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W. F. ヴェルトヘイム「インドネシアに於けるオランダの文化的影響 (『諸國間に於けるオランダ』第二卷所収)」

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Academic year: 2021

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W.F.ヴ ェ ル トヘ イ ム

「イ ン ドネ シ ア に 於 け る オ ラ ン ダ の 文 化 的 影

響(『 諸國間に於けるオ ランダ』第二巻所收)」

W.F.Wertheim:

Nederlandse

cultuur-invloeden

in Indonesie.

[Bartstra,

J. S. & Banning,

W. ed.:

Nederland

tussen

de

Natien.

Vol. II, pp. 35-79.

(Amsterdam,

1948)J

      永   積     昭

  著 者W.F.ヴ ェ ル トヘ イ ム 氏 は ア ム ス テ ル ダ ム 大 學 の 「東 南 ア ジ ア 社 會 學 ・歴 史 學 セ ミナ ー 」(Sociologisch-Historisch  Seminarium  voor Zuidoost  Azi6)

の 教 授 で,他 に 著 書 Indonesian  Socieiy  ill Transition,  The  Hague& Bandung  1956.が あ る 。 そ の 第4章 「イ ン ドネ シ ア 政 治 史 の 概 観 」 の 原 形

と も い うべ き も の が 此 處 に と り あ げ る 論 文 で,著 書 に 先 立 つ こ と8年,Ne-derlan  tussen  de Natien.Amsterdam  1946&48.2vols.(諸 國 の間 に 於 け る オ ラ ン ダ)と い う シ ン ポ ジ ウ ム の 下 巻 に 收 め ら れ て 世 に 出 た 。8年 後 に 書 き 改 め ら れ,著 書 の 一 部 と し て 收 録 さ れ た の な ら,今 更 舊 作 を 紹 介 す る こ と は 無 意 味 の 様 に も 見 え る 。 し か し兩 者 の 内 容 は 決 し て 同 じ で は な い 。 先 ず 著 書 の 方 で は 政 治 史 に 重 點 が お か れ た た め,舊 作 の 文 化 史 中 心 の よ さ が か な り失 わ れ て い る し,ま た 單 に オ ラ ン ダ だ け で な ぐ,ヨ ー ロ ッパ一 般 と の 對 比 に お い て イ ン ドネ シ ア 社 會 を 語 る の で,舊 作 と 同 じ位 の ス ペ ー ス で は ど う し で も意 を つ く さ ぬ うら み が あ る 。 これ に 反 し て 論 文 の 方 は 戰 後 間 も な い 出 版 に もか か わ ら ず,著 者 の 公 正 な 見 解 と斬 新 な 研 究 方 法 と を 髓 所 に 感 じ さ せ る 。 あ え て 本 書 を と りあ げ る ゆ え ん で あ る 。   43ペ ー ジ か ら な る こ の 論 文 は4つ の 章 に 分 れ,嚴 密 な 考 證 型 の 論 文 とい う よ り は,む し ろ 評 論 に 近 い 。 最 後 に 短 い 書 目 が 附 い て い る が,勿 論1948年 以 前 の 文 獻 に 限 ら れ て い る の で,最 近10年 程 の 一 蓮 の 好 研 究,た と え ば 社 會 學 で はJ.C.  van  Leur,B.Schrieke現 代 史 で は  H.  J. Benda,  G. McT. Kahinな ど の 諸 著 は ま だ 現 わ れ て い な い 。

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さ て從 來 の様 に植 民 史 的側 面 を詳 述 す る場 合 に は17-18世 紀 の 部 分 が か な り重 き を なす の で あ るが,こ の論 文 で は2つ の 世 紀 を 僅 か6ペ ー ジに ま とめ, 以 後 現代 に 近 づ くに 從 っ て次 第 に 詳 細 に な る。 第1章(1600-1800)で は,先 ず オ ラ ン ダ來 航 以 前 の イ ン ドネ シ ア社 會 に つ い て概 観 し,焦 點 を ジ ャ ワの社 會 に 合 わ せ て,貿 易 か ら利 潤 を得 る海 岸 の諸 王 國 と農 業 に 依 存 す る内 陸部 と の 對 比 を 示 す 。東 ア ジ ア一 南 ア ジ ア間 の文 化 傳 播 や文 化 の 等 質化 は 貿 易 を媒 介 と して起 るが,貿 易 に たず さわ る の は小 費 商 人 的 な 小 規 模 の もの で,港 灣 の 君 主 達 とは別 な存 在 で あ っ た 。 ヒ ン ドウー敎,イ ス ラ ム,カ トリ ック教 の 何 れ も,こ の社 會 に 本 質 的 な 變化 を もた ら さな か った 。1600年 頃 の イ ン ドネ シ ア社 會 を著 者 は お よそ この様 に説 明 して い る。 ポル トガル に 代 るオ ラ ン ダ の海 上 制 覇 もそ れ 程短 期 間 に 行 わ れ た もの で は な く,か つ そ の東 洋 貿 易 を 過 大 評 債 す る こ とは 危 瞼 だ とす る著 者 の 見 解 は van  Leur氏 な ど と相 通 ず る もの で あ る。 オ ラ ン ダ東 イ ン ド會 社 は 貿 易 の基 磯 を築 き は した が,文 化 の面 に は 無 關 心 で あ った 。 勿 論 オ ラ ン ダー 般 市 民 の 移 住 は行 わ れ た し,ま た し ば しば奬 勵 も され た 。 しか し東 イ ン ド會 社 の組 織 は土 着 社 會 の影 響 を受 け て 多 分 に 封 建 的 色 彩 を 帯 び,そ の 限 りで は 會 社 は 港 灣 王 國 の 列 に 加 わ った に 過 ぎな い 。 内 陸 に 勃 興 した マ タ ラ ム王 國 との間 の數 次 の 衝 突 を 著 者 は この 様 に 解 してい る 。會 社 が ジ ャ ワの社 會 に 影 響 を及 ぼ した とい って も,要 す るに こ の 次 元 の 中で の話 で あ る 。著 者 の 引用 す るvan  Leurの 言 葉 を 借 りれ ば,オ ラ ンダ は ま だ 「船 の 甲板 か ら,城 壁 越 しに,ま た は 高 い ヴ ェ ラ ンダ越 しに 」 イ ン ドネ シ ア を 眺 め て い た に 過 ぎな い(p.7)。 しか し會 社 に よ る貿 易 の獨 占 は,漸 く原 住 民 の海 上 貿 易 を壓 迫 す る様 に な る。 富 の偏 在 に よる階 層 分 化 は ジ ャ ワ人,混 血 兒(mestizo),中 國 人,オ ラ ン ダ人 な ど の人 種 分 化 に お きか え られ て行 く。文 化 面 の 交流 は まだ 活 淡 で な い が,次 の時 代 に は社 會 的 全體 と して の 東 洋 と西 洋 との對 比 が 實 感 出 來 る様 に な る 。 第2章(1800-1870)は ナ ポ レオ ン戰 爭 中,フ ラ ンス 占領 下 の オ ラ ン ダか ら 派 遣 され た 總 督 ダ ー ンデル ス(H.W.Daendels)の 統 治 か ら始 ま る。 この 頃 か ら ジ ャ ワへ の關 心 は 高 ま り,や が て收 奪 の對 象 と化 す る。 か か る會社 政 策 へ の ホ ー ヘ ン ドル プ(Dirk van Hogendorp)の 批 判 は ジ ャ ワ人 の生 活 を擁 護 し よ う とす る も ので あ り,強 制 栽 培 制 度 の立 案 者 と して 知 られ る フ ァ ン ・デ

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ン・ボ ス(Johannes van den Bosch)の 改 革 案 も,そ の意 圖 は 元 來 收 奪 の防 止 に あ った 。著 者 に よれ ば 強 制 栽 培 制 度 は 會 社 の シ ス テ ム へ の復 歸 で は な く,ダ ー ンデ ル スー ラ ッ フル ズ に續 く一 蓮 の新 政 策 の 線 上 に あ る。 即 ち 東 洋 的 ・封 建 的 な もの を 治極 的 に受 入 れ る態 度 か ら,積 極 的 な 統 治 策 へ の 轉 換 を こ こに 見 るの で あ る。 しか し この場 合 も一 般 ジ ャ ワ人 の 利 害 は 依 然 と して 問題 外 で あ った 。 ラ ッ フル ズ は 自由主 義 的 政 策 を意 圖 しな が ら現 實 に は 強 制 的 徴 税 へ の道 を 開 い た し,地 代 改 正 の施 策 も結 局 成 功 した とは い えな い 。 また 私 企 業 の發 達 に不 可 缺 な 個人 主義 が此 處 に は 缺 け てい た 。 こ こで 著 者 は ホ ーヘ ン ド ル プの 政 策 の 意義 を再 び 強調 し,西 歐 の 支 配 方 式 や 経 濟 上 の利 潤 追 及 と,經 濟 的 に 末 成 熟 な 大 衆 との 間 の ギ ャ ッ プが そ の成 功 を 妨 げ た とす る ので あ る。 と ころ で この 様 な 政 治 史 の 側面 は さて お き文 化 史 の側 面 は ど う で あ っ た か 。 當 時 まだ オ ラ ン ダ一般 市 民 の居 住 地 は 殆 ど海 岸 に 限 られ てい た 。 ダ ー ン デ ル ス,ラ ッフル ズ等 は ジ ャ ワの土 侯 達 に 好 意 を持 たず,彼 等 を さ しお い て 村 落 首 長 の地 位 向上 に つ とめ た 。 ジ ャ ワ戰 爭 は土 侯 達 の か か る不 滿 の爆 發 で あ り,以 後 イ ス ラムが 反 西 歓 民 族 運 動 の旗 じる し とな る。 フ ァ ン ・デ ン ・ボ ス は この 點 に留 意 し,諸 侯 の權 威 囘 復 を は か った 。 この意 味 で は 會社 時代 へ の復 歸 と もい え る 。結 局 オ ラ ンダ と して は,ジ ャ ワ社 會 に 深 入 りす れ ば す る 程,み ず か らの 自由主 義 を,植 民地 主義 的 な い しは 封 建 的 な 政 策 と妥 協 させ ざ るを 得 な か った 。 學 會 活動 が 始 め て イ ン ドネ シ アに 起 った の も こ の 時 期 で,教 養 あ るオ ラ ン ダ人 の居 住 も次 第 に 増 加 した 。Douwes  Dekkerの 書 い たMax  Havelaarの 様 な オ ラ ン ダ の政 策 を 批 判 した 文 學 も現 わ れ た。 衛 生 設 備 の 普 及 と共 に 人 口 も 自然 増 加 を 見 た が,經 濟 的 繁 榮 を 件 わ ない ので 生 活 水 準 は 却 っ て低 下 した 。 藍,砂 糖 な ど の強 制 栽 培 實 施 と共 に オ ラ ンダ の支 配 は 小 農 民 社 會 に まで 及 び,村 落 の首 長 は上 下 をつ な ぐ役 を した 。貨 幣經 濟 は末 端 に ま で及 んだ が,中 國 人,ア ラブ人 等 の 高利 貸 の 介 在 に よ りジ ャ ワ人 の生 活 は 一 層壓 迫 され た 。 第3章(1870-1930)の 時期 に な る と,オ ラ ン ダは 今 まで と異 り,強 制 栽 培 制 度 に よ って 蓄 積 した 資 本 を た ず さえ て企 業 に 進 出 した 。 これ は1900年 以 降 の オ ラ ンダ本 國 工 業 化 に 呼應 す る も ので あ る 。 ヨー ロ ッパ 列 強 の領 土 獲 得 競 爭 に オ ラ ンダ も参 加 し,工 業 原 料 や 軍 需 物 資 獲 得 の動 き が活シ發とな る 。個 人

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資 本 の投 資 を許 可 す る法 令 が 發 布 され,ま た 諸 外 國 の資 本 も續 々 イ ン ドネ シ ア に投 下 され た 。 オ ラ ンダ 自身 の帝 國 主 義 的 活 動 も一 層 積極 的 とな り,ア チ ェー戰 爭 を契 機 と して オ ラ ンダ の關 心 は次 第 に ジ ャ ワか らそ の 他 の地 域 に 及 ん だ 。 しか し西 歐 資 本 の無 制 限 な導 入 は ジ ャ ワ農 民 を 壓 迫 す る こ と甚 し く, 何 らか の形 で社 會 的規 制 を行 な う必 要 に迫 られ,「 道 徳 的政 策 」(de ethische politiek)の 出 現 とな った 。 この政 策 をめ ぐっ て プ ラス 諸 因 と マ イナ ス 諸 因 と が 相 互 に働 く。著 者 に よれ ば オ ラ ン ダの對 イ ン ドネ シ ア政 策 は 道 徳 的 政 策 と オ ラ ン ダの利 害 との 間 を行 きつ 戻 りつ して い る こ とに な る。 一 方 ,オ ランダ人 個人 の影響 もこの頃か ってな く増大 した。 しか し社會の トッ プ ・グル ー プで あ る とい う優 越 感 が強 く,到 底 イ ン ド ネ シ ア 人,中 國 人,イ ン ド人 な ど と融 和 しな か った 。 ま して 外 領 の 様 に 土 着 文 化 の未 發 達 な 場 合 に は,そ の文 化 に新 しい發 展 の可 能性 を與 え ず に そ れ を 破 壞 して しま う 危 険 が 多 か った 。 西 歐式 教 育 の普 及 に よ る新 しい 中 産 階 級 の 出現 を 見 た の も この 時 期 で あ る。 第4章(1930ー?)の 下 限 は 第 二 次 大 戰 直 後 の時 期 で あ る。オ ラ ンダが イ ン ドネ シ アに 影 響 を 與 え 得 る時期 は もは や 終 った とす る のが 通 説 で あ るが,著 者 は 必 ず しもそ うで は な い と して,獨 立 運 動 そ の もの も また オ ラ ンダか らの 輸 入 品で あ る こ とを力 説 す る。 世 界 恐 慌,土 着 産 業 資 本 と西 歐 ・日本 資本 と の競 爭 激 化,ア メ リカ の進 出 な ど,第2次 大 戰 直 前 の叙 述 は短 い が要 を得 て い る 。 日本 の 占領 時 代 に つ て は あ ま り筆 を割 い て い な い が,非 常 に 客觀 的 で,日 本 の數 々の失 政 に もか か わ らず,傳 統 の絆 を 斷 ち切 るの に一 役 買 った 點 を認 め,ま た オ ラ ンダが 主 と して世 襲 の 首長 を 介 して大 衆 を 把 握 し よ うと した の に 比 し,日 本 が直 接 大 衆 を把 握 し よ う とつ とめ た 點 に特 色 を見 る。 し か し 日本 は 究極 に於 て 民衆 の 自治 を認 めず,す べ て を 戰爭 遂 行 の 見 地 か ら考 え て い る點 を 記 す な ど,著 者 の見 方 は甚 だ 冷 静 で あ る。 戰 後 まだ 日の 淺 い 當 時 と して は,戰 後 の 叙述 が 物 足 りな い の は や む を 得 な い 。 しか し徐 々 に き ざ してい た 大 衆 のめ ざ めが 民 族 革 命 のみ な らず 社 會 革 命 の 様 相 を 帯 び て行 く過 程 は見 事 に描 か れ て い る 。 以上 の様 な政 治 情 勢 の分 析 に 續 い て,今 後 の オ ラ ン ダの心 構 え を述 べ て 結 び と して い る。 即 ち これ まで の様 に 土 侯 を 通 じて で は な く,新 興 の 知 識 階 級 との 提 携 を は か らね ば な らぬ

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こ とを説 き,イ ン ドネ シア に起 り得 べ き フ ァシ ズ ムを 未 然 に 防 い で健 全 な 民 主 主義 の 發 展 に 寄 與 す る こ と こそ,オ ラ ンダ に殘 され た 唯 一 の文 化 的責 務 で あ る と して 筆 を お い て い る。評 論 風 の論 文 だ か ら仕 方 が な い とは い え,こ の 最 後 の 部 分 は や や 蛇 足 め く。 さて,以 上 が 本 論 文 の 内 容 で あ る が,現 代 の 部 分 に 見 られ る幾 分 のず れ に もか か わ らず,大 膿 に 於 て 今 な お みず みず し さを失 って い な い の は 驚 くべ き こ とで あ る 。 オ ラ ンダが 最 後 の つ とめ を 果 す べ き當 の イ ン ドネ シ アは,西 イ リア ンの歸 屬 を め ぐっ て決 定 的 に 遠 ざか った 。 著 者 の 豫 見 した オ ラ ン ダの カ ムバ ック は實 現 しなか った とい う他 は な い 。 しか しこ の論 文 は 決 して單 な る オ ラ ンダ植 氏 史 で は ない 。 題 名 の示 す 通 り,著 者 の關 心 は 文 化 史 に あ り,二 つ の文 化 の相 互 形 成 作 用 とい う大 き な問 題 を常 に考 え て い る 。政 治 史 と文 化 史 とが密 着 した ま ま語 られ る手 法 も見 事 で あ る 。第2章 の諸 改 革 の評 價 に つ い て は 異論 もあ ろ うが,政 策 論 に も道 徳 論 に も陥 らぬ様 な公 正 な見 方 は恐 ら くこの方 法 に よ らな い 限 り不 可 能 で あ ろ う。著者 は この考 え をvan  Leur氏 の 示 唆 に よ る と して い るが,た しか に 今 日の イ ン ドネ シア社 會 研 究 に共 通 な 流 れ の 源 と もい うべ き もの が此 處 に あ る 。そ の意 味 で これ は 記 念す べ き論 文 で あ る。 (コーネル大學大學院生)

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