もともとわが国でコンプライアンス (法令遵守) という概念が注目されはじめたのは, 1990 年代 に入って頻発した金融・証券不祥事のためである。 すでにアメリカでは, 1970 年代の中ごろに 「エ シックス・オフィサー協会 (EOA)」 が設立され ており, 企業倫理やコンプライアンス担当の役員 たちが自己研修や啓発活動を始めていた。 一方, 日本でも, すでにそのころ有力企業においては, 企業の法務対策が法務戦略などと呼ばれるほど, 法律に関する意識は高まる傾向にはあった。 しか し, そうした法律重視は 「予防法務的」 でリスク 管理的なものであり, 従業員の人権擁護などより も暴力団, 事故, 欠陥製品の訴訟などに備えたも のにすぎなかった。 それに対して, 金融業界の新 たなるコンプライアンスにあっては, 関係官庁の 厳密な行政のもとで, 巨額の資金の運用方法のみ ならず, 関係者によるインサイダー取引の防止の ためなどにも関係法令を遵守することが要求され ているのである。 今日では食品ラベル偽装をはじめとする企業不 祥事が発生するたびに, コンプライアンスの意義 が強調されており, この概念が戦略の策定・施行 の基本的前提となっているといえる。 従来におい ては, 総会屋対策や株主総会を担当していた法務 部や総務部が, 総会屋の減少とあいまって, 新た な業務として, コンプライアンス担当へと衣替え をするに至っているのである。 法務部などの中に, コンプライアンス室, 企業倫理室, CSR (企業の 社会的責任) 室などを設置し, コンプライアンス 担当役員や倫理担当役員が置かれている。 こうした動きは, 日本の場合, 日本 IBM など の外資系企業の影響を受けた部分が大きかった。 異国でビジネスを行う第一歩は, その国の法律・ 法文化を知り, それを遵守することである。 一般 的に, 世界各国で活動するアメリカ系の企業は, 「よき企業市民」 というイメージを獲得するため に, コンプライアンス意識が高く, 内部告発制度 をも完備した 「行動規範」 をもち, 不法行為を禁 じている。 しかし, かれらは必ずしも現地の法律 を金科玉条視しているわけではない。 例えばドイ ツの 「経営参加」 のように, 彼らに不合理とみら れる法規制には異議を唱え, その改定のための訴 訟を起こしたのである。 わが国のコンプライアンスの対象も初期におい ては, 主として, インサイダー取引の禁止, 談合 禁止, 不正取引慣行の禁止などといった財務やマー ケティングの領域に関心が向けられており, 人的 資源管理の面では性差別禁止が強調された。 しか し, 最近ではコンプライアンスの領域が拡大され, 企業の社会的責任とほぼ同一視される傾向にあり, 従業員の言論の自由を保障するといった人権問題 までも含むようになっている。 他方, アメリカやオーストラリアあたりでは, こうした企業の, 水も漏らさぬといった感じのコ ンプライアンス・システムは, フーコー的にいえ ば, 企業のパノプティコン (一望監視型監獄) 化 であるとの批判もある。 このシステムの生みの親 であるベンサムは, いわば監獄の近代化を意図し たのであるが, 現代の行き過ぎたコンプライアン スは, 企業が従業員の行動を厳しくコントロール しすぎるものとして, 「企業の監獄化」 といった 状況を推進する恐れがある。 今日, 企業は, マルチ・ステークホルダー・モ デルの論者が指摘するように, 国際的 NPO や物 言わぬ 「自然」 といった利害関係者もふくめ, さ まざまな利害関係者により構成されている。 そう したステークホルダー間の衝突を解決するには, 法令遵守を超えて各ステークホルダーがもつイデ オロギー・レベルでの対話が必要であろう。 かく して, 今後のコンプライアンスへの取り組み方も, たんなる関係法規の遵守の問題に 「矮小化」 ない しは 「マニュアル化」 するのではなく, 「正義」 を志向するといった一段高い人的資源管理を導入 するなどの方向に進む必要がある。 (こばやし・しゅんじ 早稲田大学商学部教授) 1
コンプライアンスの意義と問題点(PDF:138KB)
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