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マネジメントにおける関連思考と円了の目的行為 利用統計を見る

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(1)

マネジメントにおける関連思考と円了の目的行為

著者名(日)

斎藤 弘行

雑誌名

井上円了センター年報

11

ページ

270-252

発行年

2002-07-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002737/

(2)

諭繍トにおける関郵考と円了の

斎藤弘行

saito hiro/crki はじめに  マネジメント論および組織論文献にも信頼の言葉が見られるようにな った。この言葉をめぐっていくつかのコメントをすること、その後、信 頼は単なる相互関係というドライな内容だけではなく、その中に何かし ら人間らしさも含めていることが語られる。この最後の方向づけは信頼 をより科学的に扱う接近方法から離れる。  マネジメントおよび組織についての考えは、特に人間をある立場から ヒ手にコントロールしようとすることにある(といってもそれがすべてで はないが)。そういう立場から若干距離を置いて人間相互間の係り合い を見ようとする意図がここにある。その際に、別の領域(ここでは円r O)倫理)における思考も結びつけられるかもしれないと予想する。しか しそれが成功するかどうかわからない。信頼のテーマは簡単には処理で きないのである。 人間行動における関連性  関連(または関連1生)という考えはとくに人間の問のことがらではな い。例えばシステム論においてはこの言葉は基本的なものである。しか し人間を主題にし、人間がある情況のなかで、ということは社会的情況 ということであるが、行動すると表現するときには、既に複数の人間が 存在して、その間に何かが存在することを意味する。こういうことは当 り前のことであるけれども、複数の人間がそこにいることが問題を含 ろttト=“3る州・唾1ど彗と川」r一川的パ為3(270)

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む。それは純粋に当事者の間のことなのか、それとも他の誰か、例えば 別人としての観察者があってそれが含められるのかといった事柄を含む からである(D。  我々のテーマはこういう単純な関係のなかに、その源泉を見出す。も ちろん例えば政治の世界においては国家間の関係といったかなり大きな (それは地理的条件だけのことではないが)枠組のなかで、我々のテーマ が扱われるべきであろうが、今はこのことには直接触れない。するとも う一度社会的関係(リレーション)についてみると次のようなことが言 える。「ある期間にわたって接続する相互作用の相互的相式のことであ って、そのことにより社会的期待の安定した組合わせが現われるように なっていること」と。これと同時に、単なる関係としないで関連性とい う日本語に相当する(かどうかはっきりしないが)リレーションシップを 併用することも行われる。この場合にはより具体的に、「2人もしくは それ以上の人間の間における社会的相互作用の様式」とする。そこには 現実に存在する相互的な役割関連性のことが含められる。相互関連性の 持続時間は関連としたときとは異なり、長時間か短時間かは不確定であ る(ということは初めから決っていないということである)。より長い期間 にわたるときに、関連となる(関連性ではない)とする。この区別をし たところで、社会的関連が明確になったとは言えない。従って我々は当 事者の間に有意義なコミュニケーションがあること、そして他の人の (相乎の)行動があるのだという知覚をもっていることが、社会的関連 性の決め手となる。このような説明経過を通して、社会的関連性から出 発して社会的関連が形成されること我々は認識することができる(2)。  関連性および関連性とよく似た概念として、相互作用もしくは相互行 為がある(3)。このことを考察すると、関連の内容がよりよく理解でき るものと思われる。この際に相互作用について「アンフォーカスト」と 「フォーカスト」の相互作用を語ることによりその意味を捉えることに

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なる(4)。この区分は従来の対面的相互作用を、特別な事象にかかわる ものと、不断いつもなされる事象にかかわるものとにおいてなされるの とは異なる。  “アンフォーカスト相互作用は、単に2人(またはそれ以上)の人間が 存在するために生じる人間間的なコミュニケーションからできヒるとさ れる。あげられている例によると、お互いに見知らぬ人が部屋を隔てて 別のところにいるとしてお互いの衣服やマナーなどのチェックをしてい るとき、白己の行動様式その他の修正をするのであるが、それが自分が 観察の対象となっているからだという説明がなされる。  フォーカスト相互作用について、複数の人間がある期間にわたり、単 一の認知的および視覚的注目の焦点をもつことに賛成しそのことを実際 に支持しようとするときに発生するといわれる。例えば、当該の人たち が会話をすること、将棋をすること、協同で仕事をすることなどがあげ られる。これは注目の焦点がひとつの点に集まっていて、そのことを当 事者同志が支持していることにほかならない。  もちろんフォーカスト行動の当事者も、アンフォーカスト行動の中に 加わっているのかもしれないが、それは相互間の関係のなかの参加者と しての立場にはないということで、アンフォーカスト相互作用とは区別 される(この逆のことも起るかもしれないが)。  これと同時にこの相互作用が自然的に生成するか人工的に生成するか といった視点に立ってみる。すると上記のフォーカスト相互作用は、 「社会的組織の自然的単位」というように表現される。それはいわば 「出会い」「エンカウンター」なのである。それは物理的に当事者が直 接その現場に居ることが前提となっている(5)。ところが相互作用は集 団の中で行われることも当然あって、この社会的組織は主に人工的に形 成されている(また出会いが集団になるプロセスについてはここでは触れな い)。こう考えると社会的集団とフォーカストの相互作用の区別を無理

c9

@.におバる関連1巴蛸二:’j」’・□的子戸∼ 5(268)

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にしなくても、相互作用の内容は同じなのだから必要ないように思われ る。そのことは後に扱う信頼(性)をどのような場で考察するかという ことと関係があるけれども、どれも共通して相互作用だとしてみると、 どうでもよいことなのかもしれないとしておく(実はこ0)区別の重要性 は信頼のより詳しい追究には必要であるが)。 依存性と相互依存性  相互関連性が出会いにせよ、(小)集団にせよひとつの顕著な事象で あることには変りはない。その種の事象の解明には行為理論や交換理論 を基礎としなければならないことを多くの社会学的文献は示す。しかし 我々は相互関連が、内容として依存性と相互依存性を含むことに注目 し、そのような理論づけを避ける。そこで関連には形式的なものと、深 さに結びつくものがあることに触れ、それを通して、表題の問題を考察 する(6)。この際には信頼の用語が現われるが、そうすることにより信 頼と依存および依存性の意味を同時に把握することができると考えられ る。  先ず依存性から見る。そのとき信頼者(信者をする側)の視点が先行 する。この信頼者にはある種の危険があるということが前提とされる。 そのひとつは、(信頼者の)相手方が予期したようには行動しないだろ うとすること、つまりアンリライアビリティがあるかどうかである。市 場で品物を購入するときには通常発生する事柄である。商品の生産過程 から、運搬方法、販売業者の処理方法などについて疑問を抱いたら際限 がない。それらの事項について買手はいちいち相手方と取決めをしてい るのではないし、そうしたことは現実には不可能に近い。何故ならいま 必要な、日常生活における品物をその都度、確認し、何らかの取決めを することは一般的には習慣となっていないからである。通常的には生活 のなかでは品物の購入あるいは誰かに用事をしてもらうことといった事

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柄は、そのなかに何かある条件を予め含めた取引なのであり了解事項な のである。従っていつもそうした取引に当って購入者もしくは依頼者が 取引したようには、あるいは支払ったようには対象物ないしはサービス を受取らないかもしれないという危険を冒していることになる。  依存性を考慮する場合にもうひとつの、無分別の危険があげられる。 ある依頼者(信頼者)が、他のものに依頼するに当って、微妙なもしく は機密に触れるような情報を共有するかどうかといった問題がよくあ る。依頼者は相手方にすべてではないにしても相当の情報を提供しなけ れば依頼した仕事が果されないであろう。場合によっては機密事項も伝 えなければ依頼者の注文通りのものが得られないかもしれない。被依頼 者の側ではその情報を使って、依頼者の注文物と同じものを、他の用途 のために(例えば別のところへの販売のために)製作するかもしれないの である。そうでなければ依頼者の競争相手と手を組んで受入れた知識を 使う行動に出るかもしれない。これは明らかに被依頼者の反逆行為であ る。  この2つの関係および危険は依存性の程度がどうなっているかにかか わることである。それは依頼者が相手方に…方的に責任を引渡してしま うことから生じる。つまり依頼度の相互関係が浅いということである。 依頼者の方からのみ強く働きかけたとしても相手方はそれについて特別 な配慮をしないか、不注意な処理や行動をしてしまうのである。  相互依存性について述べる。これは双方の当事者が行動の調整を効果 的に行って、予想した目標を達成しようとするときに生じる関連という ことができる。但し、調整はいつも仕事に合ったように速度を合わせて 行われるとは限らないし、十分な調整がなされるとはいえない。従って 不十分な調整と遅滞の危険をともなう。  さらに当事者間の親密さが増すと関連性は次第に相互依存的となるの は自明である。それは調整しなくなる危険も含むかもしれない。比較の ビ7’1・‘における関11u∼時ヒ円」一・1{的□為 7(266)

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方法はよくないが家庭における夫と妻の問の役割の調整はかなり(本格 的にやれば)厄介である。しかるにある商店と顧客の問の役割もしくは 売買関係は相互依存性が、家庭よりも低いということができる。調整の 課題がそれだけ低くなるかもしれない。 紐織論における相互依存性  依存性および相互依存性を経営組織論ではどのように見るかにつき若 干考察してみる。そしてここでは依存性ではなく、相互依存性の語をと りあげてみるσ)。この言葉は、コンフリクト・マネジメントと集団間的 行動について語る際に持ち出される。コンフリクトが生じる理由とし て、目標の不均衡性、構造設計、役割期待の相違、個人差があげられる が、相互依存性が題材とされるのは構造設計のところである。  一般的には経営組織論において、相互依存性を抽象的に語らない。ま たこの用語を独立して他の概念の説明のために使うこともしないから、 我々の引用するテキストに従って示すに過ぎない。およそ組織において 目標、資源の必要性および時間要因の相違は相互依存関係に関連づけら れるというのが出発点である。それは「当事者が仕事を適切に果すため に、その当事者間の相互作用が調整されねばならない度合のこと」であ るとする。組織の構造が決まるということは当事者間の関係が決まると いうことであり、そのことは目標達成に当っての相互の活動を促進した りしなかったりすることになる。  そこで相互依存性の程度とは一方で完全な依存性があり、他の端には 完全な相互依存性があるといった連続体のなかに明示されることがらで ある。一方の当事者が他方の当事者の目標達成および成果を決定しうる パワーをもつならば他方の当事者は前者に相対的に依存する。両者が独 立するとは、それぞれの側からの何らのインパクトを持たないときのこ とである。大抵の関連はこの両極端の間のどこかにある。それは仕事を

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上手に果すために、何らかの活動を調整すべき必要性によって決められ る。両当事者が責任とニーズを共有し、スケジュールを調整したり、意 思決定への協力が多くなればなるほど、相互依存性の度合が大きくな る。  共同的相互依存性(プール化した相互依存性)の考えも依存する。これ は双方の当事者が自分の業績成果について独立しているけれど、それぞ れが組織の全体にわたった別々の貢献をなしていて、そのことがあらゆ る当事者の福利に影響するようになっている。  連続的相互依存性(シークエンシャル相互依存性)において、一方の当 事者のアウトプットが他の当事者に必要なインプットを提供し、その結 果、目標達成に導くようにする。この方式は製品またはサービスのワン ウエイの流れを主体とし、受取り側に不安感を生み出す。それはこちら の側での目標達成が供給側の意向ないしは事情に左右されるからであ る。受取り側は自己のニーズを満すことを確実にすべき作用力を持たな いことに問題があるかもしれない。  相互的相互依存性(リシプロカル相η1依存性)について、双方の当事者 のアウトプットがお互いにたいするインプットになるとき存在する。そ れは一種の共生的関係にあるということができる。それはお互いに必要 なインプットを供給し合っているからである。この場合、調整の必要性 は極めて高く、双方の当事者間のコンフリクトの発生可能性も大きくな る。  上記のような相互依存性タイプの複雑性を見ると、プール化した相互 依存性が最も少ないことはすぐにわかる。これに対して相互的相互依存 性が最も多くの調整と協力を必要とする。シークエンシャル相互依存性 において前方のトラブルが後方の当事者に影響するのは当り前だが、そ のとき後方の業績評価をどうするかといった課題を生み出す。  いずれの相互依存性においても、1つの当事者に利用可能な、必要と ?^{’ト・おけ三N随ぱ]ちヒ],1i’t・P]的自為 9(264)

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される手段およびサービスの代替的源泉が多ければ多いほど、代替性の 程度が高くなることは当然として、このことから複雑な関係が生じる。 この際に多くの当事者が存在していて、組織からの要請が資源の最大限 の有効利用であるとすれば(それは当り前のことだが)、それによってシ ークエンシャル相互依存性を創り出してしまうかもしれない。このよう な依存性関係(相互依存性と異なって)は供給側が、受入側にたいして パワーを有しているときであり、またその限りで一方的に依存性が要求 されることになる。そのことはいまあげた代替的資源が制約されること を意味する。代替性が欠けることは受入側での口標と時間方向づけの違 いが発生するときに修正ができず、逆機能をつくり出すことになる。  相互依存性においてパワーをどの当事者が持つかは極めて重要であ る。多かれ少なかれ相互依存性は連続体のどちらかに傾く傾向にあるこ とは経験の示すことである。よって当事者は、どちらかに全く依存的に なることを極力拒否しようとするのはもっともなことである。 信頼可能性の発見と問題点  依存性および相互依存性について述べた後に、それら関連(および関 連性)を形成するもの、または結合可能性の強弱を決めるものは何かと いう次元に我々は入って行く。それが信頼という用語の中に集約される とするのが我々の立場である。しかし信頼は関連によっても発生してく るので、そうした見方は正しくないかもしれない。信頼は相互依存性 (依存性を超えて)の存在する情況の中に見出されることであり、先ず 信頼(性)があるから関連が形成されるのか、また関連により信頼が生 じるのか決めることはできない。  このことを考えるひとつの方法として、「信頼に値いする当事者の適 切な選択」があげられる(B)。これはどちらが先行するかを問うのでな くて、ある情況(関連)のなかでそのような当事者が具体的に存在しな

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くては関連はないのだとする立場である。単純に2人の当事者がある場 合に、適切な選択は不可能であるかもしれないが、それは相手方が信頼 に値いするかどうかを決めることによって、信頼が生じたり、消失した りするということになる。どのような情況においても、当事者間の信頼 の持続が重要であり、信頼が瞬間的であったならば、信頼ではない(そ れは相対的な時間思考であるとしても)。しかしここでは信頼の時間間隔 のことではなくて、信頼する能力のことに触れるのが大切である。つま り、「信頼は一方の人が、その人の潜在的パートナーの信頼価値を測定 することができるかどうかによって生み出されるところもある」という 陳述が重要なのである。もちろん信頼に価いするかどうかを一方の当事 者が正確に(科学的に?)計ることができるというのではないけれど、 そうしたキャパシティがなければ信頼はつくられないという意味にとる ことができる。従って信頼は双方関係のなかで、最初は一方の人が他方 の人の中に信頼価値を発見する作業から始まるとみることもできる。  信頼価値の発見とその情況について次に見ることにするのだが、関連 において一方と他方というとき、その構成が正確でないことも付記され ねばならない。すなわち、一方が単数で、他方が複数なのか、双方とも 単数なのか、双方とも複数なのかといった関連性構成と情況が明確にさ れていないということである。事実、この関連性をどこかに限定すると 説明ができなくなる恐れがあるから、敢てそうしないことにした。  (a)依存関係において、単に一方が他方にある用件を依頼するという式 況を想定してみる。これは残い依存関係である(これについて前に触れ た)。人が店で物を買うといった情況、留守番を頼むといった事柄を思 い出してみる。すると、信頼する側が、相手方のこれまでの行動様式に ついて確かで当てにできるものか、慎重な性質なのかといった点を考慮 する。それによってパートナーとして選択していることになる。これら の特色をもつ被依頼人の本質、つまり信頼に値いするパートナーの特色 tt@r・・/L・」:+る関1+b tX,芳二円∫’」,目的t’1為 11(262)

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を能力、慎重さおよび約束実行の3つにまとめることができる。  (b)依存性がより強く(深く)なる情況を想定することができる。信頼 する側の全く監視できない事情もしくは場面のなかでは、被信頼者側は かなり自由に、約束に反することを実行しようとすればできる。いわゆ るごまかしといった不正行為が発生する余地を残す。特に、信頼側と被 信頼側の知識量の差異が大きいときに、種々な不正が生じる。こうした 知識の非対称性が信頼側の不利を招く。この考えはプリンシパルと、ス テイクホールダーとの関係として捉えることができる。例えば株主は経 営者の活動をいくらチェックしようとしても限度がある。いくら法的規 制および制度を完備(?)したからといっても、信頼側のモニターの範 囲に入らないことは無数にあるのはわかりきっている。従って、依存性 の深いときには、被信頼者の有する特性を当にする以外には方法はな い。そのことを、「明白な緩和的特性は正直と高潔である、というのは これこそが、不正行為の機会を悪用をしないパートナーの特質だからで ある」というように示している。  どのように見ようとも深い依存性は、「フエイト・コントロール」をつ くり出すのが怖いのである。それは一方の当事者が他方の運命を一方的 に決定することができるときに生じるとされる。これは権限関係のなか でのことが多いのはよく知られている。この場合、被信頼者は信頼者か ら余分なコストを強要するとみることができる。従ってフェイト・コン トロールはトランザクション・コストを要するということができる(9)。  (c)相互依存性において信頼の関連を考える。この場合同じように関係 の深さと浅さが基準となる。浅い関係において、先に(浅い、深いにか かわらず)信頼する側と、される側との調整がなされる点について前に 触れた。いうまでもなく相手方がどちらから見ても信用の置けるもの で、思慮のあるものでなくてはならない。その際に行動の予知可能性が あるのが望ましい。それを通して益々相互依存性がはっきりしてくる。

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そこでこれらをまとめると、首尾一貫性、透明性および予測可能性が信 頼にふさわしいものは中心的特色であるということができる。  (d)相互依存性が深くなると、予知可能性の程度がより強くなる。当事 者がコミュニケーションする能力が絶対に欠けてはならない。しかし物 理的距離、複雑性および速度の要因のためにコミュニケーションが妨害 されることのほうが多い。そのために解釈の誤りが生じることもある。 そうはいっても、この相互依存性は、当事者がある情況において自分た ちの選択することのどれが相手方に受入れられるかを推測することが要 求されてくる。この能力の代表的なものが直感および感情移入である (10)。このような領域は既に心理学である。ということは信頼といった あたかも倫理的次元を表現するかに見える内容が、心理学的認識と結び ついていることを示すにほかならない。  ヒ記のように4つの関連性をあげたけれど、そのまとめともいうべき 陳述をしなければならない。それには再びシェパードおよびシャーマン の説明にもどり、そこに引用される人間的関連の4つの基本形式と、ヒ 記の関連性とを合わせてみる作業がなされなければならない(m。  最初に人間的関係の基本形式を次のように見る。  (a)共同体的共有:単一体、共同体、分化していない集団的同一性およ び親切な行為の関連のことであって、典型的には親族の問で成立してい るもののことである(12)。  (b)権限のランク付け:不均衡な相違の関係のことである。これはステ イタスや優先権のヒエラルヒー上の序列づけであって、命令を行使した り、敬意や尊敬を補完的に示したりすることをしばしば伴うものであ る。  (c)対等的地位の均衡化:1対1の対応関係のことであり、そこでは人 は明白に差異はあるが同等とされている。例えば調和のとれた相互関 係、同一の配分関係もしくは同等の奉仕、同類・同一の支払・補償およ t・W(,‘・・おける関連1ぎ考とLT11「u)目的f〕為 13(260)

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び交替などがあげられる㈹。  (d)市場価格形成:ある価値を2種類以上の尺度をもって評価づけする ことである。その場合、例えば異なる商品の比較をし、交換比率とコス ト・利益比率を計算する。  ヒ記の関連性についての基本的要因はもちろん経営学やマネジメント 論では用いられないで、むしろ人類学において見出されるとされてい る。そして社会的相互作用、思考、感情についての配列をするためのモ デルであるという(14)。  これをもとにして、再び依存性と相互依存性について考え、それと照 合してみると次のような説明を得ることができる。先に我々が浅い依存 性として示したことは、市場価格形成と一致する。一方の当事者が、他 方にたいして、サービス、財もしくはその他のものを提供するが、その 代価はそれと同じ補償物のかたちをとっていない。例えば金銭の支払い (と金銭的評価)がなされるにすぎない。この関係は会ったこともない ような人々の間に発生する、単純な関連を示している。といっても習慣 的に反復されると、複雑さが増大し、持続性を高まる。しかし本質は単 一方向的で、依存性は浅いことには変りはない。それにしても現在、 我々の周辺の人間関係が経済思考の優位性に伴い、次第に市場価格主義 になっていることは否定できない。しかも、その関係を除いては生活が 成り立たないのが現実である。  依存性はより深い関連のなかに見られる。これは権限のランク付けの なかに具体化される。現代人においても両親の存在、あるいは未開の社 会においては部族の長、また今日の社会での職場における長が、そのも とに存在する人々にたいして重要な結果をもたらすような複雑な行動を している。前期の浅い関係と比較して、いくらこうした深い依存性が、 ある意味では前近代的だと批判したとしても減少するどころか、益々増 加するであろう。権限のランク付けを無くす試みが、例えば企業におい

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て実行されているが、果してそのことが浅い依存性に向かうのかどうか はっきりしないし、ましてどのくらいの効果があるのか証明できない。 合理化とか、効率化という問題は深い依存性から浅い依存性への転換と いってもよいであろうか。  相互依存性にも目を向けよう。ここでは先ず浅い関連が示されるが、 それは緩い相互性質が関連を規定するとみることができる。調整がいつ もうまく行くとは限らないけれど、平等の均衡がこの次元に適合する。 ここでは理想的な状態としての生活環境が想像されるけれども、そのこ とが正しい相互依存性なのかどうかはっきりしない。相手方への期待が お互いにマッチすることは本当にあるのかどうか。期待の誤り、理解の 誤りは必ず存在する。大低の事情のもとで、調整ばかりやっていられな いし、そのような時間がない。人間相互関係だけを純粋にとると、浅い 相互依存性が次第に、親密さを増すとともに、深い相互依存性へと移る ことは経験的に知られる。  これに対して相互依存性が深くなるとコミュニケーションにある障害 を伴うことについて指摘した。これは一ノi的支配体制がつくられる可能 性を含む。この共同体的配分関係は文字通に共同的ではなくなってしま うかもしれない。その際、相手方の行動や考えを双方が一方的に期待し てしまうことになる。要するに、「そのようにやってくれるだろう」と 思い込んでしまっていることになる。日本における企業のかつて流行し た、系列はこの関連性のなかにあるかもしれないし、公的および私的な 職場情況においても現在なお広く認められる事象ということができる。 いずれにしても特に対人関係に限定すれば、表現通りにすると物理的距 離が遠くないとき、環境変化のスピードが早くないときなどの条件のも とである効果を発揮する。この際に再びコミュニティの意味を理解しな ければならない。その尺度として我々はしばしば前の表現のなかで共同 体という言葉を使用したが、それが正しいかどうかわからない。少なく s,@イ・ト:おける関連 巴弩:rT]r・)目日勺臼為 15(258)

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とも我々の理解のなかには行政的区画や政治的領分のことはほとんど入 っていないことだけは確かである(15)。  共同体的共有思考の一種の発展形態として、コミュニタリアニズムが エチオー二によって提唱されていることも知られる㈹。この言葉が普 及したかどうかは別にして、少なくとも人間的相互依存性の表現形式と しては意義がある。これは暴力犯罪および麻薬から家族とコミュニティ を守ろうとする新しい信仰心として認められるようになった。それに合 わせるようにしてビジネス組織も、経済的単位としてまた社会的制度と して自己の存在を知るようになって来ているというものであるにのよ うな視点は企業の社会的責任として既に前から存在としてあるにもかかわら ず)。これもシステミックな相互依存性の展開とみることができるが、 そのことは別にして、より一般的に相互依存性の深まりにともなう考え 方のバリエーションが存在することに我々は関心がある。 人間的依存性と相互依存性の解釈問題  これまで、人間的関連が社会的関連と同じであり、その本質が相互依 存性と依存性にあるという説明の経過と共に、その2つの依存性の中に 信頼(関係)の問題が含められることを知るようになった。この種の問 題が果して純粋に科学的に語られるのかどうか我々は自信がない。従っ て、我々は他の学問領域のどこかから問題の取扱についての支援を受け なくてはならない。  人問的依存性と相互依存性、およびそれに伴う信頼性は社会学的な傾 向のこれまでの説明と共に心理学および倫理学の性質を帯びていること も我々は知っている。あるいはそれらを含めた課題としてあると勝手な 理由づけをすることができる(これまで敢てそうしなかったが)。しかし ここではそうした討議から離れて考えてみる。そのとき、依存性は人間 行為の一種には違いないので、行為を中心に語りそこに出現する道徳思

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考との関係に触れる。その土台を提供するのが円了の考えである。どの みち、円了はとくに相互依存性も信頼についても触れていないから、あ る意味では相当無理な結びつきを求めているのかもしれない。  はじめに単純に人問も動物も行動すること(円了においては挙動)に は変りはないが、それが進化すると、一定の目的をもつようになり、そ れを行為ということにしている。この際に我々は社会学における行為理 論をもち出すと大袈裟であり、むしろ滑稽に見えるが(というのも円了 はそういうことは言わないから)、ほんのわずか引用してみる。  繰返しになるが円了は挙動が進化して一定の目的をもつと行為である とする。行為は人と他人との間に起こる行為である。このあたりに、人 間間的関係における依存性と相互依存性の発生する余地があり、我々が 行為を語ってもよいとする自覚が出てくる。円了は行為へと進行すると 道徳が加わる(?)か同時的に発生するという。この道徳は主として善 を求め悪を避ける行為である。人間がそれによって人間間的関係を築い ているのだが、先に我々があげた依存関係における信頼もこの部類に属 するということができる。  行為について語る。人は自己の行為にたいして主観的動機を与えると いうのがその出発点である。人はそのとき主観的感情、考え、動機を表 示するのだが、行為と結びつけられる。他の方法もあるが言語的シンボ ルをもっての表示するのは確かである。また主観的動機その他について 語ることは自然科学ではわからないので、当然、哲学的問題として処理 されるようになる(17)。しかし我々はそうした方向へ進むことなしに、 行為を説明するための基本要素を知ることに努める。それは(a)エイジェ ント、つまり行為者、(b)行為は目的を持つべきとすること、行為のプロ セスが向うべき未来の事態、(c)行為はある情況の中で開始されること、 エイジェントのコントロールのきかないものとコントロールのきくもの とがある、(d)行為単位の間に相関関係があることである(旧)。 1T’ジtントにおける関連□9ヒ円」’の日的行為 17(256)

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 我々はいちいちこれらの説明に入るのでなくて、先にあげた目的ある 行動を思い起すだけで十分である。このことが人間らしくしているのだ けれど、特にその行動は保存の規則に従って発達すると円了はいう。こ の規則に従っての行動がさらに進化すると行為の善悪の判断が現われ る。このあたりのレベルの思考では人間はまだ自己保存に都合のよいこ とばかり考えている。社会生活が確立することにより、愛他の行為も善 とみられるようになる。愛他の行為は自利自愛に導くことを人は理解す るようになって来た。利他博愛は道徳の行為だということになる。  社会生活の形成のことを円了は社会の団結というが、そこでは自身の 生存を確かにするために必ず他人を愛さなくてはならない。生存のため の経験を積重ねるようになる。こうして他人を愛さぬものが悪人となっ てしまう。これは進化の自然の勢いなのである。これに合わせて経験、 習慣、教育、遺伝などを通してこの傾向が助長されて、やがて一種固有 の道徳心が形成されるようになるという。このような行為環境に人が置 かれることにより、既に「人は生まれながら利他の善にして自利の悪な るを知り、一種の良心を養成するようになる」と円了はいう。  我々はこのように円了からの長い引用を通し、行為が目的と結びっ き、それが道徳形成をなす経緯を知った。その内容を我々の人間的関連 に照らして見るならば、何らかの関係があるであろう。我々の関連の説 明は社会学的および心理学的傾向のなかにあり、そこにとどまってい る。そのときに信頼という一種の行為の方向を定める基準を媒介させた ことがひとつの発見である。円了においては行為が目的指向性をもち、 自己保存の欲求を通しやがては愛他行為に至るとする。それは道徳形成 の基本となる。しかしよく見ると、我々が信頼(性)という概念を目標 行為の中間に配置したことは、既に一種の倫理思考をしていることにほ かならないのだと気づき始めている。表現は異なるが関連における、依 存性と相互依存性は、道徳的価値としての信頼を含めていることにな

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る。  人の生活は依存性と相互依存性より成立すると割り切ってみると、円 了のいう行為の目的指向性における自利と他利および他人愛とさして変 りはないことがわかる。関連の社会学的および心理学的思考傾向も、現 実生活のなかで信頼がなければ何の意味もない。これは経済行為におけ る関連を考えるとよくわかる。取引における約束が守られないために経 済行為は破綻する。信頼という倫理(および道徳)が崩壊したためであ る。このことを思うにつけても円了の自己愛と他人愛をもとにした行為 基準は、それが欠けれると人間行為でなくなるということと大して変り はないことになる。 終リに  経営学におけるマネジメントおよび組織論の領域でも人間的(社会 的)関係の追究は語りつくされているかに見える。しかし信頼というテ ーマが加わることにより、再び関連という抽象的思考のなかに、人間ら しさが加味されて、興味あるテーマを形成するようになった。人間間的 関係は組織にとどまらず、広く一般的なあらゆる社会生活における事象 であって、既にわかりきった命題である。そのことを我々は再びとりあ げるのは今述べた信頼が加わるからである。他方、こうした陳述のなか に別の考え方、つまり人間の行為の目的指向性に含められる倫理(およ び道徳)思考を求めるものが存在し、それとの関係を無理とも思われる 方法で結びつけようとしたのが本稿である。別の考え方の土台とは円了 の思考である。もとより円了はマネジメントのことも組織のことにも言 及していないし、関連のような社会学的概念に触れてはいない。ただ 我々の側で彼の考えをとり出して勝手に結びつけようと試みただけであ る。そのことはかなり危険な仕事であり誤解も含むし、論理的整合性を 欠くかもしれない。 ttCン@’  にお・了る肖∼11聖ty考L!【] vllj的イ」yt’ 19(254)

(19)

【注】 (1)例えば、社会的関係は、他方にたいする一方の当事者の戦略とは限ら   ない。それは当事者の役割を定めるのに役立つから、その人のことから   離れたところにある。社会的関係はひとつのシステム(ここでは体制と   いってもよい)の部分であり、そこから弧立したものとはなりえない。   さらにこのシステムは集団のある干渉によりそれ自体に加えられた限界   づけを受けるものとされる。これについて、Touraine, A., Pour la   sociologie, Editions du Seuil,1974, p.34. (2) この陳述については、Theodorson, G. A./Theodorson, A. G., A   Modern Dictionary of Sociology, New York, Crowell,1969, p.393. (3)N.アバークロンビー/S.ヒル/B.S、ターナー、『社会学中辞典』(丸tl」   哲央、監訳・編集)、ミネルヴァ書房、1996年、170頁。 (4) これについて、Giddens, A.,(ed.), Sociology;Introductory Read−   ings, Cambridge, Polity Press,1997, pp 21−25. (5) これについてGoffmanの研究(1985)があるが、それについて参照   しない。 (6)以下について、Sheppard, B. H./Sherman, D. M., The Grammars of   Trust:AModel and General Implications, in:Academy of Manage・   ment Review, vol. 23, no.3.,1998, pp.423−425の内容を示す。 (7)Cook, C. W./Hunsaker, P, L/Coffey, R. E.、 Management and Or−   ganizational Behavior, Chicago et aL, Irwin,1997, PP・354−361、 ここ   ではとくに、pp. 355−357. (8)以下については、Sheppard/Sherman, op. eit., pp.426−427より多く   のことを引用する。 (9) このほかに、信頼に値いするパートナーの質として、愛他主義の人、   慈善的な人、気配りのある人などがあげられている。 (10) この点につき、intuitionとempathyについて言及される。これに含   められるのがperspective takingである。例えば古畑和孝編『社会心理   学小辞典』有斐閣、1994年、51−52頁。 (11)Sheppard/Sherman, op. cit, p.423およびp.426. (12) ここでの単一体はunityのことであり、内容ははっきりしないが、   Heiderのいう、unit formationまたはrelationのことかもしれない。   それは人と人、人と物の間に何らかのひとまとめの関係があると認識さ   れるときに使われる概念である。これについて、例えば、森岡清美他   編、『新社会学辞典』有斐閣、1993年、975頁。

(20)

(13)例えば相互関係の調和とは、ある行為にたいする同種、同一の仕返し   があると示されている。 (14) Sheppard/9. hermanの引用するのは次のものであるが、その内容に   ついて未見である。Fiske, A. P., Relativity within Moose culture, ill:   Ethos, No.18,1990. (15) コミュニティについて、The(,dorson/Theodorson, op. ciC, pp.63−64   において、次のような説明を見る。「ある限定された領域の人々が、そ   こに集中して定住していることであり、そこでは相互依存的関連のシス   テムを通して、多く0)[常的ニーズを満している。コミュニティは自己   意識にもとつく社会的単位であり、集団同一性の中心である。コミュニ   ティは地域の地理的および経済的単位を形成し、そこでの住人にたいし   て主たる財貨とサービスを提供するとしても、必ずしも政治的実体では   ないし、市町村のような立法的境界のなかに含められるか、限定される   ものではない。コミュニティはまた住人の地理的領域およびお互いとの   ある種の同一・性および共有する共通の利害と目的の感情、多少の相互的   協力度、コミュニティ存在の自覚などがその住民や近隣の人たちのなか   にあることを意味する。この理由で、経済的およびエコロジー的単位で   ある大都会はこの基準によるとそれだけでコミュニティではない。他方   で、経済的には独立していない効外はト記の基準を満すならば、コミュ   ニティとみなされる。 (16) Graham, P. Hum乏m Relatiolls, in:Sorge, A./Wamer, M.(eds.),The   Handbook of Organizational Behaviour, Lond(m, et al.、 Thomson, pp.   113−119、ここではとくに、p.117、 (17) Parsons、 T., The Structure of Social Action, vo1.1, New York/   London、 Free Press、1968, p.26. (18)  ibid., p.44. なお円了の資料として、『井上円了選集』第11集、東洋大学、1992年 をあげる。ここからの引用についてはいちいち指示していない。 ∼1ジメニ1における関連思YJL/[「lrの目的t]為 21(252)

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