はじめに 中井履軒(一七三二~一八一七)は江戸時代後期 に活躍した、懐徳堂学派の儒者である。履軒は自身 の経学研究を整理し、 『七経逢原』を編纂した。 『論 語』に注釈を施した『論語逢原』はその一部である。 本稿の目的は、 『論語逢原』 (以下『逢原』と称す る ) で 仁 の 説 明 に 用 い ら れ る「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁」の用法を通じ、履軒の注釈態度の一端を明らか にすることにある。 履 軒 の「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 の 用 法 は、 湯 城 吉 信 氏 の 指 摘 に よ れ ば「 朱 子 学 の 用 語 を 使 い な が ら も 意 味 は 違 う ( 1 ) 」 の で あ り、 「 朱 子 学 の 軛 くびき か ら 解 き 放 た れ、 自 説 を 形 成 し て い っ た ( 2 ) 」 様 子 を 示 す 典 型 例 で あ る と い う。 た だ し こ れ は、 履 軒 以 前 に「 専 言 」 「 偏 言 」 を 用 い た 程 伊 川 と 朱 子 の 用 法 を、 「 朱 子 学 」 という枠組みで一括りに認識した上での指摘といえ よう。 しかし履軒の注釈には、伊川と朱子の用法を区別 し て 認 識 し た 形 跡 が 残 さ れ て い る。 よ っ て 両 者 の 「専言」 「偏言」の差異を考慮しなければ、履軒の注 釈態度を正しく把握することはできないと考える。 そこで本稿は、まず履軒の理解に従って伊川と朱 子 の「 専 言 」「 偏 言 」 の 差 異 を 整 理 し た 上 で、 履 軒 が如何なる態度でこれらの語を受容したかという問 題について論じたい。具体的には、三者の用法の相 違点と共通点とを明示することが本稿の課題である。 結論として、履軒のいう「専言之仁」 「偏言之仁」 とは伊川の用法への復帰であり、このことから「専 言 」「 偏 言 」 に 関 す る 履 軒 の 注 釈 態 度 と は、 必 ず し
中井履軒『論語逢原』における「専言之仁」
「偏言之仁」
佐
藤
秀
俊
も朱子学を脱却していないことを主張する。 なお『論語』本文の引用及び書き下し文は、中井 履 軒『 論 語 雕 題 懐 徳 堂 文 庫 本 』( 一 九 九 六、 吉 川 弘文館)に基づいている。 一、程伊川の「専言」 「偏言」 まず、 「専言」 「偏言」の履軒以前の用法について 記 す ( 3 ) 。 「 偏 言 」 は、 『 新 唐 書 』 列 伝 第 二「 懿 安 郭 太 后 伝 」 に「 毋 拒 直 言、 勿 納 偏 言( 直 言 を 拒 む こ と 毋 か れ、 偏言を 納 い るること勿かれ) 」とあるように、 「其の内 容 が 中 正 で な い こ と ば 」 の 意 味 で 一 般 に 用 い ら れ ていた言葉であった。これに対し「専言」は、管見 の限り『周易程子伝』巻一の次の箇所が初出であり、 それ以前には見られな い ( 4 ) 。 四德之元、猶五常之仁。偏言則一事、專言則包 四 者 ( 5 ) 。 ( 四 德 の 元、 猶 ほ 五 常 の 仁 の ご と し。 偏 言 す れ ば則ち一事、專言すれば則ち四 者 を包む。 ) 伊川に拠れば、四徳(元・亨・利・貞)における 元は二つのはたらきを有する。一つは「専言」した 場 合 で あ り、 元・ 亨・ 利・ 貞 と い う 四 者 を 包 む 元。 もう一つは「偏言」した場合であり、亨・利・貞と 並ぶ一概念としての元である。つまり元は、包まれ るものの一事であると同時に、四徳を内包し、それ らを代表していう言葉としても用いられる。 そ し て 同 時 に、 こ う し た 元 の 特 徴 と は、 五 常 ( 仁・ 義・ 礼・ 智・ 信 ) に お け る 仁 の は た ら き に も 共 通 す る の だ と い う。 す な わ ち「 専 言 之 仁 」( 仁・ 義・ 礼・ 智 と い う 四 者 を 包 む 仁 ) と、 「 偏 言 之 仁 」 (義・礼・智と並ぶ一概念としての仁)との想定が、 伊川の記述から窺える。 このように伊川は、二つのはたらきを有する 語 ( 6 ) に お け る、 各 は た ら き の 相 対 関 係 を 説 明 す る た め に 「 専 言 」「 偏 言 」 を 用 い た。 つ ま り「 専 言 」「 偏 言 」 は、多義的な語が含む各概念同士の構造を示す役割
を果たしている。この構造を仁に当てはめて示した のが、次の〈図1〉である。 二、朱子の「専言之仁」 「偏言之仁」
―
意味の規定 伊 川 に よ る「 専 言 」「 偏 言 」 と は、 仁 や 元 の よ う な 多 義 的 な 語 が 含 む、 各 概 念 の 構 造 関 係 を 説 明 す る言葉と言うべきものであった。ただし換言すれば、 伊川はあくまでも「仁」という枠組みにおける「専 言之仁」と「偏言之仁」との相対的な関係を示した のみであり、その枠組みに収められた意味について は言及していない。 これに対して朱子は、伊川が示した構造を受容し た上で、その構成要素たる「専言之仁」 「偏言之仁」 に 意 味 を 与 え た。 本 稿 の 主 題 は 履 軒 の「 専 言 」「 偏 言」の用法を明らかにすることであるが、履軒の問 題意識はまさにこの点、朱子が付与した意味の否定 にあると考えられる。 朱子は『論語集注』で、仁の意味を「仁者、愛之 理、 心 之 德 也( 仁 は、 愛 の 理、 心 の 德 な り ( 7 ) )」 と 定 義 す る。 そ し て 朱 子 が「 専 言 」「 偏 言 」 の 語 を 用 い る の は、 そ の 殆 ど が「 愛 之 理 」「 心 之 徳 」 の 解 説 と い う 文 脈 に お い て で あ っ た。 例 え ば 次 の 箇 所( 『 朱 子語類』巻二〇)である。 「 愛 之 理 」 是「 偏 言 則 一 事 」、 「 心 之 德 」 是「 專 言 則 包 四 者 」。 故 合 而 言 之、 則 四 者 皆 心 之 德、 〈図1〉概念図 程伊川の「専言」 「偏言」の構造 専言 偏言 = 仁 仁 義 礼 智而仁爲之主、分而言之、則仁是愛之理、義是宜 之理、禮是恭敬辭遜之理、知是分別是非之理 也 ( 8 ) 。 (「 愛 の 理 」 は 是 れ「 偏 言 則 ち 一 事 」、 「 心 の 德 」 は 是 れ「 專 言 則 ち 四 者 を 包 む 」 な り。 故 に 合 して之を言へば、則ち四者は皆な心の德にして、 仁之が主と爲り、分けて之を言へば、則ち仁は 是れ愛の理、義は是れ宜の理、禮は是れ恭敬辭 遜の理、知は是れ分別是非の理なり。 ) 『 朱 子 語 類 』 は 宋 の 黎 靖 徳 が 朱 子 と 門 弟 と の 問 答 を 整 理 し、 各 部 門 に 分 け て 編 纂 し た も の で あ る が、 本 書 で は「 専 言 」 が 四 十 八 例、 「 偏 言 」 が 四 十 九 例 用いられ る ( 9 ) 。 引用部では、 「愛之理」が「偏言之仁」を、 「心之 徳 」 が「 専 言 之 仁 」 を 意 味 す る こ と が 述 べ ら れ る。 朱子は彼の思想体系における仁の位置について、公 理を含んだ愛( 「愛之理」 )であり、また本来的具徳 (「 心 之 徳 」) で も あ る こ と を、 「 偏 言 」「 専 言 」 の 構 造を用いて説明し た )(1 ( 。ここにおいて朱子は、それま で両者の位置を示し合うのみで完結していた「専言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 に 対 し て、 自 身 の 思 想 体 系 に 基 づく意味を規定したといえる。 しかし履軒の問題意識に従って述べるならば、伊 川 の い う「 専 言 」「 偏 言 」 と い う 仁 の 二 つ の は た ら き は 直 ち に「 心 之 徳 」「 愛 之 理 」 を 意 味 し な い。 仁 が公理を含んだ愛であり、また本来的具徳であると は朱子の思想体系に準じた一解釈であり、あくまで も伊川は「仁・義・礼・智という四者を包む仁」と、 「 義・ 礼・ 智・ 信 と 並 ぶ 一 概 念 と し て の 仁 」 と い う 構造を示したにすぎない。 それゆえ、伊川のいう仁のはたらきを受容するこ とと、朱子の解釈を受容することとは異なる問題と い え よ う。 こ の よ う に、 伊 川・ 朱 子 の「 専 言 」「 偏 言」の用法には、構造のみを示すか、その構造に意 味を当てはめるか、という差異があった。 その一方で、 「専言」 「偏言」を訓詁の用語として 見たとき、両者の用法に共通した重要な特徴がある。 それは、 「専言」 「偏言」が理気論を基にした価値付
与的な言葉だということである。この特徴は、湯城 吉信「 「専言」 「偏言」から「泛言」へ―中井履軒に よる朱子学用語の換骨奪胎―」で次のように説明さ れている。 周知のように、朱子は、形而下の気(目に見え る一切の事物)と対照して形而上の理(その事 物 を 成 り 立 た せ て い る 原 理 ) を 説 い た。 儒 者 と し て 抽 象 理 論 を 振 り 回 す の を 憚 っ た 朱 子 は、 「理は気を離れては存在しない」 「理はすべての 事 物 に 存 在 す る 」 と そ の 具 象 性 を 強 調 す る が、 一方ですべてを包み込む絶対的理の存在を説い ている。仁は、徳の最上位に位置するものとし て包括性を有するという場合、当然「理」が意 識されている。そのような「理」レベルの仁の 「 純 粋 さ 」 を 表 す 言 葉 と し て「 専 」 が 用 い ら れ ているのであろう。つまり、単なる包括を表す 「統」と違い、 「専」は価値付与的な言葉だとい うことであ る )(( ( 。 朱子が用いる訓詁の用語には、 「専言」 「偏言」の 他 に「 統 言 」「 析 言 」 が あ る。 湯 城 氏 は「 仁 」 の 説 明に「統言」ではなく「専言」が用いられた意図を 分 析 し、 「 専 言 」 と は「 絶 対 的 理 」 の 存 在 に 基 づ く 価値付与が意識された言 葉 )(1 ( としており、筆者もまた この意見に賛同す る )(1 ( 。 一 方 同 論 考 で は、 こ う し た「 専 言 」「 偏 言 」 に 内 包される価値判断が履軒において失われ、単に「広 義・包括的」 、「狭義・限定的」を示すようになった と 主 張 さ れ る。 履 軒 と 朱 子 の「 専 言 」「 偏 言 」 の 差 異を価値判断の有無に見出し、これを履軒が朱子学 用語を「換骨奪胎」したという主張の根拠に据える ことに、筆者は賛同しない。 よって次節で特に問題となるのは、履軒の用いる 「専言」 「偏言」に価値判断が含まれるか否か、とい う点である。
三、履軒の「専言之仁」 「偏言之仁」
―
意味規定への批判 以 下 で は ま ず、 中 井 履 軒 が 用 い た「 専 言 之 仁 」 「 偏 言 之 仁 」 に つ い て 朱 子 と の 相 違 点 を 整 理 す る。 その上で、履軒の用法に伊川・朱子と共通する用法 が見出されるか否か、という点に言及してゆく。こ こで三者に共通する用法が確認されたとき、履軒の 用 い る「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 と は、 必 ず し も 朱 子学からの脱却を意味しないことが明示されると思 われる。 朱子と履軒の相違点に関して、先に述べたように 「専言」 「偏言」について伊川のいう構造関係を受容 することと、朱子の解釈を受容することとは異なる 問題である。 この二様の問題について、履軒が伊川の用法を受 容し、さらに朱子の解釈を否定する態度が見出され る の が 次 の 記 述 で あ る( 『 論 語 逢 原 』 の 記 述 に 対 応 する『論語』本文、 『論語集注』の記述を併記する。 以下『論語逢原』の引用時は同様) 。 【 論 語 】 微 子 去 之、 箕 子 爲 之 奴、 比 干 諫 而 死。 孔子曰、殷有三仁焉。 ( 微 子 は 之 を 去 り、 箕 子 は 之 が 奴 と 爲 り、 比 干 は 諫 め て 死 す。 孔 子 曰 は く、 殷 に 三 仁 有 り。 ) 〈微子第十八〉 【集注】三人之行不同、而同出於至誠惻怛之意。 故不 咈 乎愛之理、而有以全其心之德也。楊氏曰、 此三人 者 、各得其本心、故同謂之仁。 ( 三 人 の 行 同 じ か ら ざ れ ど も、 同 じ く 至 誠 惻 怛 の 意 よ り 出 づ。 故 に 愛 の 理 に 咈 もと ら ず し て、 以 て其の心の德を全くすること有り。楊氏曰はく、 此の三人の 者 、各其の本心を得。故に同じく之 を仁と謂ふ、と。 ) 【 逢 原 】 此 專 言 之 仁 矣。 謂 其 所 爲、 合 于 道 理 而德全、無復遺憾 者 。是通同仁義爲言者、與偏言 之仁不同。註乃以偏言之仁作解、不可從。 至誠惻怛、心之德、愛之理、非偏言而何。 ( 此 れ 專 言 の 仁 な り。 其 の 爲 す 所、 道 理 に 合 し て 德 全 く、 復 た 遺 憾 無 き 者 を 謂 ふ。 是 れ 仁 義 を通同して言を爲すは、偏言の仁と同じからず。 註は乃ち偏言の仁を以て解と作すも、從ふべか らず。至誠惻 怛 )(1 ( 、心の德、愛の理は、偏言に非 ずして何ぞ や )(1 ( 。) こ こ で 履 軒 は、 「 心 の 徳 」「 愛 の 理 」 を い ず れ も 「 偏 言 」 と す る こ と で、 朱 子 の〈 「 専 言 之 仁 = 心 之 徳 」 且 つ「 偏 言 之 仁 = 愛 之 理 」〉 と い う 解 釈 を 明 確 に否定する。同 時 に 、「 専 言 」「 偏 言 」 と い う 観 点 そ の も の に つ い て は 受 容 す る 様 子 を 見 る こ と が で き よ う 。 この記述と比較して、例えば朱子学を厳しく批判 したことで知られる荻生徂徠は『辨道』で次のよう に述べている。 宋儒又欲合二 者 之異、乃造專言偏言之目。專言 足以盡一切。偏言足以與衆德對立。庶足以孔孟 之敎並行而不相悖也。是其理學之説、欲瞭然於 言語之間者 已 )(1 ( 。 ( 宋 儒 又 た 二 者 の 異 を 合 せ ん と 欲 し て、 乃 ち 專 言偏言の目を造る。專言は以て一切を盡くすに 足り、偏言は以て衆德と対立するに足る。以て 孔孟の敎へ並び行はれて相 悖 もと らざるに足るを 庶 ねが ふなり。是れ其の理學の説、言語の間に瞭然た らんと欲する者のみ。 ) 徂徠は孔孟の教えが本来異なる性質を有するとい う立場から、 「専言」 「偏言」という観点そのものを、 両者の差異を合わせて解釈するために造りあげられ た言葉と批判する。これに対して、履軒は朱子を批 判する中で「偏言」を用いるように、その観点自体 は受容するのである。 こうしたことを踏まえ本稿が問題とするのは、履
軒 が 用 い る「 専 言 」「 偏 言 」 と は 価 値 判 断 を 含 む 用 語であるのか、それとも価値判断を含まず、単に広 義・ 狭 義 を 示 す 用 語 で あ る の か と い う 点 で あ っ た。 この問いの答えが前者であることを示す根拠に、次 の記述がある。 【 論 語 】 有 子 曰、 其 爲 人 也 孝 弟。 而 好 犯 上 者 、 鮮矣。不好犯上。而好作亂者、未之有也。君子 務本。本立而道生。孝弟也 者 、其爲仁之本與。 ( 有 子 曰 は く、 其 の 人 爲 る や 孝 弟 )(1 ( 。 而 し て 上 を 犯すを好む 者 は、鮮し。上を犯すを好まず。而 して亂を作すを好む 者 は、未だ之れ有らざるな り。君子は本を務む。本立ち而して道生ず。孝 弟なる 者 は、其れ仁の本と爲すか/其れ仁を爲 すの本か/其れ仁を 爲 す るの本 か )(1 ( 。) 〈学而第一〉 【 集 注 】 仁 者 、 愛 之 理、 心 之 德 也。 爲 仁、 猶 曰 行 仁。 …( 中 略 ) … 言 君 子 凡 事 專 用 力 於 根 本、 根本既立、則其道自生。若上文所謂孝弟、乃是 爲仁之本、学者務此、則仁道自此而生也。 ( 仁 は、 愛 の 理、 心 の 德 な り。 仁 を 爲 す は、 猶 ほ仁を行ふと曰ふがごとし。…(中略)…言ふ こ こ ろ は、 君 子 は 凡 事 に 專 ら 力 を 根 本 に 用 ひ、 根本既に立つれば、則ち其の道自ら生ず。上文 の所謂孝弟のごときは、乃ち是れ仁を爲すの本、 学者此に務むれば、則ち仁道此れより生ずるな り。 ) 【 逢 原 】 仁 字、 與 上 文 犯 上 作 亂 相 照。 是 謂 施 行 於外者。意頗汎。非在性中討論。 ( 仁 字 は、 上 文 の 上 を 犯 し 亂 を 作 す と 相 ひ 照 ら す。 是 れ 外 に 施 行 す る 者 を 謂 ふ )(1 ( 。 意 頗 る 汎 し。 性の中に在りて討論するに非 ず )11 ( 。) 引 用 部 の『 逢 原 』 に「 専 言 」「 偏 言 」 は 用 い ら れ な い が、 「 愛 之 理 」「 心 之 徳 」 を 手 掛 か り に 朱 子 の 解釈を批判している。朱子がここでの「仁」は「専 言 」「 偏 言 」 の 両 用 法 を 含 む も の と 解 釈 す る の に 対
し、 履 軒 は こ こ で 述 べ ら れ る 仁 の 意 味 は「 頗 る 汎 」 く、 「 性 の 中 に 在 」 る 仁 に つ い て は 語 ら れ て い な い とする。 朱子学における「性」とは人間に元々備わってい る 理 で あ り、 「 仁・ 義・ 礼・ 智 」 の 四 者 を 指 す。 そ し て 既 に 見 た よ う に 、 伊 川 や 朱 子 は 義 ・ 礼 ・ 智 と 並 ぶ 一 概 念 と し て の 仁 を 「 偏 言 之 仁 」 と 呼 ん だ 。 す な わ ち 履 軒 は 、 こ こ で の 仁 は 「 偏 言 之 仁 」 で は な く 、「 専 言 之 仁 」 と し て の み 判 断 す べ き で あ る と 主 張 す る 。 伊川が述べた「性即理」という言葉が端的に示す よ う に、 伊 川 が 用 い る「 性 」 の 概 念 と 理 気 論 と は、 切 り 離 し て 捉 え る こ と は で き な い。 『 逢 原 』 に お け るこうした朱子学的な意味での「偏言之仁」の用例 は、履軒が「偏言之仁」という概念を理気論との結 合を保ったままに受容したことを示している。 さらに次の『逢原』の記述にも、気に対して理を 実現することに重きを置く、という伊川の思想の影 響が見られる。 【 論 語 】 子 曰 、 志 於 道 、 據 於 德 、 依 於 仁 、 游 於 藝 。 ( 子 曰 は く、 道 に 志 し、 德 に 據 り、 仁 に 依 り、 藝に游ぶ) 〈述而第七〉 【 集 注 】 依 者、 不 違 之 謂。 仁、 則 私 欲 盡 去、 而 心德之全也。功夫至此、而無終食之違、則存養 之熟、無適而非天理之流行矣。 ( 依 と は、 違 は ざ る の 謂 な り。 仁 は、 則 ち 私 欲 盡く去りて、心の德の全きなり。功夫此に至り て、食を終ふるの違ひ無ければ、則ち存養の熟 して、 適 ゆ くとして天理の流行に非ざる無し。 ) 【逢原】依、倚也。謂相倚而行也。 仁偏以行而言。是偏言之仁。寛厚愛利之 類 、是 也。存心於愛物。亦 類 也。 ( 依 は、 倚 な り。 相 ひ 倚 り て 行 ふ を 謂 ふ な り。 仁偏るとは行ひを以て言へばなり。是れ偏言の 仁なり。寛厚愛利の 類 、是れなり。心に物を愛 するを存す。亦た 類 な り )1( ( 。)
こ こ で 孔 子 が い う「 仁 に 依 る 」 と は、 『 集 注 』 の いうような「仁に違わない」ことを指すのではない。 結果としてそれが道理に適ったものであるかを問わ ず、とにかく仁に寄り添おうという意思をもった 行 0 い 0 、それが「仁に依る」ということだと履軒はいう。 つまり履軒は、仁の方向を向こうとした行いそのも の が 仁 で あ る と 考 え、 そ う し た 行 い を「 偏 言 之 仁 」 に当てはめる。 この記述は、先に引用した「専言之仁」の記述に 対応する。履軒は「専言之仁」を「其の爲す所、道 理 に 合 し て 德 全 く、 復 た 遺 憾 無 き 者 」、 す な わ ち 道 理に適い、徳をそなえ、また残念に思うようなこと がないというような、理想的な行いであるとする。 つ ま り「 行 い 」 と い う 観 点 を「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 に 当 て は め た と き、 「 偏 言 之 仁 」 は 単 に 行 動 を 指 す が、 「 専 言 之 仁 」 は 理 想 的 な、 本 来 目 指 す べ き 行 い を 指 す と 履 軒 は い う。 す な わ ち 履 軒 の い う 「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 と は「 広 義 」「 狭 義 」 の 区 分に留まらず、あくまでも「偏言之仁」の果てに目 指すべき「専言之仁」がある、という価値判断が前 提として存在するのである。ここに伊川、朱子、履 軒 を 貫 く「 専 言 」「 偏 言 」 の 用 法 の 共 通 点 が 見 出 さ れる。 では、伊川の用法を価値判断を保ったままに受容 し、朱子がそこに当てはめた意味を否定した履軒自 身は、 「専言之仁」 「偏言之仁」にどのような意味を 規定するか。 『逢原』において「専言之仁」 「偏言之仁」の意味 を規定するような記述は、先に見た「行い」の観点 に よ る も の の み で あ る。 し か し こ の 記 述 に 従 っ て 「 偏 言 之 仁 」 を「 行 い 」 と 捉 え た と き、 朱 子 の い う 「心之徳」 「愛之理」が「偏言」であるという主張を 覆 う こ と が で き な い。 よ っ て「 仁 の 偏 る は 行 い を 以 て 言 う 」「 此 れ 專 言 の 仁。 其 の 爲 す 所、 道 理 に 合 して德全く、復た遺憾無き者を謂ふ」という規定は、 あ く ま で も「 仁 の 行 い 」 と い う 観 点 を「 専 言 」「 偏 言」に当てはめたものと捉えるべきであろう。
このように考えると、履軒は朱子の解釈を否定し た の み で あ り、 自 身 で は「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 に意味を規定していないことになる。しかしこれこ そが、履軒の「仁」に対する姿勢であったのだろう。 宇 野 田 尚 哉「 中 井 履 軒『 論 語 逢 原 』 の 位 置 」 で は、 『 論 語 逢 原 』 に お け る 仁 の 扱 わ れ 方 を 次 の よ う に 説 明している。 『 論 語 逢 原 』 を 精 査 し て み れ ば わ か る こ と で あ る が、 〈 仁 と は そ も そ も 何 で あ る の か 〉 を 積 極 的 に 語 り 出 し て こ よ う と す る よ う な 解 釈 と は、 履軒は全く無縁である。語用論的視点に立ち仁 を問われた際の孔子の応答の多様性に注目する 履軒には、仁の本質を規定するような解釈が臆 見的解釈に終わらざるを得ないことが、はっき りと認識されているからであ る )11 ( 。 『 論 語 』 に お い て、 孔 子 が 仁 を 問 わ れ た 際 の 対 応 は一定しない。つまり孔子その人が仁の意味を規定 していないのだから、読者による明確な意味規定は 原理的に不可能である。 履軒はこのような立場から、朱子による意味規定 を臆見的なものとして否定した。そして自身もまた 意 味 を 規 定 せ ず、 「 専 言 」「 偏 言 」 と い う 構 造 に 当 て は め る こ と に よ っ て し か 仁 を 説 明 し な い こ と で、 『 論 語 』 に 対 す る 臆 見 的 解 釈 か ら の 脱 却 を 試 み た の だろう。 おわりに 程 伊 川 は、 仁 の 二 つ の は た ら き の 関 係 を 構 造 に よって説明した。 「専言」 「偏言」とはその構成要素 に付与された用語である。伊川は理気論的な価値判 断に基づきながら、この二語によって「四者を包む もの」と「包まれるものの一事」という仁のはたら き同士の相対関係を示した。 朱 子 は こ の 構 造 を 基 盤 と し て、 「 専 言 之 仁 」 に 「 心 之 徳 」、 「 偏 言 之 仁 」 に「 愛 之 理 」 と い う 意 味 を 付与した。このように伊川と朱子の用法は同じ構造
の枠組みを持ちながらも、仁の二つのはたらきに本 質的な意味を規定するか否か、という点で異なって いる。 履 軒 の 注 釈 も ま た、 両 者 と 同 様 に 理 気 論 的 な 価 値 判 断 を 含 む 構 造 の 上 で 施 さ れ た。 し か し、 朱 子 が「専言之仁」 「偏言之仁」に当てはめた「心之徳」 「 愛 之 理 」 と い う 意 味 規 定 に つ い て は 批 判 し、 自 身 も ま た 意 味 規 定 に あ た る 言 葉 を 与 え な い の で あ る。 す な わ ち 結 果 と し て、 履 軒 の「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁」の用法は伊川の用法へと復帰したものであった といえよう。 ま た、 こ う し た「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 の 用 法 は、履軒の折衷的態度を顕著に示すものであったこ とを付け加えておきたい。 加地伸行氏は、履軒の『論語』に対する根本的態 度 と は「 『 論 語 』 に 対 し て 無 理 な 解 釈 を 加 え ず、 率 直にして自然な理解をしようとするも の )11 ( 」であった とし、ここに朱子学派との差異を見出している。た しかに、履軒が朱子による無理な解釈を忌避したこ とは、本稿で確認してきたことからも明らかである。 ただし履軒は、こうした根本的態度を有した一方 で、 慎 重 な 検 討 の 上「 専 言 」「 偏 言 」 と い う 伊 川 を 源流とした用語については受容する。こうした態度 は、 た と え ば「 専 言 」「 偏 言 」 の 観 点 そ の も の を 拒 否した荻生徂徠・伊藤仁斎らのような、古学派と呼 ばれる儒者たちとは一線を画する。 それゆえ彼ら古学派との比較において述べるなら ば、 し ば し ば 履 軒 の 仁 解 釈 は、 「 朱 子 学 的 解 釈 」 を 継承したとも言うべきものとなるのである。こうし た解釈の具体的な様子については、別稿で論ずるこ ととしたい。 * 本 稿 に お け る『 論 語 』 本 文 及 び 書 き 下 し 文、 『 論 語逢原』本文の引用は次の①に拠った。また『論 語集注』本文は②、書き下し文の引用は③に拠っ た。なお引用に際しては、本文及び書き下し文は すべて歴史的仮名遣いとし、漢字表記は旧字体と
した。句読点などについては、一部改めたところ がある。 ①中井履軒『論語雕題 懐徳堂文庫本』一九九六、 吉川弘文館 ②『 朱 子 全 書 第 六 冊 』 二 〇 〇 二 、 上 海 古 籍 出 版 社 ③ 土 田 健 次 郎 訳 注 『 論 語 集 注 1 』 二 〇 一 三 、 平 凡 社 土 田 健 次 郎 訳 注 『 論 語 集 注 2 』 二 〇 一 四 、 平 凡 社 土 田 健 次 郎 訳 注 『 論 語 集 注 4 』 二 〇 一 五 、 平 凡 社 *本稿は「二〇一八年度中国文化学会大会」におけ る 口 頭 発 表 を 基 に、 加 筆・ 修 正 し た も の で あ る ( 二 〇 一 八 年 六 月 三 〇 日、 山 形 大 学 小 白 川 キ ャ ン パ ス )。 当 日 ご 意 見・ ご 質 問 を 下 さ っ た 方 々 に 謝 意を表したい。 (注) ( 1) 湯 城 吉 信「 「 専 言 」「 偏 言 」 か ら「 泛 言 」 へ ― 中 井 履 軒 に よ る 朱 子 学 用 語 の 換 骨 奪 胎 ―」 (『中国学の十字路―加地伸行博士古希記念論 集』二〇〇六、研文出版)七一〇頁。 (2) 同上、七〇三頁。 (3) 向世陵「仁的 ‶ 偏言 ‶ 与 ‶ 専言 ‶
―
程朱仁 説 的 専 門 話 題 」( 『 中 国 哲 学 史 』、 二 〇 一 八 ) は、 伊 川 と 朱 子 の「 専 言 」「 偏 言 」 の 用 法 や 特色を詳細に論じている。本稿は同研究を参 考 と し つ つ、 『 論 語 逢 原 』 を 解 釈 す る 上 で 問 題となる点にのみ焦点を当て、概説している。 ( 4) 「 専 ラ ~ 言 フ 」 の 形 は 散 見 さ れ る が、 「 偏 言 」 と対応する用語としての「専言」は見えない。 詳しくは(注9)を参照されたい。 ( 5) 『 周 易 程 子 伝 』( 『 二 程 集 』 一 九 八 四、 中 華 書 局)六九七頁。 (6) 「仁」 「元」に二つのはたらきを見出すことは 伊川の解釈であり、必ずしも広く認められたものではない。本稿第三節で引用した荻生徂 徠の記述は、こうした見方に反対する立場の 一例である。 (7) 『論語集注』学而篇、第二条。 ( 8) 『 朱 子 全 書 第 十 四 冊 』( 上 海 古 籍 出 版 社、 二〇〇二)六九三頁。 ( 9) 「 専 言 」 は、 仁 に つ い て い う 専 門 の 用 語 と 思 わ れ る 例 の み を 数 え た。 除 い た の は ①「 夫 子答葉公之問政者、専言其效」 (論語二十五、 子 路 篇 ) の よ う に「 専 ラ ~ 言 フ 」 の 形 で 用 いられている例、また②「夫天、専言之則道 也 」( 易 四、 乾 上 篇 ) の よ う に、 天 を 説 明 す るとき「専言之則道」という用語の中で用い ら れ る 例 で あ る。 な お、 「 専 言 之 則 道 」 は 六 例確認できる。 ( 10) 『朱子・王陽明』 (世界の名著・続四、中央公 論社、一九七四)二〇〇頁参照。 ( 11) 湯 城 吉 信「 「 専 言 」「 偏 言 」 か ら「 泛 言 」 へ ― 中 井 履 軒 に よ る 朱 子 学 用 語 の 換 骨 奪 胎 ―」 (『中国学の十字路―加地伸行博士古希記念論 集』研文出版、二〇〇六)七〇六頁。 ( 12) なお、 『朱子語類』二〇巻には「 『心之徳』是 統 言、 『 愛 之 理 』 是 就 仁 義 礼 智 上 文 説 」 と い う 記 述 が 見 ら れ る が、 こ こ で の「 統 言 」 は 「 析 言 」 と の 対 比 を 為 し て い な い こ と か ら 「 統 ベ テ 言 ヘ バ ~」 の 意 味 と 捉 え る べ き で あ ろう。 ( 13) 上述したように、 「専言」 「偏言」をはじめて 「 仁 」 の 説 明 に 用 い た の は 伊 川 で あ っ た。 し たがって「仁」の説明に「専言」を採択した のが朱子であるとする点は再考を要するだろ う。ただし、たとえば孔穎達『五経正義』に お け る「 対 文 」「 散 文 」 の よ う に、 伊 川 以 前 に も「 専 言 」「 偏 言 」 の よ う な 構 造 関 係 を 示 す 用 語 は 存 在 し た の で あ り、 伊 川 に も ま た 「専言」 「偏言」を採択する過程があったと判 断することは不自然でないと思われる。 ( 14) 履軒は「愛之理」 「心之徳」のみでなく、 「至
誠惻怛」をも「偏言」としている。併記され た三語は、いずれも朱子が仁について説明を 加えた部分であることから、履軒は〈説明さ れ得る仁〉を「偏言」と捉えたことが示唆さ れる。この点については、稿を改めて検討を 加えたい。 ( 15) 『論語逢原』微子篇、第一条。 ( 16) 『大日本思想全集 第七巻』 (一九三一、大日 本思想全集刊行会)二二頁。 ( 17) 引用部の書き下しは『論語雕題 懐徳堂文庫 本 』( 一 九 九 六、 吉 川 弘 文 館 ) の 読 法 に 拠 っ たが、これは必ずしも広く認められたもので はない。通例に従うならば「有子曰はく、其 の人と爲りや孝弟にして、上を犯すを好む 者 は鮮し。上を犯すを好まずして亂を作すを好 む者は、未だ之れ有らざるなり。君子は本を 務む。本立ちて道生ず。孝弟なる 者 は、其爲 仁之本與」のようになるであろう。また「其 爲仁之本與」については次注を参照されたい。 ( 18) 引用部の書き下しについて、特に読法の分か れ る「 其 爲 仁 之 本 與 」 に つ い て は、 『 論 語 逢 原』に加えて『論語集解』 ・『論語集注』のも の を 併 記 し た。 『 集 解 』 で は「 其 れ 仁 の 本 と 爲すか」 、『集注』では「其れ仁を爲すの本か」 、 『逢原』では「其れ仁を爲るの本か」となる。 ( 19) 履 軒 は「 専 言 之 仁 」「 偏 言 之 仁 」 の 他 に「 施 行之仁」 (『論語逢原』衛霊公篇)という言葉 を 用 い て い る。 「 施 行 之 仁 」 と「 是 謂 施 行 於 外者」との関わりについては、稿を改めて検 討を加える必要がある。 ( 20) 『論語逢原』学而篇、第二条。 ( 21) 『論語逢原』述而篇、第六条。 ( 22) 宇 野 田 尚 哉「 中 井 履 軒『 論 語 逢 原 』 の 位 置 」 (『懐徳』六二号、一九九四)六〇頁。 ( 23) 加 地 伸 行「 中 井 履 軒 の『 論 語 逢 原 』 に つ い て」 (『大阪の都市文化とその産業基盤 共同 研究論集 第一輯』一九八五、大阪大学)九 頁。なお、ここで議論の対象とされる「朱子
学派」とは、履軒の師・五井蘭洲や、兄・竹
中井履轩是活跃于江户时代末期的一位怀德堂学派的儒学家。履轩把 自己的经学研究总结在《七经逢原》,而把对论语的注释总结在《论语逢 原》之中。而本文的目的,是沿用《论语逢原》之中有关“仁”的解释, 探明有关“专言之仁”与“偏言之仁”的用法。 汤城吉信指出,履轩的“专言之仁”与“偏言之仁”的用法与朱子学 传统用语的含义不一。它是从朱子学的桎梏中解放出来,成自家之言的一 个典型。只是,在履轩之前,程朱关于“专言”与“偏言”的用法是在朱 子学这一总体的框架下的理解。 但是笔者认为,履轩关注的是对程朱用法的附加的领域进行批判。如 若不对程朱的“专言”与“偏言”的不同进行充分认识的话,便无法形成 对履轩的注释的正确理解。 因此,本文首先会以履轩的角度出发,论述其理解与程朱的“专言” 与“偏言”的差异。并在此基础上,分析履轩一面上否定朱熹的附加用 法(“心之德”“爱之理”的定义),另一面却沿用程伊川的用法(“包四者” 与“一事”)的原因。 从结论上说,根据履轩对“专言之仁”与“偏言之仁”用例注释的态 度来看,笔者认为这并不意味着履轩完成了对朱子学的彻底分离。 关键词:《论语逢原》,专言,偏言,懐徳堂,折衷学