LED 照明によって得した分、そこで 過ごすたくさんの心ある人たちは、大切なものを失くす。

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光は、どんな時も、利益云々からではなく、健康と安心、 健全と安全からのものでありたい。 4.この世に生きる全ての生命の、そのあらゆる生の場面 に連れ添うようにして調和ある仕事をし続けている甦生型 の微生物は、LED の登場により、居場所を失くす。建物 内が LED 照明になると、そこはまるで、生命のサイクル が途絶えた特殊空間のような、言わば仮死空間になる。微 生物の存在は、人間(の細胞活動)にとっても、とても重 要なものである。 たくさんの人たちが集う商業施設や公共の場が LED 照 明となると、その影響で、皮膚が荒れたり、休んでも疲れ が取れなかったり(睡眠の質が低下したり)と、原因がよ く分からない不調を覚える人が増える。微生物の仕事を阻 止する LED の悪影響は、実に厄介なものである。 5.その危うさを体験的に知る人から、LED 離れが進ん でいるのだが、それも、体験するまでもなくそこから離れ ている普通感覚の人の健全な日常があってのこと。健全さ は、人として要らない経験から縁遠い状態でいることでも あるので、その危うさに気づいたら、LED 照明をそのま ま使い続けるという経験を重ねてはならない。 作り物の愛情と平和を好物とする人は、健全さも、人間 らしい心(感性)も備わってないため、見た目や形式での 良し悪しを基準にその不健全さを強め、他者の心への無責 任さをその気もなく磨いていく。本来が無い分、鈍さも桁 外れで、頭の中ではいつも、差別心の裏返しの優しさで良 い人を演じようとする。 そのような人が建物の責任者であったり、それを経営す る側であったりすると、状況はとても恐ろしい方向へと向 かう。彼は、省エネや環境保護(CO2 削減)のためと、 何の疑いも無く LED 化を進めて善人を気取り、その場所 に関わるたくさんの人たちの生命を削り取っていく。LED の危うさへの無感覚振りは、災いの強力な原因そのもので ある。 6.照明のために、心身が要らない負荷をかけられ、疲れ やすく、気力・体力が低下する体験はしたくない。その性 質により、脳の働きが健全でなくなるなんて、考えたくも ない。 体調を崩した時、人は病院の世話になることがあるが、 その病院が LED 照明だとしたら、それまで以上に要らな い経験と仲良しになる。学校や図書館が LED であれば、 思考を働かせる時間が多い分、脳は不自然な状態を慢性化 させ、健全な判断力や心ある想いは全く育まれなくなる。

参照

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