Title
地域語伝承に関わる授業の創造−「しまくとぅばの日」
制定の意義を踏まえて−
Author(s)
豊里, 輝代; 蔵根, 美智子; 梶村, 光郎; 村上, 呂里
Citation
全国大学国語教育学会発表要旨集, 111: 125-128
Issue Date
2006-09-30
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9873
Rights
全国大学国語教育学会
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第
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日 第
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会場
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地域語伝承に関わる授業の創造
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しまくとうほの日j制定の意義を踏まえてー キィワード:地域語言語感覚 しまくとうばの日 生活ことば 自律的言語文化生活者 琉球大学附属小学校豊里輝代・沖縄県立図書館蔵根美智子ゐ琉球大学梶村光郎・村上呂里 はじめに 沖縄県では2006年3月28日沖縄県議会全会一 致で毎年9
月1
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を fしまくとうばのSJ
とし て制定することが可決され、 3月 31日条例が公 布された。かつて沖縄では生活場面でも f方言J. 使用を禁止する教育が行われ、急激な標準語化が 推し進められた。その結果子どもたちの言語生活 には、語尾の抑揚 (T...ヨー。Jr
'"サー。Jなど) で感情を表現し、きめこまやかな感情語黛の表現 が失われてしまった、「方言』がスラングとじて 残り結果として f方言は悪いことばJというイメ ージを形成した等の矛盾が現れた。本研究では、 こうした歴史の矛盾を省み、地域語の伝承を土壌 に f生活ことばjを豊かにする f自;律的言語文化 生活者1(白石寿文『育つことば育てることば』 東洋館出版社、1
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年)を育むことをめざし、 地域語の伝承に関わる授業を創造し検証する。 1.r
しまくとうばの日』制定について f県内各地域において世代を越えて受け継がれ てきたしまくとうばは、本県文化の基層でありし まくとうばを次世代へ継承していくことが重要で あることにかんがみ、県民のしまくとうぱに対す る関心と理解を深め、もってしまくとうばの普及 の促進を図るため、しまくとうばの日を設ける。J (沖縄県条例第 38号)を趣旨とする「しまくと うぱの日jに関する条例が制定された。 その背景は、戦後 60年本県児童生徒の学力向 上等の目的で標準語教育が重視された中、しまく とうばが衰退する危機的状況にあったからであ る。制定の直接のきっかけは県人ベルー移住百周 年記念式典等に出席した県議会の南米派遣議員団 が、一世ら県系人の話す流暢なウチナーグチ(し まくとうば)に触れ、ことばを継承し郷土の言葉 を守る大切さを認識したからである。 条例案作成の中心となった「県民の会jによれ ば「ウチナーグチ(しまくとうば)は沖縄文化の 礎であり、ウチナーンチ-ュの心である。若い世代 への継承は緊急の課題であるJ(Ii沖縄タイムス』 2∞
6年 3月 9日)とし、沖縄の文化、アイデン ティティーを守ることの重要性を述べている。 『しまくとうばの日jは、「くとうばjの語呂 に合わせて 9月1
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日とした。県内各地では、婦 人会や青少年育成協議会等主催の『ウチナ}グチ 大会jが活発に行われつつある。 本県の学校教育においては、 f学校教育の指導 の努力点J (沖縄県教育委員会、 2∞
6年)の5つ .の重要項目の一つにr
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地域の自然・歴史・文 化の重視jを掲げている。心豊かな児童生徒の育 成のために地域に学び、地域と共に連携と融合に よる伝統文化教育の推進を行っているところであ る。総合的な学習の時間や特別活動において、組 踊や獅子舞、やちむん〈焼物)等が取り上げられ、 運動会では地域エイサーが定番になっている。ま た学芸会では方言劇なども行われ、地域の方々か ら喜ばれている。ご
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しまくとうばの日jの制定がさらに上記 教育目標の充実に繋がるものと考える。中学校・ 高校において選択科目としてウチナーグチを取り 入れているところもあり、今後さらに言語教育の 立場から、本県の国語科教育においてもしまくと うばを取り入れた授業が意図的・系統的・継続的 に行われることが望まれてくるものと考える。2.
沖縄県国語教育史における「しまくとうばの 日j制定の意義1
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(明治5)
年以前の沖縄は、中国(清)と 日本への両属という形をとりながら琉球王国とし て存在してきたが、'同年i
ご明治政府により琉球審. として位置づけられ、廃藩置県の政策により1
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(明治 12) 年に沖縄県としで出発することにな ったロそれに伴い、近代学校の導入の準備が進め.られ、翌年の3月に会話伝習所(同年6月より沖 縄県師範学校となる。)と、小学校(島尻、首里、 伊広島)が設置された。これにより、「普通語J(標 準語)を教える教員の養成と「普通語Jの教育が 実施され、学校教育をとおして沖縄県民を内地(日 本〉に同化することが目指された。しかし、この 頃に使用された「普通語Jを学ぶための会話の教ー 科書である『沖縄封話
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(明治13年編集)は、次 の例が示すように-、方言=地域語を禁止するもの ではなかった。 本部番所ハ、能キ、景色ノ所ト、申シマスガち 如何デゴザリマスカ ムトプパンシャウ。ヰー。チーチヌストクル ンデ。イヤピーシガ。チャーデーピノレガ。 (If'沖縄掛話下~) ところが、1898(明治31)年から 1905(明治38) 年まで使用された『沖縄麟用尋常小学読本』の時 代になると、変化が生じてくる。モの変化とは、 f方語を斤けて園語を尚ぷ風を作り織んに園民性 を養ふベしJ{高田宇太郎「国語について(承前)J 『琉球教育』第 32号、 1898年8月、 53頁。)と いった主張がなされ、地域語を否定的に見、国語 で帝国臣民たる圏民性を養うことが追求されると いうことである。 その具体的な例は、 f方言札Jの登場主、沖縄 県師範学校附属小学校の読み方の授業の批評会で の以下のような批評である。 「本勝語ニ欝シタノハ大歓喜詰デア/レナノレベク本 勝語ヲ用ヰズν
テ了解セシメ凡様ニシタイJ(
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授 業批評舎記録Jlf'琉球教育』第 96号、 1904年6 月、 263-264頁。) 方言札については、沖縄県師範学校附属小学校 の「教育施設ー覧J(11'沖縄教育』第 68号、 i911 年。)の中の「第八Jの「五、普通語奨励方法J であげちれている、以下の「四Jの項目の中で言 及されているが、それは文献の上で確認できるも のとしては最も古いものである。ただし、学校の 記念誌や教員の回想に従えば、明治 30年代には 各学校で導入されていたと考えられる。(梶村「沖 縄の標準語教育史Jr
沖縄県の国語教育史に関す る実証的研究.!I2004年3月、 40頁。) 「困、休憩時間中尋常科第六学年以上の児童に 嘗番方言取締掛を置き児童にして方言を使用せる ものには『普通語』と記入せる厚紙製の札を渡さ しむJ(43頁。) この次の「五Jの項目には、 f各級毎に方言を 使用せる児童に謝して相嘗の制裁を加へしむ』と あり、恥の心と制裁を利用して、全国共通の固定 教科書を用いて、地域語の禁止・撲滅を意図した 国語教育を展開していく。 このような国語教育は、 1915(大正4年)の沖 縄県教育会への答申書である f普通語励行方法答 申書J
(!i沖縄教育』第 103号、 1915年9月)へ 継承され、さらに昭和期に入って 1937(昭和ロ) 年以降の国民精神総動員運動の一翼を担う標準語 励行運動を通して、学校だけでなく地域をも巻き 込んで実践されていったのである。こうした国語 教育の実施により、地域語の使用を肯定する岩崎 卓葡の動きも見られたが、沖縄県民の聞に地域語 を否定的に捉える見方が定着しτ
いくことにな る。 敗戦後、教員の中には方言の使用を肯定し指導 した者もいたが、地域語を使用する子どもを f不 良j と見る見方が残っていた。(渡口明美『友と してJIf'りゅうたん』、那覇市社会福祉協議会首里 支部、 1965年、 10-11頁J
また、アメリカの支 配のもとで、標準語=共通語を教えることは日本 への復帰の意志を示すことであり、子ども遣に同 胞意識をもたせる役割を果たすことになる。そのー ため、地域語を肯定し、それを指導しようという 動きは広まらなかった。 むしろ、 1951(昭和 26)年4月に閉催された 第二回全島校長会において『標準語励行を徹底J
が目標として掲げられたというように、標準語教 育が重視されたのである。 1972(昭和 47)年の日本復帰前後から、学カ の低さを問題にする論議があり、その理由位共通 語草標準穏を使用するカの不足が原因であると見 なされた。 こうした状況の中で、,地域語への関心は高まーら ず、一部の教員が郷土の文学を教材化する中で地 域語に触れるという形でしか扱われてこなかっ た。ょうやく、日本復帰以降に、作文の会話文に 地域語が使用されるようになっただけである。し かし、地域語への見直じが、地域の文化遺産とい う観点からなされ、地域語を話す催しが各地で開かれるようになってきた。そうした機運に乗じて 『しまくとうばの日Jが制定されたのである。 以上より、この,
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しまくとうばの日jの制定の 意義は、地域語の否定,撲滅を伴う国語教育のあ り方を問うと同時に、沖縄県民がそれまで抱いて きた自らの地域語観を聞い直し、自らの言語の権 利を宣言したところにあると見ることができるで あろう。と同時に、「しまくとうほの日jは、沖 縄の教員に、共通語の学習と同時に、地域語の学 習をどのように進めていくかという実践的な課題 を突きつけていると、いえるだろう。3
、地域語伝承に関わる授業の創造 (1)地域語学習の意義と系統 地域語には、固有の風土と歴史に根ざし、人と 人との突わりのもとに培われてきた文化が包み込 まれている。沖縄の地域共同体に根ざしで育まれ た語葉体系には、「群議らさんJr
辞婆さんJr
許
筈
ち む る さんJr
肝解じゅんj等人と人との交わりを表す きめこまやかな語棄が豊富にある。こうした地域 語を学習することによって、また日本語共通語や 他の地域語と比較する視点を身につけることによ って、言語感覚を鋭敏にし、自らの f生活ことばJ をさらに豊かなものとしていく「自律的言語文化 生活者J(白石寿文)を育むことができるのでは ないだろうか。 地域語学習の系統としては、以下のように仮説 を立てた。 I地域語文化に対する親しみと愛情を育み、伝 承および創造的発展への意欲を掘り起こす。ま た各々の地域語の尊厳を学ぶ。 E地域語と日本語共通語との関係性について言 語科学の観点から学ぶ。E
地域語文化史について学び、地域語文化の豊 かさや深さを認識する。 IV 地域語文化を活用することによって言語生活 を豊かなものとするとともに、地域語文化の創 造的発展に参加する。 以上の4
段階が螺旋状的広展開されることによ って、地域語文化を土壌として踏まえつつ言語生 活を豊かにする主体が育まれるのではないだろう か。今回取り組んだのは、小学1年生を対象とし た第I段階の授業である。地域語文化との生きた 出会いの場をつくり、地域語への親しみを育み、 祖父母の世代が持つ地域語伝承への思いを感じと る授業を試みた。(
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授業について 2∞
6年8月4日第四国千原初等教育研究大会 (琉球大学附属小学校)で検証授業を行った。子 どもたちは fおむすびころりんjの学習を経て、 民話へ強い関心を抱いている。また『おむすびこ ろりんJを暗唱し、語りのリズムをからだ全体で 味わってきた。こうした学習者の実態を踏まえ、 民話の語り部でもある金城春子さん (64歳。 D V D付絵本『しまくとうぼであそぼう.ll (なんよ う文庫、 2006年)の作者)をゲストティーチャ として招き、「おむすびころりんJ
を沖縄のこ とばで語ってもらうことを位置づけ、国語教科書 とも関連させながら fしまくとうば』に親しむ授 業を行った。0
授 業 者 琉 大 附 属 小 学 校 豊 里 輝 代O
クラス 琉大附属小学校1
年2
組O
単元名 『しまくとうばに親じもうJO
単元目標 「しまくとうばJの語りをからだ全体で味わい、 親しみ、 fしまくとうばjにこめられた思いを感 じる。0
学習の展開 事前学習祖父母や父母などから fしまくとうばJ (f方言J)について話を開き、聞いたことを記録 する。その時間いた「しまくとうぱjの中からいー ちばんみんなに伝えたいことばを遺ぴ、短冊i
こ書 いておく。本時
l短冊に書いた『しまくとくうばjどそのこと ばの共通語訳を声に出して全員が発表する。1
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ゲストティーチャーの金城春子さλ
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のお話を 聞く。 ( i )からだの部分を、動作化を伴い頭から『し まく}とりまJで表現してみる。 (盆) 1学期に暗唱した FおむすびころりんJ
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しまくとうぽJの語りで聞いて味わうJ I (鑑)r
しまくとうほjのことほ遊び歌をいっし ょに歌ってみる。 II
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5つのグループに分かれ、それぞれの地域の fしまくとうばjの語りにふれる。 ①首里のことば(
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さんのおばあさん) ②与那国のことば (S. Mさんのおばあさん)③那覇のことば (M. Sさんのおばあさん) ④宮古のことば (K. Y さんのおばあさん) ⑤西原のことば(金城春子さん) IV グループ毎に各々感想を発表する。最後に、 本日参加してくださった金城泰子さんやおばあさ んたちに、各々の地域のことばで感謝(rありが とう J)の気持ちを伝える。授業後、感想を響く。 (3)授業の実際から 事前学習では、父母に手伝ってもらいながら、 .日本語共通語と宮古(父方のおばあさん)、西表 (母方のおじいさん)、西原(母方のおばあさん)、 各々の地域のことぼとを比較する衰を作成した生 徒、挨拶やことわざを聞いてきた生徒等多様な学 習活動が行われた。記録の一例をあげる。「ぽく のかぞくやしんせきのおとなはみんなほうげんを しゃべれます。ぼくがさいしょにおぼえさせられ たほうげんは、ウートートゥ、ウサンデーサピラ、 そしてマプヤーマプヤー、ウーテイクヨーマプヤ 一、ウーティクンラーナンチチメーカマスンドー です。おばあちゃんがげんきなうちにはなせるよ うになるまでおしえてくれるそうです。J