スイス国家の理念--ヴェルナ-・ケ-ギ-におけるス
イス国家の理念
著者
関根 照彦
著者別名
T. Sekine
雑誌名
東洋法学
巻
26
号
1
ページ
45-70
発行年
1983-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003608/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaスイス国家の理念
ーヴェルナー・ケーギーにおけるスイス国家の理念ーー関 根 照 彦
はじめに ここに紹介するのは、スイスの憲法学者・前チューリッヒ大学教授ヴェルナー・ケ︸ギー︵≦o導R因凝二〇8i ︶ のスイス憲法論の一端である。 ︵玉︶ ケーギーは現代スイスの代表的憲法学者の一人であり、彼の権力分立論はすでにわが国でも広く紹介されている。 ︵2︶ ケーギーの法哲学・国家学上の立場は、いわゆる自然法主義に属するといわれ、代表的著作としては前述の権力分立 ︵3︶ 論を論じた論文のほか、﹁国家の法的根本秩序としての憲法﹂︵一九四五年、新版一九七一年︶、﹁憲法部分改正におけ ︵4︶ る国民のイニシアティブに関する法的問題﹂︵一九五六年︶、﹁連邦憲法のジェスイット・僧院条項についての連邦内 ︵5︶ 閣あての鑑定書﹂︵一九七三年︶などがある。とくに﹁国家の法的根本秩序としての憲法﹂は、第二次大戦時における ︵6︶ 決断主義などの現代憲法思想を鋭く批判し、戦後西ドイッの国家秩序の復興にも大ぎな影響をあたえた作晶であった。東洋法学 四五
スイス国家の理念 四六 この小論文の中心はケーギーの思想ないし理論の紹介にあるが、彼の理論の背景であるスイスの憲法史や政治状況 についても触れている。その意味でこの論文は、ケーギーの憲法論を軸としたスイス国家の紹介でもある。
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国家と憲法の基礎としての宗教 ] スイスにおける国家と宗教の関係は古く、かつ深い。 ︵7︶ 国家と宗教の深い結びつきは現行連邦憲法︵一八七四年制定︶の次のような前文からも推測される。 全能なる神の名において! スイス宣誓共同体︵ω9≦欝包8ぼ韓凝90。 ・鴇譲象亀θ︶は宣誓圃盟を強固にし、スイス国家 の統一、勢力および名誉を維持し、かつ増進するために、以下の憲法を採択した。 だが﹁神の名において! ア璽メン﹂という語句は、スイス誕生の起源とされる一二九一年の原初三邦︵ウリ、シ ュヴィ篭ッ、二ートヴァルデンの三邦︶による永久同盟の同盟文書の冒頭にもすでに見いだされる。 ︵8︶ 実際、中世においては、いわゆるランズゲマインデの政治はキリスト教民主主義として特色づけられ、そこでは国 ︵9︶ 家は神の加護を頼り、絶対者としての神の下に国民主権が制限をうけていた。このようなランズゲマインデの伝統は その後も引き継がれ、とくに開催時の儀式にはこの宗教性が今なお残されている。アッペンッェル・インナー・ーデ ンの議事録によれば、一九七六年のランズゲマインデは、﹁集会の開催を告げる国教会疑セント・マウリティウスの 大鐘がおごそかに鳴り響くなかで﹂カントン政府の閣員と裁判官が着席し、習頭、カソトン長官︵ランダマン︶の演 説がおこなわれたが、その演説のしめくくりは﹁一九七六年のランズゲマインデを神の加護にゆだね、その開催を宣︵10︶ 言する﹂というものであった。 だが歴史上国家と宗教の関係がもっとも鮮明にあらわれたのは、いわゆる宗教戦争においてであろう。ツヴィング リは一五≡二年にチューリッヒを、カルヴァンは一五三六年にジュネーブを宗教改革したが、その後スイスは長い間 宗教戦争に苦しまなければならなかった。アッペンツェルがカソリック派のインナー凛ーデンとプ獄テスタント派の アウサー・ーデンに分離したのは一五九七年の宗教戦争の結果であった。一八四八年に成立した現在の連邦国家もカ ソリック派の保守カントンとプβテスタント派の急進カントンの内戦の結果にほかならない。一九七八年九月二四日、 ︵難V 国民投票によりジュラがカントン・ベルンから分離してスイス連邦二三番目のカントンが誕生したが、この誕生劇の 背景にはカントソ・ベルソではプ鴇テスタントとドイッ語が支配的であり、ジュラ地方ではカソリックとフランス語 が支配的であるという事情があった。 ケーギ⋮は、スイスの人購のほぼ半数をしめるプ露テスタントの敬けんな一員である。彼は教会法学者でもある。 ︵鴛︶ ケーギーの国家観、憲法観の基礎には宗教があり、彼の主張にはプ揖テスタント神学の影響が明瞭に認められる。ケ ︵13︶ Lギーはおよそ次のように述べている。 二 人間は神の責任において存在する人格的存在である。そしてここから侵すべからざる人問の尊厳がうまれる。 人間は人格的存在であり、それゆえ、みずから自由に決定し、その決定に対して責任をおうことができる。自由は神 の恩ちょうであり、倫理的自由は法的自由の核心である。 人間は共同体の中でみずからを完成する。キリスト教的共同体は人格共同体である。それは自由、責任、共働、正 東洋法学 四七
スイス国家の理念 四八 義、平等、友愛、自助、自治などなどの支配するゲノッセンシャフトであり、運命共同体である。このような共同体 においてはすべての秩序は個人から出発し、個人の共同体に対する自発的責任が基本となる。そしてここでは、下か らの秩序が重視される。 国家や法は﹁人問人格の自由や尊厳﹂を保障し社会正義を実現するために必要不可欠である。だが主権者は神であ り、この世の権威は絶対化されてはならない。それゆえすべての人間の権威は、国民主権や国家主権を含めて制限を うける。国家は必要上やむをえない奉仕の秩序であり、限界づけられた秩序にすぎない。国家は個人や家庭、中間団 体などが果しえない役割だけをうけもつ︵補完性の原理︶。国家が不当にみずからの限界を踏みこえた場合それに対 して抵抗することは国民の義務である。 ﹁全能なる神の名において!﹂というスイス連邦憲法の前文は規範的、法的根本秩序の最終的基礎を示し、あらゆ る人間秩序の最終的限界を明らかにしている。スイス連邦が宣誓共同体であるということは、それが単なる人間の結 合以上の存在であることを示している。スイスは神に対する宣誓︵鷺創︶に基づく国家である。 ∬ スイスの国家理念 ︵M︶ 一 スイスの国家理念は政治制度に具体化されているが、その政治制度はスイスの自熱や文化の反映でもある。 ﹁小国性﹂と﹁多様性﹂はスイスの大きな特徴である。 ω スイスは面積四〇万平方キ導メートル、人口六〇〇万余りの小国であるが、それは二三︵二六︶のカントンから
構成され、さらには三〇〇〇をこえるゲマインデに細分化されている。最大のゲマイソデはチューリッヒ市で四〇数 ︵蔦︶ 万の人口をかかえるが、人口一万人以上の都市は九二ヶ所あり、人口がわずか二〇人というゲマイソデすら存在する。 だがこの小さな地域、故郷に根ざした政治はスイス人の思想をはぐくんできた。ジャンジャック・ルソーの社会契約 ︵鴛︶ 論がジュネーブ市の政治を反映し、カール・ルードヴィッヒ・フォン・ハラーの思想が彼の故郷ベルンを土じょうと ︵π︶ して生まれたことはよく知られている。小さな共同体における伝統とそこで発展した﹁ゲノッセンシャフト的民主主 ︵娼︶ 義﹂は今日のスイス民主主義の原型となった。 スイスは小国であるにもかかわらず、地形的にも文化的にも驚くほどの多様性に富んでいる。地形的には三つの地 区、すなわち南部のアルプス、北西部のジュラ、その中間にあるミッテルランドから成りたち、これらの三大地区の 内部には、﹁谷、連山、永河と永遠の雪、森と湖、丘と広い平原、庭園のように手入れされた田舎、荒涼とした野生 ︵19︶ の地、町、そして村、といった地形的多様性﹂があり、文化的には、ドイッ語圏、フランス語圏、イタリア語圏の三 ︵20︶ 圏にまたがり、宗教的には、βーマ・カソリックとプ露テスタントが存在する。言語と宗教の組みあわせは複雑であ り、ドイッ語圏のスイス人がすべてカソリックでフランス語圏のスイス人がプβテスタントである、というように単 純な分類をすることはできない。文化的にも社会的にも多様なスイスではあらゆる地域あらゆる分野を支配する多数 勢力は存在せず、ある分野での多数者も、別の地域、別の分野においてはしばしば少数者に甘んぜざるをえない。そ してこのような多様な社会勢力とスイスに独特な政治制度、伝統、気質などが複合的に組みあわされて権力の抑制と 均衡が保たれている。 東洋法学 四九
スイス国家の理念 五〇 ︵鍛︶ ω スイスを特色づける二つの主要な政治制度は直接民主制と連邦制︵ゲマインデの自治を含めた意昧での連邦 制︶である。直接民主制は小国に適した政治制度である。 スイス民主主義の原点は広はんな自治権をもつ小さなゲマインデにおける直接民主制である。都市ゲマイソデを除 ︵2 2︶ くほとんどのゲマインデでは、いわゆる﹁集会制度﹂が採用されており、全有権者からなる集会で政治の重要な決定 がおこなわれている。ゲマインデの民主主義の中心は行政民主主義であり、なかでも特に財務行政への住民参加︵予 算、支出、徴税、決算、財産管理などの分野への参加︶が重要な意味をもっている。 集会による政治はカントンのレヴェルにおいておこなわれるが、その数はわずか五つを数えるにすぎない。ランズ ゲマインデ・カントンと呼ばれるカントンがそれである︵グラールス、アッペンツェル・インナーβーデン、アッペ ンツェル。アウサー揖璽デン、二ートヴァルデン、オプヴァルデン︶。 ごれに対して残りのすべてのカントンとブントにおいては、イニシアティブとレファレンダムによる直接民主制が ︵23︶ おこなわれている。ここでは有権者は一定数の署名を収集すればみずから立法、行政上の提案をなしうる︵イニシア ティブ︶し、議会の決定も義務的あるいは任意的に︵つまり一定数の有権者の署名を収集すれば︶国民︵住民︶投票 に付せられる。連邦憲法は国民によるイニシアティブとレファレソダムについて次のような規定︵︹︺内は筆者に ︵2 4︶ よる補足︶を設けている。 第八九条 ︹法律レファレソダム、条約レファレソダム︺ ︵第一項省略︶
︵25︶ 連邦法律ならびに一般拘束的連邦決議は、五万人の投票有権者たるスイス市民もしくは八カントソが要求する場合、可否が 国民投票に付されなければならない。 第二項の規定は、以下のような国際法上の条約についても適用される。 a期限の定めがなく、撤回通告がなしえないもの。 わ国際機構への加盟を規定するもの。 ︵26︶ c多面的な法の統一を伴なうもの。 その他の国際法上の条約は、両院の決定により、第二項に付されることができる。 集団的安全保障機構または超国家的共同体への加盟は、国民とカントンの票決に付される。 第八九条 協 ︹緊急決議に関するレファレソダム︺ その施行の遅滞がゆるされない一般拘束的連邦決議は、両院おのおのにおける全議員の多数決に基づき、ただちに施行され る。その有効期間には期限が定められなければならない。 五万人の投票有権者たるスイス市民もしくは八カソトンが国民投票を要求し、一年以内に国民によって承認されない限り、 ただちに施行された決議は、それが連邦議会によって可決されてから一年をへた後に失効する。この場合、決議は更新され ることがでぎない。 ただちに施行された、憲法上の根拠に基づかない連邦決議は、それが連邦議会によって可決されてから一年以内に国民とカ ソトンによって是認されなければならない。その他の場合、決議は一年の期限をへた後に失効し、決議は更新されることが できない。 第二一〇条︹憲法全面改正に関するイニシアティブ︺ −二〇万人の投票有権者たるスイス市民が連邦憲法の全部改正を要求する場合、⋮⋮かかる改正がなされるべきか否かの 問題はスイス国民の国民投票に付されなければならない。 東洋 法 学 五一
スイス国家の理念 五二 ︵第二項省略︶ 第一二一条︹憲法部分改正に関するイニシアティブ︺ ︵27︶ 部分改正は連邦法律の立法方法によっても国民によるイニシアティブの方法によっても着手される。 国民によるイニシアティブは、一〇万人の投票有権者たるスイス市民による連邦憲法のある条項の制定、削除、または変更 を包含する。 ︵三項以下省略︶ 第二一三条︹憲法レファレソダム︺ 改正された連邦憲法もしくは連邦憲法の改正された部分は、投票に参加した市民の過半数とカソトソの過半数とにより可決 された場合、その効力を生ずる。 ︵第二項以下省略︶ スイスの直接民主制はいくつかの問題をかかえているがここでは立ちいらない。ただスイスでは、伝統的に国民主 権が強く主張され、その結果、民主主義の行きすぎがよく見られてきたことを指摘しておく。これは直接民主制の限 界の問題の問題であり、憲法の規範性、憲法改正限界論の問題でもある。 直接民主制が小国に適した政治制度とすれぽ、連邦制は多様な社会の統一にもっとも適した政治制度といえよう。 スイスの連邦制はその歴史と社会を反映するいくつかの特色をもっている。 まずスイスでは連邦制は反中央集権主義としてネガティブな意味にとられることが多い。これはアメリカなどにお いて連邦制が個人の自由や少数者の保護に役立つというポズィティブな意味づけを与えられているのとは対照的であ ︵28︶ る。
次にブントとカントンの関係について言えば、スイスではアメリカにおいては見られないような緊密な協力︵共働︶ ︵29︶ 関係が存在する。物事を決定、執行する場合、ブントはカントンの事情をよく尊重し、カントンも又ブントヘの協力 を惜しまない。アメリカにおいては連邦と州の管轄が明瞭に分割されているが、スイスでは両者の境界線はそれほど 明確ではない。スイスではブントとカントンの間の厳格な権力の分割よりはむしろ共働が重視される。この点につき スイス連邦憲法全面改正案︵専門委員会案、一九七七年︶はブントとカントンとの関係を述べた第二章の冒頭に次の ような規定を設けることを提案している。 第四三条連邦忠誠および共働 ー ブソトとカントンは、相互に尊重し、援助し合わなけれぽならない。 2 ブソトとカソトソは、その事務の遂行にあたって相互に援助し合う。両者は、とりわけ合同の計画を通じて共働する。 3 ブントは、法律により、カソトソの近隣的共働を定めることがでぎる。 管轄権の広さを比べた場合、スイスのブントは他の連邦制の国々に比して経済、社会福祉の分野においては比較的 ︵30︶ 広い権限をもつ一方、徴税や警察の分野においては狭い権限しか与えられていない。 カントソの強い国家意識もスイスの特色としてあげられる。連邦国家の成立によりカントンは以前のような国家性 を否定された。しかし依然今日においても、一九世紀に見られたと同程度でないにせよ、カントンの主権や国家性を ︵磁︶ 9 ・ 。 主張する者は少なくない。カントンは今日においてもなお、﹁スイスの精神生活のかまどの火﹂であり、スイス人の ︵32︶ カントンに対する帰属意識は抽象的なスイス国家への帰属意識よりも強い。
東洋法学
五三スイス国家の理念 五四 このような社会と政治制度をもつスイスの国家理念︵国家のあり方についての基本観念、国家の目標、スイス憲法 における基本原理︶についてケーギ⋮は次のように述べている。 ニ スイスの国家理念は歴史の所産である。スイスの国家理念は五つの自由や原理−個人の自由︵自由主義の原 理︶、政治的自由︵民主主義の原理︶、連邦的自由︵連邦主義の原理︶、法治国家の原理、社会国家の原理1の総体 ︵器︶ として理解される。 ︵謎︶ ω 個人の自由 ①︵個人の自由︶人間は自由と尊厳をもっている。だがこの自由と尊厳は国家に由来するものではない。侵すべ からざる人間の尊厳は人間の人格的存在に由来する。人間が人格的存在であることは、みずから物事を自由に決定し、 その決定に対して責任をとりうることを意味する︵前述︶。 自由権はこの自由と人間人格の尊厳を国家権力の侵害から法的に保護するものである。自由権は前︵超︶国家的性 格をもっている。個人の自由権は基本的には国家の制限をうけない。これに対して国家の管轄権は、基本的には限界 づけられている。自由権は永久規範であり、絶対規範である。それは単に政治的、法倫理的に永遠であるのではない。 それは法的にも永遠の性格をもっている。憲法制定権者は自由権を承認し保障しうる。だが制定権者は自由権を拒否 することはできないし、排除することは許されない。自由権はスイス憲法の根本規範であり、憲法の部分改正によっ ても全面改正によっても侵すことのできない絶対的憲法体系に属している。 ② ︵個人の自由と政治的自由および連邦的自由︶ 平等の理念や社会国家の理念が個人と対立するものとして理解
され、エガリタリスムス的な国家主義的な傾向が民主主義と同置される場合、個人の自由は政治的自由と矛盾する概 念となる。その場合、個人の自由は前︵超︶国家的性格が否定され、社会正義と平等が個人の自由に優先する。他方、 民主主義がマス・デモクラシーのイデオにギ璽により絶対化され、多数の支配と同置される場合、国民主権は絶対化 され政治的自由は個人の自由に優先する。だがこれらの理解はいずれも誤っている。個人の自由と政治的自由の間に は密接な関連性がある。個人の自由が認められないところでは民主主義は存在しない︵二つの自由の内部的関連性︶ し、国民の民主的意思が形成されるためには個人の自由が保障される必要がある︵機能的関連性︶。民主主義は国民 各人の自由な意思に基づくものであり、民主主義の進歩は個個人の法意識によるところがおおい︵精神的関連性︶。 ﹁人格的民主主義﹂︵唱霧9巴鱗ぎ竃U。簿○ξ蝕。︶のみが民主主義として存在しうる。 個人の自由と連邦主義も相互に密接な関連性を有している。個人の自由は連邦主義の前提である。自由主義は社会 を連邦的、多元的に構造化するための前提である。小さな共同体は人問の自由と尊厳の保障に役だち、マス化、脱個 人化の防止に役だつ。中央国家の権力が連邦的構造︵連邦国家、ゲマインデの自治︶によって相対化されている場合、 個人の自由も一層保障される。連邦主義は﹁人格的連邦主義﹂としてのみ存在しうる。 ︵35︶ ㈲ 政治的自由 ①︵民主主義の原理︶民主主義は市民のすべてを政治の共同責任者、共同決定権者とする点で最上の国家形態で ある。だがそれはもっとも困難な国家形態でもある。民主主義は1個人の自由、2政治的権利、3法の下の平等、4 国民主権、5国民によって選挙された議会、6責任内閣制、7最高級公務員の定期的選挙、8多数決原理、9公開の 東洋法学 五五
スイス国家の理念 五六 原則、10自由な批判と反対、n政党の自由な結成、12法治国家の原理、の総体として理解される。 政治的権利 能動的市民は政治的権利を共同行使することを通じて政治の主体となる。民主主義の下においては国 政の最も重要な問題、とくに憲法の制定と改正は国民みずからによって決定される。国民はイニシアティブやレファ レンダムを行使し、また選挙に参加する。国民は国民自身により投票で選ばれた公務員に従い、国民みずからが立法 過程に参加した法律に従う。国民の政治的権利は国民一人一人が政治的能力をもち、批判的思考能力を備えている場 合に実効的なものとなる。民主主義が成立するためには国民各人が自由と自己決定の意思をもち、政治的判断能力、 節度や社会的責任の精神、合法性や合憲性の意味認識をもっている必要がある。 ゆ お ゆ ロ 国民主権 国民主権の原理は民主主義国家においても過度に強調されてはならない。国民主権原理は前︵超︶国家 的権利による制限をうけている。憲法は政治秩序の本質的なものに注目した長期的展望にたつ清浄化された国民意思 である。それゆえ憲法が尊重されるということは国民の意思が尊重されるということでもある。憲法に明らかに違反 する内容のイニシアティブは国民の意思ではない。 ゆ ゆ の る ゆ 多数決原理 多数決原理は相対的に見て、民主的な意思探求の技術としては最上のものである。しかし多数は絶対 的でもなけれぽ全能でもない。民主主義を単なる多数の支配と同視することは危険な単純化である。多数決は民主的 な技術ではあるが、その本質ではない。民主主義の根本価値は自由や社会における責任を真剣に自覚する人間人格で ある。法治国家的民主主義は国民がみずからを制限する形態であり、その本質は多数がいかに合憲的少数をとりあつ かうかという点にある。
② ︵民主主義と法治国家︶ 民主主義を決断主義的・全体主義的に理解すると、多数︵国民︶は全能とされ、多数 は無制限の管轄権をもつものとされる。民主主義の本質は﹁五一%の支配﹂に還元され、民主主義と法治国家の関係 は二律背反的に理解される。しかしこのような考え方は誤っている。 民主主義と法治国家は矛盾なく統合される。民主主義は法治国家的民主主義の形で理解されなけれぼならない。法 治国家的民主主義は決断主義との対比において以下のように特徴づけられる。まず、 1民主的多数の決定は絶対的ではない。 民主主義は管轄権の秩序を必要とする。国民は法治国家の根本価値に拘 束され、規範による制隈を受けている。憲法制定権者としての国民もまた一つの管轄権を行使するにすぎない。国民 の権力がなんらの制限もうけないという思想は論理的にも歴史的にも絶対主義思想に属するドグマである。これに対 して規範的・法治国家的思想は法治国家の絶対的・実質的根本規範の体系から出発する。 2民主的多数はすべての管轄権をもつものではない。 前︵超︶国家的規範が認められていない所では管轄権は内 容的に何らの制限もうけないが、民主的法治国家においてはこのような考えはとることができない。 3民主的多数も法の形式に拘束される。 決断主義は規範や形式に敵対的である。すべて規範的なものは静態的で 創造的な流動性を止揚するものとされ、すべての形式は本来的なものを制限、抑制、緩和するものとされる。歓呼が 民主的な意思を現わす偽りのない形式と見られるのに対して、法治国家のすべての秩序、とくに秘密選挙、秘密投票 などは民主主義を合理化、私物化する偽物としてとらえられる。だが法治国家は単なる形式でも偽物でもない。民主 的支配は法治国家の秩序により永続的に保護され、個人を中心とする多数意思は法治国家のなかで形成される。民主 東洋法学 五七
スイス国家の理念 五八 ゆ り 主義は何らかの多数が形成されることではなく、個人の判断能力と責任が可能な限り発揮でぎることである。民主主 義の実現は、法に対する畏敬の念、より包括的にはノモスに対する畏敬の念をもった国民においてのみ可能である。 決断主義は国民の権力の一元化を主張する。だが、 4民主主義は権力の分割が存在するところでのみ存在しうる。権力の分割は古典的な意味での機能分割だけを意味 するものではなく、さまざまな形で存在しうる︵後述︶。 5多数の決定は当然正しいとは限らない。 多数意思は正しい、したがって多数の決定に誤りはないという思想は 民主主義を非人間的で閉鎖的で権力主義的なものにする。だが多数もまた誤りをおかすことがある。民主的法治国家 は開かれた社会である。正義は多数の意思に対して開かれている。正義が決定をおこなうのであり、決定が正義をつ くるのではないという思想が行きわたっていれぽ、多数は行ぎ過ぎた行動をとらないし、人間的でありうる。 6民主主義は人間的な秩序である。 民主主義の目標は﹁自由な人問の自由な共同体﹂である。法治国家は政治的 に成熟している国民が自己の限界を認識する秩序である。 ︵36︶ ⑥ 連邦的自由 ①︵連邦主義の秩序理念︶連邦主義は多様な要素から成りたつ国家を統一する条件である。連邦主義の秩序理念 は相互に絡みあう以下の要素から成りたっている。 1連邦制は多様のなかでの統一、統一のなかでの統一の秩序である。 連邦制は最終的には︵神による︶創造秩 序の多様性と歴史的伝統に対する畏敬の念に根ざしている。連邦制は多様性と、創造的な対立のなかに自由な共同体
が発展する豊かさを認めている。多様性は自由の保障でもある。 2 連邦制は、より小さな共同体の自治を基礎とした秩序である。 連邦制のもとでは小さな共同体は自己決定権 ︵自治立法、自治行政︶を通じて団体の倫理上、言語上、宗教上、経済・社会上の特性を自由に展開、発展させてい く。小さな共同体は共同決定権を通じてより大きな共同体の意思形成に参加する。この共同決定権は小さな共同体の 存立のため自己決定権の保障のために重要な役割を果している。 3 連邦制は、できる限り多くの責任がより狭い地域に共同負担されている秩序でもある。 補完性の原理はすべ ての連邦的秩序に特有である。 4 連邦制は人格的関係が、まだかなりの程度存在する狭い共同体を基礎としている。 真の民主主義は大多数の 市民が被選挙人について、あるいは投票事項について十分な個人判断を行ないうる社会においてのみ可能である。大 国家で民主主義が実現されるためには、その国は何らかの形で連邦的に構成される必要がある。 5 連邦制は自由な意思による団体の結合である。 連邦制は強制や権威に基づく統一的秩序ではない。それは構 成員の自発に基づく自由な結合である。 6 連邦制は少数者との共同生活を自由のなかで可能にする秩序である。 連邦制は多数者の少数者に対する寛容 と少数者間の相互の尊敬のうえに成立している。少数者の権利を保護することは抵抗権の保障に役立ち、国家権力の 絶対化を防止すると同時に多数者にみずからの限界を換起させる。 7 連邦制は分散化された権力秩序でもある。 連邦国家は一種の垂直的権力の分割を通じて国家権力を緩和、矯 東洋法学 五九
スイス国家の理念 六〇 正する。 8 連邦制は反対と抵抗を可能にする秩序である。 9 連邦制は人間的規模の秩序でもある。 それは人間の尺度に適合した共同体である。このような共同体におい ては個人はみずから判断し、決定する広範な可能性を与えられている。連邦的形態は人問性を保ちつつ多数のなかで の統一を可能にする唯一の秩序形態である。連邦制の最終的な意義と価値は人問人格の自由と尊厳であり、より正確 には自由な人間の自由な共同体である。 ② ︵連邦的自由と政治的自由︶ 連邦的自由と政治的自由の関係は個人の自由と政治的自由、民主主義と法治国家 の関係と類似している。二つの自由はゲノッセンシャフトにおいて自由を実現するという共通の目的をもっている。 連邦的自由と政治的自由は相互作用を営んでいる。 民主主義の唯一的、中央集権的、エガリタリスムス的傾向は連邦的民主主義のなかで緩和される。狭い地域のなか において、民主主義はより人格的、より具体的になり、より理想に近い形で実現される。小さな共同体における民主 主義は大ぎな共同体における民主主義の実験でもある。 連邦主義の陥りやすい行き過ぎの地域主義的傾向は民主主義的連邦主義のなかで緩和される。広い地域の民主主義 は連邦主義に統一性の必要と全体への責任を換起させる。 このようにスイスにおいては、個人の自由、政治的自由、連邦的自由の三つの自由は内的に相互に不可分の関係に あり、われわれが﹁スイス人の自由﹂︵淳。浮簿留。 ・ω9毛爵。邑を語る場合、それはただ単に一つの自由を意味する
のではなく、これら三つの自由が共同作用する法的総合状態を指している。 ︵37︶ ㈲ 法治国家、社会国家 ① ︵法治国家の理念︶ 法治国家の理念はその起源からすればスイスで生成されたスイス的な理念ではない。それ ︵3 8︶ は幾つかのすぱらしい国民が権力に対する戦いを通じて作りあげたものである。だが一二九一年の抵抗に見られるよ うに、スイスもこの戦いの歴史に全く参加しなかった訳ではない。法治国家の理念は包括的な理念である。それは形 式的かつ実質的な要求の総体として次のように理解される。 1 国家権力の法的正当化。 これは人による支配を排除し、法の支配を実現することを意昧する。法律は権力の 客観化の手段であり、憲法は国家の法的根本秩序である。国家権力の行使は憲法に基づく限りにおいてのみ正当化さ ︵39︶ れる。 2 国家の管轄権の法的制限︵基本権︶。 自由は国家の管轄権が制限されている場合にのみ存在しうる。法治国家 の国家権力は前︵超︶国家的権利としての基本的人権によって限界づけられている。個人の自由は基本的には無制限 であるが国家の管轄権は基本的には制限されている。 3 平等の原理。 法治国家は人聞人格の自由と尊厳を認めることを要求するが、それはすべての人間により平等 に要求される。 4 国家権力の法的分割。 法治国家は国家権力の法的分割を要求する。国家機能に基づく古典的権力の分割、と りわけ司法権の独立は現代においても重要である。だがモソテスキュ篭の権力分割論は現代に適合した形で再構成さ 東 洋 法 轡子 六一
スイス国家の理念 六二 れなければならない︵ドグマからの解放︶。権力の単なる分離や分割だけが強調されるべぎではない。権力の分割は 単なる機能の三分割に尽きるものではない。現代における権力分割論は分割と融合に基づく包括的秩序理念として理 解されねばならない。権力の分割は古典的な意味での三権分立のほか、制憲権と立法権を区別する二元主義、二院制 に基づく立法権内部の権力の分割、コレギアルシステムその他による行政権内部の権力の分割、公務員の任期を制限 することによる時間的権力の分割、政党間における権力の分割、個人と国家における管轄権の分割、地方自治、連邦 制などによる垂直的権力の分割、教会権力と国家権力を区別する二元主義、社会的権力の分立、その他においても認 めることができる。 5 法律に基づく国家権力の行使。 法治国家においては治者も被治者も法律に従う。合法律性の原理は法治国家 の欠くべからざる要求である。だが合法律性は、自由、平等、正義などの実質的基本要求に奉仕するにすぎない。 6 特別な権限を付与された機関による法的保護。 法治国家は特別に有効な方法で権利が保障されている法共同 体である。この場合とりわけ重要なのは個人の象蕊舞彗9男9辟の保障と裁判官の独立である。 7 国家権力の行使に対する法的責任。 法治国家にとって﹁すべての権力は単なる借りものの権力にすぎない。﹂ それゆえ国家権力の濫用は民法上、刑法上、国家法上その責任を追求されなければならない。法の支配は責任政府の もとでのみ実現される。 8 正義に向けられた国家行為。 法治国家はいわゆる﹁正義の国家﹂とは多少異なるものである。だがそれは制 限された管轄権の範囲内で正義に向けられた法を通じて行動する国家である。
9 民主的立法。 法治国家は少なくとも国家の基本的な法の制定に市民が参加する国家である。市民は自己が服 する法秩序の形成に参加しうる場合にのみ自由でありうる。法治国家は政治的に成熟している国民がみずからを制限 する秩序である。 ②︵社会的法治国家︶法治国家は社会的法治国家でなければならない。だがこの社会的法治国家の要求は自由主 義的法治国家の場合ほど単純で明確なものではない。 社会的法治国家は極端な個人主義や集団主義のアンチテーゼである。社会的法治国家は一方においては基本権や権 力の分割を含む法治国家の幾つかの基本原理を維持している。だが他方、それは自由主義的法治国家にも増して正義 の実現に努力をはらう。社会的法治国家の重要な任務は国家の管轄権を必要な限り拡大しつつその管轄権を新たな見 地から制限することである。正しく理解された広い意味での連邦主義は社会的法治国家の保障に役だつ。 むすび 以上スイスの政治状況に注意を払いながらヴェルナー・ケーギ1における国家の理念を簡単に紹介してきたが、も はや彼の理論を要約する必要はあるまい。ここでは最後に彼の理論の特色を簡単に述べてむすびにかえたい。 まずケーギーの国家論、憲法論の基礎にはキリスト教思想がある。そしてこのキリスト教思想に基づく人間人格の 自由と尊厳を保障し、自由な人問の自由な共同体を実現することが彼の思想の中心をなしている。その結果、ケーギ ーは権力や自由の限界に特別な注意を払っている。彼の理解の仕方は常に包括的であり、権力分割論に典型的に見ら
東洋法学
六三スイス国家の理念 六四 れるようなドグマからの解放を力説する点も特徴的である。ケーギ⋮の思想は、ヨー津ッパにおける自然法思想、自 由主義思想、法治国家思想の流れを組むものであるが、そこには常にスイスの憲法史、政治現実からの教訓がとりい れられている。
丁注
) ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ これは彼の博士論文として書かれたものであり、原題は次のとおりである。 〆謎㌍≦oぎ鐸N畦国馨警魯g鑛︶≦き山ξお¢β創頃増o営03鶏弊留ωQO≦巴3簿o一ぎ謎の嘆ぎNなo。。●観⇒瀬嘗お凶霧く霧− ㌶器蛋昌u鳥q 。α⇔o零獣魯$娼5創く窪貯も q。 Qq雛σq。 陰一〇ぼo●9。 。幹N簿坤魯一8S 男閃。馨Rの分類によれば、ヶーギーの立場は竃繋鍛qぴ窪︵る刈令お8︶︶U鐸誉げo o。鐵&響︵冨8ーあ由︶などと共 に・露窪艮霧峯葺瑛・魯饒島纂無豊巴霧o o欝舞a窪ぎ⇒に属するという。 犀窪琴さ頃&きご簿く窪鍵。 。鐸雛αQ。 。び轟増属一導の貫鈴参器9臼9窪ごg犀窪αゆ触ω3≦o齢帥簿お●φ添α8.瞬帥げ旨蝿雛伍Rけ。U募。 N驚勘9一80 0”o Q・鳶Oム鼠● 望Φ<R㌶。。弩昌α9巴り 。濡魯良900貰⇒αo箆雛縄5αq儀塁館鶏8。 。・d馨建巽畠g類守貸窪ゆぴ霧儀団o国箕≦一〇鉱償爵σQ。 。酔窪幽o籍窪凶3鋸? 儀○簿窪<R獄器瓢鄭σQ。 。諺9蛭類替惣一紳碧一︵︶霧。 。o鐸淳N驚一3おホ︵2窪α毎島U鴛濤の寅簿お嵩い鋸諦○ぎo簿く自≦o旨巽欝20午 α鐸島︶・ 拶9簿路お窪山窪<〇一匿鼠鉱薮お騨銭蜀弩芭謬爵一睾︵匹p浮一箒αqN弩ぎぼ¢︿曾α霧ぎ富窪9窪o Q。窪き犀睾︶。Nの拶 2団謡︵一〇8︶類いo o。蕊O㌣o ooo鼠, Qg8置窪鋸ゲ鶏山窪山窪影琶山o鴇霧g鎧ヨ智ψ鉱8亭譜昌餌溶一〇。。8挙溝涛o一山RωΩ昌儀霧く窪鍵ω。 Q瓢昌αqv一Sな o︵一ま評馨Nα。 。嘗富 飴びo誘o欝蕊o 農3罫器諭蒔①露昌αq窪鈴鐸魯貯のH欝一一〇融ψ90鈴ぴo駿o欝けy 鵠餅盈一Pd試。芝娠毘9≦璋①噌\の魯ぎ臼&豊o鼠&●竃⑦霧魯o鴇①倉8閏&o声諄導器U②置o搾声自9津。 Q緩。浮浮鎧導ざ。︵7︶ ︵8︶ ︵9︶ ︵10︶ ︵亘︶ Q魯鰻馨お<o躊≦o簿窪溶箇αqいN簿幽9一SPω.図, 正確に言えば、一八四八年憲法が全面改正されて現行の一八七四年憲法になった。なおこの一八七四年憲法も現在は全面 改正作業の途上にある。憲法の全面改正については、たとえぽ以下の文献を参照。 ︾ぎo富αq貰℃篇塗擁島①<oき窪包葺おo営霧弓o欝一8︿鉱呂αR切轟鼠の。 。︿R貯。 Q。 a以轟●︸δけ≦o簿窪鎚亀島①翠お窪留融>吾・肥 房磯鐸℃鷲●α頃轡傷9膨o露一〇8、ぢざ。 肩g鐵誘く嫁8山無頃瓢昌αo。 陰く窪貯の鶏轟⋮繰鋤&簿20凶⇒船Nω卿Z司c o刈︵瞬800︶ポo Q.q 。刈o o占c oド 日g巴器く霞o昌儀霧φ自昌似o鴇窪鑓。 。。 。綴謎ーN弩U討匿霧。 陰繭8σq霧鼠ぎNω男2団雪︵一So o︶酬ω・トo鷺ー鴛oo・ 目巷鼠gぎ簿鼠裟睾鍍嫌くoき。&齢弱お・ぎR目o邑3︿霞gα霧膨鎚民窃くR酵。 億舅堕くR勢ψ償鑛の窪薯貫め望導一S8邦 訳小林武﹁スイス連邦憲法全面改正案︵専門委員会案一九七七年︶︹仮訳︺﹂南山法学︵一九七九年、三巻二号︶。 ラソズゲマイソデ︵びき盛σR。欝鉱&o︶とは、ごく一般的に言えば、スイスにおいて古くから見られる﹁青空政治集会﹂を 意味する。より正確には、﹁カントソ憲法により有権者にあたえられた選挙権や投票権を行使するためにカソトソの有権 者が集まる集会﹂と定義でぎる。 溶色・菩o茜9蜜毅。90歴§号。。¢q。欝鼠鼠窪α窪の9≦o睡N鼠。 ・9窪溶きε琴・団ぼく窪野。 陰毒α奄。 喩σ⇔。の38︸回象魯窪Oげ窪瑳鼻 。。o坤一8ρU誘●N簿8び一8P幹ooド なおフラソス的罵語法によれば、ランズゲマイソデの政治は﹁直接罠主制﹂︵ピ鋤U亀導8影薮島8。8︶、イニシアティブ とレファレソダムによる政治は﹁半直接畏主制﹂︵び鋤ご侮箏9簿欝器鼠−&璽9旦と呼ばれる︵たとえば国鎧ぎF︸昌母鰹 U邑け8塁簿9δ窪包9冒の簿蘇ぴ筥零簿βま幹︾鶏翻お8︸幹余①本禽●︶が、ここでは両者をともに直接民主制と呼ぶ。 導8♪男獣躍℃。U一〇の9≦色器勢90Uo露oξ象一90犀窪\溶o奮㌶欝おoo歯幹憲● ギ08ぎ昌伽窪o凌窪象oぴ窪ピきαおo臼・鐵号くo露博頓奮︾嘆出お蕊鐸晦脅欝ピ§勢αqo濤oぎ紆覧鶏麟誉︾唱饗震亀”の,ン溌 スイスには﹁半カソトン﹂と呼ばれるカントン︵アッペンツェル・アウサーローデン、アッペンツ鵬ル・インナーローデ ソ、バーゼル・シュタット、パーゼル・ラソトの四つ︶があり、これらのカントンは憲法上は二つで一個のカソトソと算 東洋法学 六五
︵建︶ ︵13︶ ︵鍍︶ ︵お︶ ︵16︶ ︵葺︶ ︵18︶ ︵犯︶ ︵20︶ スイス国家の理念 六六 定されている︵連邦憲法、第一条︶。だが各々を一個のカソトソと算定する場合もあり、この方法によればカソトン・ジ ュラは二六番目のカントソということになる。 くわしくはプβテスタント神学の世界的権威であったスイス人、故図鐵一︾瓢暮窪の書OR9謹讐簿﹁正義﹂を参照。 以下の叙述はケTギーの下記の論文、著作によっている。 一。U8ω3≦oぎ湿謬③霧9一鵜鐸魯N覆<o蓼離簿浮おoα霧2窪窪鴇。一<099窪O⑦。 Q。一猛9践郎ぴ霧&oZ碧算誉αq。 慶速窪一ぎ N霞一9一駅c oいo o●一碧占な oド 緯く舅瓢窪Q盆&冨αq窪諾諭穫鼠。慧R層○簿壁N簿℃o一一静魯窪渓瀞器§。 Q。村窪N霧●因o諭増欝蝕oミ一〇総vの﹂8鳥Oド な。 。U霧国くきσQ象皿簿鶉φ似α器&涛o瑛①号象30ω呂くo議鉱載緩覧o乞o欝。d銭<o崩一欝ψO、一3歯o Q。①Sふ憲● 傘。o ooぼ聾誉ぎP幹謡①甲刈qc o劇の・o oな oO甲o oも o雷● 9津o鋳o津一蓉︸8導器一欝一8円●因oま婦欝鈴艶o①、一8評o Q。Oc oO占c o貸 この点に関する有益な文献としては次のものがある。 ≦亀窪琴斜⇒劇国窪溶弩⇔●男舞国巴く禽一s。N宥睡96q一● 誤9ぎ舘訟§の●ギo艶脅弓o o9≦蝕潤.N辞一9一S掛ω。ま櫓● 雛鶏一ピ&獣αqく8鑓艶窪︵嵩①o 。占o 。瞬︶・ 遷o貯。♪浮欝。国篤霧ど昌σq戯&≦馨臼毯σq欝&o導窪ω欝讐繋誇o誌窪ぎ伍窪も 綾9≦oド目貸艶¢。 QαQo≦麟鷺80 Q。寓窪窪g鼠 男a曾︾N驚一9お出︸ω。一①8霜O● この点につき竃舞H欝び&睾は、スイスは中世のゲノッセンシャフト的民主主義の唯一の活力ある後継者である、と述 べている。 囲導び&o詳窯貴。U欝℃○渥一。 ②9窪ぞ。 。8導o。図器。ぐの葺偉σq鴛什一8ρ幹な 。O. 絹富O Q≦諺○曲8ぎ㎏静⇔U窪息ε韓①馨9浮銭9﹁スイスの風景!多彩な箱庭﹂︵一九六九年︶、九頁。 カントソ・グラウビュンデンにおいては第四番目の国語である獄マソシュ語も話されている。
︵21︶ ︵22︶ ︵23︶ ︵鍛︶ ︵25︶ ︵26︶ ︵27︶ ︵28︶ ︵29︶ ︵30︶ ︵3 1︶ ︵32︶ 注︵8︶参照。 大都市においては住民集会の代りに議会が設置されている。ただしこの場合においても、イニシアティブやレファレソダ ム制度が導入されている。 スイスにおけるカントンとブントの直接民主制の歴史と現状については、関根照彦﹁スイスにおける直接民主制﹂自治研 究︵昭和五二年、五三巻四・五・六号︶参照。 テキストは一九八二年版を使用。 原語は毘αQo導。汐毒号鐵象9。φ毯脅呂。8鉱蓼。 。o 原語は鉱琴窮賞魯齢8増巴o男①9鍍くR。ぎぎ一島9轟お 原語は<○一冨鋤霞。αQ鐸謎︵ぎ筐薮ぎ︶ ピ簿芽︸類○きR幹く○欝Oo幹鐸鼠d謎。嘗留。 。舅αα窪葛。 。簿霧.蜜簿言92湿Qも 心①、お①翻9な 。も 。. 躍。嘗8津一震。No簿邑誘導霧償鼠頴紆欝冴欝霧厨鉱霧ω9≦爵◎H鋭>霧αq。≦§一けoω9吋簿睾琶α労a。pN薄一9お出、 ψ博09 ω。霞鼠一。び望。鼠。ぴ浮け註。鉱qお訟g脅欝窪αgる a9器轄勢9窪男竃霧&弩塁ω9需簿穫竃○葛蓉・雷冨\一3Po 。脅 略O刈⋮“OQ Q卿 H篤びo脅pζ舞QU8。 q$2鴇。9艶30ギo乞①簿鶏鮮号ω。 。島窯。欝o勢。欝⇒団窪。養一一ω臼き.H貸o o声碧毒餌菊。。貰浮絶訪葺亭 σq 帥嵩お刈ご幹一〇 〇9 たとえば次の書における属舅ψ団暮窪の見解を参照。 oQ酔簿鐸お騰葺o置σqo&ω静90Nq超導導o欝き簿︶ωo一〇籔饗β︵類湊卯︶。鳴&R巴営欝仁の−ぎ霧ぎσq。 。。津08ぎ一一〇<8N魯旨α浮旨− 一一9窪φo守謎鎧品窪汐ω○一〇爵霞⇒弩欝N髪δ§αα霧ω魯≦鉱麟窪の9g畷&。欝一眈欝器切き傷囲嵩、おお“ω.一まO● 国①貯①♪男簿N●簿●斜○’9曽O・ ︿象o ooαq①。 。。 。9︾馨睾男鐵財唱℃。Uo奪oぎ鈴瓢o鱗瓢侮頃&窪曽詳謹毯,目貸唱○洋涛留穫ω9≦oドピ欝o露おな 。8の●o oド 東洋法学 六七
︵3 3︶ ︵34︶ ︵35︶ ︵36︶ スイス国家の理念 六八 U一。の鼠≦o甘鑑犀儀簿3rω﹂予零。 参考文献。 一。<R諄。 。毒禦o Q﹂09 ドo o。ぼきぎ蓄ω●o oな 。雷Io 。o 。留● な。 ・U一〇ω9≦①錠露犀鐸弩魯r9な。一本9 麻。頴邑急畠。津。浮。賞U。琴○ξ&の琶伽頴号邑碇欝霧︵くo召<。鮪鋒駐山R9・一αq鐸&一・αq。琶窪浮αぎ一8昌導器穫窪 男・9語・臼鉱霧号鑑け︶●簿”U笛浄。浮簿留の図晋α登霧ぎω9壽一N鼠。 ・9g図g葺頴の護菩。鍔弓頃綴鼠窪嘗ぼ凌窪儀窪 響盈。のく。瀞器毯αq︸ぎ肘翌薦薦。び窪く8α窪篇霧蓬。 Q魯窪寄姦一鼠8⇒α窪。 ・畠器ぎ誉3。嵩d鼠く。議鼓欝♂N普一9一駅o。︶ o Q●蜜︾9︶q㌣①斜8︸①掛①?8。 参考文献。 歴浸oαび窪註巳きの脅。 。評旨鉱。漢霊馨霧募甲〇三〇営α霧U。導o醇蝕①︵鷺8葎算蝕85弱づ山08欝g。 。け鎧韓09象魯窪 拶。響目γ冒窪ゴ92瓢O一か、おホ”ψ。 。・ ドU⑦導oぎ鶏8望一。・9gH&三量践弩羨弩α困亀。婦瓢募臼霧︵o o。露おま肖葺&︿。壱融魯8&霧崔邑︶﹂替村嘗92類Q 一ミ一鎗ρo Q。露占S な。。︾霧α巳一90響o鐘①芦の・O?讐● 令.U・鑓o霞蝕ρ男o圃銭<一。 ・窮β感o一〇欝匿魯2NN2拷﹂まOい鯵Sお呂。 貸寄9奮欝碧き傷d。きo犀黛富︵餌糞凶8鼠。離鼠o 。嘱鴇ぎ㎝。︶.ぎ”U§o寄蝕。麟包拶。。募累器訴蒙駿。猛浄鎧窮8。 Q。び畦韓おく・誉浮8琶鈴Q貯8欝。碁N驚一9一80 。隔o 。・一な 。袴山鳶。 9U・目oぎ鋒の跨盆琴導留︾q凝暮。ー<8塾窪琶伽β窪窪Q①欝鐸窪●ωo&¢轟蔑籍鼻鋤霧伽魯o o。富肉誇器窪28寧 誉げ8劇o 。9鎚げ塁の窪一。鶏︵鵠薮鷲触霧重伍¢村劇a。漢。&麩聾窪肖お聾σq︶︶o Q。。占一﹄令ま。 参考文献。
︵37︶ ︵38︶ ︵39︶ ド層o駿α乱8ぽ津o鋳o詳o o●q♪宅ー8”①70な ouO刈ふc o‘ ドU一〇〇 〇魯≦鑑Nげ鋒齢江霞oゲ︸幹①令①Pざヘド Q心・ご簿頃竃霧箋の臼霧ぴ繋舞畠o貯oN嘗鐸p鉾瞬界吾仁oだ2譲Qo 。超一8掛o o.一8ム8. 傘≦鋤簿簿β09舅鼠o慈静g器噂禦濡葺護撫財蝕凝窪9静魯oNq。 。魯導琴窪鷲ぴoぎωo一〇静q導一Sごo Q●刈よも ρ● 参考文献。 ピ図o島塞寅無ーo Qo臥母㎝欝霧1ψo鉱巴o穫夘09藍酔舞江審簿げgびZ譲Q鵠、δホ︶ω●予P一令一〇 〇。 ドU霧肉o魯諺欝彗鎖討閑o一等Φ詩伽窪響。漣魯。く○辞韓σq︿o構伽霞の。ど一馨o侮。号の図帥鄭8匿N縛一3︿o欝↑繰毯睡一3一︸ o Q8号鼠摸畠沙器α窪も Q9≦鼠零誉鼻窪ピoび誘養鉱葺お“ω’Oムな 。● o。 ・N瑛図糞註島同弩αq儀gも a9≦飢器鼠㎝魯窪閃。3霧鍵鯨霧。 。魯一〇〇癖oo●N拶のZ男醤︵一り呂︶督幹讐c。山o oρ沁濾鵡な 。野 鮮くo⇔似R霞霧旨畠窪U嵩羅一ξ轟賊弩甦簿獄器窪α窪O①≦巴8簿鉱ご壽︵浮の鼠叢8屑g臼gー瓢oま窪8疑ooー髭ま男○学 彰窪y 冒”く窪鍵。。巽訪鵯器o露綴⇔住<o属器弩茜馨呼窪9ぎ一舘頃窪錺o嘗簿鍔琴OρO魯簿馨おε⇒缶騨霧鵠麟ぴ9]Wo毒 お①ごω・一①令一譲. ハプスブルク家に対する原初三邦の抵抗をさす。 ちなみにケ璽ギーは法治国家的憲法︵スイス連邦憲法︶の特色︵理念︶を次の七点に要約している。 1自由の根本秩序としての憲法。 憲法は自由な人間の自由な共同体の根本秩序である。憲法の中心的部分は人間人格の 自由と尊厳を中心にすえた行態規範︵基本権︶である。組織規範ではない。いわゆる国家理念がこの行態規範を構成す るが、この規範は組織規範に対して優越的地位をしめている︵憲法規範の段階性︶。 2国家の法的根本秩序としての憲法。 憲法は単なる道徳的要求の総体でもなければプ律グラムの総体でもない。それは 法的な根本秩序であり、法命令的な規範であり、無条件の強制妥当性をもっている。 3基礎的な秩序としての憲法。 憲法は共同体の本質的事項、とりわけ共同体における人間人格の地位、基礎的な価値、 規範、形式、手続などを規定する。慧法は基礎的な秩序であるので、そこには国家秩序の本質的なものが凝縮されてい 東洋法学 六九
スイス国家の理念 七〇 なければならない。すなわち憲法は簡潔で、明解で、単純でなければならない。 4制限の秩序としての憲法。 憲法の中心的役割は国家権力を制限することにより前︵超︶国家的性質をもつ個人の自由 を最大限に保障することにある。制限の秩序としての根本原理は権力分割の原理である。 5原則として永続的な秩序としての憲法。 憲法は永遠の価値としての基本権を保障するものであり、変わらざるものの 表現である。そしてここから憲法改正の実質的限界が生ずる。憲法が法律と比べてとくに加重された制定手続や改正手 続をもつのもこの理由による。しかし憲法もまた社会の発展に対して常に自由に開かれており、改正手続を通じて変化 する時代に平和的に適応していく。 6国民の自由な同意に支えられた根本秩序としての憲法。 憲法は罠主的に正当化された秩序である。それは自由で法治 国家に秩序づけられた民主的な意思形成手続を経て決定された基本法である。国民がみずからの手で憲法を作成しうる ことは、立法の民主化、行政の民主化の前提条件である。憲法の民主的性格と憲法の規範性との問には経験則上密接な 関係がある。 7主権的な全体秩序としての憲法。 憲法は共同体の大多数の構成員によって認められた共同体全体の秩序である。憲法 は共同体の目的を定め、その目的を実現する手段や方法を規定している。憲法が主権的な秩序であるということは憲法が 国民の主権的意思として外部に対して独立であり、国民がみずからの手で制定、運用することを意味している。 参考文献。 ド も o●c oよ野 ①⇔篭恥CQか○ >亀号簿≦。鴨N霞ω酔墨緩器融㎏簿︵<o導o 。ぎ5伽窪く霞穿馨鑛︶●冒窪ビ92燦Q一ア篤\一零O本ご く韓㌶。 。誓昌撃o o・o o㌣Oc o● N弩ぎ犀N弩く窪穿の蓉σq”<窪餌窪拶&窪鼠おα窪く窪野聲鑛。q畦象巴欝も o齢器昆・ぴg。冒ぼび弩げ2濁O一〇 。\δ禽vg U8ωoゲ≦o貯ゲ蹉齢α鐸零窪︸9刈恥ー醤・ のo再餌鄭圏P幹刈︷な o鈴−謡c o鈴。 <o琴ぴ一〇鋏霧α窪ωぎ欝侮R<R壁の釜ロαqげoぎ窪くo感⇒留慧霧≦簿。冒浮ぴ鎧3Z寓Qqoc o\お①評ω.傘ふS 7壷