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4. 東海・濃飛([第1部] 中世食器の地域性)

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(1)

[4]東海・濃飛

尾野善裕

●……一…飛騨(岐阜北部)

      飛騨地域では中世遺跡の調査自体がきわめて乏しく,江馬氏下館跡(神       岡町)が殆ど唯一の調査事例である。このため,以下では江馬氏下館跡 の様相を略述する。  中世の食器類は中世HI期からV期までのものが認められる。中世IH期に属する出土食膳具に は〈山茶碗〉・輸入中国陶磁器があり,非ロクロ土師器皿の一部がこの時期のものである可能性が あるが,明確ではない。江馬氏下館跡出土の遺物の多くは中世IV期のものと考えられ,出土食膳

図1 飛騨

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(2)

国立歴史民俗博物館研究報告 第71集 1997年3月 具組成は,領主居館という遺跡の性格もあって,土師器皿が圧倒的に多い。土師器皿の中では,非 ロクロ成形のものが高い比率を占めている。瀬戸・美濃は一定量認められるが,輸入中国陶磁器の 出土量も瀬戸・美濃にほぼ匹敵するくらいあり,少なくない。中世V期のものとしては,瀬戸・ 美濃大窯製品や青磁の細蓮弁文碗・青花の皿などが挙げられる。また,土師器皿の中にこの時期の ものが一部含まれていると考えられる。       石鍋・土師器羽釜・土師器内耳鍋が出土しているが,量的にはごく少な       く,時期ごとの煮炊具組成の特徴を掴み得るほどの情報量に恵まれてい ない。

②一………美濃(岐阜南部)

      美濃地域では,生産遺跡(古窯)の調査が進んでいるのに較べて,中世       の消費遺跡の調査・報告例は必ずしも多いとはいえず,量的にまとまっ た報告例としては重竹遺跡(関市)・東氏館跡(大和町)・岐阜城千畳敷(岐阜市)が挙げられる 程度である。そこで,この3遺跡の出土遺物によって中世の食膳具の変遷を概観してみる。  古代末期から中世1期にかけての資料は,岐阜城千畳敷の下層出土遺物に認められる。出土食膳 具は,基本的に灰粕陶器・〈山茶碗〉が主体であり,ロクロ土師器の椀・皿がこれに伴うが,ロク ロ土師器は,それだけでまとまって集中的に出土することがある。  中世II期の資料は,岐阜城千畳敷の下層でも認められるが,重竹遺跡でまとまった量の出土が ある。食膳具の組成は,前代と同様に〈山茶碗〉を中心とする構成であるが,この時期から京都系 の口縁部を横ナデする非ロクロ土師器皿が出現し,ロクロ土師器は減少する。続く中世HI期の資 料は,重竹遺跡から比較的まとまって出土している。この時期には,〈山茶碗〉で尾張系のものに 代わって東濃系のものが目立つようになり,出土量はやや減少する傾向にある。土師器皿では,ロ クロ成形のものがみられなくなり,非ロクロ土師器皿は前代と較べて口径が縮小する。  中世IV期については,東氏館跡出土遺物の大半がこの時期のものと考えられ,食膳具は古瀬戸 (施粕陶器)・東濃系〈山茶碗〉・非ロクロ土師器皿で構成されている。中世V期は,岐阜城千畳 敷でまとまった量の資料がある。岐阜城千畳敷では,出土土器・陶磁器の8∼9割を土師器皿が占 めており,食膳具における土師器皿の比率が著しく高いが,これは領主居館という遺跡の性格によ る可能性が高く,この時期の美濃地域の一般的な状況であったとは考えにくい。また,東氏館跡や 岐阜城千畳敷出土の土師器皿には多法量に分化する傾向がみられるが,同時代の御望遺跡(岐阜 市)では2法量しか確認されておらず,土師器皿の多様な法量分化も遺跡の性格と関係している可 能性がある。       美濃地域における中世の煮炊具については,出土・報告例がきわめて少       なく,その様相は食膳具以上に不明瞭である。あるいは,煮炊具の出土 事例の極端な少なさは,東海の他地域よりも金属製品が普及していたことに起因すると考えること ができるかもしれないが,中世集落遺跡の調査・報告例自体が多いとは言いがたい現状では,他地 域以上の金属製品の普及を想定する積極的根拠は見当たらない。 120

(3)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]… 梶野善裕 図2 美 濃 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 H m

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(4)

国立歴史民俗博物館研究報告 第71集 1997年3月  以下,乏しい資料の中から,煮炊具の出土事例を拾い上げてみる。  古代末期から中世1期については,弥勒寺跡(関市)でいわゆる清郷型甕,坊地廃寺跡・坊地遺 跡(関市)で清郷型甕といわゆる伊勢型鍋が出土している。中世II期になると僅かではあるが出 土例が増え,重竹遺跡(関市)・弥勒寺跡(関市)・不破関跡(関ヶ原町)・東氏館跡(大和町)にこ の時期のものと考えられる伊勢型鍋がある。中世IH期については,煮炊具の出土事例が殆ど見当 らず,中世V期の煮炊具としては,金屋遺跡(可児市)・岐阜城千畳敷出土の尾張型の半球形内 耳鍋がある。  以上列挙した土師質のもの以外には,中世IV期と考えられる城之内遺跡(岐阜市)出土の古瀬 戸内耳鍋と殻見塚前遺跡(八幡町)出土の鉄鍋・鉄釜がある。

③…一・……北伊勢(三重北部)

      古代末期の出土食膳具は基本的に灰粕陶器とロクロ土師器皿(高台付       皿・柱状高台皿)で構成されているが,中世1期になると,灰粕陶器が 〈山茶碗〉化し非ロクロ土師器皿が現われる。古代末期から中世初期には,このほかに京都系のい わゆる「て」の字状口縁土師器皿(鈴鹿市・神大寺遺跡)や黒色土器(亀山市・大藪遺跡)もみら れるが,量的に多いものではない。  中世II期には,土師器皿にロクロ成形のものは殆ど認められなくなり,〈山茶碗〉と非ロクロ土 師器皿が主要な出土食膳具となる。この時期の出土食膳具組成は,北伊勢の中でも北寄りで〈山茶 碗〉が多く,尾張系のものが卓越する傾向があるのに対して,南寄りでは相対的に土師器皿の比重 が高く,〈山茶碗〉は渥美・湖西系のものが目立つようである。 〈山茶碗〉は中世HI期になると減少し始め,中世IV期にはほぼ消失する。代わって,中世IV 期から古瀬戸(施粕陶器)の碗・皿類がみられるようになるが,古瀬戸の出土量は,前代までの 〈山茶碗〉出土量には及ばず,単純に古瀬戸が〈山茶碗〉にとって代わったとは見なしがたい点は, 尾張地域と共通している。  中世V期には瀬戸・美濃の碗・皿類が一定量を占めており,土師器皿は多法量化する。土師器 皿は,中世II期以降ロクロ成形のものは殆どみられず,中世V期においても非ロクロ成形のもの が主体的であるが,桑部城(桑名市)では16世紀前半頃の陶磁器と共にロクロ土師器皿が少量出土 している。  北伊勢における漆器の出土例は多くないが,糀屋垣内遺跡(亀山市)で中世III期の椀がある。       古代末期については,資料が断片的であり,やや不鮮明である。しかし,       上野遺跡(四日市市)では,9世紀末頃と推定される灰粕陶器の椀・皿 類に伴って,いわゆる伊勢型鍋に連なる形状の甕が既に認められ,中世1期には伊勢型鍋が出土煮 炊具の中心的存在となっていることからみて,土製煮炊具では伊勢型鍋が多かったものと考えられ る。伊勢型鍋以外では,いわゆる清郷型の甕が糀屋垣内遺跡(亀山市)で出土している。  中世II期の出土煮炊具は,引き続き伊勢型鍋が主体であるが,椋本南方遺跡(芸濃町)では土 師器羽釜の出土も報告されている。伊勢型鍋は中世III期になっても出土煮炊具の中心的位置を占 122

(5)

[中世食器の地域性 4一東海濃飛]…・尾野善裕 図3 北伊勢 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 1 皿 IV

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近 世 1 食  膳  具 煮  炊  具 灰紬陶器・〈山茶碗〉 1 黒色土器 ←

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1∼5・7∼12亀山市大藪遺跡,6亀山市糀屋垣内遺跡,13∼16津市宮間戸遺跡,17∼24芸濃町 椋本南方遺跡,25∼32四日市市上野遺跡,33∼39芸濃町下川遺跡,40亀山市大藪遺跡,41・42津 市宮間戸遺跡,43∼46芸濃町椋本南方遺跡,47∼50四日市市上野遺跡,51∼55芸濃町下川遺跡

(6)

国立歴史民俗博物館研究報告 第71集 1997年3月 め続けるが,中世IV期になると減少し始め,代わって土師器の羽釜が目立つようになる。この時 期の羽釜は,口縁部に2孔1対の焼成前穿孔が認められるが,こうした特徴は同時代の南伊勢や尾 張の羽釜にはみられないものであり,北伊勢の地域的特色といえる。また,羽釜の出現と相前後し て,土師器の茶釜形羽釜もみられるようになる。  中世V期の出土煮炊具組成は,土師器羽釜を主体とする点では前代と大きく変わらないが,土 師器羽釜自体は時代が降るにつれて扁球形化が進行する。また,特異な例であるが鍔付きのほうろ くが下川遺跡(芸濃町)で出土している。  土器以外の煮炊具としては,1遺跡から量的にまとまって出土している事例はないが,宮の前遺 跡(津市)・大石遺跡(芸濃町)・多倉田遺跡(安濃町)などで搬入品と考えられる石鍋の出土が 報告されている。

0…一……南伊勢・志摩(三重中部)

      南伊勢では,中世を通して土師器が出土食膳具の主体をなしている。古       代末期には,非ロクロ土師器の杯・皿・台付椀に黒色土器・灰柚陶器・ ロクロ土師器が加わって食膳具が構成されている。中世1期になると,基本的に非ロクロ土師器を 中心とする構成であることに変わりはないが,灰粕陶器が無紬の〈山茶碗〉化し,非ロクロ土師器 では杯が消失するといった変化がみられる。また,少数ではあるが,いわゆる「て」の字状口縁の 非ロクロ土師器皿が出現し,京都の土師器皿の影響が窺い知られる。さらにこの時期には,ロクロ 土師器で足高高台皿・柱状高台皿がみられなくなるのに代わり,無高台の皿が現れる。ただし,こ の無高台のロクロ土師器皿については,同時代でも,非ロクロ土師器に匹敵するほどの出土がみら れる遺跡(松阪市・曲遺跡など)と殆ど出土しない遺跡(玉城町・蚊山遺跡左郡地区など)があり, 遺跡・地域によって異なる様相を示している。  中世II期には,「て」の字状口縁の非ロクロ土師器皿と黒色土器がみられなくなるほかに,組成 に大きな変化はないが,中世II期の後半から,それまで〈山茶碗〉の中心的存在であった渥美・ 湖西系のものに代わって,尾張系のものが目立つようになってくる。しかし,中世II期の終わり 頃から山茶碗自体の出土量が減り始め,中世HI期になると,僅かな輸入中国陶磁器を除けば,出 土食膳具はほぼ非ロクロ土師器皿に限られてしまう。  中世IV期になると,古瀬戸の碗・皿類が一定量みられるようになる。土師器皿は,前代からの 系譜の延長線上にあるものについては,小型化が進行するが,中世IV期の後半頃から,京都の土 師器皿の影響を受けたと考えられる大型の皿が出現し,中世V期には土師器皿の法量分化が目立 つようになる。       いわゆる伊勢型鍋が中世を通じて出土煮炊具の中心的位置を占め続ける。       古代末期には,中世の伊勢型鍋に型式変化してゆく球胴形の土師器甕が 主体的存在であるが,いわゆる清郷型甕もまれに出土する。中世1期になると,伊勢型鍋は口縁端 部の折り返しが目立ち始めるが,全体のプロポーションに大きな変化はみられない。中世II期に は,伊勢型鍋の胴部の扁球形化が始まり,甕形から鍋形へと転換する。この時期,南伊勢における 124

(7)

[中世食器の地域性 4一東海濃飛]・… 尾野善裕 図4 南伊勢(1) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 n 皿 IV

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(8)

国立歴史民俗博物館研究報告 第71集 1997年3月 図5 南伊勢(2) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 H m

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(9)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]・・…尾野善裕 出土煮炊具はほぼ伊勢型鍋に独占されているが,蚊山遺跡左郡地区(玉城町)からは土師器羽釜の 出土も報告されている。  伊勢型鍋の扁球形化は中世HI期以降も徐々に進行していくが,伊勢型鍋以外の煮炊具が殆ど出 土しないという状況自体は中世II期とIII期の間で大きな変化はみられない。しかし,中世IV期 になると出土煮炊具に羽釜が一定量認められるようになり,後半期には茶釜形のものも現れるなど, 土師器煮炊具に器種多様化の傾向がみられ始める。中世V期には,前代からの羽釜・茶釜形に加 えて,把手と片口の付いた行平鍋,半球形の胴部をもつ深手の鍋,ほうろくなどが出現し,出土煮        炊具の器種構成は中世を通じて最も多様化する。       しかし,近世になると茶釜形など一部の器種は残        るが,器種数はむしろ減少するようである。       む              」___⊥___」        土師器以外の煮炊具の出土例はごく少ないが,     図6 宮地遺跡出土の鉄鍋       宮地遺跡(玉城町)から鉄鍋の出土報告例がある。

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●一…一尾張(愛知西部)

      古代末期の出土食膳具は,灰紬陶器を主体として,これにロクロ土師器       (足高高台皿・柱状高台皿)が加わる。中世1期になると灰粕陶器が無 柚の〈山茶碗〉化し,椀と皿の組合せから大・小の碗のセットへと移行する。中世II期には,〈山 茶碗〉が碗と平底の皿のセットへと変化し,出土量も増加する。土師器ではロクロ土師器が減り, 後半期から京都系の口縁部を横ナデする非ロクロ土師器皿が出現する。この非ロクロ土師器皿は, 熱田神宮境内(名古屋市)や一部の集落遺跡(清洲町・朝日西遺跡)からは大量に出土するが,通 常の集落遺跡では,出土土器・陶磁器破片数の2∼3%程度に過ぎない。この時期の一般的な集落 遺跡では出土土器・陶磁器の75%近くを〈山茶碗〉の碗・皿類が占めているが,このすべてを食膳 具とみなすことには問題がある。名古屋城三の丸遺跡(名古屋市)では,20%以上の碗の内面に顕 著な摩耗が認められ,調理具としての使用頻度もかなり高かったと推定される。  中世IH期になると,それまで〈山茶碗〉の大半を占めていた尾張系のものの比率が低下し,東 濃系のものが増加するが,土器・陶磁器組成上の〈山茶碗〉の比率は低下する。これは,古瀬戸 (施粕陶器)の碗・皿類が増え始めたことにも一因があろうが,〈山茶碗〉の減少量と較べて,古瀬 戸碗・皿類の増加量は少なく,両者の交代だけでは説明し切れない。卸皿や播鉢などの調理専用器 種の量産が中世IH期頃から進むことからみて,〈山茶碗〉が調理具として使用される頻度が低下 した結果,消費量が減った可能性も考慮する必要があろう。  中世IV期には,〈山茶碗〉の減少,古瀬戸碗・皿類の増加傾向が強まる。この時期の終わり頃 から,それまで土師器皿の主体的存在であった非ロクロ成形のものに代わり,ロクロ成形のものが 出現し,出土土器・陶磁器に占める土師器皿の割合が増える。また,ほぼ同時期頃から漆器椀の出 土事例も増加する。中世V期には,山茶碗が食膳具からほぼ消える。土師器皿は,口径5cm程度 の小型のものを除いて,中型以上のものは殆どロクロ成形となる。この時期のやきものの主要な食 膳具は,施粕陶器である瀬戸・美濃の碗・皿類であったと考えられるが,碗の大半は天目茶碗で占

(10)

図7 尾 張(1) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 n 皿

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(11)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]……尾野善裕 図8 尾 張② 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 H 皿

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1稲沢市尾張国府跡,2・3清洲町清洲城下町遺跡,4∼13清洲町朝日西遺跡,14∼19甚目寺町 阿弥陀寺遺跡,20∼32名古屋市名古屋城三の丸遺跡,33・34清洲町廻間遺跡 一.鯉ユ1:’ユ

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(12)

国立歴史民俗博物館研究報告 第71集 1997年3月 められている。天目茶碗の全てを喫茶具とみなすと,食膳具としての碗は漆器などに求めざるをえ なくなるが,出土量の多さを考えると,天目茶碗が食膳具として用いられた可能性も一概に否定で きない。       中世を通じて,出土煮炊具では土師器が主流であるが,常滑焼や古瀬戸       などの陶器製品が一時的に認められる。古代末期には,いわゆる清郷型 の甕が目立つが,いわゆる伊勢型鍋に連なる形状の甕もみられる。清郷型甕と伊勢型鍋の量比は, 中世1期のなかで逆転し,清郷型甕は中世II期を最後に消える。中世II∼HI期は,伊勢型鍋の全 盛期であるが,常滑焼の羽釜・鍋もあり,朝日西遺跡など一部の遺跡では搬入品とみられる石鍋が 出土する。中世IV期には,中世III期に出現する胴部上半が強く内傾する羽釜が主流となる。こ のタイプの羽釜と中世II・IH期の伊勢型鍋には,口縁部に2孔1対の焼成後穿孔が認められるも のが多く,使用法を考える上で示唆的である。中世IV期の終わりから中世V期にかけては,内傾 タイプの羽釜に代わって,半球形の内耳鍋や大型の羽釜が出現し,一時期的ではあるが古瀬戸の鍋・ 釜もみられるようになる。中世V期の後半には,土師器の茶釜形羽釜・焙烙が出現し,器種が豊 富になる。

⑥…・…一…西三河(愛知中部)

      古代末期から中世初期にかけては,集落遺跡出土の資料が乏しいが,古       代から中世にかけての大規模陶器生産地である猿投窯に隣接しており, 既に9世紀代には灰粕陶器が普及していることから考えて,灰粕陶器の椀・皿類や〈山茶碗〉が主 要な食膳具であったと考えられる。  中世II期の出土食膳具組成は,〈山茶碗〉を主体として,これに少量のロクロ土師器皿が伴う。 前半期には渥美・湖西系の〈山茶碗〉が目立つが,後半期になると尾張系のものが増加する。ロク ロ土師器では杯形のものが増加する傾向にある。また,中世II期の終わり頃には,非ロクロ土師 器皿も確認できるが,量的にロクロ土師器には及ばない。中世皿期になるとそれまで出土食膳具 の主体をなしていた〈山茶碗〉が急速に減少し始める。この時期の良好な一括資料はあまりないが, 牛ノ松遺跡(幸田市)SDO5出土からまとまって出土しているロクロ土師器がこの時期のものと考 えられ,前代の土師器皿と較べると器高が高く,皿というよりもむしろ椀的な形状を呈しているの が特徴的である。  中世IV期については,資料的に薄く不明瞭であるが,〈山茶碗〉はほぼ完全にみられなくなり, 代わって古瀬戸(施紬陶器)の碗・皿類が散見されるようになる。ただし,〈山茶碗〉の消失から 古瀬戸の普及までには若干ブランクがあり,〈山茶碗〉の消失を木地椀の普及と結びつける見解も ある。しかし,いまのところ中世VI期における漆器食膳具の普及を示す出土報告例はみられない。  土師器皿は,中世IV期の終わり頃から,口縁端部を上につまみあげた京都系のものが現れ,西 尾城跡(西尾市)では中世V期にロクロ土師器皿と非ロクロ土師器皿が共存している。しかし同 じ中世V期でも,西三河北部地域の丸根城(豊田市)・福谷城(三好町)などでは非ロクロ土師 器皿は殆ど認められず,南部地域の西尾城とは様相を異にしている。 130

(13)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]・一・尾野善裕 図9 西三河(1) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 n 皿

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V

近 世 1 食 膳 具 1・2・7∼10・19・20西尾市八ッ面山北部遺跡,3∼6西尾市 室遺跡,11∼18幸田町牛野松遺跡,21∼23幸田町東光寺遺跡,24・ 25西尾市熊子第2遺跡,26∼31西尾市西尾城遺跡,32・33西尾市 清水遺跡 〈山茶碗〉 土師器(ロクロ) 6 ∈≡巨≡ヲ12

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(14)

図10西三河(2) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 n 皿

V

近 世 1 煮 炊 具 1・5・9・10西尾市八ツ面山北部遺跡,2∼4・11・12西尾市 室遺跡,6∼8幸田町牛ノ松遺跡,13∼15幸田町東光寺遺跡,16 ∼19西尾市西尾城遺跡,20西尾市清水遺跡

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(15)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]・…・・尾野善裕       食膳具同様に,古代末期から中世初期にかけては,資料が乏しく詳らか       ではない。しかし,東西に隣接する尾張・東三河ではいずれも清郷型甕 が一定量みられるので,西三河地域でもある程度普及していた可能性が高い。  中世1期の終わりから中世II期になると煮炊具の出土事例が増え始めるが,殆どがいわゆる伊 勢型鍋で占められている。伊勢型鍋は,中世H期の中で扁球形化し始め,中世III期へと続いてゆ く。中世III期の煮炊具も,出土事例が多くなく,はっきりしない面があるが,牛ノ松遺跡(幸田 町)では伊勢型鍋を主体としながらも,土師器羽釜の出土が認められる。また,中世皿期の山茶 碗に伴って,口縁部を「く」の字形に屈曲させた土師器鍋が出土しており,いわゆる遠江型内耳鍋 の初現が中世III期にまで遡る可能性もある。  中世IV期も資料的には薄いが,伊勢型鍋・遠江型内耳鍋に加えて,同時期の尾張地域で一般的 な胴部が最大径となるタイプの羽釜もみられ,尾張と東三河の中間的様相を示している。また,中 世IV期の終わり頃から大型の羽釜や尾張型の半球形内耳鍋が出現し,中世V期には茶釜型のもの も加わって,土師器煮炊具の器種が中世を通じて最も豊富になる。しかし,近世になると遠江型内 耳鍋などが認められなくなってゆき,器種数はむしろ減少傾向に向かう。

⑦……一…東三河(愛知東部)

      古代末期から中世II期にかけては,灰粕陶器・〈山茶碗〉が最も多く出       土し,これにロクロ成形の土師器皿が伴う。〈山茶碗〉は大半が渥美・ 湖西系のもので占められているが,中世II期の終わりからIII期にかけて出土量が激減する。この く山茶碗〉が減少傾向に向かう時期には,渥美・湖西系以外に尾張系の〈山茶碗〉がみられ,まれ に東濃系のものがあるが,量的にはごく少ない。土師器皿では,中世II期に京都系の口縁部を横 ナデする非ロクロ成形のものが出現し,代わってロクロ土師器皿は消失へと向かう。この時期以降, 東三河では基本的にロクロ成形の土師器皿はみられなくなる。  中世IH期になると,〈山茶碗〉は殆ど認められなくなり,非ロクロ土師器皿が出土食膳具の中 心的存在となる。続く中世IV期については,資料的に薄くはっきりしない面があるが,古瀬戸 (施紬陶器)の碗・皿類がある程度普及し始めるようである。土師器皿は,中世IV期の終わりか らV期の始めにかけて再び京都の土師器皿の影響を受け,ロ縁端部が上に突出す形状のものが出 現する。同時に土師器皿の多法量化が目立つようになるが,中世V期から近世に向かうにつれて, 法量のヴァリエーションは減少していくようである。この時期には,瀬戸・美濃の施粕陶器の碗・ 皿類が一般的に見られるようになるが,中世IV期の終わりからV期の始め頃に平碗がなくなって から,近世になって丸碗が量的に認められるようになるまでは,碗形態の圧倒的多数が天目茶碗で ある点は尾張地域と同様である。ただし,田原城跡など輸入中国陶磁がある程度まとまって出土す る遺跡もあり,同時期の遺跡でも必ずしも様相は一様ではない。  土器・陶磁器以外の食膳具については,中世III期の〈山茶碗〉の減少を木地椀の普及とからめ て考える見解もある。しかし,東三河における木器食膳具は吉田城跡(豊橋市)などで中世V期 の漆器椀の出土例が少数報告されているに過ぎない。

(16)

図11 東三河(1) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古

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(17)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]・… 尾野善裕 図12 東三河(2) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 H 皿

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(18)

国立歴史民俗博物館研究報告 第71集 1997年3月       出土煮炊具は,中世を通じてほぼ土師器で占められている。鉄製品は,       吉田城(豊橋市)で鉄鍋の出土報告例があるが,近世以降のものである 可能性がある。  古代末期の土師器煮炊具は,いわゆる清郷型甕が主体的な存在であるが,中世1期の中でいわゆ る伊勢型鍋への転換が進み,中世H∼III期には出土煮炊具はほぼ伊勢型鍋一色となる。中世IV期 については,調査例が乏しいが,引き続き伊勢型鍋が認められる一方で,口縁部を「く」の字形に 屈曲させた内耳鍋,いわゆる遠江型の鍋がみられるようになり,やや遅れて茶釜形羽釜が出現する。 また,ごくまれに胴部上半が強く内傾する羽釜が出土することがあるが,これは尾張地域からの搬 入品と考えられる。  中世V期の出土煮炊具組成の特徴は,形態的な多様性にある。この時期の出土煮炊具の中心的 存在である内耳鍋には,尾張型の半球形のものと,遠江型の口縁部を屈曲させるものの両者がある が,遠江型内耳鍋の口縁部の屈曲は時代が降るにつれて弱くなり,中世V期の終わり頃には尾張 型内耳鍋とあまり変わらない形状になる。このほか内耳鍋以外の器種として,羽釜・茶釜形羽釜が あり,羽釜にはまれに内耳が付くものが認められる。近世になると,遠江型内耳鍋がみられなくな り,代わって中世V期の終わり頃から内耳付きのほうろくが出現する。 ⑧・一………遠江(静岡西部)       古代末期における出土食膳具は,基本的に灰粕陶器を主体とし,これに       ロクロ土師器皿が加わって構成されている。中世1期には,灰粕陶器が 無紬となって〈山茶碗〉化する。この時期の土師器皿についてはやや不明瞭であるが,前後の時期 にロクロ土師器が認められるので,この時期にも〈山茶碗〉に少量伴って食膳具が構成されていた 可能性が高い。中世H期になっても,〈山茶碗〉が出土食膳具の中心的位置にあること自体に変化 はないが,この時期の幅の中で非ロクロ土師器皿が出現していると考えられる。また,中世II期 の終わり頃には,基本的に渥美・湖西系もしくは東遠系の〈山茶碗〉が多いこの地域にも,尾張系 〈山茶碗〉が出土する遺跡(細江町・祝田遺跡)がみられるようになる。  中世III期になると,遠江における〈山茶碗〉生産が衰退するのと連動して,西遠江では湖西窯, 東遠江では金谷窯周辺を除いて,出土食膳具から〈山茶碗〉がみられなくなる。殿ヶ谷遺跡(菊川 町)からは,この時期のものと考えられる資料がまとまって出土しており,ロクロ土師器皿と非ロ クロ土師器皿が共存している。  中世IV期については,前半期がやや不明確であるが,後半から末期にかけての資料は城ノ前遺 跡(新居町)・椿野遺跡(浜松市)などで比較的まとまった量の出土がある。この時期の土師器皿 は,遠江の中でも東寄りの地域でロクロ土師器皿が,西寄りで非ロクロ土師器皿が目立ち,顕著な 地域差が認められる。  中世V期の食膳具組成は,基本的に中世IV期の終わり頃からの延長線上にある。ただし,後半 期には初山窯・志戸呂窯といった地元の施粕陶器生産窯が活動を開始するのに合わせて,瀬戸・美 濃に代わってこれらの窯の製品が流通するようになってくる。 136

(19)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]……尾野善裕 図13 遠 江(1) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古 代 後 皿 中 世 1 皿 皿

V

近 世 1 食 膳 具 灰粕陶器・〈山茶碗〉 4 A 、 輪 5 土師器(ロクロ)       14        16 1∼8湖西市大知波峠廃寺,9・10菊川町小太郎砦,11∼20細江町祝田遺跡, 22・23湖西市東笠子第27地点遺跡,21・24∼27菊川町殿ヶ谷遺跡,28・29・31 ∼34新居町城ノ前遺跡,30・35・36浜松市椿野遺跡,37∼39袋井市久野城跡, 40・41湖西市長谷元屋敷遺跡,42∼47掛川市原川遺跡

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(20)

図14 遠 江(3) 900 1030 1150 1270 1370 1470 1600 1700 古

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V

近 世 1 煮 炊 具

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1・2湖西市大知波峠廃寺,3・4新居町城ノ前遺跡,5細江町祝田遺跡,6・ 11・18掛川市原川遺跡,7・8湖西市新古古窯跡,9湖西市森元遺跡,10新 居町西脇遺跡,12・13・21浜松市椿野遺跡,14∼17・19・20・22・23湖西市長 谷元屋敷遺跡

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(21)

[中世食器の地域性 4一東海・濃飛]… 梶野善裕  土器・陶磁器以外の食膳具としては,殿ヶ谷遺跡で中世III期の漆器皿,城ノ前遺跡(新居町) で中世IV∼V期の漆器椀,原川遺跡(掛川市)で中世V期以降の漆器椀・皿が出土しているが, 量的に増加するのは中世IV期の後半∼末以降である。        中世を通じて,出土煮炊具は基本的には土師器で占められている。古代 煮 炊 具        末期から中世1期にかけていわゆる清郷型甕が認められるが,中世II 期になると消失し,代わっていわゆる伊勢型鍋が出現し,出土煮炊具の中心的存在となる。しかし, 次の中世III期になると伊勢型鍋は殆どみられなくなる。この時期の出土煮炊具の事例としては, 集落遺跡からの出土遺物ではないが,新古古窯跡(湖西市)VH・VIH号窯で陶工が使用したと推 定される土師器羽釜がある。また,このほかに森元遺跡(新居町)で出土している「く」の字形口 縁の内耳鍋(いわゆる遠江型内耳鍋)も中世III期のものと考えられる。  中世IV期の出土煮炊具は,遠江型内耳鍋が主体的であるが,尾張地域からの搬入品と考えられ る胴部に最大径をもつ羽釜も散見される。また,後半期には茶釜形のものも現れ,土師器の煮炊具 に器種多様化の兆しがみられる。中世V期になると遠江型内耳鍋のほかに半球形の尾張型内耳鍋 もみられるようになるが,この種の鍋の出土は遠江の中でも西部地域に限られるようである。       (京都国立博物館,国立歴史民俗博物館共同研究協力者) 挿図文献 愛知(尾張) (財)愛知県埋蔵文化財センター『㈱愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第10集 廻間遺跡』 1990 (財)愛知県埋蔵文化財センター『働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第11集 阿弥陀寺遺跡』 1990 (財)愛知県埋蔵文化財センター『働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第17集 清洲城下町遺跡』 1990 (財)愛知県埋蔵文化財センター『働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第28集 朝日西遺跡』 1992 名古屋市教育委員会『名古屋城三の丸遺跡 第4・5次発掘調査一遺物編一』 1995 名古屋市教育委員会『名古屋城三の丸遺跡第6・7次発掘調査報告書』 1994 稲沢市教育委員会r尾張国府跡発掘調査報告書V』 1983 愛知(西三河) (財)愛知県埋蔵文化財センター『年報 平成3年度』 1992 (財)愛知県埋蔵文化財センター『働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第8集 加美遺跡』 1989 (財)愛知県埋蔵文化財センター『⑱愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第42集 東光寺遺跡』 1993 (財)愛知県埋蔵文化財センター『㈱愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第49集 室遺跡』 1994 (財)愛知県埋蔵文化財センター『側)愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第57集 牛ノ松遺跡』 1995 西尾市教育委員会『八ツ面山北部遺跡1一八ツ面町地区一』 1991 愛知(東三河) (財)愛知県埋蔵文化財センター『働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第5集 杉山遺跡』 1988 (財)愛知県埋蔵文化財センター『働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第21集 麻生田大橋遺跡』 1991 (財)愛知県埋蔵文化財センター『働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第22集 森岡遺跡・淡洲神社北遺跡』 (財)愛知県埋蔵文化財センター「働愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第26集 吉田城遺跡』 1992 豊川市教育委員会『郷中・雨谷』 1989 豊川市教育委員会『麻生田大橋遺跡発掘調査報告書』 1993 田原町教育委員会『田原町埋蔵文化財調査報告書 第7集 田原城跡(1)一藤田曲輪の発掘調査一』 1995 一宮町教育委員会『一宮東部地区ほ場整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』 1987 一宮町教育委員会『愛知県宝飯郡一宮町 宮沢遺跡』 1987 岐阜(美濃) 岐阜県教育委員会・不破関跡調査委員会『美濃不破関』 1978 岐阜市教育委員会『東長良中学校建設に伴う岐阜大学跡地の緊急発掘調査』 1990 岐阜市教育委員会『千畳敷一織田信長居館伝承地の発掘調査と史跡整備一』 1990 岐阜市教育委員会『千畳敷H一財団法人加藤栄三・東一記念館建設に係る緊急発掘調査の記録一』 1991 1991

(22)

国立歴史民俗博物館研究報告 第71集 1997年3月 関市教育委員会『重竹遺跡』 1981 関市教育委員会『関市文化財調査報告第18号 弥勒寺跡一範囲確認発掘調査報告書III−』 1990 可児市教育委員会『金屋遺跡 「大清水土地区画整理事業」に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』 1989 大和村教育委員会『東氏館跡発掘調査報告書』 1984 岐皐(飛騨) 神岡町教育委員会・富山大学人文学部考古学研究室『江馬氏城館跡一下館跡発掘調査報告書1−』 1995 三重(北伊勢) 三重県教育委員会『三重県埋蔵文化財調査報告60 昭和57年度農業基盤整備事業地域埋蔵文化財発掘調査報告』 1983 三重県教育委員会・三重県埋蔵文化財センター『一般国道1号亀山バイパス埋蔵文化財発掘調査概要』VIl990 三重県教育委員会・三重県埋蔵文化財センターF般国道1号亀山バイパス埋蔵文化財発掘調査概要』VII 1991 三重県埋蔵文化財センター『三重県埋蔵文化財調査報告92−2 伊勢寺廃寺・下川遺跡ほか』 1990 三重県埋蔵文化財センター『三重県埋蔵文化財調査報告108−1 東浦遺跡・椋本南方遺跡ほか』 1993 四日市市遺跡調査会『四日市市遺跡調査会文化財調査報告VI上野遺跡』 1991 四日市市遺跡調査会『四日市市遺跡調査会文化財調査報告IX 上野遺跡2』 1992 三重(南伊勢・志摩) 三重県教育委員会『三重県埋蔵文化財調査報告43 昭和54年度農業基盤整備事業地域埋蔵文化財発掘調査報告』 1980 三重県教育委員会『三重県埋蔵文化財調査報告68 ミゾコ遺跡発掘調査報告』 1985 三重県教育委員会『近畿自動車道(久居∼勢和間)埋蔵文化財発掘調査概報VI』 1988 三重県教育委員会『三重県埋蔵文化財調査報告88−1 昭和63年度農業基盤整備事業地域埋蔵文化財発掘調査報告 第1分冊』          1989 三重県教育委員会・三重県埋蔵文化財センター『三重県埋蔵文化財調査報告101−6 近畿自動車道(勢和∼伊勢)       埋蔵文化財発掘調査報告 第6分冊 蚊山遺跡左郡地区』 1993 三重県埋蔵文化財センター『三重県埋蔵文化財調査報告92−2 伊勢寺廃寺・下川遺跡ほか』 1990 三重県埋蔵文化財センター『三重県埋蔵文化財調査報告104 一般道田丸停車場斎明線道路改良事業に伴う        波瀬B遺跡発掘調査報告書一渡会郡玉城町下田辺一』 1992 三重県埋蔵文化財センター『三重県埋蔵文化財調査報告109 多気遺跡群発掘調査報告一一志郡美杉村上多気所在一』 1993 松阪市教育委員会『県道丹生一志線及び県道合ヶ野松阪線道路改良工事敷地内埋蔵文化財発掘調査報告書』 1989 静岡(遠江) (財)静岡県埋蔵文化財研究所『原川遺跡IV 平成2年度袋井バイパス(掛川地区)埋蔵文化財発掘調査報告書』 1991 (財)静岡県埋蔵文化財研究所『静岡県埋蔵文化財研究所調査研究報告 第51集 祝田遺跡IV 平成3年度二級河川都田川住宅       関連公共施設整備促進事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』 1994 浜松市遺跡調査会『椿野遺跡』 1985 湖西市教育委員会『静岡県湖西市東笠子(HK)第27地点遺跡発掘調査報告書』 1982 湖西市教育委員会『青平古窯跡・新古古窯跡発掘調査報告書』 1984 湖西市教育委員会『国道1号線潮見バイパス(湖西地区)埋蔵文化財発掘調査報告書 長谷元屋敷遺跡』 1987 湖西市教育委員会『湖西市文化財調査報告第28集 大知波峠廃寺H』 1991 湖西市教育委員会『湖西市文化財調査報告第30集 大知波峠廃寺HI』 1992 袋井市教育委員会『久野城』IV 1993 ’ 菊川町教育委員会『殿ヶ谷遺跡発掘調査報告書』 1988 菊川町教育委員会・静岡県小笠町教育委員会『小太郎砦発掘調査報告書』 1995 浜名郡新居町教育委員会『城ノ前遺跡発掘調査報告書』 1989 新居町郷北土地区画整理組合・新居町教育委員会『寺川遺跡・天白遺跡・西脇遺跡 郷北土地区画整理事業に伴う        埋蔵文化財発掘調査報告書』 1993 140

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